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甘利氏の役割

2016-01-31 06:28:43 | Peace Cafe

フジテレビのニュースの見出しには驚いた。「甘利氏涙の退任のあいさつ」である。「やせ我慢の美学」という見出しもある。もう日本の報道はだめなのかもしれない。甘利氏こそ疑惑の総合商社である。具体的なことは何も知らないが、献金している業界を見ると、この人が主にやってきたのは、口利きであろうと考えざる得ない。この人に献金をしている様々な業界がある。企業献金は見返りがあるからするのだ。安倍氏がこの甘利氏を重用してきたという事に何かしらの意図を感じる。そして大臣を辞任した甘利氏をまるで持ち上げようというのが自民党の対応である。これから、UR機構の口利きの実態が追及されるというのに、自民党も勘が鈍っている。都市再生機構では、12回甘利氏の秘書と面談し、というか接待をして、2億数千万円を甘利氏に献金した建設会社に払っている。誰がどうごまかそうが、実態は大臣という職を利用した口利き業務である。甘利氏がここでやり玉に挙がった理由は安倍氏への注意信号というか脅しである。

誰かが安倍氏に勝手なことをするなと、脅しているのだ。いつでも公開できる脅しの材料を準備しているのだ。このタイミングで出てきた理由は安倍氏の行動にあると考えるのが普通であろう。一番はロシアへの接近だと思われる。安倍氏にしてみれば、北方4島の返還をこの機会に実現し、国民の支持を取り付け、憲法改定に向うという筋書きであろう。ところが安倍氏がこの機会ととらえた、ロシアの経済的苦境はアメリカとEU諸国の経済制裁を原因としている。日本がそれを利用して漁夫の利を得るというのは許されないという事だろう。それがプーチン氏の訪日中止であった。経済で追い詰められたロシアではプーチン人気が沸騰している。強気のところが評価されているようだから、とても4島の返還にはならないはずだ。来日を前にしたラブロフ外相は日本は戦争に負けたという事実を認めるところから始めなければならないなどと発言している。強気発言の背景にある物こそ苦しい経済事情と思われる。足元を見るなという事だろう。

北方4島などロシアに上げればいいと思っている。領土というものは大したものではない。領土が日本の主権だとは思わない。日本が日本であるのは、日本人が日本人であるという事だ。日本語をしゃべり、日本の里地里山で育まれた手入れの思想の集団である。その肝心な日本人の方が危うくなりかかっている。日本人の心を失い拝金主義者の増加である。甘利氏はまさに拝金主義者の代表の様な人物と考えていた。そこが口利き屋として重宝されているのだ。ここまで甘利氏を悪く言わざる得ないのは、報道も、自民党も、甘利氏を秘書の犠牲になった清廉潔白な人物に仕立て上げようとしているからだ。もう一つはTPP交渉の汚さである。今でも安倍氏は農家のためになるかのようなバカな発言をしている。これはまさにアメリカと、日本出身の世界企業のための条約である。

甘利氏は日本経済の指揮をとってきたと自負していると涙の退任の挨拶をしたそうだ。その涙は、飛ばい3本の矢をいかにも飛ぶように発言したことに向けるべきだ。3本の矢は飛ばないまま新3本の矢である。どうしても、日本の産業構造の転換ができないのだ。新しい分野を切り開くような産業が登場できないのだ。この指揮を取るべき存在ではなかったのか。もちろん簡単にできるようなことではないし、たぶん無理なことなのだろう。甘利氏の能力不足で出来なかったとも思わない。世界経済の中で先進国となった日本が、経済をどうできるのかである。特別の資源がある訳でもない。普通に行く以外ないのだと覚悟をしている。高度成長期の途上国時代とは違うのは当然である。アベノミックスという幻影経済の踊り手に過ぎなかったのだ。

 

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野々村元県議の裁判

2016-01-30 04:02:58 | Peace Cafe

野々村元県議の行動を見ていると、まさかと思うような人が県会議員だったことがわかる。まさかの人だからすべてが演技という事もありうる。同時にそうみんなで演出しているきらいもある。このことから考えるべきことは、県議会の廃止である。県議会はそうとうに無駄なものだ。実質のない無駄なものだから、こうもおかしな人が議員になる。国会と市町村議会があれば十分である。県議会は市町村議員の中から兼任する人を出せば、十分に用が足りる。県議会が何をやっているのかは全く見えてこない。見えてこないくらいだから、政務調査費がでたらめに使われていたとしても、気づきにくい。野々村元県議のでたらめは氷山の一角だという事が、あの号泣会見の後散々に言われた。しかし見事に、一人のこととして終わった。ホット胸をなで下ろしている県議が全国にいることだろう。もちろん国会議員でも、市町村議員でも怪しい人はいるだろうが、県議は特にでたらめの温床になる。なぜ、報道はさっさと切り上げたのか。

今回の裁判で県議会の不透明性を蒸し返す報道は一つもない。裁判中の事件にコメントする訳にはいかないなどと解説してくれる間抜けな人までいて、報道の頓珍漢はひどいものだ。政治家の犯罪については、裁判中であろうがなかろうが、とことん追求しなければならない。それは有権者の代表としての存在だからである。普通の犯罪者とは違うのだ。報道がレベル低下しているならまだいいが、圧力を感じて沈静化を図っているとしている節が強い。そう思った方が良いのかもしれない最近の空気である。静かな独裁というものが、報道の行う配慮から始まる。広告主への配慮。権力への配慮。野々村議員個人の問題で終わらせようという意図が潜んでいる。黙っているという事はそういうことと考えなければならない。報道はこの機会を利用して、地方議会の実情を明らかにすべきだ。何をやっているのかを分かりやすく説明すべきだ。八重山毎日新聞の地方議会報告は徹底している。しかし、県議会については今一つである。何しろ小田原地域での県の方針は「未病を治す」だそうだ。私には訳が分からない。

解決策は実に簡単で、はっきりしている。議員に日誌をつけさせて、それをインターネットで公表することだ。有権者は給与を出しているのだから、それを要求する権利がある。温泉に行って地域活性化の検討をしたというのであれば、そう書けばいい。日誌に書かれた活動を見て、有権者は投票する。小田原でもある市会議員は日誌を公開している。長く市会議員をしている人だ。ときどき読む。相変わらずだななどと思っているが、公開しない人よりよほどましだと思っている。議員が姿の見えにくい得体のしれない存在になってはならない。議員の公開日誌は、各議会運営委員会が管理をして、その責任で共通様式で公表すればいい。自分の議員としての仕事を公開したくない人は、議員にならなければいいのだ。議員は公務員であり、有権者の代表として、代理として議員になっているのだから、その程度のことは当然行うべきだ。それをしたくないという議員たちは、今いる立場の曖昧さの中でぬくぬくしていたいと思われても仕方がない。

インターネットが出来て、民主主義は本物になる事が可能になった。原点である直接民主主義というものに近づく可能性がある。ところが、そうした手段が出来た故に、独裁的傾向を静かに権力者は進行させている。情報の山の中に権力者は姿を隠している。そして、木偶人形だけが表舞台で演技をさせられている。議員の日誌など誰も読みたくはないだろう。しかし、チェック機能としては優れていると思う。ごまかしや嘘が付きにくくなる。甘利氏の献金疑惑でも、もし甘利氏の日誌があればすぐに調査ができ、疑惑が晴れることにも犯罪になることも、かなり見えてくる。要するにドライブレコーダーである。事故が起きた時に役立つのだ。

