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今出来ること

2011-04-30 05:25:45 | 身辺雑記
今回の大災害で「善意ですよ。」行為がどうにも気に成る。すべては自分の為に行っている。だから、黙ってやるのが基本。例えば、コンビニやファミレスの被災地支援募金。いいことではあるのだろうが、どこかすっきりしない。あんたがひねくれて受け止めるから悪いんだ、と言われているような気にも成るが。もし善意でやりたいなら、目立たないようにやって欲しいと言いたくなる。選挙と重なって選挙運動なのか、災害地支援か境目の怪しげば活動もあった。掛け声はこの時とばかり大きくなる。まあ、目立たなければ動けない人とか、勲章が貰いたいからのボランティアとか。人間の怪しさが時を得たように、盛り上がる。善意を看板に人集めに奔走する。赤十字への支援金が被災者に届かない。想像したとおりである。

ボランティアが満員という報道である。必要なところに必要な人員が行かない。人手が要らない訳が無い。ボランティアごっこの人は結構です。ということなのだろう。本当の復興は仕事として行うものだ。自衛隊はそろそろ10万人体制が終わりに成る。この終わりに成るという意味も分からない。せめて不明者1万人の結論が出るまでやるのが、災害救助隊としての自衛隊の仕事だと思う。被災地の片づけだけでも、膨大な仕事量である。行政がかじ取りをして、仕事の体制を整えることだ。それが出来ないというのであれば、そこに全国の仕事のない建設業の関係の力も借りて、経済の合理性を持って復興事業を行う。多くの人が被災し、農業でも漁業でもすぐには始められない。こうした人たちを雇用する復興事業こそ重要になるだろう。政府は訳が分からない状態だから、建設業協会あたりが動き出したらどうか。

では私自身は何をすればいいか。この歳では現地での作業には足手まといである。今まで自分がやってきたことをもう一息頑張るのが基本だと考えている。隠居のしかかりの身としては、隠居を一年延ばすことにした。そうして被災地の復興までの期間をつなぐ。被災地で失われた生産力を、1年間年寄りでつないでおく。米1俵多く作る。慣れた得意分野で仕事をすることが、具体的に一番役立つはずだ。そして、今年1年の稼いだ金は、復興支援に充てる。復興国債が出たら大いに買おうではないか。20年後国債が戻せる状態の日本にしなければならない。それも政府が今のようでは怪しいが、今は政府どころではない。東北への故郷納税もやりたい。被災地の子供の育英制度が出来るようだ。これも大切だろう。出来る限りの資金援助である。出掛けるのでは足手まといになる、年寄りの役割だと思う。

若い人は現地に行き、手伝ってほしい。邪魔だと言われても現地でおろおろして居るだけでも構わない。少々の迷惑は良い。必ず自分の為である。加藤市長によると、小田原市から相馬市に対し、災害遺児の支援を市長は約束したらしい。「毎月3万円の学資を、何とか渡してあげたいとのこと、それについては報徳のご縁もあり、何とか小田原で集められるよう、小田原に戻り次第市民に声掛けをすることを回答。」市長がここまで約束されている。相馬市への故郷納税の推進。という形はとれないものだろうか。故郷納税の使用目的の明確化は可能らしい。私の分は全額相馬市への故郷納税に回そうではないか。小田原市の税金が減る訳で申し訳はないが、ここは、市長の相馬市への気持ちに答えたいが。いかがなものであろうか。
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甘酒と塩麹をつくる。

2011-04-29 04:06:12 | 自給

仕込んだ塩麹

塩麹は初めてのことだ。以前から麹は作っていたので、一度はやろうと思いながら、案外にやらないでいた。現代農業にも載っていたし、農の会の通信で「さいこんたん」の伊藤シェフが書いていた。要するに塩調味料である。醤油、味噌、塩麹と使い分けて行けばいいだろう。今回は麹もやしは京都菱六の長白菌である。これは味噌麹ではあるが、いつものものとは違う。等か作用が強いというから、甘酒向きではないかと考えて取り寄せたものである。価格が安いということもある。色は真っ白で、いつもの薄緑色の菌とは、明らかに異なるようだ。麹漬のイメージから、自然の甘味が出るということも、期待している。麹の仕込みは、一晩水に漬けた白米7キロを(今回は白米でやってみた。)4時に水から上げて、7時間もステンレスのざるで水を切ったものである。たっぷり水を吸って、水がしっかりと絞れているということが、良い蒸しのこつではないかと思う。

蒸しは基本一時間。出来る限り高温で蒸す。だからかまどで薪を思いきって焚く。蒸し不足はあっても蒸し過ぎはない。麹は蒸米が40度以下に下がったところで、混ぜる。もみ込むように力を入れて練り込むつもりで。しっかりと水切りをしたお米なら、潰れるようなことはない。ぱらぱらと硬いのだけれど、芯まで蒸されている状態。揉み込みが終わったら、新しい米袋にじかに入れてしまう。ひと塊りにして、それを毛布にくるんで、10時間ほど寝かせておく。気温にもよるが、湯たんぽなり、カイロ等で保温をする。30度より下がらなければいい。この間温度がまんべんなくなるように裏表を変えてやっても良い。10時間後には、少し発酵が始まリ全体がひと塊りに固まっている。袋を逆さにしたり、床に落として、全体を崩して又まとめて、10時間置く。今度は白い麹が全体に広がった。少ししっかりした白い塊に成っている。これを又崩して、今度は袋の中で平らに広げておく。このころには、自熱を出し始めているので、保温はいらない。毛布のカバーなどもとってもいい。温度が40度以下30度以上に成るように調整。又10時間経ったら、米袋を切り開きお米を紙全体に広げる。上に紙一枚程度かけておく。もう一度10時間経ったら、さらにお米をパラパラにして広げ直す。今度は何も書けないで置く。温度が徐々に下がってきて出来上がり。これこの10時間はあくまで目安で、6時間でもいい場合もある。又、回数をもう一回増やした方がいい場合もある。

今回の麹を利用して、甘酒を毎日飲むつもりでいる。体力気力の増強である。美味しい甘酒を作るコツがだいぶわかってきた。甘さだけでいえば、甘過ぎて飲めないほど甘くなる。麹と同量のお粥を炊く。ご飯でも別段構わない。麹と少し冷ましたお粥を混ぜて、水をひたひたに加える。60度前後に成るように。そして、タイガーの保温調理鍋に入れる。そのまま24時間経てば出来上がる。まだ甘さは控えめなので、もう一晩そのまま置けばいい。さらに甘くしたい場合は、一度冷蔵庫で冷やして、もう一度60度に上げて、もう一晩保温鍋に入れておく。これを繰り返せばどんどん甘くなる。保温鍋が無ければ、発泡スティロールの箱に入れて、そこに湯たんぽを入れておくのも良い。

