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防衛大学校の下級生制裁

2018-06-30 04:40:49 | Peace Cafe

防衛大学校で下級生を指導と称して、徹底して苛め抜く慣習が暴露された。軍隊につきもののいじめだ。旧日本軍が大変な制裁の世界だったことは、よく聞いている。相撲部屋で問題になる可愛がりと似たような構造である。悪い環境では悪い慣習がはびこる。防衛大学校という組織が、良い環境になる訳がない。ここで学んでいるのは暴力主義である。暴力主義を正当化してしまえば、弱い者いじめで憂さ晴らしする人間が現れるのが、当然といえば当然である。昔の軍隊式という悪習慣であろう。暴力主義というものは普通の人間性があれば、耐えられない世界だから、人間性を失う事を良しとすることになる。正義の為であれば、国の為であれば、人殺しも正しい行為になるという理屈である。こういう馬鹿げた世界では倫理が崩壊する。強いという事が正義になれば、弱い者いじめは気晴らしの様に行われるようになる。この制裁の慣習は裁判によって、初めて表面化した。2年前にアンケート調査で事実は把握されていたにもかかわらず、公表されないできた事実だ。

不都合な真実という奴である。何十年となく慣習化していたと考えた方がいい。こういうところで誕生した人間が今の防衛省の幹部なのだ。たぶん苛め抜いた方が幹部になったのだろう。いじめられた人間は自衛隊には就職しないだろう。そうした自衛隊幹部がいじめられるような人間を蔑んでいる世界なのだ。これが防衛省の、軍服組と言われる人たちの実態と考えた方がいい。アンケートは2014年8月、当時の在校生約1800人を対象に聞き取りなどで実施したが、結果は公表されなかった。暴行を受けた元学生が当時の上級生らと国に損害賠償を求めて福岡地裁に提訴した訴訟で、弁護団が学年ごとに回答結果をまとめた文書を情報公開請求で入手した。その内容はひどいもので、半分以上の人間がこの制裁の対象になり、また制裁をしていた経験があるというのだ。この事実が何故隠ぺいされたのか。この隠ぺい体質こそ自衛隊らしい暴力主義の姿だ。

自衛隊幹部がいじめを行ってきた経験から、このひどい環境を教育の一環として必要悪と考えていたのではないか。相撲部屋がそんなことを言ったところで、強くなれなければ始まらないと、暴力が淘汰できないでいる。こうした悪習というものは、麻薬性がある。いったんこういうところに憂さ晴らしが持って行かれると、年々ひどいことになってゆく。悪い職場では似たようなことが起こる。刑務所の中の世界には、牢名主がいて陰湿ないじめがあると言われる。昔の郵便局でもひどいことがあった。警察官の世界も似たようなことが起きている。武力が嫌という以上に、軍隊等におけるこうしたいじめ世界の方がさらに嫌だ。人間性を最も抑圧する世界だ。たぶん政治家の世界も似たようなことがあるのだと思う。先日、たばこの喫煙問題に対して、国会で意見を述べているガン患者の参考人に対して、「いい加減にしろ。」とやじった自民党議員がいた。この体質である。弱者をいじめることが悪いことだという自覚のない、偉い先生になっている。たぶんこういう議員は秘書に対して、ひどいいじめをしているのではないだろうか。

暴力主義を人間は乗り越えなければならない。武力の強いほうが勝利するというような世界を克服しなければ、人間の世界とは言えない。人間の乗り越えなければならない課題である。平和憲法の示す方角である。強いものも、弱いものも同じ人権が存在する。経済力があろうがなかろうが、同等の尊厳がある。これは理想主義ではない。人間が目指さなければならない、目標である。自衛隊があるということは、あくまで必要悪なのだ。なければその方がいいのだ。自衛隊が災害の時にありがたい存在であるという意味と違うのだ。自衛隊を警察予備隊に戻し、災害救助を種目的なものにすれば、防衛大学校のようないじめもなくなる。正しい目的に向かえば、いずれ悪習はなくなる。私はこういう上下関係のある世界が嫌だから、一人で生きて来たともいえる。人から学ぶという事が出来ない理由はここにある。絵を描くことや農業であれば、上下関係はない。自分の絵は自分の問題である。自分の畑は自分の責任の範囲だ。作物が出来なければ笑われるが、いじめに遭う訳ではない。自給農業者になったのかもしれない。そして、気の合う友人とだけ付き合うという世界である。これから世界は悪くなる。悪くなれば、競争主義は激しくなる。そして、いじめも横行する。いよいよ、気の合う友人と良い世界に閉じこもるしかないのか。

 

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AI知育玩具、遊んで考える

2018-06-29 04:46:02 | 身辺雑記

AI知育玩具というものが、東京おもちゃショーに出ているとある。これからどんどん出てくることだろう。はたしてAIは人間を成長させるのだろうか。おもちゃ会社が知育玩具を売りにする根拠は、AIが子供をダメにするだろうと考える人が多いい事を逆手に取っているようなものだ。ファミコンゲームばかりやっていて、勉強をしない。これが多くの人の気がかりなことだろう。ゲームというものは麻薬的な性格がある。私も何度かはまり込んだ経験があるので、この点はある程度は理解できる。子供がゲームばかりしてという状態は想像できる。藤井壮太7段が登場して、将棋ばかりしてと親の心配は減ったのだろうか。将棋は知育ゲームなのだろうか。AIゲームもアジア大会には競技種目になるらしい。オリンピック種目になる可能性も高いとのことだ。なぜAI玩具が知育を掲げるかと言えば、子供がのめり込んでいる内に知育の向上になるとすれば、良さそうというか、売れそうだからだろう。実際のところはそういう知育玩具はまだできていない。

発想は悪くない。数学ゲームにのめり込んでいたら、数学ⅡBで満点をとれたというなゲームがあれば、大いに助かるだろう。そういうゲームが工夫できるかどうかはちょっと想像もできないが、あれば悪くない。好きなことだけをして生きて行きたいというのが、私の信条なのでそういう事があればいいと思う。私は生物関連は子供のころからそれなりに興味があった。鶏の研究者になって、鶏を飼育し、改良する人間になりたいと、6歳ごろから考えていた。ところが、鶏を研究する道には進めなかった。研究者になるには、受験勉強とか、第2外国語とか、その道で生きてゆくためには、好きでないこともやらなければならないようだった。それが耐えられない性格である。それでも鶏を飼いたいので何とか好きな日本鶏を飼育出来る道を選んだのが養鶏業だ。しかし、確かに学問的な部分で不足が大きく、趣味の範囲を超えることはできなかった。結局のところ学問的ではなく、趣味的なアプローチで極めるつもりで鶏を飼った。

実際にやるという事と、頭の中でやるという事とは似てはいるが、やはり違う。面倒くさいし、億劫ではあるが、実際に身体を動かして行動しながら頭を働かせるという事は、観念とはずいぶん違うものになる。鶏の餌のやり方の良い方法は、自分なりにえさを与えながら、試行錯誤して見つけるものだ。この餌やりというとても面倒くさいことを毎日繰り返し地道にやれるのは好きだからの人とお金の為の人がいる。お金の為の人は手抜きの養鶏業に進む場合が多いい。平飼いとか、自家配合飼料とか、無意味なことを得意げに書いて、まるでサプリメントの効能書きのような養鶏になる。金儲けはろくなことはない。趣味の横好きの方が、本質に近づく道である。だからAI知育玩具には期待できる。数ⅡBが満点取れるようになってなんだという事なのだ。どうせ受験勉強などというものはその程度のものだ。通過儀礼のようなもので、その内容に意味がある訳ではない。古臭い企業が学歴を重視するのは通過儀礼を重んずるからだ。

