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221 水彩画 日曜展示

2024-07-21 04:16:50 | 水彩画
 221 水彩画 日曜展示







521「のぼたん農園」
2024.7 中判全紙







522「のぼたん農園」
2024.7 中判全紙









523「夏雲」
2024.7 20号






524「養魚場跡」
2024.7 中判全紙







525「のぼたん農園」
2024.7 中判全紙


 夏の明るい色である。強烈な強い光である。何しろUVカットの服を2枚来ていて、背中が日に焼けて剥けてきたぐらいに強い光だ。この明るい光に絵が反応している。絵が明るくなるのは悪くない。色々な色が出てくるのも嬉しい。

 このところ、のぼたん農園以外はほとんど描いていない。いくら描いても尽きないしおもしろい。まだまだ描くのだろうと思う。同じ所を描いていても絵は同じになることもない。その理由もよく分らないが、変えようと思っているわけでもない。

 その時々に現われる絵に反応しているだけだ。まだまだ自分の絵に到達するのは、先の方にありそうだ。慌てても仕方がない。結論を出したいとは思うが、無理矢理に出るものでもないだろう。すこしづつ、諦めずに続けるいがいにない。



 
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自分の匂いのする絵なら良し

2024-07-20 04:27:26 | 水彩画


 私絵画を目指している。私絵画とは自分のために描く絵のことだ。自分をやり尽くすための絵画である。具体的にどんな絵なのかと言えば、難しいのだが、自分の匂いがするような絵ではないかと思っている。どこがと言われても自分というものが、はっきりとは分らないのだから、具体的な言葉には出来ない。

 絵を描いていると、誰か大先輩の絵が表れてくることになる。学ぶは真似るだ、というように、傑作というお手本の絵を模写して製作するのが、日本の絵画の修行方法なのだ。しかし、それは日本独特の装飾絵画の世界の話で、その伝統を引きずって居る。

 藝術としての絵画は、真似ていたのでは産まれない。本来の絵画は創作である。当たり前すぎることなのだが、この芸術の創造性に関する意識が日本ではあまりに弱い。ないと言っても言い。だから実用絵画は盛んであるが、藝術としての絵画はほとんど無い。

 他人の創作した結果を、どうすれば消せるかが、75歳までの私絵画の道だったのだと思う。他人を消した後で残る自分というものの捜してきた。当然のことだが、他人から学んだ要素をできる限り消してみた所で、自分というものが表れてきたと言うことではなかった。

 70歳からかなり具体的に他人を消す努力をした。真似の部分を消すと言うことよりも、それまでの自分を消すと言うことであった。無理なことを続けていたような気がしていたのだが、最近ある程度出来たのでは無いかと最近感じる事がある。

 厳密に言えば、よく分らないことなのだが、自分の絵の中に人まねが出て来る回数が減ったような気がしている。では今描いているものはどこから表れたのかと言えば、自分が見た感じに近づいている。それは見ると言うことが少し深化した。と言えば言いすぎかもしれないが。

 意識してどういう絵を描こうというような、頭で考えることを止めている。ただ画面の前に座り、引き出されるものにしたがっている。何を描くかすら決まらないまま始める。筆が描いたものが、次に描くものを引き出してゆく。色が次の色をさそう。自分が良いという方角にだけ進む。

 人まねをしているのか、そうでないのかの違いはかなり難しいことで、自分の大半の絵が人まねに見える日もある。他人が人まねであろうがなかろうがどうでも良いことなのだが、絵は真似ることが身についている。伝統的な日本の絵画、つまり装飾絵画であり、商品絵画としては当たり前の事なのだ。

 ここを抜けるのが大変なのだ。真似が匂うことが、耐えがたいほど恥ずかしいことに感じるのだ。自分の絵に人の絵の真似らしいところがあると、絵を描くのさえ嫌になってしまう。それは自分という人間のインチキ性を表わしていることが、見え見えになるからだ。そんな哀れなことまでして絵を描いても何にもならない。

 そんな恥ずかしいことをしてまで、人目を気にするのかと、自分の内心が耐えがたいものに思えるのだ。もちろん意識をして人まねなどするわけもない。無意味なことなのだから当たり前のことなのだ。無意識のうちに他人の絵が表れてきてしまうので困る。

 これには本当に困る。この無意識に他人が現われることを何とか止めるのに5年はかかった。無意識に絵を描くのだから、他人が登場するのも無意識であるし、自分が現われてくるのも無意識の行為なのだ。だから、無意識であっても他人が登場しないところまで、自分自身をそぎ落とさなければならなかった。

 自分が良いと思っていることをまず捨てなければならなかった。これは難しいことだった。どんなにひどい絵になっても自分をご破算に願おうと考えて絵を描いた。良い感じというものが他人の受け売りの可能性がある。だから、見ている自分の眼だけで感じて絵が描けるまで、人のみ方を捨て去る努力をした。

 これが何とか続けられたのは、絵の仲間が居たからだと思う。私のやろうと居していることを、おかしな事だと思いながらも受け入れてくれた人も居たから、続けることが出来た。恥ずかしいことばかりだが、何もない時点に戻る努力の馬鹿げた姿を、何とか見ていてくれた。

