地場・旬・自給

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石垣島では稲刈りが

2016-05-31 04:47:31 | Peace Cafe

石垣島では日本一早い稲刈りが始まっている。本当はすでに、西表島では稲刈りが終わっているようだ。舟原の田んぼで田植えが始まったころに、稲刈りになるのだから石垣は南にはるか遠い。今年は沖縄で雪が降るというような寒い日が続いて、種まきはだいぶ遅れたようだ。やっと田んぼの始まりっても、日照不足が続き生育が例年より遅いと聞いていた。台風が来る前に一度目の稲刈りが出来るように栽培している。6月に入ると石垣は台風の通過がある。最近の台風では、稲が根こそぎ引き抜かれるというから、そのすざましさは想像を絶する。厳しい天候条件の中、やっと収穫までこぎつけた喜びには大きなものがあるに違いない。石垣の稲作の総面積はJA石垣によると、田んぼの面積は280ha。生産量は750トン余りとされている。これは、1万人分のお米が収穫できるという事だが、実は2期作だから、2万のお米が自給できる計算になる。

人口は5万人近いから、今の倍の田んぼがあったといえるのではないだろうか。島のあちこちに元は田んぼだったのではないかというところが見られる。面積と収穫量から計算してみると、4,5俵くらいになる。これは全国平均から見ると相当の低い数字となる。何か数字がおかしいのか、それくらいで正しいものなのか。私が見てきた新川地区の様子では7俵はあるように見えたのだが。確かに長野当たりのあの緻密な田んぼに比べると、粗放的というかおおらかな緩い田んぼではある。それがまた魅力なのだが、雑草の激しさや、虫の発生など亜熱帯的な事情もあるのかもしれない。それにしても、これだけの田んぼが残っていることが素晴らしいことだ。日本の農業政策から考えれば、すべてが転作されていても不思議ではない。換金作物である、サトウキビと肉牛が奨励され、沖縄本島では田圃はなくなった。そのサトウキビがTPPで危うくなっている。

その環境の中でもかなりの方々が続けている姿は、石垣の人たちの気風の強さというものを感じる。経済だけで動かない生き方というものこそ大切なものだ。都会に暮らす日本人は拝金主義に陥っていることも気づきにくい。田んぼをやってみると、その生産費を計算するような気持に成れなくなる。作って食べるという中に、人間の本来の姿があるように感ずるような気がする。お金を稼ぐという事とは違う充実感がある。それは登山をしているような気分ではないだろうか。ただ歩いている中で、自問自答している心がある。本当の自分に出会うような気分になる。ただ山を走り回る修験道もある。人間は自分の生きるという事を見つめるとき、お金を稼ぐ喜びというものは、少し人間の本性から外れたものであることに気づくかもしれない。

労働というものの価値は、賃金の代償にある訳でない。一度きりの生きるという自分の根底にたどり着くために働いている。在りたい自分にたどり着くために、自分の食べるものを作るという道も大切なものである。そうした本当に暮らして生きている人間が八重山に残っている気がする。八重山の歴史が強い人間を作り出したのだろう。そうした人に出会える喜びが石垣にはある。石垣の田んぼを見ているとそういうお金で動かされない人間の強さを感ずる。絵でそういうものを描く事が出来ればと思うのだが。まだできない。稲刈りが終わる前に、小浜島の田んぼを見たいものだ。小浜島の田んぼは日本の稲作の原型の姿を残している。西表にはまだ行ったことがないが、西表の田んぼではすでに、二期目の田植えが始まっているのだろうか。その準備というものも見てみたいものだ。

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日米地位協定に言及せず

2016-05-30 04:04:54 | Peace Cafe

G7の前のオバマアベ会談では、日米地位協定の改定が課題として話されなかった。翁長沖縄知事の要求をアベ氏は無視したのである。同じ敗戦国ドイツが地域協定の改定に成功している。なぜ日本とアメリカの関係が属国関係のままであるか、国の尊厳にかかわる。日本に在る米軍基地はアメリカの世界戦略の中に位置づけられているものであるから、アメリカが完全に自由に使えるという事が前提となっている。トランプ氏の言う日本防衛の為だけにアメリカ軍が日本に駐留するのであれば、当然、駐留米軍は自衛隊の指揮の下に位置しなければならない。しかし、アメリカは沖縄を長期にわたりアメリカの占領地として利用したのである。その初期の目的は日本がアメリカに対して、反旗を翻すことを阻止するためであった。日本はアメリカの予想に反して、あっさり占領軍アメリカに従う道を選んだ。そして、日米地位協定を維持して属国としての立場を継続している。アメリカ軍は日本を配下とする目的も含めて日本に駐留している。

沖縄では又米軍軍属の暴行殺人事件が起きた。にもかかわらず、地域協定の改定に言及しないアベ氏の姿勢は、アメリカの逆鱗に触れたくないからである。逆鱗とは、基地自由使用に触れて、引き上げられることを畏れているからである。日本を独自の防衛構想で守る気概がないからである。本来であれば、まず日本としての日本の安全を守る構想が存在し、その上でアメリカとの同盟を考えればいいことである。もちろん一応の防衛構想は持っているが、アメリカの力なしには成り立たない、核の存在しない属国的軍事構想である。日本独自の軍事力による防衛構想など成り立たないことは明白である。北朝鮮の核弾頭にすら対抗する軍事的能力も日本は持つことができない。その抑止力である原爆の保有も不可能な国なのである。日本の平和を守る形は、空想的に見えるとしても、理想主義に見えるとしても、軍事力を使わない形で国際紛争を解決する道を選ぶ以外にない。またそれが日本らしい平和主義であり、世界の希望となる日本の存在価値である。

アメリカと対等の関係を持つために、日米地位協定の改定から着手することだ。それは、平和国家日本を世界にアピールするためにも必要なことなのだ。アメリカの核の傘は、常時差し掛けてもらう必要はない。同盟国であろうがなかろうが、核攻撃をあらゆる国に許してはならない。すでに傘程度では役に立たない暴風雨が迫っている。北朝鮮に核を廃棄させる以外、道はない。それは難事業ではあるが、北朝鮮の主張によれば、核保有の大国が自らの核の使用制限と、削減を行う必要がある。アメリカが核削減をしようとしないで、世界中の核を持たない国に対して、どのような言い訳もできない。将来、核廃絶をするという前提で、新たな核保有国を作らないという、世界平和の道筋が成り立つのだ。

アベ氏は結局のところ、沖縄の基地負担を継続しようとしている。むしろ八重山に3つの自衛隊基地を作り、米軍との共同使用という形で、無料の基地を提供しようとしている。これがアメリカにいてもらいたい属国の総理大臣の姿勢だ。中国は着々と核保有を増強している。その思想の背景は、核保有国が世界で発言力を持ち、独自の外交が可能になると考えるからだろう。だから、北朝鮮の核武装にはさすがに、反対の立場をとった。この武力による、国家の序列という発想はいかにも、幼稚であり、トランプ的である。世界が核戦争の恐ろしさを無視して、己だけの安全を守ろうとしている。これは人類の滅亡への道である。日本がアメリカの核の傘から抜け出て、独自の平和主義を主張してゆく価値は、今こそ高まっている。その第一歩が沖縄からのアメリカ軍の削減である。日本はアメリカ軍の駐留経費を払う能力も、その気もないので、お帰りくださいと主張すればいい。本当の友人はお金ではないのは、国でも人間でも変わりはない。それが美しい国日本だ。

