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先進国でガンが増えているのは日本だけ、というデマ

2023-10-31 04:02:57 | 暮らし



 10月30日の一番田んぼ田植えから五週目。品種は「台光」。6葉期の手植えの一本植え。順調な生育である。風が無ければやはり大苗は良い。9月田植えは初めての経験で、その生育の変化が実に興味深い。二期作は作りにくいとされているが、今のところ順調な生育で何とかなりそうだ。

 先進国ではがんでの死亡者の比率が年々下がっているという。その一番の原因は医療の進歩と考えて良いのだろう。がん検診の徹底で早期発見も多くなっているのだろう。羅病率は大きくは違わないが、がん死亡数は減少する。がんの治療も急速に進んだ。そして、食べ物の添加物も、農薬の散布もそれなりに制限されてきている。

 ところが途上国ではがんの死亡者が増えているそうだ。医療の遅れと環境汚染や化学物質の制限不足。そして日本ではまだまだガンでの死亡者が増加傾向なのだ。と言うデマが良く見られる。これは老齢者人口の増加分を間違って見ているからだ。年寄はそもそも病気なり死ぬのだ。

 がんの罹患数と死亡数については、がん研究センターのホームページが分りやすい。一度見ておくとがんの現状と将来の予測が見えてくる。がんを考えるときには疫学的に考える必要がある。何しろ半分以上の人ががんにかかるのだ。地域差とか、傾向などが分かる。

 例えば福島の原発事故でどんな結果になっているかなどである。影響は極めて小さかったのだ。だから放射能はさしたる害がないとは言えない。放射能は蓄積の問題である。一度持ち出せば、長年残る。そしていつか限界値を超えれば人間が暮らせない環境になり、その時には手に負えない。

 現状の環境では、がんが疫学的に見て増えている場合の原因は食べ物である。食べ物に混ざる食品添加物が発がん性の高い化学物質の場合がある。例えば人工甘味料などだ。子供の頃砂糖不足で、サッカリンを使ったのだが、あれは発がん性が高く禁止になった。

 今現在も食べ物に残留する農薬や化学物質の影響が無いとは言えない。自然の食べ物の中にも、発がん性はある。ともかく偏食は良くない。化学物質は禁止になる数以上に、新しく作られている。安全性に疑問はある。と言って気付かず食べていることは多々ある。食べ物中でも調味料類はかなり怪しいとみなければならないと考えている。

 その他水の汚染。大気の汚染。土壌の汚染。魚から取り込むマイクロプラステックなども、がんの増加の一因になるとと考えられそうだ。がんの増加要因は深刻化している。しかし、まだ多くの物で限界値を超えていないだけだ。それらはいつか限度を超えると思われる。我々は未来世代にとんでもないことをしているのだ。

 今の世界の環境は小康状態で、いつかは限界を超えてまたがん死亡多発時代は来る可能性が高い。医療の進歩以上に発がん性のある様々な要因が限界値を超える。マイクロプラステックの量が限界を超えたときが一番怖いだろうと考えている。放射能や化学物質どころではない。

 ビニールで人類は滅びる。今のところプラステック類は燃やした方がましだ。燃やしてはならないというアピールが広がり、ビニールのマイクロプラステックかが進んだのだ。燃やした方がまだましだというのが私の考えだ。

 以上のような要因があっても、がんでの死亡者は日本では徐々に減少している。化学物質の増加や、食生活の変化、喫煙者の増加、環境汚染が深刻化して、日本は急激にがん多発国家になった。そのピークの時代から思えば、徐々に減少しているのだ。農薬や化学物質の使用禁止がいくらか効果を上げたのだろう。

 がんでの死者数が増えて居るのかどうかと言うことと、もう一つがんにかかる人、羅病率が増えているかは別の統計を見なければならない。年齢調整後の羅病率の数値では、大きくは変らないと言うことだ。がんの種類によって増えているものもあれば、減少しているものもある。

 環境要因では改善されているものもあれば、悪化しているものもあり、羅病率では、がん全体を見れば変化がないが、大腸がんや悪性リンパ腫のように増えているものがある。がんには多くの人がどう避けようとしてもかかるわけだ。

 日本人の寿命は長い。長くなるとがんで死亡する人は増える。寿命は長いが最近はトップクラスではあるが、トップではなく成っている。2023年の男の平均寿命は 81.05年、女の平均寿命は87.09年 でこのところ平均寿命は2年連続で下がっている。コロナが年寄には危険な病気で、老人国日本には影響が強く表れた結果。

 日本ではがん死亡者が増加しているというのも、実は老人が増えてがんで結局は死ぬことが多いからである。そこを生命保険会社や、サプリ会社、健康食品会社が、そのことを大げさに都合良く宣伝に利用する。そのためにがんでの死亡者が増加しているというデマが蔓延した。

 確かに死亡者は増加はしているのだから、ウソではないが年齢を勘案すれば、増えているわけではない。私ががんで死亡する確率は高まっているわけではない。今現在で言えば、がんよりもコロナやインフルエンザの方が怖い病気である。昨日ワクチンを打った。人混みでのマスクは必ずする。

 日本ではこれまでに74,694例の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)死亡例が報告されている 。(2023年5月9日時点) 70歳以上が約9割を占めている。 一年前からデーターは出されなくなったため、現状はよく分からないので推定するしかないが、たぶん減少しては居ない。今日コロナワクチン7回目を受けに行く。

 年寄は死に対する不安を抱えているから、ついついがんの危険が高まっているというようなデマには乗りやすい。それで変な健康食品を買ったり、がん保険に入る。おかしな宗教に入信したりしかねない。人間はいつか死ぬわけで、死因を考えればがんと言うことは必ずある。

 いずれにしてもがんにかからない方が良い。男性の63%はがんにかかるのは現実である。しかもがんの主たる原因は歳をとることにある。これは避けられない、発がん性の要因である。それでもがんにかからないために出来ることはある。

 食事が何より重要だと思っている。何でも食べること。しかも少量食べること。偏食、大食いがよくない。たばこは避け。お酒はたしなむ程度。適度な運動と、体重のコントロール。前向きな精神状態で、笑って暮らす。ダメなことは、受け入れてあきらめる。などなど、当たり前の事ばかりだ。

 
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定額給付と所得税減税と防衛費増税

2023-10-30 04:35:59 | Peace Cafe



 今開かれている国会は生活にとって重要な国会になっている。注目している。日本はGDPでドイツに抜かれたとある。競争力では日本は64カ国中 世界35位の中位の国になった。一人当たりのGDPでは台湾韓国に追いぬかれた。研究論文数でも韓国に抜かれた。

 日本は大きな過ちをしたのだ。その一番の責任はこの地獄の30年間の自民党政治にある。この最悪の経済の状況で、防衛費の法人税増税が盛んに言われていたのでどうなるかと思っていたのだが、早速防衛費の増税は行わないと岸田総理大臣が答弁した。企業は少しは安心をしたのだろうが、これはあまりの不人気に防衛費の増税とは言えなかったと言うことだろう。

 この問題の本質は奥が深いので、増税しないで国防はどうするのか、仮想敵国中国対策はどうするのか、という意見が与党内の国防族から出てくるのは間違いない。と言いながらも、国民の支持がなくなれば、選挙で自民党が政権党から下ろされるわけだから、防衛費増税がとおのいたのだろう。

 しかし、経済、経済、経済と3回も連呼したのにもかかわらず、経済論議どころか、減税論議ばかりである。減税では経済回復に成るはずがない。経済が良くなる具体的な施策を出せと、自民党の参議院幹事長の世耕議員からも言われる始末である。ますます、経済が衰退することが見えてきた。中堅国の位置も危ういのだろうか。

 不人気対策に所得税減税と給付を打ち出した。これは反対である。そんなお金があるなら、借金を返せと言いたい。一方でまた借金を上乗せしているのだ。借金をしておいて、その分で減税とは大きな矛盾だ。お金を配るのは選挙対策である。選挙抜きで政治がないのは分かるが、財政再建はどうするんだと言いたい。また未来の人達へしわ寄せが行く。

 減税はしないで、非課税世帯への一律給付だけで良い。生活に必要な物がもろに値上がりしている。生活必需品の値上がりには、円安が一番影響している。食料品の値上がりは、自給率40%以下の国なのだから、一番深刻なことになっている。飼料輸入で畜産農家は苦しい。

 格差社会なのだ、所得の低い、あるいはほとんど無い人には、厳しい年末になるだろう。年末までに特別給付をする。未来のための借金返済だと思い耐える。税金が増えて少しでも返せるならば、良かったと思い耐える。膨大な財政赤字は、子供達が背負うのだ。親の生活費を子供達が担うなど可哀想では無いか。

 私たちの失敗を未来の世代が担う。この30年間、日本は間違った道を歩んだ。これはアベのやったことだ。アベを選択した日本人がやったことだ。これだけは未来の世代に伝えておかなければならない。統一教会支持のアベを国葬にまでしたのだ。大きな間違いを日本人はしてしまった。

 今回の閣僚の中にも五名が統一教会と関係があったと表明した。自民党役員はさらにズブズブな人達で出来ている。その統一教会に対して、解散命令が進んでいる。その自民党議員の多くは、解散させなければならないほどひどい宗教や創価学会に、関係しなければ選挙が出来なかった人達なのだ。世も末である。

 だまして、韓国にお金を貢がせるようなことにを知らなかったとは言わせない。私だって知っていたことだ。国会議員になろうという人間が、そのくらいのことに気がつかないはずがない。桜田淳子さんの合同結婚式の不自然さぐらい誰でも気付いたではないか。

 こんな自民党にした責任は岸から始まる3代の悪の政治家である。本来であればその責任を取ってもらわなければならない。ところが、何とアベ政治は今も続いている。どれだけ自民党の本質が腐っているかである。確かに野党がだらしがないとは、野党支持者の私でも感じているが、もうそれどころではないのだ。

 このまま岸田内閣で行けば、日本は迷走し、中堅から衰退に向かう。やれることはある。簡単なことだ。自民党と公明党に投票しないというそれだけのことで変る。今はどう変るかどころではない。このまま行けば、アベの作った亡霊の自民党の最悪の道をさらに下ってゆくだけだ。

 野党の問題も大きい。責任の大半は野党にあるのかも知れない。野党を育てることが出来なかったのは、国民の中に強く宿っている拝金主義である。目先のお金に惑わされる気持ちだ。だから、今の国会でも野党の中から減税反対の声は聞こえない。

 減税反対と言えば、選挙で勝てないと感じているからだ。昨日も立憲民主党の長岡出身の議員から、米100俵の話が出ていた。その通りなのだが、何故減税反対と言えないのかである。野党が集まり、今回の減税と給付に関しての統一見解をまとめるべきだ。
 
 いい話ではない。敗戦処理である。失敗の尻拭いである。しかし、自分たちであれば、生活困窮者をこういう形で救済すると言う代案を示さなければダメだ。問題は緊急対応が必要なのだ。減税の効果は一年かかると言われている。これは人気取り政策だからそういうことでも良いのだ。

 今必要なことは緊急対策である。先ずは非課税世帯への給付。課税最低収入を引き上げることも考えられる。そういうことをやったとしても、消費税は10%誰でもが払っているのだ。日本に暮らしている人はすべからく、十分国民の納税の義務は果たしていると言える。

