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「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!」

2012-09-30 04:10:49 | 身辺雑記
「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!」」(中学2年 女子)これほどインパクトのある、標語はめったにない。100年後これを読んだ人はどう感じるのだろうか。私には100回逃げて101回目幸運にも助かった人が発する言葉に聞こえる。人にこの事だけは伝えたいという感触がある。まさに言葉の力である。以前、糸井重里氏が、警察の標語を読んで、本当のところでは事故を減らしたいと思っていないとしか思えないと言っていた。確かに世の中にあるだいたいの標語より、コマーシャルの言葉の方が耳に残る。しかしこの中学生の言葉には、どうしても伝えたいと言う、心がこもっている。もう、多くの人は、どうせ逃げようもないから、津波が来たときは仕方が無いと諦めている。こんな気持ちに成り始めている。

いま、津波を記録する活動が様々な形である。津波の起きた海岸に、津波石と言うものが古くからある。次の時代の人が津波を忘れないで、安全に暮らしてくれることを願ってのことだ。今回の東北の大津波が来て見て、昔のまさかと言うような津波石の置かれた高さが、実感を伴って迫ってくる。今回の大津波でも津波を記録する500の石を置いて、後世に伝えようと言う活動が起きている。津波で無くなられた方々への鎮魂の思いと言うものも、石に託したいということだろう。全優石と言う組織が、主体に成って動き出している。全優石津波記憶プロジェクトと言うものである。

2011年3月11日

未曾有の被害をもたらした東日本大震災。

津波によって多くの命が失われた。

大丈夫だと思って逃げずに津波にのまれた人。

家族を捜しに行ったり、また助けに行って犠牲になった人。

逃げる方法を間違えて津波にのまれた人。

防波堤があるからと安心して逃げなかった人。

忘れてはならない18,915の命(5/2現在)

我々は二度とこのような犠牲が起こらないことを心から願う。

亡くなられた方々の魂を慰め、事実と教訓を石に刻み後世に伝えていくことを我々の使命と考える。

1000年先まで・・・


伝えると言うことはとても困難なことだ。人間は忘れる。忘れるから生きて行ける。それでも、忘れてはならないことはある。「ここまで津波が来たんだよ。」こういうことは忘れてはならないことだろう。暮らしの利便性と言う事もある。高台移転と言う事も必要だろうが、なかなか進まない気持ちもわかる。私自身土砂災害危険地域に暮らしている。しかし、裏山の土砂崩れに対し、どうしたらいいのかとは思うが、実際の手立ては進められないままでいる。家の裏に重機が入るには、家を壊さなければ入れない。家に入る道路自体が、2トン車も入れない。どうやって工事をすればいいのだろう。そう思うと動き出す気力が出ない。何となく、大丈夫の方を気持ちが選んでいる。それでも、こんな標語にぶち当たると、何とかしなければならないという気持ちが、また湧いてきた。
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水彩人の水彩画

2012-09-29 04:23:16 | 水彩画
「水彩人展ワークショップに際して」 2012.9.29 笹村 出
水彩人の水彩画がどのようなものであるかは、水彩人同人の作品を見ていただく他ない。同人の作品も、それは様々な方向を示している。一見、あらゆる水彩画が存在しているかのようにも見える。しかし、現代の絵画の置かれた状況の中で、もっとも可能性のある方法と考え、水彩画を描いている。絵画が表現手段として、何故力を失ったのか。それは多様な表現手段が出現する中で、埋没しているのだと考える。写真が出現する前の時代の絵画。現代の表現手段は複雑化し、再現性と言う意味では殆ど現実と見まがうような表現手段まで登場している。その中で、絵画が存在する意義は、素朴に、単純に、作者が制作すると言う所に、その意義があるのではないかと考えるにいたった。最もふさわしい方法として、水彩画を考えている。
水彩人は水彩画の研究会として始まった。現代絵画が行き詰まる中で、絵画の存在意義を模索し、月例で絵の御評会を開いてきた。今でも同人自身も互いの絵を自由に批評し合う事を続けている。つまり自分の絵画を確認し、成長させてゆくためにこうした展覧会も開催している。講習会を開催することも、自分たち自身の勉強の一環である。仲間とともに描くことで、見えて来ることもある。

「笹村出の10カ条」
1、描く前に何を描きたいのかを、しっかりと確認する。
2、描くことに手順とか、方法を捨て去る。
3、いまだかつて描いたことも無いものを目指して描く。
4、描きたいことに対して、真正面から、素朴に取り組む。
5、描き始めたならば、自分の内部の声に耳をすませ、それに従う。
6、上手く描こうとしない。下手な絵には理由がある。
7、絵は自分を越えることは出来ないので、立派な絵より自分の絵を描く。
8、技術は大体の場合、災いする。
9、方法論を身につけない。どこで始まり、どこで終わるのかは分からない。
10、妄想でもいいから、見えているものを描く。

絵画は社会的な存在と言うより、むしろ自分自身の問題として、存在意義があるのではないかと考えるようになった。自分修行である。描くことで自分を磨いている。
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ボランティアの意味

2012-09-28 04:59:11 | Peace Cafe
暮らしの置かれた状況が変わってきている。一人の世帯、2人の世帯が増加している。しかも、人口の老齢化は年々進んでいる。こうした変貌の中で、地域の暮らしをどのように考えればいいのか。行政には予算が減少している。しかし、行政が行うべき役割は増加している。この穴埋めに、ブランティアを想定するという考えは、必ず行き詰まる考え方だ。市民参加と言う意味がボランティアと言う事とまぜこぜになり使われている。これからの行政の役割、市民のあり方を考える必要がある。ボランティアは地域社会が崩壊しはじめた中で、緊急的に行われている、重要な仕組みであることは確かだ。多くの人の善意で、地域社会が支えられている。しかし、江戸時代の農村のような、暮らしを共有する社会における、支え合いの仕組みと、現代のように、生活基盤を事にするものが地域に暮らす形では、支え合いの仕組みは異なる。地域コミュニティーを補う、テーマコミュニティーの形成が不可欠だと考える。

行政はボランティアの呼びかけをしてはならない。これが基本ではないだろうか。行政が直接呼びかけを行った段階から、それはボランティアではないと考えた方がいい。まして、自治会を通してボランティアの募集が行われる場合は、行政の指示を含め、充分なその意味付けの検討が必要である。ボランティアとは、個人が何ものにもとらわれない自由意思で行う、善意で行う、その人自身の為のものである。ボランティアで行っていることは、行う人間が自らの意思だけで行っているのでなければならない。無償の行為であるが故に尊いことであり、意味があるのだと思う。震災ボランティアと自衛隊の災害復旧とは、同じことをしているにしても、その意味合いは違う。地域で人間の営みが行われるためには、必要な多様な活動がある。それはボランティアと言う形でとらえない方がいい。それでも今の所心ある人の行為が、地域を支えてくれている現実がある。多分、そうしたものが無ければ、地域は維持できていないだろう。

