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第3回 水彩画 日曜展示

2020-05-31 04:37:10 | 水彩画
 第3回 水彩画 日曜展示




 7、「崎枝の小嶺牧場3」
 2020.5
 中判全紙 クラシコファブリアーノ


 

 8、「崎枝小嶺牧場2」
 2020.4
 中判全紙 クラシコファブリアーノ



 9、「崎枝小嶺牧場1」
 2020.4
 中判全紙 クラシコファブリアーノ



  中央に少し見える所は田んぼである。田んぼをいろいろに書いて見ている。田んぼは何故か時に人が来ている。水を入れるようでもあり、耕しているようでもある。水は張られているが、何かが植え付けられているようでもない。

 ただ、ここに水が入る前には描く気持ちは湧いてこなかった。描きたい場所は沢山あるので、そちらに気を取られていた。ところが、ここに水が入った途端、この景色が急に動き出した。その変わりようにむしろ惹きつけられたようだ。

 画竜点睛を欠くというが、まさにこの風景は要がなかったのだ。水が強い反射をしたもので、全体が生き生きとしたものに見え始めた。同じ場所とは思えないほどだ。前には水がなかったのに、何故水をためたのかも不思議なことだ。

 絵を描く場所が出来て、毎日通うようになったときに、トラックターが入り耕したのだ。何故か私が田んぼを描きたいという気持ちが通じたようである。田植えをするのだろうと思ったのだが、結局は田植えをしなかった。さらにその下の田んぼの代掻きもしてくれたのだが、ここは水も入れなかった。

 特に管理をしているようでもない。ところが今年の石垣島の5月過去最大の雨量である。1時間に127ミリも降った日もあった。描いている奥でも土砂崩れがあり、通行止めになったりもした。そんな強い雨があるもので、アラオコシだけの田んぼも水が張られたようになる。

 田んぼが広がったり、無くなったりを繰り返している。それで、絵でも同じ場所なのに、様子がずいぶん違う。正確に描いているわけでもない。こんなに変化があったわけでもない。見ている目にこんな反応の違いがあったという事だ。

 やはり、見るという事はずいぶん主観的なことだ。できる限り、見えたようにやろうとすると、こんな風に違ってしまう。田んぼだけではない。防風林の向こう側の海も空も随分違う。見ている私も同じでないという事なのだろう。

 日々新たなり、と言うが人間新しい一日を生きているという事を実感する。かつてない一日を体験している。だから面白くて、やる気が出てくる。毎日同じようでも、新しい世界なのだ。このかつてない一日は絵を描くという事になる。

 絵の方は大したものではないのかもしれない。それでもいいと思う。そのたいしたものでない絵が自分に近づいているようだなという気はしている。作り上げて、良さげな絵を描こうとしたことは、ずいぶんかかったがほぼ無くなった。無意識で出てくることも随分と減った。

 描いている水彩画を日曜日にはこのブログで公表している。集まって展覧会を開き見て貰うことが出来ない世界になりそうだからである。ブログでの作品展示はまだ、実際に見て貰うための環境は十分ではない状況であリ残念である。

 どこかウエッブ画廊が出現して、質の高い展示をしてもらえないものだろうか。今後研究して良い作品展示法を考えたいと思う。例えば、ダウンロードすれば、それなりの品質の作品の印刷物が出てくるようなことになれば、新しい絵の表現法にもなる。

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サトウキビの栽培は独特なものだ。

2020-05-30 04:23:39 | 石垣島

 崎枝のサトウキビ畑。もう少しすると遠くの家がサトウキビで見えなくなる。サトウキビの生育は素早い。手前は刈り取ったまま手を入れていない畑だ。奥の家の手前の畑は手入れの入ったサトウキビ畑。まだ背丈が1メートルぐらいだ。伸びてくると2メートルは超えるから、向こうの家は全く見えなくなる。

 宮古島は美しい絵にしたい島なのだが、サトウキビで遠くが見えないというところで困った。島中がサトウキビで埋まっている。サトウキビの刈り取られた後だけが、絵が描ける島になる。沖縄ではサトウキビのことをキビと呼ぶ。粟、きびのキビかと思って聞いていたら、サトウキビのことだった。

 サトウキビは沖縄の耕作地の半分を占めている。石垣島でも田んぼよりサトウキビの畑の方が数倍も広い。その一番の理由はサトウキビは手がかからないと言われていた。ではサトウキビはどうやって栽培するのか。これが案外複雑で分からないものだった。実際の畑は状態がバラバラである。

 きびというのだから、イネ科のものでトウモロコシなどと近いのかと思えるが、栽培はまるで違う。栽培の個性的な作物と言える。日本独特の栽培法が生まれているのかもしれない。本にあるような手順だけは最近やっと理解は出来るようになったが、畑を見て今がどの状態なのかはまだ分からない。

 私の絵の描き方では、サトウキビ畑の栽培状態が分からないと、サトウキビの畑は描けないので困る。描いたとしても何を描いているのか分からないことになってしまう。緑ならば、牧草もサトウキビも同じというわけには行かないのだ。

 描く以上サトウキビを知りたい。ざわわ、ざわわと唄うにしてもサトウキビの見た目を唄うだけでは違和感がある。サトウキビと沖縄の風のことをきちっと知りたい。サトウキビがざわわと唄うのはどの季節なのか。やはり穂が出てもう刈り取るという夏の唄のような気がする。6月23日頃の唄と考えればいいのだろうか。

 サトウキビ描くためにはすべてを知りたいと思う。畑を見て、春植えか夏植えか。苗を植えたのか、塊根から出てきたものなのか、そういうことが分からないとサトウキビ畑を描く気持ちにならない。すこしづつ畑で作業されている方に栽培を聞いている。

 サトウキビの畑をよくよく観ていることになる。農家の方が何をしているかがすこしづつだが分かってきた。栽培には大きく2通りのやり方がある。これは大分前に今帰仁城の入口でサトウキビを売っているおばあさんの言われていた通りのことだった。

 私はこのように聞いたのだ。「サトウキビは毎年植えるのですか。あるいは何年間か同じ株からかとれるのですか。」「そうさねぇー、3回はとれるサー。」ところがその意味がよく分からないままだったのだ。毎年完全に刈り取るが、3回ぐらいは再生させて採ると言うことになる。ただこの3回は4年半と言うことになるわけだ。まだ本当にそのことは確認していない。

 その最初に聞いたときには理解が出来なかったことがやっと少し分かってきた。差し茎で芽出しをして苗を作る方法が主流である。茎にある芽から苗を作るのだ。もう一つが上を刈り取った後、地下に残った塊根から芽出しをする方法である。この二つが混ざっている。混ざっているというか、4,5年で繰り返されているのではないかと思われる。

 種を蒔いて栽培すると言うことはない。品種改良はかなり盛んな作物のようだ。砂糖の含有量が違うらしい。背丈が違う。風に強い品種もある。太さも随分違いがある。石垣島の熱帯研で作出されたものもあるらしい。

 簡単に挿し芽ができるから、種を蒔かないというのもあるのだろう。もちろん花も咲くし種も実るから、種から出来ないわけでもない。穂が出てしまうサトウキビはどこか栽培がおかしくなっているのではないか。あるいは、塊根から繰り返して発芽させていると穂が出やすくなるのかもしれない。穂が出ると糖分が少なくなるはずだ。

 出くわして驚かされるのは収穫の姿である。巨大な機械とトラックを畑に入れて、一気にコンバインで刈り取る。栽培のサイクルが春植えと夏植えがある。良い芽を付けた茎を圃場に伏せる。そして130センチ前後の畝幅で植えて行く。畝幅が広いのはハーベスターの規格と言うこことがあるのだろう。

 そして圃場を整備する際の培土機の幅と言うこともある。サトウキビをまたぐように大きなトラックターが培土機を付けて走って行く。かなり深い土寄せを繰り返して行く。追肥をしては土寄せをするということになる。

 畝の高い畑ではこれが80センチの高低差にまでなるところがあった。これが赤土の流出の原因になる。畝間が川のように流れ、畑から土が流れ出て行く。良い土壌が流出することにもなる。土寄せが重要と言うことが農協の指導のようで、熱心な農家ほど土寄せをきちっリと行う。

 熱心ではないきび畑は畝間に雑草がかなり生えてくるわけだ。畝溝に追肥をしては土寄せをしながら草を抑える。こうして栽培したきびを1年半栽培して収穫に至る。かなり栽培期間が長い作物である。こうした土寄せが赤土の流出に繋がっている。作土層が流されてしまうのだから、栽培法を考える必要があるとみている。

 刈り取り適期がかなり微妙な作物のようで、収穫適期というのは1週間らしい。良い時期に刈らないと糖分の収量が下がるらしい。しかし、畑によってはその頃穂が出ているところもある。穂が出てしまうと品質的に良くないに違いない。

 そして刈り取り終わると、しばらくすると芽が出てくる。芽がうまく出るためにはハーベスターで刈ったときの残渣が畑を覆っていると良くないらしい。その新しい芽を守るように又、トラックターで畑に入り土寄せを繰り返して行く。だから夏植えならば、今度は春植えと言うことになるのだろうか。このあたりの実際まではまだ確認していない。

 宮古島はサトウキビが盛んだ。石垣島よりも熱心にサトウキビを栽培しているように見えた。石垣島では石垣牛のほうにち力が注がれていて、サトウキビもやっては居るが、どちらかというとサトウキビが草地に変わってきているようにも見える。

 サトウキビで砂糖がとれるのは茎の部分である。茎をとるためにはまず上部の歯の部分は刈り取って捨てなくてはならない。このサトウキビの葉を牛はとても好きだ。サトウキビの葉を持って行けば、知らない牧場の牛でも寄ってきて食べてくれる。

 サトウキビのことを普通はきびと皆さん呼ぶ。きびモチのきびとは違うのだが、きびと言えばサトウキビのことになる。確かに似ている雰囲気はある。そしてウージとも呼ぶ。島唄の「ウージの森であなたと出会い」はさとうきび畑の話である。

 サトウキビの絞りかすはバガスという。これはバイオガスの燃料になる。金沢大学の理学部の方が、宮古島でバガスの堆肥か事業に取り組まれていた。なんとその方の奥さんが水彩人の仲間であった。後で知ったことだ。


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石垣島は岩石の博物館と言われている。

2020-05-29 04:02:50 | 石垣島


 こうしてつい石を拾ってきてしまう。又戻さなければと思うのだが、石に吸い寄せられて拾ってしまうのだ。中国の画道は石の素描から始まるそうだ。石には全宇宙が凝縮していると言われている。石の素描を通して、宇宙を感得しようというのだ。

 石垣島は世界に類を見ない石の博物館である。地層が実に複雑なことにある。島に落ちている石の中に火成岩、変成岩、堆積岩、とすべての岩石がそろっている。石好きとしてはたまらない魅力の島なのだ。ついついめずらしくて拾ってしまうくらいだ。

 中国の絵の修行とされていた。岩を墨一色で描き分けるというのは確かに難しいことである。火成岩と、変成岩を素描で描き分けられるだろうか。ここに世界観の修練がある。ヨーロッパ美術の人体研究よりも、中国の岩石研究の方が私には向いている。