 これはほとんど進まない極めて難しい、繰返しであった。それが最近何とか、いくらか、人の受け売りは消えてきた気がしているのだ。思い込みなのかも知れないが、その結果自分の匂いを少しだけ感じるような気がしたのだ。自分が描いているとも思えないのは相変わらずなのだが。

 碌でもない絵でも自分の眼が観た世界を描いていれば、それが自分の絵なのだ。そういう絵がすこしづつ表れるようになってきた気がしている。これは石垣島で描き続けた御陰かも知れない。その理由は石垣島という、独特の世界を描いた絵は過去見たことがなかったからかもしれない。

 受け売り絵画は小田原の眼が作り上げたものだ。東京の絵の世界とフランスで勉強したものと、小田原の眼とは当たり前の絵画世界の一般的な眼だ。だから、多くの有名画家の眼に似ていても良く判断がつかなかったのだ。絵はこういうものだと思い込んで良さそうに描いていた。

 所が、石垣島に来て、のぼたん農園でみている世界は、誰も描いた人がいない世界だった。熱帯の世界を描いた絵というのはあるが、田中一村やタヒチを描いた、ゴーガン。あれは作り絵であって、観た世界を感じて表現しているわけではない。奄美の光とか、タヒチの世界観とか持てはやすが、強い光の下の色彩が、分らないとしか思えない。近いのはやはりマチスだ。

 沖縄には絵描きは少ない。デザイナーはいるのだが、いわゆる藝術としての絵画を目指すような人は一人も見たことがない。特に石垣島には一人もいない。少なくともかつて居たということも聞いたこともない。だから、石垣の今観ている世界は絵画で表わされたことがないのだ。

 そのこともあって、石垣島で観ている世界を描くことは、私が人まねをすることでは無意味だったわけだ。そのために自分の絵を描ける事に近づけたのかも知れない。これは意図したことではなかった。偶然とは言えありがたいことだ。観ている世界を描くために、真似をする材料がなかったのだ。

 こんな解釈は無理矢理付けた理由だと思う。石垣で見ている世界を繰返し描いている内に、自分の眼を通した世界のように感じるようになってきた。そ言う言う思い込みに過ぎないかも知れない。それでも、今見ている感じに絵が近づいているとは思う。

 どうであれ、今のままに続けようと思う。他に出来ることも無い。少し絵が変でも大丈夫になった。出来て無くても大丈夫になった。何かぎこちない絵なのだが、そういうことはがまんしよう。受け入れようと思う。それが自分であるかもしれないから。

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220 水彩画 日曜展示

2024-07-14 04:23:25 | 水彩画
 220 水彩画 日曜展示







516「白い花」
2024.7 中判全紙







517「海」
2024.7 中判全紙






518「のぼたん農園」
2024.7 中判全紙







519「のぼたん農園」
2024.7 中判全紙







520「のぼたん農園」
2024.7 中判全紙


 絵を描くこともそれなりに出来た。それでも、日々の一枚には届かなかった。海を描くときに、空も波打ち際も描かないで描いてみた。なかなか難しかった。草むらを描くのに、空を入れないで見た。これも構図がとれないで難しかった。またやってみたいと思っている。

 中判全紙だと二日で一枚ぐらいが精一杯の所のようだ。慌てて雑になっても仕方がない。車の中は涼しいので、絵を描いているつもりが居眠りをしている。目が覚めるとそうかと思い描き継ぐことが多い。だから、寝ているのか絵を描いているのかよく分らない。

 大抵の人は私のアトリエカーは居眠りをいつもしている場所、と思っているようだ。それは悪くない見方だ。居眠りしながら絵を描くぐらいで言い。必死さが見えるようじゃだめだろう。居眠り制作ぐらいが、丁度良い加減だろう。

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219 水彩画 日曜展示

2024-07-07 04:38:13 | 水彩画
219 水彩画 日曜展示







512「篠窪お墓」
2024.7 中判全紙







513「篠窪」
2024.7 中判全紙








514「海と空」
2024.7 中判全紙







515「海と空」
2024.6 中判全紙


 石垣に戻り海と空を描いている。夏の空と海はすごい力がある。それは石垣に通い始めた頃から、感じていたことだったが、やっとその色や調子に馴染んできた気がする。自分の色として描くことが出来るようになったと思える。もちろん、絵になっているかどうかは分らないのだが。

 今見ているものと、今頭にこれからやらなければならないことは、これからやらなければならないことは、このまま描き続けることかと思っている。空だけでも良い。海だけでも良い。草原だけでも言い。あるいはすべてでも良いのだろう。

 つまり、絵にならないでも良いと言うことなのだろう。そこにあるものと、自分という者の反応さえ、描くことができれば良い。何を描くのかではなく。自分の観ている世界にどのように反応できるか。そ言う描き方に向かうと言うこと。



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218 水彩画 日曜展示

2024-06-30 04:19:19 | 水彩画
218 水彩画 日曜展示












509「海」
2024,6 中判全紙








510「のぼたん農園」
2024.6 中判全紙







511「のぼたん農園」
2024.6 中判全紙

 今週は2枚になってしまった。小田原に来てから、絵を描く時間が取れない。残念である。今日も相模原展に行かなければならないので、絵が描けない。できれば、1時半に終わって、すぐ戻って、絵を描きに行ければと思う。3時から描けば、描ける時間がある。1日は農作業の予定のつもりでいたが、箱根に描きに行きたい。申し訳ないが、その日しかない。

