地場・旬・自給

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春の下田を描く

2017-03-31 04:16:09 | 水彩画

下田須崎半島の丘の上の畑の庭を描いているところ

下田に絵を描きに来ている。家から2時間30分ほどかかる。庭の畑を描きたいと思い来た。下田でも、石垣島でも海ではなく、畑を描きたい。下田では庭の畑である。大型の家庭菜園のようなものがある。朝市向けなのか、民宿の畑なのか。家庭にしては少し大きい畑があり、そこに様々な野菜が作られている。野菜の中には花などもあって、美しい菜園である。と言ってそれが気取ったハーブガーデンというよう西洋風ではなく、ごく当たり前の昔からの日本の畑である。簡単に言えば、バラではなく菊がある。最近はホームセンターに初めて見る西洋風な草花が並んでいるので、庭の畑もおかしなことになり始めている。小田原では日本庭園風の庭である。畑の庭はない。植木屋さんが槙や松を刈りこんで作る庭である。日本びいきの私でもさすがに困る。家庭にああいう庭を持ち込む感覚はない。お殿様とか、料亭とか豪商の庭。あるいはお寺の庭も好きではない。兼六園を通学で通っていたが、ああいう庭が良いとは少しも思わない。

ホテルの部屋で並べてみているところ。

見たことはないのだが、修学院離宮のような庭。暮らしを突き詰めた理想郷の水度を表す庭というのならいい。広い狭いではない。ただ眺める庭を描きたいとは思わない。やはり畑の庭である。何故か、山のそばに暮らす人は庭の木を、盆栽風に作る傾向がある。何か捻じ曲げたり、刈りこんだりすることで、庭の木になるという意識がある。山の木のままで良いという気持ちにはなりにくいようだ。山が家にまで押し寄せ居ると感じるのだろうか。畑ならいいかと思うが、庭に畑がある農家は案外に少ない。あれば貧乏たらしいと感じるのかもしれない。昔の農家なら庭は作業場である。むしろ収穫物を広げて何でも干した。おばあさんは鳥追いである。生活がある庭だ。自給の庭を作りたいし、描いてみたい。野菜が庭で取れる。野菜というものは日々のものだ。毎日の手入れがこまめにできることが一番である。自給であれば、朝一回りして、味噌汁の具をとると言う位が良い。

 

ここは下田から西伊豆町に抜ける、途中の山の中。吉佐根というところ。谷の奥に自給で暮らしているらしい家を見つけて、描かしてもらった。ここの田畑がすごいのはすべて、手作業というところだ。

下田にはそういう畑の庭がいくつもある。下田の須崎周辺の山の上である。何処も道が狭くてすれ違いもできないので、なかなか描ける場所は難しいのだが、何か所か心づもりがある。今回は少し新しい場所も探すつもりだった。新しい場所を一つ見つけた。別荘地の奥の谷の奥まった場所に、自給で暮らす人がいた。20坪程度の小さな畑や田んぼが20ほど棚になっている。農地に囲まれて暮らしている。まさに手入れで暮らしている。里山の中に自分の暮らしが織り込まれている形。日本自給の暮らし100選があれば選ばれること間違いなし。吉佐根というところには、昔はもっと人がいたのかもしれない。田んぼもそれなりに残っている。人が暮らす場所にはどんなに無理をしても田んぼが作られた。田んぼができるところは家を作るにも良い場所なのだが、家は日陰にあり、田んぼは日向に作る。海までは1キロほどの場所である。人がいたら、暮らしぶりお伺いたいと思ったのだが、誰もいなかった。

 

私も30年前に山の中に開墾に入ったのだが、こういう場所は見つからなかった。東京に通える範囲で探していたので、当然見つからなかった。東京から離れるだけの思いっきりがなかった。美術講師をしながら、何とか自給生活ができないか模索した。どちらが良かったのかはわからないが、その時々の選んだ道だから、山北の山中で精一杯できたのだからまあよかったのだろう。というようなことを思って描いていた。そういう思いを含めて描いていた。絵にそういうものが出て来るまで描く。そいうものが見えるまで描く。田んぼになるだろうところに、今はにんにくが植えられていた。あれだけあれば自給だけではないだろう。「ニンニク畑で涙して」を思い出した。私もあれを読んで、ニンニク栽培を一生懸命やった時期があった。私はその後田んぼをみんなでやることになった。それで小田原に移ることになった。

 

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私絵画を考えてみる。

2017-03-30 04:32:57 | 水彩画

描いている途中の状態。何故描いた絵に良くないものと、良いものがあるのだろう。そもそも描いた絵全てが同じなのではないかと時々思う。

言葉の定義はなかなか難しい。赤い色と言っても百人百様である。それをJIS規格何番の赤というのは正確に見えるが、絵における色彩としては何の意味もない規格である。絵画における赤は「マチスの赤」のように大きさでも、隣にくる色でも違ってくる赤である。研究論文であるとか、哲学の論議の場であるなら、言葉は厳密な定義の下に使わなければならないだろう。あくまで笹村個人の公開日記としての発信なので、言葉の正確性よりもその時の頭のなかの世界に拠っている。当たり前だがここに書くことは私のブログとしての責任の範囲だ。私にとってブログは、自己確認である。私の赤を書いて居るだけのことだ。だからこそ絵は車の塗装とは違う色彩の魅力がある。私絵画も発表しなければならないと思っている。発表して意見を聞きたいと思っている。私絵画という言葉は私小説から思いつき、私が作り出した言葉だ。私小説だから発表は無用というのは間違った考えだろう。私絵画というのは、自分のことを描いた絵のことだ。自分の内部世界を描く絵のことだ。これからの絵の役割はそこにあると考えている。

だから、私絵画は発表もする。批判も受ける。そしてブログという物も私の内部世界だ。これを公表する。公表することで自分が明確になるという事である。批判も受ける。自分の頭の中で考えていることを、自分なりの言葉化する。これが重要だと思っている。今このように書いたことは頭の中にあった、言葉を文字にしたことだ。文字にしたことで、自分自身の考えていることが明らかになる。どんどん綾がほぐれて明確化してくる。その時には言葉の定義が人様に通じないようでも困るが、厳密化までの正確性は期待しない。正確性を要求してしまうと、言葉のほつれ、思考のほつれが時に、ほぐれないどころか、さらにこんがらかる事がある。思いついたまま書く。毎朝書くの文章は平均1時間ぐらいである。早ければ20分ぐらい。長いと2時間。絵を描くという事と密接につながっている。アベ批判を描いて何が絵に繋がるのかと、いう事になるが、自分の中で繋がっている。繋がるようでありたい、自分のすべての絵でありたい。(こういう書き方が不正確な文章である。)

デッサンが狂っているという意見には意味ある。ただ、デッサンがおかしいという言葉は発する人間がどのような美術の観点を持っているかが分からないければ、その意味を受け止めようがない。この人がデッサンがおかしいという時はこういう意味だと、言葉を理解するにはその人のことが分からないとならない。言葉は私なりに一定に使っているつもりであるとしても、揺らぎは当然ある。自分の頭整理なのだから、自分になりの一定性は必要である。私絵画という造語も、何度も定義を繰り返し書いている。定義することで自分の絵の意味が明確になるからである。ただその部分を読んだことのない人にとって、一般化していない言葉を使い理解できないという事はあるだろうが。絵の発表という事はそういう事だろう。一般化していない絵の描き方を了解の上で、交流するのが絵の発表だ。そうして新しい絵画は生まれてきたのだろう。だから私絵画らしい発表の方法を「絵を語る会」で摸索している。

