地場・旬・自給

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金融崩壊後

2008-10-31 05:47:57 | Peace Cafe
株価は乱高下を相変わらず続けているが、行き先のない資金がうごめいているように見える。何か人間の欲の哀れさを感じる。上下しながらも、全体としては実体経済に連動した所に落ち着くのだろう。その水準は、さらに下がると見ている。これだけの戦争を続けてきたアメリカという国の実体経済である。一端破綻を始めれば、全体が国有化されてゆく、道筋をたどる。それは、金融に始まったが、どの産業にも連動してゆく。自由経済の終焉。アメリカの世界戦略に組み込まれ、日本はどれだけの損害を与えられているのだろうか。考えるのも怖ろしい。世界の経済活動はいびつに肥大化を続けてきた。アメリカでの不必要な住宅建設とそれに伴う、投資。中国の極端すぎる建設ラッシュ。こうした物で無理やり、拡大しているかのように見える経済も、実態としては下降線に入っていると言う指摘は、相当以前からあった。

実体経済の弱体化と、金融や投資の分野での無理やりの拡張。当然くるべき物が今来ている。中国のバブルは崩壊する。これはもう始まっている。経済格差が極端な社会での不景気。怖ろしいようなことが予測される。農村では農地の売買が正式に認められたようだ。農業の寡占化が起きる。農地のない農民の登場。農村人口の都市流出。農民の農奴化。予測されることは色々ある。無理をしすぎた社会の推移は注目しておかなくてはならない。日本への影響。企業の中国での生産現場の混乱。中国への原材料輸出の途絶。日本の再生廃棄物の問題化。中国農産物がどうなるか。日本の産業も車や重機などの輸出は減少。産業全般に一段の冷え込み。失業の増加。負のスパイラルに入りつつある。もう楽観できない所まで来ている。にも係らずアメリカは戦争を止めない。莫大な戦費を投入し続けている。

アメリカから離れる国が当然のごとく増加してゆく。南米各国は既に顕著だが、アフリカ、中東、アジアと波及してゆくことだろう。一方ロシアの台頭が起こる。ロシアも金融危機状況は変わらないが、資源国である。他の国とは条件を変えている。石油の備蓄体制を強化し、石油による世界への影響力の強化を図ろうとしている。アイスランド、グルジアに対する動きはその始まりだろう。アフガニスタンの失敗も懲りていないのがロシアである。力の外交はロシアの本領だ。アメリカとその衛星国の関係は利害関係。係ればかかわるほど負担の増える国、アメリカ。しかもそのメリットはいよいよ減少を始めている。日本も要注意が必要だろう。アメリカとの緊密さは、一定距離に引くとして、ヨーロッパのEU連合のような、アジア連合の形成に進む必要があるのだろう。経済の崩壊が始まる中、どのように接点を求めてゆくか、検討課題が山積みである。

いずれ食糧危機にいたる。既に途上国では食糧危機が深刻化しているが、これは先進国にも及んでくる。特に日本の状況は悪くなる。金融危機を単なる流れの滞りと見せたいというのが、政府の思いのようだが、世界経済は戦費のバブルが崩壊した。莫大な資金で石油価格を吊り上げるような、ゆがんだ構造が投資先をもと求めて、世界を席巻し、本来不要な投資を増大させバブルを演出した。それも戦争が絶え間なく起こる、原因の一つだ。崩壊して当然の事だ。お金の行き場がない為に起きていること。投資先なら、当然食糧生産だろう。食糧の買占めのようなことが起きるだろう。食糧に偏在がより深刻になる。選挙を控えた、緊急経済政策の中で、評価できるのは、3年後の消費税の値上げ。減税のばら撒きなど全く意味がない。しかし、カップラーメンが400円ぐらいだと思っているような人に経済が判るだろうか。
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自給農業の大きさ

2008-10-30 05:02:04 | 自給
厳密に言えば、100坪、1時間は大きすぎる。これは、日本の大半の地域を想定して表わしたものだ。小田原と山北でも相当に違う。また、日当たり、土の性質。これでも相当違ってくる。だから、少し広い土地と、大目の時間で余裕を見た。小田原の久野の南向きの傾斜地で言えば、60坪の土地で、1人の自給は可能だ。これは大げさでも、なんでもなくて、20年やって来たことだ。最小限の暮し体験をやるので、やってみてもらいたい。自給暮らしなど、不可能なことだと思い込まされた。誰か偉い人の、人様のお陰がないと、人間生きていけないと思い込んでいた。所がやってみて、あまりの簡単さに、ビックリ仰天して、安心して絵を描いて暮せるようになった。但し、それには技術がいる。今まで20年その技術を磨いて、時間短縮してきたものだ。山を開墾を始めて5年間、ただの土を畑というものにする技術が見えなかった。昔畑だったところは何と言っても楽。

「土づくり」誰もが言う事だが、自給の基本。だから始めて初年度から、食糧生産が出来るなど思わないほうが良い。ひたすら、作物向きの「自分向きの土」を作ること。土さえ出来れば、後は一気に楽になる。と言っても土づくりなど、究極の百姓仕事だ。そう簡単ではない。こう言うところで挫折する。基本が大切。しかも、土づくりにも、流儀がある。誰にも自分の流儀が必要で、自分で掴むのが良い。私の基本は草との付き合い方。「いい土は草が生えなくなる。」これも専門家がよく言う。しかし、いい土なら草が茂りそうなものだが、これがそうでもない。何故だか、たちの悪い草が減っていく。いやな草が減るに従い、作物ができるようになる。虫も減る。病気も減る。「草堆肥」これに勝る物はない。但し、手間暇がかかり、ぐうたら向きではない。そこで、鶏を飼う鶏小屋の床が堆肥場。鶏小屋には草を出来るだけ入れる。草の上に鶏が暮しているようにする。家庭の生ごみなども入れていい。鶏が勝手に堆肥を作る。

鶏は1人1羽。4人家族なら4羽。毎年、雌鶏に孵させて雛を取る、雄鶏や卵を産まなくなったら雌鶏は食べる。基本は鶏肉と卵。家の鶏肉は今でも、ちょっと食べにくい。田んぼは緑肥でやっているが、面積を節約する必要があれば、裏作に小麦をつくる。米ほど取れないが米とあわせれば、30坪で最低でも60キロにはなる。多ければ100キロにもなる。これで主食が確保。田んぼの周りには大豆を作る。これで味噌醤油確保。稲藁、麦わらを充分生かして、畑を作る。鶏小屋に入れても良い。野菜の方は畑が出来てくればそれほど肥料はいらなくなる。最後のトウモロコシは8月蒔いて10月末の今になって食べた。畑は狭い方が、手がまわってよく出来る。土が出来れば、連作などそれほど気にしなくても良い。ピーマンなど、1本で長く採る方が結局上手くいったりする。7月から食べ続けて、途切れることがない。キュウリだって、1本がまだなっている。トマトも11月まで大抵食べる。できれば小さなビニールハウスでもあるといい。

