地場・旬・自給

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2地域生活はどうなるのか。

2023-03-31 04:48:27 | 楽観農園


 石垣島と小田原の2地域生活をしている。しかし、このところ石垣島ののぼたん農園が離れられない状況が続いていて、小田原に行ける時間が短くなってきた。この先どうすべきなのか考えなければならない状況にある。小田原の方でも、農の会の活動は続けたい。

 動ける間は、2地域生活を継続したい。それは絵を描く上でも重要なことだと思っている。石垣島だけで絵を描いていることでは、石垣島の事も見えなくなる気がするのだ。色々の場所を比較して描くことで、自分の絵が確認できるのだと思っている。特に山梨では時々絵を描きたい。

 3月31日から、4月6日まで小田原に行く。小田原の方でもいよいよ田んぼが始まる。少しでもやらせて貰いたいとは思うのだが、石垣島の活動が重くなっている。のぼたん農園の方が重要なところに来ている。当面は石垣島中心になるほか無い。

 どれだけ作業をしても、いくらでもやらなければならない作業が残っている。せまられた状況になっている。外周の柵もやらなければならない。イノシシが毎日侵入している。雨が降って、水が溜まるところが出来て、果樹も植え替えをしないとならないものがある。

 すべてがやれるわけでもないので、仕方がないことではある。小田原に行く前に水牛の放牧地の柵とのぼたん農園の出口の柵は2重に出来たことだけでもよかった。これは最低限のことで、地域の方々に約束したことだから優先した。これで気持ちが少しは安心できるようになった。

 今回も出来れば笛吹市に絵を描きに行こうと考えている。笛吹市の一番良い季節だ。生まれた土地の記憶の底にある景色を、思い起こす必要がある。自分の空間意識がこの景色でできたと言うことだ。石垣の景色もこの空間意識で見ているような気がする。

 自分の眼の原点のような感じがするのだ。そんなように感じている意味もどういうことなのか絵を描く時いつも考えている。絵を描きながら自分という物を探しているのだから、この感じ方は意味のあることにちがいないと思っている。

 特に広がる空間のもやったような空間に惹きつけられる。子供の頃の藤垈から、甲府盆地を見た記憶なのだと思う。あの独特の広がり方があり、甲府盆地のの向こう側に南アルプスや秩父山塊の山々が連なる。山に囲まれて出来た夢のような安心感のある空間。

 お盆の反対側の縁から見ている俯瞰的な景色。母盆の底に広がる空間の中に左右を横切るように流れる笛吹川。そしてその水に沿って輝く田んぼの広がり。季節季節で変化して行く、農地の情景の変化して行く様。日々絵巻物を見ていたような気がする。

 今も行くとその記憶が蘇る。甲府盆地も家ばかり増えて昔とはまるで違ってしまったのだが、その場に絶つと昔の景色の記憶が蘇ってくる。その記憶をたどりながら絵を描く。それが自分の絵を描く喜びだ。自分という物の原点の記憶を描く。

 これは小田原の景色でもそうなのだが。小田原で描くことでの喜びがある。石垣の景色を見る気持ちが確認できる。どうでも良いようなことかも知れないが、自分の絵を描くという意味では大切なことだと思っている。自分の絵だと言えるようなことはまだ遠いことだが、何とかそこまで行きたい。

 小田原では農作業を少しだけする。たいしたことは出来ないのだが、特に溜め池の整備だけは続けなければならない。それは残された私の小田原での役割のように感じている。カキツバタの溜め池を形が整うまで進めなければ、溜め池を復活させた意味が完結できない。

 カキツバタの群落が、この溜め池を残す気持ちを呼び起こすだろうと考えてきた。花の力に期待している。美の力に期待している。カキツバタが安定して咲くまでにはもうひと頑張りが必要である。前回直した石垣の水漏れは収まっただろうか。

 今回雑草の刈り取りだけでもやりたいと思っている。そういうことが出来るのも、小田原の仲間がいるからである。一人ではなかなかやりきれる者ではない。そういえば水路の掃除はどうなっているだろうか。もうやってくれているだろうか。もしまだなら、これも今回やりたいことだ。

 結局の所小田原に行ってやる、農作業が楽しみなのだ。今回も、ジャガイモ、玉ねぎ、小麦と農作業があるはずだ。短い1週間という期間だが、できる限りの事をやりたいと考えている。農作業がなければ別段、小田原に絵を描きに行くと言うことはないはずだ。

 4月は月初めの1週間と、月後半に石川展がある。松任でのうるわし展である。つまり、4月は2週間ものぼたん農園を離れることになる。今の状況で出掛けて行くのは心苦しいのだが、水彩人の石川県での絵の展覧会だから、是非とも行きたい。

 年2回の自分の絵の確認である。9月の石川展と毎年どこかで開催する小品展は自分の絵にとって重要だと思っている。石垣島で絵を描いていると言うことで、絵を見る機会も極めて少ない。仲間の絵と絵を並べてみる必要がある。

 今回小田原に行く期間には、大原さんの個展と、西洋美術館での重要文化財点がある。明治以降の日本の重要な絵画が並ぶらしい。まとめてみる機会は少ないから、行ってみたいと思っているが、果たして行ける時間が取れるだろうか。一日無理しても行きたいのだが。

 余りに1週間は短いが、それが今のぼたん農園を離れて、出掛けられる限界である。その間水牛と田んぼの水回りを見てもらわなければならない。まだ誰かに任せられるという状況まで進んではいない。もう数年かかるだろう。申し訳ない気持ちでの小田原行きである。

 体力のある間に、のぼたん農園を完成させて、もう少し小田原生活もゆっくり出来るようになれば良いと思う。のぼたん農園もトイレが出来て、集会する道路と柵が完成して、井戸も完成させる。そこまでなんとしても、進めなければならない。

 そこまで進めなければ、楽観園の思想が形にならない。自給の思想である。生きると言うことに対する安心立命である。人間は一日1時間食料のために働けば良いという形である。食べるものを自給する思想の確立。日々の暮らしが自由の思想を形作る。

 その結果が絵に現われてくると考えている。そのための2地域居住である。まだ冒険の途上である。なんとしても行き着くつもりだ。幸まだ動ける。身体が動けば、後は時間経過と共に片付いて行くはずだ。出来る限りを、やれるだけやってみる。それでいいのだと思う。

 
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ペシャワールの会への希望

2023-03-30 04:32:17 | Peace Cafe


 アフガニスタンから欧米の軍事支援が撤退した途端に、アフガニスタンのアメリカ支援政府は、忽ちに崩壊した。崩壊後タリバン政権にまた戻った。このアフガニスタンで起きたことを、日本も深く理解し反省しなければならない問題である。

 アフガニスタンへのアメリカを中心とした派兵によって、2500人のアメリカ兵が死亡した。アメリカは1兆ドルもの出費をしたという。日本は軍事支援をしない代わりにアメリカに次いで、多額の援助を行った。こうした欧米のアフガン政府への支援は実に悪い結果になった。

 それはアフガン政府がアフガンの国民から支持されなかったためである。こうした失敗は、中国でも、ベトナムでも、アフガニスタンでも、繰返し行われ失敗してきたことだ。イスラム過激派を排除して、あるいは共産主義革命軍の拡張を防ごうとして、国民から信頼されない政府を、アメリカが支援する形の無残な敗北。

 アメリカは紛争の解決のために、アメリカ人の命と血税を費やして、軍事侵攻をする。そこにはアメリカの正義がある。自由と民主主義のための戦いである。反面アメリカにはそうした紛争によって、軍需産業によって利益を生み出す側面もある。

 日本は、これまで、人道支援や文化復興支援、農業支援などの分野でアフガニスタンの大多数である農民に、寄り添い関与を継続してきた、特に、農業分野では、人生をアフガニスタンの農業発展に捧げた「ペシャワール会」の中村哲医師の存在がある。

 アフガニスタン政府の腐敗との関わりは少なく、アメリカのように支援をしてきたにもかかわらず、アフガニスタン国民から支持されなかったこととは違う。なぜアメリカがアフガニスタンで失敗したのかといえば、アフガン政府が汚職まみれだったからである。

 膨大な費用が費やされて、アフガン支援が行われている間に、私利私欲に走る政府になっていた。そしてその腐敗したお金がアメリカ側に貫流される部分も多かったと言われている。ただの軍事援助という物が国作りには良くない結果をもたらすということだろう。

 日本はミャンマーとは長い支援の歴史がある。軍事政権になり、非民主的な事態が起きている。民主的に選ばれた政権が武力的に潰された。そして多くの政治家が殺害されてしまった。今もってアウンサンスーチーさんは逮捕されたままで、処刑されるのではないかといわれている。

 こんな非道なことが、当たり前に国際社会では続いている。しかし現実にはミャンマーでも大半の国民は苦しい中、普通に暮らしている。一体民主主義政権と武力による専制政権は、未来社会はどちら側にあるのかと思える状況が続いている。

 ペシャワールの会から年何度か通信が送られてくる。それを読んでいると、タリバン政権と対立するのではなく、活動は続けられている。結局の所、中村哲氏がどういう勢力に殺害されたのかも分からない。アフガニスタンのどこに正義があるのか、どんな方角に進むのかも不明。

 それでも、ペシャワールの会の医療活動。運河建設。農場建設は続けられている。今では現地の農民であるアフガニスタン人自身が、ペシャワールの会の元に集まり、活動を継続している。たぶん、タリバン政権の問題点は様々にあるのであろうが、命の水の運河を作り続けている。

 その活動も、気候変動によりアフガニスタンの山岳部にある氷河が溶け出し、水資源そのものに危うい側面が生じているようだ。人間のこうした善意の努力は報われるとは限らない。それでも諦めること無く日々の作業は続けられている。何とか成功することを願うしかない。

 世界は紛争や貧困からだんだんに抜け出せるのだと考えてきた20世紀だった。ベトナム、イラク、ミャンマー、アフガニスタンでの失敗が、次の解決に向かう糧になるのかと思いきや、どちらかといえば悪い方角に世界は向かっているとしか思えない。

 その象徴がロシアという軍事大国による、友好国ウクライナへの軍事侵攻である。そして1年が経過しても一向に戦争が終わらない。この耐えがたい世界の現実をどう受け止めれば良いのだろうか。もう受け止めきれないような絶望感に襲われる。

 それでも諦めないペシャワールの会の活動は、何に支えられているのだろうかと感じている。宗教的信念なのだろうか。ペシャワールの会ではイスラム寺院の建設なども行っている。キリスト教がペシャワールの会の活動の背景にはあるようだが、イスラム寺院を作るような現地での寄り添い方に、活動の精神があるのだろう。

 タリバン政権のほうが、まだアメリカ支援の前政権よりは国民は受け入れているらしい。しかし、女性に対する差別はタリバン政権ではひどいようだ。ペシャワールの会の通信でも女性が出てくることはまず無い。日本人職員も、アフガニスタンの関係者も男性ばかりである。

 欧米は女性差別の点から、繰返しタリバン政権を非難している。それは間違ってはいないことだが、女性差別問題を強調していても、アフガニスタンにある様々なもっと深刻な、例えば水問題は解決はできない。未来に希望を見いだすためには、違う角度からアフガンの現実を見なければならないのだろう。

 タリバン政権の一番の問題は相変わらずアルカイダとの関係を持っている点だ。中村氏の殺害に見られるような、暴力が日常のとなりにある。去年、過去30年で最悪とも言われる干ばつに見舞われた。アフガニスタンから国際支援がなくなり、アフガニスタンと言う国自体が崩壊の瀬戸際にある。

 悪いこと(アメリカの介入)ともっと悪い事(タリバン政権)を比較することは出来ない。今そこで命が失われようとしている現実がある。それをすくおうというのがペシャワールの会の活動なのだろう。世界の人道支援が断ち切られた状況である。飢餓が起き、難民化することが目の前に迫っている。

  世界にはこうした絶望的状況がいくつも、いくつもあるのだろう。その一つ一つを忘れるわけにはいかないが、やれることは限られている。今目の前の自分の暮らしを確実にこなす以外にない。そしていくらかでも余剰があれば、ペシャワールの会にお渡しすることだ。
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スマホを始めて買った。

2023-03-29 04:18:14 | 暮らし


 「Redmi Note 10T」とある。どんな物か理解して買ったわけではない。水彩人展のホームページのことでお世話になっている高梨さんから売ってもらったものだ。高梨さんはタブレットで電話しているのではだめだと前から言われていた。

 何も困っていなかったので、その理由がどうもよく分からなかった。むしろスマホで足りている人の方がおかしいと考えていた。何でタブレットという便利な物があるのに、スマホで我慢しているのだろうと、勝手に思っていた。

 それでも高梨さんのいわれる、こうしたITに関することは、だいたいいつも正しいので、今回も思い切って従ってみることにした。私にはタブレットしか文字が打てないから、スマホは使えなかったのだ。もちろん今もスマホでは文字が打てないから、家に帰らなければ文字は打てない。

 のぼたん農園から帰るときに、その日の様子を書いて、帰ります。と、のぼたん農園のラインに書く。そうしておけば、帰った後のぼたん農園に来て私がいないということも無くなると考えている。たまに来る人にも、今の状況が伝わる。

 スマホの一切の設定を高梨さんがしてくれるというので、こんな有り難いことはないので、お願いしたと言うこともある。スマホの機種変更したときに、データー移行などに費用がかなり高い。アプリ1つ2000円とか聞いた。

 スマホは使ったこともないので、よく分からないので、これから努力しなければならない。本で操作を覚えようと考えてしまうので、たぶんそれではだめなのだろう。と言っても現実にはスマホで文字は打たないことになりそうだ。

 当面は携帯電話と思えば良いのだろう。スマホで文字が打てるようになれば良いのだが、スマホに繋ぐことが可能なキーボードというものもあるようだから。これを車に積んでおけば良いかもしれない。そうすればどこでも、スマホでも文字が打てるかも知れない。

 それよりもタブレットとスマホの両方持ち歩くしかないか。ドコモショップで、スマホ2台とタブレットと光回線でいくらになるか聞いてみよう。と考えていたのだが、高梨さんによるとその必要は無いというので、そういうことなら早くスマホも買えば良かった。

 高梨さんがスマホにあるデザリングという機能で、タブレットをスマホがあればどこでも使えるようにしてくれた。ちょっと難しいそうだったので忘れてしまったが、なんとかもう一度教わりまた使えるようになった。これでタブレットとスマホを持って歩けばラインの書き込みも何とかなる。かもしれない。

 いずれにしても少しスマホの練習をしなければならないが、時間が今のところ無いが、今度小田原に行く飛行機の往復のときが良いかもしれない。少し準備をしておけばよりいいだろう。本屋でスマホ操作の本を買ってこよう。こういう考えがだめなのだろう。

 パソコンを始めたのはまだ山北にいた頃だ。山北の駅前通りで薬局をやられていた方から、パソコン操作を教えていただいた。そういう教室をやられていた。教室といっても薬局の奥で教えてくれるのだ。もう何という方だったか名前も思い出せない。

 40歳くらいの時のことか。30年以上前のことになる。ブラウン管パソコンで始めた。あしがら農の会を始めて、これから会を始めるには必要なことだと考えて、勉強した。インターネットがなければこれからの会の運営は出来ないと考えた。

 だからあしがら農の会での連絡はメール連絡だけにした。メールが出来ないと言うので、苦情もあった。農の会で活動したいなら、メールが出来るようにならなければだめだと言いきっていた。電話やハガキの連絡など、手間がかかりすぎて不可能だったからだ。

 30年前にそういう集まりは珍しかったかも知れない。しかし、10年ぐらいして、どこの集まりでもメール連絡が中心になった。これは予測通りだった。ところが今でも水彩人ではメール連絡ができない。もうこれは会の運営の手間が何倍もかかることになる。

 今時スマホぐらい持てよ。と言うことなのだが、どうしても持たないという人がいる。持ってはいるがメールは出来ないと言う人も多い。出来ないなら、スマホ教室に通えば良いだろうと思うのだが、どこの携帯電話会社でも開催している。

 絵を描く人は頑なな人が多い。意地でやらないというのだ。パソコンをやる人も実に少ない。絵を描くと言うことがITに関わりたくないという、どこか前近代的な発想に繋がっているのかも知れない。たぶん合唱の会。体操の会。メール連絡とか、ライン連絡とかでやっているはずだ。

 文章を書く人が、作家用の原稿用紙にペンで書くのでなければ文章が出てこないという人も今でも居るだろう。私はパソコンに向かって、キーボードでなければ文章が出てこない。パソコンが良いのは、早く書けると言うところだ。頭に浮ぶ速度で文字が打ち込める。

 パソコンを始めたときに、まずキーボードのブラインドタッチから始めた。ブラインドタッチを1週間で覚えられますという。CDを買ったのだ。そして、確かに1週間で覚えられた。その必要があると教えてくれたのが、黒川さんといったかな。山北の駅前の薬剤師の方だ。その方は私と同じ歳だったのだが、早く亡くなられた。

 ブラインドタッチは今はタッチタイピングというらしい。毎朝文章を書くので、速度はだんだん速くなり、だいたい考える速度で書いて行くことが出来る。パソコン入力で良いのは、文章の切り貼りが自由自在ということである。

 一応思いついたことを書いて、後から校正する。今はだいたい3行ごとにすることにしている。それより長くすると、読みにくいように思うのだ。これもそういえば、高梨さんが言っていたことだ。私は文章を読むのが好きな方だから、だらだら長くてもなんともないのだが。読む人のことも少しは考えているわけだ。

 それにしても、あのスマホで長文を書ける人の、指使いは初めから諦めている。あんな指の動きは私には到底無理である。そもそも、パソコンゲームの多くは指の機敏な動きが必要とされているようだ。馬鹿馬鹿しいばかりだ。仮想空間に入り込むのに、指先の機敏さというのもおかしな物だ。

 そのうち頭の中の機敏な反応がパソコンゲームに反映されるようになるはずだ。さらにその先には考えることがパソコンで文章化できるようになる時代が来る。考えるということが高機能化される。絵画も頭で考えた映像が、画面に現われるのだろう。そういう時代の藝術という物はどうなるのだろうか。

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習近平プーチン会談の結果

2023-03-28 04:58:06 | 楽観農園


 習近平プーチン会談では期待した平和への道は開けなかったのだろうか。習近平が話し合いに基づき、ゼレンスキー氏と電話会談をすると言うから、まだ和平の可能性がなくなったわけではない。ただはっきりしたことは、習近平氏がロシアに表立って軍事援助はしないということだ。

 これにはプーチンはがっかりしたことだろう。4時間半も話し合ったというから、この点で深刻に話し合いが行われたことは確かだ。直接の軍事援助をしない代わりに、プーチンの要求をのんだ可能性がある。たぶん経済に関することではないか。

 会談後の記者会見の映像では両者の顔に疲労が見える。特にプーチンはひどかった。何しろ記者会見で話しまくっていた。がっかりした姿を見せないために、多弁になっているように感じた。かなり追い込まれている感じを受けた。一番期待していた軍事援助がだめになったからだろう。

 習近平は人間力でプーチンを凌駕しているのかもしれない。その点、いいようにあしらわれていた、安倍晋三氏とは大違いである。盟友だとかいいながら、一切何も譲歩せず日本から得るものだけは得たのが、ロシアだ。ロシアに対して日本は弱腰過ぎる。

 北方4島を返してもらいたいがために、堂々としていない。何かおべっかを使っている。ロシアと交渉するなら、まずシベリア抑留を抗議しなければならない。あれはひどすぎる。シベリアで死んだ日本兵は浮かばれない。私はシベリアに抑留された人4人も親しい人にいる。

 何度も、シベリアでの話を聞かせていただいた。ロシアのやったひどい国際法違反だ。そうしたことにきちっと抗議を出来ない日本だ。北方4島を返して欲しいがために、謝罪の要求すら出来ない。領土など小さな問題だ。どうせ過疎になり消滅するのだ。

 習近平は余裕があり尊大である。ロシアが自分に従うなら、悪いようにはしない。と言うことだろう。ロシアを属国化したという報道があったが、確かにロシアは武力だけの資源大国だ。武器を中国が援助してくれないという結果でも、文句も言えない宗主国に見える。

 ロシア経済がなんとか維持されているのは、中国が資源を買ってくれるからだ。中国を怒らせて、それなら資源輸入をしないとなれば、ロシア経済は行き詰まるだろう。中国にしてみれば、ロシアの殺生権を握っているということになる。独裁者プーチンにしてみれば耐えがたい状況だろう。

 こういう関係を背景に、中国が狙うのは世界での中国の評価である。中国は覇権主義ではないと見せたいところだろう。それはひつこく日米でやっている、中国に対する覇権主義国というレッテルを貼りである。中国を世界の仮想敵国化しようという思惑を、払拭することが出来る。

