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218 水彩画 日曜展示

2024-06-30 04:19:19 | 水彩画
218 水彩画 日曜展示












509「海」
2024,6 中判全紙








510「のぼたん農園」
2024.6 中判全紙







511「のぼたん農園」
2024.6 中判全紙

 今週は2枚になってしまった。小田原に来てから、絵を描く時間が取れない。残念である。今日も相模原展に行かなければならないので、絵が描けない。できれば、1時半に終わって、すぐ戻って、絵を描きに行ければと思う。3時から描けば、描ける時間がある。1日は農作業の予定のつもりでいたが、箱根に描きに行きたい。申し訳ないが、その日しかない。

 もし描くことができれば、明日にでも、明後日にでも絵を追加をしたい。絵を描きたい気持ちは、相模原展をやってより高まっている。水彩人の仲間の絵の中には、すごく成長した人もいる。自分の絵を一歩でも前進させようと頑張っている人がたくさんいる。この刺激は凄い。

 仲間がいてよかった。自分の人間の未熟さがよくわかるのだ。世間的な目など関係なく、自分の世界に踏み込んでいる人がいる。会場に一日座っていて、絵は一人で描いて居るものではないと、あらためてわかった。特に、私絵画に進むものには絶対に必要なことだ。独自でなければならないが、独善にならないこと。1日の夕方には絵を追加させてもらいます。月曜展示になってしまうが。



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労働組合が小池都知事支援の違和感

2024-06-29 04:30:20 | Peace Cafe


 労働組合の総連合会 が小池百合子知事を支援することになった。前回に引き続きという事という。連合という労働組合は自民党の党大会にも出席するくらいだから、昔の労働組合とは全く異質なものと考えなければ成らない。エリート労働組合は保守組織なのだ。多分軍事力強化も賛成なのだろう。

 同じ意味で農業協同組合の方も、全く農民の権利を守るという組織では無くなった。そもそも、農協はむしろ組合員の中心である普通の農家がやれなくなる道を進んでいる。西湘農協にも昔は農業指導員がいた。今は居ない。

 農業技術に関心の無い農協。農業技術の分る職員がいないで、アパート経営には詳しい職員の農協。販売にも力を貸すようなこともない。石垣でも加入はしたが、何もそういう連絡は無いので状況は分らない。今でも西湘農協の組合員ではある。

 労働者や農民が作る組合に対する期待が、間違った既成概念と言うことなのだろうが、労働組合が資本と戦う。などと言う発想はそもそも消えた思い込みなのだろう。例えば自動車企業の労働組合が会社に対する独立性を失ったことと、自動車会社の不正の増加と繋がっている気がする。

 自動車総連が健全な労働組合であれば、こんな国の検定検査の誤魔化しは起きていない。労働者が労働者ではなくなっている。労働者という意識もないのだろう。賃上げだけに運動が偏り、しかも企業は利益を上げながら、賃金は低下を続けたのだ。それでもストライキが打てなかった。

 労働者が企業の経営を優先して、ストライキが出来なくなれば、無意味になる。これでは労組など無ければまだ良かったと言うことだろう。経営者資本家とそこに働く労働者が、健全な対立意識を持つことで、企業全体としては成長して行くのだ。

 日本の高度成長期はそういう良い関係が作られたのだ。普通に郵便のストライキや鉄道のストライキが行われた。そういう緊張関係から、労働者の誇り高い精神が産まれた。そのために、データー偽装などあり得ない職場環境が産まれたのだ。目先の利益よりも働く誇りが勝ったのだ。

 労働組合とは何かと言うことを考えなければ成らない。労働組合の劣化が、日本の国力の低下になっている。連合の姿を見ると、自民党を支持ずるようなこんな労働組合ならないほうが増しだと思う。なまじあるために余計におかしなことになったのだ。

 労働組合は労働者が団結して、資本と対等に交渉するための組織のはずだった。連合のホームページの芳野会長の説明によると、「格差是正に向けた分配構造の転換とともに、とりまく諸課題を克服し、SDGsの推進、社会経済の包摂的な発展と平和を実現しなければなりません。 」と一応はきれい事が並んでいる。

 今や格差を広げる役割を連合の労働組合は受け入れている。労働者は団結など全くしていない。掲げた建前には平和まで出てくるが、平和活動などしているのだろうか。平和行進をしたという話も聞かない。沖縄の基地化を推進、賛成しているのが連合なのだろう。

 「労働組合は、労働条件・職場環境の維持改善といった職場レベルでの課題はもちろん、労働法制、社会保障制度、経済政策など、様々な社会的問題も解決しています。常に働く人や生活者に寄りそう、それが労働組合なのです。」とさらにある。

 全く空虚な言葉が並んでいる。生活者に寄り添うためには資本とと戦わなければ、権利は獲得できない。適当に妥協していて、戦わない労組になり、資本に従うだらしのない存在になったのだ。労組がストライキを行うと、まるで社会の迷惑のような扱いである。

 連合は何故小池都知事支持なのだろうか。働く人に寄り添った結果小池知事の支持になるのはおかしい。まさかのことだ。小池知事は保守だと表明している。巧みに自民党の支持を確保しようとしている。パーティーを開催して、政治資金を集めることも正しいとしている。
 
 裏金だって集めているに違いない。できれば自民党の総裁にだってなりたいという人物である。こんな人間を連合が支持をする。この構図の中に日本の変貌と衰退があると思う。ストライキを行い、資本と対峙して行くというような、労働組合はもう日本には数少ない。

 連合の芳野氏は本音では共産党嫌いで、実は自民党支持者なのだと思う。そんな人が、組合の代表になることが組合の変容である。現代の大企業の労働組合が、共産主義者でないことは当たり前の事だ。共産主義国家のはずの中国もロシアも国家資本主義国である。

 経済に有利であれば、共産主義国家が、国是であるはずの、主義主張は簡単に捨ててしまったのだ。思想よりもお金が一番。連合もそうなのだろう。石垣島の港湾労働組合は、米軍イージス艦の寄港反対のために、ストライキをした。当然のことだろう。職場の安全確保である。

 「 連合は、働く人、生活者の立場から、政府・政党などへ政策・制度について提言しています。 」港湾労働者が自分の仕事場の安全の為に、米軍イージス艦の寄港に反対し、ストライキで戦うことは当たり前の事だ。これを支持するのが石垣市民のはずだ。

 石垣市民に変って戦ってくれたのだ。スーパーが空になろうが、ゆうパックが遅れたとしても、市民として私は港湾組合のストライキを支持した。米軍が、当たり前に石垣の施設を使えば、中国軍がミサイルを撃つ可能性が高まるだろう。

 所が石垣中山市長は「スーパーや飲食店でも大きな影響があった。労働組合のスト権は認めるが、多くの市民が迷惑をこうむった。仮に正式な(手続きを踏んだ)ストだったとしても、政治的な闘争で住民生活を盾に取るストは、厳に慎んでほしい」と批判。

 とんでもない話だ。イージス艦に来て欲しくないのは市民の当たり前の感覚では無いか。確かに中山市長はイージス艦に来て欲しいのだろう。石垣島を対中国の前線の島にしようという市長だ。こんな市長が何時までも市長をやっていることがそもそもおかしいのだ。

 間違っている。何かが狂い始めている。
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AI革命後の社会で人間がやるべき事

2024-06-28 04:33:19 | 暮らし


 将棋の8冠だった絶対王者藤井聡太叡王に、伊藤匠七段が挑戦した第9期叡王戦五番勝負第5局で、伊藤七段が156手で藤井叡王に勝ち、3勝2敗で叡王を奪取した。伊藤新叡王の登場は正に、AI将棋を意味している。藤井聡太7冠がAIを駆使して、今までの将棋を一新した。

 昔からの定石というものが、通用しなくなった。将棋のことわざ「桂馬の高飛び歩の餌食」というような考え方が、むしろ邪魔になった。そのAI将棋を誰よりも生かした伊藤叡王が藤井将棋に勝った。AI登場で社会常識が変化する。過去の教訓も忘れなければならなくなる。

 なるほどAIはこういう形で時代を変えて行くのかと実感した。伊藤叡王の特徴は記憶力だという。記憶力が人間離れしていると言われている。AIから学ぶと言うことは、記憶すると言うことらしいのだ。将棋のトップ棋士の間では、記憶能力の大きさが争われていると言われている。

 そのいみで、藤井・伊藤時代以前の棋士の将棋で、藤井7冠や伊藤叡王に勝る将棋は極めて出にくい状況になっている。人間の記憶能力はマサチューセッツ工科大学 ハーツホーン氏の研究では、一般的に情報処理能力や記憶力は、10代後半にピークを迎えることを発見した。と書かれている。

 そのことを考えると、21歳の藤井、伊藤両氏を越えるためには、さらに若い人が表れるのでなければ無理と言うことになる。しかも記憶能力が、生まれつき際立つ人である。努力法で記憶能力は高まるらしいが、どれだけ努力しても、天才的な棋士になれるほどの記憶力は先天的な要素が高い。

 さらにハーツホーン氏の研究によると、50歳で基本的な計算能力がピークに達するとある。同じく、歴史的な出来事や政治的な思想といった一般的な情報を学び、理解する能力は、50歳前後までピークにはまだ達しない。 本当かなと思うが励まされる。

 複数の選択肢の中から答えを選ぶ、多肢選択式の語彙テストの結果、語彙力がピークに達するのは、60代後半から70代初めとされた。この辺りは実におもしろい。私のブログの語彙力は、今がピークかも知れない。過去の文章を読むと確かにそんな気がしてくる。

 しかし、肝心な発想力は失われた気もする。将棋はゲームの世界の話だから、良いのだが、人間が生きると言うことでは、この先AI利用できなければ、通用しなくなる。AIが人間の能力を超えた世界では、「人間は何をやるべきなのか」と言うことだ。例えば記憶力が良い人間と言ったところで、AIに較べることも出来ないほどの低能力である。

 大学の受験競争では、AIに勝る人間の受験生はいない。現在の受験では記憶力と、努力が出来る能力を計ることになっている。学問を行う、研究や新しい発見が出来る人間の試験方法を見つけなければならない。学問研究の性格が、AIの登場で全く様相が変るに違いないからだ。早く対応した国が次の世界をリードするのだろう。

