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第42回 水彩画 日曜展示

2021-02-28 04:01:01 | 水彩画
第42回 水彩画 日曜展示

 サイズはすべて10号、ファブリアーノ、荒目厚紙






177「内灘の家庭菜園」
2021.2







178「崎枝の農地」
2021.2





179「傾斜地の耕作地」
2021.2






180「フサキ半島の草地」
2021.2







181「名蔵の農地のトックリヤシ」
2021.2






182「与那国島の丘陵地帯」
2021.2





183「読谷村座喜味城跡」
2021.2

  10号程度の作品の展示をそろえた。いろいろのサイズを描いているのだが、展示するときに余りサイズが違わない方が良いのかと思った。

 今は過去にないくらいに絵が描けている。たぶんコロナのおかげかと思う。自分の何かが、煮詰まったような気がする。出来ても出来ないでも終わりまで描いている。やれる間は一日一枚のつもりで描いてみようと考えている。

 アトリエカーの御陰もある。いかなる日でも絵を描くことが出来る。決まって絵を描きに出かけることが出来る。気持ち的にも早く行きたい気持ちがいつもある。午後は明日かくえの準備をしている。どの絵をどうするか考えている。

 こんなことも今までにないことだ。さらに言えば、石垣島に来たと言うことが何より大きいのだろう。農業と距離が出来て、ともかく絵を描くことが日課である。午前中に絵を描きに行けないということはない。何か用事があったとしても午後だけである。これはできる限り続けさせて貰うつもりだ。

 だから、すこしづつ絵が良くなってきた。と言いたいところだが、正直なところまだまだである。たまたま、これが自分の絵かなと言う何かが垣間見えると言うくらいである。それは水彩画の色彩にこの色調は好きだな。自分だなと思えることがある。

 自分の水彩画の色で、自分の捉えている物を、人に伝えることができるような絵が描けるか。それは私の世界観とか哲学と言うことになるのだろうが。言葉にしてしまえば、これは私が考えているすばらしい世界ですということだ。

 またとない素晴らしいものを描きたいのである。絵を描いていて、10時前後に10分ほど描いている周辺を散歩する。するとまさに天上世界を歩いているような、幸せ感に包まれる。石垣島はそれほど美しい場所なのだ。この素晴らしさが絵に描ければ、それでいいと言うような気持ちでいる。

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菅政権の終わりが見える。

2021-02-27 03:57:23 | Peace Cafe


 菅政権の終わりが見える。菅氏の様々な言動から終わりが見えている。菅氏は政治感覚が鈍く成ってきている。コロナの今、日本が必要としていた総理大臣ではなかったようだ。下層に対する人間の視線が冷たすぎる。下層の人が下層にいるのは自助努力が足りないからだと、本気で考えている冷ややかさ。

 あの「最終的には生活保護がある。」この言葉が出た理由のはかつて生活保護が身近にあった生活体験からだ。こんな言葉はアベ氏からは絶対に出ない。努力しなければ、生活保護に陥るかもしれないという不安の中で努力したことのある人の言葉だ。

 その意味では田中角栄氏なら、同じような言葉を堂々と主張して批判を受けなかったはずだ。時代が違うことが分からない鈍さなのだ。高度成長期であれば、確かにそうした側面があり、一度生活保護を受けたとしても、どん底から上層にまで成り上がることが沢山あった時代だ。菅氏はだいぶ前の人だ。

 田中角栄の時代からもう50年も経ったのだ。下り坂日本の中で、菅氏は総理大臣としてずれまくったことを、本音で発言した。うっかり言ったわけではない。国会答弁の場面を見ていたが、落ち着いて確信を持って発言した。これは総理大臣として制度上正しい発言のつもりである。

 口癖のようにでてしまう、自助も同じである。これは自治会長が常々挨拶に使う言葉である。私が小田原で自治会長をやったときに、連合自治会長が何度もこれを口にしていた。それが石垣島に来たらやはり、自治会長が挨拶で口にされていた。自治会長としては正しい言葉なのだ。

 自治会という住民が直接関わる立場に立てば、自助以外に道はないと繰返し発言せざる得ない社会環境ということになる。しかし、これを市長が言うくらいならまだ許される。しかし、国の責任者に国は何の力にも成れないのが現状ですから、自助でお願いしますと言われる国民の立場に立って見ろと言うことになる。

 確かに現状の社会がこうなってしまったのは、菅氏の責任というわけではない。菅氏は団塊の世代の一員として勝ち抜いた自信があるのだろう。良くその感覚は分かる。こうしたいわば下層を経験した人が、上層に上り詰めたときにどんな感覚になるかは、団塊の世代ならば、想像できる人は多いだろう。

 菅総理大臣の息子が、テレビ放送の会社に勤めていて、許認可に関わる総務省幹部を接待していた。繰り返されてきた官僚汚職の一部が明るみに出たと言うことである。菅官房長官の息子であれば、しかも元総務大臣であり、総務省の人事を支配している菅氏である。

 先日明るみになった卵汚職は大臣室でお金が渡されていたぐらいだ。高級料亭での接待など、日常茶飯であろう。そもそもそういうことのためにこうした高級レストランはあるのだろう。もちろん違法ではない接待が大半である。

 それでも自腹でそんなところに行く物好きは珍しいだろう。もちろん行ったことはないから想像するだけだが。料亭とか高級レストランというのはそもそも接待のためにある。そういうこと自体がくだらない日本の悪習である。情けないが、こう言う形で日本が出来ている。

 この事件で一番気になったのは息子は別人格だから、関係ないと言い切った菅氏の発言が通用するかである。確かにいい年をした息子の責任を親がかぶることはない。しかし、今回の事件は息子に親の肩書きを利用された事件だろう。

 官僚の本音からすれば、菅氏の息子からのお誘いは断れなかったのだ。断ればひどい仕打ちをされることも分かっていたはずだ。菅氏はそういう人だ。学術会議の任命拒否の嫌らしいやり口を見ればよく分かる。この息子の自助努力はこういうことだったのだ

 政治家の場合は親子は強く関係する。自分の秘書にしていたくらいだ。利害は強いのではないだろうか。今回の菅親子接待問題は、親の名前を利用して、接待をしたと考えるべきだろう。切り離せるわけがない。菅官房長官の息子です。局長今晩ごちそうしましょう、と言われて行かない役人は少ないだろう。実際の所行かなくて、話のわからん人間だで左遷された人もいるのだろう。

 何しろ、官房長官菅氏ににらまれれば左遷である。息子があいつはダメだと親に言うかもしれないと高級官僚たちは考えるのだろう。親子は別人格と考えている、官僚は一人も居ないはずだ。芸能人や財界人よりも政治家の親子は連結しているのだ。

 誘われたら最後である。行きたくもない接待に出かけて行き、お土産までぶら下げて嫌だったに違いない。しかし、行かなければならないと考えたのだ。それで出世も出来たのだろう。しかしばれれば、今回のように終わりである。怖かったことだろう。

 確かにこんなことで菅総理大臣を叩いたところで始まらないのは確かだ。しかし、人事権を束ねる菅官房長官を、官僚がどんな目で見ていたかを考えれば、これは全く氷山の一角の事件だ。学術会議の任命拒否と同じ類いの事件だ。

 上の顔色ばかり見て暮らす世の中になる前兆である。自分が自分らしく居られなくなる、嫌な時代を菅氏は作り出そうとしているのだ。菅氏には人間の一番大事な尊厳を、平気で踏みにじる感触がある。人間の出世欲を引きずり回している。

 世間のしがらみの総理大臣である。世間様の権化である。理屈ではない。屁理屈でもない。大人なら甘いも酸っぱいも分かるだろう。それが自助努力という物だと、嫌らしく押しつけて来そうだ。自分もそうしてたたき上げてきたのだろう。

 菅氏は自らの責任の取り方を示さなければならない。親として申し訳のないことだと謝罪し。今後人事で人を操るようなことは致しませんと官僚にも謝罪して貰わなくてはならない。菅氏の政治手法が、このように官僚をだめにしていくことをみとめて貰わなくてはならない。

 アベ森友事件における財務相の官僚の応対ぶりはまさに、汚い仕事でも進んでやっている。どこかに、さすがにそれは出来ませんと言える人がいなかったのか。当然である。できないと言えばどこかへ飛ばされるのだ。だから、汚い仕事をやってくれた、佐川局長は栄転させるほかなかった。

 人事で人を言いなりにすると言うことはそういうことになる。今回菅氏は大きな失敗をした。40歳というダメ息子の扱いである。そもそも東北新社にお願いして入社させたと言うことがダメだ。コネ入社であり、総務大臣としての見返りを約束したようなものである。

 私と別人格だ。私とは関係ないと言い切った。関係ないと考える日本人は一人もいないはずだ。明らかに菅氏の息子だから、切れ者と言われる山田内閣広報も断れなかったのだ。だから抜擢された可能性もある。

 今回大勢の官僚が処罰された。しかし、一人だけおとがめの軽い人がいる。女性初の内閣広報官である山田氏である。菅首相は「深く反省し、おわび申し上げている。やはり女性の広報官として期待しているので、そのまま専念してほしい」と述べ、続投させる考えを示した。山田氏も「私自身、内閣広報官として任命して頂いている立場。辞表をお渡ししようとしたことはない」と述べ、辞任を否定している。

 この処分が人事の菅氏の勘の鈍ったところだ。山田真貴子氏はNHKを黙らせた人だ。NHKが所信表明に関するお話を伺いたいとしながらも、学術会議問題が所信表明になかった点を質問して、菅氏の逆鱗に触れた。すぐさま山田氏は前田会長に抗議の電話をしたと推測されている。

 それ以来NHKは菅内閣に対する忖度が目に余る。現に山田氏への国会での質問は国民が注目する場面である。ところがなんとNHKは放送なしである。そもそも、NHKの菅氏の息子の総務省接待事件に対する報道が及び腰なのは見え見えである。

 山田氏を辞めさせられなかった菅政権はそう長いことはないと言うことだ。息子さんはそれこそ大変だが、法律的には何の問題もないと言うことで、今後も東北新社の接待取締役を続けて行くと言うことなのだろうか。
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石垣島の環境を守るために