 石垣島で絵を描かせて貰っている場所でも石は実に様々である。削られた地層を見ると、見たこともない多様な地層になっている。いろいろ眺めているだけでも尽きないものがある。石に対する知識が不足していることが実に残念だ。石垣島岩石ツアーはないのだろうか。

 石垣島は海底噴火で出来た海山がもとになっている。それが太平洋プレートの沈み込みで序じょに沈みながら、又隆起をするを繰返し、珊瑚礁を形成した。だから石灰岩地層も広がっていて、鍾乳洞も多くある。当然火山が元ものとの島なのだから、溶岩地形もある。

 だから石垣島では採石場もあれば、コンクリート工場もある。砂も多用に存在する。建築材料が自給可能な島なのだ。この大きさの島でこの多様さはめずらしい限りである。是非ともブラタモリを撮影してもらいたい。

 一番有名なものが、琉球石灰岩と呼ばれる、家を取り囲む石垣に使われている石である。琉球石灰岩には硬さが様々なようで、大理石くらいの硬さから、大谷石程度の柔らかさのものまで様々ある。費にも強いからかまど石にもなる石だ。



 岩石が多様で、ついつい面白くて拾ってきてしまう。ブロック塀の上に並べてあるのだが、それがまるで岩石標本状態である。好きな石としては柔らかい石よりは硬い石である。理由などなく好みである。大理石よりは御影石の方が好きだ。標本的に言えば、花崗岩が好きだ。

 しかし、島の人々の石の好みはむしろ柔らかめの石のようだ。庭石にわざわざ琉球石灰岩を使う。私は庭石としては御影石などの硬めの石の方がいいと思うのだが、どうも感覚の違いがあるらしい。旧家の庭の石がどうも不思議な感触がある。庭の造は京風の庭園を意識していながら、石が珊瑚礁ではどうも違和感がある。

 花崗岩というのは溶岩が地中の深いところで冷えて固まって出来たものだ。馴染みの深いものが墓石である。彫刻の材料などでも良く使われる。建築材料としてもよく見かける。堅くてしっかりした石だが、加工はとても大変な石でもある。

 これは庭石にもいい。色や形にもよるが、これなら庭石で行けるという石も落ちては居る。しかし、そうした石の庭はホテルで一軒あるだけだ。何故だろうか。

 昔の石工さんはこの硬い石を叩いていて見事に割った。しかし石工さんの身体は硬い石からの衝撃の反射を受けて、40歳ぐらいで死んでしまう人が多かったそうだ。そう石工さんから聞いたことがある。

 石に関わると言うことは昔からは大変なことだったのだ。ヨーロッパは石の文化だ。ピラミッドなど作るにはどれほどの人間が石に殺されたのであろうか。大理石でできている。内部は粗めの石で、表層は磨き上げられた大理石だったらしい。花崗岩でなければ柔らかさうなので大丈夫かもしれない。

 花崗岩が硬く丈夫な石英が主成分になっているのに対して、大理石は石灰石が主成分となっているためかなり柔らかいという特徴がある。ヨーロッパでは過去しやすい大理石がうまく使われている。装飾的な壁面などに美しい模様の花崗岩が使われる。大理石は変成岩と呼ばれる。岩石が熱や圧力で変化して出来た石である。ピラミッドも場合によっては表層には花崗岩が貼られていた可能性はある。見たことがないから分からない。

 学生の時の地学の授業で岩石標本を覚えると試験があり、大体石を見ると名前は分かるようになった。名前が分かると興味が深まる。あれから50年も経って、今では名前が思い出せなくなっているが、まだある程度は分かる。

 崎枝には粘板岩の地層があり、これも独特である。これは硯などに使う石だから、探せば使えるものがあるのかもしれない。拾ってきて、シーサーの台石として使っている。平らで敷石には向いている。最初の写真の手前の石は粘板岩である。堆積岩が圧力を受けて変性したもの。チャートなどもそばの地層にある。

 チャートは堆積岩の中でも堅いもので火打ち石にも使われる石である。子供の頃から一番好きな石だった。今急に思い出したのだが、富士山のそばには岩石博物館という施設がある。ここは一日居ても飽きないくらい面白い場所だ。ここにいろいろなチャートが飾られていた。

 不思議な石で様々な色がある。石の中に虫の化石があると言うことも言われるが、余りに堅くて到底そんなタイプの石には見えない。東海地方の石器などではチャートの割れた鋭い断面を利用した石のナイフや矢じりなどがある。黒曜石などより、どこでも出土する石だからかもしれない。

 確か石垣島では石器文化は見つかっていないと言うが、材料はかなりあるようだ。石垣島の岩石の研究はかなり深い。独立行政法人 産業技術総合研究所の調査があるが、かなり広範囲の調査がされている。屋良部半島なども岩石的に魅力があると思うが、残念ながらここの調査では島北東部だけである。

 
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水彩画は油彩画と水墨画の中間にある。

2020-05-28 04:37:34 | 水彩画





  40号の絵を今描いている。水彩人展に出品するつもりの1点である。車の中で描ける最大のサイズが50号ぐらいである。車の中では離れて見れないと言うことで、難しいのだが、実際の描く作業は車アトリエで、絵を長時間眺めているのは家のアトリエである。この眺めては居るだけの状態が必要と考えている。

 水彩画にはいくつかの特徴がある。一番はマチュエールがないと言うことではないかと考えている。油彩画から水彩画に変わったときマチュエールがないことでの違和感があった。ただ、色彩が日本の自然には合っているので、水彩画に変わっていった。

 マチュエールがないと言うことから、筆跡を重視するようになった。強い筆触でマチュエールに変わるものを求めたのだと思う。風景には強くしたいところがある。強く見えるところと行っても良い。強いところを起点として動きが起きている。それをマチュエーで対応するのが油彩画であり、筆触で対応するのが水彩画ではないか。

 その後何点かは油彩画も描いたが、それは人物か静物である。リンゴの光の当たっているところに厚塗りの反射を入れる人が良く居る。光を意識するためのマチュエールである。こう言う質感は油彩画の特徴なのだと思う。

 水彩絵の具には絵の具の物質感で存在感を示すような油彩画特有の表現はない。油彩画実在的な感触から見ると、いくらか映像的表現と言うことになる。水彩画は塗られてしまえば色の付いた紙になってしまう。染色であれば、染められた布になる。基材そのものが色になる感覚が水彩画にはある。

 この紙に置き換えられるということは、事物を観念化するような側面があり気に入っている。極端に言えば、風景を文章で表現しようとするなら、詩の表現であろう。「荒海や佐渡に横とう天の川」風景の観念化である。水彩画の方が油彩画よりこの感触が強いと言うことだ。水墨画であれば、さらに観念化が起こっている。

 リンゴを油彩画と水彩画で写実的に描いたとして、だまし絵的なリアルさは油彩画の分野である。水彩画の細密表現は標本画的な正確さを信条とするのだろう。ボタニカルアートとしての必要十分なものが、水彩画にはある。油彩画のリアルさは実在感を伴っている「ある」という説得力がある。

 もう一つの水彩画の特徴は透明性とにじみの表現である。油彩画では水彩ほどの微妙なにじみは不可能だろう。透明色の表現も油彩画よりかなり奥深い。それは水墨の世界に近い。紙に委ねるという意識である。

 人為的な行為を極力消し去る。描いては居るのだが、人間の意識としての行為を超えた、精神世界の境地のような世界に埋没して描くような意味だ。自分の意志が描いたことを消し去るような、自然さを求める水彩画である。

 水彩画では水に委ねるという人が居る。自分が描いたのでは無く、水が描いたのだという。自分はその水の意志に従ったのだというのだ。水の浸みて広がって行くにじみは人為を超えている。そこに自分の心情を反映させてゆく。それは服取り消しながら描くと言うことも似ている。

 この点水彩画は油彩画の持つ意識的な創作性が弱いとも言える。それは水墨画よりは意志的なものを表現することが可能とも言える。色彩を伴うと言うことで、水墨画の幽玄性のようなものから、意識的な表現も可能になる。

 その意味では水彩画は中国画が一番近い気がする。中国画は水墨画に着色をしたようなものである。日本画とも違う。日本画は中国画から学んだものではあるが、独特の装飾絵画に変化した。日本画は芸術と言うより美術作品という方が相応しいものだ。 

 しかし、一方で水墨画では精神世界の表現が求められる。書画一体と言うようなことが言われる。水墨画では完成に向けて、一方向に絵を進めるのが普通であるが、水彩画では試行錯誤の痕跡も表現として存在する。人間が生きていると言うことは正しいばかりではなく、間違うことや淀むこともある。だから絵には試行錯誤があって良い。



 これが水墨画と水彩画の違いではないだろうか。ここに上げさせて貰ったものは出光美術館にある仙崖の作品である。禅画と言われるものだ。不立文字というような形で、境地を示しているものだ。江戸時代にはこうしたもを見て通ずあう人間がいたのだ。

 江戸時代は現代の細密描写を喜ぶような文化の衰えた時代とは違うのだ。
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麻雀賭博:黒川基準に見る日本の賭博許容度

2020-05-27 04:34:26 | Peace Cafe


 パチンコ屋さんへの自粛要請で、どうしてもパチンコをせずにはいられない人の実態がよく見えた。大阪で自粛しないパチンコ屋の名前を公表したところ、むしろ人が集まっていると言われた。何故こんなことになるかと言えば、ギャンブル依存症だからだ。コロナ感染の恐怖はあるとしても、パチンコが止められない人はギャンブル依存症の可能性が高い。

 しかし、大阪で出た結果を見ると、いくらパチンコ屋に行っても感染拡大は起きないということが実際である。感染の実際と言うことが見えてくる。この場合強制的に閉じさせられたパチンコ屋は訴訟を起こすのではないだろうか。根拠のない行き過ぎた自粛要請には法律の裏付けがない。パチンコ議連はこう言うとき黙っているのだろうか。

 ピンボール依存症になったことがある。ピンボールの何が面白いというわけでもない。落ちてきた球を跳ね返すだけの遊びだ。お金が戻ってくるわけでもない。にもかかわらずやらないでは居られなくなったのだ。フランスに居た頃の失語症になった頃のことだ。ストレスが強くて、ピンボールに息抜きで向かったのだろう。本当にくだらない。くだらないがピンボールがなければもっと怖いことになっていた。

 実は恥ずかしながら、将棋依存症の時代もある。将棋道場に行かないでは居られなくなるのだ。千駄ヶ谷にある日本将棋連盟の道場にもよく行った。それで将棋がいくらか強くなったのだが、全くくだらない。くだらなくても、止められないものなのだ。

 自分のことからして、ギャンブル依存症の人の気持ちはある程度理解できる。自分が依存症の体質だから、パチンコというものもを含めて、ギャンブルに類するものは、一切さけてきた。触れないようにしてきた。触れたら抜けられないことが分っていたからだ。絵が好きだったからおかしなことにならないですんだのかもしれない。依存症が問題なのではなく、依存症が増化せざるえない社会の何かがおかしいのだ。

 この機会にパチンコ屋をギャンブルと位置づけるべきだ。パチンコが問題なのは生活破綻が始まるからだ。子供だってパチンコがギャンブルだと言うことを知っている。間に景品を介在させているだけのインチキシステムである。こんなことがいつまでも続く日本という国にあきれてしまう。

