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「大河の一滴」五木寛之の悲観

2022-11-28 03:54:53 | 


 大河の一滴を読んだ。ベストセラーになるほど読まれた本と知っていた。何故か今になって読んでみたくなった。意外な感じで読んだ。その意外性が本音でおもしろかった。五木寛之らしくない本音のかっこ悪さむき出しの本であった。

 その辺が多く読まれた原因なのだろうか。自殺しようと考えたことが二度あると、かなり思い切った調子でそんな本音を書いている。人間はそういうものだと考えていたので、そのこと自体は驚くほどのことではない。そう言う辛さを抱えることはむしろ普通ではないだろうか。

 人間なら程度の重さは違うかも知れないが、必ずそういうことはあるはずだ。人それぞれにその原因は違うのだろうが、そうしたことは当たり前だと思って生きてきた。人間が生きると言うことはそれくらい辛いことだというのは同感できる。

 しかし、と思いながら読んだ。そのことを重く置くかどうかである。気の迷いと軽く考えて、そのことを通り抜ける人もいれば、そう思い詰めたあの時こそが自分の本質だったのではないかと考える人もいる。実際に実行してしまう事には、まだ距離があると思っている。

 人間は大河の中の一滴だという意識で生きて行くしか無いと言うこと。大河は海に注ぎ、空に蒸散し雲となり、雨となってまた山に落ちる。雨は小さな水源となり、大河となる。この大自然の水の循環の姿の中に、人間がどのようにでも変容しながら生きるという時間と空間の感覚。

 社会がどうしようもないところに来ている。個人がどうにもできない大河の流れのように、崩壊に向って流れ進んでいると考えざる得なくなったという指摘。その流れは誰にも止められないという諦念。大震災、大津波、原発事故。それが始まりだった。

 コロナの蔓延は社会を大きく変えた。右翼と言われた安倍氏と反日思想の統一教会の信じがたい結びつき。反日団体と国葬を行うような総理大臣がどうかかわっていたのか、深い闇がある。テロで殺された結果、深く結びついていたことが明るみに出てきて、組織解体が出来るのかどうか。

 統一教会が反日組織であることは私は50年前に、当たり前に認識していた。当時の学生であれば、知らない人などいなかった。それが、霊感商法でつかまり、もう活動は弱体化したのかと思えば、自民党の中に深く食い込んでいた。

 このことに私は絶望している。自民党は何でもない事のように軽く考えているが、自民党自体が議員に自主申告させて、これで幕引きにしようとしているが、自主申告しない人間がいくらでもいる。そんな人間が、衆議院議議長になり、大臣になっている。まともな状況とは言い難い。

 問題はこれほどのことが、軽く流れ去ることとして終わらせようとしていることだ。国民もこんなひどい事件を深く受け止めることをしようとはしない。そんなものだと思っているのか、政治家に何かを期待しても無駄だという事なのか。

 こういう政治と社会の状況に、コロナが繰り返し、繰り返し蔓延する。もう第8波と言われている。心が疲れ切ってしまう。大河の一滴はこの状況を、予測し警告している本ともいえる。どうしようもない時代の象徴が公明党である。

 創価学会が統一教会のような反日組織でないことぐらいは分かる。しかし、宗教組織という組織力と動員力を持って、自民党には無くてはならない組織となり、政治に大きな影響を与え続けている。労働運動が衰退した。あるいは保守化した。

 市民運動は政治運動組織として力を持つほどの動きにはならない。環境運動も明確な解決策を提示できずに、反対運動の範囲にいる。しかし、金権主義だけはより明確になり、金儲けをすることが、立派なことだとされて社会に受け入れられている。

 日本教ではお金のことばかり言う奴は卑しい奴だとされていた。ところが金儲けが悪いことではないというのが、社会全般に広がり、学校教育にさえ、金儲けのための方法が入り始めた。政府は国民皆投資家を目指すという事のようだ。貯金より投資が何故望ましいことなのか。

 国債を国民に売り続ける政府。国民を投資に駆り立てる政府。普通に働いて、その労働で生きてゆくという当たり前の生き方が、ばかばかしい生き方とされていく。どうも国民がポイント制になった。ナンバーカードを登録すると10000万ポイントが付きます。

 そうしたお得なポイント確保を抜け目なくやってゆくのが、どうも要領の良い生き方として政府から奨励されている。額に汗して、手を油まみれにして生きるのが人間だ、と帝釈天住職から言われた寅さんは、てんぷら屋さんで働いた。まともな人間の生き方が、見失われた社会。

 こんな状態で起きたのが、ロシアのウクライナ侵攻である。日本は忽ちに専守防衛から、敵基地先制攻撃に変わろうとしている。国民もロシアの暴挙を見れば、止む得ないことだと感じ始めている。とんでもない間違いだ。中国を仮想敵国にすることが、どれほど日本の安全を脅かすことだ。

 日本はアメリカが武力を増強しても、怖いとは思わない。むしろ心強いと考えている。中国が軍事力を増強すると、不安を増してゆく。アメリカと中国は何が違うのだろうか。どちらも軍事大国である。価値観の似ているアメリカの言いなりになっていれば、安泰なのか。トランプの狂気を選択するアメリカを見ていればそうとも言えない。

 むしろ日本人は中国の国家資本主義の方が、価値観が似ているのかもしれない。何が良くて何が悪いのか。自分自身はどう生きればいいのか。もう一度そのことを、自分というものに立ち返り、生きるという意味を問い直そうという事なのだろう。

 多くの人がこの本に共感したという事は多くの人がこの社会の行き詰まりを、肌身に感じているという事だろう。然しその突破口がどこにもないという閉塞感が社会を覆っている。どうすればいいのだろうか。その解決策が提示されている訳ではない。

 むしろ解決のない問題の渦の中でどう藻掻いてゆくかが描かれいるような気がする。もがき方をそれぞれが自覚しろという気がした。のぼたん農園の自給の暮らしを活路として提案したい。人間は天ぷら屋で働かないでも、自分の力で自分を生かすことは可能なのだ。
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