私は次の時代の芸術の意味は、「私化」だと考えている。私化も今自分の中で出てきた言葉だが。私の使い方とは違う意味で、社会的には使われているのだろう。芸術が社会を変革する手段であることが終わってゆく時代を生きてきた。絵画は社会という対象に向けて表現するという事では力を発揮できない。むしろ、自分自身に対して、私の形成に絵を描くことが役立つものだと確認をしてきた。また、絵を見ることが自分の形成に役立つ。私が生きるためにこそ絵を描く意味が重要になってゆく。私が私の考えを私の責任の上で、公表するのは民主義社会の上では必要なことだと考えている。それで、毎日何かしら書くことにしている。絵を描く。私絵画を描く。そのこととブログを書くという事は私の中ではかなり似ていることだ。

 

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絵を描く矛盾

2017-03-29 04:16:53 | 水彩画

この絵はこの後だいぶ変化してしまった。このあたりが良かったか。中央上あたりに茂みがあり、それを入れた。入れなければよかったのか。入れて絵としては悪くなったのだが、良かったことなのか。ここが難しい。良い絵を作っている訳ではない。どちらでもいいような、どちらも違うような。

自分今までの生き方を思い返すと、矛盾に満ちている。いちいちに整合性がない。生前整理を続けていてそういう事を確認した。捨てるものが実はついこの前まで必要なものだった。捨てるという事で自分をそぎ落としてゆくという事は、自分がやせ細ること。それでも、それでも捨て続けている。それぐらい自分を肥大化させて生きてきた。やりたいことをやることで生きて来ているから、こうしてお化けのように肥大化をしたのだろう。これを今度はそぎ落とさざる得ないという事は、寂しいことである。寂しいが突き詰め無くては面白さも、分からない。時間がもう限られている。あと何年という中では、あれもこれもという訳にはいかなくなっている。止めるという事も考えなくてはならなくなった。さて筆を捨てられるだろうか。三線を捨てられるだろうか。パソコンを捨てられるだろうか。道具が私を形成している。

好きなことを見つけることが大事だと、子供の頃父から言われて、その通りに生きてきた。今でも好きなことを探しているような気がする。それはそれで幸せな今までである。岡本太郎氏は芸術は最後には指さすだけでいいと書いた。何故、指さすだけでいいと言うところまで思想を純化した芸術家が、人類の進歩と調和などという能天気な祭典に浮かれてしまったのだろう。日に日にその意味は明らかになる。岡本太郎氏の著作もある。なかなか面白い指摘がある。沖縄に関する縄文文化の指摘は鋭いと思う。あの太陽の塔と縄文の土偶とではその文化レベルが違う。絵を描くという事は楽しいからやっているに過ぎない。絵を描いて居てただ楽しいだけというのでは、恥ずかしいようであるが、絵を描く時間が最も充実感がある。絵を十分描いた日は、実に気持ちよく眠れる。良く生きるという事が、命の目的であるとすれば、絵を描く時間こそ生きているようだ。

絵を描くという事は矛盾そのものだ。命は単純明快で、矛盾はない。人間も命ではある。私はこの与えられた命を、十二分に味わいたいと思う。こだわる必要は全くない。名人伝の世界では、その到達した世界では、生きてきた行も忘れる。禅の世界でも、何か悟りを示すという事はない。物化するような世界である。業に結果を求めるとすれば、それは自己矛盾となる。安心立命すればそれでよし。全てはその人自身の問題となる。他人の入り込む余地のない世界。人の為にというところから、最も遠いいところにある世界。それを求めて絵を描くとすれば、描かれた絵は何なのだろう。画道というような過程なのだろうか。絵というものを価値あるものとしない。いずれ捨てるもの、消え去るものと考えた上で、絵を描く。生前整理というものはそういう事のようだ。いま生きるという事の充実。絵を描く、見えている世界を見抜こうとする。それだけなのかもしれない。

生きることは別段帳尻の合う事でもないのだろう。様々に揺れながら、自分というものを極めようとする。一日一日の生きるを確認するために絵を描く。絵というようなものに自分というものの価値を見つけない。良い絵を描く人間だから価値があるという事ではない。むしろ日々絵を描くという事の行為にどれほどの、確かさと充実を感じられるかという事ではないか。その充実に何か違いがあるという事は、10年前と今ではどこか違う気がするのだ。どこか違うという、基準点の確認のために絵があるようだ。自分の絵に対する深まりというようなものが、絵によって確認できれば、自分の生命がより自分らしい時間を生きているという事になるのではないか。自分の命と向き合い、生きることを深く感じることが出来れば、それだけでいいという事のようだ。絵を描くという事は矛盾を矛盾のまま表現できる。

 

 

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伊勢原木村麹店の見学

2017-03-28 04:01:04 | 暮らし

木村麹店内部の様子

麹づくりを始めてもう20年以上たった。あれこれやり方を変えながら、今は米袋方式に行き着いた。一般家庭の環境で、初めての人でも失敗をしない米袋方式である。今まで麴屋さんのやり方という事を見たこともなかった。自己流の試行錯誤である。今回伊勢原の下落合にある木村麹店を見学させていただいた。その昔、私の作る玄米卵を販売してくれていた島田啓介さんの紹介である。島田さんはみんなで作る噌づくりをやられていた。それに参加したのが、私の初めて味噌作りだ。南足柄の内山の田んぼでのことだ。自給が基本なので味噌づくりのための大豆を栽培するようになった。お米も麴も自分で作り始めた。今回の見学は農の会に参加している森田さんが準備してくれた。

 

 麹室入り口

木村さんが繰り返し言われたのは、「良い麹が出来ればそれが正解だ。」という事だった。ものづくりには10人10色の正解がある。他の麹屋さんとは自分のやり方は違う。自分のやり方はあくまで商品としての麹の作り方という事であった。例えば色は白いほど良い。それがお客さんの好みだからだ。麹の米粒はパラパラの方が良い。それは計量しやすいからだ。その結果スーパーで売られている、みやこ麹とはまるで違うものになったのだ。みやこ麹は菌が長毛菌なのだと言われていた。ああいう風に固まるのでは自分は小分けするのに手間がかかりすぎて困るとも言われた。麹も分けてもらってきたので、甘酒とどぶろくにしてみるつもりだ。味はどうなるのだろうか。私の印象としては味噌麹としては発酵が浅い感じがした。その点を聞くと、麹の菌にはピークがあると考えている。その最高の時で、出麹にするという事だった。私は行き過ぎのたぶん限界まで発酵を持って行き、発酵が自然に終わるところまで進める。麹菌が米粒の奥の方まで浸透するのを待つ気持ちでやっていた。麹菌は発酵を続けることで、作り出す酵素が増加してゆくのではないかと考えていた。

 

 蒸気発生装置と蒸し釜

作ってみて味噌の味はどうかと言われると、正直同時に食べたことがないので、その違いはよく分からない。どちらでも味噌になるという事は確かだ。味噌自体も6か月で食べた方が美味しいという人も居るし、2年物が美味しいという人も居る。これも10人10色の味覚がある。

