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地場・旬・自給

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田んぼの風の唄 をつくる。

2019-09-22 04:17:57 | 楽器


「かかしになれるかな」

田んぼに風が吹き抜けている
土を起こす。汗に風に飛ばされる。
風になる。田んぼになる。かかしになれるかな。
チョウチョが肩に止まる。
雲は飛んでゆく
黙っているとそれでもいいという気になる。

田植えの足が泥に捕まる。
深すぎた田んぼ、浅すぎた田んぼ
風になる。田んぼになる。かかしになれるかな。
深い土はまだ冷たい。
植えた苗にもう涙が
今年の草はどんなものだろうか。

あぜ道のクローバーが足をぬらす。
白い花が踏んでもいいと言っている。
風になる。田んぼになる。かかしになれるかな。
せぎに泳ぐヤマメ
せぎに空が流れる
歌が歌いたくなり、そっとうたってみる。

稲穂の波に飲み込まれる。
そっと触ってみる。稲穂の重さ。
風になる。田んぼになる。かかしになれるかな。
田んぼから帰る夕日
明日も天気になりそうだ
息を吸うと稲穂の匂いがした

切り株にはひこばえが出た。
霜柱が立つ。レンゲが凍えている。
風になる。田んぼになる。かかしになる。
田んぼでうまれて、田んぼに帰る
種をまけば、芽は出る、
米が実るのは自然ということのようだ


「あしがら畝取り唄」

5俵までは捨てておけ
6俵の当たり前は苗作り
7俵取るのは、草取り、草取り
8俵望むは、土作り
9俵超えるは追肥、補肥
10俵決めるはコロガシばかり、
10俵上は、お天道様










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八重山民謡、金城弘美さん

2019-08-26 03:51:50 | 楽器

 石垣にはゆう暮れコンサートというものがある。街角で音楽を楽しもうというものだ。以前桃林寺境内で行われたコンサートを、旅行に来て聴かせていただいた。こんなコンサートが行われる町に住みたいと思ったことも、引っ越してくるきっかけになった。

 八重山民謡は音楽性が素晴らしいとともに、地域文化として優れている。音楽性が高いと言うことは、西洋音楽的な意味の人間哲学が深いと言うことがある。バッハのような深い思想がある音楽と同等な八重山の哲学を感じる。

 八重山民謡の奥ゆかしいというところがいい。抑制された、深さを感じる。つらい苦しい生活の奥にある人間の生命賛歌を唄うにしている。人を責めるより日々の楽しさの中に宗教姓とでも言うような無限を喜びとして唄う。

 それは唄い方にも表れている。音の高さはそれぞれの人の持ち味でかまわない。低い声の人は低音で、より高音で唄いたい人も居てかまわない。その人がしゃべるように唄うことが、良いのだといわれる。

 その点津軽民謡などと対極にあるものでは無いだろうか。津軽民謡は人をあっと言わせないとならないらしい。津軽三味線には過去に無い新しさが求められるという。人が出せないような、息の長さや、高い音程などが求められる。八重山民謡は本筋に入るほど、普通のものになってゆくすごさなのだ。それをオンフールがあると言うらしいが、まだ意味がつかめない。

 唄を聴くとは、その人の人となりを聞くものなのであろう。大工哲弘さんという素晴らしい唄者がいる。現代八重山民謡の頂点に立たれる方だ。この人が唄うと「沖縄を返せ」さえ感動を呼ぶ唄になると言われる。何を唄おうとも、大工さんの人間の方が先に来るのだ。

 金城弘美さんという方のコンサートを初めて聴いた。女性の方でこれほどの唄者は初めてである。何を唄おうともどこまでも金城さんなのだ。これはありそうで滅多に無い。多分「沖縄を返せ」を唄ったとしても感動してしまうだろう。それくらい人間が出ている。

 自然に唄う。しゃべるように唄うと言うことである。人の話し声は、一番にその人が出てくるものなのだ。よくラジオの方が、テレビより人間が分かると言われる。人間の声というものは、かなりのものまでさらけ出してしまうのだ。

 ところが、西洋音楽であれば、その人であるよりも音楽の理想に近づくと言うことが求められるのでは無いだろうか。バッハがすごいのであって、演奏家はバッハのすごさを表現している。作曲家の意図に近づくように歌うと言うことでは無いか。場合によってはっ自分と言う個性も抑えるのでは無いか。

 八重山民謡ではその人の唄い方で良いというトゥーラバーマのような唄まであるのだ。しゃべるように唄う事ができるためには、実はその下地として、徹底した基本というものがあるのだと思う。

 金城さんは17歳で八重山古典民謡最優秀賞受賞。平成12年度とぅばら~ま大会最優秀賞受賞。こういう方は滅多に居ない逸材である。基本が完全にできている人だ。その上で、もう一段抜けたのだ。それが普通に唄う世界だったのでは無いか。

 八重山高校でビギンの人たちや大島さんなどと同級のようだ。この前後にはすごい人たちが続出した。そしてその後に素晴らしい唄者が続いて行くことになる。

 何故その人であることがそれほど大切であるかと言えば、八重山民謡は人間の表現だからだ。作者を超え、八重山にくらす人の唄になっている。原初的な声というものを通して、その人の何かを伝える手段として、現代に生きている。全く希有な音楽なのだと思う。

 絵画が表現としての力を失い始めている中で、絵画の意味が、作者自身にあるという原点に戻っている。それは作者が見ている世界が表現されることだと考えている。そのためには徹底した技術が必要である。技術的な積み重ねが必要である。そして、その技術にとどまること無く、それを超えて、じぶんである素朴な世界に踏み出す必要があると考えている。

 誰でも描けるような手法で、身近な手法で、ありのままの自分が現れるように描くこと。誰もが塗れるような色で、誰もが引けるような線に戻ってゆく。八重山民謡の世界は私絵画の意味を再確認させてくれるものでもある。

 金城さんは、涙を流しながら、声を詰まらせて唄った唄があった。95歳になるオジーが亡くなったのだそうだ。突然唄の中にそのことが出現した。ああそれでもいいのだと思った。上手く唄えないことで伝わることがある。

 トゥーラバーマを唄われた。あまりの情感に陶酔した。すごいものである。この唄には掛け合いのような合いの手が入る。金城さんが会場に誰か唄うように誘うと、会場から男の声で合いの手が入る。これがまたいい。こんなことができるのは石垣ならではであろう。

 夕暮れコンサートは65回を数えるという。はじめて市民会館の中庭で行われた。ガジュマルの木の下で唄われた。夕風がここち良くガジュマルをゆらしていた。椅子は持ってきてよ。と言うコンサートである。石垣島で暮らす幸せを感じる夕暮れであった。



 

