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原発事故は解明された。らしい。

2011-09-30 05:09:53 | Peace Cafe
昨日の枝野経産大臣の国会答弁によると、原発の事故は解明されているとのことだった。機械的な事故の実態が分かっているとしたら、それはどこにどのように公表されているのだろう。原発の炉心の状態が分かっていないものだと思っていた。津波で電源が切れて、制御不能になり、メルトダウンした。こういう程度のことが言われている。その程度は知っているが、そんなにシンプルなことなら、それが防げないということは、事故防止策などとられていなかったということになる。つまり、原発と言うものは事故は不可避なものであるということを、発言しているのか。被害者の一人として、いよいよ許しがたい気持ちになる。実態などまだ何も分かっていないのが、事実だ。津波が来る前に、すでに格納容器に穴が開いていたかもしれない。炉心の停止が地震の揺れの中、出来なかったかもしれない。色々な予測も出ていたが、そうではないという確信を枝野氏はどうやって得たのだろうか。

事故調査こそ、事故防止の為には重要である。すべてを包み隠さず、国際社会に公表すると、野田総理は国連で約束をした。すでに、解明されていると、枝野氏が国会答弁をするのであれば、即刻、国際的に公表する義務があるだろう。そういう明確なことがされたとは、世界中が思っていない。第一に、事故の収束が年内と公言した。メルトダウンした核燃料を年内に取り出すということなど、できる訳がない。一体どういう状態を、事故の収束と考えているのだろうか。いよいよ、原発事故の対応の不自然さが目立ってきた。このような、政府のあいまいな態度では、事故の解明すらできないで終わるだろう。そして、又神話作りが始まる。世界一安全な原発なので、もう心配はいりません。再開しても大丈夫です。どうせ周辺自治体に、お金をばらまき黙らせるだけだ。税金だから垂れ流しのままで心配なし。お金がもらえるなら、安全など、目をつぶっていれば済む。ほとぼりが冷めるまでの辛抱。
 
東電は加害者のくせに、被害者に対して、賠償申請書を押し付けている。とんでもない話だ。被害者が自分のやり方で請求すればいい。どんなやり方だっていい。口頭だってかまわない。当たり前の社会常識である。政府もさすがに東電のやり方がおかしいと、指導している。しかし、東電は政府の意見等全く無視して、勝手な賠償請求申請書を押し付けている。裏では、すべて政府と調整済みのことだろう。東電は原発を推進してきた時と、何ら態度を変えていない。あらゆる自己正当化をして、頭だけは下げながら、一見謙虚に見せながら、実は何も聞こうとしない。政府もそれを指導できないのは、弱みがあるからだ。それだけの癒着の構造がまだ残っているからだ。日に日にこの国への希望が薄れて行く。遠のいてゆく。何故これほど愚かなのだろう。お金に脳みそが歪められてしまっている。

問題は金権原理主義を受け入れている国民である。玄海原発建設を周辺住民の3分の2が賛成なのだそうだ。これが日本の民主主義の絶望的現状である。枝野氏や、野田氏が強気になる訳だ。粘っていれば国民等金でどうにでもなる。確かにそう思わざる得ない選挙結果である。有権者の選択が命より金ということなのだろう。その金一番の価値観が、世界を終わりにするようである。自分達の通ずる価値観の仲間に逃げ込む以外ないようだ。社会を変えようとか、日本をどうしようとか考えると、絶望的になる。今は時を待つ。自分達の価値観を温め、育てる。時節を待つ。必ず崩壊する。崩壊した時が再生の機会だろう。それまでは、耐えて耐えて、自分達の思想を温めておくことだ。そういう日は、遠くなさそうだ。

昨日の自給作業:草刈り2時間 累計時間:17時間
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小田原有機の里づくり協議会総会

2011-09-29 04:37:54 | あしがら農の会
今年は有機の里づくり協議会の総会が昨日になって開かられた。総会でいいと思うのだが、「事業報告会」が正式名である。開催すべき3月4月5月がそれどころでなかったということである。今年は今になっても台風15号の影響があって、小田原の農業は次々に大変である。この後果樹が忙しくなれば、開けなくなるので、ギリギリの判断であった。農政課の職員が腕が居たくなるほど、倒れた木の整理に飛び回っている。その合間を縫ってである。放射能については、情報の扱いの困難さと言うことがあって、行政との連携が今一つ上手くゆかない。災害地の支援を事務局長が継続していることもあると思われるのだが、会全体での動きは、出来ないで来た。事務局長の交代と言うことにもなったはずなのだが、そう言えばその話は昨日は出なかった。小田原の農業の未来に、有機農業が役に立つ時は必ず来る。そうした思いで集まった4団体である。必ず、動き出す時が来ると思う。

現状での停滞は政府の仕分けで有機農業モデルタウンが無くなってしまったことが、影響している。この予算の枠組みで、この会は出発した。別段、補助金が貰いたいということでなく、有機農業を推進するという、政府の方針が重要なのだと思う。この法律は、超党派の議員連盟が推進して出来たはずである。民主党であれ、自民党であれ、その他の党であれ、有機農業の推進では一致していたはずだ。それをモデルタウンを作り進めようと言うことだったはずだ。ところが、どういう理由か分からないが、これが断ち切られてしまった。あしがら農の会としては、有機農業技術の集約と言うことを目指した。大豆づくりや稲作で、それなりの技術の実績を作っている。他団体に置いてはキウイやみかんでも高い有機農業技術が確立されている。これらを整理して、農業の新しい方向として、提案して行きたいと考えた。農業に置いては、地域に密着したやり方こそ重要であるし、説得力がある。

農の会では補助金は無くなったが、今年もデーターを取りながら、大豆と田んぼを続けている。また、有機のお茶づくり、小麦栽培も、継続されている。補助金をもらう事業としては、堆肥の実証圃を行っている。我々だけが動くのであれば、補助金などいらないのだが、データーや分析にはどうしても費用が居る。費用があれば、より深い説得力のある検証が出来る。何故堆肥を選んでいるかと言えば、有機農業のカギは循環だと考えている。地域の中でうまく回ることが、地域の資源を生かすということになる。地域の循環の中に農業が入って行かなければ、農業の存在意義が薄れて行く。循環の輪に入らず、生産物だけは地産地消では受け入れられない。「生ごみを農地に入れる。」このことだけが先行すると、「農地はごみ箱じゃない。」こういうことになる。1000年先の農地の保全を考えながら、農業が地域の循環の輪に入る。その為には、正確で客観的なデーターの蓄積である。

