地場・旬・自給

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富士山世界文化遺産登録

2013-06-30 04:49:24 | 水彩画
富士山が世界に認められた。文化遺産として日本人の山というものへの関わり方がある。山梨で生まれ育った。そして今も富士山がすぐ見えるところに暮らしている。確かに富士山は自然遺産というより、文化的な意味の方が強い。日本人の心の中には、いつも富士山がある。そのあり方を世界が評価し、残してゆこうということになったのだから、素晴らしいことになった。これが富士山の環境の保全ということになってゆく契機になってくれればありがたい。フジヤマ・ゲイシャという言葉がある。日本のイメージを表す言葉だ。浮世絵から来たものに違いない。富士見坂。富士見橋。富士見湯。富士山を冠した言葉は山ほどある。富士山の存在は、日本人の心の中にも自然と定着している。もちろんその優雅な形が単純で、一度見たら心に残り忘れることのない存在である。それはたぶん外国の人にとってもそうなのだろうが、何故か日本人の形の原形のようなものになっている。

富士山には一度だけ上ったことがあるが、2泊3日で登った。ゆっくり登るべきだと考え、下からずーと歩いて上リコースは山梨県側の吉田口から登り、静岡側に下って御殿場まで出た。途中で宿泊し、頂上の小屋でも泊まった。せっかくのことだから、よく良く富士山を味わいたいと思った。しかし、登ってみると、高いことは高いがもう一つ魅力に欠ける山であった。やはり富士山は眺める山である。絵には何度も書いたことがある。特に三津浜から見る富士は良く描く。三保の松原からより、だいぶ面白い。いずれ、富士山と足柄平野でもいいのだが、富士山が見えるというだけで景色が面白くなる。つまり、富士山という形はすでに記号化している。記号化しているということは、意味化しているともいえる。めでたいとか。縁起が良いとか。正月とか。神様とか。このあたりが文化としての、富士講のような、日本的な関わり方が成立している。

富士山の絵と言えば葛飾北斎の不額36景が有名である。36枚だけでなく、評判が良かったので追加された10枚を加えて、46枚のシリーズである。半分は水が出てくる。26枚は川や海と富士山である。どの作品も構図的な工夫がすごいのだが、あの富士山の形を生かすためにはすっきりした平面が必要になる。富士山の3角に対して、平面を持たせているのが空であるか、海である。雲のような形を持ちこんでいるものも多い。このあたりのやり方は日本の伝統的な絵巻物の構図から派生しているのだろう。北斎70歳を越えてからの時の作品というから、すごいものである。富士山の絵はその後、富士100景となる。富士山の廻りを歩き回り、描いたというからすごい人である。当時の評判は以外にも良いだけでな買ったらしいから江戸時代の庶民の評価の厳しさというのも、またすごいものがある。もし評判が高いものであれば、100景の方も一枚ものになっていたのだろう。

私が描きたい富士山は浮いている富士である。空の中に表れている富士である。何度も描いてみているが、納得がゆかない。浮き上がった富士というのはいつも見ている富士である。北斎の富士も遠くの富士が多い。江戸から見て居る富士が根元になる。私の場合、もう少し近い富士である。常日頃見ている距離というものがある。畑から見た富士のようなものが描ければと思っている。自分という場所と、富士という方角。こういう意味的なものを載せられるところが富士山の面白いところである。意味的なものを説明としてでなく、画面として持ち込めるところに、日本人と富士山の関係がある。こういう文化的な意味が日本人の中にあったということが残されてゆけばと思う。
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自給という冒険

2013-06-29 04:51:23 | 暮らし
自給は私にとっては冒険である。とても興味深い冒険だ。三浦雄一郎さんが80歳でエベレストに登った。三浦さんは色々の冒険やってはきたが、80歳での冒険が生涯で一番の冒険であったことだろう。間寛平 さんの冒険と言えば世界一周をヨットとマラソンでやリとげたことだ。植村直己さんの冒険もすごいものである。世界初の五大陸最高峰登頂、犬橇を使った単独行による北極点到達。日本にもすごい冒険家沢山いる。私の自給農業もささやかではあるが、スリルに満ちた冒険なのだ。冒険になるにはルールがいる。単独行とか。年齢とかルールを付けることで面白い冒険になる。自給という冒険は実は人類は長い歴史の中で、様々に挑戦されてきた。自給の冒険もルールを加えることで、冒険家の冒険以上の命がけの冒険になる。例えば、機械は使わず、道具程度の利用に限定したら、相当に厳しい冒険になる。購入の資材は使わない、こんなルールを加えれば、さらに厳しいものになるだろう。

主食の自給は冒険の必要条件だろう。野菜を始め食べ物の自給でも塩や砂糖の自給までやれば、冒険と呼べることになる。衣、食、住というから、これは3点セットのようなものだろう。エネルギーの自給これも一つの冒険のルールになる。水を自給できるか。これも、島の暮らしでは現実である。小学生のころ15少年漂流記を読んで以来、自分の中でくすぶっている、自給の暮らしという冒険の世界がある。どうやれば離れ小島で生き抜けるかを、あれこれ考えたものだ。たぶん山北の山の中で暮らし始めたことも、それにつながっている。鶏を飼う。このこと一つをとっても視点を変えれば、冒険の世界が無限に広がってゆく。胸が高鳴るような、未知の世界が広がる。人間が生きるということは、そこでただ暮らすとしてもそもそも大冒険である。平穏無事とだけは行かない。せっかく生まれてきたのだから、生きるということをより深く、より広く、様々体験してみたいという気持ちがある。無人島に渡って生き残れるか試してみたいものだと、何度思ったことか。

それはミクロの世界も、無限の宇宙も同じように冒険の領域であるように、ただ暮らすということも、自給という視点を加えるだけで、奥行きが深まり冒険的な様相を帯びてくる。これが面白い。自給のお米で1年暮らす。こういうルールを決めてお米を作っている。もし、お米がイノシシにやられて採れなければ、一年間米なしの暮らしになる。こう考えていれば、備蓄とか、多様化とか、色々考えざる得ない。以前、田んぼの崖が崩れて流された時、あんたたちの田んぼは楽しみにやっているのだから、今年は田んぼをいくらか止めてもらって、崖の工事をやったらどうかと言われた。いや、ここのお米がとれなければ、一年食べるお米が無いのだと自給の活動を説明をしたら、呆れられたが理解はしてくれた。自給を冒険にすることで農作業が面白くなるのだ。真剣になるから技術も向上する。

お米、小麦、大豆、お茶、これはグループで作って来た。チームでやることが合理性があると考えたからだ。これも単独行の方がリスクが上がる。三浦さんのように、80歳の自給生活を考えたら大冒険だろう。よほど身体を整えてゆかなくてはならない。野菜一つとっても、それぞれに冒険の世界が広がる。トマト作りでも無農薬という条件でハードルが上がる。タマネギはなるほど苗作りだと気付いた時に、がぜん冒険的に面白くなった。例えば、食糧の自給のために費やした時間の世界記録は何時間か。自己記録は現在、400時間ぐらいか。年齢とともに伸びるのか。最近時間の短縮は出来ていない。今後短縮する事が出来るのか。他人にとってはどうでもいいような小さな冒険であるが、私にはエベレストに登るより、やり遂げたい自給の冒険である。
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ビワ・ウメ・モモジュースの作り方