 日本では中国が覇権主義で恐ろしい。こうした恐怖感を高めて、世論を操作して行く政治が行われている。「恐怖をあおる政治」が目立っている。戦後の歴史が積みあげてきた「非核化」や「脱原発」の歩みが、逆行を始めている。 日本の核保有さえ主張されている。

 防衛力の強化、原発の再活用当たり前のように議論されている。背景にあるものはロシアのウクライナ侵攻、あるいは中国の台湾侵攻に伴う「恐怖」が巧みに利用され、現実への対処が南西諸島の軍事基地の必要性がすでに当たり前のことになりつつある。

 習近平に手柄を立てさせないために、岸田氏は習近平プーチン会談に会わせて、ウクライナ訪問をしたのだろう。応援をするから、何とか戦争を続けてくれと、必勝しゃもじをお土産に訪問したのだ。それはアメリカの使い走りとして当然の行いである。

 アメリカが願っているのは戦争継続である。中国が願っているのは和平である。この見方は正しいと思う。ゼレンスキー氏がウクライナの未来を思うのであれば、ここは和平を選択すべきだ。ウクライナと中国は関係が悪いわけでは無い。中国を仲介の国家に選ぶ方が良い。

 中国にロシアのウクライナ支配の野望を止めさせれば言い。中国がロシアがもしウクライナに対して再度軍事侵攻したら、今度は中国もロシアを突き放すと仲介国としての権限で約束をすれば、さすがのプーチンも再度の軍人侵攻は出来ないだろう。

 確かにウクライナは今度の軍事侵攻でひどい破壊をされた。領土をロシアに勝手に独立国にされてしまった。この点では耐えがたいことだろうが、これ以上戦争を続けても、ロシアに勝つことは出来ない。譲りがたいことでも、ゆずるいがいにない。

 ここでウクライナが停戦ラインを国境として譲ることが出来るかどうかである。戦争が終結すれば、世界はウクライナ復興に支援するだろう。そして国力が回復すれば、領土など小さなことになる。大切なことは国民であり、国土など二の次だ。

 今回ロシアに編入されてしまった地域から、ウクライナに移住したい人達をウクライナに受け入れればいい。せめてそれくらいは停戦の条件にしなければならない。子供まで強制連行するロシアだから、受け入れるかどうかは疑問だが、今回の紛争地域に暮らす人達の自由な意志で国を選んでもらえばいい。

 領土にこだわることでは、戦争が続くばかりだ。日本も同じことだ。尖閣諸島にこだわり続ければ、日本人の命を失うことになる。譲ることは譲り、国際的な判断に委ねることが一番である。政治家は選挙が怖いから、領土はいらないなど言えないだけだ。

 確かに習近平に期待したいのだが、ゼレンスキーにはアメリカの圧力がかかっているのだろう。アメリカのやることは南ベトナムも、アフガニスタンもひどい戦争を続けて、多くの人が死んでいったのだ。その結果何か成果があったかと言えば、疲弊だけが残った。

 ウクライナも結局戦争が長引くだけになる。ロシアに勝利することはない。ロシアはやはり巨大な軍事大国である。ウクライナは持ち堪えるかも知れないが、多くの人が死んで行くことになる。今選択できることは停戦しかない。悔しいことだろうが、耐え難きを耐えて停戦をするべきだ。

 停戦をすれば、世界はさらにロシアのやった国際法違反を問い続けるはずだ。プーチンが消えるまでそれは続くはずだ。停戦した上で外交でロシアを追い詰めれば良いことだ。必ずヨーロッパ諸国はロシアとの緊張関係は続いて行くだろう。

 今回のウクライナ侵攻で多国間の軍事同盟は意味があることが分かった。日本も日米同盟ではなく。アジア全体での同盟を模索すべきことが明白になった。対中国の同盟ではなく。中国を含めたアジアの同盟である。アメリカの思惑に乗せられてはならない。

 
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絵を描く片岡鶴太郎さん

2023-03-27 04:08:51 | 水彩画

 
 片岡鶴太郎さんという、ものまねで一世を風靡したお笑いタレントだった人だ。役者として渋い役を演じていた。マルチ人間というのだろうか。ボクシングでプロのライセンスを取った。ヨガをやっているらしい。さらに、画家と呼ばれるようになり、美術館まである。

 この人がまだお笑いタレントであった若い頃、何かの写真撮影で、絵を描いているところに現われたことがある。その撮影を見たいわけではなかったのだが、絵を描き始めた場所で撮影を強引に延々と始めたのだ。何の挨拶もなく迷惑な話ではあったのだ。

 そのために撮影の場面を数時間も見せられてしまった。絵の講習会で描き始めた絵だったので、夕方までに描かなければならなかったので、できるだけ無視して描いていた。向こうも邪魔だとは思っていたのだろうが、場所を移動するわけにも行かなかった。

 そのときの、余りにへりくだる鶴太郎さんの態度には、ちょっとうんざりした。タレントと撮影者はこうした力関係なのかと驚いてしまった。まだ鶴太郎さんが駆け出しだった頃なのかも知れない。衣装を何度も何度も着替えさせられるのだ。どの衣装も良くないということで、着せ替え人形である。

 衣装担当が悪いのであって、鶴太郎さんが悪いわけではなかろうに、ヘコヘコ頭を下げ謝りまくる姿には、何とも嫌な気持ちがさせられた。それでも撮影をしているカメラマンは偉い人なのか、でかい態度で指図を繰り返していた。こんなくだらない仕事で、時間を取らすなよ、というような感じだった。

 この時のことを絵を描くようになった鶴太郎さんを見て思い出したのだ。鶴太郎さんは気を遣いすぎる人だということ。鶴太郎さんの絵はまさに気遣いの商品絵画である。鶴太郎さん自身が書いていることだが、絵はものまねの経験を生かして、模写で勉強したという。

 これはという絵を見て、つまり評価されている絵を見て、それを繰返し真似たのだそうだ。その結果、画業20年で冒頭の絵に至ったと言うわけだ。この絵が良いから欲しいという人がいることにも驚くところだ。真似から始める絵の典型を見る気がする。

 絵は真似から始めると、自分の世界に到達できないことになる。出来上がった他人の絵の世界をいくら見ても、それは自分の世界ではない。もちろん商品絵画を目指す人はそれでもいいわけだが。早く目立つためには真似る才能が必要なのかも知れない。

 別段片岡氏をけなそうというのではない。現代社会は資本主義末期の世界だ。すべての者を商品価値で判断する社会の中に生きている。多くの人がその中で生きるのは当然のことだろう。そういう意味で絵に於いてもものまねで始めれば良いという、要領の良い考え方はあるだろう。

 以前イタリアの画家のアトリエまで尋ねて、作品を写真撮影し、模写して、日本で発表していた画家がいた。受賞作が盗作だったとして、取り消されたことがあった。しかし、日本の画家のほとんどは、盗作といえば言える気がする。真似から始めるのが、上手の早道というような世界なのだ。盗作と制作のけじめのようなものが失われている。

 しかし、自己存在を探るというような昔風の藝術主義からいえば、商品絵画は全くの別物なのだ。片岡氏は中川一政の真似をしていたことがある。似て非なるもので、醜いばかりであった。小田原駅に巨大な鶴太郎さんの陶壁画があるので、見れば分かって貰える。表層をいくら真似たところで、中川一政氏の人間の高みには到底及ばない。当然のことだろう。

 絵の中に中川一政の存在に迫る気迫のような世界を見ているわけだから、真似てその絵面にいたろうという、片岡氏の浅薄な姿が嫌みにしか見えなかった。そんな絵の描き方が、現代の絵画世界には実に蔓延しているのだ。評価する側の鑑賞眼の低さがある。絵がそんな表面的なもので判断でされている。

 こんな風に書くと、出来ないからひがんでいるのだろうと思われるのかも知れない。確かに私には真似すら出来ないし、世間的に相手にもされていない。そのことを良かったと思っている。その結果として、たいした絵ではないが、たいしたことない自分の絵が描ければ良いと思って絵を描くことが出来る。それでいいと思うのだ。

 絵が自分の人間の範囲を超えるとすればそれはおかしなことだろう。結局絵の世界観は人間の成長以外にないということだろう。良寛の書の魅力は良寛さんの魅力であるに違いない。そう鶴太郎さんは書家も自称している。ものまねの書ではつまらない。

 鶴太郎さんを見たいから、鶴太郎さんの書を見たとして、そこに鶴太郎さんがいない。誰かの真似をしている鶴太郎さんはいるのかもしれない。それはつまらないことではないだろうか。ものまねのすばらしい鶴太郎さん、何でもそこそこまで行く努力が出来る人間の、すさましい様まで書が表していなければ。

 鶴太郎氏の書は一風変わった代書屋の書き物に見える。最近世間に出回る自称書家の字から日本文化の劣化を如実に感じる事ができる。書の精神性のようなものはどこかに行ってしまった。絵も同じなのだろう。真似をしている内に、藝術と言うものの本質を忘れてしまった。

 カルチャーセンター文化ということなのかもしれない。カルチャーセンターでは要領の良い絵を描く手順を教えるのだろう。サクラはこう描きなさい。水はこう描きなさい。薔薇ならこういう絵の具を使い、こういう手順ですよ。一見それ風になるのかも知れない。

 その要領の良い人が良いカルチャーの先生なのだろう。しかし絵を描くというのはまったくそういうことではない。藝術としての絵に描き方などない。趣味のお絵かきであれば、絵を描く要領というものはあるだろう。そういうことではどうにも成らない物が、自己表現である。

 自己表現は同意しても表現しないで入られないなのものかを、内なるものとして抱えているかどうかである。その内なるものの深遠さが人に伝わるものである。正直自分の絵を考えるとまったく至らない気持ちだ。しかし、いつかはそこまで行くという気持ちは持っている。

 鶴太郎さんの画業20年の絵で言えば、気取っているのだ。巧みに見せようとしている浅はかさが見えてしまう。自分の眼が見ているという感じがしない。こういう描き方を覚えて、描いているように見えてしまう。こういう絵が売れてしまうと言う今の世の中の、浅はかさを感じるところだ。

 鶴太郎さんを実は評価している。すべてを出し尽くしているところだ。誰でもがプロのボクサーにはなれない。お笑いタレントとしても一流。絵も巧みに描きこなす。ヨガの行者のように一日1食だそうだ。日々やりきっている。それならそれで、真似なんかもうしなくても良いだろうにと思うのだ。

