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205 水彩画 日曜展示

2024-03-31 04:16:49 | 水彩画
205 水彩画 日曜展示








441「ヨットハーバー」
2024.3 4号








442「ハナ」
2024.3 10号







443「漁港」
2024.3 10号







444「朝焼け」
2024.3 3号








445「砂州」
2024.3 10号








446「乗馬クラブ」
2024.3







447「丘」
2024.3 10号





448「らん」
2024.3 10号 40年前の絵

 「らん」の絵は古い。整理するためにも今回混ぜて展示した。随分と変ったとも思えるし、ほとんど変らないとも言える。東京に暮らしていて、東京の蘭友会に毎月参加させて貰っていた頃の絵だ。「蘭友」という雑誌があり、その表紙を頼まれて時々蘭の絵を描かせて貰った。多分その一枚だと思う。

 乗馬クラブの絵は忍野で描いた素描から描いてみた。これも古い。何故か続きを描きたくなって、着色した。だから、この絵は昔と今の合作のようなものだ。古い絵の続きを描いていると、40年も前に描いたときのことを、今の時のように思い出している。

 
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新小岩レインボーサウナホテル

2024-03-30 04:19:08 | 日帰り温泉


 最近東京に行くときには新小岩レインボーサウナカプセルホテルに泊めてもらうことが多い。今回が3回目だったので、おおよそ分かっていたので安心だった。成田から東京に出るわけだが、これは相変らずよくわからない。船橋で形成からJRへの乗り換えも今回初めてやってみた。

 京成船橋から東武野田線で成田へ行くルートがあるとは知らなかった。朝早く成田に行く場合、今までは上野に泊まって成田に行っていたが、船橋に泊まって成田に行く方法が一番良いと分かった。船橋にもサウナカプセルはあるので、今度泊まってみることにした。

 なぜ成田の飛行場傍に泊まらないかと言うと、ホテルを通る送迎バスが頼りなくて嫌なのだ。満席なら乗れないとか、遅れることがあるとか、余り早い時間はないとか。時間が不確かで安心できないのだ。それならまだ確実なのは電車で成田に行く方がいいと考えている。一番早く成田に着けるのは6時15分着だ

 レインボーはちゃんとしたサウナである。カプセルホテルもあるが、一応パーテーションで仕切られた簡易個室やシングルルームもある。そこには小さなテーブルもあって、何時でもゆっくりパソコンができるところが良い。部屋食も可能だ。真夜中酔っ払いが騒ぐようなことがあるが、まあ、大丈夫だ。

 何しろキャビンは個室でありながら、4500円で朝食付きなのだ。シングルルムは5800円。かなり安い。最近東京のビジネスホテルはサウナのあるところでは、15000円はするのだから、この値段はかなり安いと言える。東京で宿泊する楽しみは汚い飲み屋で一人飲みして、サウナで寝ると言うことになる。

 新小岩には飲み屋も多いし。朝食屋も沢山ある。たまにはあのモーニングというのも食べたくなるのだ。だから朝食券は生ビールに変えて使う。朝食はおもしろそうなモーニングを捜して入る。無ければ立ち食いそば屋の朝食というのも良い。

 レインボーは駅のすぐ前のアーケード街の中にあるので、雨で傘が無くとも何とかなる。以前は上野に泊まっていたのだが、上野のサウナのあるしずくや北欧よりも、新小岩のレインボーの方がさらに安い。サウナもしずくより充実している。北欧よりも好きかも知れない。

 何より新小岩の方が下町気分というか、こんな言い方は悪いが場末感が私の気分に合っている。場末の飲み屋で、安酒を飲む。こういうチープな感じが悪くない。まあ新小岩には、その昔親戚があったので時々行くことがあった。その親戚の家は良く水害で浸水していた。

 先日新小岩に行って時間が合ったので、土地勘もあるはずと探してみたのだが、辺りがまるで変っていて、捜しようも無かった。昔の新小岩は頭の中にしか無かったのだ。勝手に場末だとか書いて、申し訳ない限りである。今は都会の外れ。

 駅正面のアーケード街の中ほどにサウナレインボーはある。駅から3分ほどだろう。昔は駅前にロータリーはなかった気がする。と言ってももう50年以上も前のことだから、都内で違っていない方がおかしい。レインボーは階段を上って2階が入り口だ。

 日帰り温泉菜園方で(10点法)で採点してみると
1、清潔度「5」脱衣所や、入り口付近のごたごた感が、雑然とした感じになっている。綺麗とはとても言えない。もう少し掃除は必要だ。

2、泉質「0」普通の沸かし湯。ひどい塩素臭はない。お湯が汚いという訳ではない。

3、環境「5」街中にしては中は静か。自動車道路から距離があるのだろう。十分なお風呂の広さがとれている。得にサウナも広くていい。温度も高くて3段方式で、最上段は95度はある。

4、食事「7」無料休憩所と共用食堂になっている。食事は普通だがまずくはない。価格も高くもないが安くもない。

5、湯船施設充実度「8」水風呂とサウナに特化していると言える。水風呂はジェットがある。こちらは20度ぐらいか。もう一つは16度。サウナは3つ。高温サウナしか入らないので、他は良く分からない。普通の湯舟は2つ。一つは檜タイプで、雰囲気良し。

6、従業員の対応力「8」授業員の皆さんがしっかりしている。たぶんこういう施設にしては社員教育が良いのだろう。

7、コンセプト「7」サウナの種類が3種類。

8、価格満足度「10」ともかく安い。安い割には充実している。

9、全体施設「8」全体に施設が小ぶりだ。

10、アクセス「10」

総合点:68点。

 新小岩から、品川に快速がある。これが便利。成田からも船橋乗り換えでそこそこ便利。駅から近いのが何より良い。駅からの通り道にコンビニがいくつもある。夜中まで開いている店もたくさんある。船橋のサウナカプセルに泊まり、午前中に家まで帰ることが出来た。

 船橋のサウナもなかなかおもしろかった。今度そこのことを書いてみようと思う。トゴールの湯というのがあり、36度なのだ。それがなかなか良かった。

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中国は前向きに変ろうとしている。

2024-03-29 04:53:31 | Peace Cafe


 日本で流れる中国に関する報道は習近平の独裁政治と、不動産バブルの崩壊と、台湾侵攻である。今にも中国が崩壊するかのような、間違った悪意のある情報の蔓延。中国は無謀な台湾侵攻を始めるほど愚かな国では無い。日本の右翼政治家達が妄想し、おかしな発信をするだけだ。

 中国は日本より、先進国に成ろうとしているし、経済政調も続けている。国力はまだまだ伸び続けているし、今後、多分あと20年すればアメリカを追い抜くと私は考えている。中国の不動産バブル崩壊は、政策転換で政府が意識的に行ったものだ。

 政府ぐるみの不動産投資で、富裕層が出現し、格差が広がった。不動産だけでは無く、膨大な公共投資が行われた。それは一帯一路政策で海外にまで公共投資は及んだ。このまま行けば、社会主義国家がおかしくなる。そこで「共同富裕」を習近平は打ち出したのだ。

 意図的に不動産投資を抑えにかかったのだ。無駄な公共投資も抑えられ始めた。不動産の購入者は実際に購入したマンションで暮らすものではない。投資のために、融資を受けて購入し、高値で転売する。住むための購入では無いために、建設が中断したとしても、大きな問題には広がらないのだ。

 しかもその不動産バブルは、地方政府とその関係者と富裕層と融資機関とで結託して作り上げられたものなのだ。だから、習近平政権の不動産投資の抑制をする政策に不満も出ないのだ。不満を言えば、みずらが裏取引で優先的に利益を得ようとしていたことを表明しているようなことになる。

 日本で流れる情報がいつも中国の悪い方角ばかりであるのは、日本人が衰退してしまい、他人の不幸を喜ぶようなひがんだ人間が増えたからだ。歴史的に考えれば、中国は常に日本よりも優位な、巨大な国家だった。日本という国は中国や朝鮮から学ぶことで、出来てきた国と言える。

 本来であれば、今もむしろ中国が何故ここまで急成長できたのか、またどうやって、現状の少子化問題、労働人口の急激な減少問題、そして先端技術への転換。食糧自給に対知る対応。日本が学ぶ気持ちがあれば、様々に参考になる対策が存在することを知るべきだ。

 例えば環境対策である。中国の20年前はそれは悲惨なものであった。その時の情報が今でも拡散されている。現状の中国の環境対策は日本より進んでいる。もちろん未だに改善できないひどい部分は無いわけではないが、中国は産業としての環境大国を目指している。

 日本は福島原発爆発を機会に環境産業に転換すべきだったのだ。あのときなら国民もこぞって、その方向を賛成せざる得なかったはずだ。所が第3の矢と言いながら、ついに環境産業は日本では衰退してしまった。今や太陽光パネルなど中国製が当たり前に安価で優秀である。

