細川護熙氏の御母は近衛温子様、言わずと知れた近衛文麿公の次女である。
文麿公の奥方は、佐伯藩主・毛利高範公の次女・千代子様、そして三女の泰子様は文麿公の弟・秀磨公夫人である。
この毛利高範公はご養子で、実は宇土細川藩藩主・細川行真の三男・侃次郎である。養父・高謙の後室・美子が行真の妹(叔母)であったことによる。
高範氏は有名な毛利式速記の考案者である。それゆえ戒名は「速記院殿開新高範大居士」と中々ユニークである。
お子様たちはその速記を習得されており、とくに秀麿夫人・泰子氏は「西園寺公望の秘書だった原田熊雄に協力して「原田日記」を口述筆記した。」とされる。
原田日記は昭和史を語る上で欠かせない記録となっている。
付け足し:(私は現在「重臣たちの昭和史」を読んでいるが、この著者勝田龍夫は原田熊雄の女婿だが、これがなかなか面白い。)
細川家は齊茲公が宇土細川家から養子に来られて本家を相続されたが、齊樹→齊護(養子・宇土支藩藩主立政)以降宇土家の血筋といって良い。
立政の本家相続に伴い、宇土支藩は弟の行芬が相続、以降、立則→行真へと続いた。
宇土支藩系嫡流に宇土支藩系の血が加えられたことになる。
細川治年==齊茲ーーーーー齊樹====齊護 ーーー+ーー韶邦
‖ ↑ ↑ |
細川興文ーー+ーーー埴 | | +ーーーー護久ーーー+ーーーー護全
| | | |
+ーーー立禮(齊茲)ーーー立之ーーー+ーー立政(齊護) +ーーーー護立ーーーーーーー護貞
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+ーー行芬ーーー立則ーーー行真ーーー+ーー行雅 ‖
| ‖ ーーー+ーーー護熙
+ーー侃次郎 ‖ |
↓ ‖ +ーーー護煇(忠煇)
毛利高謙==高範ーーー千代子 ‖ |
‖ーーー温子 ↓
近衛文麿ーーー文隆====忠煇
‖
三笠宮甯子
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