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大晦日の達磨さん

2009-12-31 05:21:38 | 身辺雑記
暮れに成ると達磨さんの事を思い出す。手も足も出ない。と言う事ではない。今年も精一杯暮すことが出来たかどうかである。一日の充実。ここがなかなか難しい。
「挙す、梁の武帝、達磨大師に問う、如何(いか)なるか是れ聖諦第一義(しょうたいだいいちぎ)、磨云く・廓然無聖(かくねんむしょう)、帝云く、朕(ちん)に対する者は誰そ、磨云く、不識(ふしき) 帝契わず、遂に江を渡り、少林に至って面壁(めんぺき)九年」

達磨大師はインドの偉いお坊さんである。中国に武帝という皇帝菩薩を名乗る人がいる。是非に中国での仏教の普及に、力を貸していただきたいという依頼がある。それから、三年かけて、小さな船に乗って中国の広州にたどり着く。まだ、日本では仏教のぶの字もない頃の事。はるばる広州にたどり着く。水の上を歩く技を披露しながら、武帝と面会する。武帝も袈裟姿で一見僧侶のごとくある。「私も中国ではずいぶんと仏教の普及に努めました。大きなお寺を建立しました。仏教の教えに従い、清貧に暮らしています。この功徳はいかほどのものでしょうか。」少し、自慢げなにおいがしたのだろう。達磨「無意味だな。」皇帝「それじゃ、私の前にいる聖者と呼ばれるあなたは誰だというのだ。」達磨「そんなことじゃないよ。」期待した皇帝菩薩にあきれて、すぐその場を去り、少林寺の穴ぼこで9年間、座っていることになる。この達磨を立たせたのは慧可大師である。

「廓然無聖(かくねんむしょう)、来機逕庭(らいきけいてい)、得は鼻(び)を犯すに非ずして斤(きん)を揮(ふるい)い、失は頭を廻らさずして甑(そう)を堕(だ)す」
「蓼々(りょうりょう)として少林に冷坐し、黙々として正令を全提(ぜんてい)す」「秋清うして月霜輪を転じ、河(か)淡(あわ)うして斗(と)夜柄(やへい)を垂る」「縄縄(じょうじょう)として衣鉢児孫(えはつじそん)に付す、此より人天薬病(にんてんやくへい)と成る」

仏教は結果を求めるものじゃない、無所得・無所悟という事。武帝とは根本が違う。得意なことは、思い切って行う。失敗は、潔くあきらめる。
静かに座っているしかない。そうしていることが全てに繋がっていてのかもしれない。特効薬の効能に頼るようではしかたがない。

達磨を立たせたのは慧可である。達磨に教えを受けたいと弟子入りを志願したが、座ったまま気付いてもくれない。もうだるまになって手も足もなくなったようである。そこで慧可は思いきって自分の左腕を切り落とし、達磨に投げつける。これで達磨は目覚める。インド仏教の真髄を中国に伝える事になる。そもそもの禅宗の始まりである。達磨が残した思想はあの敦煌洞窟で20世紀初頭に発見された、「二入四行論」がある。難解で私には良く分からないが、人間の安心立命の方法を説いたもののようだ。慧可は実在の人物で、達磨大師は慧可の創作であるとも言われる。慧可は処刑され、死んでいる。ただ座っている価値の教え。そのことに深く気付いたのが、道元禅師。ただ座る精一杯。

だるまのオモチャの七転び八起き。こうした起き上がりコブシのオモチャは古今東西にあるのだろうが、達磨を当て込んだ発想は格別である。たぶんこれを縁起物にしたのは、日本人だ。達磨市等江戸時代的に良く出来ている。「だるまさんがころんだ」と数を数える。「達磨さん達磨さんにらめっこしましょ。」多くの子供たちにまで親しまれる。結果を求めない精一杯。今年一年を、充分に生きたのか。暮らしたのか。過ぎ去った数々の失敗は、あきらめきる。来る年の一日にかける。

自給作業年間累計:304時間
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有機農業モデル事業の廃止

2009-12-30 07:14:18 | Peace Cafe
事業仕分けの結果どおり、有機農業モデル事業の廃止が決まりました。勢いに巻き込まれたとばっちりの感はあります。農水大臣の記者会見では有機農業には全く言及もしていません。その他の廃止部門への配慮など全くありません。記者はくだらない質問を繰り返していながら、有機農業のことには触れようともしていません。どっちもどっちのレベルの低さにはあきれます。これも革命にともなう生みの苦しみならいいのですが。赤松農林大臣という門外漢が職に付いた不運です。廃止が判断されたのも、この能天気ではやむを得ないでしょう。5年という時限的なモデル事業です。それが途中で切られることで起こる、様々な迷惑がある。だから、補助金が絡むのは嫌だという所か。八ッ場ダム問題と同じで、止めるためのムダガネも中途半端になるムダガネもでる。

能天気といいたいのは、満額貰ったと語っている戸別補償のことだ。まず、お米の農家に限定されている。この制度欠陥の第一は努力していいお米を作る農家と、努力しない農家を逆転させる制度になっている。これでは、益々努力する事は馬鹿馬鹿しいと言う事になる。医療制度を壊した発想と同じである。努力した者が報われる形がないといけない。美味しいお米を作って高く売れば、補償はない。いい加減に作って、農協出荷していれば、安値で戸別補償となる。努力してもしなくても同じになるような制度が成功する訳がない。もちろんその他に減反の協力者や、農業共催の加盟者という条件で米作農家には1反1万5千円がでる。自給率が下がってしまった根本に触れないで、表面的な膏薬を貼るような、対症療法では、農業の基礎が益々腐ってゆく。これで、自給率が上がってゆく事に成るなど、到底思えない。

ではどうすればいいのか。ここである。第一は、農業をやりたい者がやれるようにする。補助金を5618億円も出すなら。新規就農者の支援をする必要がある。農業者を増やす事が先決である。農業技術の指導。普通に農業を始められる条件の整備。農業は初期に大きな投資が必要になる。土地を買わないでも安定した農業を経営できるような態勢を作る。農業のような一次産業は、それを行う人材の育成が第一である。農家が自分の息子を農家にはしたがらない。娘を農家の若者と結婚させたがらない。この原因を取り除くために、戸別補償制度では逆行である。意欲を持って、農業で生きて行きたい。こう言う若者を育てる国にならなければだめだ。第二は、自給したいという市民が誰でも農地を利用できる条件整備である。農地を資産として見ている大きな原因は、都市化と公共事業である。そうした宝くじのような期待が、間違ってもないような農地の制度を作る。

第三には、農産物を食糧を他の生産品とは、別のものである事を国民の合意にする。水や空気と食糧は同じである。食糧の輸入は水の輸入でもある。その国土で生産出来る食糧にあわせて、人口が落ち着くようにする。自給率を上げるなら、人口を半分にまで減らせばいい。こう言う事がテロ対策であることに気付かなければ成らない。オバマ大統領が叫ぶようにアルカイダを殲滅した所で、新たなテロ集団は必ず現れる。アメリカが核を廃絶し、武力を削減する。話は違うようだが、食料というのは、一国の安全と不可欠である。食が足りる。これが国際紛争の解決の第1歩である。境の飢餓が進んでゆく中、温暖化対策すら、足並みが揃わない。揃わないからあきらめる訳には行かない。中国、インドを説得努力をしてゆく以外、未来はない。その第1歩として、食糧の自給。話はすぐそれてしまうが、有機農業のモデル事業の廃止はいいが、有機農業の廃止でないことを願っている。
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白州法律事務所

