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岸から安倍に至る日本の闇勢力

2022-11-30 04:27:50 | Peace Cafe


 安倍氏が暗殺されて、自民党議員はアベ忖度の必要がなくなった。アベ忖度とは日本の闇勢力に対する、暗黙の踏み絵のから始まる。保守政治家になるのであれば、この闇勢力に対してどういう姿勢で対するのかが、まず政治家になる最初の岐路に立つ踏み絵になっている。

 半数以上の自民党の政治家が、統一教会に何故かかわってしまったかと言えば、踏み絵をどうするか安倍氏から問われたのだ。安倍氏から問われるという事はその背後に存在する、有象無象の大企業や電通やら既得権益集団に入れてもらうかどうかという事である。

 想像するに安倍氏からの、あるいはアベ氏の秘書からの紹介状があって、統一教会側の人と会うことになるのであろう。それは選挙前から行われることなのだろう。選挙に出る以上それを嫌問えば、自民党の公認を得られないという事になる。あるいは他の系列の自民党の派閥に入るのだろう。

 政治家になりたいという希望を持った人間は実は何党でも構わないのだろう。安倍氏の秘書だった小田原の議員は統一教会の準会員であったらしい。そもそも、小田原には自民党の議員が存在したから、その人は自民党以外から立候補して、当選した。

 その人が自民党に鞍替えするには相当苦労があったと思う。いつの間にか自民党議員になった。安倍派である。その時に統一教会に入ったのだろう。入らなければ、自民党の公認は得られないと考えたに違いない。政治家になることが第一目標であり、後のこと等あまり考えていないように見える。

 それは創価学会ともに多様な関係を持つという事にもなる。公明党が与党であるから、創価学会と連携することは当然のことなのだ。だから、安倍氏からの指示で統一教会側と接触するというのは、不自然でも何でもなかったはずだ。霊感商法に関して、危うい感触は持った人もいただろうが、政治家の多くはそれに近いやばい仕事にかかわりがある。

 やばいお金が政治家の周辺にはいつも流れているから、統一教会の霊感商法に対しても、普通の人よりも鈍感になっているのだろう。ここを上手くつけ込んで政治家を広告塔に利用できたのが、統一教会である。〇〇先生も仲間だから安心ですよと霊感商法や寄付行為に利用していたのだ。

 安倍晋三氏は奥行のない紙でできた見た目の看板のような人だから、利用されることが上手ではあったに違いない。だから、最長期政権になったのだ。しかし、社会の理念や目標は理解できない人に見えた。理解しようともしなかったはずだ。自分の木偶人形の役割を果たすことだけが、習い性の生き様だった人だ。
 
 暗殺者山上はそのことを直感で見抜いたのだろう。だから、核心のアベを暗殺すれば、統一教会が崩壊すると考えたのだ。そして暗殺を実行した結果、その思惑どおりに、統一教会は解散への道を進んでいる。自殺するよりはその方がマシだという、長い道のりの末が暗殺であった。

 1970年今から50年以上前に統一教会である「原理研究会」にひつように勧誘を受けた。何故か、眼を付けられたのだ。たぶん話すことを拒否しなかったからだと思う。大抵の人は原理研と言うだけで話も聞こうとしなかった。話しかけてきた人に対して、たとえ考えが違っても避けるべきではないと考えていたからだ。

 そのことがあって統一教会について調べた。当時は韓国で新しくできたキリスト教系の組織と自称していた。私は曹洞宗の僧侶であり、他の宗教には入らないというのに、必要に勧誘を諦めなかった。今とは違ってネットで調べることはできなかったから、自分なり図書館などで調べた。原理研がどれほどひどい韓国の反日組織であるのかという事が分かった。

 友人や後輩で入ってしまった人も何人かいる。原理研は危険な団体だから、入るのはやめろと説得したこともあるが、説得はまったく成功しなかった。むしろそういう人から、後の後になってまで、こちらが逆に入会を勧められるという事になった。

 その後そういう人がどうなったかはわからない。ただとんでもない組織だという事だけは当時からよく理解していた。その後、集団結婚式をやるおかしな宗教団体という事になった。日本の極右勢力と結びついた勝共連合とかいう、屈折した形を偽装する韓国の反日組織という理解だった。その程度のことは誰でも知っていた。政治家を志す人がその程度のことを知らないで、近づくはずがない。

 日本の極右闇勢力は、愛国主義を表明しながらも、実に思想のない得体のしれない組織なのだ。だから反社会的組織の一種のようにさえ受け止められる。それは国家主義を表明しながらも、アメリカの言いなりになる以外に成立しえない、依存した軍国主義だからだ。アメリカに依存しながら愛国主義を主張する矛盾に満ちたものだからだ。

 ある意味国粋主義としては節操を失った愛国主義であるがゆえに、純粋さを失い、反日組織である統一教会とも平気で連携が出来たのだ。岸信介、児玉誉士夫、笹川良一などが鵺集団を形成することになる。その影響力は今に至るまで自民党の中枢を動かし続けてきた。

 それは自民党憲法を作るという事を掲げながら、むしろ既得権を守ろうとする者たちのすべてが、その闇にかかわっているのだろう。そこに忖度しておかない限りどういう眼に会うかわからないから、大きな事業を行う前には、何かある前に挨拶を通す必要があるのだろう。

 いわば既得権益メカ締め料が存在するのだ。オリンピック汚職ではその一端が現れてきている。これは安倍氏が生きていればなかったことになっていた。電通と自民党の選挙を通じた関係が深い。電通がいなければ自民党の選挙は出来ない。情報を把握する能力を依存している。

 統一教会が自民党に選挙協力で食い込んだことと同じである。政党を支える下部団体が弱まり、選挙は専門組織に依頼することになる。しかし、選挙のお金はなかなか難しい。どうやって企業が利益を上げるかである。恩を売っておいて、どこかで回収をする。

 回収場所はコロナの補助金もそうだった。ワクチン事業も同じく。オリンピック関連の様々な利権もある。統一教会よりも、深刻な利権の付与が存在する。電通もあるがパソナもそういう組織なのだろう。ホリエモンが選挙に出たのも同じことで、政治家利権に食い込もうとしたのだろう。

 こうした岸から阿部へ受け継がれてきた政治の裏に、闇の利権集団が継続されてきた。そして、安倍長期政権の間に、その闇の利権関係の世界が膨れ上がった。本来であれば、第3の矢と言われた新規産業分野が既得権益集団に押しつぶされた。

 新しい産業は政府に奨励されているように見えながら、巧みに既得権益集団に抑え込まれた。循環型エネルギーの開発が、既得電力会社の勢力の原発村に抑え込まれたのだ。新しいものが生まれない社会の原因は政治の岸から安倍に至る闇勢力が原因している。

 
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藝術がなぜ必要か。

2022-11-29 04:14:36 | 水彩画


 人間に芸術というものがなぜ必要なのかを考えてみたい。私にとっては芸術行為としての「私絵画を描く」ことが生きるという事を深く感じさせてもらえることになっている。生きている。笹村出として行為を行っている。この深いところでの実感が芸術行為だと考えている。

 自分が生まれてきて、生きている。そして死んでゆく。その生命としての時間をどのように確かなものにできるのかを、求め続けてきた。社会的に、歴史的に名を遺すような人間になれれば、生きたということを確かなものにできると考えた時期もあった。

 しかし、すごいなとその人間力のようなものに圧倒されたのが、三沢先生や山本素峰先生や萩野先生という、世田谷学園の3人の禅宗の僧侶だった。そこに確かに生きている人間がいると思えた。それは地位とか、社会的な評価とは別のことで、日々をその人間として生きている人こそ、目標ではないかと思うようになった。

 高校生の頃の頃のことだ。禅宗の修業によってあの特別な人間の大きさが生まれているのだと思えた。そして禅宗の修業の真似事を始めた。ところが、絵を描くというような行為が、そこでは否定されていた。このことの矛盾が自分の中でどうにも解決できない事になった。

 それは大学に行くまで続いた悩みだった。高校卒業後は僧侶になる修行に入ろうと考えてはいた。しかし、絵を描くという事を捨てなければないという事があり、中途半端な日々であったと思う。悩みながら大学に行くことにしてたのだが、その曖昧な気持ちは続いた。

 山本先生に言われていたこともあり、大乗寺に行こうかと思いながら、結局は行けなかった。苦しい気持ちもあったが、絵を描くという事にのめり込んでいった。絵を描いていう自分だけが、自分のようであった。絵を描くことが気持ちを支えてくれることだった。

 絵を描くという事に救われた。その頃描いた絵が今目の前に3枚あるが、今の絵と繋がっている。どこか今のものより重たいところのある絵だ。苦しかったのだろう。その後職業としての絵描きになろうとした。ところが、職業としての絵描きにはなれなかった。

 評価されるような要領の良さは自分にはなかった。なりたくてなれなかったことは辛いことであったが、今思えば評価されないような絵しか描けなかったことは悪いことではなかった。50年前の同世代の当時評価されていた人の絵が今の時点で見れば、社会的評価ではなかったことが良く分かる。

 絵で生計を立てられなかった、要領の悪さや、何かにこだわりを持ち続けたことは、今になれば悪いことではなかった。自分の絵だけを考えて、絵を描き続けることができた。職業としての絵描きを目指したころがやはり一番ダメな絵を描いている。

 世間はその受けようといういやらしさを見抜いてしまうのだろう。しかも受けたい上に、芸術でありたいというような、さらに嫌らしさがつきまとっているのだから、絵画の世界での評価とは縁がないのは当然のことだったのだろう。そうやって藻掻いていたわけだ。

 それまでは週に何度も銀座の画廊を巡り歩いていた。そういう仲間もたくさんできて、年に5回も6回も個展をしていた。このままでは求めていた絵を描けないと思って、山北で開墾生活に入った。絵を描くことを止めたというよりも、絵描きになることはもう止めようと考えて、東京にいることを止めた。

 東京から離れて、自分の身体だけで生きてみようと考えた。描けなくなった絵のことを原点から考え直してみようとした。そういえばその頃は一人で座禅をしていた。絵で失った自分の軸のようなものを、取り戻す拠り所のようなものを求めていた気がする。

 その後の35年間は養鶏や農業で暮らしを立てながら、絵を描いてきた。絵を描くことが、絵の外部的な評価を気にしないで描いてきたように思う。それでもどこかに良い絵を描きたいという、訳の分からない意識が働くので、無意識で絵に従う事が出来るのかを心掛けている。