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2016 田植え

2016-05-29 04:13:22 | 稲作

 

田植えが進んでいる。28日に線引きをしながら、田植えを開始した。朝8時から始めて、10時までに1番、2番が終わった。2度代かきをやると土がトロトロになるようだ。それが生育に良いのかどうかは分からない。午前中には7番、8番と終わった。昼食後に、9番、10番、11番、3番と進んで、午後3時に一日目の作業を終わった。残りは4番、5番、6番と1反ほどである。一日目で2反の田植えが終わったことになる。18人の田植えだ。参加者は成れた人ばかりだったので、要領よく進んだと思う。

 

 

苗の大きさは5葉期前後で、背丈は根を除いて30センチであった。5月は日照が多く、暖かい日が続いたので苗は順調な生育だった。写真の左から、セルトレー苗、苗箱の苗、苗床直播の苗。どの苗も悪くはなかった。苗床の苗は後半の生育が良く、根の伸びが良い。但し、今年の種の撒き方は多すぎた。苗箱で言えば60~70グラム蒔き位いが良いようだ。種籾は6キロあれば十分である。10キロ用意したらずいぶん余った。代掻きを何回か繰り返し行うと、苗取りが楽になる。同じことなら、労力の一番要らない、苗床直播に変更することにした。結局のところ、江戸時代の作り方に戻った。いろいろやってみたが、慣れた人がたくさん集まるなら、苗代蒔きが一番楽なのだろう。初心者や子供たちならば、セルトレー蒔きになる。家族だけでやるなら、苗箱蒔きの選択になる。

苗が余った。3反の面積に必要な種籾。もち米は1キロ。サトジマンは5キロ。予備で2キロ。

 

手前の苗は苗取りの終わった。新永塚田んぼの苗を水路に保存してある状態。

代掻きが終わり線引きの為に水を抜いているところ。水抜きは丸1日はかかる。線をしっかりと引くためには水溜りのあるどろどろの田んぼではだめだ。ある程度土が固まっていなければ線が見えなくなる。田植えをしたときに土が乾き過ぎていると、水を入れた時に浮き苗が増える。初期から深水にして雑草を抑制するという考えの為である。根付くまで浅水にしておけばそうしたことはない。浅水にしておいて草が出ない田んぼなら、浅水の方が苗の生育にもいいはずである。稲は水分がありさえすれば、問題はない。今年は初期は浅水で進めてみようと考えている。

 

 

升目一つが29センチ×29センチである。以前は24センチだったからだいぶ株間を開けた。株間を開けたという事は、初期から分げつを少しでも多く取らないとならない。植えた株の総量で、33%減ったという事を言われていた。すべての作業が33%減少したのだから、だいぶ楽になったという事で悪いことはないのだが、収量まで33%減少してしまったら大変である。水の温かい下の方の田んぼでは尺角植えで植えたこともある。それで畝取りをしたこともある。しかし、上の方の谷戸田の条件の悪い田んぼでは、分げつが取れない。今年はだいぶ土が良くなってきた傾向があるので、思い切って変えたのだ。大いに心配ではある。

 

楽しい充実した田植えだった。こういうことがやりたくて田んぼをやっているのだと思う。自給の暮らしは楽しいものである。心を合わせて同じ作業ができるという事は、何にも代えがたい。今日、残りを植えて、片づけ。水が回ったところで、ソバカスまきを行う予定だ。

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広島オバマ核廃絶の希望

2016-05-28 04:56:20 | Peace Cafe

5月27日、アメリカの大統領オバマ氏が広島を訪問した。そして核廃絶を人類の希望として語った。このことの重要性を考えなくてはならない。改めて書き起こされた全文を読んで見た。素晴らしい演説であったことが確認できた。確かにプラハ演説で呼び覚まされた核廃絶の希望は、オバマ氏には実現できなかった。実現できなかったとはいえ、もしオバマ氏でなければ世界はどうなったのかという現実もある。2つの強大な核保有国アメリカとロシアが、対立を深める7年間であった。核保有数はこの間たったの5%の削減にとどまってしまった。そして、中国の核保有の拡大。北朝鮮という新たな核保有国の登場。そして今や、アメリカによって、日本や韓国の核保有の容認という意見まで登場してしまった。オバマ氏は自分が生きている間に、核廃絶は無理かもしれないと語った。確かにアメリカは銃規制すらできない。いまや世界は次の戦争に突き進んでいるかに見える。未来を想像するに人類の破滅が近づいている感すらある。

最大の核保有国アメリカの大統領が、自らの核削減を出来なかった。今からでもアメリカ地震の核保有を1個でも減らす努力をしてもらいたいものだ。オバマ氏の演説にある核廃絶の希望は、真実の言葉と感じられた。にもかかわらず、現実の世界は核の危機が一層膨らんできている。だれにも止められないことなのではないかという恐怖すら覚える。しかし、核廃絶の希望を捨てた時、人類は終わりを確実に迎えるはずだ。核廃絶の困難さは競争主義である。人間が競争を乗り越えられるかである。オバマ演説の中でもその人類の誕生とともに、武力が産まれ、人が人を攻撃する歴史が克服しなければならないものとして語られている。そのオバマ氏が核廃絶の困難さを一番痛感している人ではないだろうか。それでも希望を捨てない事だけが、人類が生き残る唯一の道であることに変わりはない。アメリカは圧倒的な核保有国であり、その核を削減できない苦しみの国だ。オバマ氏からトランプ氏になった時世界の危機は間違いなく一歩近づく。

世界平和が可能な国は、日本だけだと考えている。日本の平和憲法の平和への理想主義は、人類の希望だと思う。日本はアメリカの核の傘の下に取り込まれてはいるが、核保有をしていない国である。アベ氏はオバマ氏に続いて、見事な核廃絶論を語った。それは、オバマ氏以上の理想論であった。余りに見事なものなので、信じていいのかと疑いはするが、あえてここは信じて、核廃絶の一歩をぜひアベ政権に進んでみてもらいたい。すでに人類は3回絶滅するだけの核を保有しているという話を読んだことがある。だから、今の3分の1まで核保有量を削減することは、難しいことではないというのだ。核に頼る軍事バランスが世界の歯止めであるという現実がある。中国は着々と核保有量を増やしている。その中国の外務大臣は、日本人は南京の加害責任を思い出し、原爆の被害を隠れ蓑にするなと、オバマ広島訪問に対して強い反応をした。核軍縮の動きを、中国が拒絶する構図に話が及ぶことを畏れているのだろう。

