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石垣での家づくり

2018-09-30 04:07:14 | 石垣島

石垣設計室から工事の報告写真。

石垣島へ行くこともできないまま、石垣の家づくりが進んでいる。すべて、石垣設計室のTさんが進めてくれている。安心して任せられるという事は凄いことだ。以前、山北の家づくりでは、最初お願いした建築会社が下請けの工務店に丸投げした。設計監理をお願いした、著名な設計事務所が設計以外には責任がないと、管理をほぼやらなかった。丸投げした工務店は知らぬ存ぜぬ。丸投げされた工務店がまたいい加減で自分の都合で長期に工事中止をしていた。何しろ工事のごみを山の一番奥に捨てていた。ごみを見て気付いて回収するように注意をしたら、何とごみなど山の中に捨てるのが普通のことだと怒りだした。工事が終わってから、丸投げした建設会社から意味不明のお金が請求されて実に不愉快だった。結局すぐにその丸投げした会社は倒産した。今度の石垣の家づくりでは石垣設計室のやり方は、オープンシステムという方法だった。一つ一つの仕事を設計事務所を通して、直にわたしと施工会社と契約するというやり方なのだ。それは入札で行なわれた。正直、石垣にそれほど業者の数がある訳でない。その中で入札するってもどんなものだろうと思った。競争ない入札なんだろうと。このあたりの実態は、全く分からなかったが、どの業務も複数の業者さんが入札をしてくれた。

適正価格で信頼できる業者さんだと石垣設計室から説明があった。石垣では建設が沸騰していて、やってくれる業者さんを探すこと自体が難しいと聞いていた。その中で、業者さんが集まってくれただけでもありがたいと思う。このあたりが石垣設計事務所の実績の信用なのではないだろうか。石垣設計室が家を作る場所のすぐそばにあったので管理業務が確かだろうと依頼した。しかし、工事を進むにしたがって、石垣設計室にお願いしたことがどれほどの幸運であったのかがわかった。石垣の古い住宅地の奥で工事をするという事は、近隣にどうしても迷惑をかけることになる。この配慮が出来るのは、同じ地区にある設計事務所にお願いするという事が、とても大切なことだった。しかも、石垣設計室の石垣さんは、地域の仕事で表彰されて新聞に出るような方だ。加えて、石垣設計室の私の家の担当をしてくれているTさんは、横浜出身の方で移住された人だ。神奈川県からお願いする人の気持ちがよく分かってくれる。

石垣の家はほとんどがコンクリート作りである。白で塗るのが一般的と思われる。私にはどこか白は違うという気持ちがある。石垣の土の色にしたかった。理解してもらえないようだったが、色だけは無理押しをしてお願いした。しかも、つや消しにした。これがすぐ汚れるから駄目だと散々言われた。汚れても良いからやってもらいたいとお願いした。塗料やさんに色合わせに行くと、そういう要望ならこの塗料を使えばよいと言われた。ところがもう下ごしらえが進んでしまっていて、残念ながらその塗料は使えなかった。残念だがそれでいいと思う。汚れるのも楽しもうと思う。塗料やさんはきれいに古びるのではなく、醜く汚れてゆく。それでは壁を塗る側としては不満だと残念そうに言われていた。もっともな話であるが、もう今更仕方がない。下地の作り方など左官屋さんの仕事が丁寧で凄い。大変な仕事だったと思う。全体に良い感じの調子になっている。そこに玉を吹き付けてくれたのだが、玉の吹付など古いという事だったが、どうなっているか楽しみである。

内部空間は絵を描くために徹底した。なかなか良い。アトリエだけを考えた家である。アトリエには4つの天窓がある。昼間は外光で絵が描ける。床はこちらで購入して送って張ってもらった。割と幅広の明るいカエデの無垢の板である。明るい床になっていると思う。床材を石垣まで送ることは大変だったのだが、親切に工務店の方が対応してくれた。港まで取りに行ってくれて、長いこと預かってくれた。楽しみなことは、6つの松本民芸家具を入れることだ。彫刻家だった叔父が松本民芸家具とかかわりがあって、戦後すぐのころから家には松本民芸の家具があった。今度の家はその家具がうまく入るように作った。自分で作った家具なども置けるようにしてある。家具に併せて家を作ったとも言える。アトリエだけの家だ。引っ越しは大変なのだが、必要なものだけ運び残った物はだんだんに整理するつもりだ。

家は湿気対策だけは徹底した。絵をしまう押し入れを作り、その中に絵をしまう霧のタンスを二つ入れる。水彩画保存庫の中に24時間運転の除湿器を入れてある。何しろ石垣の湿気は猛烈である。水彩画がかびない様に保存するためには、除湿器の連続運転しかない。保存庫の中だけの除湿ならば、それほどの費用をかけないで可能だ。

 

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水彩人展始まる。

2018-09-29 04:02:52 | 水彩画

 

第20回の水彩人展が始まった。記念の画集も出来た。今年は会場で絵を描くパフォーマンスが行われている。この看板も今年限りになりそうだ。

事務所の様子。遠慮なくどなたでもお尋ねください。出品された方は作品に対する意見を聞けます。パソコン仕事が私の担当。

私の絵を並べてくれているところ。初めて小品室を作ってみた。そこに併せて今年は3点の出品である。

部屋の飾り付けが全員総出で行われる。事前に部屋割は行われてはいるが、飾ってからまた入れ替えが行われる。展示もとても重要な仕事になる。

準備が終わり、さあ始まるぞというところ。このあと、それぞれの絵の講評や美術館の点検などがある。

 入り口付近の様子。入り口で200円の手書きの水彩画入りの目録を購入する人の様子。今年は20回展の記念画集も販売されている。なかなか良い本になっていると思う。水彩画を描かれる人には必ず参考になると思う。水彩画の多様性のが見てもらえると思う。

会場は一日中こんな感じである。小野さんの絵の前は特に毎年人だかりがしている。小野さんの大作は水彩人展だけで見られるからだろう。

会場では水彩画の制作が行われる。毎日1時からだ。今日29日は、小野さんと秋元さんだ。人気の女流のお二人だから、人が溢れることだろう。

水彩人は楽しい展覧会になるよう、ありとあらゆることを考えている。間違いなく絵を楽しんでもらえる展覧会だと思う。絵もすべて一段掛けである。多くの公募展が2段掛け、会によっては3段掛けをしている。これは絵を見て、楽しんでもらえる会場ではないと水彩人は考えている。今の倍は会場の広さが欲しい。そうすればもっと多くの水彩画を描く楽しさが人に伝わると思う。30日には水彩画講習会が行われる。東京都美術館のアトリエだ。水彩による抽象表現の講習が予定されている。また絵を語る会も2日には行う。こちらはひっそりとぼそぼそやろうと考えている。

 

 

