地場・旬・自給

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食料の自給と安全保障

2022-04-30 04:47:21 | Peace Cafe


 国の安全保障の中でも一番重要なものが、国民に対しての食料の安定供給である。感染症や災害や戦争も問題ではあるが、食料生産は国内で起きている、政府がしっかりしていれば何とかなる問題である。それが出来ないと言う事はよほど日本は政府が頼りないと言うことになる。政府が国の安全保障に食料を入れていない。

 食料自給率が、現在日本の歴史上最低の37%まで落ち込んでいて、回復の方法が見えない。農業従事者の減少がその主たる要因である。農業を主な仕事とする人は130万人。毎年農業者は減少を続けている。農地は100%自給できる面積が存在するにもかかわらずである。

 老齢化も進んでいる。平均年齢が現在67歳である。死ぬまで働くとしても団塊の世代が働けなくなる日はあと10年しか無い。農業従事者のさらなる減少は明らかになことだ。外国人労働者にお願いすることも、円安で難しくなるのだろう。農地もピークの1961年の7割の437万ヘクタールに縮小した。

 石垣市でも農業従事者に対する調査が行われたそうだ。5つに地区が分けられたアンケート調査のようだ。街に近い場所はそれなりに農業経営がされているが、私のやっている崎枝は西部地域では10%の農地の放棄農地が見られるので、従事者同士の話し合いの場を設けると出ていた。10%程度の放棄地とはちょっと思えないが、どういうことだろうか。もう農地から外れた、回復できない外された農用地があると言うことか。

 特に北部地域がかなり緊急を要する状態のようだ。規模拡大して専業農家が経営できる農業基盤の強化と言うことが書かれている。石垣市はそれでもまだ人口が増加している地域だから、担い手はそれなりにいる地域だろう。全国的に見ればもっと深刻になっているに違いない。

 与那国島の農業も同じ調査で調べられたようだが、490ヘクタール農地があるが、269ヘクタールが現在耕作されていて、190ヘクタールが放棄農地とある。70歳以上の従事者の場合後継者はどこでもいないとある。

 新規就農する移住者を探してゆくということが、与那国町の方針らしい。それは数年前から同じことが言われていて、成果が出ていないことでもある。私が若ければすぐにでも行きたいぐらい魅力のある与那国島の農地だ。生活の設計がたたないと言うことが問題に違いない。

 生活が出来ないから農業をやれないと言うことはある。そしてさらに問題なのが、肉体労働を嫌う日本人。肉体労働で暮らせれば、これほど安楽なことは無い。肉体労働ほどまっとうな仕事は無い。何故若い人が嫌うのかが分からない。格好悪いのだろうか。日本の若者は体力不足で疲れているのだろうか。やったことが無いからその魅力が分からないだけでは無いだろうか。

 日本の食料の安全保障で欠落しているのは農業従事者の増加方法である。外国人労働者を入れて、大きな農業法人は切り抜けているわけだが、これは遠からず無理になる。これだけ日本の経済が悪くなり、円が安くなれば外国からの労働者は日本では稼げなくなる。

 ではどうすれば食糧の確保が可能になるか。唯一の方法が、農業者以外の人に農地を使えるようにすることだ。農業が経営出来ない以上、自給の人に開放すべきだ。自給のための生産に門戸を開かなければならない。自分が食べる分は自分が作る。こうした人が国民の1割増えれば、安全保障の局面が変わる。

 日本の人口は1億人に減少する。1千万人の人が、一人で農業者の20分の1の農地を管理したとしも50万人の農業従事者が増加したことになる。平均の日本の農家の耕地面積は1.43ヘクタール。その20分の1であれば、7畝を1家族が耕作する。もちろんその人達がやる農地は充分に遊休農地として全国にあり余っている。

 農地の1割くらいは自給的な市民が行う時代が来なければ、日本の食糧安保は達成できない。もちろん日本政府にはそんな考えは全くない。日本政府は相変わらず国際競争力のある農産物の生産ということを繰り返すだけである。儲からない農家には止めろと言うだけだ。主食作物を止めて、イチゴやリンゴを作れと言うことだ。だから自給率が下がって行く。

 これでは食料安全保障どころではない。ウクライナは一つの非常事態ではあるが、これからの世界では、食糧事情は思わぬ事が起きて、食料が輸入できなくなる可能性は様々真局面で高まっている。今政府が発想を変えない限り日本はかなり危うい状況だと思う。農業者は高度な技術者である。一朝一夕には増やすことは出来ない。

 しかし政府にはそんな気は全くない。とすれば、危機を感じる人が自ら変わり、それぞれの食料の安全保障を目指す以外にない。私は40年前にそんなことを考えて、自給農業を始めたわけだが、ついにこの時が来たという気がしている。

 鶏を飼って、小さな田んぼをする。他に道はない。それをどのくらい楽に行うかを実戦をして、研究してきた。一人でやる良さとみんなでやる良さを組み合わせると一番省力な農業が出来る。土日だけ農業をすれば、充分自給の食糧は作れる。

 重要なことは農業技術である。自給のための農業技術は専業農家のものとは違う。機械をできるだけ使わなくて可能なものにする。伝統農業と極めて似ている。農薬も化学肥料もいらない。小さい農業であればそれは可能だ。2畝の田んぼでお米は120キロとれて、自給できる。2畝の小さな田んぼであれば、すべて手作業で可能だ。

 現在石垣島での自給農業は水牛を使うことを考えている。水牛はどこでも飼育できる生き物だから、上手く取り入れたらかなり楽な自給農業になる。しかも水牛と共に働く喜びもある。そして畑部分は一軒は5畝あるわけだが、これを10軒で合わせて、5反の畑を回す。

 畑の場合それぞれが作った方が良い野菜もあれば、みんなでやった方が合理的な保存野菜や果樹がある。これを上手く組み合わせて、省力的に自給農業が可能な形を模索する。小田原で30年やってほぼ完成したあしがら農の会の仕組みは参考になるはずだ。

 そして新しく始めることが可能なのか、試す意味でも石垣島でも始めた。まったく問題なく石垣島でも動き出している。つまり日本全国どこでもこうした自給農業の活動は可能だ。自給農業が何故可能かと言えば、販売するという解決しがたい問題を考えないでいいからだ。

 全国どこでも間違いなく始められる。問題は呼びかけ人である。私がダーツの旅で日本のどこかへ行ってそこで始めろと言われたら、実現する自信がある。石垣島で72歳の人間が始められたのだ。日本全国やろうと思えば今すぐにやれる。

 しかし現実には滅多に始める人がいない。自分のための一人の自給はそれでも始める人はいる。もしそれが出来きるようになったのならば、次はみんなの自給だと考えれば良いのだと思う。自分のために頑張るより、みんなで頑張る方が楽しいし、力が出るという人もいる。私はまさにそうだ。自分のためだけなら30年以上も続いていない。

 日本の食糧安保を考えたときには自分一人の自給ではだめなのだ。みんなのためを考えて自給農業を運動として広げなければならない。と書きながら今の日本の状況は簡単ではない。30年以上経過したのに自給農業を広げる力が無かった。

 石垣でも手を挙げたらば、反応してくれた人が10人はいた。そこからである。手を挙げなければ始まらない。少々不安でも手を挙げよう。私だって石垣島で手を挙げて、怖かった。余りに農業の条件が違い十分な耕作が出来ない。でも一人でないからその怖さも共有できれば乗り越えることが出来る。
 
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のぼたん農園の4月29日

2022-04-29 03:58:46 | 楽観農園

 0番田んぼの直播きのトヨノカ。出穂したところである。この調子だと6月後半には稲刈りになりそうだ。穂の数は13ぐらいが平均である。随分少ない。もう少し後から出るだろうか。石垣の稲作の方法がまだ把握できていない。初年度と言うこともある。

 やはり土壌に腐植がない事が一番の問題点かと思う。今後水草で腐植を増やしてゆくことが重要だと思う。通年通水して、イネに影響の無い水生植物を充分に育てると言うことが重要かも知れない。7月にもう一度稲の種を蒔くと言うこともあるのかも知れない。

 少なくとも7月には1,2カ所の田んぼはイネを直播きしてみる。やりやすいのは1番田んぼに直播きしてみることかも知れない。水の調整がしやすい。石垣島での稲作の経験を増やす必要がある。場合によっては溜め池から水が入れられる4番が良いかも知れない。




 石垣島の稲作を考えるときには、小田原の状態に三ヶ月を引くと良いようだ。田植えを小田原では5月末にするとすれば、2月末ぐらいに田植えをする。小田原では稲刈りが九月末くらいになるので、石垣では6月末くらいを考えればいいようだ。石垣の方が栽培期間がいくらか短いのはこれからよく考える。

 写真はマンゲツモチを直播きした田んぼ。ぬちぐすい診療所のグループが担当である。3月27日に播種したので、4週間と4日となる。苗の大きさは4.5葉期であれば、遅れ気味ではあるが健全な成長である。今のところまあまあの成長である。

 でこぼこでコロガシが大変だったと思うが、良くここまで水を回したと思う。あと一息で田んぼになる。ともかく水がここまで行きにくくなっている。最後の田んぼと言うこともあり、水はずーと不足気味になっている。だから同じコロガシでも苦労が多いいことだろう。先日転がそうとしたら水が無くて、急遽溜め池の水を開いて回したらしい。今日も又やる必要があるかも知れない。

 しかしほどほどの成長になってきている。8番田んぼの直播きを見ると石垣の田んぼには直播きが向いていることは間違いない。直播きは風による停滞が無いから、確実に成長をする。直播きは田植えも苗を育てることもいらない。しかも自然農法の本来の形である。

 直播き栽培では、どのような状態の田んぼに種を蒔くことが良いのかが重要になる。先ずは代掻きを充分に行い、田んぼが平らなこと。この点でこの田んぼは高低差がかなりあった。わざと様々な条件で蒔いてみた方が良いと考えていた。そしてどこもほどほどの発芽はした。むしろスジ蒔きで苗が多すぎる。

 少し肥料が足りないようだ。分ゲツ肥を入れた方が良いように見える。まだどこの田んぼの土壌も肥料が不足だ。2袋よみがえり堆肥を買ってきた。分ゲツ肥料として入れた方が良い状態かと思う。全体に株が細い。分ゲツは始まっている。

 この田んぼの経験を生かして、4月24日に小田原では点蒔きを行った。30センチ角に三粒程度播種した。この結果はまだ出ていないが、26日には半分位は発芽していた。点蒔きの方があとで、縦横にコロガシがかけられるので、後の状態が良いことは確かだ。


 2番田んぼから下の方の田んぼを写している。3番田んぼの真ん中辺りが、黄色くなっている。左側は緑が濃い。穂が出始めたところだ。遅れていたが大分良くなった。コロガシを随分やった成果が出ている。黄色い辺りは地面が高かったので、削って左右に土を移動した部分だ。土を削った後はどの田んぼでもすぐ分かる黄色である。