 共産党は消費税の撤廃と言うことを主張している。これは違うと思う。消費税は残すべきだ。税収は多様であることが、平等に繋がる。確かに消費税は生活保護を受けている人にもかかる税である。ただし、その分は給付に上乗せされていると言う考え方だ。

 問題となるのは、低所得者層である。非課税世帯ぐらいの収入の世帯だ。今の制度では一番苦しい状況に置かれている。また非課税の最低収入も上げなければならないだろう。この人達には給付を早急に行う。格差社会の深刻化を防がなければならない。

 消費税分は一応は、目的税である。消費税法第1条第2項により、消費税の収入については、地方交付税法に定めるところによるほか、毎年度、制度として確立された年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費(社会保障4経費)に充てる。

 共産党は軍備費を減らせば良いと言うことなのだろう。それは正しい意見であるが、当面出来ないことを代替案にしても、現実性がない。軍事費などいらないと思うが、すぐにはそこまでは行く事はできない。将来的目標である。将来的目標を代案にして、今すぐ軍事費を減らす案を主張しても、支持は得られない。

 先ずは緊急事態であるという認識を野党は共有しなければならない。その上で憲法に対する統一見解は留保する。格差社会対策に対して、統一見解を探ること以外にない。そして、日本が遅れた原因である、マイナンバーカードのていたらくを見ればよく分かる。

 現代の産業革命とも言えるIT化を国を挙げて行う必要がある。これを野党の統一目標にする。台湾と韓国から、有能な人をお願いしたらどうだろうか。



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第183 水彩画 日曜展示

2023-10-29 04:07:02 | 水彩画
第183 水彩画 日曜展示

小田原で描いた絵です。





282「名蔵アンパル」
2023.10 中判全紙







283「北八ヶ岳」
2023.10(昔描いた絵) MBM紙








284「真鶴港」
2023.10 10号






285「大正池」
2023.10 10号






286「桂林公園」
2023.10(1992.6 に途中まで描いた絵) 10号





287「加部島」
2023.10 10号








288「蓼科山秋」
2023.10 10号






289「飯盛山秋」
2023.10 10号








290「三津浜」
2023.10 10号


 一ヶ月前に描いてあり、小田原に置いてあった絵が混ざっています。だんだんに小田原から水彩画は移動させている。額装してある物は30点ぐらい残っているが、それ以外はほとんどが石垣に持ってきた。ほとんどの絵に手を入れている。見ると何かしら描きたくなる。

 絵は終わりはない。終わりはないからつい続きを考えてしまう。続きを描くと言うことは、壊すと言うことになる。壊してそのままダメになる絵の方が多い。修整するような気持ちでは続けて描くことはしない。それでは絵を描くことにならないからだ。

 絵は自分への挑戦でもある。何とか体裁の良い絵に仕上げようなどと言う気持ちが、少しでもあれば、絵を描くことなど止めた方が良いと思っている。未だかつて無い自分に向かって描くという気持ちにならなければ無意味なことだ。ダメでもいいじゃんと言うことで続きを描く。

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不登校やいじめの急増

2023-10-28 04:13:57 | 暮らし


 文科省の発表によると不登校の児童、生徒が去年より22%も増えているとある。30万人も居ると書かれている。本当なのかと思う得るほどの人数である。不登校は10年前と比較すると小学生は3.6倍、中学生は2.1倍増となっている。いじめ件数も過去最多の68万件超えと出ている。

 922万人の内30万人の子供が学校に行きたくない、あるいは行けない社会なのだ。学校で何かが起きていると考えなければ成らないのだろう。学校というありかたが、すでに制度不全に陥っているのかもしれない。社会や家庭との乖離が大きくなっていると想像される。

 日本の学校教育は、明治政府が構築したままほとんど変らない形で継続されている。この大きく変化している時代の中、150年も旧態依然のままであれば、当然おかしなことになるだろう。学校は産業の要請にこたえるものという考え方である。結局はお国の為の教育である。ますますの産学協同が叫ばれている。

 次の時代の産業が見えない現代社会では、学校教育の内容が適合できなくなっている。産学協同といっても、学校教育側では具体化できない目標だろう。社会が不安定化している。どんな職業であれば暮らしていけるのかが見えない。それでは産業振興を目的とする日本の公教育の目的が揺らぐのも当たり前のことだ。

 子供達にも不安が波及した結果、不登校やいじめが増加している。背景にあるものは、学校制度そのものが社会に適合できない。学校制度が不適合になる背景には、AIによる産業革命の社会の変化が大きいのではないか。AIの登場で今学校で学んでいるものが、社会に出た頃には無意味化する可能性が高い。

 例えば近年になって英語教育が小学校まで行われるようになった。企業が英語が必要であると要請した結果、行われるようになった。ところが、おそらく今の小学生が大人になる頃には、自動通訳期が一般化していて、機械によって自然にどこの国の人とも会話が出来るようになっているはずだ。

 英語教育に時間を割かれている間に、失われているものに国語力と言う肝心な科目があるかもしれない。母国語の力が不足している子供達が、一体英語がいくらかしゃべれたとしても、意味があるだろうか。何が教育には求められるかが、産業の急激な変化と、日本の遅れで狂い始めている。

 いつの時代にも必要な能力は母国語の能力の高さである。考える能力である。本来義務教育ではそうした揺らがない基本が教えられなければならない。学校教育が目先のことにとらわれて、企業の要請にこたえようと、対応に追われている状態なのだから、学校が何を学ぶべき場所なのかということが揺らいでいることになる。

 これが学校という存在に、教育の目標に対する自信を失わせているのではないか。教師が自信を持って、こういう人間になりなさいとは言えない時代だろう。これを覚えなさいと行っても、空しさを覚える教師も多いのではないだろうか。これは不登校の一因ではないか。

 もう一つ象徴的なことが、道徳教育が行われることになった事がある。日本人に道徳が失われてきたという意識が、教育関係者や政治家や官僚の中にあるのだろう。権力者の視線で国民を見たときに、日本人の良い資質が失われているとみている。それは家族を大切にして、権力者に従うという資質。

 果たしてそれは学校教育で何とかなるものなのだろうか。翻って社会を見れば、特に政治家などにこそ道徳教育が必要だろう。政治家になったらまず、政治家の倫理の規範の学習を行う必要があるほどだ。道徳のある資本主義と総理大臣が言わなければならないほど道徳など無い時代である。

 大人の姿を見て子供の道徳心は育つのだ。宗教という物はそういう物だろう。偉いお坊さんに感化されるのだ。大人がとんでもなければ、つまり教える教師が不道徳であれば、到底道徳教育など出来るはずも無い。道徳は人間から伝わる物だ。

 私は世田谷学園で、三沢智雄先生、山本素峰先生、萩野浩基先生に出会う事が出来た。禅宗の僧侶の方々である。これほどありがたいことはなかった。生き方を教えて頂いた。人間としてどう生きるのかを見て学んだ。74歳になって、しみじみ命の恩人だと思っている。

 ビックモーターの経営方針が、まさに日本なのだ。ばれたビックモーターがヘマをやらかしたに過ぎない。ホリエモンの頃から、金儲けが善となった。守銭奴で何が悪いという時代である。一体こうした社会の本音を学校教育の道徳はどう正そうというのだろうか。

 学校教育の崩壊はフリースクールを文科省が認めたからだというのは、まったく見当違いだと言うことが分かる。あの市長はまさに不登校児童を生産している人物だ。偉そうな分かったようなことばかり言う人間がいる。そんな学校は嫌だ、嫌だ。だから学校には行きたくないのだ。

 30万人の子供をどこかに居場所を作らなければ、大変なことになるという緊急対応なのだ。もちろんフリースクールがあれば解決などと言うことでは無い。フリースクールが無ければ、家に居ることになる。今度は家に居れば、埼玉の条例違反で留守番禁止になる。

 不登校は社会が崩壊を始めているシグナルである。もう限界だと子供達から声が上がったと考えなければ成らない。30万人の子供達の悲鳴を受け止めなければならない。子供達の方が敏感だから、社会のゆがみをもろに受けているのだろう。

 大人達は日々の暮らしに追われて、それどころではない。学校で何とかしてよと言うことだろう。「学校教育の矛盾は生徒に現れる」と金沢大学の教育基本法の時間に小松先生は言われた。30万人の不登校は、現代の教育が問題があるということを示している。

 その問題の根底にあるものは、拝金主義である。社会倫理の成立していない社会だからだ。日本人がまともな暮らしを見失ったのだ。日本人が大切にしてきた価値観は、農村から生まれたものだ。勤勉とか、協働とか、思いやりとか。日本人が農業を捨てたことによって、日本人が都市生活者になり倫理が消えた。

 学校に作務の時間を設けたらどうだろうか。禅堂では作務を修行の重要な物としている。掃除を修行として行う。世田谷学園で教えていたときに、美術室の掃除当番というものがあり、掃除に担当のクラスの生徒が来る。ほとんどの子供は掃除をまともにしようとはしない。

 一緒に美術室の掃除をした。子供達には特に何も言わなかったが、教師の私が掃除をした。それは自分が教える場所を掃除するのは、当たり前の事だと思っていたからだ。生徒に一緒に掃除をしようとは言ったが、掃除を強制する気は無かった。自分のために掃除をしていたからだ。

 中には一緒に本気で掃除の出来る子供が居た。すごい子供だと思った。それが今の世田谷学園の校長になった生徒だ。作務の時間の重要性が学校教育から失われたことが、不登校が増えた原因ではないだろうか。一緒に働いてみて、学ぶことが出てくる。

 教師から学ぶものは、知識だけではない。金儲けの方法ではもちろん無い。教師自身の教えるという仕事への情熱が、生徒に働くという意味を伝える。お金のために教えているというのでは、生徒に残せる物は少ない。教育を素晴らしいものだと考える教師を作ることが重要である。

 そのために、教師と生徒が一緒に働く作務の時間を作ることが良い。冗談じゃない、掃除は掃除の業者にやらせればいいではないかと言うような教師では、不登校の生徒を生むことになるのだ。
 

 
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中国の一帯一路はどうなっているのか

2023-10-27 04:12:20 | Peace Cafe


 先日中国で、一帯一路の10年経過の記念総会のようなものが開かれた。日本の報道は私が見た範囲ではすべて、一帯一路は失敗したというような報道だった。何がどう失敗したのかの説明は、印象論に止まるものばかりで、説明がなかった。仮想敵国中国がやることに因縁を付けたいというのでは、まさに大本営報道である。

 そもそも一帯一路がどういうものか、報道はあえて分からないふりをしている。習近平が主席になり、2013年打ち出されたユーラシア大陸全体の経済圏構想である。しかし、この経済圏構想はEUのような、構想の目的とか、通貨統一のような、縛りがあるようなものがある訳でもない。交易路の構築が具体的に行われることのようだ。シルクロードの現代版と言われている。

 経済の基本である、通貨とか、関税とかから全体構想に入らないところが中国らしい深慮遠謀。道路を作ってあげます。鉄道を作ってあげます。パイプラインも送電線も作ります。何で作ってくれるのかと言えば、その使用権を99年中国にくれれば、無償で作りますよ。さすが商売人の国だと思う。まるで、再開発業者の空中権のようなものだ。