 私は子供の頃から記憶力はとても低かった。漢字など覚えることが出来なかった。意味の伴わないことを覚えると言うことが出来なかった。漢字のテストで、0点ばかり取って、勉強してこいと怒られてばかり居た。自分でも訳が分らないように、覚えられなかった。

 それがある種の記憶障害だったのだ。と考えるようになったのは、最近のことだ。精神障害と言うことで、聖路加病院の精神科で見て貰っていたのだから、どこかに異常があったのだろう。今になって思うのは、発達記憶障害があったのだと思える。ある期間の記憶を失うところもあった。

 意味の無いことを記憶するという能力が欠けていた。多分今も同じで、人の名前は覚えられない。それで不愉快な思いをさせているのだが、最近は年寄だから仕方がないと、許されている。本当は年とは関係が無く、記憶能力が低いのだ。

 いわゆる記憶障害とは違うようだが、ともかく英語の単語を記憶するというようなことは、全く困り切るほど出来なかった。記憶方法を学び、努力すれば、記憶力が高まると言われるから、若い頃にそういうことを教えてくれる人が居れば生き方も変ったかも知れないと思う。

 若い頃は記憶で争うことはやっても無理だと考えていた。だから受験勉強も困難で、努力はしたがそれなりのものでしかなかった。それでも、好きなことの努力は出来る方だと自覚していた。強いベイゴマを作るとか。鶏の新品種を作るとか。川にダムを造るとか。絵を描くとか。大きなクワガタを探すとか。人に負けない努力が出来た。。

 AIの登場で将棋が変ったように、AIで人間がやるべき事が見つかるかも知れないと思う。鶏の新品種を作るという夢はやりきったつもりはある。その鶏が産んだ卵を孵化すことで次の世代を育てられる鶏種笹鶏を作った。ビルゲイツに笹鶏の意味を伝えたかった。アフリカで配った鶏は一代で鶏を飼うことが終わりになる。笹鶏であれば、日本の昔の地鶏のように、飼い続けることが出来るのだ。

 何十年もかけて作ったのだが、鳥インフルエンザで地域から排除を受けて終わりになった。あの頃は未熟で、木偶の坊と言われて耐える能力がなかった。歳をとった今なら少し違う。雨に負けてしまった。コロナの風に吹き飛ばされてしまった。宮沢賢治をあの頃知っていれば、笹鶏を止めることは無かったのだが。

 AIには好きと言うことが無い。人間がやるべき事は好きなことを見付けることだ。生涯やり続けられる好きなことだ。それは無意味なベイゴマではない。人のためになる好きなことで無ければ、人間は耐えられない。鶏の作出が世界のためだと思って人生をかけたのだが、もっと続けるべきだった。

 絵を描くことであれば、社会的価値があるような、ないようなものだが。絵の中には、深い哲学が存在している。哲学のある絵画はAIには描けない。真似をする絵は完璧であるが、AIには私がないから、人間存在の意味は個々のものだ。私絵画は生み出せないのだ。

 言葉にもできない。行動でも表わせない。音楽とも違う。絵画という表現法でのみ可能なものがある。図像として、そこにある自分に出会うことだ。これこそ人間がやるべきものを表わしているような気がする。AI革命の世界ではこの大切な、私という人間を忘れてはならない。

 AI革命後の世界では、人間は変わらざる得ない。人間がどのように生きるのかに特化する。人間がより人間らしくならなければ、生き残ることが出来なくなる。機械でもできることを人間が追及することは無くなる。AIが出来ない事こそ、人間がやるべきことになる。

 人間が生きるという味わいは、その人自身が感じることだ。その生きる刻々をどこまで深く感じて、好きになって生き尽くすか。より人間らしい生き方を生きることになる。芸術というものが、創作活動をする自分のためのものになる。他者と較べない、私芸術の時代が来るのかもしれない。

 
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「食料・エネルギー価格の高騰」と「気候変動」問題

2024-06-27 04:20:45 | 楽観農園


 「食料・エネルギー価格の高騰」はこれからますます生活を直撃するようなものになるだろう。世界では飢餓に追い込まれた人が、日本の人口以上に居る。世界の人口は増加し続けている。食料生産量は気候変動と戦争によって、増加できないでいる。すでに食糧不足は経済の弱い国を直撃している。

 エネルギー価格は高止まりである。大きな戦争が続けられているのだから当然のことだろう。その戦争に産油国が関わっている。戦争ほど馬鹿馬鹿しいエネルギー消費はない。個人が省エネをしても、あの人殺しのミサイル一発で水の泡である。節電どころではない。

 日本では円安という状態を過ぎて、円の実力が1ドル160円台程度なのだと言う意見が目立ってきた。100円以下の時代があったと言うことが不思議なくらいだが、この先円が評価され、100円に近づくようなことは考えにくい。円が安いと言うことは問題なく輸入ができなくなると言うことだ。

 食料は60%以上を輸入に頼っている。エネルギーは90%を海外に依存している。国の安全保障の要が、海外依存という危うい国になっている。どちらも国民の暮らしに直結していて、物価高の主たる要因でもある。アメリカに押し付けられている軍事強化の前に優先しなければならない、食とエネルギーの安全保障がある。

 どちらも円安の影響を直接的に受けている。生活は苦しくなるのも当然のことになる。日本政府の政策を見れば、政治資金問題のゴタゴタで、無策と言って良いのだから、エネルギーも食料も自給が進むと言うことはまず無いだろう。5月に廃止をした、電気やガス代の補助が、また復活した。朝令暮改とはこのことだ。

 こうした人気取りのバラマキの結果暮らしがどんどん追い込まれて行くと考えて置くしかない。政府はもう岸田氏の次は誰だというようなことで、まともな政策など出てくる状況ではない。石垣島で言えば、政府に方針が無い中、軍事拠点化されてゆく。基地が周辺を買い取り、当初の倍増されることになったそうだ。敵基地ミサイル基地化も目の前のことだ。こちらはアメリカの予定通り基地の島化が進む。

 政府が迷走飛行中だから、この機会にアメリカの方針に従い、防人の国日本を作ろうという、アメリカの手先がいる。軍国化に道を突き進んでいる国賊の連中がいるのだ。石垣中山市長や与那国糸数町長は、完全に右翼に取り込まれてしまった。二人とも昔はこれほど露骨にはひどくはなかったのだ。

 アメリカの裏社会での、画策がどれほどのものなのかが分る。もう完全に取り込まれてしまって、八重山の軍事基地化に突き進んでいる。その裏画策は当然、市長だけではない。島の経済を動かすように様々な策動が行われているに違いない。経済のために島を売り渡し、魂を失ってしまった人が多いのだろう。

 石垣島も食糧自給率は低い。たぶん、日本の平均よりもかなり低いはずだ。一次産業の島ではなくなっているのだろう。政府の食糧自給率の試算は2022年では国全体が38%で、沖縄県が32%とある。現状では円安もありそれよりかなり下がってきているとみて良いのだろう。

 一次産業もエネルギーの高騰は直接の影響を与えている。田んぼを止めざる得ない一つの原因になっている。石垣島でも作らない田んぼが増えてきている。特に2期作はやらないという農家の方が多い。つまり経営農家は、経営が難しく成っている。

 畜産業は輸入飼料が高騰して、子牛価格が暴落したままである。この価格では飼料を購入している農場は利益が出ないと言うことだ。ここに来ていよいよ、廃業しているという。8つの農家が廃業したと新聞に出ていた。廃業しないまでも飼養頭数を半減させる農家が多いともある。崎枝にも止めることにした農家があるという話も聞いた。

 大きな状況の転換が迫っている場面と考えておいた方が良い。食料価格やエネルギー価格がさらに上がるだろう。ただでさえ収入の面で格差が広がっているところに、食料やエネルギーの高騰が直接的に生活を破壊し始める。貧困層が追い込まれる。生活が出来なくなるその日が近づいている。

 「気候変動」問題が解決できない。コロナパンディミックによって2020~2021年の2年間のみ温室効果ガスや人為起源エアロゾル等の排出量が減少してた。しかし、2020~2024年の地上気温や降水量にはほとんど影響しないことが示された。少々のCO2削減では、追いつかない状況になっている。

 CO2の一時的な排出量減少だけでは、地球温暖化の進行に与える影響は限定的だったことが分る。またコロナ後の世界ではCO2は急激に増加して、温暖化などという生やさしいものではなく、劇暑化の時代に突入している。一刻も早い自然エネルギーへの転換をする必要がある。

 人間は暮らしを換えなければならないところに来ている。しかし、それはたやすいことではない。世界全体では到底無理だ。日本全体でも無理だ。自分だけの生き方として、自給的な暮らしに変えるほかない。人類が滅びることが見えてきているだから、木偶の坊と言われようとも自分一人でもやるほか無い。

 私は30代に、自動車には乗らない。機械は使わない。人力だけで行う開墾生活を行うことにした。つまり35年前には今の状況に成ると考えたのだ。だから、人力のみで行う自給農業をやってみるほか無いと考えた。その頃は変人扱いだったのだが、今から見れば木偶の坊の先駆者である。

 不可能かも知れないと思いながらも、切羽詰まって、始めたことだった。それは意外に簡単に5年間の予定出始めたのものが、ほぼ3年で達成できたのだ。私は自分の手足だけで生きる事ができると言うことを確認できた。そこで安心立命を得た。売れない絵を描いて生きても良いと考えられるようになった。 

 その体験から、むしろ今は機械を使うべき所は使う方が良いと考えている。必要な場面では機会を利用する合理的な自給生活を目指している。石油がなくなるときには、水牛を使う自給農園になっている予定だ。そこに近づいている。誰にも可能な、74歳の年寄でも出来る自給生活である。

 「あかうきくさ農法」と「ひこばえ農法」である。石垣島では一年に3回の収穫が出来る方法である。3回収穫が出来れば、一回は少ないとしても、1畝の田んぼで自給できると言うことだ。今のところみんなは暑いので、夏は田んぼはやりたくないと言っているが、遠からずそんなことは言ってられない日が来る。

 74歳の私が、ひこばえ農法を真夏にやっている。身体を慣らし気を付けていれば熱中症と言うことは無い。私がやりきれれば普通の人ならできると言うことになる。だんだんに1箇所の田んぼを狭くしたら良いと思っている。今は100坪の自給だが、これを50坪の自給まで狭めることが可能だ。のぼたんでも20家族の自給が出来るようになる。