 こうして、絵を描き続けてきた。評価されるような絵は描けなかったし、今はさすがにそういう気持ちもない。ただ、自分というものが描いたと言えるような絵を確認したい。人間に自分というものがあるのであれば、自分らしい絵もあるはずだ。

 自分の絵を描くことは誰にでも可能なことのはずだ。今描いている絵もそうなのかもしれない。10年後に描く絵がそうなのかもしれない。自分の絵に向って描いてゆく。そのようにして描く行為の中に芸術としての絵画が存在すると思っている。

 絵画は社会的な芸術としての意味は失われた。社会に影響を与えるような絵画はもう生まれないだろう。絵画の最後の時代を感じながら絵を描いてきたのだと思う。そして、絵画は一種の宗教のように、一人ひとりが自分の生きる目標として描く行為に意味を見出すようになった。

 それは舞踏家の舞踏であり、シャーマンの向こうの世界に入り込んだ陶酔のおどり。観衆は居るのだが、舞踏に入り込めば入り込むほど、観衆は消えてゆく。ある種の観衆に見守られて、しかし、自分の中に埋没して何かに従い動かされてゆく。人間の行為。行為の芸術。

 これは動物としての人間に必要な行為なのかもしれない。何万年も前の人類が壁画を描いた。描かない訳には行かなかった衝動があるのだろう。祈りをこめて描いたのだろう。生きてゆくために必要な描くという行為がある。描くことで達成されるものがある。

 芸術としての絵画は、社会的にものとして存在して影響を与えるというものから、個々人の生きるという事を確認する行為に変わってゆくのだろう。特定の人の為にとか、神とか宗教の為に制作する絵画は、個人の中で制作される露土のようなものになる。

 絵画の背景として存在する芸術としての社会の価値観が失われたのだ。失われたものをあるかもしれないと考えて、苦しい制作をした。その結果、無いという自分なりの確証を得ることができた。そして、自分の好意として描くという事にたどり着いた。

 それを私絵画と呼ぶことにした。私絵画という言葉は社会的には認知されてはいないが、多くの絵を描く人の中に、私絵画と考える以外にない、と言える作品をみる。それはまさに芸術としての絵画だと見える。絵画は社会性を失ったが、個々人には生きる重要な行為として、再生している。

 芸術としての意味は、人間が生きるために、創作行為という事に重きが置かれるようになったのだと考えている。できた作品のものとしての意味を重視するのではなく、芸術を求める人間の行為の方に意味があると考えるようになった。




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「大河の一滴」五木寛之の悲観

2022-11-28 03:54:53 | 


 大河の一滴を読んだ。ベストセラーになるほど読まれた本と知っていた。何故か今になって読んでみたくなった。意外な感じで読んだ。その意外性が本音でおもしろかった。五木寛之らしくない本音のかっこ悪さむき出しの本であった。

 その辺が多く読まれた原因なのだろうか。自殺しようと考えたことが二度あると、かなり思い切った調子でそんな本音を書いている。人間はそういうものだと考えていたので、そのこと自体は驚くほどのことではない。そう言う辛さを抱えることはむしろ普通ではないだろうか。

 人間なら程度の重さは違うかも知れないが、必ずそういうことはあるはずだ。人それぞれにその原因は違うのだろうが、そうしたことは当たり前だと思って生きてきた。人間が生きると言うことはそれくらい辛いことだというのは同感できる。

 しかし、と思いながら読んだ。そのことを重く置くかどうかである。気の迷いと軽く考えて、そのことを通り抜ける人もいれば、そう思い詰めたあの時こそが自分の本質だったのではないかと考える人もいる。実際に実行してしまう事には、まだ距離があると思っている。

 人間は大河の中の一滴だという意識で生きて行くしか無いと言うこと。大河は海に注ぎ、空に蒸散し雲となり、雨となってまた山に落ちる。雨は小さな水源となり、大河となる。この大自然の水の循環の姿の中に、人間がどのようにでも変容しながら生きるという時間と空間の感覚。

 社会がどうしようもないところに来ている。個人がどうにもできない大河の流れのように、崩壊に向って流れ進んでいると考えざる得なくなったという指摘。その流れは誰にも止められないという諦念。大震災、大津波、原発事故。それが始まりだった。

 コロナの蔓延は社会を大きく変えた。右翼と言われた安倍氏と反日思想の統一教会の信じがたい結びつき。反日団体と国葬を行うような総理大臣がどうかかわっていたのか、深い闇がある。テロで殺された結果、深く結びついていたことが明るみに出てきて、組織解体が出来るのかどうか。

 統一教会が反日組織であることは私は50年前に、当たり前に認識していた。当時の学生であれば、知らない人などいなかった。それが、霊感商法でつかまり、もう活動は弱体化したのかと思えば、自民党の中に深く食い込んでいた。

 このことに私は絶望している。自民党は何でもない事のように軽く考えているが、自民党自体が議員に自主申告させて、これで幕引きにしようとしているが、自主申告しない人間がいくらでもいる。そんな人間が、衆議院議議長になり、大臣になっている。まともな状況とは言い難い。

 問題はこれほどのことが、軽く流れ去ることとして終わらせようとしていることだ。国民もこんなひどい事件を深く受け止めることをしようとはしない。そんなものだと思っているのか、政治家に何かを期待しても無駄だという事なのか。

 こういう政治と社会の状況に、コロナが繰り返し、繰り返し蔓延する。もう第8波と言われている。心が疲れ切ってしまう。大河の一滴はこの状況を、予測し警告している本ともいえる。どうしようもない時代の象徴が公明党である。

 創価学会が統一教会のような反日組織でないことぐらいは分かる。しかし、宗教組織という組織力と動員力を持って、自民党には無くてはならない組織となり、政治に大きな影響を与え続けている。労働運動が衰退した。あるいは保守化した。

 市民運動は政治運動組織として力を持つほどの動きにはならない。環境運動も明確な解決策を提示できずに、反対運動の範囲にいる。しかし、金権主義だけはより明確になり、金儲けをすることが、立派なことだとされて社会に受け入れられている。

 日本教ではお金のことばかり言う奴は卑しい奴だとされていた。ところが金儲けが悪いことではないというのが、社会全般に広がり、学校教育にさえ、金儲けのための方法が入り始めた。政府は国民皆投資家を目指すという事のようだ。貯金より投資が何故望ましいことなのか。

 国債を国民に売り続ける政府。国民を投資に駆り立てる政府。普通に働いて、その労働で生きてゆくという当たり前の生き方が、ばかばかしい生き方とされていく。どうも国民がポイント制になった。ナンバーカードを登録すると10000万ポイントが付きます。

 そうしたお得なポイント確保を抜け目なくやってゆくのが、どうも要領の良い生き方として政府から奨励されている。額に汗して、手を油まみれにして生きるのが人間だ、と帝釈天住職から言われた寅さんは、てんぷら屋さんで働いた。まともな人間の生き方が、見失われた社会。

 こんな状態で起きたのが、ロシアのウクライナ侵攻である。日本は忽ちに専守防衛から、敵基地先制攻撃に変わろうとしている。国民もロシアの暴挙を見れば、止む得ないことだと感じ始めている。とんでもない間違いだ。中国を仮想敵国にすることが、どれほど日本の安全を脅かすことだ。

 日本はアメリカが武力を増強しても、怖いとは思わない。むしろ心強いと考えている。中国が軍事力を増強すると、不安を増してゆく。アメリカと中国は何が違うのだろうか。どちらも軍事大国である。価値観の似ているアメリカの言いなりになっていれば、安泰なのか。トランプの狂気を選択するアメリカを見ていればそうとも言えない。

 むしろ日本人は中国の国家資本主義の方が、価値観が似ているのかもしれない。何が良くて何が悪いのか。自分自身はどう生きればいいのか。もう一度そのことを、自分というものに立ち返り、生きるという意味を問い直そうという事なのだろう。

 多くの人がこの本に共感したという事は多くの人がこの社会の行き詰まりを、肌身に感じているという事だろう。然しその突破口がどこにもないという閉塞感が社会を覆っている。どうすればいいのだろうか。その解決策が提示されている訳ではない。

 むしろ解決のない問題の渦の中でどう藻掻いてゆくかが描かれいるような気がする。もがき方をそれぞれが自覚しろという気がした。のぼたん農園の自給の暮らしを活路として提案したい。人間は天ぷら屋で働かないでも、自分の力で自分を生かすことは可能なのだ。
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第13 7 水彩画 日曜展示

2022-11-27 04:09:00 | 水彩画
第13 7 水彩画 日曜展示






989「のぼたん農園」
2022.11 中判全紙






990「クワズイモ」
2022.11 中判全紙







991「岩場」
2022.11 中判全紙







992「のぼたん農園」
2022.11 中判全紙







993「水が入った田んぼ」
2022.11 中判全紙






994「杏咲く」
2022.11 中判全紙




 しばらくぶりに、少し大きい中判全紙の絵を描いてみた。続けて6枚だけ描いた。大きさが変わると少し意識も変わる。いくらかでも大きいと、画面の中に分けの良く分からないものが出来てくる。調子にも違和感のあるものが出てくる。

 不調和なところをそのままにして描いている。絵画は調和であるということを言う人がいるが、確かに調和の形にそれどれの人が現れる訳だが、美は乱調にありという考え方もある。絵を決めつけない方がいいと思っている。

 おかしいままでいいとは思わないが、おかしいものも自分の中から出てきたものではあると思ってみてみる。それはそれでいいと思いそのままにした。どうなのだろうか。いろいろ考えながらまた自分の絵を見ている。
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防衛力はどう在るべきか

2022-11-26 04:27:35 | Peace Cafe


 政府は日本の防衛構想を大きく変えようとしている。国民的議論にはなったと言うことでも無い。国の安全保障ほど、生活にとって重要な物はない。国にお任せではなく、自分にとってどの選択が良いのかは考えなければならない場面だ。

 ロシアのウクライナ侵攻以来、ほぼ敵基地先制ミサイル攻撃の必要性が、当然のような空気になってしまった。このようになんとなく空気で日本の安全保障を決めてしまうのは、日本の未来を間違ってしまう原因になる。一体敵基地先制ミサイルが打てるような情報力が無い。

 北朝鮮のミサイル発射でも何度でも情報把握を間違えてしまい、不用なアラートや通り過ぎてからのアラートというのが現状である。こんなレベルの情報能力でどうやって先制攻撃の判断が出来るというのか。まず、情報能力の向上が先決問題だ。