そして期待できるAI玩具で何を失うかである。嫌な受験勉強をやって何を失っているかである。大切なものをずいぶんと失う。何かを得るという事は何かを失うという事だから、それはそれでいいのだろう。生きる方角が見えれば必要なものは分かる。生きるものが分かるためにはどうすればいいかであろう。AI玩具で遊んでいれば生きる方角は大体想像できる。身体を動かさない人間である。身体で学ばないことでは生きる方角は見えないと私には思える。疑似的知識がAI玩具で増えれば増えるほど、身体で感じ育つ感性は衰退することだろう。羽生竜王がどれほど素晴らしい人間であるとしても、AI玩具をしていて、あのような人間が出来るわけではないこと知らなければならないだろう。

 

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朝鮮半島の非核化

2018-06-28 04:15:40 | Peace Cafe

北朝鮮の主張する朝鮮半島の非核化は当然の主張だ。世界が非核化されるという事が必要なことである。日本は強くこれを主張する権利と、責任がある。それは平和憲法に定められた当然の主張だ。日本がアメリカの核の傘の下に所属し、属国化した姿を良しとするアベ政権の見苦しさを、日本の保守勢力は何故同調しているのだろうか。奴隷の自由で良いというのであろうか。武力が強い者が、経済力の強い者が、弱者を支配する世界を認めてしまって良い訳がない。これは理想主義でも、現実主義の問題でもない。人間の自主独立という人類の存在意義にかかわる問題である。北朝鮮が国家としてその基本的な権利を掲げている以上、論理上はそれを否定することはできない。北朝鮮と話し合いをするという事は、力の外交から当たり前の外交に入ったという事である。トランプアメリカがその話し合いに乗ったのは、自分たちの国に核ミサイルが届くことがまじかになったためである。

話し合いである以上、無条件に北朝鮮に核ミサイルを放棄しろという事は難しい。朝鮮半島を非核化するという意味は、韓国たぶん日本を含めて、非核化しろとアメリカに要求しているのだろう。自国と自分の安全を考えれば当然の主張である。本来であれば、アメリカの核武装も放棄しろと主張したいところだろう。核武装国だけが自分たち主張を貫けるという事であってはならない。トランプの主張する一国主義はそういうものだ。日本やドイツやイタリアが敗戦国であるが故に核武装できないという事自体がおかしい。世界が等しく核放棄するための道が核武装できない日本が目指す外交の方向でなければならない。核保有国の核の意味が、戦争抑止力という物であるなら、国連に核兵器を管理する組織を作るべきだ。そして、アメリカの傘をお返ししようではないか。核の傘の代金をよこせというのがトランプアメリカの言い草である。良い機会である。アメリカに日本から帰ってもらおうではないか。

この先、2,3年の世界情勢はアメリカと中国の対立の方が大きな課題になるだろう。中国は経済成長をしている国である。日本の多くの報道は一貫して中国の経済破たんを、希望の様に報道してきたが、そんな訳もない。中国人には極めて優秀な人がいる。その上性著したいという活力がある。人間に上昇意欲がある。ここが日本人とは全く違う。農村の経験では、農家の親父さんの中にも、すごい人たちがいることを実感している。ともかく反応が良いのだ。昆虫養殖など民間から政府まで本気でやっていた。これは忽ち日本は追いつけなくなると感じた。地域全体の意気込みが、行政から村人ひとりまでが24時間働けますか的にやっている場所もある。政府の強制力が働いている。この村は果樹となれば、有無を言わせずである。食糧危機への大きな危機感がある。自力更生が当たり前である。日本が中国を軽んじている間に、アメリカは対中国を真剣に考えざる得ないところに来て、貿易戦争を始めた。北朝鮮問題も、実は中国問題が底流にあると考えた方がいい。いつ和解して、日本が捨てられるかは考えておかなければならない。

トランプの貿易戦争は、目先の金儲け話だ。貿易不均衡を理由にしている間は良いが、貿易赤字はかならずしもアメリカ不利益ともいえない。日本も高度成長期はつも貿易赤字が問題にされていた。輸入しているものが大きいとすれば、それはその国で作るより有利なものなのがたくさん入っている。それが国力を蓄積することにつながるものであれば、良いのだ。中国製造品が安いから輸入する。アメリカで作れば高くなるから中国で生産している。トランプの娘さんのやっているブランドも中国で生産している。トランプはそういう事は十分承知の上で、商売上の交渉を有利にするために、関税を持ち出しているに過ぎない。自由貿易から方向を転換するというのは、交渉の条件に過ぎない。自由貿易で一番得をするのが、大きな強い国であるのは当たり前のことだ。日本はアメリカとどこで手を切るかが重要である。

 

 

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平成天皇の退位

2018-06-27 04:31:21 | Peace Cafe

平成天皇は来年4月30日に退位することが決まっている。平成天皇は象徴天皇の意味を確立しようとした人である。権力にならない象徴であるとの意味をどのように確立するかに苦心した。それは政治利用されない存在としての象徴と考えても良いのであろう。権力は常に天皇を政治利用しようとする。そう考えておかなければならない。権力を持たない天皇とは江戸時代の様な立場であろう。明治政府の帝国主義が天皇を権力として利用した。こうした利用の仕方は天皇というものの本質をないがしろにする、日本という国柄として誤った天皇の扱いだと思う。天皇というものを武力の最高権力に崇めるなどという事は、あってはならないことだ。まず、この明治政府の作り上げた帝国主義天皇という幻影を払しょくすることが、象徴天皇を考える上での重要な視点になる。いまだ、天皇を明治帝国主義と結びつけて考える、ゆがんだ天皇主義者がいる。特に天皇を政治利用しようとする人間にはその傾向が強いので、注意しなければならない。

日本という国柄においては、天皇という存在は文化や伝統の継承者である。特に稲作文化を司る存在と考えていいのであろう。村の鎮守の五穀豊穣の神官の元締めの様な存在である。稲作の水土を束ねる渡来技術の統括者でもある。さらに日本古来の民俗的信仰の継承者でもある。古代においては、先端技術は呪術的要素とないまぜなところがあり、呪術的なままに、科学的でもある。瑞穂の国としての日本国が形成される過程では天皇という存在が、武力ではなく技術として、そして信仰として、文化として、日本国を統治していったのではないだろうか。武力ではなく、文化力や科学性において、国を統治したというところを深く思いを巡らさなければならない。平成天皇の示した、平和主義者象徴天皇の姿と重ね合される。天皇が平和主義を貫くこと以外に存在の確立はあり得なかったのである。この卓見は評価されなければならない。

私が天皇にこだわりがあるのは、イネ作りをしているからだ。共産主義的な考えを持つ私が天皇に興味を持ったのは、修学院離宮の造営という事を知ったからだ。栃木にあるアジア学園では山の斜面を利用して、循環し、その場で完結できるキリスト教的農場を作ろうとしていた。一番上に住まいを作り、そこで使う水を下の池にためる。下の池では養殖がおこなわれている。そしてその水がさらに下の田んぼを潤す。これは私が小さいながら、山北の自給生活で作り上げたものと同じであった。暮らしというものを突き詰めてゆく形に自分の生き方を重ね合わせようとした。生きるという事は循環の輪の中に自分を溶け込ましてゆくという事だと考えるようになった。その循環の輪の理想が、修学院離宮に重ね合された。そこから天皇の在り方に興味を持つようになった。日本国自体が、大きな循環の輪になる。世界全体が循環の輪になる。その循環の中に一人一人の暮らしが織り込まれる。この具現化が、修学院離宮ではないかと考えるようになった。