 ひこばえ農法であれば、それが可能になる。1畝で20㎏しか取れないでも3回収穫があれば、畝取りである。60㎏が一人の自給の目標になる。もちろん2畝やれる人はやって欲しいが、将来はひこばえもやると言うことを前提に考えておいたほうが良い。そういう時代が近づいている。
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水彩人、相模原展

2024-06-26 04:26:58 | 水彩画




   

 水彩人展では6月27日午後から7月2日17時まで相模原で展覧会を行う。相模原の駅ビルの4階である。梅雨時ではありますが、駅から雨に濡れない場所なので、お近くの方はぜひ見にいらしてください。6月に描いた中盤全紙の作品2点を出品する。

 できるだけ会場には行くつもりですが、28日と30日は今のところ確実にゆきます。このブログのコメント欄から連絡をいただければ、会場にいるつもりです。本来であれば、きちっと案内はがきを皆さんに出せればいいのですが、なかなかそこまで手が回らないことになっている。

 少しでも時間があれば、絵を描きたい。いつも描きかけの絵があり、その絵の続きが早く描きたいという気分でいる。昔絵は描きたいときだけ描くべきものだと決めて、半年ぐらいまったく描かないで居るときがあった。今思えば何故描かないでいられたかと思う。

 絵を描くことを除けば、のぼたん農園の作業以外は、石垣にいるときは何もしていない。海に行くとか、散歩をするとか、どこかのレストランに食事に行くとか、三線を弾くとか、そいうことが全くない単調な繰返しの暮らしになっている。

 歳を取り新しいことや、外界に対して好奇心が持てなくなっているのかもしれない。そういえば、あんなに楽しみだったコンサートにもだいぶ行っていない。大体6時には寝てしまうのだから、夜の7時から始まるというものに出かけることは無理になった。

 今日は小田原に行く日だ。飛行機の中で、林芙美子の台湾紀行を読むのを楽しみにしている。明日は展覧会の準備、展示を27日の午前中に行う。初日は午後から開催になるので、ちょっと気をつけてもらいたい。私は展示が終わればすぐ行かなければならないところがありぬける。

 小田原では絵を描きたいと思っている。その時間も少しでも取りたい。出来れば雨のまだ新緑の箱根が描きたい。濡れた若葉の色が懐かしい気がしている。あんな木々の微妙な色合いは石垣島にはないのだ。石垣島の色彩を確認する意味でも、箱根を描いてみたい。

 自分が以前惹きつけられていた色に、石垣島の色になった自分が、どう反応するかに興味がある。篠窪に行って描ければそれでもいい。篠窪はたぶんもう夏の色だ。やはり、箱根に行くのが良いのだろう。箱根はまだ春が残っているはずだ。

 もう5年石垣で暮らしている。その前3年くらいは写生に来ていた。石垣の色になるのに、8年はかかったことになる。早いのか遅いのかはわからないが、2拠点生活はその意味では意味があったと思う。自分の立ち位置が、場を変えることで、行き来する都度に確認することができた。

 自分が何かを探しているのだから、絵に自然に無意識に表れているものが重要だと思っている。色彩はその一つだと思う。色彩に反応しているという自分がいる。そこにある意味を考えている。絵が絵空事にならないということだ。自分の真実に食い込んで描く。

 絵空事ととか。絵にも描けないとか。絵に描いた餅とか。絵というものを日本では真実を表すものとは考えないで、嘘とか空想とか理想像とかとつなげて考えてきた。そのきれいごとを拭い去り、どうやってありったけの自分内部を反映した絵が描けるかである。

 またそれが無理なことだとしても、自分というものに向かって、絵という画像を通して、探り続けるという行為が、生きる手ごたえを深めて行く行為になる。生まれてきたということは、生きることを十全に成し遂げることが最終目的である。そこまで行き着きたい一途だ。

 自分が生きるということを深めるために、絵を描くということが役立ちそうだということで、絵を描いている。目的は絵のようであるが、人間の方だ。それが私絵画であり、AI革命後の絵画だといいたい。実は相模原展でも、できれば絵を語る会をやりたいと考えている。その時話したいことを書いてみた。

 自分の絵を語ってくださいということになると、多くの人がどんな紙に、どんな技法で描いた、と絵の説明をしてくれる。あるいはどこをどんな風に描いた。そういうことを普通に説明を語る。なぜ自分がその絵を描いたかということを語れる人は少ない。

 結局の所、絵空事の絵を真似て描いている。誰かの絵をまねて描いているであり、自分の絵を描いているわけではないからだ。自分のスタイルを作ろうとしている人も多い。それは無理矢理作り出したやはり人まねのスタイルだ。

 自分と言う人間のスタイルを作り上げられるような人は、極めて少ない。そういう人が本当の絵描きなのだろう。私は残念ながらそういう所まで至っていない。スタイルを捜したことは無い。スタイルは産まれるもののはずだからだ。

 スタイルをあるかのように模している絵というものは、卑しい絵だと見える。商品絵画の世界はおおよそそれ風の絵とは言えないようなものだ。私絵画であれば、そんなグロテスクな絵を描くのは恥ずかしくて出来ない。絵を操作するようなことはやりたくない。

  

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岸田総理大臣、引き降し

2024-06-25 04:52:20 | Peace Cafe


 岸田氏はパー券キックバック方式の裏金捻出方法を暴露して、アベ派を潰した。その反動で岸田内閣もいよいよ退陣に追い込まれてきた。自民党らしい汚い権力闘争である。自民党の総裁選は9月にあるからあと3ヶ月もしないうちに、違う総理大臣になるのだろう。

 結局は派閥対抗戦で戦っている。こういう政治にお金がかかるのが、自民党なのだろう。派閥を辞めると行っていた話は、今更ではあるが有名無実。ただの権力欲のせめぎあい。派閥は政策研究会というのだから、こう言うときに次の政策で争うべきだろう。

 自民党は企業献金を貰って政党を維持している。暴力団が風俗営業の業者などからメカジメ料を貰って、維持しているのと同じである。暴力団からメカジメ料を外せないのと同じで、自民党の中に深く食い込んだ企業献金を、脱ぎ捨てることは不可能になっている。

 10%台の支持率になって、選挙が出来ないと言われているのに、お金で回っているために、パー券販売を止められないのだ。居直って政治にはお金がいると言い出した。民主主義のコストだと本気で主張を始めた。もし民主主義がお金がなければ成り立たないものなのであれば、民主主義を止めた方が良い。

 自分の主張を広め、有権者の考えを聞きたいのであれば、ネットを使えば良い。お金はいらない民主主義が可能だ。ネットで政策論争が出来るように成れば、公平になって、民主主義になってしまうので、恐れて、わざわざお金がかかるようにしているのが、自民党だろう。

 公明党など、名前を記載しなければならない献金を20万円から5万円にしたという事を、手柄顔で説明しているが、これで一体何が、変るというのだろうか。4名分にすれば良いだけのことだろう。どうせ名前が分らないのだから、人数を増やせば良いだけのことだろう。

 今までだって、100万円パー券収入を20万円に分割してきただけだ。そもそも自分の名前を出せないような献金は怪しいものだ。つまり見返りを期待している賄賂だろう。何かお願い事が伴っているのだ。それを政治だと心得違いをしているのだ。

 政治資金の規制法はごまかしであり、岸田氏がやろうとしたのは、アベ派潰しだという事は始めから言われたことで、それは確かに成功した。所が当然だが、返り血を浴びている。すべての派閥を解散しなければおかしいと言うことになり、岸田派も解散したというのが建前である。

 しかし、9月の総裁選の話になると、麻生派の怒りがどうなるかとか、派閥の戦いの話で盛り上がっている。派閥解消など全く有名無実で、普通に派閥対抗の争いに戻っている。その辺を追及する報道すらない。確かにアベ派から総裁候補は出ないが、実質はアベ派の意向で動く可能性が高い。それだけまとまった票数がある。数は力だ。

 こういう2枚舌が当たり前の政治になっている。ここまで政治がダメになったのは、有権者が、望むものが経済の活性化だけに、狭まっているからだろう。経済が良くなるのであれば、カジノさえありという拝金主義の時代なのだ。政府が不労所得を奨励する時代と言う劣化。

 日本経済は自民党にお願いしておくのが一番良いと、報道に洗脳された有権者。共産党では経済はどうなるのだ。このように有権者は思い込まされている。実際の所政治には、と言うか政治家には、日本の経済を何とか出来る力は無い。裏金処理のずさんさとその節税方法の卑しさを見ればその能力が分る。

 このまま徐々に中堅国に沈んで行くのは、日本が国民力の位置まで下がると言うことだ。国力というのは、その国の国民の総力だ。資源があるとか、軍事力があるとか、国土が大きいと言うようなことよりも、結局その国のその国の人間の総力と考えなければ成らない。

 江戸時代日本は鎖国をしていた、すこし変った国だったわけだが、人間力は高かった。産業革命には遅れたが、忽ちそれをこなす力は蓄えられていた。一番良かったことはことは、高潔な国民性で汚職がない世界だったことだ。その儒教的潔癖さが陰日向無く、ご先祖様に恥ずかしくない生き方をすると言うことだった。

 農業に生きると言うことは、何のごまかしもない。お天道様が見ている暮らしだ。大変だから草取りをごまかせば、後で自分が大変になるだけのことだ。誰に見張られているわけではなくとも、全力を費やす生き方になった。自然に沿った暮らしはそういう物だろう。

 世界の経済は国民の力量で決まっているようだ。円安ではなく、国民安なのだろう。残念なことに日本人の力量が下がってきたのだ。格差が原因なのだ。素晴らしい日本人はむしろ多く成っているが、平均的力量が下がってきた。肉体労働が担えなくなった民族なのだ。経済が下がるのも仕方がない。

 日本人が農業から離れたことに、この国力の低下は原因している。農業者は一人一人が、経営者として日々を工夫しながら生きるものであった。日々の学習である。しかも部落という中での共同作業も必要である。日本人は近代化の中で、農業で作り上げた人間力を発揮したのだ。

 それが戦後の自由主義経済の発展の姿である。明治政府の帝国主義が無残な敗戦に終わり、地道に努力する健全な社会が出現したのだ。誰でもが頑張って働けば、生活を向上できる社会だった。今貧困であるとしても、頑張れば抜け出せそうだった。だからみんなが頑張ったのだと思う。