 その発想の根本には中国は国内のインフラ整備を進め、目覚ましい経済成長をした。そのインフラ整備が一定進み終わってきた。今度はそのインフラ整備をユーラシア大陸全体に広げることで、中国の経済成長を促進できると考えている。インフラ整備の仕事が欲しいという事も含んでいる。常に事業者は新しい仕事を欲している。

 陸上では道路や鉄道がどんどん作られ、海上では各国の港湾の整備が進められている。中国からヨーロッパとを結ぶインフラの整備が目的である。その結果交易は10年で10倍以上に膨らんでいる。これは成功と考えて良いではないだろうか。

 教育で言えば、中国への給費留学生を一帯一路沿線国から2017年には38、700人を受け入れている。中国に留学し、奨学金で高等教育を受け、国に戻り国づくりを行う事になるのだろう。中国は沿線国と時間をかけて中国との親密な良い関係を作ろうとしているのだろう。

 最近の日本政府は、はっきりと一体一路構想に反対をしている。その理由はアメリカが反対しているからである。そして中国が良くなることが、嫌だからだ。アメリカの中国政策は世界一を奪われてはならないという事で、経済戦争にまで進んでしまった。表面的には経済制裁を互いに行い、裏では様々な情報戦争が起きている。

 日本の国益を考えたら、一帯一路に入らない手はない。中国を通して、ヨッロッパとも交易が出来るのだ。実際にそうした物流もすでに起きている。日本の経済にとって、中国が良くなり何か悪いことがあるとは思えない。むしろ、日本が東アジアの一国として積極的に加わり、中国が暴走しないような役割をすればいい。まあ、日本政府にはその自信はないだろう。

 アメリカの深刻な状況を反映して、属国として従った方がいいというだけだろう。日本が中国と密接になることが反アメリカ的な行為、とアメリカに決めつけられているわけだ。各報道の一帯一路の失敗報道一色の原因は、成功されたら困る、という気持ちがにじみ出ているわけだ。

 しかし、中国の提唱する一帯一路が悪いことのはずがない。もし日本がアメリカと関係が悪い国であるとすれば、この中国計画に乗せてもらい、日本経済も恩恵を受けようという事になるはずだ。中国が同盟国であれば、海上航路の確保は有難いことだろう。

 中国の経済が良くなることは、経済の原理から言えば、日本にとっては良いことのはずだ。世界一の競争をしているアメリカとは立ち位置が違う。経済というものは、自分だけ良くなるなどという事はない。経済競争は確かにあるが、中国の生活水準が上がることで、日本にも観光に来て大きな需要を生んでいる。

 もちろんそれだけではなく、日本から様々な製品の輸出も増加する。日本が中国経済が良くなって悪いことなどほとんどないと言えるぐらいである。中国は日本の13倍もある国だ。日本経済を考えれば、一帯一路の何処が問題だというのかと思う。

 ただ、中国は独裁国家なので習近平の思惑で、たちまちに日本企業への対応が変わるから、中国への経済進出はなかなか困難が伴うという事だろう。その一番の原因は日本がアメリカの手先として、仮想敵国扱いをしているという事が、すべての元凶だ。独裁者と言っても、プーチンとは違う。
 
 中国へ進出した日本企業の撤退の報道が目立つが、その裏ではどうやって中国市場に食い込むかと考えている日本企業も多いはずだ。中国が勝る製品もあれば、日本の方が良い製品もある。同じスマホでも、それぞれの使い勝手の好みで買う訳だ。日本なりに頑張ればいいわけで、製品は多様である方が望ましい。

 中国の考える海のシルクロードでは港湾の建設を中国が費用を貸したり、提供したりしている。その代わりに港湾の使用権を取得するという方法で、港湾の整備を進めている。スリランカでは中国からお金を借りて港湾を整備した。ところがその港の利用があまり伸びず、返済が滞った。

 借金を帳消しにしてもらう代わりに、その港湾の使用権を中国に99年間提供することになった。運営権もその上りも中国がとるが、その間も当事国が港湾は利用はできるから、中国に港をとられたというような悪い話ばかりではない。しかし、そのことが債権の罠として、日本では盛んに言われる。私にはただの商売のように見えるが。

 スリランカの港湾を中国が自由に利用できるという事は、中国がインド洋を軍事的に抑えるという側面もある。これをアメリカは非常に問題視している。しかし、これはアメリカが日本の港湾を自由に利用している現実と何ら変わらないことだ。それは八重山諸島の港湾整備が提案されていることと、同様のことが起きただけのことだ。

 それぞれの港の場所が軍事的拠点である。例えば、契約を取り消すかどうかで最近問題になっているオーストラリアの港は、中国が99年間の運営権を取得している。ここには傍にアメリカ海兵隊が駐留している。アメリカと中国の経済対立の衝突という事になる。

 一帯一路が経済圏構想という事もあるが、実は軍事的な側面もある構想でもある。問題はオーストラリアが中国に港湾を作ってもらう代わりに、中国に自由に使う権利を与えるという、国家の自立にかかわる問題を、売り渡したという事にあるのだろう。中国よりもオーストリアが浅はかなのではないか。

 これは、何か日本政府を見るかのようではないか。アメリカにすべてを売り渡している日本のあさはかさ。石垣島の住民を守るために、自衛隊基地を作ると説明をしているが、実際にはアメリカを守るために、日本本土を守るために、石垣島に犠牲になってもらおうという話だろう。それを推進している石垣市長の浅はかさ。

 一帯一路では、石油や天然ガスのパイプライン整備も行われている。また、電力の送電線網や5G通信網なども整備することになっている。中国は中国方式の5G通信網をアフリカまで浸透させようとしている。このことは中国製品が優位になるというので、これもアメリカは怖れている。しかしこれも商売がらみのことだ。

 一帯一路の沿線国は、いまやアジア、アフリカ、ヨーロッパのおよそ140か国に拡大。沿線国だけで世界人口の6割、GDPは3割を占める、まさに巨大経済圏構想。 中国政府の発表では、2013年から2020年までの中国企業の直接の投資額は1398億5千万ドル、日本円にして16兆円余りとなっているという。

 こうしてみてくると、中国の経済成長に伴いアジアヨーロッパにその影響力を広げてきたという事なのだろう。そのことがあまりに急激に進んでいるので、アメリカが慌てて中国は債権の罠で発展途上国を支配しようとしていると言いだしたという事だろう。アメリカがさんざんやってきたことを、中国がやるのが許せないという事なのだろう。

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石垣島と神宮外苑の開発事業

2023-10-26 04:05:16 | 暮らし


 神宮外苑の樹木が切り倒され、良くテレビドラマの場面になった銀杏並木が危ういことになっている。高層ビルを建てる再開発事業が行われようとしている。神宮球場やラクビー場の老朽化、加えて明治神宮自体の立て直しもあるらしい。

 その費用を再開発事業で行うと言うことらしい。三井不動産が空中権を転売して、事業の費用を捻出する計画。国が貧乏になり、今の神宮外苑の樹木をそのままのに残す余裕が無くなったからである。本来であれば、東京は緑が少ない。緑が残る場所は皇室関係ぐらいなので、一般の人は立ち入り禁止地区である。

 私の住む、石垣島でも開発事業は次から次へと計画されている。何故この国立公園の島で開発事業をしなければならないかと言えば、住民の生活が開発事業に依存をしているからである。建設業者が建設工事を続けなければ、石垣島の経済が回らないと言うことが、理由である。生活のためにある程度自然の切り売りも致し方ないと言うことになる。

 人間が快適に暮らすためには、樹木や草のある場所
、水辺のある自然の空間が必要である。本来土地は人類にとって共用なものである。土地所有者であるから、自由に何をしても良いという者ではない。特に都市に人間が集中しているときに、今更緑の空間を消去する発想は、利潤を追い求めるだけの醜い姿以外の何ものでも無い。

 石垣島の開発事業は開発時業者のためが第一義である。開発事業が行われれば、工事関係者を始め島民の大半の人が何らかの恩恵を受けることになる。例えばそこにホテルが出来て、観光客が来れば、そこに提供される肉やお米がいくらか高く売れる可能性がある。農業者にだって、開発事業の恩恵がある。

 日本の経済が、行き詰まっている。新しい産業の創出が出来なくなっている。財政は膨大な赤字を積み重ね、ほぼ破綻状態である。政府は無いお金を印刷して、作り出しているという綱渡り状態にある。今更自然を大切にしている余裕などないと、追い込まれているのかも知れない。

 背に腹は代えられない。大阪はカジノで乗り切ろうとしている。確かにそうなのだが、こうした自転車操業というか、売り食い生活を続けていて大丈夫なはずはない。都会のみどりにも、国立公園の自然環境にも限りがある。石垣島で言えば、観光資源の一番は南の島の美しい海や山である。これが無くなれば、いくらホテルがあってもどうにもならない事は誰にでも分かる。

 開発事業をしてホテル建設をしなければ、経済が回らないという現実も目の前にある。ただし、その開発が限度を超えてしまえば、元も子もないと言うことになるのは誰にも分かっている。まだまだ大丈夫だと考えるのが、行政や開発業者である。もう自然破壊は限界が越えているという、環境主義者の対立が起こる。

 よく分かるのは水資源である。島の水には限度がある。淡水化施設でも作る経済的余裕などない。島に降る雨を上手く貯めて、その水を上手く生活や産業で使わなければならない。上手く地下水を涵養する仕組みも重要であろう。それにしても、島の水の上限を超えた開発事業は身を滅ぼすだろう。

 神宮外苑の森はそれほどの森ではない。かろうじての自然である。それだからこそ、今更あそこの木を切り倒して、巨大なビルを建てる事に反対運動が起こるのは、自然破壊の分りやすい限界が誰にでも見えるからだ。それでも再開発事業であるというのは強弁に過ぎない。都市の破壊事業である。

 巨大なビルを作れば、借り手が居るのが東京である。だから、次々に大型ビルが増えて行く。石垣島に越してから、時に東京に出掛けると、東京が常にビル工事をしていて、変わり続けていることに衝撃を受ける。いまさら銀座にビルの建て替えが必要なのかと思う。異空間が出来上がって行く。人間はどこに向かっているのかとその異様さに恐怖を覚える。

 田舎に暮らす者の感想だから、そんなことになるのだと思うが、神宮の森に巨大ビルが建って良いものだろうか。国が貧乏で借金まみれだから、空中権販売という手段以外での、神宮の森を残したままの形では、施設の建て直しが出来ないと言う事なのだ。もし国の財政に余裕があれば、こんな馬鹿な計画が立てられることもなかったのだ。しかし、貧すれば鈍するで、そこに開発業者が仕事ほしさにつけ込んだのだ。

 中国では不動産バブルの崩壊が言われているが、中国のごく一部の富裕層の投資マネーは相変わらず日本の不動産の購入を続けている。まだまだ日本は上がるとみているのだ。上がるはずだから、開発業者もビルを作り続ける。こんな経済がまともなはずがない。遠からず限界が来る。