 今度法務省の見解の基準は月に2回。1回2万円は賭博に当たらないということになった。朝日・産経新聞が支持する黒川基準である。日本が賭博に対して、全く歯止めがない社会であることがわかる。賭博が犯罪ではないと法務省が明確にしてしまった。

 小さなギャンブルなら法律でも許容範囲というのが、パチンコのインチキシステムの言い訳である。ところが小さいどころか、これで私の叔父はすべてを失った。親戚のものが、代わる代わる助けることになった。つくづくパチンコの怖さを知っている。

 石垣島にもパチンコ屋は4店舗あると新聞に出ていた。3店舗しか知らなかったので、まだ知らない石垣島が有るのだと思った。コロナで今まで知らなかったことが分かる。飲み屋もそうだ。飲み屋依存症があるのだ。アルコール依存症と近いのだろうが、その店に行かないと収まらない人が居る。

 そういう息抜きの何かが悪いというわけではない。息抜きは人間には必要だ。人間はそもそもどうしようも無いところがある。人ごとでは無く、自分事としてそう思う。だから、悪所の出入りにはそれなりの倫理的枠がある方が良い。黒川基準がまかり通ってはダメなのだ。

 何でも神経質に禁止したら、社会の活力が奪われる。パチンコは健全娯楽だと言う意見がある。その言葉通りならいいと思う。だからこそ、賭博の一形態として明確に位置づけるか。賭博的要素をなくすかのどちらかにしなければならない。賭博場ならば文教地区や住宅地域にはおけないことになる。気楽に行ける賭博場という今の状況が悪い。

 悪所がない方が良いとは思わない。悪所は悪所として、分かる形で位置づけでなければならない。これは風俗営業でも、ポルノ産業も同じである。ない方がいいのではなく、悪所としてやむなく存在が許される状態ぐらいが望ましい。そこには心理的にも、倫理的にもハードルがある方がいい。その方が悪所としての意味も高まる。つまり、社会的装置としての矛盾吸収なようなものなのだと思う。

 私がピンボールにはまったのは精神的なストレスである。眠らずに絵を描き続けていたのだ。不安だからである。絵描きになりたいの一心が昂じて病になったのだ。認められたい病である。生きることに焦ったのだ。人間にはやむえずそういうこともあると思う。もしピンボールが無ければ、もっと始末が悪かった可能性が高い。

 社会も正しい公明正大だけでは回らないと思う。どうしようもないものや、情けないことも多々ある。だからすべてを排除しない方がいい。排除しない方がいいからこそ、区分けは必要だと思う。コロナ流行のこの機会に、一度パチンコ依存症から抜け出てみるのもいい機会ではないかと思う。

 私が将棋を止められた理由ははっきりしている。渋谷にあった、渋谷将棋センターと言ったか、そこで相手が待ったをしたのだ。三段の人だったので三段にもなって待ったはおかしいだろうととがめた。ルールである。待ったは止めましょうと言ったのだが、元奨励会員の将棋センターの経営者はそのくらいのことを認められない方がおかしいと言う判断だった。それを機に将棋を止めることが出来た。あれ以来人と将棋を指すことはない。

 依存症であっても何かのきっかけで抜け出ることは可能だ。諦める必要は無い。日本の社会にはギャンブル依存症に対する、恐怖心が不足している。どれほど怖いものかが理解されていない。人生がボロボロになる。薬物中毒などと同じである。人によっては自己コントロールできる人も居る。そうでない人も居るのだ。

 何気ない当たり前の形で社会の中に置かれていて、住宅街にまで混在している。この実態が良くないと言うことだ。やらなくて良いものまで、安易な気持ちでギャンブルに巻き込まれて行く。悪所は悪所として存在した方がいい。

 日本のように、普通の社会感覚の中に紛れ込ませてしまうことが良くないのだと思う。きれい事だけで社会は出来ていない。誰だってどうしようも無いときはあるだろう。そういうときに吸収される場というものは必要だと思う。健全娯楽ではなく、不健全娯楽は社会にいらないわけではない。

 もちろん、検事長が賭け麻雀は言い訳ができない。法の番人が、わずかでも法律違反があれば、社会の公正が失われる。検事には普通の市民とは違う倫理規定がある。今回アベ政権によって賭博常習者向けの黒川基準ができたことで、世の中のグズグズが又一段とひどくなると言うことだ。

 パチンコ屋の賭博認定である。ごまかして一般社会に紛れ込んでいることをこの機会に明確化した方がいい。パチンコ議連と呼ばれる自民党の「時代に適した風営法を求める議員連盟」は賭博にすべきなのか。健全娯楽にすべきなのか。明確に打ち出すべきだろう。

  黒川氏が賭け麻雀で辞めされたが、随分軽い処分であった。賭博に甘い社会らしい決定を内閣が行ったと、法務大臣の森氏は記者会見で語っていた。ところが後になって、それでは法的にまずいと言うことで、内閣は追認したに変えた。安倍内閣はもうダメだろう。
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コロナ経済崩壊に国防予算を使いきれ。

2020-05-26 04:06:47 | Peace Cafe


 世界銀行のマルパス総裁は十九日の記者会見で、新型コロナウイルスによる悪影響で、二〇二〇年の世界経済の実質成長率が「マイナス5%になる可能性がある」と危機感を示した。

 世界同時コロナ経済危機がはじまっている。これから起こることは間違いなく、戦後最も深刻で困難な経済危機になるであろう。経済崩壊回避を戦争状態と考えて国防予算を使いきる必要がある。不要不急の軍事費を日本の安全保障に使うことだ。

 経済危機に対応する挙国一致内閣を立ち上げる。そうしないと、またくだらない検事定年延長のようなことで時間を浪費することになる。政党を越えて、経済危機に立ち向かう以外に日本の経済崩壊を食い止める道は考えつかない。特に昔は優秀と言われた官僚のレベル低下を考えると、官僚任せと言うことでは到底経済危機を乗り越えられない。

  消費税一年間停止を選択すべきだった。10万円配布よりも効果がある。必ず消費が戻る。1年経った状況で、その後どうすればいいかを決めれば良い。国債の大量発行は経済崩壊に繋がるので、できる限り止めた方が良い。しかし、緊急対応として倒産の阻止だけは行わなければならない。

 一つのお店が止めると言うことは、国の経済が崩壊することに繋がって行く。すべてが台無しになる。全力で経済対策を行うほかない。対策が一月でも遅れることになれば、対応がそれだけ困難になる。どん底も深いものになる。一刻も早くアベ政権の退陣しかない。アベ政権には日本のことを考えて潔く身をひいて貰いたい。

 今回の経済的打撃は外国との経済交流が2,3年は回復しないと言うことである。石垣島では患者が出ないで1ヶ月も経つが、今日もまだ市役所車がコロナ自粛を訴えて回っている。全く根拠のない行動である。もし今の状態で自粛すべきとするなら、いつになっても観光客の歓迎などできない。その覚悟が石垣島にはあるとは思えない。

 観光客が来なければ、島の経済は成り立たない。経済が成り立たい島がどうなると考えているのだろうか。観光客の来ない島を目指すというのであれば、それもいいだろう。しかし、鎖国をするのであれば経済崩壊は覚悟しなければならない。この点を分かって自粛の車を今だ走らせているのだろうか。

 どうしても不安なら、年寄の外出禁止をおこない、若い人は普通の暮らしをして貰う。病院が崩壊にならない範囲で感染も受け入れるほかない。石垣島のことは日本全体の縮図なのだ。自粛解除して経済の活性化である。確かに第2波の可能性もあるが、年寄が外出しないで、若い人の活動の自由を確保することだ。

 不要不急の予算は先に回して、緊急的にコロナ経済崩壊に立ち向かうほかないだろう。あらゆる産業に軍事費を回して予算を注ぎ込むべきだ。例えば、辺野古埋め立てなど、どうせ20年以上もかかるというのだから、まず停止をする。さすがのアメリカにも文句を言わせない。当然すぎることだろう。

 石垣島の自衛隊基地など即座に停止し、撤回すべきだ。そんなことに予算を使っているような状況ではない。日本が新しい方向に転換する覚悟がなければ、この経済危機で沈没してしまうだろう。

 国防予算をすべて、コロナ経済対策に充てるべきだ。コロナ経済危機は国の崩壊になりかねないほど深刻なことだ。まさに国防と言うに値する待ったなしの国難である。国防費をすべて投入することは目的に相応しいえるだろう。経済が崩壊して、ジェット機があってもどうにもならない。

 あるとすれば、コロナ第二波であろう。第2波を裂けるのではなく、受け入れ可能な範囲で経済活動と両立させることだ。戦闘機の予算はまず、コロナ経済崩壊に当てるべきだ。経済が立ち直ったところで、国の安全保障がどうあるべきかは議論をすればいいことだ。自衛隊予算の凍結である。

 自衛隊の人件費を削減しろとは言わない。隊員の新規採用は当分中止。2年間はすべてをコロナ対策費に回すべきだ。コロナ対策は同時にサイバー攻撃や細菌攻撃に対するものでもある。国のテレワークの充実である。国の安全保障に関する考えを全く変えなければならないところに来ていると言うことでもある。

 行政のITレベルの低さは世界の水準から見て、確実に後進国になってしまった。10万円給付のIT申請対応が、全くうまくできない。企業の補助金申請も世界水準から見れば、みすぼらしい限りである。こういうことに全力で対応することがコロナ復興である。

 日米安全保障条約ではサイバー攻撃を武力攻撃と見なすと決まった。当然のことだ。現代の戦争は直接の武力攻撃は、その可能性が急激に減少している。武力攻撃をいかにもあるように主張するのは、軍事予算の既得権益にしがみつく人達である。

 日本の防衛戦略は古くさい思想から抜け出せないまま、相変わらずの地上部隊の基地重視である。これは第2次世界大戦に敗北した、旧軍人の思想を受け継いでいるに過ぎない。現代の戦争は武力よりも、多方面の攻撃に対処することが現実的になっている。

 経済戦争の激化はすでにアメリカと中国で始まっている。実際にはこの両国の対立に巻き込まれないことが重要になる。これから始まる経済の後退場面では、米中の経済戦争はより深刻化するだろう。それに対して日本がどういう立ち位置に立つかを考えておかなければならない。

 自衛隊の武力部分に重きを置く思想は日本がすべてに保守的になり、過去に固執するようになっているにすぎない。自衛隊においても一向に防衛大綱の見直しが見直しになっていない。いつまでも第2次世界大戦の敗北経験を引きづったままである。ウイルス攻撃にどう対応するかなど、具体的には何の戦略も持っていなかったことが、今回のウイルスで明らかになった。病院船すら無いのである。

 企業が地方に分散するために予算を注ぎ込む必要がある。それは国防でもあるし、経済崩壊の対処法でもある。日本で起きている経済危機の一番は、経済が硬直化していると言うことだろう。アベ政権の経済政策というものは単純に大企業を優遇うして、国際競争力を増して行くというものだ。韓国や中国のやり方をまねているのだろう。ところが大企業自体が硬直化していて、新しい投資をするより内部留保を高める方に向かってしまう。

 その結果、政府も大企業が資金運用会社のような状態になり、新産業を起こすような冒険心が生まれないできてしまった。それは今更仕方がないことなのだが、コロナ経済崩壊に対応する変化が、日本にはできないのではないかという不安がある。

