地場・旬・自給

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竹林の整備

2011-01-31 04:50:24 | 自給
自給生活に竹林は有難い。竹というものがとても重宝な材料だからだ。100坪程度の竹林があると有効である。と言ってもそれを持て余してしまうのが、現実である。隣接する南足柄のみたけ集落では、上手く竹を管理していると言うので、テレビのご近所の底力に取り上げられていた。国の補助金も入っているようだ。しかし、そとから見ている範囲では、竹に負けているように見えるが違うのだろうか。舟原では竹には負けている。美しい竹林というより、竹がはびこってしまったように見える。特に我が家の竹やぶはそうだ。何とかしたいと思いながら、5年が過ぎた。いよいよひどい状態に成っている。今年の冬は懸案の竹やぶ整理に取り掛かった。状態としては、枯れて傾いてにっちもさっちもいかなくなった竹を徐々に取り除いている。前回Hさんたちが、塗り壁に使うコマイがいる、と言うので切ってくれた。

やっと中に行って行ける空間が出来た。徐々に広げて、現状5分の3ほど整理がついたところである。竹藪の中は良い空間である。竹藪の中の清浄感は独特の微生物が充満しえいるようだ。冬でも寒いことはない。徐々に美しくなってゆくことが分かる。実に良い仕事である。一人では長くはやれない。実は毎日2時間から3時間10日ほど続けている。そのうち自給の作業として、2時間だけ繰り入れた。筍を取るという意味だ。真だけの竹やぶであるが、筍を食べることはできる。筍も少しあればいいので、2時間だけ自給に入れた。では後の時間はどう位置付けるかと言えば、絵を描く時間に繰り入れるのが一番良い。風景を作る仕事。どんどん絵を描いている気分である。竹藪の中から空を見上げる。これがまた美しい。1っ本切り、2本切り。空の形が変わって行く。風が吹いて、空は広がりまた閉じてしまう。竹藪の地面はどんなに荒れていても清潔だ。厭な感じが少しもない。座り込み寝そべる。愉快この上ない。

竹藪に暮らしたらいいだろう。樹林気功の今田さんはブナ林を言われていたが、私は竹林だ。やはり子供の頃、竹に囲まれた向昌院で育ったせいだろうか。竹の海の中に漂っているような時が何度もあった。夕暮れに風が吹き出す。緩やかにすべてがうねりに成る。このうねりが催眠のように、いつの間にか目が回るように呆然と見入っている。夕魔が時。そんな時に巨大なトンボを2度見た。竹藪の上をかすめ、いつもの鬼ヤンマより、ずーと大きなトンボ。昭和28年か29年。幻影なのか現実だったのかはもう分からない。竹藪の中に少し広い空間を作り。周辺の竹を引き寄せる。ぐるりと引き寄せ編んでゆけば、ドーム状の家に成る。この中に暮らしたらさぞいいだろう。竹取の翁である。

竹はハザ掛け用にそろえている。脚を取る分と、竿を取る分と、手間はかかるがやりがいがある。今年増える田んぼは3反はある。その分を考えるといくら切って置いても、足りないだろう。特に足が足りなくなる。竿の方は、太いところをただ切ればいいから、いくらでも貯まる。足の方は1本の竿に対して、8本は居るのだから。相当の本数が居る。しかも、足を作ろうとすると、枝を払わなくてはならない。これがまたすごい手間である。根気仕事であって、気がつくと竿ばかりに成るものだ。何故か、竹が細い。管理しないからだろう。竹の厚みもない。これでは良い筍も取れない訳だ。竹林の整理が終わったら、糠を撒こうと思う。筍もすぐ茹でてから、冷凍しておくと長く使える。どうしても冷凍庫が居ることになる。冷凍庫を買う方がいいのかどうか、迷ってはいるのだが、

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麦の作業

2011-01-30 04:09:47 | 自給
小麦の会の3回目の作業を行った。10人以上いたと思う。麦の会1回目は種まきで、11月11日。20日には発芽が良くそろった。12月1日、2葉期から3葉期で一度目の麦踏。1月中と思って、昨日は二度目の麦踏。というか、様々な作業で麦踏に成る。草削りを行う。条間にナギナタガヤが芽生えている。みかん園だったころはナギナタガヤの叢生栽培だった。ナギナタガヤが案外にそろいにくいものだというのも、見ていて良く分かった。ナギナタガヤを根絶やしにするのは難しい。一年出てきてはトラックタ―で耕しての繰り返しで、かなり抑え込みはしたがが、細かくなった根から再生してくる。早めにということで、草削りである。一部生育が悪いところがある。そうした所を中心に追肥をする。追肥は上の養鶏場の最後の堆肥である。鶏が居なくなって、1年以上たつのだから、風化した床材というところである。それをトラックタ―で何度か撹拌してあるから、土ぼかしのようなものである。

話はそれるが今度、元養鶏場の土壌で発芽実験をしてみるつもりだ。土が多く混ざったあたりは、苗土としてちょうど良い感じになっている。なにしろ、1年もの間トラックタ―でかき回していた。土づくりをしていたような状態なので、結構いいと思っている。野菜をやるみんなに話したらば、何か草を生やして肥料を抜いてからの方がいいと言っていた。駄目と言われると、いよいよやる気が出てきた。そのあとはトマトを植えるつもりである。どうなるか興味がある。10年鶏を飼って居た床の鶏糞を出した後である。そこをトラックタ―で何度も撹拌した訳だ。先日の有機農業セミナーで聞いた。サイドレスハウスそのものである。トマトには良いかもしれない、とひらめいた。屋根にはスプリンクラーがあり。水道も完備している。ともかくやってみよう。

鶏糞の残りを麦畑に撒く。麦の生育のばらつきが大きい。上の方で耕運が足りなかったところは特に悪い。耕すことで土が良くなるという場合もある。どこのあたりが悪いかを覚えておく必要がある。結局、土を削ったところが悪い。その昔でも土を削り取られたところはいつまでもできが良くない。これは地中の水の流れではないか。鶏糞を撒いたらその上から、モミガラを撒く。モミガラを撒く必要はないのだが、モミガラが邪魔だし、保温にもなるし、腐植質が足りない畑だからだ。土づくりの一環である。モミガラを撒い上に今度はそば糠を撒く。これはモミガラの飛散防止である。雨が降れば接着効果が高くなる。土壌からの水分も来る。そんなことをしていれば、改めて麦踏をしなくても麦踏をしたようなことになる。麦は全体としては長いところで4葉期、20センチ。

12月1月はさすがに生育が止まっている。このところ少しづつ色をましてきている。日照が強くなり、長くなっていることに反応しているようだ。寒さの中で、根を張って力を貯めている。「稲は地力でとる。麦は肥料でとる。」と言われるが、稲は水の力が加わる。その点麦は地力と肥料である。農の会では、200キロとか、300キロとか収量がとても少ない。400キロは採れるはずである。反収の方はまだしも、麦栽培は自給農には不可欠な作物。どの作物と組み合わせても、冬の田畑には絶好なものだ。栽培技術を向上させていきたい。葉色と追肥。有機肥料とくに窒素分の追肥のタイミングを研究しなければならない。麦に関して言えば、麦の収量を上げて無施肥でやっている人というのは、いないだろう。