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貴乃花いじめ排除へ

2018-09-28 04:19:25 | Peace Cafe

名横綱貴乃花はおかしな親方として引退になった。貴乃花は弟子への日馬富士による暴行事件で告発したことはすべて間違いのないことだ。これを取り消せと言われてもできない。相撲道に二言はないということだろう。正しい態度である。正しすぎる態度である。正しいだけで相撲協会の運営がやって行けるかという事に至ったのであろう。体験があるので、他人事とは思えない。貴乃花を支持する人がいなかったという事だ。それが貴乃花が自ら立ち上げた貴乃花一門を離脱した理由だ。貴乃花が言いたいのは、忖度相撲をやめて、ガチンコ相撲を取れという事だろう。相撲協会は何とか貴乃花を追い出したい。一門に所属しない部屋は存在できないという事に規約を変えた。ところが教会側は変えていないと主張しているがどちらが真実なのか。貴乃花部屋は以前は貴乃花一門を形成していた。貴乃花が作った新しい一門である。ところが、あれこれ因縁が生じ貴乃花部屋が一門から離脱した。このあたりが貴乃花の不十分なところではないだろうか。一門に所属しな部屋は許さないと決めれば、貴乃花部屋は止めるほかなくなるという事になった。貴乃花の頑なな態度への批判が、相撲協会には多いのだろう。貴乃花があまり人に好かれない人間。

相撲協会は相撲道というようないさぎいいものではなく、土壌には金が埋まっているという拝金主義の方で出来ている。この相撲道という建前が行き詰まった姿が貴乃花のような気がしてならない。貴乃花はこういう人だから横綱にまでなった。名横綱になって強かったのだが、けがを押して気迫で武蔵丸と優勝決定の相撲を取り、引退になった。それが貴乃花の相撲道であり、「よくやった。感動した。」と多くの人間が思った。それからの生き方がなかなか複雑であった。モンゴル勢全盛を背景にして、相撲の世界全体がモンゴル勢中心に廻っている。一方で筋を通そうという貴乃花人気は衰えない。理事長派はこれがなかなかやりにくかったのだろう。横綱が暴力を振るったぐらいで騒ぎ立てるな。こんな風に治めてきたのが相撲界なのだろう。モンゴル力士の間で、忖度相撲をやっているのではないか。こういう思いが貴乃花にはあったのではなかろうか。貴乃花部屋のモンゴル出身の弟子の貴ノ岩が忖度相撲をせずに、白鵬に勝ってしまった。その為に日馬富士から暴力を受けたという風に考えた節がある。このことは言いたくても言わないでいる部分だ。

事実は藪の中であるが、忖度相撲のことがくすぶっていて、相撲協会としても貴乃花を追い出さずにはいられないのではないだろうか。そこで貴乃花の性格を利用した追い出し方をした。本当に文章で取り消せと言ったのだろうか。これも教会側はそんなことを言った事実がないという事だ。前回同様の、貴乃花のおかしさを強調している。いまさら暴力問題が議論されるとなると、忖度相撲のことが表面化する。大相撲としては致命傷になる。そこで、一度はほとぼりの醒めた今になって告発自体が間違えであったと認めろと蒸し返したのだろう。その前段で、何故貴乃花が自ら作った貴乃花一門を離脱したかである。あの頃、貴乃花は新しい相撲興行を始めるのではないかという噂があった。過去に、双葉山の離脱という歴史が相撲協会にはあった。双葉山はその後協会の理事長にもなった。貴乃花だってこの先どう言う行動をするかわかりやしない。そういう不安が協会幹部にあることは想像できる。

相撲協会の管理体制があまりに前近代的という事だろう。これは何度も言われることだが、相撲経験者だけで組織を運営をすることには限界がある。法律の専門家や組織運営の専門家を入れることだ。これはレスリング協会でも、ボクシング協会でも、体操連盟でも、大学組織。病院組織。絵画団体でも、日本の組織全体の問題である。多分政治の組織も同じである。忖度支配で組織が硬直する。お家元的支配に日本人はすぐなじんでしまう。組織になじまない人間を排除しようとする。対等な人間関係が苦手である。これは組織にぶら下がりたいという弱さが作り出しているのではないだろうか。甘えの構造。日本国自体がアメリカに支配されていたいという、不思議な姿勢である。アメリカに占領されている間に、独立する強さを失ってしまった。こうした甘えの構造が、相撲協会の貴ノ花排除に現れている。

 

 

 

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新潮45の休刊

2018-09-27 04:37:35 | Peace Cafe

新潮社は性的少数者(LGBT)への表現が差別的だとの批判を受けている月刊誌「新潮45」の休刊を決めた。理性的判断が働いたという事であろう。しかし、本当の休刊理由は杉田論文に基づいて、編集部が杉田論文擁護特集を組んだことにあると思われる。さすがに新潮社は編集部の暴走に危機感を感じたのだろう。自民党の杉田議員のゆがんだ、差別思想はそれはそれで仕方がないことだ。自民党には杉田氏を評価する、幹部議員がいるそうだ。自民党がそういうものも含み込んだ政党という事なのだろう。新潮45もそのような読者層に向けて雑誌作りをしたのだろう。差別主義者に特化した雑誌を作れば、一定販売が出来るという現実。販売部数を伸ばす目的で、危ない右翼特化を試みた。その結果屋台骨の新潮社へ矛先が向かい始めた。新潮社の出版物は私は当分買わないつもりだった。結局のところ、差別主義の善悪を判断したというよりも、このままでは新潮社自体が危うくなるという判断。いずれにしても際どいところで歯止めがかかってまだ良かった。このまま差別主義を擁護するキャンペーンで販売部数が伸びれば、大喜びという事では出版文化というものが地に落ちたことになる。

自民党は杉田氏を守り通す政党である。この結果を忖度して性的少数者への税金の使用が控えられるのであろう。こうした税金の使用は運用の判断が大きい。杉田氏の差別主義の論文への自民党の本音は分かったわけだ。「もっとうまくやれ。」と言う位の指導だ。これで選挙で杉田氏が再選されれば、どうなるのか。差別主義の方が票を集めるという事になるに違いない。そんなことが繰り返されているのが、最近の有権者の判断である。モリカケでもおかしいと感じながらも、結局のところ、自民党の票が減少しない。そして、それにへばりつく公明党の票も減少しない。民主主義というのはなかなか厄介なものだ。新潮社ではないが、民主主義が拝金主義に敗れたということなのだろう。自分の欲得だけで投票する時代。トランプ主義の時代。堕落した民主主義はソフト独裁を産む。ソフト独裁はお金という餌で票を集める。杉田氏も生産性のない人間に、税金を使うのがおかしいと書いている。お金を持ち出せば、票は集まるという意識だろう。