2013-06-28 04:15:12 | 自給


作り方と言えば、あまりに簡単で説明の余地が無い。ただ、広口瓶にビワ・ウメ・モモ等を入れて氷砂糖を入れる。徐々に水が上がるのを待つ。注意点と言えばアルコール発酵する前に終わることだ。それが我が家の果実ジュースである。最近これを果実酵素と呼ぶ人もいるようだ。庭にある色々の果樹が実を付ける。お酒に浸けるか、砂糖に浸けるかしている。桃のシロップ漬けとか美味しそうだが、面倒なきがしてそこまではしない。食べれるだけ食べて堪能する。旬である。それが一番美味しい。たぶん身体にも合っているのだろう。腹はしょっちゅう悪いのだが、果物の食べすぎでお腹を壊すということは不思議とない。冷たいかき氷を食べてとか、濃いコーヒーや濃いお茶の飲みすぎで気持ち悪くなるというのはある。それでも昔に比べて最近はお腹の調子がいい。歳をとり年々調子が良くなるというのも不思議なものだが、ありがたい。

もしかしたら、梅を黒砂糖で10年近くも浸けこんだものを、毎日飲んでいるからかもしれない。この不気味に黒ずんだ液体を、ちょっと人体実験のつもりで毎日60CC飲んでいる。いわゆる酵素液に似た味がする。私の身体に良い果実の代表が梅である。梅干を毎日食べるというのは、とても健康に良い。塩分の取りすぎを心配していない。それくらいの汗をかく肉体労働をしている。汗をかいたら、しょっぱくて酸っぱいものは身体が待っている。酸性化した身体をアルカリ化するのが梅ぼし、そのほか様々な効能が言われるが、梅は中国3000年の歴史が薬効が証明している。ブルーベリーがよいとか、マンゴーが良いとか色々あるだろうが、梅干しほど安定した薬効が証明されている果実はない。

私の家で使う梅はおかしいのだが隣の家の梅の木である。3本の大木がある。この梅の大木が隣の家から根元は出てはいるのだが、樹木全体が私の家に存在する。この梅が実ると、私の家のブリキ屋根にものすごい音を立てて、落下する。夜あまりの大きな音なので、びっくりして目が覚めるほどである。そこで切るのをお願いした。しかし、切れないということである。梅は採っていいから我慢してほしいと言われた。出来る限り屋根にかかったところは切った。それでも今の時期は地面は一面の梅である。いい匂いではあるが、毎日すごい量落下する。この落ちたもののから良いものを使う。梅干しと、梅酒と、梅ジュースということになる。しかし人間の神経は不思議なもので、自分の家で使えるとなると、あのすごい音もさして気にならなくなった。桃は越してくる前から庭に植えてあったものだ。結構な大木なのだが、結局は腐るものが大半である。そこで腐る前のまだ堅い内にとって、氷砂糖で付ける。ほのかに桃の香りがする位のなかなかのジュースになる。

そして、枇杷である。6年ほど前に、8本植えたものが6本育っている。枇杷は縁起が良くないというので、庭に植えない方が良いという人もいるが、自給の暮らしには必需品だと思っている。葉をシップに使うことが多い。枇杷ジュースも枇杷酒もこれは美味しい。枇杷はぶどうのように鈴なりになる。これを摘果して、粒を大きくするのが生産される枇杷だろう。何もしないというか、何かをするほど余裕もない。そこで大粒は生食にして、小粒をジュース用にする。昨年までは、何か獣が出て一気に食べられたのだが、今年は鳥にもやらなれない。すごい量なっている。20キロぐらいは採っただろうか。食べたいだけ食べた。よくよく木で熟すと味がとても濃くなる。1回に1キロは食べたのではないだろうか。身体はおかしくはならないかった。梅酒は毎晩飲んでいる。10年物の古酒がある。ベトナムの甕に入れて脇に置いてあって飲む。
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改憲勢力が3分の2を占めるか。

2013-06-27 04:04:21 | Peace Cafe
参議院選挙が7月21日にある。この選挙で改憲勢力が3分の2を占めるかどうかが焦点と思っている。恐ろしいことに、結構険しいところに来ている。現在自民党は改憲の牙をじっと隠して、ひたすら経済を強調している。それは、国民の関心の中心が景気回復と見ているからだろう。お金のことが票に一番結び付くというのは、その通りの日本人の大半の意識である。民主党が圧勝した時も、お金のばらまき政策だった。原発再稼働も、原発輸出も景気回復のためには必要だということが、盛んに言われる。確かにあれだけ費用をかけた施設が使われないのは、無駄である。しかし、使えば核廃棄物が出てその処理費は先送りになる。参議院選の焦点は日本の未来のかかったの大きな分岐点のような気がする。経済のように見えて本当のところは憲法改定をして、軍隊を持つのかどうかが判断の分かれ目だと考えた方がいい。私には安倍のミックス選挙ではなく、憲法9条選挙である。


参院(定数242)の「3分の2」ラインは162議席。この数字を超えられるかどうかが参院選の焦点となる。非改選(121議席)での自民、みんな、維新の3党は半数にあたる計60議席。これに、憲法改正に前向きな新党改革や無所属(自民党出身で会派を離脱している副議長を含む)を加えれば合計63議席になる。差し引きすると、改憲勢力が参院で「3分の2」に達するためには、7月の参院選で99議席以上を得る必要性がある。(産経新聞より)


参議院の世論調査によると自民党の支持率が44%ということだ。現在の参議院の選挙制度によると1人区の大半と、2人区は確実に1人は取る。3分の2に達するきわどい状況と見なければならようだ。改選議席121議席のうち、99議席を改憲勢力が取るかが、憲法分かれ道になる。22議席を改憲阻止勢力が取ればいいとなるのだから、今回に限れば希望はまだある。現在の所一応は、民主党の多くは改憲反対である。まあ、自民党の中にも、いくらか護憲派が存在する。民主党は現在の予測では、20議席程度。共産党が2議席の予想ならば、ギリギリの線となる。緑の風とか、社民党がどうなるのか。緑の党も結成されたが、こういう票が死に票になりやすい選挙制度である。どこの党に投票すれば、憲法を守る得票になるのか、慎重に見極める必要がある。社民党は又市 征治氏が改選ということか。この人も間違いなく護憲の人である。緑の風からは、つゆき順一氏が立候補するようだ。憲法9条を守ると宣言している。神奈川では最善の選択ということになるか。

問題は公明党である。公明党はマニュフェストでは96条の先行はさせないと書いている。憲法の他の改定項目を併せて検討すると主張している。そして、9条には自衛隊を加憲するとしている。もし公明党が公明であり、コウモリ党でないなら、今回の参議院選挙はなんとか、99議席にはならないのかもしれない。このように危うい状況に陥っているのは、憲法を守ろうとする勢力が、共同戦線を張れないためである。反原発グループ内ですら、わざわざ分裂選挙である。こんな状態では選挙慣れしている、自・公には勝てない。確かに日本の野党の選挙は、アマチュア的である。自公は憲法改定問題で、明確に違うマニュフェストを掲げている。にもかかわらず、選挙協力をしている。自民党は公明党から41選挙区で計42人の候補者が推薦を受け、創価学会の支援も得ることになる。ある意味創価学会票がなければ、当選できない自民候補も多いということだろう。