 結局情報を韓国やアメリカに頼っている状態である。こんな状況で攻撃ミサイルのことなど議論すること自体が危うい。情報収集が出来ないために迎撃ミサイルが機能しない。だから先制ミサイルという話のような気がして成らない。危うい方に一歩踏み出している。

 安全保障は冷静に、合理的に、ずる賢く考えなければならない。近隣諸国を仮想敵国とすることは、むしろ危険を高める可能性も高い。ウクライナは長年ロシアと敵対していた。そして話し合いをしようとせずに、ロシアの軍事侵攻になった。

 近隣諸国こそ友好国になる努力をしなければならない。日本では中国と親しくする政治家を、何か良くない人達のように見る傾向がある。報道ではまるで国賊のように扱う時さえある。中国と友好関係を探ることほど日本の安全保障に重要なことはない。

 アメリカとの友好関係だけが、重視されているがアメリカに防衛能力を依存していて良いのかという問題と連携する。そもそもトランプを見ていれば、アメリカがそれほど信頼できる国とは思えない。単なる独善的国家に見える。自分に都合が良いから日本を利用している。

 日本の対中国政策はアメリカに従っているに過ぎない。アメリカが中国を怖れているのは、世界へのアメリカの影響が削がれることなのだろう。アメリカは世界に君臨している国なのだ。覇権主義とは少し違うとは思うが、実際に世界の覇権を握っているともいえる。

 アメリカにとって中国の覇権主義を押し返すことは、アメリカの権力と経済力にとって必要なことなのだろう。アメリカの安全保障という意味では、中国が一番の脅威なのだろう。何しろ中国経済がアメリカを凌駕する可能性が高まってきている。アメリカはそれを一番怖れている。

 それは資本主義経済が競争主義だから問題なのであって、本来どこの国でも経済が良くなることでも、世界中にとって良いことなのだ。問題は極端な競争主義の方にある。勝つことで相手を潰してゆくような経済は間違っている。互いに切磋琢磨して共存することであれば良いだけのことだ。

 資本主義が修正されなければ、対立が深まり戦争の危機が訪れる。むしろそのことを日本の安全保障に於いて考えるべきでないだろうか。日本の経済の形を考えれば、どこの国とも仲良くなる方が良い。しかし、現状では中国の経済が国家資本主義の形をとるために、対立が起きやすいと言うことなのだろう。

 この点でアメリカと中国が利害の対立が深まるのだろう。中国の経済にとっても今後変わらざる得ないはずだ。新しい経済の枠組みを作る努力が日本の安全保障には大きな要素になると言うことだろう。中国が太平洋の経済連携に加わりたいとしている。検討する価値は高いだろう。

 中国とロシアは違うタイプの国である。ロシアは資源大国である。戦争を起し、経済封鎖されても困るのはむしろ相手だと考えている。産業という意味では国力は小さい。資源大国は戦争を起しやすい。経済封鎖されてもかまわないというところが在るからだろう。

 中国は経済封鎖されれば、即座に厳しいことになる。食糧輸入国である。エネルギー輸入国である。国内には不安定要素が沢山ある。頼れる軍事的友好国があるわけでもない。ロシアが侵略戦争をしたら、中国もするだろうという考えは安易な連想に過ぎない。

 中国が台湾侵攻を行えば、当然ロシアと同じような経済制裁が行われるのは確実だろう。ロシアには中国を支える力は無い。インドの態度は今と変わらないだろう。中国はそう簡単に台湾侵攻が行えるような状態ではない。今年中に行うと予測した自民党議員はどれほど能力が低いことか。

 日本の安全保障は、無防備中立から始まったために、議論が空論になりやすい。そのために、保守系議員は国民を脅かすことが国防意識を高め、国防予算を増やす手段だと考えている。つまりまともな議論を出来ない、デマ流しばかりなのだ。

 日本の安全保障はまず情報収集能力の確立からと書いた。次に重要なことは経済の安全保障である。日本はエネルギーや食糧問題で極端な輸入依存である。政府もその点では政策に掲げて対策しているが、まったく実効が揚がらない状況だ。

 ロシアで見てみても分かることは経済制裁が起きたときに、困るような国は戦争に弱いと言うことだ。日本が独立国家として成立するためには食料とエネルギーの自給に本気で取り組むことが、二番目の安全保障にちがいない。それは国民生活の安定である。

 三番目の安全保障がIT能力の向上である。次の時代の戦争は旧来の武力とは変わってくる。すでに、ロシアのイラン製ドローン攻撃が問題になった。様々な軍事兵器も確信されてゆくのだろう。日本の防衛のための武力をIT技術の活用が出来るかが重要になる。

 情報戦も現在世界中で対ロシア、またロシアから各国へ、コンピュターの攻撃が繰り返されているようだ。果たして日本にそうした供えが十分なのか。日本はIT後進国とされている。到底大丈夫とは言いがたいだろう。防衛能力の向上はITから。

 最後に問題になるのが、住民軽視の安全保障である。石垣島にミサイル基地が出来て、日米共用になる。そうなれば石垣島が先制攻撃される島の一つになる。これは想定しなければならないことである。にもかかわらず、住民には一切の情報が、知らされていない。

 地域住民の協力がないような、国家の安全保障はあり得ない。国民がこれなら安心だといえるような、住民への情報提供である。国を守ると言うことは国民の生活を守ると言うことである。住民軽視の国防計画を見ると、どうも政府の考える国の安全保障とは、国の権力維持さえ出来れば良いように見える。これでは、北朝鮮と変わらないだろう。

 

 
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国語教育は読書から

2022-11-25 04:03:16 | 


 江戸時代の寺子屋教育では、「よみ、かき、そろばん。」と言うことが言われていたようだ。実に端的に、日本語の学習の場だったと考えて良い。そして計算が出来ないとには生活に困るという意味でのそろばん。寺子屋は生活の実学の教室と言うことだろう。寺と言う名前があるように、生活を律する規範を学ぶという意味合いもあったようだ。

 日本語を学ぶと言うことは、日本人になると言うことでもある。人間が学習する物の内で、自国語の学習ほど重要な物はない。話し言葉という物は自然に身につく物だが、書かれた言葉という物はそれとは又別のものである。人間を人間にする物と言っても良い。

 言葉の奥にある書物の宝は人間と言う存在を、思想的なもの、哲学的な物にしたのだと思う。文字という物がなければ、人間は一定の領域から成長することは出来なかったはずだ。文字を学ぶと言うことほど重要な教育はない。日本人は日本語を学び日本の文化を身につける。

 江戸時代の教育の実情ははっきりはしないようだが、私の生まれた山梨の藤垈の向昌院のような山村でも、寺子屋が行われていたと聞いている。当時の机が残されていた。どんな教育だったのかはまったく不明だが、たぶん読み書きそろばんであったのだろう。

 江戸時代の生活教育の仕組みは、それなりに全国に行き渡っていたようだ。百姓の子供であった二宮金次郎は、儒教の経書『大学』を学んだ。尊徳は独学用の「経典余師(けいてんよし)」で読んだとされている。独学できるような解説付きの書物であり、かなりの数出版されていたという。

 江戸時代の識字率が世界的に見て高い方だったことは確かなようだ。それが日本の社会の成熟度に大いに役に立っていた。読み本が庶民に向けて出版されていたのだ。そういう国は少なかったはずだ。本を読み想像の世界を広げる。そして庶民も俳諧連歌、狂歌と川柳と創作を楽しんだ。

 江戸の文学者が全国を訪ね歩いた。その時地方の有力者がその文学者を受け入れて、地元の文学者と交流する。宿を提供する。文学、藝術を大切にする文化が日本津々浦々まで広がっていたのだ。各地方に高いレベルの文化がある事で、日本独特の文化が形成された。

 支配階級の武士だけの文学の世界ではなかった。百姓だからといって、学問など無用などとは、江戸時代の庶民は考えていなかった人も居る。頭を使わなければ、百姓仕事ははかどらないと、考えていた農本主義があった。当時の稲作の水田技術全体が、世界でも優秀な物であったことは、証明されている。

 現代の有機農業の技術の大半は江戸時代にすでに存在して、実践されていたものばかりだ。機械や化学肥料を使わないという所だけが違うが、糞尿の堆肥化など、ありとあらゆる廃棄物が、循環農業の材料として利用されていたのだ。世界の循環型社会のお手本である。

 国語の教科の方向が変わると言われている。文学的な国語教育から、実用的なののへと変わると言うことらしい。どうも政府には国力の衰退に焦りを感じて、何でも実用教育への転換なのだろう。どこがどう変わるのか分からないところが在る。

 高校の必修科目は現行の「国語総合」から「現代の国語」「言語文化」に、選択科目も現行の「国語表現」「現代文A」「同B」「古典A」「同B」から「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探究」に変わる。実用性を強めたことや、「論理」と「文学」を分けた と言うことらしい。
 
 文学が分離され、余り時間が割かれなくなると言うことらしい。教育の基本は国語教育に始まる。読書百遍である。自ずと理解が出来る訳だ。本を読むという習慣が学力の基礎を作る。読書はおもしろいから読むのである。別に教育のつもりではないだろう。

 しかし、文学という世界が若い人達から離れ始めている。読書の時間がスマホの操作に変わったのだ。もちろんスマホで文学作品を読む人も居るのだろうが、アニメやゲームに熱中する若者の方が、はるかに多いと想像する。

 中学卒業の時に、図書館で一番本を多く借りた人で表象された。本を多く借りて読むことが奨励されていたのだ。何しろ宮本武蔵を学校の授業中に毎日一冊読んで、1週間で読み切ったくらい本を読んだ。一体授業中に何をやっていたのかと言うことになる。

 本であれば何でも読んだのだろう。日本人の書いた文学が好きだった。世田谷学園の学校図書館にある本なら、何でも読んだ。曹洞宗の学校だったから、仏教の本が多かったのかも知れない。ともかく何でも乱読していた。活字を見ていれば満足という感じだった。活字中毒だったのだろう。

 井伏鱒二の山椒魚が中学3年の国語の教科書にあって、すっかり好きになってしまい。端から読んだ。今でも好きなところが変わらない。井伏鱒二が山梨に疎開していたので、山梨の話も出てきたので、余計に好きになったのかも知れない。

 国語教育は文学の教育で良いと思っている。文学を好きにするのが、国語の教科ではないかと思うくらいだ。文学の表現は多様である。好きな文章もあれば、嫌いな文章もある。整ったものも在れば、訳の分からないものも在る。理解しがたい作品を理解しようとして読むことが大切である。