 所が今の社会は、不労所得が奨励され、金持ちはより金持ちになることが約束されている。貧困層であれば、真面目に働いたところで、格差を超えて上の階層に、上級国民になることは閉ざされているように見える社会になっている。頑張って良い大学に行って階層を登というような事だけが狭い扉になっている。

 普通に働いて、生活を向上できるような社会はどこにもない。ふつうであれば、何時までも普通以下である。自民党であろうが、立憲民主党であろうが、政治が経済と連動はしていない。ここ半年の岸田政権は死に体で、政治資金規正法にまとわりつかれて、まともに政治など行っていない。

 就任当時主張した、あの倫理のある資本主義など、どこに消えたのかさえ分らない。野党との政策論争出はその追求もない。説明責任と人には要求しながら、結局の所、パー券裏金が、どこでどう使われているのかは全く不明だ。お金の使い道を説明できないなら、説明責任など無意味だ。

 自民党党内の調整がつかない。岸田氏自身のことで目一杯だろう。首脳外交をやっても、内閣の支持率は全く低いままで変らない。中国、韓国、日本の3カ国の話し合いなど、大いに期待しているのだが、終わったら何のフォローもないようにみえるが、これでいいのだろうか。

 岸田氏の後を野党連合が担えれば良いのだ。全く問題ないと考えている。実際の政治をやっているのは今の岸田内閣を見れば分るように、政治家など関与していない。増税眼鏡などと以前は揶揄されていたが、増税させているのはアメリカなのだ。

 岸田さんのあだ名はアメリカ眼鏡の方が似合っている。アメリカは防衛費を上げなければ、日本との同盟を見直すと言っているのだ。アメリカはその軍事費をアメリカからの輸入だと決めつけている。ぜひ、同盟を見直そうではないか。

 すでに膨大な赤字が累積した日本の財政である。それでも防衛費が飛躍的に上がる。そうしなければ、アメリカが許さないのだ。アメリカとの関係の見直しをしなければ日本の独立国家としての政治はない。アメリカの言いなりの自民党よりは野党の方がまだ期待ができる。

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身近な観光と小さな輸出に活路を

2024-06-24 04:40:32 | 地域


 日本はここ数年円安と言われて居る内に、何だか日本の経済力の低下を認めざる得なくなってきた。経済が強い優位な国ではなく、物作りが普通の国になったと考えた方が良さそうだ。今から40年前になるが、最先端技術である半導体生産で日本が世界一だった時代があったのだ。

 日本製品の方が安全性が高く、しっかりしたものだから良いというようなことは、もう無い。その名残がいくらかメイドインジャパンにあるが、メイドインジャパンが粗悪品の代名詞だった時代もあったのだ。日本製だから、信頼されると言うことは消え始めている。

 その象徴が自動車産業のデーター偽装事件だ。ほぼすべての自動車会社が政府の安全基準を、ごまかして通過していたのだ。自動車はまだ日本が優位なものの一つだと思っていたが、そうではなくなり始めているという、焦りがあるのだろうか。

 会社の弁明会見を聞いていると、ごちゃごちゃごまかしているが、結局は人間の劣化に由来していると言わざる得ない。倫理観の強い人、社会正義を持った人がその場に居なくなったのだ。どうせ分らないだろう。この程度のことは対したことではない。日本人がこういうゆるい無責任な人間になってきたと考えるほか無い。

 見張っていなければ、バレなければ適当なことをやれる人間が現われたのだ。大きく言えば日本人が持っていた、ある意味不思議な誇り高さが失われたのだ。その原因を考えなければ成らない。この人間の劣化の一番表れて居るのが、自民党の裏金キックバックだろう。

 丁寧な民主主義政治を行うには、お金がかかるのだと副総裁が主張している。もしかしたら本当に自民党の代議士は政治をそのように思い込んでいるのかも知れない。代議士が生きている世界では、お金以外で人間が動くことがないのだろう。人のためにとか、国のためにと言うような価値観は失われた。

 しかし、生活をしていて接する人は昔よりも優しくなった。他人のことを配慮する人間が多くなった。人のために自己犠牲で生きる人も沢山居る。日本人が劣化してきたという気はしない。何かそういう拝金主義的階層が構築されてしまい、そういう人達が社会を支配し始めたのかも知れない。

 接することが多い、絵を描く人とか、農業に関わる人というのは、ある意味アーミッシュのような存在で、特殊な階層の人達なのかも知れない。確かにお金のことを考えるならば、到底私のやっているようなことには関係もしてこないのは当然かも知れない。

 日本が特殊な国ではなく、ごく普通の国になるのは、当然のことなのかも知れない。江戸時代の鎖国で日本はかなり特殊な人間の国になっていたはずだ。狭い地域の中で、先祖と同じ仕事をして、狭い地域の中に暮らし、他に行くこともなく生涯を終えることが普通だった。

 それが、欧米の帝国主義に翻弄され、日本も遅ればせながら、帝国主義国家を模倣し、植民地まで作るような愚かな国に成り下がる。それが、敗戦という形で終わる。その敗戦の反省から、ひたすら経済に向かって働き、高度成長を達成する。それが50年続き、当然豊かな時代に成長した人間に、組織を支える人は入れ替わったわけだ。

 気付けば、日本人は倫理を失っていたのだ。国の品格を落としたのだ。慌てて、学校教育で倫理教育を取り入れたわけだが、そんなことは全く無意味だ。自民党議員の倫理喪失を見れば、民主主義にはお金が必要なのだと言うことになる。拝金主義が現実の社会教育になっている。

 一番の悪影響は政府の奨励する、投資である。不労所得を是とする倫理観である。不労所得が悪い事だとは思わないという人が、実に増えてきた。要領よく金儲けをして何が悪いんだという人が増えた。ほとんど両者の間で、この価値観について話し合うことが出来ない。

 たしかに、政府がこんな状況の中、カジノで儲けようという国になったのだ。株式投資の何が悪い。そう考える人を否定は出来ない。売春を合法化して、観光客を集めようという国さえあるのだ。何が悪いのだと言われれば、価値観の相違としか言いようが無い。

 株式投資とカジノと売春と同列にするなと言うことだが、国家がそういう非倫理的なことを国の運営に、利用しないのは当たり前の事だ。日本ではもうその当たり前が通用しなくなっているのだ。日本は競馬競輪パチンコ、と確かに賭博王国であった。しかし、いつもそういうことには後ろめたさはあったのだ。

 まさか今になって、金儲けのためにカジノを誘致しようと言う発想の愚劣さに驚く。公営賭博やパチンコをどう縮小するかが日本社会の、課題のはずだ。確かにそういう怪しげな所に、パー券を大量に買って貰っているのが自民党である。それが裏金になって、ばらまかれているのだ。

 円安観光である。この機会に多くの外国人に来て貰うことだ。オーバーツーリズムと言うが、上手くゆけば地方の消滅が、外国人によって救われるかもしれない。日本の中山間地の魅力は外国人ならばひとしおのはずだ。どんな形で観光に結びつけるかは工夫次第だ。

 私は日本中の田んぼを見て歩いた。それがどれほど魅力的なものかを絵を描いて知った。その魅力は里地里山の人間が作り出した自然に馴染んだ暮らしの魅力である。田んぼを取り囲む農村の暮らしには日本人を作り出したものがある。日本の中山間地の暮らしは、今でもかなり特殊なものだ。

 そして小さな円安輸出である。これだけ円が下がり、ますます下がるとすれば、日本のもので海外の方が売れるものがでてくるはずだ。それは自動車とか半導体というようなものではなく。伝統工芸品などで、日本人にはもう高くて生活のためには買えなくやったようなものの中に、素晴らしいものがある。

 日本では成立が危ぶまれる伝統工芸品が、海外に販路を求めれば成り立つものもあるかも知れない。水彩画を描いていて、和紙など素晴らしいものがある。この紙の魅力は日本以外にはないものだ。何しろ、ルネッサンス時代のヨーロッパの画家達が評価した紙だ。

 まだかろうじて伝統工芸は維持されている。海外に活路を見いだすことは政府が力を入れれば可能かも知れない。伝統工芸品の輸出のための政府機関を作る必要がある。伝統工芸の保存だけでなく、海外への販売を政府は担う必要がある。円安は良い機会になる可能性が高い。

 小さな輸出。身近な暮らしの観光。円安を機会に、日本が発想を変える機会なのだ。日本の当たり前の良さを知ってもらうことは、日本の平和外交のにも成るだろう。誰でもが、輸出を出来るような、行政機関を作るべきなのだろう。
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217 水彩画 日曜展示

2024-06-23 04:21:21 | 水彩画
 217 水彩画 日曜展示






  506「海岸林」
 2024.6 中判全紙








 507「エビ養殖場跡」
 2024.6 中判全紙







 508「海」
 2024.6 中判全紙


 集中して描いたのだが、3点までだった。絵が出来上がるのに時間がかかるようになっている。何とか1日一枚と考えて描いているのだが、どうしても2日かかっている。それはそれで仕方がないことだが、少し悔しい気持ちもある。決めたことなのだからやりきりたい。

 色が強くなってきている。それも理由かも知れない。石垣の夏の色になってきたような気もするのだ。この強い色に反応していると、絵に時間がかかる。乾かして水彩絵の具を重ねると言うことになるからだ。油彩画で言えば、古典的なグラッシュ画法ということになる。グレーズとも言う。

 そもそもはフレスコ画や水彩画で使われていた画法だが、ルネッサンス絵画で油彩画でグラッシェ画法が完成された。ダビンチやフェルメールの作品でその技法が完成される。水彩画ではあまりグラッシュのことは言われない。当たり前の事だからかも知れない。水彩画では一つの色を表わすためには、重色しないと出せないと言うことが多い。
 
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2024年ひこばえ栽培状況

2024-06-22 04:03:20 | 楽観農園
 ひこばえの栽培が進んでいる。石垣島ののぼたん農園では一期作目の稲刈りが終わり、ひこばえ農法の実証圃場が4箇所で進んでいる。



 1番田んぼでは、「台光」という台湾から来たと言われている品種を作っている。昨年の8月に1期目の播種をして、9月に40㎝角植えで田植えをした。今年の1月13日に稲刈りをした。そこから出たひこばえの稲刈りを6月8日に行った。

