地場・旬・自給

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再稼働反対デモ

2012-06-30 04:09:11 | Peace Cafe
昨夜は官邸前の「再稼働反対デモ」に出掛けた。状況は良く分からないし、ネットで情報も特に見たことも無かった。金曜日の夜に人が集まっているとは、何となく聞いていたぐらいだ。先日舟原田んぼの「さなぶり」のときに、この話が出た。それで行くことにした。原発反対を叫ばなければ居られない気持ちだったので、丁度よい機会だとおもった。野田総理はデモの声は聞こえていると言っていたし、これが100万人位になれば、空気が変わるかもしれないという期待もあった。官邸に行くには、地下鉄丸ノ内線の国会議事堂前で降りればいいだろう。行けば人が溢れているからそれについて行けばいい位でともかく出掛けた。どうも東京に行くのは不安なので、歩いて小田原まで帰れる恰好で出掛けた。食べ物と飲み水をリックに入れて、反原発のゼッケンを準備した。そうゼッケンを付けているような人は、私ぐらいだった。多くの人は手にラミネートした看板で主張を書いている。

国会議事堂前についたのは、6時過ぎだった。確かに地下鉄から降りる人はすでに行列である。腕章をつけて、誘導している人が3番出口を出て階段を上り、でたら右側に進んでくださいと言っている。そのまま出ると、人人人。「再稼働反対」「再稼働反対」と叫んでいる。なるほど、野田首相は国会で、再起動と言っていた。再起動の方が叫びにくい。子供の頃安保ごっこというのをやった。みんなで腕を組んで、「アンポハンタイ」と叫びながらジグザグデモをやるのだ。アンポ・ハンタイのリズムが良かったのだ。サイカドウハンタイの叫びは2時間続いた。今も声が出ないほどである。そんなことは構わない位、叫び切りたかった。デモにしては平均年齢が低い。今回のデモは20代が多数派のようだ。最後尾まで進んでくださいと言われても、最後尾などあるような状態ではない。人の塊が刻々増えて行く。

しばらく歩くと、ああ笹村さんと声をかけてくれる人がいる。今も申し訳ないのだが、お名前は思い出させないが、ごみの集会でご一緒した人ではないだろうか。ともかく知り合いがいたのでそこで一緒に叫ぶことにする。デモのつもりだったが、どうもそうではなく官邸前抗議行動というような感じで、それが膨れ上がって、少し移動しているという状態。最初は車も入ってきていたがすぐに車は通らなくなる。集まった人は、興奮しているというのでもなく、やり切れないので来たという感じのようだ。しばらくすると、農の会の仲間のSさんご夫婦とすれ違う。舟原田んぼの仲間も5人で来ているはずだが、到底どこにいるかは分からない。群衆に埋もれる一人というのも良い。しかし、この群衆は危険な感じはまるでない。いつ暴徒に変わるか。というような雰囲気はない。叫びも制御されたレベルだ。もし許されるなら、野田総理に自分の気持ちを伝えたい。それだけといった感じ。

日本はまだ大丈夫かもしれない。これだけの人が、誰の指示も無く、ただ、再稼働反対で集まり、冷静で統制のとれた意思表示が出来る。すぐ隣には、小学生がいた。それでも危険は感じない群衆。日本人のこうした能力はすごい。福島原発事故処理の経過は、歴史に残る政府の愚行である。枝野氏も野田氏も言葉だけは、きれいに流れる。しかし、実態の空虚さは実に怖ろしい。群衆のレベルと、政府のレベルとのギャップ。私はいつの間にか、ジャンべ隊のそばに進んでいた。これは音楽レベルの高いグループで、踊りながら「サイカドウハンタイ」カーニバル状態。もちろん私も踊りに加わると、誰かがこの旗を振れと渡してくれる。それから30分位、踊って叫んで、8時になる。する抗議行動を終了します。というメガホンが来る。サンバ隊は音楽を打打打打だ―と終わりにして、みんなの拍手で静かに帰り始める。イヤーびっくり。実に、マナーがいい。帰り道さらに驚いたのは、ごみを拾っている人までいた。心から、心から、心から、お願いします。野田首相目をさまして下さい。

昨日の自給作業:大豆種まき1時間 累計時間:73時間
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有機農業研究会の報告書

2012-06-29 04:31:24 | 
有機農研の久保田さんから、報告書2冊が送られてきた。有機農産物の市場調査、流通の実情調査の取りまとめである。その中で放射能問題がかなりのウエートで取り上げられている。その前段として、全原子力発電の停止要求をしていることが示されている。有機農研の誠実さが出ている。有機農産物にかかわる組織として、深刻なことだと思う。関東東北の有機農産物の生産者は、普通の農業者以上の打撃を受けている。この問題は死活問題である。どうしてもそうした観点からこの報告書も読んでしまう。例えば、有機農研が切り開いてきた、「提携」はこの問題に対し、どういう答えを見つけようとしているかである。現在、この報告書は他の生産者に回したので手元にはないが、消費者と生産者の関係を考える上で、とても良い指摘もあると思う。ここで執筆されている、久保田さんや吉野さんや斎藤文子さんを交えて、話し合いを持てると有意義ではないだろうか。

しかし、残念ながら、この問題をどのように解決して行けるのか。ここに回答が示されている訳ではない。いくつかの事例が出ているか、事例の聞き取りが報告されているという状態。私が感じているような深刻な状況の、印象はない。廃業したり、移転したりした人を聞いているので、もう少し深刻な気がするが。前向きに考えて、乗り切っている人の事例ということか。有機農業の技術的な問題として、どうやって汚染された土壌とかかわって行くのか。まだ除染の問題や、農産物への移行低減法につても、深くは言及されてはいない。これも、趣旨が違うと言えばそうだ。内部被ばくの問題には、触れていない。これもこの報告書の趣旨からいって当然であるが、一番知りたいのは、そのあたりである。さらに言えば、有機農業での放射能の基準値というものはあり得ないのだろうか。JAS有機基準では、放射能汚染に触れていないが、このままでいいのだろうか。こういう深刻な問題にも触れないと、今有機農産物の流通を考えるうえでは、片手落ちのような気がする。

私は養鶏のJAS基準の件で退会してしまったので、実情は全く知らない。有機農研も生産者と消費者の両者が存在する組織である。意見は二分していると思う。より安心安全なものを食べたいという思いの消費者の力が、設立には大きな力になった。藤沢のSさんなどは今回の状況をどうとらえているのだろうか。2分していないのであれば、この問題を避けているとしか言えない。安心、安全な農産物の提供という事が、主題であるように見えた団体が、この困難な課題をどのように乗り切るのかは、学びたい所である。私の個人的な考え方としては、農産物の放射能の許容ラインを引くことだと考えている。例えば、一般の基準が100ベクレルなら、有機基準では50ベクレル。子供には、さらに半分の25ベクレル。というようなラインを引く。その基準以内であれば、喜んで生産者を支えて行く。この関係の構築に両者が努力する。と言っても、根拠は全くない。このあたりが困る。困るがそうしなければ共倒れである。

あしがら農の会は、「地場・旬・自給」が基本理念である。循環する地域の構築が目標である。小田原の農業が危機的な状況に進んでいるのは、放射能の為というより、老齢化による後継者不足ということが一番大きいだろう。その危機的な状況を乗り切るために、有機農業も利用して行こうと考えてきた。しかし、お茶の汚染問題以来、こうして触れることすら止めてくれよ。というくらい、辛い状況である。放射能の問題以来、後継者が育つ可能性は、ますます低くなっている。また、小田原から他に移住する農の会の仲間がいる位だから、小田原で農業をやろうという人も、減少している気がする。有機農研の報告書の中に何か打開のヒントはないか、そう考えてもう一度読んでみよう。

昨日の自給作業:コロガシ2時間 累計時間:72時間
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東電のいい訳

2012-06-28 04:10:48 | Peace Cafe
東電の事故報告書が出た。東電・勝俣恒久会長インタビューが産経新聞に出ていた。いわゆる想定外の地震津波が事故の原因としている。自分達が悪かった訳ではない。想定外の津波が起こること自体が、不可抗力であるという考え方のようだ。もしその通り不可抗力であるなら、また原発事故は起こるということにならないか。想定外の自然災害は、又ないとは言えない。事故の原因が特定できるなら、その防ぎようは考えうる。あるいは、この方式は駄目だということになる。しかし、取り返しのつかない事態が起こる、原発においては想定できないという事はあってはならない。まして、大津波後に言われていることは、過去にもこうしたことはあったし、近くはスマトラ津波があったではないかという事だ。こんな分かりやすい想定が、想定出来なかった理由の方が怖ろしいではないか。

日本という国が出来て以来これほどの悲惨な事故はなかったと思う。その責任を誰ひとりとろうとしない。そして、また原発の再開である。つまり、自己の責任に向かい合おうとしない姿勢と、十分な対策を取らないまま、原発を見切り発車させることは連動している。今度事故があれば、野田総理大臣が責任を取ってくれるらしいが、どう取るつもりなのだろう。原発事故の責任が取れると考えているとすれば、実に愚かな人だ。原発を再稼働する以上、最低限の条件がある。1、福島の事故の特定。2、それに基づく安全対策の完了。3、第3者機関による監視。4、核廃棄物の処理方法の確立。せめて、この4つが終わらなければ、どれほど電力が必要であろうとも、再稼働は出来ないだろう。総理大臣の責任というものがあるなら、電力不足が起こる前に、4つの条件をクリア―するよう努力することである。それが出来ないとするなら、代替エネルギーの稼働に努力をすべきだ。結局この間、何もしていないように、そうではなく、原発再起動の道を探っていたように見える。

東電は賠償の席にも出ようとしない。自分の枠組みに合わせろと一方的に通告し、会う事も拒否している。それが東電の賠償の実態である。にもかかわらず、国会での表向きの答弁では、枠組みを越えて、充分に対応します。等答えている。明らかに嘘である。国会での答弁なのだから、偽証罪である。「東電の賠償請求書類に書いて来い。この要求に従わないなら、話し合いもしない。」これが東電の言い分である。「それなら、具体的にどう書けばいいのか、見本を持って指導してほしい。」こうお願いしても、まずは書いて出せ以外ないという。こういう態度が、被害者に対する態度である。農の会が被害者であることは認定している。その上での、信じがたい不誠実である。まるで、責任を感じていないかのようだ。この態度は東電の事故原因報告の分析でもどうようである。

福島の原発事故裁判の方の告発文に、一番苦しいのは、責任を感じない東電と政府の言い逃れだとしている。まったく同じ思いである。生産者は喜んで食べてもらいたいから生産しているのに、消費者からは、放射能の入った農産物は食べたくないと言われている。それでも毎日農作業である。ただの生産物であり、商売だと思えば、基準値以下だから関係ないで済む。しかし、最高卵を食べてもらっているつもりだったから、悔しい。それでも止めない訳は地域の農業が無くなれば、地域全体が終わってしまうという思想である。わたし一人が止めることは、実に簡単である。既に廃業の方向で進めていた。しかし、原発事故で今辞めてはまずいと感じるようになった。それでも、給食では使うべきではない、子供たちの命をどう考えているのかと言われると、ああ今日にも辞めようかと思う。くよくよ思う。そう辞めることが一番簡単である。

昨日の自給作業:3時間コロガシ他 累計時間:70時間
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民主主義という課題

2012-06-27 05:11:50 | Peace Cafe
民主主義は最近限界に来いるという議論の立て方を見かけるようになった。確かに民主主義を越えた政治手法の提案が伴うなら、興味深い考察なのだろうが、大抵の場合現状の政治惨状を見るに絶望する余りの嘆きにすぎないようだ。民主主義は今までのところ日本で成立したことはない。民主主義が成熟した市民の存在というものが、誕生した時に本来の機能を発揮するものである。日本の戦後民主主義は成熟どころか、立ち枯れが目立ってきている。アメリカによる日本的社会という、独特の市民意識を軽視した、無理やりの民主主義が市民の成立を阻んでいるのではないか。いわゆる市民団体の運営においてすら、民主主義的ルールというものが、本当の意味で成立している場合は少ない。まして、政治組織などは、何時の権力闘争も怨念と私利私欲にかられた、醜いものに見えてくる。特に、原発事故に対する政府やマスメディアの情報隠しと、間違った誘導は民主主義の衰退そのものである。

民主主義において、情報の共有化は最低限の条件である。情報が偏在し、デマが飛び交う中では、一人ひとりが正確な判断を行うことは極めて難しい。私のこのブログも、全くの知識も情報も無い、ごく普通の一人の市民の考えを示そうとしている。レベルは低く、バカバカしいような間違いを犯しているのだろう。それでも少しは考えは持っているという事を示そうとしている。考えを持つことが、まず民主主義成立の原点である。その意味では、民主主義が機能しない一番の原因は情報隠しである。放射能の内部被ばくの危険性についても、情報は錯そうし不安が増幅し、極論が極論を増幅しながら、飛び交っている。情報隠しに始まる政府のごまかしの姿勢が、政府情報に対する信頼性が全く無くなっていることによる。学校での学童の被ばくの上限が20ミリシーベルトと一度は出された。その根拠も無く、後になり覆された。500ベクレルは今100ベクレルに変わったが、その値への信頼性も薄らいでいる。

つまり、情報化社会と言いながら、情報隠しを、情報操作を政府が普通に行えば、民主主義は育たない。その結果が、国民が政府を信頼していないということになる。つまり民主主義が限界に達しているのでなく、政府も、行政も、司法も、国民を信頼せず、民主主義を尊重できないでいる国なのだ。政府が民主主義を一番避けようとしているように見える。日本における民主主義はこれからの課題だ。では民主主義とは、何か。日本国憲法ではその前文の書き出しで「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」と述べている。この文面で重要なことは、主権在民の思想である。厳粛なる信託による、選挙で議員を選ばなくてはならない。

厳粛なる信託を与えるにふさわしい、議員を作り出す制度を必要としている。これを作り出す義務が国に託されていると憲法では書いている。今、マニュフェストで示した政策ですら、ずるずると撤回している。こんな議員、厳粛なる信託を与えることはできない。約束を守らないで、いい訳だけを述べている政治。民主主義を作り出すためには、選挙で正しく見るということだろう。ところが、マニュフェストというものの信頼が薄れた。このままではいよいよ正しい選択が出来ない。民主党の場合、本来の民主主義であれば政権を放棄すべきだ。出来ないマニュフェストをきれいごととして並べていた。マニュフェストに掲げた政策に対して、全力で当たったとは思えない。と言って、選挙前から消費税は必要だと考えていた。もう少しマニュフェストを練り上げる力量を持たなければならない。
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いのちの事

2012-06-26 04:15:36 | 暮らし
命に変えられるものはない。死ぬということは、すべての終わりである。風になって存在するようなロマンティクなものの訳がない。今という時は、生まれ、死にいたるまでの、瞬間、瞬間のいのちの連なりである。誰も等しくいのちに向かいあい生きている。そして終わりがある。向かい合って考えるとじつに怖ろしいことである。生きているということは、まれにみる幸運でかけがえのないことである。そこから、いのちを疎かにしたくないという気持ちが生まれ、宗教になり、哲学になる。この大切な命を捨てざる得ない社会が、続いている。3万人の自殺者が続くような社会は、どこかが間違っている。この辛い感じが想像できるほど。息苦しい現実である。胸苦しい、やり切れない、社会。日本は良い国である。恵まれた国である。日本という国は客観的に見ても、悪い国ではない。経済も円高になる位には評価されている。

戦後、何としても日本を復興しようという必死の頑張りが、前向きな国を生み出していた。その前向きな空気は、一人ひとりの生活が良くなるという実感に支えられていた。頑張れば良くなる。頑張る方法がある社会。ところが、何是か今の状況は頑張った結果が、空しいという状態。頑張った結果がこんなことだったのかという、失望感が漂っている。日本人が目指して来た経済成長という合意が成立しない社会に立ち至った。それは、世界経済の動きからも来ている。競争は必ず勝者と敗者がいる。基本的な条件というものがある。こういう競争の中にいるという事自体が、充実感を失ってきた。国それぞれに、持ち合わせた条件がある。日本は石油が出る。金が出る。こういう資源国ではない。日本人の能力レベルが下がれば、それは経済の状態に忽ちにも反映する。日本人が戦後経済競争で優位に来たのは、日本人の潜在能力が高く、それを上手く生かすことが出来る、比較的自由で民主的な社会が作り出せたからである。この自由で比較的民主的な社会は今もある。

頑張れば何とかなるという感じがだんだん薄れてきている。それもあるが、こういう頑張りに意味があるのかという、目的の喪失が大きい。日本人の潜在的な良さ。勤勉に働けるとか、気遣いが出来るとか、自己犠牲が出来るとか、観察力が高い。そのような資質が、上手く発揮されない社会。その原因は日本人が自然に従う暮らしから離れたからだと考えている。祖先に見守られて生きるという安定を失った。学校教育で言えば、戦中戦後の学校教育は、今と比べたら、でたらめであった。私など60人クラスで適当にやったのだ。明らかに今の方が、親切丁寧である。良くなっているとしなければおかしい。基本的な日本人の生活からまなべるものは後退した。これは繰り返しであるが、田んぼを止めたことが響いている。自然とともに暮らしていると、イノシシに麦をやられたり、台風で田んぼが崩壊する。やり切れないことを受け入れるしかない。

方角を失った社会。頑張る気持がいのちを支えていない。生命力の弱まり。石は落ちている時には止められないとするなら、今は落ちている時なのか、どん底まで来ているのか。命が弱まると同時に、いのちへの執着が目立つ。アンチエイジングとか、健康志向とか、サプリメントとか、健全とはいえない社会風潮だ。長寿世界一を目指すとか、書いているが。これは皮肉である。毎日生きていることを、せめてもう少し深めたい。一日の味わいを深めたい。こういう欲である。田んぼは流されたが、残った所もある。残った所でその分頑張ればいいと考えている。小麦は来年の種ぐらいは残った。来年はイノシシを捕まえてやろうと思う。しばらくは考えたくもなかったが、少しづつ回復した。放射能だって、今年よりは、来年の方が減るだろう。いのちは辛いことは多い訳だが、受け入れて生きることの方を考えることにする。
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小沢排除の不気味

2012-06-25 04:35:54 | Peace Cafe
小沢事件が小沢失脚を狙った、政治的なものであることは、ほぼ間違いがない。総理大臣を狙うような政治家には対抗する者が居る。小沢氏の方向性は脱官僚主導であった。各省庁の伝統的権力は小沢氏を、相当手ごわい存在と見始めていた。だれかが逆襲に回り成功した。マスコミ全般に反小沢が浸透しているのは、何か背景の力の大きさを感ずる。官僚に従わず、政治を進めるには、それだけのブレーンが必要である。選挙に強いことが要件である。それら為には、お金が必要となる。そのお金を様々な手法で引き出す能力が無ければ、反官僚を主張しながら、権力に近付くことは不可能である。小沢氏は誰よりもお金の管理には慎重であったはずだ。歴代の自民党のお金での失敗をまじかでかかわってきた人間である。その上手の手から水が漏れたこの機会に、あらゆる方法で小沢たたきが始まる。

最近では奥さんの私信なるものまで取りざたされている。どこかで深い恨みを買っているように見える。恨みを買わない政治家などいないだろうが、小沢排除はどこかやり口が不気味である。小沢氏が失脚しても政治的にがっかりはしないが。このつぶしかたは記憶しておく必要がある。司法から、官僚から、政治家から。3権力からの総攻撃である。その目的は十分に達成した。つぶれたものをさらに踏みつぶそうとする勢力に対して、国民がどう感じ、どう動くかである。小沢氏は上告が決まっている。今後は日本人というか、アジア的体質というような意味での、民主主義の成熟の課題である。確かに世論は流されるが、不思議なもので、正しく動く側面もある。民主党の中の離党の議員に対して、「小沢氏の捨て駒になるな。」管氏の発言である。こんな発言では、もう一度お遍路に行った方がいい。民主党が次の選挙で、崩壊するとしか私には見えない。

小選挙区制の失敗である。小選挙区制は日本人に合わなかった。若い政治家が政党の中の社員のようである。評判の良い企業や行政に就職したいというのが、日本人の将来の夢らしい。多分政治家も似たような気持ちが働いていて、有名政党に就職したいと考えているようだ。その上、小選挙区制である。大会社たる、自民党か、民主党に一番就職したい両方の入党試験を受けるのだろう。少し危ういが、ベンチャーの橋下党も大勢就職試験に参加している。今の小選挙区制では、政党の政策はサービス合戦になる。携帯電話の世界と変わらない。野田氏は、消費税問題に逃げた。肝心の事をどうにも動かす事が出来ないから、世論が引きつけられそうな、消費税に政治生命をかけて、誘導してしまった。ドジョウ的上手さだ。反消費税の民主党議員というレッテルで、敵対する者を自ら去らざる得ないかじ取りをしている。渡部黄門きどりは、早く止めろとまでの発言である。それが3党合意の狙いである。

では何故、中選挙区制に戻せないのか。それは政治家が社員的になったからだ。社員だから名前が出せない。本音が言えないというような気持で、生きている政治家の哀れさ。上役の顔色だけを伺っている政治家。警察官が、警察機構がおかしいと考えても、飲み込まれるか、辞める以外道はない。政治家もそうなったのだろう。だから、嫌われないどっちつかずの優等生が増えて来る。相手が嫌う意見を言わない。小田原を含む選挙区の衆議院候補のホームページを読んでゆくと、政党候補は自分の考えという個性が乏しい。誰かが反発するような考えは、打ちださない。当たり障りがない。例えば、政党として民主党も自民党も本音は原発推進である。しかし、そう言う事を正面切っては言わない。小選挙区制が政治家をつまらなくした。その結果小沢氏のような、自分の意見を譲らない人間は、邪魔になる。このままで日本の政治が良くなるとは思えない。まず、中選挙区制に戻す事だ。
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梅酒と梅シロップ

2012-06-24 04:03:51 | 自給


梅酒と梅シロップを漬けこんだ。ほぼ毎年作っている。今年は我が家の裏の梅の古木が、豊作である。この梅の木はお隣の家のものだ。根は、お隣から生えているのだが、傾斜地にあるためか、大体の部分は私の家の上に傾いている。その為に時々すごい音を立てて、我が家の安普請のトタン屋根に梅が降ってくる。これが、夜中だとびっくりしてしまい飛び起きてしまうほどの音になる。それで、切ってもらえないかお願いした。すぐに切りに来てくれたのだが、また伸びてしまい相変わらず我が家の上に傾いてきている。ただその時に、梅の実は収穫していないので、使っていいよと言ってくれた。そうしたらこのびっくりするような音にも、びっくりしなくなった。現金なものだ。買い物カゴ1杯10キロぐらいの青梅が採れた。

今年は、35℃の4升ホワイトリカーを買ってきた。氷砂糖が4キロ。これで甕と瓶に梅酒を仕込んだ。今年の梅酒は一甕は沖縄土産のベトナム甕に仕込んだ。もう一つはガラス瓶である。2,3年して味が違うかどうか、そこが楽しみである。梅酒はともかく古いほど美味しい。それで、大体に20年物をちびちび飲んでいる。これは絶妙な味である。今仕込んで、20年物と言えば、80を過ぎている。こういう事をしていると、生きていて飲めるのかどうか、ちらっと頭をかすめる。酒が飲める健康でいるかは、たぶん危ういものである。梅酒は色々の材料で仕込んだが、やはり、35℃のホワイトリカーが良いようである。砂糖もいろいろ使ってはみたが、氷砂糖がいい。結局、あれこれくふうしたつもりが、最近は当たり前に戻った。

そうそう、写真右側がベトナムの壷である。これは泡盛の古酒を作るために、ベトナムで作ってもらっているものらしい。尻がすぼみ過ぎている所が残念であるが、硬い土の感触はなかなかのものだ。沖縄でベトナム物を買ってくるというのも、おかしいが。せっかく沖縄に出掛けたので、何かしら記念になるものが欲しかった。見ている内にこの壷になった。しかし、この壷の販売はなかなか親切なもので、壷が漏れるかどうか、2週間もかけて確認してくれた。もう一つの店では、漏るので売れないと言われた。随分硬く焼きしめてあるが、壷だから漏るものは漏る。特に火だすきがあるものなど、土の変化で漏れることが多いらしい。強いアルコールを5年も入れておこうというのだから、壷には厳しい条件である。焼締で、薪で焚くらしい。だから灰かぶりが一応の景色である。その点良い調子が出ている。後は胴あたりに古色が出てくれば、相当良くなるはずだ。

左のガラス瓶は、梅シロップを付けた所だ。梅を良く洗い、4時間ほどさらす。一つずつヘタを取り、良く拭きながら、ホークで梅に穴をあける。それに黒砂糖を混ぜながら、仕込んだ。梅3キロに黒砂糖2キロ位である。上部には黒砂糖を多くして蓋をする。今作り夏の間、暑気払いに飲む。これがさわやかな香りでなかなか良いものだ。シャーベットにして食べてもおいしい。シロップを使って、その後残った梅の実は梅ジャムにする。一晩したら、梅からのエキスで砂糖は流れ始めている。下5センチほどは液体が貯まっている。これを時々かき回してやる。3日もすれば全体が駅に沈む。2週間もすれば使える。梅は薬効の高いものだ。梅もそろそろ熟す時期である。梅干しは以前漬けたものがまだあり、今年はどうするか考えている。

昨日の自給作業:コロガシ、じゃがいも掘り3時間 累計時間:67時間
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土砂災害警戒区域

2012-06-23 04:12:43 | 地域
台風4号の雨で、久野川の下流域が214センチの水位まで上がった。洪水危険水位である。避難勧告が久野全域4700世帯に出た。この時の雨の量は時間雨量で舟原で43ミリである。多分、さらに下流の小田原土木では20ミリ代だろう。しかも、舟原での累計雨量は150ミリに満たない。こんなレベルで何故、洪水になるのか検証が必要である。分からないがさらに上の方で、局地的な大雨があったのだろうか。アメダスにそう言うデーター解析機能があると教えてくれた人がいる。その後、水位も一気に下がった。何か今までの川の様子と違った。気になるのは土砂が水路に大量に流れ込んだことだ。2日程度で川の濁りは無くなったが、水路へ土砂の流れ込んだ量が、今までとは違った。上流部で何かがあった気がする。一つは、上流部での雨量が局地的に、100ミリを超えていたのではないか。

もう一つ気になるのは、上流部のどこかで土砂崩れがあったと思われることだ。これも素人なので分からないが、水位が上がる前一度、50センチだった水位が20センチくらいまで一度下がり、その後一気に上がっている。川には、15センチくらいの太さの檜が折れて流れてきた。これは多分ほんの一部のことだろう。夜の間には、石がごろごろな音を立ててななされていたという話も聞いた。他人事ではない、自分の家で言えば、裏山からまた土砂が流れ落ちた。お隣は立派なよう壁工事をした。我が家も考えなければならないのだろう。しかし、家が建っているので裏には工事機械が入れない。これを工事するとなれば、家を退けなければならないだろう。簡単なことでは行かない。何か応急的なことだけでもするように、早く専門家にもてもらおう。

欠ノ上の田んぼで川岸の石積みが流されたのは、石積みの下がえぐられたからのように見える。簡単な判断はできないが、下側に作った大きなコンクリート土台に水が当たりその手前を、えぐり取ったように見える。今回の雨は、記録的に見れば10番目にも入らない、豪雨とまで言えない雨である。又風の被害で言えば、小田原では記録的にはさして強い風が吹いていないことになっている。しかし、みかんの木が根こそぎになり、飛ばされている。30センチの直系のミズキが折れて倒されている。部分的には、かなりの突風が吹いている。何か局地的に激しい気象現象が起こったようだ。もう少し細かいデーターがあれば、と思うがどこかにあるのだろうか。土砂災害警戒区域の指定までは良いにしても、その後危険個所の対応をどうして行くのかを、具体化する必要がある。

1、避難体制と情報の伝達の整備。ご近所情報の管理の仕方。防災無線だけで伝達はいいのか、メールを利用した緊急伝達方式の研究など必要ではないだろうか。避難場所の決定と避難訓練の実施。小田原でも津波の恐れのある地域では、実施されたようだ。情報は逐一みたいものが見れるように、小田原市のホームページの中で集約できないものだろうか。ネットでは間違った情報で混乱が起きる可能性もある。
2、山の環境整備、林道の付け方の再チェック。植林地の適正な管理が、どうすればできるのかを検討する。建築材としての利用だけでなく、バイオマスとしての利用も考える。久野川の管理が徹底されていない。私が通報して半年以上経過し、その結果大きな石積みの崩壊になった。
3、観測設備の充実。久野川においては、和留沢あたりに観測地点が必要だと思う。又アメダスのデーターが使えるならば、そのデーターを分かりやすく防災用に、作り直し小田原市のホームページに出してもらいたい。過去の災害のデーターの集積も必要であろう。

昨日の自給作業:災害復旧合計10時間 累計時間:64時間
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頭山(あたまや)

2012-06-22 04:06:27 | 自給


「あたまやま」と言っても、何のことか話が通じなかった。落語の話である。全くアナーキーなシュール的な頭に桜が咲く話である。江戸庶民の感性が枠にはめられていないことが感じられて、とても好きな話だ。最後には、自分の頭の上に出来た池に、飛び込んでしまうというのだから、荒唐無稽の極みである。江戸時代が閉塞的なだけでなく、すごい時代であったことの証明である。こんな話芸が庶民の間に成立していたという事が、多分人類的に見ても、際立っているだろう。それは、文化というものに分け入ってみると、江戸時代の片鱗が見えてくる。同じことになるが、明治政府はこの庶民文化というものを、貴族的文化と比べて一段劣るものという意識を植え付けようとした。浮世絵などは海外での評価が定まるまでは、輸出陶器の詰めものに使われたりしたらしい。私も、この平安期の仏像と比べて、江戸時代の不細工な仏像を見て、そう思い込んでしまった。

これを払しょくするには、鶏を飼い、金魚を飼い、田んぼを始めてみてやっと何か違うらしいという事に気付いた。能と歌舞伎を比べて、どちらが上かといったところで意味がない。江戸時代が閉鎖社会であったから、床の間芸術は奥の奥まで踏み込んだ。粋の世界である。野暮天には、頭山は分からない。確かに野外空間を把握するような、モニュメンタルな大芸術は作れなかった。社会的でなく、個人的なものに興味が制限されている。江戸時代を未来に生かすということは、江戸時代の中になる、循環型の社会の発想を現代社会の中に生かさなければならない。そう考えている。「あたまやま」を自分なりに作ってみたかった。桜が頭の上で咲くというイメージである。桜が咲いた時も良かったのだが、サクランボが付いた。さらに面白いではないか。

これは、カキノさんの奥さんが農の会で指導してくれた、盆栽作品をつくる会で作ったものだ。カキノさんは青森に行ったので、指導してくれた奥さんも一緒に行かれた。カキノさんは益子町の盆栽作家であった。だから器にもいろいろ、工夫があったのだろう。農の会では、兼藤さんが陶芸を指導してくれていたので、器をまず焼いて、その器に盆栽を仕立てようということになった。そこで作ったのが、「あたまやま」である。盆栽も江戸の文化であるし、すぐ頭の上に桜が咲くという事が湧いてきた。シュールなイメージではなく、調和したものとして作りたかった。作って植え込んで、もう2年が経つ。桜は毎年咲く。丈夫なものである。武者仕立てにしようと思っている。頭の上に林があり、風が吹いているイメージである。

生け花の世界というのもある。これもまた江戸文化である。しかし、道が付くようになったとたん厭なものに変わる。お茶を飲むのは良いが、茶道というのは、臭いがする。ちゃんチャラおかしく、権威をぶっ壊すような所が、江戸文化の本流である。「ちりとてちん」は半可通を笑い倒す上方落語である。盆景を水槽に移したようなものが、水景ともいうらしい。アクアリウムとよばれヨーロッパで日本文化として評価が高いらしい。水槽の中で宇宙的世界を表現している。これはまさに、江戸の文化を否定的媒介にして、現代に再生したものだろう。成るほど面白いことは尽きない。水の中で永続的に循環している世界表現する。ハマったら大変なので、見るだけにしておこう。
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水彩画の描き方

2012-06-21 04:22:18 | 水彩画
絵の具の会社のターナーの後援で水彩画の描き方を、一枚の繪の雑誌に載せてもらうことになった。水彩絵の具の提供がある。全部使う訳ではないので、今度、東京都美術館で行う、水彩画の講習会の参加者には、先着順で18名の人に私と同じ絵の具の12色セットをプレゼントする。都美術館の講習会は、9月の29日と30日に予定している。是非とも参加して下さい。「水彩人の水彩画とは何か。」一緒に描きながら、考えたいと思う。水彩画の手法は、一つ方法があるというより、それぞれがそれぞれの方法を開発しているというのが、現状だと思う。油彩画のように歴史的に構築された、基本となる手法があるという訳ではない。小学生でも描いている訳だが、プロでも手法が一定のものがある訳ではない。水彩人においても手法はそれぞれであり、似て非なるものと言える。ここに水彩画は、簡単に取り組める割に、困難な技法とも言われる。水彩を描くもの自体が、その技法を見分けることすら難しいものである。

描いている所の取材は、22日に行う。その時の考えをまとめてみる。描く場所も決めてあるのだが、雨ならばどうするのだろう。

1、何を描くかを明確にする。暮らしの奥にある世界を描いてみたい。
2、描くべきもの以外は描かない。こちらの方が難しい。
3、絵を描くために手順はない。出たとこ勝負という事。
4、絵は出来上がるとは限らない。大抵は挫折して終わる。