 芸一筋でないところが、鶴太郎さんの独特の所だし、このさきの可能性なのではないだろうか。還暦からが勝負ではないか。もしこれだけやれる人が、本気で自分を探して絵を描けば、すごい絵が出来るのかも知れないと思うのだ。今度は熊谷守一仙人の人間の生き方の方を真似たらばどうだろうか。

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第154 水彩画 日曜展示

2023-03-26 04:26:45 | 水彩画
第154 水彩画 日曜展示






164「黄色い花」





165「塩山桃」






166「伊豆田子」
2023.3





167「西伊豆」






168「乗鞍岳」






169「海の草地」






170「黄色いしげみ」


 少し絵を描くことに苦しい1週間だった。それでも展示は続けたいので、何とか描いた絵だ。少し荒くなっているように思う。
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1971年石垣島の191日雨の降らない大干ばつの記憶

2023-03-25 04:35:10 | 石垣島


 昭和46年3月~9月(1971)石垣島は大干ばつに見舞われ農業は壊滅的打撃を受ける。(連続干天日数191日) 南西諸島では稲作1期作の期間3月から9月初めまで少雨が続き、大干ばつになった。アメリカ支配が終わる前年のことだ。今年の小雨を経験して、1971年の大干ばつの話が語られることが多い。

 特に宮古島、石垣島方面でひどく、6月に入ってからは草も枯れ、水もなく、牧牛の餓死が始まった。これを考えると耐えがたいものがある。また、さとうきびは大部分が立ち枯れた。各島では飲料水が無くなり、本土から運んだ。

 なんということか、こんなことが現実として存在したのだ。農作物もほとんどが枯れ、離島を迫られ騒ぎにまで発展した島もあった。この干ばつのことを記憶していた人は、本土の人でどれだかけいただろうか。私も大きなことは言えない。知らなかった。

 沖縄地方と奄美地方では平年より12日遅く梅雨入りしたものの、沖縄地方では平年より13日、奄美地方では18日早く梅雨が明けた。この大干ばつを契機に石垣島のダム整備が進んで行く。伝説の大干ばつから50年以上が経過したのだ。

  191日雨が降らないということがあるのだろうか。まったく恐ろしいことだ。半年以上雨がないということは考えられれない。で、も、石垣島では、それほどの干ばつがあったのだ。島の極端な気象は、どんなことでもありうるということだろう。草が枯れて、放牧牛が死んで行く姿をどう想像すれば良いのだろうか。

 1971年は金沢にいた学生の頃の話になるわけだが、まったくこのことを知らなかったのは情けない。この無知は日本人として恥ずかしいことだ。沖縄返還の問題が本土の沖縄化と言われて国会で問題になっていて、心を騒がしていた。にもかかわらず、沖縄の実態を知らなかった。

 沖縄出身の英語の教師の饒平名先生が世田谷学園にいた。その人はアメリカの軍人と喧嘩するときには、まずつかんで転がすことだといったことを覚えている。寝てしまえば身体がでかいのはたいしたことは無いと言っていた。そうした沖縄の暮らしの実情までは見えていなかった。

 50年経ってみれば、沖縄を日本本土の前線基地にするということだったのだ。沖縄は防人の島ではない。沖縄に前線という厳しい状況を押しつけておけば良いというのは余りにひどくないか。東京から長距離ミサイルを撃てば良いのだ。首相官邸にミサイル発射台を作れ。

 水を汲みに行っている農業用水は名蔵ダムからの水である。以下石垣島の灌漑工事の経過を記録して見る。

昭和46年(1971)3月~9月 石垣島は大干ばつに見舞われ農業は壊滅的打撃を受ける。(連続干天日数191日)
昭和46年(1971)10月 石垣島農業開発調査団が来島同調査団により名蔵川流域かんがい計画の大要がまとめられる。
昭和47年(1972)5月 沖縄県本土復帰 沖縄開発庁沖縄総合事務局石垣島農業開発調査事務所設立
平成3年(1991)2月 名蔵ダム本体工事着手
平成9年(1997)5月 名蔵ダム試験湛水開始(平成10年8月完了)
平成11年(1999)1月 名蔵ダム工事完成検査

 30年かけて完成したダムの水が、今年の小雨で農業用水として使わせて貰えるようになっている。200ℓ10円である。意外に濁った水である。於茂登岳の麓に名蔵ダムはあるから、透明で美しい水かと思ったのだが、濁った水である。畑で使うのだから、もちろんそれで十分なのだ。

 島という場所で暮らして行くためには命の水である。水がなければ暮らすことが不可能になる。現代の暮らしは昔の暮らしに競べて、水を大量に使う。たぶん10倍ぐらい水を消費しているだろう。観光客は住民の倍は水を消費すると言われている。

 水がなければ観光も不可能になるということだ。水を大切にする農業といえば、田んぼである。田んぼはダムであり、治水であり、地下水の涵養である。島の田んぼが無くなれば、地下水の減少も起こるはずだ。田んぼを続けることは地下ダムを造ることと同じくらいの効果なのだ。

 宮古島の地下ダムは総事業費523億円 費用がかかったと聞いた。世界最大級の地下ダムである。宮古島という、山のない珊瑚礁の島では、地下ダムを造るしかない。地下ダムが出来て、宮古島の暮らしは、安定した。水が不安では暮らしは成り立たない。命の水を実感する。

 田んぼダムは地下水を涵養する。たんぼが作られていることは、ダムが出来たようなものだ。田んぼや溜め池で水を溜める。降った雨を流してしまわない仕組みを考えるべきだ。田んぼはお米を生産しながら、地下水も増やして行く。

 田んぼに溜められた水は60%の水が高いに浸透して行くと言われている。これは土壌によって随分違うだろう。代掻きのやり方でも違ってくる。石垣島の土壌であれば、40%ぐらいかも知れない。それでも降った雨を田んぼは旨く地下に浸透させる。

 現在石垣島は水量が減少したと、皆さん言われる。降る雨が一気に海に流れ出てしまうからだと考えられる。樹木に覆われた山が減少している。山だったところが、自衛隊基地や、ゴルフ場や、牧場に変わっていく。田んぼがサトウキビになった場所もある。

 地下水を涵養することが自然豊かな島を作る大切なことではないだろうか。地下に南百億円のダムを造らなくとも、石垣島では田んぼが出来る。ダムや溜め池で溜められた水を田んぼで使えば、上手く地下に浸透させて行くことが出来る。

 地表が乾燥していると、降り注いだ雨も地下に浸透せずに地表を流れ下って行く。しとしと雨が長く続く方が、地下水は増加する。同じ雨量でも短時間の激しい雨は流れていってしまう。どこかに溜めなければ、水資源が利用できないことになる。

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のぼたん農園3回目の田植え。

2023-03-24 04:23:29 | 楽観農園

 12月30日直播きの7番田んぼ。「とよめき」が12葉期まで来ている。水が少ないので、かなり苦労している。それでも水のあるところの分ゲツはそれなりに増えてきている。8番田んぼも直播きの「とよめき」なのだが、もっと分けつが少ないし、株も小さい。それで写真を取らなかった。

 7番田んぼは三線グループの田んぼだ。管理も良くされていて、余り草も無い。上に崖があるので、割合風当たりが抑えられている。風を避けられていることも、分ゲツが取れてきている理由かもしれない。途中で堆肥の「よみがえり」を追肥したことも良かったかも知れない。



 代掻きの終わった4番田んぼ。水がいくらかあるから何とかなっている。3番溜め池から水を入れる事ができるので、代掻きにはなけなしの水を入れて、急遽代掻きを行った。圷さんが全部自分でやりたいと言っていたのに、それを忘れて、代掻きを私がしてしまった。

 うっかり者なので申し訳ない。もう一度代掻きをやっても良いかと思う。下の井戸から水をポンプアップできるようになったので、今のところ3,4,番は水が行くように成っている。水は一番溜め池からは0番と1番が何とかなる。きわどく7番へは水が行く日もある。

 7番、8番は水タンクで農業用水の水を汲みに行っている。農業用水の水は一回750リットル運べる。それを5回ずつ入れたらば、何とか水が回った。本当に早く雨が降って欲しい。でも稲を見ると、どうしても水を入れてやりたくなる。

 2番は2番溜め池から水が入れられるので割合水は安定している。4月からここで崎枝小学校の総合学習としての、「イネ作り」を行う予定。直播きで行う。発芽しない子供も居るだろうから、少し苗代も作る。ともかく観察を大切にした総合学習にしたい。見る力を付ける授業だ。



 写真は1番田んぼの苗が活着した様子だ。田植えを2月24日に行い、3週経過した様子である。少し生育が遅れている。播種から数えると8週は経過している。8葉期でも良いはずだが、まだ5葉期ぐらいである。どうも風が不安で深く植えしたためかもしれない。 

 2月23日に、3回目の苗代を作り種まきを行った。田植えは4週と3日経過のの25日と26日を予定している。1回目が12月4日。2回目が1月15日。おおよそ40日ごとに種を蒔き、収穫を一月ずつずらすという計画である。

 一番田んぼは比較的水がある田んぼなので、何とか大丈夫だろう。去年は8番田んぼでやったぬちぐすい田んぼは、水が少ない上にイノシシに食べられてしまって、がっかりさせてしまった。今年はなんとしても、成功させたい。今のところ遅れてはいるが、まずまずの生育である。

 1番田んぼはとても良い田んぼの土になっている。土に粘りが出てきている。代掻きを良くしたので、砂利層が無くなってきた。石はまだあるが、以前に比べれば大分良くなった。田んぼは作り続けることで、田んぼの土壌に変わって行く。今年は去年よりは良い収穫になることだろう。


 2月23日に播種した苗代。「ミルキーサマー」という沖縄で作られている品種である。下地さんから頂いた種籾だ。4週目で4葉期であるが、すでに分ゲツが始まっている。小田原の生育とほぼ同じである。悪い苗ではないと思う。

 少し軸が細めなのは気になるところだが、これは品種特性かも知れない。苗の色は肥料が効きすぎていない、爽やかな緑で、いかにも健全な絵という感じだ。今日辺りから苗取りをすることになる。これだけの苗を取るには一人でやれば2日かかるだろう。4人いなければ午前中では終わらない。