例えば小田原で言えば、農協は農業テーマのコミュニティーであろう。各地域に存在する、生産組合はどちらかと言えば、実態が薄れてきている。専業農家ではない人が大半の状況では、実質的な動きはほとんどない。舟原に来て10数年に成るが、舟原の生産組合で何かをしたということはないとおもう。しかし、農協からの直接の呼びかけは継続してある。今度もイノシシの駆除の講習会があると聞いた。イノシシ被害の増加は、すでに地域の農業の継続を脅かしている。地域でこうしたことにどう対応するのかを考えなければ解決できない所まで来ている。例えば道路にブリキのつい立てを置かせてもらっている。これは地域の方の理解がなけえば出来ないことである。私の育った矢奈々氏の山村では、夜間犬を話す事は奨励されていた。

生ごみクラブは、いわゆるブランティアの活動である。市のごみ減量と言う目的に、生ごみの堆肥化と言う形で協力してきた。誰かの為と言うのではなく、ごみを減らし、堆肥を農地の戻すという事が、小田原の暮らしをよりよくするものだと、信じて活動している。段ボールコンポストの発案は市民である。市がその考えを評価し、行政の事業として行うことにした。そして協働して事業を進めて3年である。この市民協働のあり方は参考に成ると考えている。参加している人は、興味があり、楽しいから参加している。そしてそれが、小田原市の暮らしの為にもなるということに喜びを感じている。どこにも強制はない。ボランティアで無いと言うと、経済活動なのかと考えるが、そうではない。3年が経過し、この位置づけをどうして行くか結論を出す時期にあるのだと思う。
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水彩人展開催

2012-09-27 04:25:38 | 水彩画


水彩人展が始まりました。10月3日(1日は休み)まで東京都美術館で開催されます。素晴らしい水彩画の展覧会に成っていますので、是非ともご覧ください。写真は美術館の方の厳しい最終確認の様子です。



何点か水彩人の考え方が伝わる作品を取り上げてみます。栗原直子さん(同人)の作品です。12号のPサイズくらいの絵です。水彩画の良さは作品の大きさではないという事が良く分かります。作家の世界が、親密さを伴って展開しています。絵が生まれて来ると言う事が良く分かります。描く人の世界が現れる。見ると言う事の意味が良く分かる。



山吉さん(会員)の作品です。大きさは10号位でしょうか。山吉さんは10年ほど前から、水彩人の仲間として活動してきました。少しづつ絵の世界を深めてきた結果が、今回の作品に、結晶のように表れていると思います。絵が良くなるということが、どういうことなのか見させてもらいました。水彩画で最も大切なものは作者のものの見方であることが、良く分かる作品だと思います。



山本さんの作品。やはり15号Fくらいの作品。色が格別に深い。水彩画の色彩特徴がよく表れている。描く内容が一気に深い。色がただ美しいということではなく、作者の感じ方に色が追随する。絵の具の色彩が、作者の色に成る。



大日野の作品20号位か。初めての出品された方である。絵がどういうものであるかを良く自覚されている。これからどのように絵画世界が展開されるのか。興味深い。




大原さん(同人)の作品。一見日本画の下書きのようにみえる作品。水彩画の位置が分かる。本来、作品は一つである。水彩画を志す物が、伝統的な絵画から構想するということは、世界を広げて行く試みとして興味深い。12か月図である。各月に漢字一文字の大がつけられている。芽:3月と言うような形である。

絵の展覧会の事だから見ていただくしかないことなのですが。14回目の水彩人展は一つの到達点であり、同時に再出発の場でもある。到達と言う意味では、10号程度の水彩画が東京都美術館と言う、穴あきボードの大きな壁に、埋没してしまわないかと言う事であった。小さな絵を公募展で展示することは、おかしいという事ということで、従来の水彩画の団体では拒否されてきた。しかし、水彩画の素材的大きさと言う事がある。誰しも普通に描く、大きさと言うものがある。水彩画が日常の中にあるという意味では、小さな作品にむしろその本質が存在する可能性がある。微妙な色調を生かして描く場合、大作という大きさに災いされることもある。今回の水彩人展は水彩画の当たり前の大きさで公募展が可能であるということは示していると思う。

もう一つは、水彩人としては、一般に公募して審査するという形は、ある意味初めてのことである。水彩人の考えている水彩画と言うものを、どれだけの人が理解してくれるかである。考え方を変えないまま、作品が集まるのだろうかという点で、とても不安があった。しかし、水彩人の水彩画と言える絵がこれほど集まった。ここからのすべてのことは始まると言う気がする。では水彩人の水彩画とは何か、それは同人の作品が表しているものである。同人の作品も様々である。今回も同人の作品評を審査の最後に行った。互いに感じていることを、対等に率直に厳しく、語り合おうと言う事だ。こういう事を続けているグループは少ないと思う。本気で物を言いあい、喧嘩に成りながらも、互いを認め合う。これをいつまで続けることで、水彩人の水彩画と言う永遠のテーマが探求されるのだろう。
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集団的自衛権

2012-09-26 04:25:50 | Peace Cafe
最近よく聞くような気がする「集団的自衛権」。日本にとっては、アメリカの行う戦争に加わるかどうかの問題である。このことは憲法9条によって明確に禁止されている。これを変えようということが、自民党や維新党などから出てきている。尖閣問題とは、全く別のことなのだが、いかにも中国の脅威を感じる今、大いに強調しようとしている。これは尖閣購入問題を起こした石原氏の目論見が見えてきたという事だ。そう考えれば記者会見での挑発発言も理由が分かる。中国や韓国と日本とが軍事衝突を起こしたとしても、集団的自衛権とは直接は関係のない話だ。自民党の主張によると、アメリカの行う戦争に参加しないようでは、いざ日本が攻められたときに助けてくれないだろう。こういう論理である。例えばイラク戦争に軍事的に参加した方がいいという主張であった。実際には自衛隊が参加はしたが、軍事輸送や生活基盤の回復などに限られた。

イラク派兵を行ったことは確かだ。何故イラク戦争が集団的自衛権の問題になるのか、と言う所を明確にしなければならない。国際紛争の解決には武力を用いないという事が決められている。この事は日本の安全保障でもある。日本の軍事的行為は、あくまで直接的攻撃に対する、自衛する範囲だ。イラクにはフセインと言う独裁者が居て、アルカイダと言う組織を支援し、アメリカにたいして旅客機による攻撃を加えた、疑いがある。直接的にはイラクが大量破壊兵器を隠し持っているという理由づけであった。結局はイラク戦争が終了して、そう言うことはなかったことが分かった。つまり、理由なきアメリカの戦争に沢山の国が加担させられた。日本は危うい所で、戦闘に加わらせられる所だった。裁判で言えば、冤罪事件で死刑が執行されたような結果だ。怪しいと言うだけで、アメリカがテロ攻撃を受けた仕返しが行われたのが実態である。こうした行為は世界平和に逆行するものである。イラクの庶民の生活状態は改善された訳ではない。

