地場・旬・自給

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2016年のこと

2016-12-31 04:10:00 | 身辺雑記

2016年を思い返す。役割を無事終えることのできた年だった。精一杯やれば良いこともあるものだ。健康に乗り切ることができて、有難いことだった。まあ昨年も同じような感想を書いた気がするが、繰り返しになるとしても気持ちは書いておく。自分だけの為に生きなければならない。少しは役立つという事で、自分の安心を得ようとしてきた側面は捨てきれなかった。そういう在り方が一番嫌いなことであるにもかかわらず、そういう領域からなかなか抜けきれない自分というものがまだあった。自分のやることはすべて自分のやりたいことだと決めて進んでゆくことになる。毎年そういう反省であるのだが。再確認という意味もある。世界は戦争状態にある。能力主義を建前とする経済戦争であり、格差、テロ、極右勢力、一国主義。日本も加わろうと深刻な状況に進んだ。

水彩人の事務所が、1月23日の総会で終わる。ほぼ役割が終わった。水彩人に関しては自分が事務所としてやれることはやり終えた。出来なかったこともいろいろあった。間違って迷惑もかけたことも多々ある。それでも少しだけ軌道修正が出来たと思う。規約の原点に戻ること、役割の分担制と民主的運営である。私にとっては水彩人が自分の繪を自問できる公の場にならなければ無意味である。上手く若い世代にバトンタッチができた。こんな幸運はないと思う。会の運営の中心が50歳前後でまとまっている公募団体は日本に他にはないだろう。自分が少しでも良い絵を描けばいいというだけの事になる。水彩人を自分の唯一の作品の共同研究の場としてきた。これからもそうありたいと思う。水彩人として、石川展が出来たことは今年一番うれしかったことだ。金沢大学の美術部の仲間も多数集まってくれた。水彩人の仲間の半分の人が石川まで来てくれた。まさかこういう幸運があるとは思いもよらなかった。良い展覧会ができてうれしかった。

水彩人を絵のことを本気で考え、語り合える場にしたいと思っている。水彩人石川展のギャラリートークの際、参加者の一人の方から、絵を語るなど馬鹿げていると思ったが、聞いていて良い面もあった。という感想をいただいた。自分の絵を言葉として語ってみることで、絵を描く自分の立ち位置が見えてくる。絵なぞ語るべきではないという意見が絵描きの間には案外に強い。絵がすべてとする人も多いい。言葉など捨てて、感じるまま描けばいいというような人も居る。それも間違いではない。しかし、水彩人は違う。規約に批評会をすることが書かれている会だ。また同人の間の作品評価をすることまで決まっている。絵画が私のものになっている意味を考える必要がある。頭の中で思考することは言葉で思考しているのだ。絵が芸術であるならば、その意味を言葉で、ある意味哲学的な思考をすることは、不可欠なことと考えている

田んぼや自給用の畑はおおむね上出来であった。食糧自給が1日1時間で今年も出来た。庭の畑も土が良くなってほうれん草が立派に育っている。田んぼの会、大豆の会、麦の会、お茶の会、そして新しく、タマネギの会。みんなでやる自給活動も順調に展開した。この形はほぼ安定した。危ないと思うと、力のある人が登場してくれる。不思議なことだがいつもそうである。欠ノ上田んぼでは今度面積が、2反は増える。欠ノ上田んぼメンバーで7反近い農地を管理することになる。舟原田んぼでも、5反を超える農地の管理になる。久野地域には子の神田んぼの1反5畝、お茶の会が2反。麦の会が1反。全部で165アールとなる。農の会の生産者と合わせれば、久野だけで3ヘクタール越える農地の管理になる。緊張感を持って取り組まなければならないことだ。一日1時間の自給はあと3年は何とかやれると思っている。最後に書くすれば世の中のことをあまり考えない様にしようと思った年だった。負けたわけではない、転戦である。

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靖国参拝と従軍慰安婦像

2016-12-30 05:08:42 | Peace Cafe

また、日本の防衛大臣が靖国神社に参拝した。理由は総理大臣になりたいからである。靖国を参拝する人を総理大臣に押すという、暗黒の力学が日本の保守政治に存在する。そもそも稲田氏が防衛大臣という事がそういう背景の存在を感じさせる。アベ政治の黒幕の作った台本の存在。裏返しとして誰にも分る図式が、韓国の従軍慰安婦像である。日本人には理解しがたいところがあるが、従軍慰安婦を蒸し返す意味を推進している何者かの存在が韓国の底流にある。両国の棘である。軍人の祭られた靖国神社に、防衛大臣が参拝し、総理大臣は真珠湾で謝罪する。オバマの広島訪問と同じで、謝罪だと受け取る。宗教的信条で靖国神社に参拝したいと思えば、家で神棚でも参拝していればいい。もし靖国の御霊が本当の神であるなら、家で参拝しても、その誠を理解するはずである。しかし、パフォーマンスとして靖国神社に行かなければ、政治的な効果がない。時代錯誤の政治家表現の醜悪さを思う。

ある一群の韓国人は従軍慰安婦像を作ると清々するのであろう。日本人の反論できない性奴隷という醜悪さを、裏返しの靖国参拝と同じ醜悪さを見せつけれるからである。日本では総理大臣になりたいと靖国参拝の義務がある。近隣諸国の嫌がるので効果が高いと判断する。靖国神社に行けば、軍国主義復活と報道され、近隣諸国に攻撃ができるのだ。従軍慰安婦像を世界中に立てている姿は醜い。醜いだけに効果が高い。しかし、こういう行為を止められない国家というものは尊敬されないだろう。靖国に参拝する姿は、右翼的であり、ヒットラー的な醜悪さがある。しかし、醜悪なだけに宣伝効果が高い。政治家としての自分が右翼的人間であり、自分の行動を止められる人間はいないというような、筋を通す人間であるところが見せられる。あの、オスプレー墜落の記者会見のオロオロした態度を取り返そうとしている。靖国神社へ行けず、国会で泣いた姿を取り消してもらう行為だ。

靖国を参拝する人たちを、支持する創価学会という宗教団体は不思議な存在だ。ずいぶん計算高い、打算的な集団である。教団の安全と利益を図るためには、神仏混交という事なのだろう。日本の宗教というのは実にご都合主義である。これこそ日本人の姿なのだ。イスラム教では考えられないことだろう。韓国の従軍慰安婦像もそうだ。大した問題ではないと大半の韓国人は考えている。しかし、心理的な効果が高い。日本人を牛音も言わせず、抑え込める。溜飲が下がる。上手いものを見つけたものだ。靖国神社も同じである。建前は戦没者の慰霊である。国のために死んだ人に感謝するのは当然である。これを批判することは誰にもできない。日本人も強いのだぞ。いつまでも我慢ばかりしていると思うなよ。こういう脅し的効果が高いものである。両国のこういうバカな行動がいつかは火が上がることになる。相手を慮らない、踏み絵遊びが遊びでなくなる時が来る。