平成天皇の退位に伴い、天皇は京都に帰るべきだ。京都に戻り、象徴天皇としての在り方をさらに、高めることが日本の象徴になる。何故、政府が天皇を東京に止めるのかと言えば、それは明治政府が都合よく利用する意図と大きくは変わらない。現実政治に都合よく利用したいからだ。勲章と名誉で人を操る発想である。江戸時代の天皇家は京都にあった。徳川幕府は一定の距離を持ちながら、その存在を尊重した。そして、桂離宮や修学院離宮が造営されたのだ。京都において、神官として、文化人として、尊い存在として文化的な一つの核をなしていた。象徴天皇というものは、日本人を慰め、共感する存在である。喜びを分かち合い、悲しみを共有しやわらげる存在である。海外からの来賓を迎える役目もある。そうであるとすれば、どのように考えてたとしても、京都御所に暮らしていただく方が望ましいであろう。天皇を尊重するものが何故京都に戻ることを言わないのか不思議でならない。天皇主義者を名乗るも、実は天皇を利用したい帝国主義者に過ぎないのであろう。

 

 

 

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賭博場解禁法案が

2018-06-26 04:19:13 | Peace Cafe

賭博場解禁法案がいよいよ国会で強行採決されそうだ。この法案の狙いは、日本人骨抜きにするための法案である。日本人がギャンブルを楽しむようになるための法案である。そしてできれば依存症になり、政治になど関心のない人間にするための法案である。社会がおかしくなっている分、麻薬的な息抜きが必要という事である。日常の憂さをカジノで息抜きをさせようという苦肉の策なのだ。日本の社会が格差社会になる。下層に位置づけらた人の不満が蓄積する可能性がある。そこで社会的な息抜きを作らなければならない。青少年のゲーム三昧も悪いことではないという事になる訳だ。一部の優秀な人材が育てば、後はカジノやゲームをしていて、不満を口にしないような人間であればいいというのだろう。人間から牙を奪う事になる。独裁政権としては必要な社会コントロール法なのだ。政治への関心が無くなれば、政府は勝手なことができる。麻生氏は新聞を読まないものは、自民党支持者だとお茶らけたが。まったく冗談にもならない。それなら産経新聞の読者はだれを支持しているのだろうか。そうかあれは、新聞の名にも値しない右翼広報誌か。

最近ひどいことが起きすぎる。何故、カジノを日本の社会に持ち込まなければならないのか。理由が全く理解できない。カジノが活発化すれば、景気が良くなるという。騙されてはいけない。そんな馬鹿なことがある訳がない。カジノの経営者が儲かるという事だろう。カジノの経営者は外国資本か。そういえばトランプもその一人か。アメリカに貢ぐためのシステムそのものではないか。さすが、お友達政治の安倍晋三である。トランプアメリカを忖度しているのだろう。カジノでお金の周りが良くなったと言っても、虚業である。実業とは違うのだ。それなら暴力団が日本の景気を良くしてくれるから、合法化すべきだともいえるだろう。経済はお金が回ればいいという事ではないのだ。しっかりした実業として、生産を上げるものを活発化しなければならない。娯楽の効用がないとは言わない。しかし、依存症になるような娯楽を政府が奨励するなどとんでもない亡国政府だ。

カジノぐらいどうでもいいだろう。大したことではない。たまにはカジノに行ってみたいくらいだ。きれいごとばかり言うなと。そういう、日本人の方が多そうなことは分かる。賭博好きがまともではないとは言わない。賭博をやっても依存症にならない人がいることもわかる。人間それで当たり前だと思う。しかし、何にでも行き過ぎという事はある。日本はすでに、パチンコ屋が住宅地まで進出している賭博に関して異常な国なのだ。パチンコ屋の実態は十分に賭博場である。身内にパチンコ依存で人間失格になったものがいるので、その怖さを十分に知っている。私は依存症になる人間である自覚がある。自身フランスにいた時、ビンゴゲーム依存症になったので、依存症の恐ろしさもわかる。そう簡単なことではないのだ。何でもない人もいるが、一度はまるともう逃げられない泥沼に落ち込む。将棋依存になったこともある。歯止めになったのは、賭けごとを極端に嫌った父親の考え方で止まった。本当に麻薬と同じだ。自分の理性では抑えきれない、悪のパワーがある。

日本には幸いにもカジノはなかった。公営ギャンブルは少し下降気味である。このままやる人が減少して消えてもらいたい。カジノを必要としている自民党と公明党は、カジノの本当の目的を明確にする必要がある。人間には賭博がなぜ必要なのかである。ここを議論せず、景気対策で誤魔化してはならない。カジノがどうしてもやりたいなら、マカオでも行けばいいではないか。ラスベガスでも行けばいいではないか。悪事にはそのくらいの距離感がちょうどよい。アベ政権のソフト独裁にはまってはならない。まさにカジノ愚民政治なのだ。アベ政権は次々に日本をダメにしているが、賭博導入はさすがにダメだろう。もう程度を超えた。限界を超えたアベ政権を許している日本人はもう駄目なのだろうか。トランプを支持するアメリカ人が多いいという事も恐ろしい。世界はもう駄目なのだろうか。世界はどこまで転げ落ちれば止まるのだろうか。政府とは別に自分たちの生きる枠を模索しなければならないのだろうか。

 

 

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連ドラ「半分、青い」

2018-06-25 04:24:29 | 身辺雑記

NHKの連続テレビ小説は大抵は見ている。「半分、青い」を今やっている。漫画家になる話である。岐阜の田舎町から、出てきて漫画家になるまでの定番の状況物語だ。漫画家の話という訳で漫画のような話なのだが、あまちゃんほどの飛躍はない。今回は気に入ったというほどのものでもないのだが見ている。漫画を考える前に生きろと教えるところは、そういう事だと思った。モノを作るという大変さのようなものは、わずか表現されているか。この舞台になっている売れっ子漫画家の先生のアトリエが、セツモードセミナーを思い出させる場所なのだ。マンガ家はどこか長沢先生を思い出させるような人物である。一見冷たいような優しい暖かい人だ。3人の弟子がいて、まるでセツの生徒たちのように見えてしまう。ふわふわな感じだ。クロッキーをやる場面があったが、何処で見ていたのかと思うほど感じが出ていた。中庭があり、アトリエがあり、違う階に先生の暮らしている部屋がある。長沢先生の階段を下りてくる登場。あの感じだとわかる。

これを作っている人は長沢先生を知っている人ではないだろうか。セツの生徒なのかもしれないとまで思える時がある。似たようなアトリエがまだほかにもあるのかもしれないが、台詞がセツさんが言いそうなことを語るので何かおかしな気持ちになる。余計なそんなことを思いながら見ている。私は外部の人間だったのだけど、案外によくセツには出入りした。何故だったのだろう。セツさんには私は厚かましくても大丈夫だった。長沢先生には作ったネクタイをプレゼントしたことがある。草木染めをやっていた時に、最高の出来だったから献上したのだが、2年ほどしてあるとき、私はネクタイはしないからと言って返された。私は節さんにネクタイをしてくれという事ではなかったのだが。あの何とも言えない感じは独特だった。私は勝手にセツさんに不思議に近しい感じを抱いていた。長沢先生さんは生徒にはやはり、教師として接していたのだと思う。そういう昔風の姿勢は結構厳格なものがあるようだった。

