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地場・旬・自給

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石垣島の田植えが迫ってきた。

2021-07-31 04:23:02 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
 

 苗取りが終わった。10人で朝9時から12時半までだった。取った苗はそばにある川の中に置いた。川は何故か水がほとんど流れていない。以前はかなり流れていたのに、不思議なことなのだが、水位が大きく変わるのだ。

 名蔵ダムからの水の調整で、水量が変化するらしい。その調整については正確なところが分からない。今も水は止まっている。田植えでは水が無ければ本当に困る。今日もう一度川の上流を掃除しても、水が来ないようであれば、何とかしなければ大変なことになる。

 苗の状態は大きさは40センチもある。5.5葉期なのだが、分ゲツが余り出ていない。割合堅い苗でその点は良い。分ゲツがあまりないのは、ひとめぼれのためなのか、苗作りで何かかけていたことがあるかも分からない。

  苗床の土壌作りが促成のものであり、苗が充分に育たなかった可能性がある。1ヶ月前まで、慣行栽培の圃場であった場所で、急遽苗床を作った。有機の苗作りにとって、充分に育つだけの土壌では無かったと言うことになる。これは想定していたことではあるが、もう少しやってみなければ分からない。

 四週間の育苗である。3週間目の分ゲツが出始めた頃に風速30メートルの台風が来た。随分株が揺すられた。そして、土が苗床に寄せられ、波に乗って流れてくる細かな土で2センチぐらい埋まった。そして海岸に近いと言うこともあり、潮風にも大分さらされた。苗床周囲の株は塩害で下葉がある程度枯れた。

 田植え二日前に苗取りをしたのは、たんぼのみずが引く時間がまだ分からなかったからだ。土壌の様子から、全日の苗取りでは不安だった。やってみれば案外大丈夫だったのだが、用心のために二日前にした。次は全日にしても大丈夫だろう。

 3週間目のタイミングの台風と言うことで、分ゲツが抑えられたと言うことがあるかもしれない。田植えをすればそれならば回復するはずである。根が余り伸びていない。これも株の葉の様子からすると意外なことだった。だから簡単に苗を抜き取ることが出来た。

 根が少ないことについて言えば、土壌の影響のような気がする。気温が高すぎると言うことも考えられないことも無い。根が少ないという割には、葉の状態はそれほど悪くない。この辺がまだ十分には理解できていないところである。


 写真は畦際に置いた泥のまだついたままの苗である。急に水が来なくなり、根が洗えなくなった。もうドロドロになるので、急遽この分は畦際に水を堀り、そこに泥付きのまま寄せておいた。今日乾いているようなら水やりをするつもりだ。

 この分を田植えしなければならなくなると、少し面倒なことになる。この畦際に寄せた苗の量は全体の20%ぐらいである。出来ればこれはすべて補植用ということになれば、悪くないのだがこの点は植えてみなければ、分からない点だ。

 今のところ驚いたことは、病虫害が全くないと言うことだ。5,5葉期になっても葉先が枯れることが無い。小田原の苗作りでは5葉期を越えると、葉先が茶色く枯れてくることがよくある。暑い地域であるから、もう少し病虫害の影響を受けるのではないかと考えていた。

 ジャンボタニシは確かにすごい数居る。だから田んぼに水を入れたとしても草は生えない。これは驚くべきほどのものだ。水を一ヶ月入れておいて、まるで草の無い田んぼを想像できるだろうか。これが植えた苗も食べるというのだ。大苗なら大丈夫だと昔から考えてきた。

 今のところ苗床の苗は少しも食べられていない。そして、実験的に田んぼの中に2本の苗を植えたのだが、それも今のところ、完全には食べられていない。田植えをして、すぐには水を深くは出来ないと言うことらしい。すこしづつ水を入れようと思っている。

 大苗であればジャンボタニシに食べられないことが、はっきりすれば、石垣島での伝統農法の除草はジャンボタニシにお任せして問題が無い。害虫を敵としないことが、有機農業の姿だ。ジャンボタニシを駆除することなど不可能な状態なのだから、うまく共存する方法を見付けるほか無い。

 現在の所、昔から予測していたたようにジャンボタニシは私たちの大苗栽培では、食害は無いとなりそうだ。小田原でも田んぼの観察では大苗栽培では被害が無いとみてきた。稚苗田植えの機械苗では確かに影響が出る。

 ジャンボタニシ対策で大苗栽培が復活するとすれば、それはそれで悪い事ばかりでもない。イナバ方式のセルトレー苗作りであれば、大苗田植えになる。大規模農家でも取り入れることの出来る技術が確立している。イナバ方式が広がれば、一気にイネ作りが有機農業化して行く。

 これから石垣島で、有機農業のイネ作りをやるとすれば、一期作だけが良いと思う。今回の2期作目をやらして貰えることは、ずいぶんの勉強には成るが、やはり苗作りをしていても変則的な感じが否めない。暑すぎるし、土作りをする間が無い。

 有機農業で行う場合、二期作は土作りを行う間が無いから、苗作りがよほど難しいことになる。有機農業のイネ作りは一期作だけにして、二期作目に土作りを行う方が良いのではないかと思う。1月に苗作りを行い。2月に田植え。そして6月に稲刈り。7月から12月までは土作りの期間とする。


 いよいよ、8月1日が田植えである。石垣島でやる初めての田植えである。亜熱帯の真夏の炎天下、田植えをする。イネにも人間にも過酷なことである。7月30日、苗取りを行い、5,5葉期の苗である。大きさとしては良いのだが、分ゲツ不足の弱い苗である。

 これから田植えをして、次々に新しい事象に直面することだろう。ともかく観察である。イネから学ぶほか無い。熱帯での有機農業でのイネ作り技術を確立するためには10年必要である。身体が元気で10年イネ作りを続けることが許されるのであれば、取り組んでみたいものだ。

 田んぼが借りられるかどうか。この後起こるすべてのことを受け入れるほか無い。どういうことが待っているのかは分からないが、ともかく運命に従おうと思う。


 
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田んぼを始めて散歩をしていない。

2021-07-30 04:37:13 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
 
 

 田んぼにはこのところカンムリワシがきている。下の田んぼが荒起こしをしたので、虫が地面に現われて居るのだろう。それを狙って、木の枝に止まっている。車を止めて絵を描いているすぐ脇なのだが、人がいる事や人の動きにも余り気にしている様子は無い。

 絵を描いていて、顔を上げるとカンムリワシがじっと枝に止まっている。餌を探しているような仕草も無い。ただ、たたずんでいる。カンムリワシはl考えてでもしているように、枝の一部になってしまう。自然そのものである。
 
 絵を描くと言うこともああなれればとつい思う。つまり、何も特別なことは無い感じだ。カンムリワシはカラスにも脅かされている。弱虫の鷲だ。それでも泰然自若としている。カラスのような慌ただしさが無い。本当はカラスより強いからああ出来るのだろう。

 石垣島で田んぼを始めて良かった一番は、絵を描く場所が安定したことである。車を止めていても、さらに安心である。車の中でしか絵が描けない理由がすこし分かる。人の視線が気になると絵が描けなくなる。車の中だと周りからの視線が遮れる。

 以前は絵が一段落すると途中で散歩をしたのだが、今は田んぼでの作業を何かしている。草刈りや水源の掃除や、水牛のわかばの水やり。散歩よりも目的があるからやりがいがある。何も無ければ、わかばを川に入れてやる。

 午後は暑いのでわかばを川に入れてやりたい。水もやらなければならない。必ず田んぼに行く。田んぼに結局一日中居ることになる。昼は食事に帰り、昼寝をしてもう一度田んぼに行くと言う生活である。こうなれば一日中絵を描いていると言うことになる。

 一日一枚絵を描くということが、当たり前になってきた。一日中絵を描いていれば、良いか悪いかは別にして、絵は描ける。描かないでも良いのだが、ついつい描く。絵は失敗をたくさんすることも、意味があるようだ。たしかに失敗は成功の元だ。

 絵を描きに行く場所が安定してあるという意味が大きい。これが田んぼを始めた一番のよい結果である。崎枝のいつも描かせて貰っていた場所も良かったのだが、親しくさせて貰っていた小嶺先生が牧場を止めたので、行きにくくなった。

 毎朝通る場所の途中に良い耕作放棄された田んぼがある。使えないものかいつも気になっていた。たまたま、その田んぼの隣りの田んぼを荒起こしされている方を見かけた。良い機会なので、降りていって話を伺った。なんとその方は小田原で紹介されたKさんだった。この偶然に驚いた。

 小田原で知り合いになった田嶋さんという方がいる。石垣島から、小田原に越してき人である。農業に興味があり、小田原の農業の仲間の人から、農地を借りて耕作をしていた。その方から、紹介をされた人だ。石垣島の話を色々聞かせていただいていた。

 石垣に行ったらば、ぜひとも農の会の活動を石垣島でも始めて欲しいと言うことだった。いや、絵を描きに行くのだから、石垣島では農業はやらないのだと話していた。そんなことを言わないで、石垣島には農の会のような活動が必要なのだからと、強く主張されていた。確かにあの頃は石垣島で農業をやる気持ちは無かった。

 そして紹介された方が、石垣島の農業者のKさんである。同級生の方だそうだ。この方が相談に乗ってくれるように頼んでおくから、石垣に行ったならば、是非とも会いに行くようにと言うことだった。一度電話連絡はしたのだが、体調が悪いと言うこともあり、そのうちという事に成っていた。

 その方がなんと、耕作放棄地の隣でトラックターで耕作されていた方だったのだ。それで今回、田んぼを始めたことをお伝えした。そして、今の田んぼは臨時の場所であり、今年中に次の田んぼを探さなければならないと言うことをお話し、何とか次の場所を紹介してもらえないかお願いをした。