日本の政治は、民主党の登場でチェンジした。その第一のチェンジが失敗に終わった。今回の鳩山氏の、尖閣発言でもこの人は政治の力学が分からない人間のようだ。政治学者とか、評論家ならまだ良かった。こういう人が、たぶん家柄が良いとか、お金持ちということで民主党のリーダーになったことが、日本の政治の不幸であった。当然受け皿が存在しないのだから、自民党に先祖がえりせざる得ない。と言って、自民党に経済を立て直す能力があるかと言えば、それは全くない。有るなら公共事業を赤字国債でばらまくようなことはしないはずである。震災復興に力点を入れると言っても、大きな東北の未来が描けるようなプランは出していない。過去の利権政治に戻っただけである。それは、マニュフェストの農業政策のあまりの中途半端な、形式的姿を見れば、明らかなことだ。

昨日の自給作業:大豆の播種2時間 累計時間:35時間
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都議選の結果分析

2013-06-26 05:06:42 | Peace Cafe
都議選は自民党、公明党の全員当選という結果であった。世論調査通りの予想されたこととはいえ、参議院選挙がどうなるのか、不安この上ない結果になった。民主党がだめなことも予想された通りである。民主党に期待して、失望を味わった政治不信が続いている。投票先が見つけがたいということで、43・50%の投票率なのだろう。50%を切った選挙は無効にすべきだ。たぶん参議院選挙も低い投票率の中で戦われることになるだろう。維新党が腰砕けになったのは悪いことばかりではない。ブームが終わりホッとした。石原氏が橋下氏に対して、ボス的な体質を露わにした。その嫌悪感が表現されたという気もするが。橋下氏は気質が東京には合わない。あくまで関西の弁護士芸人の範囲である。橋下氏は芸人だから、反応は上手だ。しかし、橋下氏にはイデオロギーのようなものはない。従軍慰安婦発言で維新の人気がなくなったのではない。人気がなくなって来たので、従軍慰安婦発言をしたのだ。注目されることが一番というのが、テレビタレントのやり方。

維新のことはどうでもいいとしても、自民党への支持はアベノミクスへの誤解なのだろう。アベノミクスで実体経済が上向いているとは到底思えない。期待感とか、便乗しようという、投資マネーが動いたということはあっても、実質は何も変わっていない。世界経済の先行き不透明で、投資マネーが行き場を失っている。それが、アベノミクスに便乗したにすぎない。円安で輸出産業は良いと言っても、同時に輸入に依存する産業には悪影響である。為替の変動で経済が良くなるということは、一過性に過ぎない。結局は時間とともに、均されてしまう。この為替の変動した影響が残っている間に、実質経済が変わってゆかなければならない。輸出企業が息をついたということがあっても、経済の基盤が変わるようなことはあり得ない。そこで出てきているのが、なりふり構わず原発輸出までやるということなのではないか。経済については、韓国企業と国家の関係をよく見ることだ。

投資減税とか、法人税の下げとか、そういう企業向けの政策では経済は良くならない。こうした恩恵を受けるグローバル大企業というものは、日本という枠組みを超えた存在である。有利であるときは日本という枠組みを利用しているにすぎないと考えて置く必要がある。それが良くわかるのは、韓国経済を見ることである。少数のグローバル企業がけん引している。サムスンが限界に達し、それを突破するために、韓国企業という枠を捨ててゆくと私には見える。韓国の経済が良いと言っても、韓国人の暮らしがどうなったのか。このところをよく考えるべきだ。韓国農業はどう変化しているか。弱者がどうなっているか。企業が競争に勝つことを、国を挙げて向った時何が起こるのか。東京都の選挙のことだった。

今回の選挙結果の分析。共産党が投票数を増加させたわけではないのに、なぜ、議席が倍増したのか。多くの政党候補が乱立したため、当選ラインが低下して、漁夫の利による。もし維新とみんなが共闘すれば、結果は違った。中選挙区制の結果。自民党は得票数を伸ばしたと言ってもわずか。内閣支持率の高さが得票にはつながっていない。自民党の政策が支持されているとは言えない結果。むしろ、みんなの党と維新の会の対立が、第3局の結成の難しさを浮き上がらせた選挙と見た方がいい。反原発票の行く先が現状ではみどりや、社民党になっていない。共産党にもなっていない。これが参議院選挙になった場合、どういう票に現れるのか。ここに期待するしかない。見方を変えれば前回までの民主党への期待票が行き場を失っている状況。ところが野党は分裂気味で、第3局の結成どころではない。これが日本の不幸な政治状況。これでは、自公に対抗して参議院選挙を戦うどころではない。参議院選挙の意味については次回続き。
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政治の言葉

2013-06-25 04:03:24 | Peace Cafe
「真っ先に万歳でお祝いします。」と安倍氏がトルコで発言した。本当のことなら国会の前でやってもらいたいと思う。当人は上手くトルコに謝罪したと思っても、結果、冗談にもならない話になる場合もある。ニューヨークタイムスのインタビューでの、イスラム諸国に対する猪瀬氏の発言の幼稚さには驚く。政治家の言動というものがどういう影響になるかがわかっていない、素人政治家が目立つ。海外のメディアが何を期待して居るかぐらい感づかなければ、政治家ではない。そういえば、尖閣を石原氏と一緒になって、問題化したのも猪瀬氏であった。東京都民もこんな人に大量得票を与えて、傲慢にさせるのだからいけない。そして、橋下氏である。大阪市長の立場で、軍隊には風俗業が必要だなど、不愉快極まりない発言である。従軍慰安婦問題を何故持ち出したのだろう。そして、自民党の憲法改定論では96条改定には大半の自民党議員はだんまりである。

「誠意を持って、議論してまいる所存であります。」これは96条問題での安倍氏の公明党に対する発言である。この意味するところは、ついてくるから問題ない。ということを表現しているのだろうか。何をどう議論するのか、公開討論会でも両党でやるとでもいうのだろうか。政治家は言葉で考えていることを表明する技術がなければならない。代議員は国民に代わっての代表なのだから、国民とよく話し合うのは当然の義務である。国民にとっては聞きたくないような悪い話も、伝えなければならないこともあるだろう。気の利いたつもりで米軍の司令官に、面前で風俗業の利用を進めるなど、米軍をバカにしているとしか受け取られる訳がない。テレビタックルの発言ではないのだ。そういえば、橋下氏はテレビ番組の発言が発端で、有罪になったこともあった。そういう下劣な手法で人気を集めたタレントなのだろう。テレビ番組の太田総理が言っていたが、もっと過激に発言するようにプロジューサーから言われ続けているそうだ。

高市氏の政調会長としての発言は、取り消して済むものだろうか。原発推進や原発輸出を止めるというなら分かるが、やることはやるが理由としての死者が居ないという部分だけを取り消すというのでは、おかしいだろう。反省して、反原発を主張するというなら、死んだ人達から許されるだろう。岩手では病院で番号で呼ばれたことで頭にきて、刑務所じゃないんだとブログに書いた県会議員が現われた。病院で名前を呼ばない理由ぐらいわからないのだろうか。銀行だってそうだ。公衆の面前では出来る限り名前を呼ばないような社会に変化している。考え違いで頭に来たとしても、何故名前で読んでくれないのですか。ぐらいの聞き方が普通だろう。この人はどうも自殺をしてしまったらしい。死んだ人を責めるたくはないが、一度書いたことなので、消すのもおかしいので書き残しておく。政治家の立ち位置は、そしてその言葉はそれくらい重くて難しいということなのだろう。

