地場・旬・自給

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コロナで有効な対策は老人の外出禁止

2021-03-31 04:46:27 | Peace Cafe


 コロナが相変わらず猛威を振るっている。再度の蔓延が拡大しそうなときに政府の非常事態は終わった。この後は国民の非常事態であろう。必ず又患者が増え、死亡者が増えることだろう。政府はコロナ対策の核心をつかめないでいる。何故コロナ対策ができないかと言えば、経済との兼ね合いの迷いである。

 中国が思い切った封じ込めで成功した。外出禁止を銃を突きつけて実行したのだ。日本ではそんなことは出来るわけもない。それだけの政府に行動力も実力もない。人権無視の悪いことだから出来ないわけではない。やりたくてもやる力がない。力がないと言うことにも良い点がある。もちろん中国以外にそんなことの出来る国はめったにないだろう。

 そんな無謀が出来る国は暮らしにくい国で嫌な国に違いない。しかし、桁外れの行動力のある国だから、これからの競走には強いに違いない。嫌な国の方が競争に勝つというのは情けないことだが、当面の中国の勢いに勝る国はないだろう。日本は踏ん張ってこらえているところだ。

 私の考える外出禁止はスーパーコンピュターの予測である。コロナ対策は老人の外出禁止で解決する。一年前から繰返しそう書いてきた。しかし、日本政府にはそれが出来ない。他にも出来る国がない。出来ない理由を想像するに、老人が政治家に多いためだろう。70才以上が外出禁止では政治が成り立たない。

 まあそれは冗談のようなものではあるが。70以上が政治から引退してくれれば、日本の政治ももう少しは良くなるだろう。歳をとったならば後は若い人に任せろと言うことだ。コロナはそういう当たり前のことを人間に諭しているのではないだろうか。コロナで人間が気付くべき事は沢山ある。

 老人の外出禁止が過激だとすれば、老人の外食禁止。観劇、スポーツ観戦、などの大勢の人の集まるところへの出入り禁止。カラオケ禁止。旅行禁止。公共交通機関への乗車禁止。後の若い人は老人に接触するとき以外は自由にやって貰えばいい。

 老人が外出しなくなれば、経済への影響は確かにあるだろうが、老人は家で買い物をして貰えば良い。ネットショッピングでは老人に優遇の補助を出す。配達は無料。老人は出歩かないでも買い物天国である。

 何度書いても空しいわけだが、コロナ対策が無いわけではないと言うことは明確に書いておきたい。当たり前だが、感染症の専門家や政治家が私より頭が悪いわけがない。老人の外出禁止ぐらい、あるいはもう少し控えめの老人外食禁止など考えないわけが無い。

 ところが出来ない。頭が良すぎてやれないのだろう。中国政府はもっとひどい人権差別をやることで、コロナを抑えた。たぶん中国政府は頭が悪いのだろう。嫌そう言うことでもない。嫌われる決断力があるのだろう。まともな選挙がないと言うことである。

 何故政府が出来ないか。又野党からもそういう声が出ないのか。選挙が怖いからだ。老人には選挙に行く人が若者の倍もいる。老人の票を失えば、当選できない。政治家はただの人になりそうで、普通に生きる自信がないのだ。政治家で甘い汁を覚えてしまい、嫌われる勇気がない。

 そういう意味で、国民を信用していないのが政治家である。日本の老人もそれほど馬鹿ではない。老人の外出禁止を支持する老人も多いはずだ。その上に若い人は自由にすれば良いのだから、万々歳である。オリンピックなど問題なく開催できる。もちろん老人の観戦は禁止のオリンピックだ。老人はそもそも出場はしないのだから問題はない。

 姥捨て山、爺流し海、ではないが、年を取れば若い人とは違う生き方があるはずだ。コロナはそうしたことを学ぶ場のような気がしている。老兵の消え去り方である。70歳からの人様に迷惑を掛けない生き方を考える必要がある。病気にならないように暮らすのもその一つであろう。

 老人の方が優れていることもある。我慢力を高める必要がある。たぶん若いときよりもボケたせいか忍耐力は強くなった気がする。若いときであれば、動禅体操を一年半も毎朝続けることなど出来なかったに違いない。老人特有のこの忍耐力を生かす必要がある。

 70歳から、30年間あると考える。その30年間で若い頃やり遂げられなかったことに挑戦すべきだ。昔と違い、30年を想定できる時代になったのだ。先ずは健康で元気に動ける老人でなければならない。外出禁止といっても、運動で野外に出るぐらいは問題ない。

 尊敬した3人の僧侶は皆さん70歳を前にして亡くなられてしまった。70歳にならずとも完成した人間だと思う。もし長生きしたら生き仏に成られたに違いない。私のような愚鈍なものでも、70歳から30年あれば、完成した人間に成れるかもしれない。人生100年時代で、悟りを開ける僧侶が増えるかもしれない。

 動禅体操ならば、独房でも出来る。狭い部屋の中でも可能な体操である。一日1時間程度は速歩を行う。できれば、一キロの坂道を一日に一回は上り下りをする。坂の中間点ぐらいから始める。まず500メートルの登りである。そして一キロの下り。そして又500メートルの登りと歩く。

 これは午前と午後やれば、万全である。最高記録が、17分18秒である。ゆっくりの日は23分である。フィットビットのランニング記録でタイムを計っている。フィットビットのセンサーは少々インチキであることが分かった。毎日同じ所歩くのに距離がかなり違う。でも時間の記録は正しい。GPS機能というのはかなりばらつくようだ。心拍数は161が最高値であった。

 登りの時に一種のランニングハイという状態を経験した。それ以来、この感覚を歩く禅の境地として感じるようにしている。ランニングハイ状態で、絵も描いている。様々な絵をひたすら集中して描いている。いろいろな絵が出てくるが、これから30年の修行の道である。

 これこそコロナが教えてくれた老人の生き方ではないだろうか。どこまで出来るかは誰にも分からないことだが、ひたすら絵を描いて、大往生である。オだわにいって田んぼが出来ないのは困る。4月半ばには小田原に行く予定である。2重マスクで十分注意して行くので許して貰いたい。これだからダメだと言われそうだが。

 
 
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記憶の世界と絵画との関係

2021-03-30 04:31:20 | 水彩画


 絵は記憶に基づいて描いている。確かに目の前に風景は存在している。その存在している風景を、自分の中の蓄積された記憶とない交ぜなものにして、実際の画面は描かれて行く。絵を描く上での「みる」は記憶とすり合せながら、深いところの自分が見ているものである。

 人が絵を見るときは、それぞれの記憶と絵をすり合せてみている。ゴッホの向日葵をみるとすれば、自分の中にある向日葵を思い起こし、自分の中にある、黄色の色を思い起す。そしてあのタッチから激しい強気意志を感じ取る。

 花の色を描くにしても、今現に見ている花の色以上に、記憶の中の花の色が重要になることは当たり前のことだ。画面に現われる一本の線確かに目の前の枝に触発された線であるとしても、その線は自分の中に蓄積されてきた思いを反映した線でもある。

 絵の中に表われた田んぼの四角形は田んぼではあるが、ただの四角の形でもある。山の形は確かに山型なのではあるが、ただの3角形の形でもある。空を飛ぶ雲はただの楕円の形にもなる。それぞれに意味ある形は絵の上では図形としての名のない形にもなる。

 絵における、色、形、線は今見ている現実のものであると同時に、自分という人間が生きてきて蓄積してきた、形象の再現されたものでもある。常に今見ている現実と、自分の内なる記憶の形象が、入り乱れて自分の中の本質とふれあうものを探している。

 画面に現われてきた図は、より深いところでの記憶の現実なのだ。見ている風景はその自分の内的な世界へいざなう、入口と言うことだ。自分のより本質を目覚めさせてくれる、現実の風景を探していると言うことになる。

 石垣島の風景に出会ったと言うことは、私の記憶の蓄積に触れたと言うことである。それは山梨で生まれて、記憶した風景と深く関連したものに違いない。今は生まれた場所に行っても、どこにもない田んぼの姿と村の風景である。

 生まれた境川の風景をよく描きに行く。しかし、そこには昔の景色はない。今もあるものは甲府盆地という大きな器のような空間である。この空間感だけは自分の中と現実とが、行き交うものである。

 記憶の風景の研究がある。例えば、子供の頃にかよった小学校が、今いってみると、何故か小さく見えるのか。その理由の研究である。これを調べて行くと、実は年限が経って自分が大きくなったために起きたことではなかったのだ。その人それぞれに、印象に深いものほど大きくなる。

 美術室で絵を描くのが好きだった子供には、美術室が大きいのだ。体操が好きで校庭を走り回っていた子供には広い運動場になる。記憶の中に蓄積されたものほど、濃密になり、大きさまで大きなものに変わる。この記憶は絵を描く上で重要になる。

 それが色彩であれば、自分の好きな天然色で思い出すことになる。あの夕焼けの赤色が懐かしいと言うときに、記憶の中の夕焼けの色は、すべての人の顔を真っ赤に染めているのかもしれない。

 人が絵を見ると言うときには、人は自分の記憶と照らし合わせながら見ることになる。絵を描くときには、眼前にある風景は記憶の中の風景が凝縮されたものと融合された結果として描いている。

 その人の最初の記憶はどういうもので、その理由を探る研究がある。普通は4歳か、5歳の頃の風景を覚えているそうだ。私の場合はまだ歩けなかった1歳未満の頃、土を食べた記憶とその風景が合わさって記憶されている。

 土を食べなくなったのはその後、潮干刈りにいって海の砂を食べて、あまりの苦さで食べなくなった。その時の写真が残っていて、土を食べていた記憶がそれより前の歩けない頃だと分かった。何故、土を食べていた風景が記憶されたのかは、何か潜在的な理由があるに違いないが分からない。

 フロイトやユングであれば、深層心理の観点から何故記憶に残ったのかを解明できるのかもしれない。ただ私に分かることはそうした様々な記憶の映像は今描いている絵と重なってくると言うことではないだろうか。それが私絵画である。

 今見ている風景に誘発され、描いている絵になる。別段これが正しい絵の描き方というような気持ちはまったくない。自分のやり方はどうもこんなもののようだと言うことである。この今見ている風景に誘発されるもの、これが重要と言うことだ。

 だから、実際牧草地を見ながら山を描いているとしても、その山の絵は自分の中では牧草地をよく見ていないと描くことは出来ないと言うおかしななことになる。牧草地の空間の様子に記憶の山が見えてくると言うことがある。これは意図してそうしていると言うことではない。

 絵を描くときは考えないようにしている。できる限り心を空にして絵に向かっている。最近動禅を続けている内に、動禅の心境とほぼ同じような状態で絵を描いていると気づくことが良くある。こういうやり方になってから、記憶の中の風景が呼び覚まされることが多くなったのかもしれない。