テレビではニュース女子が虚偽報道を行った。沖縄の基地反対運動は中国からお金をもらってやっていると根拠なく、調査もなく報道した。全くの虚偽である。これも、視聴率を集めるための差別主義報道である。要するにネトウヨ仲間の勢力。判断力がない人間は、中国が直接辺野古米軍基地建設反対をしていると思い込む。普通の理解力があれば、そんな馬鹿なことがあり得るわけがないことは想像力が働く。ところが、ネトウヨ情報というものは、靖国問題でも、植民地問題でも、歪みに歪んだ形で広がる。このおかしな情報に飲み込まれて育つ若い人がいるという事だ。高校生ぐらいの年代にネトウヨ情報に触れると、飲み込まれてしまう人がいる。その結果広くものを見ることが出来なくなる。自分の考えに都合の良い情報だけを拾うようになる。ゆがんだ思想を歪んだものではないと固めてゆくことになる。すでにこうした人の数が一定する作られたという事だろう。だから、販売不振の雑誌新潮45が差別思想に特化して販売部数の増加が可能だったのだろう。結局新潮45の編集者は販売部数で評価されたかったというだけの事なのだろうか。

新潮社は編集部がやったことを他人事のような判断で終わりにしている。杉田氏の記事を載せた責任というものへの出版社の責任に自覚がない。一旦掲載した以上その責任は出版社にある。おかしいとは思うが、この休刊処置は著者を守るべき出版社の責任を、編集に押し付けて誤魔化している。まあ、自民党が守ってくれているからいいのか。出版社が出版文化の理念を失い、拝金主義に陥っている。この歪みは生活というものを失ったから起きていることの気がしてならない。日本人が一次産業を中心に暮らしを立てていた時代には、あり得なかった現象である。一次産業中心に生きている人が多数を占める時代には、こうした空想に遊ばされるような、実のないことは少ない。大半の人間が実業から離れた情報化時代では、観念だけが展開される。だから論壇というもの自体が失われたのだ。絵画で美術評論が無くなったのと同じ現象である。新潮45は何をやろうとしたのだろうか。読んだことが一度もないから、何とも言えない訳だが。

 

 

 

 

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風景画の描き方。

2018-09-26 04:13:53 | 水彩画

眼の喜びこそ私にとって生きる楽しみである。面白いものや美しいものを見る。これに尽きると思う。何故興味のあるものを見るとわくわくしてしまうのか。当たり前のようで、これがなかなかの不思議だ。田んぼのイネの様子を見ているだけで、次々と推測が広がる。この原因を探るというのが面白い。だからもっと見ていたくなる。見て気付いたものの、原因を知りたくなる。そしてやってみて、さらに推理が広がる。それらのすべての始まりは、見て気付いたことにある。ランチュウの子供の頭の煙である。頭が煙っているでしょう。そう養魚所のお兄さんが必死に教えてくれたのだが、その煙は全く見えなかった。見える人だけに見えるものがある。見えないものが見える人がいる。見る能力には大きな違いがある。たぶん絵を描く人にだけ見えるものもあるのだろう。この見える世界をもうすこし探りたいものだ。見えているという事を画面に移そうとすると違う世界になるのか。果たして同じ世界にできた作者は居るのだろうか。

エセ科学的なきわどいところであるが、例えば、卵を見て雄雌を当てるという人がいる。実は私も一度だけ完全に当てたことがある。ところが2度と当たらなかった。何故、判別できたかもわからない。分からないのだが、孵化する鶏が全部メスになるように判別し、孵化した結果全てがメスだったのだ。その時にはメスの卵が見えたような気がした。ところがこれが再現は出来なかった。雄雌を卵を見て当てる人が時々現れる。現れるが、やはり再現性がない。ある時にだけ見えるものがあるのだろうか。一度当たると見えるような気になる。田んぼをやっていると、見えるものすべてが不思議である。何故だろうという事ばかりである。このなぜだろうの結論に、良い田んぼとはこういう収量があるという結論がある。ここに向ってなぜだろうを展開するのが面白い。ランチュウのこぶが盛り上がるのも面白いことは面白いのだが、田んぼであればもう少し有益に近づいている。

鶏もそうだった。鶏のとさかの色が分かるようになるにはやはり何年もみなければわからない。何年見てもわからない人にはわからない。鶏のとさかは赤だ。これだけの情報を言葉化して終わりにしてしまえばそれだけである。ところが赤であってもいいが、赤と片付けられないほど実は多様である。多様なうえに、その質感もさまざまである。つい色のことになるが、形だって千差万別である。3つ4つの大きな型分けがあるが、それすら気付いていない人もいるだろう。鶏のとさかと言って思い出すのは5つ位に尖った単冠であろう。人間の目は見ているようで見ていないものだ。この鶏冠の種類の遺伝形質を調べて一生終わる人もいる。メンデルの法則である。見ることから始まり、世界を成り立たせる摂理にまで至るという事がある。すべては見るという事から始まる。だから見るという事の楽しみは奥深いのではないだろうか。

ずいぶん目が悪くなってきた。細かなものは見えない。緑内障もあるので、かなり視野も欠けてきている。こうなると見えている内に見るという楽しみをもっと味わいたいと思う。それが絵を描くという事なのだと思う。見ることを深く味わう。絵を描くことによって、より深く見ている場所を見ることができる。ただ眺めて言こととは全く違う世界が見えてくる。絵を描く喜びとは、見るという事を深めるという喜びでもある。なるほどこういう事かとが無限に広がる。これは絵を描かなければ見えない事だったと思う。それは良い絵を描くという事とはかなり違う事なのかもしれない。絵画から離れて、見るという事に深く入り込むために絵を描く。結果などどうでもいいのだろうと思う。確かに良い絵を描こうとしていた昔の方の絵の方が、分かりやすい。そういう事から離れて、自分が深く見るという事にかかわってみようと思う。たぶんそれが私自身が絵を描いたという事なのだ。

 

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イネ、コンテナ干し

2018-09-25 08:16:24 | 稲作

 

はざがけの棹が立てられなかった稲をコンテナに立てた。コンテナを花差し籠のように考えればよい。このまま小屋に入れて、扇風機で風を当てて置くと安心である。また外干しの時は雨の時だけブルーシートで被えば良い。普通に乾燥をする。雨が多いい時などの対応策として、イネのコンテナ干しが有効である。1アールで10箱のコンテナが必要である。

家庭イネ作りの5アールまでの稲刈りなら、早稲と晩生を作れば、コンテナ25箱で可能である。作業は刈り取っては、コンテナに差し込んでゆけばいいのだから、稲を束ねる必要もない。時間的に楽になる。一部倒れたので早く刈っておきたいときなども使える。

 

 

