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第192 水彩画 日曜展示

2023-12-31 04:10:09 | 水彩画
 第192 水彩画 日曜展示







350「蔵王登山口」
2023.12 6号






351「クバ」
2023.12 6号







352「岩礁」
2023.12 6号








353「庭の眺め」
2023.12 8号







354「港」
2023.12 6号








355「灯台」
2023.12 ハガキサイズ







356「サクラ」
2023.12 3号







357「グスクの裏」
2023.12 6号






358「伊豆の港」
2023.12 6号


 今月は田植えの準備に熱中していた。時間的にはあまり絵を描いていなかった。空いた時間に、一休みしながら絵を描いた。短時間で絵を描くのも、おもしろいと思いながら描いていた。自分の中から出てくるものは、だんだんに出てくることも在れば、突然現われるものも在る。

 だいたい中判全紙でも2時間ぐらいで描く。と言っても、2時間で描いて終わりのこともたまにはあるが、その後すこしづつ気付いて直していると、何年も書いているというえも出てくる。一度終わりと思っても、何か気づくことがあって、また描き始める絵も多い。

 絵が出来上がると言うことは、あるのかないのか、そ言うことも別段決めないでも良いと思っている。絵の面しろい所は、すべては自分の自由な世界だからだ。何の基準もない。上手いとか下手とかもない。人とも較べない。そしてただ自分納得を探している。
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2023年のこと2024年の計画

2023-12-30 04:06:09 | 暮らし
2番田んぼの12月29日の苗代の様子 3葉期 ミルキーサマーとユガフモチ

 2023年は異常気象が進んだ年だった。石垣は雨が少ない、降っても豪雨だった。田んぼの水に苦労をした1年だった。少ない水でどうすれば田んぼの耕作が出来るかを、試行錯誤した年だった。稲は案外に湿潤土壌でも生育すると言うことが分かった。

 天水田の意味も理解できた。雨が降ったら夜中でも、松明を付けて代掻きをしたという話は、実感があった。私も夜中に代掻きがしたかったが、それはがまんした。農業用水の販売ステーションに通って水を500リットル10円で購入した。

 また、ひこばえについては乾いたこととが良い結果になった。初期にひび割れるほど、乾いてしまった田んぼが一番ひこばえの状態が後で良くなった。中国の再生稲の情報でも、田んぼを乾かす技術のことが書かれている。ひび割れるほど乾かすとあった。しかしそれでは水が溜まらなくなるのが、石垣の土壌だ。考えてみないとなら無い。


6番田んぼ

 田んぼの乾かし方を検討したい。ひこばえ農法と湿潤土壌の関係をよく観察したい。中国では再生稲の稲刈り後に出る分ゲツが十分ある品種を作出している。この点では、ジャポニカ種は分ゲツが出やすい。また、有機農業では肥料が残るので、分ゲツが出やすい。

 ジャポニカ種は分ゲツが低い節からでるのでひこばえ農法には向いている。ひこばえが十分出るという意味では、ミルキーサマーは良く出るので適合品種である。問題は十分15枚の葉をそろえて満作に出来ない点である。九州のお米の方が東北のお米より作りにくいという事に関係があるのだろうか。

 理由が分からないので対策もできないでいる。どうやって稲を満作にするかが課題だ。先ずは12月播種で涼しい間に苗を育てて見たらどうなるかに挑戦している。今のところ苗の成長は遅い。あと田植えまで2週で5葉期まで成長するだろう。

 来年はひこばえの成長過程を細かく観察して、ひこばえの育て方を見極めて行きたい。昨年かなりの失敗を重ねたので、今年に役立つだろう事はいくつもある。今年は1番、3番、6番はひこばえの管理をするつもりだ。ひこばえ農法は自給農法に不可欠な技術だ。

7番田んぼ

 のぼたん農園も2年目が終わり、3年目に入る。田んぼは7つに減らした。水が7つでもぎりぎりと言うことだったので、無理はしないことにした。偶然、参加が7グループと言うこともある。また、中央道路より下は、サトウキビ、田芋、パイナップルの畑にしたいと考えている。

 畑では、大豆、小麦、ジャガイモ、玉ねぎ、トウモロコシ、トマトなどを栽培試験をした。大豆は小糸在来では出来ないと言う事が3回播種して分かった。適合品種を探し、栽培を研究したい。台湾では8月は種という事が出ていた。今度台湾の有機農家の黄さんにその辺を良く聞いてくる。

 ジャガイモについては、良く出来るものも在るようだ。なぜか、一番好きな男爵が発芽が遅れた。理由がよく分からない。トウモロコシは風にやられる。風よけをやらないと出来ないようだ。トマトはどこに苗を植えたら良いか考えている。やはり風の無い場所だろう。

 小麦は発芽が一定にならなかった。多分鳩に食べられたと思われる。追い蒔きをしたが、まだまだ蒔きたい。草がかなり深刻になっている。草取りをしたいが、草取りが出来るかどうか、課題だ。中耕除草は2回行った、それでもだめなようだ。

一番下の田んぼ

 朝の動禅体操は何とか継続している。来年は美しい動きと考えていたのだが、美しい動きを突き詰めて行くと、百姓の動きではないかと思えてきた。低い腰の位置での、安定した動きである。むだのない動きである。見た目から言えばどんくさい動きだ。

 眼は閉じて行っている。眼をひらいて見ていないという状態はまだまだ遠い。それなら閉じていた方がまだ良いと考えている。閉じて行うと安定しない。しかし、以前よりは増しになっている。ぐらつくのは仕方がないので、やり直しやり直しで良いと考えてやっている。

 もう一つ勝手にやっているのは、呼吸は口をとがらせて開いて行うことだ。普通は閉じて、鼻呼吸にするらしいが、深い呼吸をするためには、口はすぼめて息は吐ききり、吸いきることにしている。これで呼吸が深くなる努力をしている。一日一回はできる限り深い呼吸をすることが大切だ。

田芋の田んぼ

 動禅のつもりでやっている。体操を付けているのはおこがましいという、気分があるからだ。スワイショウから始める。往復1回で100回である。腰にからだが乗っていて、腰の上で身体を回すという感覚。手は水平にあげて力を抜いて行う。

 次に八段錦を行うが、4段までを行い、太極拳24式に入る。太極拳が終わってから、残り4段を行う。そして最後の8段を背伸び禅で行う。静かに背伸びをして、とまる。少なく共30呼吸のあいだは静止する。揺らがず、安定して出来ることだけを目指す。それを3回繰り返して行う。

 不思議にまったく揺らがない日もある。どんくさく百姓的に継続するのが来年の目標。動禅体操は結果がはっきりしている点で良い。確かに一年一年以前よりは良くなっている。次の一年に期待ができる。来年こそ人前で恥ずかしくなく出来るぐらいまで行きたい。

5番田んぼ 8割り方あかうきくさが繁茂している。

 絵の方は日々の一枚は続いている。192週である。絵の出来はまだまだである。しかし、恥ずかしながら、いくらかは進んでいるのではないかと思っている。わずかな前進とは言え、100まで前進すれば、いくらか絵らしきものになるだろうと希望をもって描いている。

 この点、ブログで日曜展示をしていることが継続の支えになっている。ブログダイエットと同じだ。毎日の体重をブログに書くだけで、体重が減るという。日曜展示をしているので、弱い意志力でも継続が出来る。副産物としては作品の整理が出来るのが良い。

 200週行えば、1400点になる。これだけの絵を整理しておくのは大変である。絵の裏に整理番号と題名と描いた日付を付けて、除湿した場所にしまっている。しまっておいてどうなると言うことも無いが、さて水彩人にどれを出すかなどと言うときには役立つ。「やいま」に掲載して貰う絵もすぐ探せる。
4番田んぼ

 あしがら農の会には月に1回は参加している。これも引っ越して以来の2地域居住の継続である。十分な参加にはならないのだが、細々と継続している。あしがら農の会の田んぼも、もう35年と言うことになる。活動は安定して継続されている。

 自給農業技術の成長はすごいものがある。集団で試行錯誤して良い農法を探っているので、自給農法としては、ほぼ完成の領域にあるのではないだろうか。田んぼだけでなく、小麦や大豆、ジャガイモ、玉ねぎと、そして農業塾の様々な野菜。素晴らしい栽培になっている。

 本当であれば、この自給農業技術を文章にまとめる必要がある。次の時代に必ず役立つ技術である。何とかならないだろうか。来年はまとめるための努力を進めたいと思うがどこから手を付ければ良いものか。これは難問である。

3番田んぼ

 今年一年、のぼたん農園も一歩前進できた。絵も動禅もわずか進んだ。農の会も安定している。良い年だったと考えて良いのだろう。来年も良い年に成るように、日々精一杯進んで行きたい。体調はいい。酒もうまい。何の不満もない。一日一日が同じであることが今は尊いことだと感謝している。

苗の様子

1番田んぼ
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マイクロプラステック

2023-12-29 03:49:41 | 環境関連
 

 人類の危機は様々あるが、最も始末が悪く取り返しようもないものが、マイクロプラステックである。静かに、深刻に、人間の終わりが近づいていると考えざる得ない。プラステックを取り込み、動物はいなくなるとしても、植物は生き残るだろうから、動物の危機であり、生物の危機ではない。

 また微生物から始まり、動物も再生する時代は来るのだろう。二度目の人類は誕生するかは分からないが、人類が誕生すればまた同じようなことをやるに違いない。プラステックはまだ100年の歴史はない。我々世代はずいぶんの恩恵を受けたが、たぶん200年後にはプラステックは禁止されているだろう。

 プラステックが無くなる時代に、まだマイクロプラステックが人類を滅ぼしていなければ良いと思うが、多分手遅れに成ることだと想像している。プラステックを取り込んだ人体が、どう変化しているのか、想像することすら怖い。がんの多発は間違いないことだろう。人類の寿命も大分短くなるのだろう。

 マイクロプラステックが至る所に存在し、人間はそれを避けることが出来ないことになっている。人間の細胞の中までプラステックが入り込み、様々な問題が生じることになる。遺伝的影響は避けられないはずだ。マイクロプラステックは増加を続けている。

 経済協力開発機構(OECD)によると、2019年には世界で約4億6000万トンのプラスチックが消費され、プラスチックごみが約3億5300万トン発生したと書かれている。プラスチックごみは2000年の約1億5600万トンから、倍以上に増加している。

 プラスチックごみで、とくに問題視されているのが「マイクロプラスチック」だ。ペットボトルやビニール袋などは、自然環境中で紫外線などに晒されて劣化すると破砕・細分化され、概ね直径5ミリ以下の微小な粒子となる。始末に負えないものは、微細なマイクロプラスチックと呼ばれるプラステック粒子である。