 教育が余裕を失い、直接役立つ実学中心に行われるようになってきている。小学校から外国語まで学習するなど明らかに間違っている。日本語が十分でない人間が国際的に通用しないのは当たり前の事だ。外国語で話すとしても、その背景に日本文化がなければ無意味である。

 インターネット時代になり、意識して読書を教育に取り込まないと、読書の習慣が身につかないことになる。時間を潰す方法が溢れている。子供の頃は朝まで本を読み続けたことが良くあった。それくらい読書はおもしろい物であった。読書の面白さを是非教育してもらいたい。
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のぼたん農園の田んぼの準備

2022-11-24 04:00:21 | 楽観農園
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 溜め池の写真

 田溜め池および田んぼの11月21日の様子である。その後徐々に水が増えて、11月23日にはどの田んぼも満水状態になった。このところの10日はほとんど雨が降らなかったが、その前に大量の雨が降ったと言うこともあり、割合湧き水の水量は多かった。

 水量がいくらか減ってきたので、何とかその前に満水になったのは良かった。11月30日までこのままの状態で水管理してゆく。30日の朝にすべての田んぼから排水をする。12月2日が線引きになる。3日が種まきになる。今年は10の田んぼが直播きになる。一カ所かもしかしたら二カ所だけ手植えになる。

 のぼたん農園では今年は直播きで稲作を行う。一応12の田んぼに直播きをする。0番田んぼは苗代田んぼとする。苗代で準備した苗を、直播きをして問題が起きて欠けてしまった田んぼの補植用の苗とする。また、0番田んぼは一本植えの田植えをおこない、種取りの田んぼとする。

 直播きは昨年成功した実績がある。今年はその方が楽であるし、稲本来の姿と言うこともあるので、全面的に行うことにした。のぼたん農園ではできる限り誰でも取り組める農法を確立する。田植えよりも、種まきの方が簡単で子供でも取り組める。

 風の強いのぼたん農園では田植えだと、風の害を受ける可能性がある。特に5葉期の大苗の田植えだと風で活着出来ないことがあった。小さい苗で作るのでは、私のやってきた稲作法では分ゲツの不足が起こるようだ。それですべての田んぼを直播き方式に変え、風の受けにくい0番田んぼだけ田植え1本植えの田んぼにする。

 種取り田んぼは一本植えでないと、種取りをして選抜してゆくには無理がある。一本から20本以上に分ゲツする株がよい稲と言える。稲の中には分ゲツをまったくしない株も存在する。それは栽培条件や生育の問題と言うより、遺伝的に分ゲツをしない性質の稲の株もあると言うことになる。

 分ゲツをしない株から種を取れば、翌年は全体に分ゲツしない稲の田んぼになりかねない。1本植えで何本に分ゲツするのかは、種取りの重要な観点になる。また、病気や生育不良、止葉の大きさ、茎の太さ、株の高さ、穂の大きさ粒張り、などが種取りをするときよく見て決めてゆく。

 0番はそのための種取り田んぼとして今後も管理してゆきたい。自家採種は自給のための田んぼでは重要な要素になってくる。良い親株から種を取りたい。継続してゆくことで、徐々にのぼたん農園に適した稲の株が選抜されてゆくはずである。

 どの田んぼも良い状態で準備が整った。この先、10日間満水状態で維持する。まだ田んぼ雑草は出てこないと思う。後は出来るだけ平らに田んぼをすることだ。田んぼは静かに置いておけば、微生物が活動して、だんだん表面がとろとろ層と言われる柔らかい、巻き上がるような土になってくる。よい田んぼの土壌になる。その下の土壌はある程度堅くなってくる。

 種まきの3日前に水を抜けば、どこも水が抜けて、2日には線引きが出来るだろう。歩きやすくなっていることを期待している。線を引いてその交点に種を蒔いてゆく。去年は深いところや水たまりも多く、蒔きづらい場所もあったが、今年はそれよりは良い状態になると考えている。

 種まきが終われば、荷造りビニール平ひもで鳥追いの紐を張り巡らせる。ぴらぴら、バタバタする紐の様子を怖れて、しばらくは田んぼに鳥は入らないと期待している。3週間鳥が入らなければ大丈夫だ。何しろ石垣島は鳥の多いところだから、要注意である。

 水はできるだけ早く薄く入れたい。田んぼが乾かないことが重要である。ひび割れるようなことがあれば、まだ発芽をしていないでも水を戻さなければならない。天候にもよるので、注意深く行わなければならない。種まき後の1週間の水管理はかなり重要なことになる。

 クリスマス頃には補植をして、種取り田んぼの田植えもする。この時場合によっては、11番田んぼ当たりで、水牛代掻きと田植えも考えたい。

 
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のぼたん農園の溜め池生き物調査

2022-11-23 04:09:02 | 楽観農園


 11月18日に地球博物館の苅部さん一行が7人で来てくれた。19日には九大の岩谷教授一行がやはり7人出来てくれた。水生昆虫の専門家の皆さんが、のぼたん農園の自然環境を評価して、調査をしてくれることになった。

 苅部さんは小田原の田んぼや溜め池の生き物調査をしてくれている。苅部さんの案内で房総半島のシャープゲンゴロウモドキの保全活動に協力したこともある。農の会の仲間は田んぼ作りは慣れているので、シャープゲンゴロウもどきの保全のための田んぼの復田を行ったこともある。

 今回西表島の昆虫池の調査に来る機会に、のぼたん農園の新しい池の水生昆虫の調査をしてくれた。先日のぼたん農園に見えた九州大学の荒谷教授のお話しで、苅部さんと共同研究されていることがわかった。それで苅部さんがのぼたん農園を見に来てくれることになった。

 九州大学の荒谷教授と苅部さんが水生昆虫の共同研究を八重山で行われていて、その調査地点として、のぼたん農園を加えてくれることになった。しばらく継続的に見に来てくれると言うことである。埼玉大学の林正美名誉教授も同行してくれて、今後時々見に来てくれることになった。

 このように専門家の方々が、調査に見えると言うことは八重山の自然環境が豊かではあるからなのだが、一方でその希少な八重山の水生昆虫が農薬の使用で危機に瀕していると言うことでもある。今ある環境を維持保護していくだけではもう限界とのことだ。

 その意味でのぼたん農園のように、新しく田んぼや溜め池を作ると言うことで、生物多様性を維持して行く活動が必要になっている。のぼたん農園が今後どのように変化して行くかを調査して、石垣島にどの位の密度でこうした水面を確保すれば良いかを研究しようとしているようだ。

 11月18日に10ヶ月前に作った新しい溜め池の調査の第一回目が行われた。水温は25.8度であった。今後池の生き物がどういう変化をしてゆくのかとても楽しみである。こうした調査も遠方から見えてのことななので、大変なことだと思う。地域で暮らしている者としてできる限り協力をして行きたいと思う。

 のぼたん農園の役割に水性昆虫調査が一つ加わったような気がする。これで、客観的なデーターとしてのぼたん農園の様子が分かることになる。加えて石垣島の自然環境がある程度はかれることになる。田んぼという水面がある事で、昆虫が飛来してくれる可能性がある。

 今回の話を聞いた上で考えたことは、やはり多良間田んぼの復元である。多良間田んぼのある場所には現在水面は失われている。水面が復活することで、生き物の多様性と永続性が維持できる可能性が出てくる。田んぼを耕作することは八重山の自然の維持に大いに役立つことになる。
 
 地下水汚染について苅部さんが言われていた。一山向こうにゴルフ場がある為に、離れた場所なのに水生昆虫が壊滅したところがあると言うことだった。最初はこんな自然の中にある池に何も生き物が居ないと言うことはどういうことなのだろうかと考えたそうだ。

 それで水質調査をしてみたら、農薬が高濃度で検出された。理由が分からないので、グーグルマップで調べたら、一山向こう側にゴルフ場がある事が分かったそうだ。そこで使用する農薬がなんと地下水に成って、溜め池に流入して生き物が居ない池になっていたそうだ。
 
 見えるところに畑がないからと言って地下水については安心は出来ないと言われていた。幸いなことに、のぼたん農園の溜め池は10ヶ月にしてはかなりの水生昆虫が見つかったそうだ。一応、水が汚染されては居ないと言うことだけは先ずは分かった。

 珍しいものが居たわけではないが、遠くまで飛べる水生昆虫はかなりの数居ると言われていた。近いうちに調査の報告がいただけることになっている。この調査は継続して行うことに意味があるそうだ。4,5年するとおおよそ安定すると言われていた。

 のぼたん農園が完成する4年後くらいにやはり、周辺の環境も安定すると言うことのようだ。自然栽培の田んぼの土壌が5年すれば安定すると言うことと昆虫に関しても同じことのようだ。環境が変わり全体が整う為には5年間が必要と言うことだ。

 のぼたん農園全体の管理を、根気よく続けなければならない。ため池に水がよく出るためには溜め池の上は林にしなければならない。耕作はしないで木が自然に育つことを待とうと思う。現在ギンネムが全体には生えだした。これをそのまま維持しようと考えている。

 ギンネムは、「沖縄県対策外来種リスト」の「対策種」に指定されているほか、「世界の侵略的外来種ワースト100」にも成っているが、のぼたん農園では維持しようと考えている。タンパク質を含み、ビタミンK、カロテン、カルシウム、リン、マグネシウム、カリウムに富む植物である。

 水牛も好んで食べる。マメ科の植物なので、根粒菌によって土壌もよくしてくれる。 地中深く根ざすギンネムの主根は水分の吸収を調節し、地盤を強化する。ため池に来る水を豊かにしてくれる可能性がある。その上防風林にも成る。特定外来種では在るが、自然に出てくるので利用するつもりだ。

 入口に柵を作らなければならないと思う。現在はごく当たり前の昆虫しかいない池である。石垣島では珍しい昆虫を探して、盗んで販売する者が横行している。最近ヤラブ林道が昆虫採取の人達の格好の場になっているらしい。そういう人達に荒らされないようにしなければならない。

 溜め池にはミズオオバコ、ミズワラビ、アカウキクサが生息している。コレラの植物も重要だと思っている。石垣島では希少な生物になっているらしい。のぼたん農園が希少な生物の保全の場所になることは、重要な使命だと思う。  

 それはのぼたん農園だけで可能なことではない。少しでもそういう可能性がある池が点々と繋がるようにしたい。昆虫が飛べる距離にそうした無農薬の田んぼが点々とあれば、石垣の重要な生き物の保全に繋がる。まだ入口に来ただけのことだ。