 自動車は日本が世界に誇れる産業であった。中国は環境問題を見据えて、これからは電気自動車に転換するとみて、電気自動車に力を入れた。そして今や日本の自動車産業を生産台数では追い抜いた。日本の自動車会社の方針がガラパゴス化しているような気がして成らない。

 中国というと黄砂の元凶とされる。汚い大気がゴビ砂漠の細かな砂塵に混じり、日本に流れ込んで迷惑だという主張。確かに北京の石炭ストーブの大気汚染はすさまじい物であった。あのイメージを何時までも引きずり続けているのは、ある意味報道が望む記事を流すからだ。

 中国にある日本大使館では大気汚染に関する注意情報が出ている。まるで、福島放射能水放出問題に対する反発のようなものである。どちらも科学的な対応とは言えない。何しろ令和2年のものがそのままなのだ。中国の汚染は年々改善されようとしているし、またその方向も日本よりは早い。

 2025年までに化石燃料由来ではないエネルギーの使用比率を全体の20%程度に引き上げ、電力の割合を全体の30%程度に引き上げる。また、石炭消費については、2025年までに京津冀(北京市・天津市・河北省)地域とその周辺地域において2020年比で10%程度削減する目標を掲げた。長江デルタ地域では5%が目標とされている。 

 自動車に関しては、ガソリン車から電気自動車への転換が進んでいる。現状の中国は確かにまだ後進国的な要素が多くあるが、改善に向かって具体的な政策が進んでいる。遠からず日本は環境対策でも、中国から学ばなければならないような状態になるだろう。中国は謙虚に日本から学ぶものは学んでいる。

 中国は変ろうとしている。日本は停滞である。確かに習近平政権の独裁は許されるものではないが、あの混乱した貧困の国中国を立て直すためには、共産党一党独裁で政策を展開することが有効であったことも、認める必要はある。それが今不動産バブルを停めようとしている「共同富裕」である。

 日本では共同富裕政策を打ち出すことは出来ない。自民党の裏金キックバックを見れば、その背景にある、地方政治まで含んだ裏金による支配体制だけが、自民党を維持する構造であることが分かる。お金で無ければ動かない政治家ばかりになっているのだ。金権主義の自民党だ。

 中国は国家資本主義である。世界で一番の大企業が中国と言える。その社長が習近平なのだ。社長はワンマン社長だから、部下は戦々恐々としているわけだが、なかなか優秀な社長でもあり、次々に先進的な提案をしているのだ。特に先端技術分野では、大胆である。

 何しろ、中国は不況だと言われる中で、全人代では、AIなどの先端技術開発などへの投資に今年の1兆元(約21兆円)を決めた。手始めに、超長期特別国債を発行することを発表した。中国は不動産崩壊に対して、次の手を打っているのだ。

 農業分野で言えば、食糧自給を国是として、農村と都市との格差の是正を進めている。まだまだ困難なことだが、日本の地方消滅と較べて、まだ希望が持てるところがある。農業の技術レベルも、稲の新品種の作出では、日本は置いて行かれようとしている。世界をリードしてきた日本の稲作研究のレベルが、寂しい状態である。

 稲のひこばえ農法向き品種の作出も10種を超えて出てきていて、実際の農業にも利用されている。小田原と同程度の気候の場所でもひこばえ農法が行われている。日本では、ただの一つもひこばえ向きの品種の研究は無い。ひこばえ農法どころか、稲の新品種の作出研究自体が、衰退をし始めている。

 作出を公共から民間に移行して、産業にして競争力を高めると政府は世迷い言を言っていた。目先の儲からない新品種の開発は誰もやらない国になった。お米は輸入すれば良いくらいの、適当な政策の国では、将来を見据えた新品種の開発が行われるはずも無い。中国の良い所から学ぶ必要がある。

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「紅麴」菌で健康被害

2024-03-28 04:30:31 | 暮らし

C放牧地

 小林製薬(大阪市)の製造した「紅麴」原料を使った製品が、相次いで自主回収される事態になった。小林製薬「紅麹コレステヘルプ」腎疾患の患者が死亡 生前に約3年間サプリを摂取 死亡との因果関係を調査 会社側26日に遺族と面談予定、現在50人が入院中。100人以上が入院。摂取との関連が疑われる死者数は計4人に増えた。 

 サプリの危険については、前から繰返し書いてきたことだ。サプリメントの中には肝臓や腎臓に負担をかけるものがあるはずだ。今回その不安が的中した。サプリばやりで、これほど沢山のサプリがあれば、危険も増加している。

 あらゆるサプリに問題が潜んでいる可能性はある。サプリには薬のような審査体制がない。サプリで済ますという安易さに問題がある。紅麹菌が良いものと考えたならば、紅麹菌を使った料理を出来るだけ食べるぐらいにしておくべきだ。

 健康に成るためには普通の食事を重視することだ。普通の食事を普通に食べる。それが健康に繋がる。普通の食事を食べることで、高血圧や高血糖にならないようにすることだ。普通の食事とは多様な食材を食べると言うことになる。好き嫌いなしに、多種少量食べる。これが食事の基本だろう。

 ともかく、サプリメントは飲むことは止めた方が良い。食品から食事ではとれない程の一つの物質を、取ることなどそもそも出来ないのだ。どれほど良いものだとしても、そんな極端なことが良い結果を生むはずが無い。当然肝臓に負担がかかるはずだ。血圧が下がっても肝臓が悪くなれば、元も子もない。

 そもそも紅麹菌が、それほど悪いわけでは無い。むしろ沖縄では長寿食の豆腐ようは紅麹菌を使っている。私も食べたことがあるが、おもしろい食べ物であった。普通に食品の色づけに使う程度であれば、問題になるほど肝臓を痛めることはあり得ない。

 すべての食品が安全で身体に良いだけではない。それぞれにいくらか問題はあるものを人間は食料にしている。人間はあらゆるものを食料にして生き延びてきた動物だ。まんべんなく色々を食べることで、欠点をつぶし合うのが良い食事だ。紅麹菌を悪者にしたところで何の解決には成らない。

 その意味で、良い食事は多様な食事と言うことになる。同時にサプリはいわば偏食を意味する。バカッカリ食どころか、普通は絶対に食べられないほどに変ったものを食べてしまうことになる。それを毎日食べるのだ。何か改善されるかもしれないが、身体に良いわけが無いだろう。

 今回の被害でも、紅麹菌を使った食品による健康被害は、今のところ出ていない。紅麹菌を利用した、小林製薬「紅麹コレステヘルプ」を飲んでいた人に健康被害が出たということのようだ。食品に利用する量と、サプリメントで飲む量では桁が違うからだと思われる。

 紅麹の「ロバスタチン」という成分にはコレステロールを低下させるとされ、そこに「シトリニン」が含まれる場合があり、基準値を設定しているということだと書かれている。 小林製薬によると、今回の報告を受けて成分を分析したところ、「シトリニン」は検出されなかった。

 一方で、「シトリニン」とは別の未知の成分の存在を示す分析結果が得られたということで、「意図しない成分が含まれている可能性が判明した」としている。つまり製造過程で、違う物質が生成され、それを飲んだために健康被害になったと言うことはあり得る。

 紅麹菌は機能性表示食品とされている。機能性に関する科学的根拠について国が製品を個別審査していない。食品メーカーが自らの責任で機能性を表示できるものである。とくほ食品は国が効能と安全性を審査して、指定されたものである。

 今回のことで、黒麹も問題だ。あるいは麹菌そのものが問題だ。風評被害が広がることが怖い。麹は素晴らしい食材である。それは紅麹でも同じだ。サプリにして大量に摂取することで、問題が起きただけで、麹菌としての利用に問題がある訳ではない。何千年食べられてきた紅麹菌に問題がある訳ではない。

 実際にコレステロールが下がるようだから、小林製薬は医薬品として研究すべきだっただろう。そうすれば、何故製造過程で、シトリニンが発現するかも調べられたはずだ。まして、不明の生成物が現われることなどまで、徹底して調べられたはずだ。

 こうした発酵食品は健康に良いという情報だけが、一人歩きしている。食べる側が、判断力を備えた上で食べるべきものだ。常に自分の身体は自分で管理しなければならない。自己管理能力が下がっていることにも問題がある。サプリを飲むなら、注意深く調べる必要がある。

 私は緑内障で目薬を2種類目に挿している。眼圧を下げる薬だ。直る訳ではない。徐々にだが、視野は狭くなってきている。そしてその眼薬は目の周りをかゆくする。眼にだけ挿すようにと言われているが、目の回りの痒さは最近ひどい。これも何か薬害なのだろう。

 しかし段々程度がひどくなるので、治す薬ならともかく、眼圧を下げて何になるのかと情けない気がしている。しかし、見えなくなれば暮らすことも相当に不便なになるから、痒さぐらい耐えなければと思うが、今度先生に相談してみよう。