 もし描くことができれば、明日にでも、明後日にでも絵を追加をしたい。絵を描きたい気持ちは、相模原展をやってより高まっている。水彩人の仲間の絵の中には、すごく成長した人もいる。自分の絵を一歩でも前進させようと頑張っている人がたくさんいる。この刺激は凄い。

 仲間がいてよかった。自分の人間の未熟さがよくわかるのだ。世間的な目など関係なく、自分の世界に踏み込んでいる人がいる。会場に一日座っていて、絵は一人で描いて居るものではないと、あらためてわかった。特に、私絵画に進むものには絶対に必要なことだ。独自でなければならないが、独善にならないこと。1日の夕方には絵を追加させてもらいます。月曜展示になってしまうが。



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水彩人、相模原展

2024-06-26 04:26:58 | 水彩画




   

 水彩人展では6月27日午後から7月2日17時まで相模原で展覧会を行う。相模原の駅ビルの4階である。梅雨時ではありますが、駅から雨に濡れない場所なので、お近くの方はぜひ見にいらしてください。6月に描いた中盤全紙の作品2点を出品する。

 できるだけ会場には行くつもりですが、28日と30日は今のところ確実にゆきます。このブログのコメント欄から連絡をいただければ、会場にいるつもりです。本来であれば、きちっと案内はがきを皆さんに出せればいいのですが、なかなかそこまで手が回らないことになっている。

 少しでも時間があれば、絵を描きたい。いつも描きかけの絵があり、その絵の続きが早く描きたいという気分でいる。昔絵は描きたいときだけ描くべきものだと決めて、半年ぐらいまったく描かないで居るときがあった。今思えば何故描かないでいられたかと思う。

 絵を描くことを除けば、のぼたん農園の作業以外は、石垣にいるときは何もしていない。海に行くとか、散歩をするとか、どこかのレストランに食事に行くとか、三線を弾くとか、そいうことが全くない単調な繰返しの暮らしになっている。

 歳を取り新しいことや、外界に対して好奇心が持てなくなっているのかもしれない。そういえば、あんなに楽しみだったコンサートにもだいぶ行っていない。大体6時には寝てしまうのだから、夜の7時から始まるというものに出かけることは無理になった。

 今日は小田原に行く日だ。飛行機の中で、林芙美子の台湾紀行を読むのを楽しみにしている。明日は展覧会の準備、展示を27日の午前中に行う。初日は午後から開催になるので、ちょっと気をつけてもらいたい。私は展示が終わればすぐ行かなければならないところがありぬける。

 小田原では絵を描きたいと思っている。その時間も少しでも取りたい。出来れば雨のまだ新緑の箱根が描きたい。濡れた若葉の色が懐かしい気がしている。あんな木々の微妙な色合いは石垣島にはないのだ。石垣島の色彩を確認する意味でも、箱根を描いてみたい。

 自分が以前惹きつけられていた色に、石垣島の色になった自分が、どう反応するかに興味がある。篠窪に行って描ければそれでもいい。篠窪はたぶんもう夏の色だ。やはり、箱根に行くのが良いのだろう。箱根はまだ春が残っているはずだ。

 もう5年石垣で暮らしている。その前3年くらいは写生に来ていた。石垣の色になるのに、8年はかかったことになる。早いのか遅いのかはわからないが、2拠点生活はその意味では意味があったと思う。自分の立ち位置が、場を変えることで、行き来する都度に確認することができた。

 自分が何かを探しているのだから、絵に自然に無意識に表れているものが重要だと思っている。色彩はその一つだと思う。色彩に反応しているという自分がいる。そこにある意味を考えている。絵が絵空事にならないということだ。自分の真実に食い込んで描く。

 絵空事ととか。絵にも描けないとか。絵に描いた餅とか。絵というものを日本では真実を表すものとは考えないで、嘘とか空想とか理想像とかとつなげて考えてきた。そのきれいごとを拭い去り、どうやってありったけの自分内部を反映した絵が描けるかである。

 またそれが無理なことだとしても、自分というものに向かって、絵という画像を通して、探り続けるという行為が、生きる手ごたえを深めて行く行為になる。生まれてきたということは、生きることを十全に成し遂げることが最終目的である。そこまで行き着きたい一途だ。

 自分が生きるということを深めるために、絵を描くということが役立ちそうだということで、絵を描いている。目的は絵のようであるが、人間の方だ。それが私絵画であり、AI革命後の絵画だといいたい。実は相模原展でも、できれば絵を語る会をやりたいと考えている。その時話したいことを書いてみた。

 自分の絵を語ってくださいということになると、多くの人がどんな紙に、どんな技法で描いた、と絵の説明をしてくれる。あるいはどこをどんな風に描いた。そういうことを普通に説明を語る。なぜ自分がその絵を描いたかということを語れる人は少ない。

 結局の所、絵空事の絵を真似て描いている。誰かの絵をまねて描いているであり、自分の絵を描いているわけではないからだ。自分のスタイルを作ろうとしている人も多い。それは無理矢理作り出したやはり人まねのスタイルだ。

 自分と言う人間のスタイルを作り上げられるような人は、極めて少ない。そういう人が本当の絵描きなのだろう。私は残念ながらそういう所まで至っていない。スタイルを捜したことは無い。スタイルは産まれるもののはずだからだ。