安倍氏の物言いは、なかなかだと思う。政治家としての発言は上手な人だと思う。問題はどうも演出家に言わされている感がある。役者のせりふのような感触がする。本当にこの人の言葉なのだろうか。本音の発言を何故しないのか。どこか歯がゆいところがある。農業者所得倍増論を述べている時も、スラスラいかにもありそうな希望をしゃべっていた。しかし、どうやって農業者の所得が倍増できるのかということは、具体的な説明がない。ついそれに触れるのが人間の言葉だ。自民党の選挙マニュフェストを読んでも、きれい事が並べてあるにすぎない。農業の問題はあまるお米をどうするかは避けられない。企業参入と農協の関係を将来どういうものにしてゆくのかも出てくる。農地法をどうするか。農業不可能な山村が消えてゆく対策はどうなるか。耕作放棄地を借り上げる公共組織の具体的構想は。大規模企業的農家の使わない農地はどうするのか。どう読んでも自民党のマニュフェストでは、理解できない。理解はできないが、所得だけは倍増でいいのだろうか。

昨日の自給作業:コロガシ2時間 累計時間:33時間
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日本原子力研究開発機構

2013-06-24 04:17:47 | Peace Cafe
また原子力機構が事故を起こした。敦賀のもんじゅで1万か所近いミスを見落としていたということで、社長が辞任したばかりである。その後の調査でもんじゅでは2000か所の放置個所が見つかったという。何か根本的な体質がおかしいと考えざる得ない。研究施設のビーム装置の誤作動で放射性物質漏れが発生した際、異常を示す警報が鳴った。研究チームは、誤警報と判断する。フィルターの付いていない換気扇を回して建物の外に排気しようとする。そのうえ、実験を続けたという。判断ミスが重なり、漏れに気づいたのは24日夕だった。5月23日の事故発生後、施設内の放射線量が上昇し、16基ある換気扇を回した。一回目は約15分で止め、二回目は66時間にわたり、回し続けていた。当初は、二回目の作動時間を三十分間と説明していたが、両機構が職員らへの聞き取りを進めて、換気扇のことを忘れていたということが明らかになったという。

自民党は原子力発電所を再開しようとしている。原発輸出も必要だとしている。選挙公約に掲げている。高市政調会長によると、原発事故では死者が出ていないことを理由に、再開を主張した。日本の歴史上これほど悪質な人災はなかったと考えている。にもかかわらず、死んだ人がいないから大した事故ではないという認識が自民党の認識である。本音では案外にそう考えている人がおおいいという判断だろう。また事故が起きたとしても、この程度なら大したことではないという結果判断である。経済を優先すべきだということなのだろう。まず、原発事故の認識を議論すべきだ。人が死んでいないという側面からだけ見たら、この事故をゆがんで認識してしまう可能性が高い。何しろ16万人が今だ自分の土地に戻れないのだ。無理に戻っても、今後の生活の再建は見通しもない。200キロ離れた小田原まで、放射能汚染で農作物の出荷停止が起きた。人間の健康にわずかずつの影響を与えていることは間違いが無い。それは今後何十年かは続く。直接影響はわずかでも、永く残る汚染が起きたことは忘れられない。

農地が汚染されたために精神的なダメージを大きく受けた。それが足と腕の湿疹になって現れた。もちろん関連があるかどうか証明は出来ないが、そうとしか思えない。これからも汚染された土地で生きてゆかなければならない気持ち悪さ。日頃忘れるようにしているが、この気分がたまらなく負担だ。土作りを農業の基本姿勢にしてきたものとしては、取り返しがつかないような負担感がある。原発の再開はこの気持ちを逆なですることなのだ。原発再開を主張するものは、再開の義務として核廃棄物の処理を示す必要がある。安い電力と原子力発電を主張するなら、放射性廃棄物の処理費を示してほしい。先進国ではすでに原発を安い発電と考えない方向が出てきている。安いというのは目先の経済に過ぎない。これは高市氏も認めている。廃棄まで考えれば、高くつく発電方法なのだ。

原子力機構の事故を見ても、人間は間違いを起こすものだ。どこまで注意を言われても、注意出来ないのが人間である。人間がやる以上、取り返しのつかない事故を起こす可能性のある原発は利用しない方が望ましい技術である。人間というものが、このくらいミスをするものなのか。あるいはこの会社が特別にひどいのか。少なくともこのような会社に、もんじゅの開発を許す訳にはゆかないだろう。もしかしたら、もんじゅをずるずる開発していることで、国からお金を引き出しているだけなのかもしれない。原発輸出の本質は、原爆の潜在的保有を意味している。最悪の武器輸出になるのではないか。いまさら原発を始める国の本音は、原爆開発だろう。日本は平和憲法に基づき、武器輸出を禁止している国である。経済優先で武器輸出まで始めるということが、原発輸出である。どこから見ても原子力は止めた方がいい。もう一度原発大ミスが起こる前に原発を止めよう。
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憲法改定の考え方

2013-06-23 04:45:20 | Peace Cafe
憲法改定を望む友人が、川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」を9条堅持を考える人はぜひ読んでほしいと言われたので、読んでみた。なるほどこういう風に考える人が、憲法の改定を望むのか、ということが分かった。軍事力の弱い国は、軍事力のある強い国から領土を奪われる。このように現実社会の弱肉強食を見ている。他所の国というものは強盗のようなもので、自分より弱い国から奪うものだとと考える。少なくとも、国家はそう考えて国民を守るための力を持っていなければならない。こう考えているのだろう。しかし、よく考えてみてほしい。日本という国もそういう強盗をやるような国であろうか。もし日本が圧倒的な軍事力を持ったとしたら、他所の国から領土を奪うだろうか。平均的な現代の日本人がそんな正義に反することを希望するとは思えない。竹島が日本だと主張して、武力を持って取り返そうとするだろうか。少なくとも現代の日本人の大多数はそこまで愚かだとは思えない。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してやってゆこうと、しているのだ。

戦争に敗れて日本人も成長している。武力を持たない弱い日本に生きる日本人は、強者の論理が間違っていることに気付き始めている。平和憲法を維持して、平和を愛する国民としての日本の奇跡のような歴史の成果ではないだろうか。武力を持たない、弱い国家も対等に問題を解決できる道を模索して行くことが、人間の平和な世界へ進む方法である。何故このことを憲法を改定したい人は理解しないのだろう。自民党安倍政権は96条の改定を公約している。これは憲法が自分たちを縛る自由の利かないものなので、煩わしいから好きに軍事力を持てるものに変えたいという気持ちだと思う。やり方が違う。川口さんの居るドイツは3分の2の要件で憲法の変更を繰り返してきた。そういうことがドイツという国を原発を持たない、脱原発の国に導いたのだ。EUの経済的困難を一人で耐えているようにも見える。そこには、分裂国家を統一まで導いた、粘り強い努力もあった。そしてEUというものが国家主義を超えて、二度と第二次世界大戦の轍を踏まぬという、理想主義を持っている。

