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有機農業モデル事業廃止

2009-11-30 06:23:36 | Peace Cafe
事業仕分けの基本の思想は、誰が何をするのかを仕分けるのだと思う。私は「小田原有機の里づくり協議会」の理事の一人として、この有機農業モデル事業に参加してきた。「国が行うような事業ではない」と、判断したのだろう。当事者の一人として、この仕分けを間違った判断だとは思わない。農水省は、有機農業の意義や推進してゆく方針を、明確に伝える事が出来なかったのだと思う。農水省自身が良く理解していないのだろうと、当事者自身に思い当たる所がある。当然の結果だと受け止めている。農水省の中には我々以上に有機農業に精通している人もいる。しかし、仕分けに出る担当者が有機農業の意義と、今地域でこの事業がどういう役割をしているかを、理解している可能性は極めて低い。有機農業嫌いの担当官であった可能性の方が高いという状況がある。

仕分け人から「有機農業を個人経営でやられている人もいる。モデル事業には馴染まない。」こう言われたらしい。その人にどこの誰がモデルになる事業をされていて、それはどんな有機農業かを伺いたい気がする。つまり、民間がやるべき事業と仕分けられたと言う事だから、そのあるべきとした現実モデルを、教えてもらいたい。この行政の役割。民間の役割。このことは常日頃考えている。何をやってもここにぶつかるからだ。行政に関わると、この点でいつも矛盾を感じる。本来民間がやるべきことを、親切にしてくれる事がある。また、行政がやるべきと私が考える事を、全くやらないで平気でいることがある。多分行政の人は行政のやるべき範囲を、自覚していない。お金を誰が出すかと言う事ではない。行政がやらなければならないのは、行政でなければ出来ない事である。これに限るべきだ。

有機農業のモデル事業という形でやらなければならないのは、農協という形での農業の受け皿の実態が崩れ始めている、補完であると考えて動いてきた。有機農業で農業経営を独自に展開されている個人は、独自の販売システムを確立されている。生協とかかわり。独自の消費者とのつながりをそれぞれに作り出している。農協という形での販売システムに依存していたのでは、競争力のある、農業は出来ない。こう考えて展開している人達である。そのアピールの材料の一つに、有機農業というものが存在している。JAS基準という有機農業の仕組みの成り立ちがまさにそうである。この独自に活動する、ある意味先見性があるのかもしれない。こうした農業者は本来農協の中心に存在し、これからの農協を支えて行かなければならない人材でもあるのだろう。その意欲のある農家が、農協と別行動を取っている。ここをどうするのかに、有機農業のモデル事業の意味が存在する。

農協に頼っていたのでは、農業経営が出来ない。この現実から生まれたともいえる、有機農業の農家を、地域という単位で新たに束ねることに意義が存在する。だからこの事業について、個人でやるべきものという視点で仕分ける。日本の農業の現状を把握していない人の意見である。農水省自体が、この事業の位置づけが充分でないのだから、仕分ける方が的外れであるのも、当然の事であろう。この事業はむしろ野党時代の民主党の主導で、行われた事業である。その時点で必要とした根拠。今不用になった根拠。これを聞かせてもらいたいものである。聞いても誰にも良く分からないだろう。大きな変革の中で、こうした不条理も当然起こる。民間でやりなさいよ。こう仕分けられ、又、バラバラになってしまわないこと。経済ではない、連携を作り出す。つまり、小田原の農業の方向性を行政が作り出すこと。これが、行政のすべき事だ。
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11月の自給畑

2009-11-29 03:03:54 | 自給
この11月は案外農作業の多い月だった。一番はお米の収穫後作業が案外にあること。米と書いて、八十八と言う字になる。お米になるまで88の手間がかかると言うことだよ。一粒たりとて無駄にしてはいけない。これは昔の子供は親から必ず言われたお話だ。ハザ掛けが終わり、脱穀が11月1日。この後食べるまでには案外手間がかかる。籾摺りやら精米やらと何やかや続く。それでも、新米が食べられるのだから、一番嬉しい11月である。新米はご飯だけで食べる。のりで食べる。卵かけご飯で食べる。もう新米だけで大満足である。田んぼに稲がなくなっても、田んぼの作業はある。稲藁の片付け。稲藁はあれこれ使える。秋起こしをして、クリムソンクローバーを蒔く。今年は春に種取りをしたものを使う。発芽がどの程度になるのか、とても心配な事だ。この作業が出来たのがやっと昨日。雨が多くて、田んぼが乾かなかった。乾かない田んぼを耕す事はできない。

畑の方では、麦の種撒きとタマネギの植え付けが、一番気になる。特に、今年は黒マルチでタマネギを作ってみる。当たり前の事だろうが、ドキドキする。黒マルチを使うような農業はおかしい。人をこんな言葉で攻撃した情けない事があった。そうでもないのではないかと、大切に使うなら、使うべきでないか。こんな風に思うように最近なった。一つには中島正さんの自給農業はとても、黒マルチを上手く使う。ビニール類は極力使わない。そう考えてきたが、原理主義にはまるのは良くない。悩みに悩んで、やってみなければわからないという、結論に到った。初めて使ってみた。それほど手間のかかるものではなかった。2人で1時間の作業で600本の苗の植え付け。これだけ作ればタマネギは一年分である。その代わりと言ったら何だけど、土は丁寧に準備した。1年かけた堆肥も使った。

麦は二畝だけ蒔いた。これで、醤油分とうどんくらいは大丈夫である。秋田んぼで裏作で小麦を作っていた昔の人は、とても尊敬する。煩雑で、頭が混乱してしまう。小麦にとっての最善の土と思うと、いつ堆肥を入れて、いつ耕して、こう言う事が身体に入っていないから、理屈で詰めるのでおかしくなる、というか負担の作業になり、作業を楽しめなくなるのだ。昨日のクローバー蒔きは3人の作業で、とても気分が良かった。そう毎日そういう作業でありたい。畑での麦作りは思うままやれるので、いい調子だった。小麦も11月中に種蒔きが終わった。後は麦茶の大麦を少し蒔く。これは12月中なら大丈夫だ。菜花、大根、コカブ、小松菜、ホウレン草、空豆、エンドウ、こんなものを順次蒔いてゆく。みんな少しづつだが、撒ける間はギリギリまで蒔く。日に日に生育が遅くなっている。本当なら、今頃抑制のカボチャが出来るはずだったのだが、何と、鶏の緑餌にされてしまった。来年再挑戦である。

今日明るくなったらすぐに、最後の種蒔きをしようと思っている。今晩から雨とか天気予報だ。発芽のタイミングとか、まだどの野菜が間にあうのか、考えていると気分が高揚する。早朝から千葉に行くので、その前の短時間でやるつもりだ。机に種が並べてある。今年の11月は食べ物が豊富だった。夏野菜のほとんどが11月は食べていた。特にトウモロコシ、ピーマンは長く食べた。さつまいも、ジャガイモ、里芋、ヤマイモ。イモ類も結構できた。秋じゃがはだめだったが、家で食べる分くらいかろうじてある。ジャガイモだけを食べる日が一度はほしい。それぐらいジャガイモは美味しい。家のニラの餃子は他に変えがたいし。うまいものだらけの11月の自給畑である。鶏も順次肉にして食べる時期である。これも硬いが味はいい。毎朝鶏のスープである。申し訳ないほど、美味しい毎日である。

