地場・旬・自給

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国松長官狙撃事件

2010-03-31 04:23:25 | Peace Cafe
国松長官狙撃事件が時効になった。15年が経ったと言う事である。驚いたことには警視庁が、「オウム真理教による組織的なテロ」で行った事件であると、断言したことである。暴挙である。どれほど悔しいとしても、やってはいけないことを警視庁はやってしまった。節度を失っている日本人という、無様な姿が見えてしまって情けない。15年間捜査をして、逮捕し、検察庁に送るだけの、証拠を集められなかった、自らの不甲斐なさをかみ締めるべきことだ。今日から一ヶ月間警視庁のホームページにその内容が掲載されるそうだが、現時点では見つからない。冤罪事件との関連、裁判員制度の問題。ここにまで及ぶ問題である。この事件は当初からおかしな展開だった、逮捕して取り調べた事が何度もある。狙撃犯であるという自白をした、元警察官まで登場した。全てはオウム関係者である。オウム強制捜査から引続いき起こされた、いかにもオウムだろうと言う、事件であった。

犯罪という不可思議なものは、犯人が捕まらないことはままある。そういうものである。いいことではないが、真犯人が見つからない犯罪というものはある。それは残念な現実である。その現実から出発しなければならない。ところが、警察国家という意識が高まれば高まるほど、必ず犯人は逮捕されるもの、その罪を償わせるもの。と言う命題が高く掲げられる。しかも、長官が狙撃された、親分が狙撃された暴力団と同じだ。仇を討たなければ面子が立たない。面子だけでなく、組織が持たない。徹底してオウム内部を調べたのだろう。そして出てきたのが、内部の警察官による、犯罪と言う現実。身内の恥をさらせない。捜査手法批判から、警視総監の更迭と言うことになったようだ。自白犯の登場で、逮捕、釈放。警視庁は権力そのものが揺らいだ。全てが、まるで監獄の松本死刑囚の悪辣な指示のようである。演出に乗せられて、あたかもの推測の発表を行うことまでが筋書き。

このような発表でテロ集団を押さえ込もうという発想が、無理である。警視庁にしてみれば、オウムに健全な人間を近づけない効果というものが期待できると、考えてやったことなのだろう。オウムのような集団は、社会には繰り返し登場するものである。今でも新たな集団がどこかで、あらたな良からぬ事を暖めている。それを力で抑えようと言う社会であればあるほど、反社会的集団は芽生える。浜の真砂である。自殺者がこのところずーと、10万人いるのである。自殺する変わりに、とてつもない殺戮をする人間も登場している。親が子供をいじめて、自分の抑圧のはけ口にする地獄である。こういう社会で、おかしな宗教が芽生えない訳がない。そのつもりで、どうすればいいのかを考えるしかないのである。力で抑え込もうと考えれば、より抑圧が高まり、問題はむしろ深刻化する。ロシアで繰り返されるテロを見れば、その深刻さに気付くべきだ。

やるべきことは一つである。不時着する事だ。今までの方角が間違っていた事を認めること。警視庁がオウムに違いないと言う、想念に取り付かれていたとしても、それをぐっとこらえる力をつけることだ。警察らしく言えば武士道である。社会の方向を変える。競争社会を止める事。能力主義を止める事。人間の幸せがどこにあるかを考えるという、なんでもない原点に戻る事。そういう社会になれば、攻撃すべき権力が無いのだから、テロ集団など登場しない。犯罪者がいなくなるとは思わないが、オウムのような犯罪を容認するような宗教は生れない。オウム事件の際盛んに論議されたが、何故社会で競争を勝ち抜いた有能だとされる人間が、松本死刑囚に洗脳などされたのか、である。勝ち抜けば勝ち抜くほどより深刻な競争に入るからである。オウムの主張はなかなかのものであった。それしか社会を改革する方法は無いと思い込まされる、そういう論理を持っていた。もっと有能で、韓流スターのような見た目も増しな教祖が登場した時を考えておいた方がいい。
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糖尿病と肥満

2010-03-30 06:05:53 | 身辺雑記
糖尿病は遺伝性が強いと言われている。祖父は糖尿から、結核になってなくなったと聞いている。父は、50から糖尿で、亡くなる76まで、次々と成人病と言われるものを併発して、亡くなった。繰り返し、糖尿病になるような食生活はしてはならないといっていた。食事のカロリー計算とか、血糖値の事とか、色々覚えた。インシュリン注射の仕方とかも、熟達した。父は、戦争に8年間も行っていて、ガリガリに痩せて帰ってきたそうだ。戦後は畑を相模原でやって自給した。しかし、食べ物に対する不安が常にあって、1ヶ月先ぐらいの食糧が常備されていないと、不安でいられなかった。戦争中も食糧係というか、炊事係だったらしい。気象庁で食堂をやったこともあったぐらいで、食事を作ることは、率先してやるほうだった。作るのがすきというか、食糧不足状態に不安があって、常に精神状態は飢餓にあったのだと思う。

食べると言うより、喉に流し込むような食べ方で、早食いと言われる軍隊でも食べるのが一番早かったと言うのが、自慢話だった。一方母方は、食が細い。祖父は禅宗のお寺に預けられ、育った人だったから、生臭は一切食べない。孫の生卵を食べた茶碗を自分の茶碗と一緒に洗うことさえ嫌った。母は長女として、祖父の影響を一番強く受けた人だったから、父とは食事の事では戸惑いが多かったと思う。母は食事はほとんど作らない一生を送った。父が食材をどこででもやたら買ってきて、うまそうだったと言うので、食事を作り始める。常に飢餓感があるから、4時ころには既に夕食を準備していたりする。そして、作ると、「食っちゃえ、くっちゃえ。」と周辺の人に押し付ける。もちろん自分はあっという間に食べ終わっている。家族で食卓を囲むなどと言う事は、めったにあることではなかった。

それが目が見えなくなりますよと、言われるほどの重症の糖尿に成った。しかし、長かった闘病生活、食事制限については、相当徹底していたほうだと思う。自制心は強かった。飢餓意識が病的にある人間が食事制限だから、これは相当に苦しかったと思うが、苦しんだがやりぬいた。それを高校生時代から長年、まじかで見たから、それ以来糖尿病の1300キロカロリーの食事で平気になった。少食なら健康であるという意識がある。当然祖父の食生活の影響もあるのだろう。禅堂ではこうだった、と言う食事である。山奥の自給自足だから、菜食が基本で、魚は池の鯉を食べるとか、イノシシが取れたとか、鶏をしめるとか、生臭は特別の時だけである。その経験からきた総合的な食生活を、健康食と言うイメージを持って作り上げてきた。都合のいい情報だけをかき集めてきたわけだ。