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稲刈り2日目

2018-09-25 04:04:21 | 稲作

稲刈り2日目が終わった。素晴らしい充実感があった。万歩計で2万歩を超えた。ぬかるんだ田んぼの中を2万歩いたのだからすごい。しかも、バインダーを全力で引っ張ったり押したりした。朝8時から夕方5時30分まで稲刈りで目一杯働いた。後半は座り込んでいる時間が多かったが、3分の2ほど進んだ。田んぼによって乾かない場所が出来た。2度代かきの田んぼは乾かない。水路から水が潜り込む場所も乾かない。地下から水が湧いている場所も乾かない。田んぼを一律に乾かすためには、この田んぼは相当の困難があるようだ。水路の改善が必要。田んぼの水管理の方法も考えなければならない。ぬかるみ状態の田んぼの割には倒れていた面積は少ない。バインダーでほとんどの部分が刈れた。去年よりは状態がよい。バインダーの前に紐をつけてバインダーを引っ張って、ぬかるむところは抜けた。田んぼの角などでバインダーを曲げようとすると、そこで潜ってしまう箇所が出来た。

手前のぬかるんだ田んぼは水たまりがある状態での稲刈りになった。すべて手刈りである。手間がかかった。はざがけの棹が立てられない状態であった。冬季湛水の田んぼは水の湧く田んぼでは田んぼの状態が年々悪くなってゆく。ここは雀もついてしまい。収穫が極めて少なかった。たぶん20%ぐらいしか収穫できない状態である。緑の田んぼは岡本さんの田んぼで、まだ水を入れている。ただ畦に穴が多くて、水は抜けてしまっている。やはりしっかりした畔のない田んぼは後々の管理に手間がかかることになる。奥の方の黄色くなった田んぼがまだ刈ってない田んぼである。29日の土曜日に刈る予定である。ただ、この後雨が続きそうで、稲刈りは苦労しそうだ。

畦に播いた大豆が、そこそこに育っている。稲刈りの時に邪魔になるかと思ったがそれほど邪魔でもなかった。これは岩手ミドリという品種。全部で5キロになれば、豆腐屋さんで豆腐にしてくれるという事なので、目標は5キロである。小糸在来種と比べると実の付き方がまるで異なる。房状に身が付いている。小糸在来種はあちことにぽつぽつと実が付く。岩手ミドリの方が豊産種ではないかと思う。緑の豆腐が出来れば楽しい。豆腐作りの集まりをやるのも楽しいかもしれない。

 昼休み陽だまりガーデンからの撮影。晴れて暑かった。

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欠ノ上田んぼの稲刈り始まる

2018-09-24 04:43:54 | 稲作

 突然、暑いばかりの夏が終わった。昨日、今日と欠ノ上田んぼの稲刈りをしている。水彩人展の準備に追われている間に、息をつく間もなく稲刈りである。稲刈りの機械の準備などに、どうしても遅れがあった。まずは、もち米の稲刈りをするつもりが、サトジマンも刈れる状態になっているので始めた。23日の一日目は、糯米の14番と11番。そして、10番、9番はほぼハザガケまで終わった。雀がすごい勢いで来ているので、早めだが刈ってしまおうという事になった。でも普通に適期である。通常より、1週間以上早い稲刈りになった。早いという事が良いことになるのか、困ったことになるのか、このあたりはまだ良く分からない。稲刈りの感触では、平年作にはできている。悪いほどではない。凄い出来だという訳ではない。それでも雀にはだいぶ食べられている。悔しい。途中で11番は諦めた。11番に集中させて、他に被害を最小限に抑えることにした。来年は早生品種は止めなくてはならない。

バインダーの結束に関しては、どうもよく分からない。古い機械なので仕方がないのだと思うが、農の会には6台のバインダーがある。その内の4台が機械小屋にある。個人で持たれている田んぼも多い様なので、5,6か所の田んぼで使うのではないだろうか。1条刈りが多いい。2条刈りも1台があるが、これを使うと、無駄が多く出てしまう。手植えなので、2条が平行にそろっていない。田んぼがぬかるんでいるうえに、凸凹がある。また、一株の太さが太すぎるという事もあるかもしれない。いずれにしても、以前使って、ロスが出過ぎるので、時間がかかっても1条刈りを使う事にしている。一条刈りであれば、そこそこきれい刈り取れる。ただ年々刃の切れも悪くなっていて、スパッと切れるという具合ではない。でも、手刈りに比べれば驚くほど速いのだから、有難いことだ。例年欠ノ上田んぼが機械調整をして、この後、他の田んぼに回してゆくことになる。

紋枯れ病が出ていた。これにはちょっと驚いたほどだった。枯れるほどではなかったのだが、かなりの株が紋枯れが出ている。初めてのことだった。これで収量が減収になれば、雀に加えて、紋枯れが理由になりそうだ。もし平年並みであれば、紋枯れはそれほど恐れないでいいという事になる。いずれにしても、今年は藁をすべて外に出そうと思う。田んぼから運び出しをする。諏訪の原圃場に運ぶのが良いだろうか。その分、早めに多めに緑肥を蒔くことにする。緑肥の計画は、田んぼは赤クローバーで畔に白クローバーを撒いたらどうかと思っている。麦は今年は田んぼでは作らない。種籾の田んぼで特に紋枯れがひどかったので、急遽種籾の稲刈りは9番の一本植えの田んぼにした。100株の良さそうな株を選んだ。これは手刈りである。いつも、これが混ざってしまうので、家の方にこれだけは運んでしまった。大切に乾燥して、別の流れで籾にする。保存も間違いがないように大切にしなければ、心して。

今年は手刈りしたものを結ぶ方法を変えた。額田さんが教えてくれたやり方である。とても早く結べるし、手が痛くならない。いつも麻紐で結わいているのに時間がかかり過ぎていた。これで少し楽になった。紐を事前に輪にしておく。これは杉山さんが大量にやってきてくれた。本来であれば、藁で結べばよい。しかし、藁で結ぶと緩い人がどうしても出る。干している間に落ちてしまうものが多くなる。初めての人でもできる方法でないと、こういう田んぼでは使えない。この後、5時30分になったら田んぼを見に行く。そして雀を追い払う。やはり、雀が来ていた。気持ちが萎える。雀を霞網でとりたいぐらいだ。本当に腹立たしい。この後、来週も稲刈りとなる。天候がいくらか心配である。そして、その次の週の10月の7日か8日と脱穀と続く。天候が心配であるとしても進めるほかない。

 

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水彩画の色彩の事

2018-09-23 04:14:26 | 水彩画

水彩人では20回展記念画集を作った。色彩という事を共通のテーマにしたものである。それぞれの絵を色ごとに分けた。私は緑である。色分けはそうかなというものもあるが、本人の希望でわけてある。最初はおかしなやり方だと思っていたが、出版社側の意図なので、それを受け入れてすすめられた。そして色に関するコメントを書くという事になった。色のことを特別に考えることもなかったのだが、無理に考えさせられている内に、色の意味には2通りあると自覚した。絵の画面上の色と、目に移る色とは違うという事である。画面上で見ている色は観念のようなものに近い。頭の中思考も言葉で行っているのだが、書き出して文字化したものとは異なる。この2つの違いのようなものが、見ている色と描いている色との間にはある。この違いがほとんどない人もいれば、大きく違う人もいるらしい。描く色は頭の中の色彩の方に近い。この頭の中の色を画面の中に紡いでいるようなことが、描いているという事のようだ。私は、目に入る色と頭の中の色との関係に混乱しているらしい。このことが整理できたのは、画集を作ったからのようだ。有難いことだ。