人が嫌がることはしてはならない。それが人の道である。性奴隷を行ったことは人に道に外れる。しかし、それを何度誤っても許さず、世界中に慰安婦像を作る行為も褒められたものではない。犯罪者に烙印を押して、差別を続けることは許されない。それが和解である。靖国神社に参拝することは、人の嫌がることだ。嫌がる靖国参拝を繰り返すことは人の道に外れる。日本の軍国主義の聖地が靖国神社である。それ故に、戦没者霊園を作ることが出来ない。外国の要人も戦没者を慰霊できるような施設でなければ、戦没者も浮かばれない。真珠湾での安倍演説の和解と寛容が本音であるなら、あそこでの不戦の誓いが本音であるなら、靖国神社参拝を止めるべきだ。本来行わなければならない和解は、アジアの近隣諸国に対する加害責任である。ところが総理大臣が真珠湾に行った見返りが防衛大臣の靖国参拝である。これがアベ木偶の棒劇団の演目である。

 

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舟原溜池の整備

2016-12-29 04:22:02 | 地域

舟原溜池の整備が一気に進んだ。田中康介さんが4日間ユンボで泥上げの工事をしてくれた。周辺の木は森谷さんを中心にしてに片づけをしてくれた。舟原に引っ越して来た時からの念願がやっとかなったことになった。あの鬱蒼とした昼なお暗い沼地のような場所が、晴れ晴れとした明るい場所に生まれ変わった。その昔は地域の子供たちが泳いだという池の様子がよみがえってくる。もう出来ないのではないかと諦めかかっていたことなので、望外の喜びがある。工事の記録として、完成写真を掲載しておく。今後の整備の方向をまとめてみる。今は水が抜かれているが、状況が整い次第水位を上げることになる。

1、溜池の境界査定を小田原市が行う。

2、小田原市と舟原自治会に現況報告を行う。

3、下田さんの上部の田んぼ2つを復田する。下田さんが行う事だが、溜池管理のこともあるので協力してゆく。

4、中山間地の補助事業に下田さんの田んぼが含まれるように努力する。

5、舟原溜池を農業遺構として、残せるように看板の設置など小田原市への要望を進める。

6、舟原溜池の今後の管理体制を、小田原市と美しい久野里地里山協議会において検討する。

水がある風景は素晴らしいものがある。今回、田んぼと溜池とそこへの水路が出来たことによって、小田原で一番見ごたえのある場所が再生されたと言っても過言でない。この事業こそ里地里山の再生の意味を表していると思う。美しい農業とはどのようなものであるかが、舟原溜池の維持によって見えてくる可能性がある。この溜池が養魚場になっても良いはずである。農業遺構であるという事はそういう事ではないだろうか。ただの環境再生で、ビオトープ的なものであれば、永遠にボランティアによる維持という事になる。善意による維持管理には限界を感じる。それが養魚事業を伴う事になれば、経済活動を伴いその景観維持が可能になる。農業遺構とはあくまで農業という生業を表す物であるはずだろう。だから、溜池が養魚場であっても何ら問題が兄は図である。このあたりは今後の課題である。検討する価値がある発想ではないだろうか。

近い将来に、小田原の水田そのものが農業遺構になることだろう。それは個々の農家の努力ではどうにもならないことに思える。そうした地域の変貌の中で、どのように里地里山を残してゆく意義があるのか。その社会的価値がどこにあるのかを検証してゆく必要がある。現状では都市住民の為の自然公園を提供してゆくという事を神奈川県は考えている。言い換えれば環境保全を計るというのが、行政的観点ではないだろうか。本来であれば、この地域に農業が残ることが里地里山の保全である。農業が失われて、その景観だけが残されるのであれば、中身のない形だけの保全という事になる。それでは公園整備事業を、地域の住民が協力するというような活動になる。私の考える里地里山の重要性は、瑞穂の国に暮らす、日本人の基本的姿が残されているからである。その暮らしの姿から、忘れてはならない美しい国日本の方向性が見えるからである。経済合理性の中で里地里山を問い直せないだろうか。溜池は経済から見たら、養魚池というのもある。

久野川に漁業組合を作り、魚の環境を守り育てようという考え方が、美しい久野里地里山協議会にはある。その意味で、溜池もその枠内で考えられるはずだ。希少動植物を保存するという発想から、むしろ里山の環境を経済活動の中に組み込んで、環境維持を図る必要があるのではないだろうか。良い事例として久野川上流部には峰自然園がある。現在、その周辺の河岸を里地里山協議会によって整備が進められている。河岸を自然景観に戻そうという活動である。河岸の山林を所有する地主さんの理解を得て、散策道が整備されてきている。久野川が美しい川になることによって、峰自然園に来る人も楽しみが増えるはずだ。多くの人が訪れ楽しんでくれることで、久野川の美しさが認知されてゆく。同時に地域の暮らしの環境的豊かさが高まり、久野地域全体の住環境的価値が向上するだろう。東京近郊の自然豊かな里地里山景観の残る場所として、新たな農家レストラン的経済活動も生まれてくるはずだ。

 

 

溜池上部から下の方を見たところ。

上に新しく作らている2か所の田んぼ。

下側から明神岳を見える場所。

上側から見た溜池

溜池の中にできた水路。

溜池の様子、右側にあるのがガマの穂、手前が土を寄せた部分。

溜池の様子。いくらか縁に木が残されている。

溜池の堤防側から、上部を見たところ。

溜池の外側の排水部分。

 

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冬の下田に絵を描きにゆく

2016-12-28 04:39:14 | 水彩画

冬の下田に絵を描きにきた。今回は下田には泊まらないで、今井浜に泊まることになった。今井浜に泊まりたいという事でもなかったのだが、宿泊の都合でこういうことになった。今井浜東急とかいうところに泊まることになった。今も海の砕ける音がしている。下田まで通えばいいと考えている。下田にある庭の畑を描きたいと考えてきた。下田の庭の畑を見て描くのだが、家の畑を描いていることでもある。実際に目の前にあるのはよその家の庭にある畑である。ところが描いているうちに自分の家の畑のダイコンやら、ネギやらを描いている。この関係はなんなのだろうと思う。描きたい場所を描いているだけなのだ。畑は小田原にもあるし、似たようなところもある。しかし、下田のその家の前に行かないと、絵を描きたい思いが具体化されない。その庭の前に立ち、ただ写すことから始める。何か自分の意図があるわけではないのだが、自分の絵を描く気持ちが自由に動き出す。そして、気づくと違う思いの場所にいて描いている。

写生で絵を描くということはどういうことなのだろうか。その場所に向かって、ただ写しているのだが、その場所を描いているのでもないという不思議な感覚がある。絵を描くということは、画面という世界の中を、自分の脳の中の世界が同時に漂っていることである。眼前の花なら花を描いてはいるのだが、その描こうとする線は、花という文字であるかもしれない。あるいは、黄色い点一つかもしれない。いつの間にか花は消えて、家になるかもしれない。それはその場所を写してはいるのだが、自分の眼で見たものが、頭の中の画面に現れ、それを実際の画面に同一させてゆく。その自分の眼というフィルターの色が、偏光が、新しい画面という独立した世界への入り口にある。いつの間にか、眼前の畑の庭は、単なる色の漂う、空想世界と変わらないことになる。立ち戻れば、庭の畑はある。空想に漂えば、眼前の庭も、自宅の畑も同じ位置にある。いつの間にか、庭の畑はどこの畑でなくともよいことになる。自分の絵としての庭の畑に代わる。目の前の畑はただの参考としての庭である。