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看板を作る。

2016-01-29 04:16:17 | 自給

アクリル絵の具で描いた。アクリルの筆である。実に描きにくいのだが、描きにくいところが良いと思いながら描いた。

看板を上げるのは大切だと思っている。自分がやっていることをご近所にも表明することになる。越して来て作った看板が良く見えなくなったので、新たに作り直した。森林組合をやられていた、石綿さんのお父さんから頂いたものだ。石綿さんのお父さんも家具などをいろいろに工作することが好きな方だった。ときどき伺ったときにベンチの作ったものを見せてもらったりした。あるとき板を何枚か石綿さんが持ってきてくれて、何か作って見たらと言われた。その木を組み合わせて本棚を作り今でも使っている。その余りの木があったのだ。今回看板にした。看板にどうかというのは石綿さんのお父さんの意見だった。10年も経ってやっと実現できたことになる。左に三角を2つ重ねた印があるが、これが私のサインである。出という文字である。絵に入れるのにこの字を使っている。看板にサインもおかしいが、空いていたのでつい入れてしまった。

これが私の家の入口である。坂の上でとても分かりにくい家なのだ。通りから外れていて、上の行き止まりの家だから、いろいろ安心の家である。わずかだが海まで見えるのだ。下を赤く塗った所が目印である。訪ねてくれる人に入り口のコンクリートが赤く塗ってある家だと説明している。のぼる道幅は3メートルである。

間知石が積まれている。こうしてみるとコンクリートブロックよりは風情がある。今こういう自然石はなくなっているだろう。前の通りは左奥に見えているのが、箱根の明星山である。この前の路はバス通りで、150メートル手前にバス停の舟原日向がある。30分に一本あるから、それなりに便利だ。現在舟原の集落は90軒ほどの家がある。環境が良く、山からの湧き水がある。田んぼも畑も十分にあり、農家には暮らしやすいところである。そのせいか、越してきたころは60数軒と言われていたが、毎年2軒は増え続けたという事になる。人口増加地区である。

看板の木はブナと聞いていた。何しろ硬い。ケヤキなどより硬い。貰った頃は木が捻じれて困った。それでも今では本棚はいい風合いである。どんな樹木でも木というものが好きだ。これが金属とか、石とかの看板ではいい気持がしない。そういえば、中学生の時に大理石に父が字を書いてそれを彫ったことがある。それは1メートルはある大理石で、作りごたえはあったがどんなものだったかも忘れた。しかし、長らくそれが松陰神社の家の表札であった。あしがら農の会と入れてあるのは、事務所所在地になっているからである。時々手紙が来るからだ。水彩人の事務所もやっているので入れてもいいのだが、あと1年なのでそれは止めた。こうやって看板を出すと、早速、明細地図に看板名を入れてくれる。看板は地域全体のの目印になるという事なのだろう。

 前回の看板は大雄山の杉板だった。10年くらいしか持たなかった。この看板は最初墨で描いてなかなか良かったのだが、一晩の雨で字が流れてしまった。それでアクリルで描きなおした。今回もそうだが、アクリルではあまり良い字にはならない。その余り良い字でないところが良いと思っている。看板が良い字では嫌らしいと思っている。気取った字の看板というのもあるが、あまり好みではない。看板の中に大きな節穴があった。今回は二股である。節穴やら、二股で、どうやら自分のことのようである。しかしこの上下に分かれた形が絶妙だと思っている。このままでは腐ってしまいそうなので、昨夜ニスを買ってきて一度スプレーをした。まだ雨が降ってきていないので、この後でもう一度できればと思っている。あと10年くらいは看板の役をしてくれればと思う。

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木板を作る

2016-01-28 04:14:54 | 楽器

玄関に掛けた木板 タングドラム3号 お寺の玄関には長方形の木版という鳴らし物がある。そこには脚下照顧と書かれている。何処に立っているか考えてみなさいという事なのだろう。ケヤキの板の絵馬の形をしていて50センチくらいある。厚さは5センチくらいあるだろうか。行脚のものがお寺に来たぞという覚悟を鳴らすわけだ。

円形の大きなケヤキで5センチほどの厚さ、65センチの直径である。まとめて購入したものの中にあったものである。購入というより、材木屋さんで廃棄する山を買ったものだ。20年ほど前のことだ。たぶん大きなお盆を作ろうとして、割れが入って止めた物の様な気がする。良く乾いていなければ、良い音はしない。ケヤキだからこのくらいの太さの木は珍しいという事ではない。手に入れた時にすでに20年は経っていると言っていたので、現在切られてから40年以上経っている。2枚あって一枚は丸テーブルにしている。役に立っているわけではないので、もう一枚作ってもいい。タングドラムではかなり大きい方のものではないだろうか。大きい木の場合音がどのように違うのか興味があって作てみた。そしてどうせなら、脚下照顧と書いて玄関にかけて置こうという事になった。丸い穴が4つあるが、下の3つの穴は音の調整の穴である。木の裏側は削り込んで音を調整してある。

 

板の厚さが右に行って薄くなる木板 タングドラム4号

片流れに薄くなっている杢のある板である。左の厚いところが20ミリで、右の薄い方が5ミリほどである。磨くとなかなか見事な杢になるが、この場合どうだろうか。今のところそのままにしてある。箱を下につけるのもあるが、このまま板として吊るすようにするのもいい。持つ位置でずいぶん違う音色になる。ボックスにした場合、音がどう変わるのかはまだよく分かっていない。

杢の有る栓?板で作った木版 タングドラム5号

この板は杢と上部の形が面白い。上部の変わった縁や穴を生かして、ベロの形を作った。これは四角い箱にした。ただ板が柔いからどの程度の音になるのか。先日味噌づくりの時に持って行ったら、音が山に木霊して心地よかった。木魚のような柔らかいボコッというような音の良さもあるのだから、調整次第だろう。下にボックスをつけてみたら、音の響きが複雑化して、なかなかのものができた。上部の穴の所から音が反響しながら出てくるので、音の中に違う音が含まれるようになった。これは特に低い音の場合効果的なようだ。

曲げのある香炉台による木板 タングドラム6号

これは紫檀というふれこみの香炉台である。紫檀という樹木は硬いはずだが、この紫檀はそう硬くはない。紫檀でなかったのかもしれない。しかし紫檀はかなり幅のある樹木らしいので、違うとまでは言えない。これは斜めに竪琴のように膝にのせて構えると、案外いい形で敲くことができる。音の響く角度があるので、上手く支える。

打面の木板はパドック、箱はケヤキのタングドラム7号 私なりの完成形である。周辺のケヤキは25ミリもあるので全体が重すぎる。あるので使ったのだが、次はもう少し薄い板にしたい。合板でも箱はいいのではないかと考えている。

実はこのように木板にはまっているのは、中学生が勉強を始める前に机の整理を下のと同じだ。絵を描くには少し準備体操が必要だ。絵はどうしても描きたいときに描く。水彩画を描くにはよほどのことだと思っている。木という素材を使った絵を描くような気分もある。気持ちがどこか楽だ。学生のころ一緒に絵を描いていた坪田さんはベン・ニコルソンにはまっていた。ポロックとニコルソンを併せたような、面白い抽象を描いていた。デザインセンスが良くて、一緒にポスターの仕事をしたときも、デザインは坪田さんで私が色の担当だった。作品の共同制作をしたこともあった。2メートル四方もある大作だった。共同制作というものを試してみたのだ。この部屋にも、色見本を作った時のものが、飾ってある。下地の白と透明色の関係をピースにしている。なぜかあの頃の形が、板に作る舌の形に表れてくる。今度パドックの大きな板を手に入れたので、今いろいろアイデアを練っているところだ。