 
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石垣島野外音楽フェスティバル「リバーブ・フェスト」

2019-07-24 04:59:12 | 楽器


 石垣島で若い人たちを含めた野外音楽フェスティバルがあった。400人が集まった。よく分からないままに、石垣の音楽は面白そうなので出かけてみた。舟倉の里の野外ステージである。

 このフェスティバルはクラウドファンディングでお金を集めて、開催されたものである。このあたりの事情は会場では全く分からなかった。142万円が集まったそうだ。12回目だそうだが、3年ぶりらしい。舟倉の野外ステージでやったのは初めてのことらしい。表示がないので、主催者も運営も分からなかった。

 舟倉というのは、石垣の料理を食べさせるお店だ。古民家が8軒集められている。海岸まですぐの場所である。大きな古民家が舟倉だったと言うことだろう。ソーキそばも美味しいが、高い。それで私の八重山そばベスト3には入っていない。

 野外だから雨と晴天両方が怖かったことだろう。幸い最適の曇り日であった。入場券は3000円だった。全体の作りが学園祭的であったが、その手作り感の良さの方が上手く出ていた。野村組が設営したと何度も司会者が紹介していたのは、ボランティア的な仕事だと言うことだろうか。希望を言えば、全体が分かるような説明がどこかに欲しかった。いろいろ分かったのは家に戻って調べてからだ。

 出演者は12組。プロと高校生が、入り交じって出てくる。このことすら分からなかった。今思えば高校生が面白かった。荒削りではあるが、個性はむしろ強い。プロという人たちはいかにもという意味で上手であるが当たり前であった。今時の高校生とは到底思えない、破天荒なところが良かった。こういうやり方にすれば、プロと言われる人がよほどでなければ、高校生に負けるものかもしれない。

 高校一年生の4人組のロックバンドはド迫力だった。声もでかいし、完全に異次元に入り込んでいる。音楽が心に迫りくる。すべてオリジナル曲で、パフォーマンスした。中でも畑のロックは良かった。オクラ一本30円、10本なら200円。こんなことを叫ぶのだ。何か人ごとではなこれがロックだ。こんな歌を叫べる16歳の感性が素晴らしい。

 石垣島には健全な音楽文化がある。都会でプロになるなどくだらないと考えた方はどうでもいいだろう。良いものはどこに居ようが良いものだ。表現の方法はいくらでも広がる時代である。じいさんのロックンローラーが音楽業界に囲い込まれているよりも、遙かに健全だ。音楽は商業主義を超えなければ面白くない。プロの女性ラッパーの移住者を力説する姿は私には自戒になった。プロって自称しても人間はあんなもんだ。結局人間を聞きに行くのだ。

 会場の隅の方にちょこなんと座って、ビギンの比嘉栄昇さんがいた。反対正面に居たので、気づいた。みんなの態度が全く気づいていないと言う態度であったのがいい。気づいているのだが、石垣的気の使い方である。これが石垣島の良さである。

 吉本興業から来たという司会者が、夏川りみさんの唄と言って「涙そうそう」を紹介していた。作曲した比嘉さんの前で無神経ではないか。と思ったが、夏川りみさんも高校の先輩だからまあいいか。

 涙そうそうを唄った高校二年生の4人組の歌のうまさには驚いた。しゃべるように唄うと言うことが身についている。これができそうでできないものなのだ。その人自身の唄であること以外に大事なことはない。高校生がしゃべるままに唄えると言うことは、天賦の才なのか、八重山民謡をやっているのだろうか。

 石垣に戻り、毎日唄うようにしている。「月桃」を自分のものにしたいと思っている。いまがやっと歌詞を覚えたぐらいのところである。2ヶ月唄ってそんなものだ。しゃべるままに唄えるようになりたいと努力している。努力はしているが、上手く唄うの方が強くなる。

 三線はまだ良い音で鳴らせない。月桃の間奏に三線で弾きたい。三線の音だけで伝わるように引きたいと努力しているが、ほど遠い。力が入りすぎるのか、左手の小指が痛くなる。

 伝えたいのは平和の空気である。月桃の唄で言えば、「ふるさとのなつ」で平和への想いを表現すると言うことになる。月桃の花が、世界である。人間の悲しい愚かさを唄う。

 でん田楽団の唄「平和のキキュウ」も練習している。もう一息である。赤松さんの自然な歌い方をまねているのだが。なかなかできない。赤松さんが詩を書いたら歌を作ってくれるというので、田んぼの唄を作詞している。これもなかなかできない。
 
 
 
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でん田楽団の唄ができた。

2019-07-15 04:59:56 | 楽器
  でん田楽団の唄ができた。赤松さんが作詞作曲したものだ。素晴らしい唄なので嬉しくなる。毎日唄ってなんとか唄えるようにはなってきたところである。

 昨日はハルノキでミュージックパーティーを行った。楽しい日になった。歌の喜びは素晴らしい。しかも、自分たちの楽団の唄をお披露目できるという事が最高の喜びである。


平和のキキュウ」 作詞、作曲 アカチャン
 
1,こんなに ささやかな  よろこびがあればいい
 あなたと 私が居て   仲間の笑い顔
 土と水とおひさまと    風と青い空と
 ほかに 何がいるの?  何もいらないはずさ
 
 鳴らせ 三線 ギター  タイコ ハモニカのしらべ
 南の島から吹く     風のうたごえ
 今日は 私達が     あなたのために唄う
 でん田楽団は      平和を希求する
 
2,春は 花咲く丘で   小さな絵を描こう
 夏は 波にゆられ   星空を見上げよう
 秋は おなかいっぱい みのりに感謝して
 冬は たき火を囲み  仲間と盛り上がる
 
 たとえ 雨が強くても  やがて虹は出るはずさ
 そして 又春が来て    ひとつ歳をとった
 私たちの想いが    遠くまで届くように
 でん田楽団は     平和を希求する
 
 工工四を起こしている。何度も聞いて、楽譜に起こしたのだが、正しく起こせたかどうか少し不安があった。この曲は平和を希求する、でん田楽団の唄である。つまり、平和憲法の唄である。「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」と憲法にはある。
 
 赤松さんらしい自然で当たり前の真実。ふつうに暮らす良さのある唄だ。その人間や想いが唄で表現できると言うことはすごいことだと思う。毎日唄っているのだが、心地よい。
 
 前回小田原に来た時の練習のとき初めて聞かせてもらった。びっくりしたのは、赤松さんが初披露すると言うときに、木村さんがギターでその場でバックアップして、ミホさんが太鼓と鈴で、盛り上げてくれた。
 
 録音があるのだが、どうして即興でこんなに上手くできるのか不思議である。全く打ち合わせなく、見事に全体が整った曲になっている。音楽が身についている人はすごいものだ。音楽に自然に反応するらしい。
 