昨日の自給作業:クリムソンクルーバーの播種、タマネギの植え付け、小麦の播種5時間 累計時間:43時間
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大西広氏の講演会

2009-11-28 04:50:17 | Peace Cafe
小田原9条の会の主催で大西広京都大学教授の講演会が昨夜開催された。大西教授はマルクス主義経済の学者で、日中友好協会の理事でもある。今回の講演会が計画されて、初めて知った方である。どのような方か、インターネットで調べると、強い興味が湧いた。今回できることなら、中国の都市と農村の格差の事を、質問できればと思っていた。それは、中国の農村でこれから起きる事は、日本が経験し失敗した、中山間地の暮らしのあり方をどのようにして行けばいいのか。という課題が共通であると考えているからだ。「中国の農民にも、農地解放があった。そして、日本の農民の平均耕作面積の半分くらいの農地が、自作地として割り当てられた。これは、農民の権利であり、農民戸籍の起源である。農民は権利として、農地を所有し、それは5年ごとに見直され、農地が満遍なく農民にいきわたるように調整される事を、目的にしていた。」

こんなお答えを戴いた。さらに「中国の農民の暮らしという観点では鎮江市辺りは、とても恵まれた地域であること。」先生の専門である、「ウイグル族地域では農民ははるかに貧しいこと。」「農産物価格が工業製品に較べて、中国でも安いと言う事。」そのほか断片的ではあるが、いくつかのお話を聞くことが出来た。お話を聞いて、何かが理解できたとか言う事でもないが、農村と都市の経済格差の問題が何故中国で起きているのか。そして、中国でも競争主義的な農業改革進められようとするのか。日頃考えている事に若干参考になった。「中国の経済政策は江沢民時代、方向性を失いかけたが、胡錦濤政権になって、ましな政策を進めている。」ということらしい。出来る事なら、都会に移住したい。チベットはこれからよくなりそうだから、チベットで一旗上げられないか。さらに言えば、海外に出かけて行きたい。こう言う中国人の進出意識というものは、理解出来ないでいる。

こういう流れの一つに、「下放」という不思議な事が行われた。農村に行って勉強し直して来い。というような事なのか、島流しという罰なのか。文化大革命と言う事や、天安門事件。現代中国に繋がる様々な事件を、どういう視点で考えればいいのだろうか。そして、経済躍進の中に、埋もれて行く中国の伝統的農村文化。今来ている激流のような、かつて人間が経験したことがない、大きな社会変化を人間が許容できるのだろうか。実際の中国の農村はそのような社会の激流とはまるで別のように、4000年変わらずというごとく、たおやかに存在する。日本のように全てが一辺倒に、付和雷同している雰囲気ではない。そんなことを考えながら、先生のお話を伺っていた。そして、中国と仲良くする事が日本の平和主義を守るためには、とても重要な事である事を再確認できた。

日本の意識している中国の問題点は、日本人がそのように中国を位置づけたいというという心理状態から、想像した問題点が多々ある。躍進するお隣への恐怖心が、心理的に働いている。隣の芝生で、隣は一番の助け合う友人であるはずが、仲たがいし易い所でもある。東アジアの平和を考える時、中国中心の平和を考える事が何より重要である。日本がアメリカの核の傘にあると、言う今の状況は中国の核の傘に日本が入ると言う事もありうる。こんな不安が今アメリカには起きているだろう。もちろん、核は全て廃絶されるべきものだが、こうして核拡散が続いている状況で、東アジアの一員としての日本は、北朝鮮の問題で躓いて、どこにも進めないでいる。北朝鮮との和解がないまま、東アジアの連携を模索することはできない。連携が出来ないかぎり、軍事的危険は増してゆく。当然、日本の核武装論も繰り返し出てくるだろう。「民主党政府が定まらない今の政治状況は、国民が正しい方角を指し示し、方向を正す絶好の機会である。」これは参考になる考え方であった。
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石楠花が来た。

2009-11-27 04:26:40 | 最小限の家
最小限の家のまわりに4本の石楠花が植えられた。丁度人の背丈ほどの石楠花である。石楠花が1本植えられるたびに、あたりの空気が変わって行った。以前からここに来る日を、待っていたようだ。この石楠花は小林ナセーリーさんから来たものである。小林さんは箱根町の町役場に勤めておられた。箱根湿性花園を作る仕事に関わられた話を伺った。それは古いことで山北の家に、山田純さんが連れてこられたのだ。その時は、ダックの問題の相談だった。純さんのコーディネートである。私が蘭科植物に興味があって、その頃は蘭にかなり力を入れており、温室も充実していた。自分で交配して、作出した蘭も見てもらおうという、こともあった。話は、何故こんな山の中で住んでいるのだと言う事になった。小林さんは久野の欠ノ上の人だった。自分は小田原の久野で、農地の為の不動産屋を始める。自分の力で久野に移るようにすると。何故か強い調子で言われた。

まさか、その話が巡り巡って、実現するなどその時は少しも思わなかった。その頃動き始めていたあしがら農の会の活動の事も話したのだと思う。そう言う事をやるなら、こんな山の奥の一軒家に住んでいたらだめだと。厳しい口調で言われた事が印象に残っている。やっと車の免許を取り、行き来が少し便利になったところだった。インターネットはまだやっていなかった。自給自足の暮らしに、のめりこんでいた。ダック問題の集まりに行った事はあったが、まだ久野には誰も知り合いも居なかった。こちらは第2東名の問題の勃発、静岡の県境に起きていた廃棄物最終処分場問題。こういうことにも追われていたのだと思う。久野のダックはまだ遠いい存在で、そこまでかかわれないな状況だった。あれこれ追われる毎日の数年がたち、山田さんから、「小林さんがなくなられた。」と聞いた。あまりの突然で、久野との関係が切れたような気になった。

大船にある植物園の分園が、鎌倉のどこかにあって、花木の交配をしていたそうだ。西洋石楠花と和石楠花を交配して、新しい園芸品種を作ろうとしていた。鎌倉の花木場が閉鎖する事になって、久野の方にも、実験途中だった石楠花の苗が、沢山来たらしい。その石楠花の苗は、欠ノ上の昔棚田だった畑に植えられた。その石楠花が植えられた畑が、里地里山協議会の事業で、田んぼに再生されることになった。石楠花は管理されることもなくなり、草むらの中に隠れていた。膝丈ぐらいのものが、5,6本あると思っていたら。それがいよいよ草を刈り払うと、なんと、背丈ぐらいのものが、20本もあった。しかし、この石楠花の行き場がない。行き場がなければ、刈り払うしかない。工事をしていた菊原さんが持っていてもいいが。と言われて期待したのだが。結局だめとなった。いよいよ工事が最終段階になり、切り払ってしまうかとなった。切羽詰って、まごのりさんに移植をお願いした。