この地域の農家が有機農業を始められる、栽培案内を作りたいと思っている。有機のお米を作れば、学校給食で高く買ってくれる。こういう循環が出来れば、地域の環境保全や、食育が繋がってくる。昨日は参加されていた、Y市会議員が村井弦斎と言う、小田原や平塚に暮らした人の話をされた。食育という言葉を作った人だということである。名前はイベントの方で聞いたことがあった。どんな人なのかまでは気にしていなかった。「庭内広さ二万余坪、野菜園あり、温室あり、鶏舎には数百羽の鶏三々五々群れを成し、兎は柵に飼われ、羊と牛は牧草茂れる所を優遊す、芝生の上かぜも無くして冬の日の暖かさ、その日光に浴せん」鶏に白米を与えたり、玄米食に切り替えて研究した。自然物しか食べず、昆虫食もしていたらしい。大いに興味がわいてきた。話はそれてしまったが面白い材料である。行政では12日に成田の選果場で「営農支援センター」を始めるそうだ。有機の里でも連携を取ることになった。
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13回水彩人展開催

2011-09-28 05:51:22 | 水彩画




13回水彩人展が今日から始まる。川崎の「アートガーデンかわさき」川崎駅前タワーリパーク3階。昨日は、一日かけて展示と互評会を行った。水彩人展はこのところ東京都美術館で開催していたのだが、建て替えに近い改装中ということで、長期閉館のため川崎のギャラリーで開催することにした。初めての会場で展示も戸惑ったのだが、丸一日展示日に当ててじっくり展示した。どうだろうか、良い会場になったか少し心配である。上の写真が展示途中の状態である。下の写真が3点の私の絵を飾ったところである。この絵については、見ていただくしかない。

以前も書いたことだが、震災以降眼に映るものすべてが、色褪せて見えるようになった。満開の桜すら面白くもおかしくもなかった。今も、震災前のように景色を見ることは出来ない。いままで景色を見ていた目が、どれほど甘いものであったかを思い知らされた。麦が一面実っていても、素晴らしいとは見えなかった。すっかり放射能を浴びてしまったという、衝撃だけが浮かんだ。それでもその麦を刈らなければならない。畑の除染をしなければならない。放射能は目に見えると言う訳ではないが、畑は以前のようには見えない。本来なら、この放射能に汚されてしまった畑を見ている今の状態に、以前から気付いていなければならなかった。いかにおめでたい目をしていたことかと思うと、情けない。何を描いていたのか、自分の浅はかさに愕然とする。

今でも絵を描く気持ちがある訳ではなかった。今回、水彩人展があるため、絵を無理に描いた。こういうことは初めてであった。月光を描いた。月光なら何とか絵に出来るような気持になったからだ。小田原の海が、月に輝いていた。あの光景が鎮魂に見えた。海が怖ろしくて、見る気にもなれなかったのだが、月が真っ白に海に広がり、儀式を行っているようである。人間の馬鹿げた行為を飲み込んでいる。全く無機的に、無感情に、人間のことなど一切なく海は月に白く反射をしている。これなら描けるかもわからないと思って、描いてみた。絵にするとか、良いものにするとか、自分とか、そういうものでなく、ありのままの月に光る海を描いてみた。

仲間の批評では、絵作りをしているということだった。ある意味すべてをゆだねて描くとしても、身に付いた絵作りの技術のようなものは変わらなくある。これも何か情けないことである。絵を学んで少しでも良くしたいとかいう前向きなものはない。記録しておこうというようなことだ。今目に写っているものを、駄目でも残しておこう。美しいということは自分の意識の事であった。薄皮を剥ぐようにと言うが、果たして回復するというようなことなのか、むしろ本当の状態に気付かされたのか。いつも、わくわくするよう田んぼの実りすら、他所事のように見える。豪雨や台風にも耐えようと頑張ってくれている、稲に申し訳ない気持ちである。絵画であるとか、絵を描いているとか、そういうことを離れて、自分なりに見えているものを記録しておこうということしかない。
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戻れないことの怖さ

2011-09-27 05:01:41 | Peace Cafe
廃棄物において、処理困難物が一番処理費用がかかる。まして処理不可能な原子力廃棄物は、無限大の費用を見なければならない。元に戻れないものを作ってしまう程怖いことは無い。原発と言うものが、今までの文化とまるで違っていたのは、戻ることが出来ない一方向のものだということだ。一旦作り出してしまった核廃棄物と言うものは、元に戻す事が出来ない。無害化する方法がない。何万年という時間をかけて、核廃棄物は管理を続けなければならない。あの原子力エネルギーが、いまだ安価、安定的なエネルギーであると発言する人がいるが、腹の底に悪意を持っているとしか考えられない。何か未来に対して深い恨みでも抱いていて、手に負えない困難を次世代に残してやろうとでも、考えている可能性がある。反省の出来ない人間。原子炉の解体処分だけを考えてみても、どれほどの費用が今後必要であるか。処理できないのだから、予算だって立てようがない位膨大になるだろう。

日本の多くの企業は、すでに常軌を逸している。日本の将来うんぬんも、なにもかもあったものではない。とりあえず会社が生き残るためには、毒までくらえという心境なのではないか。本音としては原発うんぬんではない。電気料金でもない。日本の企業はすでに行き詰っていたのだ。世界との競争に敗れかかっていた。世界全体が深刻な末期的な状況に陥っていた。原因の根底にあるものは人間力の低下。原発対応のでたらめを見れば、企業の組織運営だけがまともな訳が無い。それが、今度の大震災と原発事故である。一切の責任に転嫁しようと企業家はしている。電力会社も、経団連も、保安院も、佐賀県知事も、原発のやらせチームだったことが、はっきりとした。困難な放射能廃物処理は、何も展望のないまま残されている。

一方向のものは利用してはならない。排捨処理方法が分かるまで封印しなければならない。すでにその意味で、やりたくても原子力は不可能な状況にまで来ていた。アメリカやフランスは相変わらず、原発でやってゆこうとしている。競争に勝つことだけが目的の資本主義経済のもとでは、原発の当面有利さに目が奪われる。後から来る処理費までは見ていない。しかし、石油に依存している国が石油が枯渇した状況は、悲惨だろう。原発に依存しているということは、そう遠くない未来に行き詰まるということである。ウラン資源が枯渇するということもあるし、廃棄物の処理費用が重荷に成って経済に表れて来るはずだ。転換が遅れた国こそ、経済困難が待っているはずだ。アメリカ時代が終わるのは、原発が原因に成るかもしれない。中国など今原子力依存を強めているが、あの高速鉄道の事故処理を見ると、危険度は高い。