 これがさらにミクロ単位の小さな粒子になり、海に集まり、魚は身体の中にマイクロプラステックを取り込んでいることになる。特に小さな粒子は細胞の中にまで取り込まれ、様々な障害を生むことになるはずだ。こうした現象はすでに始まっている。もう海は取り返しが付かないことになっている。

 プラスティクゴミはそれでも着実に増加している。気象変動以上の環境問題である。しかし、気象変動の方は、化石燃料の使用を止めれば解決できると言う対策があるからまだましである。世界もその対策に国際会議まで行っている。しかし、プラステックは対策もないから、人類の滅亡に着実に進んでいる。

 確かに分別再生が言われているが、無駄とまでは言わないが、プラステックゴミの減少には繋がってはいない。むしろ燃やしてはいけないという考え方が、マイクロプラステックの増加に繋がっている。再生されるものなどほんの一部で、海に流れ出るものが大半である。プラステックの使用禁止が行われない限り、もう手遅れとと考えなければ成らない。

 当面の対策は燃やす処理を認めることしかない。プラステックは燃やしてはならないと言うことから、マイクロプラステックを増やすことになった。焼却処理が良くないことは当然だが、さらに悪い事はマイクロプラステックだ。燃やさない処理がマイクロプラステックを急増させている。

 グレタ・トゥンベリ さんはノーベル平和賞を受賞したまだ若い環境活動家である。気象変動に対して発言をしている。飛行機を使わないで、ヨットで移動するというようなことをされている。フランスでは「内のグレタちゃん」。と言う話があるそうだ。プラステック容器を拒絶する子供の事だそうだ。

 最近、グレタさんは共産主義的な発言をするようになったために、世界の環境活動から閉め出され始めた。例えば、COP26の会議には以前には招待されていたが、今は拒否されていて、会議場の外で反対の活動をしている。つまり、現状の環境運動は、環境運動で一儲けしたいという人達の会議になったと主張しているのだ。

 例の国会で風力発電の推進を発言したような秋本真利衆院議員が悪い見本事例だ。環境事業の補助金狙いである。こうして環境問題を突き詰めて行くと、結局の所「人間の進歩と調和は、ない」と言うことになる。経済成長そのものが問題になってくる。

 日本が作り出した江戸時代という、循環型停滞社会が次の社会のモデルではないだろうか。前より良くなると言うことでは無く、前のままである事を良しとする社会である。昨日のままの今日であれば、十分なのだ。その停滞の中で、どのように生きる事を充実させられるかである。

 プラステックがもしあったとしても、必要な以上には使用されなかったはずだ。再利用するもの以外はなかった。もったいない社会である。今日のような明日であれば、十分なのだ。民主主義も、独裁政治も、成長信仰から逃れられない。ここに大きな落とし穴が在る。

 中国は経済成長することで、独裁政権が国民から支持されている。監視社会も、自由のない社会も、経済が良くなるならがまんしようという社会だ。もし経済成長が止まれば、政権は維持できない。しかし経済停滞は必ず来る。まだまだ中国は成長余地が大きいが、それでも10年先は危ういだろう。

 経済成長信仰は民主主義国家でも変わらない。去年より生活を良くしたことで、選挙で選ばれる。良くしたとは、経済をよくしたと言うことが主たる理由である。今年は良い年でしたというのは、少し生計が良くなったという場合が大半ではないだろうか。江戸時代は変らず結構でしたである。

 この頑張って良くなる哲学が間違っていると言うことになる。頑張るのは今のままである事が新しい目標になる。資本主義から、共産主義への転換。良くなるために頑張ることが目的ではなくなる。平等である事が主たる目的になる。発展を制御しなければ、環境破壊で人類が滅亡する。

 ここに現状の環境運動の限界がある。石垣島では観光を選ぶのか、環境を選ぶのか。いつも問われている。環境運動の主たる目的が環境破壊阻止である。生活できなければ始まらない。石垣島の経済の主たるものは、観光とそれに伴う公共事業である。

 生活するためには、自然破壊に繋がっても、ある程度止むえないというのが、市民の選択なのだろう。だから、環境運動は移住者中心になる。移住者は石垣島で生計を立てている人が少ないからだ。観光客が減る事をどうでも良いと考えているからだ。このすれ違いが、深刻である。

 西表島ではやまねこか人間かと言われた。人間の暮らしが出来ないでどうするのかと言うことだ。世界遺産になり、自然保護は最優先である。さらに西表島の住民の暮らしに、環境保護が突きつけられている。屋久島では林業が衰退し、暮らしが成り立たなくなり始めている。人口減少が深刻である。

 環境保護はマイクロプラステック問題を最優先すべきだ。イリオモテヤマネコも、カンムリワシも、そして人間も、身体に取り込んでしまうマイクロプラステックで生存の危機を迎えるはずだ。近い内に限界を超えるだろう。その前に、停滞社会の価値観を見付けなければ成らない。

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12月26日ののぼたん農園

2023-12-28 03:51:16 | 楽観農園

 一番田んぼの「台光」稲刈りが近づいている。田植えが終わった後に稲刈りかと思っている。20日か21日辺りの稲刈りなら良いかと思うが、場合によっては、田植え前の6日7日に出来れば良いのだが。少し早いような気がする。

 かなり穂がばらついている。同じ株でも、かなりばらついて穂が出てくるようだ。インディカ種の血が濃いのかもしれない。種の形はそれ程細長くないのだが、株の大きさ、穂の出方はジャポニカ種とは違う。がっちりしていて、倒れにくそうな所は良い。


 台光は120㎝在る。がっちりしていて倒れるような様子はない。インディカ種の系統の特徴かとに思われる。穂がなんとなく軽い感じがする。大きな穂なのだが、まばらな感じなのだ。1番田んぼは良くあかうきくさが出ている。それは、リン肥料を入れたためのようだ。

 インディカ系の稲はひこばえが株の根元から出ないで、高い節から発芽すると言われている。今その点を心配している。病気には強そうだが、肥料は十分に在った方が充実する品種のようで、肥料不足の部分は極端に生育が悪い。分ゲツも10程度である。

 40㎝角に植えたのは、ひこばえ農法は病気が出やすいので、少し株間が広い方が良いと考えた。3回ひこばえで収穫があるのならば、一回当たりの収量は低い方が良いと言うこともある。やはり自給農法はひこばえ農法が向いている。年3回も新米が食べれる。


 苗代の様子。現在17センチぐらいの大きさ。2.5葉期。12月3日播種。播種して24日目。品種は「ミルキーサマー」1.5キロ。「ユガフモチ」500グラム。浸種は五日間溜め池から流れ出る水に漬けておいた。丁度鳩胸状態だった。今日は気温が25度だから伸びることだろう。

 外に蒔かれてしまった種も今回はネズミにはやられなかった。ネズミの行動は読めない。巾1mのベットである。1mに100グラムの種を蒔いてある。今までで一番生育がおそい。6週の育苗で田植えと成りそうである。しかし、小田原ではこのくらいのペースだから、育苗はこの時期が良いのかもしれない。

 苗が徒長をしないのは良いことだ。この後がっしり育って分ゲツもしてくれれば良いのだが。もうネットを剥がしても良い時期だ。風が強い日が多いので、ネットを外すことも少し心配である。


 3番田んぼの状態。写真で分かりにくいが、3度ほど代掻きをして水を張ってある。雨が少なかったので、水を溜めるために苦労している。それでも何とか代掻きができるだけ水が溜まった。畦塗りもしたことは効果はあるようだ。

 29日に水牛で均しをする予定。それまでにもう少し水位を上げたい。上げることが出来るのは分かっているが、早くやり過ぎると29日に水位が足りないと困る。今日雨になる予報なので、今日明日の水の準備をしたい。



 田んぼの乾いているところのあかうきくさの様子。あかうきくさはこの寒い時期でも枯れることはない。真夏の暑い時期に消えて行く。どの田んぼでも広がるようになってきたので、腐植を補うことになっていると思う。ただ肥料分まで充分という感じではない。

 ベトナムのあかうきくさ農法では、一度田んぼの水面一杯にあかうきくさが広がると、それで稲の肥料は足りるとある。現状のあかうきくさは繰返し広がり、消えて行く。これが肥料を補充していることになっていると思われる。

 先日、1番田んぼにバットグアノを入れた様子では、ただリン酸肥料があかうきくさを増やすと言うこともあるのも確かだ。しかし肥料を入れて赤浮く差を育てるというのも、何か本末転倒な気もするので、もう少し自然の成り行きを観察したい。


 3番田んぼの畑部分。一番手前がジャガイモで、やはり合う品種と合わない品種がある。そろそろ土寄せをしようかと思っている。遅れて出てくる芽があるので、なかなか土寄せのタイミングが取れないでいる。

 トウモロコシも良く発芽した。生育もしている。ただ、風にやられるようだ。風よけネットをやる必要がある。それはトマトも同じ。トマトも発芽は良くしたが、風で葉がいじけたようになった。玉ねぎは風は大丈夫だ。ジャガイモはいくつか虫にやられた。


 4番田んぼの様子。代掻きをした後水が少し不足した状態。29日の水牛による均しに併せてもう少し水を深くする。ぎりぎりの水なので、なかなか難しい。それでも十分に代掻きをした田んぼなので、少ない水でも水が溜まっている。


 4番田んぼの畑部分。畦塗りの様子。どの田んぼも畦塗り今年はした。水不足をいくらかでも補うためだ。畦から田んぼに入る、牧草もある程度抑えられるだろう。


 5番田んぼはコロガシをして水を溜めている。ここは不耕起で進めている。水を溜める事が難しかったが、コロガシや畦塗りでかなり溜まるようになった。天水田で不耕起が可能なのかどうか。今後の変化に注目をしている。



 道路下の田芋の様子。水はいつもほとんど無いが、枯れることはない。成長が良いというわけではない。


 6番田んぼ。大分土が乾いてしまった。2番田んぼの苗代に水を回すと、6番には水が行かなくなる。今日の雨の機会に、一度6番に水を回して溜めないとだめだ。


 畦塗りをしたのだが、写真に良く写っていない。6番田んぼにもあかうきくさはかなり入った。畦の草刈りがまだだ。近い内にやりたい。



 7番田んぼはかなり乾いてしまった。7番に水を行かすためには、他のたんぼがすべて水が溜まり、進んだ後になるだろう。上手くゆけば今日の雨がかなり期待できる。

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自民党パー券キックバック問題

2023-12-27 04:15:23 | Peace Cafe


 自民党パー券キックバック問題に対して、修正申告さえすれば、1000万円以下ななら犯罪にはならないと説明をしていた自民党議員がいた。たんなる脱税事件だと考えているのだ。この問題はそういう軽い問題では無い。自民党政治家がなぜ、裏金を必要とするのかという問題なのだ。

