地場・旬・自給

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田んぼはハザガケから脱穀へ

2021-09-30 04:01:41 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」

  欠ノ上田んぼと、柿の下田んぼの眺めである。もう終わって何もないところが、柿の下田んぼである。間に柿の木があって、そこから上が欠ノ上田んぼである。上の田んぼの稲刈りは今週の2,3日である。

 奥のまだハザガケが残っているところが、マンゲツモチである。ここも夕方にはすべては脱穀が終わった。台風が来るというので、時間があったので、急遽脱穀をしてしまう事にした。風で倒されたハザガケほど始末に置けないものはない。

 この久野川の欠ヶの上の谷間に、棚田全体では1ヘクタールほどの農地を借りて活動をしている。写真を写しているところが、バス道路でそこより上には欠ノ上の集落がある。江戸時代の初期に田んぼが出来て、集落が広がってきた場所である。

 この上の子の神とさらに上の舟原の集落にも田んぼを借りている。そしてお隣の谷間の坊所でも田んぼをやっている。田んぼのやり手がいないという事で、貸していただいている。機械小屋が舟原にあるので、この周辺で作業をすることが一番都合が良い。

 10月29日脱穀を行った。24,5日に稲刈りをして、ハザガケをしてあった。少し早い脱穀であるが、台風が近づいているので、緊急にやらざる得なかった。幸いなことに、稲刈りをしてから好天が続き、イネは良く乾いていた。一度も機械は止まらなかった。


 田んぼは一つが4畝とか、5畝とかに、分かれていて、それぞれが段差があり、上の田んぼから順番に下の田んぼへと水は廻っている。田んぼの数は20ある。最後の最後の田んぼは水を排水はしない。一番上で入れた水が、田んぼの中で消費される作りである。

 各田んぼに担当が決められている。田植えとか、稲刈りは全員でまとまってやっているが、草取りなどは各担当者が行う事になっている。田んぼによって収穫量に違いはあるが、おおよそ畝取りになっている。お米の分け方は全体で平等に行う。少し、大小はあるので公平という事は難しいところだ。

 お米は1か月10キロ。一年120キロ。費用は1万円というのが、目標である。大体これよりは良い。120キロ配ってまだ余れば、会員価格でもっと欲しい人が、購入できることになっている。

 その販売した費用があるから安い会費になるという事もあるが、ともかくお米を畝取りできるという事がなければ上手く回らない。栽培技術がとても高いという事が、会費が安くなる要因である。

 今年も柿の下田んぼの脱穀した袋の数からすると、畝取りは間違いないと思われる。全体での品種は、「ハルミ」「マンゲツモチ」「サトジマン」である。作りやすい多収米という訳ではない。神奈川県の平均収量は8俵ぐらいだから、安定して10俵とれるという事は有機農法のお陰だと思っている。

 確かに慣行農法よりも手間はかかるが、自然に従う農法の方が、イネが元気になり、大体に背丈も1メートルを超えて高くなる。茎も太くなりがっちりした株になる。サトジマンの止葉は今年も幅2センチ、長さ60㎝あった。分げつは一本植えで20本を超える。

 栽培は緑肥とソバカスで作る。穂肥には食品残渣から作る二見堆肥を使っている。久野にある4か所に分かれた農の会の田んぼはどこの田んぼもほぼ畝取りを達成している。農の会の稲作が農業技術として確立していると言っていいのだろう。


 29日は柿の下田んぼの脱穀を行った。軽トラに積んであるハーベスターで行う。ハーベスターで行う脱穀の方が、コンバインの稲刈り脱穀よりも、5%はお米が無駄にならない。コンバインは食べれるお米まで風で飛ばしてしまう。青米だって十分食べれるのだから無駄にはしない。

 足踏み脱穀機で行うところも一か所あるが、基本はハーベスターだ。一日2~3反ぐらいが脱穀できるペースである。全体を行う時は2台で同時に進めることが多い。大抵はどこかで機械が詰まり掃除をすることになるからだ。

 イネ藁が良く乾いて居ればよいのだが、大抵は雨などでなかなか乾かない。今年は台風が来るというので、その前にハザガケしたところは脱穀した。強い風で、ハザガケが倒されてしまう事が良くある。雨に濡れて、ハザガケの棹が折れてしまう事もある。

 ハザガケは自分の都合ではなく、その時の状況次第で臨機応変にやらなければ、良い作業は出来ない。人の数は最低3人でやりたい。一人だってできないことはないが、どうしてもお米が無駄になる。お米を一粒たりとも無駄にしない脱穀には3人必要である。

 今年意外だったことは「ハルミ」という新しい神奈川県の奨励品種が良くできたことだ。このお米は神奈川県のJAの研究所で作出されたお米だと聞いている。農協自身が作ったお米が特Aをとったということで、とても注目されている。

 特Aということは味覚が良いという事で、たいていの場合は作りにくいことになる。ところが今年の様子では、サトジマン以上にできていた。予想外のことだったが、これはかなり期待できるお米という事になる。味が良くて作りやすいのであれば、今後ハルミに変えてゆくという事も考える必要がある。背丈が低いという事であったが、有機農法で作れば背丈は1メートルを超える。

 サトジマンもおいしいお米なので、早く籾摺りをして食べてみたいと思っている。サトジマンよりも少し早稲傾向があるという話だったが、実際の所はさして変わらなかった。作業をずらすという意味では奨励品種では光新世紀というお米が少し遅いという事になる。

 サトジマンは良いお米だと思うが、こうして作られない事になってゆくのだろう。止葉がとても大きくなり、有機農業向きのお米だと思っていたが、場合によっては「ハルミ」に変わるのかもしれない。何もこだわる必要はない。味が良くて作りやすいのであれば、全く問題がない。

 特Aのお米であれば、販売するとしてもやりやすいであろう。柿の下田んぼのハルミはかなり早く刈った。欠ノ上と作業をずらすためである。早く刈って収量が畝取りで来て、アジも良いのであれば全く問題がない。全く倒れてもいなかった。

  石垣島田んぼの種籾として、「ハルミ」1㎏「サトジマン」4㎏小田原の冷蔵庫に保存。

 
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水彩人展始まる。

2021-09-29 04:00:48 | 水彩画

 水彩人展が始まった。昨日は一日会場で写真撮影をしながら自分の絵のことを考えていた。作品は4点、昨日ブログに掲載させてもらったものである。直接は見てもらえないだろうと考えていたので、ブログに載せた。

 水彩人展は見てもらう展覧会でもあるのだが、私にとっては自分が絵を学ぶ場だと考えている。一年間毎日ただ絵を描き続けている。その結果の絵を絵を見る眼で見てみたいという場だ。絵を見る眼になりきるためには、展覧会という場で、仲間の絵と並べてみる必要がある。

 自分の絵を見る眼ではなく、誰の絵でもない絵を見る眼になって、自分がやってきた結果の絵を見たいと思っている。やはり、アトリエで見ていた時とは絵は違って見えた。強い絵に見えた。別段強い絵を描いているつもりはなかったが、強い絵になっていた。






 昨日ブログで書いた不安は、会場で水彩人の仲間と会い、2年ぶりの互いの無事を確認して、大きく安堵した。それだけで東京まで出てきてよかったと思った。絵の友人と会えるという事は大きな安心である。同じ道を歩む貴重な人たちだからだ。

 小田原で農の会の仲間と会えたことも安心になったのだが、絵の仲間はまたそれとは別のものだ、水彩画道場の同志というような感じなのだろう。終わりのない宇宙空間の無重力のような虚空を漂うような仲間だ。会うだけで、何か感じ合えるものがある。

 行脚する僧侶が次の参禅道場の門をくぐったような気分である。何十年も繰り返してきたことだが、命がけのことであり、いつになっても緊張する。絵を描くことの結果がむき出しになる時である。私の絵がどう見え、どう見られるのか、描いてきた生き様の結論がここで出る。


 いよいよ水彩人展、開場である。そもそも人など来てくれないだろうと思っていた。ところが、驚くことに初日は500人くらいは来てくれたようだ。びっくりしてしまった。ここにきて、東京の感染者数が200人を切ったという事があるのかもしれない。

 いままで、出歩けない状況が続き心が閉じかかっていた。そこで恐る恐る水彩人展の会場まで来てくれたような気がした。水彩人展が見てくれた人の励ましになっていればと、今回ほど思ったことはない。どの絵もこの苦しい、状況を反映して生まれたものだ。

 東日本大震災と原発事故後の絵もその影響は大きかったのだが、今回の影響は命のかかわりの深さを感じた。命の終わりを自覚して、今自分が絵を描いていることの命の意味をかみしめた作品がいくつも見受けられた。絵が一段切実になったとでもいうのだろうか。

 

 会場で自分の絵のことをゆっくりと考えた。ここからだという事は間違いでなかった。今までのことを出し尽くさない限り、次に向う事は出来ない。かなりの所で、出し尽くそうとしている絵だという事は、確認できた。出し尽くそうとしているのは良いとしても、出し切れていは居ない絵。

 描く方角はこれでいいと思った。もっと本音で、もっと自在に、楽観に至る道を目指す。見る人が楽観を共感できるためには、私自身が楽観に至らなければ、現れるわけがない。まだ楽観は方角であり、楽観の世界観を獲得はしていない。

 見て心底安心できるような絵が楽観に到達した絵だ。絵を見て、そのままでいいという安心を確信できるような絵が楽観の絵だ。私がそうした楽観を確立しない限り、絵だけが楽観という訳にはいかない。

 今回、いろいろの人と話しながら自分のやっていることで気づいたことは、記憶の風景を描いているという事である。目の前にある海や田んぼを描いていても、いつも実は記憶の中の風景をたたまの中に浮かべて描いている。