 苗代は幅1mで長さが28mぐらいだと思う。1本植えであれば、2反全部に植えられるくらいの苗の量になった。今回苗はかなり余るので、この際試しに3本植えぐらいで行こうかと思っている。深植えにしないように注意しよう。風で飛ばされる株も出るとは思うが、穂食用の苗を準備しておき、植え直しを十分にやればいい。

 「ミルキーサマー」は分ゲツが取りにくい苗とされている。3本植えれば分ゲツがしにくくても大丈夫だろう。多く植えた方が風の害も受けにくくなる。1本植えではかなり痛んでしまうことがある。3本も植えることはまず無いのだから、今回は3本植えの試験と考えることにすれば良いかもしれない。

 今回3回目の田植えは3番田んぼ。4番田んぼ。2番の半分。この3つの田んぼの田植えである。1ヶ月づつずらして田植えになっている。気温も日ざしも違うので、あくまでおおよそで割り振っている。今後結果次第で次は改めて考える。

 苗を作ってみて、しっかりした覆いをすれば、ネズミはよけられるということが分かった。直播きでもしっかりしたネットが用意できれば大丈夫ということになる。田んぼを覆うようなしっかりしたネットはないから、全体を直播きにするのは諦めようかと思っている。

 苗がよくできているというのは、実は今年の稲作の半分は上手く行ったと言うことなのだ。苗半作と昔からいわれているが、私も同じ実感を持っている。今回12月播きと1月蒔きと2月蒔きと40日ごとにずらして苗作りをしてみた。石垣島では2月は種の苗作りが、一番安定した良い苗が作れるということになる。

 12月と1月の苗作りであれば、穴あきトンネルを使った方が良い。2月の苗作りであれば、鳥とネズミをよけるネットが良いということになる。気温が、15度より滅多に下がらない石垣島という気候のためだろう。温度がたまに下がるという意味では、どの月も同じで3月になっても14度の日はあった。

 今年は極度の少雨傾向が続いて、水を農業用水から運んでいる状態である。稲がこれほど乾燥に強い植物なのかと日々感嘆しているほどだ。ひび割れた土壌でも何と枯れないのだが、さすがに分ゲツは多くはならない。

 小学校の総合学習の田んぼでは、直播きで行う。その方が稲という植物の本当の姿を学習できる。直播きが上手くゆかなかったときのための苗代とをやる。全体で1m×8mだ。全体をネズミよけのネットで覆う。ネットで覆えば、大丈夫である。そうだ看板を用意しなければいけない。一人一人の区画が分かるように区切るつもりだ。

 
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プーチン習近平会談でどうなるか。

2023-03-23 04:03:50 | Peace Cafe


 ロシアのプーチンは中国の習近平を国賓として招待した。今やロシアは中国頼みの状況になっている。世界から経済制裁を受けて、ロシアの貿易は中国、インド頼みである。先進国だったロシアが、ウクライナへ侵略戦争を行い、徐々に衰退して行く姿が見える。

 そこでプーチンは中国に依存する以外無い状況である。中国も世界から経済封鎖を受けて、行き場を失ったエネルギーを購入を引き受けている。そのことは中国の利益になることでもあるので、経済関係は強めている。それがロシアへの経済制裁が効果を上げない結果になっている。経済で縛られているロシアは中国の属国化して行くのかもしれない。

 一方中国としては、ロシアに対して武器輸出は直接はしていない。ロシアは武器を北朝鮮や中近東諸国からも購入しているくらいだから、中国の軍事物資は大いに期待していることだろうが、この点中国は慎重である。中国は商人の国であるから、儲からないことには時間がかかる。軍事援助をして、世界から批判を受けるようなことはしないだろう。

 中国にはウイグル自治区問題と台湾問題がある。どちらも独立を求めている地域であるが、中国としてはそれを認めない立場である。台湾は日本の植民地であった地域だ。日清戦争で日本が勝利して、割譲を受けた。日本の敗北により、中国は蒋介石軍と毛沢東軍の内戦になり、敗北した蒋介石が台湾に逃げ込んだ。

 共産党毛沢東政権に対抗するために、アメリカが蒋介石を支援した。現在の台湾国の出現である。アメリカの後ろ盾がある間に、台湾は独立国としての形を整え、経済発展を続ける。アメリカが、中国を国家承認をして友好関係を作り、台湾を国家としての承認を止める。日本も同じ流れだ。

 中国としては台湾を自国の一地方とするのは当然のことであるが、現在の台湾はアメリカや日本との関係を強めて、中国と平和的に併合される可能性は低い状態である。中国の政治態勢が、習近平独裁の専制国家であるということで、台湾としては自由を失うことを嫌っているのだろう。

 ウイグル族はイスラム系である。中近東で見るように独立心が強く簡単に中国化されない。中近東のテロ組織に加わり、過激派になっているものも多い。中国の言いなりには成りたくないと考えている。東トルキスタン独立運動である。何度も暴動が起きて、それを中国政府は弾圧し続けている。

 アフガニスタンの政権を掌握したイスラム過激派タリバンやアルカイダは、ウイグルのイスラム系住民に対して、中国政府に対するジハード(聖戦)に立ち上がるよう呼び掛ける声明を出している。アメリカが手を引いたアフガニスタンタリバン政権に経済支援を表明して中国は関係を強化しようとしている。

 日本では中国のウイグル自治区の対応を、民族弾圧と主張する人が多いわけだが、イスラム過激派の影響の強いことを考えると、民族弾圧とは言いきれないそ側面がある。
 
 こうした状況を踏まえると、ロシアが今行っているウクライナ戦争の大義名分は、中国には受け入れがたい考え方である。ウクライナ国内のロシア系住民の独立のためのウクライナ侵攻という考え方である。占領地域で独立の是非の投票を行い独立を強引に行った手法である。

 翻って考えれば、ウイグルでも台湾でも住民投票の結果で独立が可能だとするのであれば、投票で独立することを明らかに選択する住民である。住民の意思で独立を選択できるとすることは、中国の専制的な政治に於いてはあり得ない考え方なのだ。

 この点中国がロシアのウクライナ侵攻の大義名分は受け入れがたいことなのだ。このことは中国が今回示した和平案にも書かれている。その点からいってロシアに武器を提供することまではしない。しないからこそ和平案を示したのだろう。

 では和平が可能かといえば、それはアメリカが許さないと見ている。すでにアメリカは中国の和平案を評価していない。ロシアが今回の侵攻で占領した地域をそのまま維持する停戦では、正義が無いと言うことになる。その本音はアメリカはこの戦争は長く続くことを本音では願っている。

 長く続けば続くほど、軍事大国ロシアの相対的力が衰退して行くということになる。もし中途半端なところで停戦すれば、ロシアはまた力を回復して、NATOに敵対すると考えている。ロシアがこの戦争で疲弊することを願っているわけだ。世界の支持もアメリカ側にまだあると考えて、この戦争の継続を希望している。

 そのために、アメリカはゼレンスキー大統領に停戦を受け入れないように、説得しているはずだ。武器は十分に支援するから、領土を取られたまま停戦することは屈辱だとしているに違いない。ある意味アメリカの代理戦争になっている。今回はヨーロッパの同調もあるから、簡単には終わりが来ないのだろう。

 宿敵中国が和平の功績の評価になれば、第3世界の中国支持も高まる可能性もある。中国が平和主義の国家であると見えるかも知れない。中国は今回のロシアウクライナ侵攻を通して、一番得をする道を選択できている。中国の支持国家が増えれば、アメリカの中国に対する、貿易制限も緩めざる得ないだろう。

 ますます、アメリカは中国に追い抜かれる可能性が高まる。アメリカは世界一でいるために、代理戦争を歓迎している。まったく人道的にはおかしなことなのだが、アメリカの正義は、アメリカが世界一であるという前庭に出来ている正義である。

 今回のウクライナに対する、アメリカの対応を見て、日本も十分にアメリカの行動を分析し、考えておかなければならない。アメリカは台湾支持を強めている。本音としては中国が台湾侵攻をすることが、国益であると考えている可能性が高い。

 台湾で戦争が起こり長期化すれば、それが中国の疲弊に繋がる可能性に期待しているかも知れない。その時には日本も巻き込まれることだろう。沖縄はまた戦場になる。韓国も同様である。仮想敵国中国を一番強調しているのはアメリカなのだ。

 日本や韓国にとっては、アメリカが一番だろうが、中国が一番であろうが、どうでも良いことだ。中国が国家資本主義を推進するために、専制政治を強めた。中国という問題の山積みだった、13億人のまとまりのない大国家に於いては止むえない面もあったのだと思う。

 中国人は国家に従うように見せていても、実際には個々の利益を最優先する。習近平は経済発展という大義名分で、国を一つにまとめた。これは国内に於いては様々な成果を生んでいる。その成果がここのの人の還元されているから、習近平政権が長期政権になっているのだろう。

 中国の経済成長が安定すれば、中国は徐々に民主化の道を歩むと考えて良い。人間というものは自由を求めるものだ。その時まで日本は諦めないで、中国と良い関係を模索し続けるべきだ。仮想敵国などとすることはとんでもない危険なことだ。

 ウクライナ和平にたいするアメリカの言動に着目する必要がある。中国和平提案すら否定している。中国は武器を支援をすと主張している。和平を嫌っているように今のところ見える。習近平氏はプーチン会談のあと、ゼレンスキーと電話会談をするとしている。期待している。
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100㏊の大規模有機農業

2023-03-22 04:09:44 | 楽観農園


 有機農業の大規模農業が登場している。10㏊を超える有機農業が全国に、数百はあると思われる。北海道の大規模営農組織では、1000㏊の経営を目指しているという。このことは3㏊ぐらいの普通の農家では経営できない状況が迫っていることを表している。

 農水省によると2020年時点で、国内には2万5200㏊の有機農業耕作地がある。全耕作地に占める割合は0.6%だが、「みどりの食料システム戦略」ではこれを、2030年には6万3000㏊、2050年には100万㏊(耕地面積の約25%)にまで拡大する目標という。

 その鍵を握っているのが、大規模経営の有機農業企業だろう。稲作や麦や大豆の経営も10㏊を超えた農家でなければ、経営できない時代が近づいている。それは世界では当たり前の事で、日本の農家経営が小規模経営で来たことが、世界的に見れば特殊な形態だと思われる。

 その特殊事情の一番は兼業農家の占める割合が大きかったことから生まれた。専業農家が極めて少なく、大半が兼業農家という事情がある。専業農家以外無理な状況であれば、規模拡大か廃業していただろう。出稼ぎという形で3ちゃん農業が始まった。一家の中心の働き手が都会へ出稼ぎに行く。そして、工場が農村の人口を当てにして進出し、工場労働者を農家から募集をした。

