不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

古墳

2010-01-31 05:06:27 | 地域
「古墳時代の始まりと足柄平野」 ~足柄平野の古墳成立期を考える~ シンポジュームがあった。
久野百塚と言われるそうだ。百と言うのは普通多いいを表わして、百無いこともあるが、久野には100以上の塚があるそうだ。かもめ図書館で古墳のシンポジュームが開かれた。古墳時代の足柄平野には、様々な宝が隠されている。年代的に正確なところは分からないが、300年から500年の頃の足柄平野の様子である。相模川地域に較べ、足柄平野は発掘が進んでいないそうだ。二つの理由があると思う。古くから開発が繰り返されて行われていて、土壌が撹乱されている所が多いこと。もう一つは、今現在大規模開発が行われないために、発掘に入れないということ。そのためもあって、考古学的には、相模川から、あるいは三浦半島から、関東全体への広がりが考えられているらしい。しかし、古代の経済地理的というか、地政学的というか、足柄平野が空白地域であるとか、交流の要で無いとか、背景に経済的基盤が無いとか、そう言う事は想像しがたいところがある。

縄文期どのような地形の所に、縄文人は暮らしていたか、海あり、川あり、山あり、湧水あり、日当たりの良い、小高い丘を背後に配するくぼちのような土地が多い。安全で暮らし易い場所である。食べ物の採取がしやすい場所である。弥生期に入り、農耕が行われるようになる。当然田んぼや畑が行いやすい場所に移動をする。徐々に平野に降りてゆくイメージがある。農耕に伴って、技術や種苗や生産物の移動が始まると、他のもの、先端技術集団との交流と言う事が、大きな意味を持ち始めるだろう。暮らしの場所も変わってゆく。海辺の船着場、川辺の交通要衝地。に人の暮らしが広がって行く。富の集積が始まれば、外部の権力的力が働くようになる。西の方から、水利や、土木や、農耕技術を携えた開拓集団も入ってくる。先進地域中国文化の影響も大きく加わっているだろう。

考古学的には、小田原高校の場所に見つかった古墳が、あるいは千代の古代の築土形態が、前方後円墳として、確認されるためには、まだいくつものハードルがあるようだ。しかし、あっても何らおかしくはない。と言うような事が、今回のシンポジュームでの専門の学者の方々の意見であった。そのおかしくは無いという推測はきわめて重要だとおもう。足柄地域の現在に繋がっているからだ。これからの方角を定める作業として、足柄地域の特徴を考える時に、縄文と弥生の文化が混在して、存在していた地域。足柄平野には、西方の先進技術を一早く取り入れた人達が暮らしていた。東に北へと文化をつないで行く、人達が暮らしていた地域。その基盤があってこそ、室町、江戸期の交流地としての、確立があったのだろう。

足柄地域の未来を見たときに、過去を振り返り、確認できる幸せがある。学問の蓄積のお陰である。舟原でも背後の丘陵からの湧水が引かれている。暮らし易い場所であったと思われる。水位が変われば、暮らす場所も移動した。井戸の時代になり、水道の時代になる。しかし、未来を見るときには、湧水を見る必要がある。湧水に従って、どう暮らせばいいか。今やその湧水の安全性まで、不安が伴う時代である。海士族と古墳の関係の話が出ていた。海士族については、民俗学的研究が深い。両学問がもう少し、共同研究してゆけば、成果が出てくるのではないだろうか。素人考えで思ったところである。180人が集まったそうだ。不愉快だったのは、会場での非常識な質問態度である。考古学マニアと言うような人であろうか。自説を発言したいだけで、聴く耳がない。閉会の挨拶を、突然、聴衆一人が遮って「個人的な感想はどうでもいいから止めろ。」こんな発言を聞いた集会ははじめてで、がっかりした。学問は尊いものである。尊敬があって始めて成立する。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大掃除

2010-01-30 06:47:56 | 身辺雑記
絵を見れる部屋を作るので、片づけを続けている。二部屋分の荷物を減らさなくてはならない。まったくなさけないかな、生涯有一物である。物があふれかえっている。一番悪いのは並べようと言う肝心の絵だ。いつの間にかすごい量になっている。11年前、山北から越した時、24年前東京から越した時、さらにフランスで描いたもの、その前の金沢で描いたもの、捨てるに捨てられないで、運んでだけ居る。残してあるものだけでも1000点ではきかないだろう。デッサンだけで、茶箱に二つある。何故に絵が捨てられないのかと、情けない限りである。あと10年は必要だろうと今回も結局残した。捨てられないのは自分が描いていく上で、見る必要があると思うからだけだ。その絵に価値があるとか、残す必要があるとかはさすがに思っていない。自分が絵が描けなくなる時点でいらなくなるものである。

中川一政氏が「最初に描いた絵で実は良かったのだ。それを誰も指摘してくれないから、生涯回り道をしていた。」そう言う事を最後の個展の時に書かれている。それは最初に書いた絵が残っているから分かる事だ。最後の絵を描きながら、最初の絵が確認できたからだ。絵と言うののはレコードに成ると、絵を描きだした頃から考えている。複製技術の進歩である。それが、10年先か、100年先か、1000年先かは別にして、必ずモナリザがいくらでも作られることになる。音楽において、現代音楽がクラシックの分野になるような事が、絵画の分野でも起こるだろうと思っている。既に中国の北京故宮美術館では、複製を展示しているらしい。本物を見たいものは別枠で申し込んで見るらしい。絵というものが、レコードに、情報に成ると言う事である。情報として意味あるものであるかどうか。そういう位置づけで自分の絵を考える。情報として、私にはモナリザより、自分が描いてきた絵が重要である。

生きてきたそのものが絵にはあるからである。全てがあるとも思わないが、かなりの情報がそこには残っている。その情報は、今の自分にとって次の事を考える上で、参考にはなる。次の絵を描く為にという意味もあるが、自分がどうあるか、どこに居るのか、どこに行こうとしているのか、こういうもやもやした所を、きれいごと抜きで現しているのが、やはり自分の絵だ。そんなことは他の人にはどうでもいいことだから、実に個人的なことだ。多分、誰もが感じるだろう、昔の写真が捨てにくい。それとほとんどいっしょである。もうひとつの山が本である。これもかなりある。本棚が、14㎡くらいの面積を占めている。これがあっちに行ったりこっちに行ったりで、こまる。以前、軽トラで2回図書館に持っていった。どうしても、ゆっくり読みたいと思う本である。そんな時が来てほしいと思いながら、井伏鱒二全集が並べてある。

それでも今回、相当に処分した。11年前小田原に来たときから、増えたぶん位は処分した。ずいぶんスッキリした。試験前に成ると、机の整理をし始めるというのが子供の頃からの、性格である。整理がつかないと始められないのである。今整理をしているのは、60からの新しい暮らしに向けての整理だと思う。いややっていることに集中しなければならない。過去の事にはこだわりを出来るだけ捨てて、今やらなければ成らない役割になりきりたいと思う。勝手に積み上げた事ばかりなだけど、何とか物にしなくてはならない事がいくつもある。どのことでもまだ終わりには出来ない。死ぬまでの時間を見ながらの整理をしている。何と茶箱の底から、黒いころもが出てきた。寺にいた頃のものだ。死んだらば、墨染めの衣を着せてもらいたい。などとこれもまだ残すことにした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堆肥の勉強会