2021-02-26 04:13:07 | 石垣島


 石垣小学校4年生の田植えをした田んぼ。新川地区である。子供たちはかなり深くもぐっていた。足跡がなくなっている。どうやって足跡を消したのだろう。もしかしたら自然に消える土壌なのか。



 田んぼに立てられた棒には、一人一人の名前が書かれていた。石垣では田植えが終わると、このように水をしばらく抜いてしまう。畦もこの通り、特に塗るようなことはないが、水漏れはほとんど見たことがない。

 わずかな雨の後でも、石垣島の宮良川はこのように濁る。上部の自衛隊基地からの赤土の流出も加わっているのではないだろうか。工事現場の前の道路には流れ出ていた。もちろんサトウキビ畑からの赤土流出はすさまじい物がある。これは耕作方法に問題があるからだ。

 石垣島の環境はまだかろうじて維持されてはいるが、危機的な状況にあると考えた方が良いのだろう。それは地球温暖化や、マイクロプラステック問題に見られるように、地球全体から来ているどうしようもない側面もある。と同時に石垣島の今の暮らしから来ているものもある。

 暮らしの足下から来る環境との折り合いの付け方の問題がある。人間が生活をすると言うことは、環境を破壊すると言うことである。何が悪いと言ったところで、すべてが比較の範囲に入る。ノーベル賞を受賞した北欧の少女の主張のように、すべては大人の責任なのだ。

 しかし、諦め気味ではあるとしても、自分の暮らし方から、やれることはやらなければならない。人間はものを食べなければならない。農業をやらなければ生きて行けない。農業には環境汚染が伴う。農業のなかでは東アジア4千年の永続農業は環境汚染の少ない環境に織り込まれた農業である。

 日本では言えば江戸時代の水田稲作を中心にした暮らし方は自然環境を必要以上に改変しない農業である。環境のためには里山農業が重要である。家畜を飼うとしても、畑作を行うとしても水田稲作とできる限り調和させることが環境維持には重要となる。水を汚さず循環させると言うことが考え方の基本になる。

 水田稲作を維持することが環境を豊かな物にする重要なことになる。ラムサール条約では水田の持つ生物多様性を評価している。自然環境との折り合いの付け方として、水田ほど環境維持に重要な農業は他にはないだろう。自然破壊にならない農業として、自然を守る農業として石垣島では水田稲作を継続しなければならない。

 石垣島で今起きている具体的な問題は赤土の流出である。大雨が降れば、宮良川は赤茶けた濁り水と成って海に流れ出ている。飛行機で石垣に降りるとき海の汚染が不気味なほどよく分かる。原因は様々な土木工事もある。パイナップルやサトウキビ畑の耕作方法にもある。

 沖縄県環境部では環境保全型農業として、赤土の流出をさせない農業を提唱しているが、未だ成果を上げているとは言いがたい物がある。名蔵湾もかなりの沖合までが、赤土の沈殿した海となっている。

 裸地を作ると言うことは赤土の流出に必ず繋がる。裸地の下流域に沈殿池が必要となる。しかし、現状では赤土は畑や土木工事現場から、道路に流れ出て、川に流入している。その結果が宮良川や名蔵湾の赤い汚濁になっている。

 赤土の流出を減らすためには、水田農業を継続することである。水田化が可能な農地はできる限り、水田に戻すことだ。とくに、石垣島の土壌は冬期湛水可能である。土壌特性を生かし、すでに冬季湛水をしている水田も多数存在する。このことを評価しアピールして、付加価値につなげなくてはならない。

 具体的には名蔵の鳥類保護計画には田んぼ面積を少しでも広く確保することが重要になる。耕作放棄地の復田。サトウキビからの転作。販売ルートの模索。市民との共同。観光との連携。

 水田は赤土の流出の防止の役割がある。田んぼの貯水機能を利用し、傾斜地である上部のサトウキビや、パイナップル畑からの赤土流出を、下流域に水田を配置することで防ぐことが可能になる。総合的な水の循環をする永続農業の構成を行う。

 下流域の耕作放棄地はできる限り水田に戻して貰う。そのためには水田稲作が経営的に可能な物になるようにしなければならない。稲作農業は今後ますます経営的には難しくなる。施策を打たなければ、遠からずなくなってしまう農業であると考えなければならない。

 いくつかの方策が考えられる。
  1. 名蔵アンパルの環境保護米として、ブランド化をして、付加価値を付ける。「カンムリワシ米」通いかもしれない、そのための具体的な耕作方法として、冬期湛水は価値付けになる。
     
  2. 地場産品としての泡盛の製造。すでに清福酒造で始まっている、地場産米により泡盛製造は期待できるものになるだろう。現在、泡盛はタイ米が主原料である。これを地場産米に変えることは、これからの観光物産としては必要なことになるだろう。
  3. 地場の食材として活用。石垣島の海を守るためのお米。珊瑚米として山から海への繋がりの要としての稲作をアピールできる。地場産品の食材でそろえることが、これからの観光には一つの価値になって行く。石垣島が地場の有機農産物だけで暮らせる島であることを観光の価値にして行く。島での有機農産物ネットワークの形成。
  4. 石垣島の文化的な歴史と、稲作との関係を掘り起こして行く。沖縄列島全体で田んぼが失われつつある。これは沖縄文化の魅力を衰退させることになる。八重山古典民謡でも田んぼを唄うものが多い。豊年祭の田んぼとの関係は意味深いものである。
  5. 学校田の必要性を考えなくてはならない。ただの田植え体験ではなく、種まきから収穫まで行い。そのお米が来年の種籾になる。この循環する形を子供たちに知ってもらうことが必要であろう。
  6. 石垣島の田んぼの形は古い時代を彷彿とさせる魅力の溢れる水田である。全国から、歴史的農業としての水田は失われようとしている。水田そのものが敢行される時代になっている。田んぼをふくめた景観を維持することは、次の時代に石垣を伝える大きな農業遺産になるに違いない。

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領土問題の解決方法

2021-02-25 04:26:18 | Peace Cafe


 領土問題を考えるときに、歴史的事実として日本領土である。というような考え方は全く無意味である。竹島が歴史的にいかに日本領土であったとしても、すでに韓国が実効支配をしている。そもそも歴史という物は長い時間の連続である。いつのことを言うのであろうか。

 領土問題を考えるときにとつぜん日本人が愛国者に変わる。オリンピックで日本選手を応援するときのようなきぶんになり、領土は我が物だと主張を始める。竹島が日本であったとしても、どれほどのことでもないと考えている。

 何故、領土がそれほど重要と思い込まされているのだろう。自分の暮らしと直接関わる人など先ずはいない。良く漁業権があり漁業者の生活がかかっているとか、海底資源が領海にあるとか。旧島民のふるさとを取り戻せというのも言われる。しかしいずれの主張も、いずれの思い入れがあるとしても戦争をするほど重要なことには思えない。

 漁業権について言えば、漁業者から漁業権を買い取るような事例はいくらでも国内では行われている。その島を取り戻す対価と比べれば、余りに小さなものである。海底資源と言う観点で言えば、日本の領海は充分に広い、そこで十二分に有効利用すればいいだけのことだ。そんな当てのないことを欲張ったところで仕方がない。

 ふるさと論は感情に訴えるところだが、北方領土の旧島民のかたで、二度と行きたくないし、思い出したくもないと直接言われた方が知り合いに居る。ふるさとは遠きにありて思う物。こだわる必要はない。ふるさとの島が無人島になった日本人は数限りなくいるだろう。

 日本周辺には数限りないと言えるほど利用していない無人島がある。江戸時代よりも無人島は増えているのだ。昭和以降に無人島になった島も相当数ある。そもそも日本人は中山間地から都会に移動している。国境の無人島がどうしても必要と言えるほど有効利用可能なわけではない。唯一考えられる利用方法が軍事基地である。国境だからである。

 軍事基地だとすれば、日本は要らない。しかし、相手国の軍事基地がそこに出来ることが困ることになるわけだ。南沙諸島が良い例である。中国が実効支配し、なし崩し的に軍事基地を建設してしてしまった。これに対して周辺諸国は不満ではあるが、力ずくに黙らされてしまった。これが実効支配と言うことだろう。中国は好きな国だったが、こういうことでだんだん嫌いになってくる。残念だ。

 尖閣諸島に中国の軍事基地が出来ることが一番困るはずだ。それさえ阻止できるのであれば、尖閣諸島がどこの国に所属しようが、かまわないような物だ。竹島は韓国の軍隊が駐留してはいる。しかし、別段日本の脅威になっているほどの軍隊というわけではない。

 竹島に日本を攻撃可能な軍事施設があるわけでもない。実効支配をして日本に奪い取られないようにしているだけの話だ。韓国から見れば、いつ日本が奪いに来るかと不安なのだろう。くだらないことだ。日本と韓国とは余り仲は良くないが、軍事的に戦いを始めるような状況でも無い。だから竹島の軍事施設も島を守る程度のものである。韓国にとっては大きな負担に違いない。

 北方領土で言えば、ロシアとの交渉は絶望的になった。アベ外交の失敗事例である。2島返還さえ不可能になった。アベ氏の見せかけ外交は無意味な物だった。こんな状況に陥ったアベ政権を持ち上げ続けた、北方領土返還を政治目的としていた鈴木宗男氏は、展望の悪さをどう考えているのだろうか。。

 領土問題は世界中に存在する。それが発端で軍事衝突も起きている。解決は極めて難しい物だ。国内政治への影響が強いからである。プーチンが2島すら返せなくなったのは絶対的であった人気に陰りが見え始めたことにある。ロシアの極東開発がめざましいほどの成果が上がらない。日本の経済協力もさしたる効果がない。アベ氏のような建前の口だけではダメなのだ。

 結局の所、日本の領土問題は政府の政治利用である。このことは昨日書いたので、改めて書かないが、日本の軍事力強化を進めるためには国民の支持が必要である。そのためには近隣諸国が不当に領土を奪いに来るという姿を見せることが必要になっている。

 日本は3つの領土を国際司法裁判所に提訴する以外に解決の道はない。相手国がそれを受け入れないとしても、あくまで日本は国境確定のために、紛争のある国境の領土はすべて国際裁判所に提訴して行く。韓国が実効支配を居ている竹島が一番裁判の可能性が低い。

 それでも日本から国際司法裁判所に提訴して行くべきだ。韓国がそれを受け入れないという形だけでも作っておいた方が良い。そのためにも3国に対して同時に、ロシアや中国に対しても領土問題の提訴を行う必要がある。平和的解決の日本の外交姿勢を世界に示す必要がある。