 それは、アベ政権が大企業を優遇政権で居る間に、大企業の自己保身体質が固まってしまったような気がする。この機会に企業のテレワーク体制を一気に進めようという会社がどのくらい出てくるかである。経済の自立性を高めることが日本の安全保障で一番重要であろう。

 新しい国作りを行うことが、経済対策の基本である。地方分散。テレワーク企業の推進。地方の医療体制の見直し、遠隔医療の仕組みの構築。教育のIT化。循環型エネルギーの開発。やるべきことはたくさんある。思い切った変革と投資を行うなら今でしょう。
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柴咲コウ さんの種苗法改正反対の意味。

2020-05-25 04:17:45 | 自給


 柴咲コウさんという女優の方が、種苗法の改正反対を表明してそれが発端になり、今国会での種苗法改正案を取り下げることになった。と報道されている。そんな気はしないのだが、やはり有名な女優さんの意見が世の中を動かすという時代の変化をあえて言いたいと言うことなのだろう。

 以前も農の会に是非とも種苗法の問題点を話したいという方が、定例会にみえた。大変なことだから是非話したいと言うことだった。初対面の外国人の牧師の方だったように覚えている。とても真剣な態度で心配でたまらないという感じだった。

 この種苗法ができると有機農家が自家採種できなくなると言われた。一体どうしてそんな話になるのか分からないので、改正法にそって具体的にその理由を説明してくださいとお願いした。ところがその方も説明に見えたにもかかわらず、よく分かっていないので、残念ながら説明はできないというのだった。こんな感じで種苗法の改正案は自家採種ができなくなると言う理由が不明確のまま、世間に広がっていった。

 世界中が知的財産権を主張する時代になっている。種苗も特許権のような保護をかぶせようと言うことだ。私個人としては知的財産権など不要という考えであるから、私の作ったものを誰がどう利用しようと構わないという考えではある。しかし、世界の趨勢である知的財産権の尊重は日本も避けることはできないとも考えている。

 話が何故、農家の自家採種禁止になったのかが分からない。有機農家が昔からある品種を自家採種することとは、まったく別の話である。有機農家はむしろ自分の品種を作出するくらいの意欲がなければ行けないと考える。現在売られている種は多くが中国産である。中国産の種を使い続ける有機農家というのでは、有機農家と言えるのだろうか。

 もちろん、世界中の新品種を作出した人が、自由にお使いくださいというのであればそれがいいに決まっている。私はササドリと言う鶏の品種を作出した。ササドリで養鶏をしていた。だから新品種を作ることが、どれほど大変なことは分かっているつもりだ。

 ササドリは自家採種できる卵肉兼用種である。雛を購入しなければできない養鶏はまともではないと考えたからだ。フィリピンで農業支援をしている方が、雛が購入できないので養鶏が続かないと言われた。それなら昔のように雛を自分で孵化する養鶏を作り出すべきだと考えたのだ。

 それは誰にも使って貰いたかった。誰がどこでササドリで販売しても問題ないと考えていた。それはわたしが作出する意義を経営的なものとは考えていなかったからである。新品種は世界共有の財産と考えるからであった。雛を購入できない人でもできる養鶏である。

 ササドリの卵を孵化すればササドリになる。私の卵は有精卵である。それをかえしたのだと思われるササドリを、それなりに見るようになった。青山にある有機食品の専門店でササドリと言う名称で鶏肉が売られていたことがある。それで私はかまわなかった。みんなが利用してくれれば嬉しいことだとおもっていた。

 種苗法の改正案には賛否が分かれている。農家が不利益を被ると決めつける人と、このままでは海外に日本の優良品種が流出するという意見に割れているのだろう。実際にすでに優良な果樹の品種や和牛などが、不正流出は多発している。

 一方で農家が自分で種取りしたり、挿し木をしたりすることが禁止されたら、農家が企業から種苗を購入しなければならなくなるという意見がある。この点実際どうなるかはまだ分からない。分からないのだが、普通の品種でこの改正法ではそう言うようなことが起こるとは全く思えない。この作物の具体的範囲がどうども意見が分かれている。

 農家の実際から考えてみると、新しく登録された新品種はそもそもその地域のブランドになっている。それを勝手に他の地域で無断で栽培すると言うことの方が、問題になる。また、そうした登録品種が欲しくともブランド化した品種などは手に入れることは普通には出来ないで当たり前である。

 地域ブランドを作ることは各地域の農家にとって重要なことである。それがどこでもいいとなれば、無断で作る人が現われる。これは農家保護とか言う前に、人間としてこすっからいやり方にしか見えない。そんな人が保護される必要はない。

 今までの登録品種の多くは、国や都道府県の研究機関などが長い年月と多額の費用をかけて開発した知的財産である。今までは国が行ってきたために、その品種を農家が使うことはむしろ奨励される場合が多かった。余り権利を主張しなかった。

 ところが政府としてはこうした国などの公的機関がこうした、研究費用が必要な新種の作出のような事業から手を引こうとしている。そして、そうした新品種の作出を企業に任せようという考えである。そうなると、企業としては知的財産が守られなければ、新品種の作出などの努力をしないことになる。

 そこで登場したのが種苗法の改正案である。企業に種苗の作出を任せたいという考えである。現状としては今までの種苗を作出していた研究機関が研究費や人員が削減されている。そのために、企業とタイアップしたような研究以外はできなくなっている。そのように、研究者から直接伺ったことがある。

 種苗法改正案について、有機稲作の権威の稲葉さんが小田原に見えたときも講演の中で、種苗法が改正されると有機農家が自家採種できなくなると話されていた。そのときも何故改正案で、有機農家が自家採種できなくなるのかと、この法案からどうしてそう考えるのかが理解できなかった。

 質問をしたのだが明確な応えはなかった。そもそも有機農家が何故新しい登録新品種の自家採種をしなければならないのかが分からない。有機農家はむしろ伝統的品種を大切にして、F1品種などを作らないのが普通ではないのか。その意味では有機農家とは関係の薄い問題だと思えるのだが。

 種苗会社が新品種を作るためには大変な経費がかかっている。その品種を勝手に自家採種して利用されたのでは、企業としては困ることだろう。困るから企業は新品種の作出の努力をしないことになる。政府が登録制度を作り、そこで登録された品種に関しては、許可なく自家採種をして利用することが出来なくするのは当然のことではないだろうか。このことに反対すると言うことは、私と同じで、知的財産権を認めないという考えでいいのだろうか。例えば柴咲さんのCDはコピーが許されるのだろうか。そんなことはない。

 石垣市では和牛の登録のごまかしで問題が起きている。A号という優秀な雄牛の精液だと称して、他の雄牛の精液で種付けをしていたのだ。DNA鑑定で分かったのだ。A号という優秀な雄牛を作るためには大変な努力の結果である。その価値が評価されて、その精子は高値で取引される。それは正当な経済行為である。

 ところが、中国などで日本の優良系統の和牛の精子が秘密裏に流通している。そうして、和牛の優良系統が海外に出回ってしまっている現状がある。これでは和牛をブランドとして、育て上げた日本として維持していけないことになる。それこそ国際競争力がなくなる。

 この辺をどうして行くかは農業全体の課題だとおもっている。そして、何度も書くが、今回の法案が何故、有機農家が自家採種ができなくなると言う話になるのかが理解できない。もし分かる人がおられたら教えて貰いたいぐらいだ。

 米は84%は登録品種ではない。登録品種も、30年を過ぎれば一般品種になる。何故有機農業をするものが、新品種を作らなければならないかである。むしろ伝統的な在来種を作るべきだ。30年経過した安定したものでやるのが、有機農業だと思う。

 むしろこの問題の根源は農業の新品種の作出を企業依存しようと言う所にある。従来はお米の新品種は国の研究機関が作出してきた。しかし、政府はそうした研究を縮小している。そして、企業に任せようとしている。ここに問題があるのではないだろうか。民間が開発する発想は、甘みがある、柔らかい、濃厚、要するに消費者好みのものになりがちである。そうした品種は農薬を使わなければ作りにくい品種が多いということになる。

 政府の研究所が作出してきた、食料を安定的に提供するというような思想に基づいた品種はドンドン減少している。それは政府の方向とする農業が国際競争力のある農業という発想だからだ。この考えが間違えなのだ。

 食料を100%自給できない国が、国際競争力など考える必要はない。まず、国の基盤となる食糧自給のための品種の作出であろう。そうした品種の作出は企業では行われにくいものになる。国は農業総合研究所のような基礎研究を深く厚く行う組織をさらに育てる必要がある。


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第2回 水彩画 日曜展示

2020-05-24 04:19:23 | 水彩画
第2回 水彩画 日曜展示



 4、「名蔵アンパル」田んぼに水が入る
 2020.2
 中判全紙 クラシコファブリアーノ



 5、「名蔵アンパル」田んぼが始まる
 2020.3
 中判全紙 クラシコファブリアーノ



 6、「名蔵アンパル」田植えが始まる
  2020.3
  中判全紙 クラシコ ファブリアーノ


  名蔵湾を望むバンナ公園のすぐ下の場所から描いている。田んぼから、名蔵アンパルという湿地に続く姿に惹かれる。描いている場所はバンナ岳の裾野に広がる牧草地である。若い方が管理をされていて、とても気持ちの良い方である。

 田んぼに水が入ると水が反射して、景色に光が差し込み空間が動き出す。動きが空にまで繋がり、一つの舞台のような情景が生まれる。この空間の舞台のような場所に何故惹きつけられるのかは、生まれた境川村の藤垈からの景色にあると思っている。

 甲府盆地が北側に広がるのだ。藤垈の集落の一段高いところにある向昌院は標高400メートルほどある。半日は日陰にある寒い場所だ。その日陰から甲府盆地に光が差し込み、反射して盆地の中を廻るような光景が、私の景色の原形なのだと思う。

 美しいと思うことには理由がある。子供の頃に眼に焼き付いた景色を思い出しているのかもしれない。記憶の中にある景色に安心のようなものが宿っている。これでいいと言うような、許されるような感じと言えばいいのだろうか。

 甲府盆地の向かいの奥には衝立のように御坂山系の山々が連なる。その裾野はまさに裾模様のように、農地が季節ごとの彩りを見せる。盆地の中央には笛吹川が帯のように流れている。帯を囲むように田んぼが広がる。朝霧の日には甲府盆地はすっかりと白い湖水の下に隠れてしまう。

 夜になれば、甲府の街の明かりが宝石のように輝いた。真っ暗闇の中に空の銀河があり、そして地上には街の明かりの銀河だ。おばあさんはこの景色が美しいと行って、寝ている孫をわざわざ起こしては一緒に見ようと言った。

 子供の頃に見ていた空間に対する意識が、心の底に強く残ったようだ。同じような光景に出合うと催眠術にかかったように惹きつけられる。そしてこの空間きらめくような光の舞台を描き止めたくなる。記憶をたどる旅のようなものである。

 始めて石垣島に来たとき、バンナ公園から眺める名蔵アンパルの景色に魅了されてしまった。それが石垣にこの後住みたいと考えたことになる。特に田んぼに水の入る2月頃には石垣に来ては絵を描くようになった。だから、今年の2月から3月に描いたことは4回目になるのかと思う。