 子供の頃の記憶にの中にある、甲府盆地とその後ろの衝立のような南アルプス。あの空間感がよみがえり画面の上であの空気を探している。まだその意味はよく分からないが、たぶんこの先に収束点があるのかもしれないと予感するようになってきた。

 私の絵は空間感を探しているようだ。自分の中にある空間の様子を、現実の風景で再現しようとしている。実際の所、そのことが出来ないで終わる絵も少なくない。絵として完成しないと言うより、自分の空間にどうしても成らない絵がある。

 良く出来たと思う絵でも、その点でずれが感じられると、終わることにならない。終われないだけでなく、完成できずに止めるものもままある。日曜展示に出しているものは、一応はそこは越えたはずの絵だが、改めてみるとまだまだである。

 どの絵も方向がバラバラである。描いている気持ちは一つのはずだが、実際にやっていることは、様々になっている。何をやっているのかと思うが、今このようにしか、やれないのであれば、それに従おうと思う。無理して方向付けをしなくとも、いつか方向は定まるだろう。

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小さな自給のためのイネ作り

2021-03-29 03:58:48 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 この文章は今度石垣島で自給のための小さな田んぼの話をさせて貰うことになりました。その資料をかねて作りました。日程が決まりましたら、又ブログに書きますので、興味のある方はどうぞいらして下さい。

 100㎡の面積で人一人のお米は自給できる。55キロである。機械を使わずに一人の力で可能なことだ。その実践をこのブログ「地場・旬・自給」の小さな田んぼイネ作りのタグの中に、細かく書いてある。もちろん本「小さな田んぼのイネ作り」の中にはさらに細かく書いてある。一人でも多くの方にやってみて貰いたいと思っている。

 10メートル×10メートルの田んぼの中に30c㎡に1本にイネを植える。ほぼ1千本のイネが植えられる。1株のイネに55グラムのお米が実れば良い。これで55キロのお米になり、日本人が今食べている一年のお米の量になる。

 1粒のお米が一杯のご飯になる。それが1000杯のご飯になり、今の日本人のご飯を食べる量になる。

 稲一株をもう少し細かく見て行くと、1粒の種籾で1本の苗が出来る。この苗を30センチ角で植えて行くと、一株は成長しながら分ゲツをして、おおよそ20本の稲穂が出来る。一つの稲穂には120粒のお米が実る。つまり、2400粒のお米が一株から収穫できることになる。

 お米一粒は0.022g 。一つの稲穂は約26グラムある。20の穂があるから50グラム。これはお茶碗一杯の量になる。3倍食べれば、1合に成るが今そんなに食べる日本人はまずいない。一年に1000杯のごはんを食べることが出来る。これが平均的な日本人が食べているご飯の量になる。

 一人で100㎡の田んぼをやるのも良いだろう。家族3人なら、300㎡の田んぼをやることになるだろう。一つの家族が300㎡、100坪の田んぼをやれば、家族3人がお米は収穫できると言うことである。100㎡はほぼ1畝である。300㎡3畝の田んぼと言うことになる。

 この田んぼの周りには土の畦がある。この畦を広めに取ると田んぼの水管理が楽になる。広い畦に大豆を植える。すると、この大豆で、1家族の味噌醤油納豆が作れる。畦くろ豆と言って、一番大豆の作りやすい形である。裏作で小麦を作れば、パンもうどんも食べることが出来るだろう。

 人間は食べ物の自給が出来れば、まずの安心立命が出来る。生き方に余裕が出来る。家族ともども1000㎡の面積で人間は生きて行くことが出来る。今の時代収入がない小さな自給生活であれば、税金もかからない。江戸時代よりも随分楽な暮らしが実現できる。

 1000㎡の面積に家と畑と田んぼで暮らすことは、今の時代何とかなる。私の場合は最初はヨド物置をホームセンターで買って届けて貰って、その中で寝泊まりして開墾生活を始めた。山の中の隣の家もない場所で、駅から歩いて1時間もかかる場所で、車もなく暮らしを始めた。

 最初は水もなかったので、水は駅で汲ませて貰って、担いで山を登った。斜面にブルーシートを貼り、その下に大きなポリバケツを置いて、水を溜めた。こうしてシャベル1本で人間は自給が可能なものかの実証実験を開始した。

 そして、杉の木を一本づつ切り倒し畑と田んぼを作った。周りにあった地境の防風林の檜を切って、3坪の最小限の家をセルフビルドで作ったこともある。そして鶏を飼った。子供の頃から鶏が好きだったのだ。鶏が飼いたくて山の中に暮らしたというのが半分である。

 ほぼ3年目には自給生活が可能であることが見えてきた。意図したことではなかったのだが、卵を売ってくれないかという人が、山の中まで来るようになった。そこで養鶏業で生計を立てることにして、それが可能になったところで学校の教師を辞めた。

 学校を辞めるまでの間は山の中から、週3日だけ東京の世田谷学園の美術の講師として通っていた。東京で2泊だけして学校に務める生活であった。先日なくなった、柔道家の古賀選手や演出家の三谷幸喜さんを教えた事があるはずである。

 自分一人の自給生活が可能なことが分かった。計算してみるとあしがら平野の農地の面積で、そこに暮らしている人が自給できることが分かった。それからは、みんなの自給を考えるようになった。一人で田んぼをやるより、10人でやる方が、楽だし、楽しい。

 一人で働くと自給のためにかかる時間は1日2時間になる。これは10年間毎日記録した実践結果である。しかし、それがみんなでやる自給になると半分の1時間になることが分かった。やってみれば、食糧の自給は難しいことではないのだ。

 それがもう三〇年前になる、あしがら農の会の始まりである。石垣島に引っ越してしまって2年半になるが、私が小田原にいた頃より以上に熱心に盛んに活動を続けている。わたしも今でもいくらか活動に加えて貰っている。

 今年は田んぼ1反5畝を復田している。小田原では耕作放棄地が年々増えている。農業者の平均年齢が70歳である。大規模農家がやれるような農地はまだ良いのだが、中山間地の棚田や導入路のないような田んぼは、荒れるままになっている。こうした、条件不利な農地の担い手が、あしがら農の会のような、自給目的の活動になっている。

 あしがら農の会は「地場・旬・自給」を掲げて活動をしてきた。地域主義である。もしその土地に有機農産物がないとするなら、地元の慣行農業の農産物を食べるべきと考えてきた。そうでなければ、地域の農業が失われ、農地が荒れることになる。それはその場所で暮らすすべての人にとって良くないことになる。

 あしがら農の会からは毎年、新規就農する人が現われる。だから、もう30人以上の人が農家になったと言うことである。最初は自給で始めるとしても次第に、専業農家を目指す人が現われた。こうして、新規就農者と市民の自給農業の合わさる形で活動を続けている。

 延べ人数で200名くらいの人が活動をしている。活動は様々に重複をしている。田んぼの会、大豆の会、麦の会、ジャガイモの会、玉ネギの会、お茶の会、有機農業塾。と様々な会がそれぞれ独立して運営されている。

 田んぼの会では個人田んぼから、20家族もいる田んぼまで色々あるが、苗床で5葉期の分ゲツの始まった稲を1本植えにすることが基本の技術となっている。大きな苗を植えることで、初期から深水に出来る。雑草が抑えられる。大きな太い稲になる。

 コロガシを多く入れることが除草だけでなく田んぼの土をよくして多収に繋がる。ほぼ反収10俵の畝取りを10年は達成している。有機農業では一般の農業よりも収量が低くて当たり前とされるが、そんなことはあるはずがない。有機農業は生物の整理にかなう農業である。収量は多くて当たり前である。

 そのことを実践として示さなければ、有機農業が普及することもない。稲の生理にしたがい、稲の力を生かすことが出来れば、農薬や化学肥料を使う農業よりも、収量は当然多くなる。ただ、手間がかかる。この手間がかかるところをみんなでやる農業は克服できるから、すばらしいのだ。

 五葉期の苗を手植えするのが、稲にとって一番良いのは当然である。しかし、大規模農業ではそういうことが不可能である。深水の方が収量が増えるのは当然のことであるが、畦の管理などこまめな水管理が難しくなるために、やはり大規模農業では難しいことになる。

 5葉期で田植えをすれば、ジャンボタニシの害もほとんどない。同時にカモになぎ倒される被害もなくなる。分ゲツの始まった五葉期の大苗なら、田植えをしたその日に、根付くことになる。

 田んぼの水管理していたときは1日3回も田んぼに行ってしまう。田んぼにテントを張って暮らしていたいぐらいになる。稲一株ごとに名札を付けたいぐらいの気持ちになる。小田原での稲は毎週1枚の葉を出す。田植えをするのは種まきから五週目の5枚目の葉の時である。そして15週で15枚目の止葉となり穂を付ける。

 たぶん石垣ではもっと早く成長するのだろう。6日で一葉ぐらいかもしれない。

 
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第46回 水彩画 日曜展示

2021-03-28 03:58:00 | 水彩画
                                     第46回 水彩画 日曜展示






208「まっつぅんだ」
2021.3








209「崎枝に湧く雲」
2021.3





210「篠窪の斜面畑」
2021.3








211「ヤシと海」
2021.3








212「MAGOの森」
2021.3








213「篠窪の花の頃」
2021.3








214「名蔵湾の田んぼ」
2021.3

 こうして展示してみると、進んでいるのやら、後退しているのやら。動こうとしてはいるようだが、方向がバラバラで不明。様々な絵が表われている。今こうしか描けない。一枚描くごとに方向が違う。自分には今のところこれ以外に出来ない。

 それはそれで仕方がない。ともかく毎日一枚続けてみる。方向が出てくるものであるのなら、いつか方法は定まるだろう。無理矢理こういう方向にと決めつけることは、悪いことだろう。焦る気持ちはすごくあるが。焦らない方が良いだろう。

 自分を見極めるために描いているのだから、こうして大きく揺れ動くことが今の自分なのだろう。自分が出来るあらゆる事をやってみるほかない。良さそうな絵を描くのが目的というわけではない。まとめようとか、結論を出そうとかすることは意味がない。

 今は禅の心境で絵を描こうとしている。いわゆる無念無想で絵に向かう。何か意図的なものを絵を描くことに持ち込まない。ただ絵を描くことに専念している。そうすると、絵はばらついて表われる。自分というものが定まっていないと言うことだろう。

 そういうことが分かっただけでも、日曜展示を続けてきた意味がある。先のことはよく分からないが、毎日描いていることだけは確かだ。いいような、ダメなような、不安なことだが、ともかくやれるところまではやるつもりだ。
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ドコモのアハモではタブレットは使えるのだろうか。

2021-03-27 04:42:16 | 暮らし


 いよいよアハモが始まる日である。タブレットを常に持ち歩いている。ただ電源は基本入れていない。何かあったときに使うの発信専用に持ち歩いている。一番の目的は車が故障したときにJAFを呼ぶためである。志賀高原の山の上でぽつねんとJAFを待ったこともある。石垣島でももう3回お願いをした。そういううっかり人間なのでJAFに入っている。