 田んぼがよみがえり堆肥を2袋穂肥として追肥をした。それでかなり色が戻った。石垣の田んぼは肥料の分解が早いせいか、有機肥料の効果もすぐに出る。またすぐ肥料が消耗してしまい、効果のある期間も短い。

 3番田んぼは田植えが2月23日だから、二ヶ月経過して穂が出始めたところだ。あと1ヶ月半から二ヶ月で稲刈りほぼ予定通りの結果とは言える。生育は田植えからの2週間の停滞が結局穂が出るところまで影響した。大苗は石垣島で風で活着が遅れる。

 二枚葉が足りないまま止葉になった。来年は少なくとも大苗の田植えは止めにするつもりだ。苗代を作って苗を作るよりも直播きの方が、楽だし石垣島の気候と土壌には適合している。風による田植え後の活着の遅れが無い事が一番適している。そして土壌の浸透性が無いから、代掻き直播きでも水がすぐ溜まる。

 問題は草だろう。今のところは水田雑草はほぼ無い状態なので、問題は起きていないが、そのうち草は生えてくるはずだ。これをどう抑えて直播きが出来るかという問題が出てくるはずだ。今はため池には出ているコナギに種を付けさせないですべて抜き取ることが重要だろう。


 2番田んぼである。3月2日の田植えだ。品種はトヨノカである。やはり削った辺りが黄色で生育が悪い。生育の悪いところから穂が出始めている。黄色い辺りだけ株自体が大きくは育たなかった。一般的に植物は弱ると花を咲かせるとか、実を付けるという現象が起きるのと同じだろう。

 この田んぼをみていると、原野から田んぼにした場合の1年目の状態と言うことなのだろう。肥料不足には見えなかったのだから、トヨメキが石垣の気候に適合しないと考えて良いと思う。石垣に合う品種を探すことがさらに重要である。

 たぶん石垣の気候に合う品種は台湾での稲作で注目されている、インディカ米とコシヒカリを掛け合わせたという品種だと思われる。この品種を使えば、畝取りが出来るところまで行けると思っている。どうやって種籾を手に入れるかである。

 

 ここは7番田んぼ、三線のグループが担当している。福仲先生が貰ってきてくれたヒトメボレの機械苗を3本植えにした田んぼである。4月3日が田植えだったから、3週ちょっと経過したところである。

 小さい2.5葉期の機械苗は風による被害は少なかった。本来6葉期になっていて良いのだろうが、まだ、4葉期ぐらいである。そう考えるとやはり、稚苗でもやはり活着までの1週間の停滞はあったと言うことになる。それでも今のところはまあまあの成長である。

 ここは肥料不足のためよみがえりを分ゲツ肥として追加して投入した。それが良い効果を上げてきている。やはり土壌が肥料不足と言うことが分かる。肥料が多すぎて病気が出るのが怖くて、余り多くは肥料が入れられなかった。今のところは健全な株に成長している。

 

 溜め池の水の湧く辺りである。草刈りをしなければならない。29日にやれた。水神を囲んで月桃を残してあるのだが、月桃がきれいに咲いている。なかなかいいものだ。草を刈らないとよく分からなくなっているのだが、この辺りにはサガリバナの苗がある。

 今度果樹苗の植え替えが終わったら、この辺りにまず置いておき、養成をしたい。3分の2は終わった。来年の2月まで管理することになる。


 これがシャンティー農園の苗である。50本ぐらいある。これを一回り大きな鉢に植え換えをしなければならない。 


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のぼたん農園水の重要性

2022-04-28 04:26:52 | 水彩画

 
 果樹園予定地。手前が7番田んぼで、下の方にわずかに光っているのが、8番田んぼその間を果樹園と考えている。写真では分かりにくいのだが、光っている8番田んぼの左下に大きなヤラブの木があり、その辺りも果樹を植えたいと考えている。今は向日葵が蒔かれている。

 ヤラブの大木やそのあたりのイヌビハは土地境にある防風樹木である。下の方は比較的風が当たらないが、それでも風は強い。ヤラブの木はテリハボクである。フクギとは違うとシャンティー農園の方に教えていただいた。

 家にある頂いたフクギとは葉の様子も違う。フクギの方が成長が遅いそうだ。フクギの幹はゴツゴツしていないそうだ。だから石垣の多くの防風の並木になっている木はヤラブの方が多いようだ。もちろんフクギ並木もある。

 8番田んぼの上には扇芭蕉の防風林が来る。その道の反対側には、バナナを植えるつもりだ。果樹園自体が防風を兼ねながら作りたいと考えている。果樹園と田んぼが折り重なるのぼたん農園にしてゆきたい。下の方の防風林にはヤシなども良いと思う。

 いずれにしても、今度バラビドー農園に果樹や防風林の苗木を探しに行こうと思う。今年の田んぼを見てみると、風に痛めつけられた様子が見られる。充分に生育が出来なかった原因は土壌が不十分だったこともあるが、それよりも風の問題の方が大きかった。

 のぼたん農園の果樹園の植え付けは来年の春に行う事にした。植え付けて十分に根付かない間に台風が来たら枯れてしまうという判断だ。それより、購入した果樹苗をできるだけ大きくしてから植えた方が得策という事になった。

 最初は台風の終わった11月と言われていたのだが、今植え替えをすればそのまま、2月まで養成した方が気が大きくなる。大きくしてから、地に下ろした方が風にも強くなるから、冬の強い風が収まる2月か3月ぐらいの方が良いだろうと言われた。

 果樹園は大きな畝を作り、その低いところに果樹苗を植えて、高いところにはハイビスカスを植えることにした。土手と防風林で果樹苗を守ることにした。といってもハイビスカスもすぐに大きくなるわけではないので、まずソルゴーを土手に蒔くことにした。

 ソルゴーを切り倒して敷き藁のようにすれば、苗木を守ることも出来る。まず大きな畝のような土手を3本か4本作ることにする。土手が出来たならば水も表土を流れないようになるだろう。そしてソルゴーを蒔けば良い。時間はまだあるからこれはゆっくりやればいいだろう。

 溜め池の上部には水を蓄える土壌を作らなければならない。溜め池の水を増やすような畑を、溜池の上部に作るつもりだ。今は溜池上部の土は浸透性がないため表土を水は流れるだけになっている。縦浸透を増すために、上の畑予定地には穴を随分掘った。チップを入れるつもりだ。

 まずはその表土を流れる水も溜池に入るように土手を作った。少しでもため池に水が来るようにしたいのだ。そしてため池も今よりも大きくする。そして0番田んぼも収穫が終わったらば、溜池にする。それだけの水量がなければ、10枚の田んぼの維持は難しい。

 腐植を多く含んだ土になれば、降った雨は表面を流れず、畑の中に染み込んでゆく。そして土壌により多く蓄えられ、徐々に下の溜池にしみ出してゆくはずだ。土壌の豊かさは水を含む力という事でもあるはずだ。田んぼはその最たるものだ。

 棚田の水は水路から下の田んぼに行くだけではない。田んぼで縦浸透した水は下の田んぼで湧いてくる。これを繰り返しながら、一番下の10番まで水は流れているようだ。棚田の水の仕組みがのぼたん農園を作ることで良く見えてきた。

 上の畑が良いものになれば、溜め池に湧き出る水も増えてくれると考えている。農園全体が水を取り込むものになることが大きな自然の調和だと思う。調和をする事を目指して進めば、その進路の先に美しい場所が作られると言うことになるはずだ。

 4月は小雨だった。何しろ総雨量が30ミリ程度だ。例年の平均雨量であれば、150ミリは降るはずである。4月4日以来3週間雨らしい雨が降っていない。当然湧いてくる水が大分細くなった。それでも水道の普通の水ぐらいの水量は湧いてくれている。

 注意して水を回さないとぜんぶの田んぼに水が行き渡らない。今年は8番田んぼが一番下の田んぼになっているのだが、8番まで水を回すにはポンプを使わないとならないのかも知れない。もう少し水を大事にしなければならなかった。

 4番の溜め池から8番の方へ水は回るようになっているのだが、3番にはまだ水があるので、3番の水を4番にポンプで入れる他ない。そうして何とか、5月まで維持できれば、5月になれば梅雨に入るのだから、少しは雨が降ってくれるだろう。

 まだ1年目で、全体の水を管理するための整備が出来ていない。それでも何とかここまで来れたのは湧き水の御陰だ。未熟なところを雨が補ってくれた。感謝している。水を祭る気持ちが良く分かる。水のありがたさは足りなくなって来て身に染みてくる。

 水を溜めるためには土壌の改善である。表土の水をそのまま流してしまってはならない。一度土の中に水を染み込ませなければならない。ここの土壌は水を浸透させない。腐植が足りないことが一番の原因になっている。上部の土壌に縦穴を掘り、剪定チップを埋めることだろう。

 また剪定チップを持ってきて貰う必要がある。早速頼んでみよう。今度は上の畑に持ってきて貰えば良いので、10トントラックに一杯である。すぐに来てくれれば、ユンボがある内に作業が出来るが、それは仕方がないことだ。だめだとしても、リヤカーを準備して運んだら良いだろう。

 まだまだ水を増やすために打つ手はあるはずだ。

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石垣島ではパフィオが三つ咲いていた。

2022-04-27 05:09:21 | 楽観農園

Paphiopedilum.gratrixianum


Paphiopedilum.primulinum


 Paphiopedilum .  argus alubum

  Paphiopedilum が洋蘭の中では一番好きだ。東南アジアの蘭だ。不思議なことに南米やアフリカの蘭よりも、距離が近い感じがする。日本にあるアツモリソウやクマガイソウは近隣種である。

 礼文アツモリソウなど相当に寒い場所にも自生している。台湾のクマガイソウというのも同種ではあるが、たぶん山岳部にあるものだと思う。これとパフィオは交配できるのだろうか。南米には近隣種のフラグミぺデュームがある。これは夏の暑さで枯れる。パフィオとの交配は随分されている。昔私もしたことがある。

 石垣島の夏場5ヶ月の夜の気温は25度を超えている。4月25日に石垣に戻ると、夕方の飛行場で30度あった。今朝も26度ある。湿度は83%。この夜温の高さが一番心配なことであったが、乗り切ってくれるようだ。

 湿度が高いと言うことと風がいつもあると言うことで、何とか成育してくれているのでは無いだろうか。気難しいパフィオがずぼらな私でも栽培できるので、嬉しくなる。のぼたん農園で木に取り付けた蘭はその後どうなっているか。今日行くのが楽しみになる。

 小田原では10度ぐらいまで下がっていた。稲の種がやっと蒔ける季節になったところだった。直播きをした田んぼの発芽を見届けて石垣島に戻ることが出来た。次にゆく5月22日にはもうコロガシが出来るだろう。随分気候が異なる。