田んぼの色を心配しながら本気で見ている。毎日朝晩微妙な稲の葉色を判断しようとしている。ここで稲の葉色を見るというのは絵を描くときに色の見方とは全く違う。緑色の濃さで、イネの根の活力を見ている。イネは田植えが終わり、徐々に緑の濃さを増してゆく。イネは15枚の葉が出る。その10枚目の葉が出る頃から13枚目当たりの葉が出る頃までが一番緑が濃い。この間の緑の濃さの変化が栽培の上でとても重要なことになる。色味版というものがあって、それでは色を5とか、4とか判断する。デジタル的に一枚の葉色を判断する道具もある。そうした一枚の葉の色という事と、田んぼ全体の緑の濃さという事の違いがある。つまり一枚の葉が一筆の線のようなものだとして、線の密度で色彩も変わってくる。葉の数が多ければ田んぼ全体では濃く見える。または幅が太ければ、色が濃く見える。このあたりが実に複雑で微妙で、面白い。

田んぼの葉色を見ているという事は、実は田んぼの土壌の様子を見ているという事になる。土壌は実際には見ることができないものである、見えないけれど栽培上最も重要なものである。その為に葉色に表れる土壌の状態を想像することになる。良い土壌であるか。良い土壌とは良い発酵型の土壌である。腐敗型の土壌になっていないという事である。肥料分が適度であり、腐植質が豊富という事になる。そうした土壌の反映として、同じ緑の濃さでも、黒ずんだ緑のこともあれば、切れの良い澄んだ緑のこともある。一時間ぐらい眺めていてもまだ時間がが足りないほど、見ることが様々ある。例えば、写真のようになぜ少し緑が黄色に変わっている部分がある。これは何故だろうなどと考える訳だ。この色のさめ方は田んぼの耕運のやり方で現れたものだ。そうしたことが起こる理由も複雑なのだが、理由が分かれば田んぼの耕作が達人という事になる。

田んぼの緑を本気で見ている。すると見やすい光があることに気づく。晴れた日は見やすいかと言えばそうではない。太陽はない方が色は見やすい。曇りの日の方が正確に色を判断できる。絵ではどうだろうとここで絵を描く目になる。すると、絵を描く目が見る色彩というものがまるで違うのに驚く。田んぼのか持ち出す空気の方を見ている。色そのものではなく、色や形や、意味が作り出す世界を見るための材料の色という事になる。緑が4であるか、5であるかなどという分析的な色とは違う世界の話になっている。ここでの色は記憶の色との繋がりであったり。自分の気持ちに適合する色彩という事になったりしている。回りくどく言えば、色というものが作り出す意味的なものと、自分の田んぼの世界観との適合という事なのだろうか。しかし、4、であるか。5、であるか。という眼がその根底にある。だからと言って、4を描いたり、5を描いたりするわけではない。

 

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絵を語る会について

2018-09-22 04:06:42 | 水彩画

絵を語る会という変わったことをやっている。水彩人展本展の会場でも行う。普通に絵を描く方人から見たら、おかしなことを続けていることになるのだろう。完成させた絵を持ち寄り、自分の絵のことを語る。語ったからと言ってどうという事ではないのだが、それが自分の絵を進める手立てになると考える人が集まっている。半分ぐらいの人が、何か上手くなる秘訣が教われるのかと思って、最初はくるのかもしれない。しかし、ここで何かを教われるという事はない。こうすれば絵が良くなるとか。この絵はここが悪いのではないか、というような指摘も目的にはしていない。自慢するつもりで絵を見せたとしても、感心してくれる人がいる訳でもない。まあ、藁をもつかむ気分で集まっているのだと思う。絵を描くという同行である。お大師様はいないが、お遍路の同行の仲間がいる。というような感じで、絵を語ることの意味を手探っている。

絵が良くなるなどという事はまずない。大体は衰退してゆく。上手くなるという事が、大体につまらなくなるという事だ。技術にその人間が隠れるからだ。良さげに見える人の絵もおおよそは衰退する。それが60年絵を描いてきた結論かもしれない。そう思いながら、昨日、絵の批評会をやった。水彩人の仲間は、私の絵を見る目がおかしくなっていないとすれば、去年より良くなった人が結構いる。これは驚くべきことだと思った。絵とはどうも厳しいものなのだけれど、本気で努力している人はいくつになっても、良くなるようだ。現状維持できればたいしたもので、良くなってゆくような人は天才だけなのだと思う。悪くなっていることに本人だけが気づかないという所が、絵というもののさらなる怖さだと思う。同じであるという事は、陳腐化しているという事だ。前と似たような絵を描くという事は、芸術的探求にはない。自己否定を続けてのみ成長すると考えている。所が自分の良いところを磨き上げる、職人的完成を目指すという、日本の伝統的な文化傾向がある。このお家元的芸道等芸術とは関係がない。

これはなかなかなのかもしれないと思ったときに、そのなかなかを乗り越えて次を考えるのが絵を描くという、恐ろしい行為だ。その為には良いと思っているところを否定しなければならない怖さ。こうした酔えない怖さが絵を描くという事には横たわっている。そもそも、少々よかろうが、悪かろうが、絵画というものがもう時代の中で社会性を失っている。鉄腕アトムの素描一枚が2500万円で落札された。まさに末期資本主義社会の商業絵画時代のあだ花というべきものだ。もちろんアトムが悪いというのではないですよ。「絵とは何か。絵を描くとはどういうことなのか。」このことは社会との関連で考えることは、不可能な時代になった。もし絵を描くという事に意味があるのだとすると、自分自身の描くという行為にこそ意味がある。自分が生きる上で描くという事に意味があるのか、ないのか。絵という存在が、すでに他者とも、社会とも関係がないのではないか。絵は個人のものになったのではないか。

美術評論というものが失われた時代だ。自称評論家などという人もいない訳ではないが、その人の絵の感想文は読んだとしても、美術評論を読んだことがない。先日、21世紀美術館の図書館で、絵画関係の冊子を読んで確認した。絵描きを食い物にした、宣伝紙のような評論を装う美術館の出版物はあるが、つぎの時代の絵画の意味を模索するような評論というものは読んだことがない。絵画が芸術としては成立していないという事なのだろう。芸術として成立するとは、社会への影響があるとか、社会からの影響を美術が受けるというものがあるはずだ。とすると、自分が描くという意味を自分自身が深める以外に道はない。一人でやればいいだろうという事だが、修行というものは、一人でやるのは危険なのだ。禅宗でも座禅を一人ではやってはならないとされている。修業が本気であればあるほど、一人でやると危険なもののとされている。その絵を描く修行の場が、絵を語る会である。語ってどうなるものでもないのだが、語ることで自分自身が自覚することもある。まだ、語る場や方法が見つかったわけではないが、みんなでそこから摸索しようという場にはなっている。興味のある人は参加してみてもらいたい。水彩人展では10月2日朝から行う予定である。 