   一回目のひこばえは反収換算で210キロになった。そして2回目のひこばえの栽培に入った。稲刈り2週間前に牛糞堆肥の追肥を行った。そして、稲刈り1週間後にもう一度追肥を行い。刈り戻しを行った。稲刈りでは25㎝の高刈りにして、その後刈り戻した。

 一般にそのようにしているというので、試しているが、最初から低く刈る方が良いのかも知れないと思い出している。高刈りをすることで、稲に糖分が残され、根を育むという考えらしいが、実際にそういう感じがしたことは無い。

 理由はひこばえは稲の根元の一次分節から出てくるひこばえだけが有効なもので、前の稲の茎の中から出てくるひこばえは使えないからだ。高刈りをするという理由は、高刈りをすると残された葉が栄養分を根に蓄えるから、ひこばえがよく育つだろうという推測で行われているのだが、それはどうもないと思われる。



 最初から低く刈ってしまう場合と、高刈りした場合の差は今のところ無いと考えるようになった。ただいずれにしても、一次分節からだけでなくひこばえは出てくるので、それはどうすれば良いかという課題はある。ひこばえ用品種であれば、一次分節から出る性質が強くなっていると中国の品種には説明がある。

 そういうひこばえ品種は日本にはないので、一次分節からひこばえが出やすい品種を試作して見ると、1番田んぼで作っている「台光」は比較的一次分節からひこばえを出す傾向があることが分かった。ただし、「台光」は台湾で出来た古い品種のため、出穂がばらつき何時稲刈りをしたら良いのか迷うような品種である。味は半分餅米で、悪くはない。

 刈り戻し追肥して、コロガシに入る。転がしたならば、根を切るのではないかと心配していたのだが、一次分節から出たひこばえは新たに根を伸ばすので、親株の根は切ってしまって問題がないと言うことが分った。追肥は葉色を見て幼穂形成期にもう一度入れたいと考えている。



 2番田んぼは餅米品種の「ゆがふもち」である。鹿児島県農業試験場で作出された品種である。沖縄に比較的向いている品種である。12月3日に播種して、1月13日に40㎝角で田植えをした。ひこばえをやるなら、一回の収量は低くとも、作業性が良い方が良いと言うことがあり、40㎝角植えを試している。

 稲刈りは5月25日に行った。ひこばえは当初やる予定はなかったが、株がとても良いので試しに20㎝の高刈りをして様子を見ることにした。どんどん良いひこばえが出てくる、高刈りでも比較的一次分節からのひこばえが多い。ひこばえも良いのでひこばえ栽培を試すことになる。

 その後3週経過して、60㎝くらいの立派なひこばえになっているが、やはり小さな穂が沢山出てきている。これは無視をしてそのまま様子を見て、この次に成長する一次分節からのひこばえを中心に考えることにする。ゆがふもちには、追肥は全く入れてないのだが、以外に良い葉色をしている。



 幼穂形成期に追肥をする必要はあるのではないかとみているが、葉色版で葉色を確認して、判断する事にするのが良いのではないか。3週間で65㎝まで大きくなってしまうと言うことは、葉の数も少ないまま穂を出すと言うことになるだろう。良い穂にはならないかも知れない。



 3番田んぼでは「ミルキーサマー」のひこばえを試している。昨年もやったのだが、一次分節から出るひこばえが少なく、あまりひこばえ農法には向かない品集に思えた。ある程度大きくなってきたときに、いっせいにはがちゃいろくなるのだ。味が良いからもう一度試そうと言うことで、試している。

 種まきが11月3日で田植えが40㎝×30㎝植えで1月6日。稲刈りが、5月19日。稲刈り前1週間によみがえり堆肥を投入。20㎝ぐらいの高刈りにした。来年は高刈りはやらない。6月9日に刈り戻す。刈り戻してよみがえりを投入。ひこばえが実にか細いこので、このままではあまり期待できない。



 6番田んぼは「ミルキーサマー」12月3日播種。1月13日40㎝角の田植え。3番田んぼより大分しっかりした稲の株になる。収量は30㎝角に較べれば半減するが、作業が楽になり、ひこばえまでやるつもりであれば、悪くない栽培法になる。

 稲刈りは6月8日になる。梅雨に入り稲刈りが出来ないで延びた。刈り遅れ気味であったが、一番良いお米が出来た田んぼになった。出来たお米も粒張りもよく美味しいものだった。ここは刈り戻しはせずに、6月17日によみがえりの追肥を行った。

 6番田んぼのひこばえは3番のひこばえよりもいくらかしっかりしていて、期待ができる。しかし、刈り戻した3番田んぼでは出てきたひこばえが新しい根を出して、良いひこばえになる可能性もある。これからの管理に期待したい。



 この後コロガシと草取りである。6月18日に、3番と6番は行った。6番を刈り戻すか迷っている。結局すべて刈り戻した。こうして低く刈り戻すぐらいであれば、最初から低く稲刈りをした方が良いという気になってきた。

 ミズオオバコが大分出てきているが、それ程強い雑草でもないようなので、ミズオオバコを採取して野菜として食べるのが良いのではないだろうか。レタスのような味で、十分野菜として食べれるものだ。

 以上の4箇所でも3種類のひこばえを試しているが、もう一つ「台中65号」が100本ほど種籾採取と試食のために植えられている。いわゆる蓬莱米という品種だ。30年前までは沖縄の奨励品種だったのだ。これがあまり美味しくないというので、今は沖縄では作られていない。

 種籾をいただいたので、試験栽培してみている。2月20日に播種。直播き栽培。6月15日に穂揃い。晩稲のようだ。ひこばえ農法には向いているかも知れない。味覚がまずまずであれば、ひこばえも試してみたいと考えている。一回目のお米は試食して、味覚次第で、ひこばえのお米を種籾にする予定だ。

 また、北陸193号が沖縄でも晩稲のために満作になるらしいと言う情報をいただいた。そこで、現在193号の種籾を捜しているのだが、ちょっと遅かったようだが、やっと見つかった。これも試験栽培をしてみたい。193号は栽培はできると言うことは確認されているらしいので、問題は食用に出来るかどうかである。

 その意味では、5番田んぼで試作している「ハッピーヒル」「干川黒紫米」は稲の生育は良い。これも、ひこばえを試してみる予定である。味覚と、ひこばえの様子によっては、他の田んぼでも作るつもりである。

 自給のためのひこばえ農法であるから、自分が美味しいと思える品種でなければだめだ。美味しいお米で石垣島でも作れる品種。何とかそういう品種を見付けるところからだ。北陸193号が何とか食べることが出来るものだと良いのだが。
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闇米を食べずに死んだ山口判事のこと

2024-06-21 04:16:00 | 身辺雑記


 毎朝見ている朝の連ドラ「虎と翼」で闇米を食べずに栄養失調で死んだ判事の話が出てきた。出るだろうと思っていた。闇米を食べずに死んだ方は山口良忠判事は、主人公の三淵嘉子 さんとは同じ時代の判事である。この脚本家はすごい調査をしているので、出てくると思っていた。

 山口判事の死は、ある意味帝国主義日本が起した侵略戦争の結末に見えるのだ。戦後日本の混乱と飢餓社会は、中国の最前線で7年間戦地にいた私の父にしても、中国での戦時中以上に厳しく苦しい時代だったといっていた。食料がないと言う地獄の中に、生きた。その地獄から這い出ようと、悩み抜いて生きた。

 私が小学校2年生ぐらいの時だと思うが、数えてみると昭和33年と言うことのようだ。同級生のMさんの弟さんが、栄養失調でなくなられた。まだそう言うことが、身の回りにあった時代なのだ。戦争が終わり13年後のことである。昭和31年の経済白書にはもはや戦後では無いとあるのだが。

 多分その時に学校の先生が、闇米を食べずに死んだ山口判事の話をしたのでは無いかと思う。先生も多分山口判事と同年代で、飢餓の時代を生き抜いたのだ。山口判事がなくなられたのは1947年とあるから、10年ちょっと前の事だったことになる。栄養失調と言うことに直面して、先生は思い出して、人ごとではなく話されたのではなかっただろうか。

 家に帰り山口判事の話を父に聞いたのだ。する父はびっくりするほど深刻な表情に変わった。戦後の混乱期にも、立派な人がまだ日本にも居たのかと感銘を受けたと話してくれた。 誰もが生きるために闇米でも何でも捜して食べたのだと。それは犯罪ではあるが、仕方がないことと受け入れざる得ない時代だったと。

 父もそのことに苦しんでいたのを感じた。そういう自分を恥じたと言うことだった。日本にはこんな立派な人がまだ居たのだから、日本はまだ大丈夫だと思ったと話した。あまりに真剣な態度だったので、この事件がよほど堪えたに違いないと思えた。

 父は闇商売が得意だったはずだ。闇物資を手に入れて、商売をして成功をした人だと思う。米軍基地に忍び込んで、便所の板を外してきて、家を作ったというような人なのだ。ヤクザの知り合いが家に現われるような人で、闇物資の流通をやる人の間では信望があった。

 そんな父が、山口判事の特別な生き方に、かなり深刻に衝撃を受けていた。その衝撃の意味まではよくは分らなかったが、特別なことだという印象は強く残り、時々山口判事のことを思い出していた。法を守る判事が故に、闇米を食べないで、餓死を覚悟した人のこと。

 人間の生き方である。佐賀県出身の人だから、葉隠れを思い出してしまう。同時に、山口判事の同年代の人達は戦争に徴兵されている。父は明治生まれの人だからもう少し上の世代で戦争に7年も行った。山口氏は裁判官だったために戦争に行かなかったのだ。戦死した仲間に対する負い目と言うようなものや、責任感のようなものも、あったのかもしれない。

 そういう諸々の背景があり、闇米を食べないという判断をしたのだろう。私の子供時代にも米穀通帳というものがあり、それを持って地方から東京に出てきて、住み込みで働いたのだ。お米屋さんから、お米を配達して貰うのに、米穀通帳がないと頼めなかった事を覚えている。

 食糧不足から、お米は配給制度が続いた。しかし、闇米の方が流通の中心になる。配給のお米はお米屋さんがブレンド米を作って、配給していた。だから美味しくなかった。美味しいお米が食べたい人は、高い闇米を買っていた。山口判事が聞いたら驚くような事に、配給制度は変って行く。