 このように違う気候でイネの直播きの実験ができると言うことは有り難い。二毛作をしないのであれば、直播きが一番省力な栽培法だろう。雑草への対応と、鳥の食害が防げれば、かなり希望があると思っている。30年前山北で直播きをしていた頃を思い出す。

 あの頃の直播きは自然農法という考え方から来ていた。田植えをするというのはどうも自然ではないということだった。その後何度も直播きを失敗して、結局苗を作るようになった。まだイネの正確を十分に把握できていなかった。

 しかし、石垣島では大苗の田植え直後風で苗が停滞した。大苗による栽培が通用しないと言うことが分かった。大苗は風にさらされると活着が遅れる。苗は2週間の停滞した。この停滞が最後まで影響している。この停滞した2週間は結局二枚葉が少ないまま穂が出ると言うことになった。

 ところが直播きをした苗は風に強かった。そこで直播きを色々やってみることになった。直播きの方が根の生育が良いのか、肥料の吸収も良い。全体にまだ土壌が不十分で肥料不足が目立つのだが、直播きの苗は黄ばむことが少ない。

 どのような代掻きの状態で直播きをするのが良いのかである。小田原でも行い、少し直播きの土壌が見えてきた。直播きしたときに種はどのような状態であれば一番発芽が良くなるかである。十分な代掻きが必要である。それは徐々に水を入れ始めたときに、水がすぐに溜まるように成って欲しいからである。

 そして、種は土にめり込ませておく必要がある。完全に潜らなくても良いから、土に抑えておかないと強い雨がふると、流される。小田原でも播種した夜に強い雨が降ってしまった。種は翌朝見えなくなっていた。雨で田んぼに水が溜まり、土に埋もれたのだ。

 しかし、三日目には発芽できた。泥の中に潜っていても浅ければ大丈夫だ。点蒔きにすべきだ。代掻きの後に線引きをする。そして田植えとは違う、引いた線の四角の真ん中に三粒の種を蒔いてゆく。1から3粒で良い。発芽の良い種なら一粒でも良いのだろう。

 種は鳩胸を少し過ぎたぐらいのすぐにも発芽する苗が良い。鳩胸状態になった種籾を水から上げて、冷蔵庫に保存しておき播種する。冷蔵庫に入れると太い良い苗になるというのは薄井さんの主張だ。発芽がそろうと言うことは確認した。冷蔵庫で保存が出来て、播種する日を調整できる。

 鳥の害については今のところ梱包のぴらぴらの幅広ビニール紐を1m間隔で張り巡らせると、蒔いた種や発芽した苗が食べられなくなる。三週目までは鳥は近づかないようだ。これは1年目で鳥が慣れていないと言うこともある。だんだんに鳥も賢くなるから工夫はいるのではないか。

 三週間目になれば、コロガシに入る。コロガシをしなければ水漏れをするはずだ。種まきの時に少し大変でもぬかるんでいるぐらいの土壌の状態の方が、水漏れはしないで水管理が楽かも知れない。まだ分からないことが沢山ある。

 のぼたん農園と柿の下の田んぼで直播きを続けて、自給の田んぼの省力的な方法を見付けたいと思う。のぼたん農園では田んぼに水を入れ続けて、水のあるまま手刈りする方針だ。そのまま通年通水する。そこにどのような水草が生えてくるか。アカウククサが見つかるか。これからの課題になる。

 
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アベクロダ路線のつけが回ってきた。

2022-04-26 04:20:09 | Peace Cafe


 舟原溜池に来ているカルガモ。人に慣れていて、2mぐらいまで近寄ってくる。大抵はつがいの2羽でいる。どちらが雄でどちらが雌なのか判別は出来ない。きっとどこか茂みに巣を作って子供を育てるはずだ。

 日本の円が侵略戦争で経済制裁を受けているロシアのルーブルと同じような急落に陥った。アベ黒田路線の破綻が日本経済の衰退を招いている。ここまで来ても黒田日銀総裁は、円安は日本経済に良いと主張している。日本の衰退が現れた円安であって、円安で企業収益が上がるどころか、経済の先行きが見えない状況になってきている。

 日本経済が行き詰まり円安になることは、誰にも分かっていたことだ。素人が書いてきたとおりの経過になっている。アベノミクスの第3の矢が飛ばない理由の探求がされなかったことが一番に問題だった。政府はアベノミクスは成功だと寝とぼけたことを発表していた。まさに地獄のような安倍政権であった。

 このままでは急速な不況に陥ることが分からなかったのは、自民党のアベ政権だけである。当時の内閣府のホームページにはアベノミクスは成功したと大きく筆頭に書かれていた。アベ政権は過去最悪の蒙昧政権であった。歴史に日本経済を落ち込ませた最悪の政権として記憶されることだろう。

 アベ長期政権を支持した、日本の国民の大半が間違ったのだ。これから生活が苦しくなる。その元凶はアベ政権にあると記憶すべきだ。参議院選挙でも自民党が続くであろう。日本人がだめだから、日本経済が落ちてゆく。仕方がないことかもしれない。

 アベはプーチンと友達であると誇っていた。世界で一番合った首脳だと自慢していた。それで何も気づかなかったのか。それでは直接対話した意味がない。何という馬鹿な人間か。地元に呼んで接待をしたくらいだ。あれほどプーチンを持ち上げた蒙昧は、武力しか信じない同じ穴の狢だからだろう。

 クリミア半島をロシアが併合して、世界から経済制裁を受けた最中に、漁夫の利を得ようと出し抜こうとして、墓穴を掘っただけの外交政策だった。日本は利用されただけで何も得ることが出来なかった。本来であれば、自民党自体がアベ政権の反省の上に立たなければならない。

 今にしてみれば、日本のシベリア極東開発への協力とはロシアの独裁を育てる役割にしか成らなかった。結局、北方4島どころか、日本に返すと約束していた2島すら、返さないことが確定した。もうロシアとの間に領土問題は無いことにした方が良い。

 尖閣諸島も同じことだが、国際裁判所に提訴して結論を出すことだ。それで終わりにするのが最善の策だ。日本は平和主義で行く国と憲法で決まっている。その努力を行わないまま、敵基地先制攻撃は間違っている。ウクライナ侵攻が起きたとしても、平和主義が間違っているわけではない。踏み込んだ平和主義を模索すべきだ。

 日本経済の落ち込みは、アベ黒田路線の間違いと言うことが当面の結果であるが、その判断の間違いの基には、日本人の活力そのものの衰退があるのだろう。日本人が何10世代にもわたる稲作農業で培った能力が完全に失われた。稲作農家のお父さんの出稼ぎが支えた、応用力の高い、辛抱強い労働力が無くなった。

 特に江戸時代に形成された、勤勉で協調性がある日本人。観察力があり、応用の利く百姓力をもつ人間。こうした農民である人達が明治の日本の近代化を支えた。そして、サムライ日本による、軍国化の末のみじめな無条件降伏という失敗からも、再生した日本の農民の力量である。

 ところが、アベ氏は農民力の失われた現代社会で、明治期の帝国主義日本の再生を目指した。長州藩のサムライの意識を残しているのだろう。この時代錯誤が日本の衰退を早めたのだ。世界経済の状況変化を考えれば、日本は帝国主義日本ではなく、普通の国になるのが当たり前の事だ。中国や韓国や台湾と日本はどこも変わらない普通の東アジアの国だ。

 しかし、アベを含む自民党の中には、それらの国を支配し大東亜共栄圏を再現しようというような、馬鹿げた帝国主義の尻尾を残している。だからこそ靖国神社の参拝にこだわり続けるのだ。岸田氏まで靖国にお賽銭を奉納したという。それは誰への忖度なのであろうか。情けないのは靖国神社を支持してしまう多くの日本人の弱さである。この点では天皇家を見習わなければならないことだ。

 プーチンを見れば分かるように、客観的に見ることが出来れば、アベ黒田路線は世界情勢を見誤っている。一番でなければならないというような、競争主義は負け始めれば、プーチンのように追い込まれて爆発をしてしまう。プーチンはこのままではロシアが潰される。だから最後の一線を戦っていると叫んでいる。

 それを支持してしまうロシアの多くの人々を馬鹿げていると日本人は感じているだろう。ところが、逆側から見れば、アベ黒田路線の馬鹿げていることはよく分かることなのだ。日本が一番になることなど無いのだ。日本は当たり前の国なるという目標を立てるべきなのだ。

 2番でも3番でもかまわない。生活の自信があれば、競争に巻き込まれない自分を生きることが出来る。豊かな暮らしというものはお金がある暮らしではない。食べ物の心配がなく、今晩の寝る場所も確保できる暮らしと言うことだろう。

 そして、自分の人生を自由に生きることが出来る。やりたいことを見付けて、やりたいことに全力で向かうことが出来る。やりたいことに立ち向かう勇気の湧きおこる国だ。そうした安心の場の確保が、国の役割である。競争に勝ち、人を支配するなどと言うことは、不安に満ちたろくでもない人生だ。

 アベ黒田路線の失敗をいまだ認めない人達がいる。資本主義の終末期の世界情勢を今だに、競争で勝ちに回ろうというあがく人達がいる。そして負けたらどうなるかと不安を煽っている。しかし、世界は大きな転換期に来ている。あがけば第2のプーチンになる。もう日本にもその芽は見える。貧困が武力主義を生む。

 プーチンのあがきの背景にあるものはロシア経済が資源依存からの脱却が出来ないことにある。ロシアは武力主義で必要以上に軍事予算を支出している。それは資源が豊富な国で、石油などを輸出して得たお金で賄っている。その間に産業を創出しようとしたができない。

 ロシアの人々はプーチンを支持する程度の知性ななのだ。だから資源依存を抜けることができない。その国の国民がその国を作る。日本人が日本を作っている。日本人が自民党政権を支持している。日本人が再生するためには日本人を自由で、活力のあるものに育てる。喜びをもって働くことのできる社会だ。

 人間は等しく同じ幸せに向かうほか無い。自由を尊重し、自分の人生を全うする。それが出来る日本を目指すことだ。人間が日本の一番の資産だと戦後良く言われていた。その戦後の日本人が高度経済成長を生んだ。いま日本人はどうして育てられるのだろうか。

 国は結局のところそこに住む人の活力である。日本人の暮らし方の問題だろう。肉体労働を嫌って働く人がいなくなる。その穴埋めに外国人労働者を受け入れようなどという国柄では、未来が危ういのは仕方がないことだろう。岸田さんは道徳のある経済を本気で目指してもらいたい。

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小田原の麦畑と玉ねぎとジャガイモ

2022-04-25 04:06:05 | あしがら農の会


 小田原に来た目的の一つが畑の管理。草取りや土寄せである。いつも充分に出来ないでお世話になりぱなしだった。今年は月一回は来て畑の管理をするつもりでいる。溜め池の草管理もやるつもりだ。1週間と短い期間だが、畑管理をできる限りしたいと考えている。