 自民党議員がパー券押しつけ販売を繰り返してきた理由は、自民党政治にはお金がいるからである。また、パー券を買う側の理由は、メカジメ料である。自民党議員から頼まれて、断れば何かやるときに不都合があるかもしれないと言う不安に基づいている。もちろん議員に何かとお願いをする事もある。

 自民党議員に頼み事をする人は、パー券ぐらいは買うだろう。例えば就職である。NHKのアナウンサーに就職したいという息子を、ある自民党議員に頼んで就職できたという事例を知っている。地元の役所に勤めたいなど就職の依頼を議員にすると言うことは、在りそうなことだ。

 企業であれば、仕事がスムースに進むために、自民党議員に口利きをしてもらうと言うことは、頻繁にあるはずだ。実際にそうした事例をいくつも知っている。公共事業に議員が関与するのは、良く聞く話だ。例えば、先日の風力発電の賄賂事件など事例はいくらでもある。

 つまり、与党議員は様々な口利き屋をやっているのだ。その口利き料がパー券裏金に繋がっている。派閥がパー券キックバック方式を長年続けていたのは、裏金作りのばれにくい仕組みだからだ。個人がパー券を集めて、それを政治資金に報告しなければ、ばれやすい。企業に税務調査が入り、何先生のパー券を購入したと出てくれば、一巻の終わりだ。

 しかし、派閥のパー券のキックバックというか、中抜き方式はばれにくい。この集めたパー券のお金は派閥に上納しましたですんでしまう。上納されたお金の処理は派閥で何とか、出入りが分からないようにしてきたのだろう。前もサクラの会事件での、前日の一流ホテルの飲食代金がおかしいというのがあった。

 パーティーにいくらかかったかなど、一番ごまかしやすい。会場費の仕事が欲しい側とすれば、領収書の方は良いように書きますよ、と言うことはある事だろう。さらに言えば開催もされていないパーティー費用でも分かりにくい。この差額がキックバックされたとしても誰にも見えない。キックバックがあるから、一生懸命派閥のパー券販売に精を出したのだろう。

 また多く売れば、派閥で上位に位置することが出来る。大臣や政務官に成れるかもしれない。上位に位置すれば、大臣になれるかもしれない。大臣になれば選挙も安泰である。そもそも政治家になった以上大臣になりたいというのもあるだろう。名誉欲議員も多い。

 ではなぜ派閥にそんなにお金がいるのだろうか。そもそも議員がなぜ裏金が必要なのか。議員は十分なお金を貰っている。様々な優遇措置もある。その理由は選挙資金である。あのアベ派の河井案里議員は15000万円を選挙資金にアベから配布してもらった。もらったことも認めたし、違法性もないとされた。

 この事件は表沙汰になった。夫婦2人が有罪になったからその手口は公開された。選挙に使ってしまったのだ。なぜ選挙に1億5千万円ものお金がいるのかである。どうも検察はもらった県会議員達に、訴追しないから本当のことを言えと言うことで、ベラベラしゃべったのだ。

 恐ろしいほどのお金が、陣中見舞いと言うことで、配られていたのだ。その結果当選した。これはばれた事例である。ばれない事例がほとんどなはずだ。これは自民党選挙の文化なのだろう。1億5千万がばれたのは、他の議員はそんなにもらっていなかったからにすぎない。

 選挙にお金がかかるのは、選挙に再生してお金を貰うのが慣例になっているからだ。地域の衆議院議員であれば、その手下の議員達に、それなりのお金を配らなければならないことになっているのだろう。それをしないとケチなやろうと言うことで言うことを聞かなくなる。

 こんなような腐った世界に自民党は成ってしまったのだ。自民党をこんな政党にしたのは、有権者である。パー券を買う人達である。つまり、社会の一部に、こうした悪習慣を受け入れている人達がいるのだ。多分、正月にはそうした商工会の新年会などが、全国で開かれることだろう。

 地域社会で上手くやるためには、パー券購入のような学習が必要になる。これが日本社会の現状なのだ。戦後一度はこうした悪い社会は取り払われた。しかし、このグズグズの賄賂社会が、アベ派を中心にまた復活したのだ。その大本締めがアベだったのだ。それがサクラの会事件に見える。

 忖度していれば、悪いようにはしないから社会である。菅が起した学術会議任命事件なども同じだ。政府の言うことを聞かない奴は人事で痛い目を見るという見せしめが必要になったのだ。出世したければ言いなりになれという、真綿首支配である。

 政治家が異常なお金を必要とするのは、こうした忖度社会の潤滑油資金なのだ。これが日本社会を停滞に招いた原因である。公平でない社会では、活力が削がれるのだ。頑張っても空しい気分の蔓延。既成勢力がこの暗黒社会を支配しようとするから、新しい芽が育たないことになった。

 パー券を買うような精神の連中には、次の世界を切り開くような進取な精神がない。だから新産業が現われない日本になった。日本の停滞の一番の原因は、この見えない、良いようにしてやるから言うことを聞けという、支配体制である。

 これを直すための方法はある。簡単なことである。政治家の資金の出入りはすべて、クレジット決済のみにするのだ。それだけで良い。このクレジット口座は誰にでも見えるものにしておく。難しいことではない。すぐにでも変えられることだ。

 ところが絶対に自民党には出来ない。そのように変えれば、誰もパー券など買わないからだ。自分だけ得をしたいから、パー券を買うのだ。それが公開されたら、そのメカジメ料の効果がなくなる。それでもクレジット決済にするにはどうすれば良いか。

 これも簡単なことだ。政治資金クレジット法案に反対する自民党に投票しないだけで良い。それでけで自民党政権が交代になる。野党はクレジット決済を選挙公約にするだけで言い。これで日本の政治はかなり変るはずだ。汚いやり口がかなり減るはずだ。まともで公平な社会が戻れば、日本は必ず再生できる。

 誰でもが気持ちよく働ける公平な社会になれば、生産性も上がる。強制されていやいや働くのと、自らが働くことを喜びとして働ける社会になれば、社会は前向きに変る。日本人の活力の衰退した一番の原因は政治の世界の腐敗にあるのだ。

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沖縄県、辺野古工事「承認せず」

2023-12-26 04:13:53 | 楽観農園


 沖縄県、辺野古工事「承認せず」辺野古の第2期工事の大浦湾側への格調埋め立て工事を沖縄県は承認しないことになった。県民の一人として、当然のことだと思っている。辺野古に米軍基地を建設する理由は、世界一危険だと言われる普天間基地の移転である。

 沖縄県民は誰もが、普天間基地の移転を望んでいるだろう。ただし、その場所が辺野古であることには、大きな失望がある。だから、県民投票では71.7%のものが反対をした。その反対を無視して、辺野古へ米軍基地を作っていることは、民主主義をないがしろにしたものなのだ。

 住民の意思は沖縄県の米軍機負担の軽減である。そのことに対して、政府は口先では、沖縄の基地負担の軽減を言いながらも、現実には基地負担は減るどころか、自衛隊基地という形に置き換えられてゆくだけである。日米安保条約では、自衛隊基地は米軍は自由に使うことが出来るものだ。

 結局日本国民全体が、基地を沖縄に集中させて行くことに、向き合っていないという現実に許しがたい思いがあるのだ。石垣島にも自衛隊基地が出来ている。まったく住民の意思は無視されたまま進んだと事だ。そして、中国全土に届く、ミサイル基地を今作ろうとしている。

 なぜ沖縄に中国を攻撃するミサイル基地を収集させるのか。沖縄の基地負担の軽減というのであれば、ミサイル基地は日本全体に分散させれば良いだろう。それよりも、潜水艦から発射できるミサイルにした方が良い。いや、それよりも、敵基地攻撃ミサイルなど、日本は持つ必要が無い。

 日本人全体が、自分の家のすぐそばにミサイル基地がある状態を想像してもらい痛い。それは自分が暮らしている場所が、突然危険な地帯になったと感じるはずだ。中国全土に届くミサイルであれば、日本中どこに配備しても同じことなのだ。

 中国にしてみれば、もし台湾侵攻をする際に、日本から飛んでくるミサイルに対して、その100倍以上のカ所に保有する、膨大な量のミサイルで攻撃をするだろう。それはハマスが、イスラエルの鉄壁と言われた、ミサイル防衛網を機能させなかったのだ。

 中国と日本のミサイル戦で日本が勝てる可能性など全くないのだ。あの広大な中国各地に分散しておかれているミサイル基地をすべて攻撃する能力など日本にはない。もし一部にミサイル攻撃をすれば、一気に日本のミサイル基地は攻撃対象になり壊滅するはずだ。

 この彼我の差を、自衛隊はよく分かっている。敵基地攻撃ミサイル基地が始まれば、必ず中国に匹敵するだけのミサイル基地の設置が要求されることになる。それは、第2次世界大戦の前の軍事競争に戻るだけだ。必ず最後には、盧溝橋のような、軍の策謀によって、実際の戦争が始まってしまう。

 辺野古の米軍基地建設は、その象徴的な問題なのだ。米軍は辺野古移転を決定する前には、海兵隊の国外移転も言われてはいた。海兵隊員の卑劣な犯罪が続いていて、沖縄の反米軍意識が高まっていたからだ。その時も政府は口先だけで、実際の基地負担の軽減はなかったのだ。

 日本政府は中国を仮想敵国として、攻撃型軍備へと転換を図ろうとしている。米軍の要請にしたがっているのだ。米軍は中国からの攻撃を、沖縄を前線基地として、戦う戦略なのだ。軍事力による対抗を考えるアメリカは、中国の経済力の急速な発展を脅威と考えているのだ。

 日本は本来アジアの国である。中国との関係はアメリカとは違う。日本はかつてすべてを中国から学んだ国だ。政治も、思想も、技術も、文字も、宗教も、藝術も、中国から教えてもらった。中国から学んだ様々なものを基盤として、日本は日本的に変容させて、日本という国作りをした。

 しかも幸いなことに、日本は中国に支配されることがなかったために、日本独自の文化を培うことが出来た。その日本の文化は世界でも一流のものであると誇れるものになった。その根底には中国からまなんだものがある。中国と日本の関係は、日本を占領支配したアメリカとは違う。