日米安保条約の締結時には、日本には軍隊はない。あるのは平和憲法である。この条約はアメリカの主導による条約である。軍隊のない国に対し、軍司参加を想定する訳が無いのだから、条約の精神では日本がアメリカの戦争に加わることは求められていない。にもかかわらず、そうした主張を自民党や、維新党が言いだしたのは、それは理由付けで自衛隊よりも、さらに大きな軍隊のある日本にしたいと考えているからだ。軍隊のあり、戦争を行う国を普通の国と言う考えである。憲法9条を改定しようと言う意図である。これはセットのようなものだ。何度も書いていることだが、原発がこんなに散らばっていて、現状では、野ざらしに近い形で核燃料が置かれているのだ。自衛などとてもできない状態である。北朝鮮や中国やロシアの近隣国や日本に基地のあるアメリカには核爆弾がある。今さら戦争が日本で起これば、日本人は消滅すると考えておいた方がいい。福島原発を攻撃しないと誰が保証できるだろう。

集団的自衛権は、日本と言う国のあり方を根本から変える。武力なき世界を目指すという理想を捨てることに成る。日本は攻めてこないという安心を感じてもらえれば、それだけで抑止力に成る。中途半端な武力化は、日本の安全保障を危険な方向に進める。イランも核武装しそうだ。シリアでは内戦が深刻な事態である。アフリカでもスーダンやソマリアで内戦状態が続く。つまり、世界は各地でいつ戦争が拡大してもおかしくない状態である。植民地主義の後遺症である。中国や韓国の日本に対する潜在する怒りは、同じアジア人に支配された怒りである。経済格差が広がって行く不安が根底にある。国家間にもあるし、国内でも経済格差は拡大する一方である。自由主義経済の競争の原理が、正義とばかりは言えなくなっているのではないか。
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イスラム冒涜映像

2012-09-25 04:00:32 | Peace Cafe
イスラムを冒涜する映像がインターネットで流れ、世界各地で暴動が起きた。アメリカで作られたもののようで、イスラム教徒による反米デモに成っている。デモの範囲を越え、アメリカ大使館への襲撃が連鎖的に起こり、アメリカのリビア大使は殺害された。今回だけでなく、イスラム風刺画が対象になったり、週刊誌のちょっとした記事が暴動になったりしてきた。日本は部外者のような位置を保っているが、何時こうした事件に巻き込まれるか分からない。政府の注意は万全であろうか。アメリカには様々な宗教があり、中には過激な宗教集団もある。突然集団自殺をするような、異常なものもある。日本にもオウム集団のように、宗教と言うのかテロ集団と言うのか。社会混乱を目指す集団もあった。何をするか分からないような人たちの出現の可能性は高まっている。しかも、インターネットと言う隠れ蓑がある。

石原都知事の戦略によって、尖閣問題が日中の深刻な対立を生みだした。石原氏のタイミングは選挙目当てだったと思う。立ちあがれ党を目立たせる選挙戦略でやったことだと思う。いい所を突いていて、自民党の総裁候補の安倍氏のように保守主義を標榜し、憲法改定を主張するくらいでは、インパクトが無くなっている。お腹が痛くなったイメージは払しょくできない。小選挙区制では、ちょっとした事で攻守が入れ替わる。維新党の橋下氏のスキャンダルもタイミングが悪く、効果は最小にとどまった。仕掛けが早すぎたのだろう。優れた人が日本国に対し理想を持ち、政治を志したとしても、それだけでは、政治家にはなれないのが選挙の実態である。小選挙区制に変わってから、より政治家の発言がおかしく成っている。だから、尖閣購入を持ち出した石原氏の戦略はありそうなことである。しかし、そのことから日中友好の地道な努力が失われかかっている。中国の農場で指導されていた、退職技官の方はどうされただろうかなど思う。

イスラム冒涜映像は戦略を成功した。こんなちゃちな仕掛けで、世界に反米暴動が飛び火し、イスラム世界の暴力性が世界にアピールできた訳だ。多分目的は達している。日本においても、竹島問題では韓国に対して、尖閣問題にからんで中国への暴言がネットでは飛び交う。お互いにとって何の益も無い。リミョンバク氏の唐突な行動と発言で忽ちに深刻な事態に陥った。これも韓国の大統領選挙の為もある。ネット社会では思いもよらない事が起こる。オランダでは、フェースブックでの誕生パーティーのちょっとした招待が、公開された。勝手にイベント化されたらしい。4000人もが集まったうえに、路上の車に放火したり、商店を襲撃したらしい。警官隊とも衝突。34人が逮捕され、30人以上が負傷した。何時こうした、悪意による仕掛けが国家間の対立にまでエスカレートしないとは限らない条件がインターネットにはある。

インターネットはすでに社会を変え始めている。イスラム圏革命まで起きた。中国は国が何らかの制御しているようだ。テレビの出現が社会を変えた以上にインターネットは今後世界を変えるだろう。しかも、この技術は人間の制御が出来ないような側面がある。個人的な暮らしは随分恩恵を受けている。テレビとは全く異なる有効性がある。多分、ある世界ではインターネットが生き延びるツールに成っている。野菜の作り方一つでも、実に参考に成る。様々な異なる情報の中から、自分が必要とする情報を得ることが出来る。ごく普通の市民が発するブログが、何千人にも伝わる手段に変貌する。アメリカ政府の対応が遅れたことが、大使館の襲撃にまでなった。日本でも政府に対策室を設けて、ネットを情報を集め、即座に対応する必要性がある。
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稲倒伏の原因

2012-09-24 04:07:03 | 稲作
稲刈り寸前の小田原では、昨日の雨でかなりの稲が倒れている。昔の稲作では、倒伏は恥ずかしいことだったと聞いている。技量も無いのに欲ばったが為に倒れる。今の農業では、倒れるのを予測して稲作をしているきらいがある。北陸から、東北と稲作地帯を秋に回ると、一面稲が倒れている姿を見る。稲刈りはコンバインで刈る。倒れた稲でも普通に刈り取ってしまう。小石が混ざったとしても、籾すり、精米の段階で、完全に取り去ってしまう。だから、たくさん採ろうとする稲作では、一年の置きに倒れるぐらいは当然計算のようだ。稲刈り前に雨が来るか来ないかで、その辺は決まってしまうので、予想の範囲に入れている。そう言う意味では、少々濡れたお米でも、刈り取りが出来るという点でも変わった。籾乾燥機の発達である。足柄平野でも大きな農家や農協では、自分の所に籾すり乾燥機が備えてあり、そこにもってゆけばきれいに仕上げてくれる。農の会の稲作では、倒伏は最悪のことに成る。この点では全く昔の稲作のままである。