結論として、300坪の土地があれば、一反で家族が暮せる。4人家族が自給できる。畑を優先して家を作る。この広さで畑や田んぼやお茶や果樹まで、食べ物は何でも作ることが出来る。家には鶏小屋を併設する。1人で全作業をやるとすれば時間は2時間だ。良い奥さんが居るなら、一人づつ1時間。子ども達が手伝えば、もっと楽になる。と言う事は、週末だけ、農作業をすれば、充分食べ物は自給できると言う事になる。自給は目的ではない。自給して、安心して何をするか。田んぼやお茶や大豆のほうは出来れば、共同が良い。それの方が合理性がある。日本は本当に恵まれている。こう言う事が出来るのは温暖な気候のお陰だ。水が豊富なお陰だ。今のところ、300坪の土地を手に入れるのが大変。政府の農業政策が変わることが前提だが。農地なら、小田原で1反300万で購入できるところもある。
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「ニンジンから宇宙へ」

2008-10-29 07:00:25 | 
「ニンジンから宇宙へ」赤峰勝人著。1993年に出版された本だ。赤嶺氏は1943年生まれだから、現在、65歳。農業高校を出て、ご両親のやられていた農家を、引き継ぐ形で普通の農家になる。その営農をとおして気付く所があり、循環農業を見つける。それがニンジン栽培からだったので、ニンジンから宇宙へという、気付きに至る過程が書かれている。赤嶺さんが中心に活動されている『なずなの会』はきわめて活発な全国組織で、赤峰さんは全国を講演に歩かれているようだ。農の会にも、田中大樹さんという、大分のなずな農園で研修し現在開成町に就農して、循環農園をやられている仲間がいる。11月29日(土)彼が中心になって、講演会を開催する。田中さんの師匠への思いの籠った講演会だ。開成の福祉会館のホールで行われる。。申し込みは笹村まで、メールでsasamura.ailand@nifty.com までどうぞ。地域で赤嶺さんの話が聞けるということは、本当にありがたいことで、今から楽しみにしている。

こうした農業のスーパーマンは実は全国に存在する。この時代に専業農家を続けているような人は、色々の意味で桁外れの人ばかりだ。丸で哲学者なのかと思うような深い言葉を、言われることが多々ある。それが、少しもぶっていないから、胸にしみる。農業に引きこまれてしまったのは、たぶんそうした人との出合が、あったからだと思う。足柄平野にも10人は存在する。それまで出会う人は、絵画の世界の人。あるいは教育の世界の人。どちらかといえば、人間の情けなさを痛感するようなことが多かった。僧侶の世界で、本当の人間を見せてもらっていたことが、生意気にそんな感想を持つようになったのだと思う。所が、農業に触れるようになって、すごい坊さんと同じような、人物に会えたのだ。宗教家が脱俗ですごいなどとは思わない。欲得までむき出しですごいと思っている。

農業スーパーマンは先ず、体力がすごい。驚くほど働ける。赤峰さんは武道家でもある、多分そこが一番の根だろう。小さな人でも、怖ろしいほどの体力がある人がいる。暗いうちから、暗くなっても働き続けて、疲れない人。最も遠くの存在だけに、はるかな畏敬の念がある。それは、子供の頃から働き続けなければ、到達できない世界。そこから出てくるものは風格。面壁9年程度は当たり前の世界。身体でのみ到達できる、世界観。そうした人の中に、突然変異のように、一般世界に飛び出してくる人がいる。道元禅師だけでは宗教にならないように、自分の農業の普及活動に奔走する人が現れる。赤峰勝人氏はまさに、その代表格といえる。農業分野の末端にいる以上、一度は話を聞いておく必要があろうかと思う。

ニンジンに宇宙の循環の真理が存在するというのは、良く判ることだ。風景画で言えば、草1本たりとも間違った、風のなびき方などしないという事だろう。全ての調和は循環に存在する。調和を崩すと言う事が、人為。人の生きると言う事は随分困ったことだ。その困った存在が、宇宙の循環に入り込むことは出来るのか。畑が、自然に見えることがある。人為が手付かずの自然を越えていると見えることがある。これが、農業のすごさではないか。世界調和を新たに作り出せる仕事。だから川口さんなら、妙なる畑と呼ぶのだろう。どのくらい、自然の循環に沿うたとしても、人間わざはそれだけでは見苦しい物だ。それを作物は補ってくれる。そのありがたいかかわりが持てるか。だから、最小限の畑は美しい物でなければ成らない。美しいと言う事は循環して行くということでもある。

昨日の自給作業:肥料撒き1時間 累計時間:41時間
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竜王戦第1局

2008-10-28 05:10:48 | 身辺雑記
パリで渡辺竜王と羽生善治5冠が対戦した。この二人の竜王戦はこれからの将棋界において間違いなく、大一番である。それは将棋というゲームにとっての、大一番なのだと思う。一言で言ってしまえば、将棋がこの世に残るかどうかがかかったような戦いと言ってもいい。勝ち負けではなく、両者の戦いの姿の魅力が、今の時代にどのような将棋文化として、表現できるのか。羽生善治5冠は天才棋士。ずば抜けた記録を続けている。それ以前にそうした天才がいたとしたら、大山康晴氏ただ1人であろう。近い才能を持った棋士はいたと思う。多くの天才は夭折する。この2人はその才能を充分に開花させたという意味でも桁外れである。その羽生という天才棋士に続く者がいつ現れるのだろうという期待の中、登場したのが14歳年下の渡辺竜王である。渡辺竜王は竜王位に連続5期君臨し、時代を転換させる可能性を持った棋士として、認知されている。この渡辺竜王は今までいなかったような新人類棋士なのだ。

ブログをほぼ連日書く。負けたときは負けた精神状態を、勝ったときには勝った理由を書く。子供や趣味の競馬の事なども挟みながら、トップ棋士の勝負の中での判断の機微を書いている。その為に、将棋がぐんとおもしろくなっている。何故あの時あの手がさせなかったのか。これは勝負を通して一番知りたいことだ。今はインターネットでリアルタイムで勝負が中継される。これがなかなかおもしろのだが、このおもしろさは、相当に、たぶんアマチア3段程度の棋力がないと、味わえないおもしろさなのだ。だから、将棋人口はインターネットゲーム流行の流れの中で、取り残されてきている。これを乗り越えようとしているのが、渡辺竜王。人間の戦いを表現してゆくことで、新たな将棋文化を構築しようとしている。つまり、評論が成立する世界にしようとしている。ともいえる。

その好例が今回の梅田望夫氏のネット解説である。まだ残っているので、興味ある人は読んで見て欲しい。驚くことに、これがリアルタイムで書かれた記事なのだ。興味深い新しい試みとなっている。梅田氏はどの程度の棋力かは知らないが、当然、アマチアの人だ。今まで評論はプロ並に強くなければ出来ないと、思われていた。しかし、スポーツと同じで、人間の戦いである以上、アマチアであっても評論が深いと言う事がある。それは、素人が評論しながら、野球を楽しむのと同じことだ。スポーツ解説者という存在が、スポーツを支えている構図であろう。打たれた一球の意味を深く知る事は、解説があって始めてわかる。もしかしたら、長いペナントレースを考えた1球なのかもしれない。将棋も解説があって、興味が一気に深まる。しかもその一手の背景は、ただその一戦に勝つためだけではないかもしれない。そうした、もろもろの深さを表現できる解説が、文化として成立するかどうかに、将棋が生き残れるかがかかっている。

