別府
先に注文した「大分市の文化財・第十九集 絵図に見る近世後期の肥後領鶴崎」が届いた。
いろいろ資料を集めているが、鶴崎やその周辺の小藩分立の状況が理解できるようになった。
絵図の左上から右下にかけて道路が突き抜けている。これが現在の国道197号、左上が大分方向、右下が佐賀関方向である。
図中央にお茶屋が見え、右手の方に船着きがあるが、一番上が波奈之丸専用の船着き場である。
左手が乙津川、右手が大野川の支流・前川だが、この前川は現在では埋め立てられているようで、この川の前にあった島と一体となっている。
その前に旧・小中島がありその右手を大野川本流が流れている。
家島は旧臼杵藩領、三佐は旧岡藩領でお茶屋があり参勤に出るための船着きがある。大野川上流の河川港・犬飼港から大野川を下った。
三佐の街並みの左手部分が乙津、ここは公領である。
その下の赤く表示したのは旧延岡藩領、図では見えないがその下に森町がありここは旧臼杵藩領である。
文化九年の豊後一揆では、一揆勢は細川藩領に入り、大野川を渡り鶴崎の街中を抜けて、乙津川を渡り、公領乙津から延岡藩領に入り森町に入っている。
「細川様の領内を通るときは静かにするように」と大勢の人たちに指示をしたと記録に記されているが、森町での騒動は二万に近い人たちが大暴れしたという。
若干方位が傾いているがこんな状況である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます