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日本は全体主義に進んだ。

2020-10-31 04:26:58 | Peace Cafe


 日本はアベ政権引き続き、方角を見せないスカ政権とつづいている内に、全体主義に進んだ。しかもそれは日本人の選択である。日本人は自ら全体主義への道を進んでいる。この無意識とも言える選択が恐ろしい。

 全体主義化を気付いている日本人の方が多いであろう。それでも仕方がないということなのか。全体主義を悪いものとは思わないのか。落ち目の日本を持ちこたえるためには全体主義も仕方がなかろうという、弱気な選択をしているのか。

 アジア諸国からも追い抜かれた事を感じている日本人は、気持ちが焦って落ち込んでいる。少々の全体主義で傾向があったとしても、切り抜けられるならかまわないと間違った道を進もうとしている。アベノミクスは企業にのみに利益がもたらされ、下層国民は貧困への道を下っている。

 企業が利益を上げれば、全体が潤うというのは嘘なのだ。企業は利益を企業に内部留保してしまい、新しい産業創出のための研究及び設備の投資をしない。そのうえ労働者の給与を十分に上げるということをしない。この結果日本の社会で過去にないほどの貧富の差が生まれ始めている。

 それは中国に追いつかれそうなアメリカの焦りとも似ている。トランプはなりふり構わず、アメリカファーストを叫んでいる。そして、正義をかなぐり捨てたアメリカの行き方に、疑問を感じながらも強権のトランプを選択してきた。果たして、大統領選挙の結果でアメリカの方角は変わるのだろうか。

 スカ政権は自助を強調している。政府はもう力の無い下層国民を助ける余裕など無い。と宣言した政権である。自分のことは自分でやれ。新自由主義経済と呼ばれる、無謀な競争主義経済である。上級国民という力のある者が富を得る。力のないものが下層国民に落ちることは自業自得という考えかたである。

 その方が世界経済の中で戦うには有利と言う日本人の気弱な選択。人間は自由にやりたいことをやるときに、一番力が出る。やらされるよりもヤル気になってやるときに力が出る。農業が衰え、地方社会の底力が失われつつあるところから、日本人という歴史的に蓄積された力量が失われた。

 公明党を見るとよく分かる。かつては平和の党と自称していたにもかかわらず、今や軍国主義自民党を補完する勢力になっている。あの新自由主義政党維新の会の大阪都構想すら、いつの間にか寝返りの賛成に回った。自らの政党の主義を失い、長いものには巻かれろと自ら全体主義になだれ込んでいる。

 戦後日本が目指した福祉社会から大きく道が逸れてしまった。そんな余裕は無いと言うことをスカ政権は登場するなり、自助宣言をした。これから弱者を切り捨てる、階級社会が始まるのだろう。強者による全体主義社会が始まるのだろう。その予兆が、学術会議推薦拒否事件である。

 これは他人事では無い。すべての日本人のことだ。日本はこうして全体主義への扉を開いたと、後の世に語られる事件である。そして、このままでは下層国民がその全体主義を自ら選択した事件と言うことになりそうである。全く悲観的にならざるえない。

 学問を色別に分けて、政府に役立つものだけを利用しようという愚かさにはあきれる。政府にお墨付きをくれれば学問の役割は十分であると言う独善。聞く耳というものを持たないのだ。それは民主主義というものを否定していると言うことなのだろう。

 民主主義は多様性を価値としている。違うものが集まることで、より強い社会になるという考え方である。たとえ正しそうに見える考えであっても、それだけに染まれば、柔軟性を失う。全体主義は一時は有効に見えるが、長期的には大きな失敗になる。

 人間は自由を失ったときには力を失う。芸術の衰退状況を見るとよく分かる。社会が劣化して行くときには、リアル絵画評価されるようになる。価値の多様性が分からなくなるから、即物的に写し取るというような、技術だけの絵画が評価されるようになる。ロシアリアリズムはその事例だ。

 ピカソ、マチスがわからないものの代表とされた時代がある。芸術は分からないから良いのだと、あるいはデタラメが何故良いのかと言われたものだ。現代はもう芸術は失われた時代。商品絵画の時代。商品は分かりやすいものに限る。新自由主義経済では販売対象にあわせるのが商品である。

 学問の価値は科学性にある。だからまだ維持されている。経済至上主義の中でもかろうじて科学の優位性がある。政府としては経済性だけを重視したのだが、科学は経済を越えた価値観で出来ている。それは芸術も同じなのだが、芸術の方は商品経済に覆われやすいが為に、自ら崩壊の道を進んでしまった。

 自分の哲学や世界観を切り開こうなどと言う芸術の方角は、経済性に押し流されている。そして、政府は商品芸術はアニメーションやゲームのなかあるとしているのだろう。

 学術会議の任命問題が何故、全体主義へ繋がるのか。ここがまだ十分理解されていないのではないか。気に入らない、安保法制反対の学者を排除した。これは共通認識であろう。この事件に対して人事というのはそんなものだという意見が広がっている。ここが危険なのだ。

 こうした学者に対して、政府の都合で選別を加えれば、学者も政府に都合の良い研究をしたがるようになるだろう。つまり、現在学術会議は軍事研究は拒否している。ところが、政府はこれをさせたい。忖度して軍事研究をする学者を優遇する。

 すでにこうしたことは起きている。農業分野では農薬や化学肥料、あるいは大規模農業の研究をする学者が優遇されている。地道な基礎研究をしている学者は冷遇されている。学者は骨がある人が多いので、冷遇されても基礎研究を続ける人がまだ居る。しかし若い学者志望者は前途をたたれている。

 基礎研究のような不要不急のものは入らないというわけだ。まさに芸術など不要不急だから、無くなったってかまわないと言うことになる。余裕の失われた社会なのだろう。この行き方は人類の進歩と言うことを考えたときに大きな間違いである。

 全体主義は強制から始まるわけでは無い。それぞれが政府を忖度して、選挙で投票をして作り上げて行く。それが始まっているのだ。そして、その不自由な社会に気付いたときには、もう戻れなくなっている。研究したい学問が禁止されている社会である。やりたいことがやれない社会になる。

 描きたい絵が自由に描けない社会である。歌いたい歌が歌えない社会である。自分の人生を政府の許可範囲でしか選択できない社会である。もう半分踏み込んでいるような気がする。これを逃れるためには、自給自足的なコミュニティーに脱出するしか無いように見え始めている。

 しかし、今ならまだ間に合う。今なら全体主義を防げるのだ。次の選挙で自民党に投票しないと言うだけのことで良い。ここで気付かなければ、政府はますます国民の選択の幅を狭めるだろう。野党がダメだとか、共産党は怖いとか、そんな状況はとっくに過ぎている。

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スカ総理大臣の言い訳の醜さ

2020-10-30 04:38:43 | Peace Cafe


 スカ総理大臣がNHKの報道番組で、学術会議推薦の6名の任命を拒否した言い訳をした。これが余りに幼稚な言い訳で、まともな大人とはとうてい思えない理屈だった。日本の総理大臣として余りに恥ずかしいことだ。どうせならもっとましな理由を言って欲しかった。

  そして、国会の代表質問への回答でも同様のことを答えた。枝野氏が支離滅裂と言っていたが、自己矛盾も甚だしい答弁である。どういう神経をしているのだろうか。総合的、俯瞰的に見てこの総理大臣は罷免すべきだ。理由を説明すれば、論理が無いからである。

 第一の問題は任命拒否と学術会議自体の問題とは混同しては成らないと言う当たり前の話。もし学術会議のあり方が問題であるなら、全員の推薦を一度止めて、学術会議と話し合いを持つのが、まともな総理大臣のやることだろう。

 6名だけ任命拒否するなど、まるで子供の意地悪のようなものにしか見えない。しかもその6名が安保法制の違法性を指摘している人なのだ。誰が考えても理由は見え見えだろう。政府に従わないような学者を排除したかったのだ。

 それはアベ政権がやったことを受けてのことだろう。スカ氏は名簿を見ていないで、結論だけ聞いたのだろう。正直にそこから始めれば良いだけのことだ。

 第二の問題は人事には説明できることと、説明できないことがあるとした点である。学術会議任命拒否は単純な人事の問題ではない。学術会議の推薦を拒否するという前例の無い法律変更の問題である。いままで慣例として行っていた推薦全員の承認を取りやめたのである。法律の解釈に関わることを人事の問題と片付けては成らない。

 単純に人事だから説明できないという話では無いのだ。何故学問の自由の侵害にあたるかもしれないような行為を総理大臣が行ったのかと言うことは、説明が必要な要件だ。あいつは裏で汚いから、昇進させないとか。あいつはお歳暮をくれたから昇進させたとか言う人事の話では無いのだ。

 第3に推薦が一部の大学に偏っているので、民間人や若手、地方大学の出身者らを例示し、満遍なく(会員を)選んで欲しいと主張した。全く話が矛盾している。6名の出身大学が推選者が多すぎるので、減らしたと言うのであれば、そう説明すれば良いだけのことだ。

 東大や首都圏の大学が推薦者が以前は多かったらしいが、現在はそれは是正されているという。言い訳に使うなら、正確な数字を把握した上で主張しなければ恥をかくだけだ。

 事前の名簿は見ていない。6名を外した99名の名簿だけ見たのではなかったのか。今更こんな嘘をつくなど論外である。ごまかし方が下手すぎる。言い分ければ言い分けるほど泥沼にはまり込んで行く。

 この子供じみたような言い訳の数々を聞いていると、この人が総理大臣では日本はダメだと思う。頭が切れない。言い訳が下手すぎる。こんなごまかしの説明で言いくるめられるのはスカ氏ぐらいだろう。これからどんどん貝になるだろう。何を聞いてもむっつり黙る。口にすれば言い訳が幼稚すぎるからだ。

 問題に正面から向き合う以外にないのだ。誠実に本音で説明するところからすべては始まる。学術会議を変えたいのだ。手段として推薦外しをしたことは間違えであった。6名を任命し、その上で学術会議改革に入れば良いのだ。

 スカ総理大臣の人心掌握術としては、嫌らしく推薦拒否で、学者を忖度体質にしたいだけなのだ。学者が政府にすり寄ってこさせようという腹黒さなのだ。そうなれば、学術会議の改革など関係も無い。大学の偏りや民間からなどどうでも言いに違いない。

 日本人はついに、こんな浅はかな総理大臣を持たなければならないところまで落ちぶれた。貧すれば鈍するとはよく言ったものだ。国が落ちぶれてくると、総理大臣も随分と劣化するものだ。こんな調子では日本経済の立て直しなど、とうてい無理だろう。

 希望はある。これほどひどければ自民党が終わるかもしれないという希望だ。自民党には学術会議問題ですら、スカ氏に従っている。おかしいと思宇人はいないのだろうか。これで十分な説明がなされたと思っているのだろうか。さすがにそれはないだろう。それでも逆らえないという自民党議員の哀れさよ。醜さよ。

 議員の人事のことなのだろう。口にすれば人事で差別をされるのだ。忖度した河井氏は法務大臣になった。批判をすれば虐めに遭うだけなのだ。こんな政党に未来があるはずが無い。未来のない政党が日本の政府なのだから、日本にも未来は無いということにならざるえない。残念だ。悔しい。

 結局の所、選択肢は政治を無視すると言うことになってしまう。自民党に投票しないという一事で良いのだが。それがなかなか実現しない。結局政治から離れる。社会から離れる。ひどい政府を忘れて暮らす。こんなことではダメなのだが、他に方法も無い。

  これがスカ総理大臣の主張である自助の国である。政府が自分のことは自分でやれと言っているのだ。もう自分だけではどうにもならないところに負いこまれた、貧困指数一番の国で総理大臣が言う言葉である。生活に困ったのなら自分でどうにかしなさいと言うことなのだ。政治家が言う言葉では無い。

 国が必ず助けるから、安心しなさいと言うのが政治家の言葉だ。総理大臣が改めて自助のことなど口にする必要が無い。近所の自治会長が、自助、共助、公助というのはまだ許されるが、政治が自助を口にするようではダメだ。総理大臣が国会で自助など口にされたらたまらない。

 自分の生活を自分で頑張る。これは当たり前のことだ。誰だってそうしたい。ところが様々な事情でそれができない人がいる。それが政治の問題なのだ。自ら生活ができない人に向かって、まず自助ですと突き放すのは酷な話だ。努力していないと言い切っているのだ。

 独力で頑張り抜いた人の中には、頑張ればどうにかなるはずという思いが強い人がいる。ダメな人は頑張らないからだとどこかで考えている。貧困率先進国中最悪の国には、どれほど頑張りたくとも、無理な状況が無数にあるのだ。これを変えるのが政治では無いか。

 頑張ればどうにかなる。すべての国民に等しく頑張りたくなるような社会にするのが政治の役目だ。今の日本はそうでは亡くなりつつある。スカさんが大学に行った頃は自助努力で夜学に行けた。ところが今の社会は自助努力だけでは大学に行けない状況がある。甘えているからでは無く、ダメな社会に進んだのだ。

 スカさんだって、家のイチゴ農家を手伝いながら、秋田大学に行くという選択肢はあったはずだ。学費は当時月1000円のはずだ。試験を受けて選ばれれて奨学金を貰えば無料になったはずだ。大学で学ぶと言うだけならそういう選択枝もあった。

 しかし、スカさんは東京に出てきたかったのだろう。そしていわゆる苦学をして夜間大学に通い、政治家の秘書になる。たいしたものだと思う。そして、総理大臣になる。ここで成功者として、何かが抜け落ちたのかもしれない。当時の学生運動などを一番苦々しく感じていたタイプだ。その生き様の結果自助だと考えるようになったのだろう。

   学術会議問題は世間ではたいした話ではいと感じているようだ。どうせ学者のエライ人の話で、どっちでも良いと感じているようだ。学術会議推薦拒否問題は日本人ひとりひとりの明日に切実に影響をしてくる事件なのだ。すべての日本人が政府に従えという話に必ずなると言う話だ。

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石垣市のコロナ感染者100→104→107人になる。

2020-10-29 04:17:01 | 石垣島


 きれいな蝶がいたのだが、どこにいるかわかりますか。

 世界のコロナ感染者数が過去最高になっている。コロナは一時収まりかかったが、又再燃してついに世界では一日の感染者数が過去最高なった。当然死亡者数も徐々に増加し始めている。こんな事態になっても、経済が重要だから、自粛などしてはいけない、とマスクもせずに騒いでいる人達がいる。どういう了見なのだろうか。感染すれば一人ではすまない問題なのだ。

 現在日本は全体で見れば、入院患者が5000人ぐらいで落ち着いている。死者は10名前後で収まっている。このぐらいならば止むえない数値である。医療関係者の対応がすばらしいのだと思う。未知の感染症に対して良くもここまで抑えてくれている。感染のリスクの中、心より感謝している。

 10月23日アメリカ一国で1日の感染者が8万3000人というのだ。大統領も感染し、その集会にはマスクをしない人が多数参加している。世界全体の感染者は累計4200万人以上、死者は110万人以上に達している。ヨーロッパも過去最高を記録して、そしてこれはまだまだ続くと言うことである。

 新型コロナウイルスは抗体ができにくい感染症らしい。一度感染しても数ヶ月すると抗体が消える人の方が多いとの情報もある。今回の感染症は集団免疫は無いと言うことなのかもしれないのだ。ワクチンも年に2回打たなければ効果が無いという、かなり難しいものになりそうだ。

 ヨーロッパの3回目のパンディミックは集団免疫が期待できないことを表している。フランスでは死者数が一日500人を又越えている。最悪の事態が再度起きている。経済優先も止むえないところはあるが、よほど用心して様子によってはいつでもブレーキをかけざる得ないのだろう。

 幸い日本は一部を除けば良い対応である。このまま行ってほしいと思う。今のところ死者数が10人前後で何とか収まっている。これくらいで収まってくれればいいとしなければならない。

 誰もが感染を広げないための常識は守らなければいけない。一度感染しても、抗体ができずに又感染する病気だと自覚すべきだ。特に老人は最大限の注意だ。日本がこの程度で収まってはいる理由は、どこが危険なのか、どうすれば感染しないですむかを多くの人が自覚したからでは無いだろうか。日本人の衛生観念の高さである。

 ところがなんと沖縄自民党の県議団は16名で、与那国島。石垣島。宮古島と自衛隊基地の視察を強行した。その上夜の会議という宴会を行ったのだ。結果そのうち12人が感染した。感染クラスターを起こしてしまった。同席した、自民党市議や副市長などは濃厚接触者になった。ある意味被害者のようだが、感染すれば加害者に変わる。

 石垣島では市議も夜の宴会も付き合ったのだろう。濃厚接触者となっていた川満誠一石垣市副市長や大浜知司竹富町副町長、石垣市議5人。感染していなければいいとおもうが。何という非常識な行動であろうか。感染した人を責めてはいけないと言うが、こう言うはた迷惑な行動は非難されるべきものだ。結局議員という人種の中には自分のこと以外は考えていない人が多いと見られても仕方がないと言うことになる。

 県民の模範になってしかるべき県議が、何というひどい行動をしたものか。さすがにこれほどの行動は、全国の自民党の中でも特出していると言えるだろう。沖縄自民党の劣化は目に余るものがある。長い間おかしな利権構造の中で野党として生き延びてきたからでは無いか。何故この時期に、自衛隊基地を集団で見回らなければならないのだろう。そして夜の宴会までやったのか。

 それは沖縄自民党がそういう政党だからである。視察をする目的の一つが宴会である。一緒に酒でもものんで、盛り上がらなければダメな政党なのだ。ここに、序列とか忖度というような諸々のやりとりが潜んでいるのだ。沖縄自民党では、こんなところで方針が決まって行くのだろう。きちっとした議論などせずに、俺に任せておけば悪くはしないというような集まりなのだ。

 石垣市の累計感染者数はついに28日に104名に達した。500人当たり1名の感染者が出たと言うことだ。これは全国一の密度では無いだろうか。このところ連日4,5名の感染者が増えている。危機的な状況である。潜在的にはこの倍の数の感染者を想定しなくては成らない。250人に一人の感染。身近に感染者がいるということである。

 コロナなぞ怖くないとうそぶく人達は、この小さな島でのコロナパンディミックをどう考えるのだろうか。医療機関も一杯になっている状況をどう見るのだろうか。油断をすれば日本中どこでもこうした危機的状況が生まれる。

 あっという間に100名の感染者である。毎日新規感染者が4,5名はいる状況だ。5万人の人口である。感染経路の不明の患者も出てきている。旅行者から感染したと診られる患者は少ないようだが、飲食店関係者も感染しているから油断は出来ない。

 沖縄本島に出かけて、戻って感染が分かるという人が続いている。バスなどの交通機関が危ないと言うことがある。バスは早急に窓を開けること。満員にはしないこと。当然の処置である。乗客は遠慮無く窓を開けるべきだ。

 島における感染の広がりがどういう結果になるのか。ゴーツートラベルが問題ないと言い切れるのだろうか。石垣島を外す、あるいは沖縄を外す。こうした選択肢も出てきていないだろうか。経済のこともあるが、島の人達の生活の安全は守られなければならない。

 行政はコロナ感染対策を0から見直すべきだ。国からきているという専門家は、もう少ししっかりと見直し対応をして欲しい。いろいろ不十分な危ないところがまだある。室内での飲食。これが何より感染源になる。野外での飲食を奨励すべきだ。

 テラスの街石垣島だ。緊急対策として、店の前の歩道は当分無料で使用を認めたらどうだろうか。ユーグレナモールなど手頃な場所になりそうでは無いか。そして、真栄里公園か、新栄公園か、サザンゲート公園あたりに夜店村を作る。無料で市内の店舗に貸し出す。

 このまま何もやらないでいたのなら、入島禁止まで考えるような状況になるかもしれない。私のような素人の考えなどダメかもしれない。しかし、現状かなりきわどい状況になっていると考えるべきだ。


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石垣島に戻り、絵を描く日々に入る。

2020-10-28 04:01:33 | 石垣島
 

 石垣島に着陸する飛行機、上から見る島が好きで着陸、離陸の時は窓に張り付いている。空席があれば、必ず窓側にする。俯瞰する景色は模様のようで実に面白い。ユーチューブには上空からの映像が様々出ている。石垣島のものもあって時々見た。見ると言うことはともかく面白いことだ。

 石垣島に戻り、2週間が過ぎた。コロナ発病の兆候がなく、自粛期間が終わろうとしている。小田原行きの中で一番リスクが高かったのは石垣島に戻った15日のバスだった。石垣島は現在安心できない状況である。私が広げないかの心配より、どうすれば感染しないかを考える必要がある。

 石垣島ではかりゆし病院ではクラスターが起きた。なんと患者が集まって食堂で食事をしていたというのだ。全くバスといい病院といい、肝心な感染対策が抜け落ちていないか。何しろ自民党の県議団は石垣島に来て、17名で宴会をしてクラスターを起こした。それに石垣の市議団も参加したと言うから、どうなっているのだろう。マスクをしろ、手を洗えをしろ、それ以前の基本がだめではないか。

 それぞれが自分で注意する以外に感染を避けることは石垣島では出来ない。もう満員バスには間違っても乗らない。東海道線はグリーン車に乗ったのに、石垣島ではタクシーに乗るべきだった。何かこう言ううっかりが危険なのだろう。

 本島から戻った人が2名感染。そしてかりゆし病院の患者ではない方が6名感染。この8名は普通に暮らしていた方だ。自民党の県議団もクラスター感染して石垣島を歩いていた。狭い石垣島なので、どこかで感染者と出くわす可能性はある。感染者の80%は自覚症状が無いのだ。

 今は小田原で猛烈に農作業をしたことが嘘のような気がしてくる。ユーパックで送った荷物は中一日で着いた。ユーパックはすばらしく早い。軽く干してお米を真空パックして戸棚に格納した。サトジマン60キロと餅米が8.3キロ。これで一年分のお米が確保されている。お米があれば暮らしは一安心である。

 今これ以外に10数キロ麹用の古米が保存してある。もし麹を作るとすればこれを使う。そして、来年お米が余れば又それを麹にする。麹にするには古米の方が良いと、厚木の麹やさんが言われた事が頭に残っている。そう、そのほかにまだ麹が冷凍保存してある。麹は常に冷凍してあり、時々甘酒にして飲む。甘酒は飲む点滴である。健康食生活の必需品だ。

 麹を作りに行くとすれば、正月と言うことになるのだが、以前あまりの寒さで風邪を引いた。今風邪を引くのはいただけない。今年は麹造りはお休みにした方が良いかと思い迷っている。出来れば、12月に行くときにやらせてもらえないだろうか。付くって冷凍しておけば、大豆さえ収穫すれば、いつでも味噌造りが出来る。大豆の会にお願いしてみよう。

 今回小田原では醤油を絞った。いくらか人にあげて、石垣島には9リットル送った。これでしばらくは醤油はいらないだろう。今後、醤油を作るような余裕はもう無いような気がしている。醤油はかなり手間暇がかかる。3日間はつききりで管理をしなければ仕込めない。

 今回渡部さんから栗を貰ったので荷物に入れて送った。欠ノ上田んぼの栗だ。すぐにその栗を全部茹でてしまい冷凍をした。時々楽しんで食べている。栗は美味しいが、石垣島では見ない。栗ご飯も一度は食べたいがまだだ。栗ご飯には少し餅米を混ぜて炊くとより美味しくなる。

 新米をたべた。今年のお米はどこか軽い味だ。美味しいお米なのだが、登熟度が低い感じがする味。今年は自給祭が延期になったので、お米の食べ比べができない。他の田んぼはどうだったのだろうか。欠ノ上はサトジマンは収量は9.5俵。餅米はイノシシと雀の被害に遭った。

 8キロも満月餅米があるので、中華おこわも作りたい。ソウキ入りで作る予定だ。八角、セロリ、ゴボウ、出来ればタケノコ、そうだやはり渡部さんから貰った干し椎茸も使おう。自粛期間が終われば、一度スーパーに買いものに行く。まだ一度も行っていない。

 もう半年以上ファミマに入ったことがない。コーヒーは豆を通販で送ってもらっている。何でも通販で手に入るから、困ることはない。スーパーは一軒空いているところがある。我が家ではそこへ午前中行く。数人のお客さんしかいないのでまずは安心である。ただそこには納豆がないので困る。納豆も自分で作るようにしなければダメなのか。

 石垣島に戻り、絵の方は新しい局面に入ったような感触がある。意識して変えようと言うつもりもないし、自分らしく描こうなどと考えを変えたわけでもないのだが、何故か、戻ってから、前のようには描いていない。しばらく中断したからと言うこともあるが、何かが違う。

 絵は無理な意識はせず、描けないままでも、自分を信じてまっすぐに描こうと思う。描いている内にどこかに行くだろうと思っている。絵を描きたいという気持ちはより強くなる。これは焦りでもあるのだろうが、描きたいという気持ちがある間は、ともかく描きつづけて行くつもりだ。只管打画。

 もう少しで行き着きそうと言う感触と、何かが進んだかなと言う感触が絵を描きたくしている。今一歩で描き方の問題は終わりそうな感じがしてきている。技術的な問題は解決しつつある。技術が無いから描けないという問題は終わりつつある。

 絵は何を描くのものなのか。絵はどのように描くものなのか。このあたりの問題に集約されつつある。思いどおりに空が描けるとして、空を何故描くのか。そもそも風景を何故描くのか。絵を描いて何をしようというのか。やはり描いた絵より、描くと言うことが重要なようだ。結局いつもこのことに戻ってくる。

 技術を磨くと言うことは結局自分の本質の問題に向かい合うために、余分なことを削いでいるような気がする。自分に技術があればと言う言い訳を許さないためだ。何でも出来るのに、何故空を、空のように描くのか。ここからが大変なことなのだ。スタートラインには立った気がしている。

 やりがいのあるとこまで来たという気はしている。描こうと思うようには描き始めているので、今やっていることは自分というものの何かと言うことだけになる。そう思うと自分というものを風景にぶち当てたくなる。切実なところで風景と向かい合いたいと思う。

 一報残念なことに、コンサートに行けない。これは何か物足りない。石垣での楽しみが失われている。最近は実は家でも余り唄うことが無い。唄う目標が無いと言うこともある。小田原に行っても集まることが出来ない。その結果絵だけになっている。良いのか悪いのか。

 AtelierCarで描きに行くことが楽しみだ。AtelierCarでは音楽は聴ける。八重山民謡をかけてみるときはあるのだが、音がしていると絵は描けないと言うことが分かった。一休みの時には聞くのも良いが、絵を描いているときには音はない方が言い。今日は、ミルミル本舗の前に行くつもりだ。
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アトリエカーで制作を始めた

2020-10-27 04:14:53 | 水彩画


 10月25日AtelierCarで制作をした。落ち着いて描ける。描いていると家にいて、窓から描いているような気分になっていた。タテ220×ヨコ132×高さ165センチという狭い空間だ。絵を描くだけの気持ちになれた。

 石垣島の皆さんへ、AtelierCarで絵を描いていて、迷惑は決しておかけしません。十分注意して場所を選んでいます。もし何か邪魔になることがあれば、すぐに言って下さい。気付かず迷惑な場所で描いている場合もあるかもしれません。よろしくお願いします。

 AtelierCarは絵を描くだけに特化した狭い空間というのが良いのかもしれない。集中が続く。達磨大師は穴の中に9年籠ったという。サンショウオは穴の中で頭でっかちになり、穴から出られなくなったという。AtelierCarのなかで、只管打画を目指すつもりだ。AtelierCarは道場である。

 ライティングビューローの上に画板を載せて描いている。絵の角度が前より自由になるので、大分描きやすい。ビューローには滑り止めのシートを敷いた。このシートは優れもので滑ると言うことがなくなる。ビューローの高い場所に絵を載せて離れてみることが出来る。見上げて絵を見るのだが、これも具合が良い。

 昨日は外気が30度まで上がったが、車内は暑いことは無い。当然、寒いことも無い。風の通り具合も調整が出来る。以前より一段視線が高くなった点も風景が見やすくなった。じっくり風景を描くという事ができそうだ。最高の条件が整った。

 壁に書いた字を張ってみた。自分の空間になるかと思ってだ。今ひとつだ。柿渋布に描いたものの方が良いか。今度変えてみる。布に描いた絵を窓に貼った。外から見て絵を描いていると言うことが分かるかもしれない。少しだけだが安心感がある。


 これは後ろ側に描いた絵を置いて、前側の収納箱型の椅子に座って絵を見ている状態。絵を2メートルほど離れて見れるようになった。これは今までには出来なかったことだ。2メートルだけでも距離が取れると絵の見え方が変わる。前は車の外に出てみていたのだが、今度は車内で大丈夫なようだ。

 絵が置いてある台が後ろの絵の具のライティングビューロー。左側の窓を開けてこちら側を向いて絵を描くことも出来る。車の止める具合で左右で描けるようにしている。前にあるの方が筆のビューロー。絵を描くすべてが車に積んであるのだから、もう忘れ物は無い。

 絵の右側が後ろにあるのが、ドアである。すこし段差はあるが思っていたより出入りはらくだ。アトリエに入るための、一段の踏み台を用意した。軽トラの荷台だから踏み台があれば、楽に上れる。今は大丈夫だが、足腰が弱くなると大変になるかもしれない。その時には手すりがいる。

 天井に線のように見えるのがLEDライト。結構明るい。手前に見える沖縄柄のものが、ゲーミングチェアーの一部。余りに派手なので、着物をかぶせた。ただかぶせてピンで留めたのだが、案外にずれずに具合が良い。この椅子は寝かせたり、立てたり、回転もする。自由がきくので絵を描くには最善かと思う。
 

 窓から名蔵湾を見ている。白い舟が海上保安庁の船。遠くに見える島のようなところが崎枝半島。牧場は草を刈り取ったところだ。白い屋根が牛のいる畜舎だ。牧場の下にアンパルの湿原が続いている。この感じは広がりがありタントよりも大分見やすい。

 石垣島にはこう言うすばらしい風景の場所で、車を止めて絵が描けるところが20カ所もある。家から30分以内で20カ所も絵が描けるところがあると言う場所は、石垣島以外には無いだろう。この場所には15分で行ける。小田原では絵が描ける場所は5カ所だった。それも一時間近くかかった。

 石垣島に引っ越すときから、車の中で絵を描くと言うことは決めていた。だから家から見える景色は不要と考えていた。その日の条件によって描きたい場所に出かけて行き、絵を描く。これ以外には考えられなかった。何故かその日行きたくなる場所が違うものだ。アトリエに絵を並べておいて、今日はあの場所でこの絵を描こうと続ける。

 絵を描きたく成る場所でも、その場所だけというのでは困る。その日その季節で、描きたい場所は変わる。だから車を止めて描ける場所がどうして必要になる。ゴッホやセザンヌのように、歩いて描きに行くというので、雨や風の日には絵が描けない。雨の日や風の日は案外景色は面白いものだ。見えないことで、本質が露わになることもある。

 やはり風景画を描くものにはアトリエ車は必携ではないだろうか。この車は大判全紙か、50号くらいまでなら描ける。870センチ×700である。今度描いてみようかと思う。大型画板を置いてみても、それほど無理はなさそうだ。AtelierCarを宣伝してもしょうが無いことだが、教えずにはいられないほどよい。

 写生をやるにはやはり軽トラAtelierCarが最善の選択である。車を長時間止めておける場所はそれほど多くは無い。狭い道路がほとんどである。地域の方の迷惑になるような止め方では絵は描けない。軽トラならばなんとか許される範囲では無いか。

 一度よく寝られるかも試してみたい。先ずは家の脇に止めて寝てみる。それで寝られればどこでも寝られる。日の出を描きに行きたい。以前全国を旅行していた頃は必ず日の出と夕日を描いた。空けてくる景色。暮れて行く景色。なかなか良いものだ。これを描くにはAtelierCarが無ければ無理だ。

 平戸で夕日ばかり描いていて、目をやられた。たぶん緑内障の原因も太陽を見すぎたことではないかと想像している。気をつけながら、石垣島の朝の景色を描いてみたい。夕日は描いたことはあるが、朝日は描いていない。春日部先生が、夕日の景色でも朝日と題を付けないと売れないよなと言われていた。私には関係の無いことだが思い出した。

 AtelierCarは完璧なのだろう。改善すべきところがまるで無い。すべてに予定通りである。一番心配していたのは荷台が重くて運転に影響するのでは無いかと言うことであった。しかし、荷台に載っている総重量は150キロ少しぐらいだと思うが。運転にはほぼ影響が無い。

 風の影響も心配したが、昨日はかなりの強風の日だったが、停車した状態でタントよりむしろ安定しているようだった。重量がある性だろう。燃費はタントよりも悪いかもしれないが、年間走行距離は5000キロぐらいなので、極端には違いは無いかとおもう。

 いつか、車を九州までフェリーで送り、旅行をしながら絵を描きたいと思っている。石垣島から鹿児島港まで52000円だそうだ。無理な金額では無い。阿蘇、平戸、出雲、金沢、そして山梨とたどる絵画旅行も悪くない。

 先ずは石垣島で充分に描きたい。いくらすばらしいAtelierCarが用意されたからと言って絵が良くなるわけでは無い。絵に専念できる状況が準備されたにも関わらず、たいした絵が描けないのでは話にならない。せめて、なるほどこんな絵を描いているのかと言うぐらいの所までは行きたいものだ。

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絵の具をライティングビュウローにまとめた。

2020-10-26 04:12:25 | 水彩画


 持っている水彩絵の具をひとまとめにした。横幅が70センチの引き出しである。これは松本民芸家具のライティングビューローの引き出しである。引き出しの中を栴檀の板で12の仕切りを作った。使う色で分けた。

 以前は油彩画用の移動式アトリエ収納棚を利用していた。下にキャスターが付いていて、楢材で出来ている。もう30年も使っていたのだがアトリエで描かないので、水彩画になって有効には使っていなかった。そこで車用の収納箱兼、架台として2つのライティングビューローを使うことにした。

 その大きな引き出しに水彩絵の具を入れるところを作った。以前は2つの引き出しに分けて入れてあったので、探すのが面倒だった。今度は良く整理されたので心配がない。もう一つのビューローが筆用である。今度はすべての画材をアトリエ車に入れることにした。こうすれば絵を描くときに忘れ物が無い。

 一つの色でも4つぐらいの違うメーカーの絵の具が混じっていることもある。主にニュートンである。そして次がシュミンケが多いのでは無いか。絵の具はいつも描くそばに欲しいものである。絵の具の中には春日部先生からいただいたものが、混じっている。

 いただいたが先生とは使う色が違うので、減らないでそのまま残っているものもある。中にはどうして買ったのだろうという色もあるが、それはカヨ子さんのお母さんが使っていたものなのだ。一応、絵の具箱に入れてはあるが、やはり減らない。

 最近、まとめて、アメリカとドイツから取り寄せた。それは箱に入っているものが多い。何しろ絵の具というのは300色くらいはあるから、それを整理することが難しい。実際によく使うものはそのうちの12色ぐらいである。

 コバルトバイオレット、カドミュームレッドライト、ローズマダー、ローシェンナ、ビリジャン、ニューガンボーニュ、カドミュームイエローレモン、コバルトグリーン、セルレアンブルー、フレンチウルトラマリン、コバルトブルー、別枠でアイボリーブラック、手前にチタニュームホワイト、白と黒を入れて13色である。

 この絵の具を使ってあらゆる混色するのだから、たぶん無限といえるような色が作れるのだと思う。その上水彩絵の具は水の濃度の変化で色調が変わる。そのことを考えると際限が無いほどの色になる。それだけあっても出したい色はほとんど出ないのだ。だから、見えている色を出すためには自分の色に置き換えるほか無い。

 そもそも、木の葉の色を作り、木の葉に塗って確認したとしても、絵の上ではその色では無い。絵の上の色彩はすべて置き換えて、新しい世界を画面の上に構築しているのだ。見えている色自体はあくまで参考なのだ。むしろそこで起きている色の調和を、どう置き換えるかを試行錯誤する。

 基本色はパレットにだしてある。減ったらば絵の具箱から継ぎ足して行く。結構減って行くので、油断は出来ない。描きたいときに特定の色の絵の具が無いというようなことは考えられない。だから、用心して早め早めに買い足している。

 何故、全百色もあるかと言えば、不安だからである。もし使いたいと考えることがあるかもしれないと思うと、一応は買わずとは居られないのだ。もちろん使わないまま、保存されているだけという色が、やたら多いわけだ。

 そういう色が、例えば赤というワクの中に赤が10種類ぐらいはある。今は無くなったバーミリオンなどは大切に保存してある。どうしてもバーミリオンが使いたくなるかもしれないと思うだけで、そうせずには居られない。

 黄色などもクロームイエローは今はない。だから滅多に使うことはないのだが、あの色の感じは記憶されていて、クロームイエローを思わず使うこともないわけではない。箱の中には一応ある。別段他の色でも行けないと言うほどのこともないが、気分的に不安なのだ。

 右上端の枠は白と黒を入れた。50本もある。何故こうなるのかと思うが、白は本当に様々なのだ。良い白を探している内にここまで増えた。白は納得できる白が未だに無い。日本画の白、ガッシュの白、様々な会社の白と探している。

 結局の所紙の白が一番良い。紙の白に透明の皮膜を作る絵の具を塗るというのが今のところ一番良い結論である。しかし、このやり方は邪道のような気がしている。と言っても紙のままの白は必ず黄変する。古い水彩画の白抜き部分は黄変しているものがままある。

 各色50本ずつあるとすれば、500本ほどの絵の具があると言うことになる。この絵の具が頭に入っているのかと言うことになるが、案外に感覚として入っている。時々色毎に絵の具を眺めているからだと思う。茶色にはどんな色があるかなどと思い眺めているだけで、何時間も経過する。

 茶系というものはほとんど使わないのだが、茶系の絵の具は多様だ。ローシェンナーが常用としてあり、それ以外の茶色は特殊色である。特殊色を使うか、ローシェンナにカドレッドを混ぜるか。セルレアンブルーを下地に入れるかとか。特色で行くかなどの選択をしているようだ。

 それはすべて反射的にやっているので、何をどうやるのかは自覚していない。その時に応じて、あれこれ試行錯誤して、偶然が幸いすることもあると言うだけのことだ。ほとんどが失敗なのだ。数限りない失敗を覚えては入られない。

 そうしてよく使う12色に収斂した。こうした基本色は誰にでもあるのだろうが、人によって全く違うらしい。春日部先生の絵の具箱はまるで私とは違っていた。春日部先生の絵の具は私にしてみれば、特色ばかりのようで驚いた。

 絵の具箱の中に山のようにある茶系はほとんどが春日部先生から来たものである。私はやたら混ぜて絵の具を使うので、基本色は明るい色ほど良い。水彩画では暗くするのは簡単なことなのだ。明るくすると言うことが難しいので、基本の明るい色から徐々に落として行く方がやりやすい。やりやすい方が良いとも限らないところが、難しいところであるのだが。

 シュミンケの絵の具を加えて、非常に混乱した。シュミンケの絵の具は毒々しい色が多い。染料系のような色も多々ある。気をつける必要がある。全色購入して、試してみた。案外に使える色は少ない。それでも基本色は一応そろえてある。場合によってはシュミンケの方が良いと言うこともないと言えない。

 明るい黄色に関してはシュミンケはさえている。月光色である。中国画では月光色という黄色の透明色の色墨があるそうだ。オウレオリンのようなのか。コバルトイエローなのか。ガンボ-ジュのようなものか。弱い透明の黄色。この色より明るい黄色は無い。今名前が出てこない。

 

 石垣に来てから、赤い土の色をよく描くので、以前よりは使うようになった気がする。
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第24回 水彩画 日曜展示

2020-10-25 04:29:44 | 水彩画
第24回 水彩画 日曜展示







75「名蔵田んぼからアンパルに続く」
中判全紙 クラシコファブリアーノ
2020.10







76.「フサキ岬から海まで」
中判全紙 クラシコファブリアーノ 
2020.10







77「崎枝田んぼ」
中判全紙 クラシコファブリアーノ
2020.10

 風景との向かい合い方を考えながら描いている。自分というものはどうあれ絵に表われてくる。その現れ方はその時の気持ちの持ちようで大分違う。長らく、見えていると言うことを受け入れると言うことに専心してきた。

 最近少しずつ、見えていると言うことに自分というものをぶつけようとしている。自分が見ている。見ている自分を意識しながら描くようになっている。それがこの、3点である。少し離れた場所だが、連続して描いたものだ。

 少し変な絵だが、描くことを楽しめたものだ。変わらないようでもすこしづつ変わって行く。それが良くなって行くことであって欲しい。ただそれだけである。絵がよくなるということは難しいものだ。

 どれほど描こうが関係が無い。どれほど考えようが関係が無い。良くなるときは良くなるし、ダメになるときはダメになる。出来ることは只管打画のみ。やりがいはある。日々充実している。ひたすら絵を描くことに集中できる。

 中では77の崎枝田んぼが描けない。描きたいのだけれども、ここはまだ描けない。もう少し描いてみたい。この田んぼがすごすぎて、太刀打ちが出来ないという感じがする。ここが描けるまで、通い続けるつもりだ。
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軽トラアトリエが来た。

2020-10-24 04:08:16 | 水彩画


 ついについに、待ちに待ったアトリエ車が来た。半年もかかったが、やっときた。雨の中、石垣港まで取りに行った。30台くらい並んでいたのだが、ひときわ異彩を放っていた。と言うか輝いて見えた。良い車だ。軽トラの車体にはみ出るようにプレハブのアトリエが乗ったような体裁である。

 素材は冷蔵車に使う断熱素材で5センチの厚みがある。だからアトリエの中には強烈な暑さは来ない。窓はできるだけ大きなものにした。風が入れば涼しい。アルミサッシである。この密閉度が難しいらしい。後ろには人が普通に乗り降りできるドアがある。

  10年来の希望がついに叶った。10年前TAKEさんのキャンピングカーで八ッ場ダムにハイキングに連れて行ってもらった。車の中でお酒を飲んで、そのまま一晩寝た。実に快適で熟睡が出来た。それ以来、いつかアトリエキャンピングカーで絵を描きたいと夢に描いていた。

 落ち着いて絵を描ける雰囲気にしたくて、気に入った家具を3つ購入して待機していた。ライティングビューローが前後に1つづつ。画架を兼ねるものだ。そして、荷物入れを兼ねたベンチが一つ。荷物入れの中には非常用の諸々のものを入れる。家具を固定する留め金は取り付けて貰った。

 床にはチベット製の16ミリの厚手ウール絨毯も購入した。ものはかなり良いものだが、少し汚れた中古品である。それで格安に買えたのだが、アトリエだから汚れることは気にしていないですむと言うこともあり、あえて中古品である。アトリエの床一杯に敷き詰めるサイズである。

 後は絵を描くために座るゲームチェアー。これは6000円で送料無料だった。理由があって格安だったのだ。調べているといろいろあるものだ。あれこれ格安で手に入れたので、調度一式で4万円ですんだ。荷物をすべて運び込んだ感じでは60キロくらいだ。

 蓄電池も積み込んだ。これは楽天祭りで6万円と安くなったところで買った。家の停電対策でもあるので、7キロワットのものだ。これで車内冷蔵庫まで可能だが、そんなもの入らない。石垣は停電の多いところなのだ。普段は車に積んでおいて、利用する。停電の時には家の冷蔵庫などに使うつもりだ。

 石垣島では注意しないと送料が高く付く。絨毯でも今回送料2400円ほどのもの。ところが業者によっては同じ大きさで、8700円もする。何故こうも違うのか思うが、送料が高いような所では買わないことにしている。送料で利益を上げようという業者がいるのだと思う。

 双眼鏡と図鑑類は乗せた。めずらしい鳥をよく見る。先日は実に小さな鳥を見た。今度は図鑑を見ながら鳥を見たい。石垣島の鳥というような本も探せばあるのかもしれない。植物図鑑も載せた。植物も確認したい。

 そして、井伏鱒二全集も少し載せた。時々本が読みたくなるのだ。絵を描いているときに分からなくなり本を読んでいると、急に次が展開できることがある。井伏鱒二全集はゆっくり読めるときが来たら読もうと考えて、発行されてすぐに買い始めたものだ。一番好きな作家だ。本棚があると言うところが、ライティングビューローの良いところだ。

 車の代金は高いので書きたくないのだが、恥ずかしながら、書いておけば、送料込みで241万円。沖縄の豊見城にある、カーインテリア粟國サンである。車は大好きな軽トラックのハイゼット。オートマチック車で4WDである。ほぼ新車というものだ。

 もうこれほど大がかりなものを買うことも無いのだろう。絵を描くためと言うことで許して貰う。このアトリエカーで石垣島を描きまくるつもりだ。いつか山梨の方にも描きに行きたい。生まれた場所はやはり描きたいのだ。金沢にも行けるだろうか。動ける内に一度本土の制作旅行を計画をしたくなった。

 この車は緊急避難用でもある。車中で一応生活が最低限出来る用に非常時用の備品は積み込むつもりだ。アトリエカーでありながら、何かがあれば対応できると言う用意でもある。そういう使い方はしないですむとよい訳だが、災害時に行政頼りは、無理だと考えている。スカ総理大臣が言うように自助である。

 車の中で、寝ようと思えば寝られるようにしてある。避難所生活よりはいいと思う。蓄電池もあるから、当座のことは大丈夫だ。蓄電した電気が無くなれば、どこかに蓄電池を持って行って充電すれば良い。水は5リットルのポリタンクを用意した。食料も車にある程度は積むつもりだ。

 毎日絵を描きに行く車だから、その時にも非常用品は便利だ。水が充分あれば、水彩画ではありがたい。使いながら、水を新しいもの替えて行ける。食べ物があり、眠ることが出来れば、泊まり込んでも絵が描ける。夜景だって、日の出だって絵が描ける。

 車の中に明るいライトを付けた。充分絵が描ける明るさである。明るさが足りなければ、さらにライトを加えるつもりだ。今はLEDライトがあるから、かなり明るくとも、消費電力は少ない。湯沸かしぐらいは置くつもりだが、まだこれは購入していない。

 まだ保険にも入っていないし、所有者の移転もしていないので、車にはまだ乗れない。移転しようと思って軽自動車登録所と言うところに行こうと思ったら、前の所有者の粟国さんのハンコがいることがわかった。ハンコ社会の悪いところだ。書類を送ってくれるように粟国さんにお願いした。

 あわてることはない。数日はタントで描いていれば問題ない。12年待ったのだ、数日ぐらいどうと言うことはない。壁には部屋らしく書いた字と布に描いた絵を貼り付けた。なんとなく居心地が良くなった。

 外には「Atelier Car 笹村」と書くつもりだ。そしてカンムリワシの印も書く。おかしな車が止まっていて、何だろうと思われるから、いくらかの安心になればと思っている。

 調度このタイミングで、新聞の折り込み広告で車の窓ガラスに断熱とUVカットフィルムを張るお店が出来たとのこと。早速、張って貰うことにした。石垣島での運転は太陽光がきつくて、目に良くないのだ。そのたびにサングラスをしているが、それより車の窓を工夫した方が良い。

 石垣島では制限速度を超えて走ることは無い。鳥の安全の為だ。カンムリワシの交通事故が報道されるたびに悲しくなる。あのかわいらしいシロハラクイナがひかれていることがある。ゆっくりゆっくり走ることにしている。

 アトリエカーなら、ゆっくり走行も許して貰えるかもしれない。そうだ今度は八重山毎日新聞にAtelierCarの広告をお願いしよう。「島内で水彩画を描かせて貰っています。お邪魔でしょうが、よろしくお願いします。」という広告である。掲載してくれるだろうか。

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石垣島でコロナクラスター発生

2020-10-23 04:27:31 | 石垣島


 石垣島のかりゆし病院で36人ものコロナクラスターが発生した。最初の感染は2週間ほど前に起きたのではないかと見られている。石垣島は他にもコロナ感染が広がっていると考えなければならない状況になった。

 それは小田原よりも、東京よりも深刻な事態になってきたと見るほかない。離島の医療体制が崩壊寸前になったと考えなければならない。新たに感染したとしても重症者が入院できる病症の余地は無い。本島への空輸も計画されている。

 八重山地区のコロナ感染はこれからが本番と考えた方が良い。人口が5万で感染者は過去累計75人になった。666人に一人が感染したという状態である。少なく考えても潜在的にその倍くらいの人が感染していると考えた方がいいのではないだろうか。知り合いの誰かが感染しているという状況になった。知り合いを疑うのは嫌なことだが、お互いのために距離を取る必要がある。

 この小さな島で感染者が常に出歩いていると考えたら、相当に用心が必要な事態である。深刻な事態の割には石垣島の行政の認識がゆるい。自分で気をつけるほか無い。このままではコロナ感染の実験場状態にも成りかねない。ここは横浜スタジアムでは無いのだ。

 島での人混みは限られている。スーパーや大規模店舗。そしてレストラン。コンサート会場。ファミマ。役所。病院。近づかないことにしている。ソーシャルとのディスタンス。良いことではないが、いままでとは少し違う緊急事態である。連日新しい感染者が出ている。ただし、かりゆし病院関連ではある。

   不要不急の老人は自粛して、さらに自粛。絵を描きに行くのは人に会わない野外だから、幸いである。散歩が出来ないのは辛いが、絵を描きに行った山の中で歩いている。人と会わないから安心である。最近は自粛の専門家になった気分だ。感染するとしても最後になるつもりだ。間違ってもコロナにならない用心。

 小田原から戻り、1週間が経過したが、体調は全く問題が無い。しかし、今となっては安全な小田原から、危険な石垣島に戻ってきたと言うことになってしまったわけだ。現状では感染経路が把握されているが、かりゆし病院の関係者が2次感染を起こしている可能性もある。ここを見定めるには1週間が必要になる。

 又、かりゆし病院自体にコロナを広げた、原因はまだ分からない。誰かが持ち込んだのだ。病院だから先ずは観光客では無いだろう。病院自体はお見舞いの人を受け入れていたと言うことだから、その誰かからなのかもしれない。あるいは病院関係者が感染して持ち込んだのか。

 現状ではゴーツートラベルで観光客が多数来島している。観光客の方が感染者が多いとも言えない状況になっている。むしろ観光客の方が、うつされる危険にさらされているのだ。観光客は感染が起こりそうな所に集中している。あの、立錐の余地の無いバスを思い出すと尋常な状況では無い。

 感染が広がってきた理由を推測してみると。発端は観光客や、帰省のの家族感染なのだろう。観光客はどうしても観光に来ているのだから、レストランで会食をしたり、お酒を飲んだりする。当然感染を広げている可能性が高い。また、起床した家族は必ずみんなで食事をするだろう。これも感染の機会になっている。

 実際に、キャバクラでの観光客クラスターが以前あった。レストランが感染対策をしていると言っても、限定的である。キャバクラと言うところの状況は知らないが、それなりに感染リスクがあるのは間違いが無い。

 そのうえに、ゴーツーイイートが始まり、無料の飲食チェーンが出来るという夢のような話だ。税金でこんな奢りをやっていいのだろうか。さすがにレストランがただだとしても、行く気にはならない。根本対策が出来ているようには見えないからだ。

 住民票を取りに行かなければならない。小田原から戻り1週間で市役所に行っていいものだろうか。行政のデジタル化は送れている。いつ頃になれば、住民票が印鑑不要で、インターネットで手に入るのだろう。世界の趨勢から、行政のデジタル化は周回遅れである。台湾や韓国に追いつく日は来るのだろうか。

 自動車屋さんはアトリエ車は送ってくれたのだが、所有者移転の書類に印鑑が無い。脱ハンコ社会がまたれる。保険に入れない。車にはまだ乗れない。郵便で送ってくれるとして、2,3日待たなければ。

 先日石垣島のバスに乗って驚いたのだが、感染対策が不十分である。もし乗客のひとりに感染者がいれば、バスの中でクラスター感染するという状態であった。立錐の余地が無いほど人を乗せた。近くの窓を開けて歩いたが、運転手はそうした配慮はしていない。気にもしていないようだった。言うべき事だったのだろうが、情けないがオクして言えなかった。反省している。もう2度とバスには乗らない。

 病院でのクラスターに成ってしまったのだ。老人の多い病院でありながら、食堂で集まって食事をしていたという。コロナ感染予防に注意すべき状況にもかかわらず、配慮が足りないように思う。石垣市の感染対策はどうも勘所がずれているようだ。

 前回のキャバクラでのクラスターも、何しろ感染対策を行政が市道もしていなかったというのだ。レストランには対策をお願いしたが、キャバクラ等には何も言わなかったというのだ。本当だとすれば怠慢である。

 野外の観光が出来ないように駐車場を閉鎖した。見当違いである。潮干狩り等感染リスクは低い。海水浴だって感染リスクは低い。野外での観光ではまず感染など起きない。ところがそういうおかしな所ばかり注意していて、風俗系の飲食店の注意喚起が抜け落ちていた。そして、風俗経飲食店でも感染クラスターが起きた。

 政府は地方行政に対して、どのような対策が有効なのか指導して貰いたい。石垣市にも派遣されているらしいが、何故有効な手立てが示せないのか。バスを見落としているなど論外である。もうちょっと有能な人を派遣して貰いたいものだ。

 地方によっては感染症に対して、対応を考えていなかったところが多いようだ。政府が統一見解を示し、指導して行かなければならない。石垣島では余計な心配はして、無駄な対策はいろいろしたが、肝心なところが抜け落ちていると思われる。