昨日の自給作業:2時間麦作業 累計時間:16時間
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こども園構想

2011-01-29 04:08:03 | Peace Cafe
保育園に子供を入れたいのだけど、入れないで待っている待機児童家庭が増加している。一方幼稚園では子供を集めるのに苦労している。それで出てきたのが、幼稚園と保育園を境を無くした、こども園構想である。厚労省管轄と文部省の管轄に分かれていた不合理も解消する。各自治体の裁量権の範囲で許認可をした方が、地域の事情に沿うことができ合理的だ。という声にも押されている。保育園は入れない。幼稚園は園児不足。保育園は基本は両親が共稼ぎの家庭。夕方まで一日預かる。幼稚園は2時ころで終わる。果たしてこの二つが合体してうまく行けば、問題解消である。幼稚園の経営は、とても難しくなっている。入園する子供が減少している。親にしても、2時で帰ってくるのでは困る。夕方まで幼稚園に居てくれれば、助かる。そういう非公式なサービスをしている、幼稚園も昔からある。

本来なら、それなりの施設。例えば調理施設や子供の暮らせるような部屋としての条件など保育園では、設備や人員の要求度が高い。一方、保育園でも幼稚園的に教育を行うところが増えている。ただ子供を預かるだけでなく、幼児教育をするようになっている。確かに垣根があるというのは良くない。なんとなく保育園と、幼稚園の差別的な色分けも感じる。現状の幼稚園から見ると、教育の多様性である。それは様々である。英語教育をやります。パソコン教育をやります。自然児教育をやります。人間教育を行います。受験教育まである。特色を出さなければ、子供が集まらない。親の要求に目ざとく乗るということが、経営として模索される。こうなるとまともな普通の幼稚園が追い込まれる。幼稚園の先生も、経営に押され当然過重労働に成る。より高い能力が要求される上に、管理が出来ない子供は増える。

そもそもを考えれば、両親の育児負担を減らしたいという気持ちが原点である。暮らしがぎりぎりで、子供を見ていられない。背景には格差の問題もある。子供が育つ環境としての地域社会が崩壊している。ということでもある。社会に余裕が無くなっているから、子供の居場所がない。子供同士で集団を作り、育ってゆくという社会で無くなっている。団塊世代くらいであれば体験として、子供同士の集団の中で、切磋琢磨し育てられたという意味が分かると思う。いじめも差別もあった。社会の縮図としての子供集団。悪をすべて取り除いたような生ぬるい中で、子供が育つのかどうかもあやしい。小学校の学級崩壊が教師の能力低下だけにある訳ではない。親がいなければ子は育つ。こう言う親もいる。親を見て子供は育つ訳で、理想道理には行く訳がない。

こども園である。どこまで自由な、規制のないものにできるかである。設備に置いてもがんじがらめにしないことである。要は育てる人の魂である。制度を作ると言うと、認可条件を高める傾向がある。思い切って下げることだ。幼稚園にしてみれば、補助金の削減。保育園にしてみれば、保育料の高騰。対象年齢の子供手当などやめて、こども園の無料化の方がいい。こども園に行かない子供には、子供手当を出す。富裕家庭の子供手当がどうしても許せない。そんな無駄をやっている余裕はこの国にはない。
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内定率過去最低

2011-01-28 04:00:17 | Peace Cafe
博報堂調べの4000人の調査で、良い大学を判断する1番が就職の面倒見が良いということらしい。大学もビジネススクール化している。大学は学問をするところである。くだらない授業はさぼってはいたが、学問はしたつもりだ。教育史に興味があった。江戸時代の藩教育と寺子屋や塾のこと、明治時代の教育制度が出来上がる過程。そして大正自由教育。戦後の民主主義教育。教育の変化を自分なりに学んだ。何か具体的に役に立つということはないが、そこが学問の良いところだ。大学の卒業生の就職内定率が、70%を割っていると報道されている。仕事が無い訳ではない。選んでいるために起きていることらしい。若者の内向き傾向ということが言われる。と言っても、就職が人生の結論のように見える時代であれば、当然の傾向である。自分の居る所を求めて、ある職種ある企業に就職したいと言う人は、大したものである。

大学を卒業するころを思い出してみると、就職する気持ちは全くなかった。心の混沌にさいなまれて、思いがまとまらない。就職する意味が自覚できなかった。どこで野垂れ死にをするにしても、行くところまで行くしかないというような、馬鹿げた気持ちだった。その気持ちのまま、たいして変わらず、ここまで来た。夢をあきらめない。というような歌に成るような感じよいものではなく。ひきつったみっともないものだったように思う。日本にいることでは、無難過ぎてもやもやが収まらない感じで、ほとんど当てもなく、強引にナンシ―と金沢の姉妹都市関係を頼りに、フランスに行くことにした。なにしろフランス語も全く分からないし、勉強もしたことが無いのだから、ひどいものである。何とかなると思っていたし、まあ何とかなった。生きる切実なところに存在を置いて置きたかった。だから、大学院に行くとか、大学に留年して残るというようなことも、違う感じがしていた。

理学部の生物学科の先生で、イトヨの研究をされている方がおられた。魚類の分類をされていた。消えて行くタナゴのことなど良く話されていた。一番世の中に役に立たない学問だから、分類学を選んだと言われていた。実学否定である。本当は、赤い魚類とか、緑の魚科という分類でもいい。もっともらしくやっているのが分類の学問だ。と言われていた。学者というか、学問というものは偉いもんだと感心した。頭がもう少し整理されていれば学者に成りたかった。役に立たないことを本願とする学者である。これは「人間の為の科学とは何か。」に反するように見えて、実は学問の本質だと思っている。真理の探究とは、実学とは繋がらないこともある。インフルエンザがなければ、渡り鳥の生態の研究は人間の暮らしにすぐにはつながらない。実利的に企業が今求めることを、大学が研究するのでは、就職の大学に成ってしまう。

安定して、楽に暮らしてゆく。その為の学歴とかいうのではつまらない。生きて行くことはもっと面白いものだ。何ともならない日々、絵描きを職業にしようともがいていた。結局駄目だった訳だが、それはそれで生きていた。今だって別に何も変わらない。絵が描けるということと職業とは違うことに気がついた。絵を売るなら、卵を売る方がまともだと思うようになった。食べるものさえあれば、何とかなると思って、自給自足に成って行った。そういうことは収入とか、財産とかとは何の関係もない。やはり大学の時に教えていただいた、出雲路暢良先生のことばを思い出す。「日々生きるということは、苦しみに直面することだ。苦しみに気がつかないということは極楽トンボにすぎない。苦しいということから逃げないことだ。」こういう先生にお会いできる大学というもののありがたさ。
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宮崎・鹿児島・愛知:鳥インフルエンザ