塩麹は麹1キロに塩を300グラム。塩は減らしても良い。タッパーに入れて、混ぜて、ひたひたに水を加える。一日すると水を吸い込んでしまうので、又ひたひたにしておく。表面にはラップを掛けて空気に触れないようにしておく。仕込んで1週間したら使える。と言っても今の所ただしょっぱいだけの様なものである。毎日1回かき回しているが、麹が徐々にとろけて行く。糀らしい匂いが徐々に高まってくる。色は少しずつベイジュが濃くなる。部屋に普通に置いてあるだけだが、楽しみでついついかき回して様子を見てしまう。
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えひめAIと段ボールコンポスト

2011-04-28 04:31:14 | 自給


段ボールコンポストの中で、[えひめAI]を作っている。えひめあいと読む。以前一度書いたことがあると思うが、納豆菌とヨーグルト菌の微生物資材である。庭やトイレなどあれこれ使えるものだ。「えいめあい」はどこにでもある食品から、誰にでも簡単に作れるところがすばらしい。だからお金がかからない。段ボールコンポストの会の代表の笠原さんから、こんな良い本があったからというので、お借りした。農文協から出ている「別冊現代農業 えひめAIの作り方」という本である。DVDが付いていた。早速見せてもらうと実に分かりやすいものである。そもそも、えひめあいは簡単すぎるようなものだ。これを本にすると言っても、DVDにすると言っても、簡単すぎてすぐ終わってしまうだろうと思った。所が視覚化すると、情報が急速に増える。どんな温度計を使って居るかとか、どんなペットボトルかとか。

写真を見ていただくと分かるのだが、大きい1500CCと500CCとで2本作っている。小さい方が、1日で作るやり方を試している。大きい方が1週間で出来る方法である。作ってはを養鶏場に撒く。床が良くなる。段ボールコンポストに吹きかける。水を足すときはえひめAI入りにする。畑にも時々蒔いてやる。以前弱ってきた、茄子やキューリがかけているうちに復活した経験から、葉面散布が悪くないと感じている。もちろん悪くないという程度で、殺虫剤や、化学薬品のようなてきめんの効果はない。植物が少々元気になって虫を遠ざけるという感じである。元気であれば、虫も病気を撥ね退ける。

作り方であるが、「500CCペットボトルでのやり方。納豆1 粒、ヨーグルト25g、ドライイースト 2g、砂糖や三温糖など 25g、水道水 約450mlをペットボトルに入れてよく振って混ぜる。混ぜたならば段ボールコンポストに1週間埋め込んで置く。」これだけである。これだけのことの他ないのだから、良く本にしたと思った訳だ。500CC1本で庭に使うなら、1カ月使えるのだから、お金はかからないと言っても良い位だ。なにしろ、どこにでも売っている食べ物で作るのだから、特許とか、パテント料はない。土台こんな簡単なものを販売しようと言っても、誰にもすぐ出来るのだから、簡単すぎて無理だろう。そこがいい。微生物資材は、その特殊な効果を宣伝して、法外な値段で一儲けをたくらんでいるようなものが、山ほどある。誰でもどこでも作れるようなもの以外、自給生活には持ち込んではならない。外部依存は極力避けるべきだ。

良く分かるのは消臭効果。今我が家には、原発事故で避難してきた、寝たきり犬のダイ君がいる。家の中で寝たきりで犬がいるから、匂いがすごかった。それで、さっそくえひめあいをスプレーしている。鼻が慣れてしまったということもあるが、効果もある。部屋の中で段ボールコンポストをやっているのだが、これにも時々スプレーしてやる。状態も良くなる。今確認の為に匂いを嗅いだが、ほぼ無臭に近い。すごいものだ。では30度から40度の温度をどうやって段ボールの中を保つのか。これが慣れて来ると出来るのだ。明日から1週間20度で行くというのも、できる。微生物との付き合いが深くなると、おおよそのコントロールが出来るようになる。ここまで来るには、段ボールを身近で日々管理しなければ無理だろう。ところがこの微生物との付き合いが、畑の土づくり、養鶏場の床づくり、ハウスの温床づくり、ひよこの育雛と、自給生活にはとても役立つことに成る。

昨日の自給作業:キュウリ、トウモロコシ種蒔き。かぼちゃ苗を植える。2時間 累計時間:27時間
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苗代づくり

2011-04-27 04:19:41 | 稲作
舟原田んぼの稲は、セルトレー288穴220枚に播種され、苗代に置かれて10日目である。5万本の苗の計画。発芽は一通り終わり、1センチほど芽が伸びている。今までの所を整理しておくと、「3月27日がもみ洗い。」「4月3日が土振るい。」「9日が苗代作り。」「17日が種まき。」である。苗置き場はベットが5列あって、18メートルづつである。舟原の分が2列。今年の特徴は苗代が無肥料であること。生育はどうなるであろうか。ほとんど土壌の力だけでの育苗である。いつもは、苗代を作るしばらく前に、堆肥を入れておく。今年はそれを止めた。12月だったか寒い頃に200キロぐらいの堆肥を蒔いただけである。それは緑肥を育てるという考えである。マメ科の緑肥作物を十分に育てて、土に還してゆく。これを土づくりの基本としている。しかし土があまりに悪いと、緑肥すら良く育たない。そこで緑肥が育つようになるまでは、養鶏場の堆肥を繰り返しいれて行く。腐植を増やすということが重要。

ベットは代かきをしてセルトレーを置くのが普通であろう。代かきをしてしまうと慣れないものには田んぼに入っての作業が出来ない。そこでベット部分を耕すだけでセルトレーを並べる。もちろん土にもよるが、通路が硬くないと大勢の素人がやるには無理。しかし、代かきをしていないのだから、セルトレーとベットの密着が悪い。ある程度の空洞を計算に入れて、発芽率を85%ぐらいに見て置く。水管理は朝1回田んぼに水を入れて行き渡ったら止める。この場合、低いところが、どうしても水に浸かって発芽しなくなる。そこで、全体から見ると水は控えめの管理に成らざる得ない。今年は、3週にわたって種蒔きがあったのだが、この間、寒さも特にはなく、まあまあの天候である。桜がずいぶん遅れていたのだが、その後だいぶ追いついて、お茶摘みは例年通りに成りそうだ。