 日本人はアメリカに占領され、アメリカに従い、その逆鱗に触れないように生きる奴隷の国になってしまった。常にアメリカの命令に従うことが、日本の国防政策になったのだ。それは原爆保有国と、それ以外の国のでは止むえない軍事力の根底の違いがあるからだ。

 北朝鮮がなんとしてもアメリカに対抗するために、原爆を保有するのは、当然の軍事的な対抗手段なのだ。そして、ついに北朝鮮はアメリカまで届く、原子爆弾搭載可能なミサイルを保有した。この状況の下でアメリカと対等というわけだ。

 ますます世界は戦争の危機である。軍事的均衡によるいわば硬直状態の平和は、いつか必ず敗れる。ウクライナや、ガザ地区ではすでに戦争が始まり、継続している。軍事力は安全保障上、危険を増しているようなものなのだ。ではどうすれば良いか。

 それは、日本国憲法の平和主義である。まったく頼りないものであることは、憲法擁護派の私にも分かっていることだ。しかし、この一見頼りない平和主義が、人類の唯一の希望なのだ。もし日本国憲法がなければ、日本は戦争に巻き込まれていたに違いない。

 憲法にある平和主義はアメリカに対しての言い訳になるのだ。アメリカ占領下に出来た、アメリカが主導し、承認して出来た憲法である。日本には攻撃型武力は持てない憲法がありますと、説明してアメリカから売りつけられる武器を断ることが出来る。

 日本の攻撃型武力が無ければ、中国は日本を攻撃する必要が無い。もし台湾侵攻をするとしても、日本を軍事作戦の計画に入れないで済むのだ。日本の安全は、非武装なのだ。そのことは石垣島に暮らすものとしては、生活実感として分かることだ。

 例えば、波照間島という石垣島から、東に55.3キロ離れた島がある。もちろん軍事施設などない。この島の住民に対して避難訓練をしているのだ。中国軍が攻めてくるからと言うのが理由だ。その避難経路が、まず石垣島に避難する。

 そして、石垣島から九州に避難するという。なぜ波照間島にそのまま居ては行けないのか。誰がどう考えても、それが一番安全に決まっている。中国軍は無意味に波照間島を攻撃する理由がない。ミサイル基地を作ると言うことは、その島を危険な状況にすると言うことなのだ。

 日本国民が、辺野古に米軍基地を移転することを、なぜ受け入れないか不思議に思うだろう。普天間の危険除去になればありがたいだろうにと、多くの人が当然のごとく主張する。しかし、辺野古米軍基地建設が沖縄を防人の島にして行く象徴になっていると言うことだ。

 なぜ、日本国民は自分のこととして、普天間基地移転をを考えないのか、腹立たしいばかりだ。日米地位協定の改定すら出来ない日本政府に、沖縄県民は耐えがたいのだ。日本人全体で、日本の安全保障のことを税とも考えてもらいたい。

 
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台湾の未来と日本

2023-12-25 04:14:26 | Peace Cafe


 台湾の未来は、日本の未来と大きく関連している。台湾の民主主義政権が維持されることが、日本の安全保障に一番大きなことになる。本来台湾が歴史的にどこに所属していたかとか、台湾は台湾にそもそも暮らしていた人の国だとか。そういう問題とは別の問題だと考えている。台湾がどうあれば幸せになれるかである。

 日本は台湾を日本の一部として居た時代がある。台湾という地域開発を日本国内と同様に行った。植民地としての統治だから、日本語教育のような台湾の文化を破壊するようなひどいことも行われた。だが、台湾のインフラ整備は本気で行い、台湾の近代化の基板を作ることになった側面もある。

 その中でも民主主義を育てたことは良いことだった。今台湾が親日的であるのは、台湾を統治のために人生をかけた日本人が沢山居たと言うことでもある。韓国は日本よりも文化的に上位の国という意識の国だったために、日本の統治は上手くゆかなかった。

 台湾というかつて日本の植民地であった地域に、毛沢東の赤軍に敗れた、蒋介石軍が逃げ込んだのだ。そして、台湾でひどい弾圧を行い、独裁国家を作り上げる。日本人が去り、本省人が現われる。それは解放だと思ったら、とんでもない日本どころではない弾圧が始まったのだ。

 その最悪の事態を台湾の人々は根気強く、跳ね返して行く。そして李登輝元総統という、素晴らしい指導者を得て、民主主義国家を作り上げる。民主主義教育が行われる結果、台湾は台湾人の国であるという、当たり前の事が醸成される。台湾は中国の独裁政治を嫌っているのだ。中国が自由で民主主義になれば、関係は変ってくるはずだ。

 台湾に興味を持ったことは、最初は台湾の小説を読んだことだった。実に奥深い精神世界が展開されている小説にであった。魯迅の小説を思い出した。台湾の複雑な歴史のなかで、精神の亀裂が生じ、深まる世界観を見た。独特の哲学がある小説に触れて、次々に台湾の現代小説を読んでみた。この国はちょっと違うと言うことが分かった。

 そのことは台湾に行ってみてさらに理解ができた。台湾の美術館に行って、台湾の人達が描いた絵を見て、同じような複雑な世界観を感じた。日本の絵画が失ったものだ。絵に描く人間がいたのだ。日本で言えば、野見山暁二氏のものに近いと思えた。そうした絵を若い人達が描いているのにびっくりした。

 日本の絵が、上手な方角に傾いているのは上質な文化が衰退したために、単純に上手という価値観に傾斜しているのだ。美術史を見ると何時の時代も、社会が混乱し価値観が崩壊すると、リアル絵画が登場する。ルネッサンスにおいて、リアル絵画が登場したのは、中世の安定した価値観の喪失である。単純に言えば、イコンからミケランジェロである。

 芸術性の高さから言えば、ルネッサンス以前の絵画の方に、精神世界を感じる。芸術の深さは上手さに置き換えられる。何が良いかが見えなくなり、そっくりであるというところから、出直さざる得なかったのだ。それは、どこの国でも同様なことが起こった。ロシアイコンから、レーピンになる。

 江戸時代の人がヨーロッパの絵をみて、陰影を汚れていると感じたという。しかし、明治になると文化的価値観が混乱する。すると、リアル絵画が現われる。それを繰り返して、今またリアル絵画登場している。社会が文化的な価値観を定められない結果である。

 中国の絵画も同様である。上海の美術大学に交流事業で行ったが、やはりリアル絵画が並んでいた。中国の美術史の中にも、リアル絵画の時代はある。冒頭の北宋の絵画である。リカル絵画の行き着いた先のような、独特の世界観がある。北総の時代は、安定しない時代だったらしい。

 話がずれてしまったが、中国の文化レベルの低さと、台湾の文化レベルの高さの違いに驚いたのだ。その高い文化の国である台湾を、中国という民主主義を否定する文化レベルの低い独裁国家が、軍事力を用いて支配するような事は、不幸なことだ。絶対にあってはならない。

 経済では台湾と韓国は高度成長を成功させ、日本と同等以上の経済状態を作り出した。その方法は民主主義国ではあるが、中国流の国家資本主義的手法を取り入れたところにあるのだろう。日本はアメリカ方式の自由競争の経済方式で成功したために、次の国家資本主義競争に乗り遅れたと思われる。

 日本の外交は当面は台湾韓国との3国の関係を強くすることが重要だと思う。先ずは経済関係を強化する。互いの経済が競うことでまた補い合うという、良い関係を構築することだ。3国の経済を高める、3国資本主義の模索。それが成功すれば、中国の脅威にも対抗できる。

 台湾は来春総統選挙がある。香港政府と中国政府が香港の民主化運動を徹底的に弾圧した。そして約束だった一国2制度が失われた。多くの台湾人が『台湾が香港の二の舞になるのはゴメンだ』として、前回の総統選挙では、中国に厳しい態度を取る蔡英文総統に投票したのだ。 

 この4年間の蔡英文氏の巧みな政治は評価されるべきだ。台湾は李登輝元総統の類い希な、政治力によって独立国家として成立した。その系譜を受け継ぐ蔡英文氏の政治力も困難な中、良く国家を維持して、経済成長を果たしている。台湾国民が与党・民進党の頼清徳候補を選択するとすれば、それは中国の独裁政治が原因している。

 中国とできる限り対立を深めることなく、台湾の独立性を高めてゆく手法である。コロナ対策を見ても、その政策と実行力は素晴らしいものがあった。女性の総統が実に有能であるということも素晴らしいが、コロナ対策を政策実行したオードリー・タン氏はトランスジェンダー であることを公表している。

 台湾の精神の自由がそうしたところにもよく現われている。日本は台湾から学ばなければならない。日本の仮想敵国中国政策は余りに幼稚である。軍事力で中国に対抗使用など無謀である。単にアメリカの指示に従うのでは、日本はアメリカの先兵となり、大きな痛手を被る。

 岸田内閣は憲法違反の琉球弧にミサイル基地を配置している。あまりに一辺倒で単純すぎる。日本は平和憲法の国である。国際問題は平和的な手段で解決するよう、憲法で政府は求められている。何一つそうした努力をせずに、軍事的手段に走るのは、知恵が足りない人間のやることだ。中国に対抗するには経済である。

 日本が行うべき軍事的整備はあくまで、専守防衛の能力を高めることである。イスラエルの鉄壁と思われた、ミサイル防御の壁は、テロ組織ハマスに破られたのだ。日本がどのように中国に対抗したところで、彼我の差は大きすぎる。出来るのは、台湾、韓国、日本での共同防衛である。

 その抑止力を持って、中国と平和交渉を粘り強くして行く以外にない。中国は経済の国である。独裁政権が維持されているのは、経済が好調だからだ。不動産不況などと言っても、生活の向上の方は、日本よりまだまだまだ良い。生活が豊かになっている間は、独裁政権は安泰なのだ。

 3国経済連を作り、中国の経済と上手く関係を持つことだ。韓国は一国で中国に深入りしたが、中国の強引な外交政策で、困難も多かった。中国は海外の企業の進出を求めているのだから、三つの国で、調整と連携を取りながら、中国との経済関係を強めて行くことではないだろうか。
 
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第191 水彩画 日曜展示

2023-12-24 04:21:11 | 水彩画
第191 水彩画 日曜展示








343「筑後川冬」
2023.12 6号







344「漁村」
2023.12 6号






 345「海」
2023.12 6号





346「開拓地」
2023.12 8号






347「鳥海山」
2023.12 2号






348「花畑」
2023.12 4号






349「赤い花」
2023.12 4号


 久留米で描いた絵が1値米だけ。大きなものは持てなかったので、6号になった。久留米城趾で雪が舞ってくる中で描いた。静かな景色だったが、良い空気が流れていた。もっと描きたかったのだが、外で描いていたので、一枚が限界だった。