もし日本でも、9条の改定を3分の2の要件で提案するというのであれば、それは仕方がないと思う。私としてはつらけれど、国家というものは理想主義では無理なのだと考えるしかないと思う。そして0から、もう一度理想を目指し、3分の2の要件を満たす努力をする。今度の参議院選挙はその意味で極めて重要な選挙になる。自民党が40%を超える支持を受けている。日本の不思議な選挙制度では、これだけの支持率で3分の2を超える可能性もあるのだ。自民党が今支持を集めているのは、希望的観測である。所得倍増とか、150万円の所得増とか。ぼた餅をつるしているだけだ。現実は何かいいことが起きた訳ではない。むしろ、経済の行く先もだいぶ危うくなってきた。アベノミクスはすべては希望的観測に基づく、実体経済を伴わないものだ。確かに民主党のあの鳩山氏の頓珍漢な夢によって、失望を味わった後だ。もう経験不足の政党は嫌だという思いは強いかもしれない。しかし、憲法96条の改定の主張でもわかるように、自民党からもまともなプランなど何も出てこない。

参議院選挙の自民党の農業政策を熟読して見た。258番から、273番の政策である。これで日本の農業収入が2倍になることなど間違ってもない。これで行けると考える農業関係者が果たしてわずかでもいるだろうか。今度自民党から立候補する、ワタミの渡辺さんの農業法人でも無理だろう。荻窪の農業者さんだって、さすがにこれでは納得できないだろう。こんな看板だけの政策では、ただじり貧を待つばかりである。掛け声は書かれているが、あまりに具体性に欠ける。農地法の改正、農協の抜本的改革が無ければ、日本の農業は変われない。自民党はどのように農地法を変えるのか。どんな農協に変えてゆくのか。こういうことを具体性を持って公約しなければならない。96条の改定を出してきた発想も同じである。9条の議論を避けて通ろうということだ。平和を愛する諸国民の公正と信義を模索しようという理想を捨ててはならない。
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農地発電 1

2013-06-22 04:31:24 | 環境関連
放棄農地で太陽光発電は出来ない。農地法が立ちはだかっている。耕作放棄地の転用特例に関する法律が作られようとはしているが、現状では出来ない事になっている。養鶏場なら可能なのか考えてみた。実は農地で鶏小屋を作り養鶏をやることも、法的に問題が無い訳ではない。養鶏も農業なのだから、農地法上は問題が無い。しかし、建築法上の問題である。ビニールハウスといえども一定の条件を超えたものは建築物扱いをするから、作ってはならないというのが、小田原市の13年前の見解であった。ビニールハウスの床が畑のものは良いが、鉢物はいけないということだった。そんなことが本当にあるのか信じ難かった。その後、県としてのかなり緩くなった統一見解が出ている。それに準じた主張が養鶏にも向けられた。違法覚悟でビニールハウスをの鶏場の建物を建てた。了解を得た上で建てようとしたら、不可能だということを感じたからだ。

行政はまずはだめだという事にしている。面倒くさくなり、諦めるように指導する。もし、許可をして前例になれば困るからだ。養鶏場自体に対する地域の反対に配慮してということがある。養鶏場の設置に地域が反対する可能性がある。その時に、何か行政として歯止めを持とうということのような気がした。違反で建てたからと言って取り締まるようなことはない。何かあっても責任が無いからだ。しかし、地域で反対運動でも起きたときには、違法ということですぐその施設を取り壊せる。耕作放棄地に、正式な形で太陽光発電を設置するのは難しい。違法的な養鶏場の屋根に、太陽光を付けられるかどうかが第一である。あるいは農地周囲ののり面の斜面に太陽光パネルを付けられるかである。鶏の遊び場では可能なのかどうか。これから、色々の所に当たってみることにするが、その過程を報告したいと思う。6月21日に役所に行ったが、調べてみてくれるということになった。

神奈川県でも、小田原市でも、自然エネルギーの推進ということを言われている。神奈川県では成果を上げているようだ。小田原市でも何となく進んでいるような居ないような訳のわからない状況がある。個人的に農地発電をやってみようかと考えている。しばらく前、屋根の太陽光発電施設の点検管理と保障の期間が、10年から、15年に変えられる。という説明会があった。そろそろ10年のはずだ。10年すると投資分が戻ったことになる。後はもうけのはずである。私の家のものも15年に変更してもらうことをお願いした。点検調査に見えた。2時間ほどかけて色々調べてくれたが、特に問題はないそうだ。予想通り丈夫なものだ。法律が変わったのは、個人でも自給用を超えて発電所として太陽光が使えることになったことだ。自分の土地に事業用の発電所を作れる。10年すれば、利益が出る。個人として1000万円くらいの予算で農地発電をやってみたいと思っている。その電力を家庭消費と電気自動車に使いたい。エネルギーの自給である。

小田原では法律的にどうなるかを、調査に見えた方が調べてくれることになった。下の段の畑と、中段の果樹畑の間には、かなりの面積の斜面がある。5m×20m×2くらいか。200平米の発電パネルが置ける。200平方メートルの土地では10キロワットの発電装置が建設できる。企業が導入する規模の太陽光発電システムの価格は現在のところ10kWあたり500万円程度であり、ほぼ同水準とみられる。太陽光によって1年間に発電できる量は、発電能力10kWの場合に全国平均で約1万3000kW時と推定されている。7月1日から始まった固定価格買取制度では太陽光発電の買取価格が1kW時あたり42円に設定されているため、年間で約55万円の収入になる。設置工事費にもよるが、ほぼ10年間で初期投資を回収できる計算になる。農業の為に500万のハウスを建てても、回収の見込みはない。その屋根に太陽光パネルを付ければ、費用回収が可能になる。大雑把だが損はない話だ。
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普通の人間がブログする意味

2013-06-21 04:31:25 | 身辺雑記
何でブログを書いているのですか。と聞かれることがある。不躾におかしいじゃないか、ということを言われたこともある。あまり他人のことを気にしない人間なので、気にせず続けている。普通の人間が、日々感じることを、ただただ書こうとしている。間違いもあるだろうし、知識も足りない。そんな普通の人間が考えを表明する必要があると考えている。特別な人間以外意見が表明できないようになってはならないと、思うからである。普通に暮らす一人として、庶民の発言を続ける意味を見ている。たぶんすべては、ブログが無ければ、消えてゆくことなのだろうと思う。それをあえて、人に見える形で書き留める作業をすることで、考えたり、まとめたり、気付いたり、主張できる。そのなかでも、自給の暮らしについては、深く模索し実践してきたので、自給の暮らしをやろうと考えた人には、参考になることもあるかと思っている。

江戸時代の普通の農民は、自分の体験を残すことがほとんどなかった。鶏の餌は何を与えていたのだろうと思っても、記録がある訳ではない。当たり前のことだと思って、ただ暮らしていたに違いない。ところがそこにあった、庶民の自給的な暮らし技術は、世界でもまれな完成された循環型の暮らしがあった。鎖国と幕藩体制という、独特の安定社会が作り上げられ、暮らし術が磨きあげられていったのだと思う。米本位制というような経済制度の中で、稲作技術は練り上げられていった。その技術はかなり伝わっている。その技術は、なるほどという豊かな世界である。自給的に暮らして思ったことは、特別な記録ではなく、普通の庶民の暮らし方こそ意味がある。消えてゆくことは残念でならない。柳田民俗学の続きのような意味で、特別なことでなく、ごく当たり前のことをすべて書き遺すことが、何かになるかもしれないと思う。無意味なことである可能性が高いが、結果は未来のことだからやれることをやってみている。