冬に入ると下田に来たくなるのは、小田原に色が乏しくなるということがある。あざやかな色にひかれて、南の下田まで来る。下田では今頃玉ねぎの植え付けをしている。色には人の心を触発する何かがある。色彩と自分につながっているものはなんなのだろう。自分の脳髄にある美意識に強く刺激がある。色彩というものの意味はよくわからない。色に特別のことがあるわけではない。色に刺激されるものが自分の中に生活をする過程で形成されている。おいしそう、食べられそう。そういう感じの先に美しいがあるようだ。自分の生きてきた感覚の積み重なりのようなものだろう。花の色、草の色、そして土の色。土の色という土台に、草や花がちりばめられる。この関係は色彩として美しい調和として育つのだが、それは生命の輝きのようなものとかかわっている。草の緑の濃さに植物の健康さを感じる。花の色に実りの予感。大地というものから湧き上がる力をそこに見る。その不思議のようなものが色彩にこもってくる。

下田の絵はその庭ですべては始まった。いつの間にかその庭のことを離れている。自分の中の世界を色濃く反映を始める。下田の庭の畑が、自分の世界への入り口であることがわかる。アリスが開くドアは、自分という無限世界への扉。開く扉のカギは、下田でなければならない。自分のどことつながったのだろう。やはり、下田まで来なければ、庭の畑に入る扉はない。下田の須崎の丘の上には、100坪から200坪くらいの自家用の畑がある。岬の崖の上なのに土がずいぶんよくなっている。長い間作られてきた畑であることがわかる。自分が食べるものが作られる畑であるから、多様ということになる。この畑としては小さな庭のような畑が、実によく作られている。家庭菜園という感じでもない。漁師の畑なのだろうか。民宿用の畑なのだろうか。花なども作られている。暮らしの中で必要とされ作られる多様な姿は暮らしの畑。

 

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将棋ソフト不正問題

2016-12-27 04:11:09 | Peace Cafe

将棋ソフト不正問題は、疑われた三浦9段が不正をしていなかったと、第3者委員会が結論を出した。将棋竜王戦を前にして、竜王戦トーナメントを勝ち抜いて挑戦者に決まった三浦9段が、将棋ソフトを対局中に見ているのではないかという、指摘が渡辺竜王から上がった。今になってみると、渡辺竜王の指摘があったということであろう。疑いが出て竜王戦挑戦者が一年かけて戦った予選の決定戦で敗れた、丸山9段が代わって竜王戦7番勝負を戦った。渡辺竜王が4勝3敗で勝利し防衛した。何とも後味の悪い結果である。また将棋連盟が嫌いになった。将棋に組織の運営ができる人がいない。将棋に強いからといって、組織の運営能力が高いというはずもない。どちらかといえば、お山の大将で全体を見渡す能力に欠けるのは当たり前のことだろう。そんな人間でなければ、将棋のようなゲームに人生をかけられるわけもない。子供のころから将棋ばかりやっていた人間が、組織運営をしているということが、無理なことなのだ。

竜王戦が終わり、第3者委員会から、三浦9段が濡れ衣であったことが発表された。それなら竜王戦をやり直さなければならない。第3者委員会の不正がなかったが、出場停止処分は妥当という結論は、あまりの幼稚さに開いた口がふさがらない。臭いものに蓋をして終わりでいいとお墨付きをつけた話。程度が低すぎる。この話の気持ちの悪いところは、渡辺竜王から挑戦者を変えてほしい、という指摘がなされた点だ。三浦9段と戦えば負けると感じたから、こういう不正問題を主張したといわれても仕方がないことにならないか。丸山9段のほうが戦いやすいと感じての主張だったとしたら、最悪の展開である。この事件に際し、三浦氏に対して、間違いなくソフトを見ていると指摘した他の棋士もいた。その棋士が証拠を提出しないのであれば、この結果を持って、その棋士は1年間の出場停止とすべきであろう。同時に渡辺竜王は竜王剥奪である。改めて、丸山9段と三浦9段で竜王戦を行うべきである。そのようにしなければ、三浦9段の冤罪は晴れない。証拠もなく人を疑うということがどれほど罪が重いことかを、明確にするべきだ。

20代の2,3年の間将棋中毒になったことがある。将棋を指さずにいられないのだ。小学生のころから将棋好きではあったが、中毒ではなかった。フランスから戻り、絵だけを描いていたころのことだ。絵を描く時間より、将棋を指していた時間のほうが多かった。毎日渋谷にあった竜王将棋センターというところに通った。まだ竜王戦がなかったころのことだ。センターの席主は元奨励会員の人だった。自分は奨励会員のころ中原名人より強かったと、ある時口にした。その時その人の悔しさを垣間見た。そこでは3段まで行った。千駄ヶ谷にある将棋連盟会館の道場にも通った。そして5段にまでなった。尋常じゃなかったと思う。頭の中にこびりついて将棋盤が離れなかった。それくらい中毒になったのだが、米原という人が連盟の会長になって腹が立ち、将棋をやめることができた。今思えば幸運だった。あれ以来人間と将棋を指すことはない。

第3者委員会の調査で不正がなかったという結論が出た理由は、三浦9段のスマートフォンを調べて分かったことだそうだ。その程度のことなら、渡辺竜王の抗議があった際に調べればよかっただけのことだ。この問題が出た時に私が書いた通りのことに終わった。そもそもコンピューターが人間より強くなって、職業としての将棋指しの立場が変わる。消滅してゆく不安なのだろう。遠くないうちにコンピューターゲームにとってかわられるはずだ。その焦りから今回のような見苦しいことになった。そもそも、スマホ不正が疑われた一年前に持ち込み禁止にすればよかっただけのことだ。そういう取り仕切りをするのが組織だ。その落ち度がありながら、怪しいぐらいで出場停止処分にした、連盟の幹部の責任の取り方である。会長辞任が当然である。これで終わりということであれば、世間を甘さの読みきりか。第三者委員会はどうも言い訳手段のようだ。情けない世間になったものだ。

 

 

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日本の水土の復活の願い

2016-12-26 03:46:58 | 地域

日本は変わった。江戸時代から、明治になって日本が変わったということは誰にでもわかる。ちょんまげの時代から、ザンギリ頭の時代になった。伝統的な風俗を捨てて、西欧風に変わろうとしてきた。愚かにも大日本帝国を目指し、戦争に敗れざせつした。反省して、民主主義国家として技術立国しようと今度もまた、やみくもに頑張った。一定の成功を収めた。ところが、企業競争が新興国の追い上げで厳しさを増してきた。競争に勝ち続けることはできないと感じ始めている。自信も失い始め、普通の国になりたいという、新しい時代を迎えている。そして、得体のしれない独裁国家に生まれ変わろうとしている。政治の目指す方角が明治の帝国主義の復活のようでもあり、グローバル企業の支配する国のようでもある。その特徴的なことは、不思議な独裁政治を、生み出しているのは日本国民の民主主義的な総意という点だろう。自分の暮らしをよくしてくれるなら、帝国主義であろうが、グローバル企業であろうが、宗教政党でも構わないという事のようだ。理念を見失った国。

日本の経済状況が変わり始めていることに、国民の意識が国の動きについていけないのだろう。この20年はどう頑張っても生活は変わりそうにないという時代が続いた。能力主義時代という事で、能力が高ければ優遇されるが、普通の人は頑張ろうが何も変わらない。もう今更、誰かに頑張ってもらという他人任せの気分。グローバル企業でもいいし、日本帝国でもいいので、他人の頑張りで自分の暮らしを引き上げてもらえないかという、新しい形のお上頼みの意識の蔓延。この意識の操作を電通的に巧みなことが、アベ政権という独裁政治の登場になったのではなかろうか。アベノミックスは客観的に見れば明らかな失敗であるが、他に方法がないように思いこまされている。それは、評論というものが失われたという事ではないだろうか。感想を述べる程度の人はいるが、未来の日本社会はどうあるべきだと語るような人は存在しない。政治漫談家風な人がいるが、思想家といえるような人そのいない時代。