2009-12-29 06:33:27 | 環境関連
白州に新しく事務所を開設された梶山弁護士をお訪ねした。梶山氏に最初にお会いしたのは青学で行われた「杜のシンポジューム」の分科会だった。その頃、第2東名の反対運動で、法律に期待できないかと考えて参加していた。梶山氏から、「法律は何の頼りにもなりません。住民運動を起こす以外ないです。」こうきっぱりといわれた。弁護士が法律を全く役に立たないといわれるので、かえって興味を持った。あの時点で、第2東名の建設を止めていればと思うと今でも残念である。住民運動の立ち上げに、力が足りなかった。法律も役に立たなかった。白州事務所の開設に絵をお持ちしたいと思っていた。都会の事務所では敷居が高く、私の絵でもないのだが、白州の方に引退するはずだと聞いていたので、少し、仕事の仕方も変わるのではないかと。やはり引退ではなかった。何しろ、3時間しか睡眠しないほど、忙しくされていた。

小田原のごみ処理広域化についてのご意見を聞きたかった。私の概算では、広域化をしたら、費用がかさんで大変だと思える。しかし、加藤市長の答弁では、曖昧にであるが、広域化すれば費用は軽減できるから広域化を進める。と言われているように取れる。私の概算がおかしいのか、行政の試算がおかしいのか。その辺を確かめる手法の確認をしたかった。結論として、「両者を同じ会計手法でやってみる。」これしかない。と言う事であった。行政の言う、「広域化すれば経費が安くなる。」の現在の唯一の根拠は「三つの焼却炉を作るより、1つの焼却炉を作るほうが安い。」ここにある。その他の費用は一切見ていないでの、あまりにもれ漏れの試算に過ぎない。この言い方で言えば、「新しいものなど作らず、小田原の焼却炉を直し直し使えば、一番安い。」当然の事だ。直しながら使えば、まだまだ充分に使える。今やることは、焼却炉の徹底調査である。どこをどう直せば、どれくらい使えるかである。

広域化を大前提とする、国の方針は民主党政権で変わるはずだ。国の補助金・交付金行政は変わる。地方の自主的な判断でお金を使うように必ずなる。とにかくお金が足りないのだ。「コンクリートから人へで。」コンクリートの箱を作る公共事業による景気浮揚策が、既に破綻している。広域化と溶融炉の発想は、造船会社や製鉄会社の救済である。溶融炉の正当性を主張するために、ダイオキシンを取り立てて騒ぎにした。溶融炉の生成する未知の化学物質は、ダイオキシン以上の危険が想定できる。あらゆる物をまぜこぜにして、今までにない高温で長時間徹底焼却する。ここで起きている事が尋常でないのは、普通の生活感覚なら分かる。御用学者にごまかされてはいけない。ごみは出来るだけ燃やさない。ごみはできるだけ小さく処理する。ごみになるものは作らない。生ごみを燃やす費用は、1キロ30円を超えていることが見えてきた。これを明確にしたのは、佐々木市会議員の度重なる、本会議質問の結果である。今まで、1キロ10円程度であろうと行政は本気で考えていた。ごみ処理経費は複雑で、正確な会計処理がないと、何も見えない。1キロ30円を節約するために、市民が市民の行動の範囲でどれだけの事が出来るか。これには、ごみを減らした市民に、応分の費用が「返される、仕組み。」が必要である。笹村農鶏園の鶏は年間1羽77キロのごみになるものを食べる。2310円の貢献である。年10万円ぐらいは貰ってもいいはずだ。

梶山弁護士の事であった。弁護士と言うより、先ずもって人間として怪物である。厳しい方である。どんな寒い時でもシャツ一枚である。裁判所にでも、ザックに書類をつめて現れる。登山家であるので、訓練なのかもしれない。加藤文太郎ではないが、単独行の人だと思う。甲斐駒ヶ岳を正面にした事務所である。伺った時は家を作っていた。事務所はもう出来ているのだけれど。もう一棟自分で建てている。地下室には、大量の酒瓶が並んでいた。3時間しか寝ないで、全国のごみ問題の先頭を切って戦い続けて。セルフビルドの家を建てて。甲斐駒にも登って。やはり、すごい人間とたまには会った方がいい。ぼやぼやしている自分の事が良く分かる。こんな所で、あきらめていられないなと目が覚める。
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ホスピス「どちペインクリニック」

2009-12-28 05:11:52 | Peace Cafe
いわゆるホスピスという施設には、初めて伺った。山梨県の「玉穂ふれあい診療所」である。伺った日は、休診日で施設の方にはどなたにもお会いできないだろう。施設の外から概観だけでも見せていただこうというつもりで伺った。確かに施設は休診日でだーれもいないようだ。正面の入り口から、中をガラス越しに覗くと、素晴しい字が掲げてある。堂々とした、墨躍る文字がある。何ともいい字である。良くあるヘタウマ文字とも違うが、書家の書く手馴れた字とも違う。実に心に響く文字である。言葉は完全に忘れている。堂々とした文字の素晴しさが胸を打ったことが忘れられない。入院棟の方に回ると、一緒に行ったまごのりさんがご存知の方が出てこられる。丁度、「亡くなられた方のお見送りなので、」と言う事で少し緊張して待っていると、美しいお年寄りがベットに横人ッた儘静かに現れた。ご遺族の方の啜り泣きが響く。施設に居られる全員の方が、お別れをする。院長先生らしい方が、お別れのご挨拶をされる。何気ない瞬間のようで、かけがえのない一瞬でもあった。

「痛みのコントロールと在宅医療が一緒になって在宅緩和ケア(在宅ホスピス)となりました。自分の住み慣れた場で生活し,最期もそこで迎えたい。という人間としてあたりまえの願いを実現するために,私たち医療法人どちペインクリニックの職員はがんばっています。」このように理事長の土地先生は書かれている。休診日が幸いして、土地先生と看護婦長のお二人が時間を割いてくださる。ここにも立派な字が掲げてあるので、どなたが書かれたのか伺うと、28歳の青年だという。何ということか驚きが走る。脊椎損傷で、手で筆も持てない状態だという。車椅子の生活だそうだ。手に筆をしばって、体全体で文字を書くのだそうだ。その字の堂々とした、そして崩れのない姿は、全く見事である。そうなのかとか、その歳でその覚悟が出来るのは。お別れの時に部外者の私がくわえていただき、少しも違和感のない懐の広い空気。厳粛であり、親しげないい時間が過ぎた。私も、もしかしてこんな形で去ることが出来たら、いいものだが、あの立派な字に見守られている空間。私の絵など到底及ぶものではないと思わざる得なかった。