 朝偶然お見かけし、降りて尋ねたことは、何か導かれたようなことだった。もしこの縁が実を結べば、石垣島の農業のために何か出来るかもしれない。そのことは自分の絵のためでもあるようだ。動ける間は田んぼをやる。あと10年田んぼが出来れば、石垣島の有機農業のイネ作り技術が確立できるかもしれない。

 石垣島に来て、充分に絵を描かせて貰っている。田んぼのある石垣島の景色が好きだからだ。それは石垣島に美しい田んぼのある景色が残されてきたからである。石垣島の田んぼも耕地整理はされているのだが、それでも自然の中にうまく調和している。

 その田んぼを実際に耕作する経験は、田んぼを描くことに必ず生かされてくると思っている。田んぼをやらないければ分からなかったことがいろいろある。分からないで描いていた事に驚くほどだ。田んぼを始めて見て、小田原の田んぼとの違いに気付いた。

 身体で分かって絵を描くと言うことがある。絵が絵空事にならない。きれいな景色をきれいに描いているだけなのだが、田んぼを見ている眼が少し違うものを見始めている。あわてることはない。早く成果を得ようとすると、人まねや自分まねをすることになる。

 ゆっくりと自分の世界を、見ているとおりに描くようにして行けば良い。石垣島でのイネ作り法が見つかるためには10年かかる。絵だって同じだ。自分という人間の奥深いところに、絵が到達するためにはまだまだ時間がかかるのだろう。

 無理に本物風にするのが一番行けない。借りてきた人のやり方でこじつけることになる。つまらなくても良いので、見ているものを直視することに専念したい。そのためには田んぼをやる必要があった。今日は苗取りだ。どんな苗になっているだろうか。


 
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米中対立日本の安全保障の問題

2021-07-29 05:13:05 | Peace Cafe


 米中は世界の覇権を争っている。その原因は経済的優位の位置取り争いであろう。経済戦争を継続している。日本はアメリカ側の属国として存在する。経済について言えば、中国との関係も年々深まっている。対立することは何の益も無い状況である。

 しかし、習近平政権は年々その姿勢を硬化して、ウイグル弾圧や、ホンコン併合、そして南沙諸島の基地化を行い、尖閣諸島の領有権の主張も強め領海侵犯を繰りかえしている。いよいよ台湾併合も行おうとしている。どのような態度を日本は取るべきか。

 中国は好きな国である。中国から学んだ動禅体操を毎朝しているくらいだ。禅を生み出した中国人が習近平一辺倒のはずは無いとみてまちがいがない。中国でお会いした人達は、自由の精神を理解する、大人が沢山居た。あの人達が、単純な習近平の奴隷のはずが無い。

 たしかに今の習近平政権はただ事では無いと思う。様々な矛盾が内在しているために、強硬姿勢を進めざる得ないのだろう。経済が一度崩れ始めれば、政権の存続が危うくなるだろう。強硬路線の背景にはより強まっている崩壊の予兆があるのだろう。

  アメリカはオーストラリア、インド、日本と連携して中国に圧力をかけようとしている。日本を中国との対立に巻き込もうとしているが、対立して損をするのは日本である。日本、台湾、フィリピン、韓国ともに中国と対立だけではすまない関係がある。アベ政権の中国敵視政策が余りに単純で、外交政策とはとうてい思えない。

 確かに中国は日本の防衛の脅威になりつつある。しかし、それに軍事的な対抗策を講じたところで、対立を深めより中国を軍事国家に進めることになるだけである。一方で平和的手段で中国と協調路線を探そうとしても、糸口すら無いように見える。

 それでも、日本は中国との平和外交を進めるいがいにない。可能性は中国の国民の中にある。中国人は優秀で自由を求める人達である。今習近平政権に押え込まれているように見えても、このまま黙っているような人達では無い。

 一つには中国の経済成長は遠からず停滞に入る。高度成長というものはそういう経過になる。経済主義的な中国の人達は、暮らしが豊かになる方向の間は我慢している。しかし、生活が出来ない人達が出てきたときには社会的混乱が始まる。

 いままで無理をして高度成長に向かってきたひずみのようなものが、表面化してくる。一人っ子政策の結果起きてきている、人口のアンバランス化。情報の壁の限界。習近平政権自体が軟化せざる得なくなるのでは無かろうか。

 中国は様々な国内的課題を今は強硬路線で押え込もうとしている時だ。今は時間稼ぎをすべき状況であろう。日本は対立するのでは無く、柔軟路線を中国に残させる役割をすべきだ。アメリカ一辺倒の軍事対立は余りに知恵の無い対応と言える。

 米軍は中国とにらみ合うように、琉球弧から台湾フィリピン、グゥアムとミサイル基地を準備している。日本政府は喜んで沖縄を犠牲にして、基地の提供を申し出ている。この馬鹿な住民を犠牲にする戦略を推進しているひとりが、石垣島の市長である。石垣市民はいつまでもこのような人を選挙で選んでいて良いのだろうか。

 中山石垣市長などは尖閣諸島を中国から守らなければならないから、石垣島に自衛隊ミサイル基地が必要だとしている。こんな馬鹿な妄想をしている市長があるだろうか。ミサイル基地があるから、市民の命が危険にさらされるというのは、ごくごく当たり前の事である。

 市民の命を守るのが市長の役割である。たとえ、尖閣諸島が奪われたとしても、石垣島がミサイル攻撃を受けるよりもはるかにましである。まともな市長であれば、中国との平和外交を市民レベルで模索すべきだろう。中国を仮想敵国にするほど愚かなことは無い。

 石垣市民の安全な暮らしを米に売り渡しているのだ。ミサイル基地が無ければ、中国の攻撃目標には成らない。最悪の場合でも尖閣諸島が奪われるだけだ。中国が今現在最も重視しているのは、国内の安定である。香港への対応を見れば、そのことが分かる。尖閣を主張するのも国内の安定のためと見れば言い。

 石垣市民が中国ミサイルの爆撃を受けるよりどれだけましか。桜井女史などはなんと、沖縄県民は防人になれと主張しているのだ。なぜ、石垣市民が桜井氏のような馬鹿な人のために犠牲にならなければならないのかと思うと腹が立ってなら無い。

 石垣島にミサイル基地を作れば、尖閣諸島が守れるかと言えば、そんなことは無い。問題の根幹は米中対立にある。世界における米中覇権争いの隅っこにあり、最前線にあるとも言える、尖閣諸島なのだ。石垣島のミサイル基地など、世界問題から言えば無意味な犠打のような存在である。

 アメリカは中国を監視し、いつでもミサイルを撃ち込める体制を維持したいだろう。それが中国のアメリカ側の正面で出来るのであれば、実に有り難い防波堤である。その防波堤の目的はアメリカを守るものである。中国に対する太平洋側のミサイル防波堤なのだ。

 日本はこうしたミサイル基地を提供することで、日米安全保障条約によって守られるという仕組みである。これは沖縄を正面の防波堤として犠牲になって貰い、アメリカを守り、日本本土も守るという戦略だろう。これは日本の極右勢力も否定しないところだろう。

 この根本的な構図が揺るがない限り、沖縄が犠牲になることは続く。沖縄の負担軽減などあり得ない。実際に負担は増加を続けている。確かに表面的には米軍基地は減少しているが、自衛隊基地に置き換わり続けているのだ。自衛隊基地はいつでも日米安保で米軍が利用できるのだ。

 米軍も日本政府も石垣島が攻撃されている間に時間稼ぎをしようという戦略である。本土が攻撃される時間稼ぎのために、戦艦大和が犠牲に成る作戦を決行したのと同じことである。石垣島を守るためのミサイル基地だなどと寝言を言っている中山市長の頭はどうかしている。

 もちろんそのくらいのことは中山市長も分かっている。つまり市民が犠牲になることを承知の上で、石垣島にミサイル基地を誘致したのだ。その背景には裏取引が必ずある。宮古島では市長が賄賂を受け取っていて、逮捕された。

 中山市長にも悪い噂は流れてくる。私には事実を知る事はできないが、これほど市民にとって不利益な事を、民主主義を無視してまで強行するには、洗脳されるような理由が無ければならない。島の未来を売り渡したとしても、個人的利益を得られると考えるしか無い。

 本来であれば、市民の命を守ることが市長の第一義的な使命である。国の防衛はその次に来ることだ。ところが、市長の得意とする言葉が国の防衛は国の専権事項であり、市民も、現地当事者も、そして市長も口を挟むことは出来ないとしている。全く市長という立場を理解していない。

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生活を自分のものにする朝。

2021-07-28 04:00:43 | 暮らし


 生活を自分のものにする必要がある。まず始まりの朝は重要な時間である。朝はやることを決めている。一番長く続けていることが、ブログを書くことである。15年続けている。2006年3月とブログにある。その前の15年は、朝記録日記を書いていた。

 開墾生活に入ってから必要だったからである。山北に開墾生活に入ると、朝おきると、昨日やったことやその日にやることを整理しておかないと、実際の生活に何かと問題が起きた。それまでの40歳までの暮らしはある意味その日暮らしで良かった。

 大豆の種をいつ蒔く。と言うようなことを、記録しておかないと農作業はどうにもならない。開墾生活では何かを見て参考にするというようなことはまるで無かった。自分のやったこととその結果だけが、翌年の参考になる。

 自分というものを探求するための自給生活だった。自分の中にあるもので、どこまで生きる事ができるのかを確かめようというのだから、本もインターネットもなしである。手探りで探して行く。自分のやっていることを記録しておかなければ、次の年の生活の積み重ねにならない。

 朝起きるとその開墾の記録を書き留める習慣が始まった。必要に迫られて始めたことだが、自分で作る10年日記のような体裁ものをルーズリーフノートを作った。去年の3月はと言うことでだんだんにたまって行くようにした。そうした分厚いルーズリーフが3冊ある。

