1649【真作】 肥後宇土藩主 細川立則 佐々木顕発宛書状 江戸後期の大名 熊
正月の定例の挨拶状である。立則は宇土細川家の11代だが、嘉永4年に父・行芬の病気により跡式相続をしている。
宛先の佐々木顕発はその履歴が誠に不思議な人物で、一介の旗本の家来から御家人ー旗本となり、勘定奉行・町奉行・外国奉行
へと大出世をした人物として知られる。
立則は文久2年に隠居しているから、佐々木顕発はその時期すでに奈良奉行になっており、以降大阪町奉行・小普請奉行となり、
一時期反井伊直弼派で免職となり、その後徒頭・作事奉行となっている。町奉行・外国奉行となられたのは立則の隠居後である。
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