ところが、日本人が糖尿になるのは、肥満ではない。と言う疫学調査がでてきた。これには少々驚いたが、思い当たる所がある。糖尿になるのはインシュリン不足である。何故インシュリンが不足するかは、遺伝的なものである。これが日本人全般の傾向なのだ。日本人は糖尿になるような食事をしてこなかった民族のような気がする。だからインシュリンが要らない体質の人間が増えた。日本食の評価。所が厚生省流れの医学は海外情報を絶対とする、妄信がある。アメリカで糖尿病が肥満の人に多いい、と言うデーターがあれば、肥満にならなければ糖尿にならないと言う、日本人の体質と言うような大切な細部はどうでもよくなり、結論だけ輸入する。ところが、疫学調査は四年間、北名古屋市に住む五十歳以上の約四千人を対象。対象者の十人に一人が糖尿病を発症。糖尿病患者は標準体形の方が多かった。驚いた結果である。もう一度糖尿病について知らべてみたい。
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泥窯焼き展終わる。

2010-03-29 05:53:04 | 水彩画
笹村展示室の最初の展示として行った。「泥窯焼き展」が終わった。この間毎日どなたかは見に来ていただいた。特に21日の初日には醤油の仕込があった。最終日の28日には機械整備があった。両日にはとても沢山の人に見て頂く事が出来た。素晴しい一週間を過ごす事ができた。朝起きて、展示室で皆さんの40点あまりの作品をぐるっと見て回ることは、とても楽しい事だった。作品という物には、それぞれの魂が宿る。不思議なものである。何故なのか、多分そのあたりの石ころを拾っても、不思議な魂の感じはあるのだろう。何しろ、Tさんは作品作りの日に、どこかに石ころを探しに行ってしまった。結局制作の間見えないままで、後から5点の作品が届いた。石ころを元に作った作品だそうだ。それぞれ違うサイズの丸い石のような塊にぽつぽつ穴が開いている。上部には大きな穴が開いている。同じようなすがたの形が大小あって並んでいる。これが見るほどに面白い。

指導していただいた、兼藤忍さんは独特の作品を作る方である。造形作家というような肩書きになるのだろう。いわゆる陶芸作家と言う方ではない。ホムページの作品を見て戴くと、そのユニークさはどなたにも伝わると思う。使えるような使えないような、置物のような、自然物のような、宇宙のような、生命体のような、祈りのような、、、人間の中に、心底にある希望とか、懺悔とか、そういうそれぞれの心に宿る思いを形にしたら、こんなになるのかな、と思わせるような造形物である。自然物であるとすれば、植物的であり、連鎖的であり、貝殻のようであり、珊瑚のようである。以前、華道の作家とコラボレーション展をされていたのは、的を得ている。だから、植木鉢を作ると言う、テーマで何を作るのかはとても興味があった。植えられた草が、何10年も前からそうであったように植わっている。

私の作ったものは、実に意図的である。こうであるという札がついている。こ特徴ではあるのだが、とても困る。わずらわしい。普通である事ができない。絵を描く人間の自己顕示欲というか、傲慢と言うようなものが、出て来てしまっている。当然、これがなければ物は作らないようなものだから、仕方が無いのだが、これを超えなければ、結局人には伝わらない。同時に壁に飾ってある絵も、なるほどそうだと言うような、いまさらの事に気付いた。やはり展示室を作った甲斐があった。作品と対峙することは大切である。人の目にさらすと言う事はさらに大切である。自分の作品に出会うと言う事がある。描いただけでは実はまだ出会っていない。出会うためにはそれ何の仕組みが、儀式のような面倒くさい仕組みが必要なようだ。

笹村展示室は、時々公開もしよう。出来れば、地域の文化祭に合わせて、久野文化祭との連携のような形が出来る時が来ればいいと思う。今回始めて展示室の公開という、いわばアトリエ展の様なものをやってみて、久し振りの個展といえば言える。どこか会場を借りて行う、出張っていってみてくれと言うのと違って、とても気楽に作品発表ができたことになる。もうこれからはこれがいいという事が分かった。長い間、作品の発表のあり方が、見つからないでいたがいいやり方がわかった。そのうちもう少し、形を整えて、作品展をやってみよう。

昨日の自給作業:機械整備講習2時間 累計時間:21時間
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日経電子版

2010-03-28 04:59:00 | 
日経新聞は有料化した。4月30日まではは無料お試し期間と言う事なので登録してみた。紙印刷と言う新聞は遠からず衰退する。ネットの方が早いし、簡便である。日経新聞社の挑戦と言う事だろう。テレビが普及してゆく過程で、新聞と言う報道機関の役割は変った。父は新聞を全て読むと言うような人だった。大手新聞はもちろん赤旗まで、取っていた。右翼的だった兄は弁当が赤旗で包んであったと言うので、学校で広げられなかったと怒っていた、記憶がある。テレビはが報道としての役割を果し始めたのは、NHKである。民放は後追いで、新聞社とタイアップを始めて、娯楽から報道までと、徐々に体制を整えた。NHKが国民から強制的にお金を集めて、報道を行う。NHKは大本営的な世論形成を行う事になり、民放が対抗しなければバランスが取れない状況が生まれた。注意深く運営されてきたとは思うが、例えば、一般ごみを家庭ごみにしたのは、NHKの責任である。

報道が偏向しているのは当然で、全ての情報はその報道の思想、哲学が選択している。それを偏向が無いという前提で、情報発信すること事は不可能な事である。その点赤旗とか、日経新聞は正面からその思想を明確にしている点で、正しい報道姿勢である。また、赤旗とNHKは違うが、日本の報道は基本的に広告収入で成り立っている。広告主がどこかに存在している、その前提で読む事になる。ネットも同様である。同様であるが、ネットの広告効果という物は、新しい要素があるだろうから、模索中と言う事だろう。そこで日経が有料化したことが、どういう結果になるのか、とても興味深い。紙面を注意深く見ているが、特別に有料でも見たいほどの記事は今の所見つからない。無料の所があるからだろう。浅田真央さんが金メダル。ネット各紙それほど写真も内容は変らない。有料に相応しい、奥行きのある記事が書かれているという訳ではない。

では、得意分野の経済展望の記事のはどうか。「マネー」と言う露骨なタイトルの分野があって、確か、そういう名前の雑誌を出していて、すごいものだと思ったことがあった。きっと金儲けのヒントが掲載されているのだろう。そういう意味では、この分野では有料読者は獲得できるのではないか。と思って内容を見てみようとしたが、そちらのページは有料登録しなければ入れないように成っている。金儲けがテーマだから、さすがただ見はさせない。宅配とセット価格と言うのがある。紙面印刷も読むのは、経過措置。どうもただ見は誘導手法らしい事がわかる。検索機能もあるので、一応試みてみたが、情報がないという事ばかりで、まだ利用価値はない。ネットの特徴はあらゆる情報が並立して、表れてくる。選択しているのは、見る側である。大手新聞社の名前で一応はアクセス者数は、頭抜けているだろうが、世論形成の役割は大きくはない。

