津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(25)

2022-05-30 08:32:56 | 家紋

                         

                                                    新・肥後細川藩侍帳【た】の部

■田中貞吉は、(南東22-29)田中 清家の4代目、家紋は「五つ木瓜に木の字紋」

■田屋久右衛門は、(南東23-7)田屋誠之助いえの8代目、家紋は「隅切り平角に三つ地紙紋」「片喰紋」  

■田辺平兵衛は、田部左藤太家の2代目平兵衛頼時か・御物頭列・平野組 百五十石。家紋は「丸に剣唐花紋」「蛇の目紋」
■田辺卯八は、(南東22-25)田邊又三郎家の8代目、新御屋形御小姓役 三百石。家紋は同上  

■田上直八は、(南東22-16)田上茂四郎家の5代目・御番方嶋田正進組 居合師役。家紋は「丸に片喰紋」  

■田上寿八郎は、「細川家家臣略歴」に名前が見えない。家紋は「丸に釘抜き紋」

■田添源太郎は、「細川家家臣略歴」に名前が見えない。「地引合(検地)」を行った田添源次郎の一族か?
 家紋は「(黒地)丸に三つ目(結)」?

■多田陽八は、(南東23-9)多田武源太家の7代目。家紋は「丸に三つ星紋」

■多羅尾市之允は、(南東23-1)多羅尾源八 家の7代目市之允(初・左太郎)。家紋は「  」

■竹村平右衛門は、(南東23-14)竹村平助家の6代目、家紋は「亀甲に巴文字紋」  

■竹田勝次は、(南東22-23)竹田範十郎家の7代目である。楠流軍学師範--文久二年師役被仰付 (諸師役流儀系図)
 家紋は「折入り菱に稲妻紋」である。   

■高田角左衛門は、代々が角左衛門を名乗り人物の特定が出来ない。(南東22-13)高田五郎三郎家。家紋は「丸に隅立角紋」 

■高田彦十郎は、「細川家家臣略歴」に名前が見えない。

■高瀬三郎助は、(南東22-6)高瀬十郎家の6代目。明和五年(番方)~安永六年四月 高瀬町奉行・後十挺頭ニ転
 寛政十年八月(三拾挺頭)~文化七年七月(依願免) 鉄炮五十挺頭。家紋は「離卦紋」

高瀬儀八郎は、(南東22-17)高瀬文平家の7代儀八郎(6代丹次郎・弟 文平) 百五十石当時御擬作
 
天保七年八月~天保七年九月 玉名郡郡代(山本山鹿助勤兼)
 高瀬文平 名は高輝、玉名郡代當分、また中島広足に問ひ和歌を善くせり。万延元年六月十四日没す、年六十八。
 家紋は判読不明    

■高本安次は、李朝王家一族の李宗閑 を祖とする(南東22-20)高本孝太郎家の6代目・御鉄炮十挺頭・御中老支配 大阪御留守居 
 三百石内百石御足。父親が
銀台遺事」の著者・医師で儒者の高本紫溟である。家紋の正式な名称は判らないが「違い山形に大字紋」  

■高橋尉左衛門は、(南東22-8)高橋俊九郎家の6代目である。家紋は「亀甲に左一つ巴紋」  

■高橋作右衛門は、(南東23-8)高橋直衛家の4代・小平太(養子 作左衛門・作右衛門) 御勘定頭 御擬作高百石外三拾石現米
 家紋は「杏葉紋」

■高橋角之允は、(南東22-15)高橋甚兵衛家の4代目である。家紋は「杏葉紋」及び「隅入り立角に左一つ巴紋」

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