津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「はなしのぶ」によせて、御製

2024-06-07 13:44:55 | 催し物

         野の花コンサート-01.jpg

 私の中学校の同窓に林田戦太郎君がいる。なにしろのマンモス校で同学年が700名以上おり、クラスが15クラスあった。
長じて彼が音楽家になっていることを知った。そして「はなしのぶの歌」を作曲した。
1985(昭和60)年5月、阿蘇野草園で第36回の全国植樹祭が行われたとき、昭和天皇のご臨席の際に、熊本の歴史ある女子高校・尚絅学園のマンドリンクラブがこの曲を演奏ご披露された。
阿蘇の原野の中に咲く「はなしのぶ」のあわい美しさに、植物学者として御心に留められ、また楽曲にも御心にふれるものが御有りになったのであろう。
その年の12月昭和天皇は次のような御製を寄せられた。

        はなしのぶの歌しみじみ聞きて 生徒らの心は花のごとくあれと祈る

 彼の音楽家としての名誉の最たる曲となった。今でもメロディーが流れると懐かしく思われてハミングしてしまう。
その後南阿蘇では「はなしのぶコンサート」が続けられてきた。
「野の花コンサート・はなしのぶ」は第7回だという。形が変わっているのだろうか。

もう39年にもなる。当時の熊本県知事は細川護熙氏であった。南阿蘇の原野にはさわやかな風に吹かれて、はなしのぶが咲き乱れていることだろう。

 

 

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■八代朽木家取扱之扣写(4-1)

2024-06-07 08:17:04 | 史料

 先にご案内の通り、「八代朽木家取扱之扣写」は過去3回に私ご紹介してきましたので、今回は4回目という事でご紹介いたします。
この文書の主は、朽木家8代朽木昭久で八代松井家の8代・営之の末子ですから、朽木家の血脈からすると昭久自らは離れているので、義兄で宇土家へ帰った昭信の嫡子・定彦を順養子として男系血脈を保ちたいという思いがあふれているようです。
しかし定彦は朽木家を離れどこか養子に出たいと望んでいるようです。
細川幽齋公の実家・三淵家に繋がる朽木家の男系血脈をつなぎたいと考える、8代・昭久の真摯な思いがつづられています。

   

         下書
 此日者御委細之御返書被成下夫々奉拝見候
 誠厚思召候処乍憚御尤御儀奉存候併
 順養子儀ハ何ゟ難奉任         
 尊意思召と奉背猶申上候処重畳之私身分
 に而ハ不幸両罪ニ茂相當申候得共此節之儀ハ
 御張上居候ゟ御内意被 仰付候次第御座
 候上私儀茂此間申上候通去年以来能々
 相老申候處先祖之血脈と申乍恐
 少将様江茂奉對申候而者是非跡を譲不申
 候而者私心底何分難相濟其上信紀儀ハ
 先祖ゟ之血脈女系ニ茂無御座候得者前角先祖
 之血脈之定彦殿幸此家ニ被居候事ニ候得ハ
 是非是ニ跡を譲譲申候方先祖江對し候而ハ
 相當可申哉と乍憚奉存候
 守節院様ゟ茂家督之処御断被遊度
 被思召上候旨御書残被置候御返書ニ
 相見候得共是者乍憚強■断被為成候      ■=虫食い 御ヵ

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