 先ずは通年通水が必要である。それだけでも生き物は増加する。冬場の2期作が減っている。二期作の代わりに、サジオモダカも採算が合うならば良いのかも知れない。のぼたん農園での栽培が成功すれば、可能性が広がるだろう。

 お米だけで行くとすれば、ひこばえ農法である。ひこばえ農法が完成すれば、稲作で収益を倍増することが出来るだろう。これも通年通水が可能な農法である。水性の生き物が増加すれば、当然カンムリワシも保全することが出来る。

 

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石垣島に田んぼを残す重要性

2022-11-22 04:06:05 | 楽観農園


 石垣島に田んぼを残さなければならない。のぼたん農園はそのための農園になる。石垣島の未来は観光にかかっている。石垣島が観光の魅力ある島である一番の要素は、亜熱帯の人間の営みが感じられる美しい自然である。身の回りの自然と美しい暮らしの景色が失われれば、観光資源が無くなると言うことだ。

 現状では土木工事そのものが、全国の離島の産業になっている。そのためにどうしても新しい大規模工事を作り続けなければならないと言う、おかしないたちごっこが起きている。そうしなければ選挙で落選するために、島を破壊して、観光資源を食い潰しながら、大規模な土木工事を継続し続けることになっているところが多い。

 その結果、自然環境の破壊か、土木工事を伴う施設建設の伴う観光資源の構築か。この二つの対立が離島にはある。現実には土木工事派が多数で、観光資源を破壊しながら、施設型の観光業を作り続けている。どこかに限界点があるはずなのだが、自転車は止まれば倒れる。難しい分岐点まで来ているように見える。

 石垣島で大切にして残さなければならないものは、石垣島の今のそのままの自然である。土木工事も石垣島経済のためには必要なことではあるのだろうが、限界を超えて自然破壊にまで進んでしまえば、何にもならないと言うことだろう。どこに限界を置くべきかを島に暮らすもの全員で考えなければならない。

 観光が盛んになれば、当然ホテルもレストランも作らなければならない。観光業で職場が出来れば、移住者も増える。移住者が増加すれば新しい住宅が作られる。一方で石垣島は農業経営を止めて人口が流出して行く流れと、観光業での人口増加の流れが、逆流のようにぶつかり合っている。

 島の自然環境の要は田んぼだと考えている。田んぼは自然を豊かにしてゆく可能性のある、希有な産業なのだ。島では産業としての稲作は経営が出来ないのだから、守る方法もないとある意味切り捨てられている。稲作農業者は毎年減少を続けて行く。それが仕方がない経済の流れと受け止められている。

 このまま田んぼが無くなったときに何が起こるのかを考えるべきだ。田んぼが放棄されれば、水面が減少する。水面が減少したときに起こるのは環境の単純化である。田んぼという浅い湖水のような環境が島の自然から失われる時に島の自然が変わると言うことだろう。島の田んぼは通年通水しなければならない。

 水のある島の豊かさを考えなければならない。田んぼなど生活に関係ないと大半の人は感じているに違いないのだが、沖縄本島から大半の田んぼが失われた結果、本島は乾いた島になってしまった。今の本島は自然の豊かさはやんばるの一部に残る偏った物になっている。

 田んぼは自然と折り合いを付けながら、何千年も永続されることの出来る農業なのだ。それは畜産や果樹栽培が持っている、環境からの収奪的な農業とは異なるものがある。現状の石垣牛の畜産であれば、100年同じところで行えば、環境破壊になるだろう。

 畜産と糞尿処理と言うことで考えてみる。牛一頭は人間で言えば10人分の糞尿をする。2万頭の牛がいれば、20万人分の処理施設が必要になる。放牧すれば、野外に大量の糞尿が垂れ流しになり、土壌が窒素過多になる。畜産が盛んになればなるほど、糞尿対策が深刻になる。

 この糞尿は堆肥センターで処理を進めているが、処理が出来ている量は1割に満たないないとされている。各牧場で糞尿処理がされているとすれば、十分な処理施設があるところだけではないはずだ。自然放牧で飼育して、自然を改変しない規模は、1㏊でせいぜい2頭になる。

 今後さらに堆肥センターで堆肥化を進めるとするならば、その出来た堆肥の島内での利用が進まなければならない。島内での利用はなかなか進まない現状である。一番の課題は畜産農家の方の糞尿の運搬である。そして出来た堆肥の利用農家までの運搬である。

 畑作の方の話では、十分な発酵がされていないために、畑に輸入飼料由来の見かけない雑草が増えて困ると言うことだ。しかし、稲作であればその心配がない。石垣島で生産される堆肥を水田で利用してゆけば、石垣島の環境内で循環されることになる。稲作農家が使いやすいような配送方法を作ったらどうだろうか。

 田んぼで堆肥センターで作ったよみがえり堆肥を利用した経験では十分利用可能である。軽トラ一杯で200㎏3000円である。追肥型の投入で進めようと考えているが、年5回使って反当たり一万円以下の肥料代になる。化学肥料よりは高いのかもしれない。

 有機農業と言うことで考えれば、利用できない価格ではない。お米が反収500㎏のお米が取れれば、1㎏のお米当たり、肥料代が20円になる。石垣島には325㏊の水田があるとされている。一反で年間1トンならば、3250トンの堆肥が使えることになる。

 水田の環境調整能力と言うことがある。水田によって水面が広がると言うことで、島の自然が維持されてきた。生物の多様性の維持には水面が必要である。しかし、この点では農薬の影響があり、どうやって有機の水田にしてゆくかの課題がある。

 まだのぼたん農園も栽培を始めたばかりなので、実践例として示せないことは残念なことだが、これから有機農業で十分な稲作が可能だと言うことを示してゆくことが目標である。現状では全国に一軒の家族経営で40ヘクタールの有機農業農家が沢山出てきている。10軒の稲作農家で可能な面積である。

 有機農業であれ規模拡大しなければ経営は難しい。農薬を使わない農業は可能なのだ。稲葉方式大規模有機稲作は全国的に広がってきている。どうやって草を抑えるかは課題ではあるが、すでに多くの先行事例が行われている。石垣島でものぼたん農園がその実例として、見て貰えるようにしたいと思う。

 有機農業の田んぼはラムサール条約で湿地として認定されているところもある。自然環境の一部として認定されるている。それだけ自然を豊かにするのが水田なのだ。水田は産業でありながら、自然環境を保全するという特別の環境保全農業になる。

 水田の環境保全能力は広範なものがある。赤土沈殿池としての機能がある。上部にパイナップルやサトウキビの畑があったとしても海との間に水田があれば、赤土の流出を水田が担ってくれる。同様に放牧地から窒素が流れ出るとしても、水田がそれを調和してくれることになる。

 洪水の調整能力もある。川の両岸に水田がある事で、豪雨のために水田が灌水することがあっても、下流部での洪水が防がれている。水田ダムが全国で広がり始めている。実際に宮良川の河岸の水田が放棄されて、下流部の道路の冠水が増えたということがある。

 水田を残すことにはもう一つ文化面の価値がある。主食を作ると言うことを通して、稲作は深く日本人の文化と結びついてきた。日本人の信仰や生き方はイネ作りに繋がる。八重山の民謡では多くの水田が唄われている。また豊年祭での五穀豊穣は石垣の祭りの最も大切な物とされている。

 水田を石垣島に残さなければならない理由がある。このままではかなり危険なところまで来ている。政治的な判断もあるのだろうが、失われてからでは遅い。なんとしてもここで踏ん張り水田を守ってゆきたい。協力したいと考える人は是非のぼたん農園に来てもらいたい。

 種まき日は12月3,4日である。朝9時からとなる。誰でも参加可能です。1時間だけでもかまいません。参加者には取れたお米を差し上げます。


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のぼたん農園の土木工事

2022-11-21 04:14:58 | 楽観農園

 借りてきたユンボと先日小田原から石垣島に送った軽トラダンプ。


 土を積んでは田んぼの畑まで運んだ。石の少ない悪くない土だ。

 のぼたん農園の土木工事が10日間で終わった。今後はユンボが必要なような作業はないだろう。自給農園で大きな機械で土木工事をするなどおかしな事だと言う考えは、私の中にもある。山北でやった最初の開墾は化石燃料を一切使わないという覚悟で行った。あの頃の方が純粋だったかもしれない。

 何しろ車も使わず水20リットル担いで一時間も歩いて山を登って、最初に運んでもらった物置小屋を組み立てて、泊まって開墾をしていたのだ。若い頃にはそれが必要な事だったと考えている。その経験をした上で考えるところが、大型機械を使うべき所では覚悟して使う。体力勝負のような挑戦は年寄にはいらないということになる。

 73歳になった今では、残る時間と体力が減ってきている。今回の10日間のユンボ作業だった。手作業でやれば、最低でも二,三年はかかるだろう。出来ればまだ良いが、手作業では不可能な工事もある。必要なときにはためらわずに機械の力を借りることにしている。ただし、必要最小限すべきであるとは思うが。

 35年前山北の養鶏場を作った時にシャベルだけで行う養鶏業は限界に達した。そのことも小田原に越すことになった、理由の一つである。移らないでユンボで工事すると言うことを考えれば、山北で続けることは出来ただろう。

 山北の土地は広かったのだから、斜面にユンボで道を作り、平ら地を作り、鶏を放す場所を作ることが出来たはずだ。当時ユンボを考えないで、引っ越しを考えたのはどうだったのか。と思うこともある。小田原に移った結果色々のことが開けて、人家が近くなり鳥インフルエンザで苦情が多くなり、養鶏業を止めたくなった。

 生きてきた過去の道は今更変更が出来ない。すべてが石垣島で最後に暮らす道筋だったのだと思う。最後の仕事として72歳に成って、3.6ヘクタールもの「のぼたん農園」をやることが訪れたのだ。迷い道、引き返した道、様々であったが、すべてが今の幸運だったと思える。

 のぼたん農園が完成するまで働きたい。身体を壊してしまっては困る。今はあえて大型機械を使っても、理想の自給農園作りを目指したいと思う。二期工事が終われば、大型機械での土木工事は終わりにしたい。ユンボは買わないことにする。農園の大きな形が出来てしまえば、後は伝統農業でやって行けるだろう。

 身体もまだ大丈夫だと言うことが分かった。10日間終日働いた。今回の土木工事は力仕事ではないが、ユンボに載っているだけでもない。歩数計では5000歩以上連日歩いている。降りては石を拾い、ものをどけて、結構力仕事も伴う。何とか乗りきることが出来た。