 スタイルをあるかのように模している絵というものは、卑しい絵だと見える。商品絵画の世界はおおよそそれ風の絵とは言えないようなものだ。私絵画であれば、そんなグロテスクな絵を描くのは恥ずかしくて出来ない。絵を操作するようなことはやりたくない。

  

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217 水彩画 日曜展示

2024-06-23 04:21:21 | 水彩画
 217 水彩画 日曜展示






  506「海岸林」
 2024.6 中判全紙








 507「エビ養殖場跡」
 2024.6 中判全紙







 508「海」
 2024.6 中判全紙


 集中して描いたのだが、3点までだった。絵が出来上がるのに時間がかかるようになっている。何とか1日一枚と考えて描いているのだが、どうしても2日かかっている。それはそれで仕方がないことだが、少し悔しい気持ちもある。決めたことなのだからやりきりたい。

 色が強くなってきている。それも理由かも知れない。石垣の夏の色になってきたような気もするのだ。この強い色に反応していると、絵に時間がかかる。乾かして水彩絵の具を重ねると言うことになるからだ。油彩画で言えば、古典的なグラッシュ画法ということになる。グレーズとも言う。

 そもそもはフレスコ画や水彩画で使われていた画法だが、ルネッサンス絵画で油彩画でグラッシェ画法が完成された。ダビンチやフェルメールの作品でその技法が完成される。水彩画ではあまりグラッシュのことは言われない。当たり前の事だからかも知れない。水彩画では一つの色を表わすためには、重色しないと出せないと言うことが多い。
 
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「全国空き家対策コンソーシアム」

2024-06-19 04:17:00 | 水彩画

 山本丘人作「火山翳光」

 「全国空き家対策コンソーシアム」と言う組織があり、関係17団体で結成したものという。その業務は、相続、定期管理、りホーム、リノベーション、駐車場運用、空き家売却、解体、解体後の土地活用、土地の売却、と言うことらしい。是非成果を上げてほしいものだ。

 この組織がオンラインイベント「すまいの終活フェスティバル」開催をしたらしい。「住まいの終活」の選択肢について、「相続・リフォーム・活用・売却・解体・土地活用など、各分野の専門家が分かりやすく解説します。」「家じまい」に関するお悩みのある方は、ぜひお気軽にご参加ください!  とある。

 最近時々見るように成った「墓じまい」という言葉が気になっていたが、こんどは「家じまい」である。日本の家族制度が終わったと言うことだろう。先祖のお墓を終わりにする。これを出来る民族に日本人も成ったようだ。まあ悪い事ではないわけだが、今度は家を片付けることになったのだ。

 日本の家族制度は崩壊したと言うことになる。それで良かったわけだが、「家」に変るべきものを日本人は得たのだろうか。自分の人生は自分一人のものという、個人主義を確立して、家に縛られない日本人が登場したと言うことであれば、良い方角に進んでいると言える訳だが。

 日本人を縛り付けてきた、家の制度は人間の生き方を限定してきた。父の生き方を見ると、笹村という家を守るという気持ちがどこかにあった。生涯兄弟姉妹そして、親類のの暮らしの面倒まで見続けた。仕方がなくやったというより、それが生きがいだった。

 そんな自分を否定した名前を私に付けた。「出」である。笹村の家から出て欲しいと言う願いを込めて付けた名前だと言っていた。それだけ父は笹村の家に縛られていたと言うことなのだろう。父は自分の進みたかった柳田民俗学の道を家のために折ったという気持ちを生涯抱えていた。

 それくらい明治時代の人には家というものは個人を縛っていたと言える。日本人はカタツムリのように、家を引きずって生きてきた。私にはすでにそういう物はない。自分というものには縛られているわけだが、笹村家などと言うものはもう他人事である。と言っても、私がこうして安穏に暮らしていられるのは、父の御陰である事に変わりは無い。

 父は自分の兄の生涯どころか、兄の子供達の生涯まで、心配して手当てをして死んでいった。いつまでも、絵を描いて居る私に対して、それが続けられるようにと、考えてくれていた。またそういう将来を見通し、手立てをする能力の極めて高い人だった。

 その意味で、父は先祖のお墓も、家も子供が無事引き継げるようにして死んでいったことは間違いない。品川の海晏寺というお寺に笹村の家のお墓はある。父の祖父に当たる人が明治維新後、土佐から東京に出てきた。その人は歌人であり、一派をなしたらしい。

 死んだときに、海晏寺の当時の住職もお弟子の一人だったので、お弟子さん達がお墓を作ってくれたと聞いている。その墓は父が引き継いで、管理ししていた。そして、父が死んだときから私が引き継いだ。しかし、兄の方が適任だと思い、兄にお墓はお願いした。

 兄のところには子供が居るから、その墓はその子供の代までは一応管理されるのだろう。その後は墓じまいするのかも知れない。私の墓じまいは兄の子供に押しつけて終わったと言うことになる。では家じまいの方はどうだろうか。小田原の方の家は、Wさんにあげることにした。

 今贈与をしてしまえば、楽だとは言えるが、管理や税金も大変になる。それよりは死んで遺言で渡す形の方が良いのではないかと考えている。だから小田原の家の始末は一応はついている。では石垣の家はどうなるのだろうか。先ずは死ぬまで住んでいるつもりだ。