 それは絵を描く為の参考にもなることに気付いた。去年の塩山の桃は何月何日に描きに行って、桃の開花状態はどの程度で、どの当たりが良かったというような写生地の情報である。どこ神社の上の場所から描く場合、朝何時頃が光の状態が良いというようなことも、次のために参考に書いていた。

 開墾日記の間に絵を描く様々な情報が貯まっていった。開墾生活から、写生のためのメモになり、徐々に絵を描く為にその時々考えたことも記録するようになった。絵を描く為には絵のことをどう考えるかを文章化することが重要だと思うようになった。

 それが、ピースカフェという紙媒体の通信を止めることになり、ブログをやることになった。それが今も続けているブログになった。ルーズリーフノートより、便利で使い勝手が良い。公開していると言うことに抵抗がないわけでもないのだが、その辺は余り考えないことにした。

 考えないことにしたのだけれど、公開していると言うことから、徐々に内容が変化をしてきたのだと思う、「小さな田んぼのイネ作り」はブログから作った本だ。ブログでイネ作りのことが徐々にたまり、精度が高まり、農業技術として本にまとめたく成った。

 田植えをするときの苗の状態で一番良いものは、どんなものか。5,5葉期の両側に分ゲツのある苗が良い。と言うことに気付くためには繰返し試すことが必要だった。30年イネ作りをやったとしても、気付いたことを記録しながら、積み重ねて行かないと、誰でもが再現可能な技術には成らない。

 農業はその人ひとりの技である事が多い。伺うと農業者はそれぞれに伝統工芸士と言って良いような、知恵の集積をもたれている。ある意味職人である。最近、田んぼを始めて石垣島の農業者の方から、様々なイネ作りの経験を伺う。実際にやってみて気付いてきた技だから石垣島で行うイネ作りの知恵宝庫になっている。

 ただ残念なことに、伝統的な有機農業技術はやはり途絶えている。石垣島のイネ作り探求するためには、これから10年くらいの歳月は最低でも必要である。繰返しやってみなければ何も分かるはずが無い。沖縄のイネ作りが収量が低い原因には何かあるはずだ。

 暑すぎるからお米の収量が低いと言うことではない。東南アジアでは反収600キロを超えている地域が多数出現している。但しインディカ米であるのは確かである。どんな品種が石垣島で作るべき品種なのかは、十分に検討しなければならない。

 そのためには、これからブログで記録して行く必要がある。石垣島では「ひとめぼれ」が作られている。品種を変える必要があると思っている。それで一番参考になる方が、石垣島の熱帯農業研究所におられた福田善通 氏である。以前石垣島で研究発表をされていて、稲の研究データーを一番もたれているはずである。

 この方のお名前などもブログに書いておいたので、確認して分かったことだ。ブログにあれこれ書き留めておくことが、何にもまして重要である。ブログを朝書くことが生活の質を高めるためには、とても重要なことになる。

 以前は朝、一時間と考えて書いていたのだが、最近は二時間もかかっている。あれこれやりながら、と言うこともあるが、途中でいつの間にかネットサーフィンになっていることがよくある。今もアジアの米の反収調べをしていた。

 絵もみている。目の前の壁に並べられている絵を見ながらブログを書いている。いつの間にか、絵のことに入って手が止まっている。朝に絵を見ていて、その日やるべき事に気付くことが多い。その絵の良さを発見することもあるし、ダメなところも分かることがある。

 やるべきことが見えた絵を持って、写生地に出かけることになる。写生地で絵を前にしたときには、考えていたこととやることが違ってしまうこともよくあるのだが、ともかく方向は朝見ているときに考えていることが重要になる。絵のことを考えてとらわれていると、たちまちに時間が経過している。

 そして、6時になれば動禅体操を始める。これも朝の重要なものになった。70歳になって始めて、そろそろ2年と言うことになるが、よく継続できたと思う。石垣島にいるときには、やらない日は一日もない。動きを工夫しながら、ほぼ形が出来てきた。

 動禅体操は目をつぶってやることにしている。座禅では半眼という。眼を薄く開けているのだが、見ていないという状態。動禅は眼を開けていると眼に頼る。眼に頼ると身体の動きを眼と脳が調整しながら行うようだ。

 目を閉じてしまえば、身体の持つ感覚だけで動くしか無い。体重の移動も眼に頼らないで、より身体の持つ感覚を目覚めさせる。目を閉じて行う動禅体操になり、禅の心境に少し近づいたような気がしている。朝一時間の動禅体操は自分の生活の基盤になってきた。

 
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JTB沖縄による石垣島のポンツーン(浮島)設置計画

2021-07-27 04:37:14 | 石垣島


 JTB沖縄による石垣島のポンツーン(浮島)設置計画がでている。とうてい賛成する気にはなれない。どうしてこうも発想が箱物発想で古くさいのだろうか。あの美しい珊瑚礁に、人工物を作ることが観光にとってマイナスになる側面も検討する必要がある。

 ポンツーンと言う言葉は始めて聞いた。 崎枝半島の突端当たりの大崎海域での計画。海岸か ら約330m沖合に縦27m ×横50mの巨大ポンツーン を設置し、これを拠点に シュノーケリングやダイビング、海中展望室、グラスボトムボート、飲食などのサービスを提供する施設ということらしい。

 ポンツーン本体を中心に半径500mの範囲内でアクティビティを実施する。更衣室 やシャワー室、ロッカーなども完備する。収容人数は 300人規模。中くらいの船くらいの、「沖合の浮桟橋」というイメージか。世界一美しい海に観光施設を作れば、観光施設として事業になるという考えだろう。

 観光というとたちまち箱物作りになる。その結果、自然破壊と結びついてしまう。出来た観光施設で、失われた自然景観を考える必要がある。石垣島の自然を守ることが一番の観光資源であることに気付かなければならない。ただの自然ではお金にならないと言う企業論理が間違っている。

 石垣島の未来の姿を島民が充分に語り合わなければならない。今出てくるアイデアはすべてが、既得権を主張する土建的発想である。仕事を持ってくる為に、開発事業が次々に打ち出されている。もちろんそれらのすべてがダメと言うことでは無いが、あの美しい珊瑚礁に施設を作る感覚はどうかしている。

 企業の利益が優先されるから、出来た後のことよりも作るという事業に重きが置かれるということもある。作られないことで生まれてくる価値には目が向けられることは無い。お隣の西表島が世界遺産になった。それは島のかなりの部分の開発が制限されてきたからだ。国有地が多く、又国立公園の指定がされている。

 西表島でも「人間とヤマネコのどちらが大事なんだ」こういう問題提起がかつてあった。そして、どちらも大切と言うことで今に至っている。しかし、ヤマネコが見つかって以降の西表島の経過をみると、箱物の建設はいくつかに止まった。

 西表島では様々な要因が重なり、建設したいという要望と、建設しても経済性が無いという現実が、せめぎ合いながらかろうじて開発が抑制されたためだろう。その結果が世界遺産の島になったのである。世界遺産の島になったら成ったで、やはり「世界遺産と人間の暮らしはどちらが大切なのか」という問題が浮上する。

 どちらも共存しない限り、未来は無いと言うことだろう。経済の重要性は間違いが無い。しかし、この自然という資源を十二分に議論して、住民の共通の意識にならない限り、結局は世界遺産を契機に、島の観光開発というようなことになり、世界遺産の価値も失われ、その結果西表島の住民の暮らしも衰退する。

 石垣島の100年後の未来を考えるべきだ。どうすれば、石垣島の住民が豊かに暮らせるのか。これを住民の立ち位置から、本音で議論すべきだ。大きくいえば観光業が方向にあると言うことは、共通認識では無いだろうか。農業者の立場から考えても、石垣島の農業は観光業と接点を見付けない限り100年後成り立たない。

 石垣牛やマンゴーやパインの熱帯果樹はその好例である。しかし、そうした農業が石垣島の自然を破壊してしまえば、元も子もなくなる。その意味で、100年後のサトウキビには検討の要素がある。補助金が投入されなければ、なり立たないサトウキビである。サトウキビ畑からの赤土流出は危機的な問題である。はたして将来性はあるのかどうか。

 もし、観光のための施設が、観光の魅力を失わせるものであれば、取り返しのつかないことになる。浮島を作るとすれば、その設置場所は今までの観光業に影響を与えない場所であることは前提条件であろう。カピラ湾の出入り口のような場所では、問題外の場所である。

 石垣島の美しい自然が人工物で影響されてしまうとすれば、取り返しがつかないことになる。このあたりは希少な魚が生息すると、崎枝の漁師さんから聞いたことがある。漁師さんは保護しながら、漁をしていると言われていた。

 浮桟橋そのものが悪いわけでも無い。それはゴルフ場が悪いわけでもないが、場所がさすがに悪いというのと同じで、浮桟橋を作る場所が余りに悪い。むしろもっと沖合の西表との間位に作ればまだいいだろう。岸から見たとしても、さして気にならない距離である。

 沖合でも浅瀬はいくらでもある。昔は竹富島から西表島には棹を差して船で渡ったという。むしろ岸から離れた浮島の方が、別天地感が強くて、観光客には受けるのではないだろうか。やり方次第では新しい観光資源になる。

 石垣島の新規事業はいかにも進め方が悪い。すべてを決めてから、頭ごなしに有無を言わせず進めようという態度である。石垣島という自然環境は人類共通の価値だと考えるべきだ。この自然環境を共生しながらうまく利用して行くことが、石垣島の永続性ある繁栄に繋がる。

 水牛による伝統農業をどうやって、稲作農業の価値につなげるか。このことを考えている。できる限り水田を残すことは、環境保全になる。石垣島では通年通水による有機農業が可能な場所である。まず私はその技術的確立を目指したい。

 そして、水牛による稲作体系を構築し、観光と結びつけて行く。名蔵アンパルやアンパルの田んぼの間を水牛車で回る。水牛の代掻きを体験する。そして、体験したお米をお土産品として提供する。水牛米をどこのホテルでも使って貰うように進める。もう少し検討をしなければならないことだ。

