地場・旬・自給

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太陽光発電の減少

2008-03-31 04:57:43 | 環境関連
07年の日本の太陽電池生産量は92万キロワットで、前年比11・3%減少したことがわかった。政府の掛け声だけの新エネルギー政策の実態が見えてくる。温暖化対策の京都議定書。循環型の、新エネルギーへの転換。標語としては繰り返しているが、具体策は後退している。何の対策もないのでは、CO2削減の約束が達せられる可能性は、少ない。福田内閣ほど、政策を持たない政府は日本の政権の中でも珍しい事だろう。安倍氏が特にいけなかった。憲法改定やら、再チャレンジやら、訳のわからない事を主張して、肝心の実務がなおざりになった。同時にそれに付き合うように、民主党の姿勢も前向きな所がない。企業別で7年連続1位だったシャープ(大阪市)のパネル生産もドイツのメーカーに抜かれた。ドイツやスペイン、ギリシャ、韓国では、太陽光発電からの電力を電力会社が優遇価格で買い取る制度を導入し、市場が急拡大している。

太陽光発電を否定的に考え、主張する環境派の意見も多い。もっと合理的な発電法がある。あるいはパネル生産が資源の無駄だ。しかし、今必要なことは、小異を捨てて、原子力発電の危険を考える方が大切。NO2問題が深刻な火力発電であっても、原子力発電のリスクと比して考えなくてはならない。それほど、日本の原子力発電所は、危機的状況。全ての発電方法対、「原子力発電」の構図で考えたい。人類に対する日本人の緊急の責務だろう。ソーラーパネルが、日本の屋根全てに乗れば、丁度原子力発電所の発電量になる。費用も同レベルだ。日本の屋根というものを見てみると、実に様々だ。桧皮葺、茅葺もまだある。瓦屋根がやはり多いいが、小田原は震災以来、瓦は避ける傾向があるそうだ。トタン屋根。今は鉄は無くなり、ガリバリューム鋼板。鋼板でも銅葺きやら、素材は多様。スレート。あるいは石に見えるプラスティク素材。極端に言えば同じ物がないほど様々だ。これにソーラー屋根が加わって欲しい。

この滅茶苦茶の屋根の様子こそ、多様で、節操のない日本人らしいといえる。おかしな混乱だけど、これを現日本風景。何でもやってみる姿だ。ソーラー屋根が割り込んでも日本の屋根なら、そうおかしくはない。私の家は銅葺き、これが情けない。せめてトタンなら、と思うがそういう家だったので仕方がない。屋根から集める水も、銅では飲めない。日本の多様な屋根がすべてソーラーパネルになる日。それは原子力発電のなくなる日。太陽の恩恵を直接受けて暮す。このありがたさを、コストがどうのばかり言う人の気が知れない。産業技術総合研究所の研究では-プラスチックフィルム太陽電池の実現に向けて大きく前進-約4%と有機薄膜太陽電池として世界最高レベルのエネルギー変換効率を示すことが明らかとなった。さらに、アメリカの会社では、今までの半分以下の価格で、倍の効率ののソーラーパネルが販売された。この分野の技術革新は早い。

世界では最も拡大している発電分野であるにもかかわらず、日本は後退している。いかにも日本社会の衰退を感じさせる現実だ。日本政府が、太陽光を無視する理由、産業電力に不向きで、あくまで家庭電力だからだ。暮らしは二の次。太陽光発電量が増えてゆけば、大量消費の工業用電力が、割高にならざるえない。大量消費工場では自家発電となる。電力会社は倒産する。暮らしにおいて、エネルギーを購入しないで済む、このシステムが重要。現状、ソーラーシステムが割安か、割高か。こんな議論が多い。その発想は、食料を40%しか自給しないでいることと同じ。中国から輸入する食糧は安い。安ければそれでいいのか。エネルギーの大半を輸入していて、平気でいる。効率ではなく。暮らしの基本と成るものは、できる限り自給する。この考え方が大切だろう。シャープは27日、薄膜型太陽電池の年間生産能力を6ギガ・ワットに引き上げる計画を明らかにした。日本の一般家庭換算で、150万世帯分にあたる。2011年をめどに海外で電池生産を始める計画。
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反戦ビラ/最高裁有罪判決

2008-03-30 05:42:43 | Peace Cafe
立川の事務局から緊急の通知があった。最高裁判決で、上告棄却決定。立川・反戦ビラポスティング裁判。4月11日に判決が予定されているが、何と、有罪が確定した。驚くべき判決だ。私は細々ながら、支援を続けさせてもらってきた。上申書も最高裁に出させてもらった。ビラを配ったくらいで、75日間も勾留されるされるような国家は、権力の暴力行為の容認、としか思えなかった。まさかこの裁判が有罪になるなど思ってもいなかった。それほど日本の司法が、ゆがんでいるとは。一審では、無罪、高裁では、有罪、そして最高裁で、有罪。一体何が起きているのか。自衛隊の官舎に、イラク派兵反対のビラをポスティングした。直接自衛官に訴えたい、気持ちは良くわかる。これは確かに、管理する国、自衛隊にとっては、相当に痛い所であったのだろう。自衛官の中にも、「何故」という疑念が湧いて当然の、理由なき派兵だ。今のイラクの状態が指摘されていた。「何故、アメリカにそそのかされて、こんな戦争に行かなくてはならないのか。」

痛いところを突かれていた、自衛隊管理者は、逮捕の2004年2月以前から、警察は情報保全隊に協力を依頼し、逮捕を計画していたことが明らかになる。当初立川署は、ビラまきへの現行犯逮捕を考えていた。2003年12月の段階で、立川署は官舎・官舎住民への現行犯逮捕への協力を依頼。情報保全隊が仲介するかたちで、官舎住民への「ビラまきを見たら110番」という体制の徹底が図られた。さらに同12月、情報保全隊の立会いのもと、立川署が官舎を実況見分。現行犯逮捕に向けての共同作業が行われた。年が明けて2004年。1月17日のポスティング時に逮捕できなかったからか、警察は令状逮捕への準備に切り替える。情報保全隊に依頼して、官舎側に再度の被害届けの提出を要請。さらに、ビラまきを目撃した住民を対象に、「誰がビラをまいたか」を特定するための面割りを行うために、情報保全隊が立川署への協力を行った。同資料にはテント村メンバーの個人情報も写真つきで含まれており、恐らくは公安警察から渡された資料だろうが、個人情報の取り扱いという面でも疑問が残る。

こうして、ポスティング逮捕に至る。果たして、官舎へのポスティングが、75日も勾留されなければならない重大犯罪であろうか。もしそうであれば、私も何度も逮捕されなければならない。ビラを持って、自分の考えを伝える。この程度の事が、何故許されないのだろう。意見は違って当然。互いに、議論をするというのは、民主国家の基本だ。意見が違うから、一切を聞きたくないという事では、民主主義というものは、成立しない。異なる思想も、宗教も違いを確認し、互いに尊重する。これは市民の義務のようなものだ。市民に於ける思考の訓練こそ、最も日本人が民主主義成立の為に、学ばなければならない、姿勢であろう。何故、イラク派兵反対に対して、そこまで拒絶的なのか。寸部の議論の余地もないことなのか。アメリカの言いなりで、考えないでいいという事なのか。