ごみが人類を滅ぼすということは、こういうことだった。失敗に向かい合うことはできないものだ。この先、原子力の後始末にどれほどの費用がかさむのか、日本経済の長い間の重荷に成るだろう。我々世代はその恩恵を受けた責任があるが、次世代にしてみれば、処理不可能な汚染物質をただ押し付けられるだけである。戦後世代の悪行は長く日本史に残ることだろう。せめて、再出発の方向付けである。戻れないものには、利益優先で踏み込まない、文化度である。循環して行く社会に移行する必要がある。気が付いた今から始めることである。資本主義経済の消費拡大の、宣伝に乗せられた暮らしから、身を引くことである。節電の暮らし方の方が理にかなっている。身の丈の暮らしをする清々とした気分。昔の人なら後生が悪いというところである。

今日の自給作業:草刈り1時間 累計時間:15時間
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堆肥の研究

2011-09-26 03:08:14 | 自給

堆肥の実証実験を行っている。現在までの経過をまとめておく。

2009年にお借りした1反分の畑である。それまではみかん畑が慣行農法で行われていた。30年位のみかんと思われる。みかんを伐採、抜根して、畑にした。みかんの時代は、ナギナタガヤノ叢生栽培を行っていた。その為、除草剤は使われていなかった。みかんは良く管理されていた。

初年度の2009年から10年にかけては、いくらか野菜畑を行った。何度かトラクターで全体を耕運した。野菜は良く出来なかった。土は石が多くそれを取り除き続けた。西側に部分的に石が多く、赤土のままのところがある。雑草の生育も悪い。

2010年11月11日冬小麦を栽培する。収量は300キロ程度。全体ではとてもムラガある状態であった。この時は、鶏糞たい肥を400キロほど投入した。倒れる所と充実した所実らない所などあった。
2011年6月に小麦を刈り取りとる。小麦は藁を含めすべて持ち出した。

6月末トラクタ―で全体を耕す。小麦の栽培のおかげか、土の色が少し黒くなってきた様子であった。
7月中旬に草が茂り、刈払機で草刈り。ナギナタガヤはだいぶ減ってきた。
8月22日再度草刈りをハンマーモアーで2度目を行う。
8月29日再度トラクタ―で耕す。この時に1メートル幅で12メートル、10本の畝を作る。
9月6日トラクタ―で耕運し、7種20パターンの堆肥を撒き、再度2度耕運する。
9月24日トラックタ―で、播種機で種まきが出来るように、丁寧に耕運し直す。
9月25日みなみ小松菜を2dmlを播種機で播種。土に藁が混ざり、播種機が安定して作動しない。

準備した7種類の堆肥
1、報徳小生ごみ堆肥 電動の回転式乾燥機で1週間生ごみを乾燥したものを、2ヶ月間置いてあったものです。
2、樹木堆肥 剪定チップを3年間やまずみにして堆肥化したものです。
3、落ち葉藁堆肥 踏み込み温床に使い、一年間ネカしたものです。落ち葉、米ぬか、藁、を材料にしています。
4、トンプン堆肥、発酵床養豚場の床をもちだし、3ヶ月積み上げた物。
5、鶏糞堆肥、発酵床養鶏場の床を持ち出し、3ヶ月積み上げてあった物。
6、段ボール堆肥 家庭の生ごみを2ヶ月、段ボールで発酵させてから、2ヶ月置いてあったもの。
7、二見すこやかファーム 小田原で食品廃棄物で肥料を作っている会社の製品。一晩で大きなドラムの中で製造する。

同時並行的にポットによる試験を行う。入手しやすい、笹村農鶏園の床を持ち出したまま使う。
5種類を3反復である。

以下分析値である。東京農大後藤先生にお願いする。
小田原笹村出農の会堆肥分析表
(現物あたり)
試料 水分 N C C/N P2O5 K2O CaO MgO Na2O
(%) (%) (%)
①樹木 73.7 0.52 10.6 20.2 0.32 0.09 1.29 0.26 0.02
②落ち葉ワラ 67.0 0.74 7.94 10.7 0.49 0.27 0.78 0.57 0.05
③生ごみ 12.7 2.80 40.7 14.6 0.88 1.61 4.49 0.23 0.65
④ダンボール 61.1 1.10 12.0 10.9 1.29 1.61 4.19 0.68 0.16
⑤健やかファーム 14.2 1.94 43.5 22.5 2.42 1.39 0.27 0.77 0.57
⑥豚プン 49.2 1.49 18.8 12.7 1.09 1.18 1.46 0.66 1.09
⑦鶏フン 32.2 3.56 25.8 7.26 1.93 1.41 3.83 0.81 1.89
NC:NCコーダー
他:硝酸分解-ICP
東京農業大学 土壌学研究室


南の列5メートル1、報徳小7,5キロ 2、樹木7,5キロ 3、落ち葉藁7,5キロ 4、とんプン7,5キロ 5、鶏糞25キロ 6、段ボール堆肥7,5キロ 7、二見7,5キロ 8、鶏糞7,5キロ 9、鶏糞10キロ 10、鶏糞15キロ
北の列5メートル1、鶏糞25キロ 2、鶏糞15キロ 3、鶏糞10キロ 4、鶏糞7,5キロ 5、二見7,5キロ 6、段ボール堆肥7,5キロ 7、トンプン7,5キロ 8、落ち葉藁7,5キロ 9、樹木7,5キロ 10、報徳小7,5キロ
南北の列の間に1メートルの無施肥がある。
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お米へのセシューム移行

2011-09-25 04:21:18 | 稲作
二本松市のお米から500ベクレルの放射性セシウムが検出された。初めてのことである。この水田の土壌の放射性物質濃度は、3000ベクレルだった。これにはちょっと驚いた。山あいの棚田で、山のわき水を使っていた。棚田は祖父の代から耕作してきた。専門家からは、土でなく砂が多い田んぼのため高い値が出た可能性がある、と説明されたという。ほかの同市産のコメ18検体は、いずれも基準を下回った。放射能の植物への移行は、単純には考えられないようだ。土壌放射能の量は重要な要素であるが、むしろ土壌の状態である。この特殊な田んぼを徹底調査をしてほしい。土壌の細かな性質の分析を行うべきである。栽培の経過も、できる限り聞き取りをしてもらいたい。必ず来年の放射能対応に役立つ情報が詰まっている。

以下、稲作の仲間のメール便からである。 ここで考えられるのが、土壌の粘土粒子による吸着だ。プラスイオンであるカリウムイオンやセシウムイオンは、表面がマイナスに帯電している粘土鉱物に吸着される。これが土壌中の自由水に溶け出してきて、根に吸われるわけだが、セシウムの吸着はカリウムよりもかなり強いようで、特に黒雲母に強く結合するという。この結合が想像以上に強く、容易に溶け出してこないと考えると、福島県の農産物、特に事故以降に植えられたもので、ほとんどセシウムが検出されないという事実が理解できる。また、粘土質土壌が広範囲に分布する福島県よりも、有機質土壌の宮城南部(白石市)のコメのほうに多量のセシウムを吸収していること。有機質土壌では多量のセシウムを吸い上げるヒマワリが、福島ではほとんど吸収しないのも、これで説明できる。これはじぷしい農園 東山広幸氏の考えである。とても参考になるので、転記させてもらった。いくつかの観点が考えられる。まず、土壌の性質の中の何が放射能の移行に、どのように影響しているか。次に、土壌の成分だけでなく、過去および今年の耕作の方法に特徴はないのか。さらに、土壌ミネラルの結合の状態の違いが放射能に影響するのかどうか。