 その後3ちゃんどころか、父ちゃんも母ちゃんもどこかに務めながら、農家を継続するのが普通の形になった。こうして農家としては本来経営できない規模の農家が、中心の農家の形として日本の食料生産を支えてきた。JAもその形の農家経営を支えてきた。農家は土地と結びつきが強いということもあり、自民党の支持母体でもあった。

 利益が出ないでも経営を続けてきた小さな農家がいよいよ、消滅を始めた。農業者人口の減少期に入った。農業者数は一気に減少し、耕作放棄地も急激に増加している。農業者の減少によって、地方消滅と言われるような、農村部の地域が形成できなくなる事態が迫っている。

 地方活性化ということを政府は政策に挙げ続けているが、効果は上がっていない。地方では中心都市への集中が起きて、農村部である中山間地域と呼ばれる周辺部の過疎化が進んでいる。過疎地域のインルラである病院、学校、商店、道路が危うくなってきて、人が住みづらくなっている。

 過疎が進む地域で、登場してきているのが大規模な企業農家である。政府も大規模な企業農家の経営を推進している。農地が集積しやすくなっている。様々な補助金の制度も用意されている。世界の農業規模を見る。日本の平均農家面積は2,7㏊。これでも随分大きくなったのであって、昔は0,3㏊と言われた。世界は一般的に100㏊前後と見ておけば良い。オーストラリアでは3000㏊超え。

 面積的に大規模化しない限り、日本の農業の経営が成り立たないことははっきりしている。農業は大規模な機械で行われたほうが生産性が高い。それは日本でも世界でも同じことである。一台の機械が効率よく使われるためには、大規模な農地ほど良いということになる。

 かつては日本と同じように小面積農家であった中国も、今や大規模農家が中心の経営規模に変わっている。一つの村が一つの農業企業という形を取り、規模拡大している。同時に意欲的な農業経営者が登場し、農地の集積を行っている。ロシアまでその手法で進出している。

 日本でもやっと大規模農家が生まれ始めて、100㏊の農業企業の中には、有機農業を行うところも出てきている。その結果大規模農家が行う有機農業の技術が徐々に整理されてきているところだ。稲作で考えると2回代掻きの稲葉式を展開している農場が多いように見える。

 もちろん農業技術に於いて、日本特有の問題がある。アメリカの水田の規模は一区画で10㏊もあるという。田んぼ十枚で100㏊農家である。この規模に見合う大型機械で農作業が行われている。日本で一番大きい田んぼは1区画7,5ヘクタールの印旛沼水田と、佐倉市臼井干拓 ではないだろうか。機械は大型というより中型機械なのだ。

 日本の農地で一枚10㏊規模の水田はなかなか難しいだろう。それでも大規模農家でなければ、経営が不可能である事がますますはっきりしてきている。石垣島では一枚1㏊の田んぼすら地形的に難しい。また所有者の整理がなかなか付きにくい。

 生産物は生産規模とは関係なく競争しなければならない。しかも、大規模農家が政府から補助を受けやすいということもある。小規模農家の生産物が競争できなくなるのは、目に見えている。この状況では大型化する道を模索するか、廃業するか。決断が迫られているということになる。

 これから大いに大規模な有機農業農家の農業技術に期待しなければならないだろう。農水省は有機農業技術の研究をどの程度しているのか、心配になるが大丈夫だろうか。技術的に解決がされれば、既存の大規模農家が有機農業に転換するだろうことははっきりしている。

 経営として農業をとらえている企業的農家であれば、当然生産品が高く販売できて、利益率の高い商品を生産するようになるだろう。そうなれば、2050年の有機農産物25%も決して夢物語ではない。ところが現状では有機農業技術を研究する県の農業センターはない。国の研究機関も本格的な研究はない。

 大規模化が進むであろうし、進んで欲しいと思う一方で、小さな農業も残って行かなければならない。それは日本の農地は大規模化できないようなところが多いからだ。大規模化出来なければ当然生産物は競争には勝てない。そこで小さな農業は自給目的や、一工夫した農業と言うことになる。

 自給を中心として、独自の製品を販売する形である。例えば私のように小さな養鶏を行えば、卵焼きまで作るとか、鳥のスープを作って販売するとか、プリンを作るとか、卵ケーキを作るとか、卵かけご飯のお店をやるとか。大規模農家には出来ない、小さな農家ならではの発想力の勝負である。

 基本を自給として、小規模な経営は色々考えられるだろう。小さな農家がなくなれば、瑞穂の国日本が失われる。瑞穂の国の文化を残せるのは小さな農業である。小浜島で田んぼをやられていた方が、自分が五穀を作らなければ豊年祭ができないだろうと言われた。この思いは失ってはならない。

 八重山の古謡に唄われる稲作文化は田んぼが無くなれば、死んだ豊年祭の形だけのお祭りになってしまう。日本独特の0,3㏊の小さな農業も残して床なければならないものだと思う。小さな農業がなくなる日本は余りに寂しすぎるだろう。

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のぼたん農園の12のため池

2023-03-21 03:57:45 | 楽観農園

 
 のぼたん農園のため池について考えてみる。のぼたん農園では12のため池がある。5つは水牛池になっている。水牛池は3つは雨が降ったときに溜っている。2ヶ月ぐらい水があるときもある。その内2つがすこしづつ水の湧いていて雨がなくても水のあるものがある。

 雨がなくても、水がある溜め池は水牛を飼うためにはとても需要なものになっている。水牛は溜め池を垈場にして、身体に泥を塗りたくり、虫にたかられるのを防いでいる。わざわざ溜め池の中に、尿や糞をする。その水を飲んでしまう。汚いようだが、それが反芻の発酵を良くしているらしい。

 7つが田んぼ用のため池。田んぼ用溜め池はいくらか水が湧いているものが4つあり。雨の時にだけ水が溜まるものが、3つである。以前からあった水の湧いていないため池を今回2つ深く掘った。前からあった西の端の溜め池は、雨が降ると水の溜まる溜め池になるものだったが、ここは水脈がありそうな場所だった。

 しばらく雨がなかったので、からからだった場所だが、4mほど掘ったところで水が湧いてきた。感激した。やはり地形的に水が出る可能性があるといわれた、福仲先生の予測は正しかった。与那国島の体験に基づく判断はすごいものだ。

 農園の西側の端は沢になっている。雨が降ると河になる場所で、その沢の一番下の場所には前から溜め池があったのだが、そこを4mほどユンボで掘った。水が湧いてきた。現在、その水をポンプアップして田んぼで使って何とか水不足をしのいでいる。

 中央の下の溜め池は、溜め池というより大雨の時にだけ遊水池である。水が湧くかも知れないと考えて、深く掘り直したが水は湧かなかった。大雨の時は田んぼの水も満水になり、のぼたん農園から流れ出てしまうので、最後の遊水池として、ここで溜めようと考えている。赤土が流れ出ないためだ。


 中央部の水の湧かないため池に関して、埋め戻すべきだという意見が出たが、遊水池として有効と考えているので、埋め戻さないことにした。埋め戻すべきだという意見は、のぼたん農園の下で田んぼを耕作をしている人がいて、その田んぼも水が行かないで、耕作できないでいる。

 水を来ない理由がのぼたん農園で行う土壌改変が理由ではないかと主張されては困るというものだ。実際にその方は1町歩ほど田んぼをやっているのだが、西側の半分の田んぼには水が行かないで、今年は田んぼができないでいる。石垣島は最近かなり深刻な水不足なのだ。

 果たして上に田んぼがある事が、下の田んぼの迷惑になるのかどうかである。一般に上に溜め池や棚田を作り水を溜めることで、より広い範囲が水田になるということがいわれている。上で水を溜めていることが、下の田んぼに迷惑にはならないと考えている。

 むしろ、のぼたん農園のため池や田んぼが、下の田んぼのための貯水池になり、総合的にはむしろ良くなると考えられる。ため池や田んぼの貯水や涵養効果は高く、雨が多い時に水をためておき、徐々に地下に浸透させてゆくものと考えている。

 田んぼには水に関して大きく2つの機能がある。最近言われるようになった田んぼダムである。最近、異常気象で豪雨災害も増えている。田んぼが10㎝水が溜められるようになっていれば、田んぼの広大な面積に水を溜めて、河川への流入水を制限できる。と言う考え方である。

 もう一つが田んぼが地下水を涵養する機能だ。最近の都市部などでは、降った雨が地上を覆っているアスファルトやコンクリートで土壌に浸透することが出来ない。そのために地下水が減少してしまう。表面をそのまま川に流れて行き海に行ってしまう。

 それは乾ききった土壌も同じように、土壌への浸透を制限されてしまい、地下水を涵養することが出来ない。田んぼの地下水の涵養がいわれている。田んぼは広い水面で水を溜めて、徐々に地下水となって行く。通年通水して、田んぼから地下水を増やすということが必要だと言われている。

 長期的に考えれば、上部に棚田が出来ることは下の耕地での地下水は増加していると考えて良い。と言っても限定的にしかない水を使うわけだから湧水量の少ない場合、天水田のように雨水をどのように溜めておくかが重要なことになる。

 地下水を増やすためには水源涵養林が重要である。山を牧場にしてしまえば、地下水は減少してしまう。森林の水源涵養機能がいわれている。上部が深い森になれば、山に水が蓄えられることになる。それは樹木の方が深く地中に根を張り、深い層まで水を浸透させ、溜めておけるからだ。

 山北に住んでいた頃、水源の上に合った杉の植林地を伐採した。すると途端に水の湧く量が減少してしまった。しかし、そこにまた杉を植林したのだが。3年ぐらいしたら水が増え始めて、元の状態に戻っていった。植林の林でも水源を涵養する機能は大きいものだと驚いたことがある。

 のぼたん農園でも溜め池の上側には森を作りたい。3反歩ぐらいのものであるが、ここを森にすれば、溜め池に湧く水の量は増えるはずだ。3反歩の草地が、林になれば、それだけでも水を蓄える力が違うと考えている。深く根を張る木が良いと思う。

 上野草地には桑の木とギンネムとノボタンは自然に良く出てくる。良くでてくる木を生かせば良いかと思っている。ギンネムは要注意の帰化植物とされているが、別段あって悪い木だとは思わない。ギンネムはマメ科の樹木で、窒素を固定する菌を共生させて、土壌を良くしてくれる木だ。