アベ政権は原発事故を起こしたにもかかわらず、高い電源の原発を再稼働させている。さらに原発輸出を推進しようとしている。これは核保有国を増加させることに繋がる。被爆国日本の道ではない。北朝鮮の核保有は使用を前提にしたものと考えなくてはならない。もし、イスラム国が核保有したとすれば、ためらいもなく使用するだろう。人間はそうした狂気に突き進むものと考えなくてはならない。世界の格差はさらに深刻化してゆく。核保有のバランスによる危うい平和も、もうそのバランスを保てなくなり始めたと考えた方が良い。幼稚な冒険主義や、自爆主義が広がってきている背景には、希望の失われた格差社会が存在する。このままでは自滅すると思うから、狂気に走るのである。狂気の核攻撃を防ぐことは誰にもできない。競争の原理に従う、資本主義の悪い側面である。平和の世界構築をするためには、能力主義に調整を加えてゆく以外にない。食糧の自給、世界企業と国家の関係の見直し。遠回りでもそういうところからやり直す以外に道はない。

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「美術の窓」の新人特集号

2016-05-27 04:50:19 | 水彩画

美術の窓という雑誌を一年間だけ購読している。6月号は新人大図鑑2016 次に「来る」のは誰だ!という特集だった。若い絵を描く人と接する機会もないので、50年前と同じように若い人たちが絵を描いて居るのだという事にかなり驚いた。もう画家を目指すような、つまり次に「来る」ような若い人などいなくなったのではないかと思い込んでいたからだ。200名ほどの人が挙げられている。20代から40くらいまでのようだ。公募団体に作品を出すような人はほとんどいない。公募団体から次来る人はいないという点では同感である。90の画廊からの新人の紹介と思われる一覧もある。新人を紹介できる画廊が、90もあるという事が信じられない。卒展から編集部で見つけた新人という特集もある。次に「来る」という以上来るべき絵画の場所がまだあるという事なのだろうか。私はそいう場があることすら見えなくなっている。絵画はすでに社会的な意味での芸術ではなくなっていると思い込んでいる。

実は毎年この雑誌ではこういう特集を例年6月に行っているらしい。という事は少なくとも毎年200名を超えた人が美術の場に注目される新人として送り込まれているという事になる。信じがたいことなので、心底驚いた。過去10年この雑誌がこうした企画をしているとすれば、取り上げた2千人の中から、今現在来ている人は何人いるのだろうか。この雑誌や画廊が来るだろうと考えた選球眼は当たっていたのだろうか。もし10年で20人ぐらいはいたとすれば、1%の確率だからかなり高いともいえるわけだが。たぶん、20人も画家として来ているといわれるほど活躍している人はいなかったのではないだろうか。私が知らないだけなのだろうか。この雑誌が来たというような、そいう世界が私の知らないどこかにあるのかもしれない。幻影ではないのだろうか。恐怖を覚えるとともに、この雑誌を見入ってしまった。

この雑誌は、水彩人の事務局という立場で仕方がなく、(まあ、そんなことを書いてはいけないのだが)1年間だけ購読した。年間購読料が19、200円もするのだ。水彩人の展覧会も取り上げてもらっている。5月号では水彩人代表の橘さんが写生についての特集をされている。私の絵も掲載してくれることもある。購読を頼まれて、事務所として断り続けることも出来なかった。他の美術雑誌が無くなる中、この雑誌は出版が続いているのは、何人かいる営業の人たちの努力によると思う。すべての公募団体に出向き営業努力をしている。東京の画廊は必ず出向いていると思う。そうした公募団体関係者と、個展発表者の掲載と勧誘で維持されている雑誌。その昔美術の窓に掲載されたときに地方の友人が探してくれたのだが、そのような本は見つからないといわれた記憶がある。たぶん書店には余り置かれていないのだろう。大抵の書店に美術月刊誌が10種類ほど並んで居た時代があった。私など美術手帳は必ず読んでいた。各新聞にも公募展の評のような欄があった。そう思うと美術評論家の活動の場が無くなっている。

私がこの特集に恐怖を覚えた理由は、新人たちの絵は私が絵を描きだしたころとさして変わらないことだ。50年前の大正時代の新人の絵画は全く違っていた。ところが私が絵を描いてきた50年では、新人の絵がほとんど変わっていない。その仕事には先がないという仕事を50年間繰り返している。美術界全体の徒労の姿に恐怖したのだ。美術などというものはそういうものかもしれない。美術はこの50年何かを生み出したのだろうか。芸術として、学問として、教育として間違った方向に進んでいやしないだろうか。文化としての背景が絵画には失われている。人間にとって何のための美術なのかという、芸術としての最も重要な方向を見失っているようだ。と思いながら、この雑誌が紹介している膨大な数の絵は、社会性を失っているのかもしれないと思いつめた、暗い気持ちが自分を覆った。

 

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アメリカの謝罪

2016-05-26 04:00:50 | Peace Cafe

長崎、広島の原爆投下の是非に踏み込み謝罪することを78・3%が「求めない」と回答した。「求める」とした人は15・7%にとどまった。

日本人らしい態度だと思う。未来志向なのだと思う。アメリカを恨むよりは、むしろ日本政府が愚かな戦争に突き進み、降伏を決断できなかった事を、日本人として受け止めるしかない。戦争に至った原因は、日本も悪かった。また、日本を戦争に追い込んだ、欧米の帝国主義国家も悪かった。そして、原爆が投下され、戦争が終わった。その原爆投下に対してアメリカの大統領が謝罪を必要とするとは思わない。この考え方が、たぶん朝鮮人や中国人には理解しにくい、日本人的信条のように考える。日本人として被害者としての謝罪は要求しないからと言って、従軍慰安婦問題にこだわり続ける、隣国の人たちをおかしいとは考えない方が良い。有利になるのであれば、あらゆることを外交交渉に持ち出すというのが、一般的な国家の在り方なのだ。普通の国の普通の態度だと考えた方が良い。過去を忘れて、前向きに成れるところは日本文化の特色である。

アメリカが、鬼畜だった国が、最も信頼できる同盟国という事になった原因の過半は、日本人的なそうした信条にある。悪く言えば、お上ごもっともの性格である。アメリカは占領国である。世界中でアメリカ軍の進出は、善意と正義に基づいていても良く思われていない。結局はアメリカの進出を、アメリカの権益を守るためだ。と受け止められる。アメリカは日本で自治会組織から、生活改善クラブまで、国の隅々まで変えようとした。平和憲法まで受け入れ作ったわけだ。日本はアメリカの良い側面の理想主義を唯一受け入れ学んだ国ではなかろうか。たぶん、日本の文化の受容力の大きさを意味しているのだと思う。江戸時代の西洋絵画の受け入れ方にそうした日本人の、文化力の性格が表れている。日本人が、明治期にいち早く欧米化したのもその受容力にある。これが自分の大切なものをすぐ忘れてしまう弱点でもあるのだが。