2011-01-27 04:28:49 | 自然養鶏
宮崎で2軒目の感染が出た。来るものが来た。鹿児島でもナベ鶴に感染が見つかっていた出水市で、3例目となる養鶏場の感染が見つかった。昨日はまた豊橋である。この冬ということでは、安来市が最初で5例目ということになる。今までもそうだが、危機は転換の絶好期でもある。慌てて全淘汰では、資料がなくなる。野鳥からどういう流れで、養鶏場に入るのか。本当に隙間からは行っているのか。これを徹底して調べるべきだ。政府上げて感染の拡大の防止と言いながら、宮崎では養鶏業者が集められている。今こういうリスクを高めることはやるべきでない。何度も書いているが、いつまでたっても改まらない。行政は弁解作りから始まる。人を集めて注意を徹底したところで、状況は変わらない。状況は小手先では収まらない、深刻なところに来ている。これも何度も書くが、鶏を何十万羽も集めて飼うことがリスクを高めている。もう一つは、野鳥にすでに強毒鳥インフルエンザが常在している。野鳥は感染しても死なない。

宮崎の2番目の感染は11月に作られた、最新の工場養鶏場である。「ここまで気おつけてきてだめなのか。」経営者が嘆き悲しんでいた。このウイルスはそういうものだ。近代的な工場養鶏設備で、感染が起きたのである。消毒を徹底すれば鶏は弱くなる一方である。鶏が病気にかからない隔離的状態は、わずかなウイルスが入れば簡単に感染してしまう。野鳥が簡単に居なくならないのは、免疫力が高いからである。病気にかかり淘汰を繰り返し、生き残った者だけが自然界に存在しているからだ。人工的に飼うなら、無菌室に鶏を飼う。こういうところまでやらなければ無理だ。隔離すればリスクが減る。確かに一面的にはそうである。野鳥の侵入は防げる。しかし、ネズミはどうか。ゴキブリはどうか。さらに空気はどうか。インフルエンザは空気感染する。違うリスクは高まっている。早く、大規模養鶏場だけで発症していることに気づくべきだ。こんなことを繰り返し税金を投入していることが、すでに人災の領域でないか。

野鳥に常在している。このことをどうするかである。まず野鳥の生態を研究すること。徐々に渡り鳥のコースが調査されている。報道では日本海側に雪が多いから、暖かい宮崎まで行ったのではないか。こういうのがあったが、間違いだ。安易な推測をすることは、誤解を広げる。徹底した科学的調査が基本。まず水鳥の飛来のコースを各地で、調査である。危険地域が分かれば、その地域の養鶏を禁止する。自分の養鶏場がどの程度のリスクがあるか。あしがら地域でいえば、オオハクチョウが酒匂川で見られた年もある。今年は見ていないが、鴨は居る。その他何が来ているのか、水鳥は100羽単位できている。「全力を挙げて拡大防止に努めていきたい。この問題、原因が野鳥という可能性もあるものですから。なかなか対応が難しいんですね。ですから、もちろん防護ネットとか、みなさん、しっかり防止のための手当ては尽くしておられますけれども。国として政府として、やれることは拡大をいかにして防いでいくかと。」これが総理大臣の感染防止の発言である。

消毒などで防げないこと。近代設備の養鶏場でも防げないことを認めるべきだ。一番大切なことは、鶏を健康に飼うことだ。大規模養鶏場以外でなぜ発生しないか、謙虚に科学的に分析すべきだ。閉じれば閉じるほど鶏の免疫力が衰退する。100年前ワクチンなどなんにもなくても、鶏は飼われていた。自然な環境の中で、健康に飼えばほどほどに、折り合いがついていたのだ。卵が少々安いとか、物価の優等生とか言って居た所で、人間の生存を脅かすのでは、どうにもならない。大規模畜産の禁止。それ以外の結論はない。と言っても中国など、さらに大規模な100万羽単位の養鶏場がある。困難はさらに大きく、広がって行くだろう。富裕層は大切なひとりっ子に何を食べさせるのだろう。大多数の貧困層は何を食べればいいのだろう。まず日本が大規模養鶏の禁止をすることだ。

昨日の自給作業:竹藪の片づけ2時間 累計時間:14時間
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一人が出来ること

2011-01-26 04:44:13 | Peace Cafe
今世界中で起きている悲惨ともいえることは、たとえば地球温暖化は、一人の人間にはどうしようもないかに、見える。しかし、見方を変えれば一人の人間の暮らしが変われば、すべてが変わることなのだと考えている。どう変わればいいかを、書き続けて見ようと考えている。一人に出来ることなどわずかなこと。何も出来ないように見える。でも一人が変わらなければ始まらない。ではどこからどう変わればいいか。段ボールコンポストを始めれば、暮らしが変わる。3年ほど前に若い友人に言われて始めたことです。確かに矛盾もいろいろある。問題点から言えば様々ある。でも段ボールコンポストは一人で出来る。ここから世界が変わるかもしれない。そう思うようになった。これが案外に続けられない。偉そうに環境運動家を名乗っている人でも、生活のない人には続かない。生活に根差さない人達が、世の中を良くするつもりで、駄目にしていることが多々ある。

小田原では、行政がこの活動に協働してくれている。問題点もある加藤市長であるが、段ボールコンポストには勇気があった。段ボールコンポスト一つでも、行政が取り組むとなると失敗が出来ない。1000軒配るモデル事業と言っても、500軒しか集まらなければ、そら見たことか。ということになる。もちろんそれまでの市民活動を踏まえてのことであるが、小田原の環境政策課は決断した。当然私は、1000個を担いで回っても、やってもらう気でいた。それが何と、公報に載っただけでたちまち1000軒が呼応した。小田原の市民は素晴らしい。100配ることさえ四苦八苦している地方もある。しかし、小田原だけではないのだと思う。心ある人は無尽蔵である。やってくれている人は、これが案外に、環境活動に熱心、と今まで言って居たような人ではなかった。暮らしのある人がやっている。段ボールコンポストで出来た堆肥を使って、野菜を作りたいと言う人が多かった。

プランターでブロッコリーとキャベツを始めて育てた。この野菜が何と美味しかったことか。こういう方がおられる。一歩すすむ。自給的生活の方法。このやり方を出来る限り合理的にして行く。そして誰にでも、その気になれば始められる、技術的なものに高めて整理する。自分の役割をそこに置くことにした。自分がやりたい興味である。自給自足を30代後半に突然やってみたくなって、始めた。人に教わるのは嫌いだから、本を読みながら、現代農業に励まされながら、取りかかった。それはできないだろうと半信半疑で始めたことであったが、意外にも5年後には、出来ていた。技術も体力もないのに、シャベル一本で何とかやり遂げた。色々が違って見え始めていた。山の中に、隠遁して暮らすような自給生活のはずが、もう一度、社会と繋がって行ってみようと思いはじめていた。そこから少しづつ、仲間が広がってきた。

一緒に田んぼをやった。それから20年位が経つ。自給してみようという根底は一人ひとり違う。私は人と一緒というのは苦手である。気まま勝手が好きである。同調しない協力関係というような、距離を置きながらも、波動を合わせる。ちょうど良い人間の距離を探して来た。それには田んぼはとても良かった。もちろん今やっていることは、地球規模でいえば、歯止めでも何でもない。それでもやらないではいられない。始めれなければ、何も変わらない。どこの誰でも、私のようなごく普通の一般人が、専門家の人から見れば、幼稚なことかもしれない。ただ、毎日の暮らしに根差した考えを。こうして毎日書くことが出来る。何の障害もないし、変わらず暮らしている。ともかくやってみるしかない。
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有機果樹栽培の可能性