 草を抑えながら、徐々に樹木を増やして行くようにしたら良いかと思う。現状ではススキが目立つ。このススキを取り去ることが、樹木を増やして行く一番の手立てではないかと思われる。上部に柵が出来たならば、一度水牛を結わえて、ススキや牧草を食べさせる必要があるかも知れない。

 その後、樹木苗を移植して行けば、徐々に林が出来るのではないだろうか。琉球松は美しい樹木だ。琉球松植えて行きたい。苗を植え込んで行ければ良いかと思う。琉球松の苗木を手に入れて、上の方に並木のように植えたい。松並木が出来れば美しいと思う。
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どこが異次元の少子化対策、か。

2023-03-20 04:06:32 | 楽観農園


 「異次元」と位置づける少子化対策をめぐり、社会全体の意識、構造を変えてゆくと岸田総理大臣は語った。家に帰る車のラジオで、どこが異次元なのかと考えながら聞いていた。異次元というのだから、今までとは違う、世界が驚くような考え方が登場するのかと思っていた。

 ところがどこまでも常識的な、官僚の書いた文章を読み上げているだけのように聞こえた。いかにも官僚が考えるような政府の行うべき範囲を心得た、効果はない政策を並べただけである。画期的な政策を打ち出すときには未だかつてない、国民があっと思うような要素がなければ効果がないと思う。

 岸田さん自体が官僚のような常識人だから、田中角栄のような、異次元への発想の転換が出来ないのだろう。異次元まで進めたつもりで、普通の人の常識の範囲なのだ。せめて目新しいことがどこかにあるのか、家に帰りネットの新聞を改めて読んでみた。

 この政策で少子化が終われば、失礼なことを書いていることになるが、これで少子化が終わるようなことは間違っても起きない。「産めよ増やせよ」の標語が批判されているが、戦争をやりながら産めよ増やせよとは、とんでもないことだ。非常時で、その時の方が人口は増えたのだ。まさに今思えば異次元である。

 岸田氏が悪いというのではない。政策として上げられたことはやるべきことばかりだ。これは子供を大切にすると言うことで、必要な政策だ。今までやらないで来たことの方がおかしい。保育園待機児童がが3200人に減ったとか胸を張っていたが、未だに待機児童がいるのは政府の責任であり、政府に政策に問題があるとは思わないのだろうか。待機児童が減った背景にはその少子化があるのではないかと言いたくなる。

 岸田氏の少子化対策の基本理念は、
第1に若い世代の所得を増やすこと
第2に社会全体の構造や意識を変えること
第3に、全ての子育て世帯をライフステージに応じて切れ目なく支援すること   
 以上の三つだ。 なんともなあー。そうだよななー。だめだろなあー。と言う感じがしてしまう。

 まず所得が少ないことを上げていることが良くない。貧乏人の子だくさんという言葉があるくらいで、子供を沢山作り子供に働いてもらい、豊かになろうという時代もあったのだ。社会に流動性があった時代だ。末は博士か大臣かというような、何とかなるかも知れないという機運が社会にあれば人口は増加して行く。

 10人子供がいれば、一人ぐらい優秀な子供が生まれて、家族みんなの面倒を見てくれるという発想である。明治時代は日本の歴史上もっとも悪い時代であったとおもうのだが、人口増加を続けている。一族や家族の暮らしを大切にした江戸時代と正反対に進んで、人口爆発である。

 江戸時代は少子化の時代だ。社会が停滞しているから、家族が増えることが出来なかった。農地が限定されているから、次男以下に農地を分配できなかった。明治以降社会が流動化して、頑張って成り上がろうという時代は、江戸時代以上に貧しくとも人口増加が起きた。都市人口の極端な増加。

 訳が分からない時代こそ人口増加時代になる。それは戦後社会もそうだ。この先どうなるか分からないが、おもしろくなりそうだという機運が人口増加を生んだ。岸田さんに不足しているのは、社会を打ち破るような未だかつて無い希望を生む異次元の発想だ。

 もちろんそんなものは誰にもない。だから、訳の分からない要素のある発展途上国は人口増加が起きて、落ち着いてしまった経済停滞国では人口が減少する。先が見えてしまっているからだ。大家族主義のあの中国ですら、一人っ子政策を止めても人口増加には転じないのだ。

 異次元をいうなら、日本の経済を異次元の発展をさせることが出来るならば、少子化は解消されるだろう。しかし、そんなことは誰にも不可能である。これからは安定した停滞の時代なのだ。そのことを受け入れているから、認めざる得ないから、少子化が起きているのだ。

 韓国は日本以上の少子化に陥っている。韓国がやっていることはだいたい日本の一歩先だから、さらなる少子化が日本でも起こると考えたて置いた方が良い。韓国の深刻な学歴社会。階層化した社会。希望の失われた社会。その意味では日本より深刻な状態だ。

 もし異次元の少子化対策があるとすれば、子供3人になれば、それだけで暮らして行けるというぐらいの現金給付である。少子化を解消するためには、一人の子供に月々10万円支給するぐらいの異次元さが必要である。そのくらいのおかしなことをすれば人口増加は起こる可能性がある。

 馬鹿げているが、それくらいのことでもしなければ人口の増加は起きない。世界の潮流に逆行するということは、そういうことではないかと思う。そうした無理は必ず社会にひずみを生む。やらない方が良い。岸田氏の子供を大切にする政策ぐらいが良い。

 岸田さんの異次元ではない常識論の範囲でしか仕方がないとは思う。それでも少子化は止まらないだろう。むしろ人口減少を受け入れて、それで国を成り立たせるほか無いと言うことだ。発想を転換すれば、人口減少が良い結果をもたらすことも色々ある。

 明治時代など、棄民といえる移民奨励策まで行って、人口増加に対処しなければならなかった。さらに台湾、韓国の植民地化、満蒙開拓で、満蒙国を作り、増え続ける人口の行く先を作らなければならないこともあった。しかしその帝国主義的発想が第2次世界大戦の敗北に繋がって行くのだ。

 人口が増えないのであれば、日本列島の中で充実した暮らしを考えれば良いだろう。過疎地域の解消など、大いにやりがいがある仕事だ。食糧自給策でも良い。それこそ新産業の創出を国家プロジェクトとして、取り組んだらどうだろうか。先ずはアイデアの大募集をする。

 食糧自給生活を推進したい。地方にそうした自給生活地域を点在させて行く。そのことが日本を心豊かな安定した国にするはずだ。人口が少ないほど暮らしやすいはずだ。6000万人ぐらいが良いと思う。たぶんそのくらいまで人口は減少するのだろう。
 
 
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第153 水彩画 日曜展示

2023-03-19 04:25:39 | 水彩画
第153 水彩画 日曜展示





154「ハイビスカス」






155「ひょうたんじま」







156「石垣島の朝焼け」








157「のぼたん農園」






158「名蔵アンパル」






159「瀬戸内の夕日」






160「マヤグスノ滝」






161「与那国島の道」






162「石垣島崎枝」






163「与那国島の耕地」



 こうして絵を見ていると、与那国島へまた絵を描きに行きたい。瀬戸内海を又描きたい。西表島へ行き、また浦内川を描いてみたい。絵を描いていたときの気持ちをまざまざと思い出す。絵を描くと深く記憶される。昔の絵のつづきを描いていると別の世界に入るような気になる。

 思い出して描けるところまで行きたい。頭の中に浮んで来る風景を描いている。思い出の中の風景は絵に必要なものだけになっている。絵は自分の頭の中にあるものだ。現実の風景はそこまで変化したときに絵になって現われる。

 もちろん見て描くことの方が多い。始めて見て絵を描いて絵になるということは先ずは無い。同じ場所を繰返し描いている内に、その場所が頭の中に入る。それで始めて頭の中の風景を描けるような気になる。実際の場所とはまるで違うような絵ではある。


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日韓首脳会談

2023-03-18 04:53:56 | Peace Cafe


 岸田文雄首相は16日、首相官邸で韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領と会談し、関係を正常化することで一致した。日韓の首脳会談によって2012年に当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領が竹島に上陸してシャトル外交が途絶えたものを, 復活させることになった。

 期待できる急展開である。韓国の大統領が変わり方針が大きく変わった。この機会を逃してはならない。再度、無かったことにならないことを祈っている。同じような隣国であり、過去に日本の帝国主義が植民地化した台湾と韓国と競べると、韓国の日本嫌いと台湾の日本好きが顕著である。

 これは日本人も台湾好きが実に多い。私も時間があれば台湾に行きたくなる。先日台湾の桃園空港で、日本に戻れない危うい事件が起きてしまった。日本の帰国便に乗るためには、ワクチン証明書が必要となっていたのだ。証明書を撮影して、送ってもらって何とかなった。

 それをどうすれば良いか、その危機を台湾の飛行場スタッフが一緒に対応してくれた。それでなんとか危機一髪で石垣に戻ることが出来た。面倒くさいことになるすんでのところで、解決できた。一緒に心配してくれた、台湾人職員の親切な対応は有り難かった。日本ではあり得ないことだ。

 そもそも100年前の韓国には先進国意識があった。野蛮な日本という成り上がりの国に支配されたということ自体が、耐えがたいものだったのだ。大国中国の影響を強く受け続けたために、常に圧迫されている民族的宿命もある。間接的に支配されている中での国家運営が長かったのだ。

 韓国には、早くから中国の高い文化を直接的に受け入れてきたために、中国に対しても複雑な心情がある。韓国の独自文化といっても、必ず中国の影響が見え隠れすることで、韓国の難しい独自性。中国の時代ごとの政情によっても、韓国のありように変化が起きている。

 韓国には中国より細やかな感性の文化が存在し、絵画を見ると日本人にはなじみやすいものがある。古くから日本への文化的影響が強く、渡来仏百済観音や弥勒菩薩は素晴らしいものだ。飛鳥の壁画なども百済から来た渡来人が描いた可能性が高い。芸術性の極めて高い文化のある国なのだ。

 この誇り高い韓国人が、反日になるには当然の理由があった。日本が植民地化した時代は、韓国が衰退していた時代だった。明治政府はその帝国主義によって設立当初から征韓論があり、朝鮮半島の支配を目指す。そのために中国清との日清戦争が起こり、日本が勝利し、朝鮮は日本の植民地になる。