最小限の家のまわりに植えようと思った。最小限の家は小林さんと話した、あの久野に移り住むと言う話の、行き着いたところだ。植えられた木が、摩訶不思議に晴れ晴れしいのだ。所を得たように喜んで見える。石楠花がお礼を言っているので、驚きがあった。木が語るなど、信じる人間ではないのだが、木の命がとても喜んでいるのは、目に見える。この石楠花があることで小林さんの言われていた、久野の農業地域としての再生の夢も、一緒に見る事ができる。今回の事業も、誤解も躓きもある。小林さんの田んぼを管理することになろうとは、めぐり合わせである。小林さんは見ていてくれると思う。大きな方向は間違っていない。石楠花の伝言であろう。まごのりさんが話してくれた。西洋石楠花と言っても、そもそもネパールのもだそうだ。アジアの花である。最小限の家は今日から、「石楠花の家」とすることにしよう。
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堆肥化の第2ステージ

2009-11-26 06:21:13 | 環境関連
 第一ステージで家庭での生ごみの消滅型の実践者は、10%程度で頭打ちになるかもしれない。その段階では消滅型体験者は生ごみの堆肥化に対し、家庭での実践を通し、生ごみ堆肥化に対して理解を深めた人達が存在する事になっている。その理解者の存在なく、20万都市での堆肥化の推進は不可能であると思われる。
 第二ステージにおいては見ず知らずの人の、ごみに一度なってしまった。食品廃棄物を堆肥にして行くことになる。そしてその堆肥が今後何百年に渡って小田原の農地を豊かにしてゆく、材料になって行くのでなければならない。農地をゴミ捨て場になってしまう危険を、充分に避けなければならない。
 その意味から、堆肥の作り方は小田原に存在する原材料を充分に把握し、堆肥作りの専門学者の指導を仰ぐ必要がある。小田原産品をアピールできるような、良い堆肥を作らなければ、農家が喜んで使うことになはならないであろう。
 第二ステージに入る前段階として、その出来上がった堆肥の充分の分析が不可欠となる。堆肥の分析はその肥料成分の分析は基より、安全性という観点での分析が重要になる。
 早急にに収集方法の実験を行う。どのような生ごみの収集が可能か、家庭において取り組み可能な利便性がなければならない。そして、異物の混入を出来る限り防ぐ、方法も考えなければならない。
 現在小田原市が所有する堆肥化施設は報徳小学校、久野小学校、下府中小学校にある。この中型の電動処理機の空き容量を利用して、実験を行うことが一番合理性があることになる。そして成分分析や安全性を充分に確認した上で、フラワーセンター等で、区画を設け畑における実証実験を公開で行う。
 
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生ごみの堆肥化の現状分析

2009-11-25 04:23:18 | 環境関連
生ごみの堆肥化と一般に言われているが、これには「消滅型と堆肥化」の二つの手法に大きく分かれる。消滅型は発酵を利用して、生ごみを出来る限り小さくしてゆく手法である。ダンボールコンポストのデーターにおいては、3~5%に生ごみが減少するという結果がでている。減少率は生ごみの内容によるが、一家庭で半年分の100キロのゴミが5キロ程度に成ると考えられる。この生成物を庭やプランターや農地にに戻す手法である。
 堆肥型においては減量が主目的でなく、畑における土壌改良や肥料的効果が期待されている。この場合はより良い堆肥を作る資源として、生ごみを考えることになる。現在行われている、二見リサイクルセンターの事業系食品残渣の堆肥化事業。大型商業施設や、野菜市場における堆肥化も既に展開されている。家庭における堆肥化は「EMバケツ」普及が進んでいる。
 小田原市においては、第一ステージとして、家庭において消滅型を中心に進めてゆくことが、回収法、還元法の簡易さからも有効な手立てと思われる。
 家庭における消滅型や堆肥化の手法には、「ダンボールコンポスト」「電動式生ごみ処理機」「手動式の生ごみ処理機」「トロ箱方式」「ミミズコンポスト」「EMバケツ」「庭置きコンポスター」「庭・畑への還元方式」など多様に実践されている。
 既に「電動式生ごみ処理機」が市行政による補助事業として、900台が設置されている。現在利用されている台数は640台程度と予測される。問題点は電気代が1家庭1年間1万円はかかるというところにある。その意味で初期の生ごみ処理への啓蒙事業としての役割は、一定果した終えた。と考える手法と思われる。これ以上の拡大がむしろ、環境負荷を高める事になる。
 「ダンボールコンポスト」は市民活動補助金による10万円の補助事業として、100個の無料配布を行った所、半年で140個の配布が実施できた。その後の有料配布の実験においても、1日の販売で1セット1000円の配布で6個。中の発酵基材500円が7個販売されている。管理には費用がかからないところ。半年後の生成物の量が少なく、その後の利用法まで家庭で簡潔可能な方法である。ただし、「ダンボールコンポスト」はその管理技術が難しい為に、技術を獲得するまでに練習が必要で、誰にでも取り組める方法ではない。
 小田原市において一番古くから取り組まれている方法は、農村地域においての、コンポスターや堆肥置き場を利用した畑への還元法である。これは減量の為に行われているというより、昔からの暮らし方の中で引き継がれてきた暮らしの知恵であろう。こうした手法を環境政策としての意義を明確にする事で、今後無理なく拡大できる分野だと思われる。

 あくまで推測ではあるが、さまざまな手法によって進められてき手いる堆肥化の現状するを推測してみる。少なく見積もって既に小田原市1000軒程度の世帯で、何らかの生ごみの減量努力が進んでいると考えていいようである。内訳、電動処理機650。ダンボールコンポスト100。EMバケツ50。庭置き形100。農家における堆肥化200。
 こうした各家庭での堆肥化の方法による、生ごみの処理は目標として、世帯総数の10%までと予測される。第1ステージの目標値を7500世帯に置くことが妥当な目標と思われる。この方法の優れている事は費用が安価で済む事である。現在行政が行っている、生ごみの1キロあたりの処理費用は、手法によって10円から40円の間と思われる。各家庭が出す250キロの生ごみが堆肥化された場合。2500円から1万円の費用の削減になる。行政がこの第1ステージに掛けられる費用はこの範囲と言う事になる。これは、生ごみの堆肥化を行い、確実に削減できる費用となる。
 
第1ステージ家庭における生ごみ堆肥化推進方法
小田原において家庭において取り組める世帯を10%とかんがえると、7500世帯である。これはおおよそ1500トンの生ごみを焼却せず、土壌に還元することになる。これで焼却ごみの2,7%の減量が予測される。この数値はごみの全量から見ると、僅かな数値である。しかし、この7500世帯においての取り組みが、第2ステージとなる小田原市の生ごみ堆肥化センター方式の準備としてのどうしても必要な方法であろう。家庭で堆肥を作ると、発酵の姿、臭い、発生する虫、混入する異物の問題と直面する。
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 戸別所得補償実施へ