 それはあ棚の中にある海の方が目の前にある海よりも、海だからだ。私の海は、目の前の海ではなく、蓄積されたすべての海なのだ。嵐の海もあれば、月を砕いて浮かべる海もある。あくまで、目の前にある海は糸口に過ぎない。

 田んぼには何百年の歴史があり、そこにかかわる今という一年があるように、頭の中にはそのすべての田んぼというものがある。その頭の中にある記憶の田んぼを前提に、目の前にある田んぼの風景を描いている。見えている田んぼはあくまで糸口であり、頭の中の田んぼを主として描いている。

 
 
 日々不安と混乱の中で絵のことを考えているにもかかわらず、描いているときはただ没頭して描いているだけである。強い絵になっている理由は不安だったからに違いない。不安の心境の中から、楽観の絵が生まれるわけがない。

 今のままでいいという心境には程遠いい。内心、楽観どころか悲観の中に落ちている。動禅修行を続けるほかない。ここからである。やれるとすればここからのことだ。中川一政でも、梅原龍三郎でも、私が目標とする世界観は、90歳過ぎてからのことだ。

 まだ20年の年限がある。そこに向い少しでも近づけるように日々わずかづつでも進みたいものだ。やはり水彩人の仲間はなかなか良い。絵のことを語り合う事が出来る。いつか絵を語る会が再開できるようにしたい。絵は孤立して描いていてはやはりだめだ。

 そのことを改めて感じた水彩人展だった。次回の水彩人展では絵を語る会をやりたいと思う。水彩人展は見てもらう展覧会ではあると同時に、互いの作品の批評を行うという事が、会則にもある。互いの絵を喧々諤々と会場で討論しているような展覧会になればいいと思っている。そうしたことができないのでは何のために、展覧会をやっているのかがわからない。
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水彩人出品作展示

2021-09-28 04:25:56 | 水彩画


1、作品名 ニラカナイの海 大きさ中盤全紙 NIRAKANAI







2、作品名 南アルプス  大きさ中盤全紙 S・ALPS







3、作品名 宮良川    大きさ中盤全紙 MIYARARIVER









4、作品名 北アルプス  大きさ中盤全紙 N・ALPS



 石垣島に越してからの、第一段階の作品の結論のつもりである。ここを一区切りにして次に進みたいと考えて今回水彩人に出品した。前回までの水彩人ではいかに過去の自分を克服できるかという努力だった。

 観念としてこびりついた絵画というものから、無垢の自分が生み出すことが可能な絵画という物へ進めるかという事だった。それには自分の描いている絵からいかに抜け出すかが課題だった。その一つが、石垣島に制作場所を変えるという事でもあった。

 人間が変わることは難しい。あらゆる角度から次の自分に脱皮したいと考えた。そして、水彩画という物を先入観なしにその可能性に向き合うつもりで、この2年、徐々に少しでも自分のものであると言えるものを探してきた。

 いまだ程遠いい道である。到底できたとは言い難いことは認めざる得ない。ただ、自分なりにやっと始まりまで来た感がある。ここからいよいよ始めるつもりである。どれほどつまらないものであろうとも、これから描く絵は自分の描いたものだという、気持ちで描いてゆく。

 これからの10年、自分の絵だと言い切って終われるようにやってみるつもりだ。自分自分という事を繰り返しているが、それは自分という物を超えるというつもりなのだ。とことん自分という物の底まで進めば、人間というものに至ると考えている。

 おかしなことだが、人間に至るためには自分という人間を突き詰める以外にない。自分という個別性を見極めるという事は、人間という共通性に繋がる。むしろ、その方法以外に人間に至る方法はないと考えている。ゴッホの絵は極めてゴッホ的な個人のものであるが、そのことが人間というものの本質を表すことになっている。

 今回は上野の美術館まで、来てもらうことは無理かと思っている。だから、自分自身が自分の絵を見るための展覧会である。じっくり絵を見ようと考えている。今日一日絵を見る日に当てた。それがこのコロナ状況では私の精一杯のことである。

 そもそも展覧会をやってよいのかどうかも分からない。今見てもらうことの意味はどこにあるのだろうか。私の絵がこのコロナ蔓延時代のそれにふさわしいものであるのだろうか。この時代を反映しているものであるのだろうか。

 石垣島のアトリエカーに籠って描いた絵である。毎日1枚は描いた。描かずとは居られなかった。他にやることも出来ない環境だから、絵を描くばかりになった。わき目も降らずとなったのはコロナのお陰であるに違いない。辛い嫌な日々が続いたわけだが、妙な状況になった。

 絵は本来制作者はいらない。作者不明。詠み人知らずが一番良い。絵は絵として、生きる人間に意味があるかどうかのものだ。飛鳥の古墳壁画は描いた人のことは分からないが、絵として存在している。良い絵というものは人間を変える。

 音楽にはクラシックというジャンルがある。クラシック演奏者という、アーチストと呼ばれる人がいる。そのアーチストは誰かが制作したものの複製だけをしているのだが、複製の仕方にその人の表現を託している。日本の伝統絵画は、複製制作者に近いものだったのだろう。

 宗達が創作者であれば、宗達複製者が日本画のアーチストであるとされてきた。それはレコードという物が出来て、音楽も記録が出来るようになり、クラシック演奏者はアーチストとしていつまでも存在するのかどうか。

 絵画もかならず、正確に再現されたレコードが出来る。その時を想定すれば、作品と言えるものはすべて詠み人知らずで成り立つことが良いと思っている。芸術作品は人類が共通の宝だと思う。これからは新しい時代の絵画の位置づけが起こると思う。

 ただ、正確な記録が残されていれば、将来はバーチャルリアリティー映像で、見ることが出来るようになるのだろう。何が人間にとって意味あるものなのかは、未来の視点からしか考えることはできないはずだ。果たして自分の絵画という物はどういう意味があるのだろうか。

 ともかく今は自分という物をやり尽くしてみたい。まだこれからだと思っている。今回の水彩人展は不思議なものになる訳だが、私自身が学ぶ場としてはとても重要になるに違いない。あの時が出発点であったと思えるつもりで、水彩人展を見たいと思っている。

 
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タネ取り田んぼの自家採種

2021-09-27 04:35:45 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 10月24日種籾の稲刈りをした。サトジマンである。1本植した、株が20本以上の穂をつけていて、病気のない株を選んである。大きな株は26本の穂をつけていた。荒れ地だったところを、田んぼに戻して一年たたない。こんなに立派な田んぼが出来たのは、ほんとうに素晴らしいことだ。気の合った仲間がいたからこそできたことだ。

 農の会という、自給活動の会を始めたことは間違いのないことだった。山北の山の中で始めた、一人の自給がこうして仲間と一緒の自給活動になったことはかけがえのない、様々な出会いの幸運が重なったからこそできたことだろう。農の会の活動の考え方が、広がってゆくことを願っている。

 写真で見ると、3月までは荒れ地だったという事が嘘のような美しい田んぼだ。田んぼではハザガケがされると新しい風景が作られた気になる。右側のまだ稲刈りがされていない田んぼが、私の担当の田んぼだ。一本植で一日かけて一人で田植えをした。

 種もみはその形質を確認するために、一本植でなければならない。一番重視しているのは分げつ力と耐病性である。田んぼには必ず病気は出るものだ。消毒を一切しないのだから、病気が出て普通である。広がらなければ問題はない。


 例えばイモチが田んぼに出たとしても、感染をしない株は必ずある。耐病性がある株なのだと思う。そうした株を選抜して種籾にして行けば、病気の出にくい田んぼになってゆく。だから、田んぼには種もみを採取する1本植の部分を作らなければならない。

 自家採種の株は他とは分けて家に持ち帰り別に天日干しをしている。脱粒するときも丁寧に行う。今年は石垣島の田んぼの分準備するつもりなので、少し多めに種を残した。サトジマンを4キロと。ハルミは直蒔きし田んぼのものを種取りした。

 田んぼの畔に一列植えてあるのはあぜくろ大豆である。小糸在来種という品種で千葉県の小糸川周辺で出来た在来種と呼ばれる大豆である。この大豆も小田原でもう20年は作り続けている。この大豆は収量はそれほど多くはないが、小田原の気候には適合している。ともかく味がよい大豆である。味噌や醤油や納豆を作っても格別な味になる。

 今、ちょうど枝豆ぐらいである。11月に収穫になる。出来ればその頃にもう一度小田原に来たい。大豆が終われば、麦の播種になる。そういえば去年の大麦で出来るはずのビールはどうなったのだろう。11月に石垣の田んぼは終わっているだろうか。

 この大豆で納豆を作り毎朝食べているが、市販の納豆とはかなり違う味がする。おいしいのかどうかは分からないが、その味が自分にとっての納豆の味になってしまった。大豆の味がはっきりとしていていいと思っている。大豆も当然種を残すことになる。

 




 ここはもち米の田んぼである。奥に久野川があり、4メートルほどの谷間になっている。反対側の丘の上に欠ノ上の集落があり、そこは15mほど高い場所になる。久野川に落ち込んでゆく斜面に段々畑が切り開かれいる。良く田んぼが作られたものだ。

 田んぼがこの地域に作られたのは江戸時代初期になる。その頃、一つ上の集落に溜池が作られて、それが元治年間という記録が残っている。その頃に久野地域には田んぼが広げらて行ったようだ。400年が経過している。400回耕作をしたことがある田んぼという事になる。

 田んぼという物は作れば作るほど良くなってゆく、すばらしい農法である。お米を主食にしたことは日本人の循環型の暮らしを生み出したのだろう。水田でのイネ作りを我々の先祖が、大切にしてきた気持ちがよく分かる。欠ノ上に水をひくために、一つ上の地域に溜池を4つ作った。隣の坊所の集落からは一つ山の下をトンネルで水路を通してまで水を引いた。