小田原の医療も大変困難な所にある。在宅医療が崩壊しているに等しいと聞いている。そのこともあるが、地域の人間関係が急速に希薄になる中、どのように地域のコミュニティーを再生し。また、地域の福祉・医療との連携を、そしてその拠点をどう作るのか。現在二つの検討委員会で模索が続いているようだ。その参考になればと言う事もあった。在宅医療と診療所とホスピスの組み合わせで、運営されている地域医療所の仕組み。その前提に土地先生という人間の素晴しさがある。とても財政運営は難しいそうだ。国の診療報酬の問題が根底に存在する。今度、改善されるのか期待しているとおっしゃられた。家庭で最後を過ごせる幸せ。それを支える、在宅看護の支援の輪。そして地域の診療所でのペイクリニック。小田原にはそんなお医者さんはいないのだろうか。居るに違いないのだが、良い組み合わせが出来ないのだろう。

土地先生は最後の最後だけ、病院のお世話になればいいといわれた。地域に身近な健康管理センターがほしい。それは銭湯だと思っている。健康ランド銭湯が経営できるためには水道料金の、特別枠が必要らしい。銭湯で健康維持が出来れば、医療費の削減になる。利用者健康カードをコンピューター管理する。体重、血圧、尿検査、血液検査。など必要な検査が自分で簡単に出来る、検査室を併設する。風呂代込みで月額1万円くらいでやりたいが。お医者さんの常勤は無理だろうから、看護婦さん、あるいは保健婦さんの適任の方におねがいする。日常は利用者が自ら測定機器を使う。コンピューターの記録を定期的に観察する人が居て、おかしいと思うときには、その人が次に来た時話せるように、チェックする。必要なら精密検査をする。医療費の問題は、日常の健康管理が大きい。自分の体の事について、病院任せにするから、大したこともないのに病院に行ったり、手遅れに成って病院に行くことになる。
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農場レストラン

2009-12-27 04:35:02 | 里地里山
久野にもあればと言う、一番の施設が「農場・農家レストラン」である。以前秋田で農家レストランをやられている、内山さんと言う女性の話を10数年前に聞かせていただいた。まわりの人達が「まさか、こんな田舎でレストランが出来るはずないだろう。」と言うような辺鄙な所に、お客さんが沢山着てくれる。農家のしっかりした料理を出せば、どんな所でも人は食べにきてくれる。そう言われていたことが忘れられない。足柄平野のどこかに、農家らしいレストランが出来たらいいな。そんなことをずーと思っている。ブルーベリーの摘み取り園をやっている、農の会の仲間の小宮さんはファーマーズカフェ「山海亭」をやっている。この地域のさきがけのようなもので、試行錯誤しながら毎年少しずつ形を変えている。この地域にはこの地域らしい形があるらしいな、などと思いながら見ているのだが。やはり運営する哲学が作り出すものらしい。

白秋町にある「農場レストラン鼓腹亭」思い描いてきた完成形といえるようなものだった。4月に出来たまだ新しい施設だ。7ヘクタールの農場があり、その一角にレストランがある。エネルギーは全て自然エネルギーという、コンセプトが先ずしっかりしている。料理はマクロのものである。お客さんが来てくれるかと言うより、こんなものを食べてもらいたい。こう言う哲学で作られている。私はマクロに興味があるわけではないが、マクロの料理だというのを、何度かは食べさせていただいた。身体にいい感じはするし、なかなかの味はしている。だが、これはうまいと言うような料理は今回始めてである。キクイモの煮たものがでた。あの身体にはいいが食べにくいイヌリンのキクイモだな。おそるおそる食べてみると、なんとも癖がない。ああこれがキクイモの食べ方だ。これなら食べれる、マクロ料理恐るべし。甘さが又格別、クドクない。

自然循環の「五雨十風農場」がまず前提としてある。一つのなだらかな南傾斜の谷間7ヘクタールが農場だ。一角には羊とヤギが放牧されている。広く田んぼが取られている。畑にしないで、田んぼにしている所がすばらしい。レストランではお米が売られていたが、天日干しのお米がなんと5キロ3000円で売られていた。全てに考え方がくっきりしている。水は大切にされていて、上手く山の絞り水が、田んぼを巡るようになっていた。トイレの水は5つのタンクで貯められた天水だそうだ。使用する水は井戸水。レストランをやるにしても、そこで生れるエネルギーを越えないように全体が運営されている。薪は周辺の薪山から切り出す。トラックターがあったが、てんぷら油の再生。ソーラー発電で全てをまかなっている。本来休業の水曜日の昼間に行ったのだが、3組のお客さんが見えてた。20代の背の高い2人の若者が働いていたが、二人の表情の明るさが素晴しかった。

このゆったりした空気感だ。この哲学が人に伝わる。利益とか、経営とか、そういう物では絶対に生れない。「こういうものがやりたい」という明確な哲学が、生みだす空気感。これでなければ人に思いは伝わらない。次の時代を意味する、すごい宝がある。大きな太い木で作られた建物だが、これは全てここに育った木だ。大きな一枚板のテーブルはタモだといわれていた。製材のノコメが見える範囲で残して、素朴に作られていた。燃えている暖炉の薪の暖かさが、身体に染みた。こうやってやってゆけば、過不足がない。夜のディナーは完全予約制だそうだ。1月2月は休みといわれていたから、春になったら、ぜひ食べさせてもらいに行きたい。
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鳩山首相の陳謝弁明

2009-12-26 05:09:28 | Peace Cafe
鳩山氏の謝罪会見を生放送で見た。コロナの湯のサウナのテレビである。見ただけで、後半の部分はよく聞き取れなかった。前半の読み上げているあたりはまだ聞こえた。なかなか熟慮している文章である。特に年老いた母親を悲しませた、くだりはほろっときた。おおよそでさもありなんという印象である。この人は嘘はついていない。嘘ではないが、親からの贈与を毎月何らかの手法で、徐々に受け渡すと言うのは、相続税逃れの良くある手口である。兄弟均等にという所を見ると、この母親と執事なのか、経理担当者の連携は充分検討された結果の手法である。このやり方を、鳩山兄弟が知らなかったのはありえる。以前弟が「兄貴はお金がめちゃめちゃだから、総理大臣はできない。」こう発言したことがあった。兄貴ばかり母親から金をもらっているらしいと言う、やっかみのような臭いがあった。それが弟にも均等だったのだ。弟もまさかと思っただろう。まあー、ごまかし方は違う。

問題は、すごい母親の英才教育で生まれた、総理大臣で大丈夫かと言う不安がある。間違いなく、乳母日傘である。その良さは確かにある。しかし、自分の経理が9億円もふくらんでいるのも気が付かない。まさか知らなかったとは言わせない。こう言う報道が多いいが、こんなことも知らされていないのだ。そう考えた方が確かだ。美空ひばりのイジメボイコット後の地方公演のようなものだ。人気があるかのような状況を作り上げるために、関係者は必死だったそうだ。経理担当者は鳩山氏に気付かれないようにすることを、第一に考えた事だろう。この環境でなんとしても息子を総理大臣にしようと頑張った母親がいた。そして成功した。親不孝どころではない。充分その任を果たした。何度も書くが、そんな世間知らずの孝行息子に総理大臣が出来るかと言う事だ。親の路線を歩んだ兄弟。世襲を政党の規約で禁ずるまでもなく、世襲を国民は嫌悪すべきだ。