農水省の調査では、9月21日時点での予備調査では722地点でのお米のセシュウム測定を行っている。646地点で不検出。74地点で100ベクレル以下。福島県の2地点で200ベクレル以下。となっている。同時に収穫後の玄米の本調査では、1957地点のを測定。1935地点で不検出。21地点で100ベクレル以下。宮城県の1地点で200ベクレル以下。23日に成って、上記のように二本松の田んぼで、初めて500ベクレルを越えるお米がでた。このお米は特殊な事例と考えた方が良い。二本松で他に高く出ている農産物が、菜種。栗だろうか。福島県の市町村別の作物の放射能測定値が詳しく掲載されている。これをじっくりと見て行くと、傾向が見えてくる。土壌では高い値が出ているが、お米には移行しない田んぼもあるはずである。そうした田んぼの特徴から、来年の対策が見えてくる。

大半の作物が不検出に成っている。中には、8,5という表示もあるから、不検出は5以下なのかもしれない。かなり精度の高いものと考えていいだろう。国の検査が客観的で信頼できるとしての事だが。南相馬市や川内村等でも大半のものが不検出に成っている。高い可能性があると言われていたサトイモなどでも不検出である。こうして見て来ると、チェルノブイリとの土壌の違いが考えられる。東北の土は関東平野とはかなり違う。北アルプスのような山が風化してなだらかになった古い地層らしい。砂岩・粘板岩と花崗岩類等が露出している個所が、よくみられる。土壌の中のミネラルがかなりあるのではないだろうか。、大谷石や白河石が風化したような白っぽい土壌のところがたくさんある。当然水田はそうしたものが長い間に、流れ込みながら粘土分を貯めているのではないだろうか。素人考えでは、意味がない。早く専門家の調査をしてもらいたい。

昨日の自給作業:果樹の下に亀戸大根、江戸小松菜播種1時間 累計時間:14時間
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パナソニックの街づくり

2011-09-24 05:13:02 | 地域
藤沢でパナソニックの住宅地開発がおこなわれている。言ってみれば、オール電化の街づくりである。22日、「おだわらエコカープロジェクト」第2回勉強会「藤沢SSTプロジェクト」が開かれた。パナホームの考える、環境型の住宅地開発がどんなものか興味があったので、話を聞きに行った。要するに、オール電化住宅の戸建団地のようなものだ。今のタイミングで売り出せば、付加価値が付いて売れそうな気がする。しかし、オール電化住宅が変だと思っている内に、節電である。肝心のところが欠落していた。それが一地域になった時にどういう状態であるかを考えておきたい。そもそも、松下電器の工場が海外に移転して行き、国内の工場を閉鎖する。それで、工場の跡地をどうするかということになる。藤沢市からも跡地の利用には色々要望があり、その協議の結果このプランになったと言う。今、久野でもJTの工場跡地が何に利用されるのか、気になる所である。小田原市では要望を出しているのだろうか。

説明が外国語で分かったような分からないような話だった。たぶんああいう新しい言葉を理解している人が対象なのだろう。こんな調子である。「コミュニティ・プラットフォーム 各種サービスを利用するためのアプリケーションをワンストップで提供するポータル/端末 - SEGと連携したエネルギーの見える化 - 自宅のリビングでのプッシュ型情報配信 (タイムセールや予約管理等) - (将来的には)SEGを核に家の機器をつなげてデータ活用、各種サービスと連携 上記以外に、ファイナンス、アセットマネジメント、クラブサービスを検討」要するに、蓄電池や太陽光パネルのある住宅のようだ。それ以上については、どういう仕組みなのか分からなかった。この藤沢の住宅開発をモデルにして、アジア全域で、こうした街づくりを行うということらしい。なるほど商売の神様の末裔である、外国に売るなら、外国語が多い訳である。見せていただいたDVDもジャパニーズバージョンであった。

「Fujisawaサスティナブルタウン・スマートタウン構想」名前にもある。日本語にすれば、永続性のある街づくり。言葉の持つ意味からすれば、自給自足の街づくりである。食糧の自給や廃棄物の処理まで、どのように地域社会の中で組み込んでゆくか。この観点がなければならない。19ヘクタールの土地である。例えば、ここで出る剪定枝と生ごみで堆肥を作り、各戸の庭や街路樹で使う。パナソニックだから、電動生ごみ処理機を入れる位考えているかと思った。結局出口の方に考えが行かない所が、サスティナブルではない。この程度のもので、永続性がある街づくりとは到底思えない。食品でも商売になるのは、本物に近い、が安上がりである、まがい物。有機農産物は商売にはならないが、減農薬は商売になる。

永続性のある街づくりは小田原ならできる。これは商売にはならないが、小田原の街づくりは本物を目指すべきだ。江戸時代の暮らしである。汚かったり、臭かったりする暮らしである。小田原で一番利用されていないのが、山である。里山は暮らしを支えてくれる。4,278ヘクタール山林がある。各家庭に0,57haくらいの屋敷林があるということになる。これを金次郎のように担いでくれば、エネルギーの自給が出来る。この材で家だって立つ。農地にしてみても各家庭に畑が0,17ヘクタールくらいはある。これを足柄平野と言う地域で見れば、食糧自給が可能になる面積が潜在的にはある。この基盤を有効に使うことが小田原の街づくりの構想になる。課題は土地をめぐる法律と既得権である。既得権的利益誘導の発想である。全体が良くならなければ一人も良くなれない。この理念に小田原は立てるなら、理想の地域が出現する。

今日の自給作業:果樹畑に大根、菜花直播 1時間 累計時間:13時間
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増税賛成

2011-09-23 04:33:21 | Peace Cafe
政府税調が16日にまとめた選択肢は、所得税の納税額の一定割合を上乗せする定率増税で10年間で7.5兆円、法人減税の3年間凍結で2.4兆円の財源を捻出することが柱。これに10年間のたばこ増税を加えれば1.7兆円の財源となり、その分だけ所得税の増税幅を引き下げられるという案も挙げた。