長沢先生さんは新しがりであった。都会風であったりするところが、むしろ、会津から出てきた上京物語の中の人だ。最先端を気取る地方の青年だったのだと思っている。会津にいた時のモダンボーイの長沢先生はどんなだったのだろう。義の世界の中のセツさんはやはりいたのだと思う。セツモードは今はもうない。あの不思議な場はセツさんがいなくなれば終わりになるのは当然のことだろう。長沢先生が特別な人であったことには変わりがない。絵を描くという事の大切な意味は教えられたように思う。具体的に私の絵をあれこれ言ったことはなかったが、半分青いを見ていると、あんなこと言いそうだな、ああいう事を言葉にせず教えてくれたんだと思うときがある。あの頃は個展ばかりやっていた。必ず見に来てくれた。それがすごく励ましになっていた。長沢先生がいろいろの人も紹介してくれた。春日部洋先生との最初の出会いも、一緒にやられていた、グループ展の時だったようにと思う。

私は半分セツ派とされてきた。絵描きとしての長沢先生とは一番近いような気すらしている。長沢先生は水彩画しかやらなかった。若いときには油絵も描いたとは言われていたが。現場主義であるところも一緒だ。中版全紙にしか絵を描かなかったことも同じである。絵も似ているのだろうか。アマルフィーを描いた傑作は今どうなっているのだろう。セツさんの絵は早い。早く描くのを自慢しているようなところがあった。その速さがはまったのがアマルフィーの絵だ。テレビの漫画のことだ。今の時代絵描きになる話しではドラマにはならない。漫画家になるというのでなければ、今の時代の話には繋がらない。絵を描くという行為が良いご趣味の世界としか認識されていないからだ。それはどうでもいいけれど、半分、青い。には物を作るというという事が、いかなることなのかは示されている。何もないところからひねり出す。結局のところ自分という人間を絞り出すほかない。自分はどうすれば絞り出せる果実に成れるのか。連ドラがこういうところにも話をもって言ってくれれば。

 

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沖縄鎮魂の日

2018-06-24 04:33:54 | Peace Cafe

相良倫子(さがらりんこ)さん(14)が、自作の平和の詩「生きる」を朗読した。立派な詩であった。「平和とは、あたり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きること」この今の日本の現状を思うと、不甲斐なさに申し訳なくて聞いて居られないような詩だった。平和は普通に生きることと言い切る。普通に生きるという事が出来ない沖縄の現状が思い起こされる。次々と米軍飛行機の事故が起きている。日本政府の抗議も全く無視されている現状がある。射撃場からは流れ弾が、外まで飛んできている。それでもいてくださいと縋り付くしかない日本なのか。「一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。つまり、未来は、今なんだ」これは県平和祈念資料館が募った「平和の詩」971点の中から選ばれた詩だという。沖縄の中学生の高い文化的資質に驚かされる。沖縄は言葉の優れた土地だと思う。

沖縄県尾長知事の冒頭の亡くなられた人への思いが、沖縄の現状への静かではあるが、深い悲しみの言葉があった。70,3%の米軍基地がある現状の固定化。辺野古米軍基地問題への怒り。米軍事故への抗議。そして、安倍総理大臣の来賓あいさつが、立派な言葉が連ねられた。言葉道理であれば、なぜ沖縄の現状は変わらないのであろう。まったく空々しい言葉が流れた。誰かが書いた言葉としか思えない。この人には相良倫子さんの平和への怒りは伝わらなかったのだろう。終わってからの挨拶では、米軍が射撃場を使用しないと約束したと手柄顔で話した。沖縄の海に墜落した戦闘機の問題は何故取り上げないのだ。まだ1カ月もたたない事故だ。2日後には飛行が再開されている。米韓軍事演習は中止された。場合によっては、朝鮮半島から米軍が引き上げる可能性も出てきた。米軍が存在するという事が、紛争の原因になることもあるのだ。

沖縄では自衛隊基地の増強が計られている。たぶん米軍の引き上げ後を想定しているのだろう。少々の基地など作って平和など来やしない。中国の軍事力の拡充に対して、武力で対抗などもう日本にはできないのだ。韓国政府は米軍の引き上げを望んでいるのだろう。お金を出せないと言えば、米軍は引き上げてくれるそうだ。日本は北朝鮮が平和国家になるために、経済復興にお金を出すことになる可能性が出てきた。もし、その可能性があるなら、アメリカに出すよりよほど有効なお金になる。北朝鮮にも当たり前に生きる日常はない。米軍に依存した安全の中に生きている間に、東アジアでは、安全に生きるという意味が狂ってしまった。武力による均衡に保たれていることが安全ということではない。武力など持たずに、核ミサイルを放棄して平和国家になる。北朝鮮にそのことを要求する以上、日本も率先してその道を歩む必要がある。そう出なければ、あの中学生に恥ずかしいではないか。

「生きる」ーーー相良倫子

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕(はら)んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶(いなな)き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線(さんしん)の響き、

照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面(みなも)は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎(ちみもうりょう)の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚(あびきょうかん)の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁(まぶに)の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、

宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭(いと)わないことを。

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

(東京新聞)

 

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ジャガイモとタマネギの収穫

2018-06-23 04:25:08 | 自給

ジャガイモとタマネギの収穫が終わった。どちらも畑の会として、みんなの畑の中で行った。一人でやるより半分ぐらいの労力で終わる。参加者の中には全く初めて畑をやったという人もいた。東京から参加した人もいたが、収穫まで可能だった。費用はジャガイモの会が一人100円で、自分で種イモを準備。人によって栽培面積は違ったが、10キロの種ジャガを植え付けた人が多かった。一番多かった人は130キロもありそうという事で驚きである。自給農業の優れていることがわかる。私は去年と同じ80キロだった。畑に良い場所と悪い場所があり、良いところの人は難なくできたようだ。良い土壌を作るという事が、自給農業の最善最短の方法なのだろう。有機農業というように使ってはいけない農法があるが、どういう農法が自分の食べるものとして最善であるかを追求するのが、自給農業である。農薬や化学肥料を使わないというのは、自分の考え方である。自給の農業であれば、使う必要がないという事が分かっている。

田んぼでも畑でも良い土壌を作るという事が目標である。諏訪の原の畑は5年ほど作られていなかった畑だが、草だけはハンマーカッターで時々刈り取っていたと聞いている。隣の畑に近い方が良く刈ったという事で、手入れの少なかった、北の奥の方が出来が悪いという事らしい。草というものが土をよくするという事をこの畑で実感した。できたジャガイモの食べ比べをやった。10種類以上のジャガイモを食べてみたが、同じ畑で作っても品種によってずいぶん味が違うものだと思った。確かに私の男爵よりもおいしいジャガイモはあったが、保存性はやはりもう一つらしい。半分ずつ作って、男爵は保存するという事もあるかもしれない。私は昔から、男爵一本である。保存性が良いからである。ジャガイモは一年間食べるつもりだなのだ。80キロあると一年間十分である。ジャガイモは長らく自給してきている。半年以上保存するジャガイモは別にして保存している。紙で覆い、段ボールに入れて目張りをする。真っ暗の中に保存する。出来るだけ涼しい床下の様なところに入れておく。これでほぼ一年保存ができる。今は日陰干しをしているが近いうちにしまう事にする。