 国際裁判所が機能していないとか、公正とは言えないとか、色々見方によって問題があるとは思われるが、平和憲法を持つ日本国にとって、世界の信義と公正を重んじ、国際司法裁判所に結論を委ねることが唯一の選択肢である。それが日本のこれからのアジア外交の在り方を示して行くことにも成る。

 ところがこれを決行できない理由がある。選挙である。領土問題を裁判に託して解決すると言うことが、世論の反発を招くカモしれないという不安である。自民党の考え方である。自民党の中核を形成する保守派の思想は韓国、ロシア、中国とよく似た国家主義者なのだ。これはいつかは乗り越えなければならない、競争思想である。

 だから平和憲法を改憲して戦争を出来る普通の国になろうというのだ。それが国家の尊厳のように主張するが、それでは日本は戦前の軍事国家に戻ってしまう。敗戦で学んだことを生かすことが、民主主義国家の選択である。国民が領土などこだわる必要がないと考えるようになることが、まず必要である。

 どれほど領土問題が日本の負担になっているのかを考えるべきだ。石垣島にも海上保安庁の艦船が10隻ほど居る。交代で尖閣諸島を見回っているのだろう。全く無駄な費用がかさんでいる。石垣島にミサイル基地を建設している。これは無駄どころか、石垣市民を危機に陥れる基地だ。

 一番良い解決は2つの国家の共有地という裁定ではないだろうか。両国で軍事基地化はしないと取り決める。漁業権についての取り決めも行う。両国の平和の象徴としての島作りをして行く。両国の安全の為の灯台や避難港を作る。竹島には韓国の観光施設もあるらしいが、タックスフリーの販売所も良いかもしれない。

 日本から領土問題の発想の転換を図る以外に領土問題の解決はない。
 
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国民保護という観点

2021-02-24 04:01:54 | Peace Cafe

 石垣小学校の子供たちが田植えをした田んぼ。

 石垣島に暮らし始めて、国民保護という問題を考えるようになった。国境の島の安全保障である。誰かが武力攻撃をしてきたときに、国民をどう保護するかである。中国が石垣島に武力攻撃を始めたときに、石垣の住民は避難できるのかと言うことである。

 避難には18日間かかると言うことが計算上では出ていた。これも様々な予測値があるのだろう。私なりに計算してみて、最短で2週間はかかるという計算になった。この場合、宮古島など周辺の島への避難と言うことも入れている。

 現状では中国が攻撃してくれば、中国に占領されるだろうと言うことが想定されている。中国が石垣島を占領する気で、作戦を開始したときには日本の自衛隊の兵力と装備では石垣島は占拠されるだろうと言うことになっている。日中の軍事力の差を考えれば、当然のことになる。

 そこで、今の自衛隊の防衛計画では、石垣島をどのような方法で奪還する事ができるかの戦略を研究している。中国が沖縄本島まで占領すると言うことはなかなか想定しにくいことに成る。面積も広いし、人口も大きい。そこを一気に占領する為には時間がかかる。その間に、日本全体からの反撃と、アメリカからの中国本土への攻撃が予測される。

 そのために沖縄の離島への攻撃よりも、沖縄本島への攻撃はよほどのことがない限り、難易度が一気に上がると見られる。石垣島の面積と、5万人の人口であれば、中国が占領する気で攻撃をした場合、1週間程度で決着が付くのだろう。

 その計算から行くと、中国の石垣島への攻撃は尖閣諸島を中国が占領すると言うことよりもよほどハードルが上がる。現実の武力攻撃はこうした、軍事的な計算が充分に計算され実行されるのだと思う。石垣島に暮らしていて、中国の軍事攻撃は自分なりに考えている。

 その結果、中国の軍事攻撃があるとすればまず尖閣諸島の攻撃であろうと誰しも考えだろう。しかし、そうであるとすれば、何故、尖閣諸島を中国が領有権を窺っている今、日本政府は真剣に中国との外交交渉をしないのであろうか。

 その理由は後で書きたいと思うが、その前にさらに深刻なことは石垣市民の保護に関して、国や、石垣市長が全く考えていないと言うことである。石垣市民は中国軍の攻撃が始まったときには一人一人が自ら逃げるほかない。

 現在石垣にある旅客船をすべてを動員して、宮古島など近隣の島まで避難するだろう。これでは一日数千人が限度である。さらに避難に本土から急いで旅客船を集めて行うとすれば、攻撃が始まってから、1週間は開始までかかってしまうことになる。

 飛行機で脱出すると言うことが現実的であるが、これには一日やはり、数千人が限界である。こうして計算された結果、石垣市民がすべて脱出が出来るためには18日かかるという計算がでていた。確かにかなりの日数がかかることは分かる。

 この間中国軍の攻撃が行われているのだ。そうであれば、18日という計画も机上の計算に過ぎず、現実には市民は見捨てられざる得ないと言うことが本当のところではないのだろうか。

 1週間で占領されてしまうと言うことが想定されている以上、半分以上の石垣市民は見捨てるというのが、自衛隊の戦略である。つまり、自衛隊には石垣島を守る能力もないし、石垣島の市民が逃げることも無理というのが現状である。

 政府は石垣島に自衛隊基地を作ると主張しているが、これは中国に向けて発射できる弾道ミサイル基地である。石垣島を守るための基地を作ろうと言うことではない。むしろ中国の攻撃を誘発するであろう基地を作ろうとしている。アメリカ軍の要請で、中国に向けて喉元にミサイルを突きつける作戦である。

 当然中国ももし、日本を攻撃する際にはこのミサイル基地に先制攻撃を仕掛けると言うことになるだろう。今日本の自衛隊の主張の裏返しである。ミサイル攻撃を仕掛けると見えたらば、先制攻撃する権利があると言うことだ。

 この中国に向けたミサイル基地は、どのような角度から考えても、石垣市民を守るための物ではない。アメリカを守るものであり、日本本土を守るためのものである。東京で暮らしている、政治家たちが、安全の為に石垣島に先制攻撃のためのミサイル基地を作れという主張は分からないではない。

 許されることではないが、我が身がかわいい自衛隊の幹部や、政治家たちは日本を守るためと称して、石垣島を防人の島にしたいと考えている。石原慎太郎氏や桜井氏などはっきりと、防人の必要性を発言している。

 そうなると、実に不思議な発言をしているのが、石垣市長の中山氏である。彼は何故、自衛隊基地を誘致したいのであろうか。どの角度化から考えても、石垣市民の安全を守る基地ではない。中山市長の公表されている自衛隊誘致の理由をすべて読んでみたつもりだが、彼はどこにも石垣市民を守るためとは発言していない。

 つまり、防人を志願しているのだ。日本を守るためには石垣島を防人の島に売り渡した張本人である。末代までこのことは語り継がれる石垣島の恥である。もしいくらかでも石垣市民を保護するつもりがあるのであれば、石垣島市民の保護計画を市長として示さなければならない。

 そんなことは出来るわけもない。出来ないから、説明もしない。国が決めたことだから、従う。国の専権事項には逆らえない。3分の一以上の市民が要求した自衛隊是非の住民投票すら拒否している。こんな市民の安全を軽視した市長はあり得ない。

 こうした日本の先島である石垣島尖閣諸島には軍事的な軋轢が存在する。それが中国との軍事衝突になる一番可能性のある事項だ。それを何故、日本政府は解消しようと出来ないかである。アメリカに中国との交渉を止められているのだ。アメリカは日本を中国の防波堤にしたいのだ。

 日本が再軍備をして、アメリカへの中国の軍事攻撃の時間稼ぎをして欲しいと考えている。そのために沖縄の米軍基地は存在する。日米防衛協力は対中国への軍事同盟である。そのためには日本がアメリカを攻撃をする武力は持って欲しくないが、中国を攻撃できる中距離ミサイルは配備して貰いたいのだ。

 それが奄美から琉球列島に連なる、ミサイル基地である。これは当事者たる住民には極めて危険な構想になるが、アメリカの市民にとっては、太平洋の向こうの安全な作戦である。日本政府は沖縄を犠牲にして、アメリカに防衛の肩代わりをして貰うと言うことであろう。

 アメリカ軍の基地負担の軽減が言われ、表面的には米軍基地を縮小しなければならないだろう。その分を自衛隊基地の共用という形で代替して行く計画である。そのためには中国との緊張関係は強め続けなくてはならない。尖閣に中国艦船が行き来することは、すばらしい又と無い状況なのだ。

 だから外交交渉で解決するなど、まったく考えても居ない。強く抗議をしたなどと、どうでも言い説明だけである。中国の軍隊のイライラ度が高まり、占領してくれば、またとない条件がそろうと言うことなのだ。私にはそうとしか思えないことだが。腹が立ち長くなったどうすれば良いのかは又改めて。
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健康寿命の国の提言

2021-02-23 04:40:48 | 暮らし


1. 喫煙2. 飲酒 3. 食事4. 体格5. 身体活動6. 心理社会的要因7. 感染症8. 健診・検診の受診と口腔ケア 9. 成育歴・育児歴S. 健康の社会的決定要因

 以上の9項目について健康な長寿のための提言が書かれている。全体的に常識的なことであるが。いくつか私がしていないことがある。考えてみようと思う。6,7,8についてである。健康長寿でなければ絵が描けない。

 まず6.心理的要因ということでは、ストレスの回避と言うことが書かれている。この点健康長寿のためには適度なストレスが必要だと逆に考えている。人間ぼけないためにはそれなりのストレスは必要だと思っていた。ストレスがない暮らしでは、ボケたも同然である。

 ストレスとは心理的圧迫である。絵のことではうなされるような夢を見ている。一向に絵が描けない状態の夢を見る。自分の絵を描くと言うことが生きる目標であるにもかかわらず。描くことが出来ない。描いているときはそうでもないのだが、絵のことを考えていると、まるで違うことをやっているような焦りを感じる。

 そこまで来ているのに、行き着けない絵。どうにもならない苦しさがある。解決する能力不足にさいなまれるのだが、目標を大分先に置くことで、何とかしのいでいる。100歳まであるのだから、そこまで努力を続ければ、何とかなるかもしれないと考えることにしてストレスを軽減している。

 しかし、もし絵を描くと言うことがなければ、1番から5番までの節制は出来ない。絵を描く為にはなんとしても100歳まで緊張して生きなければならないと思うので、酒も控えめで我慢が出来る。体重の維持も出来る。運動も続けられる。

 絵を描くと言うことはストレスであることは間違いないが、ストレスのない方が健康という考え方はやはり違う。同年代の人を見ていると、退職して、目標を失い、ストレスがなくなり。たちまち活力を失う人を沢山見ている。少なくとも老人にはストレスは必要である。老人を甘やかしてはダメだ。

 そして7番の感染症対策。まさにコロナ時代のことである。コロナが蔓延して、日本の平均寿命は延びた。しかし、健康寿命は下がったかもしれない。コロナ対策は実のところ、社会の感染症対策全般のことであった。一人ではどうにもならないところがあるのが社会的要因である。

 感染症対策では政府の政府は東アジアの国のなかでは対策に失敗をした。方向性には、疑問があるところだ。コロナは完全には終わらないだろうし、次の感染症が起こると考えなければならない。ソーシャルディスタンスの感覚は定着するのだろう。社会的に良いことであろうか。3密が悪いこととして社会に定着することは望ましいことなのだろうか。

 人間長生きすれば良いだけではない。人間らしく長生きをしなければならない。すべてを忘れて狂喜乱舞することも人間には必要なことなのではないだろうか。人間の生活の歴史を考えれば、ソーシャルディスタンスは異常なことではないだろうか。

 裸の付き合いというようなことを避ける人間が増えることだろう。又それが許され、奨励されるような社会になるのかもしれない。そういうことは人間が成長する上で問題はないのだろうか。人間の疎外と言うことが一段階進むと言うことにも繋がるのだろう。

 もう一つ感染症で気になるのは衛生観念の変化である。「汚いはきれい。きれいは汚い。」子供の頃から、様々なウイルスや菌に接触することの意味を考えるべきだ。人間無菌室の中に生きるわけではない。どうしてもどこかで菌やウイルスに接触する。

 接触を繰り返すことで、免疫力がすこしづつ出来る。菌と折り合いを付けながら生きることが必要なのだと考えている。子供の頃虚弱体質と言われて、マムシの肝を飲み込まされて育った。それでも72歳で健康で居られるのは、汚い中で生き抜いたからだと感謝している。

 たとえコロナであっても、感染して抗体ができた方が、ワクチンで抗体ができることより望ましいと考えている。今やこれは危険思想である。若い人が感染しても発病しない場合が多いというのならば、自然免疫を獲得する方が、免疫力も強いであろうし、他のコロナの変異ウイルスに対しての交差免疫を得る可能性も強まるのではないだろうか。ワクチンは製造方法から言っても限定的に見える。(素人考えである。)

 そして、8番の健康診断である。過去1回だけ人間ドックに行った。65歳になったときである。健康診断は避けている。自分の身体は自分が一番分かっているつもりだからだ。65歳の時に行ったのはその自己判断を確認したかったからだ。

 身体は予測した通り全く問題がなかったが、緑内障が見つかった。緑内障かもしれないという自己判断が実はあった。右目の視野が欠けているような気はしていたのだ。それなら早く対応すべきだったと今は思うが、それが出来なかったために今に至っている。

 その後自分の身体を内観法で感じながら調べている。毎日身体を測定して変化を見ている。怪しければ病院に行こうと考えてきた。いまのところ怪しいところはない。そろそろ2回目の人間ドックは必要なのかとは考えている。どこかの温泉病院人間ドックなどという所に旅行がてら行きたい物だ。

 このように絵が描ける身体でいたいという欲がある。だから健康でありたい。死を受け入れられたわけではない。ここで終わったのでは絵が余りに中途半端で情けないことだ。これで一応私の絵に至ったと言えるような絵が描きたい一心である。

 最近絵を描くことに新しいことを一つ加えた。8時30分から絵を描き始めて、10時くらいに成ったら、一度当たりを歩くようにしている。10分ほどである。そしてまた、描き始めて12時前に家に帰る。

 歩くようにしたのは、一度絵から離れてみることが必要だと考えてのことだ。絵を描いているところをしばらく歩く。まるで天国のような場所だと言うことが分かる。これほど美しいところで絵を描いていられる幸せに改めて感謝している。
 


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学術会議任命拒否は重大な事件だ

2021-02-22 04:21:38 | Peace Cafe


   日本学術会議は1月28日に開いた幹事会で、菅義偉首相が任命を拒否した会員候補6人について、4月の総会までに任命することを菅首相に求める声明を全会一致で決定した。

 菅総理大臣は日本学術会議の推薦した人の内、政府に批判的とされる6名の任命を拒否をした。これは天皇が内閣総理大臣を承認しなかったことに等しい事件だ。昨年から続く最大の政治問題と考えるべきことだ。日本の方角を変える重大事件である。

 現在の所、学術会議の声明に対して回答は出していない。共産主義的傾向のある学者は任命拒否するという、嫌がらせを押し通そうとしているのだ。菅氏には特段思想はないと思う。政治哲学も延べたことがない。共産主義が嫌いと言うぐらいのことはあるかもしれない。

 人事に口を出した理由は自分の力量を示したいという権力者の見えのような物だろう。たぶん共産主義がなんたるかも充分勉強したような人ではないに違いない。現実の政治の世界で世渡りを覚えたような人のようだ。

 そうして、学者を言いなりにするのは人事と賞罰だと考えたのだろう。政治家らしい、嫌らしいだけのくだらない人間である。日本国の方角を考えたことがあるなら、学問の価値を知らないはずがない。学問を学べば、一辺倒ではダメだというぐらい分かるはずだ。

 ところが、報道や国民一般もこの重大事件に対して飽きが来たようだ。最近の日本の社会は熱しやすく飽きやすい。政府もそれを見越して、二階幹事長によると、瞬間的なことで、落ち着けば状況は変わると表現している。しばらく耐え忍べば何でも忘れてくれると考えるようになっている。

 野党が国会で繰返し学術会議問題を問い詰めると、野党は何でも反対である。もっと大事なことを議論すべきだということになる。確かにコロナは重要ではあるが、学術会議問題にはこの国の形がかかっている。おろそかに出来るような問題ではない。

 学術会議任命拒否事件の本質を考えなければならない。確かに元総理大臣森氏の女性蔑視発言には日本の封建社会の残存が表われた。日本の社会が何も変わっていないと言うことが世界に知れ渡った。これは時間が経てば消えるどころか、ますます封建社会に戻ろうとする力が働いていると見なければならない。

 学術会議の会員推薦に対して政府が口を挟もうとする意図を考えなくてはならない。学問を政治の家来にしようと言うことである。政府が希望するような学問をしなければならないと政治家が考えるようになったのだ。政治家というのは即物的にそんなことを考える物なのだろうが、それが二本の吸いたいに繋がっていると言うことに気付かなければならない。

 学問が自由にあらゆることに興味を持ち、イグノーベル賞に値するような研究を大いにやるべきなのだ。役に立たないからこそ価値があるという学問もある。昔、金沢大学にイトヨの分類をされている先生がいた。その先生は彗星魚類の分類を志したのは、世の中に役に立たないからだとはっきりと言われた。

 実に逆説的な表現であって、役立つ学問という物は利用される学問だというのだ。役立つという方向に学問は限定されてはならないというのだ。だから、イトヨの背びれの形がどうであると言うようなことは、どうでも良いことである。どうでも良いようで、分類学という学問が成立している。

 その先生は人格が魅力的な方であった。純粋なのだ。学舎が打ち込むと言うことはこういうことなのかと教えられた。その先生を間近に見て、学問の崇高と言うことを教えられた。学問は役に立つからすばらしいというような、底の浅い物ではないのだ。

 本当の学者はまるで禅僧のようだと思った。学問に打ち込むことで、人間を極めている。こうした学者の輝き方こそ、教育だと思った。とうてい及ばない人を見せて頂いたと思った。その人が輝いていない限り教育などないと悟った。

 日本に一番失われているのは人間の輝きではないだろうか。政治家に尊敬できるような人がまるでいない。どこかの役所の人事課長のような菅総理大臣である。人事で人を操り、溜飲を下げているような人間のいやらしさに満ちている。こんな総理大臣を尊敬できるであろうか。

 政治家が学者の世界の人事に口を出すなど、もってのほかである。政治家の方が学者の上に立つような国はろくな国ではない。政治家が学者を尊ぶ姿を国民に見せるようでなければ、良い国にはならない。この一番大事な所を、嫌らしい方法で腐らせようとしている総理大臣である。

 まだこの学術会議任命拒否の意味が国民広範には認識が広がっていない。どこかに学者の先生方で雲の上の話だと考えている節がある。この問題は国のあり方が問われているのであり、政治が文化、芸術、学問に対して従わせようとする態度である。自由主義の根幹に関係する問題である。

 ここをおろそかにすれば、政治家がすべてを動かす国になるにちがいない。菅氏のようなねちっこい嫌らしい人間に、従わなければならない国は耐えがたい。このまま行けば、北朝鮮と同じ国になりかねない。独裁国家の世の中は沢山である。

 これは箸の上げ下ろしまで、国が命令する第一歩となる事件だ。それくらい気味の悪い話なのだ。小さな雲の上の話だと見逃すわけには行けない事件だ。最悪アベ政権は知らず知らずのうちに独裁政治を目指していた。良い子だけを優遇してやるという、恩恵政治である。自分に従う者はいい目を見て、反する者は冷遇する。これを菅官房長官が先頭に立ち行った。

 それが、菅内閣が出来て露骨に表面化したのが、任命拒否事件である。国民の反応がこのことに鈍いのは、他人事という意識と、それなら自分が優遇される側に回ることだという打算が入り交じっているように見える。トランプ主義者と同じである。

 
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第41回 水彩画 日曜展示

2021-02-21 04:03:44 | 水彩画
第41回 水彩画 日曜展示

 サイズはすべて中判全紙、ファブリアーノ、荒目厚紙





169「名蔵の丘の農場の入口」
2021.2







170「中井篠窪の梅」
2021.2






171「笛吹市境川藤垈」
2021.2





172「石垣島大里農道からの眺め」
2021.2






173「名蔵の牧草地」
2021.2






174「伊豆高原」
2021.2






175「長野豊科の谷間」
2021.2






176「笛吹市 花取り公園」
2021.2


  中判全紙8枚である。この2,3年前から描き始めていて、最近終わりにした作品である。少し傾向にばらつきある。方向としては169,170の最初の絵の方に進んでいる。今回少し構図を工夫した物も描いた。

 だいたい一日一枚ぐらい描いている。日曜展示を始めたと言うことがある。いままでも、絵の掲載はしていたのだが、定期的なことではなかった。昨年の5月から日曜展示は始めたのだが、だんだんペースがつかめてきた。

 今描いている絵と展示している絵は少しづれがある。30枚くらいたまっている。一度に出すのは7枚ぐらいを上限にしようかと思っている。その方が見やすいかと思うからだ。その位だと1日1枚と言うことになると言うこともある。

 このペースだと1年に365枚絵を描くことになる。どの絵も次の絵のための練習のような物だ。目標はあくまで自分をやりきることにある。原発事故では絵が描けなくなったが、コロナでは絵を描き続けている。この違いはコロナは気をつければ、避けることができると言うことだ。

 何で絵を描いているのか。このことは原発事故も、コロナも、問うてきた。「おまえは何をやっているのだ。」学生の頃、夜中に旧生協二階の美術部のアトリエで絵を描いていると、明かりが見えるのだろう。教養部を占拠している学生がやってきては、「おまえは何で絵を描いているのだ。」こう言われたことを思い出す。

 あなたは大学を占拠して世の中が変わると思っているのか。私は絵を描いて世の中を変えてやる。しかし、絵を描いても原発はなくならない。コロナも止められない。改めて何で絵を描いているのかと思う。50年前よりも世の中はかなりひどいことになっている。

 団塊の世代がダメだったから、こうなったわけだから、責任はある。絵の世界を見れば、50年前よりもつまらなくなっている。今の時代には中川一政も、須田克太もいない。最近世界で評価されているらしい、カボチャを描くおばあさんの絵のどこが良いのか全く分からない。絵だとさえ見えない。

 わたしには原発事故は生き方を変えろということだった。コロナは絵に専念しろと言うことだった。学生のとき、おまえは何で絵を描いているのかと問われたことが、絵を描く生き方になった理由かもしれない。
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石垣島の炭素循環農法

2021-02-20 04:05:43 | 石垣島


 先日、石垣島で炭素循環農法の畑を見学させて頂いた。花谷農園という、バンナ公園の北口から歩いて10分ほどの所にある農園である。若い人が有機農業に挑んでいた。野菜をハウスで作っている。名蔵アンパルの環境を守る会の主催であった。

 花谷農園は父親が東京から50年前に移住してきて始めた農場と言うことである。石垣島では一番広くハウスでゴーヤを栽培してきたそうだ。その後継者と言うことで農業を行っている。有機農業に情熱を持って取り組まれている。

 有機農業に取り組む家庭で、2,3年前から炭素循環農法に取り組み始めたと言うことらしい。木質系チップを無料で運んでくれる業者がいると言うことらしい。畑の脇に大量にチップが積み上げられていた。

 炭素循環農法はあしがら農の会でも「ぽんぽこファームの中村隆一さん」がやられている。畑を見ながら、しきりと二宮の中村さんのことを思い出していた。中村さんはとても自由な発想な人だった。よくぞ思い切って炭素循環農法に切り替えた物だと思う。

 中村さんは炭素循環農法を10数年前から取り組んでいる。その指導で1昨年、農の会の大豆の会の畑一反で実証実験として試みさせて頂いた。土壌の浸透性が悪く水がたまるような畑だった。それで、半分は麦から大豆を繰返し栽培して得に穴など掘らないで、循環させてゆく。半分を炭素循環農法にして大きな溝を掘り、チップを入れ続けて行く。


 炭素循環農法では畑に大量に木質系のチップを入れて行く。一メートルほどの深さでまで溝を掘る。幅20センチほどの溝を掘る機械がある。これで120センチおきぐらいに畑に20本ほど溝を掘った。そこにチップを入るだけ入れて行く。ダンプカーで3台ほどチップが入ったと思う。

 他には特に何かをするわけではない。大豆は溝のない所に種を蒔いた。そのチップは徐々に微生物によって分解されて行く。すると又溝を掘り、チップを入れる。そのうち、土壌中にはチップを分解する微生物が増えてきて、たちまちに分解するようになるのだという。そこまではまだやっていないので様子は分からない。

 中村さんのポンポコファームの畑は確かにあるときから、急に生産性が上がった。見事な野菜が出来るようになった。そうなるまでかなり時間がかかったと思う。畑に入れたチップが分解されるためには、最初の内はむしろチップを分解するために畑の力が使われてしまい、作物の栽培はむしろ困難を増して行く。

 畑はチップを分解するために窒素が使われてしまい、窒素不足の状態が起こる。それでもあえてチップの分解を行う菌の出現を待って、堆肥すら入れることはしないという。農の会の実証圃場では、最初の段階で堆肥を同時に投入してしまった。大豆が出来ないのでは困るからである。ある意味水の浸透性の改善だけに終わった面もある。

 一年目の大豆は炭素循環の方がよくできた。大豆の株自体は大きくなったわけではないが、実が多く付き収量は多くなった。2年目の大豆は大きな違いは見られなくなった。小麦の栽培で、土壌の浸透性が徐々に改善されてきたのではないかと見ている。

 中村さんは堆肥を入れてはダメなんだよなーと、少し嘆いておられたけれど、数年作物が出来なくとも仕方がない、というわけにはやはり行かない。大豆の会では大豆が採れなければ、活動そのものが成立しない。中村さんがポンポコファームの畑にユンボで大きな溝を掘り出した頃は、作物の出来ない畑を前にして、よく頑張れるものだと、内心あきれていた。

 山の上にある畑で、田んぼに行くときに時々様子だけは見せて貰っていた。いつかは出来るようになるのだろうと思っていたわけだ。中村さんとは、二宮のつむぎ農園の井上昌代さんの紹介でお会いした。20数年前になるのだろう。話はさらに逸れるが、ここで忘れないように書いておく。

 井上さんは長野のオリザ農園で研修された人だ。オリザ農園は高校生の頃からの友人である窪川真さんがやっていた有機農業の農園である。多くの研修生を受け入れていた。窪川さんがいなければ私が農業を始めたかどうかも分からないくらい影響を受けた人だ。大学を出てからも長く一緒に北都という雑誌を作っていた。

 窪川さんからオリザ農園で研修を終わり、二宮で新しく農業を始める人がいるというので紹介してくれたのが井上昌代さんだった。井上さんが幼稚園の子供たちが参加する田んぼを中井でやるので、協力してくれないかというので中井の消防署のそばの田んぼに通うようになる。

 そこで、中村さんを紹介される。二宮で就農した人だと言うことだった。その幼稚園の田んぼはどういうわけか、最後は中村さんと2人きりでやるようなことになった。乗りかかった舟だから、最後までやろうと中村さんと田んぼを続けた。

 そして、最後には中村さんとさらに大磯で新しい田んぼを一緒にやろうということになる。中村さんはともかく考え方が柔軟な人で、前向きにすべてのことを考える。だからどういう人でもどんな農法でも受け入れることが出来る。大磯田んぼには多種多様な人が集まってきていた。大磯田んぼには5,6年は通った。

 そういう中村さんだから、炭素循環農法が始められたのでは無いかと思う。最初はブラジルから見えた人から教えて貰ったという、まだ日本では取り組みの初期だったと思う。そのご「たんじゅん農法」の事務局的な役割をするようになる。最近は「微生物ネットワーク農法」と名乗っているようだ。そういえば余り詳しいことも聞いていない。

 炭素循環農法は立ち上がりが大変な農法であることは確かだ。石垣島の花谷農園では畑に穴を掘ってまで、チップは入れていない。畝溝にチップを敷き詰めている程度である。まだ2,3年と言うことで、炭素循環農法の土壌には成っていないように見えた。

 切り替えて行く一番苦しい時期かもしれない。何しろ石垣島の土壌は難しい。乾くと干しレンガのように堅くなる。この土が柔らかな、土壌に変わるにはどれほどのチップを入れれば良いのだろうか。どこか気が遠くなるような作業がまだ横たわっている。



 畑の隅に不思議な土の小屋を作っていた。土にセメントを混ぜて、積み上げて行くのだそうだ。本当は消石灰を混ぜるらしいが、高いのでセメントにしたと言われていた。もしかしたら、石垣の土壌なら、何も混ぜないでも固まってしまうのではないかと思えるが、きっとそうでもないのだろう。この小屋が出来る頃にはまた見せてもらいに行きたいと思う。
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パフィオの栽培を始める

2021-02-19 04:32:53 | 暮らし


 パフィオペデュラムの栽培を始めた。2年ほど前からコウトウシランやナリヤランと言う石垣島に自生してもいるランを栽培してみた。JAの市場で販売していた。石垣島の自然にあるランのだから、一番栽培しやすいと思われたからだ。確かに健全に育つ。随分長く花が咲いている。

 石垣島の環境は当然のことながら、ランには適合していることが分かった。最低気温が15度より下がることは滅多にない。今朝は14.7度であるが。寒くてもこの程度の物だ。今年は14度以下は2日だけだった。そして年間を通して湿度が高い。そして雨が多い。晴れの日でもとつぜん一雨来ることが良くある。

 雨の当たるところで栽培している。できるだけ水を与えず、雨水だけで栽培できればと思っている。雨がどれだけ降り続いても、ランが雨に当たって枯れると言うことはない。雨に当てないほうがいいと書かれた栽培書もあるが、私は昔から雨ほど良い物はないと思っている。雨水は酸素を充分に含んでいるから、根腐れするようなことはない。

 我慢はするつもりだったのだが、やはりパフィオペデュラムの原種は栽培してみたかった。まず実験としてロスチャイルドディアナムとデレナティーを栽培してみていた。デレナティーは枯れてしまったが、ロスの方は健全に成長している。今花芽が来ている。

 交配種のパフィオには全く興味が湧かない。整形花と呼ばれるパフィオの交配種の一群があるが、何が良いのか全く分からない。原種の花には様々な形の魅力がある。何故整形しなければ成らないのか、どうにも理解しがたい所がある。