11日に有罪判決理由が明らかになる。注目して欲しい。イラク派兵ビラの内容には触れないだろう。最高裁には国民に対し、どんな形のポスティングなら、罪にならないのか。分かり易く説明してもらわなければならない。これは表現の自由にもかかわる、人権の基本的問題だ。生きると言う事は、伝達したいと言う事でもある。芸術表現は全てそれが根本だ。普通に暮す私たちに、表現法は限られている。直接ビラを持って伝える。許される範囲の事ではないのか。私が舟原で養鶏を始めるとき、その内容を集落の人に伝える為に、案内のビラを作り配った。そして、見学会の案内も配った。こうしたビラ配りが違法なわけがない。しかし、これすらも最高裁の判決を見ない限り、国の法解釈はまだわからない。養鶏場の案内など見たくもないという人が居るかもしれないのに、一方的に配る。たぶん、ポストまで、入る事が、不法侵入と言う事になるのか。それなら、我が家を訪ねる警官が、庭を通過して玄関まで来るのは、不法侵入ということか。
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NHKの公共性

2008-03-29 06:24:19 | Peace Cafe
先日、NHKの経営委員会で、古森重隆委員長(富士フイルムホールディングス社長)は海外向け国際放送は「国益を主張すべきだ」と発言した。その後も、釈明が釈明にならず、さらにNHKの公共放送としてのあり方が、問われることになっている。「国益と言うとナショナリズムに結び付きやすいが、国民の大多数のためになること」この辺りが実は、難しい。国民の中にはそれこそ多様で、対極に位置づけられる意見もある。古森氏の言う所では、問題になるのが、少数派の意見である。民主主義国家では、少数意見でも、尊重され、配慮されることになっている。国益は1つではない。それに加えて、ここでは報道という、本来、批判精神をその根本にすえなければならない。社会機能の考え方の問題がある。古森氏の発言の危険は、時の政府の意のままにNHKが報道する。ことになってしまった場合、公共性はどうなるかと言う事である。

確かにそうした国営放送もあるだろう。北朝鮮の国家報道だ。国益を主張している。しかし、これを客観性ある報道とは誰も考えていない。報道は客観的事実を、中立性をもって伝えてゆく、自国の不利益な事実であっても、真実を探求し伝えてゆく。これが不可欠なものであることは、言うまでもないことだ。しかし、言葉では簡単な中立性や、公共性は、在りえる物なのだろうか。例えば、今、六ヶ所の再処理工場で何が起きているか。本格稼動に向けて、どのうような準備がなされ、今どの段階まできているのか。事故が何度かあったが、問題はないのか。このような六ヶ所村再処理工場の真実を調べ伝えるのが、報道の使命であろう。この中には、たぶん、いや必ず、古森氏の考える国益に反する事実が出てくる場合がある。それを掘り下げ伝えてゆくことが報道であろう。

世論というものがある。あるといっても不確かで、煽動され動かされやすい傾向がある。例えば、本質をそらす世論操作というものがある。タイミングとして、ロス事件のサイパン三浦逮捕に、何故という感じがする。米兵の沖縄での狼藉。このタイミングで起こされた。テレビ報道などは、意図的なのかどうか。そちらで時間を潰して、米軍のとんでもない状態は、肝心なところで消えていった。横須賀の運転手殺害の件はどうなっているのだ。歯がゆく報道がない。所が三浦の事は、まだ報道している。ここに報道の姿勢と言う事がある。報道の意図がある。それは当然の事で、見る側もそのつもりで見ている。ありもしない、万民に公平な報道。海外放送では、日本の国益を主張しろとは、随分本音を言ったものだ。国益とは企業利益と言い換えた方が、さらにわかりやすい。

NHKは止めた方がいい。理想論としては、公共性を主張可能に見えるが、実態はNHKの編集者の、主観の主張をしている。職員の不正行為は後を絶たない。同様に編集者の片寄りも人間である以上避けられない。時の権力に対するチェック機能こそが、報道の一番の役割だろう。この姿勢のない報道など、報道に値しない。NHKはその主張を、効果的に機能させるために、公共性とか、中立の報道姿勢を、言い募っているだけだ。国益なら国益主張でかまわないが、それはあくまで、公共放送は止めて、国益放送であると言う事を明確にして欲しい。当然そのときは、国益主張をして欲しいと、考えている人が、費用負担もして欲しい。民放はそうだろう。私はそう思ってみる。だから相当に偏向していても、そんなものだろうというフィルターを掛けてみている。六ヶ所村再処理工場では、現在、第4段階のアクティブ試験を終えて、全体試験の89%を終了した。第5段階最終段階に入っている。
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自給畑の春

2008-03-28 05:08:03 | 自給
今年初めてのキャベツの収穫だ。2050グラムあった。良く出来た。11月頃から苗を作って、作ったものだ。随分長期に栽培したことになる。冬の間は、微々たる生育だったが、暖かくなって一気に大きくなった。季節の巡りはありがたい。キャベツが出来るようになるのに、何年もかかった。種蒔きの時期が悪かったり、虫にやられることが多くて、なかなか大きくしっかりした球には、ならなかった。土づくりが出来るようになった。白菜の方は今でもダメだ。それでもキャベツが出来るのは、草に負けないからだ。白菜は草負けする。白菜は白菜だけで育ちたいらしい。その点、キャベツは周りに草があったほうがいい。その方が虫が集中しない。タマネギも草がダメだそうで、去年一生懸命抜いたら、結構できて、最近まで食べていた。それで草取りをと思っていたが、もう結構生えてしまった。3月に入ったら、根を揺らすから、草取りはダメだ。とそらやさんに言われて、抜かずにおいてある。

春になって食べているのは、大根、コカブ、菜花、サニーレタス、ジャガイモ。こんな所。今年は糠漬けを作ってくれているので、何でも糠漬けにして食べる、これがとってもおいしい。集荷場では、さすがにニンジンや、山芋、小松菜、ブロッコリー、椎茸。豊富に出ている。端境期を感じさせない勢いがある。苗は、トマト、ピーマン、ナス、キューリ、トウモロコシ、インゲン、発芽した。揃ってはいないが、芽はかなり出ているので、苗土は良かったようだ。又追い播きをそろそろしたい。今度は畑の直播も始める。先日相原さんから貰った、さつまいもの種芋も、苗を作りたいと思う。サトイモの植え付けもそろそろやろう。そういえば今年はレンゲの出来がいい。盛り上がるように育っている。畑では、直播した、ごぼう、ほうれん草が、大根、コカブが、一斉に芽が伸びだしている。今年の春は適度に雨が降るし、暖かい日が続くので、作物の方はきわめて順調だ。