 ところがアハモではまだ不明なところが色々ある。タブレットSO-05Gは使えるのだろうか。表示はない。どなたか分かる方がいたら教えて貰いたいところである。色々調べたがどうしても分からない。ドコモに聞いても応えがない。そもそもアハモでは問い合わせ先がまだ動き出していない。

 26日 チャットが始まることは始まったが、全く繋がらない。当分満杯だろう。アハモがウエッブだけで契約するとしたら、充分な体制が出来ているようには見えない。少なくとも、チャットによる対応くらいは契約1週間前には始めるべきでは無いだろうか。この分では契約が始まると混乱して、当分待たざる得ないのではないだろうか。

 いつもタブレットに電源を入れていないのは、絵を描いているときに電話が鳴ると、そこで絵が途切れてしまうからである。座禅をしているお坊さんが座禅中に電話に出ることが出来ないのと同じである。気持ちが途切れると絵も途切れてしまう。絵を描いているとき、電話が困る人は多いのではないだろうか。

 どうしても連絡が必要な方は、家の固定電話に掛けて貰いたい。こちらは留守番機能もあるので、いつでも必ず連絡は付く。不親切で携帯の電源を入れていないわけではないので、よろしくお願いしたい。

 緊急時のため携帯電話は持ち歩いている。石垣島では大抵のところでドコモの電話は使えるようだ。そしてタブレットでは写真も良く撮る。絵も写すし、風景も撮る。絵を描くときにはその風景の写真は使えない。写真にあるような現実の風景の形を離れて描こうと思っているからである。

 その私には貴重な電話機能付きタブレットがアハモでは使えるのだろうか。スマホにしたら良いという方がいるが、目が悪いこともあるのか、スマホのサイズでは細かな操作ができないのだ。指先の危うい、障害者向きという意味で、タブレットのことも考えて貰いたい。

 アハモは通話やインターネットの利用のための回線機能であり、どんな機器でも使えるようにすべきではないのだろうか。一部機能の利用できないものがあると言うぐらいはどうでもよい。ドコモで購入した、機器がアハモでは利用できないとすれば、アハモはドコモではないと言うことなのか。

 何故か、タブレットでドコモポイントが使えなくなった。とつぜん、バーコードページが開けなくなったのだ。3日ほど様々やってみたがダメである。タブレットの調整にはまりこむと、たちまち数時間を無駄にする。こういう所がインターネットの嫌なところだ。頭の体操かもしれないが、時間を浪費してしまう。

 どうしてもダメなので、ドコモショップに予約をして出かけた。ドコモショップの方が言うには、「タブレットではドコモポイントは使えません。」こう言い切るのだ。そんな馬鹿な。1週間前まで使っていたのだ。しかし、前には「タブレットでは電話はできません。」と言いきったぐらいだから、この時はまだ認識不足であろうと思っていた。

 そしてあれこれやってみてくれた。これは私が家でやったこととほとんど同じであった。私の操作法もすこしづつ上達している。どこかへ携帯電話で問い合わせた。結論として、バージョンアップしたために使えなくなったと今度は言うのである。この辺がおかしいだろう。

 ドコモで購入したタブレットである。何故わざわざ、ドコモポイントを使えなくしたのか。ドコモにとって何かメリットがあるというのだろうか。ドコモのためにも、ポイントは使えた方が良かろうに。ドコモはタブレットを不便にして、スマホとタブレットの2台持ちをあたりまえにしようとしている可能性は感じる。

 まさかのことである。つまり古いから新しいのを買えと言うことなのだろうか。買いたいとしても、ドコモでは電話機能付きタブレットは廃止して今はないのだ。一週間前まで使えていた物が、バージョンアップしたのではなく、どうもバージョンダウンしたようだ。前より悪くなって、アップはあり得ない。

 やむを得ず研究したのだが、ドコモポイントをアマゾンで使える方法だ。分かる人にすれば簡単なことだった。石垣島にいると、どうしても送料無料のアマゾンを利用するのだ。この時にドコモポイントを利用すれば、ポイントを無駄にすることがなくなる。

 アハモがドコモの店舗では契約できないというのは良い発想だと思う。ドコモショップの統制を企業としてのドコモは管理仕切れていない。このまま行けば、コンビニ店舗と本社との関係と同じような、軋轢が生じることだろう。

 アハモも機器の販売もするようだ。アハモの契約に併せて機器を販売する。本当はそんなことはやる必要がない。ドコモのネットショップで機器は販売し、それを使いアハモを登録するのが、簡単明瞭である。ところが、アハモの契約に併せれば、機器も買い換えるだろうとの期待で、アハモ用の機器があるかのように説明している。
 
 我が家ではドコモでの7300円携帯電話代がかかっているようだ。アハモにすれば、6000円である。この方が良いと思うのだが、果たして可能なのかどうか分からない状況。使える電話付きタブレットがあれば、買ってもいいのだが。

 そして、もしユーキューモバイルにすれば、3000円くらいになるらしいことが分かった。そして、ドコモのタブレットSO-05Gが使えるとでている。いままで、石垣島ではドコモが一番電波状況が良いという情報を鵜呑みにしていて、他の会社は調べていなかった。

  しかし、やはり格安スマホは電波が弱くて石垣島ではダメなようだ。特に今使っているタブレットでは難しいらしい。ドコモを継続していることが今のところ無難なようだ。
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観ると言うことと記憶していると言うこと

2021-03-26 04:01:27 | 水彩画


 絵を描く人は本当のことを観るために描いている。描くことによって、初めて見えてくる何かがある。野見山暁治氏には「眼の人」という題名の本がある。絵を描くときの観るの意味が書かれている。見ているものはそれぞれのものだと言うことが分かる。

 見えれば描かなくとも最後には指させばそれで良いのだと、岡本太郎氏は書いていた。ここでのみるはかなり難しい世界だ。真実というものは描くそばから、消えて行くから、指で指し示すほかにないと言うことのようだ。その感覚は分かるが、それは岡本太郎の努力不足も意味している。

 しかし、私には描いてみなければ、絵になるものが今考えていることの先にあるのかは見えてこない。見て描いて、さらに観て又描く。絵になるものを見るは一人一人の人間としての重要な奥底のものだ。うわべのものではない。いままで生きてきた記憶の蓄積の上に見ているものだ。

 描くという行為は記憶している形象と現実の風景の関係に、内在しいて、観たときに立ち上がってくる決定的なものを見つけている。難しい言い方だが、まだ分りやすくは分かっていないのでこうなる。結果としては、その人の人間とその生き方が絵から見えないようなものは、芸術としての絵画ではない。良い絵とはそういう物だと思いながら、描いてきた。

 自分の絵が見えたというその領域に至っていないという自覚はある。残念なことだがそれは事実である。ただ、そこに向かってやり続けてきたとは言える気がする。観ると言うことの方角は分かっているつもりだ。しかし、絵に人間が現われないのは、まだ人様に見せられるような確たる人間では無いからだろう。

 これは人間の質がダメとか、良いとか言うのではない。未だに核のない曖昧な人間と言うことである。ダメでも本物のダメであればまだ良いのだ。人間が本物になると言うことは、実に難しいものだと痛感する。それなら偽物を極めるというのもありかと、やってきたようなものだが、やはりそれでは絵は本物にはならないらしい。

 それっぽい偽物を越えるために絵を描いているようなものかもしれない。絵を描いているとまだまだだぞ、と絵が言っている。これでは自分をごまかしようがない。絵というものの良さは、事物であると言うことの良さだ。絵を見ればごまかしはきかない。

 絵にすべてはある。おまえはまだまだだぞと言う証拠が目の前にある。これは辛いようだが、生きる上では有り難い事なのだと思う。自分をごまかして生きて、死ぬよりはまだましというものだ。少しでも飾りでない自分らしい絵に向かいたい。繰返しこういうことを書くのは、今日のこれから描く覚悟である。

 ネットで12枚のセット絵はがきを作る。というものを見つけた。石垣島の絵が12枚出来たところで、作ってみようと思っている。今年も水彩人展はまた出来ないかもしれない。自分で区切りのようなものを考えないと行けないかと思っている。

 一つは生の絵を見て貰う機会を作りたい。もう一つは自分なりの発表の場を作りたい。そのために12枚の絵はがきは意味があるかと考えている。目標を具体的にしないと、コロナ社会に心をやられてしまう。楽観的な脳天気人間のつもりだが、悪い方を思うことが多くなっている。

 今まで作った絵はがきセットをいつもアトリエカーに積んである。名刺を入れて会う人会う人に渡している。おかしな厚かましい奴に見えるかもしれないが、絵を描いている奴だと言うことだけは認知して貰いたいと思っている。ともかく車が滅多に来ないところに、毎日止まっているのは不安を与えるからだ。

 石垣島であれば、二,三年絵はがきを配っていれば、あの車は絵を描いているんだと認知されると思うからだ。不安を与えるのでは困ると言うことだけである。昔作った絵はがきを配っている内に大分減った。そこで、新しい絵はがきを作る気になった。

 ただし、困るのは私の絵では、石垣島のどこが描いてあるのかがとうてい分からないところである。田中一村のアダンの絵であれば、観光絵はがきになる。私の場合はとうてい実用にはならないものである。いつも渡してみてくれる人はどこを描いたのかと思うらしい。題名を見て怪訝な顔をしている。

 今石垣島に住んでいる人には石垣島には、きっと見えないだろう。しかし、島を出て五〇年という人にはどこか懐かし空気があるかもしれない。そのくらいの距離感である。木村忠太の絵を見てフランスの光を感ずると言えばそんなもんだ。

 実はこちらに来てから、描きかけだった、渋沢丘陵の絵をよく描く。境川や石和の生まれふるさとの絵もよく描く。こういう風景画では地名とはだんだん離れてゆく。その場であると言うのはどうでも良いことである。私が見ているのはその場ではないということだ。

 ただ、まるで風景に見えないような空間のない絵も嫌なのだ。誰が見ても畑や田んぼの絵ではあるのだが、どこかに具体的にある風景は始める参考に過ぎない。

 面白かったのは、私を不動産屋と疑った別荘地のおばさん2人は、私がいまこの絵を描いているのだと説明をして、絵はがきを渡したら、なんと、「今ここで描いて見ろ」というのだ。

 確かに、そこに見える風景ではない絵が置いてある。それを見て偽装工作だとでも思ったようだ。そんな面倒な不動産屋がいるものだろうか。どうもその辺が開発で騒動があったらしい。自分たちの別荘地の上に当たるので、開発を嫌っているようだ。自分たちの別荘地が出来るときには出来なければ良いのにと思った人もいたのだ。