2010-01-29 06:10:22 | 環境関連
小田原市の生ごみの堆肥化を目指して、検討を進めてきた。一方、有機の里協議会に於いても、堆肥の勉強をしてゆこうとなっている。土壌の問題が農業の基本であるからだ。現代の農業は、生産効率を高めることを第一の目標にしている。100年後の農地の事など念頭に無い農業である。特に企業が、借地で農業を行う事が推奨される状況では、10年後の事を考えておけばせいぜいの事である。あしがら農の会の20ヘクタールを越える農地も、全てが借地である。せっかく土が良くなってきた所で、返さなければならないこともある。土壌をよくすると言う事は、ある意味公共的な義務ともいえる。それでは土壌をよくすると言う事は、どんな事であるのか。有機農業における堆肥とは何か。報徳農場で続けてきた堆肥作りを、有機の里として研究を深めようと話し合っている。幸い、神奈川には、藤原俊六朗先生という、堆肥の研究の第一人者が居られる。

小田原有機の里づくり協議会
良い堆肥作りプロジェクト2010


1.プロジェクトの目的
A. 良い堆肥を作る ・・・畑や田んぼに良い堆肥の作り方を実践から学ぶ
B. 経費削減 ・・・堆肥は自分の農場で堆肥化できることを学ぶ
C. 生ゴミ堆肥化 ・・・堆肥と環境問題について考える

2.プロジェクト日程
2月6日(土) 13:00-14:30『原料の積み込み』
使用原料:米ぬか、稲わら、牛糞、茶がら、
 スーパーから出た生ごみ、野菜くず 
15:00-16:30藤原先生講義@報徳記念館
『堆肥施用の意味と作り方のポイント』


2月20日(土) 13:00-14:30『切り返し』

4月3日(土) 13:00-14:30『切り返し』
15:00-16:30藤原先生講義@大井町立中央公民館
『堆肥の施用効果の施用法』
4月10日(土) 堆肥の土壌施用(畑・田んぼ)
3.堆積場所・研修場所詳細

堆積場所:神奈川県足柄上郡大井町西大井大河原

2月6日講義 15:00-16:30
尊徳記念館:小田原市栢山2065-1 0465-36-2381

4月3日講義 15:00-16:30
大井町立中央公民館 第一・二会議室:大井町金子1995 0465-83-5409

4.担当講師

  藤原俊六朗先生
1947年、岡山県生まれ。1970年、島根大学農学部卒。神奈川県農業総合研究所、同芸 試験場、県農政部農業技術課などを経て、神奈川県農業技術センター副所長で退 職。現在、農林水産技術情報協会。
明治大学農学部客員教授。農学博士。技術士(農芸化学)

5.参考書

  『堆肥のつくり方・使い方 - 原理から実際まで』
藤原俊六朗 農山漁村文化協会(2003/04)
  
6.その他

   参加者60人前後を想定。小田原有機の里作り協議会やその他農業関係者。
小田原市生ごみ堆肥化検討委員会の参加は未定。

参加希望者は笹村まで連絡下さい。(sasamura.ailand@nifty.com)

自然農法では、転換期間に於いては堆肥を一定必要とするが、充分に出来上がった農地では、堆肥を必要としない。と言う考えのようだ。「持ち込まない、持ち出さない。」緑肥を中心にした、栽培体系になっている。農法と堆肥の話になれば、議論は尽きない。ここで重要な事は、小田原の農地の100年後の事である。未来である。20万の市民が暮らしの結果出しているごみを、燃やして灰にして山に埋める。あるいは最終処分場で適当な処理をして、海に流してしまう。この循環では、どこかが詰まってしまう。何かがおかしい。農地に持ち込んでいけないとするなら、違う循環の道を探らなくてはならない。山の自然の循環を考えるならば、確かに持ち込まないが、持ち出さない。そして大量の落ち葉が毎年入ってゆく。土壌が豊かな微生物の住処となっている。この辺りを充分に研究したいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そらやさんのかぼちゃとひだまり屋さんの小豆

2010-01-28 06:02:23 | あしがら農の会
そらやさんからかぼちゃを分けて頂いた。先日朝の集荷の時に焼いたかぼちゃを試食させていただいた。これが絶品である。その焼かぼちゃは出荷のための見本で、冗談で非常事態宣言と言っている、端境期の野菜不足の為に、そらやさんがみんなに出してくれたかぼちゃである。あまりの美味しさにあえて、端境期対策にもかかわらず分けて頂いた。それは、沢山の種が付いていたからだ。自農の品種だと言う。『雪常念』と言う自農センターで交配して作出F1品種のようだ。この種を蒔いて見ようと思っている。多分ばらつきは出るのだろうが、面白いものが出来る気がする。それがその内、我が家の固定種になるやも知れず。これが自家用農場の楽しさである。販売目的であれば、間違って美味しくないかぼちゃを売るわけにはいかない。我が家では美味しくなければ、鶏の餌になるだけである。

去年は雪化粧を作った。今でも鶏はおやつにかぼちゃを食べている。かぼちゃは養鶏場で、結局100個は見つかった。収穫したのではない。見つかったのだ。この時期でも人も食べているが、放任栽培のためか、それほど美味しくはない。そんなもったいないことは言ってはいけないのだが、鶏は喜んで食べている。以前、かぼちゃを主食にした養鶏をやろうとしたことがあった。「万次郎かぼちゃ」は3キロものが100個なる。と言う思惑だったが、手間暇と費用がかさんでそうは上手く行かなかった。今年は種が沢山確保できたので、直播でかぼちゃをやって見たい。と言っても今までも養鶏場のあちこちに、適当に苗を植えつけ、後はほったらかしである。かぼちゃも手間をかける栽培法はいくらでもあるようだが、あくまで落ちていたかぼちゃを拾い歩く感じだ。その点白いかぼちゃは見つけやすい。

ひだまり屋さんの小豆を戴いた。これが美味しい。間違いなく最近食べたものでは、一番美味しい。小豆の皮が口に残らない。子供の頃は、大ご馳走がおはぎで、とても楽しみにしていた。かならず、あんこと、きな粉がある。昔は塩あんだったそうだが、当然子供の頃は砂糖である。甘味がとてもご馳走という感覚が当時はあった。購入しなければならないものは、いずれ貴重品だった。蜂を飼ったりしていたが、それは少々の楽しみで、砂糖は買わなければならないものだった。それが、いざという時に思い切って使うことが、楽しみであり贅沢であった。その感覚はまだ覚えている。甘いものを山ほど、というのがふるさと山梨の振る舞いである。という訳でぼた餅、おはぎ、は茶碗一杯をひとつにしたような大きさのおはぎである。子供に食べきれるはずもないのだが、どうしてもあんこときな粉を一づつはほおばらなければ気がすまない。