苗はセルトレーの底穴を根が突きぬいて、田んぼの土で生育させるという方法である。5葉期の大苗を目標にするとどうしてもこうなる。田植えの予定が、6月5日だから、7週間の育苗である。苗半作は言葉通りで良い苗を作らなければ良い田んぼは、期待できない。逆に言えば、苗さえよければ後は何とかなるということでもある。苗は肥料で育てたくはない。良い土壌があり、根が十分に展開する。温度も高くはなく、自然の状態で生育する。寒暖の差もあった方がいいが。5度以下に成るような寒さは避けたい。がっしり太めの苗がいい。徒長したような柔らかな苗は感心しない。水は初期は特にすくなめに与え、濡れていればいいぐらいにする。だんだんに田んぼの土自体が、水分の保持を吸うようになるので、水分は後半に成るに従って増やす。考え方としては、氾濫原に水が増えて来るイメージ。

ベットが水平を保たれていることが重要であるが。それ以上に密着させることが大切。置いたならば、板をあてがい、上から体重を掛けて押し込む。セルトレーを置いたらば、ラブシートを掛ける。パオパオの場合は、芽が布に食い込む場合があるので、浮かせて置かなければならない。昨年のように凍りつくような日がある場合は、穴あきのビニールトンネルを掛けておいた方がいい。温度を高くすると、生育は良くなるが、徒長のきらいもあるので注意。話は戻るが、もみ洗いから、3週間浸種するのは、一斉に発芽させるためである。14度以下の水ならば、3週間たっても鳩胸状態にならない。もし途中で膨らんできたら、そこで水から上げて、冷蔵庫に入れて保存しておく。直播を苗代の一部で実験をしている。草との関係がどうなるか。

昨日の自給作業:麹と塩麹。えひめA1作り、にら苗づくり、2時間 累計時間:25時間
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一枚の繪

2011-04-26 04:48:50 | 水彩画


震災の後、一枚の繪の会場で描いた絵です。
震災のためのチャリティーに成っています。
この絵の黄色い花は菜の花です。私の所で咲いた花を持っていって描いたものです。
鎮魂の思いで描いたものです。
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東電支援策の怪

2011-04-26 03:27:06 | Peace Cafe
東電に対し、国が支援するという方針らしい。とんでもないことだ。東電はすべての資産を売り払い、役員の給与は返納して、被害者救済に充てなければならない。すべての施設は、別会社に売り渡せばいい。それはひとまず国であっても良い。新しい会社が電力を供給すれば、安定供給は可能なはずだ。どこの企業だって、こんな優遇された、絶対に儲かる仕組みの会社を買わない訳がない。ともかくその前に、吐き出せるだけの持ち物すべてを、救済に充てることが大前提である。これほどの大惨事を招いた、東電は当然の責任を果たさなければならない。責任をきちっと取らせなければ、他の電力会社も、安全対策の手抜きをする。今の今でも、非常用電源車が10メートルの高さにある原発がある。その解答がなんと「政府の想定が変われば高いところに移動します。」とのことだ。無駄金は使わないことに徹底している。原発は安い発電が魅力。安物買いの銭失いに東電をしなければならない。

早速政府が東電支援を打ち出している姿は、癒着が現われている姿。原発の利権構造が想像される。天下りの役員の方々は、どう責任を取る気なのか。恥ずるところはないのか。原発の安全基準を作った学者の方々は、どのように責任を取るつもりか。科学者としての誇りはないのか。原発の危険性に対する、安全という間違った司法判断をした、裁判官の方々は責任を取るつもりはないか。原発安全神話を作り上げてしまった報道関係の方々は、人間として痛みを感じていないのか。特に、今でも原発を推進しようという政府の関係者は、政治家として申し訳ない気持ちはないのか。恥ずるどころか、早速の国の支援策の提案である。その前にとことん吐き出させる努力だ。それは、東電を廃業させ次の会社が引き継ぐことだ。

電力は利益が必ず出るように価格設定をされている。このままでは原発の事故の後始末も、電気代で行うことになる。原子力環境整備促進・資金管理センターに積み立てが3兆円ある。これをまず使うべきだろう。もう再処理どころでない、原発は止めだ。マスコミはどうしたのだ。相変わらず無批判に政府の情報操作に乗っていていいのか。このまま批判精神を失っていていいのか。報道の批判精神の欠如が、原発事故につながったという、反省はどこにもないのか。不都合な真実に目をつぶる報道。報道に優秀な人材がいるのを知っていうだけに、何故、こうなるのかが分からない。東電の支援を丸で、被害者救済のようにすり替えている。東電にはとことん、責任を取らす。東電を維持しながら、電力政策を考えるなどもってのほかだ。

小金持ちになった、日本人は貧しさというものに、恐怖を抱いている。貧しいということはそれほどまずいことではない。農の会に来る人たちの幸せ感は、他に代え難いものがある。何が幸せなのかを確認できる関係。ただ、田んぼの草取りをする。受け止め方でこれが幸せになる。高級なレストランのフランス料理を食べるより、一品持ち寄りの御馳走の方がどれほど豊かであるか。高価なお酒より、手づくりの酸っぱいどぶろくの方が、味わいが深い。もう気づいていいはずだ。日本が躍起となっている競争の果てに待っているものは、人間性の喪失である。どれだけものに囲まれたとしても、しあわせはない。幸せは自分というものが、感じて、行動して、生み出して、達成する所にある。いまなら何とか、間に会う。一人が始めれば変わる。具体的には、段ボールコンポストを始めてみることである。人間が生きているということがどういうことか分かるはずだ。原発が要らないということが生活を持ってわかるはずだ。
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小田原市議会選の結果

2011-04-25 05:24:18 | Peace Cafe
不思議であるが、やはり市民は見ているところは見ているという結果である。現職19人、新人9人が当選。現職では檜山智子氏が落選。新人が多くなり、世代交代が進んだ。民主党の新人も落選。現職唯一の民主党の俵孝太郎氏も得票数を減らしている。女性は6人になった。アンケートに答えない新人議員のなかでは、2名当選した。神奈川ネットを離脱して、3選目を目指した檜山氏の落選の現実は、少々薬が効きすぎた。市民運動と市会議員の関係を分析しなくてはならない。私は檜山さんの3選を目指す行動を批判して、今まで共同することが多かった、ネットとの関係を断った。選挙が終わるまで、そのことは他に発言は一言もしなかった。檜山氏と共に行動したことがある。ピースカフェあしがらは一緒に運動した。前回は後援会長までやった佐々木さんと発言しない約束したからである。佐々木さんは今回当選した。正確に覚えてはいないがだいぶ票は減らしているのではないか。