 そこで、描いて見せて上げた。さすがに描いたらば黙ってしまった。描いて観ろと言われたのは、ハバロフスク以来である。ハバロフスクでフランスで描いた絵を抱えていた。ロシアで買った絵を持ち出そうとしているのだろうというのだ。丁度画材もある。ここであなたの似顔絵を描いて上げようと言ったら、分かった分かったと言って、やっと認めてくれた。

 あのとき描いたらどうだっただろう。全く自分に似ていないので、この絵はおまえが描いたのでは無いと言うことになったのだろうか。しかし、あんなに苦労してフランスから持ち帰った絵が一枚もない。すべて廃棄処分した。

 絵はがきを作ろうかと思ってみると、これならという絵はなかなか決まらないものだ。12枚、まあこれなら良いかというものを7月半ばまでにまとめるつもりだ。期限を切らないといつまでもできない。絵はがきを自分なりの発表の場にするつもりだ。貰ってくれる人にはどんどん差し上げたいものだ。

 
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中国が世界を悪い方向に動かしている。

2021-03-25 04:36:05 | Peace Cafe


 中学生の頃、紅衛兵のような毛沢東ファーンだった。何故そんなことになったのかは今になってみれば、思い出すことも出来ないことだが、中国好きになり、中国への興味は続いている。しかし、習近平政権には全くがっかりすることばかりである。

 今ウイグル問題が世界的な批判の対象になっている。日本ではウイグル問題というと、チャンネルサクラのような、ヘンテコ右翼が絡んでいて、関わるとろくなことにならない歪んだ話になっている。石原慎太郎のような中国をシナと呼ぶような人達だ。

 ウイグルの人達が中国政府から、ますます抑圧されているのは間違いがない。しかし、それをアメリカが言うかよ。と言うような思いもある。アメリカではアジア人ヘイトが始まっている。これはトランプの分断の続きである。誰か敵を作らなければ、アメリカ人の世界一意識が収まらないのだ。

 ウイグル問題もある。アメリカの人種差別もある。ミャンマーでは軍事政権が国民を弾圧し、27人の子供たちまで殺されているという報道があった。世界はコロナに誘発されたように、悪い方向に転げ落ち始めている。日本政府はまるで傍観者である。

 日本政府は判断力を失っている。アベ政権の法務大臣だった河合氏が杏里夫人を参議院議員にするために、アベ氏から1億5千万円も貰って、アベ氏の秘書が先頭に立って、お金で票を買う汚れた選挙を行ったのである。これを二階幹事長は、「他山の石」とすると寝ぼけたことを言っている。

 菅氏に至っては党の総裁であり、選挙の応援に駆けつけた当事者の一人である。その目的は、アベ批判をした同じ選挙区の溝手顕正 参議院議員を落選させるためである。アベ・菅のやり方は徹底した批判者潰しなのだ。それがアベ長期政権を作り、菅後継政権を生んだ。

 日本はこの無様な政権のために衰退を続けている。外交に対して、明確な意思表示ができないでいる。自分のことだと分からないのであれば、韓国の文政権と同じ状況に陥っている。支持率が低下して、自分の意思が表明できないでいる。すべてをコロナの混乱に巻き込んでいる。

 この方向を見失った隙に中国は覇権主義を強めている。台湾のことが非常に心配である。とつぜん台湾のパイナップルを害虫がいると主張して輸入を禁止した。これが政治的な脅しであることは明らかである。尖閣諸島にたいしても、何らかの圧力を高めるはずである。

 武力的な行動に進ませないためには、日本政府は中国と尖閣諸島の解決に向けて、外交行動を取るべきだ。そして同時に、台湾のパイナップルの購入を国民的に協力すべきだ。台湾との連帯をパイナップル購入で示す必要がある。

 すでに多くのスーパーでも販売されているし、楽天やアマゾンの通販でも売られている。東日本大震災の時の台湾の国を挙げての日本への応援を、パイナップルを購入して、感謝を示すべきだ。台湾への中国の虐めを許さないという姿勢である。

 中国が態度を変えてきたのは、国力に相応しい扱いを受けたいと言うことなのだろう。世界一の経済大国に近づいているのに、世界から疎まれているという意識がある。日本から見たら、大国らしい振る舞いがないと言うことになるのだが、歴史にないような速さで近代化し、先進国化して、政府も中国国民も大国としての余裕はないのだろう。

 それは中国に抜かれるかもしれないと感じ始めたアメリカの余裕のなさと同じように見える。資本主義の競争主義が余裕などないような、えげつない状態になっていると言うことからきている。そして、その経済対立が、世界の危機的な状況を深刻化させ始めている。

 今、西欧諸国が経済ではなく、人権問題であるウイグル問題を対立の中心に置いたことは、良いやり方とは私には思えない。チェンネルサクラと似たようなものだ。本当は経済で中国のこれ以上の世界進出を許したくないという事なのだろう。

 ウイルグルの問題は複雑である。イスラム教の問題がある。それならば何故、イスラム諸国からウイグル支援の動きはないのか。これも経済問題が大きいと思わざる得ない。中国はアラブ諸国との経済関係を欧米諸国以上に強めている。

 世界中が資本主義経済の競争主義の結果、相手に勝たなければ、自国が衰退するという状況に陥ってしまい、自国の経済問題の解決には誰か国外に悪者を見つけなければならなくなっている。ところが企業はそうした枠を越えて、利潤のための独自の動きをしている。

 中国とのウイグル問題を掲げての対立も、結局のところ経済の対立が背景にある。中国がアフリカに進出するのも、市場と言うことなのだろう。欧米諸国は自分たちの所場を荒らされるのを、黙ってみていられないと言うことにも成る。

 日本は方角を失っている。アメリカとの軍事同盟に依存して中国に対抗しようという考えは、だんだん危うくなるだろう。アメリカにその余裕が失われて行くだろうし、中国の軍事力の強化はさらに強まるだろう。それは欧米諸国が圧力を強めれば、より強化することだろう。

 日本は中国との関係を模索するほかない。日本は長年アメリカの属国としての立場に慣れ親しんだわけだが、アメリカと距離を持たざる得ないことになる。アメリカとの同盟関係が、日本の負担になるときが来る。中国とアメリカとの、等距離に日本は立たざる得ない時が来る。

 それは、不安定で厳しい状況であるだろうが、東アジアの小国として、揺り動かされながら、しぶとく日本という場を確保するほかに道はない。これからの世界は、軍事的に占領し、植民地化しようなどと言うことはまず起こらない。それは経済的にそんなことだからだ。

 資本主義では商売相手を食い潰してしまえば、自らの損になる。国がいくら覇権主義的であるとしても、企業というものは利潤を求めている。一番り中の可能性の高い方角に進んで行く。この経済の原則は国といえども逆らうことは出来ないだろう。

 日本一番でなければダメだというような、荒唐無稽のことは捨てて、北欧やスイスのように、安定して国民が暮らして行ける国を目指せば良いのだ。江戸時代の日本人の選択を思えば、充分に幸せな国を日本列島に作ることは出来る。

 そのためには経済至上主義を捨てることだ。暮らしの充実に方角を転換すべきだ。中国というとてつもない、経済市場主義国が近所で成功を収めるとしても、日本は日本として立派な心豊かな国として進めば良いはずである。経済至上主義は必ず、人間を破綻させる。

 中国は当分このまま行くだろうが、そのままで終わる国とは思えない。中国が、中国人が経済だけでないものを求めるときが来るまでしばらく時間はかかるのだろうが、必ず気付くときが来ると思っている。中国で接した人達の人間の大きさ、豊かさを思うと、このまま経済一辺倒で進む人とは思えない。

 中国は人口も多い。国もすべてに発展途上である。もうしばらく、周囲に迷惑を掛けながら進むと思わざる得ないが、日本は一定の距離を保って、日本が独立国としての方角を明確にして行くことしかない。

 
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官僚を悪用しだめにしたアベ・菅政権

2021-03-24 04:37:58 | Peace Cafe
 

 アベ・菅政権は良心的な官僚に見捨てられたようだ。出てくる政策がない。人事で官僚を引き釣り回したのだろうが、国民のためを思い、日本の為と頑張っていた官僚は、閑職に追いやられた。そして、有為な人材がいなくなった。

 今、責任ある立場にいる官僚は政権に従うだけの、自分の意見のない官僚になったのではないだろうか。これはという政策を聞くことはなくなった。たぶん言われたことだけをこなしているのだろう。日本をこうしたいというような人は意見が言えなくなったのではないだろうか。

 民主党政権は官僚の造反で沈没した。その反省の元に、アベ・菅政権は官僚を人事で支配することにしたのであろう。確かにこれは成功を収めた。アベ政権では官僚は、首が痛くなるほど上ばかりを忖度して動いた。アベの奥さんの始末やら、菅の息子の尻脱ぐいまでして歩いた。

 当然骨のある人はあまりの馬鹿馬鹿しさで止めていったに違いない。残るは言いなりの忖度人間が中心となった。その結果優秀と言われていた日本の官僚の能力がひどく低下してしまった。自分の意見を主張する官僚は閑職に回されているのだから、能力低下は当然の帰結である。

 これが日本が衰退して来ている大きな原因になっているのだろう。数名の官僚の人と接触したことがあるが、確かに優秀であるとおもった。有機農業の意味など私以上に考えてくれていた。しかし、その人が言われていたが、自分たちが充分に動けるように、国民がしてくれなければ無理だと言われていた。

 アベ・菅政権下では、政府が気に入るようなことだけを上申するような官僚が責任者なのだから、政策はまともな物にはならない。菅政権の自慢は携帯電話の値下げである。こんなことに政府が圧力を掛けて行えば、必ずひずみが出来る。ただでさえ遅れている。5G対応などさらに遅れるのだろう。こんな政策ではダメだ。

 人間が最高の能力を発揮するときは、自由な空気の中で、自分の興味に従って、みんなのために働くときであろう。自分だけが優遇されるために、忖度して働くようなときに、人間には本当の力が出るはずがない。まともな人間は徐々に腐って行くはずだ。官庁の空気が濁っているのだろう。

 アベ・菅政権による官僚操作は人間としての官僚をだめにした。優秀で自信家に違いない官僚を、人事で操作をしたのだ。確かに民主党政権では官僚が政府の意向を無視して動いた。そのために政府の能力不足が露呈した。能力不足があからさまになるように官僚が動いたのだろう。自民党政権に戻るべきだと考えた官僚が沢山いたのだろう。

 政治家は国民の意向をくみ取って国の大きな方向付けをする。それを官僚は、法律や憲法に従い、具体的な予算の枠組みの配分を行い、政策として仕上げる。予算が実施されれば、各地方自治体が実施できるように指導し調整して行く。官僚の能力次第で、政治家の意図が実現できるかどうかになる。