小豆である。ひだまり屋さんが田んぼの苗をもらったのでと言う事で、小豆を持ってきてくれた。と成ると、この小豆の大部分は昭二さんのお礼かとも思うが、いずれ少量だから、自分で正月に食べることにした。申し訳ない。正月から、まだ大切に食べている。それほど美味しい。こんなにおいしいあんこは、絶対に売ってはいない。何故美味しいのだろう。漉し餡好きでも気にならない皮の柔らかさ。煮方も良かったのかとおもう。長時間かかったから、これは我が家の合作である。丁寧にやったが普通のやり方である。結局材料の良さである。えびさんがやっていることは、噂では聞いていたが、しかし、本当の所はよく分からなかった。しかし、食べてみて本気でやっているらしいというのを感じた。これだけの小豆が作れれば、それだけで納得するぐらいすごい。美味しいは、そらやさんであり、ひだまり屋さんである。食べ物と言うのはそういうものだと思う。どこの誰が作ったかもわからないものでは、美味しいとまでは言いにくい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷垣氏の民主主義路線

2010-01-27 05:38:21 | Peace Cafe
「日本の民主主義のために『小沢独裁』と闘わなければならない」自民党大会の谷垣氏の発言である。民主主義という政治に一番大切なものを、自民党が掲げてくれる。こんなに嬉しいことはない。自民党の総裁が、大上段に日本の民主主義の為にと叫んでいる姿。想像だに出来なかったことである。どうも「民主主義」は、人を批判する時の常套句のようだ。これこそ、政権交代の成果である。昨日の参議院の国会審議をラジオで聞いていたが、自民党が金権民主党を攻撃するという、図式である。つまり、金権体質批判というものが、国民に一番受けると言う事は、誰しも分かっていると言う事。大いに、批判し、胸に手を当てて、我が身を省みなくてはならない。政治資金で土地投機をすることが許されるか。相場に手を出すお金と、政治のお金とは違う。相場のお金はやましいと言う事なのか。宝くじを当てたい。土地を買って資産を増やしたい。どうなんだろう。

歴史的に言えば、お金がお金を産むような事は、宗教的、倫理的に許されない文化という物もあった。現代日本では、金儲けハウツウ本がベストセラーになっている。「政治にお金が必要である。」当たり前のように大前提にされる。政治のどの部分にお金がいるのだろう。本当の政治にはお金は要らない。日本が現在やっている政治の仕組みは、お金がかかるということに過ぎない。インターネットで発信をさせない選挙では、お金お金の言い訳はできない。電通に広告演出を希望すればお金がかかる。藤川八戸市議のような女性市議の化粧代というのも、政治資金から出るのだろうか。アラスカの女性副大統領候補が、衣装代を使いすぎて失敗したぐらいだから、演出費用は政治資金か。ありのままで、ありのままを選択できる市民が存在して、民主主義は成立する。見た目に騙されない市民的目線の成熟。

自民党の見た目は、小泉子息と丸川元アナのようだ。やっていることは見た目狙いである。考え方で主張したいなら、考え方が分かるように、アピールできるようにすればいい。野党になって始めての新綱領も採択されたんだ。そこを鮮明にしないでどうする。普通、そこまで読まないとしても、でもこれだけは伝えたい、というものがないわけが無い。骨をお題目として掲げないと伝わらない。自民党も内部で、議論を深めて欲しい。議論する政治をしてほしい。考える事にはお金はかからない。考えで、主張で政治をするという風土を作り出さなければならない。こっちの水はあーまいぞ。が日本の政治である。だから、政治にお金がかかる。谷垣氏の頼もしい。日本の民主主義の為に戦ってくれるという、結党以来初めてだろう、自民党の叫びを先入観なく、しばらく見たいと思う。

一方、平野官房長官の「名護市長選結果を斟酌する必要はない。」発言は民主主義を愚弄している。民主主義を標榜する自民党はここを強く、攻め抜いてもらいたい。選挙結果以外に何があるというのだろう。民主的手段による表現で、これを斟酌しないのでは、既に議会制民主主義を無視していると言う事になる。言い訳に法律を云々している。確かに、安保条約を結んでいる以上、極東の安全の為に、アメリカの安全の為に、軍事基地を提供する義務がある。しかしその日米同盟すら、国民が選挙で破棄出来なければおかしいではないか。全ての民主的手段の基本にあるものが、選挙結果である。参議院での、政治資金で土地を購入する事をどう考えるかと問われた、各閣僚の情けなさ。菅直人氏のコノテイタラクを市川房江氏ならどう思うだろう。現実政治の世界で堕落してしまったのだろうか。政治がそんな単純なものではないにしても、譲ってはいけない所はある。その点ではきっぱりと「よくない」と答えた。前原氏を見直した。唯一小沢独裁に戦っていると見えた。もちろん前原氏の国防論の危険は又別の事であるが。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名護市民の選択

2010-01-26 04:51:35 | Peace Cafe
名護市民は基地反対を選択した。普天間基地移設の問題を放置してきた、13年。もちろん戦後の米軍占領に始まる65年の、沖縄の人達の分断と差別。それは、島津藩の占領。中国との領有権問題。明治政府の弾圧。戦中の沖縄の日本軍。深い歴史を背景にした、民族意識の潜在的反応を背景がある。自民党長期政権によって固定化された、沖縄差別構造。1972年5月15日まで米軍の占領の長く続いた。まるで、沖縄が日本でなかったことを多くの報道は忘れたかのようだ。沖縄返還が行われたら、本土が沖縄化すると70年当時、共産党は当時主張していた。反安保、反返還。沖縄の人達をまったく無視した形で混乱を極めた、当時の日本の政治状況。そして、返還は達成されたが、日本にある在日米軍基地の75パーセント(面積比)が沖縄県に集中している。軍事力による安全保障を主張しながらも、その負担は沖縄に集中させてきた現実がある。

日米安全保障条約は50年を迎えた。この条約が極東の安全を維持したかといえば、朝鮮戦争、ベトナム戦争、と大きな戦争を継続させてきた、アメリカの前線基地としての役割が一番大きかったのだろう。沖縄は返還はされたが、拡大し劣勢に追い込まれるアメリカの前線として、基地機能はさらに強化されていった。アメリカ追随外交以外、道を見出せない自民党政権は沖縄の基地固定化政策を進める。交換的に公共事業で金だけは落す。本当の意味の沖縄の経済自立は却って遠のく結果になる。最近の日本は沖縄的空気に憧れがある。沖縄の根底に存在する、ゆるやかな、たおやかな、文化に経済競争に疲れた、社会が反応しているのだと思う。沖縄から、ミュージシャンが続続と現れる。沖縄には生きた暮らしの民謡がある。日本人がこれから目指す、何かが沖縄に感じる。