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石垣島に台風が来た。

2021-07-26 04:29:08 | 石垣島


 21日午後4時のシーラ原田んぼ。強い雨で満水になった田んぼ、水位はこれで10センチ。入水は止めてあるが、雨が繰返し降るので水は十分である。川の水も増加してきた。これでダムにも充分に水がたまり、田んぼの水に関しては一安心である。

 石垣島に引っ越して、3年。始めて台風が来た。いままで台風らしきものは来なかった。そばを通過したことはあったが、被害のあるほどの風は一度も無かった。幸運なのか、この程度の頻度のものなのか、この辺はまだ分からない。

 ただ、石垣島直撃といっても上陸という表現は無いのだそうだ。台風が石垣島を通過したと言うことになるらしい。島だから台風の方が大きいから、台風の方から見ているような感じになる。日ごろは島に暮らしているという意識はほとんど無い。石垣島はそれなりに広い島なのだ。

 石垣島の台風は違うと散々聞かされていた。確かに70メートルを超える日本一の強い風が吹いたという記録がある。どうなることやら不安に満ちた4日間であった。台風まったく動きが止まった。まったく動きが止まった。

 宮古島の南150キロに3日ほどとどまることになった。台風が動かないと言うことも南に位置すると言うことなのだろう。どっちに進むのか分からない不安な日々がつづいた。最初は石垣島直撃という気象庁の予報だったから、60メートルが来るという気持ちが続いた。

 台風はいつ動き出すのだろう。動き出せば数時間で到達する。予測がたたない、何も出来ない3日間であった。絵を全く描けない苦しい3日間であった。結局24日になり、宮古島付近を通過し、東シナ海方面に抜けた。それなら、普通に暮らしていれば良かった。絵が描けないような日は実は一日も無かったのだ。

 気象庁の予報では石垣島を目指していることになっているから、毎日が気が気では無い。何しろ60メートルの瞬間風速の予報が毎日繰り返される。しかし、21日も、22日も結局の所20メートルの風も吹かないままである。落ち着かないので、田んぼを見に行き、水牛の世話をするだけで過ごした。

 23日の午後になり、30メートルを超える風が吹いた。さすがにこの日の午後は田んぼには行けなかった。24日にはもう普通に田んぼに行くことが出来た。あさ、わかばを見るまでは不安だったが、何でも無い様子だった。

 被害が出るほどの風には見えなかったが、とぅらばーまで唄われる第3アコウの大木が折れた。あの木の下で二回とぅらばーまを聞いた。石垣島の人にとっては記念樹のようなもので、悲しい気分だろう。印象に残る大木である。

 むかし、歩いて暮らした時代のことだ。北部から、町への用事で石垣の町へ歩いてくると、遠くに見えてくるのがなかどうみちの3番アコウである。樹齢250年くらいと言われている。昔は5番アコウまであったと言うから、一里塚のような大木だったのだろう。

 石垣島にはこうした大木がかなりある。それだけ石垣島が安定して、豊かな島だったと言うことなのだろう。生活は大変だったに違いないのだが、守られるべきものが守られてきたから、大木が残っている。大木が残るような地域と言うのも、分りやすい暮らしの道しるべだろう。

 停電が続くという前提で準備をした。もちろんインターネットも使えないという状況も考えておいた。ものが飛んでくるに違いないと思い、蘭を風の当たらない場所に格納した。水が一番心配だから、水だけは充分に汲み置いた。

 結局の所緊急対策はいらないことになった。いらないで良かったわけだ。蘭も少しも痛まなかった。花が咲き始めているものもあったのだが、何の被害も無かった。

 田んぼは今苗作りである。苗代がどういうことになるか。これも不安であった。以前聞いた話では田んぼに行ったならば、なんとすべてのイネが、根こそぎ無かったという話を聞いた。これでは対応も何も無い。ともかく苗床のネットをしっかり張り直し、波板で一部を囲んだ。

 全部を囲うべきだった。砂が苗床に打ち寄せて、積もってしまい、苗が大分砂の中に埋もれてしまった。砂は簡単には取り除けないので、一応金曜日の苗取りまで様子を見るつもりだが、様子によっては水を何とかして砂を流し出さなければならないかもしれない。

 問題は水牛のわかばである。そのままどこかに繋いでおくほかないのだ。風を避けられる木の下に繋いだ。強い雨の中でも気にせず、草を食べていた。水牛は確かに水には強い。風も余り気にしていないようだ。不安な様子はまったく無く、いつもと同じように泰然自若としている。

 むしろこの3日間はわかばにとっては快適な3日間だったのかもしれない。いつもからだが濡れていた。草は食べ放題で広い草地の真ん中でゆっくりしていた。草の中に寝転んでしまうと、風もさして当たらないのだから、エサの中に寝ているようで気分も良かっただろう。

 石垣島では最大瞬間風速30メートルの暴風雨圏だった。被害は調度実って後半だった、パイナップルは落下したらしい。あとは塩害と言うことになるが、苗は洗った方が良いのだろうか。塩害は1週間ほどしてから、影響が出ると言うから、心配はある。

 今日水だけはよくかけてやろう。水のあるうちに、よく水をかけてやるべきだった。昨日まで塩害のことが頭になかった。失敗をした。ホースを手に入れて、水をかけてやることは出来ないだろうか。あれこれ気になりだしたら、不安になってきた。


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第66回 水彩画 日曜展示

2021-07-25 07:20:06 | 水彩画

第66回 水彩画 日曜展示






363「河口」
インド水彩紙 中判全紙
2021.7







364「珊瑚礁の海」
インド水彩紙 中判全紙
2021.7








365「シーラ原田んぼ」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.7







366「マッツウンダ」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.7







367「小峰牧場あと」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.7








368「大里の農地」
アルシュ 中判全紙
2021.7








369「シーラ原田んぼ」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.7







370「シーラ原の谷間」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.7

 台風でなかなか写真が撮れないで、日曜の朝になってやっと撮影。それでもまだ風が強く苦労しました。写真は外で撮るのが一番正確な撮影になる。


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オリンピックのデタラメ

2021-07-24 04:20:35 | 暮らし


 昨夜は東京オリンピックの開会式があった。見ようとは思わなかった。その責任者が前日になって、ユダヤ人のホロコースト問題で止めさせられた。もう何をか況んやだ。その人を選んだ組織委員会が、なんとひとりひとりを選んでいない。とい直っている。

 日本の国としての責任と言うことを分かっていない。オリンピック開催に伴い、日本はどれほど国の威信を傷つけたかとおもう。まともにオリンピックを開催できない国であることを世界に知らしめた。懸命に努力してきた選手に申し訳が立たないだろう。

 オリンピック人事では五人目の、突然の辞任が起きた。責任は元森会長にある。まあ、当人も失言の責任を取って止めさせられた人なのだから六人目とも言える。人事が人物調査が無く行われたと言うほか無い。つくづく、日本がダメになってきたことを痛感する。

 この程度の事を見落としていたのかと情けなさが湧いてくる。責任者など居ないような態勢なのだろう。オリンピックやるという意味が分かっていない。オリンピック精神に相応しくない人を使うというのはあっては成らない。誰が考えても当たり前すぎることだろう。その前提を全く忘れていたと言うほか無い。

 すべての関係者にまずオリンピック憲章を配り、毎朝一度読み上げさせる必要がある。オリンピックを何故開くかが理解できていない。オリンピックで金がもらえれば良いというようなことでは無いのだ。もしそんなつもりで仕事をしているなら、まったく選手に対して失礼である。

 組織には人事審査部署が無かったと言うことだ。ただ、した受けの電通のような企業からの推薦をはいはいと受け入れたに違いない。日本のエンターテイメントのレベルの高さを見せれば良いという考えだろう。丸投げして置いて言い訳ではたまらない。

 この直前の準備状況を見ると、ますますオリンピックが心配になってくる。公的機関のレベルは下請け頼りで、ここまで落ちたと言うほか無い。いままでなら、当たり前と思われたことが出来なくなっているのだ。

 それで済まされてきた象徴が、防衛省副大臣である。 この人のツイッターにホロコースト問題を進言する人があった。自民党の中山泰秀防衛副大臣が国際的なユダヤ人権団体サイモン・ヴィーゼンタール・センター に〝通報〟していたことが明らかになった。

 なぜ、日本のJOCに連絡せず、アメリカの団体に進言した。どこかおかしくなってきている。防衛省では属国意識でアメリカに進言する習慣があるのだろうか。日本の安全保障も怪しいと言わざる得ない。

 この程度のことに目の届く人は居なかったのか。ため息が出てしまう。あの事務局長武藤敏郎氏はなんと、昔の障害者虐めを自慢げに語ったという、作曲家を、反省しているので問題ないとして、辞任させないことを発表した。この感覚のずれに一番驚いた。瞬時に正しく判断することができない。

 辞任させないでも納めらてしまおう、と言う甘い判断しか持ち合わせていない、元高級官僚。オリンピックというものを間違って考えていると言うことだ。昔の話だからかまわないとでも思ったのかもしれない。問題はそうではないのだ。音楽家としてのインタビューの中で自慢げに語り、謝罪行為が無いままきているような人間が、オリンピックは関わっては成らないのだ。

 武藤事務局長は大蔵官僚で、東大の客員教授。日本のエリート官僚である。その判断力の高いはずの人が、こんな間違った判断をしてしまって良いのだろうか。佐川局長を見れば、忖度以外の判断力など失われているとしか言いようが無い。

 オリンピックと同時にパラリンピックを開催するのかの意味を理解しなければならない。前回の東京オリンピックの時より始まったことだ。オリンピックにパラリンピックが含まれたのは人類の理想を確認する、平和の祭典だからなのだ。

 金儲けや国威発揚が目的では無いのだ。政府に理解している人はいないのだろう。オリンピックで一儲けしようという人達にお願いして、形だけを見せかけようというのが、政府の姿勢である。政府が組織作りをするだけの能力がない。