 どういう状況で感染が起きるのかを充分把握すべきだ。石垣島行政のコロナ対策がずさんすぎる。宣伝カーでいくら歩いても無駄だ。肝心の場所に注意が行っていない。対策を取らなければ、これからもクラスターが再発するだろう。空港のサーモ検査は機能していないとみておいた方が良い。宿泊者の報告も無意味だ。

 
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朝日新聞の無知による米農家潰し

2020-10-22 04:02:39 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


コメの価格が6年ぶりに下落に転じた。農林水産省が先週公表した今年産の9月の業者間の平均取引価格は、60キログラムあたり1万5143円で、前年産を676円(4%)下回った。
 今後も人口減で、国内需要は減る可能性が高い。生産基盤を維持するためには、国際相場と比べて高いコメの価格を引き下げ、輸出拡大などに努めるしかないのではないか。
 今より安い価格でも経営が成り立つコメ農家の育成に、政府は政策の力点を移す必要がある。農地の集約など生産性向上につながる政策に、税金は集中的に投入するべきだ。コメづくりをやめた農地が無秩序に開発されないよう、目配りすることも欠かせない。ーーー朝日新聞社説から
 
 朝日新聞の知性を表しているのが社説であろう。この社説を読むと、あまりの程度の低さに、腹が立つより、悲しくなる。もう日本はダメなのだと考えるほか無い。米の価格を下げて、輸出拡大するなどと、良くも言えたものだ。お前がやってみろと言いたい。

 これでは朝日新聞による米農家の誹謗であり、農業潰しである。社説でこれほど露骨に米農家を責めたことは、米価闘争時代以来ではないだろうか。米農家の問題を議論する事は必要であるが、状況を全く把握できない人間が社説を書くようでは、どれほどか朝日新聞が劣化をしてきたかを示している。

 政府の劣化もひどいが、朝日新聞もひどい。互いに落ちるとこまで落ちてきたようだ。八重山毎日新聞の方が、はるかに見識が高い。生活者の視点を持ちながら、世界を望む思想がある。報道も規模では無い。質の問題である。

 調査報道と言うが、米農家の実情を調査したことのある人であれば、これほど上っ面な提起は出来ないであろう。まず農産物には土地の条件がある。北海道と沖縄では生産費は違う。もちろんベトナムと日本では労賃が違う。米の生産費は努力だけでは解消できないものなのだ。

 米価を決めると言うことはまず、日本の国土での生産費を計算してみなければならない。その生産費に見合うだけの価格にならないのであれば、稲作農家は続けられないのだから、徐々に減少して行くだろう。それは米の消費量の減少と同様な流れでもある。

 日本という国家の方角を大所高所に立って俯瞰すれば、どの程度の稲作が行われることが健全であるのかが出てくる。そして、それだけの面積の稲作の継続をどのようにして、安定的に維持できるかが目標になる。

 又農業者は高度な技術者である。反収自体が倍以上も違うものなのだ。地域差も極めて大きく、気候的影響も大である。こうした高度技術者に相応しい労賃が払われているとは言えない。

 日本の米価が高いというのは米価の背景にある労働費が高いからである。労働費がベトナムの10倍であれば、米価が5倍になるのは、労賃が占める割合が高い一次産業では止むえないことなのだ。加えて、日本の地代の方がやはり10倍は高い。産業として考えれば、日本の稲作農業は国際競争の中では成立できな状況になるのだ。

 朝日社説はやれとの主張なのだから、どうすれば出来るのか、モデルケースを示して貰いたい。もちろんそれを示せる知識が有るわけも無いか。安いほどいいと言う無神経は最低の奴だ。

 日本の米の生産コストが高いことを、単純に米農家の努力不足と決めつけているとすれば、それは無知のせいである。一次産業の生産物はどうしても労賃の占める割合が高い。地域の最低賃金を前提に生産コストは考えなければならないのは農民も生きていかなければならないのだから、当たり前のことだろう。

 しかし、米作農家が急速に減少したのは食べて行けないからである。米農家を今更努力不足となじったところで、そうですかでは止めますと言うだけのことなのだ。文句を言われてまで継続する意味が失われてきているのだ。

 朝日の社説を読んだ、米農家がどれほど悲しみ、苦しみ、そして廃業の選択をするとしたら、朝日新聞は責任を取ってくれるのだろうか。世界の食糧危機は近づいている。その時どんな社説を書くのだろうか。

 また、国内の中でも条件がまるで違うのが稲作である。一ヘクタール一枚の水田と、その100分の1の一畝ぐらいしかない棚田とでは、生産コストはたぶん100倍になるだろう。コストだけの観点で考えれば、中山間地の水田から亡くなるであろう。

 中山間地の水田がなくなると言うことで何が起こるか。もう中山間地そのものがなくなると考えてもいいようだ。ご先祖から伝えられた土地をどう守るかという伝統的な思想によってかろうじて、中山間地の水田は維持されているのが現状である。

 もう、条件不利な中山間地の老人農業は経済とは別の価値観で維持されている。朝日新聞が心配してくれないでも毎年居なくなって行くのだ。何らかの新しい条件を国が考えなければ、地方社会というもの自体が失われて行く。

 確かに、多種多様な農業補助金が存在する。中山間地を守るための方策が様々採られている。それは全く米価とは別の形で、農家を支えなければ成立できないことが明らかなことだからだ。一つの水田が失われると言うことは、100の水田に影響して行く。

 水田は水によって繋がっている。水路が維持できなくなれば、水田は出来ない。水路が水害によって壊されれば、誰かが直さなくてはならない。こういう問題は土砂災害が増加する中、深刻化している。

 私のやっている、小田原久野欠ノ上の田んぼは昨年土砂災害で久野川の崖が崩落した。その崖崩れのまま、臨時の畦を作り一年間耕作をした。ところがなんと神奈川県は一年半が経過して未だに工事の開始すらできないでいる。ここより下流域に暮らしている人にしてみれば、まさにレッドゾーのままに放置されている状態である。

 たぶん日本全国こんな状態なのであろう。神奈川県はまだましなのだと思っている。まっていれば、2,3年の内に直すだろう。しかし、直せないまま放置される場所も無数にあるはずだ。農の会が管理している水路ももう自分たちで直さなければ、そのまま水は来なくなり水田が終わるだろうというところがある。
 
 もう条件不利地域の水田は風前の灯火なのだ。農の会は自給のための組織である。自分が食べるためのお米にはコストはない。だから続けていられるだけなのだ。農家であれば間違いなく無理だ。イノシシの獣害がすごいのだ。

 かなりの費用を掛けて、柵を作らない限り来年は耕作できないという場所がある。この柵を作る費用は、自分たちで出す以外にない。農家なら間違いなく止めざるえないだろう。経済だけで考えれば小田原の稲作は無くなる運命にある。

 農家を潰してしまえば、小田原の農業は終わる。連動して林業も終わる。水田が小田原から無くなれば何が起こるかである。まず水路の維持は出来なくなる。耕作放棄地はさらに広がる。土砂災害も増加する。海は痩せて魚は捕れなくなる。漁業も終わる。

 こうして一次産業を潰してしまって人間は生きて行けるのだろうか。もう危機的状況が迫っている。農業は経済効率だけで考えては成らないと思える。安ければ良いというのであれば、日本の稲作は成立しないのだ。日本から水田が消えるという状況で、さらに追い打ちをかける朝日新聞とはどんな報道機関なのだろうか。
 
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陰湿差別という悪習

2020-10-21 04:14:55 | Peace Cafe

 島のように見えるが、崎枝半島屋良部岳である。日本一美しい村ではないか。

 日本には歴史的に陰湿な差別文化が存在する。よそ者を排除する。田舎社会の嫌なところとしてよく言われてきたことだ。士農工商という身分制度で差別をしてきた。さらにその下に民を置いた。表面的にはなくなったとされる身分制度だが、政府によって新しい上級国民と下層国民という、見えない差別が進行されているようだ。

 見えない差別は忖度と人事によって作られようとしている。人事には説明などないのが当たり前だ言う人の文章をよく見るようになった。説明がないから理不尽を推察するしかない。そして忖度をしなかったからだと気付と言うことのようだ。

 学術会議の推薦承認はそもそも上から目線の総理大臣の人事では無い。人事であってはならない。その意味が理解できな人が多数派になっているようだ。その結果スカ内閣の支持率が50%を越えている。忖度しない奴が悪いと考える人が増えているのではないだろうか。

 男尊女卑思想で女性は家に居ろと言うような差別がある。このほか朝鮮人差別や、沖縄差別も目に余るものがある。若い機動隊員が沖縄の反米軍基地のデモ隊を「朝鮮人、土人!」と罵倒した事件は忘れらるものではない。どこにそうした差別意識が潜在しているのだろう。

 アメリカの人種差別の根強さを見ると、差別というものは日本だけのものではなく、人間に伴うものであることを感じる。少し前にコロナ差別のことを書いたが、人間を見てコロナではないかと感じること自体がすでに差別ではないかと感じている。

 シュバイツアーは病原菌を殺すことですら、おかしいのではないかと悩んだという。差別は人間には必ずある。問題はそのことを表してしまうか、抑えることが出来るかだと、読んだこともあるが。せめて隠すと言うことはあるが、隠したところで、自分の中の差別は消えるわけではない。差別してしまう側も傷ついている。

 ハンセン病に対する隔離政策は、ある意味善意の救済という側面もあっただけに、地獄のような間違えた結果になった。人権無視である。人間がハンセン病患者の通常ではない姿を見て、恐怖のような意識を乗り越えることが出来るのかが重要だと思う。

 ある人が、傷を癒やすという温泉に行き、大きなケガで手足を失った人と一緒にお風呂に入って、温泉なのに休まることがなかったと話した。誰しもそうであろうと思う。そうであるとしても、それを受け入れない限り差別はなくならない。

 もちろんその人はそういう態度を表したわけではない。何でも無いようにお風呂に一緒に入ったのだが、温泉に入りながらも緊張が解けなかったと言われていた。私の兄にはそれが全くない。兄弟だから分かることかもしれないが、兄には恐怖心というものがない。それは立派なようでもあるが、何かが欠落しているようにも見える。そういう人もいるということなのだから、努力すればそうなれるのだろうか。

 パラリンピック報道で、様々な障害を持つアスリートが登場する。このことで障害のある人を見慣れた。見慣れれば抵抗がなくなる。そういうものだと普通に違和感なく受け入れられるようになってきた。これは報道されたおかげで有り難いことだった。

 差別をする心を隠すのは必要なことである。隠くしながらも持っているとすれば、差別意識は相手に感じさせてしまうのだろう。でもせめて、差別をしたくない、抑えたい。そういう気持ちでもないよりはましだと思うしかない。どうすれば、差別のない人間に成れるのかは生きている限りの努力目標なのかもしれない。