名護市の人達は苦渋の選択をしたのだと思う。日々の暮らしと、基地の迷惑。普天間基地移設が国外であってほしい。せめて県外で。という話は出て来るが、何故基地廃止という話にならないのだろうか。本当に軍事力を強化していかなければ、安全という物は保てないのだろうか。何故韓国から米軍は撤退すると言う事になっているのか。現韓国の政権はむしろ米軍駐留を希望している。北朝鮮との関係は徐々に緊張を高めている。韓国にとってアメリカは、にくき日本を追い出して解放の手助けをしてくれた、ありがたい国のはずだ。今も交戦状態にある、北朝鮮との関係を考えれば、親米的であるはずだ。ところが、日本以上に反米意識が高い。世話になっている関係は面白くない。特に、軍や経済の中枢部が、アメリカとの関係を背景に甘い汁を吸い続けたという、反発意識があるだろう。

沖縄の人達の置かれた状況は、アメリカにはも、本土政府にも不愉快な感じを、持たざるえない現実。経済的恩恵を背景に、基地という日本全体が平等に負うべき負担を、一手に背負わされている現実。今回の名護市の拮抗した選挙結果によく表わされている。普天間移設は絶対にやり遂げなければならない。本来、基地を廃絶すべきだ。しかし、今はそのことよりも、緊急に日本全体が広く、薄く負担を平等化する必要がある。その上で、日本の安全保障をどうするべきかを議論すべきだ。辺野古でなければいけない。沖縄でなければいけない。一旦した約束だからというだけで、強く主張するアメリカの論理はおかしい。但し、日本の他の地域が、沖縄に負担を押し付けたままで、負担を固定化したままで、日米安保を論議するのもおかしい。米軍基地の無い件は、基地引き受けを申し出るべきだ。アメリカも、不便不都合、約束を主張せず。日本がしっかりと日米安保を議論できる、環境を作り出すべきだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

味噌仕込み

2010-01-25 07:33:36 | 自給
味噌の仕込みの楽しい集まりがあった。昨年の5月に、大友の1反の畑を高いベットに耕す。7月に各自が持ち帰った大豆の種を蒔く。そして、草取りが続いて、秋の収穫へ。今年は、大豊作の243キロの大豆。それを選別して、いよいよ味噌の仕込まで来た。先週には麹作りがあって、各自が大切に育てた麹を持ち寄る。今年の目玉企画は、150キロまで煮れる大釜の登場である。富水駅のそばの古道具屋さんから手に入れた、直径105センチの高さも100センチの大釜である。先ずは土曜にその設置を行ったのだが、どうやれば可能か。何人居れば動かせるのか。それを背丈ほどある鉄のアングルで作ってもらったカマドにどうすれば載せられるかである。ユンボが居る。ユニックだ。ウインチが居る。色々案は出たのだけれど、大きな機械を借りるのは、この先の事を思うと避けたい。三又とウインチで吊り上げようとなった。それが意外なことに人数はすごい、6人力で載せられたのである。

今度は150キロの大豆を釜で一晩ふやかして、どの程度までふくらんで来るかである。煮る事ができるかどうか。農の会の活動はいつも、これで行けるだろうという辺りで実行する。この辺りの予測が、はずれた事はない。それがみんなが繰り返し様々な事をやってみている蓄積だと思う。翌朝、味噌作りの場所の小宮農園についた9時は、丁度煮あがってきた所だった。と思うや否や、お湯が溢れ出した。火を抑えろ。炊き口を塞げ。と大騒ぎになるが、水を足して切り抜ける。あまり水は足したくはなかったのだが、この際仕方がない。来年は焚口を塞ぐトタンの用意だ。今年は焚口に大鍋を置いて、切り抜ける。冷静になって見ると薪が足りない。とその頃石井さんが到着して、薪の補給。今度は交替で、柄杓で釜をかき回すことにする。順調に煮えあがってゆく。

今度はタンドール窯の準備。例年味噌料理の1品持ち寄りがある。5年から7年もたった、雌鶏の腿肉のタンドールチキンである。絶対に硬い。硬いから美味しい。本当の鶏肉の笹鶏の味を知ってもらいたい。当然3年物の味噌漬けである。24時間漬け込むことにする。味噌の濃度と漬け込み時間がとても気になる。お酒と味醂と少しの砂糖と、秘伝の唐辛子油。以上を加えた味噌ダレを肉にまぶす。炭を入れて、30分もすると釜が温まる。充分タンドール釜が温まっていれば、焼くのはおおよそ30分。回りこんがり、中ジューシーが狙い目。結果なかなかの味になった。自慢である。1回8本の足を焼いた。1回10本まで行けそうであった。何故タンドール窯だと、硬い鶏肉が食べられるレベルになるのか、まるで不思議である。

味噌の仕込みは、先ずは麹の違いである。わたしは麹を進めきる。いいのかどうかは分からないがそうしている。中原さんは割合きれいな所でとめている。それの方が無難であるとは思うが、何となく毎年進んでしまう。味噌というのがそういう物のような気がしている。これはあくまで、味の事だから、多種多様の自分の味に到るのが一番であろう。それが何と、味噌自慢コーナーに味噌を持ってゆくのを忘れてしまった。申し訳ない。味噌は結局置き場所である。風の通る冷暗所。温暖化時代の夏の暑さが実にまずい。みかんの貯蔵小屋などは置き場所としていいのではないか。今後の研究課題だ。私の所に作った、保存庫もひと夏研究して、使えそうなら、来年はみんなに入れてもらえる。出来れば、小田原で一番涼しい集落、和留沢辺りに発酵所があればいい。

追記、農の会では大豆作りから、味噌作りまでを取り組むグループが、西大友、山北、栢山と3つになった。
昨日の自給作業:味噌・納豆の仕込み、4時間 累計時間22時間
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陰暦の事

2010-01-24 05:40:29 | 身辺雑記
陰暦で暮す。こう言う事を聞くようになった。太陽暦に変わって、様々なものを失った事に気づく。もちろん、世界基準にあわせると言う事で、国際社会に合わせるというやむえない事であっただろう。日本語すら止めようかという、極論まであった。日本文化否定に走った、明治政府の様々な失敗の一つであろう。太陽暦に変えた事はよかったのだけど、上手く陰暦を組み合わせる知恵が必要であった。この頃、車の色彩は一気に多様に広がっている。うちの奥さんの軽自動車は自分で色を決めて、塗ってもらったものだ。新車の色を変えるなんて、自動車やさんも驚いていたが、そういう人も増えているのだと思う。そういう車を何故売らないのかと思う。JIS色彩の基準というようなものがある。工業的に基準色を決めてJIS Z8102 物体色(213) といえば、誰でも同じ色にたどり着けるようになっている。絵描きはこう言う事を普通考えないが、工業化と言う事はこう言う事になる。