 

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日本出身力士の優勝

2016-01-27 04:16:47 | Peace Cafe

日本出身力士の10年ぶりの優勝。なんとも耳障りの悪い言葉だ。日本出身力士という言い回しは、配慮があるようで気分が悪い響きだ。日本人力士の優勝でかまわないではないか。帰化した相撲取りへの配慮なのだろうか。つまり大島親方の優勝がある。旭天鵬である。抗議でもあったのか。なんか理屈っぽくないか。旭天鵬は大島親方の養子になって日本人になった。モンゴル出身親方と呼べというのだろうか。正確性はあっても、意味不明な言葉だ。外国人力士が日本の国技と自称する相撲を圧倒している。そうなるのが当たり前のことだ。琴奨菊の優勝はなかなか見事なものであった。琴奨菊の相撲は、立ち合いから一気のがぶり寄りである。こうした相撲は何かではまると強い。立ち合いがすべての相撲である。先場所までの琴奨菊は立ち合いに常に迷いがあった。その迷いは一歩でも相手より良い立ち合いをしようという、有利を求める迷いであった。そのために相手はわざと立ち合いで待ったなどして迷わせてくる。仕掛けられ集中を切らしていた。

この正月場所では、立ち合いの見切りが良かった。相手かまわず自分の立ち合いを貫いていた。今場所は相手を自分の立ち合いの呼吸に入れて仕舞う、強い気迫があった。それは国技館に詰めかけたお客さんの気合も呼応していた。とても、ずるい駆け引きの立ち合いをする雰囲気ではなかった。良い例が最大の山場であった白鵬戦。すでに2人の横綱を破り、全勝の白鵬に勝てば、優勝がいよいよ見えてくる生涯一度の大相撲である。白鵬は立ち合い張り手に来た。最近の白鵬らしい弱さの表れたところだ。これが災いする。張り手は失敗するとその分前に出る力は弱まる。張り手に驚くかどうかが分かれ目である。ものともせず一気に押し込んでいった。白鵬にはすでに限界が来ていた。それは横綱が猫だましに行った先場所の栃煌山戦の時に書いた。もう張り手くらいしか方法がなかったのだ。その後は先場所同様に連敗したではないか。

今場所の白鵬は初日から飛ばした。強かったころの白鵬は、上位戦になるまで力を入れずに中日までは調整をしている。それでも負けることはまずなかった。そのくらい力の差があったのだ。立ち遅れが後の先となるくらいの力量の差状態。今場所はその余裕がなかった。どんな相手にも全力で相撲を取ったのでびっくりした。双葉山が目標どころではない。むき出しの闘争心が前半戦から目立った。それをテレビ解説などでは、強い強いと持ち上げていた。見方が甘過ぎる。どこか不安があるから、初めから力を入れている。琴奨菊に敗れた後、がたがたと敗れていった。前半の飛ばし過ぎは不安の裏返しだ。どこか故障が出たのかもしれない。白鵬はまだ31歳と若い。自分を取り戻して、もう一度自分を作り直すくらいのことがやれれば、また復活があるだろう。桁外れの資質の力士である。勝ちにこだわるのでなく、勝負を超えた見事な力士になってもらいたいものだ。

しかし、35回も優勝し、すべての記録を塗り替えるところまで上り詰めた力士が、自己再生をできるともおもえない。成功体験から抜けられないものだ。もしそれができるとすれば、まさに木鶏となれる。その時には相撲というものを超える存在になるのだろう。角聖と呼ばれてもいい。来場所は琴奨菊が横綱挑戦になる。ここでもまた日本出身力士の横綱挑戦と引っかかる言い方をするのだろうか。もう生きている内には日本人横綱は見れないのではないかと、北の富士さんがちらっと口にしたことがある。私もそんな気がしている。それでも相撲は人気を回復した。国際化の先例である。相撲の行き先は案外に、日本の行く先を表しているのかもしれない。日本農業の企業的成功事例がタイ人経営者であったりする時代が来るのかもしれない。抵抗があるのは最初だけで、今となってはモンゴル出身力士の相撲を楽しめるかである。

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宜野湾市長選挙結果

2016-01-26 04:08:21 | Peace Cafe

宜野湾市では辺野古移設反対の候補が敗れた。沖縄の悩みは深い。この結果は驚くに当たらない。公明党が自民党が支持した現職候補を推した結果である。公明党が自由投票にすれば、結果は違ったと思う。そのことは、最近の沖縄の選挙すべてに言えることだ。こんなことで、日本の政治はどうなるのだろうか。公明党次第ですべてが動くという事になる。今そのことを自民党は参議院選挙を前にして、公明党の存在の大きさを身に染みているだろう。甘利大臣はだから大臣を止める。沖縄公明党は辺野古移設反対を表明している矛盾。普天間基地に出て行ってもらいたいという、宜野湾市の市民の声には重いものがある。公明党がどうしても自民党に依存しておかなければならない宗教的野心。公明党の本音と、安倍氏の本音。鵺から指示ではない傀儡ではない生身の安倍氏が垣間見える。たぶん、既得権益集団と官僚の結束したものと安倍氏の対立は始まっている。

安倍政権はわずかずつ本音が、きしみながら出始めている。そこにぶつけられたのが甘利大臣の賄賂疑惑。公明党ではっきりしている唯一のことは賄賂には厳しい政党である。ここまでの安倍政権は従来の自民党政権の中でもアメリカ追随外交だけだ。それは軍国主義的傾向の思想がどうしても陥る矛盾に見えていた。国粋主義的傾向であるにもかかわらず、日本独自の軍事力では安心ができない、アメリカの軍事力の配下になってしまう矛盾だ。そのために、肝心なところでは日本独自の外交政策というものは取ることができない。常にアメリカの利害を伺いながら、その範疇での日本外交となる。TPPはその結果である。現状では中国という、アメリカと対抗するという新勢力に対して、より強硬な姿勢を見せることでアメリカの歓心を買うというみじめな外交である。日本に独自の方向があるとすれば、本来東アジアにおける、共同体の成立である。日本が中心にならない、大東亜共栄圏である。東アジアのすべての国が平等の立場で、国という枠を超える連合体を作る。EUのような共通の経済圏を構築することだろう。

安倍政権の独自性がどこを向いているのかである。安倍政権と言っても今までのところ、日本の官僚を代表とする既得権集団の傀儡政権であった。ところが安倍政権はその傀儡からの離脱を計り始めているのではないかという事だ。民主党政権が官僚と合同した既得権益集団に、滅ぼされたのと同様に、これから、安倍が独自路線を打ち出せば、内部対立は深まるはずだ。日本の外交がいくつかに分裂しているところにそのことが現れ始めた様子がうかがえる。まず、経済危機に陥っているロシアへの接近はアメリカの利益と矛盾。何故、日本の軍事技術や、原子力技術を外国に供与始めたかである。オーストラリアに潜水艦技術を提供し、インド、イギリスに原子力技術を提供する。そしてそれと逆行するように、捕鯨の再開でオーストラリアとの対立。アメリカが喜ばないようなことが目立たないように始まっている。安倍政権が第二の田名角栄になって、アメリカと官僚に引きずり降ろされることもありうる。そうならないように、アメリカの歓心をさらに買うために辺野古移設は強行するだろう。そして沖縄の基地負担は軽減できない。