市民運動から出る議員は2期までとした、神奈川ネットワーク運動の考え方は、正しい。市民運動は交代して行かなければならない。当然のことだが、議員を出す前提としての、市民運動があるはずなのだ。その市民運動を地域社会の中で定着発展させるために、議員を出してゆく。議員を出すほどの市民運動が地域社会に存在するのであれば、その運動を担う人たちは、交代して行かなければならない。農の会では代表は2年交代で運営されている。それが出来なくなれば、終わりに成るのが市民運動である。ところが、議員というものには魔力がある。一旦その地位を確保すると、交代を拒否したくなる心理が働く。分からないでもない。2期の間に継続的にやってきた仕事を、断絶したくない。運動の見え始めた可能性を、何とか盛り上げなくてはならない。つないでゆきたい。それには、もう一期やりたい。こう思うかもしれない。

檜山氏は神奈川ネットの共同代表であった。ネット離脱時に問題点を繰り返し主張していた。神奈川ネットの改革にどれだけ努力したのだろうか。2期の間に小田原の市民運動をどれだけ育てることが出来ただろうか。その結果は、今回の落選に現われている。そう考えるしかない。ネット離脱は、次の選挙に出るためとしか見えなかった。もし新しい政治グループが必要と考えるなら、次の選挙に出るべきでないと申し上げた。その時の解答が、今は出るかどうか分からない。それはごまかしの発言にしか聞こえなかった。そのとおりに、新しい政治グループはさしたる政治活動もないまま、檜山氏は3選目に出馬した。それでも、落選とは関係なく政治グループはまだあるのだから、政治活動をしたかったのであれば、これからその活動の下支えをしたらいいのではないだろうか。

民主党新人の落選も今回の選挙の、厳正な結果に見える。民主党を支持した檜山氏の政治行動も同じではないか。民主党への失望感が市民の中に渦巻いている。もしこの地域の衆議院議員の神山氏がこの状況を、認識するのであれば今こそ、大震災に対する、自らの対応の政策を打ち出し、広く市民に伝えてほしいものである。佐々木さんは今季限りの議員活動という前提で活動してもらいたい。もしそう宣言したうえで政治活動を行うのであれば、協力もできる。そして次の議員を育てることである。もしそうした姿勢が表れるのであれば、政治活動が広がって行く。あの議員の行動は、選挙目当てだと見られている限り、肝心の政治活動に本気で加わる市民が現れにくい。最後に当選した新人の中で、井上まさひこ氏の媚びない姿勢、政策で挑んだ姿勢。この点を評価し今後の活動に注目したい。

昨日の自給作業:麹作り4時間 累計時間:23時間
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放射能差別

2011-04-24 04:18:15 | Peace Cafe
つくば市では、福島県からの原発被災転入者に対し、放射能のスクリーニング検査の記録の提出を要求していた。放射能差別を行政が行った事件。無神経と、それを支え評価する市民意識の存在。市長は放射能チェックを当然のことととして、その必要性を主張していた。他者の痛みを感ずる感受性の欠落である。一期一会というではないか。みんなでオロオロしようではないか。福島県民の宿泊を拒否したホテル。神奈川県の老人介護施設での、福島県からの入所者にの放射能検査記録がないことでの、入所拒否。小学校での福島からの転入児童に対して、放射能が移るという心ないいじめ。自らの安全にだけに執着する醜い日本人。科学的データーの要求だから問題はない。こういう配慮のない姿勢が悲しい。非常時にこそ、その人間の本質が表れるものである。川崎市ではごみの焼却で、市民から被災地からのごみ受け入れに対する反対が起きている。原発事故以上に悲しい。

不安を増幅している人は決して収まらない。ああでもない、こうでもないと、不安要素をきりなくあげる。そして結論として、100万分の1がわが身のことに成る。まさに杞憂ではないか。いつ何時セアカゴケグモに刺されて死ぬかもしれない。不安の増幅。むしろ、そうしてくよくよ思い悩み、嘆いていれば免疫力が低下して、がんのリスクがますます増大するだろう。それはもう、10万分の1くらいに成っているかもしれない。現実を受け入れる。朝起きたら生きている幸運を感ずるぐらいでいい。前向きに対応することだ。放射能が厭だから、飛行機に乗らない。CTスキャンは受けない。それも選択である。こうした不安が広がった背景には、海外の不自然な対応がある。韓国では、小学校が雨の日に休校になった。現時点でも日本への渡航注意を続けている国もある。そういう事実から、日本政府は深刻な何かを隠しているに違いないということに成る。政府が信頼されない、報道が信頼されないから、様々な憶測が広がる。

人間は必ず死ぬ存在である。常にリスクの中に生かされて居るにすぎない。リスクの覚悟がない現代人。100万分の1のリスクと、100分の1のリスクの判別がつかなくなる。日本人が本当のところを生きていなかった、というか死ぬことに気づかなかったあらわれである。江藤淳氏は「ごっこ社会」と名付けたそうだ。最近で言えばバーチャル空間の中に生きている人間。日本人はさんざん行われた原子力爆弾の汚染に随分長い期間さらされた。まちがいなく。今回の福島事故より、小田原でいえば放射能を多量に浴びていたと思われる。通常値の1000倍と言われている。1950年前後が特にひどい。米ソの核軍拡メガトン競争という、とんでもない時代があった。データーのようなものは全くなかった。当然、マーシャル群島は住めなくなった。ソビエトには全滅した村もある。日本での発がん率の中で、水爆実験の放射能汚染を主張する人がいない訳ではない。それでも、日本人の寿命は世界一である。

今回でも、海の汚染はすぐにコウナゴ汚染に現われた。生体濃縮などありえないなどいう学者が出て来るので、いよいよ疑心暗鬼で不安が増幅する。今回の事故は土壌より、海水汚染であろう。ビキニマグロは何だったのか思い起こす。原子炉には水をどんどんかけた。放射能は大気中より海に流れ出ている。土壌汚染は思ったほど広がっていない。土壌から作物に放射能が移行するような地域は、いまのところ極めて限定的である。作物は放射能を根から吸収する量は少ないとされている。だから植物は動物よりはるかに長く、地球に生き残ってきたのだろう。ヒマワリは吸収するといわれているが。ヒマワリの回収システムのようなものを作る必要があるだろう。それでも相当長い期間が必要になる。地域によっては表土を取り去った方が早い。いずれにしても雨で海に流れ出す量が一番多いはずである。海の継続的なデーターを細かく取る必要がある。
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原発家畜餓死