 老人向けに作った。緑内障が進んで、眼が見えなくなっても手探りで暮らせるような家にした。5年前に相談して作った老人向け住宅である。所が内の奥さんは京都の老人ホームに入りたいそうだ。ひとりで行けば良いだろうと言っている。そのつもりだそうだ。

 とすると私は一人でこの石垣の家で、死ぬまで暮らすと言うことになる。そのことは何の心配もしていない。動けなくなったら介護の人をお願いするつもりで居る。問題はボケたときだろうが、もうボケたのだからどうでも良いのだろう。家じまい所でない。

 家が放置されると周辺の資産価値が下がるそうだ。石垣の中心市街地である字石垣にも人の住んでいない家はそれなりにある。周辺に迷惑をかけないような形を考えている。笹村出水彩画展示室にすることである。それも考えて作った家なので、何とか展示室にはなるはずである。

 問題は管理を続けてくれる人である。そんな、水彩画に関心のある、石垣に移住してくる人を見付けられればありがたい。その人が私が死んだ後この家に住んで、展示室の管理もしてくれるというのが希望だ。その管理者が展示室の管理と、暮らして行ける手立ては残したいと考えている。

 私が出来るのはそこまでである。その先どうなるかは分らない。その頃には行政もまともになって、家じまいはお願いできるように成っていることを期待したい。脇田和さんは銀行にその業務をお願いしたそうだ。行政など信用できない、まだ銀行の方がましだろうと言うことだった。

 静岡県の小山に山本丘人美術館「夢呂土」というものがあるが、若いご夫婦が管理しながら、制作活動をされていた。文化勲章受章者で、魅力的な絵を描かれる人だった訳だが、山北町に住んでいた頃は卵の配達で、そばまで行っていたので、時々訪ねた。

 しかし、人が絵を見に来ている事は無かった。どうなるのだろうかと思っている。山本丘人の作品はむしろ芦ノ湖湖畔にある。箱根美術館に代表作が収蔵されている。あと100年ぐらいしたとき、この2つの美術館はどうなっているのだろうかと思う。

 話がそれたとも言えるが、むしろ本題に入ったつもりだ。住まいじまいをどうするかと言うことは、やはりどう生きるかと言うことに繋がっている。生きている今、どんな形で絵を描くかと言うことになる。空き家対策をするなら、今をどう生きるかの相談に乗らなければだめだろう。オンライン相談会でも今の生き方の相談はなかった。

 老人で終活だから、今どう生きるかなど関係ないと考えている節がある。だから、空き家が増えて行くのだ。老人が死んで行く、最も大切な時間をどう生きるかである。どう生きるのが老人の幸せなのか。この相談に乗らなければ、空き家が増えるのは当たり前の事だ。

 
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水彩画、見ることの意味

2024-06-18 04:09:23 | 水彩画

 1番田んぼの2回目のひこばえの稲刈り1週間目の様子。毎日田んぼの脇に椅子を置いて、観察している。あれこれやらなければならないことも見えてくるが、新しい発見もある。がっかりする発見も多いいが、これならばと言うこともある。観察がすべてである。

 人は見ることで外界を認識をする。見ることに判断を加えたときに、言葉になる。赤い花を見て、薔薇だというような言葉にして認識を自分のものにする。薔薇を確認すると言うことは、それを見ている自分というものを意識すると言うことになる。

 見ると言うことは、認識する始まりである。認識するとは、認識する主体である自分の存在を反映として認識していると言うことでもある。その見ると言うことを赤い薔薇だな。と言うような言葉化する前の状態というものがある。見て判断しない前の何か分らないものがある。その目に映った状態があるはずだ。

 目に映る状態を言葉で認識し判断する途端に、意味を生じる。その意味を伴わない映像を、絵に描こうとしている。のだと思う。それが多くの場合半具象画と言われている。ものに意味はあるのだが、意味を伴う前の状態でとらえる画像のあれこれを描くと言うことになる。

 何故そのようなややこしいことを通して、あえて絵で行うのかと言えば、結論から書けば、それが自己確認だからである。自分の原初的なところに到達出来るのでは無いかという確認および表現行為である。赤い薔薇と言葉化する認識をすることで、ものは一般化する。いわゆる薔薇という認識に標準化される。

 赤い薔薇を、赤い点として意味を取り去って目に映っている状態を探ろうとする。これが絵を描くと言うことの、私の行為なのだと思う。外界をそうした意味を伴わないものとしてみる訓練を繰り返すと、意味の伴う世界では、見えていなかったものが、意味を失うことで見え始めるものがある。

 それは絵を描くと言うことで、初めて触れることが出来る世界だと思う。赤い点として、描かれたものが、絵を見る人の多くは赤い薔薇なのではないかと意味を求める。絵を見る人の多くは薔薇としての説明を求める人も多い。花を描くなら、品種名まで分るように期待する人さえ居る。

 そういうボタニカルアートのような装飾絵が大半で、絵は美術品と考えているのだから、仕方がないこととは思う。私が描いているものは外界の説明ではないのだ。あえて言えば、自分の内部世界を説明をしているのだ。表現としての絵画とはそ言うもののはずだ。