良く間違う人がいるので、改めて書いておくが、技法が優れているから絵が描ける訳ではない。芸術は表現者の人間の深さである。技法と内容の両方があって初めて、画面に現われるものであることは、当たり前すぎることだ。つまり、作者の見ていないものを、画面に現すことはできない。丁寧に言えば、「見ている」ということは、その人間が内的に想像できる世界の事だ。マチスの描き方が素晴らしいのではなく、マチスの世界が見る者を圧倒するのである。だから、内容のない、思想とか、哲学のない人間が、いくら絵を描いた所で人が感動することは少ない。技法だけがあって、一見絵として成立したように見えるものは、実は絵でも何でもないものだ。うまそうな、内容のない絵がほとんどと言える。偉そうに書いているように見えるかもしれないが、私が絵を描いているといいたい訳ではない。絵を描くことは、可能なのかどうか。日々研さんしているということである。

この時代の世間の評価というものは、まことにくだらないもので、私は、文化勲章であろうが、芸術院会員であろうが、まず評価できない。歴史に対する、この時代の恥だとまで思っている。まあ、評価されない絵描きというものは、大体そんな風にひねくれてしまうから、私もそう言う所から遠くないのだろうが、芸術を志しているとは思えないものばかりだ。絵画が社会的な力を失ったためなのだろう。社会に影響を与えているような絵画を、あるなら教えてほしいくらいだ。そうした社会的背景の中で、むしろ、私的なものとしての絵画。こういうものが生まれてきていると思う。見ることで感動するというのではなく。描くことで何かに気づくというような絵画である。自分の内的な世界を深めるために、探るために描いているような絵画。そう言うものが成立しているかどうかは、まだ分からないが、今までにない個人的な芸術手法として、成立しているのかもしれないと思っている。言い方を変えれば、修行方法である。

「見ている」この事は実は、奥行きがある。作物を見ていても、深く読みとれる人もいれば、見て居ながら何も見えない人もいる。それは、その人自身の深さが、受け止める力量の大きさだからだ。見ていて見ていない。そう言う事が普通だ。訓練と努力が無ければ、見ることのできない世界がある。見ていない限り、画面に現すことなど、不可能である。しかし、現実には、見ていて描けないことが多いいのだ。そして、見てもいないものをいつの間にか見ている如く描いている。こうやって勘違いして行く。絵らしきものを描いてはいるが、人生を浪費しているだけである。出来ないかもしれないが、本当のことに向かって居たい。私の経験から言えば、座禅のようなものだ。何にもならないからいいのであって、何かの為にやる訳ではない。しかし、やっている内に、新しい世界が開けることもある。
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久野川の河岸の崩壊

2012-06-20 06:55:15 | 地域



修復後の写真

欠ノ上公民館の下の久野川が昨夜の台風で崩れた。田んぼが1枚出来なくなった。以前から石垣の石が抜けて、少し孕んでいた。このままでは危険だと考えて、小田原土木や小田原市の方には、改修をお願いしていた。何も対応はしてもらえなかったが、こちらもなんとなく、田植えまでやってしまった。これがいけなかった。安全神話である。もし、人がいた時なら、流されてしまっただろう。急いで県土木と、小田原市に朝6時を待って報告はした。見に来てくれるという事だが、見てもらったところで状況は変わらない。以前から、田んぼの水路を直し直しやってきたのだが、ある意味棚田の維持がいよいよ難しくなっていることを感じる。山の管理から、河川の管理まで、全体が手ぬかりになってきているのを感じる。農業者や林業者の減少が日々のちょっとした手入れ管理が困難になっている。

小田原では昨夜10時久野4700世帯に避難勧告が出た。これはテレビで気付いた。つまり、防災放送がなかった。水防団待機水位は、夕方7時に超え、10時には一気に2メートル14という氾濫水位にまでなった。どうも消防団にも召集が徹底していなかったようだ。しかし、避難勧告が出たとしても、何か出来る状況ではなかった。3キロほど離れた、避難場所になっている久野小学校まで、歩いて行くことが困難である。家にいるのが危ないと言われても、川沿いに久野小学校まで降りて行くこと自体が、かなり危険な行為である。今回はこれがまだ避難勧告の段階だから良かった。これが避難指示になった場合、最悪のことになる。自動車で避難する人がいたなら、渋滞してしまい動けなくなるだけだろう。歩いている人との混乱で、避難が大変なことになる。多分避難指示があっても、大多数の人は動かない、動けないだろう。近所の人に聞くと、大抵の人がそう答える。これでは、災害時の対応が準備されていないということになる。行政の対応策がない以上。自分のことは自分で考えておくしかない。

いつも書いていることだが、諏訪野原のフラワーセンターや、環境事業センター、諏訪の原公園あたりに避難する他ない。こちらは500メートル程度の距離だし、安全な場所だ。避難場所の指定は無理だと言われようが、無理やり入れてもらうしかない。「まさか、自分の命にかかわるような災害がある訳がない。」こういう心理が働いている。何の根拠もない。又その時の覚悟がある訳でもない。ただ、そう思って暮らしているから、能天気に落ち着いていられるのだろう。良く考えれば、色々の状況が変わってきている。昨日の雨でも、150ミリ程度である。最大雨量が時間43ミリである。この程度でこんなことが起こるのだから、気候が荒くなってきている上に、山の管理も悪くなっているのだろう。今回ももし、和留沢に気象観測のデーターがあれば、判断が違う。土砂災害指定地域の指定でけ先行し、肝心の対策の方はなにも行われない。

早急に、避難体制を作るべきだが、何からやえばいいのか。結局自分の事をまず考えるしかないということだ。しかし、同じ組内の家族構成も知らない、また、緊急時の連絡先も知らない。そう言う事を、どう進めていいのかもわからない。私自身にそのことを進める時間的余裕もない。良くないと思いながらも、結局自分のことだけになる。地域が昔のような地域として成立をしていない。しかし、新しい形の地域の形もまだ見えてこない。苦しい所である。
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冷凍みかんに対する決議

2012-06-19 04:19:12 | 地域
「農産物の学校給食使用に関する決議」が小田原市議会において行われた。当然の決議であり、小田原議会の対応に感謝する。2名の議員が反対で、他の議員は賛成であった。横浜市では学校給食に置いて、冷凍みかん55検体(2680個)のうち46検体から1キログラム当たり3・2~8・8ベクレルの放射性セシウムが検出された。その為に、学校給食では使わない決定を横浜市教育委員会が独断で行った。横浜市長は関知していないと言われていた。この事は発表がされた時もおかしい事だと書いた。放射能に対する、法を越えた横浜市当局の一方的な反応に対し、抗議すべきと考えていた。2名の市会議員だけが、この決議に反対をした。佐々木議員と植田議員である。横浜市の対応を是としているのだろう。ただ、この決議が横浜市からの回答を求めていない点で、少し目的を曖昧にしている内容だと思う。