2011-04-23 04:11:40 | Peace Cafe
福島第一原子力発電所の事故で、避難指示区域(原発の20キロ圏内)に牛約3000頭、豚約3万匹、鶏約60万羽が取り残されている。避難から1カ月が経過した。多くの家畜が餓死しているだろうと想像される。養鶏を行うものとして、なんとも耐え難いことである。ペットの救出は続けられているが、家畜は完全に見捨てられてしまった。どんなことが起きているか、想像力を働かせて欲しい。管総理が視察するなら、放棄された家畜舎の壮絶な状態を見て欲しい。こんな悲惨は2度とみたくない。あってはならない。東京電力及び、政府の原子力推進の方針が間違って居た結果である。原子力事故は他の災害とは本質から異なる。今何が起きているのか、直視して欲しい。福島から来た犬がすぐ脇で、苦しんでいる。この犬は飼い主と離れ離れになり、不安の中苦しまなくてはならない。現地では繋がれたまま餓死している犬もいるという、群れに成って野犬化している犬もいるという。

この人の入れない地域で、群れている犬の状況を考えると地獄である。すべては原発地獄である。ここまで来ても、原発依存政策を変えられない日本政府、経団連、東電、そして、原発を必要と考えるかなりの数の日本人。何を守ろうとしているのか。自己本位の経済にちがいない。家畜を経済動物と呼んで、使い捨てにする。家畜を家族として考え、共に暮らして来た昔の人々の生き方の方が、はるかに優れている。人間は自らの快適さの為に生き物の命の尊厳すら犠牲にしてしまう。現代の人間の暮しは、法というものから外れている。口蹄疫、鳥インフルエンザ、原発事故。すべて同根である。近代文明の限界が見えてきたのではないだろうか。今回の原発の事故で分かるように、一度事故が起きたら、人類は終了するかもしれないリスクが原発にはある。このまま原発政策が進めば、こんな事故が毎年どこかで起きることになるだろう。ある程度は仕方がないとか、必要悪だろうとかとは、原発の性格は違う次元の方法だ。

「車だって事故を起こすだろう。お前だって電気を使っているだろう。」こういう論理が散見される。原発は安上がりだから、利用したに過ぎない。原発は安全を正面から考えれば、高価な発電法だったのだ。使用済み燃料棒というものが行き場がなく、原子炉内に山済みにされていた。広くは知られていない想定外の事である。どこかに捨てられるはずだったが、行き場がない。使用済みの死の灰の行き場は高くつく。お金を付けても貰い手はいなかった。川内村に戻った養鶏をされている人は、放射線の測定器を持ちながらの暮らしだそうだ。家畜が可哀そうだからと言って、行くも地獄、戻るも地獄。この事態を想像できずに、動物愛護協会に任せておけばと、想像力の欠如。すべてが他人事の現代社会。今回の事故は、事故ではなく犯罪に思えてきた。東電と国を検察は告訴すべきではないだろうか。金に目がくらみ、危険を知りながら原発を利用し、地域住民に対し多大な被害を与えた罪。

牛が畔の草を食べている映像が出ていた。小屋から出られた牛だけでも、あのままにして置いて欲しい。案外のんびり草を食んでいた。車に対しても、人に対しても無関心のようである。これから暖かくなり、草の生育も早い。充分生きて行けるはずだ。そして牛の様子を観察しようではないか。指標動物ということにしたらいい。戻どれる日が来るのか、来ないのか。牛がどうなるのか。20キロ圏内というのだから、広い。6か月から9カ月したら、戻れるというのが政府の考えのようだ。放射能の影響調査を、牛を材料に調べたらいい。今回の原発事故を契機にして、日本の方角を変えることができれば、まだ間に合う。大切なものは、お金だけではないということだ。人間が生きる意味。どんな暮らしが、生きることを深く知ることが出来るか。物欲を捨て去ることは出来ないが、せめて流されない暮らしをしたい。
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原発避難のダイ君

2011-04-22 04:30:32 | Peace Cafe


僕はダイ君という。福島の原発のそばから、やっと救出されてきた犬である。雄の12歳になったげんきな、あの時までは元気だった犬だ。なにしろ家族が突然いなくなり、1カ月である。おいてけぼりである。悲しかった。寂しさですっかり身体を壊してしまった。1ヶ月間何とか水だけはあったでしのいだが、食べ物はなんにもない。いま生きているのが不思議なくらいである。大きな地震があり、お母さんとお兄さんと丁度、家の中に居た時だった。突然揺れ出したかと思ったら、テレビやら、当たりのものが飛びあがって、自由に飛んできた。すんでの所でテレビが来る。身をかわしてみんなでうずくまって震えていた。やっと収まったが、何とか家は潰れていなかった。やっとこさ家から這って出たが、余震が来るぞというので、家には入れない。何が起きたか、皆目分からない。その日はおろおろしているうちに暮れてしまった。家に入るのも怖いので、みんなで車の中で寝た。ダイ君としてはみんなと一緒で、少し安心した。

翌朝に成ると、ともかく公民館に集まってくれということだ。ダイ君は壊れかけた家にも入れないし、その時は外に繋がれていた。公民館ではみんな集まって来て。ああ無事でよかったと、お互いほっとしていると。突然、避難するからバスに乗ってくれということになってしまった。ともかく、ここでは暮らせないから、安全なところに、行こうということらしい。しかし、家にはダイ君がいる。車に乗せてもらって一緒に行こうというが。ダイ君には何が何やらわからない。ただでさえ目が回るようなのに、この上どこか分からない所に連れて行かれるのだけは厭だ。大いに暴れてやった。後に思えばあれがいけなかった。急げ急げと大騒ぎである。ダイ君はすぐ待ってろ、迎えに来るからと、みんなが言うので。その時は車に乗せてどこかに捨てられてしまうのかと思ったので、少し安心した。