何故、倒伏が起こるのか原因を整理してみる。倒伏には何種類かの形がある。
1、根元からばったりと倒れる場合。
それぞれに原因は異なる。ばったりと地面から倒れるのは、田んぼの土壌が緩すぎる場合である。干しを入れない農法のばあい、土の性質でどんどん柔らかく深く成って行く所がある。これは、地下水との関係もある。いずれにしても、耕盤まで緩んでしまうような事がある。田んぼ全体に怒ると言うより、一部に起こる場合が多い。緩んでも、稲の根がしっかりと生きていれば倒れることは抑えられる。2、根元に近い辺りが折れてしまう場合。
根元が折れるのは、茎が弱い場合と早く枯れ上がる場合がある。枯れ上がる場合は、大体に病気で穂も軽いのに倒れることに成る。く気が弱い場合もいくつか原因はあるが、田植えの時に苗を多く植えた場合、茎ががっしりとしない。また、初期に肥料が効きすぎると、根元近くが一気に伸びて、節間が広く成る。節間が伸びると、当然背丈も伸びて、根元に早くから陽が指さなくなる。その為に、ひょろひょろした苗に成る。日蔭の稲の方が背丈が高くなる場合などだ。
3、根元に近い辺りが大きく曲がり、穂が地面についてしまう場合。
これも節間が間延びした生育の場合が多いが、12俵以上の収量に成り、穂が重すぎる場合もある。稲が立派な生育であっても、株間が狭いと、過繁茂に成り倒伏の可能性が高まる。

対策であるが、干しを入れて田面を固めて行くことが一番である。特に、稲の受粉が完了次第、間断潅水に入り、歩いても沈みこまないような土の状態になれば、倒伏は減る。干しを入れるか入れないかの下限は、稲の成長次第である。苗を1本植えにして、株間を十分に採り植えれば、まず折れ曲がり倒れるような稲にはならない。しかし、分げつが十分に採れない所では、14本以下の分げつでは収量が減ってしまうので、ほどほどの株間にしなけばならない。舟原田んぼや欠ノ上田んぼでは、棚田で水も冷や水なので、25センチ角で、2,3本植えにしている。これで15本から20本ぐらいの穂が付き、8俵ぐらいを目標にしている。これだとまず倒れにくい。品種的にも、祭り晴れは倒れにくい。コシヒカリは初期の肥料で伸びすぎるきらいがある。取れ過ぎて倒れると言うような経験はないのが、今年の家で作った稲は、12俵を越えた作柄のようだが、株自体が極めてがっしりなので、一度も干しも入れていながい、倒れそうにもない。

つまり、稲の根元が太く全体の株を握って、手でぎりぎりぐらいの太さがあり、20本程度。しかもその握った稲が硬く、ギシギシするような、バリバリのもので曲げようとしても曲がらないほどの強さがあれば、倒れることはない。止め葉の状態が厚く、幅広で大きい。穂が25センチの長さがあり、粒数が135粒あるような稲。こうなればなかなか倒れない。それでも倒れる場合がある。それは強い風である。台風の強風に長時間煽られた時にはどうしても倒れる。水を満杯に張るのがいくらかの対策に成る。台風後、風邪で倒れていても、立ち上がることもある。最近の強風は突風のような激しいものがあるので、風ぐらいでは倒れないとは言い切れない。
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除草剤とは何か。

2012-09-23 04:57:05 | 自給
線路に除草剤散布、沿線水田200か所で稲枯れ
 近江鉄道(滋賀県彦根市)は30日、7月に線路に散布した除草剤の影響で、東近江、彦根両市など滋賀県東部の3市2町の沿線の水田約200か所で稲が枯れる被害が出た、と発表した。
 稲穂から国の基準値を超える除草剤成分が検出され、県は被害農家にコメの出荷自粛を求めた。健康への影響はないという。
 同社や県によると、除草剤は7月9~31日、委託業者が全長約60キロの全線で散布。今月4日以降、沿線の農家から「稲が枯れた」などと苦情が寄せられた。
 同社が調査したところ、稲穂から、除草剤に含まれる「テブチウロン」が、食品衛生法の基準値(玄米)の4倍余りにあたる0・09ppm検出された。被害面積は20ヘクタール以上、被害額は2500万円以上に上る見込み。(2012年8月30日21時43分 読売新聞)


除草剤とはどういうものだろう。どのような仕組みで草を枯らすのだろう。他所の田んぼのことであるが、何故か稲が弱っている部分があり、どうも除草剤の影響ではないかと推測される。それで松本さんに聴いてみると、松本さんのところでは除草剤で枯れたことがあり、撒いた人に謝罪されたということだった。「テブチウロン」は尿素系農薬。防除の難しい雑草類を含む幅広い種類の雑草に効果を発揮するとされる。つまり、非農地用除草剤である。農業に利用してはいけないという、除草剤がある。あらゆる植物を枯らしてしまう系統の除草剤。長く効果が残るものほど利用価値が高いために、残留性も高いとされている。多くの除草剤の仕組みは、植物の光合成の、光エネルギーからでんぷんを作り出すまでの過程の回路を司る酵素に影響する仕組みのようだ。

(1)光合成阻害剤: 明反応の回路である、光合成電子伝達系を阻害させ、細胞内で活性酸素を増加→細胞膜を破壊させる
(2)光色素生合成阻害剤: カロテノイドなどの光色素の合成を阻害させ、白化→枯死させる
(3)栄養代謝系の阻害剤: 暗反応に働きアミノ酸、脂肪酸などの生成を阻害させる
(4)ホルモン作用かく乱型阻害剤: 合成ホルモンによって細胞内のホルモンバランスをかく乱させる
(5)その他(細胞分裂阻害、セルロース合成阻害、SH基の阻害など)
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「新しい農の形から」