 自分を突き詰めなければ居られないという病のようなものだろう。自分病である。自分とは何か。産まれてきた以上、このことを確認しなければ居られないという、強い欲求である。そんなものは生きることにいらないという人にしてみれば馬鹿馬鹿しいことだろうが、自分病という病なのだから仕方がない。

 道元禅師は正に自分病の人だ。日々生きて行く上で自己確認などどうでも良いという健全な人ではないのだ。生きている意味を確認しないではいられないという人も居るのだ。哲学者などと言う人はそれを言葉でやる人のことだろう。詩人もそうかも知れない。

 芸術家と言われる人は様々な方法でそれをやっているのだと思う。そして、その表現方法に、ぶつかり衝撃を受ける人も居る。何のことだと気にもとめない人も居る。それぞれの持っているものの違いなのだろう。あえて、教養の違いとは言わないでおく。

 絵は学ばなければ理解できない藝術分野のものだと思う。哲学が言葉に対しての前提条件を、言葉の意味の確定をしていなければ、理解できないことに似ている。言葉を違う意味でとらえていたのでは、またその言葉を厳密に認識できなければ、語られる哲学を認識することが出来ない。

 絵もただ見れば見れるものだが、見る側に見る能力がなければ見る事ができない。絵は感じれば良いというような、短絡的なことではやはり、絵の全貌には到底到達できない。絵は見て意味の解釈が出来なければ理解が出来ないものでもある。

 分るように説明して欲しいという人も居る。しかし、高等数学や難解な哲学を分るように言葉で説明することは、実は前提となる教養が共通で無ければ、出来ないことなのだ。絵も同じで、言葉では表現できない世界を描いているのだから、言葉で説明できると考えること自体に無理がある。

 では絵画は感性で感じるものと考えて良いかと言えば、それも違う。言葉化して説明してくれと言う方が十分ではないとしてもまだ誤解が少ない。感じて受け止める絵の見方では、感性の違う領域の絵画は「嫌い」というような間隔判断になるだけだ。

 絵は感性のものだから、感じれば良いというのは、さらに誤解を深める言い方になる。絵は意味を伴わないみるという状態のものだとすれば、感性も伴わないものでもある。美しいとか、感動したというようなことも、赤い薔薇だと言うような解釈と同じで、絵の本来的意味の部分を切り取った解釈になる。

 美しいという感性で感じたときに見失うものがある。何の前提もなく、平明にみるの出なければ、見えてこないものがある。人間は居間まで見てきた記憶に影響されて、ただ見ると言うことが難しいのだ。感性で絵は見ては半分しか見えない。意味で解釈しても半分しか絵は見えない。

 ここで初めて絵を描く上での見ると言うことが、以下にやっかいなことであるかは分って貰えるのではないかと思う。そんなややこしいことはどうでも良いと言うことになるのだろうが、このどうでも良いような面倒くさい話が、絵に於いて最も重要な発見なのだ。

 本来こういうややこしいことは、美術評論家というような人が行うべき事なのだと思うが、美術評論家が絵画芸術論をどこで語っているのかと思う。太鼓持ちのような、美術感想文はあるが、芸術論は読んだことがない。それは現代美術分野でも少しも変らない。

 金沢に行ったときに、21世紀美術館の図書室で、一日評論を捜したが、発見できなかった。私の探し方が悪いのかも知れない。どなたか美術評論をご存じの方がおられたら教えて貰いたいものだ。美学などと言う学問もあるわけだから、この行き詰まった時代における絵画の意味を考えている人は必ず居るはずだろう。

 
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216 水彩画 日曜展示

2024-06-16 04:01:15 | 水彩画
 216 水彩画 日曜展示







503「田んぼの実り」
2024.6 中判全紙







504「モクマオウの海岸林」
2024.6 中判全紙







505「のぼたん農園の夜明け」
2024.6 中判全紙


  今週は3枚だけだった。一日1枚が達成できない。描いていて入るのだが、少し時間がかかるようになっている。稲刈りが続いて居ると言うこともあるかも知れない。のぼたん農園に、来る人が多いので、話などしていて絵を描かないと言うことなのだと思う。

 それで別段良いと思っている。ゆんたくである。話をすることを大切だとする沖縄の文化だ。話をするのはおもしろい。実に楽しい事だ。学ぶことも多い。人間としての活力が湧いてくる。良い会話を楽しみたいと思っている。のぼたん農園が人の集まるユンタクの場所になれば嬉しい。

 絵はそういう所から産まれるのだと思う。人間が生き生きしていなければ、絵も死んでしまう。それでも何とか、一日1枚描きたいものだ。その気になれば描けないはずがない。丸一日描いて絵が出来なかった。どうしても二日ぐらいはかかった。何かが変ったのだろうか。どういうことかなと思う。

 
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215 水彩画 日曜展示

2024-06-09 04:44:38 | 水彩画
 215 水彩画 日曜展示





496「生まれた場所」
2024.6 12号






497「篠窪」
2024.6 中判全紙






498「舟原溜め池」
2024.6 中判全紙







499「三つ峠富士」
2024.6 中判全紙







500「根府川」
2024.6 中判全紙







501「木の花」
2024.6 10号







502「3色」
2024.6 10号



 小田原行きから、石垣に戻った週だった。稲刈りと田植えがあったのだから、どれだけ絵を描く時間があったのかと思うが、それなりに描いた。何とか描いたと言うより、描きたいので描いている。絵を描くのはおもしろい。