 以前よりは少しはましにはなってきたが、まだ見ているものになったとは言えない。三枚を並べてみたかったのは、すこしづつ見ているものに進んでいるように感じがするのだ。ここを描いたのはこの三枚だけではない。たぶん今年も10枚は描いた。

 石垣で描き始めてから、50枚はこの場所で描いた。おかげですこしづつ観ている世界に絵が近づいたことが分かる。もしこのまますこしづつでも進むことが出来れば、10年すれば期待できるかもしれない。そう思うと希望が湧いてくる。
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掃除という修行について

2020-05-23 04:01:38 | 身辺雑記


 この床を毎日から拭きをしている。腰が少し痛いが。何も考えずただ磨いている。この床がとても好きだから、拭き掃除をするのは気分の良いことだ。面倒くさいというような気分は少しもない。この場で、太極拳を行っている。こうして一日中絵を眺める場でもある。

 曹洞宗では掃除というものが修行になっている。毎日お寺の中をくまなく掃除するのだ。時間で言えば、掃除の時間が一番長かったかもしれない。この掃除というのは汚れているからするというような掃除ではない。あくまで修行のひとつである。

  アトリエの拭き掃除も毎日掃除するほどのことでもないのだが、毎日した方が気分がいい。修行というのは気分がいい方角と言うことなのかと思う。絵を描くのも絵を描くことが面白くて仕方がないからだ。

 坊主の説教としてはこの掃除につまらない意味づけをしている。心の掃除をするとか、身の回りを整える尊さとか。そういう意味づけをした途端に修行としての意味はなくなってしまう。掃除が楽しくなくなるからだ。座禅が何にもならないからこそ、修行になると言う大事なことが消えて行く。意味づけがないからこそ修行になる。

 まるで、修行をまじめな生活の規範のようにあれこれを意味づければ、禅というものの重要な部分が欠け落ちて行く。日々の生活にどれだけ向かい合って行けるかに意味がある。禅は世の中のまるで役には立たないものなのだ。これが大変難しいがために、禅に私も挫折して、絵を描くようになった。

 曹洞宗は当時の新興勢力であった武士階級に広まったとされている。修行というものが、武士の命がけの生き方に影響したと言われている。どうも百姓好きの私としては今ひとつ納得のいかないところだ。百姓の生き方こそ、禅の生き方だと思っている。むしろ江戸時代の百姓には禅に生きているような人がたくさん居たように思う。

 だから絵を描くことを何にもならないものにまで高めなくてはならないという意識がある。ごまかしのようでいやなことだが。修行というのはオリンピックで金メダルを取るとと言うような練習とはまるで違う。生きていると言うことを知るためには掃除と言う生活に邁進する。意味ある行為を超えなければ出来ないことのようにおもっている。

 江戸時代になって、禅宗の寺も檀家制度に組み込まれて葬式をやるようになった。これで最もらしい意味づけを行うようになった。だから作務をまるで生活規範のように言うようになったのだ。曹洞宗の禅は本来から大きくずれて人生相談をするようなもっともらしいものになる。

   禅寺では掃除・洗濯・食事の準備や後片づけなど、人間が社会生活をする上で最低限必要な行為を「作務」としている。作務は修行の中でもっと上位に位置づけられている。これは生きているそのものこそ修行だと言うことだ。特別な何かではなく、生活して行く今にひたすらに集中して行く。生活すべてをおろそかにしない。

 生活を見つめて行けば、自分というものに至ることが出来る。そう考えて掃除を修行する。掃除はその場を清潔にするという具体的な意味も確かにある。しかしごみひとつないピカピカの所を一心に掃除するという意味はどういうことか。何か田畑をただ耕している百姓の心のような気がする。

 食事を食べると言うことは生きる基本である。その食べるときには食べることになりきる。食事をすることも修行として食べる。その食料を作ると言うことも禅寺の本来の生活である。禅は生活すべての探求でもある。

 祖父である向昌院の住職であった黒川賢宗はそのことだけは繰返し話した。昔のお坊さんは自分が食べるものは自分で作ったと話した。教訓じみたもっともらしいことは話すことはなかった人だが、食べ物を自分で作ることは、お寺の本来であると少し照れたような感じで話してくれた。

 ミツバチやら、山羊まで飼っていた。もちろん味噌醤油はすべてが自給自足で、葡萄酒の密造で始末書を書かされたこともある。何でも自給することを当たり前の生き方として実践していた。祖父の自給自足は何でもない当たり前のこととしてやろうとしていた。それが私にも影響したのだろう。

 次の代の向昌院の住職の叔父の宗友氏は何でも祖父には逆らったところがあったが、この自給精神だけは祖父よりも強かった。何しろ箒やちりとり、背負子や背負いかごまで作っていた。炭も焼いていた。生活のすべてを自給しようとしていた。しかし、そのことを意味あることと話したことは一度もなかった。ただ楽しそうにやっていた。

 二人ともやりたくてやっていたのであって、仕方がなくやっては居なかった。庭の池では鯉を飼っていて、その鯉を裁いて食べた。別段菜食ではなかった。二人で密造の葡萄酒をかなり飲んだ。ヘビやら、かえるなど何でも食べた。何でも面白がってやっているので、私もやりたくなったのだろう。

 修行の意味は語らないものなのだろうと思う。語ってはいけないことなのだろう。叔父も祖父も、かなり長いこと本山で修行をしていた人だが、修行について何か話すことは全くなかった。私のように何でも説明してしまう人間にはなかなか至れない世界なのだろう。

 祖父は幼い頃に父が死んで寺に入った人だ。叔父は特攻隊で生き残り、永平寺に行った人だ。いろいろ語りそうなものだが、そういう自分のことを話すことは全くなかった。自分のことを語ると言うことは良くないとされているのかもしれない。

 二人とも修行のことなど何も語らなかったが、私が絵に行き詰まったときに自給自足からやり直してみようと考えたことには、大きな影響があったのだろう。言葉よりも生き方から何か学んだという気がする。

 祖父は特に掃除には厳しかった。草取りには厳しかった。草を取りきるまで遊ぶことは許されなかった。本堂の拭き掃除は大変な作業だった。立て付けの悪い障子一枚で外なのだ。毎日ほこりで汚れる。これを掃除しておけと行って出かける。今思えば、孫に修行をさせたかったのだろう。私が中学生の時に坊主になると言ったらそれは喜んでくれて、祖父と叔父で、頭を剃髪してくれた。本山の剃髪の儀式と同じだと行っていた。

 掃除である。石垣の家にはアトリエがある。絵は描かないアトリエなのだが、ここで毎朝、太極拳をする。修行の場である。こういうことをすぐ口にするからいけないのだ。俗物覚悟で生きるという意味で絵を描いているのだから仕方がないか。

 床を磨く。アトリエの床はそういう意味で特別なものにしたいのだ。何とかただただ掃除が出来ないかと思っている。当たり前に生活として丁寧に掃除をしたいと思っている。この床が拭いて居る内にもっと好きな床になった。好きな床の向こう側に絵が置かれている。これがいいと思うのだ。

 このアトリエも1年半が経ち、修行道場の空気が少し生まれたかもしれない。時間とともに何かが籠ってくるものだ。掃除修行のおかげで、絵が良くなるかもしれない。と思うところがダメなところだが。

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台湾のWHO参加を日本政府は推進してください。

2020-05-22 04:38:46 | Peace Cafe

 この海のすぐ向こうには台湾があるはずだ。西表島があり、与那国島があり、台湾がある。早く台湾に行ける日が来るといい。与那国の方に台湾は見たことがありますかと聞いてみた。高い山を見たよと言われていた。台湾は2つに見えるので、2つの島かと思っていたとも言われた。

 台湾は日本に一番近い国である。沖縄とは歴史的にも交流が深い。与那国の人には、石垣島よりも交流のある場所だったのだ。又そういう時代が来るといいと思っている。石垣から1時間もかからない台湾。台湾を歩く。美味しいものを食べる。又必ず行きたいものだ。

 台湾は国連に国として認められていない。WHOへの参加が認められていない。WHOのエチオピア出身のテロドス事務局長が中国と結託しているからである。武漢でのコロナウイルスの発生をいち早く把握したのは台湾である。そしてWHOに報告をした。ところが握りつぶされた。こんなWHOの動きは犯罪的なものだ。中国のいいなりに動いただけだ。自分で判断することができない。世界保健機構の名前にも値しない。

 トランプ大統領はWHOに対して、書簡を送り中国に従属的姿勢を改めないのであれば、アメリカはWHOを脱退するとしている。めずらしく正しい発言である。いまのWHOは感染症を世界に広げた責任がある。明らかに非常事態宣言の出し方が遅い。その反省もなく、マスクは無駄だなどとデマを流した。

 ウイルスには政治性もなければ、国境もない。あらゆるところが関係してくる。台湾を国連が国として認めないとしても、ウイルスには関係のないことだ。世界中が協力して防がなくてはならないのは当たり前のことだ。一切のことを別にして、WHOは台湾のオブザーバー参加を認めなければならない。

 WHOその後も次々に中国擁護の姿勢を打ち出し、世界にコロナウイルスの拡散させる一翼を担った。余りにひどい姿である。トランプアメリカ大統領のWHO批判は間違っていない。世界が台湾の最初の指摘を重要視して、台湾と同じような対応を行っていれば、中国だけの感染で収まった可能性がある。中国は武漢封鎖した時点で、即座に中国から人が出ることを禁止すべきだった。WHOはそれを中国に要請すべきだった。

 SARSと同じように沈静化して消え去ってくれたかもしれない。初期対応がどれほど重要なものかを今回のコロナウイルスはよく示している。WHOが世界への蔓延の一翼を担ってしまったのだ。非常事態宣言を、出し渋っていたたテロドス事務局長の大きな誤りだ。中国を擁護したいという気持ちが判断を誤らせたのだ。科学的に見れば想としか思えない。

 感染症が繰り返されるこれからの世界ではWHOの正確で迅速な判断と信頼性は極めて重要である。ここに台湾を入れないという意味は全くない。感染症に政治を持ち込むことは無意味である以上に危険なことだ。

 残念ながら日本政府はもう一つ態度が不鮮明である。テロドス氏と同じで中国政府に対する配慮なのだろうが、何をためらっているのか。WHO総会の席で堂々と台湾参加を表明すべきだ。あくまでウイルスに関する正しい科学性のある態度を主張すればいいだけのことだ。これは政治ではない。

 台湾はすばらしい国である。世界をすこしは旅行したが、台湾が世界一良い国だと感じた。何度でも行ってみたい国だ。人間の感触がすばらしいのだ。日本という国に好感を抱いてくれる隣国である。日本が台湾を支持しないでどうするのだ。

 今こそ日本は台湾の国連加盟まで主張すべきだ。アベ政権は経済重視で中国政府にしがみつこうとしているのだろうが、そんな態度は恥ずかしいことだ。どちらが正しい行動をとっているかを日本国として判断するべきだ。外交には損得ではなく、国家としての姿勢というものが必要だ。腹の中では仮想敵国として中国を考えて、石垣島にミサイル基地を建設している。しかし、表だっては中国に揉み手ですり寄っている。

 こうした恥ずかしい正義のない姿は国家としての品格が疑われる。中国との平和条約のために、台湾を裏切ったのだ。日本の保守勢力であるアベ政権が何故台湾を支持できないのか。信じがたい思いである。日本にどこか残っている上から目線がそうさせているのではないか。