 それは中国の開発事業の限界を見れば分かることだろう。中国は国内の仕事が無くなったという事もあって、一帯一路政策を提案して、海のシルクロードを再構築するために、港湾建設をしている。陸の方ではヨーロッパへの鉄道や道路建設である。国家の財政に余裕があるからできる。

 石垣島の開発でも、ユニマットなどの大手の開発業者が関わっている。開発業者は仕事を探して日本中を鵜の目鷹の目で適地を探している。そして石垣島の農地が狙われる。石垣島には農振農用地が多い。ここを転用して開発ができれば、それだけで大もうけが出来る。

 開発が出来れば、仕事が生まれる。仕事があれば住民も潤う。だから行政も農地転用を後押しする。個々人には到底出来ないはずの、農振農用地の大規模転用がこうして計画される。農地転用の背景には、こうした土地の評価値の莫大な値上がりが背景にある。

 しかし、住民には仕事が必要だ。地元企業にも仕事が必要だ。こうした表向きの理由を掲げて、裏で事業者に対して転用による利益を餌にする。転用は行政の仕事だから、ここに政治が絡んでくる。迂闊なことは言えないが、宮古島では自衛隊基地の土地を転用して販売するために、市長が賄賂をもらい有罪になった。

 石垣島でも、同じように、自衛隊基地に適切ではない場所にもかかわらず、ゴルフ場跡地が自衛隊基地になった。怪しげなことが分からないように行われている可能性が無いとは言えない。そうした、自然を切り売りする行為が国立公園の石垣島でも、行政の熱心さによって模索されている。

 ユニマット社によるゴルフリゾート開発はその一つである。ユニマット社は似たような開発を宮古島でも行っている。西表島でもホテル開発事業を行った。そして、そのホテルを星野リゾートに転売している。ホテル経営能力は低いが、汚い裏の開発行為は得意としているらしい。

 再開発事業はやった方が良いものとやらない方が良い事業がある。木造の危険な家屋が密集していて、防災上取り壊して、道路を入れるようにしなければ成らないところが東京にはまだある。六本木ヒルズが建てられた所はそういう再開発が必要な場所だった。

 関東大震災でも、戦災でも計画倒れに終わった都市環境整備を、再開発で行う必要な場所はある。しかし、神宮外苑はそんな場所では全くない。今のまま自然環境を残して、上手く立て直すことが出来ればその方が良いことは明らかな場所だ。

 石垣島にホテルは必要だし、ゴルフ場もあっても悪くはない。悪くはないが、適切な場所ならばと言う条件があるだろう。自衛隊基地の場所選定が、理由不明で、良くない場所である。石垣島の水源の山である、於茂登岳の山麓に作られた。基地は立ち入り禁止である。内部で危険な化学物質が流れ出したならば、恐ろしいことになる。

 そもそも神聖な山於茂登岳に自衛隊基地を作るなど神をも恐れぬ行為である。水源の山に軍事基地では、安全保障上おかしい。石垣島北部地域にはいくらでも自衛隊基地の適地がある。誰が考えてもそう思える。それが出来なかった理由がどうも怪しげである。

 同じことが、ゴルフリゾートにもあるように見える。まさに何もしないでもゴルフ場のような場所が北部地域にはいくらでもある。何故そこではいけないのだろうか。北部地域の開発こそ、石垣島の発展には不可欠なはずだ。この裏にある怪しげな理由が、開発事業には潜んでいるに違いない。

 
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将棋竜王戦の第二局の藤井竜王のすごさ

2023-10-25 04:39:52 | 水彩画


 藤井竜王の強さを改めて見せてもらった、竜王戦第二局であった。この将棋ではAIを超えている指し手が、何度か現われた。しかも、終盤の勝負の大切な場面で、AIは角の王手を歩合いか、角合いが良いとしていた。ところが藤井8冠ここで王を角道から引いて、危険な場所に玉を移動させた。

 まさかの手段である。たぶんプロの棋士も全員が失着、とみたのではないだろうか。AIもそうだが、私レベルでもいかにも歩合いの受けが完璧に見えたのだ。ところが歩合いこそ失着になりかねなかった。そのことは当日の段階ではまだ誰も、もちろんAIも気付かないほど難解な手段だった。

 ところが、時間をかけて調べてみると、この歩合いがあまり良くないという判断が出てきた。しかも、王を角道を外して引く手だけが勝つ手段だったのだ。こういうことが、様々時間をかけて、様々なソフトが調べ上げてくれるのだ。そしてその調べの結果が続々とユーチューブに挙げられる。

 その結果、藤井竜王の失着に見えた手が最善手だったのだ。AIが何時間かけても発見できなかった手を藤井竜王は30分ぐらいで見付けたのだ。何故ここでそんなに考えるのかすら私には不思議な場面だったのだ。そしてその後は簡単に勝ちきった。

 それで分かったことは、挑戦者の伊藤6段の強さも並ではないと言うことだった。強い相手と戦うことでさらに強くなるのが藤井8冠だ。伊藤6段の角捨で玉を下げてもう一度角打ちという手は実は素晴らしい攻めだったのだ。普通ならこの反撃で逆転しただろう。

 いつか藤井8冠がタイトルを奪われるとすれば、この伊藤6段なのかも知れない。伊藤6段は素晴らしい手と失着が出る。手段を発見する能力は抜群なのだが、失着も出やすい棋士かも知れない。将棋には勝因はなく、敗着のゲームだから、伊藤6段は現状では勝負弱いかも知れない。

 もし、伊藤6段が失着が出ないようになれば、藤井8冠を破りタイトルを取ることも可能な才能だ。確かに永瀬王座も唖然とするような失着で王座線を敗れたのだが、永瀬王座の失着はありがちなうっかり系の失着である。疲労の蓄積と1分将棋の罠である。

 ところが伊藤6段の失着は見落としではないようだ。あまりに高度な戦いの中、AIすら気付かないような攻め筋なのだから、見落としとはとうてい言えない。1分将棋の中では読み切れなかったと言うことだろう。この勝負の場面で一時間以上時間を残していた藤井8冠と、1分将棋になっていた伊藤6段の状況の違いが勝負を分けたのだ。

 永瀬王座との厳しい王座戦の中で、永瀬王座は稔密な研究の結果をぶつけてきた。永瀬王座は全精力をこの藤井8冠との王座戦にかけていたような、研究の蓄積をぶつける将棋だった。どの将棋もこの永瀬研究が功を奏して、有利な場面で種判に持ち込んだ。しかも時間は永瀬王座は使わない。

 しかし、それでも最終版の数手で永瀬は長考を続けて、一分将棋に入る。それがやはり失着を呼ぶ原因になる。長考で疲労が溜まったのだ。そしてうっかりが出てしまった。研究では永瀬王座が勝ったのは当然で、この間藤井8冠はあらゆるタイトル戦を戦い続けていて、永瀬王座だけを研究するわけには行かなかったのだ。

 ただこれはからは、藤井8冠は8冠のタイトル戦と、4つのトーナメント戦だけになるので、挑戦者を見据えて研究をしてくるはずだ。しかも伊藤6段との竜王戦に見るように、永瀬戦を経て、さらに読みが深くなり、AI超えが普通になってきたようだ。

 これには藤井の使うパソコンのCPU が桁外れと言うことがあるような気がする。世界的半導体企業「AMD」の日本法人「日本AMD」が1、藤井が将棋研究のための自作パソコンで使用している同社CPU(中央演算処理装置)の最新型が完成次第に提供し、さらなる進化に協力することを明言した。 

 すでに藤井のパソコンは桁外れの演算能力なのだ。だから今の今も、すごい速度で藤井8冠の感覚と読みをサポートしているのだ。テレビの使うAIソフトのレベルではないのだ。翌日に発見できるような手が、数十分で読み切れる能力の違いだ。

 だから藤井8冠が繰返しテレビのAI超えをすることになるのだろう。藤井8冠はAMDの会長兼最高経営責任者であるリサ・スー氏を「世界で最も会いたい人」として挙げ、7月に都内で対談を果たした。いかにこのCPUが重要な物かが分かる。

 藤井将棋は実におもしろい。今までの将棋を一新している。将棋の格言のような物が通用しなくなった。永瀬王座の勝負に徹底した序盤戦術を耐えしのいだ。耐え忍ぶ中で、実に人間的な勝負術を身につけたように見える。最先端のコンピュター将棋といかにも人間的な機微を併せ持つ将棋。

 ここまで進化するともう当面誰も追いつくことは出来ないだろう。伊藤6段と永瀬王座がタッグを組んで戦えば、可能性があるかも知れない。この藤井将棋の桁外れな思考方法は、すべての分野で考えてみる必要があるのことなのだ。

 農業のAI化と言うことが言われる。田んぼの大型農業で一番優れた農法は稲葉式農法だと思う。この稲葉式は実際の技術がとても難しい。しかしこの難しさはコンピュターならば乗り越えられそうな難しさだ。GPS付きの、自動コントロールのトラックターに稲葉式の代掻きを覚えてもらうことは出来る。

 田んぼの土壌の状態を把握しなければならないのだが、これも人間の判断以上にコンピュターを利用して分析的に把握してもらう方が優れている気がする。大型機械化農業はそこまで進化しなければ意味が無い。またそこまで進む可能性が大きい。

 では絵の方はどうだろうか。絵画は描くという行為に意味を見るように成るだろう。スポーツが身体と心の健康のためであるとすれば、絵画を描く行為が人間の脳の新しい分野を開発するものである気がする。自由な発想力とか、創造する能力を高めるための絵画制作。

 絵を描くと言う行為が生きると言うことの意味を確認し、生きる事の価値を深めると言うことに、将来なるのではないだろうか。そういう絵画の在り方だけに意味があると、AI絵画の登場は証明しているような気がしている。それが「わたくし絵画」と言うことになる。

 藤井将棋を見ていると、そういうことをつい妄想してしまう。それくらい過去の将棋とは別物なのだ。藤井将棋を越えるためには藤井将棋を学ぶ以外にない。もうその領域は素人将棋とは縁のないような世界だ。いつか次世代の天才が現われるまで無理なのかも知れない。
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10月23日の「のぼたん農園」

2023-10-24 04:34:20 | 楽観農園



 一番田んぼは9月23日に田植えをした、「新百姓」という雑誌の方がきてくれたので一緒に田植えをしてもらった。二畝ぐらいの田んぼだから、朝の線引きから、苗取りから、田植えまで半日ぐらいで終わった。水を落としてすぐに線を引いたので、線が見ずらかったが、狭いと線なしでも何とかなる。

 補植は時々やっている。鴨がきているので、苗が倒されることがある。どういうことか、枯れてしまう苗もある。土壌は無肥料で始めた。始めて田んぼにした所が半分以上で、石もすごい。石取りをやっと終わってから、水牛による田んぼ作りをした。

 水牛の「わかば」が頑張ってくれた。一日中暑い中頑張って働いてくれた。干川さんの水牛農作業技術を教えてもらうと言うことも、目的であった。干川さんは一人で水牛を扱えるが、私たちであれば二人で作業する方向で考えている。



 品種は「台光」という台湾から来た品種と言われているものだ。始めて作るし、作っている人から様子を聞くことも出来ていないので、手探り状態である。根付くまでは肥料なしで様子を見たいと言うことで進めてきた。