 ユンボによる土木工事は「池作り。田んぼ作り。果樹園作り。畑作り。道路整備。放牧地の雑草除去」の6つであった。池は12個。田んぼも12個。果樹園は畝のある果樹園を2月には苗を植えられるようにした。そして畑は一反ほど小麦と大豆畑が一カ所。そして田んぼの畦の畑が12カ所。道路は延長すれば1㎞近くはあるのではないか。

 田んぼが中心ののぼたん農園である。200㎡の田んぼが11と100㎡の田んぼが1つで完成である。11のグループかあるいは個人が参加することが出来る規模である。2100㎡の田んぼを維持するにはギリギリの水量である。今年は最後の11番田んぼは田芋の田んぼにしたい。水が切れても田芋は枯れることはない。様子を見て安定するようなら、11番も田んぼにしても良いだろう。

 田んぼはすべて通年通水にする。石垣の土壌は通年通水に向いている。硬盤が抜けうると言うことが無い。まだどうして造成時にトラックターが埋まるほどだったのに、今回の8ヶ月ぶりの二度目の代掻きでは堅くなっているのかが不思議だ。

 日干しレンガになるような土なので、田んぼの底の方の土は水が徐々に届かなくなり、堅くなると想像している。沢山交ざっている石と細かな粘土質の土壌が時間の経過で堅くなるらしい、と想像を巡らせているが、まだすっきりはしない。8ヶ月前の膝上まで潜ったような場所が、今回は長靴で歩けるくらいになっている。

 田んぼの間の導水管を整備した。1年目ではこの田んぼ間の水路から水が失われた。あるいは道路に染み出てくる水もかなりあった。これらがなくなるだけで水の損出はかなり減るだろう。道路側の畦塗り、排水口の整備をしなければならない。

  田んぼの間の畑はかなり平らになった。先ずは向日葵でも蒔こうかと思う。先ずは美しい花が人を呼ぶ。昨年向日葵と田んぼの景観はなかなか見事なものだった。田んぼの畑はユンボである程度平らにした。トラックターで耕し石拾いをして、もう一度耕した。いつでも向日葵を蒔けるようになった。

 しばらく緑肥を育てながら、畑が上手く使えるかどうか。稲刈り作業などの邪魔にならない畑の耕作が出来るか。検討して行くことになる。稲刈りの時期にはずれる畑の作物の選択が課題に成るのだろうか。畦際は畑にはしないでで敵対視を置く場所というのもある。緑肥を何度か作りその後何を作るのかは、それぞれの田んぼの人達に任せたら良いだろう。

 池に関してはほぼ十分な数になったのだろう。12も池があることで、とても美しい場所になった。この池にこれからの一年一年どういう生き物が現われてくるのか、興味深い。ゲンゴロウはすでに来ている。池を生かした生き物調査なども継続して行きたい。苅部さんや九州大学の岩谷先生がやってくれることの協力をしてゆきたい。

 11日に牧草地から除去したススキの葉の細いものは図鑑で調べるとイトススキというものらしい。屋久島ススキという近い種も在るらしい。抜いて転がしておいたら、一週間後にはかなりしおれてきた。上手く行くようなら、今度はフレールモアーでの刈り取り方式にしたい。

 その他、果樹園の中の整備もした。今のままではどうも整理が付かない。風よけの畝を上手く生かして、もう少し管理しやすいようにしたい。チップをどかせば、果樹園の様子も見えてくるはずだ。チップを上の小麦畑まで運びたい。

 チップは半年野ざらしにしていたので、かなり風化してきているから、上の畑に入れれば、かなり小麦畑の新しい土壌が改善されるだろう。これもユンボのあるうちの作業である。小麦畑は大豆と輪作して行く。小麦と大豆を輪作して行けば、土壌は徐々に改善されて行く。

 小屋がほぼ出来上がったので、小屋の奥にバイオガス発生装置の穴を掘った。深さが1m。1m幅で3m。下に岩盤があり、あまり上手くは掘れなかった。まだバイオガス装置の全貌は分からないのだが、干川さんが色々検討してくれている。

 道路整備をできる限り行った。今後もフレールモアーでやらなければならない。ススキが生い茂っているところも、この機会に出来るだけ、根こそぎ抜いた。ヤブがあるとイノシシが出てくる。田んぼのまわりはきれいにして見通しがきくようにしなければならない。

 田んぼの導水管はすべて敷設した。これで田んぼの土木工事は完了した。最後まで課題になったのが、一番溜め池と0番田んぼである。一番ため池の周辺を少し広げた。中央の畦を太く高くした。池が後10㎝深く出来れば大分良くなるだろう。現状では畦が低く深くは出来ないので、田んぼの畦をさらに高くして安定させたい。これは一輪車の仕事になる。

 溜め池の回りを少し高くして、水を増やせるようにはした。水のあるところのそばにしげみがあるとどうしてもハブが居着くことになる。ハブが隠れるような場所はなくした方が良いのですべてかたづけた。終わってみるとまだまだ仕事があるようで、今日ももう少しやりたくなる。
 
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第13 6 水彩画 日曜展示

2022-11-20 04:07:17 | 水彩画
第13 6 水彩画 日曜展示

10号前後の作品です。





982「入江」
2022.11








983「崖の様子」







984「とりの形」
2022.11






985「琉球松」
2022.11





986「崖の様子」
2022.11




987「あんぱる」
2022.11





988「夕日」
2022.11





989「駒ヶ岳」
2022.11


 農作業の休憩時間にすこしづつ描いた作品。時間が無くても描けるときもある。絵がどうなっているかには少し不安があるが、描きたいのだから描くことの方が自然だと思って描いている。絵を描き出せばいつもと変わらない気持ちになる。

 夕日は作業が終わり、家に帰るときに夕日が名蔵湾に落ちようとしている。ここは一種の観光名所で、観光客がよく写真を撮っている。一本マングローブという目印もある。確かに海の中の小さなマングローブは観光写真のようだ。

 駒ヶ岳を思い出したのは空の雲である。何か雲の形で、いかにも駒ヶ岳だなと思えた。おかしな絵だが一応完成したことにした。アンパルの絵は山の上の展望台から見たものである。上空から景色を見ると言うことにはドローン映像が多いので普通になった。

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溜め池の作り方

2022-11-19 04:03:13 | 


 新しい溜め池をいくつも作っている。写真の上の溜め池には5日間雨がなくて、これくらいの水が流れてきている。作り始めたときの写真である。この場所には大きな木もあるので、水牛池にしても日陰になるなかなか良い場所になるだろう。

 ここから四番溜め池に上手く水が運べるかが、重要なことになる。標高差は4番田んぼよりいくらか高いように見ている。そうでなければ困る。塩ビ管をつないで4番溜め池に水を入れたいと考えている。

 何故のぼたん農園では、池を沢山作るのかと言えば、理由は4つある。
1,池があれば生き物が豊かになる。農薬を使うために田んぼから生き物が居なくなった。それを代替するために池作りをする。
2,川も用水もない場所で、湧き水だけで天水田を作っている。少しでも水が多ければ栽培が楽になるので、溜め池が多く必要である。
3,水牛の居場所である。水牛には池は必修である。日に当たっていても池があれば大丈夫だ。身体に泥を塗りたくって虫を防ぐ。
4,のぼたん農園が美しい場所であるためには、池が必要である。

 今回作った上の溜め池は、四番溜め池より少し高い位置になる。四番ため池に上手く水が入れば、四番溜め池から四番田んぼに水が引ける。四番田んぼからは五,六,九,十,十一番と水は繋がって行くから、下の方の田んぼの水はかなり安定するだろう。

 一つ田んぼが増えて、のぼたん農園は十二個の田んぼになった。0番から、11番田んぼまでである。新しい水系が加われば増えた田んぼの分も補うことが出来るはずだ。のぼたん農園には溜め池が5個になった。溜め池に水を増やすために上部には木が茂るようにする。

 5つめの水牛池は沢の一番下になる。急斜面の下だったのでかなり、ユンボ作業が怖かったが、何とか水が溜まるようになった。すぐにサクラを連れていってつないだ。サクラが垈場にしてくれればきっと水が溜まるだろう。水があれば、水牛をつないでおける。

 水牛の飲み水を運ぶのは何かと大変なので、水牛池はあちこちに必要なのだ。最後の水牛池がもう一つ。周回道路の脇のアダンのそばに作った。この場所には昔は池があったと言うことだ。次第に埋まってしまったと思われる。確かに土がいつも濡れているところがあったので、掘ったらば少し水がにじみ出てきた。

 日陰の場所なので、池があれば、水牛をつないでおける。水牛はアダンの林の中へ平気ではいると言うが本当だろうか。もし水牛が入れるのであれば、牧柵の位置を変えた方が良いかもしれない。アダンを取り込む形にすれば良い。



 建設中の5番溜め池である。完成した形は三角池である。ここは日陰の池田。水牛は暑い日に日向につないでおくと危険である。溜め池のあるところであれば、日陰が無くても水の中で身体を冷やしている。熱い陽射しの日に水に潜って水牛は気持ちが良いらしい。

 のぼたん農園には水牛池が6個になる。あちこちに池があれば水牛には助かることになるだろう。つないでおく水牛はあちこちに移動させなければならない。紐の届く範囲の草は2日ほどで食べてしまう。水牛池は多いほどよいわけだ。

 池を作りながら思うことは、石垣島の土壌は池を作るためには適していると言うことである。小田原でも池を作ったが、水が溜まらないので、下にビニールシートを貼ることになった。石垣島では穴を掘れば雨の時にある程度は水が溜まる土壌である。

 土の粒子がかなり細かい。粘りはあまりないので、粘土という感じではないのだが、水を濁らすと3日も水が澄んでこない。関東ローム層などよりも堅くて、簡単に崩れると言うことも無い。水を含めばぐちゃぐちゃになり、乾けば日干しレンガのように堅くなる。

 土を掘っていると岩盤のような層が出てくることがある。これが出てくると水漏れもして行くようだ。余り深く掘ると言うより、1m位の深さで広く作る方が良いようだ。深いと岩盤の底を壊して水漏れになる可能性が出てくる。



 ユンボ作業をしていると、すぐにカンムリワシが来る。特別天然記念物の二百羽ぐらいしか居ない鳥である。人を余り怖がることはない。トラックターの神輿の上に止まるくらい慣れている。機械作業をしていれば、大抵はやってくる。来ない日があると、何かあったのかと心配になる。
 
 溜め池は掘る順序が重要である。掘っている場所に入るときにはユンボの出る道を確保して掘り進め、最後に出た後を掘る。堤防になる場所に土もりをする場合はそこには草が混ざらないようにしなければならない。土羽で固めるのだから、あまり高い土盛りはできない。

