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石垣島に田んぼを残す重要性

2022-11-22 04:06:05 | 楽観農園


 石垣島に田んぼを残さなければならない。のぼたん農園はそのための農園になる。石垣島の未来は観光にかかっている。石垣島が観光の魅力ある島である一番の要素は、亜熱帯の人間の営みが感じられる美しい自然である。身の回りの自然と美しい暮らしの景色が失われれば、観光資源が無くなると言うことだ。

 現状では土木工事そのものが、全国の離島の産業になっている。そのためにどうしても新しい大規模工事を作り続けなければならないと言う、おかしないたちごっこが起きている。そうしなければ選挙で落選するために、島を破壊して、観光資源を食い潰しながら、大規模な土木工事を継続し続けることになっているところが多い。

 その結果、自然環境の破壊か、土木工事を伴う施設建設の伴う観光資源の構築か。この二つの対立が離島にはある。現実には土木工事派が多数で、観光資源を破壊しながら、施設型の観光業を作り続けている。どこかに限界点があるはずなのだが、自転車は止まれば倒れる。難しい分岐点まで来ているように見える。

 石垣島で大切にして残さなければならないものは、石垣島の今のそのままの自然である。土木工事も石垣島経済のためには必要なことではあるのだろうが、限界を超えて自然破壊にまで進んでしまえば、何にもならないと言うことだろう。どこに限界を置くべきかを島に暮らすもの全員で考えなければならない。

 観光が盛んになれば、当然ホテルもレストランも作らなければならない。観光業で職場が出来れば、移住者も増える。移住者が増加すれば新しい住宅が作られる。一方で石垣島は農業経営を止めて人口が流出して行く流れと、観光業での人口増加の流れが、逆流のようにぶつかり合っている。

 島の自然環境の要は田んぼだと考えている。田んぼは自然を豊かにしてゆく可能性のある、希有な産業なのだ。島では産業としての稲作は経営が出来ないのだから、守る方法もないとある意味切り捨てられている。稲作農業者は毎年減少を続けて行く。それが仕方がない経済の流れと受け止められている。

 このまま田んぼが無くなったときに何が起こるのかを考えるべきだ。田んぼが放棄されれば、水面が減少する。水面が減少したときに起こるのは環境の単純化である。田んぼという浅い湖水のような環境が島の自然から失われる時に島の自然が変わると言うことだろう。島の田んぼは通年通水しなければならない。

 水のある島の豊かさを考えなければならない。田んぼなど生活に関係ないと大半の人は感じているに違いないのだが、沖縄本島から大半の田んぼが失われた結果、本島は乾いた島になってしまった。今の本島は自然の豊かさはやんばるの一部に残る偏った物になっている。

 田んぼは自然と折り合いを付けながら、何千年も永続されることの出来る農業なのだ。それは畜産や果樹栽培が持っている、環境からの収奪的な農業とは異なるものがある。現状の石垣牛の畜産であれば、100年同じところで行えば、環境破壊になるだろう。

 畜産と糞尿処理と言うことで考えてみる。牛一頭は人間で言えば10人分の糞尿をする。2万頭の牛がいれば、20万人分の処理施設が必要になる。放牧すれば、野外に大量の糞尿が垂れ流しになり、土壌が窒素過多になる。畜産が盛んになればなるほど、糞尿対策が深刻になる。

 この糞尿は堆肥センターで処理を進めているが、処理が出来ている量は1割に満たないないとされている。各牧場で糞尿処理がされているとすれば、十分な処理施設があるところだけではないはずだ。自然放牧で飼育して、自然を改変しない規模は、1㏊でせいぜい2頭になる。

 今後さらに堆肥センターで堆肥化を進めるとするならば、その出来た堆肥の島内での利用が進まなければならない。島内での利用はなかなか進まない現状である。一番の課題は畜産農家の方の糞尿の運搬である。そして出来た堆肥の利用農家までの運搬である。

 畑作の方の話では、十分な発酵がされていないために、畑に輸入飼料由来の見かけない雑草が増えて困ると言うことだ。しかし、稲作であればその心配がない。石垣島で生産される堆肥を水田で利用してゆけば、石垣島の環境内で循環されることになる。稲作農家が使いやすいような配送方法を作ったらどうだろうか。

 田んぼで堆肥センターで作ったよみがえり堆肥を利用した経験では十分利用可能である。軽トラ一杯で200㎏3000円である。追肥型の投入で進めようと考えているが、年5回使って反当たり一万円以下の肥料代になる。化学肥料よりは高いのかもしれない。

 有機農業と言うことで考えれば、利用できない価格ではない。お米が反収500㎏のお米が取れれば、1㎏のお米当たり、肥料代が20円になる。石垣島には325㏊の水田があるとされている。一反で年間1トンならば、3250トンの堆肥が使えることになる。

 水田の環境調整能力と言うことがある。水田によって水面が広がると言うことで、島の自然が維持されてきた。生物の多様性の維持には水面が必要である。しかし、この点では農薬の影響があり、どうやって有機の水田にしてゆくかの課題がある。

 まだのぼたん農園も栽培を始めたばかりなので、実践例として示せないことは残念なことだが、これから有機農業で十分な稲作が可能だと言うことを示してゆくことが目標である。現状では全国に一軒の家族経営で40ヘクタールの有機農業農家が沢山出てきている。10軒の稲作農家で可能な面積である。

 有機農業であれ規模拡大しなければ経営は難しい。農薬を使わない農業は可能なのだ。稲葉方式大規模有機稲作は全国的に広がってきている。どうやって草を抑えるかは課題ではあるが、すでに多くの先行事例が行われている。石垣島でものぼたん農園がその実例として、見て貰えるようにしたいと思う。

 有機農業の田んぼはラムサール条約で湿地として認定されているところもある。自然環境の一部として認定されるている。それだけ自然を豊かにするのが水田なのだ。水田は産業でありながら、自然環境を保全するという特別の環境保全農業になる。

 水田の環境保全能力は広範なものがある。赤土沈殿池としての機能がある。上部にパイナップルやサトウキビの畑があったとしても海との間に水田があれば、赤土の流出を水田が担ってくれる。同様に放牧地から窒素が流れ出るとしても、水田がそれを調和してくれることになる。

 洪水の調整能力もある。川の両岸に水田がある事で、豪雨のために水田が灌水することがあっても、下流部での洪水が防がれている。水田ダムが全国で広がり始めている。実際に宮良川の河岸の水田が放棄されて、下流部の道路の冠水が増えたということがある。

 水田を残すことにはもう一つ文化面の価値がある。主食を作ると言うことを通して、稲作は深く日本人の文化と結びついてきた。日本人の信仰や生き方はイネ作りに繋がる。八重山の民謡では多くの水田が唄われている。また豊年祭での五穀豊穣は石垣の祭りの最も大切な物とされている。

 水田を石垣島に残さなければならない理由がある。このままではかなり危険なところまで来ている。政治的な判断もあるのだろうが、失われてからでは遅い。なんとしてもここで踏ん張り水田を守ってゆきたい。協力したいと考える人は是非のぼたん農園に来てもらいたい。

 種まき日は12月3,4日である。朝9時からとなる。誰でも参加可能です。1時間だけでもかまいません。参加者には取れたお米を差し上げます。


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