興味のない人には大げさなことだと思われるだろう。将棋世界に入り込むと、実に深い味わいがあるのだ。旧来の将棋界を代表する羽生5冠が、パリでの戦いを制した。羽生5冠はパリらしく芸術的な戦いをしたいと戦う前に、話した。そして、本当に、羽生マジックといわれる状態を作り出した。羽生以外の者なら、自分の方が有利と思う道筋に引きずって行く。そして、羽生だけがやれるはずと直感する逆転劇を演ずる。天才ならではの芸術的勝利を導き出した。2四歩の場面から始まる芸術。現在、コンピューターのソフトがプロの実力に急接近している。ソフトの一番苦手なのが、形成判断である。そうなれば自分が有利であると考え、間違える。ソフトは意外に自分に甘い。将棋はミスのゲームである。必ず間違って負ける。敗着のあるゲームだ。良い手を捻り出すより、間違えない手をさす、そして相手をが間違える手をさす。これが大切だ。
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香港の生卵からメラミン

2008-10-27 06:41:57 | 自然養鶏
もう今更食の安全と言っても、空しいくらいに連日食の事件が頻発している。「卵からメラミン」はあると思っていた。起こるべくして起こった。以前アメリカで中国製ペットフード問題が起きた時に、問題にすべきことだったのだ。あの事件ではメードインチャイナ表示が、リスクの印とされていた。それでも中国政府は強弁して、なんら改善を図らなかった。ペットフードが汚染されているぐらいだから、鶏や豚の餌はおかしいと思わなければならなかった。あの食糧生産国アメリカが、中国から、鶏のえさを買い入れている。こうした食糧の輸出入構造が変じゃないかとは思うが、現実こう言う事になっている。中国からのトウモロコシ輸入の一番がアメリカだった。現在ではもう中国ではトオモロコシ輸出は出来なくなっている。それくらい国内の畜産規模が拡大している。

しかし、日本に中国製畜産飼料は沢山入っている。間違いなく既に食べてしまっただろう。何故飼料にメラミンを加えるかといえば、蛋白値が上がるからだ。配合飼料は、メラミン以外でも本来食糧とは言えない様な物が、禁止されていないというだけで、幾らでも添加されている。メラミンは氷山の一角と考えておいた方がいい。例えば毛皮用動物の飼料など、どんな物を食べさせられているか、考えても怖ろしい。中国ではタヌキの大量死が報道されている。そういうところから、飼料の汚染は広がったのだろう。あれも入れても大丈夫、これを入れても大丈夫と、 飼料添加物は広がる。防かび剤、抗酸化剤、ビタミン、ミネラル、アミノ酸、抗生物質、抗菌剤、150を超える種類が指定されている。入れて大丈夫だからと言って、科学合成物質を餌に加えるなど、危険と紙一重だ。もうメラミンを加える、一歩手前は許されているといって良い。

こんな怖ろしい畜産に何故なったかといえば、安全は費用がかかるからだ。安くなければ売れない。経営するためにはよりやすい飼料を入れる。老舗の和菓子屋さんが、汚染米を購入していたような社会構造。例えば安全な、卵を生産すると1個230円になる。昔は卵というのは普通にこういう価格の物だった。実際に250円の卵は売られている。買う人がいれば、誰だってこうした卵を作りたいのが本音だろう。理想はともかく現実には売れない。売れなければ継続できない。妥協線がある。妥協の程度が危ういのだ。とことん妥協して、法を犯してメラミンまで行く人もいる。人間の信義が失われた社会では、何が起きても不思議でない。中国の飼料会社が、アメリカのペットの事まで心配しないのも無理がない。

世界が価格競争をしている。まともなことをやっていたのでは競争に負けて消えてゆく。これがグローバリズム。金融崩壊といわれるが、マネーゲームも飼料生産も儲けた者が勝者。遅れて来た中国が逆転をするためには、危うい橋を平気で渡る。もちろん日本国内でも日々起きている。実態を知ったら怖ろしくて何も食べれないような、事態だと私は思っている。今その一端が見えてきただけだ。汚染された井戸水を、わかっていて食品に使い続ける背景。井戸水が汚染される背景。暮らし全体を変えない限り、もう限界に来ている。先ず原点に戻る。自分が食べる物は自分が作る。これは毎日1時間の労働で可能なことだ。家事の一部だと、考えればいい。そこからやらなければ、食の安全はない。

昨日の自給作業:お茶の刈り込み3時間 累計時間:40時間
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日本農業の展望

2008-10-26 05:23:26 | 稲作
農業の今後については二つの見方ある。世界と競争の出来る農産物を日本で作り、輸出産業に育てる。これは常々言われながら、実現できないでいる。食糧を移動することが暮らしの循環とどう係るか、考える必要がある。もう一つの展望は、せめて自給率を上げるために、農家に対し補填をするという考えだ。農家戸別補償の考えに政府も擦り寄ってきているが、食糧生産を維持するのに、補填だけで自給が増えてゆくものでもないから、農業のあり方はもう少し具体的に示さなければならないだろう。前者の競争力のある農産物と言った時に、1個1000円のりんごを生産する農業という発想はダメだと思う。こう言う特殊な農産物が売れたからと言って、日本の農業全体の展望という訳にはいかない。お米が競争力を持てるかを考えて見ることが重要。その上で果樹分野をその対象にするなら、空中散布の農薬の事なども整理しておく必要がある。

60キロ9500円というのが、国際価格らしい。日本では現状15000円くらいか。15000円が既に純粋な生産費から、出てきた価格ではない。様々な補助金があって、その上で何とか維持された価格だ。国際価格が何故安いかといえば、労賃の違いに尽きる。日本農業は技術力はある。気候条件も稲作には最適である。規模的生産性は農業では、1反程度耕作している人と較べて、向上できる物ではない。棚田などとは又別の事である。面積を拡大して、機械化して、効率をよくし生産性を上げたとしても、農産物である以上限界はある。大きくすればむしろ単位辺りの生産量は減るだろう。1キロ250円と158円のちがい。国際価格が200円ぐらいに上昇するとして。同時に、日本での価格が200円に下がるかどうか。1haで相当頑張って6トン。大規模の限界が、100haとして、収穫量600トン。1億2千万円の売り上げ。

効率よい会社組織を立ち上げるとして、社員6人規模になる。1人は事務関係。機械は各5台は必要だろう。トラック、田植え機、トラックター、コンバイン、乾燥機、米保存庫、機械車庫。脱穀機初期投資だけでも最低3億ぐらいは必要になる。地代1500万、燃料費1200万。肥料は2000万。苗生産実費が1200万円。薬代も1000万円。労賃が臨時雇用を加えて3500万。機械の維持費は1200万。事務所経費200万、合計11800万。これで売り上げと並ぶ。施設や機械の更新の原価償却3000万円なら現在の価格となる。もし、大型機械が入れる、10俵取れる優良な田んぼが、100ヘクタール集まっても、お米の生産費は今より安くはならないという事だ。生産コストを下げるといっても、労賃の3500万は相当に切り詰めての数字だろう。他の経費は下げようもない。全てが上手くいったとして、キロ250円なら1億5000万の売り上げ。なるほど補助金をもらってギリギリか。新規参入がないわけだ。