横浜市の対応は小田原のみかん農家に対して、屈辱的な対応である。私もみかんを作っている。セシュームがある以上、子供には食べさせるべきでないというのであれば、横浜市は学校給食に対し法に基づいた条例を作ればいい。冷凍みかんだけを狙い撃ちするのはおかしい。すでに放射能に対して、まともとは言えない反応が一部に定着している。そして、「子供たちの命を放射能から守る」という建前論で、数値のことなど無視した形で、抗議を繰り返している。確かに放射能、特に内部被ばくについて、学問的なデーターが少ない。その結果、限りなく0に近くすべきだといういい方が、「正義」のように主張されている。キロ当たり10ベクレル以下というのは、政府の安全だとする100ベクレルの10分の一で以下であるということだ。どこかで線を引かない限り、社会が成り立たない。この問答無用の極端な反応の仕方が蔓延することに、社会的に厭なものを感じる。

常に食品には、有害物質が含まれている。放射能だけではない、様々な重金属、ホルモンかく乱物質、微生物、土壌にあるものは、多かれ少なかれ作物に移行する。人間はそうしたものを食べて、生き延びてきた。そうしたものはすべて、放射能と同様に敷居値がなく、リスクはあるのだ。生き物が生きるということは、毒も食らわば的に、総合的なものだ。放射能だけの問題ではない、人間の生き方そのもの問題である。もし10ベクレル以下の放射能でもリスクがあるというなら、すべての有害物質に対して、同様の過敏さで対応しているのだろうか。常日頃そうしてきた人、少なくとも今後そうして生きていくのだというのであれば、無菌室の様な隔離された中で、特別の食べ物だけを食べて生きてゆく以外にない。これでは普通の社会が成り立たない状況である。こうした特殊な反応に、教育委員会が従うという所に、気味の悪い正義意識を感じる。

佐々木議員は以前、農の会で田んぼをやったことがあった。地域の農業をどう維持して行くかにつて、考えがあるのかと思っていた。今回の反対にはがっかりした。さっそく佐々木議員のブログを見てみたが、なにも書かれていない。少なくとも、どういう理由で反対したのかをブログで表明すべきであろう。小さな子供を持つお母さんが、不安を増幅させての反対している状態と、市会議員の反対では意味が違う。この事を突き詰めれば、小田原の農業を止めろという事につながる。止めろというなら、小田原の農業者はどうしろということになるのか。農地の維持のための努力をどう考えればいいのか。地域というものは総合的に成立している。この土地を離れず、放射能の風評被害にあえぎながら、頑張っている農家の思いをどう考えているのだろう。法律で良しとされている10分の1以下でも給食に使うべきでないとする横浜市の今回の対応に、抗議するのは、当たり前のことだと思う。横浜市は、何故なのか理由を、小田原市議会に回答すべきであろう。
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田んぼを作る

2012-06-18 04:07:10 | 稲作


田植え前の様子



田植え後の様子。

田んぼを作った。16日に田植えをした。全く新しい所に作ったのは2度目である。家の脇の下段の畑に作った。。希望としては、30坪の田んぼを作りたいと考えている。しかし、水の量から言って一度にそれは無理そうである。そこで今年は5×11メートル-3=52の田んぼを作った。これで25センチ角で植えると832株の稲を植えることが出来る。実際は、787株になった。つまり、一列分減っていることになる。この田んぼは冬水田んぼにする予定である。年中水があるような田んぼにしようと思っている。稲作で気付いたことを確認し、実験する田んぼである。もちろん自給の田んぼでもある。笹村農鶏園もほぼ完成の形にこれでなる。一株の収量を130粒として、一株当たり40グラムとすると、30キロ位のお米が取れるのではないか。反収で9,6表だから少し無理か。せめて、20坪まで広げられれば一人の人間の最低限の田んぼとなる。水の様子を見て、来年可能なら広げてみる。

作り方は前にも書いたが、もう一度思い出して置く。田んぼになる場所を平らにして、水を入れるだけ入れて、大雨の日に代かきをした。1日で田んぼになった。これは、クローラータイプの小さなトラックタ―があるから出来ることではないか。以前山北で田んぼを作った時は、シャベルだけで作ったので1年がかりであった。底のない土であるから、すぐ沈み込むので、普通のトラックタ―では難しいのかもしれない。ともかく、代かきを良くしたら、水持ちの良い田んぼになった。もう一カ月以上たつが、水が干上がることがないので、いよいよ田植えである。稲はハウスで作り素晴らしいものが出来ていたのだが、欠ノ上の苗が小さかったので、交換で提供してしまった。その後、欠ノ上のものを再度養成していて、大分大きくなったのだが、今度はめだか田んぼで持って行ったので、いよいよ小さい残り苗での田植えとなる。しかし、小さい田んぼで、平らにしてあるので、苗は小さくても田んぼで大きくすればいいと思う。

今年は、あちこちで苗が不足したようで、随分多めに作ったのに、すでにかなりの枚数提供した。苗箱で10枚がまだ残っているが。4か所の田んぼが不足したということである。余分に作っておくということは、悪くないことのようだ。最後が子ノ神田んぼだが、苗取りで苦労しているが苗量は大丈夫だったようだ。一人でやるなら、線引はせず、印をつけた棒を持ってやる。これで結構早くできる。先日も欠ノ上の残りの3角田んぼを棒で田植えしたが、簡単に出来た。ただし、この田んぼは底がまだないから、足は取られた。それでも田植えが出来ないほどではない。隅の方に、代かきの出来ていない所が一部あった。この後どうなるだろうか。新しい田んぼは草が出ないという事が一番ありがたい。苗の比較実験は、残しておいたものが、良いものから無くなったので、今年は出来なくなった。水管理では、色々試してみたいことがある。分ゲツの進捗状況とか、無効分げつとかも、よくよく観察してみたい。

田んぼ作りで言えば、トロトロ層というものがどういう順序で出来るのかが、観察目的。物理的な代かきで、上層に細かい土の層が出来ている。そのあたりが、1月の間に黒い粘土の様な層に変わっている所がある。腐植質が腐敗したような感じでもある。まだ、田んぼの土ではないが、減水深は田んぼより小さい。田んぼのことではないが、鳩麦を昨日作付した。写真の手前にあるのが鳩麦である。鳩麦は苗を作って置いて植えた。50株程度である。もちろん直播で良いものだが、畑の準備の都合で、やはり苗を作っておいた方が、楽である。鳩麦茶は良く飲む。鳩麦は家伝の薬と聞いている。ヨクイニンと言っていぼを取るらしい。皮膚がどうも調子が悪いので、鳩麦茶でも飲んでみるかという事だ。ついでに、夏野菜の苗もみんな植え付けた。これも遅れた植え付けであるが、まだ間に合うだろう。この続きは田植えが終わってから書くつもりだ。

昨日の自給作業:田んぼの周りの草刈り3時間 累計時間:54時間
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原発住民投票は必要