 これから、老人はさらに増えてゆく。老人を対象に考えるおかしな商品も増加するだろう。良いと思う事が健康被害になるなどという事はますます増えるはずだ。老人こそインターネットをやるべきだ。インターネットで正しい情報を探す能力を高める必要がある。

 
 
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3月26日ののぼたん農園

2024-03-27 04:04:46 | 楽観農園
 いよいよ稲の出穂が始まった。1月田植えで4ヶ月出穂期になりそうだ。


  立派な三日月型の角のさくら


 優しいのぼたん。


 パイナップルを植え付け、間に麻袋を敷いた。


 1番田んぼ


 2番田んぼ


 6番田んぼ


 3番田んぼ


 3番田んぼ


 7番田んぼ


 4番田んぼ


 ハッピーヒルの苗


 バナナの並木の道


 下に降りて行く道。


 8番田んぼ


 やらぶの大木へ続く道。


 井戸から来る道。


 やらぶの大木へ向かう下の道。


 9番田んぼ


 C放牧地への道。


10番田んぼの菜の花緑肥


9番田んぼの乾いたとこに植えてある稲。


 5番タンボ下の道

 10番田んぼ


 逆光の5番田んぼ


 西側からの4番田んぼ


 西側からの3番田んぼ。手前当たりの生育が良く30分ゲツ近くある。


 2番田んぼ西側から見たところ。

 溜め池一番田んぼ


 熱帯水連 


 台中65号 蓬莱米 苗

 学校田予定場所。1番田んぼの一部

 上から見た1番田んぼ

 1番田んぼと2番田んぼ


 ハヤトウリ せんなり


 小麦畑ハンマーモアー処理後

 発芽したサトウキビ


 パイナップル畑

 溜め池上の草地 だんだんに植林する予定。


 上から見た大豆畑。
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自給農は希望

2024-03-26 04:28:43 | 自給


 日本の農業の現状は、まさに老齢化である。農業者の半分が70歳以上になっている。産業としてはもはや消え去ろうとしている。政府は食糧自給率の向上を、国の安全保障政策だとしながらも、もう何十年も改善されないままである。農業に健全な未来は無い。

 農業が衰退する原因が、政府の推進する大規模経営や企業農業の優遇なのだから皮肉なことだ。農地が大規模経営企業に集約されて、より合理化された農業に変ることは間違いが無いが。そこには政府は莫大な補助金を投入されている。食糧自給率の向上という名目があるから、ある意味正当性がある。

 その結果、大規模経営の農業企業が補助金で競争力を高めていることになる。国際競争力の背景が補助金という現実。補助金を目的に作付けしている農作物はかなりある。大豆や小麦やサトウキビなどが、私もいくらか関わる事例になる。

 こうした補助金農政の結果、補助金を貰えない普通の農家であれば、その作物を作れなくなっている。これが農業衰退の皮肉な現実になっている。大企業農業と行っても、まだ半分に満たないわけだから、普通の農家が追い込まれながら、食糧自給率をになっている現実がある。

 補助金の無い小さい農業が競争力を失うことで、農地の集約化が図られていることになっている。小さい農家を淘汰しながら、農業全体は縮小化している。それが、政府が農家への直接払いをしない理由である。本音では小さい農家はなくなれば良いという方針が透かして見える。

 大規模化農業が可能な農地は日本の農地のせいぜい半分程度だろう。政府は2030年には農業者数は半減するとみている。それはそうだ。70歳超えた半分の農業者はやりたくても農業を出来なくなるだろう。もちろん80歳の現役農家も多いから、例外はある。

 2030年には農家数が半減した分、農業企業が農地の65%を占めると予測して居る。この予測は当たるだろう。農地自体の放棄が進み農地が減るからだ。農地自体が今より、2,3割減少して、企業が使える今は半分である農地が65%に成るという意味だろう。

 企業が使えない農地は放棄がさらに進む事も間違いが無い。日本の中山間地の農地は、条件不利な農地で、企業が経営として行うことは無いと考えた方が良い。企業的農業であれば、日本の農地よりも、海外の農地で、海外の労働力を使い経営した方が利益が出ると言うことになる。

 ただし、大規模農家で無ければ、十分に農産物が生産できる優良農地が、大規模化出来ないという理由で、競争力を失い、放棄されて行く。この優良農地を誰でも希望者が利用できるという時代が近づいている。農業が好きなものには、恵まれた時代が近づいている。

 日本国内で運営される企業農業はあくまで限定的と考えておいた方が良いはずだ。海外生産の日本企業の農産物は、やはり輸入品であろうから、食糧自給率が高まるとは言えない。それでも国内での企業農業は、政府の補助金で運営されているはずだ。

 農産物は企業が生産するものと、輸入するものとに二分されることだろう。輸入の中に日本企業の生産品も多くなることが予測される。お金があり、輸入できる間はまだ良いが、なかなか思うようには行かなくなるだろう。中国に輸入されてしまい、輸入できなくなるなどと言うことがなければ良いが。

 条件不利地域の農地はどうなるだろうか。自給農業を目指すものが利用することになると考えて良いだろう。日本は階層化社会が進む。低階層に位置づけられ、自給的に生きる人達が一定数現われることだろう。江戸時代の農民のような位置づけ。

 どの程度数が増えるかは分からないが、少なくとも自給的に暮らせる農地が放置されているのだから、生活が苦しい人の中には、そこで自給的に暮らそうという人が出てくるはずだ。放棄される家も人口減少の時代だから、いくらでも出てくるはずだ。

 人間の暮らしがそこまで、戻らざる得ない時代が必ず来る。しかし、その時代は人間らしい暮らしに戻れると言うことなのかもしれない。悪くだけ未来を想像する必要は無い。人口が6,7千万人まで減少すれば、食料は何とかなる。日本列島という豊かな国土がある。

 自給農業の暮らしは、競争などしないで自分が生きて行く方法がある。シャベル1本で神奈川県の山北の山中で、私に実現できた。自給農業の技術は確立した。みんなでやる自給農業であれば、一日1時間食料のために働けば、食糧自給は出来る。

 今石垣島で亜熱帯での自給農業技術を模索している。今回は時間が無いので、機械力総動員でやっている。3年目に入り、かなり先行きが見えてきた。亜熱帯の農地で、豊かな土壌を作り出す技術だ。循環して行く農地の利用法が見えてきている。

 「アカウクサ農法」と「ひこばえ農法」である。まだ農業技術としては完成はしていないが、方角はつかめた。後は実証実験農業を数年繰り返せば、たどり着けるはずだ。もう石垣島での一日1時間の自給農業の確立は、かなり現実的なものになってきた。

 自給農業ほど楽しいものはない。100坪の自給である。2セの田んぼであれば、手取り除草だってそれ程大変なことではない。完全に雑草を取り尽くしていれば、草はたいして増えないものだ。誰でも出来る、楽しい自給農業。みんなでやる共同自給。作りたい人が作り、必要な人が食べる世界。

 人間は自分のためだけよりも、人の為も加えた方が力が出てきて頑張れるものだ。日本の経済が停滞し、時代は混乱するとしても、一人一人が人間として自己を探求するの生き方を見付けられる場は作れるはずだ。そのためには一人でやる自給ではだめだ。一人で出来たらみんなでやる自給に進むこと。

 自給は一人でもやり抜くものだ。その覚悟の上で、みんなでやらなければ成らないものだと考えている。自給農業は一人よりみんなでやれば、助け合うことで、人間を磨くことになる。人間らしく成長しながら、生きる事になる。一緒に働くと言うことはそういうことだと思う。

 日本の農家は一人になってしまったことで、弱いものになったのだ。江戸時代の農家は一人では無かった。名主を中心に部落単位での協働で成り立っていた。助け合わなければ、生き抜けなかった時代だからこそ、江戸時代の自給生活は洗練されたものになった。

 知恵のあるものは知恵を出し。力のあるものは力を出し。弱いものは助けて貰い。ぎりぎりの暮らしを支え合った。確かに実運制度の厳しい社会ではあったが、あの自給世界で差過酷をしていた日本は成立していた。日本人は日本列島にで生活をしていた。


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動禅体操とゆる体操とヨガ

2024-03-25 04:44:27 | 暮らし

 
 ハヤトウリが延びてきた。この向こう側に1番田んぼがあり、3m位の崖になっているので、崖を利用した懸垂造りにしたい。見た目もおもしろいかもしれない。肥料の無い場所なので、良く延びるように、少し堆肥でも入れておこう。ハヤトウリは漬物煮にすると美味しい。

 動禅体操は気持ちの良さを追求する体操である。硬くなった身体をほぐして行くことは気持ちが良いものだ。だからマッサージ店は石垣島にも沢山ある。台湾にも沢山あった。観光客はマッサージが好きなのだ。マッサージを自分でやるのが、動禅体操だと思えば一番近い。