私たちの田んぼは、1万円の会費で112キロのお米を分配した。1キロ89円が労賃を入れない、地代やら機械費、経費などの実費。もし労賃を入れるとして、10日の作業だから、1人60時間ぐらいは働く。48000円の労賃が加わるとキロ517円になってしまう。家庭菜園で労賃を入れれば、誰だってスーパーで買う方が安いのは知っている。労賃が全ての価格を作り出しているのがわかる。デズニーランドに行く代わりに家庭菜園で楽しむ。千日回峰行の変わりに田んぼで働く。生き方として好きでやっているから、労賃がない。労賃が無ければ何処の国で耕作しても原価は似たような物だ。農家補填も全くもらわない。日本農業の展望はむしろ、こちらにあるようにいよいよ思えてくる。やりたい人がやれるような環境を作り出せるかどうか。農業を週末にできるような、暮らしを作り出せるかどうか。
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ごみ焼却施設のごみ不足

2008-10-25 05:02:57 | 環境関連
県と横浜、川崎両市の第三セクター「かながわ廃棄物処理事業団」が2010年度までに破たんする恐れがある。とする県の包括外部監査の指摘を受けまとめられた経営計画案が、川崎市議会環境委員会で報告された。ピークだった02年度の搬入量は約5万2千トンだったが、07年度は約3万8千トンと減らしている。産廃処分の思わぬ出費として足かせになっているのが焼却炉の故障。廃プラスチックなどの焼却で炉が高温に耐えられず、05年度から炉の緊急停止が百回以上を数える。07年度は149回に達し、安定稼働をさせるため修繕費を毎年数億円かけなければならない。
このことは、小田原の広域ごみ処理計画でも、深刻に考えなければならない。現在の実施計画はごみが減らない前提で作られている。ごみは人口が減れば減少する。構成年齢が老齢化するに従い減少する。分別が進すめば減少する。産業が循環型になれば減少する。リサイクルリユースが進めば減少する。生ごみ選定枝の堆肥化が進めば減少する。市民の意識が変われば減少する。

小田原市の予測では、1市3町の15年度のごみ量が13万トンであるが平成30年に12万トンに成ると予想している。これはいかにも多すぎる。人口減少要素以外は見ていない数字である。しかも人口減少も数字の通り、1市3町の15年度の人口が249千人、30年度が243千人が行政の予測である。いかに行政の予測が甘いかがわかる。20万人を切るだろうと言うのが現実である。老齢化が進めばごみ量は減少する。剪定枝や生ごみはごみの45%を占めている。これを何時までも燃やしている訳にも行かない。今後減少が進むのが社会の方向になる。紙や布類のリサイクルも進むに違いない。であれば、ごみは減らないとする根拠はどこにあるのか。不思議でならない。名古屋市の例で見るようにごみは処理が行き詰れば減る。安全値を見て大きめの焼却炉を作ることは、少しも賢いやり方ではない。大きい物を作れば、川崎のように財政的に破綻する。ごみが足りなければ連続燃焼もできない。

川崎の例ではプラスチックごみの焼却がいかに焼却炉を傷めるかを表わしている。今後プラステック類の混合焼却を行う、東京都では深刻な事態が予測される。焼却炉の耐用年数は大切に使うか、いい加減に使うかで、倍も違っている。関西では耐用年数を十数年過ぎても、問題なく利用されている炉が幾らでもある。耐用年数については、専門家や焼却に当たっている人達の意見を良く聞いて、本当の所を探るのが実際的である。ただメーカーの耐用年数で決め付けてしまう物ではない。それは自動車などと同じだ。今後財政は大変な時代を迎える。一年でも長く使うことが前提となるべきだろう。生ごみ剪定枝の100%の堆肥化は困難であるとしても、現状の半分を堆肥化するぐらいは、そう困難な課題ではない。社会的にも目指さなければいけないことである。それだけで、ごみは25%は減少する。

総合的に鑑みれば、ごみ量のH30年予測は8万トン程度を目標にすべきだろう。大は小を兼ねないのが、焼却炉だ。日量320トンこれは現在の小田原市の焼却炉が450トンだから、相当小さい物でいいという事に成る。小田原評定である。今まで小田原では広域の検討を伸ばしてきた。その結果ごみを取り巻く社会の変化が表れ始めている。人口の変化も見えてきた。これからも少しでも先に延ばすことが一番いい判断が出来ると言う事になる。その時間稼ぎの間に、生ごみ剪定枝の堆肥化の道筋を検討して行くことだろう。実験はすぐにでも始めなければならない。方法としては生ごみ剪定枝を出さない宣言をした家には、なんらかの恩恵を与える。例えば特別ゴミ袋の配布はどうだろうか。小田原市民の誇りになるだろう。生ごみは入れません袋は市民全体にごみに対する意識を変えるかもしれない。
もう一つは隣接市町村との、災害時や、故障時、一時的なごみの増加時などの対応を、互恵的約束を交わす必要がある。

昨日の自給作業:片付け1時間 累計時間:37時間
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小田原駅西口

2008-10-24 05:32:13 | 地域
小田原駅には西口と東口があり、それぞれに駅前ロータリーがある。これが感覚として、海側が南、山側が北で、どうしても南口と北口としか思えない。東西と言えば関西に近い方が西口かと頭で想像して、間違って教えてしまったこともある。何故か海の方が南と言う、私の方位感覚がおかしいのだろう。東西通路が出来たり、それぞれのロータリーが直されたりした。西口には北条早雲の大きな銅像がある。高さも台座が3メートル、その上に銅像が4メートルはありそうだ。馬に乗った武将姿だが、足元には牛の角に松明が付いる。鹿もいる。この辺りの構造が大変複雑で、不思議な銅像だ。裸婦像や訳のわからない抽象彫刻のつもりの、いい加減な塊などが、置かれているよりよほどいい。ついでながら、東口はお決まりの二宮尊徳像。東西通路の上には、誰が制作したか名前も書きたくないような、本当に見苦しい陶板画のレリーフ。何故こんなに色が悪いのだろう。埃だか汚れだとお思いだろうが、最初からこの色だ。

西口のロータリーの事だ。ここを利用すると小田原と言う所は市民を大切にしていないという事が、良く現れている。タクシー会社とバス会社と、ここまで送迎する旅館の車。一体一般市民はどう利用したら良いのだろう。小沢前市長は議会質問でこう答えている。「西口駅前広場の整備につきましては、限られたスペースの中でさまざまな広場利用者の安全かつ円滑な動線を確保することになりますために、神奈川県警察本部、広場管理者でありますJR東海、そしてバス・タクシー会社等々関係機関との協議を経まして決定したものでございます。そういうことで、全部の関係者に対して全部がOKというわけにはなかなかいかないという側面もございまして、今回のような形になりました。広場利用者に対しましては、よりわかりやすい交通標識の設置や路面表示等を行うとともに、広報活動などを通じ、できるだけ混乱が生じないよう努めてまいりたいと考えているところでございまして、御理解を賜りたいと思います。」