 パフィオの原種の多様性は驚異的な物だ。それだけで十二分である。自然の究極の形に見える。進化の極にある花ではないだろうか。わざわざ整形と称してつまらない形に交配をしてしまうところが西洋の花の文化のつまらないところだと思う。庭なども西洋の庭は少しも趣という物がない。庭を左右対称にするなど、何というつまらなさかと思う。

 ロスチャイルドディアナムを東京で栽培したときにはもう一つうまく出来なかった。また、価格も当時は今の数倍はしていたと思う。洋蘭はこの40の間に値段が安くなった。それでも相変わらずあのつまらない整形花が100万円とか出ていて驚かされる。

 石垣島では2019.3.3日からランを栽培を始めたようだ。ブログを確認すると書いてあった。そろそろ2年になるわけだ。石垣島ではラン栽培に加温が要らないと言うことほど気分の良いことはない。充分に湿度はある。今朝は48%で滅多にないほど乾いている。こんな環境に暮らしていて、好きなパフィオを栽培をしないでは居られなかった。

 台湾に行ってパフィオの原種を手に入れようと思っていたのだが、それが残念なことに出来なくなってしまった。この調子だと台湾に行くのはあと1年は無理そうなので、ついに待ちきれず国内のラン屋さんから少し購入してしまった。直接通販で台湾の蘭屋さんから買えないのか調べたのだが、まだ皆目分からない。

 本当は台湾から直接手に入れた方が、気候的に石垣島と同じなのだから、栽培には良いはずだ。台湾ではパフィオ原種のシブリングクロス行われている。シブリングクロスとは兄妹株の交配である。同じ株で交配して種を取るのはセルフと言い自家受粉である。これは良い物がでる可能性があるが、株が弱くなる可能性も増える。
 
 シブリングクロス株が多く作られているので、原種の栽培も以前よりは大分楽になっているのではないかと思われる。40年前は山取り株ばかりだったので、栽培が余りに困難で、枯れてしまう物が多かった。本当に申し訳ないことをした。許して貰ら得ないほど罪悪感がある。現在はワシントン条約で野生の株は移動できない。

 パフィオはラン科植物のなかでも栽培の難しい方だと思う。パフィオも自生地は東アジアの熱帯から亜熱帯である。標高の高いところのものもある。ボルネオ島などの海岸の崖などに張り付いているようなものもある。

 好きなブレキペテュラム系統が作れるものかどうか。台湾の蘭やさんに栽培の様子も聞きたいと思っている。唐沢先生のパフィオの大著を持ち出しては、自生地のことを読んで想像を巡らせている。石垣島では標高の高いところのパフィオはダメだと思われる。

 今回もデレナティーを枯らしてしまった。ベトナムの山岳地帯に自生していた株が元になっている。ベトナム戦争の枯れ葉剤で自生地ではすべて枯れてしまったと言われている。幸良い株がフランスに送られており、そこで沢山生産された。

 私がフランスに居た頃も花屋さんでも見かけたことがあった。ピンクの柔らかい花で素晴らしいものだ。又購入してしまった。今度こそ枯らさないつもりだ。特にナンプ病にかかりやすいランである。えひめAIでも作りかけてみようかと思う。

 昔から日本でも有名なランに、台湾クマガイソウがある。クマガイソウが台湾のどういう場所に自生しているのだろう。たぶん標高1000メートル以上ではあろう。そういうことだけでも興味が増してくる。行ってみたい物だ。東アジアの島々には海岸地帯にもフィオの自生地がある。

 また、中国から台湾へ珍しいものも入ってきているようだ。30年ほど前に中国ではパフィオの新発見が続いた。香港が自生地とされるパープラタムなど、香港のどんなところにあったのだろうか。もちろん今はない。紫色の清楚の花である。しかし、セルフやシブリングされて残っている。考えただけでもわくわくするものがある。

 今回少し購入したが、後は我慢して、台湾に行って手に入れたいと思っている。今では日本の多くのランやさんが、台湾からフラスコ苗を購入して、鉢に植え込んでそれなりの大きさにまで育てて販売していると思われる。本土の気候にやっとなじんだものが、又石垣に来て苦労することになる。

 台湾の蘭やさんは育種もメリクロンも盛んなのだと思う。台湾は高原地帯もあり、ランを栽培するには絶好の地域である。標高3000メートルぐらいまで、車の道路があるようだ。そうした所にランの山上げ場所があるのではないだろうか。もう台湾が世界のランの中心なのかもしれない。

 そんな台湾のランやさんを一度たづねてみたいとおもっている。石垣にはそのランのメッカのような台湾の蘭展で審査員をされている方がおられる。石垣もラン栽培は盛んなのだ。

 尋ねれば買いたくなるのだろうから、今は日本で買うのを我慢している。40年前パフィオを始めた頃の状況は、新発見のパフィオが、見つかるとたちまちに乱獲で自生地では絶滅して行くと言われていた。ようやくメリクロンが行われ始めていて、ミリクロン技術で絶滅を逃れることが可能になったのだろうか。まだ再開したばかりで、今のことはよく分からない。
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水彩画の描き方

2021-02-18 04:00:38 | 水彩画
 パフィオ・ベナスタムアルバが咲いた。

 水彩画の描き方で、重要な方法を最近やっと分かった。描く前に、このように描いた後どんな画面になるかを明確に想像することである。そしてその結果を記憶して行くことである。これを積み重ねて行くことの重要性を知った。

 当たり前のことのようだが、これが案外に出来ていなかった。技法は固定しないようにしてきた。いままでやったこともないようなやり方を試みるようにしている。水彩画は下手をすると一つの狭い技法に入り込みやすいからだ。

 水彩画は表現が多様である。研究的に制作を続けてきたつもりだが、未だに新しい表現にであうことが日々ある。驚くべき可能性を秘めた技法だと思う。自由自在に水彩描法を駆使できるようにしたいと考えてきた。ただ感性に任せているだけでは、表現の幅はむしろ狭くなって同じやり方だけで書くようになる。

 水彩画描法の内の5%程度の幅のなかで描くのが普通の水彩作家なのだと思う。浅井忠、中西利雄、いわさきちひろ、安野光雅、クレー、ターナー、オキーフ、ノルデ、モランディー、ラウル・デュフィー、誰の絵を思い出してみても、水彩技法の狭いところで絵を描いている。

 それをダメだと言っているわけではないつもりだ。一つの手法を確立して、その表現法で自分の世界を描く、日本ではむしろ自分の作風を確立することは奨励されている在り方だと思う。評価されたら同じ描き方で繰返し描くことが指導されている。

 しかし、水彩画を描いていると日々新しい表現にであう。面白くてもっと多様な表現が出来るはずだと思わずには居られない。ボナールの水彩画の中には水彩画家よりも多様な手法を用いているものがあって、魅入られてしまった。油彩画と思って最初は見ていた作品さえある。絵の具の厚さだと見えていたものが、実は筆のかすれであった。

 やろうと思えば、水彩絵の具の色の美しさを生かして、今までにはないような絵画が描けるのではないかと感じることが良くあるのだ。そう思うと、わくわくしてくるし、自分の制作の先が見えてくるような気さえしてくる。

 想像している水彩画はいままで世界のどこにも存在していないと思う。水彩絵の具の透明色の重色。紙の調子を生かした水墨的表現。一番近いものは中川一政の岩絵の具を使った作品が、方向を示しているのではないかと考えている。遙か彼方であることがよく分かる。

 水彩画の描き方を広げて行く上で最も重要なことは、こんな色を、この濃度で、この筆で、描いた場合、どんな状態になるかを的確に想像できることである。水彩画は一方向の描き方である。どんどん進みながら描く方法である。前に描いてあるものを生かして描いて行く。

 そのために手法を絞らないと、複雑化していく。そのために作家の多くは自分の表現方法を固めて、その中で制作をするのだろう。方法が複雑化してしまえば、自分の表現法の確立ができないと言うことになるために、狭い範囲の水彩表現に絞り込むことになる。

 そのために、せっかく水彩画には油絵以上の多様な表現が出来る材料であるにもかかわらず、スケッチ材料程度の利用しかされないことが多い。たとえ中川一政であったとしても、水彩に専念しない限り、水彩画を大成させることは出来なかったであろう。だから岩彩なのだと思う。すばらしい材料である水彩画がいつまでも表現方法が狭いままにされている。

 水彩画はあらゆる表現が可能だという前提で、描法を見直してみたいと考えている。あらゆる場面で一つの描法に依存せず、あらゆる描法を試しながら、自分の世界観に迫る必要がある。そうしないと、水彩画は実に狭い領域のものに陥る危険と背中合わせなのだ。

 どこにでも進んで行く覚悟で絵に向かうときに、次にやることは始めてやることになる場合が多くなる。そこで、どうなるかを推測する能力が高くなければならない。やってみたことはないが、たぶんこうなるであろうということを、構想しながら制作をする。

 そのために、おかしくなることも多々あるし、思ってもみなかった結果に成ることも多い。できるだけ多くの方法を経験して、あらゆる技法に対応して、この先どうするかを決めて行かなければならない。その道はいつか通った道ではなく、半分位は初めての道である。

 そのために、これからやろうとすることがどういう結果になるであろうかの想像力を高めることが必要になる。水彩画は取り返しが付かない。やってみてだめならば、もう一度やればいいと言うことはない。それでもダメにする覚悟で思いついたことはやり続けなければならない。そうしなければ新しい方法は発見できない。

 常に希望を見いだして、拾い出して行く。そして新しい方法に踏み込む。これが出来なければ、水彩画はすぐに狭い表現に落ち込む。その狭い技法が魅力的なだけに、そこに止まることになる。だから、水彩画の世界観は小さなものになりがちなのだろう。

 出来るのか、出来ないのかは分からないが、水彩画の総合的な表現方法で描きたいと思う。岩絵の具の強い色彩と水彩絵の具の美しくい透明性の融合した絵画を作り上げたい。水彩絵の具の色彩の微妙さはどの材料よりも優れていると思う。

 ファブリアーノの一番厚い水彩紙を使う理由はここにある。強い色彩表現が可能だ。しかも繊細で微妙な色調も出せるという、両極の表現を持っている。インドの水彩紙であれば、強い表現が可能である。ワットマンの水彩紙であれば、繊細な表現は可能である。同時に表現が可能なのはファブリアーノの厚い紙だけだと思う。