 身体に力を込めて筋力を使う。そして緩めて、筋力を休める。この張りと緩めるを上手く動きに取り入れると、身体が気持ちが良いと感じるものだ。体操の序破急である。痛いと気持ちよいの境辺りにマッサージの良さがある。動禅体操も同じで、大変だと極楽だの間にある。

 ただ体操というものは個人差がある。私に良い体操が、人に良いとは限らない。人が良いという体操も、やってみて私には合わないものがある。良いというのでスクワットをやって、腰を悪くすると言う人は多い。万人に良いという形に体操をしてしまうと、今度はあまり役に立たない体操になる。

 ゆる体操というものがある。身体を緩めるために様々な動きをしながら、とことん緩めて行く体操である。良い発想だと思う。何年かゆる体操の教室に通ったことがある。あしがら農の会の仲間が教室を開いていたのだ。身体を緩めるというのは出来そうで出来ない動きだと知った。

 一通り動きを覚える所まではやった。しかし、忘れるところまではやらなかった。体操というものは動きを忘れて、小脳化するまでやらないと分からないから、ゆる体操は半分までで、分からないまま終わった。緩めるのは悪くはないと思ったが、緩めてどう強めるかという所が物足りなくなった。

 何故半分で終わってしまったかというと、序破急(じょはきゅう)である。緩めるだけよりも力を込めて筋肉を張ることがあって、それから緩めると気持ちが良いだろうと思ったのだ。身体の緩急である。プラス方向と、マイナス方向に、行ったり来たりすることが、身体には良いのだと思っている。

 確かにスワイショウは良いと思う。しかしスワイショウだけでは何か足りない。スワイショウだけ1時間やれば、ある種の陶酔に至る。それはそれでいいと思うのだが、却ってそこがどうも私にはついて行けない。静止がないと言うのはどうも行けない。

 静止というのは、呼吸で言えば止めているときのことだ。呼吸法では空気の吸い方と、空気の吐き方が問題にされるわけだが、もう一つ呼吸を止めるという事も考えたい。吐ききって止める。吸いきって止める。この2つは当然肺にしてみればまるで違う。

 この違いを極めるようにしてみている。口をとがらせて呼吸をすると、息を出し切ることが出来る。同じように息を吸いきることも出来る。限界まで呼吸して、止める。この休止しているときにこそ、肺の方は頑張っている。肺を鍛えるにはここが肝心。

 それは太極拳も八段錦も、気持ちよさのすべてでは無いように感じる。そこで、どうすれば楽しく気持ちよく、体操が続けられるかを求めてきたら、緩急にさらに「静止」も加えた、動禅体操に行き着いた。坐禅は静止だけで、それだから辛いばかりだ。苦行よりも遊行の方が長続きする。

 動禅体操はどこでも止められる。どこから始めても良い。すべてをゆっくりやると50分ぐらいである。寝てやる体操も加えると、全部で1時間少しだろう。そんなに毎朝体操している時間も無いから、全部やると言うことは少ない。そのくらい適当が動禅体操らしくて良い。

 強くやろうと思えば、腰を落として動けば良い。低く動けば、太極拳もきついものになる。ゆっくり動けば、またさらにきついものになる。中国の太極拳は曲芸師のような動きになっている。いかにも常人離れした不自然な動きである。不自然さは何か違う。

 当たり前の動きの中にこそ、人間の基本となる動きはある。そう考えて太極拳も、八段錦も、自分の身体に合わせて変えなければ、動禅体操には成らない。そのためにもう私のやっているのは、太極拳とも、八段錦とも、スワイショウとも言えないようなものになっている。

 何故、こうまで中国の太極拳や八段錦がおかしな動きになってしまったことには、原因がある。今の中国社会の方向が反映しているのだ。商業主義である。より目立とうという競争意識がある。人には出来ない動きに意味を求めようとした。

 本来の動きにある、当たり前のものが忽ちの間に失われた。それが一番目立つのが、動きが速くなったところにある。本来能の動きのように、静かな力を感じさせ無い重心の移動であったはずだ。ゆっくりと、重心を低く動くことに留まることが出来なくなった。

 当たり前である事、特別では無いことの中に、日常の永続性がある。日常の暮らしの中の一コマである事が、太極拳の本来の姿であったと思う。少林寺の修行の中から日常の暮らしの体操になっていったのでは無かろうか。暮らしの上質を支えるもの。

 インドからヨガが、少林寺に伝わる。中国の仏教では、ヨガから坐禅が取り出され修行の基本になる。ヨガで言う瞑想が、ストレと言うように言われる。と言うように言われる。本来のヨガとは変化したのだと思う。これもヨガが、商業化したためだろう。

 ヨガは修行の姿であり、料金を取って、指導するようなものではない。その結果日本でのヨガが観念的なものになった気がする。耐えがたいほど思わせぶりな、意味づけが伴う。ヨガに意味づけが多いのは、インド的な哲学なのだろうが、中国で仏教の禅の修行になり、東洋的な老荘思想を伴うようになる。

 観念を抜け出ることを修行の方角にする。無念無想であり、只管打坐である。結果を求めないものになる。動きに意味を考えない。目的意識を捨てる。ヨガにあったような、何かのための修行法では無く、禅そのものであるだけの無目的の修行の意味。

 意味づけを求めてしまう人間の浅はかさから、中国的な飛躍があったと思う。老荘思想のあった中国では、仙人化する人間の在り方がある。悟ることで、すべてを失う。修行の結果何でも無くなる。何にも目的を持たない修行であるからこそ、主張になるとする。ヨガからの離脱。

 ここまで書いたら続きの方が多くなってきた。もう一度書いてみる。

 
 
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204 水彩画 日曜展示

2024-03-24 04:09:57 | 水彩画
204 水彩画 日曜展示
10号ぐらいです。





434「花の咲く崖」
2024.3






435「紀伊半島」
2024.3







436「赤い花」
2024.3







437「蔵王」
2024.3







438「平戸遠望」
2024.3






439「雪の久住山」
2024.3






440「岬」
2024.3


 絵には一応題名を付けている。風景を描くことが多いので、題名は地名が多い。全国に十数カ所描く場所があった。平戸、阿蘇、瀬戸内、吉野山、紀伊半島、長野各地、能登半島、山梨各地、伊豆半島、箱根、篠窪、蔵王、鳥海山、岩手山、三陸海岸、岩木山。そして今は石垣島。

 描きたいと感じる場所を探して、アトリエカーで出掛けた。良いと思った場所に、何度も似通って描いた。今は頭の中に景色が残っている。そして、その景色が現われてきたときに描いている。蔵王が描いている内に、阿蘇になるなどと言うことは良くある。

 まだ石垣の景色で記憶になった場所は少ない。石垣ノ色彩にやっと慣れてきたくらいのところだ。ただ放牧地や、しげみの様子、ヘゴやヤシの姿は頭に入ってきた。それで突然現われる。海の色も石垣ノ海の色の素晴らしさが、やっと入ってきた。

 
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日本は韓国台湾と経済圏を

2024-03-23 04:14:59 | Peace Cafe


 のぼたん農園に昔からあるヒカゲヘゴ。この下に2番溜め池がある。溜め池のそばなら育つようなので、3本の苗を植えたのだが、上手く2本は根付いている。移植は難しいと言われていた。1本は少し上に植えたためか枯れてしまった。2本が根付いた。ため池の付近に、もっとあっても良いと思うのだが。

 日本は危うい停滞の中にいる。株価だけが41000円台と政府の目標通り、高騰している。そして円安が続き、1ドル111.43円がそもそも安いのかどうかも分からなくなった。いかにも実質の伴わない経済の張りぼて状態で、海外投資家からもてあそばれている状態こそ、今の日本の姿なのだろう。

 外国人投資家がぼろもうけして、逃げて行くだろう円安株価である。何かどうしようもないことが起こる前兆状態のような気がして、不安この上ない。日本経済の崩壊は仕方がないことだ。日本人がこの程度の中堅国で受け入れるほか仕方がないと変ったのだ。これもまた国際化したと言うことか。

 自民党の倫理喪失を見れば、よく分かる。政治家がここまで嘘つきで、無責任で、下卑ている国に成り下がった。パー券キック縛の裏金は、選挙のための買収行為に、つまり子分達に配っているお金だ。疑う余地も無い。それが自民党議員の政治活動なのだ。

 日本の先行きはさらにひどくなって当然である。そんな政治家を生み出しているのは、日本人なのだ。自民党と公明党の政府が自分達の投票結果だと思うと絶望的である。野党がだめだから、自民党で仕方がないと言うが、つまり日本人全部がだめと言うことになる。

 日本列島で暮らしているものは、どう再生するかの方を今から考えておく必要がある。自給的生活からやり直す以外にないと考えている。幸い人口減少が進んでいるから、自給生活が可能になるはずだ。そこまで覚悟すれば、政府から離れて、自立して生きて行ける。