タクシー会社が一番優先されている。かなりのスペースで客待ちをしている。客が少ないから、いよいよスペースをあふれるようにならざる得ない。そして団体客のバスの集合が何とか可能になっている。しかし始めての人には、たどり着くのは困難な迷路の先だ。さらに、一般の車はぐるぐる回って、一番遠くで止められるとはいえ、出てゆくのも入るのも、知らない人には利用不可能な構造だ。一時駐車もできない状態なので、知り合いを迎えにいって、車から離れられない。しかし駅のほうは見えない。人を待つと言う事が極めて困難だ。荷物が沢山ある場合など、嫌になってしまうぐらい、段差と遠回り。結局、搬入の車や送迎車は、違反承知でタクシーに割り込むように、止めては乗り降りする。結局、内側に一列それようの場所が出来てしまった。いかにこれを考えた人が、能力不足の上、市民を無視していたかが判る状況だ。

その結果は西口の閑散とした状況にも反映している。「駅西口地区は、小田原市と神奈川県が、幹部がそれぞれ出まして、共同で策定をいたしました広域交流拠点整備構想の中で、富士箱根伊豆交流圏の情報、観光振興拠点として整備をしていくことが位置づけられているわけであります。」ここでも市民と言う視点がない。一時賑わいが創出できるかと言う、雰囲気はあったが、全体の構想が悪い為だと思う、結局衰退をした。時に使わせてもらうが、三省堂書店は大丈夫なのだろうか。蕎麦屋さん喫茶店はそこそこ入っているようだ。一歩駅から出ると新幹線ビルも今度コンビニが入り口に出来たが、状況は良くないようだ。東口の方は、お城どおり再開発や閉鎖した地下街の事があるが、いずれ全体の構想に市民の視線が無ければ、それぞれの利害が押し合って、おかしな結果となるだけだろう。
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久野里地里山勉強会

2008-10-23 05:09:55 | 地域
勉強会の開催にだいぶ間があいたが、20日の晩、久し振りに開催された。参加者の90%が行政の怠慢を怒っていた。行政の仕組みの上で問題点は継続と言う事だろう。何らかの理由で担当が替わる。新しい担当は状況が丸で飲み込めていない。これは個人の責任と言うより、組織の問題であろう。だから、ルネッサンス担当から、農政に変わるときに、くれぐれもそうしたことが起きないように、確認をした。所が、予測どおり何も理解していなかった。その状況に唖然するとともに、怒りが爆発した。もうかかわりたくないと言う声も出た。今まで熱心だった何人かの人が、欠席した。こう成ると思ったので、3回農政課の担当に、7月から伸びている状況だけでも、皆さんに連絡して欲しいとお願いしていた。所が、それもついに無かった。どうしてそうなるか不思議でならないのだが、見えない理由でもあったのだろうか。例えば、農政課が引き受けたくない理由とか。ルネッサンス課の閉鎖の不満とか。

それにしても、よかったのは参加されていた方々は、まだ気持ちが散策道の整備に協力してくれる方向だったことだ。去年は坊所の道路際の覆いかぶさってしまった、樹木の伐採が行われた。これを実際にしてくれた、坊所の人達にしてみれば、許しがたい所があっただろう。しかし、道際が清々してなかなかいい。ちょっと田んぼが丸見えに成った所が、耕作する者としては辛い所があるが、見え隠れぐらいが丁度良いか。私はこの竹薮に火を移して、消防の出動をお願いしたことがあるので、ここに関して偉そうなことは全く言えない。今年は、協議会設立に向けて、地域の体制を整えて行くことになる。散策道の整備を事業として行いながら、これからの体制を整える必要がある。みんなの気持ちを揃えるためにも、こうした実際の活動を行うことは重要だと思う。ここに、他の参加者もきっと加わってくれると思う。そうなれば、今後の活動や、組織の有り方も定まってくるに違いない。

反省として、行政任せにしていた点がまずかった。地元ではお二人の方が、ルートの開拓から古老への聞き取りなど、実際を進めてくれていた。森林組合とも、話し合いを持っていた。当然森林組合に出ている人もあるのだから、当然そうなるだろう。歯がゆかったに違いない。自分たちが予定を進めれば、とうに進んでいた。行政との足並みを考えて、控えておられたようだ。無理に進めておかしくなる場合も確かにある。実際の散策道作りでは、出来る限り手伝わしてもらいたいと思う。ではこの散策道が久野里地里山の中でどのように位置づけられるか。まず、小田原の良さの再発見。小田原の山の美しさは意外に、認識されていない。現在このルートでの登山者もほとんどいない。久野川の遡行をする人、あるいは山女釣りの人が、たまにいるぐらいだろう。このルートで明星岳に登ると、眼下に足柄平野が開ける。この地域の全貌が見渡せる。その素晴しい地勢を深く認識できる。小田原に住む者は一度は登ると気持ちが違ってくるだろう。きっとそんな道に成ると思う。

いよいよ、協議会設立だ。協議会が設立されれば、地域中心の活動になって行くのだろう。協議会は議決機関のようなものに成るらしい。実際の活動は部会のような、例えば、あしがら農の会の田んぼ部会。と言うのがあって、そこで新しい田んぼを設立する場合。協議会から里地里山としての活動である。と認められれば、行政からの資金の支援を受ける。こんな形になるようだ。構成で中立的、里地里山の意味を充分に認識していなければならない。又地域での信頼を得られる人材で構成されなくてはならないだろう。又、地域でのバランスの取れた、人的配分も必要になる。顧問のような形でしかるべき方をお願いすると言うのもあるだろう。私としては、下働き的な連絡とか、事務的な役割と成るのだろうか。この仕事はこれからの中心に位置づけるような仕事だと思う。出来うる限りの努力をしてゆきたい。

昨日の自給作業:田んぼの秋起こし3時間種蒔き1時間 累計時間:36時間
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『タミフル』が効かない

2008-10-22 05:49:14 | Peace Cafe
治療薬「タミフル」が効かないインフルエンザウイルスが昨冬、鳥取県で30%以上という高頻度で見つかっていることが20日、国立感染症研究所の緊急調査で判明した。予想通りの展開だ。薬と病気は常に追いつ追われつになる。新しい薬や対処法ができても、病気の方でも必ずそれを凌駕する物が現れる。タミフルで気に成るのは備蓄の事である。薬を備蓄すると言う事は、使用期限がある。タミフルは5年らしい、1錠当たり約363円で流通しているが、備蓄用は211円と安い。という情報がある。その代わり備蓄用は通常の治療には使えない。備蓄分は無駄になって行く。その額は現状のレベルでも毎年90億円ぐらいになるらしい。厚生省は国民の45%分の備蓄を主張。無駄になるのを承知が、災害対策という訳だが、備蓄しておいていざ使う段になったら、30%も効果がない薬と言う事ではこれは困る。

タミフル備蓄は、間違った選択だ。トリインフルエンザ人への感染を起こし、これが人人感染に繋がる。こう言う経過を想定している訳だが、根拠が完全な訳ではない。そうしたことが起こるかもしれない。昔あったスペイン風邪の大流行の再来を考えている。しかし、スペイン風邪は鶏の感染の連鎖から始まった訳ではない。鶏から豚へとされていた。今は解釈が変更されたのかどうか知らないが、鶏に今起きている感染が人のインルルエンザになるとは限らない。これはもうこの事が起きてから常々主張してきたことだ。国連を中心にと言うが、その辺りの仕組みは良く判らないが、WHOの主張として、近いうちに必ず感染が広がると言う、指示の元に、各国が備蓄を始めた。しかし想定のような経過は既にたどっていない。想定では、既に感染爆発が発生していなければならない。