復興増税が言われているが賛成である。一般の納税者が反対というのは、分からないでもないが、企業国外に出て行くから反対というのは全く、おかしな話だと思う。この国難に置いて日本国よりも企業利益を重んずるということは、どの道いざという時に役に立たない企業である。資本と言うものが、利益を優先して人間の社会と言うものに配慮がないなら、そもそもその企業の理念と言うものはどこにあるのかである。利益を得ることを理念としているような企業は、どういった場面に置いても、企業と社会との利益が共通であるとき以外には、存在意義がない。ライブドアー事件が象徴である。むしろこの機会に国外に出てもらえれば幸いと言える。確かに増税は苦しい選択であるが、今回の大震災と原発の崩壊は特別な事態である。第2次世界大戦の敗戦に等しい、困難な状況である。あらゆる日本人が力を併せて、できる限りのことをするのが当然のことである。

またそれは、大震災を日本再生の出発点になることでもある。日本人の全精力を注ぐべきである。野田総理に期待するところ大である。復興国債を出す事も賛成である。ともかくお金がなければ、東北の再生も、福島の再生もない。放射能汚染からの脱出は、何十年と続く事になるだろう。「福島の再生なくして、日本の再生なし。」野田氏の発言の通りである。その野田氏は消費税の増税を除外した。これは間違いだ。増税については、決めた以上可能な限り多様に行うべきだ。消費税から基本的食品は除外しなければならない。医薬品、水道、電気なども同じである。生活に最低限度必要な物は消費税から除外する。たばこ税をさらに上げることなど当然である。所得税、法人税も同様である。例外なく増税を行い、この国の構造的な変革を目指す機会にする。大きく言えば自給自足的な国家を目指すことである。

食糧の自給を出来る国を、第一目標にする。TPP加盟は行わない。これほどアメリカが加盟を要求すること自体おかしいと考えなければならない。対等な条約であり、アメリカにも不利益があるものなら、アメリカは加盟の要求をこれほどひつこく行わない。もしアメリカと自由貿易交渉を行うなら、正面から2国間で協議を続ければいいのだ。アメリカは現在日本と同様に経済的苦境にある。アメリカの場合、その経済のバブル的肥大化が、日本の比ではない。アメリカ人の暮らしかたがこれ以上継続する訳がない。アメリカと言う国のあり方は、世界の普通の国家にとってはなはだ迷惑な、軍事大国で脆弱国家なのだ。アメリカが必ず世界1であるような、幻影を追い求める以上必ず破綻する。歴史の常である。それは急速に近づいている感がある。日本がアメリカ依存を続けることは、危険なのだ。その点、鳩山氏のアジア経済圏構想は正しい選択であった。

野田氏は松下政経塾の出身である以上、アメリカ依存の継続であろう。ここに日本の危機を感じる。確かに、中国や、アジア各国は未成熟で、アメリカより粗雑で、野蛮な粗さが目立つ。しかし、日本がその一員となって、各国の利害を調整しながら、アジア経済圏を模索する以外、日本の未来はない考えざる得ない。しかし、これはあくまで日本と言う国が、自立した国家として立った上での話である。増税したとして、問題は税の使い方である。また、原子力発電所に使うのでは間違っている。野田氏は議論もなく、国連で安全性に向かうことを強調していた。それでは失敗した安全神話と大した違いはない。もし、原発で行く方針なら、ごまかしなく国会で議論してからだ。何故、国会の施政方針演説の段階と、国連演説では、だいぶトーンが変わってきている。要注意。
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15号台風通過

2011-09-22 06:41:19 | 地域


舟原田んぼの様子


久野川和留沢橋付近5時30分

強い風と雨が、21日13時から18時まで続いた。降り始めからの雨量で300ミリを越えた。これは、足柄平野平野部の倍以上の量である。最近の傾向として、山際の舟原は雨風が、気象庁の測定地点の倍くらいは激しい。
舟原集落付近では目立った被害はないかったようだ。山の方で、目通り70センチのエノキが倒れていた。これは途中で切られ朽ち始めていた木である。

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健全な世論

2011-09-22 04:38:36 | Peace Cafe
鉢呂吉雄前経済産業相の「放射能うつす」発言からの辞任。日本の世論が健全さを失っている。不安だ。これはマスメディアまで、ネット的になってきたことが影響しているのではないか。思想や健全な社会を作るための批判精神を失って居る。マスコミ報道が、まるでストーカーのようだ。突然はまりこむように、世論がヒステリックに盛り上がる。鉢呂氏の辞任スト―リを思い返すとと、政治がこの罠に絡め取られることも簡単であろう。危険領域。自分の目で物を見、考える報道が減少している。引っ掛かる情報が出ると、一斉に横並びになり叩く。このストーカー的反応を計算づくで操作する人間が出現する事が怖い。ダイオキシンが絶対権力になった時に、溶融炉の推進を政府経済界は行った。市民の健康を守ると言う正義の御旗を掲げ、ごみ処理広域化が進んで来た。補助金と賄賂である。当時ダイオキシン問題で、少しぐらい出ても大丈夫等と意見を出すと、袋叩き状態であった。今放射能がそうした状態である。

あまのじゃくだから、逆を考えてみる。いつの間にか、一部の人たちは4ベクレルだって危ないという気持ちにまで来ている。「年齢条件を付けて、63の私は100ベクレル程度は食べる。」などと言う考えはマトモトには受け取られない。「福島の子供たちを見殺しにするのか。」と言うことになる。この点ではその通りで、私は福島の子供たちに、何も出来ていない。どうしたらいいのかと今も思う。それでも、私は100ベクレルなら喜んで食べる。やるべきことは原発をやめさせるということ。次の事故を起こさないということだ。それは、原発を海外に輸出するなどと言う事も止めさせるということだ。原発をやめさせるには、日本の拝金主義を変えなければだめだ。その為には新しい暮らし方を提案する。それが『地場・旬・自給』である。楽しく暮らしを続けることが、役割だと思っている。暮らしを変えない限り、原発から離れられない。溶融炉から離れられない。

何をやればいいのか。段ボールコンポストである。段ボールコンポストを全員が行う社会になれば、原発はいらなくなる。随分遠回りな考え方だが、遠回りしか社会は変えられない。段ボールコンポストは継続が難しい。理屈や理想論を述べ立てる人の多くは続かない。続かないのが普通だから仕方がないので批判はしない。段ボールコンポストすらできないで、原発の廃止を主張しても社会は変わらない、と考えている。自分の生ごみの処理すら、自分で出来ないでおいて、自分に迷惑をかける放射能だけ、責めるのでは説得力がないと思う。そのように、一人でもやれることはある。あるのに出来ないのが人間である。この駄目さを認めたうえで、それではどうするのかと、同じ地平で考えるべきだ。他人には絶対を求め、自分はやるべきことが出来ない。そういう社会であるという状況を踏まえ、どうするかではないだろうか。