 でん田楽団に入れてもらってはいるが、みなさんの足を引っ張っているだけの団員である。それでも、練習をするのがこんなにも楽しいものだとは。六五の手習いがこんなにいいものになったのは皆さんのおかげだ。ついてゆくのに精いっぱいだが、練習を頑張って仲間に入れてもらおう。
 
 農の会の音楽仲間で、ミホさんのところでミュージック・パーティーをすることになった。農の会にはたくさん音楽をやる人がいる。諭に集まり、一緒に歌うというのもいいものである。またこれが無いとなかなか成長が無い。人前で歌う事は別物である。
 
 私は「月桃」を初披露したいと考えている。この唄は太平洋戦争での悲惨な沖縄戦を描いた映画「GAMA(ガマ) 月桃の花」の挿入歌だ。映画にかかわった海勢頭 豊さんが作られた唄である。
 
 6月の石垣島のラジオでは何度も流れていた。絵を描きに行く車の中で、初めて聞いてこの素晴らしい唄を唄ってみたくなった。現在特訓中である。
 6月23日という歌詞がある。沖縄にとって大切な日。鎮魂の日、私は慰霊の日。平和を何としても維持しなければならない。すでに、平和状態ではないとする市会議員が出てきている。正念場である。

 「ふるさとのなつ」この部分が良いのだ。ここですべてが伝わる。亡くなられた人とともにいるような気持で歌う。
 
 
【作詞】海勢頭 豊
【作曲】海勢頭 豊
   1.月桃ゆれて 花咲けば
  夏のたよりは 南風
  緑は萌える うりずんの
  ふるさとの夏

2.月桃白い花のかんざし
  村のはずれの石垣に
  手に取る人も 今はいない
  ふるさとの夏

3.摩文仁の丘の 祈りの歌に
  夏の真昼は 青い空
  誓いの言葉 今も新たな
  ふるさとの夏

4.海はまぶしい キャンの岬に
  寄せくる波は 変わらねど
  変わるはてない 浮世の情け
  ふるさとの夏

5.六月二十三日待たず
  月桃の花 散りました
  長い長い 煙たなびく
  ふるさとの夏

6.香れよ香れ 月桃の花
  永久(とわ)に咲く身の 花心
  変わらぬ命 変わらぬ心
  ふるさとの夏
 
  本番では完ぺきではなかったが、良かったところもあった。とおもう。自分というものを表現できたような気がちょっぴりした。以前より自分らしく歌えたのではないか。素晴らしい音楽仲間が持てた幸運。平和の輪が広がることを願って。
 
 
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音楽は人間を救う。

2018-04-08 04:44:10 | 楽器

歌はとても好きだ。ほぼ毎日三線を引きながら唄う。子供のころから歌を歌う家族だった。家族対抗歌合戦を毎晩やっていた。食後は時間があれば歌の会になる。その頃は大家族で10人以上で一緒に暮らしていた。順番に歌ったり、みんなで歌ったりずいぶんにぎやかだった。今思えば変わった家族なのかもしれない。歌を唄う家族ということで、面白いといってラジオが録音に来たこともあった。歌声喫茶というようなものもあった時代なのだから、日本中歌う事で活力を得ていたのかもしれない。歌がある暮らしは素晴らしい。今は、カラオケというものになった。あれはどうも苦手だ。歌っている姿がグロテスクに見えてならない。本来唄というものはみんなと繋がるためのものだ。心を一つに通わせるために歌う。そこにはつながる暮らしというものがなければ。大学の頃もよく歌った。美術部の合宿というと歌いたい歌の募集をした。歌詞をガリ版刷りしたものだ。そういえば下駄ではなく、ギターを鳴らしていた小柳さんは今どうしているのだろう。年賀状もお互い出さなくなった。

ナンシーでもみんなで集まると、日本人グループで合唱をした。するとフランス人も合唱をする。フランス人の合唱には必ず、ハーモニーが登場する。それぞれが自分のパートをいつの間にか探し、個性を発揮して唄う。個性を発揮することが、素晴らしい全体になるという、民主主義をそこに感じた。フランスの文化の厚さに感動した。日本人グループもすぐに、複雑な合唱の練習を始めた。楽しい思い出である。テレビの歌番組というものは見たことはめったにない。紅白歌合戦というものを見たのは1回だけだと思う。1978年の1月にパリの東京銀行で余りに懐かしくてじっくり見た。夏川りみさんが出て石垣の織物の衣装を着た。ビギンが出たとか、石垣島好きとしてはそれだけは知っている。ユーチューブで唄をあれこれ聞くのは好きだ。同じ歌をいろいろの人が唄っているのを聞いて、自分の好きな歌い方というものを楽しんでいるとすぐ時間がたってしまう。後で、他の人の感想を聞くと、大抵は私の好みとはまるで違っている。歌の好みはそれぞれちがうようだ。

みんなが同じという時代は終わっている。にもかかわらず、正月10日ぐらいまでは紅白歌合戦の話題は、繰り返し取り上げられる。歌というものが、時代の中で生きているという事なのだろう。絵画というものは社会からはほぼ消えた状況である。音楽というものが、人間の魂に直接触れるという意味で大切なものなのだと思う。表現方法として音楽が、疎外された社会で新しい役割を持つのだろう。人間が生きるという事が個人的なものになった。しかし、人間には共感したいという思いがある。八重山民謡が八重山で生きるという事に大きな要素だったことに立ち戻る。分断された社会で音楽が人間を救済する可能性は大きいだろう。そして歌うという事も私芸術なのだろう。誰かに聞かせるという意味と。それとは別に声を出して歌う事で、自分自身の癒しになる。心の洗浄というか、活性化に音楽は大きな役割がある。その個別的な行為が、みんなで歌う事で、人とつながりが持てる。このあたりが歌の力なのだろう。

正月には正月の唄を唄いたいと練習を重ねた。正月の唄を下手なりに唄ってみた。八重山民謡の「鷲ぬどるい節」正月の唄である。めでたい歌である。冠鷲の唄である。冠鷲の親子が大空を舞うという唄である。唄の方は一向に上達しないが、石垣の師範から初心者なのだから、鷲ぬどるい節あたりの唄から練習しなさいと言われた唄である。実にのどかで、緩やかである。正月の空に晴れ晴れとした歌である。明るい年を迎えるにふさわしい歌である。八重山民謡コンクールでの新人賞の課題曲の4曲に入っている。今年の目標としては、この4曲ぐらいは唄ってみたいものだと思っている。唄ということで気になることがある。柳田国男氏によると、昔は午前中には歌は唄ってはいけなかったらしい。特に朝から歌を唄うという事は禁じられていた。その理由は歌が何か悪いものを呼び覚ますという意識だったのだろうか。 

 