世界の協調はたやすいことではない。EUもテロと経済バランスの崩壊という危ういところまで来ている。しかし、大きな方角としては目指すべき世界は、経済共同体である。ところが、アメリカの軍事力の下にある日本としては、アメリカの思惑を超えて中国に近づくことは出来ない。安倍政権はむしろ、アメリカの先兵として姿勢を深め、中国との対立の方針のようだ。それと同時に、アセアンやインド豪州と共同体の構想をTPPの背景で持とうとしているのではないか。アメリカはそう簡単な国ではない。どこの国もなかなかしたたかなものだ。日本に先兵の役割を振りながら、実はアメリカ方式で日本の頭越しに、中国との関係構築を図る可能性も出てきている。今後外交で起こることでみておくべきことは、安倍政権で起こる政策矛盾である。安倍氏が傀儡から、鵺から脱して、自分の主張を出し始めた時に起こることだ。そうした暗闘に憲法改定問題も巻き込まれてゆくのではないだろうか。

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味噌づくり

2016-01-25 04:37:26 | 自給

夜が明けてきた。味噌づくりを毎年やっている、大井町の小宮農園。手前の白いお化けのようなものは、小林さんという方の大理石彫刻。形が抽象化されて面白い。

今年もよい味噌づくりが出来た。いつも気持ちの良い味噌づくりができる。こんな暮らしができるという事が、幸福というものだと思う。毎年良い味噌づくりが出来るということは、幸運が折り重なっているのだと思う。毎年同じようでいて、やはり一期一会である。今年も初めての人が、5,6人はいた。今年はカナダからの留学生の方が、3人見学に見えた。吉野さんの紹介である。吉野さんはもう10年以上前から農の会のことに関心を持ってくれている、研究者の方なのだ。先日やはり生徒さんと一緒に、農の会の最近の状況を聞き取りに見えた。その時、農の会のことが一番よく分かるのは、活動に参加してみることだと話した。言葉で一面を切り取っても、それはある視点からの断面であって、どんな形で農の会が成立しているかはわかりにくいと思うと話した。今回、その時の一人の方が、友人と3人で見えた。農の会の成立の理由をとても不思議がっていたので、今回少しわかってもらえたのではないかと思っている。

前日に100キロの大豆を仕込み、早朝大釜に、火を入れる。

17日に麹を仕込んだ。10人ほどの方と持ち寄った麹の出来を比較した。今年はみんながとても出来が良かった。特に、山田錦を使った麹は確かに良い。特に驚いたのは、太田さんが山田錦麹で、甘酒を作ってきてくれたのだが。こんなに濃厚な甘酒は初めてだった。あの有名な箱根の甘酒茶屋の甘酒より甘かった。年々、麹の仕込みの腕が上がっている感じだ。急に冷え込んできた天候と前日の雨という、絶好の気象条件もあるのかもしれない。きっと良い味噌が出来ることだろう。お米は良く水に浸す。良く水を切る。高温で十分に蒸す。種付けは十分力を入れて揉み込む。そして米袋方式である。あとは温度管理。発酵の腕が上がるという事が、自給生活の基本である。味噌豆は10時ころには柔らかく煮えていた。味噌豆の煮方もずいぶん上手になったものだ。大釜で焦げ付かせず、しかも煮上がりでほとんど水は残っていない。大豆をざるで水を切りながら配布する。これが大騒ぎであった。ほぼ12時30分には、味噌の仕込みが終わった。

今年は借りた、イギリス製という手動のハンドミキサーで豆をつぶさせてもらった。いつもは足で踏んでいるのだが、ミキサーでやっている人がいたので試しにやらせてもらった。上手くできるようなら、電動のミンチの機械があるので、それを使うのもいいかと思う。確かにすべすべのマロングラッセのようだが、豆の形がある程度残っているのが好みなので、出来上がりどうだろうか。分かるのは2年後である。毎年天候には恵まれているのだが、今年も晴れ上がった。大島はもちろん、式根島、利島まで見えた。富士山はすっかりと雪をかぶり天空にそびえる。相変らず威厳がある。富士山に見守られているというのは、少し怖い気がする。

こうした味噌づくりは、子供の頃は村々で当たり前に行われていたことだ。味噌を食べなくなったという事もあるだろう。食そのものが変わってしまった。暮らしが変わり、食べ物は購入するものになった。その大きな流れを変えることは出来ないだろうが、食の自給に興味を持つ人が集まり、協力して自給の技術を引き継いで行くこと。ますます大切なことになってきた気がする。自給の背景にある暮らしの意味の確認。次の世代の人が興味を持って続けられる形を見つける必要がある。農の会でやっている味噌づくりにある「幸せの空気感」にこそ継続のヒントがあると思っている。やれる人が、普通に、無理なく力を貸す形なのだと思う。それは人の為というようなものではなく、それぞれが楽しい場所を見つけて、力を寄せ合う事なのだと思う。赤ちゃんが泣いていることも、味噌づくりの役割があるというようなことは、言葉では伝わらないが。ことしはタングドラムを持って行った。幸せの音が鳴り響いて気分が良かった。

 

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産廃業者の闇

2016-01-24 04:36:26 | Peace Cafe

大手のカレーチェーン店の廃棄カツがスーパーに並んだ。冷凍ビーフカツである。食べた人によるとあまりおいしくなかったそうだ。中国の食品偽装で一時大騒ぎをしたが、日本の国内にも似たような状況があるという事だ。当たり前のことだ。儲けたい一心の人間は世界中どこにでもいる。拝金主義者社会が広がった以上、食品の安全を企業の倫理に期待することなど出来るわけもない。安いものを求める消費者が悪いと思わず口にした、牛肉ミンチ偽装の社長の弁明を思い出す。ではそれを取り締まるシステムがあるかと言えば、警察がいても犯罪が起こるのと一緒で、盗人の種は尽きない。食べる人間の方で、危ない食品を避ける知恵がなければならないという事になる。ミンチはまずいというのはかなり一般的になったが、揚げ物も注意が必要という事だろう。出来合いの食品を購入するのは便利ではある。私もやらないわけではない。しかし、買うときに注意をし、覚悟をしておく必要はある。

今回の事件は産廃業者の闇である。大手の食品会社が様々な理由で、食品の廃棄を産廃業者に依頼している。異物の混入もあれば、賞味期限切れもあるだろう。こういうことが起こるから、畜産業者の収集が出来なくなった。食品の流通や製造においては、10%くらいの食品廃棄物が出るのは想定内のことだ。この食品廃棄物の産廃の量が、畜産飼料の輸入量と同じと言われている。ところが、畜産分野に直接は回らないような仕組みになっている。神奈川県でもいくつかの産廃畜産飼料会社が出来た。見学にも何社か行った。その後ネットで調べたりしているが、上手く回っているところはないようだ。所がうまく人間の飼料としてうまく回していたところが現れたわけだ。氷山の一角と考えた方が良い。食品残渣の出る工場の流れで、豚が飼われているのならいいが、岩手の養豚場に関東の食品工場から運ぶのでは、コスト的に無理がある。