2009-11-24 04:31:24 | 稲作
戸別所得補償制度が前倒しで、実施される事になったようだ。内容が理解できない。理解できないという事もありそうだが、細かな説明がそもそもない。その範囲で理解した部分をまとめてみる。先ず補償対象となるのは、「水稲共済」の加入者約180万戸。未加入者が補償対象になるには、前年度の販売実績を証明する書類の提出が必要となる。 共済には入れてもらっていない。以前、加入の話を聞いたが、有機農業ではどのような被害が起こるのか、想定が出来ないので止めましょうと言う事になった。無駄な出費だと思っていたし、その話に従った。自給農は販売しない。もう一つの条件が生産調整に協力した農家。生産調整などおかしなことだと考えているので、当然協力していない。現実には、田んぼであった場所を借りて、大豆、タマネギ畑にしている農地もあるので、生産調整、田んぼの転作をしている結果には成っているが。正式なものではない。

どんな補償が行われるのか。過去数年分の平均販売価格と、生産コストの差額を定額で支払う。そもそもこの過去の販売価格が低すぎて、こんな価格で稲作が続けられるのだろうか。こう感じるている。問題は生産コストをどう見るかである。農業には様々な手法がある。多分ここで言う生産コストは、基盤整備された大規模農家の、近代的農法であろう。技術レベルで、コストは大きく変わるのが農業。足柄平野には同等のコストと考えられるような、農地は存在しないのだろう。水路網の維持すら、困難に成り始めている。その維持経費はうなぎ上りである。小さく細分化された圃場。軽トラが入れない圃場も存在する。谷戸田で水漏れがひどい田んぼも、手をかけて作っている。多分、中山間地だけでなく、小田原同様の田んぼが全国に広がっているはずだ。確かに生産コストはかかり、効率の悪い田んぼだ。この効率の悪い田んぼこそ、その地域の環境調整に大きな役割を担っている。

水田を食糧の生産の場としてだけ見る手法は、工業製品と同列に農産物を見る見方の一つである。生産性を上げようにも、あげられない圃場もある。あげられない圃場だから止めろという訳にはいかない。コストだけではない、地域を維持する複合的な要素に基づき、田んぼは耕作が続いている。販売農家と言っても、これまた表面に出ない、縁故米とその周辺というものが大量にある。東京に出ている娘さんの家族にお米を送る。送りたいから、田んぼを続けているともいえる。お米は国家の主要な生産品でありながら、暮らしの思いまで含んでいる。ご先祖様から預った田んぼだから、止めるわけには行かない。秋の赤とんぼが好きだから田んぼを続ける。こんな情感的に田んぼを続ける人も多数存在する。農家の気持ちと戸別補償は、すれ違うであろう。少なくとも、私たちとは何の関係もない戸別補償のようだ。

水田を守ることには成りそうもない。水田を守るためにはやはり、経済と全く離れた、論理構成をしなくてはならない。民主党の農政も、やはり自民党の場当たり農政とたいした違いはない。戸別補償の制度には期待はした。期待はしたが、残念ながら日本の農業はこのまま衰退する。農業を他の産業と同列に考えている間は、農業の展望はない。「自給農の思想の確立。」自給のための田んぼ。デズニーランドに行く代わりに行う、自給。消費を中心に回る経済でなく、自分の生きるための生産の側から考える思想の確立。よりよく生きるための自給。人間が経済の労働という駒でなく、暮らしを深める、充分に生きる。そのための自給農。自給することにより、その根底に繋がる実感を醸成する。本来であるなら、この暮らしの基盤を作り上げる事が、農政の目標である。戸別補償にも、経済だけでない視点がはいらなければならない。総合的な視点を持ったものでなければ、革命的変革の意味がない。
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生活保護費

2009-11-23 05:20:55 | Peace Cafe
大阪市の生活保護世帯は9月現在10万2012世帯で、前年同月比1万2756世帯増と過去最多に上る。09年度一般会計予算で計上された保護費は約2443億円で、予算全体の約15%を占める。(毎日新聞)
生活保護費は憲法第25条 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」国民の権利である。問題はこれから生活保護費が急激に増大する。65歳以上の無年金者の急激な出現が目前である。どうも国民に占める生活保護者の比率は、161万8543人となって、1,26%。急速な増加であるが、まだ経済先進国の中では極端に比率の低い国である。給付水準はどうかというと、これでは生活ができないという、抗議があるくらいで楽ではないのだろう。しかし、この生活保護費以下の暮らしている人が、国民の13%であるという統計もある。生活保護で暮らせないとすると、1割以上の国民がさらに困窮状態にあると言う事になる。

この深刻な状況は今後より顕著になる事も、目に見えている。生活保護費が15%などという大阪市の財政は、本当なのかと言う驚きがある。生活保護天国などという人もいる。全国の1割は大阪だ。などと書いてあるものもある。生活保護費は国庫負担というのが、各自治体の本音であろう。もう財政も崩壊寸前というところであろう。これは日本全体が同じことになって行くと考える必要がある。生活保護の現状について、話が出ると、これをよくない制度だという風に話す人が多数を占める。生活保護を貰って、遊び暮らしている。パチンコばかり行っている。アル中だ。何であんな奴の為に税金を払うのか。バカバカしくなる。こう言う話も見識のある人からも出る話だ。生活保護費をもらっている人から言えば、憲法に保障された権利として、貰っているにもかかわらず、肩身が狭く、普通に暮らす事も出来ず、「うつむいていろ。」と言う感じだと聞いたことがある。

小田原市の現状では、担当の職員の不足が深刻。生活実態の確認をして、申請して、月に一度情況確認を行う。この担当数は丁寧に行うなら、20世帯位が限界らしい。何人担当しているかは分からないが、受給者数は1500世帯、2000人の超えている。一人で300世帯とかを担当しているのだろうか。毎日回り続けたとしても15世帯、丁寧な生活再建の協力は、難しいとしなければならない数字である。これがさらに急増する。担当職員は増えない。当然ながら、小田原には2万人以上の生活保護世帯以下の収入で暮す人達が存在する。その人達が、即困窮しているとは言えないが、全体のバランスを考えれば正面から考えるべき状況にきている。就労支援と言う事では、65歳以上の人達には対応が出来ない。そうした人達が今後確実に増えてゆく。年金制度の見直し、税金による負担。こう言う事と連動して考える必要がある。