木村さんのお話のメモ

1、手入れについては8時間サイクルで4回という事だった。この点はほぼ同じ。

2、麹菌を植え付けるときは上からパラパラと撒くだけだそうだ。これにはびっくり。

3、出麹して冷ましてから、塩を1割混ぜて発酵を停める。味噌づくりには向いている。油断すると冷蔵庫の中でも再発酵をする。

4、4回の手入れの際はお米は出来るだけパラパラにする。固まるとその中には麹菌は入らないままお米が乾いてしまう。

5、お米は強い蒸気で40分蒸す。大豆は蒸すと黒くなるので商品には向かない。

6、麹室湿度は95%でやる。室温は20度。

7、麹作りに良い季節というのはない。寒仕込みの思い込みは2月が忙しくなるので困る。あえて言えば9月ごろがやりやすい。

8、熱湯消毒が一番。アルコール消毒も気休めで使う。

9、部屋の麹菌を使う手法はよほど良い環境の所だけのこと。

10、お米はインディカ米が良い。新米より古米が良い。

11、出来た麹は紙袋に入れて、ビニール袋に入れない。

手順を説明されている木村さん。

4月末には廃業をされるそうだ。70を超えて身体もきつくなったそうだ。それで施設を取り壊してしまうという事だった。大型冷蔵庫の中に、加湿器を入れて麹室にしている。その冷蔵庫は不要になるので、農の会にあげても良いとのことだった。お米の保存庫になるし、味噌の保存蔵にもなりそうなので頂ければありがたい。その他舟の大きなものや、プラ桶、大釜など、必要なら分けてくれることになった。長年使われてきて愛着もあるだろうから、心中残念なことだろう。仕事じまいという事は誰にでも来る事だろう。私のような人間でも養鶏場を止めるときは切ないものはあった。物を廃棄処分するという事自体が、身を切るという事と変わらない。自分の生きてきたという事を廃棄処分にするような切なさがある。だから、誰か後継者にという事なのだろうが。私は後継者は嫌いだ。どんなことでも独力で新しく始めるから面白いと考えている。

 

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稀勢の里の優勝

2017-03-27 04:59:26 | 身辺雑記

大阪場所は新横綱稀勢の里の優勝。無敵の横綱白鵬が限界。先場所の千秋楽の稀勢の里との対戦は、白鵬は正面からの真っ向勝負で稀勢の里を押し込んだ。今まで見たこともないほどの必死の寄りを見せた。しかし、稀勢の里は土俵際まで押し込まれながらも、見事に投げ飛ばした。限界までやって敗れた白鵬は素晴らしかった。負けて白鵬の横綱の姿を現した。負け相撲に本当の相撲取りの姿が出る。全力の負けは見事だ。新しい力に対して、歴史に残る大横綱が悪びれることなく、血相を変えて勝負をした。これこそ大相撲の見事さである。相撲はある瞬間、人間の素晴らしい姿を表現する。しかし、身体の限界が来てしまった白鵬は次々に故障を起こしている。どれほの大横綱であっても、身体には限界がある。相撲取りの身体づくりは、人間の限界に挑んでいるようなものだ。どんな人間にも耐えきれる時間がある。長い期間戦い続けることは出来ない。大相撲は稀勢の里時代を迎える気配にあった。

そして大阪場所、稀勢の里の横綱相撲が続く中、白鵬は身体を整えて稀勢の里の前に立ちはだかるつもりではあった。やはり、足の裏を割くという怪我をしてしまう。白鵬の気持ちは、稀勢の里来るなら来い、自分の万全の力を見せつけてやる。という気持ちではあっただろう。しかし、その必死さがゆえに怪我もしたのかもしれない。時代の主役の入れ替わりが明確になった。その後も稀勢の里は快進撃を続け、ついに13日目の横綱日馬富士戦まで連勝で進む。この日までの相撲は大関時代の稀勢の里の不思議な弱さが消えていた。横綱になったという事で、心の安定度が増した。もともと身体と技は強かった力士であったが、横綱になり、心が備わった。盤石と思われたが、日馬富士の速攻相撲に一気に土俵際まで押し込まれた。先場所の白鵬戦を思い起こす。あの時は体を反らずに、白鳳を投げることができた。ところが、日馬富士の速さに思わず身体をそらせながら逆に投げた。横綱だから負けてはならないがこんな形になる。

横綱は負けないという思いが、無理な体勢の投げになったのだろう。あの大きな身体が左肩から土俵下へ転落した。救急車で病院に行くほどの重症である。当然、残り2番は取れない状態。しかし、けがを押して出場する。貴乃花を思い出した。怪我をしながら強行出場をして優勝をした。あの小泉首相が表彰式で「感動した」と叫んだものだ。それが貴乃花最後の優勝となった。稀勢の里には出て欲しくなかったが、14日目横綱鶴竜戦出場。あっさりと寄り切られ、到底相撲の取れる状態でないように見えた。今思うとこの相撲は15日目への伏線であった。ここは負けてもけがを悪化させない道を選択していた。そして、千秋楽強さの戻った大関照ノ富士戦。照ノ富士は14日目大関復帰をかける琴奨菊戦に変化して勝利し、顰蹙を買う。これも神様は見逃さない。千秋楽変わる訳にはゆかなくなった。稀勢の里は2連勝しなければ優勝はない。

ここで稀勢の里は力を爆発させる。本割、決定戦と勝ってしまう。人間が本気になるという姿を、見事に見せてくれた。これが大相撲の醍醐味である。稀勢の里は痛みを超えていた。その姿には学ばなければならない人間の姿があった。前日変わり身で勝った照ノ富士が敗れ、大けがの稀勢の里が勝つ。このあと肩が回復しないかもしれない。横綱という存在がどういうものであるかを示していた。その瞬間こそ、一期一会である。その時に全力を出さないものが、いつか出せることはない。後先を考えない見事さ。先場所の千秋楽の白鵬の、負けてなお見事であったこと。そして今場所、千秋楽の稀勢の里の優勝の見事さ。稀勢の里は強いのに肝心なところで、あっさりと負ける大関であった。横綱になり勝負強い姿に様変わりする。こうして人間というものの限界を超えたような力が、立現れるところが大相撲だ。これが芸能であり、神事である大相撲の姿ではないだろうか。

 

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篠窪の桜

2017-03-26 04:27:06 | 水彩画

篠窪に絵を描きにゆく。このところ行ける日にはゆく。春らしい色に変わってゆく。この時期の篠窪が一年で一番賑わう。桜、菜の花、富士山。良くできました。という風景が作られている。観光客には良いだろうが、その場所は描く気にはならない。作られた感があまりにも、である。畑として菜種を作るのであれば、きちっとした栽培をするだろう。緑肥として作るならその作り方もある。花が咲きさえすればいいという畑はどこかだらしないものだ。そういう畑は絵に描こうとは思わない。この違いを描いている。里地里山を描くという事は、その背景にある東洋3000年の循環する暮らしを描いている。永続する暮らしの風景である。ゆったりと続く時間を描いている。庭にあるような桜が、人工的に里山に植えられたのでは風景の邪魔になるばかりである。風景を作るという事は極めて難しい。美しい日本の農村風景とは、永続性のある農業がおこなわれている景色のことだ。桜を植えれば、良くなるとばかりは言えないのだ。吉野の桜の魅力はさすが江戸時代美意識の高さである。

中判全紙横型 この絵には少し期待をしている。

真剣に作られている畑は美しい。暮らしが作り出した里山は美しい。篠窪に行ってめったに富士山を描くことはない。一枚だけあった描きかけの篠窪の富士山を、欲しいという人がいてびっくりした。確かに私の絵の中では人が部屋に飾ろうという絵は富士山となるのかもしれない。しかし、篠窪に行ってそういう絵を描こうとは思わない。向井順吉さんという藁ぶき農家を描く画家がいた。洋裁屋だった我が家で、向井順吉さんの奥さんの服を作らせてもらって、タンチ山にあった自宅に服を何度か届けた。色紙に描かれた絵もある。何となく親しい気持ちがあった。それでも、あの絵には里地里山の暮らしは感じない。都会に暮らす人が、思い描く田舎の景色である。消え去る藁ぶき家屋のミニアチュールに見える。そういう仕事なら写真の方が記録性が高い。私の描こうとしている里地里山は人間の暮らしが里山という空間に立ち現れ世界である。

