石垣島と小田原の2地域生活をしている。しかし、このところ石垣島ののぼたん農園が離れられない状況が続いていて、小田原に行ける時間が短くなってきた。この先どうすべきなのか考えなければならない状況にある。小田原の方でも、農の会の活動は続けたい。
動ける間は、2地域生活を継続したい。それは絵を描く上でも重要なことだと思っている。石垣島だけで絵を描いていることでは、石垣島の事も見えなくなる気がするのだ。色々の場所を比較して描くことで、自分の絵が確認できるのだと思っている。特に山梨では時々絵を描きたい。
3月31日から、4月6日まで小田原に行く。小田原の方でもいよいよ田んぼが始まる。少しでもやらせて貰いたいとは思うのだが、石垣島の活動が重くなっている。のぼたん農園の方が重要なところに来ている。当面は石垣島中心になるほか無い。
どれだけ作業をしても、いくらでもやらなければならない作業が残っている。せまられた状況になっている。外周の柵もやらなければならない。イノシシが毎日侵入している。雨が降って、水が溜まるところが出来て、果樹も植え替えをしないとならないものがある。
すべてがやれるわけでもないので、仕方がないことではある。小田原に行く前に水牛の放牧地の柵とのぼたん農園の出口の柵は2重に出来たことだけでもよかった。これは最低限のことで、地域の方々に約束したことだから優先した。これで気持ちが少しは安心できるようになった。
今回も出来れば笛吹市に絵を描きに行こうと考えている。笛吹市の一番良い季節だ。生まれた土地の記憶の底にある景色を、思い起こす必要がある。自分の空間意識がこの景色でできたと言うことだ。石垣の景色もこの空間意識で見ているような気がする。
自分の眼の原点のような感じがするのだ。そんなように感じている意味もどういうことなのか絵を描く時いつも考えている。絵を描きながら自分という物を探しているのだから、この感じ方は意味のあることにちがいないと思っている。
特に広がる空間のもやったような空間に惹きつけられる。子供の頃の藤垈から、甲府盆地を見た記憶なのだと思う。あの独特の広がり方があり、甲府盆地のの向こう側に南アルプスや秩父山塊の山々が連なる。山に囲まれて出来た夢のような安心感のある空間。
お盆の反対側の縁から見ている俯瞰的な景色。母盆の底に広がる空間の中に左右を横切るように流れる笛吹川。そしてその水に沿って輝く田んぼの広がり。季節季節で変化して行く、農地の情景の変化して行く様。日々絵巻物を見ていたような気がする。
今も行くとその記憶が蘇る。甲府盆地も家ばかり増えて昔とはまるで違ってしまったのだが、その場に絶つと昔の景色の記憶が蘇ってくる。その記憶をたどりながら絵を描く。それが自分の絵を描く喜びだ。自分という物の原点の記憶を描く。
これは小田原の景色でもそうなのだが。小田原で描くことでの喜びがある。石垣の景色を見る気持ちが確認できる。どうでも良いようなことかも知れないが、自分の絵を描くという意味では大切なことだと思っている。自分の絵だと言えるようなことはまだ遠いことだが、何とかそこまで行きたい。
小田原では農作業を少しだけする。たいしたことは出来ないのだが、特に溜め池の整備だけは続けなければならない。それは残された私の小田原での役割のように感じている。カキツバタの溜め池を形が整うまで進めなければ、溜め池を復活させた意味が完結できない。
カキツバタの群落が、この溜め池を残す気持ちを呼び起こすだろうと考えてきた。花の力に期待している。美の力に期待している。カキツバタが安定して咲くまでにはもうひと頑張りが必要である。前回直した石垣の水漏れは収まっただろうか。
今回雑草の刈り取りだけでもやりたいと思っている。そういうことが出来るのも、小田原の仲間がいるからである。一人ではなかなかやりきれる者ではない。そういえば水路の掃除はどうなっているだろうか。もうやってくれているだろうか。もしまだなら、これも今回やりたいことだ。
結局の所小田原に行ってやる、農作業が楽しみなのだ。今回も、ジャガイモ、玉ねぎ、小麦と農作業があるはずだ。短い1週間という期間だが、できる限りの事をやりたいと考えている。農作業がなければ別段、小田原に絵を描きに行くと言うことはないはずだ。
4月は月初めの1週間と、月後半に石川展がある。松任でのうるわし展である。つまり、4月は2週間ものぼたん農園を離れることになる。今の状況で出掛けて行くのは心苦しいのだが、水彩人の石川県での絵の展覧会だから、是非とも行きたい。
年2回の自分の絵の確認である。9月の石川展と毎年どこかで開催する小品展は自分の絵にとって重要だと思っている。石垣島で絵を描いていると言うことで、絵を見る機会も極めて少ない。仲間の絵と絵を並べてみる必要がある。
今回小田原に行く期間には、大原さんの個展と、西洋美術館での重要文化財点がある。明治以降の日本の重要な絵画が並ぶらしい。まとめてみる機会は少ないから、行ってみたいと思っているが、果たして行ける時間が取れるだろうか。一日無理しても行きたいのだが。
余りに1週間は短いが、それが今のぼたん農園を離れて、出掛けられる限界である。その間水牛と田んぼの水回りを見てもらわなければならない。まだ誰かに任せられるという状況まで進んではいない。もう数年かかるだろう。申し訳ない気持ちでの小田原行きである。
体力のある間に、のぼたん農園を完成させて、もう少し小田原生活もゆっくり出来るようになれば良いと思う。のぼたん農園もトイレが出来て、集会する道路と柵が完成して、井戸も完成させる。そこまでなんとしても、進めなければならない。
そこまで進めなければ、楽観園の思想が形にならない。自給の思想である。生きると言うことに対する安心立命である。人間は一日1時間食料のために働けば良いという形である。食べるものを自給する思想の確立。日々の暮らしが自由の思想を形作る。
その結果が絵に現われてくると考えている。そのための2地域居住である。まだ冒険の途上である。なんとしても行き着くつもりだ。幸まだ動ける。身体が動けば、後は時間経過と共に片付いて行くはずだ。出来る限りを、やれるだけやってみる。それでいいのだと思う。