JIS規格色も最初はちゃちなものだったが、時代に即応したのか、多種多様で、ある意味人間の識別能力の限界の世界にある。さらに、パソコン上の映像的色彩の登場で、色はさらに分野を広げている。JIS日本慣用色という物も蘇芳(すおう)#94474Bとかある。色には本来こういう風雅な名前が必要である。それほど尊いもので、由来やその背景に広がる文化も含めて、色彩であろう。御香の香りを数字で表現するような、野暮天というのはいけない。僅かな違いが含まれて、ふくらみが生れる。絵具に曖昧がなくなって使いにくくなった。と脇田和氏は書かれている。陰暦というのは、便利性は確かに減ずるが、含みが大きいという意味がある。その文化の含みをうまく、太陽暦に取り入れる必要が起きている。それは農業をやっていれば、都度都度感じる所だ。正月が満月というのは、いかにもおかしい。感覚が壊される感じがある。

以前籾洗いを、正月にするという人がいた。居たというのは現代農業の記事で、本来江戸時代にもそういう人が居たのかどうか。ここが気になる。太陽暦に変わると、そういう意味の曖昧なものは静かに失われた。「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする。」という訳である。もみ洗いは正月、これはどう考えても、陰暦の正月の事であろう。籾という物の生理を考えてゆく事と、早めに低温で浸種すると言う事を併せて考えればそう言う事である。正月という暮らしのまつりごとが失われた。全てを太陽暦の性にするわけではないが、さて、今年も年が改まった、神棚に種籾を供え、頭を下げる。この気分はとても大切なことではないか。全てをゆだねるという人間の傲慢を捨てる思いがある。正月は全てが始まるとき。新月でなければならない。

陰暦は旧暦で農暦である。農業が産業のすべてと言ってもいい時代の暦なのだ。そう言う事を中国から日本は学んだ。学びながら、日本的に潤色し、さらに磨き上げた。この磨き方が魅力に満ちていた。まだ、師走に入ったばかりというのが、今日1月17日である。2月の14日が旧正月となる。これなら、農作業を始める意味が実感できるという物だ。人間の身体の方は、まだ旧暦である。と言っても正月の新月から、小正月の満月までは、精神的な農作業である。あれこれ頭を回し、煮詰めて行く時間である。すべてを整える2週である。身体を動かし始めるのは、小正月のドンド焼が終わってからである。これは、もう今年で言えば、3月1日の事である。古いものに含まれている様々な知恵。物から心の時代に進む。新暦の持つ合理性、共通性に不合理、不便、個別性。日本人の得意の、合体である。農業をやると言う事なら、陰暦を上手く太陽暦に滑り込ませる工夫が必要だと思う。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラリック美術館

2010-01-23 09:19:23 | 地域
冬の箱根に出かけた。ラリック美術館で「箱根地産Cafe 」の話を、有機の里協議会として聞かせてもらいに行った。ラリック美術館の田部さんという方から、とても丁寧に説明していただいた。ラリックという人がどのような人なのか、予備知識もなかった。ガラスの作家でフランス人らしいとぐらいの想像だった。アールヌーボーのガラスと言うと、どうしてもエミールガレという程度の知識しかない。ナンシーに住んでいたことがあるので、ナンシー派のドーモ兄弟。そのショールームが街の中心の広場に面してあった。、高島北海という人が、1885年にナンシーに留学していて、その人とナンシー派エミールガレとの交流というような話は、ナンシーでも良く聞いていた。そのことを学問的に調べにきていた、日本人もいた。暗いあまり綺麗とはいえないナンシー派美術館もあったが、その頃一応見ただけで、どうとも思えなかった。

ラリック美術館には、アクセサリーのようなものも沢山展示されていて、それはとても美しい工芸品だった。アクセサリーも、調度品もそうなのだが、フランス人のようなアクの強い感じなら、こなせるのだろうが、日本人の美意識とはかなり違う。ちょっとあの髪飾りを付けられる日本人は居ない。ジャポニスムとか言われても、何を日本の美から学んだのだろうかと思う。「何も無い美と埋め尽くす美。」これが幸福の誤解に基づいて、交感が起こる。トンボが日本の美の象徴として扱われた。などと聞くと、異端の若冲のトンボかななどと思う。もし、今の時代のように充分に情報がある時代の方が、良いとばかりはいえない。などなど、本来の今日の目的は別にして、成り行きでかなり熱心にラリック美術館を見せていただくことになった。

そして、レストランのフランス料理。とても美味しい物である。堪能した。しかし、10年ぶりくらいのレストランのフランス料理である。バターとか、ソースとか、ポタージュとか、ビックリのれんぞくで、感想も書けるレベルにない。地場の野菜を使ってと言う事で。白菜のポタージュはまったく白菜とは思えなかった。箱根の地場が、三嶋方面であり、静岡の野菜を使うお店や旅館が多いらしい。大きな資本の所、あるいは老舗。こう言う所は既に、仕入れの流れが確立していて、新しい流通を簡単に受け入れると言う事には、ならない。そういう背景を元に、箱根地場産カフェプロジェクトが始まっている。これには、県の方でも協力しているそうで、熱海、湯河原、小田原の梅を見る「梅の郷めぐりモニターツアー」というスタンプラリーとかやるらしい。

美術館では箱根の箱根細工とのコラボレーション展。旅館に泊まり美術館を巡る、ツアー企画など。様々やられてきたようだ。有機の里協議会で、何が取り組めるかはまだまだ、模索という所だったが、お互いの目的は違う訳ではないので、どこかに両者が接点を見つけるつもりなら、きっと道は開けるのだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

党首討論の不毛

2010-01-22 06:53:23 | Peace Cafe
昨日は、鳩山民主党に対する自民党谷垣氏の、初めての党首同士の議論が予算委員会でおおなわれた。相撲をやらないので、しばらく中継を見ていた。不毛な議論が続いた。鳩山氏の献金偽装の問題と、遺産相続の事が問題となっていた。始めの内は谷垣氏に自民党独自の調査に基づく、追求根拠があり、新しい論点でもあるのかと見ていた。結局、報道を通して知って居る事の範囲での議論である。証人喚問のズラーと上げた名前に、弟の鳩山邦夫氏がないのには笑ってしまった。鳩山氏の行った事に対して、有権者がどう判断するかは、夏の参議院選挙で結論が出す以外ない。重要な転換期に際して、延々と時間を浪費している暇があろう訳がない。自民党が予算に対して、どういう意見があるのかが知りたい。民主党政権の予算編成の新しい枠組みによる編成に対し、意見がないという事は、今回のやり方に自民党も賛成したと言う事になる。民主党の事業仕分け方式と、現実の予算との整合性を明確に問う必要がある。

特に、農業関連予算について、農道、耕地整理、有機農業、等廃止されたもの。米作農家に対する戸別補償制度の詳細。農地法の改正に対する運用の、行政ごとの解釈の違いの整合性。充分議論しなければならない様々な事案がある。日本の農業の行く先は、まったく不鮮明である。鳩山氏の相続疑惑。さらに、小沢氏の疑惑。小沢氏が問題なのは山ほどある。そもそも、4億ものお金で土地を買う事が、何故政治活動なのか理解できない。これでは政治にお金がかかるのも無理がない。個人献金がもし、こんな事に使われるなら、絶対に寄付など集まらないだろう。親からの相続が9億もあったというのは、相続の書類を調べれば分かる事だ。多分全てが廃棄されているのだろう。しかし、検察の相次ぐ関係者の逮捕も、自殺予防なのか知らないが、西松建設事件の失敗の敵討ちのような印象である。