 それほどの工事をしてまで、田んぼを作ることには意味があった。田んぼさえあれば、食糧自給が可能だという事が分かっていた。政治とは治水であり、水田稲作を通して、集落を形成してゆく。人間の暮らしの調和がそこに生まれた。

 それは江戸時代という、とても封建的で自由のない社会であったわけだ。その暮らしはそのまま受け入れることなど出来ないが、明治時代の富国強兵の時代から見れば、よほど安定した平和な世の中であったわけだ。江戸時代を否定的な媒介として見直す必要がある。

 その封建制や、身分制度を克服したうえで、江戸時代に戻った方がいいというのではなく、新しい人間の暮らしを見つけなければならない。今あるものを受け入れて、充実してゆく暮らしがあるはずだと思う。拡大再生産の人間の暮らしは明らかに、破たんした。


 25日には私の担当の田んぼも、稲刈りが終わりハザガケがされた。今年も見事な豊作である。みんなに助け頂いたお陰である。石垣島に居ながら、小田原で田んぼが出来ることは何ともありがたいことだ。今年も小さな田んぼのイネ作りが出来た。しみじみと充実を感じる。許されたような気持ちだ。

 小田原で確立された小さな田んぼのイネ作りは、安定した自然農法の畝取りを達成している。私が石垣島に引っ越して2年が経過した。私がいなくなってからの方が、以前にもまして安定してきている。久野地区で3ヘクタールほどの田んぼ面積になる。

 この農法は伝統農業の技術と言える。たぶん江戸時代の人がやっていた農法とかなり近いはずだ。トラックターもハーベスターも使うのだが、機械に依存したものでもない。もし、化石燃料が使えなくなったとして、小さな田んぼののイネ作りは続けられるだろう。

 石垣島でも農の会方式の田んぼを始めたわけだが、まだまだ、石垣島の田んぼは土壌も出来ていない。2期作目の田んぼはあまりに気候に適合しない。品種も何が良いかもわからない。「ひとめぼれ」がだめだという事だけはよく分かった。

 何としても石垣島のイネ作りで畝取りできる技術にまで高めたいものだ。徐々に来年の春からの作業は徐々に頭の中にできてきた。来年の挑戦が楽しみである。
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第75回 水彩画 日曜展示

2021-09-26 04:13:11 | 水彩画
第75回 水彩画 日曜展示






438「下田の海」
10号 ファブリアーノ
2021,9







439「蓼科山」
ファブリアーノ中判全紙
2021.9








440「いちょう」
ファブリアーノ中判全紙
2021.9






441「さくら」
ファブリアーノ中判全紙
2021.9






442「三津浜富士」
ファブリアーノ
2021.9







443「杜の道」
ファブリアーノ手漉き紙
2021.9






444「花鳥公園」
ファブリアーノ手漉き紙
2021.9


 今回の展示で、いままでのところのひとまとめが終わる。この展示の後からは小さな絵を中心に描いて見ている。その一つが最初の作品である。438「下田の海」はこの次に載せればよかったのだが、7枚そろえるために展示した。

 27日は水彩人展の展示である。今回開催準備は休ませてもらった。会場展示から出ることにしている。28日が初日である。初日は会場に行き、写真撮影だけはさせてもらおうと考えている。

 自分の絵と、皆さんの絵を一日ゆっくりと見せてもらい、絵のことを考えたいと思っている。水彩人仲間の絵を見るのも久しぶりのことで、改めた気持ちで見せてもらうつもりだ。何が変わって、何が変わっていないのか。
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ベーシックアセットの福祉国家とは

2021-09-25 04:15:59 | Peace Cafe


 ベーシックアセットの福祉国家とはどういうものなのだろうか。日本の戦後は北欧型の福祉国家が一つの方角として示されていた。その方向を新自由主義というものが登場して押しつぶしてしまった。能力主義の正義による差別社会が、北欧型福祉社会の価値観を否定したのだ。

 宮本太郎と言う大学教授がベーシックアセットを解説している。どうやらベーシックインカムの問題点を克服する考え方のようだ。私自身がベーシックアセット論を理解するために、個人的な勝手な要約を作ってみた。

 福祉国家の課題として「例外状況の社会民主主義」「磁力としての新自由主義」「日常的現実の保守主義」という三つの力学の中で、日本における福祉政治(貧困政治・介護政治・育児政治)がいかに希望を失ってきたかを解説している。

 同時に、この三つの世界とこれまでの歴史的経緯を無視したかたちで、北欧から理想としての福祉政治を持ち込むことは不可能であることも指摘されている。その上で、福祉政治として「ベーシックアセットの福祉国家」を考えなければならないといしている。

  
 日本では、非正規雇用やフリーランス、ひとり親世帯、低年金高齢者、心身の障害を抱える人などのなかで生活困難が深刻化してきた。建前主義の生活保障の制度が対応できていない。そこにコロナパンディミックが起こり深刻な生活困難を産んでいる。

 貧困、介護、育児の分野でより広い支援を謳った施策が様々に導入されてきた。介護保険制度、生活困窮者自立支援制度、子ども子育て支援新制度などである。こうした諸制度は期待された支援を実現できていない。間違っていない施策が実現されない背景には、硬直した行政の問題がある。

 「磁力としての新自由主義」と言う言葉を宮本氏は使っている。新自由主義者で無いにもかかわらず、新自由主義的に振り舞わざるを得ない構造が政治の中にある。それが「磁力としての新自由主義」だ。このように宮本氏は説明している。よく分かるところだ。

 国と地方が世界一の長期債務を抱えながら、実はこの国の税負担は北欧の福祉国家に比べれば小さい。莫大な債務があっても税制度不信も強いので、税は上げられない状況が続いている。ゆえに小さな政府しか選択肢が残らず、長期債務が膨大化して行く中では、導入された福祉施策は、後から中抜きに成って行く。

 結果的に地域では弱者どうしがぎりぎりのところで依存し生活を維持する。引きこもりの50代の息子が80代の老親の年金を頼る。さらには子どもや学生が学業を犠牲にしてケアに携わるヤングケアラーなどである。認知症高齢者が認知症高齢者を介護する認認介護さえ存在する。

    いずれの制度からも対象とならない「新しい生活困難層」が急増している。「新しい生活困難層」には、不安定就労の人々、ひとり親世帯、引きこもり、軽度知的障害など多様な人々が含まれるが、共通項は既存の社会保障の支援の枠組みから外れてしまう、という点である。

ベーシックインカムとベーシックサービス
 これまでの社会保障が、社会保険と公的扶助の二極構造であった。そして今、「新しい生活困難層」の人々が両機能の間にいわばはまり込み、いずれからの支援も受けられないでいる。

 こうした事態に対して、いくつかの提起がなされている。一つはベーシックインカムだ。コロナ禍のなかで、リベラル派はもちろん、ローマ教皇や日本における新自由主義を代表する竹中平蔵氏までがベーシックインカムを唱えている。

 ベーシックインカム論は、二極構造のうち、ロビンフッド機能の対象を社会全体に広げようとするものといえる。ロビンフッドにしてみれば、お金をいただくべき高所得層にもお金を配るのは不本意であろうが、後から税で回収して所得移転を実現しようというわけだ。

 他方で、ロンドン大学の社会政策学者アンナ・コートらによって、ベーシックサービスという提起もなされている。ベーシックサービスとは、「ベーシック」な公共サービスを誰でも受けられるようにしていくという考え方だ。

 日本の現状では、主なサービスは、医療サービス(医療保険)、介護サービス(介護保険)のような形で社会保険に紐付けされている。サービス利用には保険加入が必要だ。保育サービスは、税財源であるがゆえに、消費税増税を主に振り向けるという約束もむなしく、十分な財源確保ができていない。

 こうしたなかで、ベーシックサービス論者は、医療や介護のサービスを社会保険の枠を超えて誰にでも届けると主張する。支援が届かない人々が増大するなか、ロビンフッド機能の側から現金給付を広げていくベーシックインカムに対して、逆の社会保険の側からサービス給付を拡大していこうとするのが、ベーシックサービスといえよう。

 月8万円のベーシックインカムを1億2000万人に出せば、年間に115兆円が必要であり、現行の社会保障給付の総額がサービス給付を含めて約120兆円であることを考えると、ベーシックインカムはサービスの給付まで侵食してしまうことになる。

 一方ベーシックアセットとは、この言葉は元々は、フィンランドのデモス・ヘルシンキやカリフォルニア・パロアルトの未来研究所のようなシンクタンクが提起したものだ。まだ発展途上の議論であるという事情もある。

 ベーシックアセットは、これからの生活保障が満たすべき条件を大きく表したもので、たとえば「国民全てに毎月8万円のベーシックインカム」といった議論に比べれば、抽象的に聞こえてしまいかねない、ということである。

 まずベーシックアセットが抽象的に響く一つの理由が、アセットという言葉の意味であろう。価値のある資源や財のことだ。生活に必要ないろいろをすべてパッケージで提供するのか、というイメージも沸く。

「私・公・共」のアセットとコモンズ
 ベーシックアセットとは、「私・公・共」のアセットを指す。ここで私的な資源とは、ベーシックインカムのように現金給付で保障されるもの、公的な資源とは、公共財によるサービス給付で保障されるものである。これに対して、共の資源とはコミュニティのようなコモンズのことだ。

 コモンズというのが一番分かりにくいのではないか。コモンズは、誰のものでもないが、誰でもが必要とし、誰にも開かれているがゆえに、誰かが占有してしまいかねない、そんな資源だ。自然環境、ITネットワーク等、いろいろ例が挙がるが、コミュニティ、つまり働き、暮らすことにかかわる様々なつながり。

 今日もっとも大切な財に「自尊の社会的基盤」を挙げた。私たちが生きていく上で、自分の存在が認められる他者との関係のなかにあって、自己肯定感を保てることは決定的に重要だ。コミュニティはそのためにも不可欠の財なのである。