インターネットという、不思議な手法が現れた。私自身がこのブログを読み返すにしても、苗作りということで分類すると、過去の色々のことが出てくる。水彩画のこともそうだ。整理が上手くできる。しかも、同じようなことを世間全体で探ることもできる。人に対して考えを述べる以上、私がどのような人間かも示してはおきたい。サツマイモの作り方一つ、思想がある。どこの誰だかも明らかにしている。火曜日に見学に見えた方も、本当に自給は出来ているのですかと言われた。出来ているもいないも、それを見に来ているのだから、見て判断してもらえる。自給自足も範囲がある。塩、砂糖は自給していない。結構スーパーで買ってもくる。しかし、エネルギー換算では、200%にはなるだろう。エネルギーといえば、ガソリンは自給できない。その分太陽光発電をやりたいものだと思っている。こういう私以外にはどうでもいいようなことを、書きとめて置く事もあとで意味がある。

稲の作り方は沢山あるが、田んぼの作り方はあまりないだろう。手植えで、普通の人は1日どのくらい手植えの田植えが出来るか。1年目の人と、3年目の人はどのくらい速度が違うか。年齢でどう違うか。こういう記録はあまりない。手植えの苗作りも天皇家の映像が参考になる位いまれなものだ。数多くの失敗の蓄積が、庶民の自給技術を確立するはずである。ブログを書くもうひつつの目的は、自給で孤立してはならないということ。自分ひとりが平和に暮らすためには、国が平和の国でなければならない。自分がシェルターに入れば済む問題ではない。国が原発事故を起こせば、私の管理する農地も放射能汚染にさらされる。個人ではどうにもならない、国の政治の問題がある。これを、地場・旬・自給を目指す人間の視点から正してゆかなければならないという、ちょっと面倒くさい問題もある。

昨日の自給作業:コロガシ2時間 累計時間:31時間
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高市氏の暴言が続く

2013-06-20 04:27:30 | Peace Cafe
自民党政調会長高市氏が、17日、神戸市の党兵庫県連の会合で、「事故を起こした東京電力福島第一原発を含めて、事故によって死亡者が出ている状況ではない。安全性を最大限確保しながら活用するしかない」「原発は廃炉まで考えると莫大(ばくだい)なお金がかかるが、稼働している間のコストは比較的安い」そして翌日「被曝を直接の原因として亡くなった人はいないが、安全基準は最高レベルを保たなければいけないと伝えたかった」と釈明した。福島原発の事故をどのように認識するかという問題である。自民党では政調会長の発言の通り、死者の出なかったレベルの事故である。こう認識しているということでいいのだろう。だから原発輸出、原発再稼働とつながって来ている。原発の事故としては最悪のレベル7の事故だと、国際的には言われている。高市氏は以前、村山談話に対して違和感があると発言をして、菅官房長官が訂正した過去がある。高市氏が自主憲法を目指している、保守派の人であるので当然の本音の発言ではある。高市政調会長を辞めさせるようなことはしないでほしいものだ。

自民党は小泉内閣でも村山発言と同様の発言を国際的に行っている。高市政調会長が、自民党内閣としてぶれる発言をすることは、日本の信頼性にかかわる深刻な問題である。日本国として世界に向けて、迷惑をかけたことを謝罪して置いて、あれはなかったことだというのでは、全く信頼できない国に日本がなる。日本が尊敬される国になるためには、一度国としての総理大臣が発言をした以上、それを踏襲することは大切である。もし村山談話や小泉氏談話がおかしいというのであれば、堂々とそのように選挙公約として掲げ、勝利したうえで訂正したらいい。こそこそ裏で失言を繰り返しながら、ごまかしているのは姑息ではないか。政調会長なのだから、自民党の意見はこうであると取りまとめ、安倍首相も同類に違いないのだから、国際的に正々堂々と国の方針を変えたことを表明すべきではないか。96条先行論もそうだが、自民党のやり方は姑息なごまかしばかりである。結局は票集めのために、曖昧なごまかし発言をしているのでは、自主憲法制定どころでない。

総理大臣が国際的な謝罪をした。謝罪することで謝罪される側は矛を収め、耐え難きを耐えたのだ。それを逆なでするようなことでは、中国や北朝鮮を批判することはできない。高市氏や安倍氏をはじめとする、自民党の保守派は本音で発言するべきだ。本音を隠しているから、アメリカにまで右傾化を警戒されることになる。高市氏が福島原発事故を大した事故でないと認識しているなら、そのことを正面から説明すべきだ。すぐ、「被ばくによって直接亡くなられた方は今のところ確認されていないが、安全確保しなければいけないということを伝えたかった」と釈明している。結局は発言そのものを取り消した。こうしたごまかしが安倍氏ともども、日本の保守派を意気地無いものにしている。本音がつい出たという事を忘れはしない。96条改定さえいつの間にか、消えてゆこうとしている。釈明にもならない事をつべこべ言う必要はない。原発事故関連死とされる人は、1000人の超えて存在する。土地を追われた人は何万人だ。人生を変えられたほどの影響が私にもあった。

これ程の文明的な事故を、死者のいない大した事故ではないと認識することが、自民党の政治家である。事故の死者レベルを再稼働につなげる感覚自体がおかしい。安倍政権の原発輸出も、原発再開も公約にするらしい。本当に今回の事故が大したものではないという認識なら、IAEAの判断に対しても、訂正を申し出てもらいたい。高市氏の発言は失言ではない。確信的発言である。村山談話否定でも、福島事故死者なし発言でも、被害者の立場を想像する感性が無い為に、つい本音が出たということだろう。経済の前には少々の犠牲は仕方が無いと考えているのだ。高度成長期の公害列島をまた思い出す。強者の論理である。いじめる側に立つ人間の感覚である。本来の政治の役割は、弱者や被害者を思いやる側に立つべきものだと思う。先日の復興庁の役人と同じなのだ。被害者を左翼の●●とおもっているのだろう。

昨日の自給作業:クワイの植え付け1時間 累計時間:29時間
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合併浄化槽の設置

2013-06-19 04:21:16 | 環境関連
小田原市久野の山の方の地域には下水道はない。将来も来ない地域と思われる。そう判断した。それは以前合併浄化槽を入れようと考えて、将来の下水道の予定を市役所に聞きに行った。その時の担当の説明では、出来る可能性はあるというようなあいまいな言い方で、いまにも出来そうなことを言われた。合併浄化槽を入れてすぐ下水道が来てしまえば、無駄なことになるので設置出来ないでいた。しかし、周辺で出来る家は合併浄化槽が義務ずけられている。環境に関心を持ちながら、そういうことをやらないというのも良くない。そこで、裏の崖を直すことに併せて合併浄化槽を作った。裏の崖工事をお願いした秀幸建設さんに相談したら、うちの娘の連れ合いがそういう仕事をしているとの話で相談に乗ってもらった。費用は110万円で5人槽である。三浦さんという若い夫婦が2人がやってくれたのだが、とても丁寧な気持ちの良い仕事であった。

