津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■文士と殿様

2024-06-15 07:57:30 | 書籍・読書

                 

 インターネットで検索してみたら探している古本の情報があった。
「別冊・文藝春秋-187号」なのだが、このような写真が紹介されているものの「在庫なし」とあってがっくり来た。平成元年4月(1989)号である。
なんで取っておかなかったかと今となっては悔やまれるばかりであるが、ここに阿川弘之氏と細川護貞さまの対談「文士と殿様」が掲載されていた。
実は司馬遼太郎氏の「春灯雑記」に、「護貞氏の話ー肥後細川家のことども」という項目があり、護貞さまが勉強された漢学についての話がある。
司馬氏は阿川氏の先の対談「文士と殿様」(p140〜156)を引用されている。これはまさにその一部であろうから、全文を読んでみたいと思っての
ことであった。

 そんな中で、阿川氏は護貞さまにある種の誘導尋問のような話を持ち掛けている。昭和10年以降の戦争へ突き進む状況についてである。
護貞さまは師・狩野君山の話として「宋学(朱子学)がいけない」と答えておられる。
要約すると「朱子学というのは、理気の学(中略)、理論を進めていくと感情というものが全く入ってこない。非常に人を責める。人情が入らず理詰
めで責める。日本が徳川時代に徹底的に朱子学を持ち込んだ結果である。」と君山はいう。

司馬氏はこのことについて感想らしきものは一切ふれていないが、司馬氏が作品として残した時代や人物は、まさに君山の語る處の線上にある。

 熊本史談会の5月例会で「儒学、そしてその変遷」をお聞きして以来、少々の勉強をしている中で、君山のこの指摘をなるほどと思うのである。
少々脱線したが、35年ほど前の文藝春秋が県立図書館に所蔵されている。古本購入はあきらめて、図書館欲で拝読することにしようと思っている。


 

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