 官僚が政府のぼろを隠すために、犯罪まで犯すようでは良い政策が出てくるわけがない。総務省が大臣をはじめ多くの職員が、接待を当たり前に受けるような状態である。これが総務省だけのはずがないだろう。他の省庁だって何ら変わりはない。

 菅政権は外交では発言すらしない。菅氏がミャンマー軍事政権に対してどのように考えているのかは、まるで見えない。発言が出来るだけの見識がないのだろう。それをカバーする外務官僚がいない。韓国との数々の外交課題にたいしても意見の表明はない。こんなことでは日本の独自な外交はないとしか思えない。どの領土問題についても、今、外交努力を行っているようには見えない。

 中国とアメリカの対立はこのまま深刻化するだろう。そして、それが世界を不安定にする。日本はどのようなスタンスを取り、今後土言う外交を行うのか、今の領土問題に対するような、曖昧模糊とした態度では大変なことになるに違いない。

 官僚を生かす政治でなければ良い国にはならない。ところがアベ・菅政権は政府に忖度し、言いなりになる官僚を重用した。憲法解釈を変更しようと思えば、無理矢理自分の考えに従う内閣法制局を作り上げた。こうして、正義とか、公正というものはいつの間にか失われた。

 国会で官僚は痴呆症になってしまい、何でも記憶を失う人間になった。虚言癖、記憶喪失が官僚の病状となる。これではやる気のある人はたまらないだろう。武田総務大臣に記憶にないと言えば良いのだと指示されて動くのでは、情けない限りだろう。しかし、従っていれば出世が約束される。これが菅流の人事による人間操作である。

 民主党政権ではあの事業仕分けという奴を官僚が嫌ったのだ。ところが、事業仕分けして闇を無くせば、平等公正になってしまう。これでは官僚の鉛筆をなめる余地がなくなる。それで官僚は一致団結して、民主党政権に逆らうことになった。この地獄を見ていたアベ・菅政権は、官僚を人事で操ろうと決めていたのだろう。

 今度は官僚の生き地獄である。官僚が操作されている間は世間にはよく分からなかった。もうこの頃から優秀な人が外され、辞めて行っていたようだ。若い官僚の定着が悪くなったと言われている。早く辞めた人はまだ良かったのかもしれない。

 ところが同じやり方で、学術会議まで人事操作の対象になった。こうなるとさすがに学者は勲章だけでは動かない。勲章が欲しいから政府に曖昧な態度しか取れない上層部もいるようだが、さすがに従わないと思われる。学術会議は4月までに政府に回答を求めている。政府が回答しないときはどういう態度を取るのだろうか。

 もし学術会議問題がうやむやになれば、これはもう日本全体がいやらしい生き地獄になる。絵描きの場合勲章が欲しいならば総理大臣の肖像画を描かされるのか。そうまでしてと思うが、忖度して何でも平気でやる人間は必ずいる。そういう人間が社会全体を悪くする。

 日本が立ち直り、健全な国になるためには官僚が政府と対等に動くようにならなければならない。政府に官僚の人事を自由に出来ない制度を作らねばならない。少なくとも、政府の人事を監視公表するような制度が必要である。オンブズマン制度のようなものかもしれない。

 法制局の人事などは政府から距離を置かなければ、法律が歪んで行く。憲法裁判所がない以上、法制局の独立性がなければ、独裁国家のようなものになりかねない。自民党の内部でも、異論が出ない体質になっている。

 しかも、これは自民党政権だけの問題ではない。維新の党が政権を取る時代が来たとした考えた場合、今の制度をどのように扱うだろうか。さらにひどいことになるだろう。公明党ならばどうだろうか。これも又歪んだことになる。たとえ、左翼政権が出来たとしても、官僚の独立性や、法制局の独立性は担保される必要がある。
 
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沖縄の城グスクは迎賓館である。

2021-03-23 04:11:42 | 地域


 日本の城は大嫌いだ。お城好きの人が若い人に増えているようで、どこか不安な気になる。コンピュターゲームの延長のような気分なのだろうか。ゲームでも戦うと言うことがテーマになっているものが多いようだ。社会の階層化がこう言う現象を生むのだろうか。

 そもそも、お城というものが支配者の象徴だ。私には気分の良いようなものではない。城は武力的権力をの象徴だから嫌いだ。小田原城の館長は農の会の仲間だったので、嫌いというのも少しまずいとは思ったが、はっきりと嫌いだった。それは、鉄筋コンクリートだからだと最初は言っていたのだが、木造のお城を再建するという運動が生まれて、はっきりと武力的権力遺構など大嫌いだというしかなかった。

 同じ頃出来たものの歴史的遺物としては、元冶年間の舟原ため池がある。小田原城は再建である。こちらこそ残すべき農業遺構だ。しかし、全く見向きもされていない。やっとそれを掃除をして、もとの形に直して、久野々里地里山協議会で整備を続けている。こういう遺構の方こそ意味がある。

 日本の歴史はまるで権力の歴史しか見ていない。庶民の歴史の方が、人間の暮らしの歴史の方が当然意味が重い。一体教育に置いても、そういう基本的なことにいつ気付くのだろうか。学校権力者ばかりを覚え指すからおかしくなるのだろう。

 何故、見識のある人たちが古いものだからと言って武力の象徴であるお城を国宝などにするのだろうか。観光資源という意味なら分かるが、城に対する歴史的な批判は充分認識した前提でなければ、間違った象徴になりかねない危険なところがある。

 たぶん小田原城以外のお城でも刀や槍がかざってあるのではないか。私はそういう物を見るだけでぞっとしてしまう。何故人殺しの道具を見せなければならないのかが分からないのだ。日本刀の中には、国法というように、美術品扱いになっているが、武器はどこまで行っても武器だ。美しいなどと思いたくも無い。

 アウンサンスーチーさん所有の日本刀を修繕するというので、日本刀協会が引き受けたらしい。アウンサンスーチーさんには色々がっかりさせられる。そ言う曖昧なところが、軍事政権の介入を許したのではないだろうか。

 平和主義者だと思っていたら、とんでもない人だったと言うことにならなければ良いと思っている。刀を日本の昔の軍人が献上したらしい。降伏したので渡したのだろうか。平和主義者なら、そんなもの受け取り、いままでもっているべきでは無い。
 
 沖縄のお城は武力的なお城ではないところが好きだ。グスクと言うのだが、平和的なお城なのだ。あくまで平和外交の場として、諸国の使節団を歓待するための舞台である。唄を聴いて貰う。踊りを見て貰う。そして古酒を飲んで貰う。琉球国の文化の高さを示す歓迎の場だったのだ。

 敵意が全くないと言うことを文化の姿で外国からの使節団に見せていたようだ。その歓迎の迎賓館が首里城なのだ。だから首里城は迎賓館的要素が強くて、軍事的要塞としての機能はそれほどのものではないのではなかろうか。

 あの優美な城壁は、充分外国からの使節団に首里城の威厳を伝えたことだろう。又高台にある御嶽から、久高島の方角に祈りを捧げたのだろう。宗教施設的な意味合いも強い。臣民の統合の象徴は助成である司の役割でもあった。

 琉球国の武士というものは歌曲を演ずることが、習いであった。女性は唄を唄うことも、三線を弾くことも許されなかったと言うから、琉球国の芸能は男性が継承していた。この平和的な武士の存在は武力を持つことを禁じられたところから生まれたのだ。

 沖縄で空手が生まれたのも、武器の所持を禁止されたからである。空手に先手なし。あくまで防御のための護身術であるとして、琉球王朝の武士は空手を修練した。武士の精神を鍛えるための武術である。天皇家が武力を奪われ、文化で統治するという道を選択したことに似ている。

 日本は平和憲法を与えられ、攻撃的武力の保持を禁止された国である。現代の日本国のモデルのような国が琉球国だ。武力を使わず、文化を持って琉球国を維持していたのだ。統治されても支配はされず。独自の文化を維持した国である。

 琉球王国の武力なしに平和を維持する方法は、江戸幕府にも、薩摩藩にも、明治政府にも、弾圧された。しかし、その中でかろうじて琉球王国を維持してきた。現代であれば、武力がなくとも、日本国を維持する方法は見つかるのではないだろうか。

 首里城が焼失した。すこしづつ再建が進んでいる。多くの寄付が世界から集まったのだが、51億円もの金額だという。私は政府からコロナで貰ったお金は首里城再建に寄付した。又貰えるなら、首里城に寄付をさせて貰う。

 寄付金は是非とも首里城の平和的施設の再建に使って貰いたいものだ。琉球舞踊を演ずる舞台が望ましい。是非とも世界に誇れるような琉球舞踊を多くの人に観て貰いたいものだ。日本で一番美しい舞踊に違いない。と言うことは世界で一番の舞踊かもしれない。

 琉球舞踊をよみうりランドの民家園で見せて貰ったことがある。東京芸大に見えていた人達が、演舞してくれた。この時に全く心底感動してしまった。その精神的な凝縮度である。動き一つに込められた思いの深さに、身動きが出来ないほど心を揺さぶられた。

 能の舞台は家元のご子息に絵を教えていたので、良く見せていただいていた。琉球舞踊の動きは、能の影響を深く受けている。私の感じたところでは能にある霊性のようなものとは違う。琉球舞踊はもっと生にの人間の情のような精神を高めたものを感じた。実に崇高な舞踊である。

 能では身体を停止した最高潮の場面で、心拍数や脳波などの活動量は最高に達するそうである。琉球舞踊もそうだと思う。軽やかな体重など全く感じさせない動きのなかに、深い思いを凝縮している気がする。能のすり足とも違うのだが、緊張感は似ている。

 八重山に来て、八重山舞踊を時々観ることがある。こちらはもっと庶民の動きである。これも面白いものであるが、琉球舞踊の持つ精神世界とは少し違う。八重山舞踊は豊年祭などで見せて貰うと映えるもののようだ。琉球舞踊は現代の舞踊としてすごい。

 首里城にこの舞台が作られ、演ずることが続けば、世界に琉球王朝の意味を文化として伝えることが出来るはずだ。文化というものはそういう物ではないだろうか。是非とも城好きのひとは、沖縄の城廻りを楽しんで貰いたい。そして琉球舞踊を観て貰いたいものだ。

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放射性廃棄物を受け入れるとお金がもらえる地域

2021-03-22 04:17:23 | Peace Cafe


 北海道の2カ所の村が放射性物質の廃棄地域としての調査を受け入れると表明した。文献調査地区には、20億円の「電源立地地域対策交付金」が交付され、第二段階に進んだ場合には、さらに70億円が交付されることになっている。寿都町と神恵内村が応募を表明した。 

 本当にやるのかどうか、住民投票が行われることになったようだ。何故、受け入れ調査を表明したかと言えば、調査するだけで、20億円がもらえることになるかららしい。何という社会になったのかと思う。すでに予算案では10億円が計上したという。