 経済効果や、利権ばかりに目を奪われている人達には、オリンピックの本来の目的をもういちど思い起こして欲しい。前回の東京オリンピックではプロ選手は出場できなかったのだ。あの頃日本にはプロサッカーが無かった。だから日本サッカーがメダルを取れたのだ。

 前回の東京オリンピックでは、アマチィアリズムとオリンピックなどという理想主義が語られていた。今は金儲けのために、スポーツをやって何がおかしいのかという時代に変わった。日本新記録を出したら1億円と言うことが、果たしてまともなことと言えるのだろうか。選手に対してニンジン馬でいいのか。

 今の時代一番金儲けに熱心なのが、IOC国際オリンピック競技会と言われている。バッハ会長の拝金主義は大変なものらしい。日本もそこに巻き込まれてしまった。スポーツ界や選手には人間として純粋なものを持っている人も多数存在する。それを汚してしまったのが拝金主義の社会なのだろう。

 人間が何のためにスポーツをするのかの根本を考える必要がある。そして、人類の祭典として、何故オリンピックがあるのかを考えるべきだ。その理由はオリンピック憲章の中に示されている。いつもこの原点に戻ることだ。 

「オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする」

 さらに「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」このように書かれている。

 渡辺直美さんを揶揄したような演出の提案が問題になって、禅演出責任者が辞任。そして引き継いだ演出家が又辞任。どちらも人権意識の欠落である。こうして、オリンピック委員会は世界に日本の人権意識の低さをさらした。悲しいオリンピックにしてしまった。

 人権という意味で、日本は変わって行かなければならない。今のままでは人権意識の極めて低い国だという認識を持たなければならない。オリンピックで、権意識の低さを露呈した以上、この機会に日本人は変わらなければならない。

 人権教育が行われていないところに原因がある。学校教育の中で、日本の戦争責任の問題が正面から取り扱われていない。原爆の被害者意識は生まれるとしても、アジア各国への加害者意識は育っていない。従軍慰安婦問題にしても、過去のこととして風化させようとするから、韓国の反発は収まらないのだ。

 日本は帝国主義の侵略戦争を行い、近隣諸国に1000万人の死者を出したという、深刻な被害を与えた。この深刻な加害を、深く反省するところからしか、日本の人権意識の再出発など無い。このみじめな東京オリンピックをその反省の機会にする以外にない。
 
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酒自粛から禁止要請の、法的根拠。

2021-07-23 04:14:18 | Peace Cafe


 コロナ緊急事態なので、お店では酒は出すなと言うことになった。その法的根拠がどうも曖昧である。そもそも、外食は不安で行けない。ワクチンは二回打ったけれども、お店でお酒を飲む問うようなことはとうてい不安で出来ない。それでも集まってお店でお酒が飲みたいきもちは分からないではない。

 もうしばらく、家で飲むので我慢して貰いたいものだ。感染爆発はコロナがさらに強毒化して、襲いかかってくる可能性がある。感染の連鎖と言うことは必ずそういうことを生み出すのが、ウイルスの変異だ。今、英国のやっていることは世界に脅威を起しかねない暴挙的実験である。

 ワクチンを二回接種した人が、感染して死亡し始めている。国民の68%がワクチンを接種している。そして急拡大している死亡者の60%が2会接種をした人である。ワクチンの効果が限定的なことが見えてきた。3回目の接種をするべきかもしれない。

 石垣島で暮らしていると、どういうときにコロナが広がり、どういうときにコロナが収まるのか、まるで感染症に実験場のように見えてくる。石垣島ではこの2週間で感染者は二名だけという、かなり収まった状態である。そして昨日は二名感染した。沖縄全体では、又感染が急拡大している。

 その理由が狭い地域で見ていると、なんとなく分かってくる。観光客の出入りが大きく影響している。接待を伴う闇酒場が営業をしていると、感染者は連続する。闇酒場の営業が続いているかどうかは路上寝込みの存在があるのかどうかで分かる。

 石垣島では感染が収まったと思うと、又波が来るように増加する。このコロナの波を乗り切ろうと観察していると、日本全体の波もよく見えてくる。オリンピックなど開催は無理だと考えたのは、石垣島での体感である。選手間の感染が抑えきれない。選手村が心配である。

 菅氏によると政府は時には挑戦をしなければならないときがあるのだそうだ。「五輪をやめることは一番簡単なこと、楽なことだ」驚くことに 勇気を出して挑戦したと言うことらしい。その挑戦の材料は国民の命である。菅氏の発言はあきれたことに競技が始まってからの汚い発言である。

 菅氏には勇気が無いから、オリンピック中止が出来なかったと私には見える。道に迷ったときに、蛮勇をふるい闇雲に進む人が一番危ういのだ。止める勇気。引き返す勇気。これは一番難しい決断だと、むかしから言われている。

 この発言は菅氏初めから辞めるという選択肢が無かったことを意味している。止めることを想定して、考えて見ることがなかったのだ。もし止めることを考えたとすれば、そこには様々な困難が見えてくる。しかし考えても居ないから、止めるのは楽なことだなどと言えるのだ。

 西村大臣が銀行から酒販卸に圧力をかけて貰おうとした。酒販店には補助金を欲しいなら、緊急事態破りの闇酒場への販売をしないと誓約書を出せとした。しかし、結局の所、法律違反になるおそれがあるとして、撤回した。私は西村氏の主張を支持する。撤回させた世論をおかしいと思う。

 緊急事態宣言下、酒を出している闇酒場は大繁盛しているらしい。ネットではそうした闇酒場の情報が流れているらしい。何度もの緊急事態宣言で、政府の要請に従っている酒場の倒産が続いている。社会正義というものがない。

 店舗を手放さざる得なかった店主が怒りのコメントを出していた。自分の店を居抜きで買い取った人は、なんとすぐ闇酒場にしたのだそうだ。そうしたら大繁盛しているそうだ。自粛要請を必死に守って自分は倒産した。自粛破りを前提で新規に店を始める人間が大もうけしていることが許せない。許してはいけない。

 社会正義というものが完全に崩れている。真面目に政府に従い、自分が倒産することもいとわなかったまっとうな店主が余りに哀れである。どうすれば闇酒場を取り締まれるかである。野放しにしておいて良いわけがない。禁酒法時代の再現である。アル・カポネとネス捜査官のアンタッチャブルを思い出す。

 非常事態宣言下、政府の援助金をだまし取る輩が何十万件も登場しているという。何しろ、専門家の財務官僚までが援助金詐欺に手を染めた。この法律がいかに甘いものかである。こういう悪事を斡旋する、税理士事務所まで登場しているのだ。まともな世の中とはとうてい思えない。コロナによる人心の乱れ。

 悪いやつほどよく眠る。寝ている内に肥大しているのだ。日本社会は倫理で守られてきた。自粛要請に大半の国民が率先して従った。医療関係者の皆さんのご苦労を思えば、病気になってもたいしたことは無いなどとはとうてい思えない。コロナは自分だけの問題では無い。

 頑張って自粛した人が馬鹿を見て、ずる賢く禁酒法破りが大もうけするようなことは、なんとしても無くさなければダメだ。東京のことは分からないが、石垣島でも禁酒法破りの店はチラホラ気がついた。私が気がつくくらいだから、警察や行政は把握できていたはずだ。

 しかし、把握できたとしても取り締まることをしなかった。理由はよく分からない。法律が無いのか。しかし、結局の所そうした店も、名前が公表された頃からだんだんに閉じたように見える。何度もクラスターが出たから、さすがに続けられなくなったのかもしれない。

 東京のような大都会では、自粛圧力だけではそういう訳にも行かないのだろう。ひどいことになったものだ。そこで出てきたのは銀行の融資圧力と、補助金誓約書である。ところがこうした方法もダメと言うことになった。

 闇酒場への政府の圧力が、違法行為だと言うことで取り下げられた。と言うことは政府には手段が無いと言うことを意味する。その代わりにこういうことを行うとは西村氏は言わない。手段が無いと言うことを国民にさらしている。

 そもそも闇酒場は補助金申請には向いていない。納税証明書が難しい。税金をごまかしている可能性がかなりある。どちらかと言えばいかがわしい所ですれすれにやっている店も多い。暴力団関係の店だって少なくないはずだ。

 コロナは表も裏も、見境無く広がる。これを合法的手段だけで、抑えることは無理なのかもしれない。この点では頭を抱えている菅政権に同情する。安心安全なはずの、オリンピック関係者の中でコロナ感染が出ている。その一は10万人当たりで数えれば、相当の感染数だ。

 日本選手にはオリンピック村に入らないで欲しい。バブルと呼ばれる安全な地域の中で、感染が広がれば、外より危険なことになる。濃厚接触者に認定されれば、競技に出られない可能性も出てくる。

 もう、ここまできた以上、無事にオリンピックが開催されることを願うばかりである。とうてい終わりまで持ちそうも無いが、手立てが無い以上菅氏と一緒に神風を祈るほか無い。あぁあ、オリンピックを止めることが楽なことなら止めて欲しかった。
 
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テレワークでも東京集中は続く

2021-07-22 04:23:28 | 暮らし


 奥に見える山が石垣島の於茂登岳である。沖縄県で一番高い山である。手前の水をたたえた田んぼが、みんなでやっている田んぼである。こんなに美しい田んぼでイネ作りができると言うことがすばらしい。こんな場所で暮らして、どんな仕事でも可能な世の中になることが理想だろう。

 政府はテレワーク地方創生を表明している。しかし、全く効果を上げていない。石垣島で暮らして色々の仕事が可能になる時代は来るのだろうか。世の中を見ると、成果を上げるどころか、地方の人口減少が一段と進むだけにみえる。現在人口増加は沖縄県と東京都ぐらいだろう。地方でも都市は増加して中山間地では集落が消滅してきている。