29日には、いよいよ稲の種籾の浸種だ。冷たい水で2週間は最低漬けておきたい。水はどんどん変えないといけない。15度より上がると、一気に芽が出てきたりする。今年は暖かいから要注意。最初に種籾が接する水は、海水がいいと思っている。今日、港に取りに行く。海水で、塩水選を行う。もちろん塩分濃度は足りないのだけれど。海水で浮くような種籾はさすがに使えない。種籾は今年もアキニシキだが、先日、藤沢の食生活研究会で知り合った相原さんの所でも、アキニシキだといっていた。消費者が、それがおいしいというのだそうだ。舟原田んぼと一緒だ。有機栽培向きの品種がある。満月糯も有機栽培向きといわれていた。全く違うところで、同じ結果に20年もかかって出会うというのが面白い。継続して来てよかったような気になった。

野菜でも作りやすい種類があるといわれていた。やはり自家採種の方向は、有機栽培には不可欠なようだ。こう言う事も、だんだん情報が整理されて、国全体が取り組んでくれるように成るといい。もちろんそういう種苗会社が出てこないといけないのだろう。笹鶏の雛が孵化している。おおよそ100個孵して、70羽という所だ。これ以上孵化しないつもりだったが、もう一回だけ孵化するか。少し迷っている。畑のほうもアレコレやりたいのだが、最小限の家の方ばかりやっていて、しばらく手をかけていない。家作りは面白い。ゆっくり進めようと思うのだが、ついつい進めてしまう。壁板を張り、屋根をとめる半ヌキを仕上げた。草刈ももう始めるのかと言うほど、草が急に茂ってきている。
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広域農道

2008-03-27 05:31:47 | 環境関連
舟原には南足柄の大雄山から繋がる広域農道がある。この道は、そのまま国道一号線に向けて、進んでいる。進んでいるというのは、途中で止まっている。計画では、一号線と繋げ、一号線を抜けて、秦野から、厚木へと抜ける車の小田原のバイパス機能を期待した計画に見える。更に一号線をまたぎ、伊豆半島方面へも広域農道は延びている。真鶴半島のずーと上の山の方を抜けて、湯河原に到達する。これは海沿いの熱海伊豆の観光道が、慢性化した渋滞のため、それを回避する道といわれている。これも建設中で、一部は既に開通している。この広域農道全体から見ると、箱根の東側山麓中腹を巡る、観光道路とも言える。何故、この道路が、広域農道といわれているのか。そもそも不明だった。確かに坊所の田んぼに、トラックターで行くとき利用はさせてもらうが、農道とは言え、トラックターでゆっくり走れる状態ではない。

今朝の朝日新聞には、03年度までに整備された全国の広域農道のうち6割以上が完成後、一般道に用途が変更されていたことが分かった。農道は一般道より着工基準が緩いが、維持管理費への国の交付金は一般道の方が多いためとみられる。農林水産省は農道を管理する市町村に変更しないよう求めているが、今も変更が相次ぐ。農道が安易な道路建設の「抜け道」にもなっている。調査対象となった農免農道9080キロのうち8割に当たる7480キロも一般道になっていた。 このように書かれている。作り安い広域農道や、農免道路として、作るときは作るが、後で管理負担の少ない、一般道に変えてしまう。こういう抜け道的手法が一般的らしい。舟原を通り抜ける、広域農道は農業用という側面はほとんどない。ごく普通の生活道路であり、観光道だろう。農道だけでなく、林道にもこういう抜け道的建設がある。

この道路で、農地を買収された人の話では、農道というと安い買収価格なのだそうだ。まして、林道と成ると、土地の無償提供だそうだ。穿ってみれば、建設業者のための道路作りで、一番いいのが、林道、次が農道となる。建設予算以外が余りかからない。これが一般道では、買収費が農地の買収でも、宅地並みの高値になるのが実態だ。こんな背景もあるので、道路建設後は本来の目的であった。一般道に変更される方が自然と言う事がある。舟原の広域農道は、諏訪の原のごみ焼却場に、ごみを運ぶための道路といわれている。ごみの広域処理の為に、道路の方を先行して進めていると盛んに言われている。確かに、湯河原、真鶴、箱根、南足柄、小田原と、ごみ処理場を直結する道路でもある。

こうした広域農道、スーパー林道の建設、更に道路特定財源による、道路建設。全てが、土建国家の象徴だ。よく言われるように、地方の仕事作りでもある。公共事業は地方へ行けば行くほど、職場直結だ。もうそれなくしては生活があり得ないという所は幾らでもある。今度言われているのが、その広域農道は南足柄を通り抜けて、苅野に抜けている。それを更に延ばして、箱根の仙石原まで、延ばそうという計画が出ている。一体誰のための道路だろうか。通過する、苅野や矢倉沢の人達には、別段ありがたいというものではない。箱根への行き来の観光客が、迂回路として利用すると言う事はあるかもしれないが、地域の人で、喜んでいる人はほとんどいないと聞いている。のどかで、美しい、苅野や矢倉沢が、箱根への通り抜けの味気ない地域になってしまうことは、実に残念だ。仕事作りが実は日本の田園破壊になっている。
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飼料の発酵実験

2008-03-26 05:55:30 | 自然養鶏
牡蠣ガラが購入できなくなった。沼津の石川商店が、閉店する事になった。長年お世話になっていたので、しんみりしてしまった。飼料高騰が原因だ。配合飼料でなく、個別にトウモロコシとか、小麦とか、いろいろ置いていてくれる、ありがたい飼料屋さんだった。飼料屋さん自体が、小田原には当然ないし、周辺にもなかった。私は、牡蠣ガラ、蟹ガラ、海草粉などを購入していた。農協でも変えないことはないのだが、価格が高すぎて、バカくさくて、買えなかった。石川商店の方の話だと、止められる畜産の方が多数いるそうだ。60%も餌が値上がりしてやっていける訳がない。こう言われていた。こうやって、小規模畜産農家は淘汰されて行く。いよいよ、飼料の完全自給の時代が来るのかもしれない。そこで、牡蠣ガラをどう生産すればよいか。カルシュームをどう与えればいいか。発酵実験をしてみている。

以前も、貝殻を発酵させてみて、1週間で、アサリなどがボロボロになり、2週間で、相当割れてゆく経験をしていた。所がハマグリは3週間経ってもダメだった。今回、帆立貝と、牡蠣の殻を発酵飼料に混ぜて、2週間様子を見た。その結果が冒頭の写真だ。帆立貝も牡蠣ガラも手で割れる状態まできている。これならそのまま続ければ、牡蠣ガラの粉砕飼料が無くてもいけそうだ。やり方としては、3週間で必要な量。私のところで言えば、15キロ。この量を貝の形のまま発酵層に入れる。3週間後からは、毎週5キロ発酵槽に加える。これで3週間後からは飼料に牡蠣ガラが加わり始めるはずだ。卵の殻を見ながら、続ければ時間と適量が見えてくるはず。今まで廉く牡蠣ガラが手に入り、つい甘えていた。今度は貝殻が廃棄されている所を探せばいい。