アベ政治を批判する政治漫談家は居ても、日本がどこに行くべきかを、哲学を持って主張できる政治思想家がいない。多分そんなことを考えている人はテレビ受けしないのだろう。貧しいさをとらえきれない社会。豊かさと経済的貧困との関係。自分の暮らしと繋がる、日本の経済の方角はどこにあるのだろうか。グローバル企業と共産主義の関係はどう考えればいいのだろうか。日本の経済が孤立すればいいとは思えない。キューバの出した結論を見れば、そう思わざる得ない。私は日本主義者である。安倍氏よりも明確に瑞穂の国が好きだ。しかも共産主義のほうが、資本主義よりもいいと考えている。だからというのも変なのだが、日本という国の水土の復活を願っている。つまり、日本の水土は共同で維持されるものなのだ。競争では成立しないものなのだ。水土とは、暮らしが作り出した自然と人間が融合した環境である。

日本の水土の復活こそ、世界平和の一つの道だ。競争ではなく共同である。自分が良くなるためには、全体が良くならhなければならないという社会。人を蹴落とすしかない社会。勝者がいる社会は不幸な社会ではなかろうか。世界が経済競争を繰り返せば、必ず敗者と勝者が決まる。敗者は勝者に対して、テロ戦争を仕掛ける。競争でのみ人間は努力すると考える、ことは間違いではないだろうか。人間が力を出せるときは、人のためになった時だ。人に喜んでもらえた時にこそ、人間は生き生きする。人のためになった時こそうれしいものだ。人の為のほうが力が出る人。共同の暮らしが作り出してきたものが、日本の水土。環境を循環させる暮らし。人口が適正に向かっている。水土に根差し、暮らしを立て直すことは可能になった。人は、食料のためには、一日1時間。100坪の土地で暮らしてゆける。ありがたい日本の水土を育てる。

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舟原溜池の泥さらい

2016-12-25 04:05:38 | 地域

舟原の溜池を上部から見たところ。遠くに見えるのが曽我丘陵。

小田原市の久野舟原に江戸時代初期に作られた、溜池がある。欠ノ上の集落の田んぼの為の溜池であった。今は欠ノ上の田んぼが減って、溜池が必要が無くなった。その為に欠ノ上の水利組合では、その溜池の管理だけが負担になり、溜池自体の権利を放棄することになった。まだ、土地の登記は久野村のままになっているのだそうだ。今回小田原市の登記に変えることになり、今進められているところだ。問題は小田原市の登記に変えてその後の管理である。農業遺構として貴重なものだと考えている。また農業公園という意味でも価値ある場所である。まずは、泥さらいをしてせめて水面が広がるようにすることになった。美しい久野里地里山協議会の取り組みとして行っている。久野の里山を保全を考えたときに、この舟原の溜池はとても重要になる。里地里山とは何かを考えるときに、里山、河川、溜池、用水路、そして田んぼ。この組み合わせを、生きたものとして残さなければ、意味をなさない。

 下から見上げると、明神岳が見える。

人間が暮らす基本的な形を織りなすのが里地里山の本来の姿である。地域の農業が成立しがたくなってきた。農業者の高齢化、後継者が少ない。耕作放棄地が増える。地域が消滅する。こうした日本全体の現状の中、里地里山を都市住民の憩いの場として考える行政の方針がある。里地里山に税金が投入されているのだから、それを否定するわけではないが、基本は里山に暮らし続ける人が、暮らせる経済の循環がその背景になければならない。行政が行うべきことは、土地の所属の明確化や、管理体制の構築であるはずだ。溜池でも水路でも、その維持管理が農業者が担う事が出来なくなっている。すでに田んぼがなければ、水路も、溜池もいらないことになる。管理者が居なくなれば、荒れてゆく。溜池の保全や維持に、1円たりとも補助金が出ている訳ではない。小田原市は今回、土地の所有を明確にしようとしてくれている。あとは管理体制を考えてもらいたい。地域の人で、その価値があると感じる人が、何とかしようと集まって作業している。そういう気持ちが、瑞穂の国の美しい国の姿なのではなかろか。

周囲には田んぼがある。

今回、今回、里山協議会の副会長の田中康介さんの呼びかけで、溜池の泥さらいが動き出した。森谷さんが長年コツことと草刈りを続けてくれてきたおかげで、溜池は形を取り戻している。溜池のお隣の下田さんは、独力で溜池までの道を作った。今回はついに水路を直した。昔田んぼだった場所を田んぼに戻すことが自分の夢だと言われていた。皆さん何も欲得で動いている訳ではない。故郷の美しい姿を残そうというだけのことだ。この思いが何よりも尊い。努力したところで消えてしまうものかもしれない。しかし、次の世代の中にも、もしかしたら江戸時代初期にこの地域に溜池が作られたことに、興味を持つ人が現れるかもしれない。この地域は江戸時代初期に盛んに田んぼが作られたようだ。いつか里山の意味を貴重なものと受け取る世の中が来るかもしれない。神奈川県の大半の溜池は埋められてしまったという。久野に残る最後の溜池を残す意義は小さいことではない。

この奥に水源がある。

この溜池のことでは、以前にも書いたが、小田原市の文化財保護課は関心がないという事だ。お城には関心があっても、農業遺構には目が向けられない。それは何を大切にしてゆくかの観点である。歴史を権力者中心にとらえられている古臭い刷り込みがある。未来につながる大切な歴史は庶民の暮らしである。人の暮らしがどのようなものであるべきかは、この土地に生きてきた人たちの生活を知ることからだろう。北条氏の歴史よりも、この地域に庶民は日々どのように暮らしていたのかの方が、未来につながる歴史だ。溜池は小田原市の管理地であり、所有者である認識があるのであれば、荒れ放題のままで良い訳がない。行政に管理してゆく予算がないのであれば、それも仕方がないことだ。しかし、行政として取り組めることはあるはずだ。ここを考えてもらいたいものだ。

 

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正月は懐かしい

2016-12-24 04:30:46 | 暮らし

昔の山梨の藤垈の正月を、失われた懐かしいものとして思い出す。子供にとってあれほど楽しく、待ち遠しい時間はなかった。江戸時代菅井真澄という人は30歳で放浪をはじめ、蝦夷地や東北地方の正月を記録している。生涯、旅をつづけ、75歳で死ぬまで、毎年東北の違った正月を体験したという。その正月のことが、民俗学的に絵入りで記録されている。今から60年前には、江戸時代とほとんど変わらないような正月が送られていた。あの至福の感覚を体験できたことは人間として幸いだった。待ち遠しかった正月がいよいよ来るというので、眠い目を無理に開いて、炬燵で除夜の音を聞いていたこと。貧乏な山寺には、鐘はない。鐘楼の礎石だけが残っていた。下の智高寺さんから、鐘の音が昇ってくることが正月がいよいよだという合図だった。