 苗代は、8月20日に作り、ここには「よみがえり」を入れた。27日になって、種を蒔いた。浸種は4日間にした。鳩胸状態。粗く耕した苗代に種を蒔いた。体力的にあまり丁寧に苗代を作れなかった。種を蒔いてから、クン炭を撒いた。

 水はかぶるほどではなく、下から浸みてくると言う状態である。雨が降れば全体が濡れた。石垣島は雨もあるが、湿度が高い。だから苗代も水が少なめで十分発芽する。台光の苗作りは4週間で8月23日が田植えだ。平均六葉期ぐらいだが分ゲツは少ない苗だった。


 台光の苗は堅かった。これほど堅い苗は初めてのことで、これからの成長に安心感があった。よほど大きくなる稲のようなので、40センチ間隔で苗は植えた。30センチから40センチに変えると、苗の本数は半分に減る。半分ぐらいでちょうどになる気がしている。

 のぼたん農園の「ひこばえ農法」は年3回収穫がある。毎回多く取るというのはどこか弊害がある気がする。あまり採らないで、年間通して畝取りぐらいが良い目標ではないかと考えている。つまり一回には40キロぐらいの収穫をして、それを3回繰り返す。

 土壌がよほど良くなれば又違うかも知れないが、現状ではまだ土が出来ていないこともある。あまり多くはとらないで、土壌を良くしてゆくという考えで行くつもりだ。そのためにもアカウキクサを繁茂させることや、草や落ち葉を入れてゆくことを考えたい。



 田植えをするときにはいくらかアオウキクサとアカウキクサがあった。なかなか広がってくれなかった。田植えが終わって2週間ほどするとサヤミドロが一面に広がった。その頃からすこしづつ、ウキクサが増え始めてくれた。サヤミドロはほぼ全面を覆った。

 増え始めたきっかけは、二週間したところでの「よみがえり」を少し撒いた効果のような気がする。ウキクサや藻は大歓迎である。これが水温も下げ、雑草も抑え、腐植を増やす結果になる。日に日にウキクサや藻がふえているので、田植え3週目で「剪定チップ堆肥」と「よみがえり」を撒いた。

 この頃から稲の生長が目立つようになってきた。少し涼しくなり、夜の気温が下がるような季節になったことが幸いした。風は強かったので、大苗の一本植えで不安はあったが、まったく問題が無かった。苗が良かったならば、大苗の一本植えがやはり一番良い。

 田植えを9月23日に行い、一ヶ月が経過した。六葉期の苗が4週を過ぎて、10葉期で平均で10分ゲツぐらいになっている。順調な生育である。この台光という稲は、かなり大きくなりそうだ。しっかりしているし、分ゲツも良い。コロガシを吉盛家族がやってくれた。


 6番田んぼの様子である。とよめきの3回目の穂が出てきている。ひこばえ農法の検討である。問題ウイルス病の蔓延である。ともかく経過だけを見ている。ウイルスフリーの品種でなければ、ひこばえ農法は出来ないようだ。




これは五番田んぼのミルキーサマーの3期作のひこばえ。どの程度実るのかは分からないが、一度土壌を干してみている。ひこばえ農法では、通年通水のために土壌が悪くなることがある。土壌が窒息気味になっている。改善のために、強く乾かしてみる。



 五番田んぼは刈り取ったイネ株から3期目のひこばえが出てきている。品種はミルキーサマーである。ここは得に肥料を入れていない。追肥をしないことが可能なのかどうか、これも経過観察である。土壌の状態にもよるのだろう。ここは水が継続してある。


 三番田んぼと二番田んぼは秋起こしをした。水が残っていた辺りは代掻き状態になった。


 四番たんぼの畦にローゼるがある。とても美しい。



 稲の干し場を作っている。


道路の下の田んぼに水があるので、溜め池にあるタイモを植えた。
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イスラエルに考えて欲しいこと

2023-10-23 04:03:57 | Peace Cafe


 イスラエルに日に日に迫るガザ侵攻前に、考えて欲しいことがある。私はパレスチナにだけに正義があるとは考えていない。第二次世界大戦でナチスにホロコーストに遭ったユダヤ人が、約束の地に建国したことは一つのやり方だと考えている。その前提文章を書いている。

 戦争をして何が得られて、何を失うかである。確かに、今回の件だけで言えば、明らかにハマスがわるい。突然イスラエルに侵入して1000人を超える人を虐殺して、200人を人質にしたのだ。それは、どれほどパレスチナの人達がひどい目に遭っているからと行って許される行為ではない。

 こんなことをされて黙っている必要は無い。当然仕返しでガザに侵攻をしても、国際法の国を守る権利から判断すれば、許される遵法行為の範囲になるであろう。黙っていればまた同じことが繰り返される可能性が高いからである。殺人犯を許す必要は無いと国際法は考える。

 しかし、そうであるとしても、イスラエルにはもう一度考えてみて欲しいことがある。もしガザ侵攻でハマスを殲滅できたとして、パレスチナ問題がイスラエルの臨む形での解決になるかである。それは全く期待できないことである。腹が立ちの仕返しが出来たとしても、結果は良くないのだ。

 今回のガザ侵攻で、多くのイスラエルの若者が死ぬだろう。ガザで死ぬだろうパレスチナ人よりは、死者は少ない可能性は高いだろうが、何千人もしかしたら何万人のイスラエル人が仕返しの戦争のために死ぬのだ。間違いなく、今回殺された1000人よりも、多くの人が死ぬことになる。

 そして、ハマスの兵士が推定だが1万人居るとしてその周辺人員が2万人くらい居るとされる。その3万人を殲滅するためには、間違いなく十万人のパレスチナ人の住民が死ぬことになるだろう。その戦争で殺されることになる10万人には家族が居ることだろう。

 父や母を殺された子供は、新たなるハマスになる可能性が高い。新たな過激派を生む戦争になる。パレスチナの住民を殺す都度、次なるハマスを生み出していると考えなければ成らない。その兵士の訓練を引き受けるアラブ諸国は多数存在する。

 どうもこの戦争の目標であるハマスの殲滅は不可能と考えなければ成らない。ハマスが居なくなるのは、完全な平和が達成された時代を待つしか無い。戦争が新たなハマスを生み出す戦争になりそうだ。それはイスラエルだけの問題ではなくなる。世界中が自国の不安に直面して、イスラエルに対する支持の熱意を下げてゆくに違い無い。

 さらにまずいことが起こる。近隣アラブ諸国の過激派がイスラエルという目の前にして、共通の敵を持つことである。ガザ侵攻が始まれば、当然アラブ諸国が黙って見過ごす事は無いだろう。アラブ諸国にはイスラエルの殲滅を国是としている国が多いのだ。

 アラブ諸国が直接介入しないとしても、ハマスと共闘してイスラエルを攻撃する、シリアのスンニー派組織「ヌスラ戦線」 。レバノン南部を中心とするヒズボッラ はイランの支援を得ている。間違いなく、ガザ侵攻に関わってくるはずだ。

 簡単に終わる戦争ではなくなる。長期戦になる可能性が高い。さすがのアメリカも、本格的なハマス殲滅戦争となれば、負担が大きくなりすぎて、耐えきれない可能性が出てくる。アメリカはすでに、対ロシアのウクライナ戦争の全面支援を抱えている。

 アメリカの経済戦争の正面の敵である中国は、ますます独裁国連携を強めている。どの戦争からも漁夫の利を狙い、経済でアメリカに迫りつつある。世界各国はいよいよイスラエルを全面支持すると言っても、限界があるはずだ。アメリカ大統領がガザ戦争で変ることになるかも知れない。そうなれば、イスラエルの支援は先細りになる可能性もある。

 日本のように石油をアラブ諸国に依存する国は、いくらアメリカの付属のような国の立ち位置であるとしても、さすがにイスラエル支持を強くは打ち出せないことになる。日本だけでなく、その点ウクライナ戦争とは違ってくる国は少なくないはずだ。

 つまり、戦争によってパレスチナ問題の解決はない、と言うことは明確なことだ。イスラエルが有利になる一番良い選択は、ここでイスラエルが我慢をすることだ。軍事侵攻をしない代わりに、平和交渉をすることだ。我慢する代償として、平和交渉を有利に導くことが、イスラエルの国益だ。

 冷静に考えれば、戦争を避ける平和の交渉だけが解決方法である。日本国憲法に示されている。イスラエルの人達は極めて優秀である。例えばコロナへの対応も、コロナ出現の直後に、一番優れた方法は年寄の外出禁止だと、方法を提示した。今考えて見ればそれが確かに、良かったのだ。ところがその選択を出来た国はなかった。

 中国や北朝鮮なら出来たかも知れないが、その知恵が無かった。イスラエルの卓越した知恵をこのガザ侵攻に役立ててもらいたい。問題解決のない戦争という手段が以下に馬鹿馬鹿しいものであるかを、考えてみてもらいたい。イスラエルの優秀さをこの機会に世界に示して貰いたい。

 ここまで描いた理由は実は日本政府に、戦争の馬鹿馬鹿しさを知って欲しいからでもある。戦争は避ける以外に、得にはならないものなのだ。仮想敵国中国などと勇ましいことを叫んでみたところで、何の解決にもならないと言うことだ。日本人がエコノミックアニマルであるならば、その損得の判断は出来るはずだ。

 何故か、軍国主義者の勇ましいかけ声に、知能の不足しているとしか思えないかけ声に、日本人が踊らされているのだ。石垣島で日米軍事訓練をやっている。これはまさにガザの住民と、石垣島の住民が同じになるという事だ。何故市長がその先頭に立って居るのかが不思議だ。誰かに引きずられていると言うことなのか。

 戦争になれば、ひどい目に遭うのは、戦場になる地域の住民である。すでにガザはエネルギーもない。食料もなければ水もない。石垣島もすぐに同じ状況になる。九州から支援物資が来ると行っても、制空権が危うければ到底無理だろう。住民避難など言うが、ガザの住民は陸続きでも逃げれない。

 石垣島から泳いで逃げるわけにも行かない。食料を抱えてどこか目立たない鍾乳洞にでも潜り込むしかないだろう。いざとなった日本政府は判断力など無くなるに違いない。アメリカの言いなりに動くだけだろう。アメリカが吠えろと言えば、けたたましく吠えるだろう。

 そうして、石垣島の住民が死んでゆくのだ。ガザの住民とまるで同じなのだ。戦争で解決できる物など全くないと言うことを、よくよく噛みしめて欲しい。ガザ侵攻が悪い結果になることは誰にでも分かるだろう。何としても出来ない堪忍をすることだけが、道なのだ。

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第182 水彩画 日曜展示

2023-10-22 04:24:20 | 水彩画
第182 水彩画 日曜展示






277「のぼたん農園」
2023.10 中判全紙







278「のぼたん農園」
2023.10 中判全紙







279「大里の牧草地」
2023.10 中判全紙





280「のぼたん農園」
2023.10 中判全紙



281「のぼたん農園」
2023.10 中判全紙


 全体として描いている。空であるとか、海であるとか、草地であるとかそ言う違いを意識しないで描いている。何もかも同じ光の反映であると感じて描いている。その意識になれたことが、一歩前進だなと思っている。自分という物が絵を描くことで少しは変われた気がして嬉しい。