2012-06-17 04:36:52 | Peace Cafe
東京都議会で原発稼働の是非を問う都民投票条例案が審議されている。石原都知事は、政府が判断すべきことだから、住民投票は反対だそうだ。それなら、尖閣諸島で政府に横やりを入れている東京都の政策と、矛盾している。原発のような、国民すべてに及ぶ問題では、住民レベルにおいて、投票で判断をすることは、民主主義として必要なことだ。これが総選挙では、消費税の是非か、原発の是非か、結果から分からない。国民の意思が良く見えないことをいいことに、政府は自分の好きに解釈してきたのが、現行の民主主義である。行政とか、立法府とかは、自分の都合で動きたいというのは、当事者としては、当然のことだろう。自分達がこの道の専門家であり、一番詳しく知っているし、また総合的な判断能力もあると、考えているだろう。その良い例が中国政府である。民主政府と言いながら、国の都合で住民の権利とか、意思は相当に無視されるようだ。その方が、結局は国民のためなのだという考えらしい。

しかし、原子力発電はもう一度何か事があれば、日本が終わってしまうような重要な項目である。これは国民が、選択すべき項目だと思う。今、福島県民が投票すれば、間違いなく原発は反対であろう。しかし、時間を稼いで、ほとぼりが冷めれるのを待とうというのが、政府の狙いである。これは、民主党も、自民党も、多分公明党も同じである。経済を第一に考えれば、事故はもう起きないと信じることが、一番安上がりである。まずは起きないというのが、過去50年間の考えであったし、徐々に芽生えて来る、人間の安全意識である。誰しもが地震保険に入っている訳ではない。多分、地震は来ないし、地震は来た所で、自分の家が壊れる訳でもないと考えている。そういう風に感じているから、日々普通に暮らして要られるのだろう。これが、5年間の間に地震は来る。今日かもしれないし、今かもしれない。こう思っていたら、暮らしが落ち着かない。

動物を見ていると、死のせまる間際まで、何ら関知しないで平然と生きている。寿命からするとあと何年位生きているとか、つまらないことは考えない。最近ぼーとして来たなという位のことで、ある日死んでゆく。人間は危機を予測できる。地震は必ず来るとしなければならない。来た時どうするかは、日ごろから備えておくのが普通のことである。それでも地震保険に入る人はめったにいない。行政や、政府はこの心理に付け込んでくる。もう一年もすれば、原発事故があったことなど、忘れたようになると思っている。多分そうだろう。普通に暮らしているということは、そう言う事だ。むしろ忘れてならないのが、行政や政府の方なのだ。ところが、行政や政府は、知っていながら経済を優先する。税収で暮らしているからだろうか。直接生産にたづ触らない人は、口先の操作で上手い解釈で切り抜けようとする。

東京都の民主党は住民投票を支持している。ああー民主党もあったのだと思う。良かったと思う。これでこそ存在価値がある。石原都知事が住民投票を避けるのは、原発を再開したいからだ。自民党はまさにそうした諸悪の根源政党であった。公明党もなんだかんだごまかしながらも、原発再開に賛成なのだ。どっちに擦り寄ればを判断しているに過ぎない。大阪市での対応はひどかった。結局はこういう時に現世利益を基本的な思想とする宗教という事が見える。命と暮らしを大切にするなら、脱原発は宗教を母体にする政党として当り前であろう。今回の東京都での動き方も、良く見ておく必要がある。憲法問題でも、軍事的問題でも、国を左右する大きな方角は、国民投票を行うべきである。そしてそれを参考にすべきだ。いつまでも避けていれば誰も責任を感じない、国民と国家になってしまう。

昨日の自給作業:田植え 2時間 累計時間:51時間
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麦がイノシシにやられる。

2012-06-16 04:04:32 | 自給
小麦を昨年から、元の養鶏場の下でやっている。丁度1反の畑である。とても良い条件の畑なのだが、何とイノシシに完全にやられてしまった。良くもこうも荒らしたと思うほど、壊滅的な被害になってしまった。昨日の急遽刈り取りを行ったのだが、殆ど駄目という状態で、来年の種が取れた程度である。ひどいものである。6月は田植えの時期で、イノシシが来ていたのは、分かっていたのだが、昨日も田植えを中止して、麦刈をした状況だった。麦刈の時間が取れないというより、麦の事を考えることが出来ない状況である。田んぼに入れ込み過ぎてしまう。昔の人が、同じ畑で麦と田んぼが出来たのか、全く驚異的なことだ。もし、今日から田んぼの準備となれば、どう急いでも月末の田植えである。麦藁の持ち出しなど、新たにやらなければならない作業も出て来る。それを機械を使わず、やり切るのだから、全くどういう能力だろう。

イノシシが最初に来たのは、月初めであった。あのときすぐに刈り取れば、もう少しは採れたのだろうが、まだ刈り取りには早すぎた。もうその後は、小麦は放棄した気分であった。罠を仕掛ける準備も出来ない状況。気にしていても対策を取る余裕が全くなかった。情けないが、すぐにやれる対策がない以上忘れている以外出来なかった。6月に作業が増えるというのは、少々無理だ。手のかからない方法を取らなければならない。電気柵をするとか、方法がない訳ではないが、そこまでする位なら止めたほうがとつい思ってしまう。何か手立てを一休みしてから考えたい。まだ先に延ばした田植えが残っている。山の中の畑は、大なり小なり獣害は増えている。周辺の畑でもあそこもここもという状態である。継続する気力が無くなるのも無理はない。何度も獣害を受けているが、今回ほどのものでは、ダメージが残る。

昨日は急な作業になったが、6人で5時間ほどの作業だった。梅雨時の麦刈は、コンバインを利用するほかないのかもしれない。これなら、何とか空いた日に一気にやる事が出来るかもしれない。グループの畑ではどうしても、日曜の作業を予定する。これが、梅雨時雨であれば、麦刈のような作業は無理になる。平日、天気を見計らってという事が、グループの場合、なかなか難しい。来年はこのあたりをどうするかも、研究が必要になる。麦刈前後の日程で、可能な日程をあらかじめ集めておく。それと天気とにらんで、数日前に予定を出す。こうした体制を取らない限り、難しいだろう。いずれにしても小麦は再出発である。ユメシホウという品種は確かに作りやすい。6月初めの時点では、収量は昨年より多かったように見えた。丈も低く、倒れることも無いようだ。

他の作物に変えるとする場合であるが。以前、ニンニクを和留沢で事業として作るという人がいた。結局は本体の事業の方が傾いて、農業進出をあきらめたという事があった。一反すっかりニンニクを作れば、イノシシは食べないだろう。冬はニンニク。夏はこんにゃく。山の中の畑ではこのサイクルはあるか。問題は、出来たニンニクとこんにゃくの販売法だろう。普通に売るのでは、到底採算に合わない。山の畑の継続方法なら、お茶というのはある。しかし、今さらお茶畑を広げて、どうなるのかというもある。小麦をやられないように、獣害対策をするか。獣害のない作物に変えるか。ここは考えどころである。いずれにしても、田んぼを終わらせてから、出直しである。

昨日の自給作業:麦刈5時間 累計時間:49時間
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