日本でインルルエンザの大流行が起きると、2から3%の人が死ぬと考えられている。つまり、300万に以上が死亡すると言われている。感染そのものは半数程度の人は感染すると想定されている。20人に1人が死ぬ病気。確かにこれでは恐くて何でもしようと成る。ところが、タミフルも効果がないかもしれない。リレンザの方が効果があるというので、東京都などはこちらも備蓄しているらしい。今流行している、インフルエンザでも、タミフルで対応できないタイプに変異している。まして、これから新たに現れるかもしれない、ウイルスに効果があるかどうかなど、誰にもわからない。もう既にWHOの担当者の頭の中はパニックになっているとしか思えない。タミフル備蓄は冷静な判断とは思えない。病気と薬の追いかけっこは、薬が勝利することはない。

もし日本で備蓄するなら、基本は各家庭で行って欲しい。病気への対応は個々人で違う。各課程の判断で、備蓄すれば良い。税金を使いやるのは一定の範囲にとどめる。家庭で備蓄したい人は行えばいい。自分の判断で行う精神が必要だ。誰かが助けてくれるなど考えない方がいい。トリインフルエンザのウイルスの強毒化の過程は感染の連鎖だと言う事は、解明されてきた。感染の連鎖が、7回とか8回起こるには鼠算的だから、自然界では先ず起こらない。そんなに巨大な群れがあるとは思えない。100羽の群れなら、一回の感染で終わる。1000羽の群れなら、2回ぐらいの連鎖は起こる。鳥の中でのウイルスの強毒化するような連鎖はよほどの数が、前のウイルスには影響されないで、純繰りの感染が起こる。こんなことは自然界にはない。やはり自然は良く出来ているのだ。自然の摂理を超えた、巨大畜産の登場。これを禁止しないのだから、新たな病気の出現は又起こる。
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田んぼが終わった。

2008-10-21 06:06:09 | 稲作
籾摺りが昨日終わり、ついに今年の稲作も終わった。大きな安堵に包まれている。楽しい稲作だった。今年も学ぶことが沢山あった。発見もいくつかあった。まだ余韻のなかにいて、とても今年の反省という訳ではないが、思い出せることを熱い内に記録しておく。何と言っても、草を生やさなかったこと。今年の一番の目標にしていたことは実現できた。ソバカス抑草の実現、ほぼ想定したとおりに展開した。米ぬかで課題になった、再現性の不安定さが解決できた。1、費用が安い。購入する資材などできるだけ使わない。2、名人の技でなく、誰にでも可能な技術。3、除草剤と同等の効果がある。4、自然循環に則した方法で、継続しても環境を悪化しない。5、田んぼの裏作。これが、10年前に考えた抑草技術の留意点だ。ソバカス抑草は5点においては実現できた方法になった。もちろん全てが解決した訳ではなく、新たな問題に気付いた。

8センチ以上の深水がヒエを抑えることも、確実な技術と言える。緑肥の漉き込みも効果のある技術。浅い代かきや平均の取れた田んぼも抑草には大切な技術。これらを有機的に複合して、草を抑えることが出来る。それは行うべきタイミングが重要に成る。深水について言えば、中干しを一切しないで稲作を行った。かなり勇気が言ったが、中干しをしないと土がゆるくなりすぎる田んぼであることがわかった。根本が弱くなり、倒伏が一部出た。加えて、草丈が高くなる、特に下位分節が伸びる原因にもなったようだ。まだ問題がある。水面を覆い続けることで、水温が上がらない為か、分結が不足する。水面を覆ったのは、田植え一ヶ月後からは浮き草だ。分節が伸びる問題は、来年は品種を変える。サトジマンにすることにした。背丈が伸びたのは、品種が交雑したことの影響が強いと思われるからだ。

分結の不足は水温の低さによる、谷戸田の宿命のようにある。ただし、畦からの水漏れも相変わらずだったので、必ずしも原因は特定できない。後半分結を追い上げる時期に、水面が浮き草に覆われると言うのは、やはり問題かも知れない。これも来年の課題になる。中干しを入れる時期を、工夫する。ともかく草は全く無かった。これはまさに、除草技術と言った方がいいような、不思議な状態だった。そうした全ての総合的な結果が、粒張りの悪さに現れている。くず米が多かった。トロトロ層というものが、初めてよくわかった。微生物が形成すると言うのも、良く確認できた。ミジンコやイトミミズの発生のすごさは今までにないことだった。当然トロトロも抑草に役立っているだろうが、何かマイナス点も感じた。

くず米のぞくと、昨年の収量を下回った。今年は7俵丁度だった。悪いわけではない。ほぼ目標は達している。周辺の収量と変わらないものだった。粒張りが悪く、くず米が多いい原因は、良く判っていない。中干しをしなかったことも影響しているかもしれない。この後、すぐ耕して、クリムソンクローバーを蒔きたい。昨年はレンゲが、タコゾウムシとかにやられてほぼ壊滅したことも、その後の田んぼに影響したと思う。クローバーは2回目の経験で前回失敗しているので、心配はあるが、もう一度やって見たい。来年の百姓とはよく言ったもので、来年の事ばかり頭の中に膨らんでくる。百姓も野菜型と、田んぼ型があると思う。私は田んぼ型だ、田んぼは働く時が集中する。しかし、後は頭の中で作っている。

昨日の自給作業:籾摺り5時間 累計時間:32時間
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新聞の事

2008-10-20 08:00:55 | Peace Cafe
大阪の橋本知事が、朝日新聞を悪口ばかり書いている、といったそうだ。橋本知事も、何かとけちを付けるクセがあって、私と同類だと思っていた。新聞をとったことはないが、子供の頃は家で取っていた。読むのは好きだった。別に新聞が好きというのでなく、活字が印刷されていれば、何でも好きだった。文字を読むのが好きだったのだろう。学校の図書館では一番借りた人だった。実は新聞を信用しなくなった事件があった。まだ、小学校3年くらいだったと思う。近所で火事があった。不謹慎は当時も自覚していたが、もちろん火事と聴いて静かにしているなど考えられなかった。そうとう遠くても駈けて行った。材木屋さんが燃えた。それは火柱が高く上がって、盛大で後で夢でうなされるようだった。この火事が、新聞記事では全く違っていた。何を勘違いしたのか、一軒隣が火事になったことになった。

それ以来、新聞にも間違いはあると思うようになった。読まなかったのは、お金がないから新聞を買えなかった。学生になって家を離れてから以降、新聞を定期的に読んだことはない。別にそれで困ったことはない。農の会の野菜の宅配で新聞を野菜の包装に使おうとしたら、誰の家にも新聞が無かった。話がそれるが、スーパーのレジ袋をもらえば、大切に使っている。だから失礼ながら、買った商品は他の袋に入れるが、レジ袋をもらうことにしている。レジ袋もあれこれ役に立って、購入することもあるぐらいだ。たまに読む新聞に書いてある内容は実はおもしろい。別に読まなくても済んでしまうのだが、読めば面白いことが結構ある。だから新聞が置いてあれば、必ず読む。蕎麦屋さん、ラーメン屋さんでは食べながら読んでいて、マナーのない客だ。