餅つき禁止、除夜の鐘禁止、お屠蘇禁止。日本の正月は風情が無くなる。静かで心温まる正月というものは消えようとしている。人間らしい暮らしが消えてゆく。食中毒、騒音、飲酒運転。自己責任が取れない社会。餅つきは毎年自給祭では行う。一年の稲作の無事を祝っい、餅を搗く。当然の祝い事であるし、やらなければ祝い事にならない。そのお餅が食中毒の原因になる世の中になった。つまらない世の中になったものだ。子供たちが弱くなった。消毒の世の中になって、汚いことに弱くなった。この先人間が無菌室でなければ生きていられないような世界が待っている。汚いに強いも一つの人間力だ。子供の頃から雑菌にまみれて生きて来たことを有難いことだと思う。親が口移しで子供に食べ物を与えることは、虫歯菌の感染の恐れがあるから禁止だそうだ。そんな自治体のパンフレットがあるそうだ。虫歯になればいいのだ。虫歯で死ぬことはない。失うものの大きさに想像力を働かせるべきだ。

歯は死ぬまで使えればいいだけのことだ。虫歯菌が親から子供に感染するのはいいことだ。虫歯菌と同様に様々な免疫力も親から子供に移行する。すべての動物はそうして生きてきたのだ。汚いはきれい、なのだ。ウイルス排除の論理は危険を増すばかりだ。異質なものに接することで、個は明確になる。自分にないもの、受け入れがたいものを、許容してゆく能力こそ、動物らしい、人間らしい、生命らしい能力である。それが免疫力だ。子供の頃少々お腹が痛くなることぐらい、避けて通らない方が良い。虫歯も同様だ。その限度を見極めるのが親ではないか。衛生観念がおかしくなり、一切の菌を寄せ付けないことが親の役割と考える人が増えている。先日黒バナナ健康法を話したら、そんな不衛生なものを食べて健康になれるのは笹村ぐらいだと言われた。おかげで黒くなったただ同然のバナナが買えるのでありがたい訳だが。

食い物ぐらいならまだいい。除夜の鐘がおかしいとなると、もう社会というものが成立していない。一年に一度お寺の鐘が夜中まで鳴って迷惑という暮らし。鐘の音の風情が、一年一度の除夜の鐘が良いものだと感じられない社会。これは宗教ではない。日本人の暮らしが失なわれ始めている証し。稲作農業を失ったがためではないか。まともな暮らしというものが希薄になった。いつの時代でも、除夜の鐘など要らないという人はいたはずだ。しかし、除夜の鐘を騒音とは思わないで、仕方がないで受け入れただろう。正月というものが無くなり、ハロインのかぼちゃである。商戦に踊らされて、混乱を極める暮らし。子供の頃からお屠蘇というものを飲んだ。子供がお酒を飲んではいけないというのに、お屠蘇だけは許された。たぶん裁判官の家の子供でもお屠蘇は許されただろう。社会の風習というものはそのように法律を超えたものだ。

 

 

 

 

 

 

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もんじゅの廃炉決定

2016-12-23 04:10:56 | Peace Cafe

政府は21日午前、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の廃炉方針を同県の西川一誠知事が拒否したことを受け関連協議会を開き、改めて西川知事に方針を説明した。知事は「廃炉は容認できない。継続的協議が必要だ」と再び拒否したが、政府は同日午後に関係閣僚会議を開いて廃炉を正式決定する見通しだ。(産経新聞)

もんじゅの廃炉は原子力政策の終了を意味する。もんじゅは高速増殖炉というもので、プルトニュームを燃料として運転し、使った燃料が増殖し、さらに燃料として使えるという、夢の技術の開発をめざし試験運転されてきた。日本ではできないという事を認めることになった。年200億円の維持費がこれで不要になった。これまでに1兆円近い国費が投じられ、失敗に終わった悲惨な実験だった。過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。よく分からないのは、福井県知事の西川氏のゴ寝ごねだ。納得いかないのはむしろ福井県以外の日本人だ。日本人全員が一言文句を言うくらいの資格がある。政府はそれに対して頭を下げるしかない。全部が間違いだったのだ。ふげん、もんじゅと廃炉が決まり、青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場が、最後の課題となった。これで再処理工場が廃炉になれば、原子力政策全体の終了となる。

原子力を安い発電方法と強弁する根拠は、核燃料の再利用という事がある。使用済みの核燃料が、核のごみではなく、新たな燃料になるのだから、実現すれば夢のエネルギーである。ところが、膨大な費用と人材が投入されたが失敗に終わろうとしている。すべてのことが上手く行くことはない。現在の原子力発電所で出る核廃棄物のプルトニュームは、高速増殖炉で使えないとすれば、手に負えない核のごみである。まさか原爆の材料にする訳にもいかないだろう。これをごみとして処理するなら、原発コストは変わる。つまり六か所の再処理工場は莫大な費用をかけて、使い道のないプルトニュームを製造していることになる。すでに日本は47トンのプルトニュームを持っているという事になっている。世界の10%。イギリス、フランスなどに預けてあり、遠からず帰ってくることになっている。

もんじゅを止めないことで、話のつじつまを合わせてきた原子力政策がついに破たんしたのだ。もう六ケ所村の再処理工場は、何の意味も失ったのだ。こちらもそう急に廃炉のほかない。現在六ケ所村は全国の原発から出る核廃棄物の保管場所になっている。もう各原発ではプールで使用済み核燃料というものをため込んでいる。これが一杯である。行き場がない。そこで再処理という建前で、六ケ所村に運び込んでその場をしのいでいるのが現実だ。六ヶ所村の方でもいい加減にしてくれと悲鳴が出ている。再処理したプルトニュームも行き場がない。どんどん使用済み核燃料が集まってくる。全ては行き詰まっている。その最後の弁解が、もんじゅが稼働する50年先には何とかなると誤魔化してきたが、ついに、そのもんじゅも可能性がないという事を認めた。となると、ここで原子力政策はすべては終わりのはずである。

これでも原子力発電が安い発電方法なのだろうか。政府は安いと言いながらその根拠を示したことはない。私はだいぶ調べたが、政府の安いという算出根拠が見つからなかった。もしご存じの人がいたら教えてもらいたい。フクシマ原発事故の始末には20兆円超えで、電力費用にも反映するらしい。もちろん税金からも捻出せざる得ない。どこの誰が考えてもこれほど高い燃料は無かろう。過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。では西川知事は何を反対しているのだろうか。原子力機構が廃炉を担うことなどを問題視し、「到底受け入れられない」としている。この点では同感だ。しかし、政府の馬鹿げた計画を受け入れた、福井県や敦賀市にも大きな責任がある。まるで被害者の態度は納得できない。福井県は日本国民全体に対する、加害者なのだ。しかも、補助金目当てで受け入れたのだろう。そして今でも補助金が欲しくて反対しているかのように見える。この構図が日本をダメにしてきたのだ。

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冬の篠窪を描く

2016-12-22 04:35:58 | 水彩画

いつものように篠窪に行って描いている。篠窪はいつの季節でも描きたくなる。沼代の方は田んぼに水が入らないと、描く気持ちになれない。それは欠ノ上田んぼも同じである。そこで冬の間は、篠窪にばかり通う事になる。篠窪はこの時期ミカンの収穫である。みなさん忙しく働いている。だから雨が降る日が迷惑にならないので、絵を描くには良い日になる。冬の雨に濡れた土や、木や、草の姿は、えも言われぬほど美しい。絵にも描けない美しさとは雨の日の畑のこのことだ。この美しさをそのまま描いてみたい。理屈抜きである。絵を描くことは自由という事だと、中川一政美術館で気づいたことだ。最晩年のバラの絵やユリの絵に感動した理由は、別にバラとかユリの花が特別上手に絵が描かれている訳ではない。描かれているものの意味は小さい。その描き方がすごいのだ。その一筆が自由を感じさせる。その結果中川一政という人間のすべてが立現れてくる。画面に塗られた色と形によって、筆触によって、中川一政氏の全貌が覗えるのだ。これは不思議でもある。不思議だけれど、絵を見ればそこにある事実。