タマネギは37キロできた。一日100gだから、これも一応一年食べれる量が収穫できた。参加費は1000円である。タマネギは種が高い。種は高いうえに保存がきかない。苗作りも手間取るが、今年は良い苗が出来た。種からすべてをやれたのは初めてのことであった。苗は良かったのだが、今年借りた畑が良くなかった。タマネギの畑は経験がないほど草がひどい畑だった。あれほど草のひどい畑は見たこともない。あの畑は数年は田んぼにするしかないだろう。何度草取りしても追いつかなかった。草がひどすぎて畑には無理という場所があるという事を経験した。スギナである。畑の土のすべてがスギナの根と言いたくなるほどである。除草剤を繰り返している内に、スギナだけが残ったという感じだった。もうあの畑は嫌だ。懲りた。トラックターが入らない畑だから、畑としては直すことができない。

ジャガイモの後には大豆を撒く。ジャガイモやタマネギと大豆の2毛作は合理性がある。時間的にも余裕がある。畑の様子で、そばかすを撒いた。大豆は肥料をやると草ボケすると良く言われるが、自然農法ではまずそういう事はない。化学肥料を使わないと、大豆が草ボケするほどの窒素分はまずない。鶏糞や牛糞のような動物系の堆肥を入れれば、何か起こるかもしれない。ソバカスとか、米ぬかとかを3週間前に入れるくらいであれば、大豆がおかしくなるなど言う事は起きない。そばかすを撒いて、一度耕運しておく。そして大豆を播種する直前にもう一度耕す。こうするとかなり草が抑えられる。畝間は70㎝にする。耕運機が通るからだ。耕運機を通すと草刈りがだいぶ楽になる。昨年は何故か発芽がうまく行かなかった。原因は完全には分からないが、ハトの可能性が高い。今年はハト対策である。

 

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映画:「万引き家族」

2018-06-22 04:33:29 | 

カンヌ映画祭で最高賞を受賞した、是枝裕和監督の「万引き家族」を見に行った。小田原のTOHOシネマである。100人ぐらいは入っていた。さすが受賞作品は違う。すぐれた作品である。心をえぐる作品である。身も心も切り刻まれるような痛い映画だ。余りに凄まじくて、直ちには言葉にならない状況にまだいる。人間が生きるというどうしようもない悲しみがにじみ出ている。心の奥の奥の方をえぐられた感アリ。見ないできたものを、さらけ出されたという感じ。まったく突如、死んだ父と母を思い出した。この年になって縋りつきたいような気持だった。悲しさは喜びよりも強く記憶に残っている。人間が存在することの悲劇性のようなもの。すごい映画だなあ。日常の中のドフトエフスキーか。日本にはこんなにもすごい映画人がいるのだ。日本という社会の上滑りな実相の裏側にこんな地獄の世界がある。どうしようもない人間の生きること。どこまで行ってもあの嘘で塗り固められているアベ政権を支持する、日本人というどうしようもない現実までもが重なり合う。

悪の意味を実感させられる。人間というものが引きづっている、悪。少年の中に芽生える、正義の意味。命に代えられる正義などあるのだろうか。正義を飲み込むこの不安定社会の暗闇は底なしである。意味なくわが子をいたぶってしまう人間の意味。わが子を苛め抜くような人間の歪みはどこから生まれるのか。人間本来の病気なのか。社会の病なのか。歪み始めた人間は何処に行くのか。幸せな家庭は軒先から焔が揚がっている。卑劣と呼ぶしかない幸福がある。全ぶ嘘なんだ。嘘だったんだ。人間の奥底に横たわる、暗い焔。暗ければ暗いほど、燃えが揚がる幸せ感の不安定な世界。命というもののどうしようもなさ。心はいつも道を探し、道に迷い、止まる。動けない命。それでも這いずり回る命。子供という一人では生きられない命の哀れさ、悲しさ。どうしようもなさ。この話はまぎれもなく私のことであるという耐えがたい痛さ。卑劣な人間の真実。きれいごとの表面性が脱ぎ取られる。

この映画がフランスで評価された意味をかみしめる。フランスは映画国である。学生は文学のように映画を語る。日本の昔の学生が文学青年であったように、フランスでは映画青年がいる。映画の芸術性、文化性が高く評価される。この日本の病巣のような複雑な映画が、フランスで評価されたことに驚きがある。世界の映画人の見識。フランスの文化レベルの高さ。アンドレマルローが日本美術を理解できたように、フランスの評論文化の深い思想を思う。受け止める文化があるからこそ、この理解しがたい日本社会の特異性を理解しえたのだ。犯罪というものを通して家族を描く意味。万引きをしながらしか生きることのできなかった家族の幸せ感はあまりにも悲しいだろう。万引きした飴が甘いわけがない。苦い飴を幸せとする、悲しい虚構。万引き家族は、思いの家族である。血族ではなく、気持ちで仮想される家族。疑似的家族にフキ寄せられる下層社会。下層であるが故の生きる日々の生々しさ。傷を刻み付けながらしか生きられない苦界浄土。痛みが故の救い。分断された社会。階層化され上昇のできない絶望の社会。

社会のシステムが完全に無意味化している。児童相談所の現実遊離。警察を代表する社会と言う法律に準拠する社会の陳腐化。児童虐待防止のキャンペーンが行われている。日本では毎日一人の子供が虐待で死亡している。この目をそむけたくなるような事実に向かい合う必要がある。子供はどれほどの虐待を受けても、本能的にその親に助けを求める。まさに地獄である。それを防ぐことのできない病んだ社会がある。競争主義に踏みにじられる人間性。敗れるたものに待っている地獄。子供をいじめること以外にはけ口のない病んだ親。その病んだ親をどうにもできない社会。児童相談所の職員を今すぐ倍にするくらいのことは、出来るはずだ。待機児童などいない社会を今すぐ作れるはずだ。日本は虐待防止予算の対GDP比ではドイツの10分の1だそうだ。アメリカの130分の1だそうだ。国際競争力の前にやることがある。日本の危機は、日本社会が危機的状況にあるという事に気づかないところにある。

 

 

 

 

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春分の日に始まり夏至まで

2018-06-21 04:48:03 | 稲作

イネの種籾は春分の日に海の水で籾洗いをした。そして3週間川の流れの中で浸種をした。その後2週間冷蔵庫で5度で保存。そして、苗床に種まき。育苗は5週間。4,5葉期の苗を田植え。そして4週間が経過して、夏至になる。8,5葉期となっている。春分の日は昼と夜の時間が同じ日。夏至は昼の一番長い日。夏至になるとイネ作りはめどがつく。今年の稲作が定まる。作物は自然の巡りのなかにある。毎年気象は揺れ動くが、イネ作りでは天候の長期予報で、種まきの時期をずらすというようなことはしない。冷夏予測であっても、籾洗いは春分の日だ。そして、夏至の今日は人間の心もすっかり全開である。こうして、太陽暦に併せて作業を決めたのは大きな根拠がある訳ではない。しかし、こう決めておけば忘れないという事だ。このほか大豆の種まきは七夕の7月7日と覚えている。麦の種まきは11月11日としている。そう覚えておけば、作業や心の準備ができるからだ。

