津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川幽斎 消息 里村昌叱宛 慶長元(1596)年霜月十四日付 真筆

2024-02-26 06:56:13 | オークション

  【深和】細川幽斎 消息 里村昌叱宛 慶長元(1596)年霜月十四日付 真筆
                      (戦国武将 戦国大名 書家 歌人 連歌 中世古文書)

        

  細川幽齋の資料研究に於いては、この十一月廿日の連歌の催しについては『連歌総目録』などで良く知られているらしい。
  ここにある名前は招待客で、「其外人数、一両輩給此方可申候」とあるように、薩摩から上洛した玄与(阿蘇惟賢=玄与日記)
   呼ばれたりしていて、豪華なメンバーが勢ぞろいしている。誠に貴重な文書と言える。(津々堂)


  

  商品説明

細川幽斎の消息です。
里村昌叱に宛てた書で、連歌を興行するので発句を頼む旨、連衆として玄仍・弥次郎(里村景敏)・友益(速水友益)・能札(北野社僧)を呼ぶ旨を認めたものです。
『連歌総目録』によれば、昌叱が発句を務めた霜月(旧暦十一月)の興行は慶長元(1596)年十一月廿日の「昌叱玄旨等薄何百韻」に絞られ、昌叱の「氷ゐて行水ふせぐ川辺哉」を発句として、連衆も上記の他玄与(阿蘇惟賢)・輝資(日野輝資)・兼如(猪苗代兼如)・恕仙・賢治らが居たことが分かります。
なお、この年の九月には秀吉の命で明使の接待に伏見へ赴いております。
幽斎はこのころ従兄弟兼倶が神職を務める吉田社境内に「随神庵」に閑居し、古典の書写や連歌に興じました。幽斎の暮らしぶりが端整な書蹟とともに綴られた逸品です。

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                    御同心              久玉句不承候間、
                           可為                 さて申事候、
                              本懐候、
  

          遥久不懸御目候、御床敷
          存候、此間在伏見候て、一両日
          已前吉田草庵迄罷出候、聊
          隙之躰候、然者廿日頃、於草庵
          一会興行申度候、発句者
          貴斎相定候、玄仍・弥次郎殿・
          友益・能札なと被仰候て可然候、
          其外人数、一両輩給此方可申候、
          今出京可申候へ共、来客事候間、
          一筆申候、御報ニ可被預候、
                                              かしく

           霜月十四日

           昌叱まいる人々御中      幽斎

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