この実験を始めてみたのは、自然卵養鶏のフォーラムに質問が出ていた。どうやって粉砕すればいいかと言う事だった。それなら発酵させてみたら、以前の経験では可能な気がしたのだ。石川商店の閉店が加わり他人事ではなくなった。畜産業界はいつも人間の先を行く。食料高騰時代の幕開けになるだろう。人間は石油を食べているのだから、石油が上がれば食べ物も上がる。加えて、食べ物を石油代わりにしようというのだから、食べ物が大変なことになる。地球に人間が増えすぎた。限界を超えているのだろう。こんな状態になっても人口減少をマイナス要因と考える人がいるのは、経済優先の発想に毒されているからだ。労働人口が云々など、戦時中の産めよ増やせよのスローガン。と同じことだ。

やれることは、まだ飼料に成るものは、徹底して飼料化する。それには発酵技術が重要になる。しかも工場でやるような大規模発酵技術でなく、ローテク技術だ。自給家庭に発酵利用の飼料化を持ち込む事だ。何しろ、食品廃棄物が、2000万トン、飼料の輸入が2000万トン。食品廃棄物をどうまわすかを考えれば、先ずは解決する。そんなことは、10年ほど前から、盛んに言われて少しも上手く行かない事だ。それは産業として回す事を優先しようとして、畜産農家が直接は、かかわれないように制限しているからだ。小田原でも学校給食を有料で引き取る。産廃処理業者が居る。それでも産業としては成立しない。私なら、ただで引き取って、廻って行く。それを業者保護のためと思われるが、私を排除する。何処でも産業として、廻そうとしても出来ないでいるから、10年、何も変わらない。事例も出てこない。今更、小田原が業者を育てようとしても無理なことだ。この事実を環境関係の人でも理解していないで、産廃業者を持ち上げているから驚く。
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無防備平和条例

2008-03-25 05:44:09 | Peace Cafe
小田原市議会では、無防備平和条例が審議された。一杯の傍聴席は久々の事だろう。平日の月曜日、誰もが苦労して、仕事を休んでの参加だ。床屋さんだけはそうでもないか。今回条例制定署名の代表の6名が、意見陳述をさせてもらえた。条例制定の署名が、20人に1人5%集まった成果だ。議会事務局も頑張ってくれたとは思うが、休日か夜間開催が相応しい市民提出の条例案だ。議会では共産党の関野市議と、ネットの佐々木議員が、質問をした。関野議員は何と、この市民条例案は憲法9条違反だ。だから反対だ。こう言い切った。何と言う事よ。見えない確執を感じる。確かに、この法案に、問題がないとは言わない。私も無防備という考え方に、100%賛成という訳ではない。それでも、迷ったうえ署名はした。平和への方向性は同じだからだ。

何故、無防備条例が憲法9条に反するか。その共産党らしい理屈は、この条例が戦争状態を前提に考えられている。というのだ、既にこの視点から無理強情に反対したい、という姿勢が見え見えだ。9条を盾に反対すれば、自らが傷つかないと考えての、へんてこ論理。憲法9条は日本が平和である事を規定している。だから、戦争状態を想定した条例は有り得ないというのだ。それじゃあらゆる平和を目指した、運動も条例も、憲法9条違反だろう。唯一、憲法9条を守れが、許された平和運動というのだろうか。それなら、何故、関野氏はわれわれの提案する9条を守る活動にただの1度も参加しないのだろう。行動の伴わない、9条を守れの口だけで何をしてきたと言うのだ。本音の無防備運動憎し、が満ち満ちていた。共産党はダメだ。小田原の共産党は、心底ダメだ。無防備条例反対派もちろんかまわない。色々の意見がある、そしてその意見を述べればいい。

憲法9条の平和主義と、無防備平和条例の考え方は、相容れないどころか、同じことを違う形で述べているだけだ。9条では2項で軍事力の放棄がうたわれている。無防備条例では、小田原では一切の軍事力を受け入れないし、装備しません。こう宣言しようというのだ。そうすれば、小田原を攻撃することは、ジュネーブ条約違反になる。だから市民の安全が確保できる。こういう条例だ。その構想の是非を論議して欲しいのだ。ジュネーブ条約などで市民の安全は確保できない。正面から反対の意見は当然ある。さらに、防衛軍備が必要だという、9条曲解グループの意見だってある。正しく読めば、9条は防衛的軍備も認めていない。しかし、日本の経済世界進出と、アメリカの都合で、防衛的軍事力は必要、いまや、アメリカ同盟国の防衛に及ぶ軍事力まで必要と、9条の曲解が進んでいる。

しかし、6名の無防備条例の意見陳述は、立派なものだった。理路整然として、分かり易く、この条例の必要性を語った。それに較べ、小澤市長や、市橋副市長の、気のない生半可な答弁の逃げ腰、不誠実。考え方の違いがあるのは当然の事、正面から自分の平和論を語るのが、行政の責任のはず。9条を守るというなら、是非その平和論を、こういう機会に述べるべきだろう。少しも言わなかった。投げやりな態度で、薄ら笑いを浮かべ、何と言う不誠実な人物か。もう選挙がないからかまわないと言う事か。8000の市民が署名した。署名したくても名前を出せない人がいる。当然だ、この名前をチェックして、差別をする恐れを、市民は感じている。それでも8000の人が署名した。市民が変わり始めている。畏れていれば、灰色の朝が来ることを、市民は気付いた。
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セルフビルドは難しい

2008-03-24 06:45:16 | 最小限の家
建前の終わった所の写真です。立派なものです。とても美しい建物になりそうです。23名で行いました。本当に皆さんお世話になりました。ありがとうございました。思っていたのとは違い、やってみると結構難しいものだと思いました。前日土台石と柱を繋ぐ、羽子板という、正に羽子板のような形をした接合金具の埋め込みをした。石に穴を開ける、大きなドリルで、何故か昔から持っていて、初めて役にたちました。石には以外に簡単に穴が開き、ガラス試験管に入ったような、樹脂の接着剤を先ず穴に差し込み、羽子板をうえから、ガラスを割るように叩き込みました。70分で硬化。これで建前準備完了。次に設計図の仕組みの理解。「いろは」と記号が振ってあります。これは各部材にも同様に記号があります。所がこれが尺貫法なので、三尺が基準単位です。