中判全紙たて構図でも楽に描ける。中央のあたりの神秘を見つめている。

果たして私には見える、人間の行為の集積である里山が、そのように、つまり人間の手入れが描けるかである。これがなかなかできないで困っている。見えていると思っているのは、思い入れであり、幻想のようなものであり、そんなものはないと思う日もままある。それでも、見える時もある。今もその空気を思い浮かべることができる。井伏鱒二さんの陸稲の種の文章のような世界だ。別段普通の暮らし。3000年も継続できる暮らしの世界観だ。この永続する暮らしの世界観が見えるのが里地里山の眺めである。これで大丈夫だよ。という世界観である。それが篠窪に行くと見える気がするのだ。そうそれが私の絵だと、写真が見せられればいいのだが、まだまだ10年はかかるだろう。しかし、去年よりはましだから、描ける日が来るかもしれない。

篠窪に絵を描きにゆくと言っても、車の中でほとんどの時間ゴロゴロしている。車は後ろの座席をとってしまった。下から寒さが来ないようにマットレスが敷き詰めてある。布団もある。運転席のシートをたたんで、その上に絵を置く。ほとんどそれを眺めている。それで急に描けるときが来ることがあるので、待っている。おとといは豪雨の中、一日霞んだ景色を見ながら、ゴロゴロして待っていた。全く怠惰な感じだ。だから畑の人や、ハイキングの人に見られたら、申し訳が立たない。しかし、これしか方法がない。魚釣りのようなものだ。こちらができるのは仕掛けだ。あとは待つばかり。魚釣りが道具に凝るように、準備の方は万端で、後はゴロゴロ呼ばれるのを待つ。

 

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緑肥利用の稲作農業の実証圃研究

2017-03-25 04:53:56 | 稲作

農の会の有機農業における、緑肥利用の稲作農業の実証圃研究。この事業は国の補助金をいただいて行っているものである。農の会では有機農業で畝取りを達している複数の田んぼがある。全国的に見ても平均以上の収量である。その理由は緑肥利用にあると思わる。それを安定した広く利用できる技術に整理してゆきたいと考えている。

年に1度か2度は田んぼ勉強会を行う。農業は技術である。特に伝統農業を行う以上、技術を磨かなければ継続ができない。循環をする永続農業はとても難しいものだ。しかも、周辺農家より収量を上げなければ、すべての面で了解が得られないのが、市民活動としての、自給農業である。いつもの年は、田んぼが始まり、生育状況の比較研究という事で田んぼを見ながら勉強会を行う。今年は、田んぼの土壌調査を行ったので、その結果に基づいて勉強をする。土壌の分析は農協を通して、神奈川県農業技術センターにお願いした。そこで、その分析表をどのように見ればいいのかをお伺いして教えてもらえないかとお願いした。田んぼを見ながらでなければ指導は難しいという事で、田んぼに来てくれることになった。本当にありがたいことだ。おとといは神奈川県に対して悪態をついたばかりで、手のひらを返したようにお世話になる。少し後ろめたいというか、恥ずかしいところだが。

研究者は心底尊敬している。また、憧れの存在である。来てくれたのは神奈川県 農業技術センター の岡野英明さんである。岡野さんの説明は分かりやすく参考になることが沢山あった。また、遠路井上駿さんも来てくれた。有機の里づくり協議会の渡辺さんも来てくれた。3人のお話を一度に伺えたことはとても参考の居なった。そのほか農の会のメンバーが7名が参加。今後やってみたらどうかという課題。昨秋撒いた、緑肥が伸び始めているところである。クローバーやレンゲはまずまず良い状態。また、耕しても耕さないでも発芽は大差がなかった。水が溜まることが発芽には良くないことはどの田んぼにも見られた。また、種を蒔かずに緑肥が再生した田んぼもあった。緑肥は種まき直後の天候でずいぶん成育が変わるようだ。今年も緑肥は平均的な生育の状態である。

1、同じ田んぼで、土壌採集の場所を変えてみる。2、時期を変えてみる。4月ごろと、9月ごろ。3、継続して変化を見てみる。4、土壌に小松菜を撒いて、試験をしてみる。5、緑肥の効果が出る時期のコントロール。6、田んぼへの入水を分析してみる必要がある。7、秋落ちになる原因は穂肥不足、有機農業では穂肥になる糠を出穂30日前に行ったらどうか。8、落ち葉堆肥を入れたらどうか。

今回の勉強会のテーマは緑肥栽培の問題点と腐植量と田んぼ技術の関係である。経験的には緑肥栽培が収量の増加に影響していることは感じている。緑肥栽培が土壌にどのような影響を与えるか。緑肥の栽培技術の確立も課題である。なかなか安定しない。全くできない田んぼもある。栽培を安定し、どのような気候であっても対応力をつけるためには、土壌を改善してゆくことだと考えている。その為に、土壌分析が何か役立つだろうと考えている。しかしその観点は肥料成分で考える慣行農法とは違う。今回一番着目しているのは腐食量である。ただ、腐植量を測定するという事はとても難しいことではないかと。腐植の量は土の採取の方法が影響してくる。採取方法を統一しなければならない。細かくふるいにかける必要がある。植物の混入がないように取ること。腐植量は2以上という意味は分からないが、たぶん土壌に2%以上の腐植分があればいいという事。とすると、5を超えた数字という事は、大きいと思える。5が意味が有るかもわからない。

収量との関係は田んぼごとの耕作方法の違いもあるから、土壌分析だけではよく分からないことが多いい。成分の量の大きさよりも、成分の均衡がとれていることが大切である。形にへこみがあると問題があると考えれればよいとのこと。ところが農の会の田んぼで唯一問題があると言われた、子ノ神田んぼは、日照条件も一番悪いのに、収量は農の会で一番よい。10俵を超えている。何故だろうか。この田んぼが良いと思われるのは腐食位である。腐植が良いという事は、やはり意味が有るのだろうか。今後の課題である。緑肥を良く育てる方法は、田んぼの状態や気象条件で違うので、一般的に良い栽培方法という形で考えてもあまり意味はない。むしろその田んぼで試行錯誤しながら、上手く栽培できる方法を見つけるしかない。思い出しても笑ってしまうのは、稲作は気力と根性である。という話は納得だとみんなが話した。実は地力と根の状態のことだった。

 

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朝の料理

2017-03-24 04:51:33 | 自給

朝は4時に起きる。年齢とともに早くなり、3時ごろに目が覚めることが多くなった。夜は8時に寝てしまうから、それ以上寝ていられないのは当然かもしれない。起きてブログを書いているのだが、実はその間やっているのが料理である。おとといは丸ごとロールキャベツ。今はぶり大根を煮ている。作ったものを朝と昼に食べる。家にいる日は大抵は同じものを食べている。飽きるという事もないし、外食よりおいしいので家で食べたいと思っている。朝作るのは煮込み料理である。スペアリブの煮込み。おでん。カレー。丸ごとロールキャベツ。ポトフ。牛筋煮込み。白菜と鶏の水炊き。重ね煮。まだまだ煮込みのレパートリーはある。要するに長時間煮込んで作る料理なら何でも挑戦する。何かレシピを見て作るのではなく、思いついたように自分流でやってみる料理だから、同じものが2度作れない。料理は工夫が面白い。美味しければ気分がいい。まずくてもそれはそれで納得して食べきる。