自民党は歴代幹事長が集まって相談した結果、解散総選挙を求めた。本気とは思えない。参議院選挙と同時選挙になって、自民党は耐え切れるはずがない。本気でないのが見え見えなのに、そんな発言を野党らしくしてみた。と言う感じしかしない。これが今の政治状況の問題点。本当の小泉チルドレンを看板に動くしかないというのは、以前の谷垣氏の政治信条ではおかしくないか。自民党は投票に行かない、女子アナを看板にするようなイメージ選挙方針で失敗したのだ。政策をきちっと表明しないできた。政策を検討する能力を失っている。これが今の日本の政治状況の不幸だ。普天間基地の移設に対して、自民党は何か明確な意見を表明しているとは思えない。国際的約束だから守れだけでは、政策ではない。辺野古が何故唯一の道であるかを説明出来なければ、その日米の約束が間違っていたのだ。

サウナの中でいよいよのぼせてきていたと言う事もあるが、鳩山氏の後半部分は声が小さく聞こえなかった。鳩山氏は相変わらず甘い。本来ここで表明すべきは、五年以前の時候部分を含め、重加算税の認定如何にかかわらず、資産をウッパラって、貰ったものは全額国庫に収める。こう言う発言がほしい。それこそ友愛精神である。親からの御子遣いで政治活動をやるのは甘ちゃんだ。総理大臣を続けるつもりなら、国民に対して、その点は恥ずべきことだ。もう、甘ちゃんはやめて一人でやるので、自分の今やりたかった政治信念を貫かせてくれ。こう叫ぶべきだ。政治家なら、総理大臣をやれると言う事は本懐であろう。そのためなら、全財産を投げ打っても惜しくない。それを示せば、私は納得する。それぐらい鳩山革命に期待しているのだ。もしかしたら日本が変われるかもしれないと期待している。政権政党に期待するなど始めての事だ。鳩山さんしっかりしてくれ。
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尾白の湯

2009-12-25 04:33:09 | 日帰り温泉
甲斐駒ケ岳の入山口に位置する。おじらのゆとよむらしい。JRの長坂駅から南に8キロほど入ったところ。尾白川渓谷の入り口に出来た、「べるが」白州・尾白の森名水公園の中にある。少し入った所に甲斐駒ケ岳神社がり、尾白川渓谷へと続く。天地水明の地がどんな所かを知りたいものは、尾白川をみろ。と言えるほど美しく、神々しい。入山口という場所はとても緊張感が漂う所で、夜明けの暗い中、装備を点検し、体操をし、いざ出陣と言う気持ちが高揚する。6台の車が駐車していて、ナンバープレートは高知まである。全国から甲斐駒黒戸尾根からの、標高差2200mの長大な尾根を登っている。これから正月に掛けては、冬山のつわものが集うのだろう。北沢峠からのカットコースが普通になったから、こういう王道を登る人は、本ものの登山家なのだろう。などと思っているだけで、こちらまで緊張感に包まれる。

1、清潔度「8」何の問題もない。よく清掃されている。塩素臭も気になる事はなかった。出来て3年目だと言うから、施設もぴかぴかである。

2、泉質「9」記載によると、日本最高級「超高濃度」1キロに31600ミリグラムミネラル含有。なのしろこの温泉水から塩を作っているくらいだ。源泉からのお湯はそのまま、露天風呂になっていて、ぬるめでいくらでも入っていられる。

3、環境「8」自然環境で言えば、完璧であるが、眺望と言う点で、惜しい作りになっている。外が見えると言う事は、中も見えると言う事で、最近の露天風呂は高い塀で囲われた作りになっている。少々見えたっていい。外が見たい。

4、食事「5」山梨名物のほうとうは合格点ではあるが、自分でも良く作るから、どうしても点が辛くなる。カボチャも同時に蕩けるように煮てほしい。メニューが常識的である。地元ならではもう一工夫できるだろう。

5、湯船施設充実度「8」サウナと水風呂と低温ジェットバスの組み合わせはなかなかいい。打たせ湯の水流が弱いのが、残念。サウナの熱が直接的というか、熱い割には汗をかけないタイプとなっている。遠赤と言うか。蒸気との関係など、研究した方がいい。

6、従業員の対応力「5」普通ではある。説明を伺ったところ、もう少し聞きたいことがあったにもかかわらず。事務的な印象で、お役所がやっているのかな。そんな気になってしまったので、それ以上は聞かなかった。

7、コンセプト「8」水の良さに尽きる。泉質のよさを生かしている。良い気も流れていて、とても癒される温泉である。自然環境の良さを生かした作りにしていない所が残念。見える所だけでも地域の木材を使うなどしたい。

8、価格満足度「9」700円なら満足できるだろう。白州の住民なら300円。これが素晴しい。本来、当然の事だが案外少ない。

9、全体施設「8」必要充分である。配置が少し問題。設計者がこうした温泉の利用者ではない。何となく、役所の事務所を作る設計かが、理屈で作ったような、温泉利用者が、癒される作りになっていない所が残念。壁の色。お風呂までの道筋。

10、アクセス「7」長坂のインターチェンジから、20分。リゾート地と言う事で、やむ得ないのだろう。

総合点75点。ここの湯は温まるという感じではなかった。高濃度と言う感じも特にしなかった。多分あまりないタイプの泉質だと感じた。
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産まれた家

2009-12-24 05:59:04 | 身辺雑記
生れた家に久し振りに出かけた。山梨県東八代郡境川村藤垈向昌院。故郷らしきものがあるとすれば、このお寺と周りの山や川である。もちろん育ててくれた、祖父や祖母がふるさとでもある。自分の今を考えてみると、このおばあさんとおじいさんに随分のものを、教えられていたことが分かる。数えてみれば今の私と同じような歳だったのである。いや、少し若いぐらいだ。厳しかったおじいさんを思うとき、よくあれほど厳しく接する事ができたのかに、感動する。同時にまるで孫と同じような目線だった、おばあさんにも、感動する。ありがたいことだ。変わっていないのは、金比羅山の形ぐらいだ。何もかも変わってしまい、別の所に来たような感じで、今回もたどり着くまでが大変だった。これほど変わった田舎と言うのも、珍しいかもしれない。公共事業と杉檜の造林。水清きふるさとの川は、いまや3面張りの水なし川。

お寺の山門に立つと、向かいに広がる坊が峯のおわんを伏せたような姿は、全てが畑だったはずだ。今は茂みの上にテレビ塔が何本も立っている。サツマを植えに行った記憶がある。戦中から戦後に開墾した畑のはずだ。リヤカーに水を積んで、坊が峯の小さな畑まで行った。傾斜地のままの細長い畑だった。幸い道からは傍で、丁寧に水遣りをした。そのサツマの草取り、収穫と、3キロは距離のある畑まで歩いた。暑い夏は水がなく、喉が渇いて困った記憶がある。今はああやって開墾した畑の全てが、荒地となった。北側には競輪の施設や高速道路が出来ている。あの辺りを思い出すと、小さな窪地が在り沼地のようになっていた馬の墓地と呼ばれていた場所である。その恐ろしさを我慢して、強がりながら粘土を取りに行く場所であった。炭焼き窯の補強などに使ったはずだ。いたるところを畑にして、食糧増産して、そしてそれが又山に戻ってしまった。