 この交付金で人を動かすやり方の一番悪い点は、原発反対の人からは、この地域の人が良く思われない。お金のために受け入れなど希望する人がいるから、無くすべき原子力発電がなくならないのだという気持ちである。つまり日本を分断してしまう政策である。政府は原発の是非という問題の本質には向き合わず、お金で都合良く問題をすり抜ける。

 こういう補助金制度は、原子力発電所を受け入れた地域には交付金という形で、様々な報奨金が出ていた。つまり、みんなが嫌がる物を受け入れたのだから、恩恵としての報奨金がでて当然という仕組みなのだ。電力会社も様々な形で地域へのお礼金のような物を出している。

 地方の自治体の中には消滅の危機に陥っている自治体も少なくない。消滅するくらいなら、原発の受け入れの選択もあるだろうと言う自治体が出てくる。その意味でいえば、福島原発事故の後、首都圏の電気を受け入れていて、こう言う事故が起きた。福島が首都圏の犠牲になったと言う声が、福島の地元から出ていた。

 私は少しこれは違うと思った。原発を受け入れた責任はその地方自治体にある。受け入れ支持の町長を選び、議員を選び続けたのは住民である。住民投票をやれば良かったのだ。誘致派の政治を選んだのは地元民ではないか。それで事故が起きたのだから、首都圏の人達を恨むの筋違いだと感情的な反発を感じた。原発の爆発の不安からだった。

 今も各地で原発受け入れを表明している自治体が後を絶たない。大きく見れば、交付金を貰いたいと言うことが主目的ではないのだろうか。そして原発という職場である。こう言うお金で人間の心を動かすというやり方は、いつの間にか日本の政治手法に定着した。実際交付金がなければ何も動かない社会なのだろう。

 福島の汚染度も、汚染水も、結局はお金で解決すると言うことになるのだろう。それ以外の方法はどう考えても見当たらない。見当たらないとは思うが、そういう手法で処理して行くことで、人間や地域社会をだめにして行くのだろうと思う。

 沖縄では普天間基地の辺野古移転を受けれれば、交付金を与えると政府は常々主張している。地元名護市の市長が稲嶺氏に変わったために、交付金は打ち切られた。そして、名護市市長選では辺野古米軍基地容認派である渡具知武豊が市長に当選すると交付が再開された。 市長の当選の原因は交付金が大きく作用している。

 米軍再編交付金は、2007年4月に制定された米軍再編推進特措法に基づいて交付される。米軍再編計画への協力度に応じて地方自治体に交付されるこの交付金は、協力しようとしない自治体への交付はなされない「報奨金化した振興事業」である。 

 これは県知事選でも同じことが行われている。米軍基地賛成の知事が当選すれば、自由に使える交付金を与えると、選挙前にはいつも大いに宣伝する。それでも今のところは自民系候補は当選できない。お金には換えられないほど、米軍基地の被害は大きいからである。これもお金で動かそうとするに違いない。

 政府が沖縄県に、建設予定海域の埋め立てを承認するよう申請していたことがある。補助金が大幅増が約されたのは、安倍晋三首相と仲井眞弘多県知事との会談がなされた2013年12月25日である。その2日後、仲井眞知事は、政府が申請していた辺野古沿岸域の埋め立てを承認する。増加した459億円は、沖縄の国策への貢献に対して支払われた報奨金である。抗して裏切り者としての仲井真氏が誕生した。

 この報奨金制度という物は社会を分断する原因になっている。この文章の前の部分で、お金を貰って原発を受け入れておいて、事故が起これば、人の責任だけにできないと書いた。お金が原発反対の私と地元住民とを分断させている。

 今度は翁長氏が仲井眞氏を破って沖縄県知事に当選すると、沖縄関係予算は減額され、2018年度以降は3010億円で固定となっている。しかも2019年度からは、予算額のなかに、市町村に政府が直接交付することのできる「沖縄振興特定事業推進費」が組み込まれており、政府は意向に沿う市町村への恣意的な交付ができるようになっている。

 政府は、通常の再分配というべき沖縄関係予算をも、報奨金的に交付するようになった。これは予算措置を通した沖縄の自治への介入である。2018年8月に逝去した翁長前知事の遺志を継ぎ、辺野古への基地建設反対を公約に掲げて当選した玉城デニー知事は、今も反対の立場を取り続けている。

 知事の任期が終わる2022年は、沖振法の5回目の更新を迎える年でもある。更新に向けた議論は2021年度中になされるだろうが、政府が「更新しない」という選択肢も含めた交渉を進め、圧力をかけてくるに違いない。

 受け入れ住民にしても、報奨金制度がなければ、受け入れたくないだろう。地域存亡の危機で、やむを得ず受け入れる選択である。本当は責められる立場ではない。これは米軍基地そのものを反対の私と、止むえず受け入れる人達との間にも分断を生んでいる。

 こうした嫌な物を受け入れるときにはお金が出るという政治手法は今や一般化されているとも言えるだろう。お金をもらうことで、お金を出す側への貢献を義務づけられてしまい、しかも貢献ができないものはお金をもらうことができなくなってしまう。こんな社会のことを、「報奨金化した社会」という。

 この「報奨金化した社会」では、誰もが不安を抱えながら生きていかなければならない。そして不安を直視したくない人たちは、自分たちが政府側の多数派に属しているという実感を持つことで、安心を得ようとしているのだろう。時に、マイノリティへの非難や排除へと接続していく。

 だがそうやって得られるのは、束の間の安心でしかなく、こころからの安心感は得られない。だから、本当に安心して暮らすことのできる社会をつくるためには、まずこの「報奨金化した社会」の論理を排し、否定していかなければならない。それは、「誰一人取り残さない」インクルーシブな社会を実現するための、とても大事な一歩なのである。

 
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第45回 水彩画 日曜展示

2021-03-21 04:04:15 | 水彩画
第45回 水彩画 日曜展示

 しばらくの間は中判全紙の大きさだけである。






200「屋良部岳からの崎枝集落」
2021.3








201「名蔵アンパル」
2021.3









202「グラスボートの眺め」
2021.3









203「五竜岳から鹿島槍の残雪」
2021.3







204「富士」
2021.3







205「信濃川」
2021.3










206「宮良川上流部」
2021.3








207「フキサの耕作地」
2021.3


 少し絵が動き始めている。絵が動くことはよいことだ。自分の意志で絵を変えると言うつもりはない。自分の何かを探しているのだから、自分の見方が変わるとか、自分という人間が変わらない限り、絵が変わると言うことはない。

 北斎流の毎日1枚描くという事で、身体が絵を描くようになってきた気がする。ある意味自動的な描き方で、長い間避けていた描き方である。脳が自分であるから、脳で描きたいと思ってきたのだろう。ところが、最近描き続けている間に、半分位は手が絵を描いている。

 頭では行き詰まっている絵を、手が突破していることがある。ああそういうことかと、手に教えられる。脳より手が上だとも思わないが、手の方が大胆である。手はためらわない。手には失敗がない。手は絵に責任を感じていないようだ。

 職人のように、手仕事と言うことだ。危険である。だからギャラリーでよほど絵を見ている。脳の命令に手を従わせなければならないとおもう。

 202番の「グラスボートの眺め」は竹富島でグラスボートに乗って描いた絵である。珊瑚礁の海底の景色である。何かおかしな絵ではあるが、一応残すことにした。珊瑚が死んでしまい、白化したものが異様な空気だった。

 又、この絵だけギャラリーで撮影した。いつかすべての作品をちゃんとしたカメラで撮影し直すつもりでいる。その時は室内で撮影のセットを作ろうと考えている。その時にどんな移りになるか、試しに一枚だけ写してみた。光は大丈夫なようである。

 実は番号が間違えていて、7枚のつもりが8枚になり、抜けていた202番にグラスボートの絵を後から加えた。もちろん記憶で描いたものだ。最近記憶で描く絵が多い。記憶で描きながら、風景を見ながら描いているのだから、少し違和感がある。

 絵その風景を前にして、実は記憶の風景を描いている。記憶に残っている風景は色だけであったり、そこにあった線の印象だけであったりする。それだけであると、現実感がなくなる。現実でありながら、記憶であると言うようなものを探っている。

 
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企業が国を超える日

2021-03-20 04:26:02 | Peace Cafe


 アメリカはバイデン大統領に変わりどのように変化するのだろうか。今後アメリカはよその国どころではなく、国内が手一杯になって来るとみている。大統領が本気で選挙が不正だと叫び続けるような状態である。それを信じて国会になだれ込んだ暴徒がいた。この分断は簡単に終わる物ではない。

 アメリカに変わって、覇権主義国中国が世界支配をするかと言えば、そういうこともたぶん無い。中国の方も今後、国内問題で手一杯になるだろうと思われる。香港、ウイルグル、台湾と言うこともあるが、それよりも企業の統制がいつまで保つのかと言うことである。

 ただアメリカも中国も国内で起きる問題を、互いに相手国になすり合い、攻撃的になる可能性がある。自分が苦しくなると、とかく問題をよその国に転嫁したくなるにちがいない。たぶん日本は劣化を重ねながら、そうした大国の争いに巻き込まれて行くのだろう。

 中国は商業主義国家で、覇権主義と言っても商売に具合が良いという方向に動いて行く国と見ておくべきだ。中国の影響力を高めておいて、うまく商売をするために影響力を強めようという発想だと思う。日本が良い顧客であれば、それが一番のはずだ。

 香港を完全に中国化したのは、中国の国家資本主義の成り行きと見るべきだ。現状では経済に自信を深めている。世界一の経済になると考え始めたのだろう。その道筋に、香港というワクの異なる経済の場所があることは、不都合なことなのだろう。

 ウイグル問題も同様である。イスラム世界の浸透を恐れている。中国という中華文化圏の形成をして、揺るぎない国家を作ろうというのであろう。これはいつの時代の中国も抱えていた問題である。中国という国家は単一国家としては余りに巨大なのだ。

 異分子を常に排除していなければ、安心できないのだろう。次の中国の課題は企業という国を超えて活動をする存在を、国家がどう統制できるかである。中国はアメリカを凌駕するほどの経済大国になると見て良い。それを牽引する企業であれば、外国との関わりを国が統制しきれるだろうか。

 中国は世界をコントロールを目指すと言うより、経済強国になりたいという思いの方が強いのだと思う。軍事力と言うより、経済力で世界を支配することを目指すのかもしれない。この時に、企業は世界で広がって行くためには、国の思惑と軋轢が生じる。

 いずれにしても近隣諸国への影響力を高めて行くと言うことになる。日本は中国の影響下の国になる可能性が一番高い国だろう。それは日本の建国以来のことである。その関係性はまだ見えないが、アメリカが徐々に後退する中、中国の経済の影響下に日本は存在するようにならざるえないのだろう。