 「新しい生活困難層」は、多くの場合、制度から排除されることでコミュニティからも排除されてしまっている。たとえば、なんとか働けていたとしても、勤務先では「派遣さん」などと呼ばれ名前も覚えてもらえず、ワンオペ育児で孤立感を強めていたりする。

 ベーシックアセットとして「私・公・共」のアセットが問われる。重要なのはこの3つのアセットの関係である。「共」のアセットとしてのコミュニティに参加できる条件をうみだすために、「私・公」のアセットすなわち国や自治体等による現金給付とサービス給付が決定的な役割を果たすのである。

「何を配るか」より「どう配るか」
 ベーシックアセットは、ベーシックインカムやベーシックサービスのように「何をどれだけ配るか」より、「どう配るか」と「何を可能にするか」を示そうとするビジョンなのである。そしてそれぞれの事情に応じた最適な給付の実現で、コミュニティともつながることを可能にする、というのがその目標である。

宮本太郎
1958年東京都生まれ。中央大学法学部教授。



 
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石垣島の飲み屋の40%が時短を守っていない。

2021-09-24 04:21:05 | 石垣島


 八重山毎日新聞に衝撃的な記事が出ていた。石垣島は飲食店の4割が夜8時以降も営業をしていた。石垣島にも美崎町という歓楽街がある。以前は怪しげな人達が、いつもたむろしていたのだが、最近はそういう人は見なくなった気がする。石垣島から半ぐれが撤退したというような事が新聞に出ていた。こういうことはコロナの御陰なのかもしれない。

 美崎町には南星コーヒーという、焙煎してコーヒーを売ってくれる店がある。ここのモカが石垣島では一番おいしいコーヒー豆だと思っている。電話で注文しておくと出来上ると電話がもらえる。コーヒーを取りに行くときには美咲町の中を車でぐるりと通ることになる。

 南西コーヒーの2階にはライブハウスがあり、時々出かけていたが、今はまったく行かない。行きたいのだが、怖くてライブを楽しむ気にはなれない。年寄は感染すると、重症化しやすいのだ。それでもまったくやっていないわけでも無いようだ。

 車の中からキョロキョロしながら進んで行くと、なんとも真っ昼間から酒を出しているな。とは思っていた。それが何と4割もの飲食店が酒を出し、夜遅くまで営業をしていたのだ。強制力が無ければこういう結果になるところもある。強制しないことが良いこととは言えないだろう。

 それが結局の所、夜中まで酒を出して営業をしている事を誰もが黙認しているほか無いのだ。中山市長が美崎町の飲み屋で宴会をして、石垣市で自粛要請などしていないと、議会で答弁したことも影響しているのでは無かろうか。

 厳密に言えば、宴会の開催時期の問題などがあって、市長が酒を飲んだ証拠も無いのだから、何とも言えない話なのだが、飲み屋に対して甘い空気が広がったことだけは確かだ。市長が自粛要請など石垣島では出していないと議会で発言してしまったのだから、何か言われたら市長と一緒だと言えばいいわけだ。

 市長は最近度が過ぎていないだろうか。すでに市長選挙モードなのだろう。宮古島でも、与那国島でも選挙に関わり大変な数の感染者が出てしまった。衆議院選挙でそういうことが全国で起きなければ良いのだが。コロナの時代はネット選挙がいい。

 あんな馬鹿げたことを市長自らが繰返しやっているのだから、飲み屋が自粛する必要は無いとの理由付けになったのだろう。沖縄県の緊急事態の自粛要請は、石垣島では効果が薄かったと言うことになる。それで感染者も一気に増えたのだろう。観光客が少なかった割には感染者は多かった。

 酒を出す飲食店から感染が広がるというのは間違いの無いことだ。特に接待を伴う飲食店は良くない。石垣島でも接待クラスターが起きていて、店名が公表されたことがある。実際の所、名前が公表されれば、あそこに行けば酒が飲めるぞ、と宣伝になってしまったぐらいだろう。

 そして実際の所、酒を出している店はどこも満席なのだそうだ。それはそうだろう、6割の店が酒の提供を休んでいるのだから、一部だけ開いていればそういうことになる。相変わらず路上寝込みが毎日いるのだから、飲み屋が開いていないわけが無いと思っていた。

 自粛して耐えている店の犠牲の上に、40%のお店が不当と言える利益を上げている事に成っている。こんな社会こそ最悪だろう。みんなのためにと自粛で我慢してくれている善良な飲食店の人が、あこぎなお店の犠牲になっている。こんな構図はあっては成らないことだろう。

 こうして、一人一人の善意の努力が無になる。こういう社会が正義が犠牲になる一番悪い社会だろう。頑張った人に恩恵がある社会。そうでなければ正義が通らない。石垣島はおかしな社会になって来ているのではないか。これもコロナが社会をダメにし始めた一例かもしれない。

 原因は協力金の不足ということもある。自粛してお酒を出さない店が、生活して行ける状態を作り出す必要がある。ところが行政にはそれが出来ないから、自粛要請などしていないというような市長の言い訳になる。たぶん、接待を伴うような店は、協力金だけではやっていけないはずだ。従業員の人件費がまともなものではないから、協力金では見合わないはずだ。

 一番腹が立つのは一生懸命自粛をしてくれて、頑張ってくれているお店の方だろう。自分たちの努力がこうしたかたちで悪用されてしまったのだ。たぶんこうしたことが、全国で広がり、日本社会の嫌な空気を作り出しているのでは無かろうか。正直者が馬鹿を見る世の中に、アベスガはした。

 石垣島でも宮古島でも最近やっとコロナ感染が治まってきたが、一時は全国断然一位という、情けない状況に陥った。私は怖くてどんな店にも入れなくなった。計算してみると、スーパーに行けば必ず一人は感染者がいるような密度の時期が合った。

 幸ここへ来て、感染者も急減してきた。夏の観光シーズンが終わったからだろうか。70%のワクチン摂取が完了したと言うことか。本当のところはよく分からないが、島のコロナの状態は閉じた環境だから、わかりやす事になる。

 石垣島には、PCR検査で陰性の人と、2回コロナワクチンを接種した人だけが来島できる。こう決めれば良いのだ。国単位ではそうしたことは普通に行われている。法的には問題が無いと言うことだ。石垣島の空港にチェック体制さえ作れば可能だろう。

 選挙はよくない。宮古も与那国も選挙の時に、感染爆発が起きた。何しろ、石垣市長は宮古の自衛隊誘致で賄賂を受け取った元市長の応援で、宮古島まで行って、感染爆発に加担したことになった。衆議院選挙で全国で感染が増える可能性がある。

 いまから、集会をやるような議員には投票をしないキャンペーンを行うべきだ。今回の選挙は政策選挙に徹底すれば良い。選挙公報を徹底したら良い。選挙公報で判断できるような、選挙を行えば感染は広がらない。一緒に飲まなければ選挙にならないと言うようなことはおかしいだろう。

 
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絵を描く為の指の「お手上げ体操」

2021-09-23 04:30:13 | 暮らし


 わかばの水たまりはこの奥の日陰にある。普段はだいたい泥の中に寝そべっている。人が行くと、立ち上がり外に出てくる。身体は泥まみれで臭いのだが、これが水牛には気分が良いらしい。カバと同じでは無いだろうか。泥が濡れている間は日向で餌を食べていても、快適ないようだ。

 「お手上げ体操」のことを書いておこうと思う。年寄には役立つことだと思う。老化の第一に手の震えというものがある。仕方がないもののように思われているが、食い止めることは出来る。酒を飲みすぎで震えが来ていると言われることがあるが、そんなことは無い。

 絵描きにとって右手の自由な動きは大事なものだ。無意識に動いているのだが、意識化のものが反映して、自由自在で無ければならない。手の動きが硬くなったり、震えたりするようになれば、絵はそうしたものになって仕舞うのだろう。

 目は緑内障で徐々に衰えているのは受け入れるほか無いが、どこかで悪化が止まることも期待できる。衰えは視神経の劣化なのだろうから、劣化の速度が遅くなることを願うばかりだが、悪いなりに安定してきて、絵を描くことにはまだ差し支えは無い。

 目の次に大事なものが右手である。特に右手の指の微妙な動きは絵にかなりの影響があるに違いない。年齢と共に、指の動きがギクシャクしてくることがある。震えが来る人もいる。字を書こうとするとヨレヨレゆれてしまう年寄もいる。

 祖父は卒塔婆を書くのに酒を飲んでいた。普段は震えるわけでも無いのだが、字を書こうとすると、震え出す。そこで酒を飲むと震えなくなると言って、昼間から酒を飲んでいた。おじさんもかなり手が震えたから、そうした血統かもしれないと思っている。

 二年前ほどから、なんとなく手にしびれを感じるようになった。これはまずいと、手のしびれを取るような体操を考えて、毎日している。それで今ではしびれはない。指は万全に動いている。絵を描く手の微妙な動きは、間違いなく若い頃より自由だと思う。

 若い頃はまだ訓練が行き届いていないために、もう一つ微妙な動きの反応を自由に引き出すことが出来なかった。こういう線を引こうと思っても、その線が引けないと言うこともよくあった。今は引きたいと思う線が引けるから、随分絵の自由の幅が広がった気がしている。

 この手が老化で衰えたら困ると思っている。今の状態が少しでも長く、出来れば死ぬまで続いて貰いたいと思っている。中川一政氏の書の線の引き方を見ると、死ぬまで衰えというものは全くない。だから、人によっては絵を描くという意味では手の動きが少しも衰えずに、100歳を迎えることができる人もいると考えられる。

 そのために「お手上げ体操」というのを考え実践している。お手上げは、手を頭より高く上げる体操と言うことである。手を高く上げれば、手の毛細血管に血液を戻すために心臓に負荷がかかる。五分間も上げていることは訓練が無ければかなりきついことになる。

