津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■遊行上人の来熊と庶民の難儀

2024-06-25 06:39:17 | 熊本

 現在読んでいる「町在」、これは中古町の別當・友枝良左衛門の善行に対し、町の人たちが「士席浪人」格に
してくれるようにと町奉行に請願する詳細が書かれている。
良左衛門は中古町の別當でありながら、零落はなはだしい細工町や高麗門町に居住する人形職人に自らの資産を提供して、人形

制作の資金や生業、又、家作の修繕等の手助けをしている。これが請願の理由である。
「町在」とは、「熊本藩領の住民、数万人の褒賞記録」だが、その褒章をえるために、多くの関係資料が残されている。
友枝良左衛門については30ページにも及んでいるが、人形職人の名前が羅列記録されていたり、貸金の詳細な記録などが添付さ
れている。そのなかにある人の後家さんや丁頭の借金の理由が、人形職人とは全く異なっていた。
これは遊行上人が来熊されたときに、町人も合力のためになにがしかのお金を出したり、またお寺の垣根の修繕費を負担したり
している。その費用さえ事欠いたらしく借金として残った。良左衛門から借用して町に返し、若干の利をつけて数か月で返す事
が記されている。

 さてこの遊行上人の来遊、以前も書いたが熊本では阿弥陀寺に宿泊されているから、これらの町の人々が負担を強いられた。
遊行寺というお寺は、徳川家ゆかりのお寺であるから葵の御紋の旗をなびかせながら進んでこられるという。
また、最高位の上人自らがお出でになるので、通りの町や村では道の掃除や、宿泊のお寺の掃除など当然のことであったらしい。
武士、町人、農民そのたすべての生業の人たちが浄財を寄付をした(強いられた)。
度々のことではないが、貧しい庶民の負担は大きかったようだ。容赦がないという権力を後ろ盾にする一面が見受けられる。

コメント
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