この文書については過去に何度か触れた。詳細は■まってろ定彦さんを参照されたし。
宇土細川家から朽木家7代の昭恒の養子に入った昭信が、病身のために実方に引き取られたが、妻である昭恒女と男子・定彦は朽木家に残り、
ここに順養子(兄弟の子を養子とすること)にしようという話が起こり、これが何やら問題を起こしている。
この「八代朽木家取扱之扣写」についても、三度ほど釈文をご紹介したが、全27頁の内、9頁ちょっと程しか読んでいない。
この際チャレンジして完読したいと思っているが、中には女文字の控文が交っており、これが難儀である。
この一連文書は、定彦氏を「順養子」にしようと考える親族一統に対し、本人がどこか由緒ある家に養子に出してもらいたいと言い出したこと
に対するひと悶着である。
定彦は■泰勝寺・長岡度世さまのご先祖様でも書いたように、刑部家に養子として入った。
この文書をなんとか読了して、その経緯に決着をつけたいと思っている。順次ご紹介していきたい。
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