稲作の除草剤でも SU剤(スルホニルウレア系除草剤) ヒエ剤 その他 ダイムロン(薬害軽減効果)、ブロモブチド(カヤツリグサへの効果) とう様々である。実際に適切に草を防除するには、使用には、熟達した技術が必要なようだ。一面草で、稲が負けているというような田んぼが、除草剤の使い方で、完全に雑草一つない田んぼに出来る。信じられないほどの効果がある。ジクロロフェノキシ酢酸 (2,4-D)が良く使われている。多様であるだけに、上手く草を押さえることは難しい。農家からは雑草は嫌われている。雑草を生やしていることはそれ自体が、駄農の象徴とされる。しかし、タイミング悪く田んぼの畔の草刈りをすれば、カメムシが行き場を失い、田んぼになだれ込むことになる。あるいは、こうした雨のない炎天下においては、草一つない畑地は砂漠化する。雑草と言えども生やしておいた方がいい場合もある。もし、秋に麦を蒔くとしたら、どのタイミングでどういう作業が適正であるかは、草とも相談しなければならない。

問題は農地での使用されるものより、非農地での利用が許されている除草剤である。こちらは残留性が強いほど評価される。公園、ゴルフ場、道路、公共施設周辺。人件費の節約のため、除草剤の利用が一般的である。冒頭の路線敷向き除草剤という名称のものまで売られているそうだ。こうしたものは残留性が強いほど評価が高い。作物への移行も考えないでいいので、農業用とは違う成分で作られている。農業用の除草剤では、草による選択性がある。作物への影響が無く、雑草だけを枯らす。残留性が減少している一方で、より複雑化した除草剤が開発されている。畑であっても草一本ない状態を、良い状態とは私は思わない。自然界では、植物の循環が上手く行われている。草一本なければ砂漠化してしまう。私の所の畑は草に覆われているが、今も、キュウリなど夏野菜が取れている。草と上手く付き合う方法は、技術と手間暇がかかるが、無い訳ではない。
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水彩人の審査

2012-09-22 04:36:35 | 水彩画




水彩人展の審査があった。20日21日と2日間かけて行った。水彩人らしい審査にむけてできる限りの努力をした。今回の初めて全国公募の展覧会を企画するにあたり、1年前から会議を重ね、準備をしてきた。審査についてもどう行えば、水彩人らしい水彩画が選び出せるのか話し合いを持った。厚かましいことであるが、自薦して審査責任者をやらせていただいた。水彩人の水彩画と言うものが実は分かりやすいようでわからない。混迷した社会の中にある芸術なのだから、当たり前と言えば当たり前のことでもある。水彩人の考え方は一貫して、設立宣言「水彩人立ち上がる」に示された精神である。美術の転換期を意識したものである。40年ほど前から、材料や技法にこだわる絵画がもてはやされた。そのことによって自由を得たはずの美術が実は、衰退して来た自覚である。芸術と言うもののが社会の中で新しい、存在の場を見つけようともがいている。

一般の出品された人は、109名あった。沖縄から、北海道まで全国から応募された。水彩人は同人が18名。会員が14名の仲間である。審査は同人18人が当たり、会員が作業を進めるという形であった。基本は良く見ることであった。審査室の壁に2段に作品を並べて審査員が歩きながら、時間のある限り絵を見せてもらった。その中から、A。B。C。の3つに分けた。Aは水彩人らしい上に、絵の力量完成度も、内容もの優れたもの。Bは意見の分かれたもの。Cは水彩人には適合しないとされたもの。あるいはまだ不足しているものがある作品。この分類を繰り返し行っていった。そしてだんだんにこれはAと言えるというものを、73名残した。話し合いを重視すると言う審査方針を最後まで繰り返したが、最終決断は18名の過半数と言う事で決断した。

審査は意見が分かれることが多かった。水彩人の中にも絵画観に違いがあると言う事に成る。その開きを埋めるために出来る限り、議論を試みた。時間をかけ繰り返し同じ絵を見るようにした。審査員全員が、ぐるぐる絵の前を行きつ戻りつ、歩き続けた。一人の人の絵はできる限り、出品作すべてを並べて判断した。4点の出品者であれば、最終判断まで4点を見ながら審査を行うようにした。大きさによる判断は無かった。ただし、一般の作品は2点までの展示と言う事になった。入選作のレベルの高さは、相当のものであった。他の公募展の審査にもしたことがあるが、水彩人らしい作品が間違いなく集まったと思う。14回まで頑張ってきたかいがあったと思う。まだこれからであるが、ここまででも、よくこれたものだという感慨はある。日本の水彩画の高い水準を示せる展覧会に成っている。

9月25日(火)~10月3日まで、東京都美術館で開催する。10月1日が休館日である。9時30分から17時30分まで。25日は午後2時頃かと思うが、展示が終わり次第の開展に成る。入場は無料である。水彩人による、ワークショップとして、「水彩人の水彩画とは何か。」を29日、30日に行う。受け付けは会場入り口でおこう。定員は40名である。水彩人が求めてきたものは、現代文化が複雑化し、多様化している中で、むしろ素朴で、個人の見ると言う行為に立ち返ることを探求してきた。その単純化する作業に、水彩画が向いているという自覚である。福島事故以降の日本の新しい局面に対し、作家として魂は、どう発信できるのか。是非見てもらいたいと思います。

笹村が会場に行ける日は、25日、27日、29日、30日、3日です。他の日も行けるかもしれません。受付で声をかけていただければ、有難いです。よろしくお願い致します。
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原発0は目標

2012-09-21 04:29:48 | 環境関連
枝野氏が青森で、核燃リサイクルの継続を表明した。そして原発との整合性において、原発0は目標であると表明した。いよいよ民主党は、原発継続を表明したと考えた方がいい。選挙前には原発0を主張し、選挙が終わればあれは目標であったと言う事に決定的に成る。挫折したマニュフェストのやり方と共通である。民主党から出ている考えと言うものは、たいがいがこの調子である。その場限りの口当たりの良いことをつい発言する。このついと言う所が、言わないよりは増しということなのか、目標を持つことは良いことなのか。しかし、実際の実行までは考えた上の発言ではない。だから、原発についても、0にしたいという国民の声は分かった。0という目標は立てましょう。しかし、0に向けての行動はしない。規制委員会の人選を見ればよく分かる。0が目標であるという事を踏まえた人事である。委員長は就任のあいさつで、信頼される原子力政策と言う事を発言した。推進する規制員会である。

沖縄の基地負担の軽減。この重大問題の経過と同じである。基地軽減は目標である。あくまで方向である。それは、勝手にアメリカがやってくれればの話だ。一応アメリカにはお願いした。その後、何もしない。沖縄には繰り返しお願いには行くが、その熱心さでアメリカや、他の地域にお願いすることはない。これが行動しない、実行しない政治の実情である。反対が起こることは実行できない。震災瓦礫の処理も同じである。反対があると動かない。美濃部都政と似ている。何故こうなったのかの主たる原因は、官僚との連携が取れなくなった。多分官僚のレベル低下と言う事もあるのだろう。政治家のレベル低下と言うものが大きい。政治家は選挙をやる人になった。選挙制度が悪いという事もある。政治家日本の為に見えない努力すると言う事がない。自分の為にパフォーマンスをしているのが政治家。

原子力発電を廃止する前に、核燃リサイクルを廃止する。核燃リサイクルは見込みも無い。原発が無くなるのに、燃料のリサイクルだけするのでは無意味だろう。原発と言うやってしまった失敗の後始末に、大変な努力がいる。無駄な費用もいる。今まで協力してきたアメリカやフランスにも了解をとる必要がある。こうした努力をしていない。気がついてもいない。ただ原発0を主張して、そう言う事が起こればいいな。位の態度である。つまり、本気と言うようなものがまるでない。国民の選択した、政権交代民主党は失敗だったのだ。この統一的な思想も、哲学もない、政治集団はこの先分裂して消滅する。国民がこの政治の変化に失望して、政治は悪い方向に進みそうである。

と言って、自民党には懲りた。原発に関する政策など、まるで何を主張したいのか、意味不明である。わざわざ、意味不明にしている。国民の多くが、原発0の方向だということは良く良く理解している。しかし、本音は0にする木など全くない。選挙が終わるまで、訳の分からないことを言っておこうという事にすぎない。国民と言うものを軽視しているのが、自民党のやり方である。保守政治を明確に打ち出すのだろう。そして、維新党と言う事に成る。国民は維新党の主張には誰しも賛成と反対がある。政策が矛盾しているからである。地方分権、地方主義、を柱にした政党であったはずが、TPP推進である。どう整合性があるのかが分からない。つまり政策が野合的である。ここも思想哲学の欠落。原発0も主張しているが、信頼できるのだろうか。政府が大飯原発を再稼働した時、地元自治体連合は、政府と約束を取り付けるべきだった。原発が無くても電力が足りた場合どう再稼働の責任をとり、即時停止させることである。
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聴く力

2012-09-20 04:06:02 | 身辺雑記
先日加賀温泉に同窓会に出掛けた。その時行き帰りを含めて、多くの友人にいろいろ聴いてもらった。随分と楽になった。そんなつもりもなかったのだけど、今思えばそう言うことだった。昔からの友達は本当にいいものだ。困っている人に出来ることは、聞いてあげること位だ。こういう考えは以前から知ってはいたが、自分が行き詰っているということ自体が、なかなか自覚しにくいものだ。話して楽に成ってみて、行き詰まっている自分に今更気付いた。キリスト教では懺悔と言うのがある。ナンシーの教会でも、教会の確か左側に懺悔の場所が並んでいた。小さな1メートル四方もない狭い場所で、格子越しに向かいのやはり狭い場所に神父さんがいる場所があった。確か入り口はカーテンだった記憶がある。出入りするところは丸見えだから、深刻な秘密を懺悔するのは難しい気がした。それでも、時々人を見かけたから、現代でも使われるていることは確かだった。でもあれは相談というわけではないのだろう。

その姿を見ると、日本人の仏教の信仰とはまるで違う感じがした。おじいさんはお坊さんだった訳で、何かと相談に来る人は多かった。しかし、それはどちらかと言えば、就職や役所への実用的な相談が多かったと思う。祖父は長年役場の仕事をしていたので、そういうことになったのだろう。聴く力と言うものがある。話すにしても誰でもいいという訳ではない。神父さんに聞いてもらいたい。と言うのもあるだろうし、特定のあの人に聞いてもらいたいという話もあるだろう。いずれにしても、心底理解してもらえるということが、話す条件である。ラジオに人生相談のコーナーがある。これを聞いているとなかなか興味がつきない。つい聞きいってしまう。様々な人生と言うのもあるが、むしろ相談者の相談より回答が面白い。わたしならこの事にどうこたえるだろうと考えていると、大体は外れる。ここでも、相談より話したということが大きいことのようだ。

自分のことで精いっぱいで、人のことどころでない様に生きて来た。まして、私自身の日々の暮らしが、あまり一般的とは言えない。時々、養鶏の見学に見える人はいる。養鶏をやろうという人、あるいはやっている人には、見てもらっている。養鶏をやれるだろうかと言う事で相談されることもあるが、それはわからない。私の家に来るにあたって、私に道を聞かなければ来れない人は大体にだめだろうと内心思う。住所が分かれば、自分で探せるような人にしか養鶏は出来ない。つまり遠回りでも自分で考える法を選択する人には、養鶏は可能である。その程度の相談であるから、参考にはならない。自分のことは自分でやるが、地場・旬・自給の基本だから、親切ではない。それでも、昔からの友達に親切に話を聞いてもらえたことで、違う場所にいることが出来る。

原発事故以来生まれて初めて追い込まれて、自分ではどうにもならないことに打ちのめされた。原発に対して何も出来なかった自分の罪。その罪に降りかかった放射能の解決は出来ない。今まで原発事故を予測しながら、それを停止できなかった自分が情けなかった。そのことに向かい合っていなかった自分の生き方にがっかりした。そして今も、政治が、すべてをごまかしで通してしまおうとしていることには、どう力を尽くせばいいのか。無力であることが辛い事である。そして何とも息づまる気分にさいなまれる。こういう気持ちを洗いざらい話すことができたことで、だいぶ楽になった。そのとき中村君が、「笹村、もう絵だけ描いたらどうか。」と言ってくれた。そういうことかもしれないと繰り返し思い出す。
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中国の反日暴動

2012-09-19 04:19:21 | Peace Cafe
中国の暴動は反日デモの範囲は越えている。今まで、日中の友好の為に行ってきた努力は何だったのかとがっかりした。中国と日本双方に異なる問題がある。日本側では侵略戦争の歴史的評価の位置づけについて、おかしな主張が目立つようになった。明治以降の日本の帝国主義の展開は、必ず世界制覇にまで向かわざるえない、構図の中にあった。軍拡競争はそこまで行くか滅びるかである。大東亜共栄圏がアジアの開放の為の止むえない戦いであったという一面が言われる。それはたしかに世界の現実である。それを言い訳にするのでなく、どのように対応したかを考えてみるべきだ。西欧諸国の植民地主義は世界を支配しようとしていた。その結果アジアほぼ全域が、列強各国の利権に取り込まれる。その最後の砦としての日本が、西欧諸国からのアジア解放のために立ち上がる。この角度からの見方。勝利した連合国側には植民地主義に対する反省が薄い。反省が無いがために、今度は経済支配という新しい方法に進んで来た。日本も経済支配競争に加わる。