中にはすぐ食べれるものがいくらでも産廃になる。有る畜産業者が、これを食べたら終わりだと思って我慢した。と話していたことを思い出す。つまり食べれそうでも、何かの理由で廃棄される食品が山のようにあるのだ。これを扱う産廃業者が横流しを考えるのは、至極当然ではないか。賞味期限が切れていても、食べれないわけではない。販売してはいけないだけのことだ。異物混入と言っても、時と場合だろう。例えばお弁当の食材に回してしまえないか等と考えないとは言えない。明日期限切れだから、今日の弁当の材料にしようというのは普通だろう。そのうち、魔がさして、昨日の期限切れだけどいいだろうと考えないとは言えない。この発想で産廃業者が、転売をする。つまりロンダリングだ。洗浄業者が介在する。食品ブローカーである。産廃業者から何とかなる食品を集める業者である。産廃業者ダイコーからブローカーみのりフーズへ。みのりフーズから、弁当屋に並ぶまでまで、他のブローカーが介在したようだ。

揚げ物とミンチの外食は要注意である。弁当の定番であるが、どうしても弁当を食べなければならないときは、おにぎりなどはいい。選択眼である。中国に一緒に行った食品関係の人が、ホテルの食事でも肉は食べないと言われていたが、そういうことだと思う。状況を知っていると怖くなる。どのみち消費者という化け物はすぐ忘れて、何でも飲み込んでしまう。だから、こういう事件は必ずまた繰り返される。倫理の失われた社会の拝金主義。大企業でも社長が拝金主義に走ってしまえば、同じことである。自給で暮らしていたら、賞味期限どころではない。自分で腐っているかどうか確認して食べるほかない。冷蔵庫のない時代では当たり前のことだった。一家の責任者のお母さんが悪くなっていないかどうかの判断を下していた。少し悪くなっているから、自分で食べてしまうという事さえあった。食品の安全は自己責任である。

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人口減少の功罪

2016-01-23 04:20:29 | Peace Cafe

千葉の方のどこかの市長が成人式の挨拶に、出産適齢期があるので、参加者に対して早く子供を産んでほしいと発言した。終わってからの記者の質問に対して、人口減少は悪いことなのだから市長として当然の発言と、平然と答えていた。なぜ、人口減少が悪いことと決めつけるのかが私にはわからない。人口減少は世界の人類にとって良いことである。地球という星にとっては希望である。このまま人口が増えれば地球は崩壊する。温暖化だって世界人口が半減すれば治まることだろう。人口減少を困ったこととする大前提は、当面の老齢化社会からくる、自分自身の心配から来ている。日本の人口は縄文時代以来増え続けてきた。初めて減少傾向が見え始めた、望ましい傾向である。何故減少を始めたかと言えば、人類という生命の危機意識ではないだろうか。人口が増えすぎることで種としての危機意識が、無意識にそういう傾向を見せ始めたという事で、まだ人類が健全な生物であるという証拠ではないだろうか。

世間一般に常識のように言われ始めた、人口減少への転換を日本人の危機のように主張する理由は、経済の問題だ。まさに拝金主義のなせる業である。労働人口が減少すれば、日本経済が世界との競争に敗北するという不安だ。労働人口の減少が問題化する理由は、労働力依存型産業に日本の産業がいつまでもいるからである。これからの工業先進国の産業の方向は、知的付加価値で勝負する方向である。いまだかつてない魅力的な、効率的な、永続性のある生産物を開発するところに未来が開ける。またそれが先進国の役割であるはずだ。日本の産業の形を変えて行くことが実現すれば、むしろ労働人口の減少は望ましい傾向を見せるはずだ。それがアベノミクスで放たれたはずの矢だ。何故それを望ましいと出来なかと言えば、現状に対して保守的だからである。成功体験から抜けなれないからである。それで原発から抜けられない。日本の農業に国際競争力のある分野が生まれるとすれば、労働力に依存しない農業に違いないだろう。

人口減少による地方消滅の問題は、人口の都市集中の問題である。地方社会の暮らしが魅力的なものでないから、若年の特に女性が都市に移動してゆくのである。その魅力的というのは、消費文化の作られたイメージの影響が大きい。経済のためにそうした幻影を作り上げてきたのが戦後の日本の方向である。それはたぶん、世界中がそういう方向にあるのだから、人間欲望というものがそういう流れの中にある物なのかもしれない。その欲望を刺激して利益を上げようというのが資本主義社会であるから、当然の成り行きなのだろう。だから、大き流れとしてどうにもならないことなのかもしれない。その流れで商売をしたいとするものは、人口減少によって消費者が減少することを畏れているのだろう。消費者が減って経済が衰退するというのは、目先の見方である。日本という国土の適正人口を考えれば、まだまだ人口は過剰である。食糧自給可能なところまで、人口は下がればいいのである。

人口の偏りが問題という事になる。都市に集中する。山間部から出てゆく。一次産業地帯から、3次産業地域に移動する。現代文明が作り出した、快適な生活のイメージがそうした人口の流れを作り出している。仕事が都会にしかないという事もある。多分この先もその傾向は変わらないだろう。田中角栄氏は田舎にはキャバレーがないから若者が出てゆくといったが、この時も男性人口の移動を重視していたのだ。むしろ、田舎には原宿がないから若い女性が出てゆく、というのが現代的課題である。コマーシャルが作り出す文化の傾向では、そういう方角は変えられないだろう。とすると、中山間地の人口減少を幸いなものとして、新しい暮らしを模索することの方が、現実的である。人口が少なく、農地が放棄され、空き家がある。この条件は今後さらに広がってゆくだろう。小田原だって人口減少が始まっている。周辺地区では、かなり目立った減少が見えてきている。この状況を自給生活にどう生かすのかであろう。

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言葉と行動

2016-01-22 04:25:59 | 水彩画

連日篠窪に出かけて同じところを描いている。今日も出かけようかと思っている。絵を描くことは、行動のようであるし、観念の範囲のことであもるようだ。何か絵を描くことを行動にしたくて、いろいろやってきたような気がする。農作物を作ることは行動である。すべて自分の中のことなのだが、このブログを書いているのは行動なのだろうか。本を読んでいるのは行動なのだろうか。楽器を作るのは行動なのだろうか。はっきりと行動と呼べるようなことは少ない。人間が生きていることに直接かかわることは行動と言い切れるのだろう。何故そんなことを考えるようになったのかと言えば、絵を描くことは生きていることに直接かかわっているのかという点が気になる。行動という言葉は「あることを目的として、実際に何かをすること。」と説明してある。自給の農作業は自分の生命を維持するための食糧を得ることを目的にして、作物を育てる。実に行動の定義に当てはまる。

絵を描くということを、明確な行動にしたかったのだ。絵を描くことにかけてみようと思ったのは、中学生の時だ。もちろん絵を描くという事が好きなようだと思ったからなのだが、絵を描いてその絵が何かの役に立つ道を、ずーと考えてきた。自分が表現した絵が、人に対しての表現になるのかどうかに、悩み続けてきた。人に自分の考え、感じている世界を伝えることを目的にしているのか。ここで言う人はどこの誰のことだろう。うじうじと考え続けた結果、絵が自分という人間の自問自答であるという事は確かだ。彫刻を制作するという事は、同じくわかりにくいが、家具や楽器を作るという事はわかりやすい。使いやすい机を作る。良い音のする太鼓を作る。職人的な仕事は、目的がはっきりしているから、その作業は行動と割り切れるところがある。ただ目的があることで、純粋な芸術感がしない。しかし、その家具が使えないものである。座れない椅子という立体作品を見たことがある。使用目的を拒否することで、芸術としての目的を明確したかったのだろう。自分が坊主にならなかったのは、座禅という目的のないことに耐えられなかったからだ。