 こんごウイルステロが起きた場合、どうすればいいのだろうか。世界経済が危うくなる中で、これから経済戦争が激化する可能性がある。ウイルステロがないとは言えないと思う。人間ウイルステロが送り込まれる可能性がある。世界中に猜疑心が広がり、混乱が起こり防疫体制が崩れてしまう可能性がある。いち早くWHOが正しい判断を下すことはますます重要になる。

 こうした状況下何故、台湾という地域が排除されなければならないのか。台湾は中国に敵対しているわけではない。ひとつの地域としての自立性を要求しているだけなのだ。香港を見れば台湾の未来への不安がよく分かる。中国本土での自由の要求を抑えるために、香港の自由を抑え込もうとしているのだ。

 こうした中国の姿勢を見せつけられれば、台湾が中国から距離を置きたいというのは当然のことになる。中国という国家資本主義体制が歪んでいるのだ。私は中国という文化は大好きである。大いに学ばせて貰っている。中国の歴史的な絵画を勉強した。すばらしい歴史の国だ。日本の文化を育ててくれたありがたい国だ。

 それでも今の中国の排他的な、中華思想は違うと思う。一体一路というのであれば、他を認めなければならない。今の中国の独善的な考え方は帝国主義のようなものだ。歴史的に中国は確かに中国を一番の国だと考えてきた。しかし、周辺国が朝貢すればよしとしていた。

 中国も台湾を台湾として認めていた歴史がある。なにも同じ国でなくとも、関係を良くした方が互いのためである。中国政府は中国国内に香港問題が波及することを恐れているのだろう。台湾の自由を中国国民がうらやんでいるから怖いのだ。

 日本政府は堂々と台湾支持を表明すべきだ。WHO加盟はその第一歩だ。


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東アジア諸国でコロナ死亡者が少ない理由

2020-05-21 04:01:58 | Peace Cafe


 崎枝のこの場所を毎日描いている。すばらしい場所に出会えた。素晴らしい田んぼなのだ。田んぼに降りてしまうと田んぼの全体が見えない。高い場所が全くないので、この場所から見る以外にない。昔に比べると田んぼの面積は三分の一くらいになっているらしい。カピラ集落の方の田んぼである。

 日本もコロナウイルス感染の山場は超えたようだ。又次の感染が始まらないかと、心配ではあるがひとまず良かった。落ち着いてきた死者数と入院者数を見ると安心できる。年寄として、当分の間気を付けて行動しようとは思うが、だいぶほっとした。気分も日増しに良くなっている。

 それにしても不思議なことはベトナム、台湾、韓国、シンガポール、そして日本などは欧米諸国に比べて、死亡者数が少ないと言うことだ。何か理由があるはずだが不思議なことだ。欧米と生活習慣が違うとしても、一桁以上の死亡者の違いは何か民族的なウイルスに対する抵抗力が働いているのかもしれない。

  「新型コロナは過去に、中国や東南アジアで発見された複数のコロナウイルスとよく似ています。ゲノムは、SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)を引き起こすコロナウイルスとも非常に似ています。これらのウイルスと同様、コウモリなどの野生動物から人間へと感染したとみられ、驚きはありません。むしろ、これからはもっと多くのウイルスが動物から人間へとうつるでしょう」ーーーデニス・キャロル元米国際開発局新興感染症室長

 新型コロナウイルスは東アジアでは感染力が弱いためか、死者の数も大分少ない。生活習慣の違いや、衛生観念の違い。マスクをする習慣などいろいろ言われているが、過去に似たようなウイルスで弱毒のものが蔓延したことがあるのではないか。と私は想像している。

 武漢発のウイルスであるとすれば、過去にも東アジアではこのウイルスの流行の体験があったのではないだろうか。あるいは同類で弱毒型のウイルスの広がりが起きたことがあるのか。何かこの背景には理由があるとしか思えない。しかし、この推測では何故中国武漢での死者数が別なのかが分からない。

 当初はヨーロッパでウイルスが変異したのではないかと思った。ところがそういうことは今のところ小さいとされている。確かに小さな変異は起きたが、日本で今流行しているウイルスに関しては同じであるとされている。

 本家本元の中国武漢で起きたことの方に、何か特別のことがあったのかもしれないと思う。中国の他の都市での感染拡大は予想に反して小さく収まった感がある。武漢が医療崩壊で死者数が爆発した。しかし、他の都市では日本と同程度の感染拡大と死亡者で収まったとも言える。

 武漢での対応が余りに良くなかったというこのなのかもしれない。いわば見殺しにされたような感じがしないでもない。武漢の1200万人を全員PCR検査をするらしい。その中でもう少しこのウイルスのことが分かるかもしれない。

 武漢から500万人が脱出したとも言われているから、中国全土で広がれば100万人というような死者数になっても何ら不思議ではなかった。所が意外に感染は拡大していない。医療崩壊をしなければ、中国の死者数は欧米と比べて少ないとも言える。

 やはり、東アジア全体にこのウイルスに対する交差免疫のようなものが存在するのかもしれない。可能性はある。原因とされるコウモリや、ハクビシン、あるいはセンザンコウなどは中国のものだ。そこから過去に人感染が起きたことがあるのかもしれない。ただ、そうした病気が感染症と認識されずに過ぎたのではないだろうか。

 もしそうだとすれば、抗体検査を詳しくして行けば、その理由は見つかるかもしれない。それにしても早く抗体検査はしなくてはならない。余りに遅いのでやきもきする。そして抗体のある人には抗体バッチを配るべきだ。そして抗体のある人は、感染を疑われる人の対応の最前線で活動して貰う。

 医療関係者や救急の関係者はもちろんのこと、人との接触の濃厚にならざるえない職業の人には抗体バッチを利用して貰う。日本では東京でさえまだ、0.6%の抗体を持つ人の割合と言われている。この6万人の人々は貴重な方々だ。感染を広げないためにも抗体保持者は何らかの役割をになってもらう必要がある。

 あらゆる職種で人と接触の多い部署は抗体のある人が担当する。抗体のある人が、出勤して行わざるえない仕事を担当する。負担は大きくなるかもしれないが、しばらくは特殊な対応が必要な状況ではないか。

 


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自粛解除は緩んでもいいと言うことだ。

2020-05-20 04:14:19 | Peace Cafe



 「あちこちで気の緩みが見られる」西村再生担当大臣の発言である。無神経発言に怒りを感じた。若い人達が1ヶ月以上緩まず我慢してきたのだ。自粛解除でだらーっと緩むのは当たり前だ。いつまで緩らまないで暮らすなど耐えがたい国だ。人間というものを知らない政治家にはあきれる。もし緩むのがまずいなら、自粛解除など言うな。人間が分からない政治家などいらない。

 さすがのアベ政権は検察庁人事法案は先送りしたが、黒川検事の定年延長は撤回しない。これさえ押し通せば当面かまわないのだ。黒川氏に対する見返りの人事を、なんとしても行うと言うことを見せることが優先課題なのだ。どうしようもないアベ政権だ。

 政府は緩むな緩むなと、まるで延びたパンツのゴムの呪文ようだ。とんでもない話だ。人間は緩んでいいのだ。むしろ、緩まなければ緊張も出来ないのだ。伸びっぱなしではパンツのゴムは切れてしまう。自粛解除した以上、大いに緩んでいいのだ。充分に緩んで明日を生きていかなければいけない。

 ついでに言わせて貰えば、あれもイラッときた。新しい生活様式など、政府に言われるような筋合いの話じゃない。気持ち悪い言葉を使うな。人の暮らし方まで政府が口を出すなど、おこがましいだろう。政府に押しつけられた暮らしなど何の意味もない。暮らしはそれぞれが考えるものだ。コロナにかこつけて、何か政府は大きな勘違いをしている。政府がやるべきは国民の行動指導などではない。

 行動指導は政府はしてはいけないことだ。行動はそれぞれが考えるから意味がある。日本人は強い強制力がなくとも、コロナに立ち向かう正しい行動がある程度出来た。これは死者の数で表われていることだ。私は良くやったと思っている。

 政府が行うべきことは、安心して緩んで暮らせる国作りだろう。みんなが政府に従い、右へ習いをしているような国になりたくない。自由に自分の生き方を探求できる国になって欲しいのだ。政府は憲法に支持されたそうした国を目指せばいいのだ。

 どうすれば感染しないのかがおおよそわかった。年寄が要注意なのだ。たぶん多くの日本人が勘所を押さえたのだろう。石垣島では昨日の路上寝は4名とラジオが放送していた。20台が3人。30台が一人。さすがにすごいもんだ。20代の一人は女性だそうだ。そこまで、緩んでも感染など今の石垣島では起きない。まあ、路上寝は危ないけどね。

 政府には感染症を広げないようにする義務があるのだ。その力が不足しているから、あくまで国民に協力をお願いしたきたに過ぎない。完全な政府なら、日本に感染症が入る前にどうにかしたのだ。もう国民は充分に、イヤ十二分に協力をした。だから、感染がこの程度で抑えられてきたのだ。

 これ以上の自粛は出来ない。緩まないでは居られない。緩まなければ経済の活性化などない。緩むからうまいものを食べて、ライブハウスで踊りまくるのだ。人間デタラメだってやりたいのだ。それが経済の活性化だ。緩むな緩むなでは、店を再開したところで、倒産するだけだ。人が移動しなければ経済は終わる。まあ、ライブハウスはまだ危ないけど。

 日本経済新聞の上級論説委員 大林 尚氏が国家が個人情報を把握することは怖くない。コロナウイルスへの対応で日本が遅れたのは、マイナンバーカードが20%の普及に止まっているためだと主張している。確かにアベノマスクが郵送されてくるなどと言うことは現代社会にあり得ないような茶番である。欲しい人がマイナンバーカードで販売店に取りに行けばいいはずだ。私の所はまだ来ないが、石垣島でもマスクは購入できるようになった。どこに言えばアベノマスクのお断りは出来るのだろう。

 マイナンバーカードが普及しない理由は国民が政府を信頼できないからだ。自民党支持者ですら、マイナンバーカードを持たない。マイナンバーカードを持てば、政府が国民制御に利用するだろうと感じる。政府が信頼できないと言うことだ。これを日本政府は自らの不信用の結果と反省の材料にして思わなければならない。

 政府が信頼できない理由は論理的に行動しない不安がある。突然何をするのか分からないという危うさ。この非常事態に黒川検事の定年延長はないだろう。感覚がまともなものではないのだ。腹黒い思いがあるから、非常事態のどさくさに便乗しているのだ。こんな政府をどうして信頼できるというのだろうか。

 コロナ感染防止には憲法の改定が必要だなどと、一体誰のための政府なのだろうか。憲法という国民に対する、政府の行動指針を変えたいとする政府なのだ。アベ政権はもしかしたら、北朝鮮のような国を目指しているのか。日本で一番ダメなのが政治家であり、次が官僚だ。頭の良い上級国民ほど始末の悪い連中はいない。

 日本はコロナウイルスの非常事態宣言でアジア諸国の中でも、周回遅れを始めていると言うことを痛感した。台湾がコロナウイルスで模範となる対応をした。そのことについて台湾の閣僚の方が、日本がすばらしい対応をするだろうと思っていた。と言う意見を言われていた。日本人は世界にもそう思われていたが、日本政府は違っていたのだ。