 朝の動禅体操の中の動きに手を強化する動きを加えた。まずスワイショウである。スワイショウは手をでんでんタイコのように身体の周りに振り回す体操である。身体の軸を腕を回すことで軸にねじりを与える体操である。

 スワイショウにおける手の動きを、自分の手で自分の首に空手チョップをするように動かすようにしたのだ。実際には首まで手が届き、空手チョップすることは無い。その手前で止まる。手の平を上を向けて首の方向に向けて振り回すわけだ。

 スワイショウは左右に行い一回として。60回行う。これは手の先まで遠心力で血液を送ることになる。腕の疲れなども回復できる。スワイショウは気が向いたらいつでも少しだけでも行うと良い。身体全体の活性化に役立つ。

 寝転んで足を壁に付ける体操をしている。これが「お手上げ体操」の中心になるものである。この時手はまっすぐに上げて行う。足は家具のへこみの丁度良い高さに踵を当てて、動かす。踵がぐりぐりと痛いが。足裏治療ではこの痛さが目に良いと言うことである。足は4つの動きを40回づつ行う。

 足を左右にくりくりと開いたり閉じたりする体操を40回。それに合わせて上に揚げた手も閉じたり開いたり。次に足先を左右に振るように40回。手も同じように40回。次は足全体で握って平いて、を40回。手も握って飛来手を40回。最後に足を先だけを歩く馬のようにパカパカやる。手も同じに動かし40回。

 160回の間、手は挙げたまま動かしている。この間どこかで手が疲れてくる。血が行かなくなる感じである。それを頑張って手の動きで血を戻すようにする。すると何とか回復して、160回まで出来る。これが楽に出来るように成ったら、50回を目指しても良いかと思う。

 蹴り上げ体操では、やはり手を頭より上に上げて行う。一回蹴り上げる都度、頭の上の手を強く握る。これを30回で一組で、3回に分けて行うから、90回行うことになる。手を心臓より高い位置で握ったり、閉じたりすることは手の毛細血管の活用になる。

 直接手のしびれの回復に効果があったものは八段錦の中の7段の動きを自分なりに変化させた動きである。七段錦の動きで手を突き出すところがあるのだが、ここで、左手を前に出し手首からさきを三回大きく回す。3回目に上に開いた手の指を小指から順番に握る。右手でも同じ動きをする。

 最初は前に出した手をきれいに3回回すことも難しかったが、繰り返す間に、回せるようになった。指をきっちりと順番に握ることも最初は出来ないが、徐々に出来るようになった。出来るようになった頃に、少しあったしびれが感じられなくなった。

 たぶん若い頃であれば、こんな動きは何でも無く出来たのだろうが、身体の神経が鈍くなるのか、どうしても動きがぎこちなくなる。その点を「お手上げ体操」を行うことで、回復させることが出来るようだ。

 そして指先体操の一番が、キーボード打ちである。毎朝、1時間キーボードをカチャカチャ打っている。頭と連携して指先が動いている。これは頭の訓練でもあるが、指先の訓練でもある。できるだけ早く打つようにしている。考える速度で打てるようにと思っている。

 
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石垣島田んぼ勉強会

2021-09-22 05:51:55 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」

 田んぼの一段上に自然に出来た牧草地がある。昔は五反ほどの田んぼだった場所だ。そこは今は水が来ないようになっている。その自然に出来た牧草地に、水牛を繋がせて貰っている。水牛も3ヶ月近くなり、随分慣れた。当分の間管理を続けることになった。

 今年の5月9日にアンパルの自然を守る会で、有機農業のイネ作りの見学会を行った。その機会にあしがら農の会のイネ作りの話をさせて頂いた。この集まりをきっかけにして、名蔵シーラ原で田んぼ勉強会が始まった。

いままでの流れを整理すると。
7月4日  苗床の種まき。
7月11日~ 水牛による田んぼの代掻き。
8月1日  田植え。 
9月初旬に走り穂、10葉期での出穂になり驚き。
9月12日出穂
9月22日穂揃い。まだ分ゲツからの出穂が続いている。

 いままでに田んぼの作業には40名くらいの方が、参加された。そのうち20名くらいが中心となっている参加者かとおもう。

 田んぼを始めて見て、分かってきたことがいくつかある。まだ分からないことも色々あるが、ともかく石垣島のイネ作りはなかなか手強い。特に2期作を有機農業で行うことは難しいのかもしれない。

1,石垣のイネ作り農業は10ヘクタールほどの規模の農業法人や大規模な農家が中心に行われている。どの方もさらに広げる意欲を持たれている。平均の耕作面積は5,6ヘクタール。

2,遊休農地に見える場所はかなりあるが、簡単には借りられない複雑な条件の場所のため耕作されていないところがほとんどである。リゾート開発によって、農地まで先行投資の対象になったようだ。

3,石垣の亜熱帯性の気候は、予測されたとおり病虫害が多い。ジャンボタニシ、ニカメイチュウ、ウンカ、イモチ、カメムシ。風通しが悪くなると発生する。また、バンカープランツを周辺にどう作れば良いか検討が必要。

4,海沿いの田んぼは風が日常的に強いために台風が来ないとしても、風対策が必要になる。風速30メートル程度で、葉先が黄色くなった。風で倒されることがあるので、二本植えにする必要がある。これはジャンボタニシ対策でもある。

5,田んぼにジャンボタニシがいれば雑草は食べてしまう。うまくコントロールできれば除草に利用できる。田んぼの畦際に溝をぐるっと回す。田植えが終わったらば、淺水を二週間は続ける。溝だけが水が深く溜まる場所にする。その溝の中にジャンボタニシを採取する罠を設置する。

6,品種を適性で選択すれば、有機農業の畝取りの可能性は見えてきた。晩生の品種を何種類か実験栽培する必要がある。

7,苗作りは1月播種で徒長しない苗を作る必要がある。7月播種では苗が軟弱になる。この場合、1メートルに100グラム蒔きよりもさらに薄くする必要がある。出来れば苗床は本田では無い場所にしたい。水管理と、水牛代掻きがうまく回らなくなる。30メートルの苗床が必要になる。今回は20メートル。二キロ播種。

8,シーラ原田んぼは海沿いにあるが、斜面の一段上にはパイナップルとサトウキビの畑がある。さらにその上には放牧地があり、数百頭の牛が飼われている。そこから出る赤土の水や汚染水が、うまく田んぼで溜められている。

 名蔵湾に直接は出ない形になっている。赤土や糞尿の汚染水がうまく田んぼで沈殿されている形になっていると思われる。シーラ原のような農地の配置を、石垣全体で考えてゆくと珊瑚礁が守られるのでは無いだろうか。

9,石垣市の田んぼは耕地の整備が進んだこともあり、冬期湛水することによって、良いイネ作りが出来ると多くの農家の方が言われている。この有利点を生かして、通年田んぼに水を溜める環境保全型農業が可能ではないかと思われる。

10,田んぼの畦はまず崩れることが無い。一度土を寄せて15センチの水が溜められるようにした。15センチの水管理を続けている。畦は強く、ほとんど管理すること無く、そのままの状態が維持されている。これならばさらに深い水管理も可能である。

11,9月19日田んぼの山側にはネットを張った。1,8メートルの高さ。電柵も一応張ったが、今のところはイノシシは来ていないので、通電はしていない。タカ凧も3つ飛ばした。孔雀よけである。来ていた孔雀も今のところ来なくなった。

 現状では水を必要以上に流している農家が多く、慢性的な水不足になっている。澤からの水が減少していると言うこともあるようだ。水にメーターを付けて、無駄に水を流さないように制限することになりそうだ。

 イネ作りは同じ場所で何千年と循環して農業の出来る作物である。環境を育む農業が水田稲作である。貯水能力。地下水の涵養。生物多様性の確保。大規模農家での、有機農業技術も確立してきている。

 アンパルの自然環境を守るためには、水田を継続することが今後一層重要になるのでは無いだろうか。現在の稲作農家は平均年齢が高い。このまま対策を打たないと、五年後には担い手不足が起こる可能性が高い。対策を今考える必要がある。

 9月24日から小田原の稲刈りに行く。10月4日に戻る。田んぼはこのままの管理で問題ないだろう。戻っていつ水を切るか決めたいが、できる限り先に延ばしたい。



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『SDGs』とは2015年に国連で採択された、17項目の国際的目標

2021-09-21 04:01:03 | 暮らし


 今はこんなかたちで絵を描いている。夜桜の絵を描いているところ。

 『SDGs』とは2015年に国連で採択された、17項目の国際的目標。沖縄県でも推進が言われている。石垣市でも推進の方針である。推進の担当者がいる。先日、市の取り組みについて話を聞かせてもらいに行った。石垣市の推進案を読ませて貰った。田んぼとSDGsが関連していることを伝えたが、もう一つ反応は鈍かった。

 田んぼのことが余り触れられていなかったので田んぼこそ、永続性のある生産方法であり、SDG sにいれていかなければならないと少しくどく説明をした。石垣島での稲作農業の活性化のための取り組みは少ない。市としては稲作農業は余り重視していないと考えるほか無い。

 もう一度国連の採択したSDGsの内容を確認してみた。国連広報センターに出ていた。
目標1 あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ
目標2 飢餓をゼロに
目標3 あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を推進する
目標4 すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する
目標5 ジェンダーの平等を達成し、すべての女性と女児のエンパワーメントを図る
目標6 すべての人々に水と衛生へのアクセスを確保する
目標7 手ごろで信頼でき、持続可能かつ近代的なエネルギーへのアクセスを確保する
目標8 すべての人々のための包摂的かつ持続可能な経済成長、雇用およびディーセント・ワークを推進する
目標9 レジリエントなインフラを整備し、持続可能な産業化を推進するとともに、イノベーションの拡大を図る
目標10 国内および国家間の不平等を是正する
目標11 都市を包摂的、安全、レジリエントかつ持続可能にする
目標12 持続可能な消費と生産のパターンを確保する
目標13 気候変動とその影響に立ち向かうため、緊急対策を取る
目標14 海洋と海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する
目標15 森林の持続可能な管理、砂漠化への対処、土地劣化の阻止および逆転、ならびに生物多様性損失の阻止を図る
目標16 公正、平和かつ包摂的な社会を推進する
目標17 持続可能な開発に向けてグローバル・パートナーシップを活性化する