私は太陽に併せて農作業を組み立てる。太陽の影響の大きさは空想ではなく、現実のことだからだ。霞を食べるわけではなく、実際のお米を少しでも多く収穫したいので、太陽に併せて農作業は考える。日照不足は作物には極端な影響になる。以前麦畑に農作業小屋の形の影に生育の悪い場所が出来た経験がある。当たり前すぎるが、日照の少ない場所では作物は生育が悪い。イネ作りでは日照の影響はは冬の作物ほどではないが、収量には10%程度の違いが確実に起こる。日照の悪い田んぼでは、肥料を増やす。堆肥を多く入れる。3度代かきをする。草を徹底して取る。コロガシを多く入れる。冬場の緑肥は特に生育が悪いから、外から堆肥を持ち込まざる得ない場合も出てくる。しかし、春分の日から夏至に至るまでは日陰の田んぼであっても、かなりの日差しを貰えることになる。日陰の藤垈で生まれ、陽射しのありがたさは人一倍感じている。

これは石垣気象台の写真。太陽が真上に来るので日陰が真下にだけしかできない。

 石垣島で驚くのは絵を描いていて日影がないという事だ。朝夕は遮光になり日影が生まれる。それが日中には日陰が一切ないという風景になる。見慣れた風景は日陰がある風景なのだ。夏至の南中時刻であっても日陰が出来るのが、関東当たりの景色である。いつの間にか風景というものの動きを見るときに、ものそのものよりも、印影というもので見ているという事に気づく。陰影がなければものを把握することができない人間になっている。今の所朝夕しか絵が描けない状態である。イネ作りも日陰のない強い陽射し、長い日照時間。ずいぶん違うものになることだろう。石垣島は北回帰線から1度弱しか北に離れていないので、夏至の日の太陽南中高度は89度。南中時の日影はほぼ真下になる。これは昼間の風景をずいぶん違うものにしている。農業にも影響があることだろう。

 農業に影響があるのは当然としても、人間にも影響しているのではないだろうか。陰影がない世界で物をとらえるとしたら、一面的になるのではないか。物の量とか、動きというものの把握が陰の存在によるとすれば、人間のなかにある直接は見えないところにこそ、その人間を形作るものがあるのだろう。その人が隠している闇の部分にこそ、その人の本質のようなものを形作る何ものかがある。たぶんあるのだろう。琉球文化は絵画表現というものが乏しい。織物と音楽があれほど高度な文化に成熟しているにもかかわらず、絵画的な表現はさみしいものがある。この原因は影のないという事で、視覚的な表現が発達しなかったのではないか。表層的な見方かもしれないが、自分が絵を描いてゆく上で、留意しておくべき点と考えている。

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田んぼを描く

2018-06-20 04:06:37 | 水彩画

田んぼの空。この空の中を歩きながら、草取りをする。しかも、田んぼは底なし沼のように緩んでいる。恐ろしい場所である。しかし、この実りで自分が生きている事は確かだ。人間が生きるという事が、この田んぼの宇宙にあるような気になる。

下の写真の場所を描いている。田んぼの向こうは柿と栗の畑がある。その木陰に陽だまりガーデンがある。

絵と写真ではまるで違う。人間が見るという事はなかなか複雑である。

今年も田んぼを描き始めた。田んぼが一番美しいのは、田植え3週間後である。まだ水面が見えて、空が田んぼに写るころだ。小田原では丁度この頃梅雨になる。この雨に打たれた濡れ色の田んぼの姿が良いのだ。田んぼは少し上から描かないとならない。水面が見えないからだ。上から見ると田んぼの形が見えるのも面白い。畔の脇に車を停めて描いている。勝手な位置から絵を描けるのは自分の田んぼだからだ。あのイネは分げつがまだ来ていないとか。もう60㎝にもなった戸か。いろいろ思いながら田んぼに移る空を見ている。雲が流れてゆく。雲の間には稲が揺れる。イネの影が縞模様になって流れる。田んぼの地面は様々な表情を見せる。その上に波紋を描く水面が重なる。3重にも4重にも風景は重なり、複雑な混沌とした世界になる。その中をオタマジャクシがうるさく泳いでいる。この視覚的に重層する視覚的なものを、濡れるような、足が沈み込むような、田植えの感覚で見ている。

種籾田んぼ

畔が区切る線は強いものだ。畔の緑の線で形ができる。その形が連なりながら、動きを生み出す。その動きは田んぼの向こうの林に繋がる。そして雲にそのまま抜ける。その抜けた動きが田んぼの水面に写った空に戻ってくる。この永遠に廻り続けるような、時間の動きのようなものを田んぼの複雑な水面を描きながら見ようとしている。それは田んぼが食べ物を作る場所だという事。その食べる人を作るというようなことにまで及ぶ気がする。この美しい場所で働くことで、自分のという人間が少しは洗われてましになれるような気がする。

田んぼの道を作る。この道はみんなで作った道だ。土を運んで農機具が奥まで行けるようにした。大変な土木工事であったが、こうして美しい道になった。その土地に必要なものは美しい。

田んぼには一日3回は行く。行ってしまう。田んぼを見ているのが好きだから。今年は稲の葉っぱに番号を振っている。5番目に出た葉から、6,7,8とマジックで書いてある。イネのは葉だいたい1週間に一枚出る。今8枚目という事は種をまいてから8週間が経ったという事になる。田植えをしたのが5枚目の時だ。田植えから3枚葉が出た。いつもイネを見ていると、7枚目の葉だな。8枚目の葉だと。判別がつくようになる。8枚目なら、葉の幅は10ミリは超えないと。長さもぐんと長く60センチ。葉の色もぐんぐん緑を増してくる。この緑の濃さで土壌の肥料分が分かる。土壌の微生物の状態も想像する。私が田んぼを描くという事はそういう事を含めて田んぼを描いているのだろう。去年の9葉期より、色が浅いなとか。そういうことは絵を描いて居なければわからないに違いない。2度代かきの田んぼと、1度代かきの田んぼでは様子がかなり違う。この様子の違いがどういう違いかわかるのは、良い栽培に向けてやれることは全部やるからだ。

田んぼの生育の違い。

中央の田んぼは田植えをして3日目になる。まだ根付いていない。隣の緑の色濃い田んぼは3本植の田んぼの3週目である。その手前が2本植で、その手前が1本植。一番奥は2本植。田んぼの初期生育は植えた苗の数で違ってくる。こういう違いは見えているわけだが。この違いの意味が分からないと見えたという事ではないのだろう。

 

 

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新しい形の田んぼをする人

2018-06-19 04:34:24 | 

田んぼの仲間の岡本さんが作った本を頂いた。「特例子会社の仕事の進め方」河出書房新社発行。という一見難しい名前の本だが、これが実にコミック入りという何処までもわかりやすく作られた本なのだ。この発想がすごいなぁー。ーーードコモが実践する発達障害者・知的障害者の理解と対応策。と表紙に書かれている。岡本さんはドコモに勤めているとは聞いていた。10年以上前になるのか、岡本さんは東京に勤務しながら、小田原で農業は出来ないかと訊ねて見えた方なのだ。その生き方には興味深いものがあった。農地の世話は必ずするからと、まずは家探しからしたらどうかなど相談した。その後小田原に転居して来て、畑をやったり田んぼをやったりしてきた。奥さんがまた面白い方で、創作モンペを作ってネット販売を一時していた。私も裁縫仕事は好きなもので、どこか話が合うところがある。子供が生まれて、小さい頃から田んぼをよく手伝う良い子だ。今年も田植えに来ていた。小さな子供たちがたくさん来ていたので、にぎやかな華やいだ空気に欠ノ上田んぼもなっていた。