 最近もう一つ発見したことは紙を一度泣いた状態にして、色が乗りにくくしてから、重ね塗りをして行く方法である。思うところに進めるのは困難なところはあるのだが、他の方法では表現できない重厚な色調が出せる。と動じに柔らかな淡い色も可能になる。

 この場合白を重ねて行くことで表現の幅を広げることが可能になる。紙が泣いていれば、白を上から重ねたとしても、乾けば下の色がかなり表われてくる。その上に又着色することで、新しい色の表現になる。もちろん白以外の色でも同じことが可能である。こうしてどんどん複雑さがまして行く。

 これからやることで画面がどう変わるのか、頭の中に膨大な情報を蓄積して行かなければならない。やればやるほど、水彩画の奥行が増して行く。頭を整理して、記憶量を増やさなければならない。過去のことを消去して、記憶の空きをつくらなければ間に合わない。

 北斎の言う一日一枚という意味が身に染みて分かる。描いても描いても新しい課題が出てくるばかりである。やればやるほど重要な問題が掘り起こされるようだ。ただ、これは進んでいると言うことでもなく、堂々巡りをしているようなものだ。

 それでいいと思っている。前に進もうが後ろに行こうが、今自分がこの当たりが、問題らしいと言う当たりをどん底まで突き詰めて行く。進んでいるのでは確かにない。戻っているわけでもない。立ち尽くして同じ穴を掘っているような感覚である。

 ほとんど何も考えずに、絵を描く機械のように、描いてはそこで起きたことを記憶している。そして又次に描いてみて確認している。新しいことが次々表われてくるもので、今のところとりとめがない。ただ、その絵では役立たないと言うことが分かれば、一つ分かったことが増えたと思ってやっている。

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大村知事リコール、8割超が不正

2021-02-17 04:00:26 | Peace Cafe

 

 愛知ビエンナーレの表現の不自由展を開催したことに対して、大村愛知県知事の公金支出を不正だとしてリコール活動が行われた。「高須クリニック」の高須克弥院長がリコール活動を主導して行い、河村名古屋市長が応援するという形だった。

 名古屋市長が愛知県知事をリコール活動をすると言うこと自体が前代未聞であった。この二人は当初は協同していたが、途中から何かと仲違いしているようではあった。そもそも、河村市長の愛知ビエンナーレ展批判はすこし見当違いのものであった。

 公共の美術館で、公共の費用で行われる展覧会において、その内容を制限することが出来るかどうかが問題の主題である。天皇批判は許せないと言うような問題ではなかったものを、あえて混同するようにごちゃ混ぜの議論にしようとしていたのだ。

 知性不足で理解が出来なかったので混同したのあればまだ良いのだが、さすがにそうではなく、あえて天皇問題を持ち出せば、世論の支持を得られるだろうという、計算だったのではないかと思われる。全国のネトウヨが炎上していたのだ。あの炎上の様子で状況判断の計算を間違えたのだ。

 リコールは当然署名は集まらなかった。集まらなかった上に調査した県の選挙管理委員会によると、約43万5000人分の署名のうち不正署名は約36万2千人分、83.2%が「有効とは認められない」と判断された。何というお粗末なことか。

 有効署名が、7万3千人である。1.3%程度の署名と言うことになる。90人に1人くらいが右翼的な人か、河村市長のような人と言うことが分かったわけだ。当然の結果と見て良いのだろう。日本の極右勢力は1%ぐらいと考えればいいと言うことが見える。

 その不正の実態はまだ分からないが、組織的な不正が行われたことは確かなようだ。新聞によると、主催事務局がアルバイトを雇い、名簿を渡して署名させたと言うことである。何故こんな馬鹿げたことを事務局が行ったのかが不明である。

 名簿を同一人が写して署名していると見られる、筆跡が同じである。拇印が同じであるというものが連続している。不正を行った人が自ら表明して分かったことである。こんなずさんなことはどうせばれることである。名簿の確認が行われないとでも考えていたのだろうか。それもないだろう。

 とすると、たぶん事務局には何らかの費用が払われていて、どんどん署名が集まっているという姿を見せることで、その費用をもっと引っ張り出せたのではないだろうか。もう一息です。運動費用として、後一〇〇〇万円お願いしますというようなことではないだろうか。

 これならば後からばれても、金を払ってやらせたとは言うことも出来ない。美容整形でお金があるから、右翼の総会屋グループのような連中に狙われたのではないだろうか。そもそも、焚き付けた右翼グループが高須氏をうまく引き釣り混んだ可能性もある。

 もう一つ考えられることは、余りに証明が集まらなかった結果である。7万3千人だけではみっともない。名古屋市長も恥ずかしい。せめて格好だけは付けようとした。リコール出来る数が集まらなかったが、そこそこは集まったという形を作ろうとした可能性である。

 リコール数まで集まらなかったのだから、署名の中身の精査をしないかもしれないと考えた可能性がある。それでもこんな人数の人がリコールをしているという形は作れると考えた。確か署名の精査をするのはおかしいと河村氏は発言していたように記憶している。

 恥の上塗り名古屋市長である。この関わり方のお粗末な様子はとうてい市長の器ではない。なぜ、こうして右翼が炎上キャンペーンをやるかである。様々な媒体が炎上に便乗して、もうけ仕事をしているのだ。

 この背景にあるものは見過ごしてはならない闇があるようにも見える。今の社会に存在する右翼勢力の実態である。ネトウヨと呼ばれるネット上で誹謗中傷を繰り返す勢力がある。そして、杉田水脈氏が炎上パフォーマンスで注目を取ろうとするような勢力がある。

 右翼を装う悪徳集団なのかもしれない。一儲けするために、右翼的炎上を利用しているのだろう。天皇が誹謗されていると言えば、これは一大事だと思う人はいるだろう。そこに便乗する商法である。

 愛知ビエンナーレ展で、天皇に対する不敬が行われた。そんな展覧会に公金が出費されることはおかしいだろうという、右翼からの攻撃が盛んに行われた。そのことで開催が中断された。美術館での展示という意味を考えようという、表現の不自由展が、まさに美術の自由を奪われる形になったのだ。

 今回の展覧会は筋違いも良い所だ。表現の自由とは何かを美樹幹において考えようという展覧会である。どんな内容のものがどういう形で展示が拒否されたのかが問われたのだ。どのようなものであるかを評価するのは美術の問題である。

 美術館という器はある意味線の引かれた特別な場である。そこで表現される自由は、例えばテレビで放映して良いのかと言うような問題とは全く違うのだ。残虐な表現、性的な表現、なども見たくない人が見ないですむ配慮がされれば表現する自由はある。

 美術の表現はどこまで自由であるかを問題にすることはとても意味のあることだ。こうした動きに対して、何でも屋って良いなら、在日朝鮮人に対する誹謗中傷を行い。表現の自由だという動きもあった。表現の自由とはどういうことなのか。美術館の中で大いに考えるべき問題である。

 美術館の中という条件であれば、見たくない人が見ないですむ事前の準備、周知がなされているのであれば、一定の範囲を除けば表現は自由である。やって良いのはやはり法律の範囲内である。そこで殺人をパフォーマンスでやって良いとか。動物虐待をやって良いというわけではない。個人情報の公開や人権侵害なども当然許されない。

 では天皇を批判する表現が許されるのかどうか。これは法律の範囲内のことであれば許されると考える。天皇の批判は天皇制という制度への批判や問題提起は、行われたとしても自由である。河村市長と、高須院長はこれを不敬罪であるとしてリコールを行おうとした。こんな見当違いのリコールが出来るはずもない。

 所が意外に集まっていて不自然だと思っていたところ、案の定この署名の大半が不正だったのだ。いったいこの不正行為は誰が行ったのか。高須氏は責任者として説明の義務がある。河村市長はリコールを主張した市長であるのだから、解明の努力をすべきである。

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風景を描くと言うこと

2021-02-16 04:12:06 | 水彩画




 中判全紙の縦型の絵をアトリエカーで描いているところ。描いているのは石垣島なのだが、描き始めた場所は小田原の欠ノ上の田んぼだ。田植えが終わった頃いつも描いている。同じ構図で、10枚ぐらいは描いているのかと思う。

 田んぼは絵を描くようにやる。絵は田んぼを耕すように描く。こう思っている。田んぼをやって、絵を描いている人ならばこの感覚は少し分かってもらえるかもしれない。田んぼは楽しく。絵は生産的にと言うようなことになるかもしれない。

 石垣島の田んぼ風景を見ながら、小田原で描き始めた絵のつづきを描いている。描きにくいというようなことは無い。では風景を見ないで描けるのかというと、そういう訳でもない。空間の感じや色調の様子光の変化など風景を見ていないと、確認出来ないことが起こるので、案外に前にある風景で確認しながらになる。

 アトリエで描くことも出来そうなものなのだが、それがうまくは出来ない。描く絵が自分に近づいて行かない。自分が見ている感じが無くなる。作っているようないわゆる絵画的な絵になる。自分にしか分かりづらいところかもしれない。

 私が見ているという現実感がなくなってしまう。その当たりが一番大事にしているところなので、風景を見ながら描くと決めている。思い込みなのかもしれないが、絵を描くこと自体が思い込みのようなものだから仕方がない。

 風景を描く時そこにある景色を紙の上に移しているわけではない。自分が世界をこのように見ていると言うことを示すように、画面を作っている。画面は写生していると言うより、新たに構築しているようだ。

 特別に意識してそうしているわけではないが、見えたものを面、線、点に置き換えている。そして色彩で自分の描きたい世界を作り出そうとしている。この置き換え方や色彩の組み合わせによる画面に現われてくる、印象が自分が良しと出来るかどうかということになる。

 こうした作業は同じ場所を繰返し描くことで、徐々に煮詰まってくる。始めてその場所を描いてみて自分の絵になると言うことはない。同じ場所を何十枚か描いて、徐々に見ている現実の風景から、自分の絵の世界に煮詰まって行くようだ。

 伊豆下田に須崎という場所がある。ここの丘の上に広い庭を畑にしているお宅がある。この家の庭を何度も描かしていただいた。畑の庭である。どこにでもあるような畑なのだが、何か特別なものがある。それで何度も描きたくなる。