合併浄化槽を作るにあたっては、補助金が出るそうだ。31万円くらいが出るらしい。つまり、80万くらいで出来ることになった。しかし、この補助金の手続きは複雑なものであった。もちろん実際の手続きはフジクリンという業者の方がやってくれた。その時にわかったのは、合併浄化槽の今後の管理の不思議である。補助金はくれるが、浄化槽の点検や管理を専門業者にお願いしなければならない。私の考えでは、家で出るごみは糞尿といえども、自分の敷地内で処理したいと考えている。浄化槽管理であれば、業者より私の方が技術的に上である自身がある。これはもう15年も前になるが、以前山北で浄化槽を作ろうと考えたときに、筑波にまで見学に行った時の話である。筑波大の教授の自宅が、国の循環型住宅の実験施設になっている。100坪くらいの家であった。その庭に、浄化槽と40坪くらいのハウスがある。そして家の周りにはぐるりとU字溝がある。ここで家庭で出る雨水を含めて、一切のものを外に出さないで処理していた。

家庭菜園ハウスを併設した、浄化槽システムである。ハウスの中には水耕栽培のシステムがある。浄化槽自体もハウスの中にある。温度を確保した方が、安定して微生物が活動してくれる。ハウスには野菜が様々作られていた。浄化槽から出る水を軽石の入った連続する、プランターに流し入れる訳だ。その肥料分で、作物が出来ている。面白いのは、浄化槽に近いところには、多肥料の作物、遠くなるとパピルスのような、ほとんど肥料のいらない植物になる。最後にしみ出てくる水は、植物に浄化されて飲めるレベルの水になっている。そして、その水が家の廻りのU字溝に流れる仕組みになっているが、実はそこに水が出ることはほとんどなく、出たとしてもわずかで蒸散してしまう。私の浄化槽のイメージはこのシステムに基づいていた。農業をやっているのだから、当然家から出る水は、外に排水を流しだすのはもったいない。すべてを畑に使う。当然のことである。雨水も同じである。外に出さないで使えば、水道水を使用しないで済むことも多い。

ところが、こういう構想をフジクリンの人に話したところ、役所の基準ではそんなことはやってはならないというのだ。もしそういうことをしたら、補助金の対象にならないだろうと言われた。補助金をもらえないというのも確かに困るので、まずは言われるままに進める。しかし、これでは家から廃棄物は出てゆく。環境の問題は解決しない。まず、しばらくは浄化槽の様子を観察して見る。そのうえで色々対策を考えたい。そもそも下水道など農村地域に作るべきものではない。糞尿は大切な資源だ。しかし、昔のような糞尿堆肥を使えば、近隣から苦情が出るだろう。しかし、合併浄化槽から出る水を畑で使う分には、問題が無いはずである。そもそもそのまま川に流している水なのだ。今度役所に行ってこの辺のことを良く聞いてみたいと考えている。その補助金をもらうには、社団法人の検査とか、業者との管理契約とか、が義務付けられている。いずれ補助金をもらってからの話である。
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国家公務員の暴言ツイッター

2013-06-18 04:13:49 | Peace Cafe
復興庁で東日本大震災の被災者支援に当たる幹部職員の水野氏は総務省の出身。千葉県船橋市の副市長を経て昨年八月から復興庁に在籍。所属する法制班では東京電力福島第一原発事故の被災者支援強化を目的とした「原発事故子ども・被災者支援法」に基づく運用の基本方針の策定作業を担当している。しかし、同法成立から一年たっても基本方針は示されていない。という立場のこの人が、どうした訳か、ツイッターで暴言を繰り返した。「左翼のクソども」というもの言いが特徴的である。左翼嫌いというか、保守的な人なのだろう。こういう上から目線の人は気に入らない人を左翼とみなすことが多い。クソと書いたのは、行き過ぎである。ストレスがたまって常軌を逸脱したと考えることが自然だ。それくらい、公務員というものにはストレスが集中する。こんな精神状況だから、仕事の方もうまく進められない。船橋では良くやっていたらしいので、特殊な状況で悪い部分が出てしまったのだろう。

この暴言問題の本質は、こんな気持ちの公務員がたくさんいるだろうということだ。この人はストレスから、ツイッターに本音を書いただけだ。実はこういう立場におかれた人間のかなりの数の人はこんな気持ちに追い込まれる。と考えた方がいい。震災対応は人間をこんな気持ちにさせる、難しいものだと思う。人間の本音は結構変わる。こういう気持ちになる時もあるということがより正確な気がする。何故こんな気分になってしまうかと言えば、自分が選ばれた人間であるという意識がどこかにある。そして、一方に公務員としての立場から、政府の福島原発事故の対応のひどさを、出先で全面的にかぶることになる。個人の問題ではないのだが、行きどころのない不満の直接的対象になってしまう。その結果公務員という存在は屈折してしまいがちである。そのために、慇懃無礼。心の中が極端に横暴になったり、意地悪になったりしてしまう。

これを防ぐためには良い職場環境である。互いを理解する人間関係が作れるかである。陰になって支えることが出来るような職場なら、こんな暴言まで行かない。つまりそういう労働組合が必要だ。こういうことを以前ブログに書いたら、労働組合の職員と名乗る人から、労働組合の目的はそんな物ではないと、抗議のコメントをいただいた。勤務時間中のコメントであったから、働いていないのか、あるいは専従なのか、なり済ましかはわからない。実に職場環境が悪い世界であるとの思いをさらに深めた。建前と本音が入り組んでいる世界は人間を成長させない。処世術だけで世間を渡ることになるから、嫌な奴がのさばることになる。しかも、給与というもので殺生権を握られた上だから辛い。農業はその点は良い。判断を間違えば、自己責任である。

福島原発事故の政府の対応は明らかに間違っているし、失敗ばかりである。東電の対応がこれほど不誠実なのは、政府の責任である。広大原発周辺地域が今も立ち入り禁止である。小田原という離れた土地にまで、汚染が一気に広がった。大量の放射能を放出して、地球環境に大迷惑をかけている。こんな悲惨な事故を起こしたことは、日本の歴史上ないことである。事故の原因もいまだ確定は出来ないし、内部の状況も把握できない。廃炉するとしても高濃度の放射能汚染物質の行き場はない。どうしたらいいのか政府自身も方針が示せない。自民党政権の語っているのは、希望的観測だけである。どうしても、原発を再開するなら、核廃棄物の処理だけは目途を付けてもらいたい。ごみ処理法が定まらないにもかかわらず、ごみを出すのは犯罪行為だ。こういう政府の手先として、仕事をする人間が、おかしくなるのは当たり前のことだ。だから、復興大臣の訓示は見当違いである。これは、職員の個人的な資質の問題ではない。
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日本野球機構と柔道連盟

2013-06-17 04:24:02 | Peace Cafe
日本野球機構では統一球基準の変更の公表が遅れたことが問題化している。柔道連盟ではコーチの暴力指導が問題となった。両者とも責任者の責任の取り方で批判が起きている。野球ではコミッショナーが報道陣から、辞任するのかどうかが質問されていた。最近の報道は問題の本質に迫る能力が無いためか、辞任するかどうかで記事を埋めようとする傾向を感じる。野球の場合昨年のホームラン30本と今年の40本が同じくらいの価値とすると、野球の公式記録というものに興味がそがれることになる。統一球は国際基準というか、アメリカ大リーグにあわせようとしたためである。ボールはそれ以前より飛ばなくなった。こういうことは、実は当たり前のことで野球場の大きさやフェンスの高さがそもそも違うのである。その上に、審判が人間でありストライクゾーンというさじ加減を加えている。だからアメリカではすでストライク、ボールの判定機械があるのにあえて、ストライクゾーンの機械化をしない。