2011-01-25 04:05:45 | 自給
自給農業に果樹は欲しい。果樹の栽培を有機栽培で行うことはとても難しい。笹村農鶏園では、ぶどう、プラム、キウイ、桃、梅、柿、栗、イチジク、プルーン、みかん、ネーブル、夏ミカン、金カン、椿、等の果樹がある。みかんは二度だめにしているが、2度ともうまく行かなかった。23日山梨市で「有機農業:果樹栽培の可能性を考える。」という期待できる公開セミナーがあった。小田原有機の里づくり協議会の19名で参加をした。小田原には有機の果樹栽培で全国的に注目されてきた方もおられる。これからのことを考える農の会のメンバーには、またとない機会になったはずである。日本の農業で、国際競争力ということになれば、有機栽培による果樹栽培である。例えば、2度訪ねた鎮江市でも、桃やぶどうの有機栽培に日本人の指導者がおられた。理由は果樹と清らかな水の連想。日本の清潔な農産物という結びつきが強い。日本の山紫水明への評価は高い。

果物の関税はすでにかなり低いものが多いのだそうだ。お米のように価格の何倍もの関税があるものと違い、果物は関税が無くなっても影響が少ない作物である。また単価が高いので、輸送コストの影響も少ないと言える。輸出をしないまでも、海外からの農産物が自由に来たとしても、可能性の高い作物である。また、これが有機果樹となれば、技術的要素が高い。リンゴの木村さんが世間では評判が高い。だが、昨日のセミナーでは、農業経営という観点から問題が指摘されていた。農業経営としての労働力の投下がそれに見合う見返りなるのでなければ、産業ではない。というようなことであった。冒頭の基調講演をされた。鶴田志郎氏は株式会社マルタを経営されている。自身の農場は11ヘクタールだそうだ。全国に販売組織を広げている。夏ミカンを中心にされている。夏ミカンは我が家でも良くできる。しかし、売るには大変な作物だ。

みかんではもう一人愛媛から宇都宮昌光氏有機農業35年だそうだ。農家のグループが力を併せて有機栽培に取り組んで試行錯誤されてきた、実践のお話であった。日本の農家力。こうした地道な努力が作り上げた、技術体系には目を見張るものがあった。次の時代にこうした美しい日本人が現れるなら、充分日本はやって行けるだろう。もう一つのテーマがブドウ栽培。山梨の澤登早苗氏と岡山の上松美智夫氏。澤登氏は有機農研の会長だった方の姪である。恵泉女子大の教授である。感触は農の会と通ずるものがあった。上松美智夫氏はまさに農業の天才である。2反のガラスハウス栽培で、4000万円は収益がありそうだ。ともかく緻密で、やれることはすべてやりつくしている感じだ。一房2万円で結婚式場に出すぶどう。岡山大学の岸田教授が見えていたが、岸田教授は合鴨農法を中国に紹介されている方で、一緒に中国に行った。岸田教授がその技術を絶賛していた。

みかんが小田原で有機栽培が出来るのか。これを皆さんに聞いてみた。皆さんが出来ると言われる。問題は慣行農業からの切り替えにある。木が弱るのでこの転換を慎重に進めなくてはならない。みかんは果樹の中でも多肥のものである。土壌が良くなるまで、どんな手当をして行くかが決め手である。また寒いところでは、収穫がどうしても遅らせて甘みが乗るのを待たざる得ない。それで木が弱りがちである。ここをどう乗り切るか。技術的には剪定が重要である。日光を全体に通す剪定。作業はカミキリムシをこまめに発見して取り除くこと。寒いということは、病害虫の発生が少ないともいえる。これを生かせば、可能性は高いということであった。帰りの車中では長谷川さんを質問攻めにしてしまった。長谷川さんのみかん栽培に対する、深さには驚嘆した。全国くまなく歩いている。そして自分の目で分析されている。小田原の農業技術の蓄積も深い。

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堆肥の実証圃場

2011-01-24 04:39:37 | 自給


大きい写真が段ボールコンポスト生ごみ堆肥の5トン区の写真である。
小さい写真はクリックすると大きくなるが、
左が、報徳小堆肥5トン区
右が農協の牛フンたい肥5トン区である。

この結果を簡単には判断はしないが、段ボールコンポスト堆肥が使えるということはわかる。1反に5トンたい肥を入れた場合の、実証実験を行った。結果があまりに明快すぎて、これを結論にするのはいかにもためらいがある。農業の実験は、様々なやり方が想定できる。今回の圃場は土壌がとても悪かった。無肥料区はほとんど枯れてしまった。その中で、ある程度できた畑は報徳小学校の生ごみ乾燥肥料の10トン区と段ボールコンポストの5トン区である。同じ苗が植えられている、田中農園と笹村農鶏園の苗は、もう少し良く出来ている。それでも今年は珍しく寒風と乾燥で生育は少し悪い。良くできた土壌でも、生育が悪い位だから、まだ畑の土壌に成っていないところで良い生育をする訳が無い。それでも作物が育ってしまうのは、肥料という即効的なものの効果である。堆肥に存在する微生物が介在してというより、直接的な成分としての、窒素、リン酸、カリである。

ここまでの手順を再度記録しておくと。10月18日に畑をユンボを使っての開墾。畑の状態は建設残土に近い状態。コンクリート片や大きな石、ガラスや瓦やタイルが相当量混入の状態。20日にトラックタ―で耕運。やはり大量の石が出る。25日に堆肥を投入し、管理機で耕し混ぜる。相変らす大きな石が出てくる。11月9日に菜花を植え付ける。菜花の苗は田中さんが準備してくれる。写真は11日に撮影したもの。基本的な土壌は無肥料状態の残土と考えていい。普通なら畑にはしない土壌である。堆肥を投入し、2週間置いて、菜花の苗の植え付けを行った。土壌はある程度の湿り気があった。植え付け後は水を与え、藁で根もとを覆った。

笹村農鶏園の菜花は何度か食べたが、とてもさわやかな春の味がしている。花粉症が聞こえてきたら、菜花である。毒を以て毒を制す。良くできた菜花の花茎はアスパラガスのような味わい深いものがある。もちろんわざわざ栽培しないでも、鶏の緑餌のカラシナのつぼみを毎年食べる。今年は、このカラシナが遅れている。一度目が早く発芽してしまい、虫にすっかりやられたことが影響している。いつもの年であれば、今頃は一面の緑が濃くなり始めている。今年は追い蒔きしたカラシナが寒さに耐えている。作物は全体に生育が悪いようだ。

今回の実証実験は様々に不備な気がしている。科学的側面の実験としては、要素が限定されていたという意味で、参考に成るところはあった。いわば土壌が意味しないということでだ。堆肥の実験は土壌が良い圃場でやりたい。そうでないと、堆肥の持つ力のうち、肥料的な効果だけが際立ってしまうようだ。土壌に微生物が潜在しているような畑では、少量の堆肥であっても微生物が堆肥の刺激で、動き始める。微生物が介在して作物の持つ生育力が発揮される。しかし、微生物の居ない圃場での堆肥となると、その成分的効果が優先されてしまう。今後の課題として、トンプン堆肥(こぶた畑)、鶏糞堆肥(笹村農鶏園)、段ボールコンポスト(小田原生ごみプロジェクト)、二見すこやか堆肥、報徳農場堆肥、剪定チップ堆肥、EM堆肥。無施肥。この違いが特徴が明確に出る実験をしてみたい。
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米中会談