結局すごいのは中川一政氏であって、その絵は、中川一政氏のすごさが乗り移ったようなものだ。絵に感動しているというより、中川一政氏に感動しているという事が実感された。もちろん絵がすごいという結果なのだが、こんな絵を描いて居る中川一政という人間の到達した地点に頭が下がるような思いだ。これは、絵を見るというより信仰の対象のような、即身仏の信仰の感覚か。即身仏は苦行の証拠と言えば失礼だろうか。即身仏の修業は4000日草を食み、木の皮を齧る、土を食すという。中川一政氏の絵はある境地のような到達地点が、事物として示されたという感がある。では、私のような小生意気な人間が、絵の上に現れたところで、腹が立つような人間である場合どうなるのか。つまらないままの絵であろう。つまらなさがそのままでなければ、私絵画ではない。絵だけを作り上げることなど出来ない。見ているバラはどうでもいいが、それをそう描く中川一政がすごいという絵との違いを痛感する。これも絵の不思議。

描く対象より、描き方に意味がある。事物を描くのではなく、何をどう描くのかである。晩年の中川一政氏の描き方は衝動的なものではない。実に冷静なものだ。気力は溢れているが、反射的というより、冷静に準備されている感がある。生涯をかけて、自分が立現れてくる描き方に到達した。書画一如。書は写生と書いている。バラの花も書のひとつとして、変わらない意識なのかもしれない。色のある書。書のようにバラがかけるまで、描きつくしたという事なのかもしれない。その状態を完全に把握したうえで、つまりその字を頭のなかで構築できたうえで、一筆が入る。頭の中の文字の状況を写生してゆく。書も写生である。となるのではなかろうか。バラの花も頭の中で構築されている。それ故に手順も安定している。試行錯誤もなくバラの絵に到達する。晩年こういうところに至ったという事のような気がする。色のある書であれば、まさに水彩画の世界である。何故、油彩画なのだろうか。

水彩画は美に近い世界に流れやすい。油彩画は汚い現実に踏み込む。汚いと言えば油彩画をやっている人は腹を立てるだろうが、油彩画を描いて居た頃の部屋は、どうにもならないくらい油で汚れて、嫌な臭いになった。汚いがゆえに、混沌がうまれる。混沌の果てに現実世界が出現する。だからこそ油彩画は人間の真実に近づきやすい。試行錯誤するその痕跡を絵画とする、後期印象派以降の絵画には油彩画が向いていたのだ。水彩画は美に流れる。表面性で終わりやすい。汚しに入るぐらいなら、油彩画でやればよいということになる。水彩画は甘くなる。きれいごとになりがちである。きれいごとがはやる時代には合うのかもしれない。しかし、私絵画の水彩画はそこで終わることは出来ない。ある意味汚しの水彩画。制作の痕跡が残る水彩画が必要である。

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オスプレー飛行再開

2016-12-21 04:21:51 | Peace Cafe

沖縄の米軍辺野古基地のそばの海岸でオスプレーは墜落した。給油訓練中に給油管をプロペラで切ってしまい、バランスを崩して墜落してしまった。そして、沖縄知事をはじめ、日本政府までもが、事故原因の究明ができ、安全に飛行できるまでは飛行しないでほしいと要望した。そして、わずか6日後にオスプレーは飛行を再開した。これが日米地位協定の在り方である。アメリカ軍は日本政府の要望など無視して何でもできるのである。アメリカ軍は日本を守ってやっているのだから、余計なことを言うんじゃないという、占領下のような見下した態度である。アメリカ軍の幹部によると、人家に落ちずに海に落ちたのだから、操縦士は表彰ものだそうだ。これは沖縄大学に落ちた時と同じ発言である。おしゃべりのアベマリオはこういう時はだんまりのようだ。真珠湾でオバマ大統領や米軍の幹部に沖縄のオスプレー事故後の速やかな再開を感謝したらどうだ。今度オスプレーを故郷山口のお墓の上に招待したらどうだ。お父さんもさぞかし喜ぶことだろう。

今度は横田基地から飛び立ち、東京上空で空中給油の訓練をするのだろうか。私はオスプレーのような飛行機は日本には必要だと考えている。そのことを書くもの確か3回目である。日本向きな飛行機だと考える。但し、2つの解決すべき条件がある。操縦の安定性がいまだ不十分である。米軍も今回の事故を機体の問題ではなく、操縦の失敗としている。操縦が普通の飛行機や、ヘリコプターより難しいようだ。ジェット戦闘機より操縦が難しいのがオスプレーだと言われている。その為に、操縦に熟達するための長時間の訓練飛行というものが必要になる。この訓練を沖縄中心にやっているようだ。安定した簡単に飛行できる安定性のある改良が必要である。2つ目は騒音が通常のヘリコプターより大きくなる。ジェットエンジンで低空飛行するのだから、うるさいのは当然だろう。この2つの問題を解決するまでアメリカ国内で、訓練飛行を是非ともやってほしい。迷惑な訓練を外国でやる必要はない。

日米地位協定に対して、何も発言できないアベ政権とは誰の利益を擁護する存在だろうか。たぶん、グローバル企業の傀儡なのだろう。民族派の振りはしているが、日本主義とは到底言えない。アベリカ政権と呼ぶ方が良いか。一般の日本国民の側も立つことは間違ってもない。トランプ大統領に変われば、お金を出さない日本からは米軍は引き上げてくれるそうだ。良い機会である。まともな日本政府ならば、アメリカが日本国内の基地を使いたいなら、お金を出せというべきである。日米安保条約では、日本の防衛と基地提供が取引されているのだ。在日米軍は確かに日本の為でもあるが、アメリカの為であることが基本だ。アメリカ一国主義のトランプ氏が、在日米軍基地の価値に気づかないのは不思議だ。北朝鮮はアメリカをめがけて核ミサイルの開発中である。着々その危機が近づいている。日本から北朝鮮の基地を攻撃しようと考えているはずだ。中国に対しても、アジア周辺国からの監視体制というものを考えているはずだ。オスプレーもその為の日本配備である。同時にそれは日本を監視していることでもある。

世界の軍事力による抑止力の安定はすでに終わっている。発想の転換が必要になっている。世界の格差が広がって戦争が近づいている。守るものがあるならば、テロは起きない。貧困によって、未来の希望が失われ、破れかぶれに冒険主義が起こる。どうやって貧困をなくすかが、平和への道だ。軍事力というものは平和な世界ができるまでの、已む得ない範囲のものだ。いつか人類すべてが捨て去るべきものが兵器である。その希望は日本には在る。日本国憲法が日本にはある。有名無実とはいえ、日本のほかにはないのだから、日本が諦めてしまえば、世界の平和への道が閉ざされるという事になる。日本が専守防衛の精神でいるとするなら、オスプレー的兵器は必要ではある。F-35のような戦闘機は日本には不要だ。