ネット情報が、社会形成の大きな役割を担っている。有料でなければ、運営できない報道機関は、既にそのことで限界がある。個人や小さな組織でも、ネット通信を有料で発信しようと言う試みは多い。しかし、無数に存在する、無料の情報の中で成立する可能性はないだろう。あると考えているのが、金儲けのマネー欄だから、はっきりと結果は出るはずだ。しかし、その他の大手新聞社はどうするのだろう。神奈川新聞では何かシステムを作ったようだが、良く理解できないままで、あまり見ないことになった。今までの体制は変る。近所の火事の事なら、新聞社より詳しい。取材などしないでも、裏情報まで知っている。その積み重ねが、ネットである。自給の醤油作りなら、人に伝えられる。確かに、検索機能がグーグルが操作されていたら、怖いことになる。

昨日の自給作業:もみ洗いなど2時間 累計時間:19時間
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中国の旱魃

2010-03-27 04:34:04 | 環境関連
中国南西部で大干ばつが発生しており、数百万人が飲料水不足に直面している。前年9月以降の降雨量は例年の60%を下回り、河川も干上がっており、すでに数か月にわたって貴州(Guizhou)省、雲南(Yunnan)省、四川(Sichuan)省、広西(Guangxi)チワン族自治区の広大な農地と大都市の重慶(Chongqing)が水不足にさらされている。(c)AFP

日本の報道では何故かあまり触れられていないことである。中国の水の状況が年々深刻なことは、農業を視察に行って、それなりにわかっているつもりだ。1、もちろん雨が降らないと言う事が一番の原因。2、そして、工業に優先的に水が使われる。3、しかも、生活水準が上がるに連れて、生活需要も急増しているに違いない。どこの国でも農業は最後の水利用産業。汚染された水を使わざる得ない状況であろう。4、旱魃の原因は世界的な温暖化もあるが、中国自身の行う、環境破壊も原因しているのだろう。

中国の旱魃は実は、毎年言われている。その実態は良くわからない。中国政府の農業関係者から、直接聞いた話では、深刻な旱魃から農業被害は毎年あるが、中国は広いから雨の降る所もあって、全体では問題がない。と言われていた。公式見解のようなものでこれも、本当の所はわからない。私の判断では、その深刻さが年々増してきている。遠からず、農業生産も限界に達し、食糧不足は起こると見たほうが良い。世界の工業製品の生産現場に成ると言う事は、世界に水を輸出すると言う事になる。ユニクロのTシャツ一枚の方が、お米1キロより水がいるだろう。お米の方は水をはぐくみながら使うが、Tシャツの方はただ消耗してゆく。中国はほって置けば草が生えてくるような所は少ない。ドンドン土が固まり、レンガのようになってゆく。ただでさえ農業には大変な土壌だ。化学肥料の農業を続ければ、日本以上に土壌劣化が起こる。雨が少なければミネラルの蓄積アンバランスも、忽ちに起こる。日本ですら、黄砂の農業影響が言われる。中国農業は厳しい状況にある。

中国でも伝統的農業は、日本の江戸時代のような、人糞や蓄ふんを利用した、堆肥を作り農地に入れ続ける、土づくりを基本にした農業であった。見た感じにすぎないが、中国の農業は日本ほど化学肥料も農薬も使っていない。中国人の商人的発想では、植物工場に一気に飛躍する。いよいよ危うい所に中国は上り詰めるだろうと思える。しかし、中国の農民はそうしたこととはまるで異なる。悠然と先祖伝来の農業をしている。前回行った時は丁度、胡麻の収穫期で、どの農家も庭先で胡麻を干している。手作業で、胡麻を作っている。あのめんどくさい作業がまだ普通に行われている農村地帯。鎮江市郊外は、中国では最も豊かな農村地帯の一つである。沢山の水田は無いのだが、いくらかある水田でコシヒカリの栽培が行われていた。じつは一昨年はその村でも、水不足で田植えが出来ない状況があった。草取りはどうしているのですかと伺ったら、どうも日本ほど草は生えないようだ。

日本の農業にどういう影響があるか。中国からの農産物の輸入は野菜はなく成ると言う事である。多くの人が指摘してきたことだが、遅かれ早かれ食糧不足になると言う事である。しかし、日本と同じで農村は空洞化しかかっている。下放と言う言葉が農村と言う僻地へ飛ばされることを意味するように、地方で農業を普通に続ける人が重視されていない。国の基盤が危うくなっている。食糧自給が充分であった時期は、中国では短いかかったのかもしれない。毛沢東は常に食糧増産を第一に掲げ、自力更生を主張した。当時は、中国の伝統的技術が見直され、発酵技術なども国を挙げて研究していたようだ。そうした伝統技術は現状では埋もれている。これを再評価し掘り起こしてゆく。緊急にここ10年の間にこのことを行わないと、中国の農業は危うい。伸び切って倒れることになる。
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グーグルと中国

2010-03-26 06:33:53 | Peace Cafe
中国は国家による情報統制が可能だと、本気で考えているのだろうか。インターネットが世界を変えるといわれている。現実世界が動き始めている。日本は既に変わったと見ている。民主党政権も、又その不評もインターネットが影響している。中国のような統制社会でも、その実験は否が応でも始まっている。グーグルを排除した所で、情報の大河の流れをせき止めることは不可能と考えざる得ない。経済と情報は深い繋がりがある。経済の自由化に伴い中国は開放路線を歩んだ。一歩踏み出したと言う事は、世界と同調するまで止まらないのが、経済である。それを否とするなら、国家を完全に閉じるしかない。中国は国家を開いて、経済発展を目指した。しかし、社会や暮らしまで開くことは躊躇いている。人民元の固定化とグーグルの撤退はその象徴である。

もし人民元が自由化されて、強い国際通貨になれば、今中国で想定されるインフレやバブルに対処しやすくなる。大きな破綻を回避できるかもしれない。また、中国国民全体の購買力を高め、中国経済の国際的バランスを是正することに役に立つはずだ。これはどの国も経済発展の経過で体験してきたことだ。結局は国家統制をやめない限り、そのアンバランスが国民の暮らしに溜まってゆく。情報問題も同じ体質がある。中国政府の主張どおり、社会にとって有害な情報を閉じることは、社会にとって直接の様々な場面で有益である。日本でもネット情報が犯罪の温床になっている。しかし、何が有益で何が有害であるか、この価値観は国家がいつまでも決めておけるものでない。遮断ができないで情報が漏れてくる結果、国家のバランスを崩し始めるのが、情報と言う得体の知れないものだ。

人民元を固定相場にして置くことは、為替的に当面有利であるかに見える。1ドル360円時代を思えば、海外製品といえば、高い高級品である。しかし、相場的に4倍に成ると、高いはずの海外ブランド品が、4分の1で買える。今ではシュミンケの水彩絵具だって使おうと思えば使える。ファブリアーノの水彩紙だって使える。日本の農産物だって、為替が360円固定なら輸出が可能かも知れない。だからと言って、固定しておく事では世界経済の輪に入れない。対等でないという事は、一見有利であるが、矛盾を深めてゆく。グーグル排除も中国らしい、経済的利益優先が見える。どこかで開かなければ、結局大きな付けを払わざるえない時が来る。これが今の中国の矛盾だ。国家管理の問題である。情報の自由は、人間というものを信頼できるかにかかっている。人民は怪しげなものであるから、自由にしておけば、とんでもないことになる。と言う発想。