 理由は簡単なことだ、人は都市に集まるものだからだ。光に集まる蛾のようなものだ。都市にある混沌は若者を誘引する。ネオンサインの無いところでは若者はいなくなる。こう言ったのは田中角栄氏で、日本中にネオン街を作ろうとして、途中で折れた。

 高所得が人を集める。都会にだけ、高所得を得られる仕事がある。絵を描いていても東京にいなければ、商業画家にはなれない。大家になれば、フランスに居ても同じであるが。フランスでは売れないが日本では売れるという大家と言う人が多い。

 IT産業などどこにあっても同じようなものだが、シリコンバレーと言うような所に集中しているらしい。アメリカのどこからしいとしか知らないが、やはり谷間のような所なのだろうか。何故そんなところに集まったのだろうか。資本はより効率性を求めるから、集中しているところがより集中する。

 今度富士五湖の西湖のそばの閉鎖されたホテルを買収して、会社ごと移転した企業があると言う。絵を描きに行くと通るときがあるので、どんな場所かはよく知っている。65年前のその場所もよく知っている。生まれた向昌院は精進湖のほとりの大杉のある場所から、境川に移転したという記録がある。

 その場所まで峠を越えて歩いて行ったことがある。途中で芦安というところでおじさんが教師をしていて、一晩泊まった。蛇抜け石という場所があり、土砂災害の場所であった。土砂災害に遭い、移転したと言うことだろうか。精進湖は山深い場所だった。そこから西湖をとおり、河口湖まで又歩いた。そこからバスに乗って、御坂峠を越えて甲府に戻った。

 その山深いところにサティアンとか言うとんでもないものが作られた。すごい場所を見付けたものだと思った。オウム真理教団である。今はどこだったのかというほど痕跡も無い。とんでもないことで有名になってしまったものだ。地域の人には申し訳ない話だが、それでつい思い出してしまう。

 阪神淡路大震災の年である。1995年地下鉄サリン事件。武装蜂起のつもりだったのだろう。東京では暮らせないと思い開墾に入ったのが、1986年。山北の開墾地から、大島の三原山噴火が見えた。時代が変わろうとしていた様子を、社会から切り離された形で見ていた。

 その社会の変わり方は最後のあがきのようにみえた。一種最後のエネルギーが絞り出されるようだった。1970年何でも可能なように見えた時代がある。戦後民主主義の可能性が消えて行く時代。自分の道を探した20年が、開墾生活になった。

 山北の山の中の暮らしが、警察から監視されていた。自分たちに理解できないものは、危険分子として押さえつけてしまえという権力。自給自足で生きるというようなことは、権力にとっては望ましいことではないと言うことを身に染みて知らされた。

 紐付きのテレワークならば、良いのだろうか。飼い慣らされたポチならば、首輪をつけ、鎖を付けて繋がれている。勝手にひとりで生きている奴は何をするか分からない不穏分子と見られていた。排除の論理という言葉を思い出す。

 人口減少が東京にも及ぶようになれば、日本は急激な衰退局面に入ったと言うことなのだろう。人口が1億を切る当たりになれば、東京も人口減少になるのかもしれない。生きている内にそういう日が来て、確認できるかもしれない。

 今後コロナが一段落したとしても、テレワークはある程度は進むだろう。企業にはその有利さもあるからだ。通勤手当が削減でき、オフィース面積も節約できる。社員に家でやって貰ら得るならば、社員も会社も良いという仕事はどこの会社にも一定はあるのだろう。それは外注でも済むような仕事なのかもしれない。

 しかし、経済競争に勝つためにはテレワークだけでは難しい。新製品の開発が外注では難しいだろう。全く見当もつかない世界であるが、新しい製品はチームでやらなければ出来ない気がする。しかも寝食を共にするような仲間の中から生まれると言うこともあるのだろう。人間はひとりになる事で発揮されるものもあるが。大抵のことは、仲間との切磋琢磨で出てくる発想から出てくる。

 巨大企業が、可能性のあるベンチャー企業を喰いながら成長するようなイメージか。次の可能性は天才から生まれてくるのか、天才集団から生まれるのか、そうした可能性を巨大企業は自分の中に育てられるものなのだろうか。

 田んぼだって、ひとりで考えているより、みんなで考えた法が良い考えが浮ぶものだ。だから、農の会のイネ作りが、近隣農家よりも収量が増えたのだ。有機農業は一番優れた農法である。手間がかかるとしても収量が多くて当然である。

 しかし、それが普通の有機農家には出来ない。有機農業の農家はひとりでやる人が多いからだ。ひとりの考えでは有機農業の総合性になかなか到達できない。だから一般には有機農業は生産性は20%低いものとされている。

 江戸時代であれば、藩という1地域の集団性があり、という実践組織があった。そこで新技術が集団で開発されていた。そうした過去の有機農業技術は前近代的なものとして、捨て去られてしまった。

 今の時代に始めようとすれば、0からやらなければならない。その時必要なことはみんなで知恵を出し合うことだと思う。ここがテレワークでは難しいだろう。実際に田んぼを診ながら話し合わなければ、どうすれば良いかは分からないことがよくある。いわば現場主義の仕事も多いと想像する。仕事の仕分けが出来るかどうかなのだろう。

 とりとめも無いことだが、石垣島で新しい田んぼに挑戦しながら、そういうことを考えている。
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コロナとオリンピック

2021-07-21 04:00:38 | Peace Cafe


 オリンピックは大好きな平和の祭典である。平時で無ければ開催できない世界大会である。前回の東京オリンピックも大いに楽しませてもらっている。あのときは復興五輪と言われた。57年前と言うから、随分前のことになる。

 やることになった以上楽しませて貰おうと思う。無観客と言うことで選手は残念な気持ちはあるだろうが、何億人もの人が各国のテレビの前で熱く応援している。日本人選手が出るとなると、心配になってしまい直視できないかもしれない。それぐらい力が入る。

 しかし、今回はパンディミックの緊急事態宣言下の、平時ではないオリンピックである。開催できたことは出場予定の選手にしてみれば、嬉しいことだろうが、もし、選手村などでクラスターが発生し、出場できない選手が出ないかと今から心配である。

 各国緊急事態下の対応は違う。バブルの意味だって理解できない選手もいるだろう。すでに、甘い管理体制に心配の声が出ている。選手自身がルールを守るという前提でのオリンピックであるが、すでに亡命希望者が逃亡した事例すら出ている。

 英国ではウインブルトンが通常の観客をいれて、マスクなしで行われた。ジョンソン氏によると、通常の生活に戻したことで、死者や重症者は増えるだろうが、のりきろうではないかと国民に訴えていた。前回、それをやって失敗しているのに二度目の挑戦である。

 実際に感染者は爆発的にまた増えてきた。死者も少し増加を始めている。それを覚悟でやるというのもすごいことだ。国の経済を守るためには犠牲も止むなしという合意が、国として出来るようだ。これも民主国家の一つの選択なのだろう。

 オリンピックも普通に観客を入れてやるべきだという主張もある。もし、そういうことなら、英国のように死者の増加を覚悟してやらなければならない。そして、接触を伴う飲食店も酒を出すのも認めなければならない。そこに国民の合意形成があるなら、それはそれで良い。

 コロナパンディミックに対してどんな対応をするのかは、各国の政府が民主的に決めなければならない。日本政府は何にも説明を出来ずに、ワクチン全面依存だけの国である。それなら60%の国民がワクチンを打ち終わったときに、オリンピック開催だろう。準備や他のイベントの関係でそれが出来ないと言うらしいが、それなら止めるしかないだろう。他のことはすべてそうしているのだ。

 そのワクチンは不安だから打たないという人が居る。それも自由だから、それを説得したり、批判してはいけないと言われている。本当にそうだろうか。世間様はワクチンをできるだけ打って貰いたいと言うことだろう。理由が不安ぐらいでは、科学的に説明をして何が悪いのかと思う。

 一番の理由は副作用によって、死んだり、後遺症が残る人が居るからと言うの主たる理由のようだ。この理由はどこからどこまで間違っている。ワクチンを打って後死んだ人が250人居るというような意見だ。しかしワクチンと死亡の因果関係は明らかにされていない。

 一方で、ワクチンを打たない人で同じ年齢で、同じ期間に死んだ人は何人居たかとなれば、むしろ多いと言うことだ。つまり人間は必ず何らかの原因で死ぬ。ワクチン群と非ワクチン群を比較して、非ワクチン群の方が死亡者が多いのはワクチンの効果を意味している。

 ワクチンを打ったことで、感染リスクが大きく下がる。これはさすがに誰もが認める科学的事実だ。老人の感染者が下がってきた。そのために5波の流行にもかかわらず、重症者は増えなくなっている。ワクチンの社会的効果は明らかに見え始めている。

 ところが第五波で感染者が急増してきた。原因はデルタ株とか言われる変異株の感染力が強くなり、大丈夫だと思われた電車の中などでも感染が起きている可能性が強まってきた。こんな時にオリンピックは観客を入れるべきと言う人は、あるいはワクチンは打つべきでないという人は、もう少し科学的な判断をすべきでは無いか。

 そもそも、オリンピックで日本に来る選手および関係者、報道関係者の中から、感染が起こることは間違いが無い。バブルなどとよく分からない言葉で言われているが、オリンピック関係者と日本人とを分離すると政府は説明しているが、そんなことは出来るわけがない。

 ルールブックというもので、オリンピック来日者をコントロールすると言うが、それは一体誰がどのように行うのか。今のところ来日者の遵守精神に期待している程度のようだ。そんなことが出来るわけがない。残念ながら、感染者がそこからもすでに生じている。

 オリンピックは今も楽しみである。大いに楽しみたい。しかし、心配な気持ちは収まらない。クルーズ船のコロナ事故のようなことが起きないか不安がひろがり、楽しめないと言うことがある。コロナの影響で出場できない選手が出ないか心配で成らない。