 稲作農業はこの17の目標のなかの、2,4,8,9,12,13,14,15、という8つの目標に沿うものである。まず飢餓の克服を考えてみれば、稲作農業の普及ほど地球の永続性のある生産方法は無い。その水田稲作は日本の伝統農業を参考にしたものでなければならない。

 以下は国連の主張である。

 目標 2 飢餓をゼロに 私たちが食料の生産、共有、消費の方法を考え直す時が来ています。現時点で空腹を抱える 8 億 1,500 万人に加え、さらに 2050 年までに増加が見込まれる 20 億人に食料を確 保するためには、グローバルな食料と農業のシステムを根本的に変える必要があります。

 この国連の目標を読めば、稲作農業の縮小しようと考えている日本政府の方針が、国連の目標と大きく外れていることが分かるであろう。縄文後期時代からの7000年の日本の伝統的永続農業を世界に伝えて行くことが、日本の役割であることがよく分かる。

 6,8,12,に関わるものとして水の問題がある。水田稲作は水資源を最も有効に利用する生産方法である。

  人間は、自然が河川や湖沼で再生、浄化できる以上の速さで、水を汚染しています。 • 水の使い過ぎは、世界的な水ストレスを助長します。 • 水は自然から無償で手に入るものの、給水のためのインフラには大きなコストがかかります 。
 
 石垣島は慢性的に水不足である。島の観光事業や産業の拡大によって、島の持つ水資源は限界に達している。島で重要なことは水資源の永続性のある利用法である。島全体にどれほどの地下水の資源があるかは、調査されていないが、地下水を汲み上げすぎれば、水が枯れてしまうことは目に見えている。宮古島の地下水に対する対応を参考にしなければならない。

 今度石垣島で開発が予定されているユニマットのゴルフリゾートは、地下水を主たる水源として、利用する予定のようだ。ここで地下水を大量に汲み上げれば、その下流域にある水田が地下水を涵養しない限り、地下水は減少してしまうだろう。

 沢水を利用しているゴルフ場予定地より下の水田では、将来水不足が予測されるだろう。島の水資源を考えるときに、どうやって地下水を増やして行くかを考えなければならないはずだ。山の森林を整備する。そして水はできる限り水田に一度溜める。

 13,14,15,に関するものは、水田に直接的に関係することになる。

 気候変動に関して言えば、生産は必ず、気候に影響を与える。産業革命以来の急速な生産方法の変化で、地球は危機的状況が近づいている。そうしたなかで、最も気候変動に影響の少ない生産方法が水田稲作である。水の環境調整力を農業は利用して行かなければならない。

 石垣島でも農業が海洋汚染を引き起こしている。森林を切り払い牧草地にする。あるいはサトウキビ畑にする、パイナップルの畑にする。こうした畑から赤土が雨の度に流出している。このために一部の海岸では珊瑚礁が死滅している。

 これを防ぐ一つの方法が、川の中流域に関を作り、田んぼへの水源にする。ここで溜まった赤土を取り出して、海に流出することを食い止めることだ。その下流域に水田を作り、一度水を溜めてから海に流すことである。

 人間が生きて行くことは大なり小なり地球環境を破壊することになる。その中ではかろうじて影響を軽減できるものが、水田農業である。石垣島の一番の資源は美しい自然環境である。この自然環境が維持される限り、観光業は継続される。

 石垣島の観光はデズニーシーでも、カジノでも、ゴルフ場でも無い。今のままの自然がいつまで維持できるか。そしてさらに自然を豊かなものに出来るかにかかっている。そのためには水田農業の維持である。行政は国の水田農業に関する補助金を調べて、利用できるものを研究しなければならない。
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石垣島にゴルフリゾートはいらない。

2021-09-20 04:35:30 | 石垣島



ーーーーー上記の部分をクリックすると反対署名にリンクします。以下の文章を読まれて、共感された方は、是非とも署名をお願いします。

 ㈱ユニマットプレシャスによる「(仮称)石垣島リゾート&コミュニティ計画」は、石垣島にある前勢岳の北側斜面の約60%にも及ぶ広大な土地(計127.4ha)を対象に、ゴルフ場をはじめ、最高40m近くにも達する中高層ホテル6棟(客室数461)と戸建ヴィラ(58戸)、数多くのプールやレジャー関連施設を建設するものです。この計画が明らかになった当初から、森林伐採、海への土壌流出、地下水の枯渇や汚染、さらには夜間照明による光害(特に石垣島天文台への影響)など、極めて多岐にわたる深刻な問題点が指摘され、多くの厳しい反対の声が寄せられてきました。
 予定地の大部分が農地であるため、計画は長い間難航していましたが、「地域未来投資促進法」という規制緩和の法律に基づいた土地利用計画書が提出され、沖縄県は承認をしてしまいました。これにより、事業者による早期着工の動きが伝えられ、私たちは強い危機感を抱いています。
 前勢岳は石垣島の中でも自然豊かな場所で、天然記念物のカンムリワシやキシノウエトカゲ、セマルハコガメ、夜にはヤエヤマボタルやフクロウの一種のリュウキュウコノハズクの他、美しいサガリバナの群落が見られるなど、沢山の動植物が生息しています。さらに、下流域には、ラムサール条約登録湿地の名蔵アンパルと、世界最大級のコモンシコロサンゴ群体が生息する名蔵湾が位置しており、前勢岳はそこへ流れ込む貴重な水源地の一つとなっています。
 これまで、石垣島ではあらゆる開発が実施され、陸地の豊かさが失われるとともに、海の豊かさも失われて行っています。楽園のような石垣島の美しい風景がどんどんと壊れていくことを、島に住む私たちは望んでいません。そして、カンムリワシを代表とする多くの希少種が年々生息の場を追われ、数が少なくなっていることに、罪深さややるせなさ、人間としての責任を感じています。これ以上、この豊かな自然が失われないように、私たちはChange.orgのキャンペーンを立ち上げました。
 工事着工が目前に迫る中、短期間ではありますが、9月末までに目標署名数1万筆を、最終的には10万筆目指しています。このかけがえのない自然の島、石垣島を守る為に、署名とキャンペーンの拡散に、ぜひともご協力お願いいたします。
 賛同署名を持って、以下のことをそれぞれのあて先に求めていきます。
1.㈱ユニマットプレシャスに「(仮称)石垣島リゾート&コミュニティ計画」の断念を求めます。
2.沖縄県知事に土地利用調整計画の承認撤回を求めます。
3.石垣市長に地域経済けん引事業計画の取り下げを求めます。
2021年9月14日
アンパルの自然を守る会      共同代表 島村 賢正
我がーやいまの自然環境を考える会 会  長 宮城 信博



 アンパルの自然を守る会の会員になっている。アンパルの自然を守る会が中心になり、シーラ原という場所で田んぼをやっている。アンパルからシーラ原は続いていている田んぼである。田んぼは自然を守る農業でもある。ラムサール条約では田んぼまで湿原として認定されているところもある。

 もし、ゴルフリゾートが出来れば、大量の地下水が汲み上げられることになる。当然その下に位置する、名蔵アンパルの湿原への水も減ってしまう可能性が大である。当然水の来なくなる田んぼが存在する。

 このゴルフリゾートでは、石垣市からの水道の供給は曖昧に100トンと制限されているようです。少なくとも日量950トンの水を必要とする計画だ。不足分は地下水のくみ上げで補うとされている。ところがこの点では沖縄県知事の環境影響調査では、十分な地下水調査が必要とされているにもかかわらず、調査は何もされていない。

 使い始めれば、いくらでも市の水道水を使えば良いというのが、計画の実体のように見える。計画では大半の水は地下水を汲み上げて利用すると言うことだ。その地下水のくみ上げ量は石垣市の現在の汲み上げ両全体の、半分にあたるとされている。

 もしゴルフリゾートでこれだけの水を汲み上げれば、当然その下流域にある、名蔵アンパルの自然は乾燥し草原化することだろう。これは石垣市に残された自然遺産を、観光資源を自ら消滅させると言うことになる。これだけは確実に予測されることだ。

 このゴルフが衰退している時代に今更、石垣島にゴルフリゾートは馬鹿げている。なんとしても止めさせなければならない。この場所は里山と牧場が点在している。まだ素晴らしい自然環境が残された場所である。この牧場は農振農用地である。牧場を作るために、税金が投入されて整備されたものである。

 本来であれば、こうした農地の転用は行っては成らないものである。ところが、行政はあらゆる手段を用いて、例えば国に対して自衛隊ミサイル基地を受け入れる変わりにと言うような、裏での交渉手段を用いてこのあり得ない農地の解除を行ったのである。証拠があるわけではないが、そうとしか思えない、異常な行政処置なのだ。

 もしこの地域がゴルフリゾートになれば、地下水を汲み上げて運営する予定になっている。これでは間違いなく、名蔵アンパルの水源が不足してしまうことだろう。同時にアンパル周辺を守るように存在する、田んぼも水不足になる可能性がある。

 石垣島の未来は、この豊かな自然環境の維持にかかっている。観光産業は施設を建設する場所を限定しなければならない。むやみな開発を行えば、観光施設が、石垣島の観光の未来を損なうことになる。どこまで自然を維持できるかが石垣の観光の未来でもある。