 タマネギは私のやり方がやはり舟原には向いている。植え付けてから3月までは穴あきトンネルをかける方式である。みんなのタマネギは生育が悪い。私のものは良く出来ている。他の人と違うのは穴あきトンネルを寒い間掛けていることだ。これはタマネギ栽培を試行錯誤して、これなら舟原でもできるという方法を見つけたものだ。

 舟原は冬の間、明星岳からの吹き下ろしの風が強くふく。これで表土が飛ばされる。植えた苗は活着できずにカラカラに乾いてしまう。それは石垣島のイネの活着が遅れるのと同じことだ。幾らタマネギは移植に強いと言っても風で干からびてしまう。

 だから、黒マルチよりも穴あきトンネルの方がいい。乾かない。保温になる。ただ早めに剥いだ方がいい。3月で良かったようだ。普通、タマネギには黒マルチを使う人が多い。草抑えと保温だろう。穴あき黒マルチはどうも嫌いだ。土壌と外気とを遮断する形が、土壌の条件を損なっているような気がして嫌なのだ。

 3月に穴あきトンネルは外した。そして草取りをした。一ヵ月にどれくらい草が出るかと思ったが、さしたることはない。4月にもう一度草取りをしたので、もう大丈夫だろう。タマネギは例年にない良さなので嬉しい。365個は取れるだろう。



 大麦の畑は今年は育ちが良い。3月の適時に2回目の草取りをして追肥をしたのが良かったのだと思う。良い時期に土寄せと草とり行えば、結局手間が楽になる。大麦は何もしないでいい状態だ。大きく伸びてしまえば、草取りは要らない事になる。何故か、カラスムギも、ネズミ麦もほとんど出ていない。頑張って取ってきた成果かもしれない。

 麦はビール作りが進まないので、自分たちで作る道を模索したい。もしそれが出来ないのであれば、また大麦は止めて小麦に戻す。そして小麦を粉にする機械を購入する。方向を今年は定めたい。このままでは継続が難しくなる。

 麦はいままでで一番良い。特に家の脇の畑の大麦は格別に良い。3月の様子以上に良くなっている。畑の土が良いことと、品種を二条大麦「サチホゴールデン」 にしたことが良かったようだ。それにしても総生寺裏の畑も過去にないほど良い。

 このまま行けばかなりの豊作になりそうだ。土壌が良くなってきたのは明らかである。やはり縦穴を掘ったことが土壌改善につながっているのだろう。大豆と相互に作っているのもいいようだ。大豆と麦の輪作はとても畑が良くなる。
 
 サチホゴールデンは暖地用の大麦である。昨年作付けた北海道の春大麦ではやはり気候があわない。同じようなものだという人がいるが、そんなことはない。北海道の春小麦を小田原で秋に蒔いたのでは、充分な生育にはならない。

 草もまだそれほどまだ生えていなかった。3月の草とりとソバカス撒き、土寄せが聞いている。適期にやるべきことをやれば畑は良くなる。草が生えないうちに大きくなってくれたのでもう大丈夫だ。何故か、カラスムギやネズミ麦が出ていない。苦労して取り尽くしてきた成果が出ている気がする。

 過去最高のできになりそうだ。かなりがっしりしているから、大丈夫そうに見えるが。後は実りすぎで倒れる心配だけだ。総生寺裏の大麦も、ムラ無く生長している。畑半分が昨年はだめだった。今年は全体が同じ生育になった。

 あちこちに穴を掘って畑の浸透性が改善された。草はそれなりにあったのだが。充分に手で除草が出来た。そして土寄せをした。これで第一段階はクリアーしたきがする。だいぶ麦の会も栽培手順が見えてきて、実力が上がった。

 大麦はなかなかビールにまで進まないが、あずまさんがビールを造るセットをよしみやさんから頂いたそうだ。ことしは是非一度挑戦したい。大麦は初期に鹿に食べられたようだが、その後しっかりと回復していた。大豆の会のみんなが、ネット張りをしてくれた。

 今年は小麦はやる予定が無かったのだが、小麦を蒔く時期に、渡部さんが舟原溜め池畑にソバカスを蒔いて、トラックターできれいに耕耘してくれていた。それを見て、空けておくよりは種を蒔いた方が良いと思い。急遽、小麦もやることにした。種が虫食いで心配と言うことだったが、しっかりと発芽していた。一安心である。

 こちらは3月にはまだ小麦は小さく、雑草は無かった。舟原の寒さのせいだろう。土寄せだけはしっかりと行った。4月になって草がいくらか目立つ。ここの草はよくとり、追肥をした。小麦がこれで収穫できるようなら、製粉機を買うつもりだ。

 小田原の家に置いておけば良い。それなら、小麦の会参加者がすこしづつ自分で製粉できるだろう。私も小田原で製粉して持ち帰れば良い。何か適当な製粉機を探さなければならない。共同購入が良いという話もあった。




 石垣島からくる参加者には畑の会は本当に有り難い。ジャガイモまでできるとは夢のようだ。まだまだのぼたん農園では野菜がとれるのは先になりそうだから、小田原で常備野菜は作らなくてはならない。ジャガイモもいくらか草は出ていた。

 寒かったせいか、生育は今一つである。草をとり土寄せをした。ジャガイモ畑全体を見ると、畑の土がまだ村があることがわかる。高くて削った場所は出来が悪い。やはり畑は繰り返し作り込まないと良くならない。ジャガイモは連作を嫌うというので場所を変えている。

 それぞれの植え付け場所はくじ引きで決まる。悪いところに当たった場合は、多めに肥料を入れる必要がある。高畝にした方がいいようだ。渡部さんの所は悪いところのはずなのに、実に良く出来ていた。

 

 溜池ではカキツバタにツボミが一つ付いていた。ずいぶん広がった、今年の秋には上の溜池の半分はカキツバタでおおわれるだろう。カキツバタが咲くころに来たいものだが、ちょっと時期を外したようだ。水が張られているので、雑草もかなり少ない。

 溜池の周りの草刈りは23日の午後急遽行った。予定した24日の午後が雨予報が出たためだ。やれる時にやってしまおうという事で、7名で一気に行った。1時間ぐらいで出来た。やれば早いのだが、やるまでが気が重い。誰かが重い気分を押しのけてくれればいい訳だ。

 溜池の中央の土手の水漏れ工事が成功した。上の溜池に十分水が溜まっている。やはり、この土手を作る時に私が提案した通りだった。1本の管を通せばいいだけのことだった。やはり経験のない人の設計案ではだめだったのだ。

 溜池は徐々に良い場所になってきたが、小田原市役所は看板を付けるとか、案内板を付けるとか言いながら、結局のところ何もしない。そういっていた人も今はその部署にいないし、結局誰かがひつこく管理する以外に、溜池の維持は出来ない。

 花を十分に咲かせて、美しい場所にすれば、さすがにごみを捨てに来る人は居ないだろう。その内に、舟原の住民の中に志を継いでくれる人が現れるかもしれない。私が来れる間に次に繋ぐことが出来ればと願っているのだが。
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第105回 水彩画 日曜展示

2022-04-24 03:53:36 | 水彩画
第105回 水彩画 日曜展示

大きさはすべて中判全紙。





715「のぼたん農園絵図」
中判全紙
2022.4







716「シーラ原」
中判全紙
2022.4








717「伊豆田子港」
中判全紙
2022.4







718「戸隠高原」
中判全紙
2022.4





719「シーラ原田んぼ」
中判全紙
2022.4






720「蘇我山の田んぼ」
中判全紙
2022.4







721「志賀高原別天地」
中判全紙
2022.4
+






722「岩礁」平戸
2022.4
中判全紙





723「蘇我山からの眺め」
中判全紙
2022.4







724「名蔵湾」
2022.4
中判全紙

 このところ、また中判全紙に戻って描いている。やはりこの大きさが一番絵を描いているという気がする。他の大きさもあるのだろうが、この大きさが一番掻きやすい。長沢節さんはこの大きさだけ描いていた。その気持ちが理解できる。

 水彩人をどこか意識しているところもあるのだろう。水彩人展にはその年描いた絵の中から、選んで出品する。水彩人展のために描くという事は特にはない。それなのに、出品する絵のことがどこか気になり、中盤全紙になる。

 水彩人展は絵の勉強のための集まりだから、自分が一番勉強になる絵を出す。水彩人展は一年一年の区切りのようなものである。仲間の絵と並べてみて、今自分がやっていることを確認するためのものだ。もう添いういう事が気になる時期になった。

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甲府盆地を描きに行く

2022-04-23 04:13:05 | 水彩画


 甲府盆地を描くことが今回の小田原行きの目的の一つである。もう少し長ければ余裕があるが、今回は短期間の1週間と言うことになる。のぼたん農園をそれ以上空けるわけにはいかない状況である。また5月にも田植えに来るつもりだ。

 いつも桃の季節には塩山を描いている。1年ごとに果樹栽培が広がっていて、最近は盆地の北側の境川の方も随分果樹が増えた。子供の頃は桑畑が多く、養蚕の地域だった。石だらけの農地で桑畑だから、今のような華やかさは無かった。

 今は様々な果樹畑が広がり、塩山から境川まで花の帯が途切れることが無い。甲府盆地の北側の丘陵地帯はリニアモーターカーが通過する。このことでずいぶん変わった。道が依然とはかなり違う場所を通るようになった。

 昔のことを思うと信じられないような場所に道が出来た。絵は描きやすくなったともいえるのだが、生まれた場所という空気は失われた。それは日本全国そうなのだから仕方がないが、私は今の景色を描くというより、昔の記憶の中の甲府盆地を描いている。


 この景色は大野寺の集落の上の方から、南アルプスを遠望している。この日は一日中見えた。見えていたからいいとも考えていない。どのみち見えなくても見えている。今見て参考にはするが、描いているのは記憶の方なのだと思う。

 中央に見えているのが甲府の街なのだが、子供のころには家はちらほら程度しか見えなかった。その少ない家の頃の記憶を描いている。周りの岡はすべて開墾され畑になっていた。麦とサツマイモだった。耕作された丘陵の美しさは目に焼き付いている。

 もう少し右には八ヶ岳が見える。この美しい山々を風景の屏風として、見ながら育ったのだ。高い場所から見下ろすような空間が、いつの間にか自分の風景の見方になっていた。それは上から見下ろすという偉そうなものではなく、街へのあこがれの視線だったと思う。

 左には坊ケ峰が見えている。私の生まれた藤垈から見ると坊ケ峰が中央に来る。そして正面には甲武信岳が見える。坊ケ峰はすべてが畑だった。そのパッチワークの様な区画が、目に焼き付いている。どこで畑を描いてもあの姿を描いている。畑でない場所でも思い出して描いている。

 左側に南アルプスになる。いずれにしても盆地の中央に甲府の街が見える。甲府盆地はいつも霧が溜まってゆく。直接見ているというより、別世界を見ているかのようだった。湖のように雲が溜まっていた。藤垈は標高350メートルあるので、霞んだ湖の上にあった。



 塩山桃源郷である。桃の花は終わりごろで一面の桃色の海という事はなかった。新緑になりむしろ緑が美しかった。緑の多様な輝きを描いた。描けたとまでは言えないが、爽快な気分だった。足元に緑の輝きと、遠くの山の緑の深さ。どう描いたのだろうか。

 絵を描くという作業は終わりがない。進んでいるのか後退しているのかもわからないが、始めればすぐ描くことに熱中できる。同じ場所を繰り返し描いているのに、飽きるという事は全くない。今は前には難しいから避けたことをさけないで描いているような気がする。

 難しいというのは絵にすることに困難が伴うという事なのだが、別段絵にならないでもよくなったので、何でもやりたいことはやる。これで楽になった。例えば田んぼの水面の底の田面が見えていたら、それを描きたくなる。どう描いたらいいかもわからないが、分からないままに描く。

 描ける範囲が広がったのかもしれない。絵にならなくても平気になったともいえる。絵にするとか、ダメにしない様にとかいう事は、全くどうでもよくなった。こうだなと思いついたことをそのままやってみる。それで十分なことだと思う。



 地面というものが面白い。以前は難しすぎて描く気も起らなかった。それは上手に描かなければという思いがあったからだろう。今はともかく描きたいようにかく。それだけなので、思いついたら描く。描いていてあああやっぱり違うと思う事も多いいのだが、それでいいという事になる。

 違うのだけれども、発見もある。次への道が開けるかもしれない。地面の下をユンボで毎日掘っていたから、地面を見る目が変わったのかもしれない。地中の世界がかなり身近になった。未知の世界である。表面を描くとしてもその下にあるものも見てはいる。

 絵を描く目が見ているものは、視覚的なものだけではない。視覚的に見えている物はきっかけに過ぎない。むしろ絵を描くという事で、その見ている自分の方を描いている。なぜそこをそう見るのかという事を考えている。そのことを解明できないと絵は描けない。

 絵を描くという事は確かに明確になってきた。何を書けばいいのかというようなことはまだわからないが、絵を描く方角は明確になった。一年目は覚えて二年目は忘れる。3年目は正しい動き。絵は覚えるのにそれは長くかかった。

 絵を描く技術はいまだ到達していない。そして最近絵を忘れかけていることがわかる。つまり人の絵が介在しなくなってきた。まだ忘れる過程である。正しい絵という事は、どういう事になるのか。これから正しい絵が現れるとも思えない。

 形から入るという事は絵ではない。だから、正しい絵を探るという事はあり得ない。すべてがやることが正しいともいえるし、すべては間違っているともいえる。絵の深みにはまり込んでいる。自分というものが見つからない限り、正しい絵はないという事なのだろう。

 自分を確立するために、自分というものを明確にするために絵を描くという事がある。絵を描くという事は修行法であって、修行の証のようなものなのかもしれない。回峰行には終わりがあるが、絵を描くという道にはどうも終わりはないようだ。

 今回小田原で描いた絵は来週の日曜展示にまとめて出そうかと思う。連番から言うと割り込む形になるが、なんとなく早く展示した方がいい気がしている。
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コロナのミンク養殖との関連

2022-04-22 04:12:37 | Peace Cafe


 動物から人に新型コロナウイルスが感染した例が相次いで報告されている。香港でハムスター、カナダで野生のオジロジカからの感染例があり、既知のミンクと合わせて3種の動物へ。人から動物への感染は現在20種で見つかっている。

 コロナウイルスが発生したときに、書いたことだがコロナウイルスの出現は山の奥にいるコウモリからでも、武漢の研究所からの流出でも無く、ミンクの養殖場からの流出では無いかと推測した。それは今でもそう思っている。それほどミンク養殖は危険なものだ。

 何故かそういう意見はどこからも出てこない。恐ろしすぎる推測だから、出てこないのだろうか。ミンクの養殖場は劣悪な環境である。毛皮を採るためのものだから、エサや薬剤の安全性が軽視されている。日本の北海道で行われているものを映像で見たことがあるが、いつでも病気が出るひどいものだった。今は無くなっている。

 中国のミンク養殖場の実態は知らない。実態は知らないが、想像しがたいほどの巨大なミンク工場で生産されていると思われる。デンマークで1700万匹のミンクが殺処分の対象 になった。中国ではどうなのだろうか。

 秘密裏に殺処分が行われているのだろうか。そんなことは無い、人目に触れないように、競争相手が殺処分しているとすれば、今こそ儲かるときだとばかりに、規模拡大をしているに違いない。儲かると言うこと以上に大切なことなど無い国柄。

 日本に輸入されているミンクはほぼ中国産である。たぶん世界一のミンク毛皮の生産国が中国と思われる。ヨーロッパでのミンク生産はコロナパンディミックで全頭淘汰が行われた。中国も飼育を制限したとも言われているが、実態としては高騰したミンク毛皮は中国の独壇場になっているらしい。

 もしかしたら、極東ロシアにもミンク工場があるのかも知れない。何しろ、最高の毛皮はウスリー地方の野生種のテンということだ。世界の動物愛護の流れから、批判の矛先になっているミンク工場だから、その実態は分からないようになっている。

 人目に触れないような工場の中で劣悪な環境に、何10万匹のミンクが密飼いされていることだろう。場合によっては百万匹かも知れない。そうした動物工場の中で感染の連鎖が起きないはずが無い。工場の中では大量の化学物質が使われていることだろう。病気が起きないための予防薬もきついものを使うだろう。肉を食べるわけでは無いから、制限無く使われる。

 もしここで感染の連鎖が始まれば、人間にも感染する病原菌や、ウイルスの出現も容易に予測できる。鳥インフルエンザの流行は大規模畜産業に原因があると指摘した事と同じだ。動物を何万匹も密飼いすることは、新しい病気を作ることになる。

 インフルエンザには豚と鶏が関与している。コロナにはミンクが関与したと考えても不思議は無い。狂牛病もそうだったが、家畜の飼い方が恐ろしい病気を生み出す。ところがそれでも人間は肉食に傾いてゆく。人間の欲望に従い、産業は形成される。

 カナダのマニトバ大学などは2月、カナダ中東部などに生息する野生のオジロジカ約300頭のコロナウイルスの分析結果を報告した。採取した検体を調べると17頭から人で見つかっていないコロナ変異ウイルスが見つかった。コロナは随分幅広い感染をするウイルスだ。

 シカと触れる機会のあった1人から非常に似たウイルスが見つかったという。遺伝子の変異した場所から、「シカから感染した可能性が高い」と結論づけられた。人間の中での変異株が野生動物も脅かしているのかも知れない。動物はコロナで死ぬことは無いのか。だとすると、さらに新しい変異を起すと言うことになる。

 ウイルスは動物から人間は感染する。そして、人間からも動物は感染する。当然のことで、今回人間の中で、何億回もの感染の連鎖が起きている。そして様々な変異株が出現している。それは動物の中でも同じことである。感染しても元気な動物がミンクである。何が起こるか考えるだけでも怖い。

 コウモリからミンク工場のミンクに感染することがあるのかも知れない。それがミンク工場の中で、コロナ感染の連鎖が起きたならば何かが起こるか。人間に感染しやすい変異株が出現する可能性は高い。ミンクは感染しても死ぬことは無いらしいので、すさまじい感染の連鎖が起きているはずだ。

 人が触れることの無い人跡未踏の地の野生動物よりも、疑わしいのは動物工場では無いか。未開の地に危険なウイルスがいるとの決めつけは危険では無いか。あらゆる可能性を考えて次のウイルスの出現にそなえな蹴ればならない。

 世界保健機関は武漢の市場を視察しながら、中国のミンク工場は行かない。何故だろうか。問題が大規模畜産に及ぶことを誰かが制限しているのだろうか。あるいはそこまで頭が回らないのだろうか。デンマークでミンク工場が閉鎖されたぐらいだ。中国の現状を把握できるのは世界保健機構ぐらいだ。

 あるいは大規模畜産から新しい感染症が起きると言うことは考えれないことなのか。その根拠があるのであれば、世界保健機関は科学的理由を説明すべきだ。鳥インフルエンザの時にも、ネズミやゴキブリを介しての感染が疑われた。小さな自然養鶏では感染が起きていない。そのことはどう考えれば良いのだろうか。

 人類は平温に暮らしたいのであれば、大規模畜産を止めなければならない。先ずは毛皮の大規模飼育は禁止する。人間が生きるということは、動物を殺して生きている。きれい事では無い。あくまで妥協の産物である。菜食主義に成れとも思わない。

 肉は特別なごちそうとしていただくものであればそれでいい。ミンクの毛皮など、何世代にもわたって、受け継がれるようなものだ。大量生産して消耗し、消費されるものであっては成らない。命を頂くと言うことは特別な範囲のことにした方が良い。

 コロナは人間が暮らし方を変える方角を示している。人間が生き残るためにはこのままではいけないと言うことだ。気候変動、感染症パンディミック、侵略戦争。競争主義の結果である。拝金主義の結果である。わかりきったことだ。

 畜産を禁止する必要は無い。大規模畜産を禁止する。卵は1個230円ぐらいになる。おご馳走になる。肉は月に一回。ウナギは年に1回。コリンスキーの筆は生涯3本まで。困った。ミンクの尾の毛は切り取って、また生えてきたら切り取らせて貰う。羊と同じだ。殺してはならないと言うルールを作るのはわるくない。

 
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小田原の苗代作り

2022-04-21 04:09:48 | あしがら農の会


 写真は苗代が穴あきトンネル。その左側に直播の水田。全体で2畝ほどである。品種はハルミ。気温は12度から、20度ぐらい。種籾は2週間川に下してあったもの。4月20日播種。

 
 小田原の苗代作りが始まった。20日に柿の下の種まきを行った。準備に行けないで、申し訳ない状況なのだが、今年は石垣島で成功した直播き栽培を小田原でも進めてみたいと考えている。2か所でやることで、見えてくることが多いいからだ。

  石垣ではまず充分に代掻きをする必要があった。十分に代掻きがしてないと、水の微妙な調整が出来ないからである。苗床の水管理と同じで、種籾を播いてから、2週間の間の水管理は良い苗を作るための最も重要な要素になるからだ。

 種の発芽には稲の種の性質を見極める必要がある。イネの種は酸素を必要とし、水分を必要とする。それが、発芽前後で微妙に変わる。種籾は最初に水に浸けられた時に水を含み始める。種籾は十二分に水分を吸い込む必要がある。水分量で言えば、140%~150%ぐらいになるのだろう。

 そして積算温度が100度になると発芽を始めると言われているが、これは様々書かれていることだが、実際にはその通りにはならない。例えば、12度の流れる川の水に浸けて置いた場合と、12度のプールの水に浸けて置いた場合では大きく違う。

 毎日温度の変化する水であれば、種籾はその年年で積算温度が変わる。品種によってもまた違う。今年も3週類の種籾を同じ条件の場所に付けておいたが、全く発芽の様子が違っている。実際の栽培では毎日こまめに確認をする以外にない。