 食糧管理制度は、米価を維持するというような、違った意味を持つ制度になる。米農家の保護。自民党の支持母体だった農家が、むしろ旗に米価を上げろとかいて、国会でデモを毎年繰り返した。農家が減る事で、自民党は食管制度を止める。そして米国手帳もなくなる。

 日本では米は余るものになった。食管制度のために、作られたお米をすべて国が買ってくれるから、お米さえ作れば暮らして行けた。所がその米価が維持できなくなり、自主流通にお米は成る。それでもお米は生産過剰である。日本は食糧自給は出来ない国になったが、かろうじてお米が食料の安全保障になっている。

 しかし、今年はバヤリースオレンジが販売停止になった。ブラジルのオレンジの不作の影響らしい。これは始まりである。世界の食糧不足時代の予兆である。あらゆる産物が不足するだろう。そもそも国力が落ちて、円が今以上にやすい国になれば、海外の食糧を輸入を続けることは難しくなる。

 そして、国内でもインバウンド海鮮丼ではないが、観光客が価格をつり上げることになる。観光客には1000円のラーメンも1万円のお寿司も半値くらいの感覚なのだ。だから海外から沢山の観光客が来ているのだ。どうもお米の値段が上がり始めているのは、海外旅行客の需要増加のためらしい。

 食料は足りなければパニックになる。有り余るくらいあって丁度なのだ。今年の日本の気候はすでに怪しげである。キャベツ一個が300円で高いと言うことらしい。300円ぐらいしなければ、私は作る気になれない。今まで、食料は安すぎたのだ。

 世界では食糧不足は続いている。中国やインドのような人口爆発の国が、世界中に出てくる。しかし、食料の生産は限界に対して居る。日本が食料輸入に苦しむ時代は近づいている。山口判事の事をまた思い出すことになるのだろう。

 敗戦から食糧不足になったのだが、そもそも日本国内での食料生産は6000万人ぐらいが限界と考えた方が良い。日本人の労働力はその辺が限界だ。海外から労働に来てくれることも遠からず無くなるはずだ。日本の普通の農家はなくなる。企業的農家と自給農家になる。

 高くて買えないから、自給して食糧を確保しようと言うことになる。私の家も相模原で開墾生活をしたのだ。私の母は隣の畑で働いていて、労働力が買われて、父と結婚したのではないかと思う。何しろ、お婆さんは目黒に暮らしていて、馬糞を拾ってはリックに詰めて、相模原まで出掛けていたのだ。

 母は山梨の富士吉田で教師をしていたのだが、給与だけでは食料さえ十分に買えずに、生活が出来ないと言うので、弟が開墾しながら駒沢大学に行くというので、相模原で開墾を手伝っていたのだ。二人は農業の専門家だから、上手く開墾をしていたのだ。

 国の政治の一番の目的は国民を飢えさせないことだ。その政治がデタラメだから、日本人は自給的生活を確立した方が良い。農業はますます縮小するだろう。農家はさらに半減する。輸入食料の確保は価格が高騰し、難しくなる。企業的農家は食糧の増産をするだろうが、十分な労働力の確保が出来ないはずだ。

 食糧自給をすることは、日本人の暮らしの安全保障になる。
 
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政治資金規正法改正案は無意味

2024-06-20 04:05:52 | Peace Cafe


 政治資金規正法改正案は、騙された維新の会が怒りだしたが成立した。国民は維新の会に一番怒らなければならない。維新の会が手柄を立てようとすり寄ったために、先を越されたと泡を食った公明党が自民党にしがみついたのだ。連立与党から外されることを恐れたのだろう。

 誰もが効果が無い法律改正と考えている。多分自民党の議員もこの先パー券収入は裏金としてごまかせる事は分っている。どこもかしこも、抜け道を用意した法案なのだ。「政治にはお金が必要だから、選挙には買収が必要だから」お金の道を絶たれれば、選挙で負けると考えているのだ。

 不正に企業から集めたお金がなければ、自民党政治は回らなくなっているのだ。裏金が必要な、領収書のいらないお金を使わなければ、出来ない政治になっているのだ。国民からどれほど不興を買おうと、裏金がなければ出来ない自民党政治だと言うことがよく分った。

 麻生氏は政治にお金がかかる理由を口にした。これは失言魔王の最大の失言かも知れない。民主主義のコストだというのだ。住民から丁寧に意見を聞くためにはコストがかかると発言した。民主主義を維持するためには、地元の後援会にもお金がかかるし、事務所もできるだけ多く必要だと言うのだ。

 全くそんな無駄金は必要が無い。麻生流の民主主義では金持ちのボンボンだけにしか、政治は出来ないと言う事になる。インターネット時代では意見を伝える方法は、いくらでもある。大新聞社だって私にだって同等にある。政党が良い政策を出し合い、それを有権者が選択する制度は、お金がなくてもいくらでも可能だ。

 民主主義も時代の情報の仕組みに合せて大きく変化すべきなのだ。良い政策を提案す人を選べるようにするのが、民主主義の道だ。ネット中心の選挙制度に変えれば良いのだ。自民党がやっているお金のかかる方法は、企業献金の多いところを優遇する政治だろう。そのためにコストがかかっているに過ぎない。

 貧乏人を不利にしておきたいだけのことだろう。社会のための政治ではなく、自分たちの利権政治を維持するためのコストだ。それを民主主義のコストなどと言って欲しくない。コストのかからない選挙制度を、この機会に考えるのが政府の役目ではないのか。

 沖縄の各島々の自衛隊基地の進め方でも、ウソの説明で塗り固められている。与那国島では最初は通信基地を設置すると言う程度の話が、今や軍事基地の島化すると言うことになってきた。こういう住民を騙すためにお金を使うのが自民党政治である。どう考えても与那国町長は自民党流のコストの点で怪しい。

 選挙に負けることが分っているから、必死になって、どうすれば国民をごまかせるかだけを考えているのだ。それにすり寄るのが、公明党と維新の会だろう。さすがに、何でも自民党支持のガチガチの保守の人達も愛想がつき始めたた所だろう。そこにちょっかいを出している極右勢力が目立ちはじめた。

 そもそも岸田政権のやったことは、日本の極右化と言っても良い。完全に平和憲法を逸脱して、軍国化目指して行動している内閣だ。中国の覇権主義を繰返し宣伝している。中国が明日にでも、台湾侵攻を行うと流布している。そして、沖縄を防人の基地の島に変えている。

 多くの国民がそのデマに乗せられてしまい、中国を不安に思うようになっている。何故アメリカは日本の仮想敵国でなく、中国が仮想敵国なのであろうか。アメリカも、中国も連合国として、日本と戦った国ではないか。何故日本は占領したアメリカに従っていることが、安全保障と考えるようになったのだろうか。

 それはアメリカから日本は再軍備を禁止されたからだ。たしかにそういう平和憲法を押しつけられたのだ。日本としては再軍備はもうしないから、侵略戦争で、多大な迷惑行為をゆるして下さい。と誓ったのだ。非武装は日本の世界への復帰するための約束だったのだ。

 ロシアの侵略戦争を見ると、弱いものをとことんいじめてやるという恐ろしい悪意を感じる。こういう暴挙を許してはならないと言うことだろう。その意味でウクライナ支援も分らないでは無い。しかし、ロシアの侵略戦争を何故、平和的な努力で止めることが出来なかったのかの歴史を、反省しなければならない。

 本来であれば、世界はロシアが侵略戦争をする、兆候のあった時点で、ロシアとウクライナが交渉に入れるように、努力すべきだっただろう。まず話し合いを両国がするような状況を作る必要があったのだろう。今になって侵略戦争を終わらせるよりも、はるかに可能性のある話だった。

 ウクライナのナトウ加盟問題。ウクライナへの欧米の軍事支援。もう限界が来て侵略戦争をしてしまったのがロシアであろう。悪いのは手を出したロシアであるが、ロシアがやらざるえない状況になったことにも原因はある。国際紛争の解決を平和的努力で行えというのが、日本国憲法である。

 この点は明確に日本国憲法に書かれている。それならば、日本政府は今台湾侵攻があり、尖閣列島への上陸も想定されていると考えるのであれば、平和的努力によって、国際紛争を解決する努力を行わなければならないはずだ。それが平和憲法を持つ国の政府の仕事だ。岸田氏は何かやっているのか。

 自民党政権は何とか中国との関係を悪くして、日本の軍国化を進めようとしているのだ。それは沖縄を基地の島としろというアメリカの要請に従っているのだ。こんな情けない政府なのだ。日本の軍事基地化は、経団連の要請でもあるのだ。企業献金を貰っている以上それに従うのが自民党なのだ。

 日本政府は中国と尖閣問題解決の話し合いに入るべきだ。尖閣を国連統治の中立の状態にしても良いだろう。平和の維持ができるのであればきわめてお金のかからない方法になる。互いの信頼を築くことが、安全保障の基本だ。相手を仮想敵国と宣伝するような政府ではだめだ。

 中国の一帯一路の外交政策は、別段覇権主義ではない。むしろ平和主義の通行路の確保である。それがアメリカや日本の利権にぶつかるから、覇権主義と騒いでいるに過ぎない。日本も東の最終地点として、シルクロード時代のように中国の恩恵を受ければ良いのだ。その道を捜すのが政府の役割だろう。

 遣唐使も遣隋使もそういう朝貢外交をしてきたのだ。日本は先進技術を学び、日出ずる国として成立したのだ。日本が模索すべき道は中国との対立ではなく、アメリカと中国の関係改善の努力だ。その平和的努力のためには、日本の軍国化はあってはならないことなのだ。

 日本は敵基地攻撃型ミサイル軍事基地など作らず。専守防衛に徹すべきだ。現代の戦争は敵基地攻撃よりも、サイバー空間での経済の戦いがある。ここに力を入れるべきだ。アメリカ軍には自衛隊基地を使わせないと釘を刺さなければならない。中国にしてみれば、喉元に刃物を突きつけられての交渉では、良い交渉など出来るはずも無い。

 攻撃能力を待たない。アメリカにも基地を使わせないという前提で、中国との話し合いを始める必要がある。そう言う努力を不断に行えば、ウクライナ戦争は起こらなかった。まだまだ、世界は平和の為の不断の努力が足りないのだ。

 話は軍国化問題になってしまったが、これもまた政治資金が絡んでいる問題だ。与那国島が軍備の島になってしまったのは、それだけのお金が投入されているのだ。アメリカからのお金もあるのかもしれない。自民党からのお金もあるだろう。政治資金が透明化されれば、こんなおかしな事は起きないのだ。