 さすがに石垣島の土壌でも水はわずかずつ減水していく。そこで水牛を中に入れて、ゴロゴロさせておけば、水は漏らなくなる。水牛は水の中に尿や糞をしたがる。それが溜まって水が漏らなくなる。泥を身体になすりつけたがる。またそうした汚れた水をわざわざ飲む。きれいな水よりも汚い水の方を選んで飲む。

 それは糞や尿に混ざっている微生物をもう一度身体に戻そうとしているように見える。それで反芻をするのだから、十分に草を消化できるのではないだろうか。草だけを食べて、あれだけしっかりした身体が出来るのだ。下痢をするような事はまず無い。

 糞もほとんど匂わない。たぶん牛などよりも消化能力が高いのだろう。草の好みもかなり幅広い。その原因があの自分の糞尿を混ぜた水を飲むためとみられる。人間も学ぶ必要があるのかも知れない。汚いがきれい、きれいが汚い。微生物の有効利用だ。

 溜め池に糞尿をして、それが水田に入ってくる。これが肥料になれば言うことが無い。溜め池を利用した、肥料の上手い循環を考えなければならない。そういう意味では草を食べ尽くさないくらいの頭数を飼うのであれば、土壌が窒素過多になるようなことはない。

 
 
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法務大臣葉梨康弘氏の死刑と印

2022-11-18 04:22:47 | Peace Cafe



 驚くべき法務大臣たる葉梨氏の発言があった。そして発言を取り消して、謝罪をして、罷免になった。世間もそのことを早くも忘れかけている。今回の法務大臣が死刑の朝ハンコを押すという話を持ちだして、軽い職務という発言をした。4回ぐらいそのことを口にしたらしい。

 死刑と言うことはそんな簡単なことではない。人間として許せない発言だ。未だ心にとげが刺さったままのこっている。死刑を軽々しく、朝にハンコを押したら、その時の昼のニュースになるだけが法務大臣と挨拶をした。最悪な人間性を疑わざる得ない発言をした。

 決して口にし手はならない言葉を口にしたのだ。こんな歪んだ人が法務大臣になる。政治家の質の低下が、いよいよ目立ってきているのだろう。葉梨という素晴らしい名前を頂きながら、こんなことで名を残すことになるとは情けないだろう。政治家の名誉など一転して恥になる。

 統一教会問題で自民党では200人もの国会議員が、事前調査で大臣枠から外れたのだ。事前報告をしないでごまかした人も居る。事前調査で漏れた山際経済再生担当相 も止めさせられた。細田衆議院議長も後から統一教会とかなり深い関係がある事が判明したが、どうも不問ということらしい。

 自民党の半分以上が統一協会と関係しているので、葉梨氏のような危なっかしい人材まで、大臣にせざる得なくなったのだろう。大臣は議員の年功序列もあるらしいから、能力で成るばかりではない。葉梨法務大臣はそもそも警察関係者らしい。

 警察官僚を法務大臣にするのは良くない選択である。法を力で守る警察権力と言う感覚で、死刑を話のネタに出来る法務大臣になってしまったように想像される。警察関係者にしてみれば、殺人を犯すような悪人は許しがたいと思わされる場面に接することが多いのだろう。法務という客観性が求められる職務とは似て非なるものだ。

 今回の発言は失言したという事で済まされることではない。そもそも政治家である前に、人間性に及ぶ問題であろう。こういう人格の人が、法務大臣の重大な責務としての死刑とハンコに対して、自覚できないような思想が歪んだ人格の人が、国会議員に選ばれるという選挙民の判断力の劣化である。

 さすがに自民党であれば何でも良いと言う選挙の選択では、民主主義は成立しない。葉梨氏はそもそも国会議員としての資質に欠けていると言わざる得ない。どんな人なのかと調べると、元警察官僚。自由民主党所属の衆議院議員六期。パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザー、IR議連副幹事長、自民党パチンコ議連事務局次長。 なるほど成るほどの経歴である。

 こうしてみると統一教会のようなえせ宗教も問題だが、賭博関連議員もかなり問題と言って良いだろう。選挙に有利だから、賭博関連に関わるという人達も問題なのだ。たぶん政治献金もあるはずだ。政治家というものはどうにもくだらない人種だ。

 末世になると、こんな人が法務大臣になるのか。もう余り政治には期待してはいないのだが、政治家のレベル低下は驚くべき所まで来ている。こんな事件が今後頻繁に繰り返されることだろう。しかし、野党も統一教会の集会に引きずり込まれている。そんな野党に今更何を期待すれば良いのか。情けないかな、自民党が統一教会と創価学会の票を分けてもらい当選する。

 この機会に死刑制度を考えてみる。死刑制度は消極的な賛成である。犯罪抑止力として一定の機能をしていると考えている。死刑は考え得る最も重い罰則であろう。その最悪の罰則を科さざる得ない犯罪者もいる。殺してやるといきり立った犯罪者が、殺せば死刑になると考えて、思いとどまることもあるだろうと思う。

 統計的には死刑を廃止しても、殺人事件が増加すると言うことは無いということは理解している。社会的背景が違うので、一概には言えないことだ。死刑制度のない国でも殺人事件が少ないという国も確かに多い。死刑に廃止に関してはキリスト教の背景が強いと思われる。死んでから最後の審判で神によって判断が下されるのだろう。

 日本は日本教の国である。人を殺した以上、自分の命であがなう以外にないという考えがある。人間は殺してやろうと思うほど怒りに取り込まれることがあるものだ。人殺しをしても死刑にならないとなれば、終身刑で刑務所暮らしを望むような、歪んだ人間は必ずいる。死刑になりたいから人を殺したなどと同期を主張した殺人犯もいた。

 人間を殺した罰は自分の命で償う以外にない。もし私自身が殺人を犯せばそう考える。殺人を犯して死刑を受ける人間はそう考えるほか無い。それほどの重大犯罪が殺人である。殺された人間の恐怖や無念は計り知れないものがある。殺された人のひどい結果を考えれば、非人間的な行為である死刑もやむを得ない。

 しかし、死刑という刑罰は国民の合意で人を殺すのである。重大な犯罪者とはいえ、国民が人を殺すと言うことはどのように言い訳をしても重い、辛い、苦しい判断である。この国民の代表として法務大臣は死刑の最終判断の判を押すのである。その意味と立場を理解して欲しい。

 もし罪と言うことだけで考えれば、死刑はあり得ないことだと考える。人間は罪深いものだ。殺すと考えることだけでも罪であると言える。罪には重い軽いはない。罪を許すことは出来るのかも知れないが、罪を許すことと処罰とは別のことである。

 自分を殺したからといって、殺人者を死刑にしないでも良いといえる人はいるのかもしれない。犯罪を犯せば、その犯罪の程度に応じて処罰を受ける。健全な社会を維持するためには必要なことだ。だからかなりの税金投じて、犯罪者を刑務所に入れるわけだ。

 殺人罪を無くすと言う最終的な方角は、刑務所を無くすと言うことになる。刑務所の役割が本来犯罪者の矯正という事もあるが、余り矯正の効果が高いとはいえない。むしろ犯罪者を社会の中で矯正した方が、効果が高いという考えもある。

 良い社会であればそうなるに違いない。しかし犯罪者が現われると言うことは、十分に良い社会ではないという証である。社会の中で犯罪者が矯正できる受け皿がない。ある意味刑務所は次善の策と言える。さらに死刑制度はさらなる次善の策なのだろう。

 いずれにしても、犯した罪を生涯自覚していきるいがいにない。それは犯罪が露見しないでも同じことだ。罪という意味ではあらゆる人間が罪を犯し続けているともいえる。だから、人間の生きる罪を償うと言うことは、人のために生きるという形で、償い続けると言うことなのだろう。

 
 
 
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ユンボ作業を続けている。

2022-11-17 04:34:38 | 楽観農園


 ユンボ作業を続けている。2日間で放牧地の雑草取りと放牧地に溜め池を作りをした。引き続き二畝の新8番田んぼを3日かけて作った。その後は上の段の溜め池をおおよそ1日でつくった。まだ導水管は入れていないが、したの溜め池まで水は来る準備はした。

 これでユンボ作業朝9時前から5時までの作業が6日間になる。まだ残りの作業がある。小麦畑、田んぼの畑、水牛池があと1カ所、水路の整備、道路の整備、残りの草取りと続いて行く。あと4日はかかるだろうか。体力的には何とかなりそうだが、難しい作業もあるので、気をつけてやらなくてはならない。

 牧草地の草取りが一番大変だった。延々と続く雑草を引き抜く作業だった。一日目一杯やったらもう嫌気がさしてしまった。変化のない繰返し作業はなかなか辛抱が居る。2日目も草取りをしたのだが、半日で嫌になった。1日半雑草取りをやって終わりではないのだが、終わりにした。

 まだ一段上の奥の沢沿いなどに雑草はかなりあるのだが、後に回した。やれるかまだ分からないが、手でやることを考えたならばやった方が良いに決まっている。手でやると言うことはつまり出来ないと言う事になる。なかなかユンボは借りられないのだから、根気よくやるほうがいい。

 牧草地内の一つ目の溜め池作りは案外に簡単だった。半日で出来て、しかもすぐに水が溜まった。こういう作業はやりがいがあるので疲れない。晴れれば水はなくなるかも知れないが、雨が降らない3日目でもまだ十分水はある。牧草地で一番水の溜まりやすい場所なので、その点では期待できる。

 水牛の親子は溜め池作りを遠巻きに見ていて、終わったら早速池に入ってくれた。ユンボがおもしろいのか近寄ってきては、また逃げて行く。子供は思いきって走るからなかなか可愛らしい。水牛が入ってかき回すと水がぬけなくなる。どんどん入ってくれ。

 田んぼ作りは田んぼの形作りで3日かかった。全体を平らに均平をとるのが難しかった。水糸を張るのに随分時間がかかった。土にうねりが出てきてしまい。ある程度で諦めた。水糸に合せて土を移動したのだが、なかなか簡単に平らには成らない物だ。代掻きの時に完全な平らにすれば良いと考えた。

 平らにする作業だけで一日かかった。最後には暗くなってきて、何を平らにしているのか分からなくなってしまった。つい一気に平らにしようとするのが良くないようだ。しかし、根気よくやることが出来ない。やればやるほどおかしくなって来て終わった。

