津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■正代関そして木瀬部屋

2020-01-27 08:48:52 | 熊本

 大相撲千秋楽は正代関にも優勝の可能性がわずかながらも残されていたので、大いに応援したところであった。
気迫のこもった一番での勝利は、徳勝龍の結果待ちとなって気をもませる。
しかし徳勝龍の見事な相撲で正代の夢はついえたが、それでも相撲界にとっては横綱・大関陣のふがいなさの中での一筋の光明であった。

正代関の今後に大いに期待したい。

 処で優勝した徳勝龍が所属する木瀬部屋は、熊本出身のかっての「肥後ノ海」が親方となっている角界一の大所帯の相撲部屋である。
部屋付き親方・稲川はこれも熊本出身の元小結の「普天王」である。
熊本出身の二人がこれだけの大所帯の部屋を作り上げ力士を育て上げている。更なる飛躍を楽しみにしたい。

 さて先に触れた「正代関は小代氏?」について、貴重な情報をご連絡いただいた。深く感謝申し上げる。
正代関がかって、先祖・小代氏出自の地埼玉県東松山市正代の地区の方々の招待によりこの地を訪問したということをお教えいただいた。 http://ictv.easymyweb.jp/sp/default.asp?c_id=59949&u_id=hctv
まさしく熊本の野津原庄に入った小代氏の父祖の地である。
正代関が小代家のどこに繋がるのか、大変興味深い。他力本願、御教えを乞いたいと思う。

 ■ 小代八郎  (南東52-16) 
     伊勢守・親水
     下総守・親泰  加藤家侍帳・四千百三十五石五斗三升
    1、市正(清兵衛 下総・至休)  
            人持衆併組迯衆 百五十人扶持 (真源院様御代御侍名附)・・下総守
            御知行御合力米御御扶持方被遣衆・百五十人扶持 (寛文四年六月・御侍帳)
    2、五郎兵衛・親重   
            人持衆并組外衆 甚左衛門組 四百石 (御侍帳・元禄五年比カ)
    3、清兵衛・重寛(初・才助)
            才助-大木弥一右衛門組 八人扶持・才兵衛嫡子、寅四才 (御侍帳・元禄五年比カ)
    4、孫次郎・親忠(五郎兵衛) 四百石 大組附御鉄炮頭 屋敷・古京町
    5、左平太・親之   大組附・三百石 元文元辰十一月廿七日
    6、平之允・直安
    7、八百八・行平
    9、平之允・行高
    10、次郎助・行俊
    11、八五郎・行敬(五郎右衛門・八郎)

       参考  (武家家伝-小代氏)
           秀吉朱印状-佐々重備判物-佐々成政判物-清正判物(三件)
                           -清正宛行状-小出秀政・福島正則連署状

       参考 佐々豊水編・小代家古文書(上妻文庫-27
       参考 小代家系図并旧記 小代文書(新熊本市史関係資料-4 肥後古記集覧)

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1 コメント

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Unknown (匿名希望)
2021-01-15 15:34:14
私の地元の見晴らしの良い山の上に正代家の墓地があります。その一番奥に木冊でおおわれた木の祠があります。親泰と書いてあったかどうかはっきり覚えていませんが、正代下総守(小代ではなく正代)と書いてあったのは覚えています。正代関のおじいちゃんのお墓もそこにあるので間違いはないと思います。
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