人間にとってあらゆることから自由である価値。人間の一つの目標である。それは、まだ実現されていない理想の話である。今の人間のレベルでは困難な事である。アメリカは自由な国と主張している。他国の人権の抑圧に対して、強く非難をする。最もな場面も多いいと思うのだが、アメリカが完全に自由な国とは思えない。アメリカ人の内面巣食う、差別や暴力の精神の支配はむしろ根深い。自由は大切な目標である。しかし、その自由を確立するためには、人間はまだまだ成長しなければならない。その人間の成長過程では、多くの矛盾に満ちた状況を受け入れながら、妥協的に行くしかない。自由の方角を見定める事。犯罪の温床になる情報と、命が救われるような有益な情報が混在する、情報の混沌。この全てを受け入れながら、手探りで正しい方角を選択的に進むしかない。国が情報を遮断した所で、問題が悪化するとしか思えない。中国ではその実験をしようとしている。どのような過程で失敗してゆくのかは、見ている必要がある。
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醤油づくりのまとめ

2010-03-25 06:17:13 | 自給
醤油は2年がかりである。21日に仕込が終わった。味噌に較べて少し難しい。と言うかかなり難しい。麦と大豆の混合した麹の温度管理が実に難しい。3回目になってその難しさがいよいよ身に染みた。今年は21日に2年がかりの醤油も少し、お分けする事もできた。みんなが美味しいよ。なかなかいいよ。といってくれたので、おせいじと思いながらも嬉しかった。味噌、醤油、納豆、豆腐、と大豆の一回りが出来た。その昔、豆腐を作り、そこから油げを作り、お稲荷さんを作ったことがある。何か一度はぐるーと作らなければ、気がすまない性格なのかもしれない。ぐるーとの先は当然、大豆の栽培であった。大豆は結構難しいものだと思っていたが、中原さんの緻密な努力で、反収240キロ越えという立派なものになっている。そして、醤油のための小麦栽培である。これも、スズメや大風にやられたり、田んぼとの兼ね合いで、ずいぶん苦労はしたが、去年から何とか作れるようになった。

21日は、先ず10時に塩水作りから始めた。大釜に60リットルの山から汲んできた深井戸の美味しい水。ここに天日塩を15キロ入れて溶かした。昨年もおととしも、これが溶けないで困ったのだが、今年は何故か簡単に溶けてしまった。岡本さんのかき回し方が良かったのか。これが意外なことであった。塩が少しパウダー状で溶けやすかったのかもしれない。いずれ、簡単に溶けて午前中の仕事はあっさり終わった。残った人が掃除を床拭きまでやってくれた。午後塩水が冷めるのを待って、と言ってもさして暖めない間に溶けたので、すっかり水に戻っていた。そこに麹を入れた。麹の材料は大豆23キロ小麦23キロを合わせたものだから、総量は46キロはあった訳だが、途中でなくなった所があったとして、44キロ程度かもしれない。麹になって乾燥しているが、それでも相当の量である。とても大釜でも入らないので、半分に分けて仕込んだ。よくよくかき回してから、一人4リットルのビンに分けていった。

今年は各自が持ち帰り、管理してもらう。40リットルは出来る予定である。4リットルづつ分けると成ると、25人から30人分は取れるようだった。麹と混ざって増量される。今年は心配で20人にしたが、もう少し参加者が増えても大丈夫である。一人だけ、2リットルのペットボトルに先ず、麹を入れて、塩水を後から入れた。これも瓢箪から駒で、意外にいいかもしれない。この日は出来上がった2年前に仕込んだ醤油の配布も行った。ステンレスざるで濾したものである。最初袋を作り濾す計画で、カヨ子さんにわざわざ袋を縫ってもらった。しかし、いよいよとなってステンレスざるで濾して、残りの搾りかすを有効利用さえすれば、それほど厳密に絞らないでもいい事にした。2日間ただ様子を見ながら濾した。8リットルの生醤油が出来た。20リットルの桶で作ったものだ。ひとり200CCづつだが20名にお分けして、我が家には4リットル残った。2リットルは直ぐ合わせ醤油にした。何ともいえない味わいである。

醤油の味は少し塩分が濃い。香りが足りない。まだまだ不満があるが、市販の醤油より確実に美味しい。これは多分、手前醤油だ。醤油の搾りかすは、金山寺味噌を作ろうかと思ったが、ともかく野菜の漬け床にした。これがなかなかのものである。ただ野菜を入れただけのものである。キャベツ、白菜、牛蒡人参。今度菜花をつけてみよう。醤油付けとも違う。糠漬けとも当然違う。発酵食品ではあるのだが、なんとも言えない美味である。半日つけておけば良い。牛蒡とか、人参は1日ぐらいつける。贅沢な味わいである。牛蒡の香りがぐんと引き立つ。人参の甘さが際立つ。2年間維持した糠床のようなものだし、ここで増加したアミノ酸は相当のものだろう。もし、これを試して見たいという方には、おわけします。

今月の自給作業:醤油作り10時間 合計時間:17時間
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見学希望者に

2010-03-24 04:27:41 | 自然養鶏
笹村農鶏園には時々研修の方が見えます。以下の条件で受け入れています。

1、毎週火曜日の午後研修のための見学を受け入れています。
2、一緒に作業をしてもらいます。
3、養鶏、あるいは自給的農業をやりたいと考える人限定です。
4、笹村農鶏園の生産物を購入している人の見学は、いつでも自由です。
5、無料です。

〇見学を行う事は、社会的義務だと考えています。多くの人から教わり、見せていただき、今の技術を培ったのです。不充分な技術ではありますが。次にやろうと考える人に全てを公開して、参考にしてもらう、必要があると考えています。遠慮する必要はまったくありません。ただし、時間を限定しているのは、それ以外の日に受け入れることは、なかなか難しい事情があるからです。「いついつ行きたいのですが。」と言ってくる人がいますが、こういう態度では学べません。学ぶと言う事は、学ばせていただくと言う事です。こちらの都合に配慮できないようでは、研修に来た所でいい結果になりません。

〇作業をやる気で来てもらいます。ただ見ていたのでは、身につかないからです。手伝ってもらった方が、こちらも助かるからと言う事もあります。農作業は見ているのとやってみるのでは随分違います。水分量60%などとあっても、少しも分かりません。水を入れ、手で触って、この程度というのは、季節によってもかなり違うものです。少しでも作業をしながら、そういうところを覚えてもらいます。一緒に飼料集めに、工場等に行きます。そういうかかわりの感触が大切だと思っています。周囲と良いかかわりが持てない人には、自然養鶏は無理だと考えています。