2011-01-23 04:14:11 | Peace Cafe
中国が世界の中心になるという、アメリカ人の中にある恐怖感。恐怖感というものは、根拠があいまいなだけに、始末に悪い。高度成長期の日本もそうした目で見られたことがあった。白人の意識に潜在する、差別意識が背景に感じられる。先頭を行くものは常に背中が不安。上海の子供たちの学力がどの分野でも世界1だそうだ。最近まで韓国がそうだった。日本にもそれに近い時代があった。遅れを取っている意識がある者には、教育こそ未来への投資である。日本の教育力の低下が言われるが、満足すれば努力は減る。世界全体が高くなれば、日本だけがず抜ける訳がない。ここでの教育の観点が、本当の意味での教育であるかは極めて怪しい。人間にとって必要な能力の比較とも思えない。経済競争に役立つ能力という限定的意味だろう。教育が真理を学ぶものであるならば、競争のばかばかしさだって自覚出来るはずである。競争をエスカレートさせる教育が、比較となる教育の基準。

中国はすべての面で、失敗した経済先進国の競争地獄への道をひたすら進んでいる。このままでは、また同じ轍を踏むだろう。20年前には、中国という歴史の深い大国なら、違った道を選べるかと思っていたが、残念ながら、中国の方がより問題が悪化してきている。日本の高度成長の倍の速度で中国は変化している。人間はどの時代も同じ速度でしか変われない。人間性を崩壊させながら、ひたすら経済強国を目指すことは、結局は大きな挫折に突き進むことになる。ノーベル平和賞に変わる、孔子平和賞を作ったという、面白ニュースが流れていた。儒教というものは、実に中国人の反面思想である。余りにそうではない民族なので、儒教思想が生まれたような気がする。それでも、中国4000年の歴史の知恵が、資本主義の問題点を違った形で乗り越えてくれないかという期待は、今でもある。

中国はやはり巨大な国である。一枚岩ではない。この急激な変化の中で、綱渡りを続けているのだから、当然、政権内部は権力闘争の渦である。ただしその弱みを見せまいとするあまり、北朝鮮と同じように世知辛い小国的対応が増えた。中国といえども資本主義に巻き込まれれば、近代化の途上国に成り下がる。問題は格差にある。農業国家というものは、富を集中させようとしても、大多数の農民はほどほどの暮らしをしているしかない。それが権力にとっても有利だからである。しかし、工業化社会では、格差を広げようとすればいくらでも格差は広がる。中国はこの格差というもののコントロールが利かなくなっている。資本が利潤を生む社会。農民と都市住民との格差の拡大。経済の発展を続けることだけが、国を維持できる装置と考える政府。軍の増強は格差による暴動を抑止しを目的としている。

世界情勢に置いて、米中首脳会談を注目すべきだ。それにしては報道の分析が鈍い。米中の緊張緩和の調整が主目的であった。北の核開発と、韓国への武力挑発。中国は何か約束をしたのだろうか。成果が無いということで、危機が深まったということに見える。経済でいえば、中国のバブルは必ず破裂する。それが何時なのか、今年なのか数年先になるのか。経済成長だけが国民の不満を吸収する手立てとなってより深刻化する。インフレ懸念。不動産高騰。不良債権問題。優良農地の減少。環境破壊。水の確保。食糧の問題。中国を市場として依存して行く日本や世界への波及はリーマンショック以上になる。中国は日本の失敗から学ぶべきだ。かつての自力更生を思い起こすべきだ。毛沢東をもう一度学ぶべきだ。農業でいえば、発酵の利用は世界で最も深い技術が存在した。近代農業で今一気に捨てられている。多分、こうした間違えがあらゆる分野に起きているのだろう。
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相次ぐ野鳥のインフルエンザ

2011-01-22 04:07:32 | 自然養鶏
宮崎の養鶏場で鳥インフルエンザが発症した。広がらないことを祈るのみである。鶏を健康に飼育し、免疫力を高める。それが一番リスクの低減につながる。鶏舎に入る時に長靴をはきかえる。この冬は時々インフルエンザで死んだ鶏から発見される。野鳥の強毒性インフルエンザが常在している。自然界にはごく一般的にどこにでも存在しているといると考えた方が良い。日経の記事では、かもはH5N1
でも死なない場合がある。と書かれているが、野鳥は感染しても発病もしない場合が多く、発病しても回復することの方が多い、と私は考えている。農水省からの対応策は今のところない。私にしてみれば、宮崎の養鶏場で発生したことより、困った状況である。昨日も家畜保健所からファックスで、「家畜保健所たより」が送られてきた。先日も家畜保健所から電話があったので、どのように考えているのか聞いてみた。

「困りましたよね。ともかく野鳥が入らないようにしてください。」「否、そうでなくて、野鳥のことをどのように考えれば良いか。考えを聞かせてください。」「野鳥は家畜ではないですし、どうにもなりませんよね。ともかく野鳥がはいらないようにしてください。」「ネズミなどはどうですか。」「困りますよね。ともかく野鳥が入らなければ、リスクは低下しますから。」こんな調子である。

湖には近づかないようにとか、死んだ鳥を見つけたら、触らないようにとか。今までの鳥インフルエンザ対策が、見当違いであり、現状どうしたらいいかが分からないで困惑している様子がありありと分かる。何故野鳥は強毒鳥インフルエンザで死に絶えないのか。今までの農水の見解では、すべての鳥が死に絶えるはずだった。生き物は自然淘汰され、何万年生き残ってきたからここに居る。実に巧みな仕組みの上に存在している。今ここに存在している生命は、何万年という淘汰の歴史の中で、存在すべく存在している。愚かな人間が強毒の鳥インフルエンザを作り出してしまう。確かにある危機である。しかし、野鳥はこのことを今乗り越えようと生きている。感染し発病し、死に絶えるもの死に絶え。感染し生き残るものは免疫を獲得する。これを何世代も繰り返し、その種はそこに存在する。

人間の病気というものの克服の仕方が、他の動物と比較すると例外的なものだ。そこに家畜という人間に囲われた動物が登場する。経済性だけが重視されて、極めて、不健康な状態で飼育をされている。その不健康さをかろうじてしのぐことが、ワクチンであり、抗生物質であり、化学的薬剤である。20世紀から起きた、何万頭の工場飼いという異常な動物の飼育法は、次々に新しい病気を発生させている。そしてその新しい病気の対応法が、予防的な化学薬剤の使用である。あるいはワクチンによる免疫である。その場しのぎの、緊急的な対応方法である。健康な家畜の飼い方をする方向は、忘れ去られている。経済競争に勝てない。その危険な状況には目をつぶって居るうちに、そうした家畜から出来た病気は自然界へ影響し始めている。野生動物にしてみたらはなはだ迷惑なことだろう。