日本の大東亜共栄圏思想の背景にあったものを、西欧の圧力とは別の日本国内の角度から考える必要がある。明治政府の富国強兵策である。列強に伍してという軍事偏重の無理が、農村の疲弊を生む。明治政府は江戸時代の農村の飢餓を宣伝するようになるが、むしろ明治以降の政府の農村からの収奪は、江戸時代以上に過酷なものにならざる得なかった。国内経済の行きづまり、そこからの脱出のためには大陸進出に向かわざる得ない経済状態を生む。日本は西欧の軍事的圧力から国を守らざる得ない現実の中で、日本が西欧諸国を押しのけて、アジアに君臨しようとう思想を持つにいたる。遅れたアジアを日本が指導し、近代化し日本が中心となる大東亜帝国を打ち立てようという考え方である。眠れるアジアの民よ覚醒しろ。日本がアジア全体を指導し、導くという傲慢な思想を持つことに成る。そのことが、やむ得なかった歴史ともいえる側面と、日本の対応の誤りという面の裏表が存在する。

この日本の西欧近代社会に立ち向かう姿勢の中に、優秀で白人社会に負けない日本人が、アジア全体を支配し、指導しなければならないという思い上がりが生まれる。アジア人蔑視と日本民族の選民思想である。こうした日本の思い上がった態度が、植民地主義でアジアを支配しようとした西欧よりも、結果的に日本が憎まれることに成る。同じアジア人である日本人に植民地化された、満州国、朝鮮、台湾。そして軍事的支配を受けた、東アジア全体の怒り。白人が出て行き、代わりに現われた日本人。その日本人への憎しみは、増幅されている。アジア各国の民族国家建設の中で行われた愛国主義教育では、西欧への怒りよりも、日本への敵愾心を育てることに主眼が置かれることに成る。それは敗戦国であるはずの罪のある日本が、いち早く経済発展したことへの怒り、そして、日本に負けてなるものかというモデル。

アジア各国の政治経済は急速な経済発展の中で、格差が増大している。この経済格差は弱い層の人たちにしてみれば、明治期日本と同様の富国強兵と立身出世主義の結果と言う事に成る。大多数の人には展望が見いだせない競争。その矛盾の矛先の必要性が、刻々と増している。各国政府は愛国主義教育の中で、かつての日本のアジア進出の悪行を教育する。それは現代の企業の進出と重なることに成る。明治政府が江戸幕府の問題点を教育の中で強調したことと同じである。日本が、帝国主義を充分に反省せず、またアジアを支配しようとしている。こうした反日本主義に、すぐ共鳴してしまう背景が以前より高まっている。尖閣の問題も、国際機関に提訴すべきだ。問題自体が存在しないというのでは、竹島に対する韓国の態度と同じである。いつまでも歴史問題と呼ばれることがおかしい。問題があるなしにかかわらず、話し合いが出来ない以上第3者に託すべきだ。
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核廃棄物の処理法

2012-09-18 04:07:05 | 環境関連
高レベル放射性廃棄物についての日本学術会議の回答がある。内閣府原子力委員会委員長からの依頼に関する回答である。科学的知見として出されているが、誰にでも分かりやすい内容である。先日この回答が原子力委員会に出されたが、現状の宙に浮いたような原子力委員会では無理もないのだが、まともな受け答えさえ出来ない、まるで他人事のような情けない姿であった。平成9年に原子力員会の出した放射性廃棄物の処理計画がいまだ残っている。この文章は電気需要が増加しているから始まり、多岐にわたって安全性が述べられている。そして、地中処理をする地域の募集が行われた。しかし、政府の推進活動にもかかわらず、そんな地域は無くこの計画自体が挫折したままであった。そうした行き詰まりの結果、六ヶ所村の再処理工場が技術的な見込みのないまま、一次置き場として核廃棄物が運び込まれた。また海外に預けてある分もある。そして各原発には、一次置き場が恒久化された形で、燃料プールに限界まで置かれることに成っている。

地中ですら安定的保存が困難であるとされる、高レベル放射性廃棄物の処理法が見つからないまま、原発は1番安い発電方法であると、今だ政府は主張せざる得ない事態である。この馬鹿げた状況は早急に改善されなければならない。どのような事業であっても、その廃棄物の処理方法が見つからないようなものが、運転されることはあり得ない。政府だから無理強情に押し通して来た歪んだことである。まず行うべきは、原発の停止である。もうごみが出ないようにしない限り処理法も見つからない。六ヶ所村の再処理工場こそ、一番に止めなければならないことである。再処理の展望が開けないまま運営が続けられたのは、核廃棄物の処理法が無いために、論理上、再処理の可能性を残さざる得ないだけであった。今もその為に、莫大な無駄遣いが続いている。福島原発で事故を起こした今が、最後の原発廃止の機会と考えなければならない。

今後、原子力発電所を廃止したとしても、大量の核廃棄物をどうするか。科学的進歩が起こり、半減期を進める技術と言うような、途方もない方法が発見されない限り、負の遺産として未来の人類に残さざる得ないものである。にもかかわらず電力各社は原発の再稼働を、あらゆる角度から画策している。政府も相変わらず煮え切らない態度を続けている。その原因は、安い電力と言う、後始末を考えない愚かさに原因している。今さえよければいい。こういう刹那的な、いや追い込まれた企業の希望である。六ヶ所村再処理工場の継続宣言は原子力政策の矛盾の象徴である。規制員会の今後の対応を注視する必要がある。地元からは継続の希望がある。地元の継続希望に国の政策が動かされてはならない。地元の希望は、六ヶ所村の繁栄である。国の責任において、リサイクル工場の後の展望を示す必要がある。

日本に石油はほとんどない。そんなことを嘆いた所で意味が無い。日本はエネルギーは高く付かざる得ない国と言う自覚をするしかない。その不利条件のもとやって行くしかない。日本は地震国である。いつ次の津波に襲われるか分からない。巨大な台風も襲ってくる。集中豪雨も頻発する。そうした悪条件があるにしても、日本はそれにまさる素晴らしい自然環境の国である。悪条件だから出て行きたいと考える人や企業は、自由に出て行くことは許される。学問を十分にしたいと言う事で出て行く学者が、頭脳流出と言われた。それはそれで悪いことではない。この日本という条件の中で、普通に暮らして行ければいいはずである。原子力に期待したことは、止むえない選択だったと思う。しかし、福島の事故は警告のようなものだ。ここで気付いて止めろと言う事だ。
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第14回水彩人展

2012-09-17 04:51:00 | 水彩画

谷間の村

第14回「水彩人展」が25日より始まります。昨夜11時近く成ってアトーラインと言う搬出入の業者が絵の引き取りに来た。アートラインには、会場の設営もお願いしている。会場で販売する絵葉書の山や、大きな看板の搬入も同時にお願いした。いよいよという気がする。こういう展覧会を準備することは、水彩人の人たちは慣れているので、そう心配はしていない。ただ、東京都美術館も建物をリニューアルすることを機に、人員もリニューアルされたし、背景となる考え方も変わったように受け止めている。新国立美術館が出来た以上、同じことを2か所で行っても意味がない。新しい美術運動の拠点が出来るようなものであって欲しい。私たち水彩人は大きな組織ではないが、水彩画の確立を目指している。水彩画と言うものには、日本人の文化、哲学に相応しい何かがある。書道や水墨画が日本らいしいものとして発展したことと共通の要素がある。