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農の会の自給祭

2016-12-20 04:31:24 | あしがら農の会

 自給祭 庭のコンサート

広い野外で唄わせてもらった。遠くのかがんでいる人は、踊っている人だ。

農の会で自給祭が復活して、3回目になる。100人近くとかなり多くの人が集まった。楽しいので少しづつ又人が増加しているのだろう。自給祭の委員会があっていろいろ準備をしてくれている。私は準備の手伝いもできないまま、今年も参加させてもらうだけであった。そして、三線で唄わせてもらった。祭りには唄はつきものだ。ビギンの「海の声」とソールフラワーズユニオンの「満月の夕べ」である。二つともとても好きな歌だ。赤松さんと高橋さんと一緒に歌わせてもらった。ビデオで記録したので、家で様子を早速見ることができた。二人のお陰で何とかそれなりの様になっている。唄というものは素晴らしいと改めて思った。唄のないお祭りなど古来なかったはずだ。それはどの民族でも共通なはずだ。来年こそ仲良田節を唄いたいものだ。日本全国で田んぼが失われ、秋祭りの意味も変わった。小田原では稲刈りの時期にお祭りがあって、私は稲刈りに追われて、祭りに出ることもできない。

農の会のように自分たちで収穫を祝う意味も大切なことだと思う。祭りは暮らしのけじめのようなものだ。今の時代は受け身の消費者としての祭りだ。デズニーランドへ行くことが祭りのようなものなのだろう。家族で出かける娯楽。デズニ―ランドには全く興味が持てない。誰かが作り出した虚構の祭りを享受するだけでは、本当の喜びとは程遠いいものだ。その本当の喜びというものがすでに、見うしなわれてしまったものだ。仲良田節にある、上納すんでという節を唄うと、何か喜びというものと自分の役割というものを感じるのだ。祭りの前に日常の暮らしというものがなければならない。地道な日々の暮らしである。代り映えのしない、百年一日のような平常である。それが稲作に生きる暮らしである。生まれて死ぬまで同じ日々の繰り返しであり、その日々を深めることが生きるという重い実感だった。それが瑞穂の国の平穏無事な安寧である。

現代社会での暮らしは、大きな変容をし続けている。昨日と同じ明日はまずない。常に新しい道の毎日を切り開くような状態であろう。そうした、不安をどこかに抱えている暮らしのなかで、少しでも暮らしの実感を得たいという事が、農の会の活動に集まる人のように思える。暮らしの原点のようなものが、食べるものを自給するという事になる。もちろん良いものを食べたい。おいしいものを食べたい。自分で安く作りたい。様々な動機はある。しかし、農の会の活動に若い人も興味をもって加わってくる要因は、提供してくれるものを消費者として、受け手として位置づけられる暮らしでは、何か違うと感じる人が存在するからだろう。農の会の祭りが一度は無くなったのは、実際の農作業には祭りは関係がないからだ。参加しない人も半数を超えて存在するのが実情である。

農の会の祭りには出ないという農の会の参加者も多くなった。農の会の祭りは、それを楽しみにして参加したい人だけで構成されている。たぶん3分の1くらいの参加ではないか。農の会内のそれぞれグループにしてみると、グループで収穫祭をやる方が重要と考じることもあるだろう。デズニーランドの方が面白いと思う人も居るだろう。人とのかかわりが億劫という人も、農業者には多いいのかもしれない。そういうかかわりの多様性を、そのまま許容するところが農の会らしいところかもしれない。まとまりのないことに、平気でいられるかどうか。違いを違いとして受け入れるという事は、これからの社会で最も重要な在り方の様な気がする。

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里山 新日本風土記

2016-12-19 04:16:22 | 暮らし

NHKに新日本風土記という番組があるらしい。一度も見たことはないのでらしいとううことだが、朝その縮小版をやっていてそちらの方はたまに見る。「あはがり」という奄美出身の朝崎郁恵さんという方が唄われる唄がテ―マ曲になっている。この唄がすごい。意味は分からないのだが、自身が作詞されたと説明されていた。唄の力というもののが今の世に存在していることを感じさせるものがある。この唄の言葉で暮らしている人々がいる。この唄が通じ合う人がいる。そう思うと日本は捨てたものではない。まだ大丈夫だよと「あはがり」が流れる。同時に里山という番組が放送される。どういう関係で構成されているのかはわからないが、日本の里山が記録されている。東京にある里山などという視点である。「ニッポンの里山 ふるさとの絶景に出会う旅」とある。「人の暮らしと多様な生き物を育む自然が見事に調和した日本ならではの美しい環境、里山。

田んぼや雑木林、放牧地や茶畑、さらに海辺や神社など日本全国には人と生き物が共存する里山がたくさんある。」と書かれている。神奈川県では相模原の青根集落とヤマアカガエル。そして大磯海岸のアオバト。2つが取り上げられていたようだ。石垣島では白保海岸のサンゴ礁。どこも記録映像になるのかもしれない危うさがある。白保海岸のサンゴ礁は新空港で埋めたてが行われた。私はいつもその飛行場を利用させてもらっているので、何とも複雑な心境になる。今年は90%もサンゴが発火したところがあると報道されている。温暖化の影響問われているが、それだけではなく山の状態、水の状態も関係しているに違いない。石垣飛行場には強い反対運動もあったのだが、出来上がり私も使う。今度は、白保海岸に流れ込む川の上流に広大な自衛隊基地が予定されている。国防は国の専権事項だから、石垣市民は発言が出来ないのだそうだ。悲しいことである。その悲しみに、あはがりの唄がよみがえる。


「あはがり」


作詞:朝崎郁恵
曲 :沖縄民謡

浮世・・・仮島に何時(いてぃ)がでぃむ 居らりゅむぃ
情けあれいよ 仮那(かな)くぬ世ば うさむぃれぃがでぃ

節や水車めぐりあわそ 
てぃきぬあはがりし たましゃうどぅてい

いきしゃん くとぅあてぃむ 天と大地や 
てぃきぬあはがりし たましゃうどぅてい


(意訳)

この世は神様からいただいた仮の世
いつまで留まっていられましょうか

命を敬い 生きていきなさい
この世の生をなし終えるまで

時は巡る 水車のように だからまた巡り会える
月明かりの下で 人々は喜び 魂が踊り明かす

どのようなことがあろうとも 天と大地の間
月明かりの下で 人々は喜び 魂が踊り明かす

NHKより

あはがりとは明がり、全てが明るいという意味らしい。暗がりという意味の逆なのだろうか。もう一度ニッポンと語られる。この言葉が耳に残る。たまたま日本列島に生まれ、生きる。この水土に育まれ、この水土に生かされる。そしてこの水土に帰らせてもらう。その数十年の年月を日本列島という舞台で、人は喜び、魂が踊りあかす。その幸運を思う。人の暮らしが作り出した絶景がある国。その美しさを知ることができたものは、緩やかに、状況に応じて、連携する必要があろう。そして何があろうとこの水土の絶妙なことを忘れないことだと。そう思うだけでも十分である。何もできないからと言って空しくなる必要はない。「いつか、日本の里山が、水土がよみがえる日が来る」そう思うだけで、実現するものだ。思う力。忘れないで思い続けたい。