木材の南側に当る所にその部材の位置が書いてあります。その通り柱を配置します。次に柱と柱を繋ぐ、大引きに当る部材を差し込みながら、柱を立ててゆきます。立てた柱は、人が抑えている間に次々、柱を指し合わせながら、8本立ててしまいます。そのときには床を張る、横に渡された大引きも全部入っています。柱には、実に都合よい穴が開いていますので、付いてきたボクルトをともかく差し込みます。ボルトは軽めに止めて置きます。そして今度は柱の上部を繋ぐ、小屋伏せとか言う梁柱を管柱を開かせながら、穴に落としこんでゆきます。ここで大変だったのが、重い梁の材を上げてはめ込む作業。そのうえに束柱を立て、屋根を支える母屋を渡します。建築用語がわかりにくく、言葉では説明しにくい作業ですが。そう難しいことは無く、ほぼ一時間で、棟上まで、終わりました。ここまでは技術がいる作業ではなく、誰でもプラモデルと同じで、手順さえ間違えなければ、組みあがると感じました。ここで10時の休憩。

ともかく今日は、屋根の下地になる板を張り終えて、フェルトまで貼る。雨が降っても大丈夫なようにそこまではやる。ところが床を張ってしまった方が作業性がいいという事で、一気に床を張ることになる。巾のある立派なものから、床板にしてゆきます。一枚を両端と中央の3箇所、各所2本ステンレスの、ビスで留めてゆきます。淵から3センチ辺り。平行して、屋根の野地板はり、これは上に瓦なり、トタンなりが張られる板です。天井はないので、部屋から丸見えなので、下側に板のきれいな方を使います。床が張られた所で、昼ごはん。もうおおよその姿が見えてきて、その美しい事。もうここで大感激でした。

屋根に入って苦戦しました。本ざねという形の板と板の接合になっています。これが既に曲がっている上に、厚く、硬く、屋根の上、これをはめ込みながら、ビス止めは、専門家の安藤さんタイミングよく登場。相原さん、や小宮さん、など手馴れた人の独壇場。ここは、ちょっと難しいし、屋根は傾斜だし、高い、恐い。これは合いじゃくりという接合の方がいい。とか言いながら、3時に終了。軒先の危ない作業があるので、ここで、穂田さんが足場を作ってくれる。ここで休憩。軒先に雨どいを止める板を張る。後はフェルト梁と、壁板の一段目だけを貼る。ここまでやっておけば、後の作業は1人で出来る。と言う事。全てを仕切ってくれた、本田大工さんが、屋根材の注文は、笹村さんは上にいて、金物屋さんに、上まで配達して貰うように教えてくれて終わりになる。4時に写真のように完成する。素晴しいもんだ。
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「はらから」の春の音旅

2008-03-23 06:21:59 | Peace Cafe
昨夜は楽しい思いをさせていただいた。ナマステで「はらから」のコンサートが聞けた。音楽の素晴しさに酔いしれました。思いの共有。平和にくらす気持ちが、こんなにも直に、自然なかたちで伝わってきて、又響いてゆき、聞いているみんなに共鳴する。そうなんだよ。そうなんだよ。もう嬉しくて、楽しくて仕方が無い、ありがたい時間だった。1人が和歌山の方の小さな海岸で、祭りをやっていたそうだ。その海岸に流れ着きハラカラが生れ、平和の暮らしが、伝たわってゆく。今起きている。六ヶ所村やチベットの理不尽な弱いものいじめ、ダメじゃない。そんな悲惨な現実に対して、平和の空気を音楽を通して、具体化してくれる。音楽は素晴しい。私もそんな絵が描きたい。そう暮したい。身体じゅうかがそうなった。ものを作るというのは、こうしたものを作り出さなきゃ。この圧倒的なメッセージ。「もう、いいじゃん」て言う感じ。って六箇所の事を語っていました。

ナマステは田んぼ仲間あかちゃんの不思議なカレー屋さん。あるところにごくごく普通の家のカレー屋さんがあります。でも昔は普通であったけど、今では懐かしい、家。私はその昔、この家を題材に詩人の住む家。と言う絵を描きました。詩人は最も高貴な仕事です。この家には、そうした神聖な空気が存在します。神聖と言っても、ごくごく普通の暮らしの神聖です。平和と言っても、それはあくまで、頭の中の世界。心の世界。もしも、それを形にしてみたら、こんなじゃない。家にしてみたら、こんなじゃない。そんな家が、ナマステ。もし、平和というものを、身体で感じてみたかったら、ナマステに行って見たらいい。ここで、カレーを食べて、あかちゃんのギターで、イマジンを聞かせてもらうといい。

「はらから」はあかちゃんがインドで出会った、友達。だから、インドの空気と、和歌山の小さな浜辺が、一緒になっている。インドのガンジーの好きだったという「平和の歌」。けいじゅさんのすごいギターで聞かせてもらえた。こんなにメッセージのあるギターはまるで初めてのこと。すごいテクニックだけど、それが全て伝えたい思いに置き換えられて、演奏されている。所々を音が外れる。リズムがくるう。そういうメッセージとして伝わる。心に直に平和の息遣いが聞こえる。タイで長く暮している人らしい。アジアにある平和の思想。平和というものが、どれほど貴重で、得がたいものか。しかし、あると言えばどこにでもある。ここにだってある。そんな平和な日々を、どう紡いでゆくのか。これでやってゆこうよ。あしたも紡いでゆこうよ。そんな気持ちに満たされた。

ごくごくふつうの家が、何故詩人の家になるのか。これは、見える人だけに見えることだけど。でもこれは偉ぶってそう言うんじゃなくて、誰でもその気になりさえすれば、すぐに今から見えること。資格もいらないし。勉強もいらない。今日からだって始められる。昨夜、出会ったことは、本当の事で、明日も続けられるし。何時までだってあること。たぶん、競争とかじゃない世界。受け入れると言う事が、決して後ろ向きじゃない世界。今日やる建前の私には前夜祭でした。最小限の家も、ナマステのようになればいいなぁー。
もし、ハラカラの春の音旅に加わりたいと思う人は、今晩23日は厚木の「晴れ屋」25日は国立「国立地球屋」27日吉祥寺「アムリタ食堂」29日上目黒「まつみ」で聞けるかもしれません。
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有機農業推進法、事例報告

2008-03-22 06:36:59 | あしがら農の会
昨日、平塚のJA神奈川で、あしがら農の会の活動を事例報告させていただいた。ビックリしたのは、参加のメンバー。全県を網羅し、行政や、各JAから参加されていた。私は農家の人達に話すのかな。と漠然と考えており、用意していたので、ビックリしました。有機農業推進法ができたことは、やはり何かが動き出していると言う事のようです。いままで、有機と言う事が出ただけで、変わり者が少数やっている農業。食べてゆけない農業。行政や、JAがかかわるような範囲ではない。こう決まっていた。私たちも極力有機農業と言うことばを使わないで来た。それが、こうしてJA主催で、皆さん勢ぞろいで有機農業の話を聞いていただける。何かあり難さで、感無量だった。出来るだけ正確に、今までの農の会の活動を、説明させていただいた。今までのノウハウで、役に立つことがあれば、全てをお伝えしたかった。