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「全国空き家対策コンソーシアム」

2024-06-19 04:17:00 | 水彩画

 山本丘人作「火山翳光」

 「全国空き家対策コンソーシアム」と言う組織があり、関係17団体で結成したものという。その業務は、相続、定期管理、りホーム、リノベーション、駐車場運用、空き家売却、解体、解体後の土地活用、土地の売却、と言うことらしい。是非成果を上げてほしいものだ。

 この組織がオンラインイベント「すまいの終活フェスティバル」開催をしたらしい。「住まいの終活」の選択肢について、「相続・リフォーム・活用・売却・解体・土地活用など、各分野の専門家が分かりやすく解説します。」「家じまい」に関するお悩みのある方は、ぜひお気軽にご参加ください!  とある。

 最近時々見るように成った「墓じまい」という言葉が気になっていたが、こんどは「家じまい」である。日本の家族制度が終わったと言うことだろう。先祖のお墓を終わりにする。これを出来る民族に日本人も成ったようだ。まあ悪い事ではないわけだが、今度は家を片付けることになったのだ。

 日本の家族制度は崩壊したと言うことになる。それで良かったわけだが、「家」に変るべきものを日本人は得たのだろうか。自分の人生は自分一人のものという、個人主義を確立して、家に縛られない日本人が登場したと言うことであれば、良い方角に進んでいると言える訳だが。

 日本人を縛り付けてきた、家の制度は人間の生き方を限定してきた。父の生き方を見ると、笹村という家を守るという気持ちがどこかにあった。生涯兄弟姉妹そして、親類のの暮らしの面倒まで見続けた。仕方がなくやったというより、それが生きがいだった。

 そんな自分を否定した名前を私に付けた。「出」である。笹村の家から出て欲しいと言う願いを込めて付けた名前だと言っていた。それだけ父は笹村の家に縛られていたと言うことなのだろう。父は自分の進みたかった柳田民俗学の道を家のために折ったという気持ちを生涯抱えていた。

 それくらい明治時代の人には家というものは個人を縛っていたと言える。日本人はカタツムリのように、家を引きずって生きてきた。私にはすでにそういう物はない。自分というものには縛られているわけだが、笹村家などと言うものはもう他人事である。と言っても、私がこうして安穏に暮らしていられるのは、父の御陰である事に変わりは無い。

 父は自分の兄の生涯どころか、兄の子供達の生涯まで、心配して手当てをして死んでいった。いつまでも、絵を描いて居る私に対して、それが続けられるようにと、考えてくれていた。またそういう将来を見通し、手立てをする能力の極めて高い人だった。

 その意味で、父は先祖のお墓も、家も子供が無事引き継げるようにして死んでいったことは間違いない。品川の海晏寺というお寺に笹村の家のお墓はある。父の祖父に当たる人が明治維新後、土佐から東京に出てきた。その人は歌人であり、一派をなしたらしい。

 死んだときに、海晏寺の当時の住職もお弟子の一人だったので、お弟子さん達がお墓を作ってくれたと聞いている。その墓は父が引き継いで、管理ししていた。そして、父が死んだときから私が引き継いだ。しかし、兄の方が適任だと思い、兄にお墓はお願いした。

 兄のところには子供が居るから、その墓はその子供の代までは一応管理されるのだろう。その後は墓じまいするのかも知れない。私の墓じまいは兄の子供に押しつけて終わったと言うことになる。では家じまいの方はどうだろうか。小田原の方の家は、Wさんにあげることにした。

 今贈与をしてしまえば、楽だとは言えるが、管理や税金も大変になる。それよりは死んで遺言で渡す形の方が良いのではないかと考えている。だから小田原の家の始末は一応はついている。では石垣の家はどうなるのだろうか。先ずは死ぬまで住んでいるつもりだ。

 老人向けに作った。緑内障が進んで、眼が見えなくなっても手探りで暮らせるような家にした。5年前に相談して作った老人向け住宅である。所が内の奥さんは京都の老人ホームに入りたいそうだ。ひとりで行けば良いだろうと言っている。そのつもりだそうだ。

 とすると私は一人でこの石垣の家で、死ぬまで暮らすと言うことになる。そのことは何の心配もしていない。動けなくなったら介護の人をお願いするつもりで居る。問題はボケたときだろうが、もうボケたのだからどうでも良いのだろう。家じまい所でない。

 家が放置されると周辺の資産価値が下がるそうだ。石垣の中心市街地である字石垣にも人の住んでいない家はそれなりにある。周辺に迷惑をかけないような形を考えている。笹村出水彩画展示室にすることである。それも考えて作った家なので、何とか展示室にはなるはずである。

 問題は管理を続けてくれる人である。そんな、水彩画に関心のある、石垣に移住してくる人を見付けられればありがたい。その人が私が死んだ後この家に住んで、展示室の管理もしてくれるというのが希望だ。その管理者が展示室の管理と、暮らして行ける手立ては残したいと考えている。

 私が出来るのはそこまでである。その先どうなるかは分らない。その頃には行政もまともになって、家じまいはお願いできるように成っていることを期待したい。脇田和さんは銀行にその業務をお願いしたそうだ。行政など信用できない、まだ銀行の方がましだろうと言うことだった。

 静岡県の小山に山本丘人美術館「夢呂土」というものがあるが、若いご夫婦が管理しながら、制作活動をされていた。文化勲章受章者で、魅力的な絵を描かれる人だった訳だが、山北町に住んでいた頃は卵の配達で、そばまで行っていたので、時々訪ねた。

 しかし、人が絵を見に来ている事は無かった。どうなるのだろうかと思っている。山本丘人の作品はむしろ芦ノ湖湖畔にある。箱根美術館に代表作が収蔵されている。あと100年ぐらいしたとき、この2つの美術館はどうなっているのだろうかと思う。

 話がそれたとも言えるが、むしろ本題に入ったつもりだ。住まいじまいをどうするかと言うことは、やはりどう生きるかと言うことに繋がっている。生きている今、どんな形で絵を描くかと言うことになる。空き家対策をするなら、今をどう生きるかの相談に乗らなければだめだろう。オンライン相談会でも今の生き方の相談はなかった。

 老人で終活だから、今どう生きるかなど関係ないと考えている節がある。だから、空き家が増えて行くのだ。老人が死んで行く、最も大切な時間をどう生きるかである。どう生きるのが老人の幸せなのか。この相談に乗らなければ、空き家が増えるのは当たり前の事だ。

 
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水彩画、見ることの意味

2024-06-18 04:09:23 | 水彩画

 1番田んぼの2回目のひこばえの稲刈り1週間目の様子。毎日田んぼの脇に椅子を置いて、観察している。あれこれやらなければならないことも見えてくるが、新しい発見もある。がっかりする発見も多いいが、これならばと言うこともある。観察がすべてである。

 人は見ることで外界を認識をする。見ることに判断を加えたときに、言葉になる。赤い花を見て、薔薇だというような言葉にして認識を自分のものにする。薔薇を確認すると言うことは、それを見ている自分というものを意識すると言うことになる。

 見ると言うことは、認識する始まりである。認識するとは、認識する主体である自分の存在を反映として認識していると言うことでもある。その見ると言うことを赤い薔薇だな。と言うような言葉化する前の状態というものがある。見て判断しない前の何か分らないものがある。その目に映った状態があるはずだ。

 目に映る状態を言葉で認識し判断する途端に、意味を生じる。その意味を伴わない映像を、絵に描こうとしている。のだと思う。それが多くの場合半具象画と言われている。ものに意味はあるのだが、意味を伴う前の状態でとらえる画像のあれこれを描くと言うことになる。

 何故そのようなややこしいことを通して、あえて絵で行うのかと言えば、結論から書けば、それが自己確認だからである。自分の原初的なところに到達出来るのでは無いかという確認および表現行為である。赤い薔薇と言葉化する認識をすることで、ものは一般化する。いわゆる薔薇という認識に標準化される。

 赤い薔薇を、赤い点として意味を取り去って目に映っている状態を探ろうとする。これが絵を描くと言うことの、私の行為なのだと思う。外界をそうした意味を伴わないものとしてみる訓練を繰り返すと、意味の伴う世界では、見えていなかったものが、意味を失うことで見え始めるものがある。

 それは絵を描くと言うことで、初めて触れることが出来る世界だと思う。赤い点として、描かれたものが、絵を見る人の多くは赤い薔薇なのではないかと意味を求める。絵を見る人の多くは薔薇としての説明を求める人も多い。花を描くなら、品種名まで分るように期待する人さえ居る。

 そういうボタニカルアートのような装飾絵が大半で、絵は美術品と考えているのだから、仕方がないこととは思う。私が描いているものは外界の説明ではないのだ。あえて言えば、自分の内部世界を説明をしているのだ。表現としての絵画とはそ言うもののはずだ。

 自分を突き詰めなければ居られないという病のようなものだろう。自分病である。自分とは何か。産まれてきた以上、このことを確認しなければ居られないという、強い欲求である。そんなものは生きることにいらないという人にしてみれば馬鹿馬鹿しいことだろうが、自分病という病なのだから仕方がない。

 道元禅師は正に自分病の人だ。日々生きて行く上で自己確認などどうでも良いという健全な人ではないのだ。生きている意味を確認しないではいられないという人も居るのだ。哲学者などと言う人はそれを言葉でやる人のことだろう。詩人もそうかも知れない。

 芸術家と言われる人は様々な方法でそれをやっているのだと思う。そして、その表現方法に、ぶつかり衝撃を受ける人も居る。何のことだと気にもとめない人も居る。それぞれの持っているものの違いなのだろう。あえて、教養の違いとは言わないでおく。

 絵は学ばなければ理解できない藝術分野のものだと思う。哲学が言葉に対しての前提条件を、言葉の意味の確定をしていなければ、理解できないことに似ている。言葉を違う意味でとらえていたのでは、またその言葉を厳密に認識できなければ、語られる哲学を認識することが出来ない。

 絵もただ見れば見れるものだが、見る側に見る能力がなければ見る事ができない。絵は感じれば良いというような、短絡的なことではやはり、絵の全貌には到底到達できない。絵は見て意味の解釈が出来なければ理解が出来ないものでもある。