ストーカー社会は自らを省みない匿名社会だ。自らを省みなければ、何でも言える。鉢呂氏の死の町発言は、現地を見てきた、普通の感想である。大臣としては言い方に配慮は足りないかもしれないが、辞任しなければならないようなことではない。失言をあげつらい、追い落とす社会。厭らしい社会である。何か密告者が隠れている社会に似ている。政治家にお願いしているのは、大きな日本の社会の方角を、議論してもらうことだ。原発をどうするべきかを真剣に議論してもらいたい。この重要な所を曖昧なまま、強い力になびいてゆく社会は良くない。それが世論と言われるものであれ、財界の圧力と言うものであれ、同じことである。自分にやれることはやる。やれないことがあるのも認める。その上で、どのあたりが妥当なのか、良い加減の方角を見定める。
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窓辺

2011-09-21 04:04:46 | 水彩画


今ブログを書いている場所からの眺めである。朝顔の日よけがある。最近の言い方ではグリンカーテン。2本の朝顔を植えてある。一夏中こんな調子で窓を覆っていた。良いものである。朝顔の内側には、網戸がある。窓からの風が抜ければ、何とか暑い日中でもしのぐことが出来た。毎朝、5,6輪は咲いている。氷のような色をした、涼しい色の朝顔である。そろそろ種になってきているので、たくさん種を取って来年は苗を作ろうと思う。金沢に居た頃からの友人のアサヒさんは街中に朝顔が咲いたらばいいだろうと、ふと想像した。朝顔の種を、街中に蒔いて歩いた。町が楽しくなると考えたのだ。アサヒさんは本物の芸術家だ。それから35年経って、金沢の現代美術館に大きな朝顔の壁を芸術作品として作っていた。日比野教授の発案ではなかったか。朝顔と言ってもヘブンリーブルーと言うものだった。あれはちょっと否だ。傲慢な匂いがする。そこはかないさっぱりとしたところがない。ブルーの色の濃さだけが特異で、肌に合わない。ようするに生活のない帰化的芸術。

机の上の一番良い木陰は、猫の寝場所が2つ並んでいる。さすがに日中は寝ていたのは見ない。左にある塔のような不思議なものは、猫の遊ぶ台である。写真にはないが、その左側の下で雷田が暑い暑いと言ってひっくり返っている。来年の夏までには、犬の為の涼しい部屋を作らないと、耐えきれないだろう。福ちゃんも暑がりで、最近やっと息をついたという状況である。ドンチャンも首輪が擦れた所から膿んでしまって、やっと治ってきた所だ。犬には最近の暑さは耐えきれるものではない。冷房を犬にだけ入れてやるのもどうかと思うが、どこかに夏の家があって、生き物を引き連れて移動できればいいのだが、来年の夏までには考えないと犬の命が危ない。

窓辺からの風景を描いた画家かいる。イタリアの画家モランディー。20世紀前半の重要な画家。おもに静物画を描いた。そして窓からの眺めを少し描いた。モランディーは静かな絵を描いている。印象派は外光から来る、まばゆい色彩を重要に考えて、野外で絵を書くようになった。野外の光は思索的なモランディーには合わなかったのだろう。ほとんどの作品が静物画なのだが、それはあまり興味がない。作り過ぎである。作りものはやはり面白くない。興味を引くのはどうにもならない所をどうするか。この軋轢と言うか、混乱や当惑を含んだところに引きつけられる。窓からの風景はいい。私は岸田劉生を思い出す。似ている訳ではないのだが、絵に精神がこもっている。

そんなことを思ったのは、月光がこの窓辺から射していたからだ。色はなく、形が浮き上がっている。無いと思っていた色が、わずかに反映して見える。仲秋の美しい月である。日本の風景と言うことを考える。風景は水土であり、日本人の生き方の反映である。この窓から見える眺めも現代日本である。日本人は風景を、何のためらいもなく壊している。経済の為なら、風景に目が行かない。江戸時代の日本は日本人を反映した、立派な風景を持っていた。あの鎮守の森は残そう、それならば、あそこの道は右に迂回した方がよかろう。それならあの畑はどうしても田んぼでないといけない。家はあの辺が良い。そうして地域の風景を作り上げる、素晴らしい水土の仕組みと知恵が存在した。風景は伝統文化である。月光を描くには、野外で描く訳には行かない。窓辺から光を消して、じっと眺めていて、その記憶をもとに描いている。もうすぐ、13回水彩人展である。
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祝の島

2011-09-20 04:16:36 | Peace Cafe
秦野の丹沢美術館で「祝の島」という映画を見た。上関原発建設反対の映画である。1982年に計画発表以来反対を続けてきた人たちを描いた映画である。上関と4キロで向かい合う祝島の人々の暮らしが丁寧に描かれている。漁師の暮らしはある意味実に豊かで地域に根を張っている。この島の魚が築地にまで出荷されるそうだ。海の恩恵。その豊かな美しい海を埋め立てて、工場を作り続けてきた瀬戸内海。30年反対に生きざる得なかった不運。しかし良くも、頑張ってくれたという有難さで、涙が溢れて来る。先日100万人署名が政府に提出された。山口県知事も、光市市長も、このままでは埋め立て許可は出来ないという方向が出てきている。今さら新しい原発を作るなどとんでもない話だ。油断せず、建設中止まで追い込まなければならない。

山口県上関町は、瀬戸内海周防灘に浮かぶ周囲12km、面積7.昭和30年代には、人口3000人を超える現在では、人口512人(2009年4月現在)となり、その70%が65歳以上という深刻な高齢化、過疎化の問題を抱えている。 弱い所に迫ってくる原発の魔の手。

自給自足的に生きる島でも、とくに田んぼを作ったおじいさんの話は興味深い。平萬次さんというおじいさんの祖父、亀次郎さんが生涯を掛けて作ったという田んぼ。高さ8メートルが2段ある切り立った石垣。その石垣の石は大きいものは人の背丈はある。5畝ぐらいの広さだろうか。田んぼがあれば、お米があれば、生きていける。こう言って田んぼを作ったそうだ。その孫である萬次おじいさんが現在でも耕作を続けている。2枚ある田んぼの下の段だけを現在は耕作している。監督の意図として未来に続くと言うことで、最後に種まきが写されているのだが、果たしてあと何年この田んぼに水がはられるのだろう。そのおじいさんが止めるとその田んぼは原生林に戻る。孫のお前がやればそれでいいのだと、そのように田んぼを作ったおじいさんが言ってくれていたと言う。父母がこのお米で生き。自分が育ち、自分の子供が、そして孫までもが育った。それで良い。田んぼを作った亀次郎おじいさんは字が書けなかったそうだ。和歌を詠む。その詠んだ和歌を萬次おじいさんがその石垣に刻んでいる。