先ず、神奈川県の担当者のO氏から、この法律の細部の説明。全国での進行状態、神奈川県での今後の進める方針。などのお話があった。わかり易い説明で、そう言う事なのか、と気が付く事もたくさんあった。今年度中つまり3月一杯で。、12の県で、有機農業推進計画が出来るそうです。来年度中に策定する都県が、又13都県、20年度以降が13県。そして、未定が9府県でここに神奈川も入っているとの事。ただし、これは神奈川県が後れをとっているというより、手順を民主的に踏んで、きちっと進めようと言う事のようで。大した見識だと思います。先ず来年には、有機農業ワークショップを県が立ち上げ、参加者の一般公募をする。そのうえで、策定委員会を設置する方向になれば、生産者を含めた委員会を作る。そして、推進計画に進む。全くそのとおりだと思いました。

いい加減な、形式案を作るより、実効性のある計画案を手順を踏んで進め。それが途中で、軋轢があり止めになったとしても、成果は出て来るはずだ。ゴミの広域処理案でも感じたのだが、神奈川県には有能な人がいる。問題は何故か、市町村と連携が取れていないことが大きいようだ。有機農業は、それにかかわる生産者の特殊性が大きい。ある意味、有機教の原理主義者と見られる。その消費者にいたっては、さらにこだわりが強い。農業であるにもかかわらず、食べても行けない、休みもない。それでもこの農業を理想とする。やっている原理主義者はいいけど、これを一般化はとても出来ないよ。というのが、行政、JAの感じている所だろう。食べれないけどやるべきだ。という訳には当然いかない。

そこで、どうすれば普通の農家として取り組めるか。ここがポイントだろう。一っ箇所から、取り組むのがいいと思う。お米だ。これは苦労無くできる。一般農家の技術を持ってすれば、問題なく進む。行政ぐるみ、JA単位で取り組んでいる事例も多い。問題は苗の生産にある。苗の有機生産の研究を是非とも、農総研で取り組んでもらいたい。そして、次段階でJAでも有機苗の購入を選択できるように進める。そこまでは既に技術的に解決している地域もある。次は販売だ。神奈川のパールライスに、加えて有機米のブランドを全農が扱う。高く売れるなら、当然やる農家は増える。もう一つの視点は、市民農だ。市民農園を考えると、小さなものと考えるが、日本の自給を高めるにはこれが良い。ロシアで成功している方式だ。自給で売る心配がないなら、有機で作る人は多数派だ。この場合も、苗生産は行政が面倒を見て、技術開発をする。苗が有機でなければ、後が難しくなる。
いよいよスタートが切られた。
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新銀行東京の失敗

2008-03-21 06:31:35 | 身辺雑記
この銀行ができたころ、確か貸し渋りという言葉が、良く書かれていた。竹中大蔵大臣が、銀行の不良債権をどうにかする。忘れもしない。政府が多額の税金で一企業である銀行を救済した。そうしなければ日本が倒産する。訳のわからない理屈がまかり通った。企業も、銀行も、土地というものが値上がりするという前提で、考えていた。土地だけでなく、経済は拡大する前提で考えて、自転車操業をしていた。所が値上がりするどころか。一気に何分の一かに値下がりした。このとき土地を資産価値と考えてきた仕組みでは、当然不良債権のやまと言う事になった。そこで、銀行は、自己資本率を上げるために、どんどんお金を引き上げた。貸しはがし。そのことで、健全経営の中小企業までもが行き詰まった。そこに出てきたのが、無担保融資の銀行という発想だった。新銀行東京はこうしてスタートしたはずだ。

無担保での銀行経営などありえない。まして、貸し渋りの時代だ。成り立つわけがないと思った。金余りで、融資先は何処の銀行もも探してはいるが、ろくなところはない。この頃から、サラ金に銀行が手を出し始めた。おなじみのサラ金の裏には銀行がいる。銀行としては、表には出ないが、いい貸し手がいないのだ。当時は銀行批判が渦巻く、税金を注ぎ込んでおいて、銀行は何をやっているのだ。石原都知事はいかにもスタンドプレーヤーとして、華々しく新銀行構想を語っていた。無担保でも、可能性のある中小企業を育てようという訳だ。想像通り、預る金利より、貸出金利が大きいような、状態が続いたようだ。石原氏のようなワンマンに付き合える人はいない。当初協力した人達は、次々に止めた。王様の耳はロバの耳。

農業でも融資と言う事がある。認定農業者に成ると、農地購入に融資がされる。税金での利子補填がされているのだろう。利子がないとしても、2000万借りて、農地を購入して、もせいぜい2000㎡か4000㎡。ぎりぎり農家になれる土地面積。この土地で農業をやって、月々10万円返す。利子がないとしても。18年かかる。つまり、40歳で新規就農しても、もう定年。土台、土地も家もある農家が、経営できないから、止めてゆく状態。この中で、生活費とは別に、毎月10万円捻出する農業は、とんでもない農業だけだ。面白くない農業だ。しかもほとんどが失敗する農業。こんな不安定なことを提案すると言う事が、信じがたい。本質はここにない。大抵は農業では返済できないので、他の仕事で稼いで返す。このからくりなら、農地を無利子で購入出来る、スキームが可能になる。

新銀行東京は止められない。400億円の追加税投入が一番安い選択だそうだ。それでも、止めるのが一番いい選択。止めるという選択は、誰にとっても一番難しい。あそこで止めていればと言う事は幾らでもある。続けて良かったより、はるかに多い。続けて良かったはめったにないから、しみじみしている。傍から見ればすぐ分かる止める選択が何故出来ないか。全てがおじゃんになるような、絶望感が伴う。私なら、人生の選択として、絵を描く事を選んだ。これはもう12,3の頃だ。延々とやってきた。これを止めるのが一番、この選択だ。死んだ方がましだ。と言う事になるが。前向きに考えれば、無駄な事などこの世に何もない。
新銀行も経済情勢の読みが狂った。石原都知事の先の見通しが間違った。この先の、世界の経済見通しも大いに暗い。一番いい選択は、新銀行東京の失敗を認め、その責任を取って、都知事を辞任する。そして新銀行東京も止める。それが傷口を広げない唯一の道だろう。
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鍬土佐豊国

2008-03-20 05:47:29 | Peace Cafe
平鍬を購入した。12600円した。土佐、トヨクニのものだ。まだ使ってはいないので、使い勝手はまたの機会となるが、本物のお百姓さんの鍬が欲しかった。見栄とか、伊達とか、言うようなものだが、長い間、欲しいと思い込んでいた。ずーとシャベルでやっていた。恥ずかしながら、鍬がちゃんとは使えなかった。ひとつは土が出来ていない。もうひとつには腕が出来ていない。土が良くなってくると鍬のありがたさがだんだんわかってきた。土が良いという状態も、正直草だらけでは、あまり見えてこない。草がない状態で、土をうなうと、土が思っていたより、動かし易い。もちろんホームセンターの一番安い、1800円くらいの鍬でも、そういう感じがしたのだ。弘法なら筆は選ばない。所が、素人には、いい道具が必要。これは絵でも同じことで、上手くなれば、どんな筆でも描いてしまうが、下手な人ほど、いい筆を使わなければ、絵にならない。私は下手だから、日本で一番いい筆で描いている。