直接の謝罪がなくとも、その思いは理解できる。謝罪によって生むものがない。これからの互いのことを考えた方が有益であると、受け入れられるのは、過去を振り捨てられる日本人の未来志向の可能性なのだと思う。だからこそ、沖縄の米軍基地の撤去を行うことが未来志向である。原爆の拡散を防ぎ、核軍縮を推進することが、未来志向である。オバマアメリカ大統領の広島訪問をその機会にすることに、日本政府も全力で傾注すべきだ。オバマ大統領の外交政策を弱腰であるというような観点から、批判する人がいるが、大きな間違いである。世界の格差が拡大し、貧困が深刻な状況になっている。テロが起こる背景は広がっている。世界の富裕層への富の偏在が、末期的な資本主義の様相を示し始めているのだ。守銭奴たちは国すらないがしろにしている。

暴力主義が世界に広がり始めているとみなければならない。その暴力主義に対して、武力をもって対抗するという方向は、人類の滅亡の道と考えなければならない。世界に対して平和主義の憲法を持つ日本の出番である。日本政府はオバマ氏の広島訪問の機会に、日本の将来の原爆の保有を明確に否定し、核軍縮を主導的に進めてゆくことを広島平和宣言として出す必要がある。武力による国際紛争の解決を日本は行わない。そうした憲法の国であるという事を、世界にアピールする機会にしなければならない。サミットでは国家という枠組みと、世界企業の関係を整理し直す必要がある。能力主義による競争から、共存の世界への転換の機会にしてもらいたい。

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アイドル傷害事件と元海兵隊員の暴行殺人の違い

2016-05-25 04:12:56 | Peace Cafe

元アメリカ軍海兵隊員の沖縄における、暴行殺人とアイドル傷害事件が並んで報道されている。並んでどころか、沖縄の日本人が米軍人にひどい目にあった事件を隠すように報道している。舛添問題や、アイドル事件をごちゃまぜにして、ごまかされてはならない。テレビ局には、アイドルオタクや、舛添公私混同は、面白おかしく取り上げる得意分野なのだ。しかし、沖縄米軍の暴行殺人事件をきちっと取り上げる能力ないのだ。政府の事件を小さくしたいという気持ちを忖度して、なるたけ報道しないで起きたいという気持ちが表れている。これが報道規制の姿だ。幸い、舛添氏やアイドル事件が起きてくれたというので飛びついている。この両者の意味は全くに違う。どちらも犯罪ではあるが、米軍人の犯罪の意味は、日本の統治と独立にかかわる、重要な意味を含んでいる。橋下氏は元米兵の殺人事件を米軍の問題にしてはならないと主張していて、全くそのセンスに驚く。米軍の問題にしないでどうしろというのだろう。企業の社員が犯罪を犯したら、その企業存在まで否定するのかというのである。

アベ氏は有効な再発防止策をアメリカに要求すると述べた。果たして具体的にはどういう方策なのであろうか。今までもこうした犯罪が繰り返され、再発防止策がとられては来たのだろう。しかし、有効な防止策がないまま、又事件が起きてしまったのだ。あるとするなら有効な防止策をぜひアベ氏に述べてもらいたいものだ。述べられるわけがない。それなら、口先だけでごまかすのは止してもらおう。いくら木偶人形でもたちが悪い。米軍が沖縄に存在する以上犯罪はまた起きると考えざる得ない。この恐怖を感じる暮らしをどう考えるのか。日本の安全に米軍をどうしても必要だというのであれば、沖縄に集中した配備を続けることは許されることではない。配備を集中したままにして、有効な防止策を要求するという事は、ごまかして通そうという姿勢なのだ。こんな事件を前にして米軍をどうしてゆくのかを議論することすらできない日本政府は、沖縄県民を守るという意思がないという事になる。

ここでの犯罪の根源に、沖縄駐留米軍という特殊な存在の意味が有ることを見落としてはならない。米兵にしてみれば、意味の分かりにくい駐留なのだ。日本人からは特に現地の人から嫌われ、極東の離島に島送りされたような気分になる者もいるだろう。軍隊という精神風土の悪い組織の中で、投げやりな目的の持てない暮らしになっている可能性が高い。外国に存在する米兵という立場は、なかなか複雑なもののはずだ。いつ戦場に送られるかわからない、海兵隊員なのだ。商売対象として以外は、嫌われやすい立場である。駐留米軍に所属する人間という性格を考えずにこの犯罪の意味を考えることは出来ない。それが当事者沖縄の住民の側に立った見方だ。この状況を変える以外に、再発防止策はない。米軍の度重なる犯罪も沖縄に押し付けて置けば、本土は安全神話という事になる。差別にもほどがある。

米軍に帰ってもらうしかないのだ。それが不安で嫌なのであれば、日本全土で均等に米軍を引き受けるべきだ。米軍の抑止力で日本の安全を守るという考えを捨てきれないのであれば、沖縄だけに押し付けるのはひどすぎる。こんな事件を繰り返す米軍基地を、引き受ける地域がある訳もない。どうしても米軍の駐留が必要というなら、無人島に行ってもらうほかない。現在進められている八重山諸島への自衛隊配備も同様の問題を含んでいる。自衛隊基地の米軍の共同利用という事で、必ず米軍の配備が行われる。日米安全保障条約が強化された以上、自衛隊基地は米軍の自由使用になるだろう。名目などいくらでも付けられる。そして軍事上の機密扱いになり、詳しいことは秘密保持法でガードされる。核ミサイルの八重山持ち込みすら、疑っておいた方が良いことなのだ。

 

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合成甘味料

2016-05-24 04:22:35 | 暮らし

砂糖中毒というものはない。ないのだけれど砂糖の甘さに依存してしまうという事はある。甘さは味覚の王で強力な吸引力がある。それは甘いという味の中に、幸せを感じる何かが備わっているからではないだろうか。どんな食べ物でも偏って食べることが良くない。肉ばかり食べていれば身体を壊すだろう。お米ばかり食べるというのも、良くない。食べ物で大切なことはまんべんなく食べる事だと思っている。菜食主義だから肉は食べないというのも、砂糖を敵視する事に近い考えだろう。どちらも食べ物としてあまりに美味しいから制限が必要になる。現代はいくらでも砂糖を食べれる。これは食糧が工業生産とかみ合ったからだ。さらにさまざまな甘味料が登場し、化学合成で甘さというものが作られ、カロリーがなく甘いというものが登場している。昔は糖尿病患者が使う甘味料のようなものだったが、今はあらゆる食品の添加物に登場している。