何故、ブログを書きながら料理ができるかである。ご飯は前夜の夜電気釜に仕込んである。朝6時10分に炊けることになっている。だいたいは毎日だが、ごはんが余っていれば、そのまま2日目のご飯を食べる。蒸気で温める電気釜の機能の為か、充分においしく食べることができる。朝起きるとパソコンを立ち上げ、まず、お湯を沸かす。コーヒーを入れるのだ。コーヒーを飲まないと頭が立ち上がらない。コーヒーを入れるお湯を沸かしている間に、何かをやりたくなる。ヨーグルトがなければ、ヨーグルトを仕込む。お湯が沸く時間内に終わっている。おでんを作ろうと思えば、コーヒーにお湯を注ぎながら作る。何でも平行に進める。時間がもったいないので、コーヒー、ヨーグルト、ブログ、おでんが同時並行に、今もブログを書きながら、ぶり大根をかき回しに行ってきた。このぶり大根は我が家の硬い2年大根を食べてみたくなって作っている。

コーヒー豆をミルで引く。この作業はお湯が沸くと同時でなければ嫌だ。引き立ての豆を沸かしたてのお湯で入れたい。水は今汲んできた湧水であれば直よい。それでいてコーヒーの味がよく分からないのだから、そういう儀式のようなものだ。その間におでんのお湯を沸かしている。おでんには昆布と煮干し出だしをとる。お湯を沸かし始めたらすぐ入れて、出来上がるまで取り出すことはない。当たり前だが全て食べてしまう。だしは取らないと自慢げにの賜った料理人がいたが、私の場合はだしのでる材料を煮込み料理の具材にするという感じだろう。そして野菜の皮をむいたり、刻んだりしながら、コーヒーを微妙に入れる。お湯をタラタラじょうろのように入れないと気が済まない。だから美味しくなる経験したことはないのだが、そうしないと気が済まない。おでん鍋のお湯が沸き始めるころには野菜やゆで卵など準備が終わる。コーヒーも終わっている。そこで、お湯で温めて置いた備前焼の玄明のカップにコーヒーを注ぐ。ここで、大根を見に行ってきたが、まだ堅い。大根は1時間以上煮ないと。

煮込むべきおでんの材料を入れ終わったら、電気コンロを弱にして、1時間のタイマーを入れる。途中で攪拌に行き、再度時間を調整する。そのまま冷ます。伊藤シェフによると、冷ます間に味がしみこむそうだからだ。後は良いタイミングで、煮込まない材料を入れて、10分程度のタイマーをかけておく。ご飯の炊きあがりに合わせて、だいたい6時30分には食べ始める。このおでんを、昼は煮込みうどんにするとか、変容させながら食べきる。それはどの料理も同じで、豚の煮込みがカレーに進化する。カレーから始まり、カレーうどんになることもある。いずれ、料理は鍋一杯に作り食べきるまで変容させて食べる。味噌醤油をうまく使い分けながら、味を変える。年齢を考えガスコンロは止めて、電気の調理器に変えてた。安心して煮込み料理ができる。焦がすという事が無くなった。一度だけ猫が踏んで着火させたことがあったので、消す時は必ず、元から消している。今見に行ったら、ぶり大根はあと16分で出来上がりであった。小田原港がブリで盛り上がった時代を想像して食べることにする。

 

 

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里地里山のコーディネートによる打ち合わせ会

2017-03-23 05:27:03 | 地域

この文章は書いて良いことはないと思いながら、やはり書いた方が良いと決意して書く。3月22日に「美しい久野里地里山協議会」の集まりがあった。神奈川県の方から開催の案内が3月15日メールで突然入った。これは総会で断ったはずのコーディネートが見える話だった。総会の時コーディネートの方に来てもらったとしても、なんの参考にもならないので、お金の無駄になるからやらないことになったはずだ。なぜ急にやることになったのかいぶかしく思いながら、出掛けた。多分どこでもコーディネーターなど依頼がなく、予算消化であろう。やっぱり何のための集まりなのか、分らないものだった。大勢の人を集めて、時間をつぶして本当にもったいないことだ。こうした無駄な打ち合わせ会の開催に参加しなければならないこと自体が、補助金事業の問題点だ。久野の里地里山協議会ではコーディネートなど必要としていない。会の関係者にコーディネートを頼みたいといったが、ダメだった。コーディネーターは県が依頼するいつもの人で、県とどういう関係なのだろう。失礼なことだが参考になったことなどない人だ。

案の定何んにもならない集まりだった。県では里地里山のシンポジュームとか、年に何度か大集会を開催する。それにも動員がかかる。基本的に行かないことにしているのだが、どうしても行く人がいないので行ってくれと言われて何度か出たことはある。何のためのシンポジュームなのか目的が分からなかった。そもそもの始まりの頃の里地里山事業は、神奈川県の方から呼びかけがあり、動き出したものだ。久野でも参加してもらいたいのでと募集がかかった。そのころの県の説明していた趣旨と今では大きく違ってきていると思う。昨日のコーディネーターの解説では神奈川県の農地課が行う耕作放棄地対策なのだという事だった。もしそれが本当のことなら、最初の頃の説明とは全く違ってきたと言わざる得ない。それならそれで、総会の時にそういう趣旨を県の担当者は何故説明をしないのだろう。河畔林の整備とか、登山道の整備など、趣旨が違うという事をはっきりと説明すべきだ。

私のかかわるの活動は溜池の保全である。溜池を農業遺構として保全すべきと考えている。県は溜池は農地ではないと説明していた。何か馬鹿馬鹿しくなった。その位置づけは確かに曖昧である。小田原市はこの溜池を保全するほどのものとは考えていないのかもしれない。ここを煮詰めない限り、これ以上溜池の保全は出来ないのかもしれない。江戸初期にできた溜池は小田原の農業の原点を記録する大切なものだと私は考えている。400年前あしがら平野では、新田開発が進んだようだ。どのような暮らしがあったのか。今、刻々農業そのものが失われている。沖縄のように、小田原に田んぼが無くなる日も想像しなくてはならない。その時に日本人としての小田原の暮らしの原点を失う事になる。せめて、ご先祖たちがこの地に田圃を切り開いた時代のことを想像できるものを残すことは重要だ。小田原城以上に重要である。坊所から、欠ノ上への水道トンネル。舟原の溜池。そして水路。こうしたものを一体として残すことを必要と考えるかどうかである。

昨日の打ち合わせ会でも、県の方から里地里山事業の主目的については説明がなかった。そして、溜池の保全は活動計画にないし、また、この事業の目的から外れているように話していた。活動計画書というものを久野の会から出されているが、そこにない活動はないことになっているというのだ。これには驚いた。それなら、総会の席でそのことを何故指導しなかったのか。活動計画に入れてくださいと一言言えばいいではないか。それこそ行政の役割である。その席では何も発言せず、今になって、活動計画にない活動などと言われても困る。こんな言い訳じみた発言は市民活動に水を差すだけだろう。県が行うべき活動。市が行うべき活動。そして久野の住民が取り組む活動。きちっと整理すべきだ。行政は補助金を出し、後は遠巻きに監督していればいいと言うのではない。補助金など要らない。一緒になって里地里山を守ろうという気持ちが感じられない。もうやめだという気にさせられた。腹が立って眠れなかった。

 

 