まさか東京都美術館で、公募展の企画をすることに成るとは、思いもよらなかった。公募展とういうものを改善しなければならない世界だと考えていた。長く、水彩連盟と言う公募団体に所属していたが、その団体のあり方を変えようとしてきた。一番は絵の事を話せる絵の会にしたいという、至極当然というか、そうでなければならないことを強く主張した。ところが、絵のことが禁句に成っている絵の会が普通で、絵の批評や絵画論は全く受け付けない所であった。これを変えたいと考えて、無理をしてどなたの絵に対して自由にものを言うことにした。これは絵の仲間として、むしろしなければいけないことだと考えていた。相互批判は成長の道だと思う。ダメな絵は駄目なのであってそう言う基本的なことはどれほど角がたっても口にしなければいけない。ダメな絵だな、と心の中では確信しているのに、心にもない褒め言葉を言っているようでは、絵描きではない。

まあこれを実践している内に、居心地が悪くなっただけでなく、退会させられた。退会はそれでよかったのだが、何故か水彩人と言う仲間の全員が退会してしまった。そして、成り行きもあって新しい公募展をやらないといけないことになった。つまりどうせやるなら理想的な公募展をやろうと言う事になった。その自分達の方向と変化の仕方が、丁度都美術館のリニューアルの時期に適合した。何かその拍子にと言うか、ついつい公募展をやるという所まで来てしまった。やる以上は理想的な展覧会を目指したい。絵のことばかり話している様な会を作りたい。今までは同人展であり、その発展の形式を目指していた13年は、純粋な組織であった。少しでも水彩画を掘り下げることが出来ればと言う事で、試みれることは色々やってきた。今回も、会期中に講習会を行う。出品者に水彩人の水彩画がどんなものであるかを伝えたい。

今まで存在する水彩専門の公募展は二つある、水彩連盟展と日本水彩画会ではまるでその雰囲気が違う。多分水彩と言うものの理解が違うのだろう。では水彩人の水彩とは何か。この事を示してゆきたい。つまり、その二団体とは違うものを目指している。同じで良いなら、新たに作る理由もない。もちろん絵を見てもらう事が第一である。絵を見てその目指す所を感じてもらいたい。と同時に、こうした絵をどのような方法で、描いているのか。その実際を見てもらいたいと考えている。水彩画は実際の技法は、かなり技術的な所がある。ところが、下書きの範囲や、小学生の図画のようなものだという誤解があり、せいぜいボタニカルアートのような細密描写に向いている位に思われている。しかし、書道や水墨画のような一期一会的な表現要素もある。まだ日本の水彩画は掘り下げられていない分野だと思う。
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ナショナリスト

2012-09-16 04:43:52 | Peace Cafe
ナショナリストは国家主義者という風に考えればいいのか、愛国主義者の方がいいか。ナチュナリストとは音は似ている。国家と自然というものは、不可分なものであろうから、多分もともとは語源的には近いものであったのかもしれない。それが今の時代、自然主義者と国家主義者が対立的なものとなった事には、考え深いものがある。そんなことを思ったのは、竹島問題で東アジアに一斉に愛国主義者が増えたような気がしたからである。韓国では、独島は天然記念物らしい。天然記念物に色々領土を示す物を構築しすぎるものがあるのは考えものである、という批判も韓国内にもあるらしい。それで、ナチュラリストを連想した。そもそも、国家主義者をどう呼べばいいのか迷う所である。主義者が付くのも何か物々しいし、右翼とか呼ぶのも一派ひとからげでどうもなじめない。

国を愛するという意味は難しい。国とは何かというような概念の固定が必要になる。そこでナショナリストと呼ぶことにしたらどうか。と思いついた。片仮名表記はなじまない気もするが、松下電器も今やパナソニックになって、ナショナル電気は消えた。いや、消えたわけでもなくここでも微妙に使い分けられている。こういう言葉はいずれ難しいのだろう。愛国屋とか、愛国堂というような店名も結構ある。あるだろうが、やはり私は、赤尾敏氏の愛国党を思い出してしまう。だから今存在している国家主義的な人たちの事を、そう呼ぶと違う気がする。新しい日本主義者の登場。こうした日本主義者を増やす事が、安倍内閣が目指したような、国を愛する心の教育なのだろうか。もしそうだとすると、相手を思いやるというような、教育の目的とは、対立して来るような気がする。そもそも教育は国のものと言うより、個人の人間教育のはずだ。もし公教育が国家の為のものとなれば、型にはめる押し付けになりかねない。

「公」というもが欠落したのが、戦後のアメリカ型の民主主義の弱点である。日本人は列強に伍して帝国主義を目指し、敗北した。これも簡単にはそう言いきれない様々なことがある訳だが、ともかくこういう、反省と言うか、挫折感のものとに、戦後民主主義を浅薄なものと思いながらも、その有難さも認めた。一応の民主主義のもとに日本の再生を目指したのだろう。それが、資源のない日本が世界1に成るには、人間を努力して磨くしかない。こういう思いで頑張ったことに違いない。そこには戦前の稲作文化が育てた、共同、互助、自然とのかかわり方。類まれな観察力。こういうものが企業社会に生かされて、忽ちに世界の競争に追い付き追い越すことになる。ここでは、村社会からの延長として、企業村であり、原子力村のような、組織とも言えない、統一された上位理念のようなものを感じる。そして、村社会が無くなり、単位の稲作が無く成り。「公」的な意識も消えた。

東日本大震災で、日本人の絆と言う事が強調されたが、その根底に存在する、ナショナリストとしての日本人は希薄なものであったことが、結果に出ている。愛国教育と言うものが、実は敵を作る教育であるということは、韓国でも、中国でも、そして日本でも明らかなことだ。ナショナリストと思われる人のコメントは、もう大半が近隣諸国の悪口である。それは日本と言う国の良さを理性で理解するような知性は全く感じられない。ただ、上手く近隣諸国の悪口を言い募ることを、愛国だと思い込んでいる。敵がいなくては成り立たないような、愛国は間違っている。愛国であるなら、日本と言う国がどういう国であり。これからどこを目指せばいいのかを、主張するべきだ。日本人である本質は、稲作で培った日本人の資質である。稲作文化を忘れた日本人は日本人とは思えない。近隣諸国の悪口だけを言い募る、日本人を恥ずかしい人達だと思う。

昨日の自給作業:イノシシの柵作り2時間 累計時間:9時間
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