 日々の一枚までには届かない。中判全紙の絵だと一日でできると言うことが少ない。描く時間を合計してみれれば一枚二時間ぐらいなのだが、30分が4回として、一日に2回か3回ぐらい描く。4回描ければ何とか終わるのだろうが、一日4回描くのは難しい。

 30分4回ぐらい何でも無いとは思う。確かに一日中絵の前に座っているだけの日もある。諏訪って眺めているばかりでなかなか描くことは出来ない日がある。その日その日である。今日のぼたん農園で絵が描ければ良いなと思う。

 

 

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石垣島の「水・土・光」

2023-10-21 04:03:59 | 石垣島

 写真は麦畑の準備である。ハンマーモアーで草を粉砕し、そこに石垣島の牛糞堆肥「よみがえり」を撒いた。ハンマーモアー作業がもう少しで終わるので、終わったならば、トラックターをロータリーに変えて耕耘をした。11月11日には麦を蒔こうかと考えている。

 石垣に引っ越したのは2019年11月だ。あれから4年が経過したことになる。田んぼを始めるつもりは無かったのだが、石垣島に来てまた田んぼをやっている。結局の所、田んぼが好きなのだ。暑いときはさすがに作業が辛かったが、動いても何とか耐えられるような季節になったら、また楽しく農作業をしている。

 やるのは草刈りばかりである。石垣島の農業は草との戦いである。小田原の雑草とは桁が違う。小田原で3ヶ月に一回ぐらいの草刈りで済ませているのが、溜め池の草刈りである。それが石垣ではほぼ毎月やらなければ歩けなくなる。そのやらなければならない草刈りが夏の間は暑すぎて遅れる。

 ハンマーモアーで出来るところは一気にやっている。やっとハンマーモアーが直ったのだ。そして、ハンマーモアーで出来ないところは、ロビンの草刈り機である。それでも作業はせいぜい一時間ぐらいのものである。草刈り機に満タンにした燃料が尽きたら終わりにしている。

 まだ働けるようなら、田んぼのコロガシをやるとか、堆肥撒きをするとか。外の作業をやることにしている。やることはいくらでもあるのだ。草刈り仕事はまだ1週間はやり続けなければメドがつかないほどある。あと7回の満タンぐらいだ。それが終わるとすでに次の草刈り場所がでてきている。

 別段、作業が嫌というわけでもない。やるのはいいのだが、雑草との戦いに追いつかないと言うことである。この雑草を腐食を増やすことに上手く利用できれば、良いと思う。今のところ刈った草を乾かしてから、堆肥を混ぜて漉き込むと言うことぐらいである。

 刈った草を集めて堆肥にするとか、方法はあるはずだが、まだ、しばらくはそこまでは出来ない。のぼたん農園ではやるべき事がまだやりきれていない状態である。本来であれば南側の下の方の畑に、サトウキビやパイナップルも植えなければならない。そこまではまだ進まない。

 やっと田んぼの整備が出来てきたので、来年は下の方の畑や、果樹園の整備なども手が付けられるだろう。「のぼたん農園」は10年計画である。慌てる事は無い。一歩ずつ土壌の改善を続けて行けば良い。去年に較べれば今年の方が大分状態が良くなっている。

 今一番の問題は溜め池である。溜め池の水が停滞して悪化した。死に水になった水が、二番田んぼに流れ込み、二番田んぼのひこばえが弱った。溜め池の水の改善をしなければならない。先ずは溜め池の水面がよく見えるように、全体の草刈りをしなければ始まらない。

 草刈りを続けていて、石垣島の草原を絵に出来るようになった気がしている。身体が覚えて、絵を描くと言うことは身体が石垣島の草のすさましさを覚え込まなければ、描くことが出来ないと言うことかもしれない。最近やっと目の前に見えている草原が見えてきたのかも知れない。

 石垣島の土も少しずつ見えてきたようだ。四年目でやっと土が見えてきた気がする。もちろんまだまだ不可解ではあるのだが、手に負えないとんでもない土だと言うことだけは分かってきたのだ。分からないなりに手応えは感じる土。分からないと言うことが分かったと言うことで、分からないとは描くことが出来る。

 人間が見ると言うことはなかなか奥が深い。目に映れば見えていると思うのは大きな間違いだ。見ると言うことには、観ると言うことである。視るもある。診るもある。目に写るだけのみるでは自分の絵は描けない。私絵画の絵を描く場合の「みる」は観ると言うことだろう。

 見て自分の哲学の理解と合致するところまで見切らなければならない。そうすると眼前に見えてみるものを、どのように描けば良いのかが見えてくる。絵という物をそのように考えている。本当のところがまだ見えているわけではない。見えればその当たりがはっきりするだろうと言うことが分かってきたと言うことだ。

 現状での私のみるは、空・海・草原そして土が同じものだと見て描いている。同じ視線で見る。地球上のものとして同じと言えば、物質として同じと言うことに成るわけだが、もう少し感じが違う。生きる自分の命の関わりとして同じというような感じだろうか。

 そういう自分の世界観がそのまま絵に出てくれば良い。そういう絵を描きたい。そこまで行かなければ、絵を描いてきた甲斐がない。もう一息の所まできているかもしれない。その自然を一つとしてみている見方の中に、自分の何かが反映してくる。自分が観ている世界がそこに現われる。

 何かしら見え始めている気がしている。前とは少し違う。いい絵を描くというようなことからは完全に切り離れた。絵を描く眼で自然が見えるようになってきた。それはこの土地を耕して、汗を流したことで獲得できた体験にもとづく物のようだ。

 風土と言うことかもしれない。風土という言葉も悪い言葉ではないが、農業をしていると、水土という方が相応しいと考えるようになった。風よりも水だろうと思う。風と言ったのは情緒的な文化人的思考である。農業者のような労働者には水と土と光である。

 水の重要性は計り知れない。水と土がなければ命は育まれることがない。石垣島が水のある島なので、豊かに人間が暮らすことが出来たのだ。その土地の水に身体がなじむと言うことがある。石垣島で暮らして4年が経ったと言うことだろう。

 何しろ日本で一番古い時代からこの島には日本人がいたのだ。島で田んぼをやる暮らしはいつも水のことを考えている。雨が降らないかといつも思う。雨が稲を育てていると言うことがよく分かる。雨は草も育てる。一雨ごとに群と草の量が増す。

 この石垣島の自然を観ている世界観がある。厳しい自然の世界だ。なかなか受け付けてくれないが、入り込めることが出来ればこれほど豊かなこの上のない世界だ。この世界観こそ絵にする物だと考えている。石垣島「空・海・草原・そして土」

 絵は光を描いている。光はすべての物に等しく降り注ぎ、すべての物を表してくれる。絵はその光を描く物だ。印象派が野外の光で描くと考えたのは当然のことだ。光で物を見ればすべてが同じ物である。「空・海・草・土」すべてが光として同じである。
 
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今度はフリースクール否定市長の登場

2023-10-20 05:34:43 | Peace Cafe


 
 ついこの前は埼玉の児童虐待防止条例で驚かされたが、今度はフリースクール否定の市長の登場だ。滋賀県東近江市の小椋正清市長である。知らないが愛知の市長によく似ているので保守党の仲間かも知れない。調べたら自民党計だった。この市長の記者会見を見て、気持ちが悪くなった。

 言い方は悪いが「反吐が出る」記者会見だった。上から目線で世の中に警鐘を鳴らしているつもりなのだ。世の中をよくするつもりで世の中を壊してゆく、一番始末に負えないタイプだ。こういう人達の時代は終わったと思っていたが、トランプのようなゾンビが次々に現われる。

 本当に世も末である。世の中だんだん悪くなる一方である。まあ悪くなっているのは偉いという人の方から起きているようだ。我々庶民の方ではこれほどわるくはなっているとは思えない。庶民は偉そうにしていればすぐ上から叩かれて排除される。ところがお偉いさんは勘違いしたまま、オイコラで生きているようだ。

 だいたい子供が不登校になるのは、親の責任だと言い切った。そういうことを風呂や談義で発現するその辺の親父は確かに居る。しかし、その辺の親父はさすがに、表だった場所では、そこまで居直れない。市長ともなると、不登校児は親の責任で生じると記者会見で言い切る。

 責任ある市長が言い切る以上、証拠を挙げて欲しい。どこの調査で不登校の責任が親に原因があるとしたのか。この滋賀県東近江市の小椋正清市長 アンケート調査でもしたのだろうか。あるいは昔から滋賀県の親は特殊な地域とでも言いたいのか。

 調査した資料なしに、そういう印象でものを言うというのでは市長の資格がない。「文部科学省がフリースクールを認めたことにがく然としている。国家の根幹を崩しかねない」 「国が十分な議論をせずにフリースクールへの支援を進めようとしているため、議論できるように問題提起として発言した」 

 驚きべき認識の市長である。文部か確証が、学校制度で治まりきれない子供が居ると言うことを認識したのだ。ここまで来ることにどれだけの時間がかかったことか。小椋市長と同じ認識で、不登校児童への対応を学校教育の中で行おうとしてきた。

 しかし不登校児童のことを、調査し、研究してきた結果、フリースクールのような物を、利用することが教育上必要だと言うことが分かってきたのだ。もちろんフリースクールが受け入れれば解決というわけでもない。この背景には社会の変化がある。そこには虐めとか、家庭内暴力とか、様々な複合的な問題がある。

 小椋市長は古くさい考え方に凝り固まっている。元警察官だというからなおさらである。悪い事ではあるが、なるほどどんな人間かなんとなく想像が出来る。そういう見方はおかしいとは思うが、市長に合わせて言わせて頂く。「オイコラぶらついてないで学校に行け」なのだ。

 社会が大きく変っている。市長の立場で存ながら、フリースクールがなければ、大変なことになる状況だという認識がないのだ。学校だけでは対応できなくなっているのだ。私は学校に行かない子供を2人預かって一緒に暮らした。だから子供達がどんなに苦しんでいるかよく分かっているつもりだ。

 学校の先生方も親切に、仕事を越えて対応はしてくれた。しかし、それでも解決は出来なかった。場所を変えると言うことが必要で私と一緒に暮らした。私が役に立ったかどうかは分からないが、今は良いおじさんになって2人とも普通に生きている。

 いわば私はフリースク-ルのような人間だったところは良かったのだと思う。ああせいこうせいは言わない。私の毎日を見てもらうだけだったわけだが、気は晴れたのではないだろうか。一番困っているのは当人なのだ。学校という空間から身の置き所を変えると言うことが、重要なことだと思う。

 小椋市長の発言に「大半の善良な市民は、本当に嫌がる子どもを無理して学校という枠組みの中に押し込んででも、学校教育に基づく、義務教育を受けさそうとしているんです。」と言うものがある。これは教育基本法を理解できていないことを表している。

 義務教育の「義務」という言葉は誰が誰に対する義務なのかを理解する必要がある。これは国家には子供に対して教育を受けさせる義務があると言う意味だ。金沢大学の教育法の時間に小松先生から教えて頂いたことを今でも忘れない。子供に教育を受ける義務があるわけではないのだ。元警察官ならそのくらいのことは理解していなければならない。