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夏を惜しむ音楽祭

2017-08-27 04:26:43 | 楽器

夏を惜しむ音楽祭をやった。場所は小田原栢山にある自然食レストランの「ハルノキ」全部で6組が出演した。私も厚かましく参加させてもらった。というより私の「夏を惜しんでの音楽祭」企画なので出させてもらえた。三線で「いつも何度でも」を唄わせていただいた。私としては望外のできで大満足であった。練習の時よりも気持ちを入れて歌えた。私以外の人は皆さん長年音楽を続けてきた人だ。こんなに素晴らしい音楽仲間がいるという事が、言いようもなくうれしい。三線を始めたのはそんなに前のことではない。本当ならとても相手にされないレベルだ。それを知らない訳ではない。身の程知らずである。そこを眼をつむってもらって一緒に音楽祭を行わせてもらった。それは、表現というものは上手いとか、下手だとか言う事ではないと思っているからだ。音楽が好きで、歌を唄い愉快になるという事には、専門家でなくても許されると思っている。歌を唄えば誰もが楽しく表現できるはずだ。と言っても人前で歌っていいと言うには最低限のものがあるのは知らない訳ではない。

ハルノキをやられている美帆さんは、自然体の人だ。そのまま音楽のような人だ。その昔私の卵を引き売りで販売してくれていた。本当はピアニストなのではないかと思っていた。今は小宮ブルーベリー園になった場所のお隣のおじさんのパオで演奏したことがある。その音色の美しさに聞きほれた。ところがある時ピアニストは止めたのだそうだ。音楽を止めたのではなく、ピアノを辞めた。自然の人だから、理由など考えたところで始まらない。その後は歌を唄っている。これが全く自然の唄だ。しゃべるまま歌になるというところがすごい。自然というのはありのままという事で、人間ここに至る為に普通は修行するのだが、生まれついてそういう人も居るという事だろう。努力とは縁のない感じの自然のまま。それで一度ハルノキでみんなで音楽祭をしたいと思っていた。音楽をともに演奏することで、共感の世界を味わってみたいと思った。誰もが自分の音楽を表現してみるのは大切なこと。

水彩画を描いている。当たり前だが一人で描いている。私絵画である。それでも水彩人展だけで発表をしている。深めるためには発表は必要と考えているからだ。一人で孤立していたのでは見えなくなる。歌を唄うとしても同じことで、表現として人前で歌う事もある方が良い。私の唄がどういうものかはまだわからないレベルだろう。音楽というレベルとは程遠いい。押し付けがましくなければいいと思っている。それでも自分であれば一番である。今回20人が集まったのだが、それぞれにその人間がくっきりしていることに驚いた。一人の表現者であった。長年音楽をされていてそんな人になったという事もあろうと感じた。良い人は良い人の唄になっているという驚きがあった。音楽というのは直のものだ。絵の画面という間接的なものが媒介しない。これには少し衝撃があった。後に何も残らないそのすがすがしさが表現の根にある。

何も残らないからこそ、共感の記憶が残る。レコードなどというものが出来たことは音楽の堕落なのだろう。三線を始めて心より良かったと思っている。60の手習いどころか、66の手習いである。自分というものを掘り進める探検である。今回、メロディの演奏ではなく、伴奏を弾きながら唄うという初めての経験をした。当たり前のようだが、これがなかなか初心のものには一山ある。まだ乗り越えたとは言えないが、少しは進んだ。八重山の唄の三線は唄とは違う演奏になっている。これがなかなか微妙で難しい。八重山民謡が唄えるようになりたい。収穫祭までには仲良田節を唄えるようになりたい。今でも曲自体は唄えない訳ではないのだが。西表島の今は無くなった仲良田川の田んぼが唄えるようになりたいのだ。密林の中にあった自然に溶け込んだ田んぼ。本来の田んぼとはこんなものではなかったのかと思える田んぼ。そこでの歌が唄えればと、大それて考えているのだ。        

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三線の日の大合奏会

2017-04-25 04:22:49 | 楽器

沖縄では3月4日を三線の日としている。その日には、沖縄各地で三線の大合奏がある。終日ラジオで中継が行われる。一度那覇で参加させてもらったが、大きなコンベンションセンター会場で3交代で、席が取れない状態であった。今年は何とか石垣の三線の日に行きたかったのだが、上手く日にちが取れなかった。来年こそと思っている。この日石垣では八島小学校の体育館で大合奏が行われた。来年は下手なりに三線合奏に加われればと思っている。と思いその演奏曲を見てみると、まず、小学生中学生の「繁盛節」「とぅまた節」「でんさ節」2回目が「鷲ぬ鳥節」「赤馬節」「かたみ節」「めでた節」「鶴亀節」「矼ゆば節」7時の時報に併せて琉球古典曲の「かじゃでぃ風節」と「上り口説」そして「安里屋ゆんた」4回目から2揚げ調子で「黒島節」「千鳥節」「古見ぬ浦節」5回目が「夜雨節」「弥勒節」「やらよう節」この中で現在練習しているのは4曲ある。こんな沢山の曲を400人もで集まって合奏するというのだから、素晴らしい。

石垣には三線を指導する研究所が150もあるというのだ。5万人の人口である。信じがたいものがある。先日お会いした石垣の石垣さんという設計の方によると、最優秀賞を受賞された広島の方の家を石垣に建築すると言われていた。三線の広がりは深く広い。この18曲となると、いつ弾けるようになるかもわからないが、何曲かは弾けるようになって、来年の石垣の三線大合奏に参加したいと思っている。これは三線を始めた夢のようなものだ。実現できるだろうか。「八重山古典民謡独習書」というものがある。宮良康正氏の編集したものである。この方はトゥバラーマでNHKの民謡日本一になったことのある方である。那覇でこの人の唄を聞いたことがある。この独習書にはCDもついていて、八重山のコンクールに出場するための独習書になっている。何度も何度も聞いてまさに独習している。どの唄も難しいのだが、どうにかこうにか練習を続けている。

このCDの唄も良い唄だと思うのだが、昔からファーンである大工哲夫さんが唄う八重山民謡もいい。語り口がそのまま歌になるという事の魅力。お二人の唄が少し違う調子の唄だったりする。民謡は本来口伝で唄い継がれてきたものだから、地域ごと伝わり方で異なるのは当たり前のことだろう。では八重山民謡の先生に教わればいいという事もあるが、これがまた難しい。八重山の唄の指導者は皆さん厳しい。「てえーげぇー」ではないのだ。竿の持ち方から、音の合わせ方。実に厳しい基準がある。観光客にリゾートホテルで涙そうそうを1時間で弾けるように指導するときは、てぇーげぇーである。ところがいざ八重山民謡となると、入門してもらわないとならないというようなことになる。正座して指導していただくらしい。大工さんのお弟子さんの東京の教室でもいい加減な人はお断りのようだ。三線はその人のままであることを大切にするからこそ、きちっとした教わる姿勢が求められるようだ。