生活保護という制度をどう位置づければ良いのか。本来生活保護の受給資格に行政によりバラツキがあるのはおかしい。国が統一して行うべき業務であろう。増税以外にない。累進課税の強化。最低賃金の保証でなく、最高賃金の制限である。日本的資本主義が限界を迎えている。企業が収益を上げる事は、社会的貢献でなければならない。税金をより多く払い。人の雇用を増やす。最低賃金時給1000円などと言えば、雇用が出来なくなるのが、今の日本の企業の状況である。今後、世界が平均化してゆく中で、日本は生活レベルを全体に下げる以外にない。全体に下げるとすれば、必要以上に多いい収入の者が、より多く我慢をする以外にない。政府の舵取りが悪いのではない。日本人の肥大化した暮らしが、世界全体から見ればおかしなことだったのだ。60数年前、0からのスタートをした日本である。

昨日の自給作業:タマネギ準備1時間 累計時間:38時間
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大豆の収穫が終わる

2009-11-22 04:14:10 | 自給
大豆の2回目の脱粒があった。家で作ったあまり苗の大豆も持ち込んで一緒に脱粒した。こちらは15キロ。農の会の大豆実証圃場では、反200キロは超えるだろう。という報告が今朝のメールにあった。今年は畑での姿がいまひとつで心配していたが、株の姿と収量は違う。去年より良く採れている。大豆の収量という物を、農林統計で全国平均をみると。反100キロぐらいの年もある。せいぜい150キロである。大豆作の農業共済の基準収穫量が160キロとある。関東ではこの辺が一般農法の平均と考えれば良い様だ。北海道では200キロ超えるようだ。あしがら農の会の大豆作りは、休耕田で行う、苗を植えつけ、高畝方式である。稲作でも同様であるが、市民が行う農業だから、一般の農家より、良くやって普通だと考えている。一般の農家レベルであれば、農家の人はやっぱり素人の農業はあんなものだと、考えてしまう。それでは市民の自給農業は広がらない。

ご近所の農家が見て、結構やるもんだな。というぐらい、きちっとやらないと張り合いがない。それは結局収量の事である。特に有機農業を普及してゆくと、言う事まで主張するのである。技術的にもさすがという所まで行かなければならない。農の会には相当の技術の集積があり、かなりの技術水準に来ていると、私は勝手に考えている。そういう意識は、みんなにはあまりないようではある。まだまだという話が多い。そうした控え目な態度も謙虚で良いのだが、農の会の一定評価されるべき技術が、自ら主張されるようなことはこれまでなかった。大豆が200キロ安定して作れる。お米なら、八俵採る。これは相当のものという自覚があってもいい。昨日は実は、城址公園の農業祭りがあった。有機協議会で出ている。当然私も行かなければならない所ではあった。報告では野菜の評判も良く、結構売れてもいたらしい。それでも私の気になるのは、大豆の方である。先ず農業の実践の方が優先である。大豆の作業が気になって見逃せなかった。

中原さんの「良く乾かして、脱粒すべき」という考えは、正しかった。中原さんはなかなか丁寧な農業をする。丁寧さがないと、畑作はだめなようだ。家から持ち込んだ大豆は実りが遅れていて、いい結果にならなかった。それよりも変な豆が混ざっていると思ったら、なんと、さくさく王子まで刈り取っていた。がっかりである。松本さんの言われた、ベット方式も正しかった。管理が以前よりだいぶ省力化になった。来年はもう少し高いベットにしたい。私が考えた、高畝による、水引きこみ方式のアイデアも、虫対策や収量には効果が出ていると思える。農家が取り組める技術にするには、当然直播になるのだろう。鳩の害をどのように防ぐのか。これが課題になる。2年連続で、直播は失敗である。今年はこの後、松本さんがタマネギの作付けをする。これが上手く回れば、田んぼの転作の一つの方式として、定着で来る農法になる。

40家族が200キロと言う事で、一家族5キロである。5キロあると、一年の味噌は充分である。この5キロの大豆を収穫するための作業時間は、10回の作業ぐらいだろう。大豆の場合、一回の作業は2時間ぐらいだ。20時間で5キロの大豆。一年分の味噌を確保するのに、大豆作りで20時間かかる。これを馬鹿馬鹿しいと感じるか、この程度ならやってみるかと思うか。この辺りをどう考えるかが自給の合理性の分かれ目である。12月5日には農の会の収穫祭がある。この大豆をみんなに食べてみてもらいたい。これがちょっとないくらい美味しい大豆なのだ。大豆の味がこんなにも違うものかとビックリするはずである。その美味しい大豆の3年味噌も農業祭りで販売していたのだが、売れたのだろうか。今年は小麦もあるし、醤油にも本格的に挑戦する。ビンで持ち帰り、各自が家で管理する方式。これが今年の課題である。何しろこの醤油が極め付けでおいしい。

昨日の自給作業:大豆の収穫4時間 累計時間:37時間
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デフレ宣言

2009-11-21 06:16:47 | Peace Cafe
デフレと発表された。藤井財務大臣によると危機的状況と言う事である。今更ながらで、100年に一回の経済転換が起きている。デフレというのは物の価格が下がることである。消費者にはありがたい話だ。逆から見れば、お金の価値が上がる事だ。お金持ちにはありがたい話だ。そのこと自体が悪いというより、物が売れないために困ると言う事に尽きる。物が売れないから、価格を下げる。結果企業収益が下がる。賃金も下がるから社会全体が不景気になる。こういうことを言っているのだろう。こういう話は、今更であろう。経済構造の転換と言う事を一切受け入れないで、今までどおりで行けないと嘆いている。もう世界経済における、日本のかつての、優位な位置は失われ始めていると言う事である。優位な位置とは、安い賃金で、先端技術を駆使して、電化製品や自動車を大量生産して、世界に輸出する日本。

中国に世界中が注目している。大量の安い労働力。獲得し始めた高い技術力。そして、蓄積された4000年の文化的蓄積。中国の動向が世界を変え始めている。3回中国に行ったことがあるが、この変化の大きさは、日本の戦後社会の変化を超えている。このまま中国が経済大国になるとも思えないが、どこかで傾ぐにしてもその影響は世界に及ぶものに既になっている。世界が中国をすでに潰せない国にと見ている。インドも同じような優位さを持ちながら、日本のおかれた位置に滑り込んできた。日本は今までにない方角を切り開く以外ない。それは、ヨーロッパが英国病とか言われ、日本をエコノミックアニマルと揶揄した頃と同じだ。日本は日本病にかかっている。問題は病気であるにもかかわらず、その自覚を持たないで、かつての処方箋で、古い薬を使っていることである。持ち直すような兆候を探しては、一喜一憂している状態。デフレ宣言をした所で、的確な手当てが遅れれば、病は深刻化する。

的確な手当てをするためには、先ず状況判断だろう。デフレの判断。バブル崩壊後言われ続けている。物の価格が下がっている。本当であろうか。上がらないだけではないか。不当に利益を上げていたものが、下げられているだけではないか。数値的にはデフレという状況にはない。政府は物が売れないことを、デフレと表現した。何故物が売れないか。余計なものを買わないからだ。余計なものを変えない状況が続いているからだろう。要らない物をジャンジャン買って、消費生活に浸る。こう言う事の再来を願っているのだろうか。日本人の平均年齢も上がっている。人口は停滞。家は300万戸空き家だそうだ。今更、消費が上がるような要因はない。物を売らなければ、成立しない企業という存在に依存した社会ではもうだめだと言う事だ。JALが危ない。これからも世界情勢を読み違えた大企業の危機は相次ぐはずだ。