 

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水彩人展の準備始まる

2018-09-21 04:08:25 | 水彩画

上島コーヒーから東京都美術館裏口が見える。

9月20日から水彩人展の準備が始まった。家にあるパソコンやコピー機を東京都美術館に、情報入力に持ち込むのが、まずは私の仕事となる。水彩人では出品票の情報は、すべてパソコンで打ち込んでいる。入力作業が担当なのだ。情報を間違いなく扱うためには、正確に情報をパソコンに入力しておくことが重要である。会の2名の方と、打ち込み担当の方を1名を外部にお願いしている。3台で切れ目なく入力してやっと間に合うという状況である。会にひとりとてもパソコンのシステムに詳しい方がいて、名前をカタカナでササムと入力すれば、私の住所などすぐに呼び出せるようになっている。一般の応募者も初めての方はすべて入力しなければならないが、過去に出していれば、新ためて名前や住所など打ち込まないでも出てくる。3人の入力作業で出品者の受付作業が終わると同時に入力の方も終わった。整理された情報に基づき、会の情報の伝達は格段に楽になった。写生会や様々な展覧会の案内なども正確に迅速に行う事ができるようになった。例えば展覧会に一度見えてくださった方に再度案内状を送ることも可能になっている。

またこのことは民主的な運営の為にはどうしても必要なことだと考えている。水彩人では2年ごとに代表や事務所は交代する。こんな仕組みの絵の会は他には聞いたことがないだろう。否が応でも交代で誰もが会の運営に当たる方が良いという考えである。得意苦手は関係がない。代表が偉いという訳ではないという仕組みを作る必要がある。誰にも引き継げるためには運営が分かりやすくなっていなければならない。ここまでに様々な準備がされてきている。たとえば、すでに同人、会員分は出品作品のキャプションまで印刷が終わっている。出品目録のコピーを事前に担当に送ってもらっているのだ。こういう会も他にはないだろう。この後、展示までに目録を作り印刷をするのも自分たちで行う。何しろ、水彩人の目録はすべて手描きである。一人が15枚ほど受け持ち、全員が水彩画を描くのだ。今年はこの絵を描くという事を、会場で行う事になった。手書きの良さというのもある。応募者への入選通知なども、手書きで行う方が丁寧であるし、間違いがないという主張がある。その思いも尊重され、目録の表紙は手書きに拘っている。これは200円で販売される。こうして、ここ4,5年の積み重ねで、かなり整理がついて来ている。

毎年の期待は良い絵が見れるかもしれないという事である。新しい人に出会えるかもしれないという気持ちだ。今年もあれという新しい人の絵が数人あった。これがあるから並べてみるのが楽しみである。そして心配は自分の絵がどのようなものかである。人の評価は気にならなくなったのだが、自分の眼はごまかせないものだ。絵を並べると自分にも見えてくることがわかる。絵を外の風に晒すことで、自分のものでなくなるような感覚である。ここが私絵画であっても大事だと思っている。私絵画を展示する意味はそこにあると思っている。そして今年もまた絵を語る会をやる予定である。何を描いたのか。自分の絵を言葉化してみる。そんなことは無意味だ。無意味どころか絵を描くには良くないことだという人の方が多数派である。つまり絵描きは黙って描く。言葉にできない重さを心で温め、溜めこむのだというような人たちである。つまり、自分を天才だと思いたい人たちではないだろうかと考えている。たしかに天才は一人で出来る。

現実普通の人である。そして、絵を語る会に参加してきた人の方が、絵が良くなっている。私は置いておくとしても、全体で見ると、絵というものは変わらないものだ。本人は努力しているつもりでも、進歩などほとんどないものだ。そうした中、絵を語る会の参加者の絵は良くなることが目立つのだ。絵を語るのは見て頂く人の為ではない。自分の為である。水彩人では批評会を行うことが会則で決められている。それは全員が参加することができる。同人の誰もの絵に対して、誰もが意見が言える状況がある。水彩人が研究会であるからだ。偉い先生がいて、その先生から教えて頂く会ではないのだ。その結果、水彩人は毎年良くなるよと言ってくれる人がいる。そう思いたいものだ。今年初めて出した人と、水彩人にかかわりの長い人が、同じになれる会。ここが難しいところだが、諦めてはいない。

 

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つぎの時代に存在できる組織

2018-09-20 04:02:32 | あしがら農の会

あしがら農の会で現在、25周年記念誌を作っている。田んぼの現状を通して、市民が農業にかかわってゆく新しい形が表現できればいいと思っている。あしがら農の会は様々な人がかかわってきた。2,3回の体験的かかわりの人まで入れれば、数千人の人が活動を経験してくれたことだろう。農の会の空気感は他にはないものだという事が伝わっただろうか。その9割の人が、農の会の活動にかかわったという事も意識していないのではなかろうか。それでよいとしてきたのが農の会の在り方である。農の会に数年間かなり深くかかわりながらも、自分は農の会の人間ではないと言われる方が時々いる。そんな希薄な関係の感じが農の会の特徴なのだと思う。参加している人自身が農の会に所属はしていないという意識でありながら、全体がなんとなく構成されている組織。それが実現出来れば有機的な強い組織ではないかと考えてきた。日々後悔しているような人間である。ずいぶん迷惑もかけているだろう。迷惑をかけるだろうが、良いこともいくらかはある。組織嫌いという事もあったが、農業に興味を持つような人は、私と似たような人間だろうとも考えた。

農業の組織は農業技術の普及会の傾向のところがある。一つの農法がまるで宗教の教義のように厳然と存在する。こうでなければならないというような、一義が登場しやすい。私も自分自身の農業のやり方ではそうである。思い込みが強いから、思い込んでやり抜いたのが自然養鶏法であった。しかし、それが一つの考え方に過ぎないという事は良く分かっていた。百人居れば百通りあるのが農業技術でなければならない。百通りが共存できる組織でなければ、時代を切り開く組織にはならないと考えた。この点では成功している気がする。失敗に終わろうとしているのかもしれない。私は生きている間は、全力でかかわってゆくつもりであるが、この組織のもやもやした形が未来に続くのかどうかは全く不明である。又そのことはどうにもしようがないし、考えても始まらない事であろう。