鍬も同じで、いい鍬で耕したら、畝たてをしたら、随分感じよくできるだろうと言う事が、少し見えた。そうしたら、いい鍬がいよいよ欲しくなった。小田原で一番いい鍬があるといわれていたお店にいった。見せていただいた。16000円と。15000円と。後様々。所が重い。2、2キロ以上ある。こんな重い鍬ではどうにもならない。と思ってつい「もう少し軽いのはないですか。」言ってしまった。そのときのお店の人の哀れむような、さげすむような。「これは本当のお百姓さんの使う、プロ使用ですから」言われるとは思っていた言葉がそのまま出た。素人ほど道具に凝るのだ。筆と違って、凝ろうにもこう重くては、もって歩くのさえ難儀だ。じろじろ見ながら、体力まで云々されてしまい、伊達にも買う事も出来ずに、すごすご引き下がった。

こういうときネットはいい。姿が見えないから、プロ仕様を素人が買おうとしても、大丈夫だ。そこで、アレコレ調べていると。何か、名刀のような、土佐豊国というところがでてきた。何と名前まで入れてくれるという。そんなお百姓さんはいない。たぶん全国に散らばる、団塊の定年帰農者、伊達で持ちたい人が対象なのだろう。いい狙いだ。重くない。1,650グラム。考えられている。農家の平均年齢が、65を越えた時代だ。定年帰農でも文字通り若手だ。しゃくう長さも、短い。刃先の切れ味は、良さそうだ。手入れさえ怠らなければ、たぶん一生モンだ。使用頻度はきわめて低いのだ。たぶん昔の農家が使い古して、もう捨てるかというぐらいの感じだ。そんな小ぶりのものが、子供年寄り用だった。畑に出る前には、いつも研いでいた。今度はステンじゃないのでせめて、油を差しておかないと。

実は下の畑は、石がない。これもいい鍬が欲しくなった理由だ。昔はあったのかもしれないが。長年の耕作の間に、石がすっかり取り除かれたのだろう。長い間畑だったことがわかる。江戸時代始めに住み始めた事は判っているそうだから、400年は畑として使われているところだ。歴史ある大切な畑が、放棄されてゆく。寂しい気持ちを、残したまま荒れ地に戻ってゆく。この豊国の名鍬で、動ける間は耕してゆこうと思う。私の家は土佐から出てきたらしい。そうだとするともしかしたら、土佐で、豊国の鍬を使ったかもしれない。もう少し重いのを使ったかな。土佐打刃物の歴史は、秀吉小田原攻めの際、長宗我部が連れて帰った刀鍛冶が、その元らしい。と言う事は、今縁あって戻った、この鍬も懐かしいかもしれない。
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チベットの緊張

2008-03-19 06:19:19 | Peace Cafe
中国の不思議な状態を、見てきて。何時までもこのままと言う事はないだろうと、見ていた。今起きている事も、本当の所は判らないわけだが、富裕層の存在する共産主義国家、というものがどれほど不愉快な社会か。そう長続きするものではない。有能な上層部が、この巨大な国をどんな舵取りをしてゆくのか、他人事で無く見ている。餃子事件での中国の対応は、予想通りだ。この対応が普通の対応なのだ。日本がこうした時うろたえてしまうのは、日本が特殊な国と言う事だ。国としては、あくまで否を認めない。隠し通す。そうしたものと思わなければならない。だから、食料という、国の根幹にかかわる重要事項を海外に依存する国家は、危うい振り子にしがみついた状態と思わなければならない。これは軍事を持たないリスク以上の、国家安全上の危機だ。

中国人は独立心が強い。一族主義的だ。宗教心は薄い。国家意識も弱い。どのように国家を運営してゆくのかは、極めて困難だろう。いつかは大きな破綻が想像される。もちろんその前に手を打ちたいのだろうが、現政権の能力しだいだ。閉じた国であった頃は、国内での少数派に対する弾圧。あるいは反勢力に対する弾圧。これが極端なものであっただろうが、見えなかった。しかし、国を開き、オリンピックまで開催する。その実態が、世界の目にさらされている。世界の皮肉な目は、人道的とか言う建前論で、中国政府をあらゆる場面で攻撃するだろう。それは中国で人権が守られているいないの問題ではなく。中国の巨大化が、あらゆる国家にとって、影響があるところから来ている。そんなことは百も承知の中国だろう。

ロシアがソビエト連邦であった頃。独立運動が常に繰り返されていた。そして独立した。ソビエトは崩壊したように見えたけれど、ロシアは豊かになった。正直抱えていたお荷物を下ろせたのだ。あれほどの資源大国が、経済的に苦しかったのは、周辺の生産性の低い地域を、維持せざるえなかったからだ。経済だけを考えれば、僻地は要らない。まして異民族の住む地は、負担になるのは当たり前だ。その当たり前が、上手く行かないのは旧ユーゴスラビアの悲惨な結果を見れば判る。独裁者と言われた、チトー大統領がいた間は、平安が維持された。何故、チベットを支配したいのか。何故、国家は優越したがるのか。国は小さい方がうまく行く。少なくとも単一民族の国家の方が、安定する。

チベットに高原鉄道が出来た。青海省西寧とチベット自治区首府ラサを結ぶ、最高地点が5072メートルという、信じがたいような高い所を行く。一度入ってみたい等と、のんきなことを思っている、NHKに作り上げられた、おめでたいシルクロードファーンも多いい事だろう。私もそうではあるのだが。これは、チベット支配の為に作られた鉄道と考えた方がいい。出来てから1年半。漢民族のチベットの経済支配が、一気に進んでいるに違いない。軍事的にも、対インド、パキスタン、に対する国境線維持のためには欠かせない鉄道。チベットの文化は、特に宗教は危機に面している。毛沢東と、ダライラマを、同列に考えろ。それ以上に、ダライラマを忘れろ。そう言う事は歴史上できない事になっている。弾圧されれば強くなるのが、宗教。富裕層のいる、国家主義。これは賄賂の横行する社会に成る。権力者の末端は、いかにも弾圧的になる。チベットの置かれた状況が、どれほど困難なものか、おおよそはわかるだろう。中国政府の能力が試されている。
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防音の鶏小屋