 直播では鳩胸状態よりもさらに芽の出た状態で撒いた方がいい。鳩胸状態は機械まきの時に芽を痛めない状態をいうのであろうが、苗代や田んぼに直播するのであれば、もう少し芽が伸びていた方がいい。芽さえおらなければむしろ早く発芽が揃い望ましい。

 そして、直播の田んぼに蒔かれた種籾は、酸素が供給されるように田面に乗っかっている必要がある。だから田んぼには水が残っていない方がいい。理想的には水は十分にあるが、水がないという土壌の状態で、表面に蒔くのが良い。

 そして蒔いた後発芽までの1週間は、種籾に水やりをしなければならない。田んぼにゆっくりと水を入れて、全体に回ったところで、水を落としてしまう。種籾はぬれていて水没していない状態が良いからである。

 ただし以上の条件は厳密に言えばそこを目指すという事になるが、実際上は水没していたとしても発芽が上手く行くことも多い。又乾いていてもそれなりに発芽することもある。

 もう一つ問題になるのが、種籾を流してしまうほどの強い雨である。石垣島では種もみをまいた後、強い雨で種籾が流れてしまった。田んぼの土が良く出来ていて、べとついて居る状態であれば、普通程度の雨であれば大丈夫だ。

 田んぼに上手く浅く水を入れるためには平らで、水持ちがある程度良くなければ良い発芽にならない。柿の下では代掻きが難しい田んぼなので、トンボでの均しがかなり必要なはずだったと思われる。

 19日小田原の田んぼをバスから見ると、実にきれいにならされていた。夕方6時半だから、かろうじて見えたのだ。バスの中で思わず万歳を叫んだ。いや心の中で叫んだ。みんな頑張って苗代を作ってくれた。平らでないと直播は難しいという事を実践してくれている。

 今回もし小田原で成功すれば、直播という新しい稲作の省力化した方法の一歩前進になる。こうした新しい試みを、一緒になって挑戦してくれる仲間がいる。そのおかげで、稲作の技術が進歩してきたのだと思う。失敗するかもしれないことに挑戦しなければ、技術開発は出来ない。

 朝まだ水が溜まっていた。早く水を抜いておけばよかったのに、私は見たのに水を抜かなかった。うっかりした。朝も見ていたのに、そのままにしていた。なんとなく、せっかくきれいに準備してくれたものを勝手に触ることに抵抗があった。

 水を抜きながらの作業になった。苗代は2本合計22メートルぐらい。幅90センチ。穴あきビニールを被せる。70g播種を目指して播いた。計量してあるのだが、蒔いて見ると何故か見る眼では種籾がとても多かった。それで不安になり、計算し直してみるが、よく分からないので、播種量を減らしたところと、予定通りの所とを作った。

 10時から始めた種まきは、11時半に終わったのだが、まだ田んぼに水があるので、直播の部分は午後1時からやることにした。もう少し水を落としたかった。午後には線が引けるギリギリ水が無くなったので、線をひき種をまいた。

 30㎝角の線の交わった部分に種籾を3粒ずつ播いた。と言っても手が濡れているので、なかなか3粒にならないし、線の交点は弾いた時に深く溝が出来ているので、むしろ四角の真ん中に蒔いた方がいいかと思えた。足跡を均して播かなければならないのだが、その時手が泥で汚れて、実に蒔きにくくなる。

 それでも3時には播き終わる。播いた後に、梱包紐を1メートルごとに張る。バタバタして鳥が来ない。石垣島ではこれで良かったのだが、果たして、小田原ではどうなるか。これもやってみなければわからない。スズメがどう反応するかである。

 4人で作業したのだが、上手く手分けして作業が進み、さすがになれた仲間なので効率よく進んだ。共同作業の良さを改めて認識した。みんながいろいろのことに気づくので、充実した内容になって、次やる時の参考が様々えられた。

 誰が指示をするという事もなく、良い流れで進んだ。発芽まで1週間である。天候次第であるが、帰るまでに発芽してくれるだろうか。水管理を東さんにわかることをすべて伝えたい。苗代の水管理は難しいし、大切な作業である。
 
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ロシアは何故歪んでしまったか。

2022-04-20 04:51:32 | Peace Cafe


 ロシア軍がウクライナの民間人の虐殺を行ったと、キーウからロシア軍が逃げた後、世界の報道機関やウクライナ政府からの緊急報告が始まった。ロシアはそれをフェークニュースだと国家として表明している。ウクライナのロシアを陥れるために死体の演技だと主張している。

 そして大半のロシア国民はその政府の発表を信じているようだ。ロシアだけでは無い。中国も公式にフェースニュースとしている。ごまかしきれるとでも言っているのだろうか。戦争に対して偏見無くまともに想像力を働かせば真実が見えてくる。

 一体何が真実なのだろうかと、疑問に感じる人も居るかもしれない。まさかロシアという一応は国の体裁を整えた大きな国が、虐殺までするはずがない。すぐばれるような嘘をつくはずが無い。これは情報戦争に過ぎないと考える人も居るだろう。

 どうすれば実際に起きたことの真実が見えるかである。人間は常日頃から、その目を養わなければならない。そもそも、ロシアの戦争を止められるのは中国の仲介だけだと、いかにも中国に期待する見解も出した評論家と称する人も居た。

 中国は漁夫の利を得るのだから、ロシアを静止するようなことは間違っても無いとみた。そして、その通りの結果が今でている。中国がどのような価値観で動いてきたかを考えれば、即座に分かることだ。中国は自分の得がどこにあるかで動いて行く。損になるのであれば、ロシアも切り捨てる。情などみじんも無い。

 先を読むためには個々の事象にとらわれず、大きな流れを見ることである。プーチンは長い周到な準備の元に、ウクライナに侵略をした。まさかと思っていたが、今になってみれば考えた末の行動なのだ。ウクライナ周辺にロシア軍を集結したとき、アメリカはロシアがウクライナに侵攻するのは間近だと報道していた。

 その時点ではまだ世界中の大半の人と私は、まさかロシアがこの時代に戦争行為を、根拠無く始めるとまでが思わなかった。たぶん何らかの偽装をして根拠を作ると思えた。ウクライナが攻撃してきたとか。アメリカのように大量破壊兵器を製造しているとか主張をして行うと思った。

 しかし、実際には何の偽装も無いままに、ウクライナに軍事侵攻をした。現状を見ると、すべてが繋がっていることが見えてくる。ロシアが侵略戦争を始めると言うことは、今になればあの時点で分からなければならなかった。ロシア政府は、そしてロシア国民は侵略戦争を自分の正義のために行っていると大義名分を持っているつもりなのだ。この思い込みが恐ろしい。ロシアは滅ぼされると本気で思っていたのだ。北朝鮮と同じだったのだ。

 プーチンが北京オリンピックの開会式に出席して、習近平と会談した。この時に、オリンピックが終わった時点でウクライナ侵攻を始めると言うことを伝えたのだ。ロシアは習近平の支持を取り付けたからこそ、ウクライナ侵攻を開始したのだ。そう考えるほか無い。国家として参加が禁止されたロシアの大統領がオリンピックに顔をなぜ出せたのかを考えれば分かる。

 この時点で、中ロ対西欧諸国の対立軸が固まっていたのだ。日本の政治家でそのことを指摘した人は居なかったと思う。慶応のロシアを専門としている学者がテレビでロシアの侵攻は無いと断言したことが印象的だった。東大のロシア外交の学者は数日でキーウは陥落すると言っていた。日本の専門家と称する人の情報のレベルは低い。これは平和国家として非常にまずい。

 そして、ロシアは予想よりもはるかに弱かった。たちまちに陥落するだろうといわれていたし、そう思えた。ロシア軍はウクライナ軍に押し返された。その時に起きたことが、ウクライナ市民の虐殺である。崩れかかる軍隊に起きた恐怖からの残虐行為である。負け戦の撤退作戦のしんがりほど難しいものはないといわれている。

 全体の流れから考えれば、ロシア軍が虐殺行為をすることはあり得ることなのだ。そういう指令が上層部から出たとまでは言えないだろうが、崩れかけて引き上げを始めた軍隊のなかでは起きるかも知れない事と言える。戦争に敗れて退却するという時の感情はそういうことだろう。

 ここまで考えれば、ロシアがウクライナ市民を虐殺したことはフェークニュースでは無いことが分かる。中国がこの事件が世界の調査でロシアの虐殺であると決定されたときに、ロシアを支持を表明できるかである。

 それでも中国は虐殺行為に目をつぶり、ごまかし、ロシア支持を続けるはずである。それが中国の利益にかなうからだ。それが中国自身がウイグルや香港でやっていることだ。目的のためには手段を選ぶ必要が無い国なのだ。

 中国はロシアと結びつき、新しい枠組みの中心となり、覇権主義を強化するだろう。世界は悪い方向へ一歩前進したとみなければならない。見たわけではない。想像力だけで書いている。いつもそうであるが、予測が外れたほうが良いのだが外れることは無いだろう。

 では台湾併合はどうなるのか。当面は遠のいたとみている。ロシアが侵略戦争に成功すれば、勢いづいて、台湾への軍事攻撃が現実化する可能性が高まった。ところが、世界は一致団結して、ロシアへの経済制裁を強めた。しかし尖閣攻撃の可能性はむしろ高まったかも知れない。

 尖閣は国境紛争だからだ。しかも軍事作戦としてはそう難しいことではない。そうなる前に国境画定を中国と行うべきだ領土問題程度で、戦争になっては成らない。人が死ぬくらいならば、尖閣を中国にして貰った方がはるかに良い。

 もし中国が台湾を攻撃すれば、世界はさらに団結を強めて、中国へ経済制裁で当たることになるだろう。中国は欧米や日本がここまで大きな損をしてまでウクライナを支持するとは思えなかったはずだ。そういう感覚が中国人には無いと思われるからだ。

 世界は正義のためにそれぞれの犠牲を払う決意をした。日本も経済的な損益を被るだろうが、さすがにウクライナで行われた侵略戦争を見て見ぬ振りは出来ない。それが民主主義の良さである。日本人の大半の人がそう考えているから、日本政府もそう動くことになる。

 台湾と中国は海を挟んでいる。ウクライナをロシア軍が攻撃を仕掛けるより、はるかに困難な戦争になる。そこに住民がいるからだ。しかも、周辺諸国が中国と連携するような状況でも無い。カンボジアやミャンマーも中国と同調し、台湾攻撃を支援をすることはでききないだろう。

 今回のウクライナの戦争で分かったことは制空権が大きな問題になる。中国空軍が台湾の空爆を行うようなことは今のところ出来ない。先ずはミサイル基地に対するミサイル攻撃と言うことだろう。ミサイル攻撃が始まれば、西側諸国はウクライナで行ったように、最先端の兵器を供与することになるだろう。