 ほかの絵は小田原で描いたもので、「開拓地」の絵が戻って描いたものだ。少し慌ただしかったのだが、それでも何とか描けたのは良かった。色々な絵を描いているが、ここからそのうち何かが出てくるのではないかと思っている。

 年賀状の絵を平行して描いているので、その影響もあると思う。150枚描いた。130枚位を今宛名書をしている。残りが20枚はある。今からでも希望する人が居れば、送らせてもらいます。大判ハガキサイズです。年賀状が貰えれば返信でも出します。


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ダイハツ車販売中止

2023-12-23 04:00:41 | Peace Cafe


 ダイハツのほぼすべて車種に於いて、申請データーの不正が行われていた結果、全車種販売停止になった。前代未聞なんと言うことかと思う。日本の一流企業のはずのダイハツが、モラル崩壊と言うことだ。ここまでダメになってしまったかと、日本人が失われて行く衝撃がある。

  私もダイハツの車に毎日乗っているので、どこか不安になる。社長は大丈夫だと会見で発言したが、どういう根拠でそう言えるのだろうか。何のための認証試験なのか。安全性の確保のために行っていたのだろう。それ程深刻な部分ではないと言うことなのだ。

 ダイハツ工業の認証試験不正問題で、国土交通省は21日、不正なデータで国の認証を取得していたとして、道路運送車両法に基づき、大阪府池田市の同社本社を立ち入り検査した。同省は不正行為の実態解明を進めた上で、量産に必要な「型式指定」の取り消しなどの行政処分を検討する。

 一番古いもので1989年の不正行為が認められる。全体の傾向としては、2014年以降に不正行為が増加している。 
(1)エアバッグのタイマー着火(不正加工・調整類型)
(2)試験結果の虚偽記載(虚偽記載類型)
(3)試験速度の改ざん(虚偽記載類型)
(4)タイヤ空気圧の虚偽記載(虚偽記載類型)
(5)助手席頭部加速度データの差し替え(元データ不正操作類型) 

 これはダイハツだけの問題なのだろうか。ばれなければ何をやってもかまわないという、安全意識では車の販売を行うなど許されるはずがない。こんなことが40年ものあいだあったというのでは、常態化していたと言うことになる。この40年間不正が分からなかったという国の検査も成立していない。

 結局の所、経済競争に勝つために起きたことなのだろう。そういえば、以前軽自動車のライバルであるスズキでも起きたことだ。あのときダイハツではどう考えたのだろうか。競争に勝てると思ったのか、自分たちもいずればれると思ったのか。

 企業の生産性の低下が起こるわけである。不正をやっても自分の担当カ所を通過させてしまおうと、考えた技術者が多数存在すると言うことだ。こんなごまかしが通用するという職場では、働きがいもなければ、公正な判断をする労務管理もないに違いない。

 仕事に誇りがないのだ。企業の中で働くと言うことが、人間を疎外していると言うことになる。自分の仕事が安全に関わる仕事であるにもかかわらず、目先の自分の立場の確保の方に意識が向かっているのだ。自分の作り出したものに対して喜びがなかったはずだ。

 調査委員会の見解によると現場の不正で存、管理職には気づけなかったとある。それはつまり、管理体制が不備と言うことだろう。管理職は40年もの間一つのチェックも出来なかったのだろうか。薄々分かっていながら自己保身も存、気付かなかったことに済ませてしまっただろうか。

 多分ダイハツだけではない。自動車産業だけでもない。あらゆる日本企業の中かが競争主義で倫理を失っていると考えざる得ない状況だ。これが日本の停滞の一番の原因ではないだろうか。自分の仕事に対する姿勢がおかしくなっている。仕事を賃金を得るだけのものと考えているのだろう。

 自分の生き方と仕事が関係していない。生き方として仕事を選択したのであれば、不正など出来るはずも無い。不正をすれば自分という人間をおとしめることになる。企業の体質とか、認証制度の問題点とか、そうした問題ではない。人間の生き方が、ゆがめられたのだ。よりよく生きると言うことが、企業の中では難しくなっていると考えた方が良い。

 企業文化も、政治文化も、地に落ちている。日本人がここまでダメになったのかと思うと、寂しい限りである。これは一部のことだと思いたいが、どうもそうではない。日本社会が全体が倫理を失ったのだ。要領よくやって、自分の立場さえ守れば良いというのだろう。

 根は深いと言わざる得ない。日本社会の風潮と言える所まできてしまったのではないか。日本社会では、上手くごまかせばそれが賢いやり方になってしまったのではないか。損得抜きに愚直に生きるような人は、少数派になってしまったのだろう。

 愚直な人が生きにくい社会になっているのだろう。そういえば絵の世界でも愚直な絵がなくなった。萬鉄五郎、熊谷守一、児島善三郎、こうした人達には人目など全くない。ただ自分の絵に向かい進んでいる。しかもそういう人を世間が評価したのだ。ここに本当の文化が在る。

 今の時代にこの三人のような画家が現われたとしても、評価が出来ないだろう。社会の中にひろく、上質な文化が存在した。上質なものを見分けることの出来る鑑識眼が存在した。江戸時代の庶民の鑑識眼が浮世絵を生み出したように、明治以降にも、まだ上質な絵画文化は存在した。

 ダイハツの不正を生んでしまった原因は、日本人全体の問題だと考えた方が良い。そして出直すべきだ。その現場にいた一人の人の問題ではない。ダイハツが処分されたとしても、日本の社会全体に蔓延している、ごまかしても競争に勝つ奴が利口な奴だという、倫理喪失は解決できない。

 農業で言えば、有機認証作物と言いながら不正をしているような人のことになる。有機栽培の作物を作ることは、作る作物が一番良い作物に成るからだ。有機で満作に出来た作物が一番良い作物だ。作物が満作になるには、有機栽培でなければ不可能だから、有機栽培の技術で行う。これが本当のところだ。

 良い作物を作りたいと考えたならば、有機栽培しかないのだ。JAS有機基準を守るというのは、良い作物を作る最低限の方法なのだ。それに加えて、それぞれの土地や機構に適合した農法が存在する。ひたすら良い作物を作ると言うことに専念すれば、有機栽培になる。

 しかし、その作物が採算にあうのかと言うことは、その作物を食べる人が作り出す世界だ。良いものを見分ける文化がなければ、有機栽培は広がることはない。除草剤を使うのは別段悪い事ではない。ただ満作の作物が作れないだけだ。良い作物が評価される文化がなければ、良い作物は現われない。

 自分が食べるものに価格はない。もちろん競争も無い。だから自給農業をしている。よりよい作物を作り出す、農業技術を探求している。その自給農業の技術は、次の時代貴重になると考えているからだ。百姓はそういう暮らしをしていたはずだ。

 日本は産業革命をいち早く受け入れることが出来た。戦後もすべてを失いながらも、高度成長を達成し、先進経済国になることが出来た。しかし、ずるずると後退を続けている。その一端が、ダイハツの不正事件に見られる。愚直にやっていたのでは世界の競争に遅れるという焦りだろう。

 日本がなぜ、戦後すぐに復興できたのかと言えば、その時代にそこに暮らしていた人達すべての人間のレベルまで、その国は立ち戻れるのだ。国家は人間なのだ。人間を育てることが良い社会を作る根本である。人間を育てるには、学校教育に作務を取り入れることからだと思っている。

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賃上げが及ばない農業

2023-12-22 04:01:29 | Peace Cafe


 岸田政権は不人気挽回のために、盛んに賃上げを主張している。賃上げするのは企業だから、政府には負担は少ない。賃上げした会社には税制優遇をするとまで言っている。本当に賃上げが進めば、経済の好循環に繋がるのだろうか。生産性が低いままでは、根本解決にはならない気がする。

 政府の言い分としては、生活の困窮の原因は企業が利益を内部留保してしまい、賃金を上げることに向けないからだと言うわけだ。その理由はストライキをして、賃金を勝ち取ると言うことが無くなったからだ。大企業に勤めれば、高給取りである。戦う必要などなくなったのだ。

 昔は大企業に勤める人も、労働者の意識があり、労働者全体の賃上げのために、強い立場を生かして、ストライキを辞さず賃上げを戦った。その流れが労働者全体に及んで、それなりの賃金水準になったのだろう。そして戦う労働者の方が、生産性も高かったのだ。

 確かに日本の所得水準は世界から見ると、上がらない。生産効率が悪いのだから仕方がないとしても、なにしろ先進国の半分も給与所得が無い状態。しかも物価を2%に上げるというのが政府の方針。物価が上昇すると経済の好循環になるのかの繋がりが分からない。

 これではさらに働けと言われても無理だ。あまりに給与が安いので、人が集まらない職場がかなり存在する。あれほど大変なコロナ下の看護師さんの給与の安さには驚いた。20年前は看護師さんだって普通にストライキをしたのだ。

 最低賃金が上がったと言っても、到底十分な水準ではない。物価がそれ以上の勢いで上がってゆくから、生活はかなり苦しくなっている。食事も出来ない一人親世帯があるという。戦後の食糧難時代を思い出してしまう。苦しくなっていると言うことは政府も認めてはいる。

 労働者は自分たちでストライキをして戦わなくなった。自分たちの代わりに、政府が賃上げを要求してくれるなど、前代未聞ではなかろうか。ストライキをするようなエネ夫ギーも無くなったように見える。労働組合も日和見なんだろう。自民党の集まりに労働組合の代表が挨拶に行く。パー券も買うかも知れない。それはないか。

 物価が上がることには、円安が拍車をかけている。政府が円安維持の方針だから、賃金上昇が追いつかないのは当然で、このまま格差社会が深刻化することは間違いが無い。いよいよ、0金利が終わるのかと言うことで、一瞬だけ円高に振れたが、修正されてしまった。台湾に旅行するので残念だった。経済政策の意味が分からない。

 こうした経済状況の中で、賃上げなど及ばない農業者はどうしたら良いのだろう。自己責任でやっているのだから、止めれば言いと言うことになっている。しかしそれは大きな間違いだ。平均年齢70歳である。働いているからまだ政府の支出が抑えられているのだ。

 農業者は政府に期待したところで、どうにもならないのだから、どこかで見切らなければならないという状況だと思う。もしこれから農業をやるなら、大規模農業への転換である。企業と同じ発想になってやらなければ、農業も成立しない時代になる。

 そのためにはまず、農業に関する知識を持つこと。そして、次の時代の農業にはどういうものが必要なのかを模索する。そして、これなら可能だという大規模農業に取り組む企画書を作る。私にはその方法は分からないし、興味も無いのだが。農業が好きだからやりたいというものは、経営から離れてやるほかない。