ところがこれが間違いだった。一晩が経ち、二晩が経ち。寂しかった。だあれも来ない。何があったのかもわからない。お腹は減ってくるし、食いしん坊のダイ君としては、我慢ならなかった。あたりにある食べられそうなものは何でも食べた。草も食べた。虫も食べた。木もかじった。でもその頃は誰か来てくれるとまだ思っていた。でも来ない。お兄さんも、お母さんもダイ君のことが気が気ではないが迎えに行けない。何と原発が爆発してしまったのだ。もう原発だから、近づくこともできなくなってしまった。ダイ君としては死を覚悟した。すっかり諦めて、静かに寝ていた。頭も朦朧としてきたし。首を時おりもたげると、空だけは青かった。これも仕方がないかと思っていた。その時、突然、ダイ君、ダイ君と呼びかける声がする。うとうとと目を覚ますが。後はわからない。車に乗って、ヘトヘトになって避難所にまで連れて行かれる。少し鶏肉を食べたがどうも喉を通らない。お兄さんと、お母さんに会えた。それだけでも良かった。

そこには居てはいけないというので、長いことまた車に乗せられた。それからもう食べ物は喉に通らないから、点滴をしてもらっている。そうして小田原の舟原というところまでたどり着いた。大きな犬が居てだいぶ吠えられたが、何とか静かに寝ている。もう立ち上がることもできなくなってしまったが。トイレの時だけは、何としても外まで行く。昨日はもう会えないかと思っていたお兄さんとお母さんが、突然来てくれた。避難所から来るのも大変だっただろう。僕がもう立てないので、きっとがっかりしただろう。それでも少しだけ餌を食べさしてもらった。食べたくはないのだけど、我慢して食べた。「又来るから、又来るから」と言って帰って行った。避難所では、犬は駄目なのだそうだ。それにしても悪いのは、原発だ。もう生まれ変わったとしても、二度と原発のそばでは暮らしたくない。少し、目がかすんで来たな。もう一度福島の青い空が見たかったなぁー。
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米粉を挽く

2011-04-21 04:16:43 | 自給

写真は美しい久野里地里山協議会のものを転載させてもらいました。

美しい久野里地里山協議会で、製粉機を購入した。米粉を挽きたい、と以前から考えていたのだが。良い方法が無く行き詰まっていた。里地里山協議会が蕎麦づくりをするというので、製粉機の購入を行うことになった。協議会では県で行う蕎麦づくり活動に、2年間協力している。蕎麦の種まきに始まり、蕎麦打ちまでの活動である。横浜川崎の方から、大勢の親子連れが楽しみにしてやってくる。その活動を行う中で、製粉機があればということになっていた。久津間製粉という蕎麦の大きな製粉工場が久野にはあるのだが、大きすぎて少量の蕎麦を挽いてもらうことが出来ない。そんなこんなもあって、県の補助金が購入金額の半額以下ならもらえることになった。あれこれ検討して、立派な機械を購入した。それで、費用の一部は利用する各団体も拠出することに成り、農の会も2万円を拠出した。

一度長野の会社から説明に来てくれたのだが、まだ十分理解ができなかった。一度、どなたかが使う時に見せてもらえないかお願いした。しばらくは使う人が無いということだったが。米粉を挽くなら指導してあげるということになった。16日が会のつつじ畑の草取りなので、その日の午後に行うということになった。玄米10キロと白米10キロを用意したのだが、玄米で上手く挽くことができればそれで目的が達成できる。これが意外と簡単に出来てしまった。さすが機械である。これなら麦もできる。醤油の時麦を砕くのも簡単に出来るのかもしれない。なかなか力のある機械だ。粉は3段階の大きさに振るわれる。この振るう網が目の大きさで入れ替えが出来て15,000円もする。最初に一番粉が真っ白に出てきた。2番粉は小さな粒粒。3番粉は粟を少し小さくした位に砕けてきた。

作業を繰り返してゆき、1時間30分ほどで、10キロが出来た。あらい粒はおせんべいにいいのではないか、というので差し上げた。細かい粉でパンを作ってもらうのが、主目的である。大礒のAさんにお願いした。我が家では、早速お好み焼きを食べた。これが美味しい。これなら本格的に行けるというものだ。今度うどんも作ってみるつもりだ。利用価値は高い。米粉を挽くのに、一度洗ってから乾かす。と皆さん言われる。汚いということなのだろうか。他にも意味があるのだろうか。小麦粉がそんなことをしていないのだから、お米でもそのまま挽いて何か問題があるとも思えない。

粉食文化がいいものかどうか。疑問もある。しかし、お米の利用を広げ、田んぼを維持して行くということはとても重要である。田んぼが無くなった時に、日本は日本で無くなる。米粉ではお好み焼きを作った。これが美味しい。小麦で作るとはまた別の味わいがある。もっちりする訳でもない。膨らまないとかいう訳でもない。米粉料理は小麦で出来るものはすべて可能と言っていい。その他やってみたのが、水餃子。粉に片栗粉を少し加えて、湯漬をしながら粉を練ってみた。この次はうどんとかピザとかパスタをやってみたい。確かにせんべいも良いだろう。お米の利用法が広がればと思う。
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日本が今やらなければならないこと

2011-04-20 04:03:32 | Peace Cafe
今起きていることを天命としなければならない。これほどの自然災害を受けたことを肝に銘じ、明日から新しい命が始まると考える。抜本的な日本の改革のスタートにする。全く素人考えである。本来なら、政府が考えるべきことだと思うが、素人が思いつくようなレベルですら、1ヶ月たった今でも、国からは出てこない。このままでは手遅れに成る。宇沢弘文東大名誉教授は社会的共通資産として「第一は山、森、川、海、水、土、大気などの自然環境で、国、地域の人たちが聖なるものとして大事に守り、次代につたえつづけてきたもの。第二に、道、橋、鉄道、港、上下水道、電力、ガス、郵便、通信などのインフラ、そして第三に、教育、医療、金融、司法、行政、出版・ジャーナリズム、文化などの制度資本。それらが有効に機能することで、一人ひとりの人間的尊厳が保たれ、魂の自立を守り、市民的権利を全ての人が最大限に享受することができる。と書かれている。

1、大都市機能を分散する。東京の一極集中を早急に解消。芸術文化センター的機能の文化センターを東北各地に配置する。国立劇場、国立美術館、国立図書館、国立博物館、国立映画ライブラリー。大学研究機関を出来る限り東北に移し、産学協同から離れた、純粋学問の為の地域を作る。移し得る文化的機能は、出来る限り東北地方に持ってゆく。文化の東北にがはぐくまれるように、大きなうねりを起こす。

2、政治的機能、司法的機能についても東北に分散させて移動する。東京に無ければならないという先入観を捨て、可能な限リの中央機能を東北に移す。経済商業は関西に移動する。企業の本社機能は必ず分散させる。東京には存在しにくいような高額な特別税を付加する。一方指定する都市には、税金的な優遇処置を行い、日本のどこに暮らしていても、大きな違いはない状況に、国の機能を分散させる。医療、教育機関などは全国均等に配置する。