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1円の着物を買う

2017-03-22 04:24:07 | 暮らし

時々着物を購入する。生前整理をしているのにもかかわらずである。病気の自覚症状がある。時に1円で購入できることもある。先日の購入は送料を入れても1枚300円平均であった。買う時にはある程度まとめ買いする。10枚まで送料が同じとかになっているからだ。スワトウの刺繍があって、263円であった。手織りの結城紬が543円だった。こんなに安いのだから、よほど傷んでいるものと思いきや、充分着れる状態のものである。新古品というか、使われてはいないものもある。後で染色を考えているので絹の品物ばかりを選ぶ。紬の布は染色に向いている。紬と言っても本来の手紬の糸の取り方のものではないのだと思う。たまには、手紬で糸を取ったというような貴重なものまである。全て手仕事の作品だ。染色に使えば絹の布であるかどうかはわかる。今まで1枚だけ化学繊維だったという事があった。それでも300円の着物で苦情を言うほどのことではない。ある程度間違いがあるのは承知で購入している。

ヤフーのネットオークションには毎日5000点くらいの着物が出ていると思う。一年で考えると何万点というような数になるのだろう。中には何百万円というようなものもある。結構高いものは高いのだが、1円からのセリとか、1000円からのセリとかいう形もある。私はそこから探している。毎日何千枚もの着物を販売するストアーがあることが不思議だ。着物をどうやって仕入れているのかと思う。そうした大きな着物中心のストアーが4,5店舗ある。例えば、宮古上布、結城紬、色無地とかいう形で、ヤフーオークションの検索をすれば、必ず着物を売っている日本各地にある大ストアーが出てくる。どこだからどうだという事まではよく分からないが、傾向があるような気もするが、あまり気にするほどのものでもない。何処の商品は偽りがないというようなこともよく分からない。着物の世界に何が起きているのかはわからないが、廃棄処分される着物が、こういう形で生かされるのであれば、まだいいのかもしれない。

表示が出るとすぐに1円で入札される傾向がある。そういう専門の人が居るような感じもする。落穂ひろいをして、それを再販している商売もあるかもしれない。古書ではそんな宝探しをして暮らしている人がいるとテレビでやっていた。私も1円で2、3度買っている。競ることは基本しない。この着物ならこのくらいまでなら買っても良いという価格を入れる。500円か1000円くらいかなと思い入札しておく。たまたま他に誰もいないので1円で落札になるという事が起る。着物の布が材料として生かせると思うからだ。絵の具を買うような気持に近い。日本の織物が素晴らしい。1円で購入した着物が見ているだけでもため息が出るような作品という事がある。これを何とか生かして使いたいと思っている。写真は袋物である。先日は筆入れを作ってみた。画材やさんへ行けば、3000円くらいで、帆布で簡単に作られたものが売られていることがある。私が作るものは二重の袋作りの絹布になる。作品と言ってもいいようなものだ。使い勝手も良いし、丈夫でもある。

手仕事というのは素晴らしいものだ。作ることが楽しい。絵を描くことが面白いのと同じだろう。出来たものを使う事も楽しい。なんとか暮らせるのであれば、思いつくものを、あれこれ作っていたい。楽しそうな暮らしである。若かったらそいう暮らしが収入に繋がるよう努力したことだろう。一つの袋を作るのは一時間ぐらいのものだ。週一日は袋作りに使い7枚作る。あとの時間は絵を描いて居てもいいではないか。畑をやったり、田んぼをやったり様々なことがやれそうだ。それで人間は生きて行ける。どんなことをしても生きることに心配はいらない。競争をしないでも生きられる道はある。私は自分が楽しいと思う方へ、思う方に進んできただけだが、何とかここまで生きてこれた。欲少なければ、心乱れず、幸多し。 

 

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字の上達法

2017-03-21 04:04:59 | 水彩画

字には上手と下手があるとされるが、これは間違いだろう。あるのは良い字と、悪い字である。良い字とは良い人を感じさせる字で、悪い字とはたちの悪そうな人の字ではないか。私の場合は絵や書を長いこと書いてきたから、それなりのごまかしは出来るようになってしまっている。パソコンでたいていのことは書くので字を書くという事はとても少なくなった。たまに書くときは下手に書いて居ることが多い。下手な方が、まだ人の悪さが出ないような気がするからだ。真実字の上手下手と人間は何のつながりもない。いわゆる字が上手な人というのは代書屋さんであろうが、それは活字に近いものだ。そういえば代書屋さんはいまや死語だろう。例えば、相撲字を書く仕事をする人がいる訳だが、そういう字体を練習して書けるようになる訳だ。字を巧みに書くペンキ屋さんを知っている。見ているとまさに職人技である。すらすらと、あの塗りにくいペンキをチビタ刷毛で下書きもなく、明朝体で、ゴシックで仕上げていく。半日見せてもらっていたが、雑談をしながらである。難しいのは上手ではないが、良い字である。

ボールペン文字の添削通信講座というものがある。短期間でバングラディシュ人のローラさんが美文字になったと宣伝していた。たぶん日本語の読み書きが危うくても、文字だけは何とかなるという宣伝なのだろう。中学1年の時に英語を美しく書く教材、ペン習字をやらされた。筆記体練習帳といったような気がする。私はとてもきれいだった。欧米人よりきれいではないかと思った。英語はまるでダメでクラスで正直最下位だったが、ペン習字だけは100点をとれた。真似て美しくなぞることは得意な方だったのだろう。あの時練習したクルクル輪をずらしながら重ねる図形はいまでも上手に書くことが出来る。絵を描くのが好きになることは、大抵の場合なぞって写し取ること自体が好きというところから始まる。写し取る能力は写すべきものが好きだというところから始まる。そっくりにだけ描けるのだが、自分の気持ちを表す絵を描くという事が出来ない生徒もいた。

ボールペン習字を習得したような字を書くという人は、真似る努力をする人であろう。下手な字を書くことを恥とする人の場合も多いのであろう。体面を気にしがちな人ともいえる。たぶん几帳面な人の方であろう。汚い字を平気で書く人は傲慢で無頓着な人かもしれない。人とのかかわりの下手な、偏屈な人かもしれない。美文字の人はある程度枠に入るが、下手な方は多様だと思う。字など読める範囲で実用には十分だと考える人。身体の堅い人は下手な場合が多い様な気がする。字を超えた世界に漂っているような人も居るだろう。これがボールペン習字から、筆文字の書道となると、さらに人が見える。だから書が成立するのだろうが、以前、日展系の書の団体で、大勢が出品しているように見せかけるために、いろいろ書き分けていた人がいた。その書が受賞して地元の新聞社が調べたがその人がいなかったのでバレてしまった。絵も描き分けるぐらい実はたやすいことだ。永山流水彩画法を練習すれば、永山流ぐらい私にもできる。

書の展覧会を見ると、人格まで感じられる書は却って少ないと感じる。代書屋さんが、いろいろ並んでいるような気がしてならない。ここでも、下手は書の内、上手いは書の外ではなかろうか。文字は人を表すというが、筆跡鑑定があるくらいだから、字に癖が出てしまうのは正しいことだと思う。その場合、上手に真似てばかりいるとおかしいことになる。上手な字より、良い字を書きたいものだ。良い人は接していて心洗われる。そういう人間になりたいし、そういう絵や字を描きたいと思って努力している。これはローラさんのように1週間という訳には行かない。一生のことになる。書は井上有一さんが好きだ。それは書が良いという以前に人間がすごいのだ。日本の書を世界の現代美術として評価させた人だ。中川一政さんは字の前で頭が下がった。何しろ墨で自分の名前を書くのに、鉛筆で下書きがあった。さらにその下書から字が大きくはみ出ていた。須田剋太さんの字もすごい。白抜きの書がある。全くの自由だ。私もへたくそな字を描いは見たい。でもへたくそっぽい絵は好きではない。