 中国としては台湾へ何百万人の軍事侵攻して制圧しない限り、台湾を併合することは出来ない。海を越えてそれほどの軍事侵攻するとなると極めて困難なことになる。これは中国政府もロシアのウクライナ侵略で学んだことになる。それほど成功する可能性の高くない軍事侵攻を中国が行うとは考えられないだろう。

 ウクライナは防衛的武器だけで、キーウを守った。このことも今回の戦争から学んだことだ。すべてが敵という侵略戦争を行うと言うことは、大きな困難が伴うと言うことだ。親ロシア派がいる地域ではウクライナが苦戦している。日本も防衛的武力に限定して装備すれば良いと言うことになる。

 なまじ敵基地攻撃能力を持とうとすれば、先制攻撃を受ける危険がむしろ増す。中途半端な武力しか持てない国日本は、徹底した防衛的装備に限定するべきだ。特に海から上陸してくる軍に対してどう防衛するかを研究し準備すべきだろう。
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八段錦、眼を閉じて爪先立ち姿勢を6分

2022-04-19 04:01:48 | 暮らし


 続けて朝の動禅のことを書いてみる。自己確認である。参考になるようなことでは無いかもしれない。そんなことを書くなと言われそうだが、70歳になって始めた人間が、どんな状態で続けているかと言うことの参考ぐらいには成るかもしれない。

 八段錦の最後の8段は爪先立ちである。慢性病に効果があると能書きがある。足の指辺りにあるツボの刺激だと思う。一般にはどのくらい爪先立ちをしているのかは知らないのだが、今私の場合は100数える間を一回として、三回である。一回2分ぐらいだろうから、合計6分間目をつぶっての爪先立ちだ。さらに目標としては長くしても良いかもしれない。

 目つぶり爪先立ちは気持ちが整う、8段錦の最後をしめるものだ。そのうち、200ぐらいまで伸ばせるかも知れない。何が良いかというと、意識というものの存りどころというか、置き所が確認できる。よほど集中して気持ちを集めなければふらついてしまう。

 意識が脳の中にある間は、ぐらぐらして続かない。考え事などしていれば、たちまちに揺らいで倒れてしまう。身体の中心に感覚を集めてゆくと、揺れが少なくなる。気持ちに乱れが無ければ、長く爪先立ちが続けられる。時には気持ちが集中して、微動だにしないことにも成る。今のところ、10日に一回ぐらいのものだ。

 足の指だけで立つ姿勢ということで、足指マッサージのような効果が生まれる。足の指の付け根はすべての身体の部位に通じている。中国伝統医学ではそういうことが言われている。その足の指の付け根だけで長時間爪先立ちをすると、身体の中の流れが活性化することになる。そして慢性病の効果。

 初めは爪先立ちをして目をつぶればそれだけでふらつく。エベレストの頂上にいるような気持ちでやっているので、心理的にはかなり怖いものだ。ふらつかないで続ける為には、意識を自分の中に集中してゆく置き所が重要になる。身体は肩の力を抜き、私の場合は身体の中心付近に意識を集中する。

 身体の中心辺りのどこが安定をするかは人によって異なるのかも知れない。自分で確かめながら徐々に探るほか無い。良く丹田と言われるが,丹田は具体的な場所ではないので、そんなところかも知れない。ともかく安定して爪先立ちが出来れば、場所は臍でも肛門でも良いことだ。人によっては立っている足の指当たりなのかも知れない。

 私のやることは乞食禅だから、結果次第なのだ。摩訶不思議なことは排除する。1分できるより、2分できる方が気持ちの集中が深くなったと考える。よほど意識の置き所が安定しなければ、目をつぶる爪先立ちを1分でも出来ないだろう。2分できるようになれば、意識というものが、どことなく分かるようになる。

 足の袋はぎの筋肉は別段鍛えては無いが、この程度なら大丈夫だろう。それほど筋肉を使って立つものでもない。体操の選手が制止三秒とか言うが、あの制止を1分行うというようなものだ。簡単な爪先立ちの姿勢だから、三秒なら誰にでも出来る。

 ただこれが1分となると意識を上手く操作しなければ、ふらついてしまう。意識を脳から別の所に置く訓練である。脳で考え事をしていれば、眼を閉じた爪先立ちは出来ない。目を使いバランスをとれば出来るわけだが、目を使わないところが味噌だ。意識を身体の中心に置くことを毎日繰り返している内に、意識を脳以外に集中する事ができるようになる。

 脳では無い場所への意識集中の訓練の程度を計るためには、爪先立ちの揺れと安定時間が材料になる。つまり、脳では無い場所では考えることは出来ない。人間肛門では考えることは出来ない。臍はお茶を沸かすぐらいしか出来ない。頭脳は考えるぐらいしか出来ない。

 本当の静止姿勢は座禅でも立禅でもかまわない。爪先立ちで集中が生まれてくると、立禅でも同じ心境で立っていられるようになる。しかし、まだまだ未熟なために十分なところに行けない。すぐ雑念がわいてくる。それは雑念がわいても、立禅では立っていられるからだ。雑念がわいても転ばないから良くない。

 これが座禅となるとさらに難しいものになる。1時間も無念無想でいるなど、普通の人間には出来ない。私は普通以下だから雑念だらけだった。それが爪先立ちから訓練を積めば、10年ぐらいすれば可能になるかも知れない。人間は努力すれば、変わることが出来る。

 私のような者でも出来る禅は背伸び禅の姿勢かも知れない。何でも背伸びする人間としてはそんなものかも知れない。眼を閉じた爪先立ちには、もう一つの要素がある。それは呼吸である。お腹から短く呼吸を続ける。そうしなければ続かないのだ。体幹を意識して、体幹で立つ。

 八段錦はすべえて呼吸法の動きである。一段ごとに、呼吸を高める違った動きが伴っている。八段錦を日々行えば複式呼吸が深くなる。心肺機能が鍛錬される。例えば六段錦には前段で手を片手ずつ三回挙げる動きがある。この時に、左手をまず上げるのだが、口を閉じて息を吸う。続けて右手を上げながら口を開いて息をさらに吸う。

 そうするともう吸えなかった息を吸うことが出来る。次に呼気である。左手を上げながら口を閉じて息を吐く、吐ききったならば今度は右手を上げて、さらに息を吐く。もう息を吐ききったと思っても口を開けて強く吐けばいくらか吐けるものだ。

 こんなことは本来の八段錦では行わないのだろう。できるだけ口は閉じて鼻からの呼吸と言われている。何故こんなことをするかと言えば、呼吸の力を鍛えるためである。呼吸は肺がしているように思うが、そうではない、呼吸筋肉が行っている。肺は酸素の採り入れなどの機能をつかさどるだけだ。

 肺は心臓のように筋肉を伴う機関では無い。呼吸をしているのは呼吸のための筋肉である以上使わなければ衰える。そして、何歳になったとしても筋肉は鍛えれば強くなる。呼吸は筋肉体操で強く出来るのだ。私のように気の弱いものにも、心臓を強くする体操があれば良いのだが、残念ながない。

 人間は無意識に呼吸をしているようだが、心臓の血液循環とは異なり、呼吸は意識によっても行える。極端に言えば、呼吸をしないという意識して、死に至ることまで訓練によっては出来るはずである。呼吸は鍛錬が必要なものなのだ。

 呼吸は年齢と共に衰える。足腰の筋肉が衰えることと何ら変わりが無い。足腰が弱れば、人間の活力は一気に落ちる。足腰の筋力は運動によって鍛えられる。日ごろの生活の中に身体を動かす活動は、意識をして行ってゆく必要がある。足腰と動揺に人間は年齢と共に呼吸筋が弱まり、呼吸が浅くなる。

 呼吸を意識して深める体操が八段錦である。その意識で八段錦すべてを呼吸を高める動きに、自分流に直した。これで大分肺活量が増えた。年齢と共に衰えるはずの肺活量がいくらか増えたようだ。測定器が無いので測定は出来ていない。一度測定をしなければいけない。

 八段錦八段目の爪先立ちは眼を閉じて長く行う。呼吸と意識の置き所を探る運動である。それによって禅の心境を感じる、羅針盤になる。爪先立ち体操が8段目の最後にある所以であろう。

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太極拳10年計画三年目

2022-04-18 04:02:12 | 暮らし

 太極拳は70歳の時に始めた。惚け防止には太極拳がピンポンの次に良いと言うことをテレビで見たからである。死ぬまで毎朝やるつもりで始めた。たぶんやれる内はボケないはずだ。最初の一年で何とか覚えた。覚える能力は残念ながらかなり人より劣るので、覚えることが出来るかとが不安であった。

 一年間毎朝行っている内にいつの間にか覚えていた。ボケてはいないようだ。それならと思い二年目は眼を閉じて行い、忘れるように努力をした。忘れても出来るようになる努力をした。1年かけて何とか忘れている。忘れる方は別段心配はしなかったが。

 今は忘れたので、思い出してやるようなことは無くなった。忘れたというのは無意識でも出来るようになったと言うことだ。よく間違えるが、それはまったくかまわない。間違えたことも無視できるようにやっている。歩いていてもつまずくことはある。つまずいたからといって気にすることはない。

 では、三年目は何を目標に行うかと考えてみた。迷ったが「正しい動き」を目指すことにした。太極拳というか、私の動禅は10年で目標を達するつもりでやることにした。80歳の時に境地に達する目標である。少しも変わっていないのか、いくらか人間が変わっているか。絵を見れば分かる。

 1年ごとにその年の課題を設けることにした。課題があると案外に課題を解決できる。漫然とやるより何かその年度の目標を一つを決めて、その一年はやり続けたい。三年目は正しい動きの達成を目標にした。

 1年目も、2年目も、目標を決めたときには無理かなと思える。それでもやる内に変わる。出来そうに無いことでもできている。正しい動きと言っても眼を閉じて行うので、足を上げる動きはまったく出来ない。10数えるくらい足を上げて、静止したいと思うのだがほど遠いい状態だ。

 まだ10年目にいたる残りの課題は見えてこないが、10年目には無念無想で行うと言うことが目標なのかと思う。そこにまで進むための10の課題である。一が覚えること。二が忘れること。三が正しく動くこと。

 動禅の正しい動きとはどのような動きであろうか。正しい動きを1年かけて探り当てようというものであるが、今課題としているのは、できる限りゆっくりした動きである。動きは遅いほど気持ちが籠ってゆく。正しい動きはかなりゆっくりした動きではないかと思う。普通行われている大挙拳の倍以上時間がかかる。動禅としてやるからである。

 速い動きになるとスポーツのようである。これは中国の太極拳を見て、反面教師として得た考えである。中国人はお金にならないことはやらない。まるで見世物のような感じである。舞踊な形で指導の教室で利益を上げているので、より目立つものになるのではないか。