私などは三線に関してはてぇーげぇーの権化だ。65の手習いとして挑戦である。厳しいのは御免こうむりたい。楽しみで鳴らしていれば満足である。そんな調子でもやればやるほど八重山の唄が良くなった。同じ歌でも琉球民謡バージョンより、八重山調がいい。まず前奏の三線が一節あるのだが、それを聞くだけでもう八重山の島々が目に浮かんでくる。この前奏の弾き方が曲ごとにまるで違う。様々な変化がある。正月めでた唄。悲しい別れ唄。民衆の教訓の唄。自然を賛美する唄。前奏の一節がすべてを表している。素朴でありながら、音楽の本質を抑えている。私のような初心者にもそれが分かるくらい、導入部が優れている。仲良田節の幽玄な充足感。鷲鳥節の荘厳でゆったりとした正月の空気感。デンサー節の気持ちの弾む躍動感。多様でありながら、一脈根源が通じている。すごい民謡があったものだ。前奏がこのように定まったのは新しい時代のような気がするが。どうなのだろう。

 

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三線の稽古を始めて2年

2017-03-06 04:30:31 | 楽器

三線の稽古を続けている。全く飽きることがない。ほぼ毎日1時間の稽古をしている。65の手習いで、さしたる進歩はないが、全く駄目という事でもない。覚えるという能力は低い。これは老化というだけでもないかもしれない。特にリズム感はひどい状態である。覚えようという努力自体ができない。好きなことはいくらでもやりたいのだが、努力は出来ない。それでも子供の頃はラジオから流れてくる歌をいつの間にか覚えてしまい、小皿敲いてチャンチキおけさ、などと訳も分からず歌って怒られたものだ。今は歌えると思って声を出すと、歌にならない。そういう情けない現実の中で三線を始めた。ただ三線の音色と、八重山の唄に惹かれる。年齢とともに、こういう音色が分かってきた。ぺんぺんと音を出すだけで気持ちが和む。それでも「ちんさぐぬ花」はいつの間にか見ないでも弾けて唄えるようになった。一節しかメロディーのない、もっとも簡単な曲なので覚えられたのだが、2年間ただ繰り返し弾いている内に身に着いた。

2年かかったが、この調子なら、1年に1曲ぐらいはいつの間にか歌えるようになるかもしれない。繰り返している練習は、毎日好きな曲10曲ぐらいを弾いてただ唄うだけである。上手くとか、覚えようとか言う事ではない。まず八重山民謡のCDを聞いて真似をする。言葉の意味は分からないし、リズムも旋律も、適当にまねる。100回ぐらいまねているとなんとなく唄らしくなってくる。今一番唄いたい唄が、仲良田節である。西表の仲良田川のほとりにあった集落の唄である。今は集落も田んぼもない。道路もない。そばまで船で行けるというくらいの密林の秘境である。イリオモテヤマネコの発見地に近い。そこに100年前にはあった小さな集落の田んぼの収穫の祝い歌である。刈った稲を奉納するシクワァーヨイ(初穂刈り)の日より仲良田節が歌える。という大切な暮らしの唄である。

収穫後一ヵ月だけ唄っていいとされた曲だそうだ。その美しい旋律が音楽的に洗練されている。深い世界観に驚かされる。素朴とか、情緒があるというようなものではなく、音楽として崇高なものに出来上がっている。世界でも最高水準の唄に違いない。小さな50軒ほどの集落の暮らし中で、これほどの洗練された音楽が出来上がった、八重山文化というものの不思議を思う。音楽学校がある訳でもなく、専門の音楽家がいた訳でもない。しかし仲良田集落には仲良田集落の何千年の歴史と文化がある。暮らしが唄文化につながり、育まれてゆく。収穫後の1か月だけと思いを温め、大切に唄い継がれてきた豊かさ。八重山の唄文化と瑞穂の国のこころの奥深さを思う。いつか仲良田川のほとりに立ち、初穂をお供えして、この歌を唄いたいと思っている。日本人のご先祖様に繋がりたい思いである。

三線はやさしい、優しい楽器ではあるが、唄との兼ね合いはなかなか深い。唄の旋律と三線の旋律が違うのだ。この違いが魅力だという事だが、どうしても三線の音に唄の旋律がつられてしまう。唄が身について居ないのだから、当然のことかもしれない。また、唄い出しが三線の弾き出しとづれる。早いところもあれば、遅いところもある。これもまた難しさだ。三線の楽譜工工四ーが難しいと思っていたが、そうではなく工工四ーに書き起こせない微妙なところが難しい。石垣の先生は楽譜を見ないで覚えないとだめだと言われていたが、到底楽譜を見ないなど出来るものではない。だから大人はダメだとも言われた。むしろ正確な表現として、五線譜に起こしてあれば、まだ可能かもしれない。とつい泣き言が出る。それでもやめる気は全くない。下手なままでもいいから、毎日続けたいと思う。この三線も、琉球王朝では庶民は触ることすら出来なかった。しかし、八重山は違う。沖縄と言っても多様なのだ。庶民が生んだ八重山民謡こそ日本人の心を伝えるている。

 

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木鼓23号24号25号

2016-12-06 04:12:58 | 楽器

70㎝タイプ。

木鼓のほぼ最終形の3作品をつくった。制作は当面これで終わりである。大、中、小である。私の結論としては、木鼓は大きければ大きいほど良い音がする。良いというのは言い過ぎかもわからないが、私の好みの音がする。つまり森の音である。木の心を伝えるような音。ただ大きすぎるものは移動もできないので、そこそこの大きさで我慢するしかない。それで、横幅が70㎝タイプが良い音がして一番小さいサイズではないかというのが、今のところの結論である。何とかそこそこの音を探して、55,40と考えた。やはり70が良い音の最小形であると思う。三線の棹作りでもそのようなことを聞いたことがある。木の響きには良く共鳴する長さの限度があるのかもしれない。三線は中国では100㎝はあり、それが沖縄で短くなった。たぶん音の良さを維持しながら短くする限界が70当たりだったのだろう。それがまた、三味線や津軽三味線ではまた長くなる。楽器作りのこういうところが面白い。私の木鼓作りはそんな高級なものではないのだが、私なりの目指すところはある。

55㎝タイプ

40㎝で良い音が出ればと思い様々な工夫をしてみた。まあまあの音になった少し鋭い音である。切れが良いともいえる。音の奥行きの点で少し物足りない感もある。マレットで敲く分にはこの大きさでも大丈夫かもしれない。マットも様々で毛糸を硬く巻き付けて作ったマレットだと、たいていのものは良い音に聞こえる。然し手で敲くようなニュアンスは出にくい。手で敲くと自分の間隔がじかに伝わるようでいい。それでも置いておいても邪魔にならないし、40センチぐらいが普及するサイズなのかもしれない。飾っておいて見た目にも良いのが40センチサイズである。また演奏というか楽器としてはこのくらいなのかもしれない。