 「無理して無理して学校に行っている子に対してですね、『じゃあフリースクールがあるならそっちの方に僕も行きたい』という雪崩現象が起こるんじゃないか。」 無理をして、無理をして学校などに行かないでも良いのだ。無理をしすぎれば心を病む。こういう市長がいるから心を病む人が跡を絶たないのだ。

 行きたくなければ学校には行かない方が良い。これは大前提だ。今の学校教育の世界では常識とされている考え方になっている。それではどこがその子供達を受け入れるのかと言うことになる。今までこの子供の非常事態を何とかしようと頑張ってきたのがうリースクールだ。

 その有効性を文科相は認めて、そこに一時避難してもらうことが重要だとやっと認識をしたのだ。ここまで来るにも大変だったのだ。それを全否定する過去の世界から現われたような人間が市長をしていると言うことが問題である。東近江市の市民にはしっかりしてもらいたい。

 未だこの市長が発言を撤回をしないと言うことは、フリースクールへ行っている子供達を追い込んでいることになる。学校へ行かないことは少しも悪い事ではない。人間は学校に行きたい子供も居れば、行けないことどもも居る。人間は多様である。市長が子供を追い込んではならない。子供達のために発言を撤回してもらいたい。

 小椋市長はフリースクールを否定している。釈明会見では否定はしていないとごまかしているが、予算を付けることを良くないとしている。国の根幹を崩すとまで発言している。明治憲法復活を希望している輩だろう。民主主義時代の教育の意味を理解していない。

 国の根幹は自由に考えられる人間である。上から押しつけられたことに従う人間ではなく、自分の意志で嫌なことは嫌と言える人間である。それが民主主義を根幹とする日本国である。我慢して従う人間では、ダメだということが、日本は戦争に負けて分かったことなのだ。

 確かに小椋市長のような人間の復活が始まっている。情けないことだが、日本の停滞がこういう頑迷な、保守主義者の復活を生んでいるのだろう。こういう人の多くは、目立ちたがり屋である事が多い。またトンデモ発言で目立ってしまう。

 だから、有権者がしっかりしていて、何が大切なのかを判断できれば排除できるはずだ。アメリカでもトランプすら復活するくらいだから、日本もこういう人を権力者にしないように、せめて選挙には行かなければならない。と言っても、石垣島でも市民の命をないがしろにする、自衛隊誘致の中山市長なのだから申し訳がない。

 
 
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冗談かと思った埼玉県虐待禁止条例

2023-10-19 04:06:42 | 暮らし


 麦畑の準備が進んでいる。ハンマーモアーで草刈りをして、よみがえり堆肥を撒いた。今週中にはトラックターでロータリーをかける。

 子どもだけでの留守番や外出を「置き去り」として「いじめ」として禁じる。この驚くべき条例案は取り下げられることになった。取り下げられればすむような話ではない。こんな発想をする政治家が存在すると言うことを深刻に考えなければ成らない。

 埼玉県の自民党の議員団の提案で出来る条例だったらしい。自民党の政治家のレベルが想像される事例になった。この条例案を考え出した人達の、世間離れにまず驚く。健全な子供時代がなかった人達なのだろう。世界平和統一家庭連合の教えに近いものがあるところが、妙に気になる。忖度があったのかも知れない。

   子どもに家で留守番させることはもちろん、親がゴミ出しをするために外に出ることや、100メートル先の回覧板を届けるための外出も放置に該当するという。子どもだけで遊ばせたり登下校させることや、お使いに行かせることも虐待に当てはまるほか、18歳未満の兄弟に子どもを預けて外出することもできない。

 条例には通報義務が盛り込まれており、子どもを残して外出した親を見かけた場合、住民は当局に通報しなければならない。罰則規定は盛り込まれていなかったものの、条例を厳格に適用すれば、すさまじい監視社会になるというトンデモな内容だった。

 最近の自民党の憲法改定に出てくる家庭主義には、色濃く統一教会の影響がある。そうした要望に応えている忖度姿勢が、選挙応援に繋がると考えているのだろう。統一教会がまだ強気な背景が伺える。自民党議員は自分で考えると言うことが出来ない程度の人達なのだろう。不自由なものだ。

 まさか自分で留守番禁止を考えたとすれば、恐ろしいトンチンカンではないか。これは言わされたものとしか思えない。まともな人間が考えるような条例ではない。いや、こんなレベルに自民党は成っているのだろうか。知り合いもいないのでわからないことだが。

 提案した自民党田村団長によると「内容は瑕疵がなかったが、説明が不十分だった」 ので取り下げるというのだ。これもまたひどい言い訳である。説明を十分聞かなくとも、誰が考えても内容がおかしいと思える。これでは一人親家庭では埼玉には暮らせないと言うことになる。

 どうも一人で子供を家に置いておくのは虐待だと説明したらしい。そういう条例を作るのであれば、埼玉県にお願いしたらそういうときには、派遣職員が来てくれる条例も用意されなければならない。岸田氏は異次元の子供対策をすると言っているのだ。これなら異次元だ。

 子供だけの登下校も虐待だという。子供だけで遊ぶのも虐待だと決めつけている。一体これでは埼玉県では子育てが出来ないと言う事になる。埼玉県では放課後誰かが家まで送り届けてくれることになるのか。遊ぶときは誰かが付き添ってくれるというようなことを条例で決めようというというのか。

 もちろんそんな話は全くない。単純に統一教会を忖度して、家庭の平和の為の条例を画策したと思われる。頭が足りなかったから、こんなに妙な条例になってしまったのだろう。存在感の示し方の方角が違うのだ。子供のことなど考えても居ない。

 すべての日本の子供は虐待を受けていたと言うことになる。今も日本中の子供が虐待を受けているとでも考えているのだろうか。統一教会の教義ではそうなのかも知れない。むしろ子供は一人で遊ぶ必要があると考える。親がつききりでは自立成長ができない。おかしな言い訳が東京新聞に掲載されている。

 昔のことを言っても始まらないが、私の親は自分のことで精一杯で、子供のことどころでなかった。だから長いこと向昌院で暮らすことが出来たのだ。そのことがかけがえが無く良かったと考えている。それが虐めだと、想像したこともない。東京で必死で働く親を見て感謝して育った。

 子供は田村議員が考えるほど馬鹿ではない。親を見ている。一人の留守番が親の事情でしなければならなければ、十分出来る。一人でどう遊べば安全かぐらい分かる。もちろん分からない子供も居るだろうし、様々な事例はあるだろう。しかし、特殊事例を挙げて虐待だと決めつけてはダメだ。

 子供は一人で遊べるようでなければダメだ。当たり前の事だ。そうして自立心が出来る。発達障害傾向の子供ではあったが、一人で遊ぶのが好きだった。一人で川をせき止めて水泳場を作ったのが小学校4年生だったと思う。筏を作りそれにのって遊んだ。

 まったく一人でやっていた。お爺さんもお婆さんも知らなかっただろう。命じられた担当の仕事もあった。風呂沸かしである。水汲みから始まる。水道をひねるのではない。水源からバケツで水を汲んできて風呂を沸かすのだ。もちろん風呂を沸かす薪集めもした。

 雨が降れば屋根から落ちる雨だれを何十もあるバケツで集めた。そうすれば水替えが楽だからだ。すべては小学3年生くらいからやっていたことだ。児童虐待どころか、誇りを持ってやっていた。だからお前がおかしくなったと言われればそうかもしれないが、御陰でまともに育ったと祖父や祖母にも感謝している。

 子供が働くことを児童虐待にしているが、日本の戦後社会ではごくごく当たり前の事だった。国連などでもそうし子供の農作業などを児童虐待としているが、私は違うと思っている。私は実際にやらされていた人間であるが、それがおかしいなど今も思わない。ありがたいことだと思っている。

 小学生で4反ぐらいあった桑畑の草取りなども、やらなければならなかった。やらなければ草が伸びてしまう。そうすればお蚕さんができない。お蚕さんができなければ生活が成り立たない。そこまでは分からなかったが、暑い中辛かったが、子供のやるべき事だと考えて我慢してやっていた。どこの家も子供も同じだった。

 何でも昔は良かったなど思わないが、子供が働くことを法律や条令で禁じる必要は無い。子供自身が訴えるのであれば別だが、子供が受け入れてやっている場合は認めるべきだ。こどもはそのくらいの判断力はある。子供を大切にすると言うことは、過保護にすると言うことでは無い。

 まあ、今時自民党の議員になろうというような人を想像してみると、領域の違う人達なのだろう。あれこれ忖度がうまくて、そのうち国会議員になれればと考えているのだろう。脂ぎった名誉欲の怪物達である。日本がどうしようもない国になった理由はこういう政治にある。

 寅さんが帝釈天のご住職から「手に油して、額に汗して働く人間になれ。」と言われて、天ぷら屋に勤めるシーンがあった。私もそう言いたい。子供には仕事を与えるべきだ。勉強など二の次で良い。田んぼがやれるような子供なら何とかなる。

 
 
 
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大阪万博は中止の決断を

2023-10-18 04:33:19 | 暮らし


 大阪万博は「カジノと万博誘致を一体に提案し、アベ政権の協力を取り付けたのが橋下徹元大阪市長や松井一郎元大阪府知事の日本維新の会である。維新の会の負の遺産」である。会場建設費が当初予定の約1・8倍の2300億円程度に増える 。

 この円安、資材高騰、労働者不足の状況では、一日も早い中止の決断がこの損害を最小限にとどめることになる。このままでは利益の出ない、万博になるだろう。大阪の衰退を導く万博になる可能性が高い。この低成長時代に建設費が倍になり、税金で穴埋めでは誰も、もうかりまっか。もうかりません。

 このインターネットの時代に万博はもう存在の意味が違うと思う。こういうことが人を集めることが出来た時代は終わったのだ。まあ、カジノに集まる人は居るだろう。悪所好きの種は尽きない。しかし、賭博にすがりつこうというような発想自体がもうその国はダメだと宣言しているようなものだ。こちらも撤回が一番まともな判断だ。

 カジノに頼ると言うことは、今や日本が健全な産業に期待が出来ないと言う事だろう。地道な一次産業を捨てて、カジノやお祭りを経済政策というするのは、末期的な症状と考えるべき事だ。残念なことはそれを良しとする国民が増えている。だから維新の会が票を集めるのだろう。しかし、政治は国民を導くものならば、維新の会は節度を持つべきだろう。

 カジノやお祭りにうつつを抜かしていてはダメだ。毎日の健全な暮らしをしっかりやって行こう。それが政治の方角のはずだ。政治は正しい日本人の暮らしを示すべきものだ。金儲けになるからと言って賭博やお祭りで騒いでいれば良いというものではない。まず基本となる暮らしに方向付けをし、新しい地道な産業を構築すべきだろう。

 戦争の時代に突入しているのだ。今までも確かに戦争はあった。しかし、それらの戦争とは違う質の戦争が起きている。ウクライナ戦争は自由主義世界と絶対主義世界との激突である。プーチン、習近平、金正恩 、ルカシェンコ 、独裁連合との戦いなのだ。