いずれ、こんな政治家たちに票を入れたのは、日本の国民である。自民党がだめだというので、民主党に多くの人が入れた。民主党もだめだなようだが、どうしたらいいのか。今の制度では、10年くらいはこの2党以外が政権党になる事はない。今の選挙制度は良くない。良くないが、両党ともこの制度にしがみつくのだろう。世界では、経済的にも軍事的にも再編成が起きている。アメリカの後退、EUの調整。アジア、中南米、諸国の影響力の増大。日本の方角を見定める時だ。日本では革命が起きたともいえる、自民党に象徴される相当の分野での旧勢力の後退が起きている。大相撲ですら、改革の貴乃花親方が現れている。美術団体でも日展を頂点とする、絶対的構図は崩れ始めている。どの分野でも、経済が変ってきていると言う事だろう。

同時に東京地検の、情報のリークは異様である。それに従うように報道も反小沢で足並みを揃えている。こう言う報道の姿自体が、民主主義の未成熟な結果である。誰だって小沢氏が清廉潔白などと考えても居ない。自民党の中にはしらとぼけた議員が居るに違いないと思っている。いわば日本の政治の必要悪。あるいは水清くして、魚住まず。政治はきれいごとじゃない。というような意識で見てきた所だろう。谷垣氏がひたすら、鳩山氏を詰問したのは、政治を清流にしようというのではない。民主党にけちをつければ、次の選挙で勝てる。こう言う事しか頭にない。本来なら、自らの党の汚染一掃を掲げて、党内の徹底的掃除をすることだ。国民はまだ、小沢氏以上の金銭疑惑を自民党に感じている。自民党の綱領を変えて、政治資金の透明化を行うことだ。あらゆる癒着を断ち、民主主義政党に生まれ変わる事だ。その実現が急務だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市民力と行政の役割

2010-01-21 05:15:10 | 地域
小田原では加藤市長が『市民力』を生かしたいとしている。この主張はどの市長も必ず選挙の際には表明する事である。小沢前市長も同じく言われていた。いわば選挙に勝つための、挨拶のような場合が多い。所が加藤市長は、文字通り市民の力を引き出そうとしている。市民公募の6つの検討委員会を立ち上げ、実際に一部の市民が市政に加わる形で動き出している。TRYフォーラムという形で、無作為抽選の市民の意見を聞く場も設けた。小田原有機の里協議会のおいても、久野里地里山協議会においても、行政職員の熱意ある協力を得ている。以前から小田原の行政というものがそういうものだったのか、どうかはよくわからない。つまり、農業分野に今まであまり力がかけられていなかったのかも知れない。加藤市長が農業や、小田原の周辺部の環境に関心が深いと言う事は、反映しているのかも知れない。

それは、小田原無尽蔵プロジェクトの、エコシティーツアーというものにも現れている。今日は早朝から、バスで回ることになっている。フラワーガーデンにも来るので、この機会にモグモグを見てもらうことになっている。朝は魚市場で朝食。食品廃棄物の資源化をしている二見さんにも行く。生ごみの検討委員会でもまだ席があるので、参加希望を募った。正直私は個人的に、日頃利用させてもらい、見て歩いてきた所ばかりである。見学というのは私的にやらないと、むしろ誤解させられると思っている。実は、今まで行政と協働してきたことで、上手く行った事は少ない。理由は守備範囲の問題だと思っている。黙っていてくれるのが、一番の協力だと思ってきたくらいだ。行政の行うべき事。市民が行うべき事。この区分けを明確にしなくてはならない。

市民が行う事は、明確に生活をすることに尽きる。この地域で生計を立てることである。私なら農業をすることである。行政が行う事は、市民の生業が地域で繋がってゆくための調整補助である。行政の役割は、福祉の分野、教育の分野、医療の分野、では分かりやすい。しかし、無尽蔵プロジェクトは地域経済の活性化である。産業分野での行政の役割は、かなり分かりにくい。その上利害関係があるから、難しい。10の分野があって、その内の一つに小田原をエコシティーと考えようとするものがある。事例の第1に取り上げられたのが、有機農業協議会とビーグドカフェの関わったとされる、小田急デパートでのイベントである。実態に関わるものとして、少々危うい感がある。もう少し、報徳思想としての無尽蔵を考える必要がある。『徳は無尽蔵にある。』とする徳は、精神であり、哲学であり、生き方である。利用可能な資源の事ではない。

「持続可能な市民自治のまち」を小田原が目指すとするなら、地域の生業が活性化されなければならない。生業が成り立つために一番真剣に取り組んでいるのが、街場であれ、周辺地域であれ、当事者たる市民である。ところが、この当事者が様々な理由で、生業の維持が難しくなって居る。少なくとも、子供にはやらせられないとする、農業者は多い。希望の持てる農業環境の整備が急務。行政の役割は農地の紹介。調整。契約業務(NPO法人の場合は、小田原市が直接は借りる事になっている。)。農業をやるのが当事者たる農業者である。耕作放棄地の再生を掲げながら、行政に農地の紹介をお願いしてもまったく見つからない。情報は古くて実態とかけ離れている。契約を進めてもらっても一向に埒が明かない。周辺地主さんへの周知をお願いしても不徹底。こう言う事が行政の役割と私は思っている。行政はそう言う事は本人がやることだとしている。新規就農者は地域の事など当然わからない。ここの間に立つのが行政の役割だと考えている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイチ緊急援助

2010-01-20 06:31:30 | Peace Cafe
日本政府は18日、ハイチ大地震の支援のため自衛官による国際緊急援助隊を派遣することを決めた。70~80人規模となる見通しで、医療活動や感染症対策などに従事する。すでに国際緊急援助隊医療チーム25人が17日午後(日本時間18日午前)に首都ポルトープランスの西約40キロのレオガンに入り、活動を始めている。地震が起きたのは日本時間1月13日午前6時53分。緊急援助としてはあまりにも遅い。医療チーム24人が16日夜、成田空港からチャーター機で出発した。また、後続の日赤医療チーム8人は17日に出発する。国際緊急援助隊医療チームは外務省職員、医師、看護師ら。米マイアミまで飛び、訓練で米国に派遣されている航空自衛隊のC130輸送機に乗り換えて17日にもハイチ入りする。

緊急援助隊団長は外務省の二石氏現地について、報道関係者から日本の緊急支援は遅すぎないかの質問に答えて、「適切な時期に到着した。」こう答えていた。外務省の考える、緊急支援の在り方、考え方が、伺える。四川地震の際の緊急援助隊の派遣地域のたらい回し状態の反省から、落ち着いてからでないと、日本の支援は出来ないと考えたようだ。72時間以内の救出の協力は始めから諦めた訳だ。現地の飛行場の管制塔の被害、ハイチ政府の機能停止状態などがあり、日本の緊急援助は始めから医療支援に絞ったらしい。実際に岡田外務大臣が派遣を決めたのは、丸一日たった14日に入ってからである。関東大震災の被害死者不明数が10万5千人。それに匹敵するような大地震に対し、地震国日本の緊急援助が、このようなものであってはならない。お金について言えば、EUの支援、約550億円。日本は4億5千万円。中国の半分。台湾の4分の1。その後変化はしているようではある。