40㎝タイプ

木の厚みでも音は違ってくる。20ミリ前後が面白いと思うが、10ミリの音も当然ある。全体のバランスだろう。樹種によっても木の厚みは変えたほうがいいようだ。パドックの場合ひいきが良いので厚めで作れるともいえる。厚い板の場合中で厚みの調整をする。裏側で調整をして音を整える。

 

 

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マレットを作る

2016-09-16 04:20:46 | 楽器

ギャラリーの下に、楽器やマレットを置いてある。

木鼓を作っていると、それを敲くばちが必要になる。手で敲くことが演奏としては面白いと思っている。ただ良い音を鳴らすだけのためには、良いばちがある方が良い。タングドラムのばちをマレットというらしい。材質は、木の玉の物。ゴム製の玉の物。毛糸の玉の物とある。どれも比較的簡単に作ることが出来る。木の場合は丸い球を作り、持ち手の棒と繋げばいい。木の場合は音が硬く出る。甲高くともいえる。特に黒檀の玉で作ると金属で敲いているような音になる。私はあまり好きではない。ゴム製の音が一番柔らかい。音のニュアンスも出やすく、手で敲く音に近い。マレットで敲く場合一番使いやすいと思う。ゴム製のボールはスーパーボールを使っている。あの良く弾むゴム玉である。32ミリか38ミリくらいのものが使いやすいようだ。出来た楽器の音の響きの確認はゴム製のマレットでしている。小さい10ミリくらいの物で作ると雨音のような面白い音になる。

小さい方が32ミリ、大きい方が50ミリ。持ちては竹で菜箸。

38ミリのスーパーボール。持ち手はドラムのステック。

一番音の良いのは毛糸である。毛糸を硬く巻き付けて玉を作れば硬めのマレットになる。毛糸の巻き方で音の違いが出る。売られているものは立て巻きになっていて独特である。芯にゴムがありその上を毛糸で蒔いてあるらしい。私はただ棒の先にぐるぐる巻くだけである。丁度良い感じに巻くことは案外に難しい。木に近い硬質な音になる。野球の硬球の芯が毛糸を巻いてあるという事がよく分かる。全力で巻けば金属に近い感触である。緩くソフトに巻くのも面白い深みのある音が出る。自分の好みの巻き型にする方が良いので自作すべきものだろう。これが案外に巻き方が難しい。売られている物は複雑な巻き型をしてあるが、自分でやる場合は最初に接着剤をつけておいて、ぐるぐる単純に巻く。ほどけやすいものだが、ダメになったらやり直すことにしている。毛糸の太さも案外に影響するようだが、中太ぐらいなら軽く巻くのが良いようだ。極太や太を思いっきり強く巻くというのもいい。自分の好みの音を探すという事になる。

ステックに毛糸を巻いたもの。

握りは木の棒と書いたが、実は竹で作る。竹藪から竹を切り出すのでなく、100円ショップで、竹製の菜箸を買ってきて利用する。一番太い長いものがちょうどよい。今度ドラムのステックを使ってみようかと思って、ネットで1本100円くらいのものをまとめて購入した。ヒッコリーが良いもののようである。なぜこんなに安いのか不思議だ。ステックの先にある木の玉が毛糸を巻く際に役立つ気がするのだ。もちろん敲く際の手触りや握りの太さも良いかもしれない。木の玉は轆轤で作るのだろうが、高校生の時にステックを自作したことを思い出した。やはり子供の頃から太鼓を敲くのは好きだったようだ。出来れば紡錘形というか、ラクビ―ボール型が良い。わざわざ木で作る場合は堅木の方が木の特徴が出る。柔らかな木ではシャキットした音にならないような気がする。以前、インドネシアの木琴を購入したら、先は栗のようなとがったマレットだった。ハンマー型のたたき棒も作ってみたが、これなどは音の試験には、便利なものだ。

堅木を栗のような形に削り出した、インドネシアのマレット。金属的な面白い音が出る。

ゴムの場合はスーパーボールを使うと音が良い。ゴムの反発力が強いことがが音の良さに表れている。竹の太さに合わせて穴をあけるのだが、結構割れてしまう。制作するときの穴の大きさとばち棒の太さのバランスが重要。穴はドリルで簡単に開くのだが、接着が難しい。38ミリ以上の玉であれば割合とれない。100円ショップの菜箸を使う場合は8,5ミリ穴くらいが良いようだ。それでも接着部分が取れやすい。ボールの大きさと音の感じは連動していて、何ミリの玉にするかで音がかなり違ってくる。最近やっとマレットで敲くニュアンスがあるという事が分かった。今度、みんなで敲いた時にいろいろ持って行って意見を聞いてみようと思う。鳥のさえずりのような演奏をするには小さな球で軽く敲くとおもしろい。大きな45ミリ玉消を使うとかなり重厚な音になり、深い音を出すことができる。いずれにしても消耗品と思って作るしかない。

 

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焼き印

2016-09-09 04:20:08 | 楽器

タングドラムに押した焼き印

タングドラムに焼き印を押した。一時間ぐらいで20のタングドラムに焼き印は押せた。初めて焼き印というものを使ってみたが、案外簡単なものだ。鎌倉にあるタイガー刻印製作所で作ってもらった焼き印である。長年作りたいと思いながら実現しなかったのだが、ついに作ってした。 子供の頃たぶんお滝のお祭りか、世田谷のぼろ市だったか、焼き印を買ったことがある。それは丸に出という文字が入った焼き印だった。どこから持ってきたのか、寅さんのような人が様々な焼き印を売っていたのだ。〇に「出」は出荷とかいう印として、箱に押したのではないかと思った。〇に出の屋号に使うというようなものかもしれない。どこから出たものか不思議なものだったが、たまたま出という字があるのを見て思わず買ってしまった。それは鉄でできていた。たぶん鋳造という事だろう。どこかで出荷というような印をリンゴ箱にでも押したのかもしれない。昔は段ボール箱などなかった。木で出来た箱に荷札をつけて送った。工場から箱が出るときでも、出荷のしるしで出などという焼き印を作った可能性が高い。あるいは、鍬や鎌などの柄に屋号の焼き印を押すような習慣があったのだろうか。それで田舎の農村を廻って歩く人がいたような気もする。

原稿である。三角を重ねた出である。絵に使っているサインと同じものである。サインは最初は「SASAMURA」と入れて、次には「IZURU」と入れていた。それでも落ち着かないで「出」と入れるようになった。水彩画になってからはその出も三角を重ねたものに変えた。だからサインで描いた時代がわかる。ローマ字では自分のサインのような気がしない。なぜ日本の洋画はいつまでもローマ字表記なのだろう。パスポートのサインでさえローマ字の人も居る。普段使っている文字をサインにする。それが私絵画では普通のことだと思う。それで漢字にしたのだが、漢字だといかにも文人画風になって、これは嫌味を感じてしまう。それでいろいろ考えた末に、記号でいいのだから、△を重ねた。出という字を記号化したものだ。出来る限り、シンプルで嫌みのない形にした。