消費は美徳。こう言う社会からの離脱以外ない。日本の一時のバブルはヨーロッパのような、社会的蓄積を作り出すことはなかった。物を作ると言う事に、国家100年の大計がなかった。道路でも、病院でも、学校でも、当面の対策としての安普請が続いた。財部誠一氏の借金時計によると、今の借金は805兆5822億円だそうだ。805兆円に匹敵する資産を残しているとも思えない。デズニーランドに行って遊ぶ事が、家族の幸せである。と幻想を作る。これが消費社会。何かを生み出すことでないところに、幸せの方角を幻想させる。一人の人間が消費できる量は限界がある。そうした豊かな消費の幻影を、世界に撒き散らしたのがアメリカ文化である。それに便乗したのが日本の企業社会。そのやり方が終わったと言う事だ。日米の国民はそれに気付いて、チェンジをしたが、どこへ舵取りを向ければいいかが、見えないまま不安の中にゆれている。

昨日の自給作業:タマネギ準備、小松菜・空豆の播種、薩摩の収穫、2時間 累計時間:33時間
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当り屋事件

2009-11-20 05:28:44 | Peace Cafe
小田原のイトウヨウカドウ周辺でアタリ屋事件に、知り合いがあってしまった。犯人は30から40歳くらいの男だそうだ。どうも状況が複数犯のようだったと言う事である。その知り合いは、65歳の一見して紳士の人である。立派な乗用車を奥さんと二人で乗っていた。ヨウカドウの前の信号でとまり、ゆっくり進もうとした時、突然ミラーを、ドンと倒した男が現れたそうだ。何だと思い車を止めて、降りると。誰もいない。何が起きたのかと疑問を持ったのだが、良く状況が理解できない。ミラーを直して、再度進み駐車場に入ろうと曲がろうとしたとき、後ろから走ってきて、窓を強くドンドン叩く男がいる。驚いて、車を止めると、窓を叩きながら、何かわめいている。「逃げたな。ひき逃げだ。」こう何度も叫んでいる。恐怖感に包まれる。車から降りる。「あそこで当ったのに、お前は逃げた。」繰り返しわめき散らす。「降りて捜したが、誰もいなかった。捜したのだ。逃げたのではない。」

もちろん聞く耳を持たない。「怪我をしたのなら、病院に行こう。」こう言うと「病院に行くほどではないが、めがねが壊れてしまった。」つるの取れたメガネを差し出す。「このメガネは外国で買った物で、4万円したものだ。どうしてくれるんだ。」「これは4万円はしない、2万5千円だ。」そもそも、どうでもいい議論になる。奥さんが4万円払おう。お金で済むならそのほうがいいと、怖くなって言い出した。その先を当人は語らない。私や回りにいた、全員が「警察に通報しなかったのか。」と聞いたのだが、それにも答えない。言わないからわからないが、警察にも言わず、お金をいくらか多分、2万5千円。取られたのではなかろうか。そのままイトウヨウカドウに行く。何とまるでそっくりの、あたり屋事件が注意するようにと、張り出されていたそうだ。

私は丁度一年前、255号と巡礼街道のぶつかる交差点、ホンダの自動車屋がある前で、当られそうになったことがある。それは37,8歳の、痩せ型、小柄、髪の毛の短い、女性だった。私の車は巡礼街道側から左折してきた。すると横断歩道に女性が立っていた。渡るのかなと、一端車を停車した。すると、ホンダの方へ身体を翻しどこかへ行ってしまうかのように、歩き始めた。なんだ、渡らないのかと思い、車を動かす、と、そのとき、横断歩道にめがけて、走りこもうとする。慌てて、急停車する。この急停車が早かった。一度アクセルにかけた足が、何故か即座にブレーキに入った。これはいつもにない、とっさの幸運だった。その女性は、一メートルほど車の前につんのめる。おっととという感じで、立ち直ると、一目散に、又ホンダの方に逃げ去って行ってしまった。ああ当らないでよかったと、冷や汗が出た。ミラーまで手が届かなかったのだ。

後で思えば、警察にすぐ通報すればよかった。誰もが思うだろう。しかし、振り込め詐欺と同じことだ。相手は犯罪者だ。そうさせないような筋書きを、幾通りにも考えいる。知人の場合、「逃げた。」これが罠だ。「ひき逃げだ。」このわめき声に心理的に巻き込まれてしまったのだろう。そして、犯罪者はさらに新たな心理の隙を突いた、手口を考える。振り返って横断歩道に走りこもうとした時の女性の顔が焼きついている。1年たっても忘れられない、恐怖心がある。あの時当られたら、お金を要求されたら払っていただろう。全く日常とは違う心理に陥ってしまう。背景には暴力団がいる場合が多いい。振り込め詐欺と同じだ。その場で、2万5千円で済んだように見えても、そのあと、怪我が悪化したとか、エスカレートすると考えた方がいい。警察、保険会社に即座に、どのような事故であれ通報する事だ。

昨日の自給作業:たまねぎの準備2時間 累計時間:31時間
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オバマ大統領の窮地

2009-11-19 04:59:34 | Peace Cafe
オバマ大統領の人気が、アメリカでは急落しているようだ。アメリカ人らしいチェンジだと思う。アメリカ人の多くが大統領選挙で早まってしまった。焦りを感じる。最初に話題になったのが、医療保険の事だ。あの頃はまだ高い支持率で、オバマ大統領自身、人気で何とか突破できると考えていた様子が見えた。ところが、あにはからんやアメリカ人はチェンジを求めたが、変わってはいなかった。相変わらずのナンバーワン、アメリカは一番のつもりなのだ。天皇に対し、挨拶の頭の下げ方が深すぎる。こんな事で騒いでいる人達もいる。パールハーバーを忘れたかという古いせりふまで出ている。相変わらずの敵が必要なアメリカプロレスを思い出す。何とも幼稚なことだ。日帰りのような慌しい中では、確かに挨拶の仕方ぐらいしか取りあげるしかないのだろう。国内がこんな状況では、広島長崎訪問どころではない。

一週間のアジア歴訪の間、アメリカ国内は大丈夫なのだろうか。14日の東京でのオバマ演説は、プラハでの演説と同様の効果を期待しての事だろう。長い演説であるが、アメリカの目指す東アジア諸国政策の全貌を現している。意味ある中身の濃い、又率直なものだ。以下その一部である。
「すべての人、すべての米国人に知ってもらいたいのは、この地域で起こることが我々の国内での生活に直結し、この地域の将来が我々の利害にもかかわるということだ。我々はこの地域で盛んに商売し多くの商品を買っている。この地域で我々は、自国商品の輸出を増やし、それによって自国の雇用も創出することが出来る。この地域での核軍拡競争の危険が世界の安全を脅かしている。そして、過激派が偉大な宗教を汚し、アジアと米大陸双方への攻撃を計画している。アジア太平洋の新興国と途上国抜きでは、エネルギー安全保障や気候変動の課題も解決できない。」