映画の後、少し語り合いの席があった。食品の放射能汚染の話が出た。その中でもドイツの放射線防御協会の4ベクレルの基準の話が出た。放射能に対する意識は深刻化していることを感じた。様々な組織がリスクを唱える。いずれさしたる根拠も、確証もない。しかし、もっともらしくドイツとか、4ベクレルと出てくれば、全く不信用な日本政府よりは信じたくなる。私は、食品に関しては100ベクレル以下のものなら喜んでいただく。根拠はない。どうせ政府も根拠はないし、ドイツ放射線防御協会もない。しかし、どこかで決めなければ自分が安心できない、日々不安な気持ちで食べると言うことは、とても良くない。4ベクレルと決める人は決めればいい。たぶんそう決めたら、日本を離れる以外安心はないだろう。不安の中で生きると言うことはいいことではない。映画の上映した人が。福島では放射能で子供が死んでいる。参加者から子供たちが鼻血が止まらない。こういう発言があった。放射能と決めつけるのは、間違いである。福島から子供は出た方が良い、大変な状況だとは思う。しかし、この映画を前にしてこの発言は残念だった。

原生林に戻る悲しさ。自然と言うものと人間のかかわり。青が島がそうなのだが、島は江戸時代が人口が多い。自給自足で暮らす時に、島は暮らしやすい。すでに、島全体の耕作地が、原生林に覆われてきている。しかし又、必ず耕作が始まる時は来ると確信する。それは案外に近いのかもしれない。身の丈に合った暮らしを忘れていたかもしれないと、島の漁師のおじいさんが語っている。身の丈の暮らしに戻りたいと思う。そう思い始めている人は現れ始めている。この映画は本当のしかし普通の人間の暮らしを撮っている。30年反対運動と言う、とんでもない不運の中にありながら、自然とともに豊かな心を育んでいる人たち。どんな状況でも、活路を見出し頑張るというメッセージを感じた。
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「エネルギーの自給を考えよう」5

2011-09-19 04:03:44 | Peace Cafe
電力が始末のわるいのは貯めにくい所だ。一年の2時間位のピークと言われる最大使用量の為に、施設の規模を合わせて作ることは、もったいない設備投資である。確かに人口増加時代であれば、いずれ電力消費全体が増えて行くのだから、設備の拡大は不可避だった。ところが、人口は減少が始まっている。電力消費も節電が徹底され、発電量自体が縮小して行く社会を目指さなくてはならない。実はこのところに営利企業の矛盾があり、原子力などに手を出す事になったと考える。資本と言うものの、利潤へ動く姿である。今までは、独占の東電の言いなりで、どうやって消費を拡大させるかが画策されてきた。電気は無駄遣いがされなければ消費が伸びない商品なのだ。これからは、消費の抑制が焦点になるだろう。良い方向に社会が変わろうとしている。そこで、原子力の悪夢が冷めないうちに、これからの時代の電力の形を固めて行く必要がある。

2つの方向がある。一つは使用電力をどうやって、ピークを抑え平均化するかである。もう一つは、自然エネルギーへの転換である。ピークを抑えるためには、料金制度である。昼間の1時から5時位を倍くらいの価格にする。倍で駄目なら、3倍にする。この時間は電気の買い取り価格も、倍にする。同時に夜間電力は半額にする。高くなれば、可能な産業用電力の方では、必ず安い時間にシフトして行く。倍でシフトできないなら、3倍にする。曜日で変えるのも良い。土用日曜日が電力は余るようだから、この日を安くする。今冬の電力需要が言われているが、それが本当なら、暖房は冷房より簡単である。電気暖房でなく、チップボイラーによる地域暖房を始める。電力価格を政策的要素を強くすべきだ。自然エネルギーへの転換は、エネルギーの地域自給を模索する必要がある。電気も地域の自給自足資源にした方が良い。送電経費や、ロスを考え、身近な見える形による地元企業による電気の生産。マイクロ発電の開発。個人の自給自足エネルギーには価格的な制約は低くなる。

自然エネルギーの自給にも普及には2方向ある、一つは電力買い取り制度を電力全体の中で、公平に広げる手法。もう一つが法的制限の解除。買い取り制度は、安定的に高くして行くほど、普及が進む。その時、公平に自然エネルギーに取り組める条件の提示が必要である。誰れもが太陽光をやりたいと言っても出来ない。この不公平をどう解消するか。例えばやりたい人がいたなら、公民館の屋根などを貸したらどうか。つまり、公共が病院の屋上など、場所を公平に準備する。そこに投資を誰もが出来るようにする。その投資が買い取り価格が高くなることと連動していれば、自然エネルギー発電所に投資することが公平に出来る。もちろん自分の屋根に設置したい人には、無利子の融資を行う。それは小水力や、風力でも同じような仕組みを作れば、自然エネルギーの地域自給が可能になる。買い取り価格を上げることで、新しい産業を創出する。電力会社の独占既得権を、終わらせる。

農業もそうなのだが、独占的既得権益をいかに守るかが、日本政府の政策の姿勢だ。民主党になればいくらかは変わるかと考えていたが、一向にこの点は変わらなかった。それは、法的に制約され守られているものもあれば、意識として守って来たものもある。自然エネルギーの開発を阻害している法律は変えなければならない。独占の解消である。もう一つの意識改革こそ、自給エネルギーの出発点になるだろう。技術革新が目覚ましい所が、蓄電技術である。家庭で利用できる範囲に数年先にはなるだろう。そうなれば、ピーク電力の解決も可能になる。又自然エネルギーの地域自給も、一気にとハードルが下がる。現状行うべきは、まず小田原の自然エネルギー資源の調査である。

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市と市民の協働について

2011-09-18 04:34:18 | 地域
市と市民の協働を考えてみる。協働という言葉が、協力し合って働くという意味であるから、両者が力を出し合うと普通は考える。行政の言う市民協働は、地域の市民自身が自助努力をして行く姿を期待しているのである。市民自身が担うべき役割を見直すことが、市民協働社会。何でも行政頼みを止めなければ、市の財政が成り立たない。軌道に乗るまでは市民の社会活動を、行政は手助けし活発化する。ある程度軌道に乗れば、市の手から離れ市民自身の自立した活動になる。市民は協働とい言葉から、自分達の活動を行政がやっと手助けしてくれる事になったと考えてしまう。この掛け違いが、小田原では顕著になっている。目指すべき協働は、難しいのであるが、「行政の公共として信頼される良さと、市民ならではの地域密着の活動力が、協働することで、何倍もの有効な仕事が出来ること」ではないか。