〇研修のための見学とは、養鶏法を私から学ぶための人の見学です。学ぶと言う事は難しいもので、自然養鶏は総合的なものです。いいとこだけ都合よくとは行かないものです。時に私を指導に来たのかと思える人がいますが、あくまで、私から学ぼうと言う事です。その上下関係が嫌な人はお断りします。例えば、私の家に来る地図を要求する人がいます。住所で自分で工夫して来る。これも自然養鶏の条件だと考えています。自然養鶏は、毎日が新しい困難な事の解決です。私が伝えられるのは、工夫する基になる考え方です。後はその場に応じて、各自が創意工夫することです。

〇養鶏や自給農業を、やると言う気持ちがある人だけです。もちろんやっている人も歓迎です。一羽だけ飼ってみたい人、ベランダで自給したい人でも、大歓迎です。やれるかどうかは私には分かりませんので、相談にはならないと思います。また、やる気の無い興味本位の人と付き合って、教えている時間がないからです。この範囲は難しいのですが、遠慮は要りません。

〇無料です。お互い様だからです。全ては誰かから学んだ事です。伝えてゆくのは社会的義務です。手土産等の、配慮の必要はまったくありません。出来れば、見学代だと思って「発酵利用の自然養鶏」は読んでから来て下さい。それの方が話が分かりやすいです。図書館にもある場合もあります。ない場合は購入する価値はあると思っています。残念ながら小田原の図書館にはありません。

〇笹村農鶏園の生産物の購入者はいつでも自由です。自分の農場だからです。たまたま、私が変わりに担当して生産しているが、農場は食べている人のものだからです。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
何故、改めて見学の事を書いたかといえば、以上のような条件は、普通の事で、特別ではないと考えていた。しかし、理解できない人もいると言う事が分かった。社会の状況が変ってきていて、様々な人が現れてくる。書いておかないほうが悪いと言う事になる。
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桜便り

2010-03-23 04:53:25 | 身辺雑記
東京できのう3月22日のさくら開花宣言である。横浜や八王子も22日の開花。大阪では既に21日に開花したそうだ。小田原はまだ数日はかかるだろう。開花宣言から1週間もすれば、満開となるから、3月中の花見となるのは間違いがない。これは最近普通の事になっている。さくらが咲くころに成ると、気持ちが浮き立ってくる。さくらと、入学式の光景が結びついていて、4月7日が自分の中の、さくらの日である。しかし、これは子供の頃の育った地域で全く違うのだろう。日本も北から南まで広いから、5月の花見は今でもある。ずいぶん昔になるが、栃木、福島、宮城、とさくらを描きながら、東北を旅行したことがある。母がまだ元気で、鶏の世話をしてくれたから出来た事だ。5月の連休に上手く桜が咲けばと言うのが、北東北の花暦である。桜の季節の最後は、利尻富士のさくらだったかと思う。5月も半ばとなる。行ってみたいものである。

南の方のさくらも、描きに行った事がある。忘れられないのは、岡山の奥の醍醐のさくら。さくらを守る集落の存在の方が、とても強く心に残っている。平戸のさくらも懐かしい。どうしてもキリシタン弾圧の悲劇と重なる。さくらは華やいでいて、明るい花が第一印象ではあるが、空気を凍りつかせているような静けさも持っている。あの黒々としたごつい樹の姿と、一瞬の華やぐ開花の季節のアンバランスが、想像を広げてゆく。とても絵に描きにくいのがさくらである。絵にしやすいのが、杏の白い花。遅いほうの桃の桃色も絵になる。さくらの白いような、僅かに薄紅色というか、あの微妙な色がなかなか手強い。もちろん、桜色に描いたのではどうにもならない。一番さくらを描いた場所は当然、山梨である。起伏のある、さくらの後ろには必ず山がある風景が、面白いのだ。面白と感じるのは見慣れているからと言う事かもしれない。やはり、さくらは記憶を呼び起こす。

さくらと言えば、上野と水彩連盟も繋がっている。あの花見の雑踏の中を、一日が終わって帰るときの高揚感のようなものが思い出される。水彩連盟展は六本木に移って、私も退会する事になった。いつか辞めるのだろうとは思っていたが、水彩人を選ぶのか、水彩連盟を選ぶのか決める事になった。自分の絵にとっていくらかでも、為になるのは水彩人である。水彩人を選んだ。辞めるだろうと思っていたのは、春陽会で中川一政氏の退会の挨拶を伺っていたからだ。「もういいだろう。」こう何度か言われていた。良く意味はわからなかったが、心に留まった。団体展というものが、もういいのか、自分が関わるのが、もういいのか、この辺は分からなかったが、ともかく辞める時期というのがあるらしいと思った。絵を描き通すと言う事は、さくらではないが、ゴツゴツくろぐろしたものと、やけに華やいだものとが、混在している。

さくらソングがはやりのようだが、それは卒業ソングらしい。私のように、入学のイメージが強いものには、少し違う。思い出したくも無いが、思い出さざるえない部分、さくらと言う日本国である。花がさくらを意味するのは、平安時代からのようだが、花を桃とした、中国人との感性の違いが面白い。しかし、ここで意味するさくらは、山桜であろう。土手や公園の一面のさくらではなく。新緑の中に突然浮かんだような、さくらだと思う。だから花吹雪のイメージではなく、きわめて控え目な、ひそやかなものである。はっと気付かされる、自然の持つ再生のすがた。これから大地が開けてゆく事を宣言している山桜。マメザクラの一種だったのか。山梨でも、山北でも、普通にあった。やっと芽生えてきた甘い梢の、微妙な色合いの中に、霞を掛けたように実にひっそりと咲く、さくら。日本的と言っていいだろう絶妙な、調和。日本人の美意識が変ってゆくように、今桜は一面に咲き乱れ、花吹雪となって散らなければ気がすまないことに成っている。
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泥窯焼き作品展開催

2010-03-22 04:58:30 | 水彩画
笹村展示室に泥窯焼きの作品を並べた。様々な鉢が生き物になって主張している。上手いとか下手とかそういうものを越えた、領域群になっているのがとてもいい。壁には笹村の水彩画がそのまま展示してある。150号が3点。中版全紙が3点。泥窯焼きのものが、40点ほど。ある意味でのコラボレーション展である。自分が描いている意味が、少しわかる。なんとも、ありがたいことである。泥窯焼きは、作家である兼藤さんも、小学生のTさんも少しも変らない。ものとしての存在感はどちらの方がすばらしいと言うような事がない。そういうと、兼藤さんにまったく申し訳ないのだが、もちろん兼藤さんの作品が、誰よりもいわゆる造形物として、傑出しているのは当たり前のことなのだが、そういう作家的意図を超えた、土を焼くということによって、噴出して来るようなエネルギーが作品にこもっている。「物魂」とでも名付けたくなるような、何ものかが立ち現れる。