 農業者は自営業だから、どれほど苦しくなったとしても自己責任である。しかも、70歳の平均年齢である。止めれば、再就職と言うことも無い。止めるに止められない状態で続けている人も多いのではないか。楽しんで農業を継続している人も居ないではないが、多くの農業者はこの先どうすれば良いか悩んでいる。

 農家経営の粗収益1,076.9万円に対して、経費にあたる農業経営費は951.5万円。と書いてある。差し引いた農業所得は125.4万円 となる。この金額は零細農家から大規模な農家、専業農家や兼業農家まで全ての業態を含めたもの。大規模専業農家や農業企業を中心に、生活に困らない所得を得ている農家もいる。

 その一方で、大半は農業では生活は立たない農家ばかりと成っている。都市近郊の農家であれば、土地持ちはあるからで税金対策で農業は続けているかもしれない。アパート経営の黒字を農業の赤字に埋めて、節税になる。それでもあと10年したら普通の農家はほとんど消えているだろう。

 農地の選別が進むだろう。大規模農家が有利に使えるような広い一区画の農地は地価が上がり、一方で大規模で利用するには不利な農地は放棄される。放棄されながら、地方の中山間地は手入れがされなくなり、かなり荒れたものになるだろう。

 それは自然災害の増加にも繋がり、住めない地域はさらに広がるにちが無い。悪循環がおこり、条件不利地域の農家の成立は不可能に近くなる。そうに違いないと予測して居る。35年前に今の状況は正確に予測できた。そしてあしがら農の会を始めた。次の35年の未来も多分大きくははずれないだろう。

 賃上げなど縁のない、小規模農業者は早く止めた方がましだという結論になる。小規模農業者の多くは、経済とは関係が無く、止められない事情を抱えていると思われる。以前豊年祭に使う5穀が無くす事は出来ないと言われた農家の方が居た。

 農業が好きだと言うことも止められない理由だろう。長年やってきて生活の中に畑作業や、田んぼ作業が入り込んでいる。生きる張り合いでもある。地域全体のことを考えれば、自分が止める訳にはいかないという、長年土地と共に生きてきた思いもあるにちがない。

 日本の地方はそうした思いの集積のようなものだ。この日本人を作り上げてきた土地への思いを断ち切らせている。農業を切り捨てることにした自民党政権の方針の誤りである。いや、農業の展望を打ち立てられなかった、今も見付けられない政治の責任だ。

 日本の食糧自給率は30%ぐらいまで落ち込むのだろう。農業では生活できないのだから、そうならざるえない。大規模農家だけで、どこまで食糧自給を伸ばせるかだが、大規模農業に向いている農地には限界がある。農業で働けるような労働者は日本人には少ないことだろう。

 今食料・農業・農村政策審議会が行われている。その話し合いの内容を見ると、この程度では到底農業の衰退を食い止められるとは思えない。農業は技術である。そのやり方が可能かどうか、やってみせてみろと言いたい。日本では出来もしないオランダ方式など無駄である。

 輸入農産物も高くなる。高い農産物を買えない日本になる。いよいよ日本の食糧危機が来る。予測される日本の35年後の状態に対して、私は自給農業をするしかないと考えている。ともかく今やれることは、自給農業の技術の確立である。


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なぜ政治に莫大なお金が必要なのか

2023-12-21 04:34:29 | Peace Cafe


 アダンのジャングルが続いている。この中はイノシシくらいしか入れない。葉のトゲがすごいのだ。根も龍のようにぐるぐるのたうち回り、中を這うことすら出来ない。一度アダンのジャングルになってしまったならば、大きなユンボで入らなければ片付けることすら出来ない。

 今回のパー券キックバック方式は、根が深い。アダンのジャングルのようだ。遡れば、自分党結党以来やってきたことと考えた方が良い。自白した議員が言うには、これは政治家の文化といえる慣習なのだそうだ。政治家にはもらった金を税務署に届けないでいいという慣習がある。そう考えるほど一般の人とは違う世界。

 不法献金の言い訳はいつも、政治にはお金がかかるから仕方がないだ。ばれたら修正申告すれば、それで済むと考えている。そのように発言している自民党議員もいる。政治家になる人は良心など初めから無いのだ。それが政治家の伝統文化だと考えている。悪も善も併せ持つのが政治家だという文化。だから、こんな悪行がいままで見逃されてきたのだ。

 今更の逮捕劇であるが、こんなことは誰でも知っていたことだろう。しかし、度が過ぎたのだ。犯罪と言えるレベルまで、感覚が麻痺したのだ。みんながやれば怖くない。キックバックなら検察も黙認してくれる。文句を言うようなら人事で、割を食わせてやる。これがアベ流である。

 バレないだろうというか、見逃してくれると政治家みんなが考えていたに違いない。上納金を増やすための実に巧妙なやり方である。防衛副大臣を辞めさせられたアベ派議員は、派閥が政策を研究するためには、お金必要な事はよく分かると当然のごとく言っていた。これがまず微妙だ。

 政策を研究するためには、調査をして十分な資料を集めなければならないのはわかる。例えば、自民党の政策目標の一つである、食糧自給率の向上のためにはどうすれば良いかを研究するならば、農水省に指示しても出てこない資料がある。政策集団と称する派閥が行った実際の作業がどんなもので、どういう費用が出ているのか知りたいものだ。

 選挙区に戻り、農家の皆さんに経営のことを聞いて歩いたようなことはあるのか。選挙運動では歩いているだろうが、自民党として政策を出すための本格的な調査など、しているなど聞いたこともない。本当のところは政策集団と言いながらも誰も研究などしていないに違いない。

 企業が新製品を開発するときの開発費のようなものが必要なのだろうか。あるいは大学の政治学科の研究室の研究費のようなものが必要と言うことだろうか。実際に政策がどう機能するかをシュミュレーションをするための、コンピュター利用が必要と言うことなのか。確かに本気であれば政策研究にお金は必要になる。

 どうも隠しておくような費用ではない。政策を研究したいというのであれば、是非とも費用をかけて、食糧自給を改善するための研究をしてもらいたい。問題は実はそんな調査研究を政策研究集団の中でやったことはないと見える所である。政策研究集団とは党での出世のための順番待ち組織だろう。

 そうした派閥が行った研究成果を示して貰ったことがない。自民党各内閣は建前として食糧自給の向上を掲げてはいる。具体的な方策など考えても居ないとしか思えない。出てくる政策は自民党議員からではなく、農水省からのように見える。自民党が重要項目とする政策にどのような費用がどう使われたかを、明確にしてもらいたい。

 少なくとも政党助成金が出ていて、そのお金は各派閥に配られているはずだ。以前、アベの指示で、特別に河井克行・案里議員の選挙のために1億円も出した事件があった。結局の所そのお金は県や市の議員に配られた賄賂だった。政治にお金がいるというのは、こういうことが実際の所では無いのか。

 議員になれれば上がりと思っている人達だ。政策を本気で研究などしているとは正直思えない。もし本気で研究しているのであれば、すべてガラス張りにした方が、議員自身のためでもある。社会の為でもある。隠しておく必要など全くない。何億円もかかるほど、勉強してくれているのか。とその人に投票したくなる。

 政治資金問題の解決は簡単なことだ。政策集団で検討するまでもない。政治献金や政策研究に必要な経費はすべてクレジット決済にする。現金は禁止だ。その上で、政治資金の口座は誰にでもインターネットで内容が見えるようにしておけば良いだけのことだ。悪い事に使わないのであれば、後ろめたいことに使わないのであれば、それが出来ないはずが無い。

 公開しにくいおかしなお金の出入りがあるのが政治家だ、そう誰もが思っている。これが政治不信と無関心に繋がっている。この機会に政治資金の透明性を岸田政権は主張しろ。もうどうせ泥船だ。罪滅ぼしに沈む前に少しはまともなことをした方が良いのではないか。あの人無能に見えたけど、最後だけはまともだったと言われるたほうがまだ良いだろう。

 実際の所政策は官僚が作っているのではないか。丸投げと考えて良いのではないか。違うのだろうか。大きな方角は政治家が模索する。その具体的な政策化は官僚が行う。これが実際の所ではないのだろうか。このやり方であれば、議員自身にそれ程お金がかかるはずがない。元論政治家自身が研究すべきなのだが。

 政策を作るには審議会がある。食料・農業・農村政策審議会 というものがあり、各部会に分かれて、どうすれば良いかを専門家が検討している。と言ってもそこでは食料安全保障のことは議論されているようだが、自給率を50%に向上させるべきともしている。しかしながら具体策はない。議論内容を見ると、私にはほとんど期待が出来ない。

 農業者の収入が半減している。これを何とかしなければ、農業者はいなくなる。ここに政策が必要だ。新しい農林水彩大臣は就任挨拶でそう述べた。農地は消滅し続ける。食糧自給率の向上どころでは無い。農業者が居なくなってすべてが終わる。この現実が迫っている中、まったくのんきな審議会をやっていると私には思える。

 35年前に食糧自給率の向上はあきらめて、だから自分で食糧は自給することにしたのだ。その実践の結果食糧自給率の向上のためには、2つの方向が考えられる。ロシアのような市民自体が自給する仕組みの構築。もう一つが大規模な企業農業の推進。この二つの両輪が動き出せば、食糧自給率は上がり始める。食糧輸出ではないのだ。企業の発想で農業を考えていたのではだめなのだ。

 いわゆる普通の農家はますます経営が出来ない。給与所得を向上させて、経済の好循環と岸田内閣は政策を出している。ここでは給与所得者ではない農家のことは忘れられている。多分報道も国民全体も、経済を考えるときに農家のことなど思い出しもしないのだろう。

 こうしてさらに食糧自給が後退している。50%に向上どころではないのだ。韓国では44.4%。台湾では83.1%。日本が38%。東アジアの安全保障を考えたときに、似たような環境の国の中で、一番だめなのかが日本なのだ。これは間違いなく政治の責任であろう。1970年当時には70%超えだったのだ。

 韓国、台湾は似たような条件の中、日本より食糧自給にも頑張っている。何と仮想敵国としている中国は食糧自給率100%なのだ。これでは彼我の差は大きすぎる。多分、現状把握は大半の政治家は出来ているのだろう。しかし、どうしたらよいかを考えている政治家も、派閥もないと思う。

 派閥での政策研究費がなんであるのか。是非とも岸田さんは説明責任を繰り返し言い逃れの材料にしてきた岸田総理こそ、説明責任を果たして欲しい。そして、すべてをクレジット化して、国民に見える形にしてもらいたい。
 