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ブログ4000日

2017-03-20 04:18:53 | 身辺雑記

4000日まで連続継続できるかは、幸運が無ければ無理だろう。しかし、一応10年の次の目標でこの日を設定しておく。この文章の続きが無い時は、何か書けない事情が生じたときである。

今日見てみると4034日に到達してこれを書き継いでいる。ブログに予約機能というものがある。それで予約した4000日目の計算を間違えていたようだ。4000日とは即身成仏の為の修業の年月らしい。草の根、木の皮を食らい、生身の人間がミイラになる年月である。長いともいえるし短いともいえる。経過してみるとまさに幸運の記録である。この間健康と言える状態で過ごしてきた。生涯で一番体調がよく、安定した時期だったかもしれない。有難いことに、役割としての仕事を無事終わることができた。地域の役目、水彩人の18回まで、あしがら農の会は25年、4000日の間にやれるだけのことはやった。ブログにはマイナスとプラスがあったが、書くことを選んだ。継続してこの間の思考を記録した。考えてもやれないことも山ほどあった。能力不足であるが、努力不足ではないつもりである。読み返すと結果につながらなかったこともままあった。これは深く反省しなければならない。即身成仏は大日如来になるという事もあるらしいが、大した成長はない。成長というより、自分の中に徐々に入り込んだ日々だ。

これで一応は即身成仏したのだから、後はミイラとしてやらしてもらってもいいのだろう。私の場合は成仏といっても、仏になったのではない。ミイラという迷惑な物存在になったつもりである。物だから期待もされないだろう。これが良い。ミイラなのだかから反省はしない。残りの時間を、自分のやりたいことだけの時間として使いたい。いままでも好き勝手してきたように見えるが、それなりの配慮は残っていた。今度は70を目指す。「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」という事である。今のところ、心の欲する所に従うという事はだいぶできるようになったが、矩を超えてしまうことがままあった。矩とは、人の道である。人の道をまだわかってないから、ついつい道を外れている。人の道は難しい。勝手に生きるという事ではないのだろう。先日もある人と怒鳴り合ってしまった。ひどい思い込み違いで私が盗んだというのである。全くの誤解なのだ。濡れ衣である。冤罪である。しかし、怒鳴り返すのは人の道ではない。誤解を与えないように、李下に冠を正さずが人の道か。人の道には遠い。

私の絵が人の道に外れていなければいい。まさに心の欲するままに描こうとしてきた。心の欲するところを探すために、絵を描いてきたのだろう。その絵が矩を超えていなければ良しとする。自分の心の望むところは、なかなか厄介なものだ。それでも何が自分には大切なのかは、少しづつ見え始めている気がする。しかし、それが人の道に沿っているかとなるとだいぶ怪しい。私が良いと思う事が、社会一般の方向とはだいぶ違う。瑞穂の国の文化を大切にしたい。こんな私には当たり前と思える日本の方角が、社会的には逆方向になっている。田んぼは風前の灯火である。人の道はパンのみにあらず。と思うのだが、社会はお金以外の共通価値を失いかかっている。こうしたとき、人の道は勝手に生きればいいという事になるのだろうか。ここに歯がゆいところがある。自分勝手な道が人の矩を超えない。これが分かるのは終わってからのことだろう。

つぎは予約機能で5000日の日を計算して、その日を予約しておく。そうすると私がもうこのブログを書けない状態になっているとしても、その予約された日に記事だけはブログに掲載される。

 

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韓国と中国の対立

2017-03-19 04:20:58 | 石垣島

韓国と中国は朴槿恵政権になり、様変わりするように友好国になったかに見えた。この時の両国の共通の標的は日本だった。このまま対立的だった韓中関係は改善されるかに見えていたのだが、急速に関係が悪化してしまった。日本では韓中の連携で経済的損出を被るのではないかと不安視されていたのではないか。しかし、中国は韓国に対して急速な反発を見せている。韓国へのアメリカのミサイル配備が、直接の原因とされている。アメリカトランプ政権はTHAAD(高高度防衛ミサイルシステム)の韓国配備決定し、韓国防衛、同盟強化を計るとしている。北朝鮮の突発的な攻撃に対して、アメリカの不安が高まっているのであろう。沖縄の米軍と同じことである。沖縄では米軍基地の縮小が行われているが、自衛隊基地の新設は相次いでいる。沖縄県民の米軍への反発が強いので、自衛隊が表面的に肩代わりしようとして、自衛隊の八重山配備が進められている。ミサイル基地の共同使用である。沖縄の基地はアメリカのためのものだ。北朝鮮の暴発を日本と韓国の基地で、被害を食い止めようというのがアメリカの戦略だ。

与那国島、宮古島、石垣島に自衛隊基地を作ることが、着々と進められている。そしてこの島々にはミサイル基地を作ることになっている。主に中国に対抗しようとしている。尖閣を中国に取られる。というような危機感をあおり、八重山の防衛のためには、自衛隊基地が必要という事が日本の防衛計画である。これが沖縄米軍基地縮小の裏取引になっている。これは戦争につながる負の連鎖である。相手が軍事力を強化したから、自分も強化すると互いに主張している。韓国は北朝鮮のミサイル開発に対抗するためには、アメリカのミサイル防衛システムを配備するしかないという判断であろう。アメリカにしてみれば、韓国にミサイル防衛システムを作らなければ、アメリカ本土も危うくなってきたのだ。中国はアメリカとの直接の対決を避けようとして韓国との対立を始めた。八重山にミサイル基地を配備するという事は、中国が日本を、八重山を標的にするという事になる。

実はいずれも、米中の代理戦争である。アメリカは本土の被害が起きないように、前線基地を韓国や日本に置いているのだ。イラクやシリアで米ロが代理戦争をしているのと同じことになる。結局小国が大国のはざまで被害者になるのだ。シリアのアサド政権も日本の良い事例になる。世界は軍事力の強化に走り始めている。日本も遅れてはなるまいと、軍事力の強化が行われている。しかし、今のところ平和憲法の枠組みがあるために、攻撃的な武力の保持は出来ないことになっている。平和憲法があるので、無原則な軍事力の強化は出来ないことになっている。軍事力の強化では、安全の確保はもうできない。自民党の中には核武装論もあるくらいだ。自民党憲法が出来れば、どうなってゆくかは目に見えている。子供たちが安倍晋三記念小学校に通う事になる。きっと瑞穂の国、美しい日本の愛国小学校なのだろう。韓国のように徴兵制度が復活する可能性も考えざる得ない。

いずれにしても、朝鮮半島か台湾が、発火点になることを想定しなければならない。中国とアメリカの代理戦争に日本が巻き込まれる可能性がある。韓国にミサイルが配備されたらば、中国は観光客を制限した。韓国製品の不買運動が起きている。宮古島、石垣島に、沖縄にミサイルを配備すれば、沖縄が第一の攻撃対象になる。その間に本土の防衛体制を築こうというのが、沖縄防人論だ。沖縄に代理戦争を行わせようという日本本土の軍国主義者たちの考えである。沖縄がまた戦場になっても構わないという発想である。宮古島でも、与那国島でも、選挙で自衛隊誘致の決まったと言っても良い。ただ、石垣島では選挙もなく、住民投票もなく、中山市長が自衛隊を誘致しようとしている。自衛隊基地がある方が安全と考えているようだ。これはどう考えても間違えだ。基地がある方が危険だ。基地がなければ石垣を攻撃する必要がない。尖閣がとられても緊急性などない。少なくとも、住民が選挙によって意思表示ができることは必要だと思う。自衛隊基地ができるという事は間違いなく島の未来を危ういものにすることになる。