宮崎県の口蹄疫では、法の名のもとに、目に余る無駄な殺戮が繰り返された。もし、イノシシに感染が広がったとしたら、九州のイノシシを全滅させるということに成るのか。今鳥インフルエンザではそういうことが起きているのだ。コウノトリやトキも同じことである。野鳥の保護をするということは、野鳥が住める環境を取り戻すということだ。鳥インフルエンザを作り出すような、工場養鶏を禁止することだ。鶏肉も卵も倍に成る。それが健全なことなのだ。自然界に鳥インフルエンザが常在するという状態は、今までの家禽の飼育では想定外のことである。存在する法律も改正しなければ、また口蹄疫の無駄を繰り返す事に成る。というと、より隔離することを国は考える。すでに考え始めている。どこまで行っても、根本を変えなければ、人間が絶滅する。*
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麹の簡単作り

2011-01-21 04:38:54 | 自給
味噌の麹を仕込んだ。中原さんの所でやらせてもらった。農の会全体の麹作りを行う23日、山梨市の公開セミナーに行くので、19日の中原家の仕込みに加えてもらった。2時間で10キロのお米の麹を作った。お米は五分づきである。今年の新米だから少しもったいない気もしたが、今年は欠ノ上田んぼのお米がもらえたので、ふんだんに新米を使っている。味噌作りに関しては何度も書いている。年々規模が拡大し、しかも内容が充実してきている。大豆の種まきから、みそ料理を食べるまでの全体を通して、様々にかかわる人が居る。どの段階どのレベルでもその人の状況でかかわれることに成っている。種だけ蒔いてみる人もいるようだし、せっかく大豆を育てたのだが、味噌は食べないのでやらないという人も居るようだ。もちろん味噌だけは作りたいと言う人が多い。ことしも醤油もやりたいと言う人が居ればやるつもりだ。農の会がやりたいという思いが実現する場でありたい。

麹の作り方も随分進化してきた。少しづつ改善されて、今やっているやり方は自給の麹作りとしては、それなりに公表できるレベルだと思うので、少しまとめて見る。この麹で味噌も作るし、甘酒も、どぶろくも作る。時間については、10時間に区切った方が分かりやすいので、統一してしまった。「米袋麹作り」である。特徴は家庭でも雑菌が入りにくい。扱いが簡単である。運搬などに都合が良い。湿度管理、温度管理が楽、等である。今朝5時の時点で手入れ仕舞いである。なかなか良く出来ている。

1、お米の準備(10キロの場合を以下想定)
お米は、さなご(くず米)でもいいし、古米でもできる。玄米でもいいし、白米でもいい。私は5分づきにした。玄米でやりたい気持ちもあるが、手間暇を考えると、少し削るだけで、とてもやりやすくなるので、5分づきである。麹の味が違うかというと、味噌に成ってしまえばたいして変わるものではない。お米は冬なら、麹は大抵は冬に作るのだが、20時間水に漬ける。それ以上漬けたいなら、途中で水を変えてやらないと、臭いがつくことがある。そして、水を良く良く切る。2時間以上である。大量にやるなら、中にタオルを入れて水を取る。乾いていないと蒸しがカラッとあがらない。これはコツ。

2、お米の蒸し
蒸しは出来る限り高温で行う。1時間以上はやる。長時間に成るので、途中でのお湯の補給はやりづらいので、せいろを載せるときに釜の水を満杯にしておく、葉釜の場合、水がつばより下で炊くと釜が痛む。今回は5キロづつ二せいろでやった。長すぎるのは問題が無い。蒸し上がりを確認するには、熱い中、食べて見て芯が無い状態を覚える。分からなかったら長くやる。

3、麹菌の播種 ――床もみ――ここがスタート時間となる。例えば19日12時とする。
手は米ぬかで洗い、匂いが移るので石鹸では洗わない。新聞紙を3日分ほどB全紙にひろげて、その上に毛布を引く。さらにその上に白い木綿の清潔な布を広げる。大きい方がやりやすい。蒸し上がったお米をせいろをひっくり返すように広げる。ステンレスのボールに一部のお米を取り分け、先に温度を下げる。お米は広げて乾かしてパラパラな状態にする。粒が粘つかないことが大切。少しさめてきたら、手で広げながら小さな塊もないようにほぐしてゆく。40度以下に成るまで繰り返す。取り分けたボールのお米は先に冷えているので、ここに麹菌を入れる。麹菌は案外広がりにくく、一部で固まるので、まず少ないお米にくっつけて、40度以下になった全体にまんべんなく播種する。取り分けたお米に麹菌を良く混ぜて散らしてゆく。まんべんなく回るようにする。全体に十分にすりこむ感じで、お米に力を入れて練り込むことが「床もみ」。練っても乾いたお米がぱらぱらであることが理想である。麹菌がお米の芯まで摺り込まれる感じで。

4、麹菌を育てる。――もみ上げ――10時間 19日12時に行い22時までの状態
白い布からお米を米袋に入れる。米袋にじかに入れてしまう。米袋の底に塊にして置く。新聞紙でくるみ、毛布でさらにくるむ。麹を植えたお米の塊をそのまま保温する。お米の品温(麹の温度の事)が30度程度に成るように加温する。ホットカーペット、電気毛布、床暖房、炬燵、カイロ、湯たんぽ。何でも構わない。

5、――切り返し――10時間 19日22時に行い20日8時まで
10時間すると菌が回ってくる。米袋を上下左右にしながらお米をほぐし、再度塊にして、菌の回りを進める。酸素はこの段階ではさして要らない。米袋は酸素を補給できる。全体が安定して30度から35度の間に収まるように上下を変えたり、調整をする。

6、――盛り――10時間 20日8時に行い18時まで
さらに10時間すると麹の甘ズッパイ香りが充満してくる。ここで、お米をパラパラに充分ほぐし、米袋の中で平らにする。米袋のふたも開ける。このころから徐々に自温を発するようになるので、上昇に注意する。品温35度。品温はお風呂の温度を思い出しながら、手で覚える。段ボールで、米袋を切り開いた大きさの炬燵状の箱を作リかぶせる。温度管理が楽になる。これでお米から発する湿度で丁度良くなる。床までぐっしょりになるので、米袋の下にビニールを引いておく。

7、はな道を作る。――手入れ――10時間 20日18時に行い21日4時まで
さらに10時間したら、米袋を切り開きお米一面に広げての表面積を大きくする。麹菌は酸素を必要としている。畑の畝のように溝を作ってやる。広げるので湿度不足に注意。箱の中がじっとりしたほどの湿度がある方が良い。乾いているようなら、お湯の霧を吹きかける。この時点の品温は35度前後。麹菌が熱を発するので、油断すると、40度を越えてしまう。

8、――手入れ仕舞い――10時間 21日4時に行い21日14時まで
さらに10時間たったら、保温の段階が終わる。この10時間も温度の上がり過ぎに要注意。ここで麹は育成は完成に成る。上手く出来ていると、お米の芯の方まで、菌糸が回っている。表面にしか付いていなくても失敗していることは少ない。案外に利用できる。仕舞を伸ばし、水分補給をして、もう10時間延ばして一サイクル伸ばす事もできる。この段階では保温をしていないので、徐々に温度が下がってくる。ここでも上がり過ぎは良くない。

9、――出麹――10時間 21日14時に行い翌日22日に保存
いよいよ最終段階で、麹を乾燥冷却する。麹をさらに広げて、冷却する。完全麹の動きが終わったところで、ビニール袋に入れて、酸素を止めて、冷暗所に使うまで保存する。
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農業改革