アメリカは近いし、4,5000人が居住していた。支援の中心を担って1万人規模の軍隊が展開している。中南米の反アメリカの流れを、阻止するためにも全力を尽くそうという姿が見える。テロとの戦いとは、こう言う事ではないか。災害支援は外交である。日本のような、軍隊を持たない平和主義の国家は、ここに全力を尽くす必要がある。国際紛争を平和的手段で解決するという憲法の精神は、自国で手に負えない、大規模自然災害時に、手を貸せる国家になる事だ。ミャンマーの時も、日本政府は手をこまねいていただけである。四川地震でも、インド洋大津波でも、適切な手を打つことが出来ないでいる。外務省は平然として、現地の状況を充分把握して、現地政府の支持、希望に従い。その範囲で行動するとしている。これが、「物から人への」友愛精神の鳩山氏の思想の範囲であるのだろうか。

日本の平和主義が試されている。政府は今回はハイチ地震では、失敗したという自覚が必要である。今回の緊急援助が適切であるという、外務省の判断を先ず撤回すること。今後、今回の教訓を生かし、世界のどの国より、頼りにされる国になる為に、緊急援助隊の体制を見直すべきである。災害対応は起きる前の想定が重要である。起きてから、考えて決めるようでは、緊急時には間にあわない。アフリカのどこで、どのレベルの災害が起きた場合は、どのように対応するか。世界中での災害を想定し、救援方法を日頃から、訓練しておく必要がある。そのために、自衛隊を改変し、その活動範囲を広げ、国際災害支援隊とする。アメリカですら、核廃絶を言わざるえない国際情勢である。北朝鮮やイランが核爆弾を持つと言う事は、そう言う事である。新しい発想の、平和的手段を具体的に模索しなければならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵の展示室

2010-01-19 05:37:54 | 水彩画
自分の絵を並べる部屋を作る準備をしている。自分の絵を見るためである。実は自分の絵をむかいあって見る、と言う事は案外に少ない。描き終わると役割が終わったような気分になって、頭から徐々にその絵のことは消えてゆく。個展を定期的にやっていた頃は、自分の絵を眺めるという機会はあった。今思うと、自分の絵と否が応でも向かい合うという機会は、何をやっているのかを確認するためには、必要なことだったと思う。しかし、作品を個展という形で展示することが嫌になった。この時代の個展を取り巻く意味も不愉快だし。自分がやっていることを出て行って見て貰うなど、自分が絵を描いている姿勢や、意識が離れすぎた。描いた絵を売らなければならないという気分にも、耐え難いものがある。だから、画商にやってもらう個展も止めた後も、画廊を自分で借りるなら、違うかと思いやっては見たが、そう言う事でもなかった。

では、水彩人や水彩連盟に作品を、何故出品するのか。それは明確に他の人の作品と並べてみた、と思うからである。そして、自分のやっていることを他者との比較して確認したい。そう考える間は、まだ出してみようかと思っている。しかし、自分の絵と正面から向かい合うことは、又別の事だと感じている。やはり大切だと思う。他人に見せるためでなく。自分が見るために、作品を並べる。それなら、自分の展示室が家にあれば良い。たまたま、天井の高い2間半と3間半位いの部屋がある。ここにあるものを一切片付けて、壁をスッキリさせて、絵を飾りたくなった。並べて絵と向かい合ったらば、何かが見えてくる気がしだした。思い立ったら、冬の間でなければ出来ない、急に進めたくなって、ホンダ大工さんに急遽お願いした。二月1ヶ月でやってくれることになった。

ホンダ大工さんは箱根の人で、以前はお父さんと一緒に仕事をされていた。今は荻窪に居る大工さんと一緒に仕事をされることが多い。一人でやるのはつまらないから嫌なのだそうだ。ホンダさんはとても大工さんらしい大工さんである。にもかかわらず全てに控え目である。大抵の大工さんは控え目に見えるが、自分流を堅持する。ホンダ大工さんは人間が良く出来ているのだとおもうが、こちらの意図通り進めてくれる。ここがとても重要で、私のお願いは大抵は普通の形ではない。普通やらないような事をお願いする。「はい、はい。」と言いながら自分流にやってしまうのが、大抵の大工さんである。兄の家は、要らないといっていた床の間が、いつの間にかサービスで作られてしまった。思い出せば、あの時も、この時もと色々残念な作り方が出てくる。私の言う事が非常識だから、しょうがないと思ってあきらめてきた。所がホンダ大工さんに出会って、自分のお願いした意図をそれ以上に仕上げてくれるので、ビックリした。

大きな絵が4枚飾れるだろう。その中でゆっくり見て置きたいことがある。見ると言う事が、私が一番の楽しみなのである。聞くとか、味わう。こう言う事は、見るに較べたらどうと言う事はない。見ると言う事が、考えると言う事に繋がる辺りが、一番面白いのだ。もちろん、風景もいいし、植物も面白い。人間だって面白い。みんな見るというところからはじまっている。この見たものを描きとめる。何を描きとめているのか。私の目が見ているものは、何なのか。じっくり向かい合いあって見たい。まったく私的なことである。冷静に考えれば馬鹿げている。あまり人には言えないようなことでもない。ここで自白したような気分だ。何故焦るかといえば、いつまで見えるのだろうかという、不安がある。目が衰えている。見えないで生きているという状態は、現状ではとてもまずい。見えていないことが、かなりあるような気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麹作り

2010-01-18 05:13:17 | 自給
自給生活に欠かせないのが、発酵技術を自分のものにすることだろう。堆肥を作るにしても、鶏の餌を作るにしても、発酵技術を自由に使えることが必須条件である。農家の利用する発酵技術は、漬物に始まり、数限りなくある。毎日の事だから理屈先行ではなく、身体で覚える事である。無菌室などいらない。道具は工夫する。例えば、38度で10時間とか言いながら、温度計と時計と首っ引きなのでは、農家の実用とは言えない。あくまで目安である。手入れをする心。「こんなものだな。」という感じを五感を駆使して身につける必要がある。それは、銀座キムラヤでパンを作るフランス人の職人から教わった、という人からの又聞きである。その日パンに混ぜる水温を決めるのに、外気温、湿度。そういう総合したものを、身体で感じて、今日はここだと決めるのだそうだ。手を入れておおよそが分かるようになる。それを、技とか言う世界にしないで、誰でも可能な技術にすること。完全を求めないで、おおよそだが、失敗がない技術。