 やることを決めた以上、ありとあらゆる方策を採り、万全なオリンピックにして貰いたい。と書きながらも、最近の日本の配慮能力の衰退を考えると大きくは期待できない。あちこち編み目がほずれていることが見えるようだ。

 日本政府はイギリス政府のように明確な態度を取るべきだ。ずるずる状況に押しながらされ、オリンピック開催は理由も責任も明確にならないまま、決まった。そして、結局は無観客にならざる得なかった。選手間で感染爆発が起きたときにはオリンピック自体が中止になるのだろうか。

 その判断は一体誰がするのだろうか。開催も中止もいつもの5人で相談してきめて、誰が判断したのか分からないようなことになるのだろうか。その時の五者協議は公開されるのだろうか。これからオリンピックを楽しもうと言うときに、どうも落ち着かない。

 いよいよオリンピックがやってくるのだが、今回はパンディミック下のオリンピックが可能なものかの実験的オリンピックと言うことになるのだろう。感染者が余り出ないで、何とか無事開催されることを祈るばかりだ。

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梅干し麦茶の作り方

2021-07-20 04:26:48 | 自給
 
    

 熱中症対策の決め手は「梅干し入り麦茶」だ。ともかくのどの通りがよく飲みやすい。田んぼの作業の合間や、絵を描いているときなど、いつも飲んでいる。午前中400CC。午後400CCは飲んでいる。麦茶のミネラルと、梅干しの塩分が合わさり、熱中症を防げる。

 梅干し麦茶を頻繁にすこしづつ飲んでいる。麦茶の効能はミネラル分が豊富と言うことがよく言われる。もちろんそれもあるが、それ以上に市販の清涼飲料を飲まないですむと言うことが良いかと思う。糖分、カフェイン、ジュースの高カロリー、合成甘味料、これらを取らないですむ。

 こういうものがなんとなく良くないと言うことは誰でも思うものだろうが、糖尿病の家系だから、カロリーの取り過ぎはとても気をつけている。夜55キロを超えていたら、酒を飲めない。こういう厳格なルールを決めている。酒が飲みたい余り、清涼飲料は飲まない。

 そこで、麦茶である。夏を越えるだけの麦茶が真空パックしてあるので、一安心である。麦茶の作り方は、まず、大麦を栽培するところから、ということになる。そのことはまず置いておいて、麦を煎るところから、とこれも次に置いておいて置く。

 1リットルの鍋に水を満杯にして、その上から表面を覆いいくらか山盛りになったぐらいの麦茶を入れる。そこに梅干しを一つ入れる。そして、13分煮出す。そのまま止めて、4時間さます。始めるのは4時だから、8時に携帯用のボトルに入れて出かける。

 4時にコーヒーを入れるときに、同時にこの作業をする。何でも同時進行が好きなので、この間トイレに行き、歯をみがき、顔を洗い、パソコンを立ち上げる。すべてが終わるのがおおよそ13分と言うことになる。何故13分が分かるかといえば、電磁調理器の燃焼時間を13分という所に設定するからである。

 すべてが終わる頃には、パソコンの前に座り、熱いコーヒーを飲みながら、メールとフェースブックを見ている。そうだもう一つこの間にやっていることがあった。忘れがちなのだが、書くのまで忘れていた。お風呂にある洗濯乾燥のために窓を閉めて、乾燥機を2時間かける。こうしておかないと、朝の動禅体操が終わった7時に洗濯物で風呂には入れないのだ。

 梅干しの効能は夏場の体調調整には外せない食べ物だ。昔漬けた三年もの、四年ものがまだ沢山ある。梅干しも古いほどエライと思い込んでいるので、ついついため込んである。梅干しも梅の栽培からと言うことになるがこれもここでは置いておく。

 夜中など目が覚めたときにも飲んでいる。案外夜中に汗をかいて、熱中症の危険がある。何しろ、石垣島の夜温は29度以下にはならない。冷房を入れて寝ているが、それでもかなり寝苦しい。夜中に目が覚めてしまうこともある。

 一つ外せないことだけ書いておけば、完熟落ち梅を使うと言うことである。かなり味が違ってくる。深みがあると言うか、まろやかさを伴う梅干しになる。そのまま長年つけ込んであるから、少し乾燥気味になっている。これを一つ麦茶の浮いたところにポチャンと落とす。

 冷め切ったところで、濾してボトルに詰めている。冷たい麦茶をがぶ飲みするのは避けている。お腹がだぶつき、むくみが生じる。もちろん氷を入れて冷たくして飲んだ方が美味しい。美味しすぎるのも問題なのだ。常温というのはからだが一番受け止めやすい。

 口に含んだときに麦の懐かしい香と、梅干しの爽やかな塩分を感じる。もちろん押しつけがましいほどの主張のある味では無い。気にしなければ味がしなかったのかとおもう程度で済む。絵を描いているときにはこの程度の味が丁度良い。のどを潤すぐらいがよい。

 本当は熱いコーヒーが絵には良いのだが、ファミマにはまだ行きたくないので、アトリエカーでは1年以上飲んでいない。身体を考えれば、コーヒーより梅麦茶に決まっている。コーヒーはどうせ午前中だけなので、熱いうちは麦茶で通すつもりだ。
 
 麦茶の作り方は依然書いたが、大麦であれば二条でも六条でもそれぞれの味だ。麦は完熟になったほど良いらしい。今回は二条が完熟だったこともあり、そちらの方が味が良かった。上品な味がした。比べなければ分からないぐらいの味の違いだろう。

 大麦の焙煎の好みは黒くなるほどのイタリアンローストである。鉄鍋でゆっくりとかき回しながら焙煎する。時間はかかるが、コーヒーと同じで好みの焙煎が誰にでもあるのだろう。焙煎したてが一番美味しいが、作ったらすぐに真空パックしてしまう。

 大麦は品種の選定を間違えないようにしたい。北海道の大麦を頂いて、蒔いたために、とても作りづらかった。また、刈り取り時期に雨が多いので、刈り時の選定は難しい。完熟してから刈るためには早く蒔かなければならない。と言って大豆の後では早いと言っても限度がある。

 お米と違い干しやすいと言うことがある。天気さえ良ければ、刈ってそのまま畑の地面に干しておいても、よく乾いた。田んぼで干すお米とは大違いだった。石垣島ではお米も一日で乾くと言われていた。刈った稲は紐で束ねないでも、道路に干しておけば一日で乾くと言う話だ。

 梅干し麦茶は夏の最高の飲み物だ。のどの渇きを納める。熱中症を避けることが出来る。お腹がゴロつかない。身体がむくまない。夜中でも飲める。梅干し麦茶はいつでもすこしづつ飲む。何故か1日分が調度で余ることがない。
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NHKに未払い金がある。

2021-07-19 04:01:08 | Peace Cafe


 NHKに対して未払い金がある。NHKをよくするための未払いの理由はあるのだが、それにしても世間様に対して申し訳ない気持ちはある。みんなでNHKを支えているはずである。ところがその公共性が揺らいでいる。

 平成17年頃のことだ。その未払い金を払えという督促が、毎年今も来る。払わないことは公平性を欠いていると書かれている。公平性を欠いているのはNHK田と言いたい。払わない理由はNHKが私の質問に対して回答をしないからである。それを繰返し伝えるが、それについての返答すらない。

 平成17年頃のNHKの会長が偏向した人物で、公共放送に相応しくないと考えた。政府を忖度して、報道の方向性にまで口をだしている。NHK内の空気を悪化させた。あの頃から、NHKは公共放送という性質を変え始めたのだ。

 職場の空気が荒れていたのだろう。その結果、勤務中に株取引をするような社員が現われた。この緊急事態に対して、公共放送を重要と考えるひとりとして、抗議をし回答を求めた。回答があるまでは受信料は停止すると宣言した。

 ところが一切の回答がない。仕方がないので、電話で横浜支局に問い合わせを行った。その時のNHKの職員の回答は私も同感であったのだろう。是非、不払いを継続して欲しいと言うことだった。そこでもういちどNHKに質問書を送り、回答があるまでは不払いを続けることになる、是非とも回答が欲しいと再度督促をした。

 しかし、結局の所何の回答も無いまま、不払いの請求書だけが送られてくる状態がいままで続いている。その後会長も替わったので、受信料は又払うようにした。しかし、回答がない以上未払い分を払う気持ちにはなれない。これは公共放送としてのNHKを思うからである。それは今も変わらない。

 なにもNHKをぶっ壊せと考えているのではない。公共放送たるNHKは重要だと考えるからこその行動である。報道の健全な批判精神と、調査報道を維持して貰うためには、政府からの独立性を保つ報道機関であって貰いたいのだ。その後NHKに対しておかしな政府の圧力が繰り返され、今はもう公共どころか政府放送局かと言いたいようなニュース内容もままある。

 郵政の簡保が、郵政職員の強引な勧誘方法によって、多くの保険加入者が騙された大事件があった。それを最初に調査報道したのはNHKである。それは久方ぶりに素晴らしいことだった。ところがその報道を抑え込もうと、政府は闇雲にNHKの内部人事まで口を挟んだ。

 こんな圧力を受ける、公共放送はありうるだろうか。公共放送の重要性を一番ないがしろにしているのが政府である。存在しうる公共放送の在り方は政府と報道内容については、独立性を保つことが絶対条件である。

 そうでなければ、NHKが大本営の発表になり、政府の報道機関と言うことになる。そんな者は誰も必要としていない。もちろん信頼されなくなる。信頼される報道が無くなると言うことは、ネットのインチキニュースが蔓延する。

 報道という者は批判精神があって始めて意味をなす。ただ政府に追随して、政府の都合の良いことだけを報道しているのであれば、国民は騙されるだけになる。それでは誰も報道を信頼しなくなる。たぶん北朝鮮や中国はそうであろう。