鉄で出来た焼き印というのは、炭の中などに入れておいて、捺したのではないだろうか。真鍮の場合はそんなことをしたら溶けてしまうだろう。真鍮の場合はもっと細かなことができるのだろう。然し私の焼き印はシンプルなものだ。タングラムに押して分かったのは、杉と樟では調子が違うがどちらも美しい焼き印になる。ローズウッドとか黒檀だと、樹脂が解けるような感じになる。あまりきれいには押せない。発揮し捺そうとすると、周りまで焦げてくる。こういう時は濡れたタオルで人付記してから押すといいという事だが、これは案外に難しい。

焼き印を熱するのはガスバーナーである。良くあるカセットボンベを下に付けた、簡単なバーナーである。台所のガスバーナーでもいいのだが、捺す物の方に移動して作業するには、これが便利だ。4,5分熱すると、うまく木が焦げる熱さになる。余り熱くすると溶けてしまうの注意書きがあったので、徐々に熱してみた。一度熱くなれば、2回目からは20秒ほど熱して又押せばいい。木によって少し感じが違うがなかなか良いものだ。今度あれこれ農機具に押してみようと思う。鍬鎌、鉈、木製品なら何でもいいだろう。

 

 

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木鼓を敲く

2016-09-07 04:21:02 | 楽器

音楽好きが集まって作ったスリットドラムの合奏をした。数えなかったのでよく分からなかったが確か12名は集まった。予定では森の中で敲こうという事だったが、雨の予報で急遽南足柄の公民館に集まって敲いた。ただただ楽しかった。こういう一日が持てる仲間がいるということは幸せなめぐりあわせだ。生きていることの喜びの形だと思う。忘れられない思い出になった。音楽を楽しむという習慣が、暮らしから失われてしまった。の祭りには歌や踊り、太鼓はなければならないものだった。急にそういう場面になると太鼓や笛で目立つ人が現れたものだ。普段の暮らしから晴れの日の祭りの世界に、転換するには音楽や踊りは必要不可欠なことだ。音楽の力が日常から解き放ってくれる。日常の音楽は労働歌である。田植え唄、草取り唄。子守歌。そして盆踊りの先祖に繋がる唄。昔の日本人は音楽と伴に暮らしていたのだと思う。

楽器も自分で作るという事が良いと思う。自給できる楽器と言えるようなものが木鼓である。タングドラム、スリットドラムだと思った。誰でも敲けるし、プロのミュージシャンの高いレベルの希望にもかなう楽器。それを未経験の私でも作ることができたところに、この楽器の無限の可能性と、面白さがある。沖縄の三線は本来太鼓の代わりだという。古い時代は太鼓を敲いて、歌を唄った。中国から三線が渡ってきて、徐々に太鼓の代わりとなる。だから三線は演奏楽器ではない。あくまで唄三線であり、伴奏楽器である。太鼓のようなリズム楽器であり、あくまで踊りや歌をサポートする楽器である。しかし、三線は太鼓より音階がある。太鼓も音階のあるものが作り出される。オーケストラのチンパニーは音程の指定に合わせて鳴らす。木鼓も高音、低音、止音の3つ位はあった方が面白い。合奏したときなど演奏の可能性が広がり、面白いのではないか。これが私が作っている木鼓である。

木鼓は大木の中をくりぬいて作るものだ。東南アジアから、ポリネシアやミクロネシアのものが有名だ。村同士の連絡などにも使ったようだ。中国では木魚、アフリカではタムタム。ある程度の音階が有る木鼓もある。木が響く音自体が心地よいものだから、これを敲きながら歌を唄うということになるのは当然なことなのだろう。木鼓に革を張ったものが、日本の太鼓だ。皮張りの太鼓は音が響いて迫力はある。木鼓は音は大きくはないが、懐かしい柔らかな響きがある。森の響きそのもののような、染み渡る味わいがある。そういう音を何とか作り出してみたい。みんなで敲いたもので、又木鼓開発に力が入った。早速2つの試作を始めた。一つは大型の4面パドックで、スリットの入れ方の究極形である。もう一つは小型の4面パドックで、小さいながらもそこそこの音が出るものだ。今年中には作り上げたい。

唄や楽器は子供の頃から好きだった。ハーモニカを子供の頃吹き続けていた。縦笛も学校でならった。中学の頃はなぜかフルートをやった。大学の頃はみんなで何かと歌を唄った。フランスにいた頃は集まっては歌を唄った。フランス人が唄うと低音部、高音部と、いつの間にか合唱になるのには驚いた。日本人も頑張って日本の唄を練習したものだ。結構いい線行っていたと思う。もちろん今でも唄は好きだから、三線を弾いて、毎日大声を出している。今は老化防止のようなものだが、いつか西表の仲良田節を唄えるになろうと努力している。音楽というものが演奏するという立場から、受け身の聞き手、消費者になった。確かに良い歌い手の唄を聞くというのは、良いものだが、聞くより唄う方が良いに決まっている。

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タングドラム新作2点

2016-08-28 04:10:59 | 楽器

木鼓22号

9月4日に森の中でみんなでタングドラムを敲こうという企画がある。場所は舟原の小田原植木さんの森だ。樹木で作った太鼓だから、森の中で敲く。そして、一つではなく数多くで敲き合うとさらに面白かろうという企画である。それに合わせて新作を2点作った。今回は高音部と低音部が分かれているという事が目標であった。別に難しいことではなく、長い切れ込みの舌は低音になり、短い舌は高音になるという事である。ただ、全体の板の長さも音に影響があるので、70センチの長さにした。箱は30センチ幅の杉材で作り、天板だけをパドックにした。底板を杉にするか、堅木にするかは音に影響が強い。今回はあえて柔らかい杉板にした。出来上がってから、柿渋を塗った、上の写真のものは乾いてからもう一度塗って2回塗りである。時間とともにさらに色は濃くなる想定である。右端に押したのが焼き印のサインである。出来ればこの面に何か字を書こうかと考えている。

木鼓23号

こちらもほぼ同じ仕様で底板も杉である。秋田杉と印刷されていた。同じく箱の幅は30センチである。板の厚みは24ミリである。360センチで2000円だった。箱をすべて杉にしてみたので、箱自体も大きく作ってみた。底板をパドックにすれば、反響音が強く硬く出て良く響くのだが、あえて杉にして柔らかい音を期待した。こちらの方は柿渋一回塗りである。塗りの回数でこれほど色が違ってくる。この後、どの位変化し違いが出るのか、しばらくこのまま経過を見たいと思う。柿渋を塗るのは、確かに渋い色みが美しいという事もあるが、虫食いなどの対策にもなる。年に一度くらい塗り直せば、どんどん味が濃く出てくる。この経過が面白い。以前作ったものでは、すでに黒光りしたような色合いになっているものもある。