昨日見た目に焼きついたような、まえだゆうきさんの作品にも「物魂」があった。一方、阿部尊美さんの作品は、観念をもてあそんだような、否悪く言っているわけではなく。観念の究極のような作品である。それはイメージであり、「物魂」がない。阿部さんのものにも、立体作品はある。それなのに、映像的なのだ。映像でも同じであるような、意味的な展開なのだ。ひるがえって、陶芸と言う手法は、モノ派てきなのだ。物と言う実在、土と言う物質感。純粋に物であります。と言う主張が前面を覆う。しかも、泥窯焼きでは、様々な衣装を捨てざる得ない。小賢しい作戦はまったく、通用しないことになる。そこが清々して良い。いわば、絵で言えば素描である。素描であるのだが、物と言う大きな存在感をになう素描。絵の方の素描は、逃げ込もうと思えば、観念にも、イメージにも、工芸美にも、逃げ場はある。

そう松田正平の素描である。ごまかしようの無い松田正平がそこにいた。そこがすごい。油彩画においては、やりやすい所で勝負している感がある。日本的情緒での味付け。最近、若い作家も案外にこの流れの作品に、便乗している。強い色を使わない。グレートーンで、マチュエールに凝る。回顧的で、嫌味がない。夕焼け小焼け的で、トイレの名画と私は密かに呼んでいる。松田正平氏の危うい側面である。昨日の美術館主人は何故、梅原龍三郎や中川一政ほど松田正平が著名でないかと、嘆いていたが、それは、松田正平が楽な所で仕事をしているかだろう。梅原龍三郎は、あの強烈な色と味も素っ気も無い筆触で、逃れる所なく戦っているのだ。正面での戦いが展開されているのだ。マチスと同じなのだ。いい気分に逃れようとすれば、自然調である。ナチュラルである。ここで、松田正平は一段格が落ちる。では、同じ国画会で格が高いのは、小林邦氏である。この人の作品はすごい。それこそ世間的には既に、消えてしまった。

小林邦氏は松本の作家である。こういういい作家が何故埋もれてゆくのか。それが今の日本の文化の弱さである。そのことは別にして置かないと長くなる。実は、私の絵の事である。並べて驚くのはひどいものである。これではどうしようもない。偉そうな事など何もいえない、どうにもならないがここで踏ん張って、やれる所までやるしかない。そういう覚悟をしろと、今のままではどうしようもないですよと、展示室では絵に言われる。これは良かった。いま、神田日照美術館での水彩人展に出す作品を書いている。100号のたて作品である。私の家の上から、西の方角を見た景色である。畑の景色である。畑はいいものである。耕すものとして、畑を描ければと思っている。そういえば、神田日照は農民画家といわれている。
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ミュジアム・フロム・ウインズ

2010-03-21 05:47:49 | 水彩画
水彩人の仲間の松田さんから、松田正平展を見に行かないかと言う誘いの電話があった。松田正平ならちょっと出かけるかなという気分になって、どこでやっているの、と聞くと大雄山だと言う。大雄山でまさか。と思いながら聞くと、個人の収集家が大雄山にいて、そこの家に美術館を建てたと言う。水彩人の松田さんは、松田正平さんがいつも展覧会をしていた、フォルム画廊で時々個展をやるので、画廊に行った時その話を聞いたのだと言う。眉唾の気持ちで、小田急線の新松田で待ち合わせる事にする。新松田駅前広場は久し振りだった。地産地消の店コスモスとか出来ていた。シャッターの下りた店舗の隣にあるので、そうだよなと、理由なく納得する。相模原の方から、大雄山へは少し道のりが大変である。フロム・ウインズをで探すが、なかなか見つからない。松田正平展をネットで探して見つかった。そこの地図では、市役所や、小学校の先と言う事で、看板でもあるだろうと言う事で、ともかく言ってみる。ご近所の人に聞いてみるが、ご存知ない。

南足柄雨坪、しばらく行って目にはいったのが、なんと、10センチ四方の看板。この看板で大体このミュージアムの考え方が分かる。見せたくないが、見せたい。と言う美術館。松田正平がわからないような人間を立ち入らせたくない。松田正平のファーンだけに来てもらいたい美術館。入場料500円。松田さんがこちらから3人分を払う。高いような、安いような、絵しだいである。どこかに入場料が表示してあった訳ではないが、たぶん、そのようにしろとフォルムで聞いてきたのだろう。入場者はあるのだろうかと思うと、7名記帳があった。今日3名で行ったので、10名にはなった。美術館館長は最初は緊張されていた。初対面だし、構えた風でもあった。こちらにしても、コレクターなどと言うと、ちょっとおそれをなす所がある。ブログによると、リウーハンの収集もしていると言うから、相当不思議な人に違いない。

松田正平氏の作品が30点あった。さすが見ごたえがある。バラのいい油彩もある。この一点を見るためにも出かける価値がある。松田正平氏はとても気さくな人で、個展の会場に居られると、全く普通に話せる人だった。大家然としたところは全くなく、とても親切な方だった。昔の、中学の生徒だった人達と話して居る時など、まるで同窓会のような雰囲気だった。そういう人柄が、そのまま絵にある。それは、実に厳しい絵なのだ。寂しい絵でもある。怖い絵でもある。それでいて、やさいしい人懐かしい絵でもある。こういう絵はなかなかかけるものではない。又書がいい。洲之内徹さん宛ての、30万円なりの借用書がある。これは30万円以上はするだろう。大空の掛け軸は表具が素晴しい。どこでやってもらったものやら。この「大空」はその辺にほってあったら、誰も気付かないような、何気なさがものすごい。ともかくいいものを見せていただいた。

ここまで来たのならと、そのまますどう美術館に回った。銀座にあったころ、松田さんは毎週のごとく行っていた若い人の良くやる画廊だ。水彩人もすどうでやらせてもらう寸前まで行ってことがあったので、すどうがこちに移ったという所がどんな場所か、松田さんにも面白いだろうと思った。出かけてビックリしたのが、「阿部尊美」展である。何と驚きである。作品の方向が変って、全く理解しがたいものになっていたのだが、渋谷洋画人体研究所以来の友人だから、松田さんより古い付き合いの、30年来の知り合いが個展をしていたのである。実は名前もどこにも表示が無いし、作品を見た時には気づかなかったのだ。同時開催が、まえだゆうき展すどう美術館の受賞作品展としての個展らしい。大阪の若い作家である。いつの時代も若い女の作家はこういう物を作るんだよな、というふうな年寄りには間違っても作れないエネルギー爆発作品である。松田正平がぶっ飛ぶ。絵というものはこういうところが面白い。足柄平野の画廊巡り。最後は笹村展示室に寄ってもらった。
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有機農業の現状