 日本がこれから学ばなければならない国は台湾と韓国であろう。台湾や韓国は条件が日本に似ている。アメリカと中国の対立が深まり、それに影響を強く受けている。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻の影響も同様に受けている。

 そしてその国家規模はだいたい日本の半分位である。国がいくらか小さいために、日本より速い動きである。3国とも中国という先進文化の大国に接し、文化や哲学や宗教や生産技術まで、教えて貰いながら、自らの国を作ってきた。それぞれに優れた文化を保持する、その意味では立派な3国と言えたのだろう。

 そして、3国はそれぞれに困難の中に置かれている。資本主義経済が限界まで来ている。独裁国家の資本主義と自由主義経済圏とのせめぎ合いである。ロシア経済は結局ヨーロッパ経済よりも、好調という結果である。戦争をしていても、独裁国の方が経済が好調なのだ。

 自由主義経済圏の困難を乗り越えるためには、東アジアの3国が良い連携をして、アメリカや中国との関係を良いものにしていかなければならないのだろう。この3国が合わされば、経済圏として考えれば大国である、アメリカや中国、そしてEUのような枠にも匹敵できる存在になるだろう。

 日本、台湾、韓国の東アジア3国連携が出来れば、第一には中国による台湾侵攻の抑止力になるだろう。ただし、3国それぞれに問題があり、連携が簡単では無いことも確かだろう。あまりに近い関係が複雑な歴史関係を生み、日本は植民地化したという、謝罪しきれない重い反省の歴史を持っている。

 取り返しの付かない許されない、残念な歴史ではあるが、反省し未来に向かい連携をして行く必要がある。アメリカや、中国との関係は3国の連携を前提に考えて行く必要がある。アメリカの属国化している日本、そして北朝鮮の挑発に直面する韓国。中国の台湾侵攻に対応しなければならない台湾。

 日本は占領から始まった歴史から、アメリカの属国化している。台湾、韓国はアメリカの軍事力に期待して、主体性を失っている。アメリカとの良い距離を持つためにも、3国との連携が必要になる。3国の共通の価値観は自由主義である。議会制民主主義である。

 アメリカで、トランプ主義が勢力を得ている。アメリカさえ良ければ良いという、一国主義を強め、軍事力提供の見返りを強く求めてくるはずである。世界一豊かな国が、国内には格差の大きい国なのだ。アメリカンドリームの背景に広がる、差別を受け続ける低所得者層。

 この格差に対する不満が一国主義に反映してきている。選挙で貧困層の歓心を買うためには、一国主義になるのだろう。密入国してくる人達がいるからアメリカの貧困層が生まれるという宣伝になる。メキシコ国境に塀を作ったとしても、アメリカの格差社会がなくなるわけではない。

 アメリカ富裕層に対する不満をそらすために、悪いのは外国なのだと言うことになってきている。トランプ主義は敵を作り、自己正当化する。選挙に敗れれば、不正だ不正だ、国会に攻め込めと言うことになる。民主主義国家であれば、不正を証明すれば良いことだ。

 もし不正があり証明できないような国であれば、アメリカはすでに世界をリードするような国では無いだろう。プーチンのロシアと同じである。アメリカはロシアがやっているように、ウクライナの権益維持の為に、衛星国への圧力を高める。

 アメリカは自国の安全保障のために、東アジア3国に圧力を高める。東アジア3国をアメリカの防衛最前線として、戦場にしてもかまわないと考えている。それに押し切られないためには、3国の連携が重要になる。東アジア3国がまとまって、アメリカと話し合えば、アメリカも独善を進めることは出来ないことになる。

 台湾は国連加盟国では無いが、十分に立派な国家である。韓国、日本はその特殊性を前提にしながらも、良い連携のために、国家間の同盟関係では無く、経済圏としての関係性を作る必要がある。緩やかな3国関係であるとしても、互いの利害には、共通のものが多い。

 3国が良い自由競争をしながら、世界経済の中で連携することでの優位性を探して行く。互いの経済関係が強まれば、3国の強権的では無い互恵関係が生まれるならば、ASEANとの関係においても、中国の圧力を緩和して行けることになるはずだ。

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バンライフ大学生

2024-03-22 04:13:47 | 暮らし


 昭和女子大に通う女子大生が、バンライフという車上生活をしているという。車上生活者というと、家賃が払えなくなり仕方がなく車上生活をしている人である。ところがバンライフ女子大生というと印象が変る。出来ればバンライフ大学生ぐらいにして欲しい。女子大生というブランドがあるのが嫌だ。

 やはり女子大生というところで、特別おしゃれなケイバンキャンピングカー生活らしい。親が居るとすれば、何か心配な気分ではなかろうか。私もアトリエカーで寝泊まりしていたことは何度もあるが、どことなく不安が無いわけでもない。慣れてしまえば何でも無いことではあるが。

 昭和女子大は三軒茶屋にある。長く住んだ場所なので、写真にある車の止めている場所がなんとなく分かる。駐車料金も馬鹿にならないはずだ。下宿と変らない費用がかかりそうだ。と思いきや大学には、4年生でほとんど通わないで良いらしい。週一ぐらいで三軒茶屋の駐車スペースに止める。

 大学生の時にこういうことに気付けば、間違いなく実行していた。惜しいことをした。金沢大学が金沢城趾にあった1970年代なので、学内に車を停めておける場所がいくらでもあったから、快適バンライフが出来たはずだ。学食で食事も出来た。通学時間はいらない。お城から出るのは風呂屋に行くくらいで十分である。

 と言っても、学生の頃は運転免許を取ると言うことなど、考えもしなかった。生涯車に乗るようなことは無いだろうと決めていた。車に乗っている学生というものも少なかった。車に乗るなどあり得ないと、敵視していたのだ。今思えば惜しいことをしたものだ。車のような大企業生産品など、間違っても使うものかと考えていたのだ。

 と言っても私は旧軍隊の馬小屋の中に、使わなくなったゲバルト立て看を運んできて小屋暮らしをした。畳屋で捨てられる畳を貰い、部屋を造り楽しく暮らしていた。家賃無しで大学内に暮らしていたこともあったのだ。学園祭でアクセサリー屋をやって資金を稼いだ。そこでシルクスクリーンのポスター工房
もやっていた。

 バンライフの話だった。人間至る所青山ありで、老いて野垂れ死にの覚悟ができれば、遊行生活になる。人生の最晩年は何もとらわれずに、遊ぶ心境で生きるというのが、インドに生まれた遊ぶ行の思想だそうだ。遊ぶことを行と出来れば、怖いものはなにもない。

 これを大学生時代にやってみようというのだから、なかなかの強者である。まわりの人が就職活動をするときに、就職しない暮らしを考える。考えてみれば、学生の時に就職するなどみじんも考えなかった。絵描きになろうと言うより、絵を描いて生きていたかっただけだった。

 地方が過疎化するこの時代に、バンライフをするつもりになれば、チョトスゴイ暮らしが出来そうである。農地を借りて、畑の脇でバンライフすればいいわけだ。畑のあるところにはアパートはまず無い。それならキャンピングカーを畑に止めて暮らせば言い。完璧では無いか。

 社会の中に巻き込まれず、独立して生きる道が見えてくる。そういう暮らしから、次の時代が見えてくるだろう。現代の無政府主義者はバンライフ革命家。畑の脇だから、是非軽トラの荷台に暮らすべきだ。軽トラハウスをいつでも車に乗せられるようにしておけば、普段は下ろしておいても問題がないだろう。

 この場合は軽トラよりも、ボンゴトラックが良いかもしれない。荷台面積Gが、2、480×1、585㎝あるから、かなり自由なものが出来る。地上高が75㎝とあるから、眺めも悪くないだろう。トラックのあおりの中に家を作れば、完全に家は荷物になる。

 車の荷台と同じ高さの家を載せる土台を作って置き、普段はそこにずらして乗せて大きなボルトで留めておけば良い。普段はそこで暮らしていて、家ごと移動するときだけトラックに乗せれば良いだろう。このやり方で違法性は無いはずだ。4WD車で200万円くらいだ。中古なら100万円もある。

 今はのぼたん農園に、朝になるとアトリエカーで出掛けて、夜になると家に帰ってくる。もし家が無ければ、間違いなくアトリエカーで寝泊まりして、一日中のぼたん農園にいることが出来る。石垣島の好きな場所に出掛けていって、絵を描いていても良いだろう。

 まだまだ家に依存している分、遊ぶはあって、行が無い。修行が足りなくて、学生に負けている。まあこの学生の話でも実家が出てくるから、実家との関係が切れてしまっても、バンライフが出来るのかには、まだいくらか距離はあるかもしれない。私の場合でも一人暮らしであれば、又違うだろう。

 家などないほうが良い。この気持ちは分からないではない。現代の崩壊して行く社会の中で、どう自立して、あるいは孤立して、生きるかをバンライフは示しているのかも知れない。ただ、これからのことだ。大学を卒業して、車上生活になるか、バンライフになるかはまだ未知数だ。バンライフ女性社長に変っていた。