合成甘味料である。サッカリンというものが砂糖不足の戦後出回ったが、いまは米食品医薬品局(FDA)が認可している人工甘味料は、アセスルファムK(acesulfame-K)、アスパルテーム(aspartame)、アドヴァンテーム(advantame)、サッカリン(saccharin)、スクラロース(sucralose)、ステビア(stevia)の計6種。飲料水の表示には、アスパルテームが多いい。サッカリンも禁止されたこともあるし、また復活した。いずれも多くの人が体にいいはずはないと思いながらも、砂糖のカロリーの高さを思い、ステビアなら植物由来だしなどと考えて、味はともかくノンカロリーの方を選択するのだと思う。甘さに対しては混乱も不安もある。砂糖業界系の研究では合成甘味料の方が肥満に繋がるという科学データーが出される事になり、合成甘味料系の研究では発がん性もないし、肥満の可能性は砂糖よりはるかに少ないという事になる。そして甘さに憧れる者は、中毒に陥るこらえ性のない人間とされ、混乱することになる。

では、現実的にどう対応すべきかという事になるが、何でも偏りが良くないという事に戻る。ダイエットコーラーを毎日2リットル飲み続けたら、良くないに決まっている。たまに、ペプシ0を350cc飲んでも体に害はない。毎日、清涼飲料水を飲むという習慣そのものが、問題であろう。それは食生活全体に影響がある。味覚を壊してゆく。美味しいという感覚は作られるもので、偏食によって美味しいがゆがんでゆく。食べ物を自給して食べていれば、そのものの味を深く味わえるようになる。然し、工業製品と言える食品を食べ続けていると、食品添加物の味においしいが惹きつけられてゆく。味の素を漬物に必ずかける人を見たことがある。徐々に半端じゃない量になった。おいしいがより濃厚なものに変わってゆく。自給であればグルタミンがおいしいであったとしても、それだけを山ほど食べるようなことは不可能だ。しかし、工業生産可能な食品は、どれほどの偏食も可能にする。そして味覚を崩壊させ、偏食をさらに加速させる悪循環を導く。

合成甘味料が悪という訳でもない。砂糖が悪い訳でもない。ハチミツだって、ネープルシロップだって、甘さというものが悪い訳ではない。甘さというものは自給生活では極めて貴重なもので、それを食べた時の幸せ感は暮らし全体を反映していたのだ。その為に、砂糖が廉価に手に入るようになった時に、大量に使う食生活に動いた。そして、一時の幸せを手に入れたのだ。それ自体は決して悪いことではない。江戸時代の自給生活においては、甘さを手に入れるという事は困難なことだった。干し柿を甘味料にした。麦芽糖や甘酒のような発酵技術から甘さを得た。わずかな甘さを味わうという食文化である。わずかな甘さの中に幸せ感が満ちていた。その記憶が甘いものを食べることで、ドーパミンのようなホルモンが出るようになるのかもしれない。

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沖縄の悲しみ

2016-05-23 04:23:51 | Peace Cafe

またアメリカ人の元海兵隊員が沖縄の20歳の女性を、襲い、殺した。こんなことがまたも繰り返された。日本人の一人として、恥ずかしく、申し訳ない。日本政府は米軍に対して、二度とこのようなことが起きないように要請したそうだ。一度や二度のことではないのだ。このような事件が繰り返されている沖縄の状況を、日本政府は認識しているのだろうか。認識しているがために、本土にこういう被害が広がらないように沖縄に米軍基地を集中させているのだろうか。解決策はある。米軍の基地を日本人の棲む場所から距離を置いてもらうことだ。どうしても仮想敵国とアベ政権が中国をして、沖縄に基地を置きたいというなら、沖縄の無人島にしてもらえないものか。政府はそのくらいの要請をして当然ではないだろうか。トランプ氏なら、何というだろうか。日本に塀を作りアメリカに帰ってもらおうというのではないか。当然、費用はアメリカ持ちである。

沖縄の歴史を学べば学ぶほど、日本という国が沖縄差別を繰り返してきたことを知る。朝鮮に対する差別以上の差別を、400年行ってきた。まずその認識を持つことから始まるのだろう。沖縄の人たちが日本人であるという明確な認識を持った時から、100年は経っていないだろう。この苦難の歴史の中で、沖縄の人たちは武力を放棄させられながらも、その尊厳を守り、また守るために独特の緩やかで、豊かで、暖かい文化を形成した。文化による外交力の形成である。織物や衣装、歌や踊りやお酒が際立ったレベルに達したのは、沖縄人としての文化的誇りの拠り所だったのだと思われる。日本人が欧米化し、日本人としての民族的文化を失う中で、むしろ縄文人にも通ずる日本人らしさを残しているのが、沖縄である。琉球国は武力的には征服された国でありながら、中国と日本の間を外交力をもって、生き抜いてきた国である。

日本人として、この沖縄の状況を生み出したことを恥ずかしいと思う。いつまでもこの状況を長引かせていることを申し訳ないと思う。沖縄が返還されてから以降も、米軍基地は一貫して強化され、広げられてきた。米軍は沖縄を米兵の訓練場と考えている。アメリカ国内でも基地は反対をされ、簡単には作れないのだ。ベトナム戦争の前線基地として利用された。これからは、中国に対する前線基地としてアメリカは利用しようとしている。日本という国を守るためと名目上はなっているが、アメリカとしては、中国をにらむ形で、米軍基地を沖縄に配備しておきたいのだ。そして、本音としては、日本をいつでも占領し、日本が独立国家としての、独自の行動をとらないように監視している。しかもその費用の70%は日本持ちで行える。さらに米軍のアジア配備費用を日本に持てというのが、共和党大統領候補の主張なのだ。それを日本の右翼政権が、推進しているのだから、日本の保守の思想はまさに売国奴思想である。

つまり、利権集団化しているのが、日本の保守政党なのだ。説明をする、第3者機関に調べさせると、言い訳をしたまま雲隠れしている、自民党衆議院議員の甘利氏を見てみろ。TPPを推進して、日本の農業の未来を失わせた張本人らしいその後の態度である。こうして、TPPが締結され、日本の農業が無くなったとしても、アベ政権はそのころは消えてなくなっているだけだ。誰も瑞穂の国、美しい日本の衰退の責任を取ってはくれない。私たちが米軍を少しでもアメリカに帰ってもらう努力をする以外に道はない。もしどうしても、アメリカに帰ってくれないなら、せめて本土移転であろう。沖縄の怒りを、日本人は受け止める必要がある。それが差別しているものの責任である。

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あら起こし

2016-05-22 04:33:21 | 稲作

いよいよ田んぼが始まった。苗作りをしていても田んぼの開始という気には案外になれないものだ。田んぼを耕すといよいよ始まったという気持ちになる。あらおこしともいうが、春起こしの方が気分がすがすがしいが、もう夏起こしだ。暑い。田んぼは緑肥がまかれている。枯れてきているものもあるが、今盛りのものもある。いずれにしてもハンマーモアーで細かく砕く。そしてすぐに漉き込む。ハンマーモアーが途中で動かなくなり、刈払機であとは刈った。すぐに漉き込むと土壌によくないという事を言う人がいるが、すぐに漉き込む方が抑草の効果が高い。すぐに漉き込みすぐに代掻きである。生の草が腐敗してゆくときに、抑草効果が高くなる。また、冬の間に藁は田んぼにまき散らしておく。そこに緑肥が生えてくる状態である。藁はほぼ分解している。藁は分解していることが重要である。生の藁を張る漉き込むと、良い代掻きができない。田植えがやりにくい。コナギが異常発生する。藁を田んぼに戻す場合、藁を分解してから漉き込むことが条件である。