 
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安倍晋三の悪行の数々

2023-12-20 04:13:33 | Peace Cafe


 安倍晋三氏は暗殺された。死んだ人を批判するようなことは趣味の悪い事ではあるが、アベに関してはそこまでやる必要がある。繰返し繰返しアベ批判をしてきた。アベ的な物が、日本人の一番悪い所だと考えたからだ。アベ的な物とは、忖度の押上げで積み上げられた世界だ。自分だけ上手くやれればいいというゲス根性だ。

 アベ的な物を上げれば切りはないが。具体例としては一つ目は統一教会という韓国の反日組織を支持し、利用していたことになる。その安倍晋三氏が統一教会問題で暗殺された。そして、なんと国葬になった。こんなことはありうることだろうか。

 忖度である。その裏にあるのが、ご都合主義の腹黒さである。アベの了解で岸田内閣は出来た。アベとしては言いなりに出来る人物だから、総理大臣に推したのだ。岸田内閣は当初からアベ忖度が目立っていた。そのアベの派閥である清和政策研究会は自民党最大の派閥である。そして跡目は決まらず、未だ内部抗争中である。山口組と同じではないか。

 岸田内閣ではアベ派が重要な役割を、かなりの数の人が担っている。その大勢をここで切り捨てると岸田氏は考えた。そのように考えたから検察が動けたのかもしれない。事前通告がなされ、実行された。過去になかった激動である。今反撃の岸田潰しが進んでいるのだろう。

 すかさず、岸田派も同じだというニュースが出た。さらなる反撃が岸田内閣に襲いかかるはずだ。岸田氏は長年のアベのライバルなので、アベから使わないように言われていた、林元外務大臣に、泣きついて官房長官を引き受けてもらった。キックバックを受けていて引き受け手がなかったのだ。

 安倍晋三氏は自分の権力の拡大のためには、日本人を韓国の反日組織に売り渡すぐらいの悪党である。人身売買ぐらい何とも思わないのだ。悪事を悪事と考えていなかったほどのたちの悪い人間なのだ。アベが悪いという前に、日本の暗黒部分が集結して、アベをがん首にすえたのだ。

 安倍晋三記念小学校事件では、公文書を偽造させたれた官僚が自殺をされた。総理大臣からのパワハラはあきらかではないか。それも握りつぶされた。加計事件では証拠をつかまれながらも、ついにうやむやに終わらせた。この暗黒世界の名目の親分が、アベだった。

 結局、死んでも国葬をせざる得ないほどの悪の影響力があったということだろう。日本人が洗脳されてしまい、祭り上げられた存在だったのだ。当人にそういう能力があったと言うよりも、そういう立場に祭り上げられた存在と考えた方が良い。祭り上げられて如才なくやれたというところが、その能力と言えば言えたのだろう。

 しつこくアベ批判を繰り返してきたのは、そんなアベに日本人の多くの人が騙されていたからだ。なぜこれほど日本をだめにしている総理大臣に投票してしまうかが、恐ろしかったのだ。アベノミクスは結果として日本の停滞の根本原因になった。なぜそれに気付かないのかが不思議だったのだ。

 日本の総理大臣というものは自分の考えなど持たない方がましというのが通り相場である。岸田総理大臣が新しい資本主義と主張し、倫理のある経済を取り戻すというようなことを、言ったような言わなかったような感じだが、まったく意味をなさなかった。それはアベ氏の瑞穂の国発言と同じことである。

 見栄えの良い建前の看板は掲げるが、本当にやりたいことなど無い。やりたいことがあるような政治家であれば、総理大臣にはなれない。総理大臣になることが目的のような人間だけが総理大臣になる。そのためには自分の考えはないほうが良いらしい。

 アベの人集めの方法の一つが、ここに来て公開された。キックバック方式と言うらしい。アベ派に入るとパー券という上納金が選挙区ごとに要求される。それぞれの地域によってノルマが決まっている。暴力団とその点同じである。集金の努力は、成果を上げれば裏金キックバックで、見返りを受けることになる。だから頑張って、汚職をしてでもパー券を売る。

 パー券の購入者はメカジメ料と思って払っているわけだが、それぞれに恩恵があるので、莫大なメカジメ料が集まる。その恩恵は森友学園のように、国有地の格安払い下げであったり、加計学園の場合は大学新設の特別枠である。間違いなく表沙汰にならなかった悪行は数限りなくあったはずだ。

 琉球弧ミサイル基地計画の裏にも、リニアモーターカーの建設にも、大阪万博にも、IRの賭博場計画にも、東京オリンピックにも、コロナパンディミックにも、政府のやることなすことに、メカジメ料が存在するのだ。なぜ最悪の政治状況に国民は気付かないのだろうか。多分、恩恵を受けたいとする人間がごまんといるのだ。

 今回アベ派の5億円だけに捜査が入っていると言われているが、まったく氷山の一角である。時効があるので、5年だけに絞られているに過ぎない。上納金が多かった人物が5人衆に取り立てられて、影響力も大きかったのだ。つまりお願い事が通る確率が高い人物が、幹部なのだ。

 大規模開発事業では、現場では必ずゴタゴタがある。役所の許認可でも1ヶ月で済む人と1年かかる人が居る。私はいつも1年以上かかる人間の枠だからよく分かる。これをアベ派の5人衆に通せば、1週間で通るかもしれない。土地の買収など、一筋縄でいかないことが普通だろう。これを快刀乱麻する効果があるのが、悪の政治力である。

 そんなことは無い。と考えている人は居ないと思う。多分そうだろうと半分の人は疑りながら見ている。半分位の人はそれが当たり前だ。何が悪いんだ。上手く利用すれば良いだけだ。そう考えてパー券を買うのではないか。これが日本の政治風土になってしまったのがアベ時代と言える気がする。

 悪事は数限りないが、「桜の会」事件が象徴的なものだった。桜の会という行事は本来は国に対して貢献した人へのお礼の会であった。例えば長年目立たない形で地域の福祉に携わった方へのお礼の意味の招待である。ところがアベ氏は、自分の権力を地元の人達に見せつけるために利用した。

 暴力団が著名な歌手に宴会で唄わせるのと同じ手口である。自分の力の誇示である。そして、おらが先生は何でもやれる人だと思い込ませる演出である。アベは国家というものを私物化したのだ。もちろんアベノミクスの失政。特定秘密保護法。集団自衛権の合憲。黒川弘務東京高検検事長の定年延長問題。

 これ以上無いような悪い事を繰返しているが、その一番が国政というものを私物化したことだ。これが日本の活力を奪う結果になった。何もやっても空しい、どうにもならない感がまん円した。メカジメ料を払わない人間が、割を食うという社会を確立したのだ。

 日本をパー券を買わない奴が馬鹿を見る社会にした。アベは日本から活力を奪い、ずるい奴が得をする社会を確立した。日本にはそういう胡散臭いところがあったとは思う。しかし、それを悪い事だという程度の慎みはあった。ところが、今ややらない奴がバカだという社会と言える。

 
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久留米旅行と小田原行き

2023-12-19 04:16:45 | 身辺雑記


 月に一回小田原には行く。その時に東京にも行く。今回はそれに加えて、久留米に行った。たまたま、福岡に行くピーチの飛行機の格安航空券が買えたからだ。セールで上手くチケットがとれれば格安である。福岡から成田も安かったので、直接石垣から成田に行くより安かった。

 この機会に前から行きたかった久留米に寄って行くことにした。石垣島から福岡空港までは1時間半。福岡空港から久留米までは1時間ぐらいかかった。福岡のような大きな町よりも、久留米ぐらいのいくらか小さな町の方が安心する。

 久留米は人口が30万人くらい。金沢と小田原の間くらいの町だ。青木繁と坂本繁二郎の生まれた町だ。古賀春江も久留米出身だ。昔は変わった絵描きが生まれた町だった。多分今はそういうこともないのだろう。というか今は絵描きなどどこにも登場しない時代だ。

 今回、石橋記念館で古賀春江の絵を見た。7人のお坊さんを描いた奇妙な絵だ。このお坊さんがなんとも、変だ。人間ではない。形態だけの仮面的な異様なお坊さんが、不思議な儀式をしている絵。実に怪しい。私が考える絵とはほど遠い。しかし、このおかしな絵に力があることにも驚いた。絵は善し悪しだけではない。

 坂本繁二郎の自画像の絵も実にいやな絵だった。いやなのだが忘れられないような絵。自画像だが、なんとも不機嫌極まりない絵だ。こんな人と会いたくもない。人を不愉快にするような絵でいいのかと思った。これほど病んだ精神がむき出しの絵はない。ゴッホの自画像以上だ。すごい絵だとは思うが、絵はこれでいいとは思えない。これは禅病にかかった画家の姿だ。

 ほかに2点あったのだが、どうということもない絵とはいえないようなものだった。上手ではあるが、それだけで精神が存在しない。なぜえと絵らしきものがあるのかと思った。多分私の絵も、今のところ絵らしきものに過ぎない。この大きな壁をどうすれば越えられるのだろうか。

 この時期石垣島を離れるときは、寒さに要注意なのだ。石垣島は28度だ。今のところ、夜の温度も20度以下に下がることがない。だから、雪が降るようなところに、突然来るというのは体調を崩す危険がある。以前小田原の家が凍り付いていて、ホテルに泊まったことがあった。

 着いた日の夜は早速久留米の名物の焼き鳥屋に飲みに行った。ところが、どこも満員では入れなかった。久留米の12月の土曜日に、予約なしでゆく方がおかしかった。でも、店を探しながら、久留米の飲み屋を探してウロウロうろついた。これがしたかったようなものだからいいのだ。

 冬の小雨の時折降る中を濡れながら、飲み屋を探して知らない町を歩く。それも悪くはない。ガラガラと戸を開けて、一人なんだけど入れてもらえないですか。と聞いて歩いた。まあ店の様子を見せてもらうつもりで歩いた。ネットに出ているような店はすべて満員。

 しょうがない駅前のホルモン屋にゆくかと戻る途上。路地の奥に赤提灯がある。開けにくい扉だったが、開けると誰一人いない店があった。おもわずひるんでしまったが、ともかく誰もいないから、扉を開けた以上座るほかない。おじいさんが一人いる。多分85歳にはなっている。ガラスケースには今日出す串焼きが、美しく並んでいる。

 値段はどこにもない。おじいさんが言うには、よその店は輸入物の串焼きだ、わたしのところは全部自分が指した本物。だからちょっと高いよ。その値段のない商品名の札は30品ほど。この字がなんとも素晴らしい。つい見惚れてしまうほどいい字だ。下手な字だが本物の味。