 よく描こうとか、絵にしようとか言うのは、ほとんど無くなってきた。絵を描くことになっているので、自動的に絵を描いているという感じがする。何年も繰り返している内に、習慣化したのだろう。

 この絵を描く時間が一番良い時間になってきた。これを1日でも長く続けようと思う。好きなことを好きなだけやれることが一番の幸せである。続けていれば、どこかに到達するだろうと思っている。今週1500枚を通過したことになる。

 



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214 水彩画 日曜展示

2024-06-02 04:25:25 | 水彩画
214 水彩画 日曜展示








491「関門橋」
2024.5








492「三津富士」
2024.5








493「のぼたん農園」
2024.5








494「舟原」
2024.5








495「カトレアラビアータ」
2024.5


 できることを広げて描いてみようと思い、やっては良くないと普段思っていることをやってみた。例えばえんぴつで描き始めるという事は悪いことだと考えている。鉛筆の下図を基にした塗り絵になる点が良くない。水彩絵の具の自由さを奪う。

 その自由を奪われる形で描いて見たらどうなんだろうと思い、あえてやってみた。カトレアの絵も物を写すというようなことは絵ではないというような絵をあえて描いてみた。絵になったのか絵にならないのか。そう思いながら描いてみた。

 関門橋の絵はこういう構図で関門橋を描いたことがあった。それをもう一度描いてみた。その時に絵にはならなかったのだが、今描いたらどうなるのかと思いながら描いてみた。絵を描くことは自由である。自分の枠を超えることだと思っている。



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213 水彩画 日曜展示

2024-05-26 04:08:59 | 水彩画
213 水彩画 日曜展示

 10号前後の作品です。






489「三津富士」
2024.5 








490「岬」
2024.5







486「渓谷」
2024.5









487「崖上の家」
2024.5







488「松本平の夜」
2024.5








489「岬」
2024.5









490「バンダセルレア」
 2024.5


 今週も稲刈りの準備をしながら絵を描いていた。石垣島は梅雨なので、雨が続いている。雨の中で絵を描いているが絵が少し重くなると言うことがあるかもしれない。目に映っている色が絵に出てくることがある気がする。濡れた色は美しい。

 濡れている世界は色彩を深めている。潤うことで色が味わいを深める。乾いていた時には表れて居なかった色まで、ものの表面に出てくることになる。乾いていなかったときには隠れていたものが表出する。森も畑も濡れることで、隠していた本当の姿を見せている。

 地面と空との関係が変る。雨も良いものだ。水というものは神と言われるはずだ。水は循環している。命を宿しながら、時間の旅をしている。この水の感覚になって絵を描きたいものだ。水で濡れたときにものは、その姿を見せることがある。



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212 水彩画 日曜展示

2024-05-19 04:21:56 | 水彩画
212 水彩画 日曜展示

10号前後です。





 483「紀伊半島の漁港」
2024.5






484「山の湖」
2024.5








485「紀伊半島の漁港」
2024.5








486「古木桜」
2024.5








487「伊豆高原」
2024.5







488「岬」
2024.5



 10号前後の作品を描いた。やはり、中判全紙より小さいので、絵が早くできる。何とか日々の一枚になった。のぼたん農園では稲刈りの時期だ。稲の状態が気になりながら、絵を描いていた。いつも絵は変化しているのだが、それでいいと思っている。

 古木桜は和紙に描いている。久しぶりに鉛筆でデッサンをした。と言って桜を見てデッサンをしたのでは無く、頭に湧いてくる昔描いた桜をもう一度描いた。頭の中の桜は自由で良い。見て描いたときには桜の花の方に気が取られたが、今度は花のことは忘れていた。

 紀伊半島の港も良く思い出す。又描きに行きたいと思うが、違うところになっている気がする。変ってしまったかも知れないし、私の頭の中で変っているのかも知れない。どちらでも良いが、頭の中の景色は心地が良い。現実よりもずっと居心地が良い。

 カメラも持っていなかったし、写真を撮るようになったのはブログを書くようになってからだ。ブログに写真を載せたくなって、カメラを買った。今なら、スマホで良いのだろうが、まだスマホというものがなかった。絵の写真も残すことになった。

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田んぼを描くこと

2024-05-18 04:21:56 | 水彩画


 田んぼを描いている。毎日田んぼをやっているくらい好きなのだから、田んぼが描きたくなるのは当然のことかもしれない。田んぼの様子を見続けているし、見とれても居る。目の底には田んぼの様子が焼き付いている。わずかな色の違いも栽培の上で気になっている。

 同じ葉の色でも、良い緑もあれば悪い緑もある。稲穂の黄金色にも、良い黄金色の輝きもあれば、悪い黄金色もある。言うに言われぬ微妙な感じなので絵にも描けない。葉色版という色見本があるが、あれはすべて元気のない死んだ色だ。生きた色でなければ良いお米はとれない。

 絵を描けば当然田んぼが表れてくる。田んぼは空間に描かれた図形であり、色になる。空間は様々な横を通る線が通っている。水平線であったり、地平線であったり、くうかんのおくゆきを示す線がある。そこを道路や田んぼや畑が区切って行く。そのように風景は構成されているとも言える。それはすべてが生きたものである。生命ある風景である。