 中国の太極拳はオリンピック種目にしようというような、方向で考えている。それとは対極的に違う。本来の太極拳は勝ち負けがあるようなものとは一番遠いところにあるものだ。人と競べないためのものだ。それぞれの人が到達すれば良いだけのことだ。正しい動きをできる限りゆっくりと行う。

 動禅は精神修養の道かと思う。日々不安の中に生きている。いかにも図々しいような私でも、日々人様に迷惑をかけていないか。不愉快な思いをさせていないかと、気持ちが不安で溢れる毎日である。楽観とはほど遠い精神状態なので楽観を目指している。

 そこで動禅を毎日行うことで、このままで生きても良いのだという楽観の確信をめざしている。その修養に通ずる正しい動きである。まずゆっくりとした気持ちが籠る動きではないかと思っている。日本の太極拳も私から見ると動きが大分速い。

 23分と楊先生は言われていたと聞いているが、今ユチューブに出ているものは20分以下だろう。中には10分で終わるようなものまである。これは中国太極拳の影響かも知れない。クラシックバレーのような太極拳である。舞いとしては美しいものかも知れないが、動きに籠るような精神世界とは違う。

 クラシックバレーの動きも確かに美しい。ある意味人間の究極の美の動きを求めているのかも知れない。しかし、能や琉球古典舞踊の中にある。動きに精神を込めるような世界観とは違う。正しい動禅の動きは能の動きから導き出したいと考えている。

 正しい動きは重心の移動にあると考えている。重心はかなり低いのだと思う。低い重心をゆっくりとぶらさず移動させる。低い重心を続けることはかなり体幹が強くならないと出来ない。少しずつ体幹を強くして、重心を下げたい。

 動禅としての正しい動きを三年目の1年間の目標にする。正しい動きを探す1年である。正しいと思う動きを目指していると、いつの間にか教えて貰ったものとは違うものになってくる。教えて貰った動きはその人の正しい動きであって、私にとっての正しい動きでは無い。

 過去にある形は確かに参考には成る。参考はあくまで参考にして、自分の正しい動きにまで、持って行きたい。8段錦についてはほぼ自分の形になってきた。太極拳はまだまだである。目を閉じて行う太極拳はあくまで課程である。いつかは半眼でやりたい。

 半眼とは眼に視覚はあるが、見ていない状態。そこまで行けば眼を閉じないでも良い。今は閉じることで集中が深まる。眼を開いていると、視覚が動きを助けてしまう。視覚に頼らない動きの方が良い。目に頼らなくなるまでは眼は閉じて行う。

 半眼で絵を描くという事に繋がる。絵は確かに視覚で描いているものだ。しかし見ているものを写すものだとは考えていない。絵画での見るは、観るである。本質を見抜くと言うことで、表面性の奥にあるものを観なければ、絵画での見たことには成らない。

 絵画は人間の哲学の表現なのだ。作者の思想や感性に出会えるから興味深い。確かにそういう絵画は現代には滅多に無いから、絵を見る能力も育たない。描くのも一筋縄では無いが、絵画を見るのも簡単ではない。10年前の人の絵の理解はぜんぶ間違えだと謝りたいぐらいだ。

 あと8年して自分の太極拳に至っているだろうか。80歳の時にボケていないだろうか。継続だけは出来る性格なので、続いているとは思う。たぶん10年目の目標の無念無想の太極拳には至っていないことは、なんとなく想像できるのが情けない。
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第104回 水彩画 日曜展示

2022-04-17 04:07:21 | 水彩画
第104回 水彩画 日曜展示

大判ハガキサイズ





708「溜め池」
2022.4







709「ハイビスカス」
2022.4






710「石垣の海」
2022.4






711「のぼたん農園」
2022.4







712「のぼたん農園」
2022.4






713「こかげ」
2022.4






714「石垣の海」
2022.4


 しばらく描いていた小さい繪は今回が最後になる。来週からは中判全紙に戻る。小さい繪は水彩らしく描くことが出来る。小さい繪は発表することは無かった。年賀はがきのために描く事ぐらいか。今回の絵は、年末に描き始めて、今まで描いていたことになる。

 小さい繪には力が入らない。だから大胆なことが出てくる。その大胆なことが描いている内に、自分の当たり前になる。当たり前になるまでには小さい繪でも、4ヶ月もかかった絵と言うことになる。絵が自分の幅を広げてくれる気がする。

 自分が変わらなければ絵も変わらない。人間が成長すれば、前と同じはずがない。これで終わりならば、生きている甲斐がない。少しでも良くなるために生きている。今のままでは死にきれない。折角の一日である。充分に絵を描きたい。

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田芋の栽培

2022-04-16 04:04:59 | 楽観農園

 田芋を植え付けたところ、苗がしおれてきていたのだが、大丈夫だろうか。田芋については、まったく初めての経験なので、様子が分からない。売られている田芋は見たところ里芋と同じなのだが、葉の姿はかなり違う。

 そもそも、水の中で栽培するものだから、かなり性質は違うのかも知れない。石垣の人はターンム というように発音されていた。水芋とも言うらしい。似たような芋にタロイモというアジア全般で作られてきた古い作物がある。

 その分類は曖昧だが、タロイモの語源は、ポリネシア語で「イモ」を意味する「Taro」 。里芋や田芋もタロイモの一種と考えた方が良いようだ。難しいのは日本ではタロイモと読んでいる種類の芋もある。日本人の感覚ではサトイモ科の植物の中に、タロイモも田芋も含まれるというところかも知れない。

 日本の主食の最初とされる芋が里芋の類と聞いた。山芋に対して、里芋と呼ぶようになったものだ。水芋、田芋、里芋、山芋、名前の付け方が単純で良い。栽培技術がほとんど無くても栽培できるため、古い時代に作物として、栽培が始まった物なのだろう。山栗などと似たような古い食用の歴史かも知れない。

 里芋の仲間は味が、人それぞれで好みが違うようだ。私はタケノコ芋の小芋が一番好きだ。子供の頃庭で茹でて貰い、むしろに座ってよく食べた。あの記憶と味が結びついている。八つ頭が好きだと言う人も多い。地域地域で固有種がある。小田原付近でも弥一芋と呼ばれる里芋があり、これが一番美味しいと言われている。

 沖縄では当然のごとく、田芋が一番美味しいとされている。お祝いの席の琉球料理には田芋が使われる。それは日本全体おせちには里芋はつきものだろう。小芋、孫芋と増えるので、子孫繁栄といい慣わすが、それよりもお米と同じで、古い主食であるので、祝い料理には欠かせないのだと考えられる。

 のぼたん農園では9番10番はまだ作付けをしていなかった。10番は石拾いまで終わったのだが、畦が崩れてまだ代掻きまで進んでいない。9番は代掻きはしていないのだが、8番の排水が流れ出ている内に水が浅く溜まった状態である。

 田芋は9番田んぼと6番田んぼと溜め池の上の周囲に植えた。まず今年は種芋を残すことを優先する。栽培に関してはその先のことにしておけば良いだろう。田んぼを優先しなければならないとしたら、田芋は溜め池のどこかが良いかもしれない。

 9番は石拾いが十分でないので、とても田んぼには出来ない。そこで色々考えていたのだが、一度田芋をつくるのはどうかと考えた。現在の田芋は割合新しい時代に東南アジアから来た作物らしいのだが、いつ頃から沖縄本島で作られてきたものかはよく分かっていない。

 たぶんお米より古い時代に作られていたはずだ。それがお米に変わり作られなくなった。大切な田んぼに、田芋を作るどころでは無かったはずだ。それで途絶えてしまい、たぶん戦後に成って再度作るようになったものではないかと思われる。

 石垣島ではほとんど作られては居ないと思う。栽培されている畑は見たことがない。目立つものなのに見ないのだから、栽培している方はかなり珍しいと思う。それでも、ゆらてーく市場で出荷されているのは見たことはあるので、どなたか作っているのは確かである。

 食べたて見なかったので、里芋とどのように味が違うかも分からない。本島では栽培農家がゆであげて販売しているらしい。堅くて大きいので、調理が大変と言うことらしい。またゆであげてみると中が腐っている芋が分かるらしい。

 ともかく臨時に作ってみるということなので、余り期待しないで栽培してみたい。サトイモ科の作物であるのは確かなのだが、水の中で育てるというところが、里芋とは大分違う。価格は里芋より高めだった。お祝い事で食べる、伝統的沖縄野菜の一つになっているので高いのかも知れない。里芋より美味しいと良く書かれているが、どうだろうか。

 田芋の苗はどこかで売られているわけでもない。作ってみたいとは思っていたところ、福仲先生が野生化した田芋があるところを知っていると話してくれた。それじゃその場所を教えて下さいと話したところ、早速その日のうちにカゴ一杯とってきてくれた。

 福仲先生は常に、様々なものを観察している。たぶん水牛をあちこちの湿原に繋ぐので、田芋があるのを発見していたのだ。そして記憶していたのではないか。その昔田芋の畑があり、それが放棄されて生き残ったものらしい。ということはかなり丈夫な作物と言うことになる。石垣の気候に合っているのだろう。

 雑草にも簡単に負けないと言うことのようだ。4月中に苗を植えれば、たぶん来年の3月には収穫できるだろう。一年間の栽培して収穫すると記載がある。3月に収穫を終われば、9番田んぼの田植えにも間に合うことになる。

 水のある植物は栽培が楽でいい。石垣の困難な土壌でも何とかなる。水があるので、雑草を抑えることも比較的簡単だ。いずれにしても、これで田んぼは10番を残すのみとなった。10番は石拾いが充分行われた。畦も直した。水が溜まり代掻きが出来れば、田んぼとして使える状態には成る。

 さてどうしようかという所だったのだが、田芋の9判田んぼは水が行かなくなってきた。田芋はある程度乾いても大丈夫と言うことのようだが、6番田んぼに少し移した。溜め池の所にも保存用に1本植えた。どちらかには水が残る可能性が高い。代掻きをしてないのだから、水がやはり抜けてゆく。

 下の方の田んぼは、砂混じりで水持ちが悪い傾向がある。少し油断して、8番の代掻き足りなかった。その上に直播きでまだコロガシをしていないので、水持ちがさらに悪い。今日辺りコロガシをやってみようかと思う。居ない間に乾いてしまえば大変だ。

 雨がこのところ少なく、湧水量が減少してきた。何とか次の雨まで水を繋がなくては成らない。水は湧いてはいるのだから、何とかなるだろう。それでも溜め池の上を直して、雨が降れば水がため池に集まるようにした。いくつか縦穴を空けて、溜め池上部の土地が保水力を増すようにした。

 溜め池をもう少し大きくする必要もある。大きくして充分貯めておければ、水が減少したときの対応幅が大きくなる。0番田んぼを予定通り、溜め池にして貯水量を増やす必要があるだろう。今年のイネが終わってからと言うことになるのだろう。

 なんと言ってもみず管理が重要である。上の方に降った雨が上の畑に溜まるように、土壌の保水力を増やす方法を考えたい。チップをまた運んで貰う必要があるかも知れない。

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