この演説は世界へのアピールであると同時に、アメリカ向けである。アメリカの東アジアでの貢献が、この地域の経済発展、自由と民主主義の定着を作り出したこと。そして今後のアジアに対する、協力関係がアメリカに恩恵を生み出すことを伝えている。アメリカが市場を開き、大きな消費をしたからこそ、アジアの経済発展があった。だから、アジアも市場を開放するべきだ。これは特に中国に向けられている。この演説は終始中国を意識したものになっている。核廃絶をプラハで訴え、中国の市場開放を東京で訴えている。オバマ氏は世界を良く見ている。アメリカ一国にとらわれていない。実にまっとうなアジアの見方と、今後の展望である。この点こそが、アメリカでの人気急落の原因であろう。アメリカのためのアジアでしかない意識が、かなりのアメリカ人である。中国が中国人らしく、深い文化の中で暮らしていることがなかなか見えないのだ。

ベトナムでの失敗、イラクでの失敗。ここから学んでほしいものだ。相変わらずの姿勢で、アフガニスタンに向っている。オバマ演説ではベトナムでのアメリカの悲惨な失敗に触れていない。長い間東アジアの発展の大きな障害を作った、アメリカの失敗である。今、ミャンマーと、北朝鮮が、独裁政権として、アジアの不安定要素を形成している。この今行われている、平和的な独裁軍事政権の精算という、歴史的にも前例がない、外交が行われている。この方法は、解決の糸口さえ見えないような、困難ことである。しかし、アジア全体の発展に大きく影響する。アメリカは中国と連携して、このことに挑んで行く必要がある。同時に、中国の覇権主義の台頭の恐怖。この不安がアジアを覆い始めている。こうした、世界の平和を脅かす様々の要因を、平和裏に取り除いてゆくことが、出来るのかどうか。これからの日本とアメリカの役割だと思う。

昨日の自給作業:タマネギ、小麦準備3時間。 累計時間:29時間
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学級崩壊

2009-11-18 04:45:58 | 地域
小田原でも授業が成り立たない学校が結構あるそうだ。先日ある高校で食農教育を担当されている、先生のお話を伺う機会があった。昨日の食事は何でしたか。こう言う質問に、何とアイスクリーム2本と答える生徒がいるそうだ。この場合崩壊しているのは、学級だけでなく家庭崩壊である。子ども達を取り巻く食の環境は深刻なところにある。読み書きそろばんの前に、食の建て直しが必要なようだ。戦後の食糧難時代、食べる物もない子ども達に給食を。と言う事で全国に普及した学校給食。アメリカからの食糧援助であった。それで救済された者の一人として、感謝する所である。アメリカだって物が充分にあったわけではない。苦しい中世界に援助を続けた。今に成ると、アメリカの食糧戦略の一面が強調され、何か日本にとって悪い事をしたように言われているのは不思議だ。同級生の弟が、栄養失調で死んだ。それが現実だった。

その先生は学校教育の中で食と農を繋げると言われていたが、どうやっているのだろう。実際には出来ていないに違いない。そういう理想を持っていると言う所は素晴しいが、現実には今の学校の授業の中では絶望的に難しいだろう。その難しい中で、そうした声を上げていることは評価されるが、現実の体験に繋がらない所は残念な所。用意された食材がどのように作られたかをいくら説明した所で、自分で作らない限り、体験として子供を変えてゆくことはできない。では子供の農業体験はどうあるべきか。これが農の会の活動の一つの方向である。子供より畑や、田んぼが優先される。子供にもいくらかはやらせてあげるが、あくまで邪魔にならない範囲。子供には子供の仕事がある。子供が一人前に田植えに加われるようになる誇り。それまでは、子供らしく田んぼのまわりを走り回っていた方がいい。親の姿を見て、子供なりに、自分のやれる仕事を見つけて動く範囲で良い。

学校給食は早急に米飯にする必要がある。学校給食を日本に相応しい形に、変えられなかった理由がある。利権である。学校給食に付随して出来上がった、組織の膠着化である。学校給食会。即座に廃止すべきだ。食糧を安定的に学校に回すべき組織など、今の時代に別枠として必要はない。出来る限り、小さな市町村の単位の見える形の中で、学校給食をまかなうべきである。学校給食の食材は地域でまかなうべきである。地域でまかなえないところが、他地域と契約栽培をするなどはいいが、食糧の生産と給食は子ども達に見える形にしてゆく。子ども達は栽培している農家の畑を見学に行く。そこに入れる堆肥を子ども達が、給食残渣の生ごみで作るぐらいは出来るだろう。生きるためにはお腹がすく事。食べる物の作られる姿を知る事。作ることに協力すること。学校給食はこの時代の大きな教育の場面だ。

学級崩壊の一つの原因に化学物質がある。子どもの教室での立ち歩きや、引きこもりなどの異常行動が、化学物質を原因とする可能性があるとして、環境省は来年度、両親や子ども三十万人を対象とした調査に乗り出す。同様の問題は世界各地で指摘されており、米国と韓国とも連携し21年間にわたって原因物質を追究する。これが現実である。教師の質の低下、家庭教育のゆがみ、価値観の分裂。社会の方向の喪失。生きることの実感の喪失。様々な要因が複合的に作用して、学級は崩壊する。しかし出来る事から考えるとするなら、食べ物の見直しが最初である。普通の食べ物を食べる。これはとても大切である。病的に化学物質を怖れる必要はないが、せめてこれから育つ子ども達には、出来る限り化学物質の食糧からの摂取を避けさせる。学校給食ぐらい有機農産物にする。「未来の食卓」12月20日小田原市民会館で上映会がある。
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まちづくり研究会

2009-11-17 04:58:27 | 地域
小田原のまちづくり勉強会が開かれた。日置雅晴「景観と住環境を考える全国ネットワーク」代表が講演をされた。学ぶ所がありました。多くの方が、マンション問題で大きなエネルギーを使われ、苦しんでいる実状が良く分かりました。私ならすぐ引っ越してしまうだろう。街の環境の良い事例として、パリが挙げられていたが、暮らした実感としては東京の方が暮らしやすかったと思う。パリは冷たい拒絶感の強い街だ。人間が生きると言う事は、秩序があるとか、美しいとか、そう言う事とは又別であろう。私はマンションという物に暮らしたことはない。人が減り、家が余りだしている。よくないものなら、そのうちマンションに住む人はいなくなる。住む人が居なくなれば、スラム化する。これは西伊豆の別荘地などはまさにこれで、廃墟に成っている所がある。20数年前どこに越すか捜し歩いた頃既にそんな状態だったから、今は山に戻っているのだろうか。そのとき別荘開発地はだめだと思った。