コミッショナーの責任が問われる必要など全くない。むしろ一番の問題はコミッショナーがボールの反発力の変更を知らなかったという点である。組織が心配である。一体誰の考えで、ボールの反発力が変えられたのかである。どうも事務局レベルということのようで、大した変更では無いと考えて、黙っていたのだろう。そもそも、ボールの反発力には違いがある。わずかな反発力の違いがゲームを左右するのであれば、ゲームが成立しないことになる。あくまで両チームがそのバラツキの中の公平さで勝負している。例えば、テニスやバトミントンなど新しいボールや羽根に交換するつど、有利さが変わる。それで交換を要求するのも戦術の中に織り込まれる。国際基準に合わせる、野球を作り出したアメリカにあわせるというのは当たり前のことだ。そうしなければ、オリンピックに入ることなど出来なかった。騒いでいるのはスポーツマスコミのいじめ体質のせいだ。要するに野球の記録というものの意味をその程度のものと考えていればいい訳だ。

柔道連盟では、上村理事長が辞任しないことになった。これは間違った判断である。柔道連盟の理事の行動が、国際的には犯罪と言われるような指導だったのだ。理事長が責任を取って辞める以外に責任者の資格がない。汚く固執する理由が隠されているとしか思えない。途中で補助金の不正利用が明るみに出た。何もしていない人に補助金のコーチ料が払われていた。訳のわからないい、集金の仕方も明るみに出た。さらに理事の犯罪と言えるセクハラ行為まで出ている。経理上の問題点がまだまだある気がする。それで辞めるに辞められなくなっているのだろう。補助金が出ているのに、外部監査が甘いということだ。文部省は徹底した調査を行う義務がある。これもまた優柔不断である。一度柔道連盟が出した調査書を、文部省がつき返したということがあったが。平気で甘い調査で済まそうとしたその時点で、組織は終わりである。解散をさせるぐらいの指導がなければならない。

責任者が変わるということは、どういう種類の組織でも、常に必要である。永くやることで民主的な運営にならなくなる。役職者が組織の権力者になる。絵の団体ではそういう悪い経験をした。2年交代ぐらいがちょうどいい。町長市長なら2期で交代である。市長なら一市民に戻り、市民としてやるべきことがある。それで力が出せないようなら、そもそも市長などやる力が無い人なのだ。永くなるとどこの組織にも、取り巻きが形成される。持ち上げる人もいれば、甘い汁を吸おうという人も現れる。しかし、変わると分かっていれば、そういう悪い権力機構は存在しにくくなる。全柔連の前近代的体質は日本の組織の悪い側面を見せつけている。責任者という名前の通り、代表は責任を取るために存在しているようなものだ。その覚悟が無いなら代表を受ける資格がない。すでに上村氏がやっていることは、犯罪隠しの為としか思えない。

昨日の自給作業:草刈り1時間 累計時間:28時間
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総理大臣の妻・安倍昭恵氏

2013-06-16 04:09:14 | Peace Cafe
安倍昭恵氏は今までの総理大臣夫人とは一味違う。人格がくっきりしているところが、ヒラリークリントン氏のようだ。原発推進で心を痛めていると、家庭内野党であると公言したそうだ。夫婦で意見が同じということの方がおかしい。夫唱婦随は願望が生んだ言葉だ。心配していたことが表に出てきたので、一言近くで見ているものとして考えを書く。それは、寒川のドックレスキューを安倍昭恵氏が支援していることである。これは安倍氏が総理大臣になる前からのことだ。福島から犬や猫や鶏を救出する活動を、UKCという組織が行ってきた。これを主宰しているのは、タッズ犬舎の方である。みんながタッズ父さんと呼んでいたので、何となく細さんという名前よりタッズさんと言ってしまうのだが、この人は夫唱婦随で原発事故以降、人生を動物のレスキューにささげてきた。

こうした活動には誹謗中傷がつきものである。色々攻撃を受けることもあったが、耐えきって来た。そして、動物愛護協会とか、獣医師会とか、公的な機関より、実質的には救出の効果を上げてきた。我が家でも出来る限りの協力はしてきたが、民間でやれることの限界にきている。そうした中、昭恵氏はドックレスキューを日本も国家的に取り組むべきだ。殺処分0を目指そうと声をあげてくれたのだ。これは活動の希望になった。昭恵氏はそもそもどういう人かと言えば、地元の方で無農薬の田んぼもやっているような人だ。居酒屋の経営を始めたというので話題にもなった。路上パトロールにも関心があるようだ。もしかしたら、私と同類の方の人間なのかと思える部分がある。それで一部から、選挙目当ての発言ではないかとか、むしろ安倍降ろしになっているのではないか、まあ、家で静かにしていた方がよろしいのではなど、色々のことが言われる。

UKCでの活動も話題になっている。自民党から、ドックレスキュー設立を主張する参議院候補が立候補する予定だ。青雲ドッグスクール代表 田辺 久人氏がこの度、自民党公認で今回の参議院選挙へ立候補を予定している。以下、代表のUKC Japan代表理事の細 康徳の言葉である。田辺 久人氏は私の10年来の友人でもあり、犬や猫の殺処分0を実現し、日本初のティアハイム設立を目指す「志を共にする同志」でもあります。田辺 久人氏が国政を目指す事となった背景には、日本における犬、猫など動物達に対する法整備、行政の仕組みが先進国と言われる他の国々と比較しても大幅に立ち遅れている事実があります。田辺氏を支持することは、憲法改定に繋がるので、私としては出来ない相談であるのだが。殺処分0を目指す点では、同じ気持ちである。問題とされたのは細氏が元やくざであるということだ。細氏はタッズという素晴らしい犬によって、やくざから足を洗うことが出来た人なのだ。そのことが今回の、レスキューにつながっているのだと思う。そのことを思うとどうしても熱いものがこみあげてくる。

昭恵氏が元やくざの推薦する人を、自民党公認に押したという誹謗があるのだ。これだけは否定したい。私は反自民党であるが、こうした角度からの批判は許せない。細氏は信頼できる人である。やくざであったことは隠している訳でもない。UKCのホームページを読めばわかる。今回の福島のレスキューでは震災直後から、駆けつけて昼夜を分かたず、家族でのひたすらの活動である。そんな人は日本に何人もいない。言葉だけではないのだ。実際に動物の命を救ってくれている。昭恵氏がその細さんと出会い、自民党の元総理夫人という立場でありながら、元やくざであることを承知で、一緒になってドックレスキュー設立を目指したのだ。先進国並みの施設を作りたい。こう協力を申し出てくれたことは、混じりけのない立派な行為だ。細さんに会いもせず、寒川のレスキューの実態も見もせず。問題点だけを言い募るひとを、山ほど出合って来た。世間には苦しんでいる犬には、何の役にも立たない人が実に多いのだ。

昨日の自給作業:コロガシ1時間 累計時間:27時間
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