 しかし、反日運動は何度も勃発し激しく繰り返された。台湾のように、日本の支配を受け入れて、国作りに向かった国とは大きく違うのだ。台湾でも反日暴動は起きたが、それはむしろ原住民(台湾では古くから台湾に住んでいた山岳民族などをこのように呼んでいる。)による反政府運動と言えるものが多かった。

 韓国も台湾も経済で日本と同等ぐらいか、もしくは分野によっては追い抜いている。分野によって異なるが、いずれにしても台湾韓国日本の3国は経済的連携を持つことで、大きな経済的恩恵が生まれるはずだ。仲違いなどしている場合ではないのだ。協力しなければ乗り越えられない、状況が必ず来る。

 今回の訪日は、日米韓の軍事連携が主眼である。そのためのアメリカの仲介によって進んだと考えて良いのだろう。アメリカの仲介の裏側にあるものは実に危ういものだ。アメリカの防衛に、日本と韓国を前線基地にしたいという思惑だと考えておいた方が良い。

 中国とアメリカの対立というが、アメリカにとって中国は最大の貿易国なのだ。そのてんで今までの、自由主義と専制国家との対立とは意味が違っている。中国が遠からずアメリカの経済を凌駕する可能性が高まっている。軍事的にもアメリカを追い抜く可能性が高い。

 その時に、日本や韓国や台湾が中国側の経済同盟に加わる可能性がでてくる。地理的に考えれば可能性がある。経済は利益の出るところに結局は流れて行くのだろうから、アメリカとの軍事関係も微妙に変わる可能性がある。日本に中国の軍事基地が出来るなど想像できないわけだが。

 アメリカは当面韓国日本台湾の3国の連携を強め、アメリカが後ろ盾になり、中国と対立させる作戦を採るのだろう。それが南西諸島のミサイル基地である。中国が覇権主義的である。専制国家で民主主義がない。そして手強い国家資本主義である。

 中国は変わらざる得ないと考えて良いだろう。商人の体質が強いからだ。今は儲かる方向が、専制国家で民主主義を抑えた方が良いと考えているのだ。自由にやらせたら、中国人は汚職だらけになり、経済発展は出来なかったはずだ。中国が生長するためには専制的なやり方が必要だったと思う。

 中国は必ず変化して行く、中国人が専制政治を受け入れているのは自分の経済にその方が良いと考える間のことだ。急激な経済成長が鈍化してくれば、変化が起こる。覇権主義的な姿勢も変わってくるはずだ。中国人にとっては習近平は評価できる人なのだ。

 中国が変わるとすれば、中国を中心にして、日韓台も含んだアジアの経済連携を作った方が良い。そういう時代が来ると考えて、今中国と対立を深めない方が良い。日韓で中国と話し合いの場を設定するべきだ。そうしたことを首脳会談で話したのだろうか。

 単独で中国と関わるよりも日韓が連携を取りながら、中国との経済関係を持つ方が良い。韓国は中国との関係を深めてきたわけだが、中国と言う国家資本主義のやり方で苦労が多いようだ。中国と経済で関わるには、やはり国際ルールを作る必要がある。

 その点で韓国日本台湾とが連携して、中国との関わり型を作る必要があるのだろう。WHOに韓国は日本の半導体材料3品目の対韓輸出規制強化はルール違反だとして、訴えていた。今回の大統領訪日を機に日本は今回規制を外した。

 対立していて良いことなど何もない。ユン・ソンニョル大統領の執った措置は立派な態度だと思う。韓国国内では評判が悪いことだろう。それでも日本と関係を修復しようと努力したことが、日本にとっては良い機会になった。日本もユン大統領が韓国国内で批判が高まらないように努力すべきだ。

 日本が行った植民地の時代に行った歴史的な不当な行為を忘れないでいることだ。今も日本国内に存在する在日差別問題も、早く解消すべきだ。日韓関係が良くなれば、北朝鮮問題も解決できる可能性が出てくる。日韓経済の互恵関係を深めて行くことだろう。
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水の力、稲の力

2023-03-17 04:33:03 | 楽観農園


 田んぼをやっていると水ほどすごいものはないと思うようになった。田んぼが何千年も同じ場所で可能なのは、水があるからだ。これが畑の麦や、トウモロコシやタロイモであれば、必ず同じ場所でやっていれば、年々は作物は作りにくくなる。同じ作物が同じ肥料を求めるからだ。

 肥料を入れ無ければ作物が作れなくなるということは、土壌が作物によって変化してゆくことになる。そしていつかは、土壌の偏りが生じてくる。病気が蔓延したり、害虫が増加したりする。そして、その植物が育たない土壌になってしまう。

 畑の土壌は休耕や輪作が必要になる。耕地を三分割し、一つは春耕地(春蒔き、夏畑、秋収穫)として豆・燕麦・大麦を、一つは秋耕地(秋蒔き、冬畑、春収穫)として小麦・ライ麦を栽培し、一つを休耕地とし、それを年ごとに替えていく「三圃制」が普及した。

 休耕地には 家畜を放牧し、糞尿を畑に入れて地味を肥やしていた。主食生産という意味では、稲に競べて生産性が低いものだった。しかも家畜を放牧すると冬期にエサ不足が起こり、家畜の餌の生産をしなければならないという問題も生じた。

 田んぼには水というものが流れ込んでいる。水が限りなく微量要素を運んでくる。稲が湿地の植物と言う特徴が特別なものだった御陰なのだ。たまたま長江の中流域に野生の稲があった。中国の長江下流の新石器時代の上山遺跡(浙江省浦江)から、約1万年前の世界最古の栽培稲のもみ殻が見つかった。

  これが中国の文明の大きな発展のための転換点になった。稲は1万年同じところで栽培が可能な作物なのだ。しかも水が肥料分を運んできて聞くれることで、改めて肥料を外から持ち込む必要も無かったから、栽培品種が改良選抜されても、地味が衰えることがなかった。

 同じ場所で、稲という作物をくりかえし耕作すること可能になることで、文明も1万年継続されることになった。 そのような植物は他にはない。なぜ可能かといえば、水の力が大きく作用している。水の中で生育する稲という作物の特性である。

 水は上流部から流れ下り、様々な微量要素を含んで流れてくる。土中からの湧き水であるとしても、土中の様々な要素を含んで湧き出してくる。そのさまざまな肥料分が、稲と言う植物に有用なものが、繰返し上流部や土壌中からもたらされる。

 そのために、同じ場所で少量の肥料を加えるだけで稲は生育できる。その肥料も田んぼという場で生産される可能性も高い。例えば冬の間菜の花を栽培すれば、その残渣を漉き込むことで、春からのお米の肥料になる。ベトナムで11世紀からあったというアカウキクサ農法は表面のウキクサの窒素固定能力を利用した農法である。

 場面場面の工夫によって、何も入れないでも稲は健全な生育を続けられたのだ。水のある溜め池には必ず植物が繁茂する。アカウキクサのようなものも現われる。その稲以外の植物が、稲の栄養になり、好循環が起こる。こうして何も入れないで、収穫物だけを取ることが出来るという、他にはない恩恵を受けることになる。

 水の力には驚くべき物がある。ミネラルのような微量要素を含んでいるということもあるが、植物を気候の激変から保護する役割もある。強烈な退行公が土壌の微生物をころしてしまうところを、表層の水や植物によって土壌の劣化を防ぐことになる。

 水は植物にとって決定的な役割がある。水のないところでは植物は生きることが出来ない、水と大気と光は、生き物にとって不可欠なものだろう。すべからく生物は水と大気と光がなければ生きることが出来ない。稲はその水が豊富にあるところで育つという、素晴らしい植物だ。

 イネは多量な水のある場所に生育する植物である。その水の御陰で、アジアの農業は豊かな3000年の展開をすることが出来た。「水の力」である。水は寒さを防ぎ、暑さを緩和する。水があるために、イネは熱帯から寒帯まで、その生育域を広げることが出来た。

 日本に水田稲作が伝えられたのは3000年前になる。そして南から北に徐々に生育範囲を広げて、今では寒帯である北海道が日本の有力なお米の生産地になっている。南ということでは熱帯ではどこでも栽培可能である。素晴らしい品種改良の成果だろう。

 水がある水田で作ると言うことで、稲はどんどん栽培地を広げることが出来た。これからの食糧危機の時代を前にして、稲作はもう一度見直さなければならない作物のはずである。耕作地を広げたとしても環境を豊かに出来るという、素晴らしい作物なのだ。

 日本の文化が稲作文化と言われる。瑞穂の国日本と言われる。石垣島の八重山民謡には田んぼを唄う歌が実に多い。祭りには必ずお米が奉納される。踊りの所作には田んぼの姿が反映していると言われる。すべては水がもたらしたものだ。田んぼが出来る水がある島の素晴らしさである。

 また水がある景観というものは、特別に美しいものだ。世界中の庭に池というものが伴う。水が心穏やかにしてくれるものだからだろう。修学院離宮はその最高峰のもので、水田を庭にしている。美しい暮らしと言うものが日本の水田のある姿なのだ。

 稲作はあらゆる農作物の中で、最もSDGSな作物である。環境負荷が一番少ない農業。環境を豊か何していく可能性がある作物は稲だけである。地球の永続性を考えるのであれば、米食にするほかない。環境活動家などといいながらパンを食べているのであれば、知識が足りないということになる。

 ノーベル賞を取ったマララ・ユスフザイさんは言いたい放題だが、是非お米を食べてもらいたい。人間が生き残るためにはパンを食べていたのではだめなのだ。お米という素晴らしい美味しい食べ物を食べる以外無い生き残れないのだ。そしてお米を食べると穏やかな性格が作られる。

 世界の古代4大文明と言われるが、エジプト、メソポタミア、インダス、中国文明のなかで、唯一生き延びたのは稲作をしていた中国文明だけである。インカ文明も同じくトウモロコシの主食で、滅んだ。当然のことだ。トウモロコシも、麦も、連作をすればだんだん取れなくなる。

 お米は連作すればするほど取れるようになるという素晴らしい作物なのだ。麦もトウモロコシもタロイモも厳しいものがある。主食作物の中で最も優れたものが稲作だった。イネを見付けて作物にしたというだけでも、中国人に感謝をしなければならない。お米を食べている中国人が、台湾侵攻をするはずがない。

 日本はイネを中国から学び、この小さな島国で幸せに暮らすことが出来たのだ。比較的平和な国として、継続されてきた。もう一度日本全土が、水田が広がるような国に戻ることだ。そうすれば自給できるし、軍隊なども体内でも我慢できる国になる。

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