2011-01-20 04:10:36 | 地域
多くの市町村がTPP反対の決議をしている。小田原市議会でも「TPP反対の決議」を進める必要がある。世論調査のTPP賛成多数は作られたものだ。騙されてはならない。農水省は相変わらず、農業改革の方向性をださない。政治は税制改革や社会保障制度見直しの方に、主題は移っている。6月に出て来る抜本改革のはずであるが、こんな状況では期待できない。農業者の方から、たとえば農協の方からは、TPP反対の署名は回っているが、農業改革案の相談をしようという話は出てこない。展望など誰も持っていない。そういう私もとびきりの解決案を持っている訳ではない。ただ、この機会を逃したら次はない。という危機感は強い。つまり、いよいよ息の根を止められるという危機感である。政府は大規模化しろ、国際競争力のある農産物を作れ、こういう農業改革の方向で補助金を出して来た。このままでは大規模化に取り組もうとした農家ほど、叩かれるという状況になるだろう。

政府の方針に答えた意欲ある個人や組織は、補助金をもらったり、借りたりして「規模拡大し、雇用をして、大型機械を入れて、」競争力ある農業をやろうとした矢先である。まず戸別補償で障害が起きた、米価の下落で予定収益が上がらない。国際競争力と戸別補償では真逆な政策である。米価が下がり、海外の穀物相場が上がるという状況は、国際競争には悪くはない。しかし、これでは経営農家を潰すことだろう。今年の米価で危機的状況は進んでいる。補助金も一時的なものだ。すぐにではないにしても返さなくてならないお金もある。この先の展望が暗くなっているところである。そこに、関税撤廃の方針が出てきた。政府や様々な場面で出てくる言葉は、農業改革の必要性と、農家の努力不足である。農業を企業のように考えているのだろう。企業のように、あるいは町の商店のように、血の汗を出すような努力せよ。こういう声も聞こえる。

まさかもっと低賃金で長時間働けというのではないだろうから、工夫をしろということだろう。町工場のように、工夫をして生産効率を上げよ。こんなイメージなのだろう。農業分野を努力を怠っているという誤解がある。農業の努力は、あくまで自然に従うしかない。5か月はかかる稲作を4カ月で出来るようにとはいかない。ハザ掛けのお米が美味しいと言っても、大規模になればなるほどそういうことから遠ざかる、一次産業である。さらなる問題点が、大半の形式的農家には儲かるはどうでもいいことなのだ。経営として農業を考えていない、たとえばアパート経営の税金対策農家というのもある。儲からなくて良いのだ。相続税猶予とか、相続税対策とか。財産管理農家である。競争の世界ではすでにない側面を抱えている。競争力を考える前提として、そういうところまで調整が必要になる。日本人の生き方にかかわることだ。婿を取ってまで農家を続けようという気持ちを踏まえて、どうするかを考えなくては、抜本的改革はできない。

小田原市議会でも「TPP反対の決議」を進める必要がある。このまま関税が撤廃された時、生き残る農家は、財産管理農家だけである。本気で経営農業をやろうという農家は成り立たない。小田原で土地を借りて新規就農を始める人間には、補助金をもらえるあてもない。しかし翻って考えれば、都市近郊農業こそ、生き残る農業と考えているのだが、それも厳しくなる。どうすればいいかと言えば、農地の国有化である。ひとまずそれは遠い目標として、まず『地場』の育成である。農産物を地域の循環とすること。地域の環境を守るためには、地域の農産物を食べる。この当たり前のことを、何としても進めなくてはならない。そうした地域が総合的に出来上がることを、ぶち壊すのが、TPPである。

昨日の自給作業:麹の仕込み2時間 累計時間:12時間
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日本の戻るところ

2011-01-19 04:46:21 | 地域
うさぎ追いしかの山、志を立て、いつの日にか帰らん。それが故郷であり、明治以降の立身出世の志の姿である。ふるさとは出て行く場であり、緑にあふれた桃源郷として永遠に続いていなければならない場所であった。それほどに江戸時代のふるさとの社会は、豊かさと思想を育んでいた。それは自然とのかかわりを、手入れの思想という自然を大きくは改編しない。最小限のかかわりの中で、人間の社会を落とし込む知恵に満ちていた。しかし、そのある意味満ち満ちた循環社会を、欧米の帝国主義に対抗した、近代化社会化がある種の安定を打ち破る。明治政府は、取りもとりあえず、独立を保つために一切を投げ打って、近代化社会の構築を目指す。天皇制による富国強兵。この止むえなかったともいえる、国家の変貌が、ふるさとにとってはどれほど理不尽なものであったか。江戸時代の豊かさのすべてまでも、前近代的なものとして否定し去ったか。

その果てに日本というプチ帝国主義社会は、富国強兵の果てに、欧アジア諸国にに暴虐をふるってしまう。そして敗戦。その後はアメリカの占領下が今のいまも続く。アメリカ属国としての日本。アメリカの虎の威を借り、こずるく立ち回り経済で一定の成功を収める。しかし、その明治以来の日本の方向もいよいよはげ始めている。アメリカの衰退。それに伴う日本経済の焦りの増幅。焦れば焦るほど対応が揺れ動く。落ち着きのない、焦燥感の溢れる社会の出現。日本が徐々に後れを取り始める、大きな流れは資本主義経済の行き詰まりの必然と言える。日本人が明治以降、何故欧米にいち早く追いつくことが出来たのか。そして戦後復興し、経済成長を続けることが出来たのか。それは日本人だったからである。日本人とは、日本の文化を身に付けた当たり前の人間のことだ。

その日本人は確かに問題の多い、民族ではあった。問題点を江戸時代に見つければ数限りなくある。しかし、明治政府の否定的情報戦略を除いて見渡してみると、江戸時代の豊かさは捨てたものではない。今日本が行き詰まり、もう一度見直すところは、むしろ江戸時代の農村の庶民の普通の暮らしである。大半が農民である暮らし。自給的で、循環の輪の中に上手く入ってゆく暮らし。その300年にわたり培った日本人の資質が、その残された資質が今までの日本人が世界で、一定の成果を上げることが出来た原因である。工場や現場で働く人の資質が高かった。農業で育った人材が、志を立ててふるさとを捨てて出てきたのだ。いつの日にか立身出世して帰らんと頑張った。その資質のすべてと言っていいものが、稲作共同体の仕組みであった。それは、前近代的な因習や個人の尊重されない社会である。その抑圧されたものが爆発するように、都市文化として明治以降の日本は経済的な成長を果たす。

しかし、帰らんとしていたふるさとは、ほぼ消滅した。美しく帰れるような場所ではなくなっている。これが厭だからふるさとから出たという、さまざまな問題点だけが増幅されているのが現実のふるさとである。ふるさと回帰と単純には行かない。現実を良く見なければならない。ふるさとは新しく作り出さなければならない。ある意味都会よりその情緒的余韻は失われている。そうしたものを故郷に期待して戻ることはできない。その一員となって、身を粉にして作り直す仕事こそが、新しい故郷なのだと思う。幸い人口も減少を始めた。農地は余っている。利用できる環境的技術も増えている。日本の自然環境、気候的な豊かさは、世界でもまれにみる恵まれた地だ。生きて行くには充分である。
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水土の研究10 耕す事