徒労に終わった悲しみ。こういうものを日本中の中山間地ではかかえているのだろう。そして、公共事業に依存した、生計。道路ばかり増えて、もう道路の上に道路を作る以外ないほどになって、高速道路リニアモーターカー。不幸中の幸いと言うか、ダムになる地形ではなかった。水害が続いて、堰堤工事と3面張りである。山が荒れてしまったから、水害もいよいよ起こるはずだ。お寺の水源は流されてしまったようだ。お寺の水源は500年以上の歳月コンコンと沸いていたものだ。だからここにお寺が建てられた。それは自然に対する畏敬の念、信仰につながる思いが篭っていた筈だ。ご先祖様に見守られる安心感。安定感。そうした伝統的暮らしの心情が、あっという間に消え去ってしまった。方角を誤ったのではないか。最初は僅かな方向の違い。やむ得なかったような貧しさが背景にある。アメリカに戦争で負け、アメリカと言う幻想の物欲に、もう一度負けた。

ほぼ一人でやる養鶏になって、4ヶ月が経過した。だいぶ手伝ってもらってはいるが、私としては一人力で大変になった。労働が増える変更に自分が耐えられるか相当心配であったが、何とか大丈夫なようだ。楽に流れると言う事がある。一度楽をしてしまうと、前の大変だった事に戻れなくなるものだ。日本人がこれから、生活レベルを下げて、肉体労働を厭わず、やっていけるかどうか心配だ。この覚悟はせざる得ないものである。この現実を認められるかどうか。3K職場は外国人労働者と言うような、不自然なことではなくやれるのかどうか。祖父は良く働く人であった。ところが、おばあさんは働かない人であった。節句働きだけの人だった。だけどこのおばあさんほど、素晴しい人間は少ない。私もあのおばあさんのように、暮らしたいと思いながら、残念ながら祖父に刷り込まれたもののほうが、勝っているようだ。
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増税時代

2009-12-23 04:29:40 | Peace Cafe
民主党になれば、増税になる。政策を見て行けば、当然そう言う事になる。政府の税制調査会の結論を踏まえた税制改正大綱では、やはりその方向である。早く消費税をと思う。格差是正、福祉強化、国民目線では当然増税である。この方向を勧めるには、徹底した支出の削減が大前提。果たしてそれが出来るのかどうか。景気対策に補正予算をばら撒け、国民新党も社民党も、理解のできない主張をしている。あの麻生政権末期の緊急的補正予算のばら撒きと同じことになる。税金は必要最小限の所に使えばいい。景気対策や失業対策に税金を使うなど愚の骨頂である。子供手当ても、緊急的に必要だとは思う。しかしばら撒きになっては意味がない。出産に関する、病院などの体制すら十分でない状況。保育園の不足。こう言うところは、子供手当て以前の事だろう。民主党ならやるかもしれないという期待はある。文句は多々あるが、もう少し様子を見たい場面ではないか。

報道の傾向では、権力の小沢一極化に口をそろえている。小沢氏の選挙優先主義だで済ませている。先日まではぶれる鳩山首相で統一していた。小沢氏の存在が大きいの小さいの、こう言う事を言い募るも、スキャンダル好き、噂好き、政界事情好きのマスコミらしいが。肝心の小沢氏の要望の内容。鳩山氏の打ち出した政策自体の論議をする必要がある。私は小沢氏の要望はまっとうだと思った。ガソリン税を下げられる状況ではない。このことの是否を論議すべきだ。鳩山氏自身が決めたのか、小沢氏に従ったのか、この出したり引っ込めたりするやり方が姑息であるのか。問題はそんなことより、ガソリン税については、前回のガソリンの乱高下で、国民は学習をした。税を廃止して25円下げた所で、投資マネーやらの行方しだいで、一辺にふいになる。今の所景気が悪いためか、価格は落ち着いている。いつ又どうなるかわからない。ガソリンという物は、利用者は価格に応じて使うもののようだ。極端な変動で起こるゆがみが恐い。

子供手当ての寄付。よく考えたもんだと思うが、これが友愛政策か。友愛精神を発揮する人は、寄付をする。政府のやることには思えない。1000万円以上の世帯には配布しない。これが一番いい。社会みんなで子供を支えてゆくのだから、所得制限は設けない。こう言う理由を鳩山氏は述べているが、これは意味が繋がっていない。社会みんなで所得制限を設けると言う考え方だってある。子供を育てるにはお金が足りないと言うのが、今緊急的に必要なことだ。教育を受けたいという気持ちがあっても、学校に行けない。これは昔は普通の事だった。そこを何とかしてきたのが、戦後の日本の方向だった。今、学校に行けないのは、経済だけではないと思う。学校の無料化も子供手当てと同じことだ。鳩山さんのお孫さんも無料と言う事になる。

福祉的社会の実現は悪い事ではない。自立支援法などとんでもなかった。変えるのはいいことだが、何でも無料化は平等ではない。医療を無料にしたら、年寄りの社交場に成ったと言われた。もしそれが本当なら、年寄りの行き場のない社会がおかしいのだろう。無料よりはそこそこの努力で、可能になる道を準備する。私が大学に行った頃の国立大学はそうだった。全く独力で来ている人が普通にいた。これが何故か、私学並みとか言われて値上げが続いた。当事者として学費値上げ反対闘争をしたのは、間違って居なかった。社会全般が経済を中心にした競争になった。ここを変える。変えるためには無料の方向ではない。競争を健全なものにすることだろう。経済の競争ではなく、人間の可能性が適正に発揮されるような社会。農家をやりたい者には農家が普通に出来る社会。もう少し丁寧に書きたいところである。
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小田原市事業仕分けの結果

2009-12-22 05:56:59 | 地域
有機農業推進法に基づく、モデルタウン事業は国の事業仕分けで廃止となった。小田原市の事業仕分けにおいて、かかわりのある事業のいくつかが廃止、民間、指定管理者制度、と判断された。「農業祭り」「青果市場運営管理事業」「御幸が浜プール」「動物園管理事業」「塔の峰青少年の家」「石垣山大茶会」以上廃止「フラワーガーデン」などである。仕分けされた80に事業のうち、廃止や民間が行うが28事業である。「農業祭り」には先日有機農業協議会で出店したので、早速アンケートのようなものが、理事会で行われた。農業祭りは必要ではあるが、参加団体の意志が見えない。この祭りが、農業者と市民の交流の場になるのか。あるいは農業者同志の交流か。小田原の農産物の紹介に成るのか。販売の場に成るのか。何が目的に行われているのかが、参加していながら見えなかった。今までは農政課が運営の全てを行ってきた祭りである。行政に言われるから仕方なく参加する。こんな空気が感じられた。