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メールやネットで市民活動は成立した

2017-03-18 04:25:20 | 地域

組織にはメールで連絡が取り合える組織と、そうでない組織がある。農の会や有機の里、里地里山協議会はメールやホームページで動いている。地域自治会は回覧板。連合自治会は電話網。電話連絡を行う負担は大きかった。電話してもいない。そのまま途切れる。水彩人はホームページとメール連絡と郵便による正式連絡である。大きな違いは費用である。いつこういう集まりを行いますという連絡を100名にするだけで、はがきであれば5300円かかる。メールなら無料である。会費の半分が連絡費になってしまう。メールや掲示板にはさらなる良いところがある。話し合いや相談ができる点である。またその記録が残る点である。誤解が生じにくい。こうしたいけれどどうだろうというような提案ができる。そして議論を共有しながら、結論が共通認識になる。その過程が記録として残るので、比較的、間違いの少ない形で意見の集約ができる。顔を合わせての議論の方が良い課題もあるが、メールの方が良いという場合も案外にある。

農の会が成立できたのはメールの普及にあると思っている。農の会ができた25年前はまだ、メール連絡は一部の人のものだった。その為に繰り返しメールは差別ではないかという意見が出た。メールをやらない人を排除しているという意見だ。私は強くメール連絡だけで良いと主張していた。メールは最も廉価な連絡方法だ。農の会はお金のない人でも同じ条件でなければならないと考えた。農の会の活動に加わりたいと思うのであれば、メールだけはやってもらうしかない。当人がメールをやらないとしても、誰か身近な人にメールの受け手を依頼するくらいはできる。誰でもがメールをやる時代が必ず来ると考えていた。ネット連絡の一番のありがたさは、連絡の事務手続きが簡便化したことだ。組織が連絡業務から解放されたという事である。それまでは何をやるにも事務担当の負担が膨大で、事務を行う人への負担感があった。その結果事務所が会を支配してしまった組織もあった。

活動を支えている人は事務所担当の人という事になる。事務担当の負担へ費用を払うとすれば、給与が必要な事務量になる。人を雇用する市民組織となると、かなりの規模が必要になるし、会費もかなりの額にならなければならない。事務所という場所代も必要になる。いわば市会議員などの主張する政務調査費というようなものを、参加者で負担しなければならない。大抵の市民組織は中心に支える人の思いの強さで事務負担が行われる。そしてその周りにいる人はその恩恵を感じながら、又何かすっきりしない気持ちを持ちながらかかわることになっていた。つまり、仕事が見えない権力になる。やってもらっているのだから、少し違うとは思うが仕方がないという感覚である。これを軽減したのがネット普及である。これで市民組織は一気に広がった。言ってみれば、社会の経済の論理とは別に動かざる得ないような組織が、社会で生き残ることができた理由がネットの普及である。ネットは市民組織の民主主義を支えるツールである。

課題は文章で自分の意見を上手く発信できない、たまたま発信すると少し考えとは違ってしまうと感じる人である。そういう人は黙って組織から離れてゆく。上手く言えないから、発信しないで置こうとなる。その為に自由な議論というものが出来なくなる。メールが記録として残る良さと弱点である。昔はよくメールではトラブルになるからメールでの話し合いは止して置こうという意見がでた。忖度するとか、慮るとか、顔色を見るとか、配慮するとか、惻隠の情とか、こういういわば日本的曖昧さがメールには入り込む余地がなくなる。私はこれこそメールの良い点だと考える。組織は余計なものがないさっぱりしたもので行くべきという気持ちがあったからだ。若い人たちはすでに慣れた人が多いいと思う。間違えは当たり前だ。組織が間違うことを認められるかではないだろうか。互いの問題点を含めて、許容し合うという事が出来なければ、良い活動にはならないのだろう。

 

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アベ政権と森友学園

2017-03-17 04:06:39 | Peace Cafe

安倍総理夫妻は森友学園を素晴らしい教育だと公言するほど親しい関係だった。安倍氏はレッテル張りは止めてくれと国会で叫んでいる。稲田防衛大臣は夫妻で森友学園の顧問弁護士だったようだ。稲田氏は森友学園の弁護をしていたことまで忘れていたという。橋下元府知事は森友学園の認可に際し基準を緩め、手を貸してしまった。橋下氏は失態だと認めたが、その失態の原因は明確にしない。教育勅語好きはレッテルでなく、事実だ。また、隠すようなことでもない。私には左翼だというコメントがあるが、隠すようなことでもないし、レッテルだとは思わない。教育勅語を幼稚園児に暗唱させるような幼稚園を高く評価していた安倍夫妻。稲田防衛大臣。橋下氏。アベ政権が教育勅語を評価していることを、隠すところが却って不自然ではないか。右翼であることを隠そうという態度が、いかにも不自然だ。世界では極右政党が登場している。アベ政権の国民に自らの信条を隠したまま、憲法改正を画策する姿勢が許されないことなのだ。

アベ政権の右翼傾向は、何度も指摘してきた。不気味なことにこの問題に対して、ネトウヨが一切沈黙をしていることだ。森友学園は日本会議の関係者である。日本会議のメンバーには愛国の為であれば、何をしてもいいと言うすり替えがある。悪いことをしたという意識がない。ごまかして、補助金を多く貰おうとしていた事実があったとしても、愛国の為だと考える。何かのミスであるとか、修正するので問題ないとか、上手い言い逃れをして、心乱れない。経歴詐称はアルバイトのミスとなった。こういう人間が教育にかかわっているという事が私には怖い。戸塚ヨットスクール問題を思い出した。自己正当化に長けているのだ。従うだけの幼稚園児だけを相手にしている内に、自分が神のような人間であると思い込んでしまう。ここにヒットラーに通ずるものがある。

教育というものは、教育されるものと教育を行うものが、同じ地平に立たなくてはならない。人間存在はすべてに同等の価値があるという、基本的認識が重要である。そこに幼児の人格の尊重がうまれる。教育勅語の暗唱などさせてはならないのだ。教育勅語は明治日本帝国の教育指針である。アベ政権は、明治の日本を目指す政権と考えるべきだ。それを隠すところが良くない。その認識の上で国民が選択し、判断すればよいことである。アベ政権の本質が問題にされてこなかった。アベ政権は電通的な、テレビコーマーシャル的なソフトイメージ戦略で誤魔化している。その右翼的本質を隠している。今回の事件はやっとその本質の一端が表面化した事件だ。まず、維新の会や公明党はアベ政権の本質を理解したうえで、補完勢力化を続けるのかどうかである。現在の選挙制度の中では、確かに大きいものにぶら下がることが有利である。アベがだめなら小池があるさ。

本当に、与党議員の大多数が明治の御代の再現を願っているというのだろうか。それならそれで明確にしてもらいたい。おかしい教育だと考える人がいるなら、アベ政権で冷や飯を食う事を畏れず声を上げてもらいたい。森友学園は今の段階ではかなり特殊な学校運営を感じさせるが、これが普通の義務教育になるのが自民党憲法制定後の公立学校である。今の公立学校が、左翼の特殊学校という認識になる。これを穿った見方と考えてはならない。安倍氏や稲田氏や橋下氏の誤魔化し方を見ると、国民の知性を相当に見くびっている。防衛庁で日報の隠ぺいは、政府には分かっていたことだ。だからスーダンの引き上げが突然下されたのだ。国民は領土問題を持ち出せば、すぐ近隣諸国を敵視する。南京虐殺や従軍慰安婦の裏返し。野党では経済が衰退するというイメージ形成。何度もこの国をあきらめかかっている。それでも、希望というか、幻想というか、そういうものは捨てられない。

 

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