 バンライフ案内によると、10万円あれば暮らせるとある。食費 4万 ガソリン代 2万 入浴代 1万 通信費 1万 洗濯代と雑費 2万。実際にはこのほか車購入費や保険費用や車検費用や車両税も居るだろう。普通車であれば確かにケイバンが良いとおもう。邪魔になりにくく、目立たないところがいい。

 ケイバンで絵を描いていると、一番顰蹙を買いにくい。多分ケイバンでの旅行ならば、変な話だが見逃してくれる。見知らぬ豪華なキャンピングカーが来たら、用心されてしまう。畑のそばで絵を描いていて、消毒を始められたという経験が何度かある。

 これからの時代は家を捨てる時代だ。日本人は家というものに未だに縛られている。私の名前は「出いずる」である。笹村の家から出て貰いたいという気持ちで、父が付けてくれた名前である。笹村の家から出たのかどうかは分からないが、出家はした。

 次の時代の自給生活は、バンライフ農家なのかも知れない。家ごと畑に移動しているなら、一番合理的だ。農園には宅急便も配達をしてくれる。郵便や新聞配達だって、可能だろう。畑にいれば害獣の番にも成る。湧き水のある眺めの良い農園が良いだろう。のぼたん農園ならすぐにでも可能だ。

 すぐにもみんなが真似てくれると思った、アトリエカーさえ普及しない。バンライフ農家も普及しないかも知れない。どうも私が良いと思うようなことはいつも少数派だ。3%の人しか興味が無い。少数派だからおもしろいのが人生だ。

 
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徴兵制度は憲法違反

2024-03-21 04:13:35 | Peace Cafe


 石垣島にもアメリカセンダングサが多い。この草は実にトゲがあり、くっつき虫である。身体に付くから、広がりやすい。アメリカから侵入してきた生物である。水牛はある程度は食べるようで、牧草地では広がることは少ない。畑では一番困る草である。

 日本国憲法では徴兵制度は憲法違反とされている。現在でも多くの国に徴兵制度がある。徴兵制度の無い日本に生まれたことを深く感謝している。徴兵制は日本国憲法「意に反する苦役」を禁止した憲法第18条に反すると説明されている。 良い憲法のある国に生まれて本当に良かった。この憲法は改悪しないで欲しい。

 ウクライナも、ロシアも、イスラエルも徴兵制度がある。国防のための徴兵制度がある為に、戦争がしたくなるようだ。軍人が権力を持つからだろう。日本でも明治帝国憲法下、徴兵制度がおこなわれ、3回も戦争をしてしまった。日本の歴史ではこの一時期だけが徴兵制が行われたおぞましい時代だ。

 兵隊になるという事は人を殺すことを強制されると言うことである。防衛権は確かにあるわけだが、あくまで専守防衛の範囲でなら、人を殺すことも許される。キリスト教では右の頬を打たれたら、左の頬を出せというが、「悪人に手向かってはならない」 という意味らしい。

 悪いやつが、つまりロシアのような国が、理不尽に因縁を付けて攻撃してくる。やられるままにして居なさいと言うことらしい。悪いやつに抵抗すれば、問題がひどくなるばかりだから、やられっぱなしで居ろということになる。すごい考え方だ。そんな国はどこにも無い。

 ナポレオンのような帝国主義者が現われて、徴兵制度が行われるようになった。そして侵略戦争が繰り返されてきたのだ。しかし、この人権を軽視した制度は、次第になくなりつつある。未だに徴兵制度のある国は、64カ国とある。人権を尊重しない徴兵制度は撤廃されなくては成らない。

 日本の同盟国であるアメリカには徴兵制は無い。台湾と韓国には徴兵制度がある。残念なことだが、お隣の2国は、日本の置かれた国際関係とは状況がかなり違うと言うことである。台湾と中国、韓国と北朝鮮の関係はいわば、戦時体制下の緊張状態である。戦時体制を早く解消するしか無い。

 世界は緊張緩和が進み、徴兵制度が廃止されてきていた。しかし、一方にフランスのマクロン大統領のように、大統領選挙で徴兵制復活を公約にして、当選し実行してしまった国もある。時代錯誤だが、ロシアの軍事侵攻が徴兵制の容認を生んでも居る。

 現代の軍事力は高度化して、徴兵制では難しくなっているという面がある。銃で撃つと言うようなことなら、徴兵された兵士でもある程度役に立つ。コンピュターを操作したり、複雑なドローン兵器を操作しなければならない。武器が高度化して、1年くらいの徴兵制度では役に立たず、新型の兵器の操作可能な専門兵士が必要とされている。

 さらに実際にはサイバー攻撃とか、宇宙軍と言うことになれば、徴兵された兵士では到底対応能力がない。そして、コンピュターエンジニアのような、兵士が中心の軍隊に変るだろう。その場合、徴兵しなければならないほど兵士の数はいらなくなる。

 ロボット兵士が攻めてくるような戦争に変る。ロボット攻撃を迎撃ドローンが迎え撃つというようなことになるのだろう。これが良いとも思わないが、専守防衛の機械部隊に成ることは、徴兵制がなくなることになり、悪い事では無い。

 日本では自衛隊員の募集は難しくなるばかりである。身体を使う職業は嫌う若者が多い。その上少子化である。コンピュター兵器はお金はかかるだろうが、人間の命の危険が少ないだけましだ。日本の自衛隊の装備が前近代的だと、国会で前幕僚長が証言をしていた。同感である。

 専守防衛兵器を研究すべきだ。日本から攻撃は出来ないが、日本は攻撃も出来ないと言う防衛専門の兵器だ。敵基地攻撃ミサイルなど準備すれば、相手の仮想敵国の方が軍事力が数倍もあり、原子爆弾まで保有するのだ。中途半端な攻撃はむしろ危険が増すばかりである。

 サイバー攻撃部隊も必要である。これも仮想敵国の方が大分進んでいるらしい。現代の戦争は経済対立から始まる。経済を混乱するためのサイバー攻撃は想定しなければならない。交通網の混乱。通信システムの破壊。電力網、水道設備、社会インフラ全般の停止。

 相手の攻撃を防止する態勢を作る必要がある。今の日本は銀行のオンラインシステムがすぐに停止するようなレベルの国である。コンピューターの操作レベルも、後れを取っているに違いない。自衛隊もこういう所に力を入れるべきだろう。

 産業としての農業だって、これからはスマート農業と言われている。その方がお金はかかるが、合理性があり、経済競争に勝つと言われる。それならばなおさら、自衛隊はスマート兵力を考えなければ成らない。

 日本の民間ロケットは失敗をした。北朝鮮よりもかなり後れを取っていると考えるほか無い。あらゆる技術が頼りないものになってきている。攻撃型戦闘機を共同開発するなど、日本が進むべき方向では無い。こういうことを始めれば、仮想敵国に攻撃の口実を与えるばかりだ。

 ウクライナの戦争では、ドローン部隊が当面は重要らしい。ウクライナに専守防衛をアメリカが命じているからだ。これが、モスクワまでミサイルで撃つようになれば、核戦争になることは間違いが無い。ウクライナに長距離ミサイルが無くて幸いだったのだ。

 今回共同開発を始めた戦闘機は無人機を操作する統括戦闘機らしい。日本は敵国を攻撃する戦闘機はいらない。防衛のためであれば、戦闘機よりドローン部隊である。人間が乗って操作しなくても、遠隔操作の方が勝る。先日の沖縄で墜落した、視察中のヘリコプターも人為的ミスも可能性があるとされた。

 あれは、中国軍が展開されたというので、急遽まだ着任もしていないのに、師団長が直接眼で見ようとしたのだと思う。眼で見て島嶼防衛を考えようとしたと思われる。事故で命を落とされた方に申し訳ないが、考え方がちょっと古くさかった。

 空中からの撮影ならば、ドローンで十分である。そして、コンピュター上で島嶼防衛を考えれば十分だったのだ。見て体感しなければ分からないなどと言う感覚は捨てなければ、これからの防衛はできない。サイバー空間の戦争が待っている。

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石垣島に自衛隊基地が出来て一年

2024-03-20 04:20:19 | Peace Cafe


 石垣島に基地が出来て1年が経った。その後、島では迷彩服の隊員を見かけることがある。自衛隊の指示で外出時は迷彩服でと決められているらしい。自衛隊を見慣れるようにしたいのだろうが、こちらには違和感がある。特に観光の島なのだ。無神経な対応では無いだろうか。

 基地建設の是非について、住民投票条例に基づき、住民の3分の1の署名要求があった。その住民の要請を無視して作られた自衛隊基地である。住民としては反対する方法すら拒絶され、空しいまま作られたことは、忘れたことが無いほど腹立たしい。民主主義国家としてあっては成らないことだろう。