青果市場の市の職員は、段ボール箱を売ってくれないかとお願いにいったら、「無断立ち入り禁止と書いてあるだろう。何で入ってきた。」一方的に、最初から怒って話を聞こうとしない。市の職員がやるとこんな場合がある。青少年の家は担当部署に結果について伺いに行った。仕分けの結果に対して、あまり気にしている様子はなかった。何も変わらない。当面このまま続ける。例えば利用者は「青少年団体、会社・工場・商店などの勤労青少年、青年学級生、学校の生徒あるいは学生等で責任者が引率している団体 。青少年の指導者で研修を目的とした団体。 その他、小田原市教育委員会が適当と認めた団体。 」このように限定している。これでは利用者が少ない訳である。佐々木議員はこれを直した方がいいと、市議会の質問で言われていた。これについては1年も前から、言ってきたことだが、変えようとしない。こういう点が民間運営と違う。

市行政が行うべき事。市民が行うべき事。これを整理するのが事業仕分けであろう。あしがら農の会のNPO法人化は小田原市の要請を踏まえたものであった。市が国に申請し行った特区制度にはじまる、NPO法人の農地利用事業。その後、形を変えながら、今に到っている。この事業では行政は何を行い、市民は何を行うべきか。この背景が整理されていない。このような、事業として予算に表れてはいないが、市の職員が担当している事は多いい。里地里山事業においては、市と県の職員が事務的任務の一切を引き受けてくれている。担当職員の時間外の善意に支えられている。それはありがたいことではあるが、いつまでもそのままでいい形とは言えない。有機農業協議会も同じである。市行政が行うべき事は、市が行うことが最善である事に限定すべきであろう。予算の扱い、公的契約の作成、等であろうか。職員数も減っているし、さらに減らしてゆかなければならない状況である。

ここで指定管理者制度というものが重要になる。市民活動サポートセンターは指定管理者制度で、とても使いやすくなった。市が管理していた時代、随分苦労したので、隔世の感がある。一体指定管理者制度は、健全なものとなっているのだろうか。今年も小田原市の公的施設が4つだか5つが、指定管理者制度で民間委託される。どのような流れで、公募される施設が決まり、どう指定管理者選定され、又今後どのような見直しがあるのか。このようなところが、見えない。細部までは分からないが、市が直接行うと、高額な職員の給与がかかる。これが、民間なら半分なり、3分の1の節約になる。高額な給与の人間にはそれに相応しい仕事をしてもらう必要がある。創意工夫し、新たな事業を創設するような役割である。その意味で、指定管理者制度を誰にでもわかりやすい、丸見えなものにする必要がある。
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今年の野菜

2009-12-21 05:47:53 | 自給
今年の秋は野菜が良く出来た。写真のようなカリフラワーが出来たのは、始めての事だ。暖かい秋で天候に恵まれた。秋の入り口は虫が多くて、キャベツなど、虫だらけでこれはもう採れないと思っていた。寒冷紗を掛けたり、虫取りをする余裕がないのはいつものことで、あきらめている。少しでも出来ればいいやというのが、やり方である。虫がいつまで残るのかを見定めながら、種を蒔くのだが、これが遅れると、寒さがきつくなって、成長が遅れる。成長が遅れると言うのは、1日が10日に値するぐらい、急速に成長がゆるやかになる。だから、今年の天候の推移を予測して、種を蒔き、苗を作る。畑に定植するのが、虫がいなくなって、まだ生育できる段階。到底予測できないので、今年は直播と、苗作りを同時平行で行ってみた。どっちかが出来ればいいという考えである。どうせ買ってきた種は余る。作業は一度に行えるし、成功する確率が高まる。

今年は結果的には苗の方が良かった。ブロッコリー、キャベツ、白菜、長ネギ。どれも大きなものができた。長ネギの苗は購入したもの。あまりできがいいので、畑で眺めていても気分がいいくらい。草取りはあまりやらない。やらないでも白菜や長ネギが何とかできる方法を考えた。畑の畝の立て方である。長ネギなら、どうせ土寄せを何回もする。30センチはある溝の中に植えた。そして草を引っかきながら草の上から土を寄せていった。今は畝は盛り上がっている。白菜は砲台の上のような所に植えた。何かのついでに草を引っ掻きやすいようにしておいた。タマネギは黒マルチの実験中である。さて人参の草取りはどうすればいいのだろう。直播のキャベツはバラツキが大きい。しかし、自給にはこの方がいいのかもしれない。大きくなったものから食べれば、長く食べれる。さつまいもをジャガイモのように、イモを植えた。遅れて植えた。今収穫しているが、それなりに出来ている。

出来なかったのが、秋じゃが。ほぼ全滅。少しは出来ているイモもざらざらして、ゴリゴリして、美味しくない。何かの病気が出たような感じだ。今の所種芋が悪かったと言う事にしているが、比較的で来ていたジャガイモだけに、注意したい。出来なかったもうひとつが、クリムソンクローバーの発芽。田んぼが乾かず、耕せなかった。10月に蒔きたいと思っていたのに、遅れに遅れた。蒔いたのは11月末。問題は時期が遅れたことより、濡れた土の為に土が良く耕せなかった。この状態が良くなかったとおもう。自家採種の種の発芽については、欠ノ上では成功しているので、種の問題ではない。岩越さんは月のせいにしているが、今の所そういわれてもしょうがないような状態である。何しろ欠ノ上は土の状態がとても良かった。種も購入したモノが、1キロ入っている。まあー菊原建設のお陰が一番である。

今年はみかんがないから、12月は農作業がやることがない。こういうときに、普段やれない、竹薮の片付け、踏み込み温床の準備、ヒヨコの孵化の準備など出来ればいいのだろう。今年は、養鶏場の方を片付けているので、これが一番の作業になっている。だいぶ整理が付いてきたので、来年は養鶏場の方で、稲の苗の播種はしたいと思っている。屋根もあるし、水もあるし、机の配置など、少し工夫しておきたい。冬の内に山ぶどうの棚も作りたい。石楠花の家の薪ストーブの煙突も完成したい。ミツバチも取り掛かりたいなど、昨日話したばかりだ。なんだか思い出してみれば、遣り残している事の方がはるかに多いい。ここが重要な自給生活のコツ。先送りしていて、平気なことだ。あれもやってない、これもやれなかった。そんなことばかりだ。気持ちは軽やかに、その日やりたいことをやる。それだけである。
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農業ヨーロッパモデル

2009-12-20 04:42:57 | Peace Cafe
民主党の戸別補償の基本的な考えは、ヨーロッパモデルだそうだ。いよいよ予算と言う形で具体像が表れる。先ずは、お米だけと言う事らしい。お米からと言うのは考えやすいと言う事もある。対象農家数が多いいと言う事もある。参議院選挙前にというイソギ働きの感もある。日本の農業をどうするのか。こう言う事が充分議論されて、国民の合意ができたというところには程遠い。100%食糧自給の国。これは将来の方向としては、国民のほぼ合意ができてきた気がするが。自給の実現が税金によって行われると言う事までは合意されていない。ヨーロッパは戸別補償で大きな税負担の元に、自給率が回復した。70年代後半、職業世襲90%と言われたフランスでも、若者の農業離れが盛んに言われていた。ドイツでは耕作放棄地が広がり、危機的な意識が高まっていた。この危機に対する国民の反応は今の日本とはだいぶ違う気がする。

