豊後大友氏末葉・清田一族の福岡在住清田K様から、熊本地震で倒れた清田石見守の塔碑が復元された旨ご連絡と共に写真其の他をお送りいただいた。
私事で恐縮だが、清田石見守は我が家の恩人ともいうべき人物である。
毛利家を牢人し下松に在住していた折、「三斎公が江戸上下なされ候時分」立ち寄られ、御休息やお食事などを差し上げた。
それは数度に及んだようだが、槙島云庵(昭光)、清田石見殿の肝煎にて当家初代と兄磯部長五郎が豊前へ召し出されたという次第である。
ひょんなことから、400年の時空を超えて清田家の皆様とご厚誼を頂くようになった。御礼を申し上げる。
熊本市壺川・流長院にある清田石見守の墓碑
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