 科学的に正しい報道で無ければならないが、一貫した正義の理念を持ち続けることこそ、公共放送の姿勢だ。政府以上の科学的知識が必要である。福島原発の時も、原発に関しての知識が欠けていた。そのために正しい報道としての指摘が出来なかった。

 NHKはよくやっているとは思う時もある。しかし、最近の傾向としては批判精神を失いつつある。今のNHKのままで良いとは思えない。資本主義が限界に達し、未来に不安が生じている。公共放送は国民と共に次なる社会を模索する必要があるのではないだろうか。

 どうすれば、能力主義の弱点が克服できるのか。この問題を真剣に追求すべきではないだろうか。能力主義を良しとしてきた社会が、格差社会を生み出している。今だ能力主義を強化しなければ、国際競争力に勝利できないという考え方である。

 NHKの政府からの独立性を保つためには、政府からの人事による支配を排除しなければならない。任命権を政府に持たせておいては成らない。どのような意味でも、報道機関は政府から独立していなければならない。

 民間の報道機関が営業のためにお金の影響を受けやすい。その意味で公共放送があることで、報道のゆがみを取り除く可能性が高まる。しかし、その公共放送が、国営放送の傾向を持つのでは全く意味が無くなる。今その危機的状況にNHKはあるのではないだろうか。

 これから、テレビ報道は変貌して行かなければならないだろう。様々なウエッブにおける情報が飛び交う中、どのように情報の信頼性を確立するかは重要な社会インフラになるはずである。

 コロナ報道をみていると、コロナ感染爆発に関して政府以上の影響力があることが分かる。はっきりとオリンピック中止を主張した朝日新聞と、聖火リレーを報道し続けたNHK。どちらがまともであろうか。感染症対策から考えれば、明らかにNHKは間違った報道を続けた。

 政府を忖度しているとしか見えなかった。そして、今地獄のオリンピックが始まろうとしている。コロナで一番重要なことは科学性である。科学的に正確に状況を把握する力量だ。政府は希望的観測によって、正しい科学性を失った。

 その時に、誰が信頼されるのか考えるべきだ。公共放送である。ところが、NHKが不要な聖火リレーを提灯報道していれば、誰もNHKを信頼できなくなる。もしどうしても聖火リレーを報道するのであれば、注意書きを入れるべき所だ。コロナ感染の危険があるので、聖火リレーには近づかないようにして下さいと、テロップを一貫して入れるぐらいは出来ただろう。

 結局の所、聖火リレーは何の意味も無かったと思う。感染をいくらか広げるぐらいの役割である。本来中止すべきオリンピックである。NHKにはそういう主張を持つ人がひとりもいなかったのだろうか。もしそうだとすれば、国民の世論とはかけ離れた存在になっているのだろう。もう公共放送を名乗るのは止めた方が良いだろう。


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第65回 水彩画 日曜展示

2021-07-18 04:01:14 | 水彩画
第65回 水彩画 日曜展示





354「水がきた田んぼ」
ファブリアーノ中判全紙
2021.7







355「崎枝の放棄地」
ファブリアーノ、手漉き紙 中判全紙
2021.7



356「





357「名蔵アンパル」
ファブリアーノ、手漉き紙 、中判全紙
2021.7





358「田の原湿原」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.7





359「田の原湿原」
インド水彩紙 中判全紙
2021.7





360「名蔵アンパル」
ファブリアーノ、手漉き紙、中判全紙
2021.7





361「宮良川上流域」
ファブリアーノ、手漉き紙、中判全紙
2021.7




362「バンナだけ南斜面」
ファブリアーノ、手漉き紙、中判全紙
2021.7



 今回は写真を撮るのが朝になり、掲載が遅れた。田んぼに行く時間が長くなり、田んぼでずーと絵を描いている。絵が又だぶついてきているので、一枚多くした。

 調子が良いのか、悪いのか全く分からない。ただ描いている。
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食農倫理学

2021-07-17 04:01:37 | 暮らし


 食農倫理学と言う言葉を初めてネットで読んだ。食べる事にまつわる倫理学と言うことになるのだろうか。それなら自分で作ったものを自分が食べることが一番倫理にかなっているに違いない。まだ他に何かあるのだろうか。

 自給自足こそ食農倫理学の根幹になるはずだ。それ以外のことは尾ひれというか、およそ大事なこととは思えない。食べ物を食べると言うことはそもそも倫理に外れている行為である。人間は生きるために、生きているものを殺して食べているのだ。それはそれとして除外して考える倫理というのもありなのだろうか。

 君子は厨房を遠ざく。孟子。これは動物を殺して食べることを意味しているのだろうが、植物でも食べると言うことは命を頂くと言うことで変わらない。食べると言うことに、人間の倫理を考えれば、どこか悲しいところにいたる。

 食農倫理学とはまったく知らない学問であるが、そもそも倫理的に正しい事を学問すると言うことがあり得るのかが不思議だ。東洋では食農の倫理は古くから繰返し問われてきたものである。西洋的学問がこの分野に疎かったと言うことがあると思われる。

 食べると言うことを当然のことと受け止めて、倫理の対象にしないできたのが西洋的倫理の欠落部分である。たしかに学問は宗教では無いのだから、考え方や全体像を把握するのであって、善悪を示すようなものではないような気がするが、この学問は何を倫理の対象とするのだろうか。

 そもそも倫理学というものは、宗教とは違う。善悪というものは究極的には信ずるか信じないかと言うことになる。倫理的に正しいと言うことが善とはいいきれないところに、宗教というものがあるのだろう。倫理学が倫理とは何かを研究するのであるなら、なんとなく理解できるが。

 ファーストフードとスローフードと言う言葉があり、スローフードが倫理的であると言うのでは、学問にはならないの無いだろう。むしろ、貧困層がファーストフードを食べている事を倫理としてどのように考えればいいのかと言うことなのかもしれない。

 フードマイレージと言うことも言われる。遠くで作られた食料は運ぶために化石燃料が消費されている。できるだけ近くのものを食べた方が総合的に見ると、経済合理性がある行いになるというようなことが言われている。これも果たして倫理で判断すべき事かどうか。

 日本で言えば身土不二ということになる。仏教からきた言葉である。私は安藤昌益の考え方と比べてつい考えてきた。万人直耕と言うことを主張した。人間は身分や状況にかかわらず、すべからく自ら耕さなければならないという考えである。大いに共感するところだ。

 農本主義である。耕さざる者食すべからず。人間すべてが食料生産に携わる。これが正しい人間の道だという考え方。安藤昌益は難しい思想であるが、江戸時代末期の共産主義と言われている。自給自足に暮らしていたときには安藤昌益をよく読んでいた。難解で理解が出来なかったが、何か光のようなものを感じていた。

 現代社会における食農倫理は、プランテーション農業の倫理逸脱である。経済合理性だけを追い求めて、農業を行って良いのかである。農業は各国が他の産業とは別枠の、基礎的産業として国家の基本的権利として考えるべき物だろう。

 資本主義が崩壊してきた一番の要因は食料生産とそのほかの生産とを同じ地平で考えるところから、無理が生じてきたのでは無いだろうか。国家の成立の第一の要因として食料生産を上げるべきだ。競争経済がその部分を壊してしまうことで、様々な矛盾が生じている。

 国の食糧自給は、等しくひとりひとりの食糧自給を重要なものとする。人間が生きるあえて倫理と言えば、自ら食べるものを自ら作るという人間の健全な姿なのだろう。この一番原初的な在り方を失うことから、様々な不安定が生じる。

 食糧自給は人間の安定である。禅宗の寺院も食糧自給をした。西洋の修道僧も食糧自給である。食料を自らの手で作る、自給的生活こそ心の安定を産む。自分が生きると言うことを自分の手だけで成し遂げると言うことが重要である。

 僧侶が修行のために自給するように、絵を描くものも自給する必要があると考えたことが、山北の山中で自給生活を始めたきっかけである。その暮らしは楽しかったばかりで、少しもつらいことはなかった。それほど張り合いのある日々であった。

 自給生活を始めてやっと絵を描いて生きても良いという許しのようなものを感じた。絵を売らなければ生きていけない暮らしのインチキさをつくづく感じたのだ。あのどうにかして絵を売って暮らさなければならないと言う仕組みにしがみついていたにもかかわらず、上手くゆかない日々のつらさ。最悪の日々として思い出す。

 追い詰められた気持ちで始めた開墾生活であったが、充実していたし。生きると言う実感が回復できた。絵を描いて生きて良いのだと安心立命。しゃべる一本の自給にかけた。それが倫理の確立と言うのか、自分に課した条件であった。

 化石燃料や機械を使わない。それで人間は自給できるのか。このことへの興味である。ややこしいことをすべて除き、できるだけ原初的に人間として生きることが出来るのかを確認したかった。これはほぼ五年で達成できた。

 それならばと思い始めたのが、あしがら農の会の活動である。ここからが倫理が複雑になるが、ひとりの自給から、みんなの自給である。ひとりで出来たことを、回りに広げることが自分の倫理にかなっていたのだ。ひとりで終わらせるのでは、自分の倫理が我慢ならなかったわけだ。

 ひとりと、みんなでは違う。みんな出を考えることこそ倫理だと私は考えた。その考えが今石垣島でも老骨にむち打ち、みんなの田んぼを始めた理由である。ひとりでも自給の田んぼを始める人が増えることを願ってのことである。

 やらないと決めていた石垣島でもみんなの田んぼを始めた。それが倫理として正しい道だとおもうからである。正しいと思いながらやらないで居ることは自分が許せなかった。これが老人としての役割ではないかと思うからである。

 みんなで自給すれば、その力は何倍にもなる。それまで一日2時間が自給のための労働時間であったが、みんなでやるようになって1時間で済むようになった。共同の力である。しかも、自分のために頑張る以上に、みんなの為もあればより頑張ることが出来る。それが人間なのだと実感した。

 
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