 日本はこの変化に耐えられずに、国内政治に軋轢が生まれると思われる。中国に対抗すべき軍事力を強化しようとするも、とうてい差が開いて行く軍事力に絶望的にやきもきすることだろう。核武装論も登場するはずだ。アメリカの属国としてさらにへつらう、さらに見苦しいことが始まる。しかし、アメリカも一国主義的傾向を強めざる得ないのだろう。

 日米安全保障条約は徐々に実質を失い始めるのだろう。アメリカが自由主義を守るためという正義を自らが捨て始めている。正義など競争主義では存在しない、日米安全保障条約は中国の影響下長続きはしない。経済的連携と言うことで考えれば、アメリカよりも中国という時代は近づいている。

 アメリカよりも先に中国が環太平洋経済連携に加わることになれば、一気に状況が変化するだろう。しかし、英国側って入ろうとしているので、状況は分からない。アメリカの一国主義の失敗は大きく日本に影響する。トランプ、アベの落ち目の盟友関係はいかに実のないものであったかが今になれば良くわかる。

 これからの時代の流れは好むと好まざるとに関わらず、経済の流れが中国の企業に導かれて行くことになる。中国企業の影響下に日本の経済が動いて行くような状態と見るべきではないだろうか。この関係性に日本の企業は対応しようとして、日本政府は力を失う可能性がある。

 次第に国家というものの枠組みが、機能しない時代が来るのかもしれない。国家の力では解決の出来ない様々な問題が増加していき、その解決は大企業に期待されて行く。企業が人間の支配を強めて行くことになり、その結果国家という枠の意味が薄れて行くとみている。

 軍事力が守るべきものが変わると言うことでは無いだろうか。軍事力は国家という枠を維持するためにあったのだろう。しかし、経済は利益を求めて、国という枠とは別に動く。中国のように利益というものが国家理念のような国に置いては、正義とは利益であるとも言える。

 こうした国の軍事力は企業利益を露骨に意識せざる得ないだろう。香港に中国支配を強めた理由も、最終的には経済的な目的だろう。香港の経済力を中国に含みこみ、より合理的に利用したいという考えが強いのではないだろうか。

 台湾を中国の一部にするという考えも、その方が中国経済に有利と考えたときだろう。台湾を独立国としておいた方が、中国の経済に有利であれば、支配しようとは考えないはずだ。それは中国政府が考える以上に、中国の企業が考えているところだろう。

 後数年の内に、中国の企業の方向と中国政府の方向とがきしみを見せるはずだ。いままでは共通の利益で動けたのだろうが、これからは政府の方向が企業の利益を損なうと言うことはまま起こりうる。その時に中国政府は他のどの国より、企業利益を優先するように思える。

 韓国政府は日本に対して、韓国の企業利益を損なう判断を行う。こうしたことは中国では起こりにくいことだと思える。中国の反日教育はその方が中国の経済的利益に繋がると考えている間のことだろう。中国経済が日本を上回る状況では、日本をどう利用するかになる。

 中国人には人間力が極めて高い人たちがいる。合理的な科学思考が出来る人がいる。その上、広大な国土と、資源。そしてアメリカよりもはるかに大きい人口。だからこれからも経済成長を続ける。アメリカよりも可能性がるかに高い。

 どこかで中国企業と政府との対立が生じ、中国政府も覇権主義的傾向を和らげざる得なくなる。そうでなければ、企業が利益を損なうことになるのだろう。これからの社会は政府は制御できなくなる。企業が社会を動かして行くと見るほかない。企業を国がうまく制御することが出来なくなる。
 
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アトリエで絵を見ること。

2021-03-19 04:01:43 | 水彩画
 

 この写真は昨日の昼間写したものだが、今この文章を描いているときにもこんな感じに見えている。朝まだくらいので、電気を付けてみている。この7枚はこのところ描いたものである。どうにも先の見えない絵もあるし。何とかいいのではないかと思えるものもある。

 午前中は写生地に出かけて絵を描く。午後はギャラリーで絵を並べて眺めている。ご飯を食べているときも、酒を飲んでいるときも、朝起きてブログを書くときも見ている。左右の壁にまあ出来ている絵を掛けてある。今描いている絵と並べている。どう進めば良いのかをじっくり見ている。ただ見ているだけに決めている。家で絵を描くことは絶対にしない。

 自分の絵を見ると言うことが、絵を描くことと同じくらい重要だと思うからである。アトリエでは絵は描かないという考え方はたぶん水彩に変わって以来だから、30年以上になる。この場で絵を描き始めれば、自分の絵と対峙する事ができなくなる。自分の絵と対峙することがなければ、自分の絵に至ることはできないと考えている。



 ギャラリーの写真であるが、天窓からの光だけで充分明るく見える。ライトの明かりよりも見やすい。色もよく分かる。調子の微妙な違いや透明感も、鮮明に見える。たぶん自分の絵が一番見やすいギャラリーだと思う。いつかここでアトリエ展をやるつもりで居る。死んだ後、展示室になることを考えるが、これは難しいことのような気はする。

 四六時中絵を見ている。この時に翌日やることのほとんどは決まっている。やって見る前にやり終えた画面を十分の想像する。考えたことをやってみて、どうだったかその結果の違いをよく考えてみる。想像していたとおりになることの方が少ない。

 描き出せば、前日ギャラリーで考えていたことはすぐに終わる。充分考えたことなので、そのこと自体は考えた上のことだから、確かにそうなる。問題はそれが自分に近づいたことになったのかどうかである。それで又持ち帰り、絵を見ていることになる。

 時には描き始めると、手が動き始めて、その後はただただ画面に従い、進めていることもままある。多くの場合、一枚では終わらない。ギャラリーで3枚くらいはやりたくなっている絵がでてくるのでそれをやる。間違っているのかもしれないと、不安になることもある。不安でも出来ることをやっている。

 そして又その絵をギャラリーに並べる。並べてすごく良かったな、と思うことも無いわけではない。もちろんひどいこともままある。描いているときにはこれで良いかどうかはほとんど分からない。どうもそうした判断力が失われて、ただ手が動いて絵を描いている。自分の意識を越えてそうなってしまうと言うような状態なので、描きながら判断は出来ない。

 そして、絵を見ている。描いているときは画面まで1メートルくらいだ。眺めているときは6,7メートル離れている。この距離の影響が大きいように思う。絵を客観視できる。自分が描いたものであるとか、これから又描くものという気持ちは捨てている。

 何がどのように表現されているのか、あるいは何もないのか。できるだけ他人の作品を見るようなつもりで、見るようにしている。他人が描いたものだとすると、大抵は何を描いているのか見えてこない。まだまだ不十分と言うことだろう。一体誰がどう描いたのだろうというような気分で見ている。

 自分の絵だと思うと、惚れ込んでしまい描いている。ある程度わかっているから、そう思ってみてしまい、本当の客観視は出来ない。他人の冷たい目線で絵を見るようにする。その絵にある良さも探すようにしている。

 

 全体で中判全紙の絵が13点掛けることが出来る。ここは動禅を行う場所でもある。まあ、いわば禅堂でもある。右側のテーブルが、篆刻と書を書く場所である。思いついたときにすぐ出来るようにしてある。最近は絵にとらわれていて、他のことはやっていない。

 アトリエカーで出かけるようになって、実に具合良く絵が描ける。絵を描く流れが安定した。アトリエカーで午後も描いている日もある。こう言う日は絵が一気に進むが、後に疲労が残る。1時間30分絵を描いたら歩く禅を25分。1時間30分又描く。昼ご飯を食べて、又午後も同じことを繰返し、4時30分頃家に帰る。

 できるだけ絵を描く間に歩く禅を入れることにしている。絵にのめり込みすぎるのもどうかと思うからである。これほど絵を描きたくなることが続くのは珍しいことである。フランスにいた頃と同じくらいである。焦りというか不安に駆られて、描いているような感じだ。

 若い頃は何とかいっぱしになろうと焦って描いていた。そして今は死ぬ前にやりきりたいと言う死に焦りということなのだろう。コロナ時代の到来と言うこともある。人が死ぬと言うことを、教えてくれている。怖いというようなことよりも、終わりから今のことを考えている。

 最近絵にサインは入れない。出来たと思う絵でもサインは入れない。私の絵であると言うことが分かるように絵の裏には描いた年月と画題を入れている。しかし表面にサインを入れるというのはやらない。何か、サインを入れると商品絵画になったような気がするからだ。

 絵は遠からず精巧な模造品が可能になる。ゴッホの絵も、中川一政氏の絵も、私の絵も、同列に並べられるようになる。その時に人間が必要とする絵ははっきりとする。誰が描いたとか、そういう物語はさしたる意味がなくなる。希少価値という物もなくなる。

 もし人間にとって絵画という物がかけがえのないものであるならば、必要な物だけが残ることになる。私の絵が残るような絵だと言うことではない。誰でもが描いている絵はそういう未来の選別の前で描いていると言うことだ。このように50年前に考えていた。その予想は近づいた。

 そういう時代は徐々に近づいている。それがたとえ100年先のことでも、たいした違いはない。人間が作り出した物で、必要なものであれば、必ずうり二つの複製ができると言うことになる。ボッチセェリーと宗達のどちらを見たいか、というような時代が来る。

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民主主義の次の時代

2021-03-18 04:12:06 | 暮らし


 民主主義が失われ始めている。世界では民主主義国家の方が少なくなったと言われている。日本でもこれが民主主義国家かというような事が繰り返されている。たぶん、民主主義では経済競争に不利と考えるからではないかと思う。人間の権利よりも、国の経済がそれどころではないと考えるようになっている。企業が民主主義で次の商品を決めていれば、天才にお任せの企業に勝てないと言うことのような物かもしれない。

 競争主義がより厳しくなり、民主主義ではまだろっこしい。経済優先ではこういうことなのだろう。こうした上っ面の世界では、確かにその通りかもしれない。「小田原評定、久野寄り合い」判断に時間をかけた決断では、現代の早いうまい安いの商品世界にはついて行けないという現実である。

 しかし、ゆっくりで、滋味のある味がして、それなりの値段の食べ物が人間のからだには良いはずである。ファーストフードではなく、スローフードと言われている。人間を形成する食べ物の意味をよく考えれば、売れれば良いと言うことだけでは良いはずがない。経済格差がファーストフードを広げている。高い物が良いとしても売れないから、粗悪品が競争に勝利している。

 商品経済はまさに民主主義の劣化を表している。民主義にはやせがまんがひつようなのだ。売れる商品が多数決の良い見本のようなものである。安物が選ばれざる得ない社会。しかし、よく考えれば売れているから良い商品ととうてい言えない現実がある。売れるくだらない物のために、大切な物が失われている。

 良い事例が、手織りの布である。これほど素晴らしい布は日本以外にはないと思うほど素晴らしい布がある。沖縄の布もすばらしい。何しろ中国に流れ着いた沖縄の漁師の着ている服をみて、こんな布を着ている漁師がいるとはどれほどの文化の国がこの海の向こうにあるのかもしれないと、都に報告書が届けられた記録がある。