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震災でいっぱい死んだから、

2016-12-18 04:14:14 | 暮らし

「いままでなんども死のうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた。」「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。」今年胸をえぐられた、4つ目の事件である。言葉には人間を動かす力がある。フクシマから避難した中学一年生の手記である。補償金を貰ったのだろう。と脅されてお金を搾り取られたという。こんな悲惨で悪質ないじめを見逃していた教育というものを、総点検する必要がある。何かがおかしくなっていることだけは確かだ。4つの重要な弱者に対する気になることがある。一つ目は神奈川県津久井町障碍者17人を殺害した、元職員の事件。この事件は何かの予兆のように思わせるものがあった。2つ目は「保育園落ちた日本死ね。」匿名のブログの言葉が、社会を騒然とさせた。3つ目は大阪の機動隊員のやんばる高江のヘリポート反対の人への「土人発言」。

この4つの事件が起きた年を、きっと10年後にあの時のことだったと思い起こされることだろう。日本の方角は大きく転換したことの表れなのだ。世界の潮流の中で、停滞の渦の中に巻き込まれ、飲み込まれ始めた年だったことを知ることだろう。日本はこの20年停滞をしてきた。それは高度成長した経済後進国が必ず到達する場所である。停滞の渦から逃れて本流に乗り出そうとあがいた20年だったのだろう。しかし、ついに力尽きて淀みの中の浮遊物に紛れて前に進めなくなった。今年はそうしたことが明確になった年だった。それでもアベ政権は3本の矢が見当たらないことを認めない。誤りを認めずにただもがき騒ぐばかりだから、停滞の淵に沈んでゆくことになった。渦から脱出するためには、まず渦をゆっくりと観察する必要がある。ところが、いまだ本流にいると考えているアベ政権はこの停滞の渦の実態が見えない。まず、アベノミックスの失敗を認めるところからだ。

格差社会である。アベ政権は韓国方式の後を追っているのだ。このまま行けば、韓国の二の舞になる。韓国は農業を見捨てた。心の拠り所である韓国文化を失いかけている。国際競争力の中で、英語を初等教育にまで行う事は、日本語教育が充分にできなくなる可能性がある。これは国語を日本語から英語に変えようとまでした明治政府の政策と同じことである。国際的であるという事は、深く自分の文化を持っているという事だ。日本の芸術が世界に評価される理由は、日本文化という伝統に裏打ちされているからだ。それを失いつつある現状では、遠からず日本文化は過去の文化遺産になるだろう。この、日本文化という安定を失いつつある結果が4つの事件を生んだ。弱者を切り捨ててしまい、評価できない社会。能力主義を正義として、競争に翻弄される社会。人間の幸せを、経済だけで見る社会である。柳田国男氏が明治の椎葉村で見た、心穏やかに生きている人たちの幸せは何だったのかを思い起こすべきだ。

日本全体のことはもうあきらめるしかないのかもしれない。弱者が差別を受けて当然というような、すさんだ社会にさらになることを覚悟せざる得ないだろう。せめて、心の通じ合うもので繋がるほかない。私は自給自足の安定を求める。競争社会では友人すら作りがたい。価値観を共有できるものの集まりである。あしがら農の会、水彩人の2つの仲間の中でやってきて痛感することである。大きい必要もないし、競争もない。種を蒔くことに真剣に取り組めるという、仲間であればいい。2人でもいい。3人でもいい。少数派であることを畏れない。社会的評価など関係がない。大きい必要は全くない。緩やかに。穏やかに。認め合えるだけで十分である。農の会は4,5人で始めたものだ。水彩人は6人で始めたものだ。一人に話しかけてみることから始まる。分かり合える人は必ずいる。と言って明日消えたところで全く問題がない。どこでも誰でも始められるものだ。

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12月の夏野菜

2016-12-17 04:07:04 | 自給

 

 

小田原久野舟原では有難いことに、12月16日でも夏野菜が実る。雪も降った。霜も毎朝降りている。0度以下まで気温も下がった。それでも、鶏小屋の前の陽だまりのシシトウはまだ実をつけている。葉も緑を残したままで、もう少し頑張れそうだ。下の畑は大麦が2枚目の葉を出そうかというところだ。特に凍りそうな感じではないが、昨年田んぼの川沿いの大麦はこのぐらいで凍結して枯れた。大根の葉は25センチくらいまで両手を広げている。小かぶは10センチぐらいの葉を立ち上げた。小松菜はそろそろ食べれそうな大きさだ。ほうれん草は5センチくらいの葉を出している。今年は弱ってしまう事なく生育を続けている。土壌がやっとほうれん草が育つものに変わったようで嬉しい。石灰を入れないで我慢した甲斐があった。ソラマメは30粒ほど撒いたのだが、全てが発芽している。春までこの調子でゆくことだろう。里芋は食べる時に掘ることができるだけ充分にある。

ケールは10本あるのだが、いつでも葉が取れるまでになっている。寒さにはびくともしない。ブロッコリーの方が生育が負けてきた。ハウスの中の正月菜は雑煮に使う頃にはちょうど良くなりそうだ。毎年雑煮の為だけに作る。そろそろハウスの中に踏み込み温床を作るつもりだ。落ち葉取りをやらなければと思う。ハウスの中には湘南ゴールドが2本ある。今年は実をつけなかった。来年はどうだろうか。実るものならそろそろ花がつきそうなものだ。一昨年は2,3個だけ実をつけたのだから、成らないのは何か状態に問題があるのだろう。ハウスにはドナセラがある。父がお店を新築した時に千葉のおじさんがお祝いにくれたものだ。60年は経っている。観音竹もある。これは大黒屋というおせんべいやさんをやっていた、浅沼さんが八丈島から持ってきてくれたものだ。八丈島で観葉植物の栽培が始まったころのものだ。これも60年は経っている。何度も引っ越したのだが、ここまで持ちこたえてくれて、古い友人のような感じがするまでになった。

枯れかかった、アロエがある。外に置かれていて、根を雨でやられてしまった。腐りかかっていたのだが、もしかしたら生き返るかと思い、ハウスに植えこんでみた。全く変化がない。枯れるでもないし、生き返るようでもない。春まで持ちこたえれば復活するかもしれない。いつもそうなのだが、生き物には未練が残る。私が居なくなれば、こういうもの達は枯れるのだろう。それを受け入れる以外仕方がないと思うのだが、私も土にかえり、私がかかわった植物も土にかえる。そのようにすべてが消え去るという事をまだ受け入れられたわけではない。無理に納得する気もない。半分腐ったアロエを見捨てることができない。夏野菜の片付けがどうしてもできないのは、まだ実らせるシシトウに気持ちが入り込むからだろう。有難く重ね煮にして食べさせていただいた。

自給生活を始めて、30年近くになってやっと毎年の作物の流れを体感できるようになった。田んぼなら、暖かさを感じると籾を川の水に浸けて、など自然に体が思い出す。麦や大豆、様々な野菜も、それぞれに蒔き時が来ると、思い出して蒔きたくなる。自分の身体的な循環の感覚と作物の生育とが、連動してきた。30年の繰り返しの長さを思う。きっと昔のお百姓さんは、いつも季節が身体の中にあったのだろう。ハエを見かけて、きゅうりを蒔く気持ちになったりしたのだろう。最近少しお百姓に近づけたようだ。年月が経つという事も悪いことではない。いよいよ寒さがきつくなる。しかし、タケきり、樹木の伐採。畔の土木工事。冬の作業は続いてゆく。これまたよし。

 

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