 まだ十分ではないが、私の技量ではこの辺りが限界だと思い、諦めた。畦は随分バゲットで押したのだが、それでも漏れることだろう。畦はできる限り太くしたかったのだが、土が足りないので、それほど太くは出来なかった。1mぐらいの所だろう。高さは二十センチぐらいはある。

 4日目には朝早くのぼたん農園に行き、新8番田んぼをまずトラックターで荒起こしをした。15日に大勢で石拾いをしてくれた。一回目の石拾いが終わったので、すぐ堆肥撒きをして、二度目の荒起こしをした。再度石拾いをしてもらったので、水を入れた。夕方帰るときには3分の1くらいまで水が入っていた。

 翌朝水が溜まっていたので、すぐ代掻きをした。夕方福仲先生が見えて、ユンボで田んぼに入り平らに直してくれた。そのままにして置き土が軟らかくなったところで、もう一度仕上げの均し代掻きをする。水の様子を見ながら仕上げの均平にする作業を行う。

 新しい田んぼはなかなか難しいものだが、ユンボは一人でやる以外になかったので、出来ないなりにやるほか無かった。大分以前よりはユンボ作業の要領はつかんできた。しかし前のユンボより小さいのでどうも動きがぎこちない。右のキャタピラの油圧が足りない。

 田んぼは結構盛り土もしているので、土の緩んだ場所があるはずだ。トラックターが、代掻きで抜け出られなくなると行けないので、作業は要注意だ。今年の新8番田んぼはかなり問題があっても致し方ないとするほか無い。私が使うことにするので、なんとか調整しながら耕作する。

 上の段に新しい溜め池づくりをした。先日上の段にもいくらか沢状のところがあり、雨の日には水が流れることを発見した。それでその流れの下に溜め池を作り四番溜め池に水が流れ込むように出来れば下の方の田んぼが楽になると考えた。水位的にはギリギリの所だが、何とかなりそうに見える。

 今日朝一番で木田商会に行き塩ビ管を頼んだ。土曜ならば運んで貰える事になった。車に乗せられないので頼むしかないのだ。あちこちで使うので五十㎜のものを十本とジョイントL字ジョイント。

 小麦畑を作る予定地で、少し雑草はがしをしてみたが力が無くて押し切れなかった。それでも何とか半分ぐらいまで剥がした。草も混ざって良いので軽トラに乗せて、運べないかと思い。4杯運んだ。軽トラにいちいち乗り換えてでは大変なので、干川さんに来て貰った。

 後は道の整地であるこれは今日辺りやると良いかも知れない。少し土が乾いてきたので、道路整備作業は安全にやれるかも知れない。草は後でフレールモアーでやった方が良いので、今回は石をどけたり、傾斜を直したりをしなければならない。

 田んぼの畦の畑をユンボで均してみて、軽トラが乗り入れられるところを確認する必要がある。土の足りないところに軽トラが入れなければ、土が入れられない。そうだ土の軽トラダンプでの移動はまだ道路がぬかるんでいるからこの作業はまだ二,三日無理だろう。

 水路に導水管を埋める作業の準備は早めにした方が良い。水がもったいない。道路に水が漏れてきているところも早めに直した方が良い。何時までも道路がぬかるんでいるわけにはいかない。雨は仕方がないが、田んぼからの漏水はまずい。

 ユンボは10日借りるとすれば、残り4日だ。返す日を決めて取りに来てもらわないとならないから、予定日時を決めなければならない。20日に返すことにしようか。ギリギリになるが、返却日を決めておいた方が作業がはっきりする。

 残り4日の予定を立てておく。1日目の今日は小麦畑の整地をする。余分の土を集めておいて、道が安定してきたら、田んぼの畑付近に運ぶことにする。小麦畑はできるだけ平らな畑にする。小麦の栽培は平らな方が作業がはるかに楽になる。

 明日の2日目は道路整備をする。軽トラでのぼたん農園内を一周できるようにする。歩いてのぼたんを見に来た人が歩きやすいように整備しておきたい。果樹園の中を通る道路も整備しなければならない。果樹園と道路整備で一日かかるだろう。余裕があれば、下の道のアダンのそばに水牛池も掘りたい。

 3日目田んぼの畑を整備をしたい。田んぼの導水管も出来れば行う。4日目は予備日として、残りの草取りとバイオガス装置の穴を掘る。草取りは誰かにしてもらうか。
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遠のく財政再建

2022-11-16 04:23:14 | Peace Cafe


 政治に多くは期待しないことにした。それでも財政再建だけは気がかりになる。国が借金をどんどん増やしてゆく姿には、耐えがたいものがある。そもそも借金というものは大嫌いだ。借金はしたことがない。お金を借りているという状態に耐えがたいものがある。

 気になって仕方がない。国の事でも同じだ。何で平気で借金を増やしているのか、その神経が分からない。借りるぐらいなら貯めてからと思う。お金の必要なことはある。国も当然そうだろう。老人が増えているから、大変なことは分かる。それなら、もっと緊縮財政にすべきだ。

 それでも医療や教育など、公共福祉と言うことに成れば待ったなしだろう。年寄は未来の社会のためだと思って我慢するほか無い。政治というものはお金の入り方と出方だ。と言う考え方がある。それが入り方の方は、どんどん借金を増やしてしまうだけでは最後には行き詰まる。

 財政再建は遠のくばかりである。財政再建を行うためには、政府の支出を減らすか、税収を増やすかのどちらかである。それ以外に方法はない。一軒の家計で言えば、お金が足りなければ節約をする。あるいは仕事を増やして、収入の増加をはかる。借金で生活費を補うようになれば、生活はいつか破綻する。

 ところが家庭では当たり前の生活規律が、政府には節約も税収の増加も出来ないでいる。政府はお金を発行できる為に、いくらでもお金を発行してそれを国債にして買って貰っている。政府は財政支出の半分も借金である。世界でトップの借金国になってしまった。

 政府の借金である国債でまかなうという状況から抜け出せないでいる。コロナやウクライナ戦争でますます財政は厳しくなり、日本の経済は本当に大丈夫なのかという所まで来ているが、岸田さんも黒田さんも、発言を聞いていると打つ手がないという状況に陥っているとしか思えない。

 景気対策やコロナ対策、消費者物価上昇対策などで、さらに国債を発行して対応するという、政府の自転車操業は荷物がさらに増えて続いている。もうよたよた走行で、いつ転ぶかそうとうに心配である。それでも走っていれば何とかなると、借金を増やした。

 アベノミクスという経済政策は、既得権集団の要求で出来たものだ。ここが大問題だった。様々な言い訳がなされてきた。政府は何しろアベノミクスは成功したと言い続けている。日本がここまで経済の衰退をして、なにが成功なのかと思う。もっと悪くなるはずをアベノミクスが食い止めたとでもいうのだろうか。

 結局第3の矢という、新産業の創出という肝心な目的の第一の物が、形だけの物だったのだ。大企業を優遇する。そうすれば日本経済は持ち直すと口先では言いながら、大企業の利益をばかりを追い求めて、それだけの物だった。国民の多くが大企業にすがりついたと言うことになる。

 今回大手企業連合が次の世代の半導体産業の企業を作るという事が発表された。こういうことが第三の矢だ。かつて、日本が世界の半導体産業を牽引した時代だってあったのだ。循環型エネルギーだって同じ事ではなかったのか。原発事故後にエネルギー産業にこういうことがお今われなければならなかった。それが出来なかった原因が、既存大企業を守ろうとしたからだ。

 今度の半導体事業も是非成功して欲しいが、まだまだ先の話だ。こういう事業を10年前に始めていなければならなかった。このことが失われたアベノミクスの10年と言うことだろう。この間大企業の既得権益だけが保護されて維持だけはしたが、新しい展開はなかった。

 大企業だけは確かに利益を増やしている。一方で法人税は何度も減税を重ねている。そうして利益を増やしたにもかかわらず、内部留保ばかり増やし、新しい産業を興すための設備投資は十分に行われていない。社員に対する給与も上がらない。これではますます日本経済が衰退していく。

 もう八方塞がりのような経済状況が10年以上も続いている。そうして日本はいつの間にかアジアでもトップクラスの国ではなくなってしまった。アジア諸国に行ってみればそのことは一目瞭然である。台湾や中国は行ったが、社会に勢いがあり、日本の遅れをいつも確認することになる。

 その責任の大半がアベ内閣にある。財政悪化をもたらした、だめの象徴の安倍晋三が国葬なのだから、一部の連中は自分だけ利益を上げて良かったと今でも思っているのだ。この身内優遇は桜の会の招待だけでなかったのだ。大半の人がないがしろにされる側なのに、何故支持してしまうのかが分からない。

 政府の世論形成力なのではないかと思っている。電通などによる、誘導マインドコントロールが行われている。オリンピックで政府と電通の密接な関係が見えてきたが、選挙も電通が行っている。電通方式で、どうすれば日本人を洗脳できるかが十分に調べられている気がする。

 ビックデーターの分析をしながら政治が行われているのだろう。世論調査は表面に浮んだことになるが、その背景でビックデーターの分析で、日本人の本音の変化を読み取っているのだろう。商品販売の能力を政治の誘導に利用している気がする。その増長慢がオリンピック汚職である。

 この10年で一番だめになったのが、日本の教育および研究機関であろう。あの学術会議任命拒否事件はうやむや状態にある。政府は次の任命の時まで、6名不足の状態で良いとしている。結局、学術会議はそれを覆すことが出来ないまま、曖昧に抗議を続けている。

 この事件の状態が日本の学問や研究や教育の衰退する理由である。学問や教育が政治の言いなりになる状態が続いている。文句があるなら金を出さないと言われて、すごすごと引き下がるという状態では、活力が失われて当然である。

 学術会議にそれだけの意思の統一がない。全員が任命を拒否すれば良いのだ。ストライキである。昔ならば学者にそれくらいの強い意識と、尊厳があった。今の御用学者は体裁だけで、政府を忖度して勲章が欲しくて学術会議にいるような人が多数派なのだろう。

 労働組合にも活力が失われてしまい、まるで政府に従う労働組合になってしまった。企業が倒産するのは困るのでほどほどの給与でお願いしますという。戦わない労働組合になってしまった。だから日本の給与は下がってゆくのだ。日本人の活力低下も財政再建出来ない一つの理由だ。

 給与が下がるから消費が伸びない。ほどほどで良いと言うことだから。政府は国債をさらに増やして破綻を先延ばしに出来る。それを困ると言わない国民というのもどうかしていると思う。今が良ければ孫子の時代のことなど、どうでも良いというのだろうか。

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