ただ、日本社会の格差社会の到来を思うと、自給農が一つの逃げ場になるだろうことは確信している。協力をすれば自給農で生きられるという情報だけは残さなければならないという気持ちが強い。課題は、この協働をすればということである。農業者は独立独歩である。独りよがりで他を顧みない。私のことである。ひとりでやる自給は倍の労力がかかる。若くて、体力のある間はなんとか一人でやり抜けるであろう。しかし、人間必ず弱者になる。弱者には不可能という仕組みでは競争社会と同じことだ。弱者を含み込む仕組みを作ることが大切である。幸いのことに、このことを理解して、行動できる若い人が増えていると感じている。我々世代はこの点がダメだ。だから未来の方が大丈夫なのではないかと思っている。田んぼに来て昼寝をしているだけの人でも含み込めるような組織になれば理想である。沢山の田んぼグループが出来ては消えたのだが、労働時間で収穫を分配するグループは何かのきっかけで消えてしまった。どこかに不満が積もってゆく。農作業に平等・公平などあり得ないからだ。

能力主義を未来の組織がどのように乗り越えるかは、能力の高い人に協働の必要性が理解できるかである。協働の有効性を理解できない人は組織には不向きである。そういう人は一人でやった方が良いと思う。不満を持ちながら協働するという事は結果的には良くない。だから農の会では一人でやろうと思えば可能な仕組みもある。ひとりでやれるようになってから、次はみんなのことも。これは常に思うが、一人でやれる方が偉いと思ってしまう人が断然多い。しかし、みんなのためにと思う気持ちを心の底に秘めて持てるようになれば、人間頑張れるものだ。まあ、こういう精神論は下手をすると宗教風になるので、無い方がいい。最近の傾向として、個人情報の配慮という事がある。自分の名前を出してほしくないという人が増えている。農の会の田んぼの会に会員として参加していても、自分の名前が特定されるのは嫌だという人である。何が嫌なのかは理解はできていないが、そういう人がいるという事は確かである。こういう人までも農の会は含み込んでいるという事でもある。農の会の人間であることを知られたくないという人まで、参加できるほどの曖昧な組織でなければ、つぎの時代の組織にはならないという事なのだろう。

 

 

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小田原市の地価下落

2018-09-19 04:28:19 | 地域

地価の変動は気にして見ている。ここに日本人の暮らし方が表れてくる。小田原は1,39%下落。石垣市は3,26%の上昇。世田谷区は4,51%の上昇。地方消滅というようなことは日本の地価変動を見れば、分かることである。東京一極集中とか、住宅地と商業地の価格の変動の違いなども、日本社会の様相をよく伝えるものであった。似たものに株価というものがある。株価の動きを見ていると、常に株価を上げようという希望が反映しているように見える。株価に上がって欲しいという思いが籠っているように見える。何もなければ、ともかく上がろうとする。上がってくれという思いに反して悪い材料があれば、狼狽して下がる。社会を反映するというより人間の欲望の反映が表れているかに見える。もちろん地価というものも、投機的な影響を受ける。しかし、土地価格全体を見ると、土地価格というものは土地売買がある以上必ず存在する。むしろ投機的な影響が強い場所がどこかが見えてくる。結局のところ地価は人間の暮らし方を色濃く反映する。

9月18日に基準地価が公表された。これは7月1日時点の日本の地価である。だいたい上がっているという事が言われる。その報道だけを見るとそうなのかと一見思うが、自分の住んでいるところは大体下がっている。だから自分の住居地点だけでも確認をすることは悪くない。どういうところに今暮らしているのかがある程度客観的な尺度で考えることができる。公示価格というものも公表されるが、こちらは私の住んでいるような、都市計画区域外はない。国土交通省に簡単に調べられるページがある。ここでだいたいのことがわかる。小田原市舟原の地価はかなり下がっているという事がわかる。小田原市全体で見ると、商業地は下げ止まり。住宅地は下がり続けている。人口が減少するという事は住宅地の需要も減る。当然下がるという事だろう。これが農地や山林となると下がり幅はかなり大きなものになる。そういうことは別段調べなくとも、想像される通りである。新聞で基準地価上昇に転ずるなどとあるのは、特殊な上昇地区を取り上げて45%の上昇などと書かれるからだ。

そして地下からよくわかることが、格差社会の広がりである。都心部の上昇、そして周辺ドーナツ部の下落。これは、都市周辺部が老齢化が進み、放棄が始まっているという事だ。これは東京だけでなく、何処の地方都市もおおむね同様の傾向である。日本全体が都市の富裕層と地方の貧困層という形に分離を始めている。都市に富裕層が形成されてきているという事が、都市中心部の地価上昇に表現される。そして、投機的部分として、外国人の訪日が増えている場所の上昇が続いている。石垣島はそういう地点である。観光客が増加を続けている。特に外国人観光客の増加が目立つ。当然そうした受け皿として、ホテル建設などが目立って続いている。飲食店も行く度に新しいお店が出来ている。その活気が地価に反映している。多分全国的に見れば、上昇の目立つ少数地点の一つという事になるだろう。これは想像だが、その上昇を支えているものは投機的なものである可能性も高い。

地価から見えてくるものは、日本も3%の富裕層とそのほかの人々の分離が強まってきているという事だ。住んでいるだけ、利用しているだけで毎年莫大な値上がりをする土地の所有者。一方に下落を続けるが、固定資産税だけは徴収される本来であれば、過去の安定層であった土地所有の資産家。どれほどの過去の資産家の屋敷であろうとも、売買もされず放棄されてゆく地方の時代が迫っている。日本の安定層が消滅し、日本というものが失われてゆく姿なのかもしれない。新しい富裕層が都市に誕生を始めているともいえる。新しい富裕層の姿はトランプ氏のような、あるいはホリエモンのような投機家的な傾向の強い人々であろう。競争を勝ち抜いた新たな人々なのかもしれない。こういう人々が日本をけん引して、競争に勝ち抜く中核だとして、アベ政権は後押しをしようとしているのだろう。97%はその他の人々なのだ。そいう現実を地価は見せ始めた。

 

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タマネギの播種

2018-09-18 04:20:52 | 自給

 

9月16日タマネギの会として、諏訪の原圃場でタマネギの播種をした。今回、小田原有機の里づくり協議会で、大仁農場で指導に当たっていた、伊藤先生にみていただけるという事でお願いした。諏訪野原の有機農業塾に関しても、見て頂いた。播種にはほぼ午前中いっぱいかかった。品種はネオアース。一人10gずつの種。19人分。18人の参加であるが、一人分後から参加したい方がいた時の為に加えた。価格は25000円も種代がした。3,5dlである。種代だけで、ひとり1400円である。予定と違う播種方法を行ったので、種はだいぶ余った。余った分は苗床の方に播いた。苗床の用意は、2週間前に二見堆肥を一袋を36mに入れた。そしてトラックターで耕運しておいた。同時に、土ぼかしを作っておいた。セルトレーの苗土にした。セルトレーと苗床直播の両方を行う。セルトレーは288穴を3つ使う。山土と土ぼかしを混ぜて使う。指導を伊藤さんという方にお願いした。伊藤さんは今は近くで農園を開き指導にもあたられている。まずフラワーガーデンでタマネギ全般の講義を頂いた。ほぼ一時間であった。