 台湾の衛生事情を革命的に改善してくれたのは日本だったではないか。マラリアや結核への対応を日本が指導してくれた。その台湾における衛生観念改善が今回も生きたと言われていた。どうだろうか、その日本が今では、感染が広がり4ヶ月が経っても目詰まりがあって、十分な検査ができない国になったてしまったのだ。お相撲さんが最近でも保健所に連絡が取れなくて亡くなられた。

 確かに日本政府がデタラメ対応を繰り返しているが、それでも日本人の衛生観念が、何とかコロナをしのいでいる。WHOではマスクを無駄だとしたが、ないとなれば手作りして、率先してマスクをしている。マスクが売られていないのは政府の責任だが、手作りしたのは国民の手柄だ。私は昨日は柿渋マスクを2枚手作りした。

 誰が悪いと言うより、今回のコロナウイルス感染で日本がもう先進国ではなくなっている現実を、自覚しなければならないのだと思う。PCR検査態勢でも2万件行うと政府が主張しても、4ヶ月も経過して未だ5000人前後である。アベ氏は目詰まりと言ったが、国家としての力量が低下したのだ。4ヶ月かけても準備すら出来ない責任はどう考えてもアベ氏にある。そして医療系の官僚に責任がある。つまりあのクルーズ船対応をした大村女史の所属する部隊である。その責任も自覚できず、まるで人ごとである。

 油断している内に日本は先進国では無くなっていたのだ。これは自覚しなければ、さらにひどいことになるのだろう。政治の貧困が特にひどすぎる。これほどひどいコロナ対策をしていても、政権の支持率は変わらないとすればもう日本はダメだ。わらにもすがる思いでアベ政権を支持しているのだとすればお門違いだ。

 これから始まる経済危機は半端では無いだろう。日本には格別にひどい結果をもたらすと思われる。日本が世界で一番の借金国だからだ。借金でアベノミクスのデタラメを先延ばししている間に、この大きな経済危機である。借金で首が回らないのに又借金をしたのだ。いよいよヤミ金のような危ない借金に手を出した。

 大林 尚氏は政権には選挙があるからおかしければ変わるのだから大丈夫だと書いている。こんな安易なことを書く論説委員がいると言うことも、日本の報道の劣化なのだろう。今度の経済危機で新聞というものは消滅する可能性がおおいにある。我が身を省みずお気楽なことを言っている。

 個人情報を悪用すれば、政権は選挙で敗北するというのは余りに楽観的だろう。ほんとうに脳天気な新聞の論説委員だ。本気でこんなことを署名記事で書けるものか。選挙が正しい判断などしなかった歴史はいくらでもある。選挙が間違った方向に進めた歴史はいくらでもある。

 むしろ政府が個人情報を悪用して選挙を操作する可能性が高い。反政府的な人物を発見するために個人情報を利用する。そして反政府的な人物が信用を失うように政府が操作をする。個人情報を悪用した政府の事例は歴史にはいくらでもある。

 麻生氏が発言したように、ヒットラーは選挙で選ばれたのだ。政治の行うすべての政策に、反対と賛成がある。どれほどすばらしい政策であれ、わずかの少数意見としての反対は存在する。だから、古代ユダヤの議会では全員賛成はあり得ないとなって居るぐらいだ。全員賛成というのは、何か陶酔が生じているか、背景に圧力があるとする。

 コロナを機会に多くの国が個人情報の把握を公的に行った。これがコロナ後の世界をどう変えて行くのかを考えねばならない。
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石垣島の10大美味

2020-05-19 03:59:52 | 石垣島


 

 石垣島は食べ物が自給できる島である。身土不二の可能な島である。農業・漁業・畜産と一次産業はそろっている。食糧自給の理想の島といってもいいのだろう。石垣島には美味しい食べ物が数々あるが、3大美味と言えば、牛肉。本マグロ。車エビだ。

 特別枠として、様々な貝類、高瀬貝、夜光貝、シャコ貝がある。貝好きなので、これにはたまらない。果物ワクには、マンゴー、パパイヤ、パイナップル、島バナナ。そしてお酒の泡盛が別格として控えている。もちろんお米も自給できるだけあるが、これは食べたことがないので味は知らない。

 1、第一美味として牛肉である。石垣牛が全国的にも認められているが、美崎牛のほうが美味しいと思う。個人的な感じ方であるが、赤身の肉で牛らしい味がする肉が好きだ。霜降り脂身というのはどうもいただけない。

 牛肉が美味しい原因はエサがいいのだと思う。畜産農家の方に伺うととてもエサを工夫されているようだ。その上に放牧が出来る環境がある。一年中青々とした牧草が茂っている。サイレージ用の草地もかなりの面積が広がっている。この冬のない気候条件が他の地域よりすぐれている。

 もちろん肉牛の良質系統と言うこともあるらしいが、それは刺しの入り方ばかりが注目されていると言うことなのだ。A5ランクとか言っても脂肪分の刺しの入り方の判定が中心になる。脂文化はもうそろそろ終わりにしないといけない。油と柔らかいは衰退文化の象徴である。そのものらしいおいしさが美味なのだ。

 良い青草を食べ運動している牛だっているのだ。本来の牛の肉の味がする、と思いたい。高くてそれほどは食べてないので、牛の味を云々できるほどの資格はない。せいぜいうまそうな赤身を食べて満足していると言うぐらいだ。どうせ食べるなら最高と思いたい。石垣牛の赤身肉はうまい上に安い。ありがたいことだ。

 今は観光客が来なくなっているので、石垣牛も格安販売をされている。先日はJAが半額販売をしたのだが、あまりの人気で買うことが出来なかった。それほど安くなくとも、いつもよりは2割引ぐらいで売られている。こう言う機会はまたとない。そう2度とないことを祈っていながら、美味しいお肉を食べさせて貰っている。

 2、なんと言っても本マグロである。始めて石垣島に来たときに食べた。マグロが安くてうまいのでたまげた。それ以来マグロは石垣島の常食である。本マグロの赤身が最高である。これが案外に味に違いがあるものなのだ。冷凍物ではダメだろう。赤身を自家製醤油にわさびをたっぷり付けて、ペロッと食べる。

 こんなにうまいものはまずない。これも赤身なのだが、何でトロの方がいいというのか全く分からない。おかげで安い方で満足できるのだから、文句はない。健康に悪い方が美味しいと感じるのは、すでに身体がおかしくなっている証拠ではないか。半分やせ我慢でそう考えている。

 クロマグロである。生の本マグロがやはり格安で売られている。これは今回3度買って食べることが出来た。実に美味しい。それでも大型のクロマグロがうまい。小さい奴はどういうわけか、味がマグロらしい濃度が出ない。インドマグロとどこが違うのと言うことになってしまう。

 石垣では今がマグロの旬の時期である。毎日5,6頭が水揚げされるらしい。近海で捕れる生のマグロがふんだんに食べれるというほどの贅沢はない。今は半値になっていると言われている。カジキマグロも美味しいのではあるが、やはりクロマグロを食べてしまうとおいしさが桁外れだ。

 石垣牛と同じで、クロマグロが食べれることはそうない。ありがたいと感謝して繰返し食べさせて貰っている。

 3、そして3大美味の最後が車エビである。これは石垣島の崎枝での養殖である。上品な甘みとプリプリとした食感がすごい。エビの中で一番であること間違いなし。私は伊勢エビよりも車エビが好きだ。焼いて、やはり自家製醤油を付けて口に放り込む。この贅沢は石垣に来て始めて体験した。

 しかし、普段はなかなか食べることはない。結構高くて、バリバリ食べるほどには買えない。しかし、今は空輸できないと言うことで、安く売られている。半値以下だ。10匹食べても1000円である。嘘のような値段だ。と言っても小田原では食べられなかったので分からないのだが。

 崎枝湾で養殖をされている。屋良部半島にある養殖場は閉鎖が続いているが、崎枝湾側では盛んである。予約してから伺うと、格安で生きた車エビが分けてもらえるのだ。この好機を逃すわけには行かないだろう。

 そして、今度は果物である。熱帯果樹のおいしさはたぶん来て食べない限り分からない。バナナは有名なことだが、青い内に採って燻蒸して船倉で追熟して食べる。確かにそれでいいのだろうが、木で熟したバナナを食べるとちょっと違ってしまう。これこそ石垣島の贅沢だ。

 4、島バナナ。これも農園によって味が違う。バナナの種類が違うらしい。小さいけれど、普通に売られているデルモンテのバナナがバナナではなかったと言うことを知るだろう。ねっとりとしたコクがまるで違う。

 大きさは5分の1ぐらいで値段が同じくらいなのだから、ちょっと最初は高いと思った。ところがところが、もう今ははまっている。もう食べられるという状態を2歩ぐらい過ぎた当たりで食べる。クロバナナ健康法である。

 黒くなったバナナは酵素の塊のようなものだ。追熟すると言うより発酵を始めている。これをヨーグルトに混ぜて毎朝食べる。これほど美味しいものがこの世にあるのかと思うほどである。

 5、マンゴーは果物の大王だ。すばらしい。マンゴーのおいしさは今は誰でも味わっていると思うが、最近までは幻の食べ物であった。石垣島に来るまでは話では聞いていたが食べたことはなかった。それが、石垣に来たら、リンゴと変わらないで買える。なんとも贅沢なことだ。

 マンゴーは結構見栄えで値段が変わる。少し傷があると輸送ができない。そこで傷物は安く売られている。地元ならではの恩恵である。もちろん傷物でないマンゴーは食べたこともないので、分からないが。もう傷物で十分である。これも木でギリギリまで実らせた方が美味しいと思うが。贅沢すぎるか。

 大きいほどうまいとおもう。目方でいくらというような感じで売られているから、絶対に大きいものにする。季節になるとあちこちで売られる。朝収穫してきて並べるから、朝一番に行って大きいものだけ買う。余り喜ばれないお客かもしれないが「おおきいものはいいものだ。」

 大きくなる実はその木の良い場所に実ったものなのだ。良い場所に着いた実だけが大きくなる。だから大きいほど美味しい。と思っている。これはミカンやびわを栽培した経験で、マンゴーもたぶんそうだと思っている。

 マンゴーもできるだけ木で熟れさせた方が良い。ただ熟れれば傷みやすい。そこで完熟前に収穫する。そこが残念なところだ。石垣島では完熟物のマンゴーが売られている農園がある。

 6、パイナップルも桁外れにうまいものがある。パイナップルは品種で随分味が違う。昔のパイナップルや、小田原で売られていたパイナップルは基本缶詰品種である。パイカンと言われていたあれである。

 子供の頃のパイカンは大変なごちそうで、あれは石垣島から来たものもあったのもあったはずである。今は生食用パイナップルの新品種がドンドン出てきている。先日、特別に分けていただいた、メロンパイナップルというのには驚いた。オレンジ色の果肉なのだ。

 味もパイナップル濃厚な甘みに繊細さが加わっている。ただ欠点は大きさが小さいことだ。小さくたっていいのだが、皮をむくのがやっかいである。もう一つの新品種はまだ名前はないと言うことだったが、これも味が濃くてすごいものだった。パイナップルなら新品種だ。