 その畑の庭のこともあって、下田には良く通った。水彩人の講習会も2,3回下田で行ったし、春日部先生とも2度ほど描きに行った。小田原から行くのであれば、朝早く家を出れば、午前中から描き始めることが出来る。小田原にも似たような畑があるのだから、そこでも良いとも思うのだが、やはりそこのお宅の庭が良かった。

 何度も行って描かせていただくのだから、お土産を持って行くような関係になった。あるとき庭の様子がどこか違うと思えた。ご主人が出てこられたので、伺うとおばあさんが入院されたのだそうだ。その庭はその家の幸せが表われていたのではないかと思う。それが、不安なことが起きて庭の表情が変わってしまった。

 それはもちろん具体的には庭の世話をしていたおばあさんが居ないので、庭の手入れが違ったと言うこともあるだろう。作る野菜は西洋野菜が多く、レーキや紫のブロッコリーなどが実に美しいのだ。そういうことはそれほどは変わっていないのだが、絵を描こうとすると何かが違っている。

 その後おばあさんは畑の庭を造られなくなった。もうその庭は行ってみても描きたい庭ではなくなってしまった。描きたくなっていたものは見えているものの奥にあるものだと思う。おばあさんが草を抜くのか、刈り取るのか、抜いてそこに置くのか片付けるのか。

 そうした心遣いのすべてが庭に現われて居たのだろう。たぶん私が惹きつけられる風景はそういう人間の営みであって、自然との関わりである。自然への心遣いなのかもしれない。人間の営みが、自然への感謝として宿っている場所。

 下田にはもう一カ所いつも描く場所がある。それは大浜と言う海水浴場から山の奥に入ったところにある、自給自足と思われる家である。小屋といった方が良いような家なのだが、人はたぶんたまに来て止まる程度だろうと思う。

 川沿いの谷間にあるのだが、この周囲が様々に手入れがされている。自然の中に埋もれるように畑がある。良くこの狭い耕地を段々畑にしたと思えるのだが、わずかに日の当たる斜面を余すところなく耕している。下の方には川に張り出したように畑が作られていて、水位が上がれば流されることもあるに違いない畑である。

 ここも何度も通ったのだが、もう途切れてしまうかに思えて、畑の手入れは少しもおろそかにされていなかった。森の中に紛れ込むような畑なのだが、実に美しい畑と小屋である。どんな人が作っているのか。お会いしたことはない。案外若い人ではないかと想像しているのだがどうだろうか。

 畑には人間が現われてくる。畑の姿に耕している人が想像される。自給のために作っている畑と、販売のために作っている畑ではどこか親密感が違う。だから、庭の畑が好きだ。人間が感じられる畑が美しいと思う。大根の花を咲かせて種取りをしようというような畑が、描きたくなるのだ。

 そんな畑を前にしながら絵が描きたいのだと思う。例えば畑を前にして、田んぼを描いているとしても、絵に描来たくなるものは見えてくる。それは小さな庭の畑であっても、延々と続く果樹園であっても変わらなく存在する。

 ただそれを描ききることが出来ているかというと、まだまだだと思っている。私はボナールにも中川一政にも成れるわけがない。それでも私にしか見えていないだろう、畑の庭がある。自分の食べるお米を作る田んぼの姿がある。

 日本の里山の空気ではないだろうか。石垣島の田んぼの風景には伝統的な日本の里山の感じが残っている。しかもその姿は実に明るい。光に満ちている。色彩に溢れている。すべてから解き放たれるような自由な感覚が生まれる。

 その風景に宿っているものの肌触りのようなものを見ている。親密感というようなものだろうか。色彩から来る包み込まれるような感触。ボナールであれば、家庭的な親密感なのだろう。日本の自然と調和する里山の親密な自然観。

 拒絶するような絶景と呼ばれるような大げさなものではなく、庭のような自然。人間と対立するような恐ろしい自然ではなく、人間が織り込まれて行くような穏やかな自然の感触。
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石垣島で太極拳

2021-02-15 04:03:54 | 石垣島


 石垣島で太極拳をやっている。日曜日の朝7時30分から一時間ほどである。真栄里公園である。誰でも自由に参加している。無料である。2月14日に久しぶりに参加した。10名が集まって太極拳をやった。

 2週間コロナ感染者が一人も出ず、石垣島でもそういう集りが出来るようになった。こうして公園でみんなが太極拳をやるようになるといいと思っていた。中国ではどこの公園でも沢山の人が集まって早朝からやっている。

 それぞれが、自由に自分たちのやり方でやっていた。別段先生がいる様子もなく、毎朝の習慣に成っていることのようだった。中国には20年くらいの間に3回行ったのだが、変わらない姿だった。いつか、石垣島でも沢山の人普通に太極拳を公園でやっているようになればすばらしいと思っている。

 楊名時太極拳 スワイショウ・八段錦・二十四式と行う。実は私が動禅として毎朝行うものとはかなり違っている。菩提達磨が中国に来て伝えたものは今とはかなり違っていたのではないかと思っている。それぞれが自分に合うものをやればいいのだろう。


 みんなでやるときには合わせて楊名時太極拳をやっている。家でやるときには目を閉じてやっている。半眼になれないから、目を閉じている。半眼とは目は薄く開けているが、見ていない状態である。これは座禅を行うときの眼の状態で、禅宗の僧侶として学んだものだ。眼には視覚として写っているが、意識としては見ていない状態である。

 眼を開ければ、眼に頼ってしまう。眼に頼らないで自分の身体のバランスを保てないかと思っている。太極拳の重心移動を眼に頼らないで出来ないものかというのが、現状の課題である。人が見たらおかしな動きに違いないのだろうが、自分のためにやっている。

 緑内障のためにすこしづつ視野が狭まっている。見えなくなったとしても身体のバランスが崩れないよう、動ければと思っている。眼にできるだけ頼らない練習でもある。目で見ないでも絵が描けるというわけにはいかないのだろう。
 
 座禅の心境のまま動くことが動禅のつもりだ。何故動禅をやるかと言えば、座禅が出来ないからである。考案禅というものが臨済宗では行われる。考案に集中することで雑念を払うと言うことだろう。動禅は動きや呼吸に意識を集中することで禅の心境に入ると言うことではないかと考えている。

 私の考える動禅は勝手なものだ。自分に良ければそれでいいと思っている。絵を描くことが私の本心である。絵を描く時の心境がより深くなるための動禅である。毎朝動禅を行うように成って、絵が一歩進んだと言えるになりたい。

 乞食禅である。居直って絵にしがみついている。だから絵がダメだと言われるのかもしれないが、自分流で私というものを突き詰めてみる覚悟である。結果が出るためにはあと28年かかるつもりである。100歳までこうして絵を描いてみたいという欲である。

 結局の所絵は何のごまかしもなく事実として目の前にある。このブログにも毎日曜日に展示している、これだけの絵である。これだけである自分というものを突き詰めるほかない。そのための太極拳だと思っている。

 一人でやる動禅ではダメだと思っている。絵も一人では狂う。だから水彩人に参加している。みんなでやると言うことは心の健康である。一人で座禅をすることは難しい。みんなでやるのは楽しく続く。多くの人が、集まって真栄里公園で太極拳が楽しくできるといい。

 ユーチューブで探すと、様々な人が太極拳24式を載せている。中国の人のもあるし、日本の人のものもある。楊名時先生の家にあるビデオとも全体に違う。現在は、楊先生のお孫さんの形が指導の中心になっているようだ。

 すこしづつ違うってくるのは当然のことで、その人その人の動きがあるのだろう。1500年前の達磨大師が行ったかもしれない、八段錦のDVDがあればきっと大分違う動きではないだろうか。それぞれが自分の動きをやればいいのではないかと思う。

 楊先生の太極拳は気の動きというものを重視していたようだ。私にはそれは分からないので、呼吸を中心に考えている。ただ、みんなでやるときには動きを合わせると言うことも必要なことなので、指導者に併せてやるのが良いのだろう。
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第40回 水彩画 日曜展示

2021-02-14 04:13:05 | 水彩画
第40回 水彩画 日曜展示

 今回は24枚も展示する。見にくいかもしれない。何故かこのところドンドン描いている。すべて縦構図の風景である。普通風景と言えば横構図なのだが、縦構図で描けそうな所は描いてみる。昔からタテの絵が好きなところがある。香月泰男の影響だと思う。同時に日本の掛け軸の影響もある。

 今回はおおよそ10号のPかMぐらいである。紙はすべてファブリアーノである。






146「牧場の福木」
2021.2







147「ホテルの庭・1」
2021.2






148「菱形の耕作地」
2021.2







149「篠窪の小屋」
2021.2






150「宮良川の野良道」
2021.2






151「赤花咲く田んぼ」
2021.2








152「ホテルの庭・2」
2021.2






153「房総半島の橋」
2021.2







154「富崎の道」
2021.2






155「岸辺の花」
2021.2






156「崖の眺め」
2021.2






157「塩山の耕地1」
2021.2





158「塩山の耕地2」
2021.2






159「海岸の家」
2021.2






160「夜の海・1」
2021.2





161「夜の海・2」
2021.2





162「妙高笹ヶ峰」
2021.2






163「石垣島の海」
2021.2







164「ブーゲンビリアの垣根」
2021.2






165「花のある畑」
2021.2







166「与那国島の中央部の道」
2021.2






167「バンナ公園」
2021.2







168「妙高笹ヶ峰・2」1992年8月に描いたものを完成させた。
2021.2


 縦型の風景を次々に描いた。新しく描いたものもあるし随分前に描き始めて、途中で止めていたものを描き継いだものもある。168の妙高の絵など、なんと、30年ぶりに描いて終わらせた。

 30年前というと水彩画を始めた頃のことだ。同じファブリアーノ、厚い紙に描いていた。絵は大分変わっている。それでも続きが描けそうなので描いて見たら、終わりまで行った。学べるものがある。

 「夜の海」の絵はあの大津波の後1年ほど経った頃の絵が始まりである。これも完成できないでいたのだが、今回描けそうな気がして続きを描いた。9年前の絵を描き継いだことになる。

 「篠窪の小屋」は2年ほど前の絵を完成した。そんな感じで途中で終わりにしていた絵が山ほどある。それを何とか進めてみた。出来ないでも終わりまで行ってみようとした。

 そのほかの絵は最近描き始めた石垣島で描いている絵と。与那国島の絵だ。すこしづつ自分の絵を探している。


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