2010-03-20 05:05:49 | 地域
有機農業はその精神的というか宗教的な初期段階を第一期。それに連なる消費者中心に提携運動として展開された第二期。そして私のような、新規就農者を中心にした、脱都市生活的傾向の第3期。現在となると、一まとめは難しいのだが、地域主義との整合性を求めている第4期と言えるのではないだろうか。過去の分析や総括は、改めて行わなくてはならない事だが、現在の地産地消といわれる農業の方向の中で、有機農業がどのように、存在してゆくかが現代的課題だと考えている。農薬や化学肥料の問題点が、直接被害の告発段階から、循環型社会の中で自分自身の問題としてとらえなければならない事になっている。1、循環可能な社会とはどんな社会なのか。2、循環可能な社会での農業の位置づけはどういうものになるのか。3、そのとき全ての農業が有機農業となることが、望ましく又可能なことなのか。

循環する社会とは、裏返せば拡大再生産しない社会である。拡大することで、維持される社会は必ず行き詰まる。生産は安定する事が目標となる。科学とか、思想とか、芸術とか、の分野で、その総合する暮らしの深まりを意味する社会。農業生産というものが、必要最小限の所で安定することが出来るかが、大前提となるだろう。この点を社会はまだ認識していない。競争とか能力主義とかが好ましい争いとされているうちは本当の循環する社会は無理な事だろう。果たして人間に行き着けるところなのか、単なる理想主義なのか。有機農業においては、価格や生産性が営業競争としてより強く意識されるように成ってきている。この点で、第4段階に入って後退が著しい所である。有機農業も営業の中で成立する事が、当たり前の事となった、JAS認証の時代。有機農業がJAS基準内の安全な食糧の供給という狭い範囲の思想になっていやしないか。

一方で、農業生産の地域主義が主張される。農業地域主義は、環境問題や就労の問題とも関連して多くの地域で注目されている。ここでの環境問題は有機農業と現段階では、上手く連携が出来ているとは言えない。水田環境が地域全体の環境に重要であるという認識は広がっているが、畑作や果樹が耕作放棄地に較べて、環境にいいのかどうかは議論の分かれるところだろう。多分両面があるのだろう。人口林が自然であるかの問題と似ている。地域の経済のあり方のどこに農業が位置づけられるのか。これは定まっていないが期待はされている。農業が循環する社会の、要の位置に存在する事を、繰り返し意識する必要がある。テレビや車は3日なくてもいいが、食べ物が3日なければ社会は崩壊する。循環する社会にとって、最低限必要な基幹産業が農業である確認。その農業生産において一番必要なものが、生産者である。企業社会の落ちこぼれの吸収分野が現状の認識。

有機農業では提携とTEIKEIがとても重要な位置づけであるのは、過去もそうだったし、現状でもそうだ。しかし、同じ提携でも内容はかなり違ってきている。それは、4つの発展段階に分かれるように枠組みが変る事で提携の内容は変化する。現状では、地域の循環の中で提携がどう位置づけられるかの模索が重要課題である。消費者と生産者が存在する情況は地域で循環する提携ではない。循環するためには、消費者の存在しない世界が、必要である。作る者も食べる者も、同じ地平に立つ事。一方に台頭する企業的有機農業との関係。ここに地域JASの必要が強まっている。ここでの基準は安全な食べ物と言う枠が、地球全体を見渡した、長い将来まで見た各地域の循環の確立を見据えた哲学基準にならなくてはならない。そのとき重要になるのが農の会が行ってきている、作り出そうとしている、農業にとどまらない暮らし全般の、市民として同じ地平に立つ努力だと考えている。

昨日の自給作業:野菜種蒔きなど実は3日分6時間書き忘れ。 累計時間:7時間
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地価の下落

2010-03-19 05:35:51 | 地域
地価は下がり続けている。09年1月と比較で全国2万7410地点の99・6%がマイナスで、下落地点の割合は1970年の調査開始以来最大となった。商業地の地価は都市部の不振を要因に調査開始以来最低の水準で、ピークの91年の4分の1に近い。住宅地も83年ごろのレベルとなった。東京、名古屋、大阪の三大都市圏を除く地方圏は、人口減少などを背景に商業地が5・3%、住宅地が3・8%のマイナスでいずれも18年連続で下落した。公示価格は2人以上の不動産鑑定士が特別な事情を取り除いた、有効利用更地価格を算出している。土地取引の目安にする価格である。土地価格は経済の実態を表わしているので、注目している。土地価格は底を打ったとか、言うような情報が良く表れる。そうあればいいという、マンション業者などの希望的推測情報である。底はまだまだのようだ。70年以来最低の価格と言う事は物価の変動を考えると、40年前の半分以下の価格と言う事だろう。

いよいよ大変な時代に突入していると言うことが表れた数字である。金融崩壊以上の、大きな経済破綻が近づいている。今は、一時の静寂のようなものだ。今までも、正直私の経済予測はことごとくはずれてきたので、はずれてくれる事を祈るばかりである。経済はどん詰まりにきているとしか思えない。アメリカのあがきが、日に日に強まっている。オバマ大統領に起死回生を願ったアメリカだったが、やはり、どうもだめなように感じる。アメリカの焦りの姿はいよいよの深刻さを感じる。アメリカ中心とした経済支配体制の崩壊。それに依存して成立してきた、EU、及び、日本の経済的連鎖崩壊。世界の経済の枠組みが変わるのだろう。それは、旧ロシア圏の経済後退に近い形で、自由主義経済圏の60年間の支配が終わる時なのではないだろうか。

これからはアジア経済の時代と言われる。一方に地域の時代とも言われる。実に相反した経済展望なのだ。中には、地域の産物を中国市場に販売する事を、両者の両立と展望する、矛盾に満ちた発想もよくある。地域の時代とは、循環型経済の模索だ。アジア市場への輸出というのは、外部経済依存である。都合よくいいとこ取りは出来ない。アジアの発展途上の不安定な市場を対象にした経済とは、一種の博打的経済である。大儲けもできるが、大損もする。生産という側から考えたら、馬鹿げた市場である。生産の正当な評価とは別な所で成立するような、要因が多分にある。言ってみれば、中国の富裕層を対象に、卵を作れば儲かるからと言われても、やる気にはなれない。やはり、いくらギリギリ経営でも、近隣の人が食べてくれるものを作りたい。

土地価格が使用価格に近づいている。健全な事だと思う。投機的要素が土地価格には付きまとってきた。底に日本人の伝統的な、家制度的な発想が絡み付いて、土地即財産と言う感覚があった。使用価値とは別の所で、土地の価格は動いてきた。住宅価格でさえ、上がるのかもしれないと言う思惑含みで作られた。農地については、そのような価格で購入しては、営農は不可能と言う価格になった。購入する人の思惑は、残っている投機的期待感だ。今徐々に使える価格に近づいているが、まだまだである。小田原の2005ねんの耕作地は2,000ヘクタールを切っている。本来的には5,500ヘクタール以上の農地があった。もちろん工場や宅地になった所もあるが、山に戻ってしまったところも多い。使用価値がほとんど無いというのが農地の実態である。農地の個人所有を止める事が、解決に繋がるかもしれない。
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日本の青空Ⅱ