小田原に来て10年の間に、5つの市と協働する事業を行ってきた。1つ目は、「あしがら農の会」である。これは市民が農的な暮らしを行いたいという活動がすでに存在していて、そこに行政が乗ってきた形であった。小田原市が農業特区を作り、その構想に協力して欲しいという依頼があった。農の会としては利用させてもらった。2つ目は「メダカ協議会」酒匂川流域の自然環境を守るために、何とか道路構想をやめさせようと動いたものである。結局は道路が出来たが、何とかメダカの生息地域を残すという形を目指している。3つ目が「小田原有機の里づくり協議会」市内の4つの農業団体が、国の有機農業モデルタウンの構想に合わせて、市に対し要請をし、協議会の設立を行ったものである。4つ目が「美しい久野里地里山協議会」これは県が里地里山条例を作る構想に合わせて、指定地域を作るということで、小田原市に呼び掛けがあり動きだしたものである。

そして、5つ目が「生ごみクラブ」である。4つの前例を踏まえ、より本質的な協働の理想を模索している。しかし、活動を深めることを通して、いくつかの点で行政と意識の違いが表面化してきた。この問題点を、正しく考えてみることは重要。市民はどのような立脚点で、何をするかである。その活動が暮らしに直結し、市と言う社会と意味深く繋がっていなければならない。農の会で言えば、市民が農業をする。それは市民自身の暮らしの為である。そのことが、耕作放棄地の解消と言う社会性につながる。メダカ協議会で言えば、メダカ米の販売が農家の営農意欲を増し、田んぼの維持につながる。有機の里では有機農業と言うこれからの小田原の農業の可能性の模索である。里地里山の協議会で言えば、この地域の林業農業の活性化である。すべては改めて仕事を作るのではなく、地域で暮らす人を後押しすることになる。

「生ごみクラブ」では段ボールコンポストを普及することで、10%の市民が生ごみを堆肥として循環することを体験する。暮らしの見直し。そのことが市の財政の健全化にもつながる。1家族が生ごみを出さなければ、市にとっては1万円の経費削減になる。と考えてきた。確かに、この経費削減努力は一定の規模にならなければ見えてこない側面もあるが、ごみが減れば、大なり小なり、処理費が削減されるのは、事実である。農林漁業はもちろんのこと、地域で暮らすということの魅力を再評価して行く必要がある。それは経済のグローバル化で、地域と言うものが崩壊してきているからだ。小田原の魅力ある資源、その芽を見つけ育んでゆくことが、市行政と市民の協働だと思う。財政の節約や、仕事を市民にゆだねると言うことではない。段ボールコンポストは誰でも取り組める。暮らしが循環しているという点の気づきになる。そのことが地域と言うものを見直す出発になる。生ごみを減らしてゆく、と言うことは直結しては、市の財政の利益でもある。

昨日の自給作業:苗の定植、キャベツ、白菜 1時間 累計時間:12時間
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カリウム危険説登場

2011-09-17 04:22:56 | 環境関連
Yさんと言う方が、肥料に存在するカリウムが放射能を含んでいて、危険であるという説を言われているらしい。そして、その抗議が生ごみクラブにも来た。「段ボールコンポストの堆肥には、カリウムがあるだろう。カリウムには放射能がある。そんな放射能を集めるようなことをしてはならない。」ということのようだ。放射能を畏れる気持ちがここまで来た。放射能がいくら、しきい値がないからと言っても、ここまでエスカレートすると少々行き過ぎである。放射能についてのにわか勉強家がごそっと現れた。そうした人が、ネットに不確かな不安情報を流す。カリウムには放射能があるということが出ていたらしい。だから即危険だ。カリウムを含んだ食べ物など、放射能でとんでもない。こういう意見まで出て来る。放射能の不安が非科学的な情報を広げる。カリウムがなければ、生き物は生きることが出来ない。特に植物には3栄養素の一つである。これを食べてはならないと言うなら、是非やってみたらいい。直ちに健康を害するだろう。

農の会では放射能の測定に様々なものを出して来た。報告書には放射性カリウムの存在が記載されている。最初はその意味が良く分からなかった。土壌分析であるまいし、窒素、リン酸、カリと言うはずがない。それでカリウムについて調べた。初めて知ることが色々あった。カリウムはむしろ不足しないように、食生活で気をつけるはずの物質であった。ヒジキなど海草を食べる良さである。江戸時代の畑では、海草を相当畑に入れたらしい。日本の土壌は通常カリ不足が指摘される。だから、カリウムを補う為に何を入れて行くかは、一つの課題であった。草木灰、鶏糞。それがいつの間にか、カリウムが放射能を出すから、カリウムを含んだい堆肥を入れるのはおかしい。こういう説を主張する人が現れた。窒素、リン、カリウム、カルシウム、酸素、水素、炭素、マグネシウム、イオウ、鉄、マンガン、ホウ素、亜鉛、モリブデン、銅、塩素。以上の元素は必須元素と呼ばれる。これら16の元素はそのうち一つでも欠けると植物体の生長しない。高校生の時に、ピンクフォックスフェカメグと言って覚えた。

海老名の牛乳でセシュウムが3,7ベクレル検出された。これを問題にして居る記事を見かける。わずかでも出れば、放射能が危ないで戦々恐々としている。3,7ベクレルの意味が把握されないまま、放射能の危険で思考停止状態。小田原で暮らしてゆく以上、受け入れるしかないことである。原子爆弾の実験が繰り返し行われた50年代60年代に成長した人間として、間違いなく微量の放射能を食べ続け育った。だから大丈夫ではない。それでガンになり死んだ者もいるだろう。しかし、この世に生きると言うことは、そういうことなのだ。リスクは減らさなければならない。しかし、減らせないリスクは受け入れるしかない。そして一旦受け入れたら、有難くいただくことだ。不安のまま牛乳を飲むことは身体に悪いし、母牛に対して失礼なことだ。

放射能の不安は、どうも生きる不安に見えてきた。現代の行き詰まった社会への不安が、放射能と言う具体的な事物に集約されてゆく。問題は放射能だけではないようだ。自分がどのように生きるかが、問われている。私自身で言えばここまで来て、目標にする自己に少しでも近づけたか。今までの生き方のどこが間違っていたのか。まだ間に合うのか。私が良い絵としてきたものは、この転換期に意味があるものだったのか。外部的な障害のない場所で、自己の目標に近づいてゆけるならば、それはその方がいい。結局は青い鳥である。今暮らしている、問題多きこの場所で踏ん張り、少しでも良くして行く。私はそうあろうと少しづつ思い始めている。小田原の玄米は放射能不検出であった。と言ってもセシューム40ベクレル以下を不検出としている。カリウムの放射能を問題にする人まで居る状況である。3,7でも問題ありとする人も無数に居る。この曖昧な放射能測定は、止むえない処置なのかもしれない。
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