3、電力について言えば、早急に原子力から、再生可能エネルギーへとの転換を図る。エネルギーの地域分散型の自給国家を目指す。5万人都市レベルのエコタウモデル都市構想をたて、20ぐらい東北各地に配置する。エコタウンを被災者受け入れの新しい町とする。エネルギーの自給をコンセプトに新しいライフスタイルを提案する。

4、自衛隊を国際災害復興支援隊に改編する。自衛隊が無ければどうなったかと思うほどの、有難い活躍である。この力を全世界の為に生かしてゆく。アメリカ軍18,000人の支援が普段アメリカに文句ばかり言っている私のような人間も、あの姿を見ると涙が湧いてくるほどありがたかった。温暖化の地球の様子では、自然災害が繰り返されてゆくに違いない。今回世界からいただいた支援へのお礼の思いをこめて、日本人全体で、お返しをして行かなくてはならない。

5、海岸線の都市は順次内陸部に都市機能の移動をしてゆく。新しい公共施設を海岸付近に建造することは禁止する。津波の及ぶ地域での、一定の基準を置けた建築物以外の建造禁止。道路や鉄道なども海岸線から極力撤去する。特に製油場や、ガスタンクなどの配置は、徹底した安全思想に基づき建設許可性にする。

6、農業分野でいえば、出来る限りの農地の国有化を行う。国というものが信頼できないものであるなら、農地保有機構のようなものを作る。公共性のある組織が、農地集積を行い、耕作するものに対して、提供する。東北の海岸地帯は住居地区ではなく、大規模農業地域として再生する。高台の住居は置き。出作りを行うことにする。大規模農地の集積が困難であった問題をこの機会に解決する。

思いついたまま書いたが、やはり素人ではだめだ。残念ながら発想が我ながら貧困。是非とも専門家が、魅力あるプランをどんどん提案してもらいたい。
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福島から来た犬

2011-04-19 04:36:18 | Peace Cafe

福島のWさんのダイ君が我が家に来た。残念ながら健康状態はあまり芳しくない。すでに体調が悪かったところに、大震災と原子力事故である。飼い主とも別れなければならなかった。ほとんど餌を食べない状態である。点滴を受けてかろうじて命をつないできた。こうした状態で大勢の犬が保護されている中に居ることは、可哀そう過ぎる。暖かい家族的な環境で見届けてあげたい。ということで、タッズさんから預かってもらえないかと連絡があった。雷田のお父さんから頼まれたのでは、何としても引き受けたい。昨日寒川まで預かりに行ってきた。丁度散歩の時間で、みんな喜び勇んでいる。犬はなぜああも歩きまわることが好きなのだろう。まるで仕事の手順のように散歩が決まっている。順番が待ちきれないのか、大騒ぎである。ダイ君は騒ぎのなかそっぽを向いて寝ていた。

もうほとんど歩けない状態のようだ。ベットに抱えて寝かしても、動こうともしない。目だけが生き生きと澄みきった犬だ。車の中でも、うんともすんとも言わず寝ているだけだった。車が家に着くと、自分から降りようとしたが、とても降りることは出来ない。抱えて下ろそうとすると、噛んでくる。怖いのだろう。降ろすと、よろよろっと立っておしっこをした。かなりの量をした。歩いて部屋まで行けないかと試したが、すぐにしゃがんでしまった。抱きかかえて寝る場所まで連れて行ったが、相当に大義そうである。水を与えると、何とか飲む。この調子で餌を食べないかと口まで持ってゆくが、顔をそむけてしまう。どうも体のあちこちが痛いようで、その為に、触わられるのを嫌がっているようだ。持ちあげ方で、痛がって泣く。それ以外で鳴くことはない。猫達が一通り見に来たが、反応はない。この状態では我が家の犬達には、会わせられない。

寒いといけないというので、湯たんぽを作ってやったら、しばらくしたら、寝返りをして湯たんぽににじり寄った。すぐにまた湯たんぽから離れた。この後かなり深い眠りに入った。余りに静かなので大丈夫か心配になった程である。疲れたのだろう。朝4時に行ってみると、寝床から出て、部屋の隅に寝ていた。それでも人がいない間に立ちあがり、部屋の隅まで移動したのだから、全く動けない訳ではないようだ。ベットに移そうとすると、痛いのか、怖いのか、また噛もうとする。そのままベットにつれて行き、水を飲ませると水は少し飲んだ。糞を少しと、尿と、血尿がある。今はまた静かに寝ている状態である。7時ごろになったら、点滴をやってやろうかと思う。

飼い主のWさんからは、夕方すぐに電話があった。随分若い人のようだ。ダイ君のことが心配そうである。Wさんは避難所に居るそうだ。不安な気持ちが電話からも伝わってきて、言葉の掛けようがない。ダイ君が元気だとも言えないので、とても困った。一緒に暮らせないことを悲しんでいた。一週間の間には何とか見に行くからと言われていた。こういう時こそ、どれだけか犬と一緒に居たいものか、良く分かる。犬もそうだろう。犬はすごいもので、この状況でも受け入れる力がある。自分の中ですべてを飲み込もうとしている。犬に原発の責任はまるでないが、犬は文句も言わず耐えてしまう。我が家に来た以上、出来る限り好きにさせてやるから。少し文句を言っても良いんだぞ。と思うがダイ君は黙って今も寝ている。
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10年、20年住めない。

2011-04-18 04:29:42 | Peace Cafe
管首相が10年、20年住めないと発言したというので、福島の地域住民から一斉の反感を買った。あれは自分の発言ではないとさっそく否定した。原発事故処理の政府の不手際が指摘されているが、よくこの程度で抑え込んでいると思う。原発は危険な厄介なものなのだ。放射能汚染地域に10年、20年住むべきでない。という判断は止む負えないことだと思う。故郷を捨てざる得ない人たちが、絶望的な気持ちに成る。どれほどかつらいかも、分かりたい。それでも、受け入れたほうがいい。その上で、同時に管氏が発言したという、エコタウンの未来構想を住民たちが、自らの展望として、具体化して行くことではないだろう。地域住民の故郷を捨てがたい思いが、どのようなことに成るのか心配である。福島県知事をはじめ、当事者の長である町長は、政治家としての正しい判断が必要。すでに起きてしまった取り返しのつかないことを嘆き、管氏の心ない態度を嘆くより、どのように住民の未来の展望を開くかではないか。