 その生きている風景の骨格とも言えるものを発見して、画面の中で構成し直すのが、生きた絵を描くと言うことなのだと思う。それは難しい計算をすると言うようなことではなく、手が描いている内に、絵の中の構造がだんだんに発見されるというのが実際の所だと思う。

 描いていると何故かだんだんこのように成るはずだとか、こう出なければならないというようなことが見えてくる。その場その場のことで、絵を通してある一貫としたようなものでもない。ここに山の稜線が来る。それなら水平線はこの辺りだ。では雲はこうはいらなければと、別段理由もないのだが、徐々に場所が定まって行く。

 特には、いらないものは取り、必要なものを加え、試行錯誤を定まるまで続けて行く。こうして絵が産まれてくる。この取ったり付けたりが絵を描くということのようだ。その時にとって定まるのか、描き方を変えて収まるのかというようなことが出てくる。色を変えれば済むというようなことも多い。

 いずれにしても、何かをしたから解決するというようなことではない。何も考えないままに、反応だけを頼りに、収まるまで続けて行く。この収まると言うことは、実はどうして起こるのかが不思議なことが起こる。いつか、絵がピンと立ち上がってくる。それならこうすればよりピンとすると言うだけである。

 このピント立ち上がる感触は、絵に命が籠ったと言うことなのだ。絵が生き物になった感じである。葉色版の緑が死んだ色であるが、良い稲の葉色が生きた緑であるのとの違いのようなものだろう。田んぼから湧き出ている強い生命力は、わたしの目には印象的なものだ。この生命が絵に乗り移ったときに、絵はピンとする。

 だから絵ができたと言うより、何か安定を得たというような気がして終わる。最近ある意味「し上げる」というようなことがない。仕上げなければピンとする感じにならないと言うことがないだけだ。どうでもピンとすれば後のことはそれでいいと言うことになる。

 しかし、だんだん時間がかかり困ってる。なかなかピンとしないのだ。あれこれの試行錯誤が限りなく続く。何か生きているという違うものが、厳密化を要求している。結論が分っているから厳密化していると言うより、分らないことが多くて、切りがないと言うことの方が近いかもしれない。

 絵を描いている人なら似たような経験は誰にもあるのかも知れない。ないのかも知れないし、全く違うのかも知れない。ともかく次に進むことだけを期待している。何に向かっているのかと考えても、自分に向かっているとしか言えないのだ。だから方角はないに等しい。

 自分の世界観を絵にする。観ている世界の生命を、感じて、見て、絵の上で作り上げようと言うことをしている。世界の空間は無限で、広大であるから命が存在する。それを画面という小さな平面のなかに、模式図的に再構成しようとしているのだから、それは当然一筋縄ではいかない。

 そういうことではあるのだが、自分たるものの確立がないのだから、だめで曖昧な自分の世界観と言うことなのだろう。でっち上げてもしょうがないことだし、どれほどインチキでもインチキな自分であればそれはそれでしょうがないというようなことなのだろう。
 
 そのインチキの中に、偽物ではあるのだが、偽物を演じている私のような者が見え隠れしているような感じなのだ。これはこれで前よりは良いと思う。前の自分は、良さそうな自分を借りてきた他人の絵画から作っていたのだから、見栄えはいくらか良いがそんなものは、絵ではないと思いだした。

 ダメになって良かったというのも変なことだが、多分このだめをところをとんやることが、私絵画の道なのではないかと思っている。良いだけが絵ではないと言うこと。その覚悟だけは出来たのかも知れない。今日は絵が描けるのかは分らないが、ともかくアトリエカーで出掛けて、のぼたん農園で絵を描く。

 日々の一枚である。絵は大脳で描くものでは無い。小脳の反応で描くものだ。絵は考えてはだめなものだ。それなのに思想や哲学がなければならない。自分の人間全体が、絵を描くと言うことに反応して行かなければならない。反復運動の練習である。

 歩くことを忘れない。歩くことをしたことの無い人が歩けるようになるのは、大変なことだろう。それでも歩けるようになれば、いつの間にか考えないでも適切に歩くことが出来るようになる。その歩き方はその人間を表わしている。その人間が作り出した歩き方だからだ。

 歩き方講習会でナンバ歩きや忍者走りを覚えたとしても、忘れるまで歩かなければ、その人にとって良い歩きにはならない。こういうのがよい歩き方なのかと、考えながら歩いている内はあくまで学んだ歩き方で、その人らしい歩き方ではない。

 むしろ歩き方など学ばなかったときの方が、ずっとその人らしい歩き方をしていたはずだ。学んだことで自分なりに合理的な歩きだったものを崩して失ってしまったのだ。だから、ナンバ歩きを忘れるまで、歩き続けなければ自分の歩きにはならないのだ。

 学んだことを忘れるには、学んだ時間だけかかる。しかもはるかに忘れることの方が難しい。努力して身につけた良いと思う行いを失おうというのだ。まるでバカみたいな、無駄なような話しだ。所が、忘れかけてみると、何かまた自分と絵の上で遭遇できる。

 このたまたまの遭遇を頼りに、その方角に進むほかない。絵を描く航海には羅針盤もない。自分を捜して行く生き方にも羅針盤はない。その捜して行くこと自体を、道としてそれを良しとするほかないのだろう。そもそもその道には目的地すらない、達成できないような道らしい。
 
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