2010-03-18 04:20:10 | Peace Cafe
「いのちの山河~日本の青空Ⅱ」が上映された。小田原の市民会館大ホールが満席であった。2部構成で上映会が行われたので、すごい数の人が、この映画を見たことになる。なかなか上質な映画だった。「貧困・医療・豪雪」今も少しも変わらない課題である。この今に続く大きな課題に正面から取り組んだ、岩手県沢内村の50年前の物語である。1961年日本で始めて、老人医療を無料化した村。このことは当時も大きく報道されたので、記憶に残っている。それじゃー病院の待合室が年寄りの集会場になる。というのが大人たちの声であった。病院に行くというのが、山梨県の山村では、一種のリクレーション気分が伴っていたからである。今は沢内村はない。2005年町村合併に伴い、西和賀町となった。1973年に、老人医療は全国的に無料になる。しかし、1983年に成ると、老人医療の全国的な無料化は終わりとなる。

社会の方角が、ゆれている事が良く見える。無料化といえば、今変ろうとしているのが、高校教育の無料化である。子供手当ても同じ発想であろう。老人医療の方は、後期高齢者医療制度という有料制度である。こうした問題は税の使い道である。国債を発行して、借金してでも子供を大切にしよう。教育を重視しようと言う判断が、国民の方角なのだろう。個人的に言えば教育について、一生を通してほとんどお金を払わないできた。それは、宗教の補助を受けたことと、国の補助を受けたことになる。自分のアルバイトで暮らしながら何とか教育を受けられる範囲であった。フランスにおいてまで、2年半の間授業料もなく美術教育を受けさせてもらった。それに相応しい結果を残しているかどうか、怪しいものではあるが、気持ちとしては、次世代にお返しをしなければならないと考えている。

この映画で一番興味のある所は、地域での合意の形成方法である。広報活動、対話集会、婦人会の結成。行政が出向いて、歩き回り、地域の合意を作り上げてゆく。大正デモクラシーを背景にする、地域自治の思想が色濃く反映している。沢内村に生きる誇りを作り上げてゆく姿。自分が暮す小田原のことと、想念が行き来した。市民力の掘り起こしは、どうすればいいのだろうか。昭和20年代の各地で動き出した、民主主義的地域活動。今あの動きはどこにあるのだろう。境川村でも盛んな青年団活動があった。市民という存在が、企業活動に奪われている。高度な生活を維持するための高収入確保。市民が地域住民である前に、外部の経済活動に翻弄される存在である。例え農業者であったとしても、地域農業の枠内で発想していたのでは、人並みの暮らしが成り立たない状態。

青空は見えるのか、かつて青空が晴れ渡った時代があったのかという思い。ノスタルジーではないが、未来のあった時代。人間が暮すこと、暮らしを深める事、こう言う事から日々がどんどん離れててしまう環境。理想を持って生きると言うことは多分いつの時代も、同じに困難であろう。沢内村村長深澤晟雄氏は理想を求め、貧困と戦おうとして、59歳で亡くなる。いまや、全国の沢内村では暮らしが立たなくなり、消滅して行く。沢内村も当時の6,713人から、3割ぐらいになっている。山村は貧困は克服どころか、村落の終焉が続いている。日本人がどう暮らしていくのかが、見つからないで居る。医療の無料化どころか、地方病院の経営が出来なくなっている。小田原での上映会を見逃した人は、二宮町ラディアンホールに、5月8日(土)又来る事になっている。
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足柄幹線林道の掃除

2010-03-17 06:06:11 | Peace Cafe
14日には足柄幹線林道の掃除があった。足柄幹線林道は久野の坊所から、箱根宮城野に抜ける、10キロほどの林道である。林道とは名ばかりで、箱根への通勤と箱根観光の抜け道として主に使われている。途中は杉檜の植林地帯で、眺望は上の峠辺りまで行かないと全くにない。清掃作業は実質1時間30分であった。40リットルのゴミ袋で、8袋というすごい量ををひたすら集めた。怖ろしいごみの量である。果てしの無いごみが道路際に散乱している。前から話は聞いていたが、この道では初めてのごみ拾いで、そのすごさに少々驚いた。40人ぐらいでやったわけだから320袋か。、それでもまだ、半分ぐらいしか出来ていない。よくもまあーこれほどに汚してくれたものだと、あきれ果てる。燃やせるゴミと、空き缶ビン類がほぼ半々であった。

今回の呼びかけの中心を担ってくれたのが、森の仲間たちの皆さんである。以前も欠ノ上の伐採を手伝ってくれたグループである。前回の作業でとても力量のあるグループだとは分かっていた。今回も清掃の準備万端してくれたので、スムースに作業が進んだ。10キロを40人でやるとして、一人が片側500メートルやればいいはずなのだが、それが半分ほどしか出来なかったのである。私が担当したのは、旭丘高校の久野校地の前辺りだった。尋常ではない量があった。10メートルでゴミ袋が一杯に成るという、ごみ密度の場所もあった。旭丘高校ではこの状態をどう考えているのだろう。もちろんごみの内容物から見て、旭丘の生徒のごみという訳ではない。あくまで観光客のごみが主体である。大物の不法投棄も一部にはあった。

箱根にはゴミ箱が少ない。ゴミ箱を作ると忽ちごみの山になるから、大抵の観光地はごみ箱を作らない。箱根でよく絵を描くので、あちこちと入り込んで状況は把握しているつもりだが、ちょっとしたごみが捨てることは出来ない。持ち帰りが原則と言う事だろう。それは悪い事ではないが、結果ポイステが横行する事になる。小田原市と箱根町の境に関所を設け、箱根のごみはここで捨ててください。こう言う風にはできないものだろうか。箱根町の側は、清掃活動があるようで、実はごみが少ない。小田原に入ると、一気に増えるというのだから、小田原の恥のような感じもするが、よく考えれば、箱根でのごみが中心である。現在ごみ処理広域化が検討されているが、ごみの内容が、箱根と小田原とではまるで違う事が分かる。箱根のごみは家庭ごみではなく。ほとんどが観光事業系のごみである。

箱根での観光事業のためにでてくるごみを、どう考えればいいのか。これは本来産業廃棄物のようなものだろう。少なくとも観光業者が自分の営業の中で処理をすべきごみのような気がする。家庭ごみという名前の中に、事業系ごみを混ぜ込もうとして、一般廃棄物の定義を曖昧にしてしまった。産業廃棄物の処理困難を、できるだけ一般廃棄物に混ぜ込もうという意識が働く。こう言う所に報道の責任がある。もちろん環境庁あたりの知恵者が仕掛けたことだろうが、報道関係は無意識に家庭ごみという訳のわからない名称を、普通に使うようになってしまった。NHKには抗議したことがあるが、普通に使われ、認知されている言葉であるというような、まともな返事ではなかった。いずれ、清掃活動をボランティアで処理する構造は、何かがおかしい。おかしいけど他に方法はない。小田原でも多くの人があちこちの清掃活動をしている。まあ、これをおかしいというと、自分のちんけな心が見通されるようなものではあるのだが。
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