2008-03-18 05:49:54 | 自然養鶏
2日掛けて雛小屋にネットを張った。雛が24日に孵るので、その前に準備をした。雛が外に出て遊ぶ場所が、もう一つ具合が悪かった。課題ではあったのだけれど、先延ばしにしていた。雛を小屋に入れてからガタガタするのもよくない。今のうちにやることにした。やっている内に、もう一つの工事をすることを考え付いた。それは防音小屋だ。雄鶏を夜になったら入れてしまう。防音の小屋を作ってみたい。雛の小屋は、1.5坪の小屋が3つある。その内の一つを防音小屋にして見る。どの程度のものになるかはわからないが、寝るときだけ入れる小屋になる。将来、養鶏業は止めても、家のそばだけで鶏を飼う事になるだろう。鶏好きにとって困るのは、夜中の鶏の鳴き声だ。これを防げる小屋を工夫する事は、私だけの問題ではないだろう。鶏が普通に飼い続けるためには、大切な事になるだろう。

ネットは真鶴の岩漁協でいただいたものだ。どうも形が変形していて、使いにくいのだが、何とかつぎはぎして、完成した。たての柱は足場パイプを、深く打ち込んだ。その上部に竹を渡して、しっかりと固定した。そのうえからネットを順番に引っ張りながらとめていった。途中で、錘やら太い紐やらが邪魔な事がわかり、はさみで取り外した。これがなかなか大変な事で、終わったら指の皮がむけてしまい、血が出ていた。それでも、なかなかの工事が2日で出来たので、大満足だ。側面から上部まですっかり囲ってあるので、今度はスズメすら入りようがない。網の強度も何トンレベルなので、当分心配が要らない。はずした錘の綱が、網を下で押さえる重石に丁度良い。鉛で出来ているのだが、集めたらきっと20キロはある。1キロ1000円とか聞くので、2万円にはなるのか。ちょっと驚きだ。

防音小屋。この小屋は締め切りになる。ピアノの練習室のような作りにする。窓はない。換気扇がいるか今検討している。壁は表裏板張りにして、中に防音材を入れ込む。昼間は出入り口の扉を開けておき、出入りを自由にする。夕方小屋で餌をやりながら、小屋の中に入るようにする。光が入らないように外には、暗幕のカーテンをつける。春生れた鶏が、鳴き出すのは秋になる。涼しくなっての事だ。たぶん換気扇無しで大丈夫だと思う。雄鶏を何故、別に飼って置くのかは、鶏種保存のためだ。雌と4羽一緒に居れば、基本は大丈夫だが、それとは別に雄だけのグループで、20羽は保存しておきたい。この鶏を入れておく小屋が必要。雄は順繰りに肉にして行くので、次の春には、群れにいる4羽以外は居なくなる。

防音材をどうするか。これもネットで調べると様々あるようだが、それなりの費用、5万円から10万円ぐらいにはなるが、仕方がないことだろう。何かを応用して上手く行かないかは事前に検討するつもりだ。断熱材の類は、廃棄物で大量に出ている。これを貰って来れないか検討の必要もある。廃棄物処理業者に問い合わせる必要はある。そう成ると、24日には間にあわない。作業が詰まっている。ピースカフェの印刷と折り。水彩連盟の出品作の額装と出品が20日。23日には建前。これまでに材料の準備がある。思いついたのですぐやりたいが、延ばすしかないかもしれない。その場合、雛が外に出れるようになる。2ヶ月ほど先になる。外に出しておいて、小屋の方の改良を行おうと考えれば可能だ。
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「おんりーゆー」と「コロナの湯」

2008-03-17 06:52:42 | 日帰り温泉
ご承知の方は、少ないかもしれないですが。実は小田原コロナの湯が、リニューアルで休んでいた。これは寒い間の事で、私にとっては、神経痛再発の恐れもあり、深刻な事態だった、これが幸い3月20日再開と言う事になった。平日で650円となった。値上げは困った事だが、内容が良くなったのなら仕方がないが。辞めてしまわれるのが一番困るのだから、重油も更に上がる、やむえない所だろう。「健美効炉」という朝青龍がどうしても行きたかったと言う、モンゴル式低温サウナのようなものもが出来るらしい。どんな感じかは又改めて報告したいが、今のところ雰囲気が想像できない。男女混浴らしい。専用の服は貸してくれるらしいが、どうなんだろう。

一方、「おんりーゆ」では料金の大幅値下げをした。一度利用したいと思われる方はこの機会を逃しては惜しい。今月一杯、3月中のみ販売の10枚8000円の回数券がある。これで10回入ると、1枚おまけがくるので、つまり、11枚で8000円。1回727円となる。当初2600円と言い放った、頃から思うと、やっと実情を把握してきたようだ。なんと、35%までの値下げだ。これくらい、この施設は、全体の展望なく進んできた。何とか、上手く経営して続けて欲しいので、今度の改革で、利用者が増える事を、経営者になりかわって、期待している。ただしこの回数券は6時以降の利用となる。なるほどアイデアだ。私は昼からはさすがに行けない。何しろ夜は、私一人では入っていたこともある。山の中なので、女湯は恐いとか、温泉プールとしてはなかなかいいとか、これでは展望がない。

所がコロナノ湯が休みに入り、少しづつ入浴客が増え始めた。まぁー私もそうなのだが、日帰り温泉仲間に顔を合わす。情報交換すると、万葉の湯も、鴨の宮のスカイサウナも人が一気に増えたそうだ。その流れが、おんりーゆにも及んだ。そこで、コロナが再開する前に、思い切って回数券作戦に出た。何しろ回数券を買ってしまえば、必ず行く。行きだせば、人の流れが出来る。通常1万円の回数券を、2割引の8000円でと言う事だ。こちらの特徴は、土曜日曜関係がない。何処でも平日券を分けているのに、余り混んだ事が無いのでそこまで心配していないのだろう。それでも昨日の日曜の夜は、珍しく人がいた。やはり効果がでてきた。帰ろうとした8時に男湯には、25人居た。これは開闢以来の大入りだろう。

一つ残念な事がある。雨の日の露天風呂にはいる為の、三角の蓑傘がある。利用してみたが、ざぁーざー降っている中で、水しぶきを浴びながらの露天風呂というのも、なかなかいい。問題はこれが、掛けてある釘だ。生きている立派コナラの武者立ちの木の胴に、ぶすぶすと止め金具をねじ込んである。榎の方にも2つ。その数、9箇所。何という残虐な。グリーンサービスと言う会社が経営らしいが、ここのグリーンに対するサービスとはこんな思想か。これを眺めながら、ゆっくり風呂に入る事ができない。心が痛む。そこで、職員に、何とか改善して欲しい、こう3回低姿勢で頼んだ。所が、改善されるどころか、更に新しい木にまで傷をつけた。何という愚かな職員だろう。こう言う事に全く平気な人はいる。板壁に釘を打つのと変わらない意識。むしろ新しい板壁を大切にする神経。これを3回お願いして、駄目だと言うのは、ここの写経や座禅まで行う、コンセプトがいかにも形だけと言う事がわかる。

昨日の自給作業:小屋の前の畑の整備と、堆肥置き場の改造 2時間。累計時間16時間
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