新聞が今後衰退するだろうと、誰もが思っているだろう。それでも、無く成るとやはり困るとも思っている。インターネットでも、新聞社のホームページを含めて、情報をお気に入り欄に出来る限り集めてある。中には専門的なものもあるが、このことについてどう考えているか。例えば、弱毒のトリインフルエンザが、韓国で発生した。このことをどう考えておけばいいか。こう言う時に、あちこち探すことになる。新聞にはわずかも載っていないが。情報としてある所にはある。アメリカの金融崩壊について、どう読むか。これも新聞ではほとんど役に立たない。小田原の郊外で、小さな農業をやっている私にどう係るのか。こう言う事は、新聞には書いてない。つまり新聞には極小の情報はないし、特殊な対象向けの情報もない。最大公約数的な情報と言うのは、肝心なことの役にはたたない。役に立つ情報とは、同じことをより多くの人がどのように考えているかを、比較した時だ。とくに、この人がこの事をどう考えるかを知ると、役に立つ。高橋亀吉氏がこの株がどう動くかが情報。

新聞の本来の使命は、権力に対する批判精神だと思っている。それが報道に期待するところだ。それが健全な社会を形成するために不可欠な役割だと思う。北朝鮮のような国家では、権力を批判する、報道は存在しない。橋本知事は自分が権力者であると言う事を、理解していない。先日も家畜保険所の人に、あなたは権力者なのだ。こう発言した。激怒していた。私は家畜保健所になんら影響は与えられないが、家畜保健所は、私の鶏の飼い方に、命令を下す権利を持っている。だから、対等の会話のつもりでも、その発言が権利の乱用になることがある。何気ない一言で、止めて行った養鶏業者も知っている。橋本知事が、テレビタレントであった時はおもしろそうな、人目を引くことを発言していれば済む。むしろそれが役割であっただろう。今の立場はそうではない。報道のあり方にまで発言するなら、覚悟が必要だろう。

昨日の自給作業:脱穀8時間 書くのを忘れていた、草刈1時間 累計時間:27時間
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今日は脱穀です。

2008-10-19 05:28:54 | 自給
紅葉はまだ、舟原では始まらない。年々庭の紅葉が曖昧になってきている気がする。モミジが4本あるので、これが色づくので紅葉に気がつく。秋の種蒔き時期を計るのに、ちょっと慎重に成る。葉物を早く蒔いて、すっかり虫にやられてしまうことある。それでも、正月に小松菜を食べるには今が限界と感じる。もちろん雨の状態も考えるから、なかなか微妙。秋の種蒔きは一二度間違えて、虫に食べられたりして、蒔き直す。そんな気持ちでいたほうが良い。たねやさんで買う袋には、どうせ家で食べるには余るほど種が入っている。何度もずらして蒔くのは、虫対策でもあるが、永く食べようと言う事でもある。コカブはその点、都合のいい作物だ。蒔き時をずらすと、その通り収穫もづれてくれる。なぜかほうれん草はそうでもない。上手くできないから、詳しい所はわからないが、蒔き時が狭いようだし。生育が止まりやすい。その点、青梗菜やター菜などの中国野菜は、寒さに強くて冬場のものとしてはいい。

今年は少し早く植えつけた、キャベツ、ブロッコリー、白菜の三羽烏が以外に虫にやられず、成育がいい。同じように生育している。カラシナのほうは2度も虫にやられているから、虫の好みはどうもわからない。白菜は他の草の根が嫌いだと言う事なので、これは取り除いた。その成果なのか、今結構大きくなっている。初めて結球するかもしれない。そうしたら白菜漬けを作ろう。反対に意外に悪いのが、キャベツ。キャベツはそこそこ出来るようになったのに、今年は良くない。理由は全く不明。そこで、何時に変わらずいいのがブロッコリー。今年はこれに加えて、メキャベツとブロッコリーの交配種のがおもしろからやれと言われて、苗を植えてみた。これも一応は出来てきている。しかし、5株あったはずが、3,5株になっている。

写真のトマトが、まだ成っている。11月までトマトを食べると言うのが、毎年の事だ。今の時期のトマトは少し硬いが、味が良い。畑で働いて、摘まんで食べるのが最高の楽しみ。困っているのがごぼう。数は結構あるのだが。畑の中のほうに進んだら、巨大なのだ。1,5メートルに成っている。これでは先まで掘れない。もったいないのだが、どうしても先が切れてしまう。家で食べるには1本あれば、しばらくはいいのだが、出荷と成ると、正直できない。先日中原さんが寄ったので、「少し掘って持っていてよ」そう言ったら、今日は長靴でないからダメだと、断られてしまった。ピーマンやオクラはまだ食べているが、そろそろ片付けないといけない。すこし、サツマを掘って食べているが、なかなか美味しい。三種のサトイモもそろそろ掘る。掘って味比べをして見たい。山芋台湾芋などももうそろそろ、困っているのが、冬瓜、今になって実が付いて、大きくなってきている。これを片付けないと、麦の準備が出来ない。どっかで思い切って片付けるか。

麦は11月入ったらやるつもりだ。今年は麦は本気でやってみる。お米の方は、日曜に脱穀。1週間のハザ掛けで、何とかなりそうだ。木曜日に18.6%金曜日に16.8%なら日曜日に14.8%でギリギリセーフ。これ以上干しておくより、脱穀した方が、リスクが少ない。それで、クリムソンクローバーを播種する。実験的に蒔いた、一段目の畑は結構出てきている。もうクローバーらしい葉を展開している。クローバーも11月に入ると遅いらしいが、この天候だとそうでもない気がする。紅葉が半年遅れていると言う事は、種蒔きも半年は遅れて良い。11月初旬なら間に合うと言う事だか。温暖化の影響なのかどうかはわからないが、困ったことに自給農業はやりやすくなっている。ハウスや、ビニールマルチを使わない、農業には冬場の食糧生産は楽になっている。
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わくわく交流会

2008-10-18 06:43:19 | 環境関連
昨晩、サポートセンターで、登録市民団体の交流会が開かれた。3回目の事らしい。分野別に企画されていて、今回は環境系の市民活動の交流と言う事だった。行政からも参加すると言う事なので、是非とも地域のごみ市民会議でも、活動を伝えたいと考え参加した。地域のごみ市民会議と言う名称になってからは新しいが、以前小田原ごみ問題研究会と言う形で発足して活動していた。その時期から言えば、10年以上になる。久野環境を考える会がダックの焼却場問題に取り組み、一応の結末を見た。その頃、国が溶融炉による、広域一括処理を打ち出してきていた。これからは、一般ごみの焼却場の事が必ず、問題になる。これを研究してゆこうと言う事だった。その後、山北の静岡県との県境に企画された、エコループという巨大焼却場問題が起こった。県もこのことが片付くまで、広域ごみ処理問題を凍結していた。さすがにこの計画は地元から拒絶され、頓挫する。そこで又、広域処理問題が再燃した。