2011-01-18 04:29:25 | 自給
土壌を作物を作るために適したものにするには、腐植質を加えることが重要である。その加え方を耕すという観点から考えて見る。自然界では土壌が作り出される過程は、上から上から積み重なる腐植質の蓄積である。作物を作る土壌でも、基本的には同じ構造が望ましい。堆肥を入れるにしろ、緑肥を育てるにしても、上から上から作って行く。農業では明日にでも良くしたいという思いがあるので、その時間短縮ということに成るが、大きく耕転するようなことは、土壌が何時まで経っても作り出されない結果に成りかねない。耕すことは2つの方法に限定するといい。畑を整える場合。上の草を削る。草の生え際の土を浅く削りながら、草とともに土壌の表面を削りとる。そして、5センチ程度を3角溝に掘り種をまいたり、植えつけたりする。それ以上に耕さず、作物を継続する。作物以外の草も、取らないでいい草はそのままにする。

土壌は作物の収穫時に掘り起こされる場がある。これが土壌を動かす方法に成る。芋類や根菜類などを作る場合、耕したい場所に植える。耕したい場所とは、土壌を撹乱したい場所である。真の土が固くこわばったような場所、葉物が良くできない場所、そういう場所が畑にはある。土壌を物理的に手を入れたいような場所に根菜類や芋類などを植えて、深く耕す。土壌を撹乱することは、微生物にとってダメージがある。微生物は生息しやすい場所に集中する。それは10センチ程度の浅い場所である。表土から、せいぜい15センチまでである。この層を豊かにして行く。耕すことは必要以上にはしないことである。その下の層は、酸素が不足する。微生物の種類が謙気的なものに変化する。根の役割も違ってくる。養分を上げるより、水分を上げている。根の位置に着目すべきである。表土を張って行く根。根圏の意味。

耕さないでも深い土を育てる方法には、2つある。一つは植物の根である。根が土壌に深く入り込んで行く。根は地中に網の目状の空洞を作り出す。腐植質としても量は大きく、それだけで土の耕転に匹敵する。深く地中に入る作物を利用した根による耕運である。もう一つは敷き藁である。できる限り敷き藁を使う。堆肥を撒いたなら、その上から敷き藁を行う。微生物が土壌を耕してゆく。微生物は徐序に土壌での生活圏を、変えながら地中に深く入り込んで行く。土壌では表層ほど重要である。敷き藁を行う方法は、毎日1本ずつ敷き藁を加えるような、土壌環境を大きく変化させない方が望ましい。作物の生育期間は、表土とそこから10センチの地温の管理と水分の保持と空気を含ませることが重要となる。それは、根圏の微生物の活動を活性化するためである。そうした状態が作り出せれば、土壌は微生物によって耕され団粒化して行く。むしろ人為的なかく乱は避けた方がいい。

自然界では、全くの平ら土地というものはない。わずかにた起伏があり、水の道が出来ている。それは地中に置いても水の流れは、一定ではない。畑に置いてもこのわずかな地形の変化が作物には作用して行く。作物によって、季節によってこのわずかな土壌の表面の変化を重視する。田畑に置いて、いつまでも状態の良くない部分が出来る。これは田んぼでいえば、水の流れがよどむところであり、畑でいえば、高かったところを削ったような場所で、下の層の水の流れが、無いようなところである。作物を作りながら、このやりにくい部分を改善してゆく。物理的な耕運は初期段階ならともかく、畑が出来てくるに従い、むしろ邪魔なものに成る。表層から、作物の力に従って、土は作られてゆく。
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なぜTPPが出てきたか。

2011-01-17 04:05:18 | Peace Cafe
管政権は内閣改造を行った。しかし相変わらずの人気低迷である。人気で動くのが今の政治のようだから、不人気だけが今や頼りである。TPP協定に対する方向が決まる、6月までに管政権が消えていることが唯一の希望である。民主党政権が樹立され、鳩山政権は米軍基地の海外移設を主張した。志は高く結構なことだと考えていたが、まるで政策実現の見通しもなければ、方法論すら持っていなかった。愚かな政治家の中には、発言したこと自体が立派だ。等と能天気なことを言う人もいたが、一国の首相たるもの、成算のないことを発言してはならない。鳩山氏のように、自分の身の処し方すら揺らいでしまうような人物が総理大臣に成った不幸は計り知れない。韓国から米軍の引き上げが宣言され、韓米関係が冷え切った。自殺した盧 武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の勧めた太陽政策の結果である。日本はこの経過を良く良く研究する必要がある。李明博大統領に変わり、FTPをアメリカと結び、関係の改善が進んでいる。

当初から、米海兵隊は韓国に移るのだろうと考えて、ここにもそんな想像を書いた。しかし、そうはならないうちに、こんどはTPPである。アメリカの書いた最悪のシナリオである。管氏と前原氏はアメリカの傀儡政権を目指している。鳩山氏の目算のない外交政策の反動であろう。アメリカが引き気味になると、とたんに尖閣列島、北方領土である。日本がいかにアメリカの傘の下に隠れているかが良く分かる。日本が取るべき道をどこに置くか、良く良く考える時だ。管政権がTPPを突如持ち出したのは、アメリカに降伏したという恭順の姿勢を見せているのだ。アメリカはリーマンショック以降の不景気から脱出できないでいる。オバマがグリンニユーディールなど主張したが、相変わらず経済の低迷が続く。これを抜け出すには、日本に農産物でも輸出するしかない状況だ。

昨日、送られてきた菅野さんのメールにも中野剛志氏京都大学準教授のテレビの案内があった。とても分かりやすく、TPPの本質が語られているので、是非見てもらいたい。いよいよ日本が滅びるという危機が迫っている。このままでは現民主党政権は亡国の政権になる。管氏の念頭にあるのは、自分個人が生き残るということだけである。小沢氏を生贄にし、日本を売り渡し、総理の地位にしがみついているだけである。自由貿易、関税撤廃、美しい建前に騙されてはならない。経済至上主義、拝金主義そのものの姿である。日本が守らなくてはならないもの、譲ってはならないものは、独立国家としての国の骨格である。そして、日本がアジアの1国であるという現実の認識である。数千年かけて培った日本文化の、かろうじて残っている稲作文化を火を消そうとしている。

TPPなどなくても日本の農業は滅びるという意見がある。私もその通りだと思っている。国際競争力のある農業などと言って居たら日本農業は終わる。わずかに生き残る農業は、プランテーション農業の一変種で、文化として残るだけの価値もない。弱い国を押しつぶすだけの、農業である。本来の農業が素晴らしいのは、共に栄えるものだからだ。技術を独占したり、種苗を独占したり、農地を独占したり、競争原理を超えて存在しうる産業だからだ。この点を外した農協を中心とした反対運動は、同じ土俵でのあがきになる。資本主義経済のあしき競争原理を超えた、一人一人の暮らしも心も豊かになる産業としての農業。この地点に立たない限り、結局は農業は滅びてゆく。米を作り食べる。そして死んでゆく。そのことを踏まえることが、どれほど大切であるか。

昨日の自給作業:竹林の整理1時間 累計時間:10時間
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