 つまり暗に高いということをいっているのかもしれない。まあいいだろうと思い頼む。そうだ店の名は「五右衛門」。壁に貼られたダルム、ハイボール、の字素晴らしさだけで十分。一流の字である。45年やっていると言われた。ダルムのおいしさは過去最高の素晴らしい。これなら高いのも仕方がない。

 しばらく飲んでいて、もう一本とお願いすると、ダルムは一本だけ。と、断られて終わり。ほかには入れなかったと思われる3人連れが来る。それで出ることにした。なんと1300円。あまりに安い。過去最安値だろう。きれいに串刺しにして、丁寧に焼いて、焼き加減も絶品。ビールもうまかった。といって好きなスーパードライの瓶だ。

 カウンターだけの無理して6人という小さな店。五右衛門でダルムを食べただけでも久留米に来た甲斐がある。また行きたいが、多分次にゆくともうないのだろう。今は夢だったような気がする。今度ゆこうと考えて、あちこち探したとしても多分たどり着けないのだ。そう思っておく。

 久留米に来た主目的の文化施設。ブリジストンの創設者石橋正二郎氏の生まれた町。ふるさと久留米に素晴らしい文化施設を作り寄贈されている。音楽ホール。美術館。日本庭園。バラ園。図書館。大学。坂本繁二郎のアトリエ。「世の人々の楽しみと喜びのために」

 昔ブリジストン美術館だったものは、今はアーティゾン美術館 Artizon Museum, Tokyoとなった。東京駅からまっすぐのすぐそばだ。今は野見山暁治展をやっている。収蔵作品の8点が展示されているらしい。3月までやっているから東京に出たときに見に行きたい。

 よくこれだけのものを個人で寄贈できたものだ。ベネチアビエンナーレの日本館も寄贈したらしい。中学生の頃、ブリジストン良い自転車に乗っていた。ブリジストンで正解だったと思った。今度タイヤを替えるときはブリジストンにする。

 実家は久留米の足袋屋さんだったとある。17歳で家業を継ぎ、地下足袋、ゴム靴。そしてタイヤと事業を発展させたとある。よほど商才のある人だったのだろう。道徳のある起業家である。孫さんとは違う。確か孫さんも福岡出身ではなかったか。

 ソフトバンクは孫さん一代でも危ういかもしれない。ブリジストンは100年は大丈夫だろう。石橋正一郎の精神を維持できれば、何世紀も続くかもしれない。どんな世界になっても、「世の人々の楽しみと喜びのために」この精神があれば大丈夫だ。

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与那国島には花酒がある

2023-12-18 04:15:25 | 地域


 与那国島には「花酒」と呼ばれる華やかな泡盛がある。何かの花を原料に入れたわけではない。与那国島以外では泡盛を名乗ることが許されていない60度の泡盛なのだ。アルコール度数が60度あるので泡盛とは言えず、スピリッツと呼ばれるらしい。伝統的なものである。作り方は泡盛なのだから、泡盛と表記できることに最近な成った物だ。

 泡盛の度数を政府が決めるというのもまたあこぎなものだ。もちろん酒税法が関係している。泡盛の特別税率は沖縄返還に際して、沖縄の地元企業を保護するために、行われた。しかし、いよいよその軽減措置も段階的になくなることが決まっている。花酒はそもそも軽減措置を受けていないお酒と言うことになる。

 花酒がかなり美味しいのだ。毎日泡盛以外飲まない泡盛好きが書くのだから、まあそれなりの根拠はあると思う。毎日泡盛を飲んでいると、泡盛の違いが分かるようになる。古酒のおいしさが分かるようになる。分かったから偉いというものではないが、自分の好みのお酒を飲みたくなる。

 花酒の値段は一升瓶で7800円である。これを2倍に水で薄めればおよそ普通の泡盛になる。普通の泡盛は1升2千円くらいからある。泡盛を造るときに最初に揮発され出てくるものがアルコール度数が高いらしい。この最初の泡盛が60度の花酒になる。

 昔はアルコール測定器がないから、アルコールの度数を見極める方法に、高いところから泡盛を器に流し込み、泡の出方で度数を決めたらしい。度数の高い泡盛は、あぶくが花のように開いた、一番度数が高い花酒になった。と、言われている。これは美しい泡盛の話だと思う。やはり度数の高いお酒ほど美味しかったのだ。

 特に花酒を古酒にすれば、100年経ってもアルコールが飛んで行くとしても、まだかなりの度数がのこり、美味しかったはずだ。本物の100年古酒は花酒でしか造れないと言えるのかもしれない。琉球王朝時代はそういうお酒で、中国からの使節を接待したのだ。琉球の文化の力を表現した花酒。

 与那国の地元の方に花酒の美味しい飲み方を伺ったところ、冷凍室で凍らすほど冷たく冷やすのだそうだ。十分冷えている花酒を、わずかおちょこについで、飲むと一番美味しいと言われた。60度もあるお酒なので冷凍室でも、まったく凍らないというのだ。

 与那国島は台湾まで111キロ、石垣島まで117キロあり、周囲には早い潮流があり、小さな舟では行き来できない島。与那国島だけに残った花酒の歴史。周りの島との交流が難しい中から花酒は生まれて、生きのこった。与那国島の独特の歴史を花酒は表わしている。

 離島であるがゆえに医薬品がすぐには手に入らず、高アルコールの花酒は医薬品の代用としても使われてきたらしい。高いアルコール濃度のお酒を作る文化は台湾にもあるらしい。台湾ではアルコール度数の高い 58度高粱酒を飲む習慣が昔からあった。花酒は台湾の影響を感じるお酒である。

 中国にも高いアルコールのスピリッツがあり、これでやたら乾杯をさせられる。これをどんどん受けると、なかなかすごい奴だと信頼されるのだ。田中角栄はこの強いお酒で、周恩来と何倍でも乾杯をしたそうだ。何倍飲んでも角栄はまったく酔わなかったという。それ程緊張していたと後に語っている。

 与那国島には現在3つの泡盛酒造所がある。そう書かれているが私は探したが2つしか分からなかった。崎元酒造所は、与那国島で一番歴史のある酒造所。1927年(昭和2年)に農業を本職とした17人の出資者が共同設立したとある。酒造所の存続と与那国島独特の花酒文化を守るために1971年に崎元酒造所に改名し現在に至る。

 現在崎本家一族で花酒を作っている。泡盛600年の歴史を伝承する昔ながらの古式地釜蒸留機を使用し、少人数で伝統的な手造り製法で泡盛、与那国島のみで造られる高濃度泡盛、花酒(はなざけ)を製造している。息子さん兄弟が跡を継いでいるので、未来に繋がっている。

 滅多に花酒を飲むことはない。特別なときの楽しみで花酒は飲む。普段は玉那覇酒造の玉の露43度の古酒である。引っ越してきて以来、甕で熟成させているのだ。これをほぼ飲んでいる。これもなかなか美味しいと思って満足している。

 ただ、泡盛は随分もらったし、何かの機会に買っている。買って小田原に行き、小田原からまた石垣に戻ってきたものもふくめてかなりある。それもすこしづつ飲んでいる。だから、自分の仕込んだ甕の泡盛が古酒になったのものを、ぐいぐい飲むのはまだこれからの話だ。

 先ずは様々な泡盛の瓶入り古酒を飲みきるのが先だ。ヤフーオークションで古酒を見るとつい買ってしまう。色々美味しいものだ。あまり買っているといつまで経っても、古酒の甕に行き着かない。まあ古酒が熟成されているから、それはそれでいいが、酒が飲めなくなる前に飲まなければ何にもならない。

 それでいいとは思うが、やはり特別の日には花酒だけは飲みたい。先日の石垣島祭りでは花酒を出す屋台があり、ありがたく飲ましてもらった。それは炭酸割だった。炭酸でわってもさすが花酒で美味しいのだ。あまりのおいしさにびっくりしてしまった。満天の星の下で飲んだせいかもしれない。

 泡盛飲み方には色々あるが、確かにハイボールのようにして飲むと、飲みやすい。水で半々ぐらいに割って、一晩あるいは数日寝かして飲むのを「前割り」というとか、通が書いている。これはどういう飲み方か不思議な気がする。アルコールがいくらか抜けてしまいそうで心配になる。

 この前割をさらに燗を付けて飲むという人もいるそうだ。何か変な飲み方だ。どうせ泡盛は60度もある強いお酒を水割りして34度あるいは25度を作っているのだ。これをさらに水で割ったからと言って、何が前割だ。何ともおかしい。しかし、酒というのはそういう運託を並べて飲むところが良いのだろう。

 炭酸割りでも十分のアルコール度があるから、飲み応えがすごいものだった。はなざけを飲んでいたら、路上寝に成りかねない。花酒を墓場に亡くなられたご先祖様と一緒に埋葬する。8年たつと洗骨を行う。そのときに花酒を使い洗うという。

 そして、ご先祖様の前で、酒盛りをする。それは味わい深いご先祖様の味がしただろう。洗骨の意味を感じる。伝えてゆく心がこもっている。そのためには花酒でなければだめだろう。強い酒を飲んで、はらわたに染みるて来る何かがあるに違いない。


 
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第190 水彩画 日曜展示

2023-12-17 04:10:25 | 水彩画
 第190 水彩画 日曜展示




336「麦畑のに続く放牧地」
2023.12 中判全紙。






337「代掻き」
2023.12 中判全紙







338「しろかき」
2023.12 中判全紙







339「光の畑」
2023.12







340「たいも」
2023.12 4号







341「はなさく」
2023.11 4号







342「富士」
2023.12 0号


 のぼたん農園はしろかき、畦塗りと取り組んでいる。正月の田植えに向けて準備が進んでいる。同時に正月頃に稲刈りにも成る。畑も今が一番賑やかで、ジャガイモ、とうもろこし、トマト、たまねぎ、麦と育っている。石垣島の一番良い季節だろう。

   絵も気持ちよく、天候に合わせて、充実して描くことが出来ている。畑の絵が現われる。田んぼや畑を描くのは難しい気がして、余り描くことが無かったのだが、今は別段上手く描こうとは思わないので、描けなくてもそのまま取り組んでいる。誰よりも畑の土のことを知っているつもりだ。
 
  しかし、絵は分かっていることよりも、分からないことの方がおもしろいのかもしれない。わかんないなあ、出来ないなあ、と言うようなものも絵だと思っている。こんなに良くできましたは、絵ではない。まだまだ、自分のだめなところまで現われない。と言うことは、良い所もまだまだだに違いない。




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