街と言うとき、どうしても住宅地商業地の中心市街地の問題になる。しかし、面積的には街はその周辺部に広がっている。そしてその周辺部には様々な街を支える迷惑施設が点在し、中心市街地は成立している。マンションは煙も騒音も悪臭も有害物質を出す訳ではない。久野には最終処分場あり、ごみ焼却場あり、広域の斎場あり、市の墓地があり、残土廃棄場あり、建築資材置き場数知れず、その無秩序な開発がつづいている。小田原の美しい里地里山も崩壊の危機にさらされている。都市計画がない。あるにはあるが、全く守られない。全体の街づくりの厳格な制限をしないところが、日本的なやり方なのだろう。そのやり方が、弱い所に迷惑なものを押し付けるという、ご都合主義に繋がっているのだろう。マンションは困る。確かに困るがそれを主張している人がマンションに住んでいる、こともよくある。

基本的に駅のそばの中心市街地に住みたいなら、あれこれ我慢すべきだと思う。東京に住みたいなら、さらに我慢すべきだ。我慢しないで、税金で対策をすると言う事は、周辺部のものとしては、困ったアンバランスになる。都市というものがそもそもいらない。この辺りの兼ね合いは難しいが、誰でもごみを出している。ごみは見えない遠くで処理してもらいたい。出す煙も吸いたくない。これは普通の気持ちであろう。しかし、便利な街場で都合よく暮すものが、不便な田舎に暮すものに、迷惑施設を押しつけて平気でいる。こんな反発的気分が田舎側にあることに、気付く必要はあるだろう。隣のマンションは困るという話だけ聞くと、街と言う所はそういう自己本位なところだろう、と思ってしまう。都市は仕事をするのに仕方がないから、利用する所。

街の機能とは何か。駅がある。商店があり。会社がある。役所や病院がある。しかし、それらは街に固執する必要性を失って散らばってゆく。それでも街に暮す多くの人は、街の便利さと環境の良さを同時に求める。ホールはせめて中心市街地だと主張して、駐車場もないような狭苦しいものにする。財産の価値を下げたくないと言う辺りも見え隠れする。建築基準法がおかしい。確かにそうだろうと思う。法の裏をかくような巨大建築物が、利潤の為に作られる。昔は良かった。本当にそうであろうか。国立の駅前のマンション問題が良く話題になる。調和を壊すマンションができて、国立の良い住宅環境が壊される。と言う事らしい。本当に国立が良い住宅環境だと思っているとしたら、良い環境という物を知らないのだろう。国立が住宅地になる前の武蔵野の時代は良かったはずだ。自然というものの中で暮らしたことがないから、国立の住宅地辺りでいいところだと思うのだろう。はやく街を放棄したらどうだろう。私は日置氏に鞆の浦裁判の話が聞きたかった。残念ながらそんな話が出る雰囲気はなかった。聞きたかったが我慢した。
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大豆の会の収穫

2009-11-16 06:15:00 | あしがら農の会
田んぼがそろそろ終わる時期に成ると、大豆の収穫が始まる。田んぼが終われば、小麦。大豆が終われば、タマネギと順番を考えている。今年の大豆は少し早く枯れた。葉が既に飛んでいってしまっている株が多いい。根が既に刈れている。神棚の御幣のように茎に実がしがみついている。既に横だをしになっている株も多い。何故なのだろう。天候しか考えられないが、雨が多かったと言う事でいいのだろうか。一方で畑の大豆はまだ緑だ。もちろん葉が付いている。実の枯れた具合は似たようなものだが、葉の方がまるで違う。と言う事で、根も生きている。それでは田んぼの方の収量が悪いかというと、良く取れている。昨日は全体の4分の1程度をやったのだが、60キロはあった。200キロは超える。200キロ越えは始めての事である。これが多いのか少ないのか、分からないが、多分少ないと思うのだが、この辺では有機農法で1反以上やる人は居ない。比較が難しい。

少し調べてみると、反当りが150キロと言うのが平均のようだ。200キロ超えたら、精農と言う事らしい。面積の方がもう一つ正確でないので、反収は明確ではないが、農の会の大豆として、恥ずべきような数字でない事は確かである。このことは中原さんの作業の立て方がとても緻密で、田んぼでも今年のキヌヒカリで8俵をを収穫している。農業のやり方がきちっとしている。この点私のような大雑把な人間とは、かなり違う。家の畑の大豆は草に埋もれたままである。種を撒く時には一度きれいにする。その後は初期に一度草掻きをする。後はそのまま収穫である。出来たり出来なかったりである。今年はそれでも案外出来たのである。お天道様の気まぐれである。毎年きちっとできる技術の確率はまだない。この点を中原さんはとても心配していた。みんなでやって収量がない年はどうしよう。しかし、確実に技術が安定した。3年間の農法の改良で、収量を上げて、ほぼ安定した技術の確立に到った。

今年この大豆の畑を、実証圃場にした。大豆高畝式栽培法である。畝に間に水を入れる農法。これで有機農法でも病虫害が減る。1、2メートルのベットを立てて、そこに4列の大豆を植える。鳥の害が多く直播は出来ない。直播部分はネットを張っても全て食べられた。苗を各家庭で作る。7月7日前後の種蒔き、2週後の植え付け。これが全員参加でとてもいい方式である。種やトレーの配布には苦労があるが、中原さんだから出来ている。1軒100株として、50軒。苗でやると草との競争には勝てる。これは初期除草剤を使わない手法では重要に成る。問題は根の張りが弱いこと。高畝で充分土を耕すと、深く根が入る。肥料については今まで特に使ったことはないが、何故か収量が増えてきている。今年は同じ畑でタマネギをやるので、どういう結果になるか楽しみにしている。

ベットを作るのも今年は全て手でやった。そのためにベットが低かった。もっと高いベットにしたい。それは根の深い伸びの事もあるが、湿害が起こる。溝の水のコントロールは初期は少なめ。特に梅雨時は減らす。そして、後半はむしろ入れる。花時は増やしてゆく。実を膨らませるのも水のようだ。この加減が出来るような水のコントロール法を完成することではないか。もう一つやって見たいのが、土寄せ。推測ではあるが、大豆の初期土寄せは効果がありそうな技術だ。草取りのついでに、人の多いい時なら、最初の草取りの後、溝堀を兼ねて土寄せをしてみたい。収穫には多分30人以上の人が集まった。大豆の会の時にしか会えない人が多いのだが、和やかで、子供が沢山居て、とてもいい集まりになっている。田んぼの転作の事業に、大豆の活動はとてもいいとおもう。丹精した大豆が、味噌、醤油、納豆、と発酵技術の体験にも繋がっている。しかも、これが又美味しい物になる。試して見たい人は、今度の農業祭りで試食が出来るので来てみて下さい。

昨日の自給作業:大豆の収穫3時間 累計時間:26時間
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