津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

新事実「天草四郎に妻」

2009-06-11 07:38:40 | 新聞
 今日の熊本日日新聞は、「天草四郎に妻が存在」したことをうかがわせる、新史料が見つかったことを報じている。在熊の郷土史家・鶴田倉造氏が、尾張徳川家の史料「蓬佐文庫」の「天草陣雑記」のなかに発見された。「有馬籠城の覚」の中に「出丸大将有江監物貞次、是ハ四郎舅、城二テ総取仕候」とあった。

 綿考輯録は四郎の最後を次のように記している。
陳佐左衛門走廻り首二ッ討取候か、四郎か居宅の焼落る比煙下をくゝり其屋の内にかけ入る、佐渡か軽卒三宅半右衛門もつゝいて入に、創を被りたる者かと見へ、絹引かつき臥居ける側に女壱人付添泣居たり、佐左衛門つと入足音に驚き、かつきたる絹を押除る所を透かさす一刀に斬て首提け走出る、女驚き引留んとするを、三宅是を切捨にして走出ると忽棟を焼落し候、寺本久太郎ハ先時夜明ると早速忠利君の御意を蒙り、今日討取所の首をも拾せ、本陳前の堀に集め候に夥しく有之候、佐左衛門も其所に至るへきと思ひ、右の首を提、忠利君の御目通り近くを行くを急き行を屹と御覧被成、其首見所有、大将四郎なるへし、念を入候へ、扨々冥加の者哉と御意候か、果して四郎首也、御近習の輩驚き奉感候、扨佐左衛門惣首の所に至始終を語候へハ、久太郎猶も委しく様子を尋ね聞、陳か高名を感し候

この四郎の側にあった女性こそ、四郎の妻ではないかと考えられる。倉田氏は今年御年86歳、天草四郎研究の第一人者だが見事な成果を得られた。今後の新たな展開が楽しみではある。(私は単純に、傷を負うた四郎の介護をしていた女性と思っていたのだが・・・考えが甘かった)
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 先祖附によると | トップ | 齊茲のむすめ達 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Re: 新事実「天草四郎に妻」 (ぴえーる)
2009-06-11 22:22:42
「舅」には「母方のおじ」という意味もありますから、もう少し確かな裏づけが欲しいですね。
返信する

コメントを投稿