緑肥は出来るだけ細かく砕く。ハンマーモアーで出来るだけゆっくり刈り取ってゆく。草刈り機で刈るとしたら、紐で刈ると細かくなる。しかし機械の故障で粗いままだが何とかはなる。トラックターはたいていの場合土壌が湿っているので負荷がかかるのでゆっくり耕運する。深く耕さない。代掻き用のロータリーである。5センチ程度ではないか。深く耕すという考えもある。その方が収量が上がるというのだ。一時その考えに影響され、ずいぶん深く耕したこともあった。しかし、作業全体を考え、出来るだけ浅く耕す事に落ち着いた。手植えの田植えでやる。草取りや、田車を通すことを考えても、田んぼが深いと作業が大変になる。深い方が草も増える。代掻きは極端にえば、田植えが出来るだけ耕せばいいと今は考えている。その浅い層に腐食がたくさん入れば、より抑草効果が高まる。浅く耕す場合、粉砕した緑肥や藁が土壌に混合されない場合がある。手間がかかっても2度耕すと土によく混ざる。

上手く耕運しておけば、代掻きがきれいにできる。水を入れてから良い代掻きをしようと考えても、ぬかるみ状態で操作が難しくなり、田んぼの硬い層がでこぼこになる。これによって水平の代掻きでなくなる。春起こし、代掻きで重要なことは田んぼの深さが一定であることだ。浅く1定でありながら、水を抜きたいときには一気に抜ける排水が出来る状態を目指す。入る水は、全体で少しづつ水を動かし、停滞する部分が出来ないようにする。これも抑草である。流水では草は生えない。静かに水が動く状態では、コナギは生えにくい。その基本があら起こしにある。少し時間がかかってもいいのでゆっくりとたいらに、田んぼの隅々まで耕す。

今年はお隣の3反の田んぼのあら起こしもやった。頼まれたのだ。何度も断ったのだが、どうしても頼むしかないという事でやることにした。もう80歳を超えた方で、昨年は田植えまではしたがそのあと放棄した。草だらけになって、夏の暑い盛り草取りは無理だった。田んぼをやりたいという人がいるから紹介してあげたのだが、やはり自分でやりたいという事で、貸してあげなかった。何しろ、機械が入る道がない田んぼなのだから、やる人はもういないと思う。私たちの借りている田んぼから、畔を乗り越えて機械を入れた。だから、私たちの田んぼの田植えが終われば入ることは出来なくなる。代掻きはどうするのだろう。頼まれてはいない。何しろ畔がない田んぼなのだ。水が溜まらないから、容易なことで代掻きは出来ない。私がやるならまず畔を作るところからだが、さすがにそこまでやることは出来ない。自分の田んぼで手一杯である。もし借りる人が居たら、道を作ることから始めなければならない。そして、しっかりとした畔を作り直すことからだろう。それにしても代かきが気になる。

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小田原市沼代を描く

2016-05-21 04:09:50 | Peace Cafe

沼代の谷間を描いて居る。

最近4日間同じ場所で、毎日1枚づつ絵を描いた。大体のこところ、いつもの私の絵の描き方である。魅かれると感じた場所で繰り返し描く。ここ何年か、大井町の篠窪というところで描いてきたのだが、夏は見通しがなくなり、描きにくくなる。そこで場所はないかと思い、見つけた所である。以前からそばの沼代園という養護施設に養鶏の手伝いで出かけていたので、時々通る道からである。道から谷の眺めがいい。最近田んぼに水が入った。水が入ったら、風景が一変して面白くなった。田植えが終わるまでのしばらくのことではないだろうか。一番上が畑で小屋などがある。そこから田んぼが続き、放棄された田んぼになる。その先には林があり、集落に続く。集落の奥は小高い二宮の丘陵が続いてゆく。一番高いところが、136メートル二宮の駅のそばの吾妻山公園である。写真は雨の日で霧の中である。雨の日はいいものだ。それほどの山の中ではないのだが、里山風景が残っている。

一枚目

田んぼを中央に描く。一番描きたいものだから中央になるのだろう。構図というものは考えたことはないので、その場所をただそのまま描き始める。どんな絵にしようとかいうことは考えないが、見えている里山風景を描くことは決まっている。何とか目の前に見えている状況を画面に持ってくる。下図を描くとか、デッサンを取るというようなことはしない。頭を使うようなことをすると、見えているものから離れてゆく気がする。思いついたままにパレットで色を作り、始める。何処から何をしようとしているのかもよくわからない。頭で考えるという事は全くない。でたらめに塗るという訳でもない。見えている風景の中にある空間の動きのようなものを追っていることが多いい。あちこちに色を置きながら、だんだん形を移している。描くという事に成りきるには頭で考えたらだめなようだ。どのような結果になるのかは分からない。始めてみると、絵を進めるなかで習慣化してきた調子で描いている。と言って、上から下に絵描き進めていたり、あちこち適当に色が広がっていったりする。それに任せている。どうすれば今見えているものが画面の方に、絵の方に表れてこないか、偶然を待っているようなものである。

2枚目

朝から始めて、夕方まで描いていることもある。2日目になると最初とは違ったものが見える。2時間ぐらいで終わりになることもある。嫌になれば、すぐ家に帰る。車の中には、大抵のものはそろっている。食べ物、飲み物、昼寝の布団。タブレット、もちろん絵の道具も何でも積んである。描きたい間は描いている。絵を描きに出るとなれば、家の方のことや、田んぼや、畑はすべて忘れてしまう状態なので、朝の内にすべて終わらせてから出かける。急に出掛けたくなるので、予定とかはない。帰りには風呂屋に寄って帰ることが多いいので、風呂の道具も積んである。こうして描いているときのことを思い出そうとしても、呆然としてただ描いて居るだけで、その時の気持ちのようなものはほとんど流れ去っていてとりとめがないだけである。一生懸命であるとか、楽しんでという事でもない。ただ絵を描いて居る道具になったような状態である。座禅をしているときの状態に一番近い気がする。足が痛いとか、我慢しているとか、修行だとかいう意識は全くない。

3枚目

描いた4枚の絵は今のところ描いたままである。4枚目が一番色が塗られていない。塗り残しが沢山ある。何故なのか、日に日に塗らなくなった。4日間4枚の絵は持っていって描いて居るのだが、結局のところ、一日一枚づつで、今回は現場で続きを描くという事はしていない。毎日画室の壁に並べてある。何か気づいたら、現場に持っていって描いて見たいと思っている。この描き継ぐという事が難しい。絵を描き継ぐという事は全、写生をしている時とは違った作業になる。気付いたことを描くのだが、その時に絵の欠点を直すという事になったら、やらないことにしている。描き継ぐ時は新しい発見があった時である。こういう事だったかという事がわかって、どんどん進んでゆくこともある。そこで止まってしまって、何か月も置いてあることもある。だめだと思って、保存の引き出しにしまってしまうことが多いい。そのうちまた出してみて描き継ぐこともある。もしかして出来たという気持ちになったら額に入れて、ギャラリーに飾る。