管氏が震災以来初めて、具体的な発言をしたと思いきや、一斉に反発を食らった。なるほど政治は難しいものだ。ここは辛抱ではないか。飯館村村長は、何故あれほど怒ってしまったのだろう。福島の内陸部は日本で最も美しい村が点在する。都会とは違う論理の中で、村の将来が見え始めた時だった。私が移住先を探したころには、既に都会から福島に移住した人たちの噂は聞いてきた。しかし、寒いところは駄目だと考えていたので、選べなかった。飯館村の人たちは、自分たちの故郷以上に美しい村を見たことがないだろう。そこにもう住めないと言われたら、耐えられない気持ちになることは想像できる。福島で起きたことは、足尾鉱毒事件と同じことである。国策と称する利権によって住民が騙された事件だ。避難区域に暮らす人たちが、どれだけ怒っても当然のことである。

東京に暮らす人には、分かりにくい感覚だと思う。落ちているビニール袋一枚拾う時に故郷を思う心がある。そんな気持ちは新宿を歩いているときには起きない。故郷は育てているものだ。日々の暮らしをしながら、故郷を育てている。誰のものでもない自分のものとして育てている。諦めきれない思いがあることを分かるとは言えないので、分かりたい。それでも、どうしようもないことは受け入れて早く次のことを考えるときではないだろうか。少なくとも、選択肢は広い方がいい。政府行政は条件を整備して、新しく村づくりを行いたいという人たちに、提示する必要がある。管氏の性格だから次はないだろうから、管氏には降りてもらい、新しい人たちで新しい出発を行うべきなのだろう。2007年11月。福島県飯舘村の菅野典雄村長は、「日本は世界一安全な国だったが、いまは世界一危ない国に近づいている。効率一辺倒で走ってきた後遺症だ」。村で開かれたイベントで、こうあいさつしているそうだ。

放射能の情報の自己判断は難しい。アメリカの考えでは現在も80キロ圏内立ち入り禁止ということらしい。ヨーロッパでもかなり厳しい展望が流布さえているようだ。しかし、すでに東京がモスクワより放射能レベルが低いというデーターも出ている。放射能の危険領域は、狭く限定されていると考えた方がいい。一般地域では必要以上に恐れる必要はない。しかし特定危険領域では暮らさない方がいいのも現実である。アレクセイの泉ではないが、その覚悟を決めて暮らしたい者は暮らす。という選択肢もあるだろう。正しいなどということはどこにもない。私の中では東京に暮らす方がリスクが高いと思っている。東京に出かけるときは、何があるかといつも緊張している。つまりリスクのない暮らしはどこに居てもないとおもう。

昨日の自給作業:稲種まき7時間 累計時間:15時間
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組長をかたぎに変えた犬

2011-04-17 04:32:40 | 
 雷田 ドンちゃん

湘南タッズでは、10名くらいの人が、東北から来た犬の世話で一生懸命働いていた。若い女性ばかりである。「組長を堅気に変えた犬」㈱角川学芸出版 1,360円タッズの物語。犬は人間を変える。犬から学んだことの方が多い位である。確かに言葉に出来るようなことを、犬は教えてくれている訳ではない。しかし、犬は人間と暮らしながら、大きな自然の摂理のようなものを、自らの身体を持って教えてくれる。犬という動物が持つ、仲間意識や、生き抜く本能や、我慢強さ。言葉にすればそう言うことなのだが、彼等は自分の在り方に自然界の掟のようなものを、直の命で伝えている。「絆」がテーマとなっている。プロ野球がどれだけのものを我々に教えてくれるだろうとも、一匹の犬が示す、命がけの愛情にまさる絆は示せない。反抗的少年のだった私に対し、無言で伝えてくれたものの大きさは、今も忘れることは出来ない。彼等は「そう言うなよ。」といつも私の顔を見ていた。少年よ犬を飼え。

タッズさんとの出会いは、雷田である。子供のころブルドックを飼っていたが、その病弱なことで、つらい思いをした。しかし、その品格ある性格から多くのものを得た。又ブルドックを飼いたい。こう思っていた。しかし、「弱いからな―。」たまたま、ブルドックとブルテリアを交配した人が和歌山の方におられた。それで分けていただいたのが、「ドンちゃん」である。どんちゃん騒ぎのドンちゃんである。犬は1頭で飼うのはかわいそうだといつも考えていたので、その相棒を探した。そうして出会った犬が、ピットブルである。にんそうはまるでドンちゃんと変わらない。しかし、この犬凶暴に着き、要注意ということだ。しかし、どうも意見が分かれている。その中でグロリータッズ犬舎を知る。家庭犬のピットブルである。これだとひらめくものがあった。闘犬が戦うのは飼い主を助けようとする愛情であり、忠誠心である。

早速タッズさんに連絡したが、なかなか譲ってもらえなかった。ちゃんと飼ってくれる人以外には売れないというのだ。不思議なブリーダーがいるものである。話しているうちに、はっきりと断られてしまった。そうなるとまるで犬を飼う資格がない言われたようで腹が立つ。タッズさんよりも私の方が犬のことは知っている。犬とともに育ったのだ。しばらくして、やっとこさ信用してもらい、雷田を迎えることが出来た。想像通りピットブルという犬種の特徴は愛情の深さである。頭の良さもラブラドルに劣らない。この犬種は人類が作り出した最高の犬種かもしれない。ブルドックがブルバイティングから出来た犬でありながら、素晴らしい家庭県に成ったように、ピットブルは遠からず家庭犬種として最高と言われる時代が来ると思う。ところがこの犬は不幸なことに、飼育禁止の国もある。

闘犬などやる人間が悪い。犬には少しの責任もない。この素晴らしい犬種を何とか認めさせたいと、やくざな組長が思い立つ。そして、いつの間にかやくざが堅気になり、ドックシェルターを必死に引っ張っている。犬にはそうした力がある。タッズ父さんは能力が極めて高い。実行力は人並み外れている。信頼度も厚い。経営能力もある。こういう人がドックシェルターにはまったらどうなるか。素晴らしい事ではあるが、大変なことが起きている。それを天国のタッズとの約束だと、ひたすら突き進んでいる。今回の東北での大震災では、もう1カ月も仮眠生活を続けながら、奮闘している。出来るかぎりの支援を続けたい。この本の売り上げも、支援につながるので是非ともハンカチを用意して読んで欲しい。
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