タマネギの播種適期は20度。9月中旬が良い。品種によっては少しづれる。タマネギは嫌光性があるので、1㎝は覆土しなければならない。土は案外に光りを通す。他の野菜類のような浅い播種では、発芽しない。種をまいた後、麦わらを細かく切って被せ、さらにその上に遮光シートで被わなくてはならいない。これは今までやっていなかったことだ。また発根がとても弱く、雑草取りの時に、少し根を動かしただけでも発芽が止まってしまう。だから、雑草は軽く引き上げ、根際できると良いとのこと。水やりも難しいとのこと。乾かすといけない。播種後すぐ遮光シートの上から、水をたっぷりとかける。直接かけると、流されてしまう事もある。後はぬれていればそのままでも大丈夫である。5日から7日で芽が出てきたら、すぐに遮光シートは剥がす。その後は根を切らない管理が重要になる。玉ねぎは根が傷むと成長をしない。根が乾くのも良くない。風で煽られ土が飛ばされてしまうのも良くない。霜で持ち上げられることも根を痛めることになる。黒マルチで覆う。あるいはパオパオで覆うなどすると良い。タマネギの種保存は、1時間天日干しで、そのあと2日間の日陰干し。根切り虫にやられることが多いので、その点ではセルトレー蒔きが優れている。ベットの播種する場合は、10㎝巾に線をひき、種は一センチ置きにまく。燻炭を使う事はとても良い。

 写真はすべてが終わった翌日に撮影した。当日は、苗土の準備など大わらわで、とても他のことをする余裕がなかった。一人欠席で17名が参加した。昨夜雨がかなり強く降ったので、水やりはもう大丈夫だろう。名札には自分が蒔いた、セルトレー3枚を並べた前に名札がある。先生には苗を植え付けるときにもう一度来ていただけることになっている。

農作業の指導には、2つあると思った。一つは座学である。畑での立ち話での指導では、出てこない話が沢山ある。ゆっくりと教室で講義するという形になると、話が整理される。必要なことが漏れない。総合的な理解に進む。もう一つが一緒に栽培してみることである。畑は土壌条件が違う。環境も違う。他の圃場でのことと同じとは到底言えない。作物を見ながら細やかに対応する姿が参考になる。だから、同じ条件で栽培をすることが指導の原則である。先生のやり方を見ながら、生とは自学自習する。これが2つが農業指導の原則である。同じ条件で栽培していて、よくできている人から学んでいる。そばの畑では農の会の指導に当たっている2人が似たような畑は行っている。しかし、隣ではあるが条件が違う。もうこれであまり参考にはならない。やはり、すべて同じ条件で並んで作っている人のやり方の方が分かりやすい。よくできている人のやり方が一番の参考になる。今度は指導に当たる者も同じ条件で栽培するべきだと思う。

 

 

 

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次の国会で憲法改定の国民投票が決まる。

2018-09-17 04:20:42 | Peace Cafe

安倍氏は故郷山口での日本会議がかかわる講演会において、つぎの国会に憲法改定案が出すと発言した。国会に出されれば、必ず強行採決されることになるだろう。という事はこの秋に憲法改定の国民投票が決まるとしなければならない。憲法改定案には9条3項に自衛隊を明記するという事を中心として、3つの要件が加えられる案のようだ。3つの要件というのは併せて行う事で自衛隊の明記を曖昧にするためのカモフラージュ案件である。憲法改定においては、ひとつづつ決めなければならない。本来であれば、4回の国民投票が必要なことだ。憲法とはそれほど重いものだ。それでも併せてやることにするとしなければならない。どうしても4つを同時に国民投票にかけるとするならば、一つずつに〇✖を付けなければならない。しかし、こうした投票の決め方も、今の国会の状況であれば、自民党の都合の良いように決められるだろう。ついにここまで日本が来てしまった。平和勢力の努力が足りなかったという事なのだろう。次の世代の人たちに辛い世の中を残すことになり、申し訳ないことだ。

国民には少なくとも自由投票は許されている。ところが、自由に危うい軍国主義を選択する可能性がある。強引に投票まで進めば、洗脳されてしまった人たちは、こぞって自衛隊明記を選択するだろう。まさかと思えた、トランプ大統領の選択。イギリスのEU離脱。資本主義がここまで来てしまったという事なのだろう。格差によって差別されている人たちが、トランプを選んだと言われている。日本でも格差が固定され、抜け出られない状況である。ところが、格差されている人々こそ、より格差が進む道を選択してしまう。ここに大きな疑問がある訳だが、人間というものの欲望のなせる業なのだろう。譲るという事が出来ない。自分だけが良ければというところから抜け出ることができない。自分が競争に勝つという事だけが生き方になってしまう。そういう人間の方が多いいという事なのだろう。だから、資本主義は機能し、最終段階に進んでいる。共産主義や社会主義は競争に敗れ、国家資本主義になってしまった。

このピースカフェブログは憲法改定阻止の為に書き続けてきたものだ。どうすれば日本が平和主義という理想に向って、実践できるかである。歴代の政権は平和主義を目指したことがなかった。憲法に従い、その精神を生かすのであれば、少なくとも平和的努力は行うべきであった。平和的努力など無駄なものだと決めつけて、歩んできた。政府というものが、平和的努力を本気で行うことなく政治を行ったことは、憲法違反である。そして今になり、平和的努力など無駄なものだ。武力主義で行くほかない。憲法を改定して自衛隊を明確な軍隊にする必要がある。こういう滅びの道を主張をするところまで来てしまった。平和的努力とは何か。これはほとんど無駄とも見える努力のことだ。空しい努力である。理解されないような、地道な努力である。平和的努力など戦争を阻止できるわけがないと思えるような努力だ。それでも平和に生きるためには、この徒労にも見える平和的努力を重ねるほかない。自分が平和に暮らすことから始まる。競争から降りることから始まる。

ついにアベ政権によって、憲法改定の演目がかけられることになりそうである。何としてもこれだけは阻止しなければならない。その道の先には戦争しかないのだから、諦める訳には行かない。ここで自衛隊が明記されれば、もう日本の軍事国家は扉を開けたことになる。ソフト独裁が徹底して広がってゆくだろう。日本の3つの権力は安倍ソフト独裁政権の言いなりになるだろう。裁判までアベ裁判になる時代が来る。人事による忖度で全てを動かしてゆく。出世したい裁判官はアベ政権のご意向に従う判決を出すことに躍起になる。アベ忖度の踏み絵が憲法改定である。いまや憲法を改定すべきでないと考える議員は自民党には居ないだろう。独占禁止法ではないが、政権党が安倍一色になる危険。安倍色以外では日の目を見れない政治家稼業。自民党が国民政党ではなくなったという事だ。ソフト独裁の中で、国民が自ら進んで支配される道を歩んでいる。 

 

 

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