目的のない代表的なものが座禅だ。むしろ目的があってはならないとされる。悟るための座禅は乞食禅だと言われる。目的がないことで行為出来るという事はすごい。目的というものに、行為を行動にする安心の様なものを期待し続けてきた。多分二の人という自覚がある。二流でかまいやしないという居直りの中で生きてきたともいえる。一流が無目的の行動であれば、二流は私的目的のある行動である。三流は用途目的のある行動である。まあこんな風につい分けて考えるところが、問題なのだろう。自分の見えているもを突き詰めたところで何になる訳でもない。ただ見えているすごいものが、画面の上に来ないという事が残念なのだ。見えている世界は絵どころではない。マチスの絵がいくら好きだからと言って、見えている世界に比べれば、大したことはない。

美しい畑を作るという事は、まさにその風景を作る行動としての醍醐味がある。動くことで空間そのものが作られる喜びが湧く。自然と一体になって何かをしているようというような充実である。今はそういう里山というものが作られる人間の営みの様なものを、絵にできればと思っている。そういうことが絵画という事かどうかは相変らず不明だが、里山というものの持つ世界観はある程度感じられる。また里山を作っているという意識もある。この感じているものを描き止めておくことは意味ある事のように考える。それこそ絵でしかできないことだと思う。否絵でもできないのだが、絵以外ではさらにこの感じは残すことができない。テレビなので映像化されたものは、まるで違うと思う。説明はされているが、あの空気感とは程遠い。大切なのものはあのゆったりと流れる時間のようなものだ。

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冬の篠窪

2016-01-21 04:34:57 | 水彩画

このところ篠窪に通っている。篠窪は冬もなかなか魅力的だ。今、菜の花が盛りである。菜の花越しの富士山を写真に撮っている人が必ずいる。私にはどうにもこの菜の花がいただけない。油を採る訳でない菜の花畑。篠窪の場合菜の花と養蜂と関係するのだろうが、この時期蜂は飛んでいない。景観作物の畑というものの、何が違うかと言われても困るのだが、絵を描こうという気にはなれない。どこかうつろな印象を受ける。取り遅れた菜花の類が黄色く花を咲かせているのには惹きつけられるのに、あまのじゃくである。篠窪の農家の方は熱心である。毎日畑に出ている。冬には何かを燃やしている人が多いい。畑に人が来るとまず煙が上がる。あそこにも人がいるのかとすぐにわかる。邪魔にならないで絵を描くという事を心掛けているのだが、道が狭いので通るだけで邪魔をしているようで人が動かない時間を狙ってささっと行き、邪魔にならない場所に車を止めて絵を描いている。小高いところに家が一軒あるのだが、たぶんそこからなら、海も富士山も見えるはずだ。

篠窪の集落は名前の通り窪地にある。100軒ほどだろうか。お寺もあり、大きな神社もあるくらいだから、昔はもう少し家が多かったのかもしれない。震生湖がすぐそばにあり、水は豊かとはいえないだろう。たぶん井戸を掘れば水は出るだろう。しかし田んぼがあった様子はない。田んぼが作れず、江戸時代は暮らすことは出来たのだろうか。その意味では、背後に大きな山を抱えた、秦野や丹沢の集落とは少し異なる暮らしが想像される。窪地の底に住んで、丘陵地帯全体を畑にして暮らしている。古い航空写真では一帯が麦畑の地代が写されている。山の上の畑まで歩いて通う方とも出会う。背負い籠に野菜を詰めて下るのだから、かなりの重労働である。大体の方はお年寄りである。畑の周囲には大体は動物除けの網やら、トタンやらが張り巡らせてある。電気柵はそれほどは見ない。猪に苦労されているのだと思うが、様子からして舟原ほど被害が大きいようでもない。

冬の色彩は静かなのだが、柿やミカンが取り残されているのが、目立つ色彩になる。野菜畑が多いいので、冬野菜の緑が実に新鮮である。山仕事をされている方もいる。くぬぎ林を切り払っている。まさか薪やほだぎではないだろうから、畑に戻そうという事かもしれない。煙のにおいがして、木を切る音がする。里山の暮らしである。おとといに丹沢には雪が降った。この雪山が背景になって、篠窪も華やいでいる。冬とはいえ明るい景色である。ただ、そのままを描こうとしている。絵を描いているのに絵にしないでもいいという気持ちは、これもあまのじゃくである。それでもあまのじゃくの自分のままにやるしかない。このやり方が里山のあるがままの姿を映し残すための方法だと思っている。写真で取ったところで、私が見ている里山は全く映らないものなのだから、仕方がないことなのだと思う。

写真というものは怖いものだ。テレビで戦後の子供たちなどときどき移ることがある。自分の子供時代が移るわけだが、私の中にある世界は、ああしたものではない。しかし、写真に映る世界がまるであった世界であるかのように見られてしまうことを怖いと思う。江戸時代はまだ絵しかなくてよかった。北斎の絵の方がまだ江戸時代を映しているからだ。人間が見ているという、綜合性を絵なら少しは表せるのではないかと、里地里山を描いている。自分の見る能力に掛けるほかない。危ういことではある。何にもならないことであるのだろうが。今里山を描いた絵がないという事は事実だろう。菜の花越しや、忍野八海からの富士山の写真や絵はある。しかし、それが富士山には私には見えない。できないとしても私が見ているものの先の方に向ってゆくしかないと。そう考えて篠窪で富士山ではない方向を描いている。

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石垣島自衛隊配備計画の進捗状況

2016-01-20 04:50:59 | Peace Cafe

石垣島自衛隊配備の進捗状況については、八重山毎日新聞を読んでいるので、様子がよく伝わってくる。民主主義というものが報道によって支えられているという実感を得られるこれこそ報道の役割だろう。こういう新聞を止めさせろという自民党の思想は民主主義を理解していないと思う。石垣島自衛隊配備については、石垣島に暮らす人たちが決めるべきことだ。たとえ政府が日本の国防のために必要だと主張したとしても、また国民の過半数がそう考えたとしても、その地域に暮らす人の意思が最も尊重されなければならない。辺野古米軍基地拡張に関して、国防の問題は国が決めることだから、市町村や県の意思を無視してもいいと言うのは、民主主義を根底から覆している論理である。民主主義の主権は一人一人に存在する、主権在民という思想に基づかなければならない。国防上の理由などで、個人の主権を、公共の利益によって侵害するときは、その公共の利益が最低限明確なものでなければならない。

安倍政権の主張する、普天間基地の危険除去だけでは辺野古移設の根拠にはならない。個人や地域の意思を侵害するだけの理由には当たらない。米軍基地の危険を辺野古という過疎地に移設するというだけのことになる。そこに米軍基地がなければ、日本の安全が守れないという論理を明確にしなくてはならない。同じことが石垣島への自衛隊配備計画には存在する。石垣島の安全のために自衛隊の配備が必要という事が理由であるならば、その軍事的な根拠を示す必要がある。ところが政府の説得工作は石垣島の経済的恩恵を示すことで説得を計る方針のようだ。自衛隊員が、500人石垣で暮らすとどれだけの経済的効果が生じるかなどという事になる。また、基地の土地買収をする。あるいは、借り上げるという事で、その条件の対象となる地主を自衛隊誘致派と仕立てる。工事業者も誘致派に位置づけられる。そうした利権誘導によって、住民の意思を動かそうというのが政府のやり方である。