 学術会議推薦をスカ政権が6名だけ理由を表明せず、任命拒否をした。これは差別である。思想信条による差別である。人権の侵害である。こんなひどいことをした、スカ政権が51%の人が支持しているという朝日新聞の世論調査には衝撃を受けた。何故なのだろうか。何故差別政権を支持が出来るのだろうか。

 他のことならともかく、学問の内容で差別をすると言うことは人間としてあってはならない行為だろう。にもかかわらずそのスカ政権を51%の人が支持している。そのことが怖くなる。学者が嫌いというわけでもないだろう。学問の科学性の重要度は分かるはずだ。それでもスカ政権を支持する理由ななんだろう。

 理由が分からないので、こう言う社会が怖い。不気味な気がする。もうお上の言うことには逆らわない習い性になったのか。次々にスカ総理大臣の汚い人事が出てきている。こう言う人間の扱い方をする事を得意げに語るというのは、今後もこうやるから言うことを聞けと言うことなのだろう。嫌ダ嫌だ。

 学術会議は政府に対して、科学的な助言を行う組織である。助言には客観性が必要であろう。政府におもねる学者だけにしてしまえば、ある方向の助言以外出てこないことになる。これは民主主義の劣化である。健全な議論は多様性が必要なのだ。

 自民党政権は平和国家日本という選後社会の方角を変えようとしているのだ。そのための障害は、徹底して取り除こうと言うことのようだ。憲法の改定もそうだ。そして学術会議の無力化。

 学術会議会長はスカ総理大臣と面談をしたが、なんとそもそも任命拒否の理由を尋ね無かったというのだ。要請文の回答ももらわない。ガス抜きである。勲章候補だろうから、勲章がもらえなくなるのが怖かったのか。忖度なのか。

 戦前の軍国主義時代の京都大学で会った滝川事件のときの、教員や学生とは大違いである。軍国主義時代よりも劣る日本人なのか。国民は洗脳されてしまったのか。ソフト独裁の実態を見るようだ。今起きていることを許せば、国民の人権など一切なくなると思わなければならない。

 これほど重要なことに、国民が無頓着である。NHKはこの件に関して報道をしていない。起きたことやスカ政権の動向は伝えているが、論評ができないでいる。並列でも良いから、様々な見解は報道すべきである。何も意見のない報道は無意味である上に、危険である。

 NHKはスカ政権を忖度しているのだろう。交換条件が受信契約者の自己申告制度に見えるが。公共放送は必要だと思うが、政府から自立していないものであれば、大政翼賛の放送になり、民間放送局よりも良くない放送になる。そうした側面がNHKに出始めているような印象である。スカ人事で骨抜きにしたと言うことのようだ。

 誰だって我が身がかわいい。出世がしたいのだろう。人間というものを考えるとき、上に立つものほど、正しい倫理観を持たないと、悪い社会になって行くと言うことなのだろう。スカの人相が日に日にいやらしくなって行く。

 
 
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宮古島と石垣島を隔てる海

2020-10-20 04:08:49 | 石垣島

  多良間島ではないかと思われる島。

 八重山諸島と呼ばれている石垣島周辺の島々と宮古諸島の間には深い海がある。先史時代にここを渡ることにはとても困難で有ったと思われる。多良間島は中間にあり、石垣島から35キロ。宮古島までは67キロとある。石垣島の平久保岬からは多良間島の姿が見える。宮古島は見えないことだろう。

 人は見えるところには行ってみようとするから、たぶん多良間島までは石垣から渡っていたはずだ。多良間島からも当然人は渡ってきていた。石垣島の平久保岬のそばには多良間田んぼと呼ばれている場所がある。多良間島から石垣島に舟に乗って出作りしていた田んぼがあるのだ。

 出作りと行っても、通って作ると言うにはさすがに遠すぎる。たぶん2月ぐらいに渡ってきて、収穫できる7月まで暮らしているような生活ではないかと思われる。その場所は今牧場の草地になっているが、風の強そうな明るい場所である。台風が来れば、全滅したような厳しい場所である。

 この場所は絞り水を集めたような田んぼだったと思われる。天水田だったのかもしれない。イネは品種によってはかなり水が少なくても大丈夫なものがある。うまく整備して水を集めれば、何とか水田になっていたかもしれない場所だった。

 陸稲であっても良いというのであれば、多良間島で作っていたはずだから、わざわざ石垣島まで来ないだろう。古い時代には収穫の出来ない年があるのも普通のことだったのかもしれない、多良間田んぼ跡は石垣島の中では条件のいかにも厳しい場所である。

 石垣まで渡ってきて、出作りをした人達のことを思うと、いかに水田というものが重要なことであったかが分かる。陸稲ではだめな理由が何かあったはずだ。多良間島に暮らしていてもどうして神事のお米だけには水田が必要だったと想像している。それは豊年祭があるから、お米は止められないと言われた、小浜島の田んぼの方に残っている思いと同じなのではなかろうか。

 日本人にとって、お米は暮らしの祈りのようなものだ。お米を失うことは魂を失うような思いがあったに違いない。水田の作れる石垣島。水田の作れない宮古島。ここには何か大きな隔たりが有ったように思われる。宮古島にも神田だけは水田だったのかもしれない。宮古島は汲み上げれば水がないわけではない。

 当然宮古島にもその昔にはお米を作ったという話はある。それはたぶん陸稲のことなのだろう。陸稲では何か神事としてはまずい理由があったのかもしれないと想像している。一つには水の中で出来るお米には神が宿るという思いかもしれない。

 もう一つは長江中流域から伝わる稲作は水田稲作である。それ以前の陸稲の稲作は南方系の稲作であり、台湾から石垣島に渡ってきたのではないかと想像している。水田稲作と神事が同時に伝えられた可能性もある。

 その陸稲と水田の稲とは何かが違う。もちろん生産量も倍くらいにはなる。管理も大分楽になる。水稲の方が味も良い。稲作を考えるとき水田というものから来る、集団管理のようなものが重要になるような気がする。そこから地域共同体が産まれ、祭りが生まれる。

 日本の伝統芸能や祭りは水稲と結びついている。陸稲ではない。陸稲が最初に日本に来て、水稲が後からやってくる。その圧倒的な品質と生産性で、水稲は信仰にまで高められる。そして日本人というものが生まれる要因になって行く。

 珊瑚礁の島である多良間島ではどうして水田が出来なかったのだ。田んぼが出来なければ、祭事が出来ない。どうして水田がやりたかった多良間島の人は石垣島まで通って、田んぼをやる他なかったのだ。水稲のお米は食べ物である以上に神に捧げるために必要だったのだ。

 歴史的にも、石垣島との関係が深い多良間島ではあるが、今は宮古島からしか船はない。飛行機で石垣から行こうとしても、一度宮古島に行き乗り換えなければならない。どうして遠いい宮古島航路が残ったのだろう。宮古島の人が多く住んでいるのだろうか。残念なことだと思っていた。一度石垣島のそばにある島は全部行ってみたいと思っているのだ。

 どうも豊年祭の時にだけ、船が一便往復するらしいという情報が出ていた。多良間島の豊年祭の祭事は国の無形文化財に指定されている。こうした、孤島であるほど、古い伝統が残されているし、芸能の暮らしとの繋がりも深いのだと思う。

 多良間島は今や宮古島との関係の深い島になったのだが、古くはむしろ石垣島との関係が深かったのでは無いだろうか。宮古と多良間島の間は少し距離がある。そして海も深いようだ。この海を渡れるようになるには少し時間が掛かったのではないだろうか。

 与那国島から、多良間島までは台湾から島伝いにひとは行ったり来たりしていた。そして、本島を中心に、宮古島まではひとかたまりで、むしろ奄美群島から島伝いに動いていたのではないかと想像している。

 海の道。うみんちゅうは空の星を見ながら、ヒィリピンまでも行くと書いてあった。海の中に海流という高速道路がある。それを熟知していたうみんちゅうは海洋民族だ。国境など無く、自由に南の海を行き交っていた。
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マスクとイソジンの殺到買い

2020-10-19 04:19:01 | 暮らし


 イソジンは古いものが家にもある。どれくらいの期間使えるのか。のどがおかしくなったときに相当古いものを使う事があったが、問題は無かった。昔は脱脂綿に付けて喉に塗ったものだ。それくらいいつものどが悪かった。扁桃腺を切除すべきと言うことを叔母が主張した。

 母はそれを頑張って認めないでくれた。良かったと思う。人間に無駄なものなどない。扁桃腺が赤く腫れていたのは何かのシグナルに違いない。虚弱児童と言われていたのは、扁桃腺炎から始まったことだった。だから、イソジンには馴染みがある。

 大阪の吉村知事がイソジンのうがい効果を発言した。途端にイソジンが世の中から消えた。あわてて買った人も多かったのだろう。それくらいコロナにはみんな参っていて、藁にもすがる思いだ。コロナは社会全体を病まいにしてしまった。未病の社会がコロナ病に感染した。

 イソジンをあわてて買った人は、感染するまで使う必要が無い。大事にしまっておけばよい。冷蔵庫にでも入れておいたらいいだろう。感染して、自宅療養と言われたら、使えばいい。吉村知事もそう言ったのだ。予防に使えなど誰も言っていない。

 毎日あれほど濃いイソジンで1週間うがいをしていたら完全にのどをやられるだろう。別段イソジンのうがいはコロナだけではない。普通の風邪でもイソジンうがいは悪くない。赤く腫れ上がった扁桃線が収まることがある。

 風邪で薬を使ったことはない。インフルエンザであろうが、何であろうが、自分の体力で直してきた。薬を使わない主義なのに何故かイソジンがあるのか不思議なことだ。子供の頃から慣れ親しんでいて、喉がおかしいと塗ることがあった。

 イソジンだけではない。マスクも一時無くなった。次の感染症に備えて家庭ごとに、マスクは備蓄する必要がある。マスクだけではない。食料も同じである。お米は又余ると言われている。来期はそれだけ米の生産を減らせと言う農水省の方針と新聞に出ていた。

 そんな目先の判断でいいものだろうか。必ず世界全体では食糧危機が起こる。その時に日本に田んぼがなくなり、稲作にまつわる水路などが崩壊する。そして、稲作生産者がいなくなったら、国の食料安全保障はどうなるのか。マスクとお米では生産法が違うのだ。

 もしお米が余るというのであれば、使うべき場所はいくらでもある。先ずは全国の子ども食堂には国がお米を提供する。そのくらい当たり前のことだ。そして世界の飢餓で苦しむ子供達に食料援助を行う。世界では食糧は足りない。

 稲作の維持は環境政策でもある。水の循環を通して、日本の自然の豊かさを維持している。カリホルニアでは日本人移民が田んぼを作ったので雨が降るようになったと言われている。父の叔母に当たる人はサクラメントの移民日本人のところに嫁いだ。その娘さんはハワイ大学の教授になった。そして、日本に戻ったときにそういう話をしてくれた。