麹つくりはとても簡単なもので、発酵を身体で学ぶ為には是否一度取り組みたい。農の会では今年も大勢が集まって、麹つくりをした。毎年、小宮さんのブルーベリー園でやらしてもらっている。暖かい日差しがあって、風もない穏かな冬の一日だった。4班に分かれて、早朝から、夕方まで行われた。一日居たいぐらいだが、何しろ麹が冷えてしまっても困るので、自分のものを仕込んだら帰ってくるしかない。お米の準備。クロマイの人から、玄米の人まで居るので、それぞれであるが、先ず充分に水を吸わせる事。10時間以上。では、長くて何時間かと成ると、10度以下の冷たい水なら、24時間でも大丈夫だ。そして大事なのが、水切り。3時間はしたい。それでも容器によっては水分がそこのほうに残るので、途中で、天地返しをするのも良い。長くて、夜の間中やって居たいなら、上に布巾をかけておく。

お米の浸し状態は、良い蒸かしをする為に不可欠である。良い蒸かしは充分芯がない所まで蒸かしてあって、べとべとしていない、ぱらぱらの状態。後で麹菌を付ける際、力を入れて、ぎゅうぎゅう揉み込んでも、固まらない事。薪をばんばん燃やし続けること。あまり燃やすと、セイロが焦げてしまうので要注意。おおよそ45分から1時間。いい状態を食べてみて確認。蒸かし過ぎは先ずないので、やりすぎから覚える。但しそこが茶色く焦げてしまうのは行き過ぎ。2段で蒸かした場合。上の段はほとんど蒸かされていない。蒸かしたら、熱いお米を布に広げて、冷ます。手はよく洗う。洗うのは米糠。石鹸は良くない。仕込んだ麹に触る時はいつでも手はよく洗う。ここからは手早くやるのが大切。普通の環境なら、どんな部屋でもかまわない。冬の寒い時期なら悪い菌が紛れるなど起こらない。かき回しながら、冷ましてゆくのだが温度がお風呂ぐらいになれば、菌を植え付けられる。ここで、菌を力強くも揉み込む。お米の芯まで菌が行くようにと思いをこめる。冷めない内に手早く一塊に丸める。

丸めたものを、米袋に入れる。米袋はさらに毛布などで包む。回りに湯たんぽで保温。これは持ち帰りのためで、家でやるなら、電気カーペット、炬燵などでの保温が簡単。米袋を抱いて寝てもいい。私のおばあーさんはそうしていた。問題は寝ているのも仕事をしているということで、起きてこない事であった。湯たんぽだけでも3時間ごとに変えてやる熱心さがあれば、充分上手くできる。体温ぐらいで、20時間維持。ここで、一度目の手入れ。全体は、もう麹の良い香りを発し、白い菌糸も伸び始めている。大きな塊を良くほぐす。一度全体がパラパラになるように。ここからは温度を上げすぎないように注意。麹自体が発熱を始めるが、まだ発熱は弱いので、保温管理は必要だが、42度を超えないこと。お風呂を思い出して、あれより熱くならないいように。それで、6時間管理。2番手入れ。又大切にほぐしてやる。ここでは今回の出来はもう見得て来ている。乾きすぎなら、ぬるま湯霧吹き。そしてさらに6時間後にはほぼ出来上がり、菌糸が十分に回り、芯まで真っ白ならいい。不充分なら、ぬるま湯を霧吹きしてやり。もう一度発酵を進める。黄ばんできているほどなら、味噌麹として最高。

昨日の自給作業:前日準備を含め6時間。しばらく前に竹切り2時間。累計時間:18時間。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JAL再建

2010-01-17 05:27:12 | Peace Cafe
何がなにやら、ナンとやら、でまったく内容はわからない。「分からないから黙っている。」が良くなかったのだと思う。結局JALという企業の尻拭いが、税金でなされる。自民党に任せておけば、日本の優秀な官僚なら、大きな間違いはないだろう。こう思っていたと思う。大半の人間がそう思っていたから、自民党の長期政権が続いたのだと思う。ところが、気がついたときには、国家財政が倒産寸前まで来ていた。それでも、自民党の最後の3首相、安倍晋三氏、福田康夫氏、麻生太郎氏は財政再建とか言いながら、適切な手立てを打てなかった。結局、長年の腐れ縁が切れないのだろうと、国民には見えた。日本で選挙で政権が変わるなど想像すらできなかった。それほどの長期政権に対する革命が起きた。革命政府の方も、どうも怪しげになってきたが、それは置いておいて。

日本航空の事である。JALの経営がおかしいというのは、最近の事ではない。すごい給与を貰っているのに、さらにストライキをしている。スチワーデスは飛行機に乗るごとに、ストッキングを要求している。とか言われていた。退職者の年金額が減額されても、まだ全日空より高い程だという。会社が倒産しそうだというので、再建計画が何度も出されたが、それで再建できるなど、銀行も認めないし、政府も認めない。自主再建できるぐらいなら、3,4年前に手が打てたはずだ。今のままではまずいというのは、かなりの部分で認識されていたらしい。中期再建計画が2006年に出されていて、突然、38%の株式増資が行われたという。所が再建の手が打てない。長年続く、労使関係の悪さ。リストラが出来ない。社内が派閥化して団結できない。要するに、文字通り、親方ヒノマルを立てた、元国営企業の体質の問題。

絶対に潰れない、潰さない。という甘えの構造の元に存在する元国営の民間企業。今までのダイエーやカネボウの再生とは違う。民営化された郵政が倒産した場合と同じなのだ。企業再生支援機構が更生法適用申請で支援を決定する。不採算路線の閉鎖。社員1万5700人の削減。こう言う事が既に言われている。根本は地方空港の建設と繋がる。必要でもない飛行場建設が全国に、地方の要望に従い、公共事業として行われてきた。ダムや道路と同じ流れである。国が管理する全国26空港について、税金投入を除いた営業損益では約8割の22空港が赤字に陥っている。日本の空港は98ある。茨城空港が出来て、99となる。2008年の国内線の旅客数は2.8%減の9289万人、国際線は7.5%減の1643万人だった。客数は減少しているのに、飛行場はさらに出来て行く。空港のの運営費も税金である。高速道路の無料化が鉄道の赤字を招く。飛行機も同じことである。この国の行く先に、責任を持たない政府が、公共事業を失業対策として、地方の仕事の創出として、垂れ流してきた結果である。

作ってしまったが使わなくなる空港の閉鎖まで伴う覚悟が居る。一時間で東京に出れる場所、茨城や静岡に空港を要求する意識。もちろん、あればそれなりに便利であろう。しかし、その運営費用は税金による負担だ。国の行く先を間違ってしまった。JALは倒産した。銀行の3債権放棄は当たり前である。1000億円の国民負担を覚悟しなければならないらしい。前原誠司・国土交通大臣が9月に再建の切り札として送り込んだ直轄顧問団「JAL再生タスクフォース」というのがあった。所がこれは既に役不足で終わった。今度は企業再生支援機構というものが、5年の時限立法で出来て、稲盛和夫・京セラ名誉会長(77)が再建役を引き受けるらしい。77歳の方がやらなくてはならないようでは、明らかに人材不足だ。日産ではないが、外国人社長をお願いした方がいいのではないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする