漱石が新婚早々寝坊癖で起きられない鏡子夫人に言い放った言葉で有名である。
つまりこの漱石先生の造語は熊本に於いて明治29年に誕生したことによる。
鏡子夫人の著「漱石の思い出」によると、「オタンチン」は判るが「パレオロガス」が判らないので漱石に聞くが笑って教えてくれないからと、
訪ねてくる人に片っ端から尋ねている。
この言葉は、「吾輩は猫である」に登場しているのは皆さまご存じのことであろう。多々良さんとのやり取りの中で出てきている。
漱石が熊本時代鏡子夫人をからかい続けたこの言葉は、漱石にとっては新婚時代の楽しい思い出として残っていたのだろう。
「吾輩は猫である」は鏡子夫人の記述によると、「この年(明治37年)の暮れごろからどう気が向いたものか、突然物を書き初めました。」と
あり、その「吾輩は猫である」がホトトギスの正月号に連載が始まるや大評判を得たという。
全てを書き上げたのは、39年の八月に11回を発表しているが「オタンチン・パレゴロノス」が登場しているのは、七月の第5回分に掲載されている。
熊本時代に鏡子夫人をからかい気味に発した言葉は、10年の歳月を経過して名著「吾輩は猫である」で復活を遂げた。
「パレゴロノス」とは賢明な皆様はすでにご存じの通りの、ローマ帝国の最後の皇帝コンスタンチン・パレオロガスのことである。
江戸っ子で洒落ッ気がある漱石先生は「コンスタンチン」を「オタンチン」にしたことは容易に想像がつく。
なんで私がこんな皆さんが良くご承知の話を取り上げているかというと、「鏡子夫人は何時このことをお知りになったのだろうか」という素朴な
疑問からである。
鏡子夫人の孫娘(半藤真利子氏)聟・半藤一利氏の「漱石先生ぞな、もし」にもこの話は取り上げられているが、実は半藤氏もこの言葉がどこから
きているのかはご存じなかったとされる。そうすると、鏡子夫人もご存じないままだったのかもしれない。
何方かご承知であればご教示いただきたいものである。
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