 ゴルフ場など、石垣島にはまったく不適合な施設だ。石垣島に来てゴルフをやるような人は少ない。ダイビングをするとか、竹富島の緩やかな時間が流れている集落を散策して楽しむ。観光と言えばゴルフと考えるような発想は実に古くさい。



 
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第74回 水彩画 日曜展示

2021-09-19 04:12:17 | 水彩画
第74回 水彩画 日曜展示





431「崎枝の耕作地」
ファブリアーノ中判全紙
2021.9





432「箱根駒ヶ岳」
ファブリアーノ中判全紙
2021.9






433「樹木」
ファブリアーノ中判全紙
2021.9







434「花鳥山の桜」
ファブリアーノ中判全紙
2021.9





435「富士」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.9







436「様々な畑」
ファブリアーノ中判全紙
2021.9









437「富士」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.9

 石垣島に来て富士山を描くとは思わなかったが、何故か富士山を描いてみた。描いてみたかったからだけれど、富士山もよく描いたものの一つだ。子供の頃から見慣れていたものだからかもしれない。

 箱根の駒ヶ岳もよく描いた。これは中川一政氏の駒ヶ岳に触発されて描くようになった。ここで描かれていたという同じ場所でもよく描いた。むしろ真裏からの駒ヶ岳もおもしろくて時々描いた。これも描いてみた。

 樹木の絵は水彩人展に出そうか迷ったものだ。他の絵との組み合わせがどうも良くなくて止めた。これがこの1ヶ月の間の絵なのかと思うと、ちょっと頭の中がどうなっているのかと思う。これが実際であるので、ありのままの方が良い。
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中国がTPP加盟に正式申請

2021-09-18 04:04:30 | Peace Cafe



 中国がTPP加盟に正式申請を行った。日本はこの申請を協力して成立させなければならない。アジア経済の新しい方向が生まれる絶好の機会かもしれない。日中の緊張が解ける機会になる可能性もある。あらゆる機会を利用して、平和な関係を模索することが日本のやるべき事だ。

 TPPには現在11カ国が加盟している。幸いなことにアメリカが脱退して、バイデン政権も加盟を渋っている。日本はアメリカがTPPを推進していたので、やむを得ず引き釣り込まれたようなものだった。そのアメリカが出来上がってみると、有利さが足りないと言うことで抜けたのだ。

 これでTPPの本質が少し変わった。もし中国が加盟するとなれば、中国が国際ルールに乗ることになる。そのうえに、TPP自体の性格も変わってくる。日本はこの機会に議長国として、対応をしなければならない。ところが日本政府はこれを中国の嫌がらせのように、麻生氏と西川氏が発言をした。何という外交感覚の乏しい人達か。偉そうな分析など今はしているときでは無い。

 TPPの日本の加盟は大きな問題があった。この時には国会デモまで何回も通ったほど、反対であった。日本の農業がアメリカの農産物に押しつぶされると考えたからだ。農産物は、特に主食作物はその国の安全保障上極めて重要なものだから、貿易品とは別枠に考える必要があるという当たり前の考え方だ。

 アベスカ政権は農産物も国際競争力のあるものを作ればそれで良いという考えである。農産物が自然条件に影響されると言うことを理解していない。リンゴが輸出できれば、お米は我慢すれば良いという考えである。主食作物とその他の農産物を同じに考えては成らない。

 コロナで身に染みたように、独立した国家は生活の基本である食料は自分の国で自給できる態勢が必要なのだ。お米の生産価格は国土の条件で変わってくる。一律に生産性を議論することには無理がある。水田の環境調整能力など、総合的にその必要性を考えなければならない。

 日本の新自由主義経済は、国家の安全保障をまったく軽視した危ういものなのだ。食料など余ったところから安く買いたたけば一番特だという、先の見通せない場当たり主義そのものだ。アメリカが売ってくれなければ、中国がある。オーストラリアがある。それがいつまででも続くと馬鹿げた空想をしている。

 世界は食糧不足に必ず成る。誰にでも簡単に分かることだろう。世界人口が増え続けている。地球環境を破壊しての農地の拡大はすでに限界に達している。中国が食糧輸入国になったように、肉の消費が増えればたちまちに食料は底をつく。

 食料生産に一番必要なものは熟練した労働力である。その労働力がこの先不足してくるのが日本社会である。一度農業から離れてしまえば、そう簡単に農業労働者に成ることは出来ない。農家に育った人材であれば、まだある程度は対応できるだろう。そうした農家出身者じたいが居なくなっているのだ。

 植物という生き物を相手にした仕事は、年季と感が必要である。農業者は熟練した職人のようなものだ。そんなことはいらないというのがスマート農業なのだろうが、お米はそんなわけには行かないのだ。お米の生産時間をいまより10%短縮する。などと言うことは不可能なものだ。年に1回しか田んぼは利用できないのだ。

 もちろん素人でも出来ないわけでは無い。しかし素人がやるとすれば、慣れた農家の方に比べて数倍の労働時間が必要になる。しかも、完全に失敗する可能性もかなり高いものになる。5年間ぐらいは修行をしなければ、農業生産者としての役には立たないのだろう。

 日本はここ10年食糧自給率37%と言う国である。農業従事者の平均年齢は70歳という状態。このまま平均寿命まで行くのも遠くないように見える。当たり前のことだ。生活を出来なく国がしているのだ。誰が生活が出来ない仕事を子供にやらせようと思うわけがない。

 2018年→2020年の農林水産物の主な輸入相手国は、1位が米国18,077憶円(18.7%→21.9%)、2位中国12,477憶円(12.9%→10.6%)、3位カナダ5,875憶円(6.1%→6.6%)とアメリカ中心により進んでいる。

 日本国内での食料生産量と同じ位をアメリカに依存していると考えてもいいのではないかと思う。国の軍事的な安全保障はアメリカに依存している。その上に、国の食料的な安全保障もアメリカに依存しているという現実がある。

 このアメリカ依存の状況を変えて行く必要がある。アメリカは一国主義に変わりつつある。世界から徐々に手を引いている。遠からず、日本との距離も広げて行くと考えておかなければならない。それは日本の方針にかかわらず起こることである。

 アメリカ占領から始まった日本の敗戦からの70年は、アメリカ依存の70年であった。アメリカは自分の都合で日本に基地を作ってきた。それが日本の防衛の肩代わりでもあったのだろう。しかし、アメリカもこのところ変わり始めている。世界情勢も変化を始めている。
 
 日本は東アジアの中堅の一国としての立場を確立しなければならない。その意味ではTPPへの中国の加盟申請はとても良い機会だ。中国が国際貿易のルールを受け入れることが出来るかどうかである。その覚悟が一定あるからこそ申請をしたはずである。日本はその仲立ちの役目を模索すべきだ。

 TPPには日本、シンガポール、ベトナム、ブルネイ、マレーシア、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、メキシコ、ペルー、チリ この11カ国が加盟している。英国と中国が現在加盟申請をしているところである。

 中国との当たり前の経済関係が構築できれば、日本の沈んで行く経済にも浮上の可能性が出てくるだろう。貿易の自由化と言うことは必要なことではあるが、主食食料の各国での生産を互いに保障することは国というものの存在意義に繋がってくる。

 将来全体での国家統一を目的とする、EUのような考え方であれば、食料も域内全体で考えることになるのだろうが、あくまで貿易協定の範囲であるのだから、各国の主食作物の食糧自給の権利は保障される必要がある。

 中国は正式申請する前提として、非公式に加盟国と個別交渉をすでにしたとしている。その上で正式申請をするのだから、中国の国有企業に対する優遇とか、問題になる所は充分に認識している。大いに加盟に可能性が出てきている。

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内橋克人さんが亡くなられた。

2021-09-17 04:14:07 | 暮らし


 内橋克人さんが亡くなられた。9月1日のことである。日本は又大切な灯台を失ったことになる。内橋さんは市場原理主義を否定されていた。主張として否定している人は数多くおられるのではあるが、内橋さんは具体的な対案をいつも示してくれていた。

  内橋さんの具体案は人間によりそう温かいものだった。人間が日々充実して生きるという、当たり前のことが基本に据えられていた。しかもそれこそが日本の経済の充実のために必要なのだと、いつも言われていた。人間の暮らしをいつも大切にされていた。

 道しるべを失い、呆然とする気持ちだ。今は内橋さんが主張されていたことを、しっかりと思い出して、暮らして行く以外にないと思う。もうマスメディアの中で、農業に携わるものの暮らしを守ってくれる人はいないという、心許なさで一杯になる。

 人と人とが「共生する経済」を主張した。その基本となるのが、「FEC自給圏」を目指す地域づくり。FEC自給圏とは、食糧(Foods)とエネルギー(Energy)、そしてケア(Care=医療・介護・福祉)をできるだけ地域内で自給することが、コミュニティの生存条件を強くし、雇用を生み出し、地域が自立することにつながる と言う考え方。

 資本主義経済が限界に達しているのではないかと、このことは最近世界中で言われている。しかし、能力主義で無ければ、人間は努力しなくなる。有能な人が世の中を引っ張って行くことが国際競争に勝つためには必要なのだ。こういう能力主義の考え方の誘惑に勝てないのが、追い込まれつつある日本社会なのでは無いだろうか。

 農業でも経済合理性が最優先で、農業が好きで、楽しいから農業をやるというようなことは、少しも考慮されない。そんな甘いことは職業農家は口にしてはいけない、国際競争力のある農業をやれ、生産性を上げろと追い立てられている。

 しかし人間が生きると言うことから考えれば、日々が楽しく暮らせると言うことが何よりのことであるのが当たり前のことだ。農業の良さはそこにあるのに、その肝心なことが抜け落ちている。農業は大変な割に儲からない職業だが、気ままに自分のペースで暮らして行ける良さがある。