今回ほぼ同じ形態で作ってみて気づいたことは、左右を2対1の舌の長さにするのはいいのだが、中央に来る止音の短い横からの舌の隣には一番大きな舌が来るのが敲きやすいようだ。この点ではほかの人の意見も聞いてみたい。音はそこそこ良いと思うのだが、欠点は大きさ重さである。杉材で作っても6,5キロある。ケヤキやパドゥクを使うとさらに重いものになる。持ち運びに困る。座って膝に乗せて叩くと良い音になるのだが、あまり重いともっても居られない。座布団を敷いてその上に載せて叩く。要するに常設にする楽器になる。今回の制作でほぼ試作は終わった。こんな音のものをという事であれば、大体想定に合わせられるようになった。

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スリットドラム10

2016-04-14 04:18:10 | 楽器

スリットドラム19号箱は杉材で、両天板でパドック。

音は柔らかく深い響き。杉板の効果。深い音を探るには杉板を箱として使う事はいいようである。その後の22号機の実験では杉板バージョンは箱が大きくないと良くないという事を感じている。アカマツさんが使ってみてくれている、杉板箱のものはいい音になってきたと言われていた。これは杉板箱の第2弾なのだが、上下天板にした。そして、空洞を極力少なくしてみた。反響音を高められないかという工夫だが、それほどの違いは起きなかった。問題はこの箱でも接着の問題が出てきている。どうしても時間経過ではがれてくる。今後強い接着を研究する必要がある。

スリットドラム20号 箱もパドックで天板がパドックとタイ黒檀。小さいものでそれなりの音を目指したが、期待ほどではなかった。どうも箱の長さが音には影響をしている。60センチは箱の長さが必要なようだ。しかし、箱の美しさは40センチくらいがバランスが良い。そして携帯にも適当である。このあたりが今後の課題である。まずは携帯用の袋を作ってみようかと考えている。

写りが悪いがタイ黒檀天板。

スリットドラム21号 箱もパドック。天板が花梨とパドック厚板。こちらが花梨面

こちらが厚い面で30ミリ天板。

高音のものを考えて作った。形としては食パンのようなバランスで、650ミリの長さ。箱の深さ大きさより、横の長さが音に一番影響がある。考えてみれば三線も竿の長さで音は決まると言われていた、その通りである。さらに1メートルのものもありうるかもしれない。しかし、現状の音としては納得行くものになった。これ以上長いと携帯性に問題が出る。18号と20号が形としては一番良い。両天板でも側面に切り込みを入れても問題は出ない。両天板を低音と高音の組み合わせとか、音質の違いを考えると面白い。また天と地というか、小さな四角面に月を入れてあるが、ここでカツンと止音が成るようにできる。高音型と、低音型で交互にならすような掛け合うような演奏が面白いのかもしれない。

これは最初の欅の塊を刳り抜いて作った木魚を敲いているところ。スリットも直線の初歩的な形。箱と木の塊との違いで形としての良さはある。音は今一つであるが、シンプルな原型である。

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スリットドラム9

2016-03-28 04:21:12 | 楽器

スリットドラム16号 

中型のものだが、大型に匹敵する音が出た。見た目もなかなかのものだ。30年くらい経過したような風格がある。これは演奏家の方が使えるレベルのものではないか。16号で分かったことは、意外にも箱の長さが音に影響が強いという事だ。側面に簡単なスリットを入れて、天板の音と組み合わせて鳴らすことができる。また底板にも天板と同じようなスリットを入れて、両天板という形である。一つの天板はローズウッドで作り、もう一つの天板はパドックである。4面にスリットを入れても、響きが良く出る。理由は4面を堅木のパドックで作ったからだと思う。

スリットドラム18号 

小型のものの中では今までで一番美しい箱である。造形作品としてはなかなかのものである。多分世界で一番美しいスリットドラムの一つである。と勝手に考えている。18号よりも美しい箱が世界のどこかにあはるかもしれないが、今のところ見たことはない。残念ながら音の方は改善が必要で、一度解体しようかと考えたが、あまりに良い形なので、これはこれで残した。重さは2,5キロほど。案外に重いものだ。この450ミリサイズが小型としては目指す大きさではないだろうか。音に問題があるのは、組み立てるときの接着が完全でなくどこかが緩んでいる事が理由のようだ。接着を完全にする方法が次の課題かもしれない。

 

17号 

17号はさらに小さいもので、音はそこそこのものだった。海の底から響いてくるような響き音の奥行きが少し欠けた。これは小さすぎるたためかと思う。欲しいという方がおられたので差し上げた。17号もなかなかの見た目が美しい箱である。今度写真を送ってもらえたら、載せたいと思う。

木で作るが箱なのだから、造形作品として美しい楽器でなければつまらない。木というものが持つ味わいが現れていてもらいたい。楽器なのだから、音が良くなければだめだ。この両立が楽器の面白いところではないだろうか。世界のどの楽器もなかなか美しい造形をしている。それは良い音を追い求めた結果、美しい形に行き着くという事であろう。良い音が出るために必要なことがだいぶわかってきた。その結果箱も美しくなってきた。箱の縦横の比率や、全体のバランスも美しさには大切である。良い音が出るためには、つまり自分の望む音が出てくれるためにも、天板と側板の比率は重要な要素になる。まだ行き着いてはいないが、存在する黄金比のような状態を目指して摸索してゆきたい。側面の板は柔らかい杉材でも可能である。天板と底板が硬い板であれば、音は反響してよく響く。

最近はっきりとしてきたことは、打板の切り込みが、心地よい線を描いて絵になっていることが重要。厚さは音に影響が大きいが、10ミリから30ミリくらいであれば、小型から大型まで使うことは出来る。作る好みと目的で板厚は決まってくる。それは木の材質にもかかわることで、パドックはとても優れた材料で、音に幅が出しやすい。しかし、黒檀やローズウッドや花梨は響きが澄んでいる。その良さもあるので、天板をパドックにしたら、底板をローズウッドにするというのはいいと思う。一つの楽器で音の違いを楽しめる。底板や側面に切り込みがあっても音が落ちるという事はない。底板は硬ければいいかと言えば、それだけではない。楠の60ミリの底板で作ったものも音が深い。望む音があれば、そこへ向けての選択である。それでも底板は堅木であるのが基本であるが、側面の板は柔らかい板でも可能である。杉板で作ったものも味わいの違いはあるが、それなりである。

 

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