 日本は本当に自由主義国家なのだろうかと思う。自民党の異常な腐敗状況は、忘れた、知らない、のごまかしの繰返しである。この国の未来を真剣に考えている政治家は、政府与党には居ないとしか思えない。政治資金を税金から出して、それが賄賂に使われていることは、国民として耐えがたいことだ。

 説明責任と岸田氏が繰り返している。しかし、説明などされたところで違法性は変らない。議員を当選させるためには反日組織統一教会の力を借りて何とも思わない人達だ。当然子分達にお金をばらまいているだろう。パー券キックバックの裏金は賄賂に使われているのだ。そんな説明が出来るはずが無いから、忘れた。知らない。の説明しか出来ない。

 こんなひどい政治の中で、石垣島は日本本土の防人の島になろうとしている。石垣島の「住民を守るための自衛隊」というウソが、まことしやかに説明されている。ミサイル基地が出来れば、中国の台湾侵攻が行われることがあれば、石垣島も先制攻撃を受けることになるのは、間違いの無いことだ。

 基地だけに集中攻撃ならまだ良いが、当然住民もとばっちりを受けることになる。中国の台湾侵攻に伴って、石垣島まで軍事侵攻するような、愚かな軍事作戦はあり得ない。ミサイル基地を作らなければ、石垣島が攻撃を受けることなど無いのだ。説明をすればそういうことになるから説明もしない。

 日本政府はアメリカに指示されて、石垣島にミサイル基地を作ろうとしている。アメリカの同盟国と言うが、アメリカの属国なのだ。アメリカの指示に対して、何も言えない。オスプレーの事故に関しても何の説明もしてくれない。お前らは黙って従えば良いと言うだけだ。

 政府も、自衛隊も分かっていて、住民を軽視しているのだ。波照間島には基地は無い。波照間島を中国軍が攻撃をするわけがない。その波照間島の住民を台湾侵攻の際には、石垣島に一時避難をすることになっている。この馬鹿げた計画にはあきれ果てる。

 石垣島の安全を考えれば、敵基地攻撃ミサイルなどないほうが安全なことは、何でも忘れる、秘書任せの自民党議員だって理解できる簡単なことだ。それをまるで、住民の安全の為だとごまかしの説明をすることだけは、止めてもらいたい事だ。

 正直に八重山諸島の住民の皆さんには申し訳は無いが、防人となり、犠牲になって頂きたい。東京の安全の為、本土の安全のため、犠牲になって貰いたい。そうすれば、日本は国家としては生き残ることが出来るので、仕方がないのだ。と言えば良いのだ。

 以下、朝日新聞の記事である。よく書かれているので転記させて貰った。

 防衛省が軍事活動を活発化させる中国を念頭に進める「南西シフト」の「最後のピース」と位置付ける沖縄・石垣島への陸上自衛隊駐屯地の開設から16日で1年となった。開設を機に島は、日米共同訓練の実施や米艦寄港など軍事拠点としての位置付けを強め、懸念する住民との溝は広がりつつある。

 石垣駐屯地は、南西諸島にミサイル部隊を増強する狙いから奄美大島(19年)、宮古島(同)に続いて開設された。島中央部の47ヘクタールの敷地に位置し、隊員約570人と家族約260人が移住した。

 防衛省は今後、駐屯地西側にあり、八重山農林高校の演習林の一部に隣接する用地を野外訓練場用に取得するほか、屋内射撃場や隊員の宿舎、コンテナヤードなどを整備するため、24年度予算案に128億円を盛り込んだ。

 政府は、石垣駐屯地にも配備する「12式地対艦誘導弾」の射程を現行の約200キロから約1千キロに伸ばし、敵基地攻撃能力(反撃能力)を持つ能力向上型を今年度から量産している。配備先は未定だが、25年度から部隊配備する予定だ。

 駐屯地を一つの拠点として昨年10月には、陸自と米海兵隊による国内最大級の日米共同訓練が実施された。離島防衛を念頭に海兵隊の対空レーダーが展開し、陸自が反撃する想定で、新石垣空港には訓練の一環として陸自のオスプレイが沖縄県内で初めて飛来した。

 石垣港には昨年9月に米掃海艦、今月11日には米ミサイル駆逐艦が寄港。日米両政府は昨年1月、南西諸島の防衛強化のため、日米の民間施設の共同使用拡大で合意しており、その一環とされる動きが相次ぐ。

 石垣島に自衛隊基地が出来て一年の現実である。何しろ石垣島の中山市長はいまだに、ミサイルは受け入れないなどと発言しているが、何を根拠にそんなウソを繰り返しているのだ。石垣島に自衛隊基地を誘致した、とんでもない市長として、記録しておかなければならない。

 陸自訓練基地は沖縄本島うるま市に建設されようとしたが、うるま市議会も市長も沖縄県知事も、うるま市自治会総連合も、絶対反対を主張して止めようとしている。それが沖縄県民の当たり前の感覚である。これ以上の防人の島には成りたくないのだ。しっかりしろ中山市長。

 

 
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A放牧地が畑になった。

2024-03-19 04:12:42 | 楽観農園

 A放牧地を全面的に畑にした。ネズミノオと言う雑草が広がってしまい、牧草が減ってしまっていた。そこで、ネズミノオを退治するために、トラックターで耕してみた。耕してみたら、A放牧地はなかなか良い土壌だったのだ。こんなに良い土壌ならば、放牧地にしておくよりも畑にしたくなった。

 自給のためには大豆はどうしても作りたいものである。大豆畑が必要だった。台湾では3月3日が播種すると良いということだった。台湾で2番目に大きい有機農家の黄さんの話だ。3月3日に大豆が播種できるように、トラックターで耕し始めた。

 耕しては石を拾うを、6回繰り返した。それでもまだ石は出てくるのだが、一応畑らしくなり、ネズミノオはなくなったようだった。また出ては来るだろうが、今度は出たらすぐに刈り取るつもりで居る。畑の管理だと思うえば、何とかやれると思う。

 放牧地が一つ減ることになるが、冬場でもB、C放牧地があれば、3頭分の草は問題が無いはずだ。そもそもA放牧地は、牧草が少なくて、あまり役に立っていなかったのだ。少なくともしばらくはA放牧地は畑にすることにした。

 畑にするとなったら、大豆に加えて、サトウキビとパイナップルは植えたくなった。やはり、台湾淡水の幸福農荘の美しいパイナップル畑を見て、やりたくなってしまったのだ。叢生栽培のパイナップルである。あんなに美しく出来るならば、やってみたいと思うようになった。


 パイナップルは、草を減らすためにハンマーモアーが入れるようにした。2列は60センチ間隔で植えて、次の列までは150㎝は空けてここをハンマーナイフが通れるようにした。全体で10列あり、パイナップルを植える長さの総延長は200m。60センチごとに植えたので、333個になったはずだ。

 パイナップルを作っている下地さんから苗を分けて頂いた。植え終わってみたら、まだ60個分足りなくて、下地さんに頼んだら、すぐに持ってきてくれた。またすぐ植えてしまった。2週間ぐらい乾かしてから植えた方が良いと言うことだったが、まあ大丈夫だと言うことで植えた。

 ハワイ種とピーチ種を半分ずつだ。八重山ファームの有機認証を受け手栽培しエイル。そのパイナップル王子の話では、peachが有機農業には向いていると言うことだった。実がなるとしても2年先だと言うことなので、それまでの草管理を一生懸命やろうと思う。

 大豆は蒔いてから1週間でまだ芽が出ていない。サトウキビは2週間。昨日やっと芽が出てきた。雨が少ない性もあるのだろうが、やっと夜雨が降ると言うから、何とかなるだろう。降らなかったならば、大豆の水遣りをしなくては成らない。

 大豆は小田原で作っている小糸在来が美味しくて良いのだが、まだ石垣では出来たことが無い。サヤまでは出来るが、実が入らないのだ。懲りずにもう一度、蒔いてみたが今度こそと考えている。もう一種類の大豆も蒔いた。粒が小さい大豆だが、どちらかが出来れば良いと思っている。

 田んぼの脇の畑では、ジャガイモは10種類試したが、あまり良くは出来なかった。フゲンマルという品種が比較的良く出来た。男爵は出来が悪かった。しかし1ヶ月ずらして植えた男爵の方は今のところ、株は良く出来ているように見える。植え付けの時期の問題もあるらしい。

 以外に良く出来たのが、玉ねぎである。小田原と同じ時期に植え付けたのだが、すぐに成長を始めて、今かなり大きくなってきた。成長を始めたときに追肥をやったのが良かったような気がしている。草取りも根気よくやった。小田原で苗を買ってきたのが良かったと思われる。

 渡部さんが石垣で買った玉ねぎ苗で作ってみたが、あまり良くは出来ていない。やはり、玉ねぎは苗次第だ。玉ねぎの苗作りは有機で作るには難しすぎる。過去1回しか成功していない。最近では諦めて、苗を買ってしまっている。当分玉ネギの苗作りには挑戦する余裕が無い。