広域処理のそもそもの始まりは、大きな炉で処理した方が、ごみは安全に、経済性でも有利に処理できる。しかも、単純な焼却ではなく、エネルギーの回収を行うような施設に出来るのではないか。このような技術革新変の期待があった。既に全国的には様々な方式が運用されている。その結果は、期待したように技術革新は進まず。先進炉の宿命として、事故の多発。経費の膨大化。予想外の公害の発生。様々なトラブルをかかえることになる。その中にも、有望な技術も存在して、今正に曲がり角にある技術と言える。そこで、今実施計画を立てている小田原で、どのような方式で広域処理に取り組むかは、市民にとっても見逃せない、重要な案件になっている。ここで間違った選択をすると、取り返しの付かない、財政的負担をかかえることになる。ごみの発生量の予測でも、現在の計画では減らないと見ている。これは人口減少が始まり、老齢化が起きている。ごみは一気に減少する時代が来ている。ここで大きなものを作れば、ごみが足りずに、他所から集めるとか、産業廃棄物を受け入れるとか。とんでもないことをすることになる。

わくわく交流会で、このことを行政と話したかった。交流したかった。2時間の交流会の内、何と1時間30分も行政の環境への取り組みの説明が行われた。これは、質疑のような時間を短くしたい、苦肉の策と思われる。又、この市の取り組みの説明が、おざなりで、私の係ってきた分野、例えば桑原や鬼柳のメダカや、久野の里地里山関連では、不完全な説明だった。残り時間の30分で、10団体を超えるグループが自己紹介をして、交流をしろ。では時間がない。行政の取り組みをアピールしたいなら、そういう場を他に設ければいい。市民活動の交流会の意味を、全く理解していない。いや、本当は良く判っている。市民に言わせたら要求ばかり出て、怖ろしいと考えての、巧みな戦略だった。こう考えて間違えない。

その意味では、サポートセンターが外部委託事業になったことが、こうした素晴しい企画を立ててくれることになった。以前、市民活動応援資金に関して、農業関係団体と行政の話し合いを要求したが、ついに実現しなかった。行政は市民と話すことが苦手なのだ。市民は利己的で、全体を見る視野ない、了見の狭い者だ。と言う先入観が行政サイドに存在する。これは間違っていない。しかし、その市民が行政を作っているのだ。市民が成長しなければ全てが解決できない。その成長の過程では、とんでもない意見も出るだろう。昨日も、農薬即悪と決め付ける団体のアピールもあった。そうした極端な意見が、通るものでない。市民活動の健全な成長こそ、これからの市民主体の市政に不可欠な物だ。行政が好きな環境活動は、自治会中心の美化活動だ。しかし、それだけに限っていては、今後衰退する。昨日も話題になったが、これを支えている層が老齢化して、会員が減少し、活動も限界に来ているそうだ。市民が自主的に活動している、行政にしてみたら、『やかましい』組織の活動をどのように生かすかが、行政の課題だと思う。
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窮状の歌

2008-10-17 07:11:48 | Peace Cafe
沢田研二さんが憲法9条の大切さを歌っている。歌手として大変なことだと思う。例えばこんな小さなブログでも、少しでも、政治的傾向がある内容を書くと、そのときだけ敏感に反応がある。まして憲法9条の問題は日本人にとって、重いことだと思う。またぞろ、麻生首相は集団自衛権の解釈の見直しと言う事を主張している。既に憲法解釈はゆがめにゆがめられている。憲法解釈は現実政治に押しやられた、拡大解釈で不自然な物になっている。この点では憲法改定論者も、護憲主義者も同じ理解だと思う。ある程度の拡大解釈は仕方がないというのが現状であろう。憲法には手をつけず、さらに解釈の変更で、現実側から押し切ろうというのが、麻生首相の考えのようだ。何時までも、便法的な手法をとっているのは、日本のためにはならない。と言うようなことは当然充分承知で、それでも、今は便法としての、解釈の変更の検討を指示している。それぐらいこの問題では、アメリカの圧力があると言う事だろう。

しかし、一方ではアメリカの世界戦略が崩壊しかかっている。国連では反米勢力の拡大がある。国連の問題では、民主党小沢党首の国連主義も相当に危うい所がある。中東での武力行使も、成果があるとまでは言えない。危うさの増す中で、アメリカの軍事的世界戦略にほぼ組み込まれた、一角に日本がある。日本に米軍司令部を移動させると言う事になっている。日本側もこれを受け入れている。これは軍事的にはアメリカの支配下に日本がある、と言うことにならないか。アメリカの戦力および経済力の衰退とともに、日本の組み込みと言う事が起きている。アメリカは延々と戦争を続けてきた。イラク戦争での出費は3兆ドルにも及ぶらしい。幾らアメリカが巨大国家とは言え、経済が崩壊しない訳がない。サブプライム問題以前に、もう戦費で押しつぶされるアメリカの姿がある。そのあたりを日本の経済関連ではほとんど問題にしていないが、アメリカはもうこれ以上、戦争を続けられない経済状態になっている。しかし、経済は複雑で、引き上げることのダメージも大きい。矛盾をかかえたまま、戦線をアフガニスタンに移しつつある。

圧倒的な軍事力で、「グローバリズムと人権」の基に、世界を意のままに操作しよう、とアメリカはしてきた。評価については別にして、世界の安定に貢献した側面あった。しかし、その戦略はもう転換期を迎えている。日本も、一日も早く、日本独自の世界戦略を建てなければならないときだろう。にもかかわらず、麻生首相の相変わらずのアメリカ一辺倒の集団自衛権解釈見直し支持は、折角の時代の変わり目に立った総理としては、ちょっとなさけないのではないか。この発言をわざわざアメリカでしている。政治的センスにかけていないか。判断が単線的で日本の利益を、重層的に維持する、政治的駆け引きがない。今のアメリカは大統領選挙の最中であり、金融危機に始まる、経済の成り行きも見定めなければ成らない、複雑な状況だ。ここで先行して、集団自衛権云々を述べる意図が理解しがたい。まして、自民党自体が仮死状態で、大きな政治的変更を主張することが、馬鹿げている。もし、これを今度の衆議院選挙の争点にしたいというなら、解釈論ではなく憲法改定論に入るべきだ。

こうした背景の中、沢田研二氏は止むに止まれない思いをかかえ、窮状の歌を歌った。長年のアイドル系歌手としての活動の中で、こういう思いを育てていたのだ。そういえば「太陽を掴んだ男」では、並ではない演技を見せていた。この人の内部には普通でないものがあると思ったものだ。あの時は巨人戦のテレビ中継だったが、今回は現実の太陽を掴もうとしたのだろう。この国を愛して、この国の宝として憲法9条を思い。この国の平和な未来を願っている。そのかえ難いものとしての、憲法9条。沢田研二氏の思い、決断を高く評価したい。この姿は、養鶏をやる者なら、養鶏業の中でやれることをやる。そうしてこの決断に答える必要がある。又、平和の卵販売をしなければ成らないだろう。

昨日の自給作業:種蒔きなど1時間 累計時間:18時間
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