背景が日本とは異なる。農業の構造改革が可能であった点。食糧自給の税負担に対して、国民の合意が早かったこと。現実何が違うのか。日本の稲作農家の50%は水田の収入はマイナスである。赤字であるのに、いくつかの理由で稲作を止めない。構造改革が出来ない理由はここにある。一番の理由は、日本人の土地に根づいた生き方であろう。薄れてきたとは言え、まだ強く日本人の暮らしの根にある。そしてそういう生き方に対し、ときどき、宝くじが当るような朗報が聞こえてくる。ダムが出来たり、新幹線が来たり、文化センターが建てられたり、あるいは都市化の波。何となく戸別補償。その待ちの姿勢を保てる、相続税の優遇。もちろん農家批判をしているのではない。土地に根づいた日本人らしい、勤勉の倫理観の形成。こういう農家の心情に配慮しない限り、戸別補償が悪い形の存続になりかねない、と言うかなりの人の不安の存在。ここが明解でない。

ヨーロッパはモデルにならない。むしろ、モデルにするなら、ロシアかキューバである。政策としての方向は、現状自民党の残した、アメリカ方式である。企業参入で大規模化、合理化、国際競争力。アメリカ方式がいかに日本の現状に合わないものであったかは、今の現状を見れば結論は既に出ている。参入企業に出した補助金はムダガネであった。大企業が利益だけを考えれば、中国やベトナムやタイで農業生産をするだろう。海外進出までは考えられない、地域の小さな建設土建会社が仕事と人員の調整のため、農業参入することは小田原にもある。ところがこれでは、構造改革といえるような農業にはならない。日本の農業技術は相当にレベルが高い。昔はやったという位では、それに専念している大規模農家に太刀打ちなどできるわけがない。「土地はあるので、養鶏場の管理をやってもらえないか」という新規事業の話が、以前企業からあった。やろうとすればこう言う事になるだろう。

日本の農業の再生は、地域主義だ。地域に任せるべきだ。きめ細かく行わなくてはならない。日本全体を同じ方式では出来る訳がない。舟原の農業をどうするか。こうした積み上げをしてゆく以外に道はない。中国はこの方式である。集落一つ一つが会社のような形であり、運営されている。舟原の農業を云々など、とても外来の私が発言できない。国の事、県の事、小田原の事。このアタリまでなら差しさわりが少ないのだが。久野と成ると少しハードルが出来る。まして舟原の事まで来ると発言できない。この発言できない現状の何層も上に国の政策が乗っている農業の現実。それが日本なのだと思う。これを問題だと言うより、その良さを生かせるような農業の道でない限り、展望は生れない。昔にもどれでは、息子は出てゆく。息子が農業をやるので喜ばしい。このように思える地域を作る以外にないと思う。

昨日の自給作業:里芋、サツマ堀、芋穴の扉を作る1時間 累計時間:4時間
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小田原「お勝手連」

2009-12-19 04:42:49 | Peace Cafe
お勝手と言うと、台所の事である。お勝手雑巾とか、お勝手箒、お勝手場、お勝手口。子供の頃の我が家ではまだ普通に使われていた。江戸幕府では台所をあずかる役所を勝手方といったのは、経済を少し下に見た、武士の精神では公務ではないと言う意識があったのだろう。御用聞きが勝手口に来る。台所に直結した出入り口が別にあって、それが勝手口。家計を預かる主婦という意味と結びついている。最後に頻繁に使われたのは、勝手連である。当然女性が中心で、選挙運動の市民の自主的支援の形をそう呼んだ。勝手に支援しているので、候補者の指示で動いているのではない。美濃部都知事の頃で来た気がする。先日、小田原の銀の道とかいうお店で、集まって談話する勝手連らしき会があった。「お」を付けた所がその人達のセンスだろう。その集まりに話題提供者と言う感じで、参加した。とても、聡明な小田原夫人の、そういう集まりだった。久し振りに談話というものの価値を深く認識する事になった。

とても感覚的な会話なのだ。論理を飛び越えた飛躍がある。その飛躍や連想がとても生きている。生きている会話という物は、男が行いがちな、ひち面倒くさい、小理屈の叩きあいになるような会議と、呼ばれるようなものと違って、精神の生産性が高い。未来と言うのは、未知の世界なのだから、理屈だけでははかりかねる。感性的に飛び越えて、意外なものが自然に結びついてゆく。とてもいい刺激になった。そんな状況だから、その内容がどうであったかと言うようには、到底まとめられない。大まかに言えば、農と食である。それは私がそうした分野の人間で、そう言う事を話題提供したからである。そこを基点に広がってゆく反応の方が面白かった。男性が考える小田原ブランドとは、相当に違う。綺麗なおばあさんがいる町ってすごい。こう言われた人がいた。

小田原への愛情が熱い。その愛情の種類は街場のもので、農村地域とは少し違う。農村地域では愛情は愛着、所有と繋がっている。自分の農地とか山林とかが、存在する地域。祖先との繋がりへの愛情と言う感じがある。街場の愛情はもう少し違って、そこにある日常の暮らしへの目が感じられた。女性が他所の地域から、結婚して小田原に来た場合もあるからであろう。そこで出た話ではないが、合唱のサークルの楽しさ、お祭りの思い出、料理の事や食材のお店。全ての話が、日常との連想で会話される。この発想の方法がとても参考になった。学校給食が何故、米飯にならないか。小田原がいつまでも週2回を何故抜け出せないのだろう。などと私は話題を提供した訳だが。小田原のお米は美味しい。この話になった。そこから、小田原のお米を評価するには、小田原の物語がいると言う話になって。私にはその物語が、地域JASだと思えた。

国のJAS規格は農薬や、化学肥料を使わない。何かをやらないと言う、マイナス方向の基準である。小田原には何と何がある。何をやった。どんな人が作っている。どうやれば美味しい。地域のJAS基準は、プラス方向の物語づくりだ。小田原めだかはとても貴重な資源になる。かえるやトンボも地域JAS基準だ。なるほど秋田の「美少女米」が売れたというのは、これだと思う。いくらなんでも美少女が作っている訳ではない。「あきたこまち」の連想であろう。購入者が若い男性なので、米の炊き方が、袋の裏に書いてあるそうだ。食べて美味しければきっかけになる。山女の来る田んぼ。舟原田んぼ。そういえば、今年はついに来なかった。岩手ガンコ米。と言えばブランドになる。小田原かまぼこが信頼のブランドになるためには、小田原が信頼の街に成ると言う事だろう。

昨日の自給作業:大麦の播種。アマランサス、さくさく太郎の種取り。畑の片付け等3時間。累計時間:3時間
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里地里山の暮らし