 一つの着物を作る為の布が何ヶ月もかかる。最低賃金で計算しても、100万円以上になる。だから売れない。どれほど良いものであるとしても、売れない商品は消えて行く。竹のざるの方が、プラステックのざるより美しいし、環境にも良い。しかし、100倍の価格では消えて行く。

 これが競争主義の現実である。それは商品だけで起きているわけではない。あらゆる分野に、文化にさえ及んでいる。文化自体が競争主義に巻き込まれて、衰退し、変質し、奇妙な物になり始めている。そのこと自体が余り問題にされることもなく、お金になる文化だけが生き残っている。コンピューターゲーム文化などまさにその代表である。

 それはまだ良いとしても、残さなければならないような崇高な文化がいつの間にか消えて行く。もうその素晴らしさを認識する人すら減っているから、消えたところで誰も悲しむこともないし、喪失感もない。これが文化としての民主主義の実情だろう。

 農業の分野では大規模機械農業が、伝統的農業を消し去ろうとしている。当たり前のことだろう。見た目では似たような大根が、300円と100円なのだ。栄養価も味も我慢できる範囲であれば、100円の方を誰だってえらぶ。

 プランテーション農業が、伝統農業を破壊し消し去ってきた。農業国でありながら、飢餓に苦しむ国がある。日本でも農業は国際競争力がなければならないとされている。そして、伝統農業が失われつつある。人間が人間らしく幸せに暮らすという原点が、すでに失われかかっている。

 その結果どれほどひどいことが起きているのか。農村の崩壊である。中山間地の村落の消滅である。競争力のないものなら、消えれば良いと言うことなのだろう。浅ましいことである。ふるさとはどこに行ったのだろうと思う人はまだ居る。しかしそうした年代の人も遠からずいなくなる。

 どうすれば良いのかである。資本主義経済と距離を置いて暮らすほかないといまでは考えている。自分の生活から変えて行くほかない。自分の着るきものであれば、自分の子供に着せるきものであれば、手織りの着物も作れるのかもしれない。自分の食べるものであれば、伝統農業で作れるのかもしれない。

 幸いというか、不幸にも日本は人口が減少し、中山間地は村落自体が消滅を始めている。離島ではさらに深刻である。中山間地の消滅地域に資本主義経済とは距離を置いて暮らす生き方である。社会全体を変えると言うことはもう不可能と考えるほか無いのだから、仕方がない。

 ユートピア的発想かもしれないが、競争主義に巻き込まれて生きるよりは人間らしく生きることが可能なのではないか。食べるものさえ確保できれば、ある意味何とかなる時代でもある。シャベルだけで自給自足を実現した、私が言うのだから、間違っているとは思わない。

 都市集中はコロナで問題とされても、結局は都市集中は続くはずだ。その方が当面の競争には有利だからである。商品経済の原理から言って、集中は効率を上げる。津波が危ないところに相変わらず人間は暮らしている。日々の暮らしの便利さは捨てられない。

 東北の過疎化と地方都市集中は今後も続く。政府は皇室の京都移転すら出来ない。発案すらない。政治タブーの一つなのだろう。民主主義では経済競争に負けるとなれば、民主主義は暫時縮小されて行くに違いない。社会から距離を置いて暮らす道を模索するほかない。

 人間は共同するならば、一日1時間の労働と100坪の土地があれば、食糧の自給が出来る。もし一人であれば、2時間の労働である。これは私が39歳から65歳まで実践し、確認したことである。一切機械力は使わず、開墾から始めた結論である。

 民主主義的生活を志す仲間の中で民主主義は再生するのではなかろうか。一人一人を大切にする考え方は、思いやる心がなければ成り立たない。トランプも習近平も人のことなどかまちゃられないと、明言している。他人は利用できるか出来ないかしかない。

 民主主義の次の時代は無視政府主義時代である。次の社会の方角は企業主義時代なのだろう。やりきれない社会とは距離を置いて、社会と言うか、世間を無視して自分の生き方を通す以外にないと思っている。社会全体という物を諦める以外にない気がしている。残念なことだがもう全体は期待できない物と見えている。

 だからこそ、自分たちだけでも互いを尊重出来る能力主義ではない社会を作る必要があるのではないだろうか。そのためには自給の田んぼを行う。そしてその中で自分の内心を、人のためを考えることの出来る人間に強化して行く。自給の田んぼの体験は身体がそういうことを覚えるための物でもある。

 
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動禅を行う理由

2021-03-17 04:23:04 | 暮らし


 動禅は身体が覚えると言うことだと思っている。人が何かを理解すると言うためには頭で理解しただけでは、まだ十分な理解ではない。身体でまで理解が浸透するためには、行動をして身につけなければ完全な物にはならない。そこで動禅を繰返し行うことで完全な理解にすると言うことになる。

 分かりにくい説明なので、具体的なことに置き換えてみる。動禅の一つに歩く禅というものを行っている。ただ歩くと言うことを繰り返している内に、歩いているときの心境が3ヶ月ぐらいすると変わる。3ヶ月繰り返す内に歩くことを身体が覚えたことになる。

 それに気付いたのは、上り坂を歩くときであった。ウラント農道と言うところの一番上で絵を描いている。その場所から歩いて道を下り、又道を上る。絵を描いていて一段落したときに、これを行うようにした。気分転換のためである。

 これを繰り返している内に、降りているときと登っているときではまるで心境が違うことに気付いた。最初の内は良く意味が分からなかった。くだっているときは楽だから、余裕があり今まで描いていた絵のことなど考えて歩いていた。

 周囲の天国のような風景を味わっていた。鼻歌気分である。ところが登りとなると、一転して苦しい。苦しい中で分かったことは何も考えられないと言うことである。ただ必死に呼吸をして、足を動かしている。そうして、下り、8分登り、16分ぐらいを繰り返していた。最初はただそれだけである。

 このおおよそ1キロの上り下りを繰り返していて、あるとき身体が覚えた物があったのだ。登り道の苦しい中での無念無想である。歩くことの苦しさ以外に何もないぐらいの速度で歩く。慣れると上り坂とは言えだんだん早くなった。そのギリギリのところで歩くと、苦しくて考えることが出来ない。

 この考えることの出来ない状態の16分の感覚を身体が覚えたのだ。このただ呼吸をしているだけの状態で動禅を行う。苦しくない動禅であっても気持ちを集中して行うことがだんだん出来るようになった。スワイショウで身体を回転しているとき別段、苦しいわけではないが、ただ呼吸をしている心境で行えるようになった。

 それは太極拳24式を行うときでも同じである。他のことは考えずにただただ動きという物だけに気持ちを集中して行く。それが出来るようにだんだん成ってきたのは、登り道の歩く動禅を体得したからである。動禅で一番大切な、動きそのものになりきることができることだ。

 実は絵を描くと言うこともまるで同じである。絵を描くのは右腕である。当然頭も使って要るに違いない。ところが、どうも頭で描いている感覚はない。腕が描いているという意識である。頭ではあそこをこの色を描こうとしているのに、腕は違うことをしていると言うことはままある。

 画面の上に筆を下ろそうとして、違うところを塗り始める。そうなると、全く腕が自動描機のように、勝手に動き回っている。頭で止めると言うようには思わない。そういうときは腕に任せられるだけ任せてやって貰う。

 たぶんそ言う体験をしている絵描きは他にもいるのだと思う。少なくとも禅画を描く人はそうなのだろうかと思う。この意味をよく考えてみる必要がある。何十年もこうして頭で考え、腕が動いて絵を描いていると思ってきた。ところが頭で理解したというようなこととは違う、腕が覚えたことが沢山あるのだと思う。

 手の指の筋肉の動きを研究した日本人がいる。手の筋肉は28の筋肉で調整されているのだそうだ。この一つずつの筋肉の動きの強弱を加えて、人は指の絶妙な動きをコントロールできている。ピアニストの絶妙な演奏など、スーパーコンピューターでも制御できない物だそうだ。

 それが何故可能になるかは頭で動きを制御しているのではなく、脊髄からの指示で指が動いているのだそうだ。ピアニストは無意識の中、指はまるで自動的であるかのように動く。音楽に入り込み、ただその音を最善なものにしようと指が反応しているのだろう。

 これに極めて近い状態で絵を描いている。絵を描く反応を頭でしているのでは無く、腕が行っている。これがよく分かるのは書を書けば分かる。書を書いていると、自分の名前すら下書きがなければ点が出るのかでないのかさえ分からなくなる。

 文字を理解している能が、働いていないのだ。ただ、描く脳が働き、腕に反応を任せている。腕の良い動きだけに委ねている。そうでなければ書を描く、絶妙な筆さばきはできない。描きながら、脳にまで戻らない素早い反応で次の運筆を探っている。

 水彩画も極めてそれに近いことになる。描いているときは描く機械になってしまうから、技術だけの絵になりがちなのだ。いつものあの描き方で反応しますと、プログラミングすると、空を描く機械になり、花を描く機械になる。

 そうしたシステムで描くような水彩画を見ることがある。無理も無いところがあるのだ。そうしたつまらない技術だけの絵にならないためには、見ると言うことの重要性を考える必要がある。描く物をどれまで深く見れるかである。描いている絵の意味をどれだけ考えられるかである。

 言い換えれば、描くときの内心の無念無想の奥底にある自己世界の哲学の重要性と言うことになる。動禅は自分の無意識に向かう練習に成る。無意識と言うことは自己哲学が幼稚であれば、幼稚そのものの絵になる。

 自分という物を常に向上させ、より深い哲学と、豊かな世界観を持たなければ、当然絵は描けないことになる。よくよく自分の絵と対峙することである。この絵なら自分の絵と言えるのかを問うことである。描くことはその一瞬のことであるが、対峙し見ている時間は長く、深い。身体が覚え込むまで繰り返すことは何事にも必要である。

 筋肉が自覚するためには3ヶ月がかかるという。体操をして、筋肉が増えるためには、今のままの筋肉では足りないと言うことを筋肉に気付かせるためには3ヶ月かかるというのだ。人によっては半年かかることだろう。しかし、身体が覚えたことはなかなか抜ける物ではない。筋肉に覚え込ますことはなかなか大変である。

 身体が覚えた動禅の心境で絵を描く。これである。私の場合は風景を見て何を感じるかである。風景の本質本質とは、ふるさとを離れて何十年も経過した人が、記憶として思い出すような風景のことに近いと思っている。ただの青空であるかもしれないし、水に映った雲かもしれない。

 絵を描くことも動禅と大差ないものに成る。見ている世界を、絵として画面に再構築する。まあ、人から見たら何をやっているのかというようなおかしなことではあるが、この心境がどこまで進むことが出来るか。もうしばらく続けて見たいと考えている。
 
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