4枚目

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人工頭脳で絵は変わる。

2016-05-20 04:09:40 | 水彩画

囲碁でも、将棋でも、人工頭脳が人間を勝った。ゲームに置いてはコンピューターに人間は勝てないことが証明されつつある。遠からず、あらゆる分野で人間の頭脳を機械は上回ることであろう。コンピューターで政治が行われるようになったら、私の考える政治に近いのではないだろうか。コンピューターの意見を参考に政治を行う時代は近いことだろう。絵を描く事を考えれば、人間よりはるかに巧みに描くことは目に見えている。どれほどの材質感であれ、どれほどの堅牢度であれ、人間が及ぶものではない。再現性においては、モナリザと同じものを5枚作ってくださいという事が、可能な時代が近づいている。これは40年前から主張していたことだ。その時は多くの絵かき仲間に馬鹿にされ相手にもされなかったが。そのつもりで絵を描かなければならないと、主張してきた。そんなことはどうでもいいと機械で出来るような仕事をしている愚かさが商品絵画にはある。

機械が人間を超えるという現実から、人間が生きるという事がどういう事なのか、人間が絵を描くという意味はどういうことかを考える必要があった。そして私絵画というものにたどり着いた。絵画の社会性は失われた時代。商業絵画の側面から考えれば、絵画の骨董的価値や希少価値はなくなるという事である。福山雅治コーディネート絵画が登場する。モナリザが無限に存在しうる時代を想定して、自分が描くという事を考えれば、自分の個別性など社会の中では無意味である。絵を描くという行為の意味は自分にとってどういうものであるかだけが、意味として残る。出来上がった絵の存在よりも、描くという行為に絵画の意味が移行してゆく。移行しながら、絵を描くという行為はより深い、重要なものになるだろうと考える。社会においては全くの無意味な行為であるがゆえに、個人に置いては意味を持つはずだ。つまり、座禅である。無意味がゆえに価値がある。商業絵画の時代においては、私絵画の意味はより重要になると考えてきた。

骨董価値としてモナリザの1点である意味はあるだろうが、肉眼で判別できないものが、いくらでも作られるとなれば、絵画から得られる鑑賞の意味は、その本質が変わってゆくだろう。自分が生きている間にそうなるだろうと考えていたが、やはりそうだったと実感する。結果として、描くという行為の純化である。絵を描くことの意味は、商品を描くという事と峻別して、自分の為に描くという事が重要になってゆく。絵画は自分の為だけに描くという事に厳密化して考えてみる必要が出てきたのだ。自分が見ているという事がどいう事なのだろうか。座禅に置いては視覚は、半眼という。見えているが見ていない状態を意味する。目に映ってはいるが、意識として見てはいない状態。凝視するという事と対極の視覚の在り方である。絵を描くという事は、半眼と凝視の繰り返しである。夢と現とが行き交っている。自分の心の移ろいに従う。心が見たいと思えば見る。絵空事でありたければ、幻想に従う。こだわることを含めて、心に従うという事である。

絵を描いている充実という事である。田んぼをやる充実もある。しかし、それは食べることができるという、打算的充実である。絵を描くという事は自分の心のままに生きたという時間を持つだけの、無意味の充実である。この無意味の充実こそ、最高の充実である。ああ生きたと、生きて自分の仕事をしたという喜びがある。私は座禅に生きることが出来なかった、即物的人間である。無駄なことは出来ない普通の人間である。それが絵を描くという、現実の行為をしながら、その行為が全くの無駄であるという意識に至ることができた気がしている。無駄に生きることに耐えられるようになった。里山風景を描く。それを残しておきたいという現実の価値と、そんなものは何の意味もないだろうという、明らかな意識もある。そのないまぜの中で、ただ描くという他の時間にはない充実に至ることができた。

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舛添批判で抑えるべき点

2016-05-19 04:16:46 | Peace Cafe

舛添批判が公私混同の個人批判に陥り、政治の本質の問題から目がそらされないように願いたい。前知事の猪瀬献金も背後に想像された、政治の暗黒は未解明のまま終わった。確か舛添批判を始めたのは文芸春秋であった。この雑誌の調査報道はすごい。新聞やテレビにとってかわったようである。舛添氏は湯河原の別荘に公用車で毎週出かけていた。それほどのことには思え無かった。しかし、年5回の高額な海外出張が何故都知事に必要なのかはよくわからなかった。随行員が20名というから、完全な外交交渉団のような形である。東京都知事という立場で、どんな外交を展開し、どんな成果を上げたのかが気になった。友好親善程度のことなのか、何か別のことで知事が出かけて調査しなければならない課題があったのだろうか。それならその成果は都議会で審議されているのだろうか。都議会というものが何か有効に機能しているものなのかどうか。都議会の機能をこの機会に検討すべきなのだろう。

区議会との関係もあって、膨大な予算にもかかわらず形式的なものになっている可能性が高い。湯河原公用車の弁明会見の偉そうな態度が、面白映像になり大失敗をしでかした。文春の思惑どおりにことが炎上して進んだのだろう。第2弾、第3弾と雑誌としては準備した球が放たれた。舛添氏一人の問題ではなくなり、政治資金の私的流用が浮き上がってきた。政治家は政治資金をきちっと使っていないのではないかという、繰り返されるが解決しようとしない課題である。白紙の領収書で何でも済ますようだ。政治家に白紙の領収書にしといてねと言われれば、商売だから渡す人が多いいだろう。すでに政治家に自浄能力が失われているから、法律の改正が必要な状況だろう。政治家の飲食代は政治資金と言い張れる。正月の集まりに仲間と飲んでも、一応会議をしておけば問題ない。これは政治家だけでなく、役所でも、自治会組織でも似たようなご都合主義が行われている。そう硬いことばかり言っていると世の中暮らしにくくなるというような、空気を読めというような情けない世間である。

誰もがやっているのだから、騒ぎになった時をやり過ごせばいいという範囲になる。これが、日本の村社会の馴れ合い政治である。正月の豪勢な料理位おごらなければ、政治家はやって行けないという事があるのかもしれない。政治にはお金がかかるという事の背景になる。こういう話は誰もが突っ込めるので盛り上がる。当選しなければ始まらないという、常に選挙を背負っている。これが、東京オリンピックの2億2千万円のコンサルティング代に繋がっている。こっちは電通とからんだ完全な犯罪である。東京都がオリンピックを誘致するのに、なぜ、意味不明のコンサル会社に何億円も払わなければならないのか。一体こんな費用が審議され、了解されて払われたはずもない。わずかな飲食代の不正が、巨額な税金のでたらめな使い方に繋がる。賄賂と考える以外にない費用だ。2億円にふさわしい、コンサルから出されたデーターなり、書類などどこにもなかっただろう。