2009-12-18 05:30:09 | 里地里山
美しい久野里地里山協議会の活動が一年を経過する。改めて思うことは地域において市民が行うべき事は、地域で暮らしを立てると言う事に尽きる。地域に根ざして暮らしを立てる姿は、日本では極めて困難な事で、失われつつある。里山は地域に暮らしが存在してこそ、形成されてゆくものである。地域での暮らしがなくなりつつあるのが、現実である。その中で里山をどのように再生してゆくのかは、よくよく検討されなければ、歪みが生じる。負担だけが大きくなる。「里地里山を守る。」会という組織の多くは、都市化されてゆく地域で、残された自然を守る運動として活動している。当然市民のボランティアが公園的里山を出来る限り自然状態を残して管理してゆくと言う事になる。しかし、それはあくまで箱庭的な、緊急的な対応であり、本質的な意味での里地里山の保全の実現は、地域の暮らしを再生すると言う事である。

地域の林業が再生する。地域の農業が再生する。地場の仕事が再生する。このことなくして、公園的な保全活動だけでは、久野という2800ヘクタールと言う広大な地域の根本の解決はありえないだろう。里地里山協議会は登山道の再生を行ったが、この管理運営と言う事で苦労している。これからも、公園的再生を行えば当然、その後の管理を充分に考えておかないと、行き詰まりかねないだろう。現在久野川の環境調査。と言う事が会の事業として上げられている。事業としては上げられているが、どこの誰がどんな費用で行うのかと言う事が、まだ充分には意識されていない。やるべきことであるというのは、理念的に当然の事であるが、やれるかどうかは又別の事であろう。環境調査に関心のあり、実際に行動のとれる人が何人いるか。その人員で何が出来るか。こう考える必要があるだろう。

実は環境調査と言っても、様々な視点がある。先ず行うべき事は地域の聞き取り作業ではないか。子供の頃には、こんな魚がいた。こんな虫がいた。大水の時には、こんなものが流れてきた。久野で昔の話を聞くと、川の石に名前が付けられている。これは何故か。石と近しい暮らしがあったのではないか。石切り場のあとも何箇所もある。石工のような職業集団が存在したのではないか。久野の農業の歴史ももちろん把握する必要がある。薪炭林業の実際も調べなければならない。それらが久野に残る100を超えて作られた、古墳とどのような関係があるのか。この古墳の背景となる、人間の暮らしを見通す必要がある。屋号や名前の調査も必要であろう。こんな事まで到底出来ない。今の人員でどこの誰がやるのかと言う事になってしまう。しかし、大きな方角を見定めるためには、ここに暮らす誰かがやらなくては、久野の里地里山の本当の意味での理念がみえないと思う。

なぜ、改めて協議会を作り、行政も参加して、里地里山の再生をしようとしているのだろうか。小田原市も久野の里地里山の再生を考えて予算もつけている。神奈川県も同様である。担当者もいる。意義のあることと考えてはいるのだろう。砂漠の緑化のようなもので、絶望的な現実がある。根本解決には、次の次の世代ぐらいになって、いくらか可能性が出てくればと言わざる得ない。だから、ここでの活動は、常に不充分で、徒労のような疲労感が伴う。そこで大切なことは、認識を共有する仲間の存在である。水ばかりさすような、足ばかりすくうような、環境では意欲が生れない。あしがら農の会での活動が元気が出るのは、大きな方角の予感のようなものが、共通項として存在するからである。協議会というものが、何かをするというのでなく、参加者がそれぞれに活動し、その集積として協議会が存在する。協議会の名前どおりの形になることが望ましいのではないだろうか。
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天皇の政治利用

2009-12-17 04:52:22 | Peace Cafe
天皇さんと中国の習近平国家副主席との会見は政治的なものだ。中国との関係において、天皇と中国の代表が会うと言う事は、政治そのものである。今までもそうだし、これからもそうだ。あえて言えば、天皇の行為で政治的でない行為などめったにない。まして日中関係は、現在焦点となっている日米同盟において、力関係の微妙なバランスの問題である。急に会いたいと言う中国はさすがに抜け目がない。しかし、この話が出たとき、中国の国内は大丈夫かと感じた。中国だって危険を冒している訳だ。中国の首脳が日本で天皇に会うという場合、歴史認識の問題が出る。98年に江沢民主席が宮中晩餐会で歴史問題に言及した。中国の首脳としては言及せざる得ない問題である。しかし、日本では大きな反発が起きた。今回は一切そう言う事は無かったようだ。中国の自信が感じられる。小沢氏とのあうんの呼吸と言うか。いかにも全てが政治である。

この問題では小沢氏の激怒会見の意味がとても危険なものに見える。怒りを表してしまう政治家は失格である。役人を叱責することに、意味を持たせるなら、見えない所でするのが普通の事である。それでなければ役人に対して、効果がない。あれは国民向けの怒りである。小沢氏を怖ろしい人間だと言う印象が定着した。小沢氏の役回り意識ではないか。田中角栄氏から学んだ政治手法であろう。あの激怒会見の一番の問題点は、「天皇は会いたいと言うに違いない。」という、小沢氏個人の憶測を述べたことだ。天皇は民主党を支持しているに違いない。こう言う事を述べたに近いのだ。天皇の権威を利用して、今回のルール逸脱の会見を正当化しようとする姿勢が見える。「だいたい君は憲法知っているのかね。国事行為は内閣の助言と承認で行われるんだよ。」こう小沢氏は言っているが、そもそも外国の首脳に会う事は、天皇の国事行為ではない。憲法には天皇の国事行為は具体的に10項目挙げられていて、そこにない。

やはり早急に象徴天皇制は廃止すべきだ。実に危険なことになってきた。小沢氏の主張するような、曲がった民主主義では天皇が今後、拡大解釈による政治利用が普通に行われるだろう。自衛隊の観閲などが行われるような事態は充分に予測される。一方、自民党はこのときとばかり、天皇の政治利用に対して、意見をまとめるそうだが、自民党内部は大丈夫なのかと言わざる得ない。今回の会見には中曽根元首相が関与していると言う噂もある。天皇を掲げたい本家争いの様相をていしてきた。小沢激怒会見の演出の裏にあるのは、いまや天皇を自由に出来るのは自分だと、本家だと、示したかったのだろう。そのために詳しくもない、憲法を持ち出し。尊重もしたくない、民主主義まで担ぎ出した。そして、天皇自身の意思まで憶測して、重みをつけようとしたのだろう。本家争いの見苦しい姿だ。

天皇家の皆さんはとても立派な方々だ。一貫して平和主義者である。選挙権はないが、民主主義を理解もしている。行動も過不足がない。今回の事件でも、もし何かのコメントを天皇が出したらどう言う事になるか。具合が良くないので会えないと言う事になったらどうなる。政治的意味合いが深まる。いつかは、必ず、今ほど立派でない天皇の時代が来る可能性もある。自衛隊は廃止した方がいいなど発言があるかもしれない。今のうちに天皇と言う存在をもっと日本的な、大切な位置に置くべきでないか。江戸時代の天皇家の位置がいい。文化をつかさどる天皇家。日本文化の象徴としての天皇家がいいのではないか。高坂正堯氏は「天皇さん」と呼ぶぐらいがいいといわれていた。京都にはその伝統があると書かれていた。京都御所に戻るのが先決である。日本にとって天皇家は重要である。政治的意味合いでなく、あくまで文化的意味合いで重要である。と言う風にすることであろう。
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