岡本さんがドコモ・プラスハーティーという会社で働いているという事を初めて知った。障碍者と一緒に働いているという事は、少し聞いていたが、こんなすごい仕事をしているのかと改めて分かった。独特の人だとは思っていたが、良い仕事をしている。何かの会社でのアンケートに趣味は田んぼと書いたことから、こういう仕事に入った。というような話を聞いていた。何かすごいことがあるらしいとは思っていた。いつも企業と言うと悪いイメージで見てしまうが、企業でなければできないような良い仕事を作り出している。私も農業分野の作業所を作ろうと、努力したことはあったのだが国が求める設備とか、規模とかいうもので挫折した。それだけに、ドコモの取り組みには何か打たれるものがある。企業というものを刮目してみなければならない。反省。

これだけの仕事をしながら田んぼをやり続けるというのもすごいことだ。これこそ家庭イネ作りではないだろうか。この素晴らしい生き方に、協力できるのはうれしい。趣味の息抜きというようなものではない。バリバリに働きながら、自給の田んぼをやっている。こんな事例が日本に増えてきたら、日本が面白い社会に生まれ変わるような気がする。岡本さんは先駆者としての大変さもあるが、大いにやってもらいたいものだ。実は農の会にはこうした企業に勤務しながら、自給の稲作をやってみたいという人が何人も集まっている。岡本さんは特殊な事例ではなく、むし普通である。奥さんがキャリアウーマンで旦那さんが新規就農者という女性活躍の家族もある。そういう暮らし方が選択できる社会こそ面白いのではないか。そんな農業が都市近郊の耕作放棄地に広がってゆく。それを可能にする制度を国は作る必要がある。農地法の壁など早く取り払う事だ。日本らしい新しい、瑞穂の国がそこにはあるはずだ。安倍昭恵さんが見せかけだけでなく、本気の稲作をしていたらまた違ったのにな。

岡本さんが特例子会社の仕事を模索できたのは、田んぼをやりながらだったからこそではないだろうか。私はこの本を読みながらそういう事を思った。田んぼをやることを通して、プラスハーティーという事になったのだろう。田んぼをやることで、心が温かくなったのではないか。暖かい人だから田んぼをやったのか。それにしてもこの本で語っている岡本さんは、実に雄弁で見違える。私が絵が少しはまともな方に向いたのは、私が、自給の暮らしを続けたからだぞー。そう言えるくらいに絵がなればいいのだが。今のところ、まだまだである。一昨日も遅くまで、岡本さんは田植えをしていた。奥さんはいつものように、口ではこぼしながらも笑顔が明るかった。私は遠巻きに近づかないように見ていた。農の会の距離感である。そしてそういうすべてが絵になると思って見ていた。

 

 

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認知症、運転免許証の返納

2018-06-18 04:12:32 | 暮らし

75歳以上で免許書の更新を210万5477人が受検し、そのうち5万7099人が認知症再検査と判定された。結果、診断後、免許の取り消しや停止の行政処分を受けた人は1892人となった。75歳以上の人の3%の人が認知症の可能性があるという人数なのだろう。先日事故を起こした90歳の人はこの検査を通過していた。これは自分では大丈夫だと考えているが、怪しいという人の数である。私ももちろん他人事ではない。深刻に今から75歳での免許書の返納を考えざるえない。3%という少数派はどんな場合でも必ず存在するであろう数である。私は思い込みの強い部類の人間の自覚がある。自分だけは大丈夫だと思いがちだろう。認知症テストの限界を感じる。認知症予防協会というところの認知症テストというものがある。やってみた。今のところ100点だった。こんなことで自慢と取られたら困るが。いつかまたやってみて比較しようと考えてのことだ。80点以上取れば、一応大丈夫とある。この程度のテストで判断ができる物とは到底思えない。自動車の運転の安全性と、認知症というのはそんなに単純なものなのだろうか。

車の運転に関する認知症の、客観的判断が難しい訳だ。認知症なのだから、自己判断が出来ないのは当然の事だ。それが我ながら怖い。自分は大丈夫だと思い込むのが認知症の証拠だ。警察の試験は75歳になれば受けるとしても、70歳の時に受けないでもいいものだろうか。さすがに、病院に行って私は認知症でなないでしょうかというもの、病院嫌いとしては抵抗がある。自分に固執してしまう。冷静な判断力が無くなる。視野が狭くなる。耳が遠くなる。老人特有の危険が潜んでいるような気がする。重大事故を起こした90の老女が赤信号というのは分かっていたが、人がいないので大丈夫だから進んだと答えている。最近免許書の更新をしていて、認知症テストには合格している。この人は明らか運転は無理であるが、認知症テストには合格する。自分の判断に飲み込まれているだけで、判断が出来ていない訳ではない。人がいないと判断はできたのだ。しかし、赤信号なのに行って良いと考えてしまったのは何かが抜け落ちたという事だと思う。私もこういうことがありそうで不安なのだ。

私は車の中で絵を描く。車が運転できなくなった時には描くものを変えなければならないのだろうか。70歳で石垣に引っ越したとして、免許の更新は1回なのか、2回になるのか。不安になる。石垣の家は歩いて暮らせる場所にしたので、日常生活は何とかなるとは思うが、車アトリエで絵が描きに行けないという事態は相当に苦しいことになる。石垣に行く甲斐がない。石垣は道が狭い。細い路地を抜けてゆく一方通行が多いい。旅行者のレンタカー事故は問題になっている。朝等点滅信号になる場所が沢山ある。初めてだとあの信号には戸惑う。その年まで生きているのかどうかも分からないし、その時に考えるしかないのだろうとは思うが。80歳でいつもの絵を描くところまで行けるとすれば、これは有難いことだ。もう石垣に車アトリエを運ぶ方法を問い合わせてある。引っ越しの時に、同時に運べばいくらか安いという事だ。車の中に壊れやすい陶器などを積んで、運ぼうと考えている。あと10数年石垣で田んぼの絵を描けることにならないと困る。

鉄道の踏切の前に来ると、一旦停止して出発する合図がないので止まったままでいたという事が、2度ほど経験がある。今のところ、用心のし過ぎの方に間違っている。これがいつ変わるのかという不安がある。いつか今暮らしている舟原から越さなければならないと考え始めたのは、車の運転である。自分だけは大丈夫などとは思えない。自分が事故で死ぬのはし構わないが、ひと様が私の運転で事故を起こすような事態はあってはならない。そう思うと舟原での暮らしも車あってのことだと気づく。そこで、歩いて暮らせるところに越そうと考えた。最初は小田原の中心部も考えた。しかし、いろいろ考えている内に、車がつかえなくなれば、田んぼも畑もできない。思い切って一番絵を描きたい場所に越した方が良いと思うようになった。絵を描ける時間は残り10年か。もう少しあるか。それは分からないが、絵を描くことをやり尽くしたいと思っている。となると、やはり、家で描くことも考えないとならないのか。

 

 

 

 

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小麦と大麦の収穫

2018-06-17 04:09:51 | 自給

6月14日小麦と、大麦の脱穀を行った。午後3時間ほどかかった。小麦は小麦の会の畑3畝弱。笹村の家の畑1畝ぐらいである。品種は「ユメチカラ」である。宮下さんから分けて頂いた種である。北海道の春小麦の新しいパン向きの品種という事であった。神奈川での適正についてはよくわからなかったが、作った感じでは作りやすい品種に思われた。小麦は11月19日に播種した。品種はユメチカラ。北海道中心に作られている春小麦らしい。初めて作ってみるので、どういう事になるのかわからない。30日の時点ではまだ発芽していないので不安になる。そんなものだろうか。70cm間隔で、8本の畝。長さが50メートル前後。3畝弱。100キロ収穫目標でやる。1反で300キロが目標。家の方の上の畑に1畝ほど蒔いた。脱穀が終わり、107,3キロだった。反収で268キロである。小麦の会の畑が、85キロぐらいなので、ほぼこちらは合格点ではないだろうか。もう20回目くらいの栽培になって、初めて小麦の栽培法が少し理解できた感じがした。