東京都前知事は5000万円を貰って黙らされていた。当然こういう人たちのやっていたオリンピック誘致である。怪しいお金が飛び交ったに違いない。電通と政治の関係を洗い出すべきだ。計画自体がどんぶり勘定で、誘致が決まってから予算が倍増した。そんなことは分かっていたと森元首相は平気で述べている。恥ずかしい国になってしまった。大企業が次々に不正を働き、富裕層は税金逃れにタックスヘブンだ。理想を持てない人間の、金銭だけに動かされている哀れな姿である。特に政治家にそういう人間が多いい。それは政治家には権力があり、権力志向の人間が政治家になるからだろう。政治家と言えば一般に偉そうなやつのことだ。権力欲の強い人間は拝金主義に陥りやすいものだ。自分を取り巻く人間を動かすためには、お金が一番だという事になるからだ。個人のお金の汚さが、税金の使い方がでたらめになるという事に繋がる。

 

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水彩画の自由な技術

2016-05-18 04:08:18 | 水彩画

水彩画はかなり技術的な要素が強い画法である。熟達しないと自分の望む表現をすることが難しい。画面の状態がどのようであっても、自分の進めたい方向にできる技術を持つ所まで、熟練しなければならない。技術は絵を描く手順ではなく、自由になるためのものだ。ルネッサンス期の油彩画であれば、下塗りから、仕上げのワックスまで、一貫した手法が求められた。しかし後期印象派のように、野外で制作するというような即時性を必要とされ、技法そのものが変化をする。現代の油彩画は伝統技法が壊されながら、出来上がったようなものである。そこで、塗装用の素材であったアクリル絵の具が登場し、臨機応変な描写に対応する絵の具が出来上がる。一方水彩画は、すでに古代文明時代に存在するような素朴な材料である。顔料をアラビアゴムで溶かして紙に描くだけである。この素朴な技法を自分の思いに従い自在に扱える必要がある。

私絵画における水彩技法は、いかなる前提も持たないという事が大切である。例えば空は最初に塗るというような、前提を捨てるところから始まる。描く手順とか、方法は捨ててしまわないと、自分の目で見ているという事に従うことが出来なくなる。常に新鮮に、目の前にある何者かに対して先入観を捨て、素朴に向かう。描写手順というようなものが、画面に現れればそれは自分の想念の広がりを妨げることになる。ただただ見ているものを描く。その見ているという自分の実相を探りながら描く。その為に必要なことは、あらゆる状況に対応できる柔軟な技法である。どんな状態の画面であれ、自分の見えたことに進路を向けることのできる技法である。こんな仕上げをするので、まずは下塗りとしてこの色を置くというようなことは、無意味である以上に害悪になる。描きたいと感じたものにまず向かう。なかなかとらえられない。方法を変え、手法を変え、何とかその見えているものをとらえるために、動いていく。変幻自在な水彩技法でなければならない。

水彩画が困難な手法であるのは、一度描いたものは取り返しがつかないという事になりがちだからである。だから、水彩画の技法は一般に人まねのできない巧みさのある手順で描き、神業のような表現を求めることになりがちだ。出来嗚呼刈りの画面という結果からくる逆算の技法に陥りがちである。こうすると決めて、手順を考え作業をしてゆく。迷いとか、混乱は、問題を生むことになる。技術のない内は、分からないけれどやってみるという事では、良い結果を得られないのだ。その為に、結論を先に出すことになる。ところがこれが絵をやせたものにしてしまい、心の広がりや揺らぎから遠ざかる絵にしてしまう。人間の心は留まることはない。見えていることも変化を続けるし、見えていなかったことに気づくことの方が多いいものだ。人間が考えるという事はそういう事だと思う。数学の問題を解くときには、答えは分からないが、探る方法を身に着けていて、様々な角度から答えに向う。そして、試行錯誤の結果答えが突然降りてくる。絵はさらなる難問である。

何かこの先にあるという事に気づいたら、そこに向って探求を開始する。この探求の仕方がその人なのだ。探求である以上自由で、枠がない、あらゆるところに行けるものでなければならない。探求の方法は、無限に身に着けていなければならない。そしてその自分の方法もいつでも超えて探らなければならない。私絵画では答えなど分からないのだから、画面から次に進むための自由で多様な変化を可能にする技術を持っていなければならない。抜けるような空を描く方法が一つではだめだ。何度でも変わりながら、戻りながら、いつでもどんな空を可能にする水彩の技法である。ここが難しい。何度も塗り返し、洗いなおせばある種の調子に落ち込む。これを全く新鮮な紙に描いたように戻せる技術がなければ、水彩画は自由にならない。しかし、その技術を身に着けた時には、自分の心の反応に従い、画面は動いてゆくことが可能になる。水彩は心を一番反映しやすい、やはり素朴な材料であるからだろう。

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稲の苗播種23日目

2016-05-17 04:03:24 | 稲作

苗床の全体。22日にすべてビニールを取り払った。23日早朝5時の写真。

苗はおおむね3葉期になった。播種から3週と2日である。生育は例年通りである。すんなりとした生育で全体として悪くないと思われる。今年は色むらがないのが、特徴だと思う。水は最初の2週は水やり程度。徐々に増やしてきて、現在ほぼ苗箱が見えないくらいの水位にしてある。

直播

苗箱

セルトレー

3種類苗作りを試みている。サトジマンで3分の1づつ作っている。この後田植えまでの作業効率を観察しながら進める。苗の様子は、わずか、セルトレーが勝り、次が苗箱で、直播がやや遅れている。この後直播が追い越すのではないかと想像しているが、どうだろうか。田植えのやりやすさでは、当然セルトレーであるが、参加者がだいぶ慣れてきているので、直播苗でも問題無いようにも考えている。昨年はこの後葉先が枯れこんでくるところもあったが、今のところはそういう兆候はない。後の2週間は自根の力強さで苗がしっかりしてくるかどうかの変化が出る。特に苗箱の場合、根が苗床に伸びて行けるかどうかで、生育に変化が出る。根が苗箱の中を廻るだけでは十分な5葉期までの生育は出来ない。

手前は新永塚田んぼの苗であるが、例年3葉期までは一番生育が良い。品種がキヌヒカリという事もあるかと考えている。昨年はこの後生育が悪くなった。苗箱ですべてを蒔いていて、苗箱の底穴の数が少ないために、苗床に根が伸びないからではないかと考えている。一番奥にある横向きの列が、舟原田んぼの予備の苗なのだが、この苗は1週早く蒔いた。少し黄ばみ始めた感がある。根が苗箱から突き抜けないでいるのではなかろうか。

手前が新永塚のキヌヒカリの列だが、苗は一番立派である。

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