現在石垣島では、自衛隊基地が想定される地区の周辺3(公民館)自治会が、防衛大臣に対して反対を表明し、説明会の開催も拒否することを通告した。これに対して、石垣市長はまだ石垣市全体の意思とは言えないので、態度を保留すると表明し、開催場所の変更で対応するようだ。私の感触では、石垣市長はすでに政府との間で、受け入れ了解の下打ち合わせは出来上がっている印象がある。そのためにきっぱりとした住民の意思にこたえる発言をできないでいる。該当地区の住民の話し合いの中では、「農業地域であり将来も農業で暮らしてゆきたい。そのためには後継者が喜べるような地域でなければならない。自衛隊の基地の隣でやる農業では後継者はついでくれないだろう。」このように話し合ったという。地域住民に対しては、今後様々な形で、裏からも表からもアプローチがあることだろう。辺野古においては、周辺自治会にだけ特別な補助金を政府が直接支給するという事まで行っている。まさに拝金主義政府の手法だ。

石垣島は観光と肉牛が好調で、展望が明るい。癒しの島石垣は、これから世界でも注目される島になることだろう。そんな場所に自衛隊基地は不似合いだと感じる。中国や台湾アジアの観光客の集客も計画しているようだ。自衛隊の配備が石垣島の安全どころか、むしろ中国と敵対する不安定要因を作りかねない。石垣島という歴史的にも国境に位置する地域の意識は、政府の国益とは違う、歴史からくるバランス感覚が存在する。台湾からの移住者も普通に存在する島なのだ。武力によっての安全よりも、友好関係による安全という意識が強いのだと思う。健全な報道が存在する石垣の素晴らしさ。それは沖縄全島に言えることだ。逆に言えば、日本本土にはまともな報道が存在していないという事である。政府が誘導するように、コマーシャルで締め付けられていると言えるのだろう。

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麹の作り方

2016-01-19 01:38:49 | 自給

2016年の麹の仕込み

今年は17,18日と米麹を仕込んだ。順調に推移している。山田錦を使っている点がいつもと違う。




1、「事前準備」、
麹作りは、仕込み前日に米を洗い水に浸す。水に浸す時間は12~20時間。仕込み当日の早朝、米をザルに上げてしっかりと徹底した水切りを3~10時間行う。水切りはタオルを中に入れるなど十分に行う。蒸しはできるだけ高温で一時間以上、やり過ぎと思う位に行う。



2、「麹菌の植え付け」
大寒の前後がいい。埃の少ない、寒い部屋でおこなう。新聞紙を敷きその上に清潔な布を広げ、その上に蒸しあがった米を広げ、しゃもじでスライスしながら、米粒の表面の水分とあら熱をとばす。米粒はべたべたせず、表面が乾いた状態が望ましい。生の米かと思うようなパラパラした感じに近い。麹菌は水分が好きなので、表面が濡れていると、そこに留まって中に入らない。周りが乾いていて、お米の中心が濡れた状態だと芯まで菌が潜り込んでゆく。良く麹菌が繁殖することが重要である。



3、
一部の米をボールに取り、人肌の36°になるまで撹拌し下げる。麹菌を入れて良く攪拌する。全体のお米は湿気を飛ばすように、パラパラ、サラサラの感じで手で広げて乾かす。お風呂の温度を思い出しながら、熱くない感じになるまで行う。冷めたようでも下が熱いので良く上下を攪拌する。



4、
ボールで菌をまぶした米を、広げた米にパラパラとまき散らす。全体に菌を揉み込むように、かき混ぜてゆく。菌がお米の芯に入るように揉みこむように、力を込めてお米をつぶしながら菌を植え付ける気持ちで押さえつける。充分にかき混ぜたら、布で包み一塊りにする。それを米袋に入れる。一袋で11キロまでやれた。1時間以上移動する場合は、カイロを張り、毛布にくるむ。



5、「温度管理」
袋のまま、米麹の中の温度計で33℃位を目標に保つ。ホットカーペットや電気毛布、あるいは湯たんぽなどを使う。湿気が床にまで行くので、ビニールを敷いて置いた方がいい。乾かないように管理する為に米袋はいい。上と床と接する部分では温度が違うので、袋を静かに裏返す管理もいい。温度管理や手入れについては、かなりの幅があるので、どうやってもできるともいえるが、麹室で作るわけではないので、自分なりの失敗のない方法を見つけること。



6、「1番手入れ」
10~20時間後(時間差がある)になり、全体がひと塊りになった状態で、少し良い香りが出てくる。この時に布を取り去り、米袋にお米を直に空ける。米袋の中でよくほぐしてやる。この時も中の温度は35℃前後を保つ、上がりすぎないように、保温を調整する。アラーム付きで、外で温度が分る温度計は便利である。カバーの木箱があると便利である。中の湿度が高くなる。



7、「2番手入れ」
さらに10時間後には、菌が回り始め麹の香りが強くなる。米袋の中の米麹をほぐして、でできるだけ平らに広げてやる。それでも温度が上がりすぎるようなら、袋を切り開き全体に広げる。この段階では保温は室温にもよるが要らなくなることが多いい。でこぼこの山を作り表面積を大きくする。外側がに温度が低い場所ができるので、外側を高めにする。徐々に温度が上がりすぎるので、この点に注意する。40℃は超えないように管理する。

8、「3番手入れ」
さらに10時間するとさら白い麹菌が回わって、塊りになってくる。温度が上がり易いが、40℃を越えないように、良くほぐし表面積をふやす。保温は止めた方がいい場合が多い。40度を越えたからと言ってすぐ失敗と考えないでいい。麹の淵の方が温度が下がりがちなので、外の麹を中に回すように手入れをする。

9、「4番手入れ」
味噌麹の場合は、少し麹の回りすぎて、黄色あるいは薄緑っぽくなる位が良い。米粒を割ってみて菌がお米の中に浸透している感じになるように。どぶろく麹の場合は少し早目の白い内の方がいい。出来る限り10時間サイクルの発酵を4回ないし、5回繰り返す。温度が上がり過ぎの場合は、6時間でも手入れを行わざるえない。途中で温度が下がってしまったり、発酵が足りないようであれば、保温を強くして再発酵をさせる。割合簡単に戻るので心配いらない。



10、「出麹」
米麹が充分出来上がったら、15℃以下の乾燥した場所で広げたまま、乾燥させる。袋のままにしておかない。20時間すると完成する。完成したら、ビニール袋に入れて冷蔵庫で保存する。

追記、留意点

1、良いお米の蒸しを行うには、十二分に水に浸し、十二分に水切りをすること。その上で、強い蒸気で蒸しあげる。湯気が上に抜けてから、1時間は蒸しやる。蒸し過ぎで失敗という事はない。

2、家庭で行うには、米袋方式はもっとも簡単で、一応のレベルに出来る、優れた方法である。米袋1袋で10キロまで可能と言われるが、私は今回11キロまでやった。

3、麹菌が良く回るには、湿度の維持が重要。段ボール箱のカバーなどで覆えば、さらに良い。温度にむらがあるときは、袋ごと裏返すのも良い。

4、米麹は4,5回の手入れで出来上がるが、菌の活動をしっかりと終わりにして、保存しないと、袋の中で再発酵をはじめておかしくなる。

5、保存は案外に難しい。充分に乾燥し、冷やし、その後酸素に触れないように保存している。味噌に使う場合は、塩を出来上がったものに混ぜてしまい、保存しておくという方法もある。