 自由主義連合が経済戦争を仕掛けている。独裁国家の資本主義の方が優勢だと感じているからだ。中国の登場が決定的であった。世界一の巨大国家の独裁政治が安定して続いている。その結果驚異的な、かつて世界では見なかったほどの経済成長を遂げた。

 この成長の勢いに自由主義経済の国々は恐怖を抱いたのだ。このままでは経済で独裁国家に負ける。アメリカが中国に負ける。そこで、人権侵害および特許権侵害で難癖を付けて、経済制裁を行う。それに属国も巻き込んで経済戦争が勃発する。

 一方でアラブ石油産油国では石油依存体質を抜けることが出来ない。イスラム諸国内で様々な軋轢が高まる。新しい動きが生まれる。そこにやはりアメリカの影響の強いイスラエルに対する圧力が高まる。新たな代理戦争が起こる。ハマスが突然イスラエルに本格的な戦闘を開始する。

 ハマスだけでこれだけの軍事物資の調達が出来るわけが無いのだから、アラブ諸国のどこかがハマスを援助しているはずだ。あるいはそそのかしているはずだ。それがアラブの大国イランであろうというのが大方の推測である。イラン対アメリカの対立が続いているからだ。

 イランは中国との関係を深めている。中国の一帯一路戦略ではイランは重要な国なのだ。イランに対して中国は具体的には、①中国が25年にわたり、毎年4億ドルの対イラン投資を行う、②イランのサウスパルスガス田開発への中国石油天然機集団公司(CNPC)の出資比率を引き上げることなどが含まれているとみられる。

 イランは核開発を強行しているために、自由主義諸国から経済制裁を受けている。その結果通貨の暴落とインフレで国民の生活は困難になっている。そこにスカーフ問題で国民の反政府デモが広がる。そうした困難を乗り切るため、中国との関係が強まって行く。

 イランがハマスの背景に存在するならば、この戦争は長期化する可能性が出てくる。今世界で勃発している戦争は、資本主義経済の最終段階の問題なのだろう。競争の行き着く先にあるものは、つぶし合いである。中国が出てくることをアメリカは何としても押え込もうとしているのだ。

 話は大阪万博から少しそれたが、戦争の時代に入り万博どころではないと言うことだ。万博を構想した一数年前から考えたならば、時代が違うのだ。コロナ前とコロナ後と考えても良い。開発主義からSDZS時代と言うことかも分からない。未来社会のデザインを考えようという万博なのだ。

 そもそも大阪万博のテーマなる物を記憶している人は居るだろうか。前回の大阪万博は「人類の進歩と調和」次の愛知万博は「自然の叡智」今度の関西万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」 どんどん分かりにくくなっている。要するにテーマとして掲げられるものはないのだ。

 未来社会がそれほど不安定になっている。むしろ「自由と独裁の戦い」をテーマにした方が時代に相応しいだろう。そんなものは金にならない。人を呼べない。お祭りにならない。命の軽い戦争の時代に突入したのだ。日本が軍事国家に進路を変えた時代なのだ。

 それならむしろ、正直に「軍事産業万博」にしたらどうだ。テーマは「未来を勝ち取るデザイン」である。競争主義を押し隠した万博など無意味なのだ。万博に実際に世界で起きている、経済戦争が反映するはずがない。絵空事では未来をテーマにすることは出来ない。

 2025年大阪・関西万博に出展する中国。出展のテーマは『人と自然の生命共同体を共に構築――グリーンに発展する未来の社会』 福島の汚染水海洋放出問題がテーマになるのだろうか。中国はその時でも日本の海産物を輸入禁止にしているのだろうか。

 生命共同体はどうなっているのだろうか。万博の場で、放射能に関するシンポジュームを行ったらどうだろうか。まさに命に関わる共同体の問題である。中国の原発の放射能が安全なものであるのかどうか。福島事故原発をどうすれば良いのか。大いに議論し考えた方が良い。

 と言うことで万博をお祭り騒ぎの絵空事でやるくらいなら止めた方がましだと言うことだ。一儲けなど出来ない時代になっている。維新の支持者は本気で日本のことを考えてもらいたい。維新の会は理念を持って欲しい。目先の金儲けで儲かりまっか。では困るのだ。

 
 
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イスラエルガザ侵攻は不可避

2023-10-17 04:03:05 | Peace Cafe

 田植え3週間の台光の一番田んぼ。サヤミドロが繁茂してきている。その上にはアカウキクサも出てきている。初めての作り直した田んぼなので、肥料分はないのだが、無肥料で始めた。様子を見ていれた牛糞堆肥のよみがえりを入れた効果が出て、サヤミドロやアカウキクサがが出たのかも知れない。

 ハマスが突然イスラエルに軍事侵攻し、1000人もの市民の虐殺を行った。そして百数十人の人質をとった。イスラエルはミサイルによる反撃をしている。地上戦の準備を整えている。イスラエルはガザの住民に対して、ガザの北部地域から、南部に退避しろと命じている。地上戦が近いのだろう。

 地上戦は不可避であろう。しかし、シリアもイランもイスラエルのガザ地上戦を黙ってみているとは思われない。両国にもイスラム過激派と言われるテロ組織が存在する。先ずは過激派がイスラエル攻撃を始めるのでは無いだろうか。ハマスから攻撃を仕掛けた以上、ガザ地区の焦土作戦にイスラエルを引きづり込むための可能性が高い。

 その経過によってはイランの参戦も無いとは言えない。そうなればアメリカも引けないことになりかねない。中国は平和的な話し合いで解決しろとイスラエルに忠告している。是非ロシアにもそのように発言してもらいたい。方角によって発言が変るのでは中国の信用に関わる。

 第二次世界大戦が終戦し、ナチに虐殺されたユダヤ人問題から、国連の主導により、イスラエルにユダヤ人国家が設立されることになる。パレスティナの人達は不当に住んでいたところを奪われる結果になる。ガザ地区とヨルダン川西岸地区に追いやられた。

 アラブ諸国は追いやられたパレスチナの人々の支持を表明し、国家成立直後に1948年には第一次中東戦争を起す。しかし、イスラエルが勝利する。1956年にはイスラエル・英仏軍のエジプト侵攻 したスエズ戦争。1967年には第三次中東戦争。またもイスラエルの勝利。1973年には第四次中東戦争。これもイスラエルが勝利はするが、痛み分け。

 こうした戦争の繰返しの中アラブ連合の結成を行うが、考え方や産油国と非産油国の関係など、対立が相次ぎ結局の所、アラブ連合は分解し、現在に至る。アラブ諸国の複雑な関係が、様々なイスラム過激派を生んだとも言える。パレスチナの問題にはこうした過激派の影響が強い。ハマスは過激派と言える。ハマスがガザ地区の住民を大切にしているとも言えない。

 イスラエルと戦争を行う。しかし、イスラエルはアメリカやヨーロッパ諸国の支援を受け、その都度勝利を繰り返す。そして、イスラエルの領土を広げてきた。その後ノルウエーの仲介によるオスロ合意に基づき、棲み分けが行われた結果が、現在の状況である。

 しかしその和平案もイスラエルは無視して、西岸地区に入植を続けている。パレスチナの人々は今も国家を奪われ、不安定な状況で、イスラエルに圧迫され続けている。そして、パレスチナ暫定政府が頼りないと言うことで、選挙の結果、エジプト国境側のガザ地区ではハマスという軍事政権が出来る。

 この間イスラエルはアラブ諸国との関係改善を模索して、サウジアラビアとの和平を構築しそうになった。これを軍事的奪還を主張するハマスとしては、危機的状況と考え、イスラエルに突然隙を突いて、武力侵攻を行う。イスラエルの油断が言われるが、ハマスは常に散発的な攻撃は繰り返していたのだ。

 サウジアラビアはイスラエルのガザ侵攻を前にして、イスラエルとの国交正常化交渉の停止を宣言した。イラン大統領のライシ氏はシリアのバッシャール・アサド大統領との電話会談で「全てのイスラム教国、アラブ諸国、そして世界中の自由市民は今日、抑圧されているパレスチナ国民に対するシオニスト政権(イスラエル)による犯罪の阻止を目指し、真摯(しんし)に団結し、協力しなければならない」と訴えた。 

 その軍事侵攻の背景には、最近核武装を主張し、世界と対立を深める、イラン政府のハマス支援がある。ハマス自体がそこまでミサイルや武器をため込むことが出来たことは、イランの支援なしには考えられない。ハマスの軍事訓練はイランで行われているという。

 どちらが正義というようなことではない。武力で圧迫を続けるイスラエルも悪い。動じに武力攻撃で市民を虐殺したハマスも悪い。どちらにも正義などない。両者の武力による戦いは問題を解決するどころか、より困難なものにしている。

 国際紛争は平和的な手段で解決する以外に道はないのだ。例え、イスラエルがアメリカの軍事援助に基づきハマスを殲滅することが出来たとしても、それは解決どころ、増幅して行く恨みをアラブ諸国に残すことになるだけである。ハマスの問題だけではないのだ。

 現実にはハマスが突然のイスラエル侵攻を行った背景には、軍事的な準備が整ったと言うことがあると見なければならない。ハマスはイスラエルを自国に呼び込み、徹底抗戦をするつもりだろう。ガザ地区を要塞化しているはずだ。

 イスラエルもそのことは十分承知しているだろうから、かなりの長期戦に成るとみなければならない。またウクライナと同様に世界は膠着する戦場を持つことになる。自由主義諸国と独裁国家の戦いが、今度はキリスト教世界とイスラム教世界との戦いである。

 どちらもそう簡単に片が付くことはないだろう。アメリカはこの二つの戦争の後ろ盾である。陰の指揮者なのかも知れない。しかし、今度のガザ戦争には、ロシアも中国も距離を置くだろう。両国ともアフガニスタン侵攻やウイグル弾圧とイスラム過激派には相当手を焼いてきた国だ。

 最近アメリカはイランの原爆開発から軍事大国化を注意喚起してきた。このことがアラブ連盟全体によるイスラエル戦争に繋がれば、イランという軍事大国とイスラエルの戦争になり、それこそ第三次世界大戦が起こりかねない事態になる。

 国連はまったく機能していない。常任理事国であるロシアが軍事侵攻を行うと言うことで、世界平和の管理など出来る立場ではなく成ったのだ。国連が機能しない以上、このイスラエルのガザ侵攻はもう誰も止めようとする者もいない状況である。

 実際に行われることになるだろう。そして長い戦いになる可能性が高い。こうしてまた世界は戦争の時代に戻ろうとしている。こうなるとますます日本の平和主義の意味が重要になってくる。日本以外に世界平和を主張できる国すらないことになる。

 どれほど無力に見える平和主義であろうとも、人類がこの先生きて行くためにはそれ以外の道はない。武力抗争は問題をより深刻化させているだけのことになる。平和の為に祈ることだって、武力に依存するよりは効果がある。武力は問題を深刻化させるだけだ。

 世界はウクライナとガザ地区に二つの大きな戦争を抱えることになった。この大惨事を世界大戦に繋げないために日本は行動を取る必要がある。即座にイスラエルのガザ地上戦に反対を表明しなければならない。地上戦は世界戦争に繋がり、日本にも大きな影響をする可能性がある。

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