 その農園の方が言われていたのは、大きくするために薬を使うらしい。キウイなどと同じだ。ホルモン系の薬品なのか。ピーチパインの大きくて立派すぎるのは要注意である。そもそもピーチパインはそれほど大きくなる品種ではないそうだ。

 7、最後にパパイヤ。これは美味しいものがあると考えた方がいい。果物パパイヤなら何でもいいとは言えない。珊瑚パパイヤ「ワンダーブライト」の完熟ものなら間違いなし。パパイヤに独特の癖のある香りがある。青臭さである。これがない。

 珊瑚パパイヤにはその癖のある香りがないのだ。だからとろけるような果肉の味わいを、存分に楽しめる。ねっとりした口触りがパパイヤの魅力だろう。

 8、シャコ貝9、高瀬貝10、夜光貝の貝についても書こうと考えていたのだが、長くなったので名前だけで今回はここまでにしておく。貝は貴重なものだから、余り食べては行けないものだ。漁師の方が大きいものは採れなくなったと言われていた。


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地方への移住が始まるかもしれない。

2020-05-18 04:30:51 | 自給


 政府は、1月30日~2月3日、東京圏に住む20~50代を対象にアンケートした。東京圏1万人を対象にしたインターネット調査の結果をまとめた。東京圏以外の地方で暮らすことに関心を持っているとの回答が全体の49・8%を占めたほか、若い層ほど関心が高い傾向も浮かんだ。地方暮らしに「関心がある」と答えたのは15.6%で、「やや関心がある」が15.5%、「気にはなっている」18.7%だった。「関心がない」「あまり関心がない」は計47.0%。---共同通信

 ちょっと驚きの期待できるニュースだ。嬉しくてまだ信じられないほどのことだ。これが本当のことなら、未来は充分に明るいと思われる。アーサーミラーのチェリーブロッサムだ。すべては思いから始まる。10人に一人が行動を起こすとすれば、世界は変わる。

 いよいよ新しい時代が近づいているのかもしれない。時代は変わるときは一気に変わるというから、次に時代は案外にもうそこまで来ているのかもしれない。このデーターはすごいことだ。都市消滅の時代が始めて感じられる。新しい生活への願いもって、30年生きてきた。自分が生きている間に地方で暮らす時代が来るのかもしれないのだ。

 このアンケートは政府が行ったものと言うことだが、まさか何か意図があって偏向を加えていると言うようなことはないのだろうか。余りに嬉しくてそんなことまで考えてしまった。1月末と言えば、コロナ不安が蔓延する前の話だ。コロナ感染が影響していると言うことはないだろう。

 コロナ後の時代ははっきりと都会を離れる人が増加する可能性が出てきた。資本主義の限界なのだと思う。中国とアメリカの経済戦争に巻き込まれてさまよう日本を見ていると、日本にはそういう自覚さえ持てないのだと思える。たださまようだけでどこに向かうかが見えないで居るのだ。

 そこで暮らしている日本人がこのままではないはずだと。日本人は良くコロナに対応したと思う。まだ日本人の生活力があると言うことだ。アメリカやヨーロッパでの死者数を見ると、すでに生活能力が空洞化しているのだと思う。

 コロナウイルスには様々なデマのようなものが飛び交い、政府もテレビ報道も科学性というものを失うことがよく分かった。インフルエンザより軽い病気だと今でも主張する人が居る。正しく恐れない人は正しい判断を失う。それは原発の時と同じである。調査報道を行うだけの力を日ごろから、養っていないときちっとした報道は行えないと言うことである。

 日本人が地方に分散して暮らすようになれば、日本は新しい時代を作ることが出来るだろう。日本列島の豊かな環境はまたとない素晴らしいものである。可能性に満ちているのだ。今放棄が続いている土地に戻り、人間らしく生きることだ。それは誰にでも出来ることだ。

 私は30年自分で試してみた。100坪の土地で、一日1時間の労働をすれば、食糧の自給とは可能だということを、信じて貰いたい。ただし、これは協働すればと言うことで、一人でやるとすれば、2時間働く必要があった。協働することが出来れば、誰にでも加わることが出来る。

 あしがら農の会は今もそれを模索している。この実践は必ず次の時代を切り開く、参考になるはずだ。地方生活の一番の困難は技術である。生活技術というものが失われている。日本は江戸時代循環型の暮らしを完成させた国なのだ。

 それはシャベル1本の自給だ。化石燃料など一切使わない自給である。江戸時代の人が普通にやっていた暮らしである。もちろん江戸時代の人には出来なかった、様々な文明の利器がある。例えばイネの品種改良は当時のものより20%増収できる。

 江戸時代はどれほど頑張っても8俵と言われていた。それが今の時代10俵とれるのだ。化学肥料も、農薬も不要だ。機械は籾すり精米機があれば、なんとかなる。細かなことはこのブログにもいろいろ書いてきた。また、お米と鶏は必携である。このことは農文協で本にして貰った。

 そのほか分からないことがあれば、私が生きている限り疑問には答えたいと思う。何とか、自給的に暮らす方法を生きている間に伝えたいと思う。もしそういう時代の転換が出来るなら、コロナによって、次の時代の扉が開くと言うことになるかもしれない。

 もちろん簡単なことではない。たぶんこのブログにも何度書いているかと思うが、北斜面の杉林を開墾して畑を作り、田んぼを作り、食の自給を5年間で達成した。難しかったのは例えば杉の抜根はどうすればいいかというような、生活の工夫力である。

 田んぼをどうすれば出来るのかなどいろいろ調べたが分からない。しかしやってみたら何のことはなく出来た。江戸時代には普通にあった大切な技術が忘れ去られている。私にも出来たことだ。必ず可能である。

 私は東京まで通勤できる場所で、開墾生活が出来る場所を探した。それが山北町の高松山中腹であった。東名高速バスで世田谷区にある世田谷学園に通勤していた。三日間連続で授業をさせて貰い。その間の2泊は東京に泊まった。四日間は山北で開墾生活である。夢のようなすばらしい暮らしであった。今戻れるとすればあの頃が一番いい。

 テレワークがどこまで進むかがひとつの鍵であろう。週に1,2回会社に行けば仕事が可能であれば、都会の会社でも大丈夫だろう。もう一つは企業自体が安全保障で部門によっては地方に分散する可能性もある。政治がまともであれば、そういう推進も行われるところだろうが、ほとんど政治には期待できない。

 企業自体に次の時代を見据える能力があれば、それぞれが動き出すはずだ。人口減少の中で、日本の企業が能力を発揮するためには個々人の人間力の向上以外にない。そのためには人間が人間らしい暮らしを持つと言うことしかないと思っている。


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第1回 水彩画 日曜展示

2020-05-17 04:00:46 | 水彩画
 水彩画を日曜日にこのブログで、公開して行くことにした。描いた水彩画を週一回公開して行く。コロナウイルスが流行し始めてから、意識して水彩画を公開してきた。絵を見ていただいていくらかのものになればと言う気持ちもあった。もちろんそう有りたいとは思うが、今のところそれほどの絵ではないという自覚がある。私自身が頑張るための公開でもある。

 水彩画を公開する機会が減って行くと言うことがある。ひとつには美術館も画廊も閉廊が続いている。絵を描くものにとって、見てもらえなくなってきてる。これは絵画文化の危機である。コロナが終わる頃には画廊も減っているかもしれない。見てもらえないと、絵はおかしな方向に進むものだと思っている。

 絵を見てもらい、出来れば率直な意見を貰うとこが絵を描いて行く上でとても大切なことになる。そうした場をブログに作れないか、試みることにした。他に絵を描く人も知らない石垣島で暮らしている。批評をいただけるとしたら、ありがたいことだ。絵の批評はいただいても基本的に公開しない。

 何故かというと、私の政治的な発言が気に入らないから、絵をめちゃくちゃ言う人が過去にたくさんいて、どうにも収まらなくなったのだ。そうした方向違いの批評はくだらなすぎるので、絵に関しの批評は公開をしないことにしてきた。公開して欲しい方はその旨書いてくだされば公開させて貰います。批評に関して私の意見が欲しいという方が居れば、書いて貰えば、必ず私なりの考えを返信させていただきます。

 曜日を週一回の日曜日と決めて、その週に描いた絵があれば、それを公開する。その週に描いた絵がない場合は以前描いた絵の中から選んで公開してゆく。やる以上死ぬまでやりたいと思う。10年やれれば、その頃にはましな絵になっているかもしれない。興味のある方は、ダメとか、まあまあ、とだけでもいいので、コメントで付き合ってもらえれば、継続する励みになるのでよろしくお願いします。

 公表する絵には題名・制作年月・サイズ・写生場所・紙の種類。など覚えている範囲で記録しておく。公開する枚数は一回に二,三枚にしておく。絵を語ることは、自分にとって大切だと思うので、何らかの思いを書き加えたい。あとはやりながらよりよい方法を考えてみることにするので、この点でもご意見いただければありがたい。

 掲載した絵については何か使えることがあれば、自由に使っていただいてかまいません。こんなことに使いましたくらいコメント欄で教えてくれればいいです。

第1回 水彩画 日曜展示

 
 

 1、「ウリズンの田んぼ」
 2020.5.14
 中判全紙 クラシコファブリアーノ
 写生地 石垣島崎枝




 2、「崎枝南斜面」
 2020.5.14
 中判全紙 クラシコファブリアーノ
 写生地・石垣島崎枝





 3、「崎枝の牧草地」
 2020.5.13
 中判全紙 クラシコファブリアーノ
 写生地 石垣島崎枝


 いちいち絵の間に文章があると見にくくなりそうなので、文章はまとめて後で書くことにする。

 10日間ぐらいの間に描いた最近描いた三枚の絵である。行きつ戻りつしながら、三枚を進めた。不思議なのは何故か三枚が違う絵になると言うことだ。具体的な一番の違いは空である。数えると少なくとも50枚の絵を今年に入り描いている。

 その50の空が、すべて違うのである。空だけでない、海も一枚一枚違う。別段意識して変えているわけではない。そのときこうだと描いたらこんな結果的になっている。見てその通りに描いているだけなのだが、その都度違うことになる。理由はまだはっきりしない。ゆれているのだろう。

 この三枚で少し意識して描いたことがあるとすれば、石垣島の緑である。強い緑である。この強い緑を何とか捉えたいとは考えては居る。1年の間にわずか前進できた意識はある。これは嬉しいことだ。一枚目の「ウリズンの田んぼ」はそういう気持ちの強い絵だ。

 絵として良いかは別にして、田んぼの勢いというか、もう穂が出るぞという沸き立つような命の強さが見える。そうなると少ししつこいことになる。それは絵として問題部分にもなるが、問題を避けるよりは通り抜けたいと思ってやった。

 この場所を見通せるように覆っていた、樹木を順番に伐採した。伐採したら、すばらしい景色が見えるようになった。その感動で描いた三枚の絵だ。これからもこの場所を描いてみたい。同じ場所を何枚でも描きたくなる。描くたびに新しいページが開けるような気持ちになる。

 小田原に居た頃も10年間同じ畑を描いて、飽きることは少しも無かった。出来上がる絵と言うより、描く喜びが大きい。絵を描くと言うことは奥の深い喜びがある。これが生きる喜びというものなのだと思う。



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