 分るように説明して欲しいという人も居る。しかし、高等数学や難解な哲学を分るように言葉で説明することは、実は前提となる教養が共通で無ければ、出来ないことなのだ。絵も同じで、言葉では表現できない世界を描いているのだから、言葉で説明できると考えること自体に無理がある。

 では絵画は感性で感じるものと考えて良いかと言えば、それも違う。言葉化して説明してくれと言う方が十分ではないとしてもまだ誤解が少ない。感じて受け止める絵の見方では、感性の違う領域の絵画は「嫌い」というような間隔判断になるだけだ。

 絵は感性のものだから、感じれば良いというのは、さらに誤解を深める言い方になる。絵は意味を伴わないみるという状態のものだとすれば、感性も伴わないものでもある。美しいとか、感動したというようなことも、赤い薔薇だと言うような解釈と同じで、絵の本来的意味の部分を切り取った解釈になる。

 美しいという感性で感じたときに見失うものがある。何の前提もなく、平明にみるの出なければ、見えてこないものがある。人間は居間まで見てきた記憶に影響されて、ただ見ると言うことが難しいのだ。感性で絵は見ては半分しか見えない。意味で解釈しても半分しか絵は見えない。

 ここで初めて絵を描く上での見ると言うことが、以下にやっかいなことであるかは分って貰えるのではないかと思う。そんなややこしいことはどうでも良いと言うことになるのだろうが、このどうでも良いような面倒くさい話が、絵に於いて最も重要な発見なのだ。

 本来こういうややこしいことは、美術評論家というような人が行うべき事なのだと思うが、美術評論家が絵画芸術論をどこで語っているのかと思う。太鼓持ちのような、美術感想文はあるが、芸術論は読んだことがない。それは現代美術分野でも少しも変らない。

 金沢に行ったときに、21世紀美術館の図書室で、一日評論を捜したが、発見できなかった。私の探し方が悪いのかも知れない。どなたか美術評論をご存じの方がおられたら教えて貰いたいものだ。美学などと言う学問もあるわけだから、この行き詰まった時代における絵画の意味を考えている人は必ず居るはずだろう。

 
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後期高齢者になるが、終活などやらない

2024-06-17 04:19:46 | 暮らし



 74歳である。あと2ヶ月で75になる。後期高齢者と言うことに成るのだろう。少しも歳をとった気分ではないのだが、れっきとした老人なのだ。自覚できる衰えている箇所は、眼と耳である。様々な自覚できない機能の衰えが来ているのだろうとは思う。

 しかし、まだ死ぬ気はしない。普通に農作業は出来る。朝8時から、夕方5時半まで、先日も田植えをした。翌日も農作業を続ける事ができた。この点では若い頃と較べれば、速度は落ちたが大きくは変らない。頭もぼけてきているのだろうが、まだ認知症と言われるほどでは無い。ブログを書く速度はいくらか遅くなってきたが、一応意味は通ずるレベルは保っている。

 今の願いはのぼたん農園での自給農業の技術の確立まで、農業が出来ることである。先ずは車の運転が出来なくなれば終わりになる。緑内障があるから、眼の維持を願うばかりだ。このところ進行が止まり安定しているので、状況が変らないように現状維持。

 今日を生きる事に全力を費やしたいので、終活などと言うことは考えたくもない。そんなことはやる必要も無いし、むしろ害があると考えている。もちろん死ぬと言うことはよく考える。生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり。『修証義』 冒頭に書かれている言葉。『修証義』 は道元禅師の書かれた正法眼蔵の教えを、分りやすく要約したものだ。要約など無理な話なのだが。

  生き物は生まれてくれば必ず死ぬ。死ねばすべてが消え去る。それを良しとして受け入れる。死後の世界などあるはずもない。輪廻転生などない。死後のことは考えることすら馬鹿馬鹿しい。生きている今を直視し、生ききることだけが、生きる事の意味。終活など考えている暇はないのだ。

 自治体の中には終活講座をやるような所も在るらしい。確かに死後の財産が持ち主不明で放置される。家は空き家になり困り果てる自治体が多いので、生きている内に自分の財産の始末をして欲しいと考えるのだろう。死ぬことまで自己責任論である。死後の始末ぐらい行政が担うべきなのだ。だめな社会だ。

 放置され行政に任された財産があるのに、有効利用できずに困るのだから、不思議な時代である。誰もが責任逃れをしている社会だから、安心がないのだ。相続する人が分りませんと、何年も放置して、廃墟になってからしか手を付けない行政は制度を見直すべきだろう。

 1年ぐらい張り紙でもして、応答がなければ、公共の財産にして利用したら良いだろう。利用できないものは利用できるものの上がりで、更地にして有効利用すれば良い。駐車場でも緑地でも道路でも防火帯でも利用法などいくらでもある。

 どこに旅行しても、空き家は目立つ。石垣島でも空き家はある。駅前がシャッター商店街になり、中には崩壊しかけているような地域もある。困ったことではあるが、多くの場合、こんな状況にした当事者は老人である。だからと言って後始末をしない、死んで行く老人の責任なのだろうか。こんな不幸な社会にしたのは、努力を行政が怠っていると思える。

 衰えて身の回りさえままならなくなり始めた老人に対して、もうお前は死んで行くのだから、後のものに迷惑をかけないように、身の回りを早く整理しろと迫るのだ。こんなことは人権蹂躙である。その人それぞれに生きれば良いのであって、それを迷惑と考えるのであれば、何とかするのは社会の方だろう。

 老人は「もの」で囲まれた記憶が重要なのだ。断捨離で何でもすれれば、自分という物も捨てることになる。自分を記憶と結びつく「もの」で自分を維持しているのだ。身の回りの「もの」が無くなることは自分を失うことでもある。私は絵を現在1505枚保存している。終活で捨てろと言われも、今生きる私には必要で保存している。

 描いた絵に社会的に価値があるかと言われたら確かに心許ない。社会的に一時期認められた絵が、美術館の地下に入りきれなくなっているのだ。美術館の絵の大半が、すでに社会がいらない絵なのだ。だからといって整理して捨てろと言われたら、絵描きはかなり辛い。せめて、死ぬまで保存し、見たいときに見れるようにしておきたい。

 終活を商売にしている組織がある。その広告を読むと、1,将来、身の回りのことが自分でできなくなることに不安を感じる。2,自分のことで家族に迷惑をかけたくない。3,おひとりさまなので、そもそも頼れる家族がいない。4,自分は大丈夫だけど、離れて暮らす親が心配。などと迫っている。

 こんな風に勧誘している。誰だって生きる事は不安なのだ。その老人の不安につけ込んでくる。つい弱い心で惹きつけられてしまうのだろう。それは老人ホーム商売も同じことだ。安心して死ねる場所を売り言葉にして、金持ちの老人からお金を巻き上げようとしている。

 江戸時代は姥捨て山の時代だったと明治政府は宣伝をした。それは軍費集めに躍起となった明治帝国主義政府の教育だったのだ。姥捨てなどしないで良い時代になったと言いたかったのだ。確かに子供を捨てる。老人を捨てるという伝承はあるが、それはあくまで民話の伝承の世界の話だ。

 子供を捨てるという話も、世界中の民話にある。そんな怖い話をどこの民族も伝え続けたのだ。それはむしろあってはならないという、集団の思いが煮詰められた民話の伝承なのだ。鬼が出てきて食べられるとか、山姥にさらわれるとか、民話にはそんな怖い話が世界中で伝承されている。

 そうした伝承をあたかも江戸時代には、事実としてあったことにしたかった。明治政府は飢餓とか、子捨て、貧困、姥捨てなどを事実のように教育した。まあ、今の北朝鮮を見ればその意図は分る。そのために、明治時代に産まれた世代は、その伝承を事実であるかのように思い込み、次の世代に語ったのだ。

 だから戦争に駆り立てられた日本人は、お爺さんの話していた昔の世の中を悲惨な世界としか思えず、何とか戦争に勝って豊かな国になりたいと思い込まされたのだ。そんな洗脳教育が現代にも影響していて、江戸時代の3大飢餓などと学校教育で説明されている。本当の東北の疲弊は明治期がひどいものなのだ。

 話は姥捨てになってしまったが、歳をとってもばあさんは役立つだろう。困るのはじいさんの方だろう。役立たずのじいさんほど始末の悪いものはない。大体が威張り腐っているのだ。爺捨て山なら、私も騙されたかも知れない。日本は男社会だから民話も遠慮したのだろう。せめて人に迷惑にならないじいさんで居たいものだ。

 好きなこと三昧に生きる事に限る。これが健康的に生きる秘訣だ。石垣島に暮らしていても、田んぼと畑と絵を描くことだけだ。他のことには興味が湧かない。海に行くとか、山に行くとか、そんなこともない。コロナ以来、街歩きもしない。一年でも長く元気で田んぼで働けるように、そして絵が描けるように身体を保全する。

 終活などくそ食らえだ。死ぬことなど忘れている内に済ませたい。多分生きる事に専念していれば、それどころではないと言うことだろう。やりたいことをやり尽くす。石垣島の自給農業技術を確立に全力をつくしたい。自分の絵を描きたい。これに尽きる。


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216 水彩画 日曜展示

2024-06-16 04:01:15 | 水彩画
 216 水彩画 日曜展示







503「田んぼの実り」
2024.6 中判全紙







504「モクマオウの海岸林」
2024.6 中判全紙







505「のぼたん農園の夜明け」
2024.6 中判全紙


  今週は3枚だけだった。一日1枚が達成できない。描いていて入るのだが、少し時間がかかるようになっている。稲刈りが続いて居ると言うこともあるかも知れない。のぼたん農園に、来る人が多いので、話などしていて絵を描かないと言うことなのだと思う。

 それで別段良いと思っている。ゆんたくである。話をすることを大切だとする沖縄の文化だ。話をするのはおもしろい。実に楽しい事だ。学ぶことも多い。人間としての活力が湧いてくる。良い会話を楽しみたいと思っている。のぼたん農園が人の集まるユンタクの場所になれば嬉しい。

 絵はそういう所から産まれるのだと思う。人間が生き生きしていなければ、絵も死んでしまう。それでも何とか、一日1枚描きたいものだ。その気になれば描けないはずがない。丸一日描いて絵が出来なかった。どうしても二日ぐらいはかかった。何かが変ったのだろうか。どういうことかなと思う。

 
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