麦はやはり肥料である。冬の作物は思いのほか多肥でなければ良くできない。3畝の畑に、20袋のソバカスを耕運しては撒いた。時間を空けて2回行ってから播種した。そして、発芽してからまた畝間に20袋撒いて、そして土寄せをした。もう一回撒こうかと思ったがそれは止めた。土寄せは2回耕運機で行った。手取りの草取りは一回。これはそれほど大変ではなかった。一部まったく発芽しない部分があり不思議な現象だったのだが、どうもみかんを抜根した後ではないかという気がしている。果樹があった場所は、何か土壌でおかしな状態があるのではないかと思われた。これがなければ間違いなく、目標の300キロ取りになった。いつも悩まされていた、カラス麦、ネズミ麦の雑草がなかった。いつもは麦の株間にこの雑草が生えてしまうので、ひどいことになっていた。麦は連続で作らず、畑を変える必要があるということは実感した。ソバカスを何度も撒いたという事もあって、収穫した麦の中にそばの種が混ざっていた。むぎ踏みは何度行った。効果があったのかなかったのかはよくわからない。

収穫して1週間ハウスの屋根の下で干してあった。小麦の収穫時期は梅雨時で外で干すことはできない。ハウスの中でなければ乾かない。これが関東で麦を作る時に大変なことだ。梅雨時に収穫する作物という事で、とても苦労する。30%の水分含有量で収穫する。これ以上乾燥させると脱漁が始まる。20%まで干して脱穀する。乾燥機を使う訳ではないので、この点方法を考えておかないと、上手くはゆかない。ハウスの中で1週間干しただけで、20%まで乾燥できた。そこで脱穀。特に問題はなく簡単に終わる。ハーベスターは比較的快調でトラブルなく終わった。この前機械整備をよくやった効果が出たかもしれない。この100キロの小麦を今度はミルパワーに持って行って、精粉してもらう。収穫してからも麦はあれこれ手間のかかるものになる。種籾として、7,3キロ13度の冷蔵庫に保存した。

大麦は緑肥として田んぼに作ったのだが、今年は収穫することが出来た。その意味では2毛作が達成できたのだから、大したものだ。麦イネの2毛作は一人では到底できない。昔の人はこれをやっていたのだから大変なものだ。みんなでやるから大麦から、小麦まで自給が出来る。有難いことだ。大麦は18キロだけだがとても尊いものだと思う。出来がいまいちだったわけだが、田んぼでほぼ肥料なしで育てると麦はこんなものになる。分げつも取れないし、穂も小さい。田んぼというものは肥料分の少ないものだと思う。家の方の畑でやれば、それなりにとれる。来年は大豆の後作で、はたけCでやる予定だ。やはり田んぼでやるより大豆後の方が作業の手順が気が楽である。

 

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米韓軍事演習の中止

2018-06-16 04:10:01 | Peace Cafe

トランプアメリカ大統領は、吹っ飛び人間である。突然米韓軍事演習を中止するというようなことを発表した。友人たる安倍氏は知っていたことなのだろうか。アメリカに帰ってくれるなら悪くないことだ。北朝鮮が非核化を実現すれば、米軍も韓国から引き上げるという事になるようだ。素晴らしいアメリカ一国主義である。まあ、お金を出してくれれば、いてやってもいいがという事が驚くかけ引きだ。この事態に慌てふためいているのが日本政府のようだ。防衛大臣が意味不明の記者会見をしていた。属国外交の情けないところだ。トランプ大統領の意図は、防衛をしてもらいたいのであれば、応分の負担をしろという事が主目的なのだろう。アメリカの国防省が驚いたのは、米韓軍事演習は韓国の防衛ではなく、アメリカ自身の防衛の為という今まで考え方を捨てたという事だ。こうしたトランプ節は金を払いたくないから、軍事演習は韓国の為と言えばいいのだというトランプ交渉術から出た発想であろう。日本が金を出すなら、日本にいてやるよという事が言いたいだけのようだ。米軍はガゥアムだけにいればいいだろう。

米軍に何時までも日本にいて欲しいと縋り付いているのは、安倍政権である。アメリカが日本にいるのはアメリカ自身の為だ。アメリカが日本にいたいなら、基地を置いてやる費用を出せと言いたいぐらいだ。さっさとアメリカには帰ってもらおうではないか。日本が拉致被害者を返して欲しいのであれば、金を出さなければならないということまで、トランプは主張している。経済封鎖でお金がのどから手の出るほど欲しい北朝鮮としては、今なら交渉可能という事なのだろう。確かに金正恩が日本の首脳と会う事はオープンと答えたというのは、一歩前進の朗報である。瓢箪から駒というか。トランプ流も、金正恩流も、独特である。それでも軍事攻撃をしないで解決するらなら、互いにお金の無駄使いにならない。戦争ほど大きな出費はないはずだ。

アメリカと和解する北朝鮮の標的は日本に変わるだろう。金正恩のような独裁政権は敵がなければ成立しない。国民を追い詰め誘導するためには、敵が必要になる。北朝鮮を拉致被害者で追い詰めれば、当然のごとく、従軍慰安婦問題。植民地問題が出てくる。韓国以上に強い姿勢になるはずだ。アベ政権が仮想敵国中国を持ち出すのと同じである。外国との関係というのはいつもそういうものという覚悟がいる。それぞれの言い分はある。解決のためには、感情的になってしまってはダメだろう。日本の交渉術が試される時だ。金正恩の外交術はなかなかのものだ。トランプと対等に渡り合っている。いつの間にか、アメリカはミサイル基地の軍事攻撃を出来ない状態になっている。金正恩を空爆によって抹殺できなくなっている。愛嬌を振りまいて、おじさんを公開処刑する狂った独裁者というイメージを払拭した。確かに経済封鎖の効果もあるだろう。いつまで世界が封鎖を続けていられるものか巧みな交渉で、切り抜けるつもりのようだ。

お金を出さなければ引き上げるというなら、アメリカには日本から出て行ってもらうべきだ。帰ってもらいたいと考えている日本人の方が多いいはずだ。アメリカは日本の基地を都合よく利用しているに過ぎない。それが日本の防衛力の上乗せになっているのも事実だが、軍事力による防衛というものはいつまでも状況が同じではない。米軍がいるという事が日本の危険度を増しているという側面もある。北朝鮮が攻撃するとすれば、日本の米軍基地を標的にするだろう。基地がなければ、攻撃する根拠もないという事になる。軍事力による安全は、軍事力が存在する危険と裏表になっている。確かに平和外交というものに、不安は伴う。軍事力に裏打ちされた平和というものにも不安は伴う。ピストルを教師が持っている学校の安全は、本当の安全であろうか。軍事力競争の果てにあるものは、人類の消滅である。軍事力はあくまで、警察力の範囲でいい。相手がどうであるからとか。仮想敵国とかいう発想は捨てた方がいい。お金を出さないで、アメリカに帰ってもらおう。

 

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