 日本に田んぼがあると言うことは日本人が日本人であるためには必要なことなのだ。日本教というものがあるとすれば、そのご神体はまさしく田んぼである。田んぼを守ることで日本人の共同体意識は産まれたのだ。田んぼを捨てることは日本人を捨てることになる。このことは是非認識しなければ。

 グローバルの時代になればなるほど、地域性というものの価値が高まる。日本人が日本人的であることで世界での存在意義が高まると考えている。それは絵を描いているからこそ、強く感じている。世界における日本美術の評価は高い。それは日本的であるからだ。よりナショナルであることこそ、グローバルの価値になる。

 縄文後期、お米を作ることが日本列島に広がり、弥生時代が形成される。ここで一気に今に繋がる日本的なるものが形成されることになった。侘び寂びと言うような感性は田んぼから形成されたのだ。土偶に見るような強い強烈な感性は、田んぼを作ることによって消えて行く。穏やかな日本人が誕生する。

 埴輪的な感覚である。それは狩猟採取から、蓄積の伴う稲作という文化に変化すると言うことでもある。そして稲作は協働することが求められる。より広い地域の協働がなければ、効率の良い稲作は出来ない。と言う共同体の形成。そしてその稲作技術、水土技術の先進技術者として天皇家が位置する。

 天皇家は武力的な権力と言うより、先進技術を持つ統治者だったと考えた方が良い。より生産性の高い技術をもたらしてくれる、水土技術集団をまとめる存在。修学院離宮こそその雛形である。天皇家は田植え時期を教えてくれる存在でもあったのだ。

 イネ作りの生活を支えてくれる重要な存在として天皇家が位置した。このことが天皇家という、権力とは違う文化を持ってくにを納めるという、独特の存在が成立した。文化の力を尊重する日本というものが生まれたのだ。この権力とは違う統治体制は考えてみる必要がある。

 そうした天皇家の位置を大きく曲げてしまったのが、明治帝国主義の天皇家の利用だ。この間違った天皇利用が、第2次世界大戦の敗戦という国を滅ぼす結果になった。文化を忘れた国は何の価値もない国になると言うことだろう。

 今稲作を捨てようとしている日本である。学問を捨てようとしている国である。文化の価値など忘れている国である。今踏みとどまらなければ日本は終わるに違いない。田んぼを続けることだ。これ以外に日本が日本であることは出来ない。

 日本経済は下り坂にある。自転車なら下り坂万歳だが、日本人の心は弱まり、疲弊している。そこに輪を掛けるようにコロナが襲ってきた。多くの日本人がマスクをして、イソジンを買うぐらいしか出来なかった。逃れるすべのない、病は心を潰した。

 もう一度、イネ作りから日本人を立て直すしかない。イネ作りをみんなで行う。違う人同士が協力すると言うことはどういうことか理解できるだろう。田舎社会から、イネ作りの共同性が失われたことが、農村社会を閉塞させたのだろう。

 一度社会というものから離れて、自給自足的に生きると言うことしか、今の日本でしっかりと生きることは難しいような気がする。今が最後の機会なのかもしれない。まだ田んぼのある内に、始めて見たらどうだろうか。もうすぐやりたくても田んぼ自体が失われて行く。


 
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第23回 水彩画 日曜展示

2020-10-18 04:01:59 | 水彩画
第23回 水彩画 日曜展示








72「名蔵湾の畑と海と空と」1
中判全紙 クラシコファブリアーノ
2020.10









73「名蔵湾の畑と海と空と」2
中判全紙 クラシコファブリアーノ
2020.10








74「崎枝の畑」
中判全紙 クラシコファブリアーノ
2020.10

 海と畑と空を全体で描いている。まだ出来たという訳ではないが、少し近づいたかという気持ちもある。ともかく逃げないでこの姿勢で行くつもりだ。自分の描き方を確立しないこと。自分の手法で解決しないこと。常に新しいやり方を探すこと。

 どうしても分からなくなると、自分のやり方で解決しようとしている。これが危ういことになる。自分という一番始末の負えない壁を突破させないことになっている。どうやって自分を抜け出ることが出来るかである。

 74の崎枝の畑の絵は相当に厚塗りになっている。めずらしい状態である。出来ないので、くりかえし描いている内に、何層にも重なる状態になった。こういうことは滅多に無いので、重なってあら表われてくる状態を探した。

 72と73の絵は続けて同じ場所で描いたものだ。耕地整理をしていて、木が切り払われて、海がよく見えるようになった。以前から良い場所だと思っていたのだが、どうしても風よけの木が視界を遮っていて、描けなかった。

 これからもここでもっと描いてみた。土の色が実に面白場所だ。向かいに見えているのがフサキ岬である。この半島が必要なのかいらないのか。これもよく分からないのだが、ともかく先ずは入れてみることにした。

 其所が面白いのだが、なかなか難しい。まだどう入れるのが良いのか迷いがある。


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橋下徹氏のトンデモ論理

2020-10-17 04:19:08 | Peace Cafe

 石垣空港待合室の様子。

 橋下徹氏はもと大阪知事である。現在大阪都構想の住民投票が行われているので、メディアでの発言が目立つ。先日学術会議問題を、いつもの自信に満ちた表情で語っていた。弁護士という職業にも関わらず、トンデモ論理であったのには驚いた。いかにも維新党創設者である。

 スカ政権とはどう繋がろうと画策しているのだろうか。学術会議問題のホロー行動からと言うことなのか。学術会議問題は今になってみると、学術会議を廃止するために、任命拒否事件を起こしたと言うことだった。スカ政権らしい汚らしい、陰湿な手法である。

 橋下氏の解説によると、自分が知事時代もいちいちラーメン屋の防火管理者の添付名簿を見るようなことはなかった。総理大臣は忙しいのだから、添付名簿など見ている時間があるわけがないというのだ。同じ添付書類でも、ラーメン屋と学術会議が同列に語られて良いはずがない。

 学問に対する畏敬の念など全くない。学問ほど尊いものはないと考えているものとして、情けなく唖然とした。もちろん防火管理者を軽いと言っているわけではない。私も消防署で講習と試験を受けて防火管理者になり、ビルの防火管理者をしていたことがある。

 こんなずさんな人が維新党を作ったのだ。そして人気者として世論の方向を左右する発言をしてきたのだ。防火管理者の名簿を知事が見ないでも良いでも確かにかまわない。しかし、学術会議の推薦を外すと言うことはそんな簡単なことではない。

 いくら橋下氏でもその程度のことは理解できるだろう。出来ないのかな。そのくらいのことは分かっていると思う。あえてこう言う言い方をすることが世間の軽い動きに影響するとみているのだろう。イヤな奴の世論の形成法だ。

 橋下氏は世間をなめている。世間の人はラーメン屋も学術会議も同じ程度の重要性であろうと考えているだろうとなめているのだ。たしかに、ご近所の人にしてみればラーメン屋の方が重要かもしれない。しかし、日本国の未来を考えたときに、極めて学術会議は重要な存在である。

 学問に培われた、科学的判断こそ健全な日本社会を作る重要な様相である。政治家だけでは日本の方向を決められるわけがない。またぞろ、敵基地攻撃ミサイルなどとほざいている。これが憲法違反であることが分からないのが政治家である。いや分かりたくないのが政治家である。

 学術会議がそもそも出来た理由は日本が無謀な侵略戦争を行い、敗北した反省からである。その反省は同時にアメリカの反省でもあり、日本の統治には学問の科学性を導入しなければならないと言う判断もあったのだろう。

 明治時代に出来た、遅れた来た帝国主義国家日本は軍国化一途であった。そして最終的に世界大戦も起こして、敗戦したのである。軍隊の独走を許した日本人全体の責任である。学問も軍の無謀な判断を止めることが出来なかった。止めるどころか、科学的発言も出来ず、むしろ大政翼賛に加わったのだ。健全な学問が成立していなかったのだ。

 この敗戦の反省から、日本の民主化には学問の力を有効なものにしなければならないと考え、政府に対して助言を行う機関として日本学術会議が出来た。しかし、それは政府にとって苦言でもある。そのために諸問題に対して、学術会議に十分な諮問を行わなかったのが、政府のやり方だった。

 政府は答申など貰いたくないのだ。学術会議がそもそも目障りなだけだ。どうやって廃止した良いのか長年考えてきたのだ。そこで10億円の費用を掛け何の答申もない学術会議と言う悪いイメージ作戦に出た。これが推薦外しに始まるスカ政権の手法だったのだ。

 けちくさい話だ。10億円で政府の政策に対して、科学的な助言が行われるのであれば、高いことではない。新たに出来た安保法制が正しい日本の安全保障に繋がるか、是非とも学術会議に諮問を行えば良い。そのための機関ではないか。間違えなく憲法違反であるとその前提が覆されることだろう。

 日本の憲法学者の90%は憲法違反と判断しているのだ。政府の行動には科学性がない。科学性がないことが証明されることが怖いために学術会議など無駄だという事言いたいのだ。憲法判断には内閣法制局さえあれば良いと言うことになる。法制局長官は総理大臣が気に入った人を任命できる。

 スカ政権の日本国のデジタル化方針も学術会議に諮問をお願いしたら良いではないか。大いに10億円分諮問することが、政府の努力目標であろう。10億円を無駄遣いしているのは政府であって、学術会議無用論に話をすり替えてはならない。

 政府は科学的判断は嫌いなはずだ。政府としては取り巻きの企業に丸投げするのが、デジタル化である。こうして利権構造を構築している。コロナに際して、補助金業務の取り巻き企業への丸投げを見ればよく分かる。アベノマスクの受注先はどうなったのだろう。

 政治家は橋下氏と同様に正しい論理は嫌いなのだ。正しいことを出来ないから、都合の良いことをしている。コロナ10万円配布よりも、ゴーツートラベルよりも、消費税一定期間免除の方がシンプルで平等である。しかしそれでは一部の得する人がいないので、政府は非科学性で動くのだ。

 アンバランスである方が、政府としては支持者をえやすい。一部の人の支持の方が全体の平等よりも好ましい。これが今の日本の政治状況だ。既得権保守が自民党の実像である。科学の結論はどうしても公平に行くだろう。公平には既得権は現われない。

 日本学術会議は残さなければならない。もちろん学術会議内部にも民主化が常に要求される。学術会議こそ、民主的な運営を行い、政府にこう言う形で足をすくわれないような健全なものに、日々努力を怠らない機関であって欲しい。

 その点日本の学者を信頼している。日本の学者の中には、政治家よりも尊敬できる立派な方が沢山居る。学問を本気で行えば、正しい人間にならざるえないと考えている。学問には忖度もない。科学的な論理だけが力だ。

 日本は科学立国以外にない。学術会議の廃止を主張する人は一体何をよりどころにして、日本の正しい方角を定めようと考えているのだろうか。その時々の目先の利益に惑わされるのが人間である。未来を見る力を養うのが科学性である。

 学術会議が議論の対象になったこの機会に、もっと学術会議を尊重する政治体制を作るべきだ。
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