 もう一つそこそこ出来てきたのが、ミニトマトである。赤く色づき始めている。先日初めて食べた。以前家のプランターでも出来た。あまり肥料が無くても出来るから、石垣でも冬蒔きすればトマトは出来るようだ。しかし、大玉トマトの方は枯れては居ないが、あまり良い出来では無い。

 ミニトマトは叢生栽培である。支える棒も立てていない。なんとなくそこらにあると言う状態で実を付けている。直播きのまま育てたのだ。そこから苗を取って植えた、支柱にそって植え付けた株は、成長がとても悪い。草も取りもしているのにだめだ。地面が露出したのが悪かったかも知れない。

 サツマイモはいもを伏せて植えて、出てきた芽を切っては植え付けている。もう20株ぐらいには成っただろう。安納芋がやりたかったのだが、芋が見つからないにでスパーで売っていた金時いもと紫芋である。次回は何とか安納芋を見付けてやってみたい。

 だめだったものは色々あるが、とおもろこしは全くだめだった。肥料が必要なものは、おおよそだめだ。土が砂漠状態である。太陽に痛められすぎている。もう少し良い土になってくれば、作れる作物も出てくるだろう。それまでは肥料をあまり要求しない作物が良いだろう。

 3株キャベツの苗を貰ったので、植え付けてみた。案外出来てきている。ここも肥料分は丸でないのだから、早くよみがえりを撒いてやらなくては成らない。折角育ってきたのに無肥料状態ではだめだろう。ハヤトウリは伸び始めている。風に痛められるだろうから、崖に沿って地這いで作ろうと考えている。

 島唐辛子を作ったらどうかと言われていた。今度苗が売られていたら、買って作ってみたい。そうだ宮古島のうずら豆も下地さんから種を貰ったので、田んぼの脇の畑に蒔いてみた。そういえば、シロクローバもあまり良く出来なかった。緑肥に蒔いたからしなも芽は出たのだがあまり育っていない。

 牧場の跡地というものがこんなに土が良くない場所だとは思わなかった。どこも土壌が畑にするにはまだまだ出来ていない。大豆やサトウキビも牛糞堆肥のよみがえりを、少しは入れたのだが、まだまだ足りないだろう。追肥をやらないとならない。

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イネ株一つでコンビニおにぎり1個が出来る。

2024-03-18 04:31:12 | 自給


 1反の田んぼにはイネ株が何本あるか。1反は300坪。1坪に60株植えならば、18000本のイネ株があることになる。1反の田んぼで畝取りすれば600キロお米の収穫がある。おおよそひと株で40グラムぐらい採れることになる。

 稲は一つの穂で2グラム近くある。1株に20本穂があれば、40グラムになる。40グラムのお米は炊けば100グラムぐらいのご飯になる。コンビニのおにぎりならば、これに具が付いて、110グラムになる。「イネ株1つでコンビニおにぎり1個」と見ておけば良いことになる。

 1反の田んぼのお米で、コンビニおにぎりが18000個できる。1個130円程度と単純計算すると、1反の田んぼで、1万8千個のコンビニおにぎりだから、234万円になる。お米を作るより、おにぎりを作る方がはるかに儲かることが分かる。1万8千個のおにぎりを売るのが難しいことはまた別問題。

 コンビニが簡単とは言わないが、田んぼをやるのもなかなか大変なのだ。米農家が1反の田んぼで畝取りしたとして、10俵で良くて20万円である。有機米でキロ600円で売れたとして、36万円と言うことになる。いかにも安い。

 毎日オロオロとクタクタになるまで、田んぼの見回りをして、1㏊で360万円である。1㏊のコロガシは出来ない。もしやれば、寿命を縮めることになる。やはり田んぼは自給がいい。自分が食べるものを作ると言うことほど、おもしろいものはない。

 おにぎりの製造費と人件費などを考えると、原価の倍と見るといい。つまり、お米原価が20万円で、具材が20万円としても40万円の材料費とみればいいだろう。これに人件費や様々な経費を見ても80万円。もし農家がおにぎりにして売れば、80万円が234万円になる。

 これが6次産業化と言うことだろう。1㏊の小さな稲作農家であれば、おにぎりにして売るまでやれれば、2340万の売り上げになる。一日7~8万円の売り上げぐらいのおにぎり屋のお店だ。これで生きて行けるだろう。逆に言えば、これをやらなければ、経営が出来ないと言う事がよく分かる。

 実はこういうことをやっている人が居るのだ。土の竈を作り、羽釜で炊くご飯を提供している。おにぎりを何万個も売るのはすごいことだ。私ならばおにぎりだけでは無く、養鶏をやってこれに卵かけご飯だ。醤油も自家製を使う。

 多分卵かけごはんの店であれば、おにぎりの倍の売り上げになるだろう。卵かけご飯の専門店もある。卵かけご飯は日本独自の食べ方らしいが、これはほど美味しいご飯の食べ方は無い。しかも、健康に一番だ。卵には自家製納豆やキムチを混ぜて、毎日食べているが、飽きることが無い。

 農業の規模は3反の田んぼに縮小である。3万食分である。1日弁当を入れて、100食の販売である。これなら現実的な規模になる。100個の弁当を作ったことがあるが、4人で4時間ぐらいだった。そのくらいの飲食店なら普通にあるだろう。

 まあそれだってかなり難しいことは分かっている。出来不可能な話ではない。何でも商売は難しいものだ。納豆だって、醤油だって、ただ作ってもだめだ。化学調味料入りが美味しいという、世間の味覚に対抗しなければならない。

 お店は眺めの良い棚田の上に作る。脱穀や精米は水牛にさせよう。卵かけご飯を食べに来たお客さんは、自分の食べるお米を収穫したり、脱穀したり体験も出来る。鶏小屋から卵を探して自分のご飯にかけて食べることも出来る。

 こうして体験で付加価値を付けて、卵かけご飯で1000円は取る。1000円はケチだからだ。1000円以上は払えないからだ。2000円の朝食を食べるような人種に、苦労したものを売りたくないというひがんだ気持ちもある。日に10万円の売り上げ。

 残念なことに、もうこの歳では始められない。でもいつもこういうことをあれこれ考えている。もう一つ考えているのが、米でつくるカレーパンのお店である。やはり田んぼの見える丘の上にお店を作る。こちらは移動店舗が良い。揚げたてを食べて貰うように、パンを揚げる設備のキッチンカーである。

 油も米ぬか油が良いと思うが、美味しく揚がるか、どうだろうか。カレーの材料は、玉ねぎとジャガイモニンジンは作りたい。カレーに入れるハーブなども作った方がおもしろい。カレー米パンのお店の場合は田んぼは5反だとして人に任せてもいい。野菜畑が3反ぐらいになる。

 生産部と米パン製造部とを分ける必要があるかも知れない。頑張る人なら家族で全部やるのがおもしろいだろう。いずれにしても農業技術と、美味しいかレーパンを作る技術が無ければ不可能なことになる。これはこれで難しいことではある。

 小田原だって出来ると思うが、石垣島ならさらに成功確実だろう。誰か若い人でやってみようという人は居ないものだろうか。資本提供をしても良い。石垣島に移住して、やってみたいという人が居ればおもしろい話になる。本当に興味が持てる人なら、成功するだろう。

 問題は田んぼがやれる技術が身につくかかである。野菜畑が出来る技術を見付けられるかである。田んぼや畑をやる力があれば、おいしいカレーパンも出来る。今からでもやりたくなるが、日々の一枚の絵がある。のぼたん農園のこともある。ここはがまんしておこう。

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203 水彩画 日曜展示

2024-03-17 04:11:59 | 水彩画
203 水彩画 日曜展示

10号か12号ぐらい







427「戸隠山」
2023.3








428「蔵王」
2023.3








429「郵便船」
2024.3







430「蓼科山」
2024.4







431「放牧地」
2024.3







432「瀬戸内の島」
2024.3






433「瀬戸内の島」
2024.3


 少し絵がおもしろくなってきた。描きたい絵を描いているのだから、当然かも知れない。大して代わり映えはしないと思うが、わずかに絵がおもしろい感じが出てきた。自分の絵を描く感覚が変ってきたような気がするのだ。絵が変ると言うことは、人間が変ると言うことだから、これは滅多にはないことだ。

 おもしろくなったということは、いい加減でも平気になったと言うことでもある。以前も省略したり、単純化する傾向はあった。かなり適当になったのだ。ないものを加えたり、作ってしまっていたりすることが平気になった。このことは良いことだと思っている。

 絵なんだから何でもありだと思えるようになったのだろう。ササムライズルという人間が、絵を描いているという実感が出てきた。急に絵が素晴らしいものになったわけでは無いが、それが自分なのだから、大丈夫だと思えるようになった。日曜展示の御陰もあるような気がする。






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