6.麹菌は手入れを行う都度繁殖を休止しているので、出来るだけ手入れの回数は減らし、10時間くらい静かに繁殖を継続させる。固まると酸素が行かなくなるので、ほぐす必要が出てくる。このあたりの状態を観察しての管理が良い麹を作るコツのようだ。


7、全体としては白い塊のようになるのが目標。あれは最終段階でほぐさずに、枯らす。乾燥させることを枯らすという。これは面白い名称だと思う。

8、袋方式では、手入れ後裏返すことが出来る。保温が下側からだけとかの場合、片面だけ暖かくなれば、裏返して温度調整が出来る。

9、出来た麹の断面を観察し、菌が中に食い込んでいるかを研究する。大切なのことや麹菌の出来上がり量。山田錦は中に菌が入りやすいようだ。玄米でやる場合、菌が米の中には食い込めない場合がある。少しでも玄米に傷をつけてやると菌が入りやすくなる。

真夜中に、温度の管理をしながらこれを書いた。

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幸せの自給

2016-01-18 04:13:52 | 自給

自給が最後に向かうところは、幸せな人生ということになる。幸せに暮らす日々を自分の手で作り出すという事なのだと思う。好きなことをやって日々を送ることが幸せなのだと思うが、そのことが自分一人で終わっていたのでは、幸せとは言い切れないのが人間なのだと思う。自分の行為が人の役に立つという事で、自分の幸せは支えられている。三線を弾く。太鼓を作って敲く。こういうことは変え難い楽しみである。自分の活性化でもある。しかし、そのことはその限りで終わる。人様の役には立たない。これでは十分な感じがしないのが人間である。私には自分のためだけの日々では、幸せとは言い切れない。自分が生きて、好きで行ったことが、人様の役に立つものであってくれれば、自分の生きている甲斐もある。私には、それが絵である。絵でしか表現できない。里地里山を作り出した人間の在り方を描き残したいと考えている。三線が自分の楽しみを超え、人に何かを伝えるものになるには、自分が楽しむレベルではだめなのだろう。それが表現というレベルなのだと思う。

世界で一番豊かな国アメリカは不幸な国に見える。拳銃で武装していなければ安心できない国は、実に不幸な国だと思う。世界一幸せな国としてブータンが言われたことがあった。この2つのことは、幸せと経済的豊かさとは、少し違うという事を意味している。豊かさの背景に、深刻な格差が存在するという事がアメリカの不幸を生んでいる。敗者となる不幸な人を当然とするのでは、本当の幸せはないのだと思う。ブータンは貧しいながらも大地に根差して、格差なく暮らしている。ブータンは最近まで鎖国をしていた国だ。日本も江戸時代という鎖国の時代がある。江戸時代が幸せな時代とはいいがたいところはあるが、江戸時代の中に幸せの国を目指す何かがある。能力主義を超えた価値観を見つけることができるかもしれないという希望である。他と比べない、競争を超えた価値観を探すことが、幸せな国づくりなのではないか。

幸せへの道を考えると、すべてのことが幸せの道という事になる。すべてのことが実は幸福論なのだ。幸せは科学であり、哲学である。そして日々の暮らしの実践論も幸福論でもある。コンピューターゲームに一億円プレーヤーが登場して、拝金主義としては、価値ある職業という事になるのだろう。果たしてその先に本当の幸せがあるかという事になる。機械に勝利することができないゲームに、人間という生き物の価値を費やしてよいのかという事である。私は将棋にのめり込んだ時がある。しかし、自給生活を始めて、やりたくなくなった。もっと面白いし、人の役にも立ちそうな気がしたからだ。作物を作ることは、人間としての総合力が必要になる。知力、体力、と天命。明日の天気をいくら予想しても外れることはある。外れることで、一年の努力の結果の1割が無駄になる。それを気持ちよく諦めることも、幸せになる道だと畑に教えてもらう。

多分、自給に暮らす幸せ感を、これほどに味わっている日本人は数少ないと思う。その数少ない中で、絵を描く人間はまずいないだろう。この幸せ感は絵なら描けるのかもしれないと、思うようになった。詩人八木重吉は幸せの家の軒先からは、炎が見えると書いた。その意味はいまだ分からないが、幸せは実は困難で、真剣なものだと感じる。里地里山に生きる幸せというものは、楽なものではない。矛盾に満ちている。これは絵なら描き残せるかもしれない。たぶんもう大半は失われた世界だ。私が描き残さなければ、消え失せるものだと思うようになった。茅葺きの日本の家屋を描き続けた人がいたが、あれはジオラマのようなもので、本当の里地の暮らしを感じさせない。私が少しでも自給で暮らす幸せ論を描くことが出来れば、人様の役にも立つのではないかと思い至った。そう思うようになってから、絵を描いていて、面白くしようと絵を描いてはいない自分がいる。絵として面白い必要はなくなったようだ。

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ドラム缶かまどの作り方

2016-01-17 04:35:08 | 自給

ドラム缶かまどを作る。

ドラム缶かまどは実用的なものだ。1時間半あれば作れる。ドラム缶は無料でもらっている。買うとしても1000円も出せば購入できるだろう。今回のドラム缶は20年間、オカラを詰めて乳酸発酵していたものだ。底にいくらか穴は開いているが、まだまだかまどに使うことができる。ドラム缶は肉厚なものと、薄いものとがあるので出来るだけ厚いものが良い。かまどは使う頻度にもよるが、4,5年の耐用年数と考えた方が良い。いろいろの形のかまどを作ってきたが、ドラム缶かまどが結局のところ実用的だと思う。火力が強くなるという事が、良いところである。欠点は薪がたくさんいるという事だ。お米を蒸すために使う事が多いいので、火力は強くなければどうにもならない。

まず中央で2つに切り離す。一つのドラム缶で2つできるという事になる。

火の焚口を作るので、丸く切り取るようにしておく。焚口は太い薪を使うなら大きめに作る。二つに切ってから、焚口を作ってもいいのだが、切る距離を少しでも短くするために、最初から切り離すラインを考えておく。切るのはサンダーという道具を使う。写真の緑のものだ。刃によって作業の速度が変わる。鉄の切断用のサンダー刃を購入する。一回で一枚使うぐらいの消耗になる。

切り離したら、釜が入る大きさの穴をあける。釜にはさまざまなサイズがあるから、自分の持っている釜の大きさを確認する必要がある。

蓋に穴が開いているが、穴が隅によっているのは、焚口から遠い場所に釜が来た方が良いからである。これで出来上がりだが、次に煙突の穴を考える。弱火で行くなら、このままで十分である。火力を強くしたい場合は、煙突の穴をあける。場所はやはり焚口と反対側である。ただ煙突穴をあけた場合そこから火が噴き出てくるので、上に乗せたせいろが焦げてしまうことがある。煙突をドラム缶にうまくつなげるのは難しいので、煙突のつなぎ方には工夫が必要である。煙突をつけないでも、穴があるだけで十分に燃える。

17日に麹の仕込みを行い、かまどを使った。一番手前にあるものが、ロケットストーブ。

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