 農業は目の届く周りの人との共生を見付ける暮らし方でもある。日本の伝統的稲作農業は田んぼの水利が日本の集落を形成したように、互いに共生することがよりよく生きると言うことに直結した暮らし方である。自分だけがという我田引水では、暮らしは成り立たない。

 昔、米作り日本一というコンクールが1949年から20年間あった。印象深いコンクールだったのだが、私が生まれて成人するまでの間のことだったようだ。一反で何キロのお米を収穫できるかの競争である。多収することが良いことだった時代があった。

 その受賞者を時間が経ってから、追跡したNHKのドキュメント番組があった。確かそのうちの最後の受賞者の方は、減反が始まって農業を辞めて、タクシードライバーになっていた。理由はもう馬鹿馬鹿しくてやってられないと言われるのだ。

 このコンクールは減反の時代にそぐわないと廃止された。本気でやっている人が正当に評価されない社会はおかしい。やってみれば分かることだが、日本一になることはよほど好きで、米作りだけを考えて、生活のすべてをイネ作りに注いだ結果である。その人が、もうバカバカシクテヤッチャられないというのだから、日本の稲作はもうダメだと思った。

 100メートル走で日本一になったら、もう速く走ることは迷惑なことになったので、止めて下さい。こう言われたわけだ。そのことに生涯をかけて挑戦した人はどれほど情けない気持ちになったことだろう。稲づくりという日本で一番大切にされた職業が、迷惑なのでいい加減にして下さいと言われたようなものだ。

 内橋さんは「生きる、働く、暮らす。」こういうことを言われていた。「今日に明日をつなぐ人びとの営みが経済なのであり、その営みは、存在のもっと深い奥底で、いつまでも消えることのない価値高い息吹としてありつづける」 

 農業に生きるほど、働くことが暮らすことに連なっている職業は無いのではないだろうか。人間が生きるという根源にあるものが、食である。そこに関わって、自分の働く職業を構築して行く、農業という生き方。もちろん、一次産業とはすべからく生きることに生に結びついた職業である。

 「生きる、働く、暮らす」という営みにこだわった。巨大資本の下請けと呼ばれる自営業者の本当の営み。東京一極集中の結果、増加する限界集落に生きる生活者。農業自由化の波にもまれる農業者が本来求めるべきものは何か。

「権力を背にした国家に代わって、もう一つの選択肢がある」として「共生経済」を提唱。環境負荷ゼロ、脱原発、エネルギー自給、地産地消の豊かな地平を丹念な取材で指し示した。 その書かれたものを読むたびに、そうかそういう考え方があるかと、目を開かされてきた。

 自給農業を考えるようになった背景には内橋さんの考え方の影響がある。グローバリズムの限界。巨大な資本に対校できるものは経済原理から抜け出る存在になるいがいにない。競争社会の原理に従う農業をしていたのでは、生きると言うことを間違ってしまう。

 まず、自分の食べるものを自分の手で作ってみる。そこに暮らしの基本となる労働があった。この労働こそ、搾取されない。自らの手で、自分の命を生かす労働である。人間はこの労働の喜びを確かめながら生きる必要がある。そう痛切に感じた。

 絵を描くとい観念的なことも、生きるという原点に結びついた絵の制作に出来るのは、食糧を自給するという暮らしがあってこそとの自覚。そういう暮らしを始めることが出来たのも内橋さんという灯台の明かりが方角を示していてくれたからだ。

 果たしてこの先そうした人の登場はあるのだろうか。私の視野の範囲の範囲が狭い為なのか、見渡したところでは見つからない。探し方が足りなのかもしれないが、今の世界を抜け出るイメージを示してくれる人がいない。私の示せるものも、自分が抜け出る方法だけである。

 内橋さんはオピニオンリーダーというのだろうか。亡くなられて正しい方角を示す人がいなくなってしまったような心細さがある。内橋さんの主張から見れば、世の中は悪い方向に流れて行くばかりである。この真っ暗な海を灯台の光さえ無く漂うようだ。

 人間が生きると言うことは、自分らしく働く事のなかにある。それが人間らしく暮らすということになる。内橋さんの方角を忘れること無く、やって行きたいと思う。
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又湿疹が出た

2021-09-16 04:52:34 | 身辺雑記


 以前湿疹が出来たことがあった。原発事故の頃である。放射能で土壌が汚染されて行く。農業を続ける事への不安が湿疹をひどくしたのだとおもう。ヨブ記のヨブを思い出した。文明の転換するときに、自分に変わらなければならないというシグナルのよう気がした。

 放射能汚染を誰かが悪かったために、東電が、政府が、誘致した自治体が、当事者が悪いから、原発事故が起きたと言うことである。あまりのつらさに犯人を探そうとした。そうではなかったのだ、悪かったのは原発を止めることが出来なかった日本人全員である。

 今でも日本は原発を続けている。経済のためである。今の日本は原発を廃止することも出来ないドンズマリに落ち込んでしまった経済状態である。災害列島の日本では原発は危ないと思っていても、止めるに止められない。老朽原発を修繕して使い続ける以外に経済が持たない。

 再生可能エネルギーに転換できなかったこの10年の日本の責任は日本人全員にある。アベスガ政権の間違った停滞は、日本人全員が受け入れるほか無い。人任せにしていては何も変わることは無い。ダメだとは言え、日本はかろうじて議会制民主主義国であり、公正な選挙が行われているのだ。

 富裕層の一票も、貧困層の1票も、等しく表現されている。上級国民の1票も、下級国民の1票も、等しく表現されている。日本人が自由な投票をした結果がアベスガ政権なのだ。何故こんなことになるのかと思うが、どうしようも無い迷路に落ち込んでいる。耐えがたい結果であるにしても、受け入れて行くしか無い。

 選挙結果は反対したものもその責任を負わなければならない。石垣島でも市長が市民の賛否を問うこと無く自衛隊を誘致してしまった。3分の1以上の市民が住民投票を求めたが、それは最高裁までやらない市長を認めてしまった。

 自分たちの島に、自衛隊基地が出来ることに対して、直接住民が意志を表現できない。そんな民主主義があるかと思うが、市長は確かに選挙で選ばれているのだ。市長の進める、石垣島開発の方が良いと考える市民の方が多いと言うことを認めるほか無い。

 このままでは石垣島の素晴らしい自然は破壊されてしまうことだとしても、それでも、目先の経済が選挙の一番の争点なのだろう。その自衛隊基地の仮想敵国中国では、もう自然保護に方角が変わってきている。中国の南の島は珊瑚礁を守ることが、島を豊にするのだと、島民こぞって環境を守り、しかも島の経済が向上している。

 民主主義など存在しない中国の方が、社会の永続性を模索し始めている。珊瑚礁を潰して軍事基地も作るが、動じに住民の暮らす島を美しい珊瑚の島にしようともしている。美しい島であれば、経済が潤うと政府が考えて推進している。それでも独裁の方が良いとは言えない。

 石垣市行政は前勢岳西斜面の優良農地を国の補助金で、農地の造成しておきながら、さして時間が経たないうちに、その優良農地をユニマットのゴルフリゾートに転用しようとしている。これはどこかに利権が絡んでいるに違いない。今時ゴルフリゾートはおかしい。要するに農地転用が主目的である。

 市長がどれほどおかしいとしてもそれを変えられるのは、住民の民主主義的な意志以外にない。自衛隊ミサイル基地の進め方をおかしいと思わない住民の方が多いいだろう。ユニマットのゴルフ場に何かおかしな利権が動いているだろうと想像する人の方が多いだろう。しかし、それが選挙に於いて示されない以上。苦しくとも仕方がないことである。おかしさに気付かないほど人間は愚かでは無い。そのおかしさを仕方がないものと受け入れているのだと思う。

 このどうしようも無い苦しさが耐えがたいものになって身体の仲の悪いものを、湿疹にして表している。原発の時の湿疹では年齢的にも60歳を越え、体質が変わると言うことも感じた。あの頃のつらさは絵が描けないと言うことだった。どこかでは絵が描きたいのだけれど、筆を執ることが出来なくなった。放射能が怖くて絵が描けないというような感触だった。

 それがいま又湿疹が始まった。日焼けから始まったように思うのだが、やはりコロナの不安が原因しているような気がしている。掻くとケロイド状に広がるので、かゆさを我慢している。コロナが治まれば治るだろうと思って我慢している。やはり、コロナパンディミィクも文明の転換期だと言うことなのだろう。

 批判ばかりしている人間は、湿疹が出来ると東城先生の自然治癒の本には書かれている。その通りだと認めざる得ない。批判しないではいられないことが多すぎる。考えるまでもなく、自分だけが正しいはずは無い。自分は自分の出来ることに専念するほか無い。そして正しい1票を表現する。

 人間はそう簡単には変われないものだが、余りにひどい湿疹が続けば、直るためには、何か自分の方が変わらないわけには行かなくなる。ヨブでは無いが、何が池何のか、どう変われば良いのかが分からないという罪なのだろう。それを分かるために湿疹が起きている。人を責めるものには湿疹が出来る。

 原発事故後のつらさ。コロナ蔓延のつらさ。暮らしというものを直接脅かされるつらさ。自由が制限されてしまう。人間が社会の中に生きていると言うことを認識する。自分ではどうにも成らない物によって、生活を変えさせられる。このつらさが湿疹に出る。

 食べ物に問題があるのだろうか。絵が違うと言うことなのだろうか。田んぼが違うと言うことなのだろうか。石垣島にいることが違うと言うことなのだろうか。正しい方角で生きていると考えていることじたいが違うと言うことなのだろうか。あるいは問題に気付くことが出来ないと言う事が問題なのだろうか。

 いずれにしても湿疹に耐えているほか無い。前回もいつの間にか直った。そして絵を又描きたくなった。今は湿疹が出来ているが、絵を描きたいという気持ちは減るようでも無い。絵を描いていてもかゆのだが、ヨブのように神に湿疹の理由を尋ねることも無い。

 
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