地場・旬・自給

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冬野菜

2010-09-30 04:21:21 | 自給
夏が暑すぎて、これが熱中症かなということがあった。9月半ばまで畑は十分には作業が出来なかった。この間サツマイモとサトイモとかぼちゃが、草に負けずにかろうじて頑張ってくれている。トマトやナスやキューリの夏の果菜類は、いつものような後半の粘りがない。ニガウリやオクラも案外に早く駄目だった。これだけ暑かったのだから仕方が無いと思う。いよいよ諦めて片づけながら、冬野菜を植えた。キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、その他苗など。種を蒔いたものとしては、ほうれん草、大根、小カブ、青梗菜、春菊、ニンジンなどなど。全体の手順としては、草刈りからである。かなり茂ってしまった雑草を刈払機で、9月に入って少しづつ刈って枯らしておいた。その上に、そばかすを3度蒔いた。養鶏小屋のたい肥も少し蒔いた。上手く雨を見計らいながら、雨が降るぞと言うたびに、直前に蒔いた。枯れ草の上からそばかすが、混ざるような具合である。

これで、2,3週間したら、植えても大丈夫というようになった。苗の植え込みは、シャベルで30センチ程度の穴を掘る。そしてその中に養鶏場のたい肥を入れて、良く周辺の土とかきまわしておく。1週間置いておく、その上から、今度は土を少し入れては、苗を植え付ける。植え付けたら雨が降るよ、というタイミングで行う。このやり方が楽で活着がいい。シャベルで掘った以外の場所は、草が刈られて敷き藁状態になっている。この後また草が茂るので、それが激しいようなら、一度ぐらいは草削りをする。大したことが無ければ草に埋もれたままでほっておく。今年は、草を嫌う白菜は止めにしたので、大抵はこれで大丈夫である。その代わりに山東菜にした。鍋物にはやはり必要である。冬の野菜はおいしい。もう野菜だけで十分という位におしい。これは、作ったものにしか分からない喜びだと思う。

大根や小カブは蒔くのは、9月中ならまだいいかというところである。1週間遅れると、生育は2週間遅れる。しかし、早いと虫が多くて、やられる確率も高くなる。暑過ぎてもいけないし、乾きすぎもいけない。要するに加減である。いずれにしても10月に入ると田んぼが忙しいから、畑どころでないという心境になるので、その前である。そうだ田んぼに蒔く緑肥作物のこともある。今年は、稲がある間に蒔いてみたい。その方が、湿度があって発芽がいいかもしれない。と言っても早いと、稲刈り脱穀と踏みつけてダメにするし、これもやってみないと分からない。クリムソンクローバーとカラシ菜両方を蒔いてみる。ことしは、小カブも大根も種類を作り分けるつもりだ。今回三浦大根を蒔いた。11月になったら、亀戸大根を蒔く。小カブは金町小かぶを蒔いた。11月にみやま小かぶ(金町を選抜したもの)を蒔く予定だ。同じ種だと播種時期をづらしても、収穫は同じになる。

11月になったら、小麦と大麦とタマネギである。泉州タマネギを播種した。今年は苗箱で育てて見る。畑で作ると、準備が雑なせいか雑草に負けてしまう。苗箱4つに作ってみている。実は去年も同じことをして、失敗した。なんで失敗したかは忘れたが、今年は、少々藁たい肥中心の苗土にこだわった。何とかタマネギ苗を簡単に作りたい。麦は2畝やる予定、いつもの倍である。自農センターで教わった、稲科の作物と、野菜の組み合わせを実践したいからだ。来年はこれを少し意識的に広げて、敷き藁を十分に使った、野菜作りをしたい。稲藁も出来る限り早くに運ぶつもりだ。いつも濡らしてから運ぶから大変になる。麦は少し条間を広げる予定。いつも欲張って、30センチにしている。これが草取りの困難さになる。そらやさんのように、60センチ条間にしてみる。大麦も同じだ。これは麦茶用。

昨日の自給作業:この2,3日で12時間 累計時間:18時間
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沖縄県知事仲井真氏

2010-09-29 04:09:47 | Peace Cafe
沖縄県知事仲井真氏は沖縄の知事選への出馬を公表した。自民党・公明党の推薦候補である。そもそもこの人の発言は難しい。イエスなのかノーなのか、何とも不思議な表現をする。普天間基地のことである。明確には分からないのでいら立ってしまう。巧みなのか、ごまかしなのか。どうも次の知事選挙のことだけを、見ている気がしてしまう。沖縄の考え方が南国的なのか、対立軸を目立たせない玉虫色。立候補表明の席で、米軍普天間飛行場の移設問題については「解決の道はあると思っている。知恵も必要。県民の思いに沿う方向できちっと解決の道を、なるべく早く見つけ出すのが当然だ」いつもこんな調子の発言で、何を主張しようとしているか、辺野古移転を拒否という理解でいいのか。沖縄県民の思いを大切にして、移転を受け入れる場合もあり、ということもあるのか。知事たるもの考えは分かりやすくないと困る。このあいまいさ故に、民主党まで納得しているようだ。

保守連合相乗り選挙となりそうである。もう民主党は、保守政党と見てしまった方がいい。そうでないと深刻な間違いが、次々に起こる。革新看板、根底は保守という、たちの良くない政治家はこぞって民主党ということになる。革新的精神を持った権力者という、実に都合のいい立場が維持できる。そうしたインチ革新には、管政権は居心地がいいことだろう。都合が悪くなったら、改革の建前論を述べてごまかす。看板だけは改革派だから、問題があれば変えていかねばならない。などと言って、自己責任が無いような顔をしている鉄面皮。年金問題がいい例である。長妻大臣は何をやれたのか。結局、舛添大臣がやったことの延長の不十分であった。民主党には農業関連での改革は出来ていない。後退に次ぐ後退である。自給率100%の掛け声はもう聞こえない。

国民が一時幻影を民主党に見たのは、自民党のていたらくにある。あの情けなかった安倍元総理すら、何やら偉そうにしゃしゃり出て意見を述べる。いい加減にしてほしい。どれだけ日本という国に迷惑をかけたのか自覚が無いのか。日本には恥の文化というものが存在したはずだ。もし安倍氏が日本主義者であるなら、議員を続けていられるはずもない。節度のない自民党には、何の期待感もない。もし政治家として意欲があるなら、まず自民党の解散。ごまめの歯ぎしりで遠吠え続ける、河野太郎氏は何を自民党に執着しているのだろう。3代目の若旦那の弱さが見えるようだ。政策は評価できる所もあるのだが、身の処し方はだめだ。日本は政治的に危機だ。尖閣諸島のような馬鹿げた、失敗が起こりうる要素はいくらでもある。中国の外交力はけた外れだ。それは3千年の歴史的実力である。島国日本には到底かなわない世界である。先ずその自覚に立つこと。

沖縄県知事選であった。民主党の不甲斐なさがこれほど現われている状況はない。なんとか中井真氏に相乗りしたくてうずうずしている姿が情けない。中井真氏の方は、基地のことを玉虫色のまま、裏で普天間日米合意受け入れを画策していると見なくてはならない。沖縄県民はためらうことなく、普天間移転拒否の候補に投票してもらいたい。とすれば、宜野湾市長の伊波洋一氏ということになる。明確な反対の意思表明をしている。しかし、普天間基地のある宜野湾市では、自民党の次期市長候補に立候補した安次富元衆院議員は、何んと「普天間飛行場は県外、国外移設がベスト。普天間返還、跡地開発に向かって果敢に取り組んでいきたい」こういう立候補宣言である。沖縄の実情は想像できるが、このねじれ現象が、困るのである。沖縄の県民に、明確な意思表明してもらわないことには始まらない。
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段ボールコンポストの代替基材

2010-09-28 04:19:40 | 環境関連
段ボールコンポストに慣れてくると、基材を購入しなくても、手に入りやすい材料で代替え出来ます。極端にいえば何ででもできますが。先日は、愛知の方が、へちまの繊維でできると教えてくれました。日々コーヒーかすを加えていると、基材の交換はほとんどいらないようです。段ボール箱が溢れて来るので、堆肥に使う分だけ取り出してゆきます。そのほか色々の材料が可能です。4分の1だけ段ボール箱に基材を残し、以下のものを加えれば可能です。是非、様々な工夫をしてみてください。調整には、米ぬかを加えるのは、いずれの場合もコツのようです。
「おがくず」「落ち葉」「山の腐葉土」「生の木の葉」「剪定チップ」「土」「稲藁やモミガラ」「ピートモス単独」まだまだ利用できる材料があると思います。使ってみてこれは良かったというものがあれば、報告ください。

1、「おがくず」単独でも意外に使い良かったです。最初の一週間温度を上げるのに苦労をしました。米ぬかを加えて、水分調整をして良く撹拌します。もちろん段ボールには前の基材を4分の1加えてあります。これで案外に調子がいいです。若干気になったのは、水分が多くなると虫がでやすい点です。長所はとても長持ちをして、半年は普通に維持できます。

2、「落ち葉」これは養鶏所の床に良く入れていて、とても性能が高いことはわかっていました。養鶏場の床の改善には最高の素材です。段ボールコンポストでも、同じく具合がいいものです。特に消臭効果が高く。臭いの気になる方には、一番の素材だと思います。これは全体を交換する場合より、取り出した分だけ加えるときに使うと最善のようです。

3、「山の腐葉土」もしこれが手に入るなら、最善のものです。しかし手に入れるのが少々問題です。広葉樹の森などを歩いていると、ちょっとした窪地で風の吹き寄せる場所などに、ふかふかの落ち葉が溜まった場所があります。今こういう場所はめったになくなりました。少しめくると、白い菌糸の繁殖した層があります。これが素晴らしい素材です。これなら、単独でもすぐいい状態になります。欠点は案外早く消耗してしまうことです。生ごみを入れるときに時々腐葉土を加えてやると良いと思います。

4、「生の木の葉」庭木を手入れした時などの生の葉っぱが沢山出ます。葉っぱだけ集めて基材にすると、すぐ熱が出るものです。生きた木の葉には、沢山の微生物がついていて、落葉したらすぐ腐食して行く用意がされているようです。針葉樹だからと言って出来ない訳ではありません。時間をかけて使えば、やはり発酵します。

5、「選定チップ」これは庭木の剪定をした時など、機械でチップにしている植木屋さんがあります。山北の大口橋のそばの原造園さんにはあります。開成町では、チップ場があります。こうしたところで、できるだけ細かいタイプを分けてもらえば、とても良い基材になります。普通のチップは3センチくらいのもので少し粗いようです。

6、「土」土の潜在能力は素晴らしいものがあり、上手くコントロールすると、良い基材になります。コントロールが難しい点、と重たいことなど欠点があります。かき回すのに力が必要です。段ボール箱を痛めやすいなどの欠点があります。ただし、簡単に手に入る素材です。コンテナなどしっかりした箱でやられる人には、良い材料かと思います。

7、「稲藁やもみ殻」稲藁は細かく2センチほどにハサミで切ってください。材料が無い時に使ったことがありますが。とても使いやすい材料でした。藁だけでは消耗が早いので、もみ殻を加えるて見ました。もみ殻は分解しにくいものですが。その点、長持ちをします。藁3もみ殻1の割合で混合すると使い良いです。すでに使っている基材を多めに混合すると、良い基材になると思います。
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小田原生ごみサロン

2010-09-27 05:32:46 | 環境関連
4回目の「生ごみサロン」が開催された。60数名が集まった。サポーターも15名集まってくれて、とてもいい方向が出てきた。今回正式の名称として、「小田原生(いき)ごみサロン」ということが決まった。代表は笠原さん、事務所を笹村が引き受けることになった。現在サロンのメンバーは60人ぐらいだが、これが100人を超えるようにして行かなければならないだろう。この会の目的は、小田原の生ごみのたい肥化の協力にある。ごみの処理ということは、市民が動かない限り変わらない。またごみから暮らしが変わる。ごみと親しくなると、暮らしが循環する姿をごみを通して学ぶことが出来る。ジャガイモの皮が、土に戻ってゆく。そのことが実感できると、ごみを見る目が変わる。燃やしてしまうごみがいかに、地球の循環を阻害しているのかが見えてくる。

「いきごみサロン」は行政と市民の協働する会である。当たり前のことのようだが、実はこれがなかなか実現していない。いくつかの行政と連動する組織にかかわっているが、どうも上手く動いていない。行政の役割、市民の役割、この分担が見えないのだ。こうした会では実務上いくつかの要点があると思う。情報管理、名簿管理、連絡方法。これが現在とても難しい。迂闊に行政から外には出せない。しかし、1000名に連絡を取るということは、大変な作業になる。このあたりが一つの課題である。市民にはそれは様々な人がいるということである。昨日も、駐車場が少ない施設で、こういう集まりをするのは、おかしいといわれるの方がいた。前回、見えたのだが、駐車スペースが無かったため帰られたというのである。確かに申し訳ないことではある。しかし、マロニエは50台くらいは駐車できる施設である。満車の時もないとは言えない。満車にならない施設と言えば、フラワーガーデンか。

多様な要望に行政は対応が必要なあまり、動きづらくなっている。市民組織が自分のこととして動く。今後はより身近な地域に密着する集まりにしてゆく必要がある。久野では80名近い段ボールコンポストの登録者がいるそうだ。地域で集まりを持つことが、将来の方向を模索するうえでもとても重要になるだろう。地域で集まれば、名簿管理も何もない。日常的な繋がりも再構築できる材料になる。久野ならば、畑がたくさんある。うまく連動すれば、それほど困難でなく、生ごみのたい肥化は、畑で実現できる。農家の方が、たい肥場を提供する。近隣の方が持ち込む。その経費を行政が負担する。このことが農家と近隣住民との連携を産むきっかけになるかもしれない。久野は農業地域とは言え、純然たる都市住民が増加している。

今小田原が取り組んでいる方式は、誰に聞いても出来る訳が無いといわれるような、一見無理に見える方式である。ところが、徐々にではあるが、進み始めている。1000件の申し出が、忽ち集まった。すぐ辞めるだろうと言われたにもかかわらず、半分以上の人が継続している模様である。もし、1年たって、500件が継続していたら、これは驚異的な結果である。来年も1000件が始める。そして、地域単位のブロックが作られてゆくことになれば、この方式で生ごみの10%は処理が出来る。そうなれば、第2段階の農家が取り組むたい肥化である。こうして、市民自身が処理をするのは、ただ焼却ごみが減るということにとどまらない。かならず、暮らし方の変化が生まれてくる。もったいない。ごみは宝だ。循環する暮らし。
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水土の再生1

2010-09-26 03:51:54 | 自給
日本がいかに崩壊したかという話は、聞き飽きたし、書きつくした。が、その崩壊の実態に気がつかない人もいないとは限らないので、整理して明確にすれば、どう再生すればいいかが考えやすくなる。簡単には書けそうも無いので、その1ということになる。

筆頭として、「水土の崩壊」を上げておかなければならない。あえて、風土ではなく水土というのは、その意味を明確にしたいからである。日本という国は、この水土で出来上がっている。伝統の技術や、環境を含めてである。そして日本人という肉体も、この土から出来る食べ物と、この水を飲んで出来上がる。人間の肉体的原点も含めて水土である。戦後の日本が行ってしまった国土の破壊。河川の上流にはダムを作り、河口堰を造り取水する。上流から河口まで、ほとんどの河岸をコンクリートで固めてしまった。これは大きな河川だけでなく、小さな河川でも3面張りのコンクリートの通水路のようなものに変貌した。さらに小さな、小川まで、U字溝に変わった。一方海岸線においては、テトラポットとコンクリートの港湾工事である。安全とか、防災とか、水資源とか言いながら、実は土木業への熱情に浮かれた。土木工事の自転車操業で、土建国家として動かされてきたことの方が、実態であろう。他に道はあったのだが、視野の狭い、展望のない、愚かな国づくりをしてしまった。

かつての水神を設けて、水を畏れ敬い大切にする暮らし。上水と下水とを分けて、暮らしで水を汚さない知恵。上流で暮らす村は、下流で暮らす人達のために、より大切に水を守る心が育まれた。水を管理するのではなく、水をお祭りし信仰する。その恩恵を分けていただく暮らし。工業化社会が、水というものの意味を一転させてしまった。ヨーロッパ人が、工業化社会を作り上げる中で、失わなかった根幹に気付かなかった日本。こうして水土をないがしろにしながら、根底の民族の精神を日本人は見失った。多くの日本人が、水の浄化装置でも作り、工場から水が生産できると考えたのだろう。そして日本の水土までもが、工場で作り上げられる幻影を抱いてしまった。人間が作り出せる自然などないと言ってもいい。人間に出来ることは、わずかな自然への手入れである。自然の中に自分の暮らしをどう織り込んでゆくかである。自然の中に飲み込まれながら、どう調和を崩さずに、一生を全うできるかである。

稲作の暮らし。そこから生まれた日本人の文化。稲作に含まれていた、重要な要素をもう一度見直す。ここからもう一度始める事。日本人全員が稲作をする人になれば、日本の水土はいつかは再建できる。水を汚さず大切にするということが、身体で分かる。その行く先が公共の復活ということになる。観念とか理念が先行することは、少しも信じない。暮らしの日々から変わらない限り、人間何も変わらないと考える。日本人全体が、海外の人の犠牲の上に暮らしをしながら、悲憤慷慨する評論家である間は、何の意味もなさない。自分の手足で、暮らしのを実行するのみ。行動に起こさない限り何も変わらない。日本がここまで崩壊してしまったのは、わが身は企業の資本の論理に奉仕して、観念では理想論をぶっている人間が大半になってしまったからである。実際に稲作を行ってみること。自分で作ったお米を食べて見ること。ここから水土の景色が変わる。

それほど難しいことではない。江戸時代を手本にして、そこまで戻ればいいだけである。明治政府に洗脳された、日本人には江戸時代の実像が見えない。飢饉と百姓一揆の世界だと思い込まされている。一度は日本人は鎖国という制度の中で、日本人の水土を完成させたのである。それを失ったのは明治政府の富国強兵の間違った方角にあった。それ以降は日本の崩壊に至るまでの、道筋であった。アメリカとの戦争に敗れたことで、日本はその明治以降の帝国主義の野望を挫折し、精神の崩壊をきたした。もう一度江戸時代に戻ることだ。江戸時代の美しい水土に戻ることだ。そこからもう一度、始めて見ること。当時の日本人ほどの能力は今や失われている。時間はかかるだろうが、科学技術の進歩という新たに獲得したものもある。合理的にやればまだ、間に合うだろう。
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尖閣諸島事件3

2010-09-25 04:57:02 | Peace Cafe
あまりにひどい政府の対応に、あいた口がふさがらない。登山道の草刈りも中止になったので。一日1本の原則を曲げて、今回の管政権の無能ぶりを記録しておきたい。那覇地検は釈放理由に外交への影響をあげた。政府が責任を、地検に押し付けたということである。谷垣自民党代表は腰砕けと発言した。この事件が意図的に起こされたものと想像してのことだろう。それでなければ、一旦は頑張ったのち、腰が引けてしまった。ということにはならない。今回の場合は、みんなの党の渡邊氏の言うように腰ぬけである。こんな政権に外交を任せてはおけない。まず、海上保安庁を制御できていない。現場に対して、明確な政治的意図を伝えなければならない。もし、現場に髭の隊長のようなおかしな、駆けつけ軍事行為を意図するような人間がいたら、事前に刺を抜いておく必要がある。としても、あえてこうした挑発行為を意図する、跳ね返りはいる。一旦起きてしまったことの収め方である。

今回は沖縄地検の独自判断ということにした。誰が見てもバカバカしい嘘にしか見えない。あからさまな嘘に見えるということは、外交にもならないし、日本という国が侮られる原因を作るということになる。同時に検察、日本の司法というのは、政治のいいなりという恐ろしいことも、いよいよに明白になった。それなら、何故、拘留期限の延長などしたのだ。国外退去処分に早くすれば良い。先の読めない素人集団のようだ。頑張る方針なら、頑張りながら、妥協点を用意する。頑張ることが出来ないとしたら、最初から譲り方を模索する。今回は何の方針も無く、ただ状況に流されて、日本という国家の主権に傷を付けた事例を作った。そのことすら理解できないような仙石官房長官の場当たり的な様子に、あきれ果てた。腰ぬけは政治の姿勢として悪い訳ではない。腰ぬけに徹して、最初から強気は見せないことだ。怖くなって腰ぬけになるというのが最悪なのだ。それでは本当の腰ぬけだ。

この意味不明の態度では政府が意図として、海上保安庁に指示を出したということでないことは分かった。それでは誰がこんなことを起こしたのか。現場のうっかりか。現場に対しても何の明確な指示も無かったということか。緊張した国境警備で、そんないい加減な状態ということか。平和外交というのは、こういうところに徹底した神経が必要だ。軍事的な力の外交とは違う、力ではない、智慧を駆使した外交力が必要である。尖閣諸島については、両者で触れないでおくという、暗黙の了解があった。ひとまず置いておいて、ガス採掘について、やっと話し合いの糸口が生まれてきたというところだ。こんな時にこんなバカなことを起こしてどうする。だからやっと譲り始めた中国としては、激怒しとことんやるしかなかった。沖縄の基地問題が背景にある。緊張を高めて基地の存続増強を考える勢力は、常に存在する。それをどうコントロールするかが政府の配慮では無かったのか。

取り返しのつかない処置をしてしまった。日本は相当危うい状況にある。今後さらに厳しい事態が待っていると考えなければならない。間違っても、緊張を高めるような方向に向かわないこと。すでに力の外交を目指す勢力は、罵声を上げている。この声に負けてはならない。漁船の逮捕から始まる、連動した流れと見なければならない。誰の声が高いか、立ち上がれ日本。自民党。みんなの党。国民新党。あえて弱腰は弱腰に徹してもらいたい。急に強気を見せれば、今回のような大失敗になる。これ以上整合性のない行動はとらない。場当たり的処置は行わない。時間を少しかけてもいいので、政府には明確な方針、意図を国民に分かるように示す。失敗は失敗として、地検への政治的介入に関して事実を述べて、今後の3権分立を明確にする。政府が今行わなければならないのは、説明責任である。日本では、政治も司法も、小学校のようだ。
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白鵬とイチロー

2010-09-25 03:59:20 | 身辺雑記
不思議なことに日米で同時に、外国の人が、その国を象徴する国技で大記録を作った。モンゴルから来た横綱白鵬。60連勝。アメリカではイチロー選手が10年連続200本安打を記録した。不思議な巡り合わせである。その少し前に、日米通算3500本安打の記録を達成した。もしこれが大リーグ記録であれば、十番目ぐらいの記録になる。このまま行けば、ピートローズの持つ大リーグ記録すら上回る可能性もある。ところが、日米通算は日本だけの出来事である。アメリカでは、意図的ともいえる無反応で過ぎたようだ。それは当然ともいえる。もし朝青龍がモンゴルに戻り、モンゴル場所を新設して優勝して、日本とモンゴルを通算してと言われてもやはり困る。違う枠は違う枠。王選手でホームラン日本記録を世界記録のように主張していたのは、ちょっと恥ずかしかった。

マラソンでは世界記録がない。条件が違うから、世界最高タイムはあっても世界記録ではない。マラソン世界最高記録を出せるコースというのは作れるはずだ。地面はアンツーカーにする。今なら全天候型素材か。そしてスパイクで走る。全体を細霧冷房にして、呼吸を楽にする。風や太陽光が避けられるような、森の中のコースにする。まっ平らというより、前半緩やかに上って、後半下りにした方がいいかもしれない。でも何かつまらない。ボブ・ビーモンというアメリカ選手が、メキシコオリンピック幅跳びで驚異的な世界記録を作った。当時破れないとまで言われたが、23年後に破られたが、まだ世界2位の記録だ。メキシコシティーの標高が2300メートルと高いからと言っていた。スピードスケートではさらに記録はリンクの条件次第のところがある。

白鵬である。この勢いなら69連勝すら破るかもしれない。是非ともその姿を見て見たいものだ。伝説の双葉山を超えるのである。大鵬とも、千代の富士とも、違う。多分双葉山とも違うのだろう。白鵬の強さは普通に強いを限界まで増幅した印象である。大鵬は負けない相撲であった。相手を静かにいつの間にか押しつぶすような、包み込む柔らかな強さ。千代の富士は圧倒する強引な強さ。けた外れの運動能力で、相手を寄せ付けない。楽しいから強いという、正のエネルギー。見せる相撲として、際立っていた。白鳳は二人ともまるで違う。普通に勝つ強さ。3の相手には4になり、10の相手には11になる。どこまで行っても底知れない奥深い強さ。対する力士に勝ち方を描かせない相撲。残るは外国人大関の3人である。体力で上回るなら、「把瑠都」。昨日負けてしまった。早さで勝るなら、「日馬富士」。投げ技で勝負なら、「琴欧洲」と思うが誰が出ても、どんな側面でもそれを上回る。横綱白鵬に見える。

もし朝青龍がいたら、連勝は無かっただろう。朝青龍が白鵬に4連敗はない。これも巡り合わせの運命である。イチロー選手には是非アメリカで3000安打を打ってもらいたい。3000ヒットが大リーグの一流選手ということのようだ。後5年活躍すれば、厳しい記録ではあるが可能かもしれない。その間にもう一度200本安打を打てば、それはピートローズを抜いて大リーグ記録となる。すでに最多安打記録262本は作っている。この後が実は大変なことだと思う。40歳を過ぎると運動選手として、厳しい年齢に入るだろう。あと一回の200本安打も来年が一番可能性が高い。いよいよイチロー選手に注目である。野球の出来た国アメリカで、トップ選手になったイチロー。相撲の国日本で連勝記録に挑む白鵬。両者が魅力的でわくわくしてくる。
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尖閣諸島問題2

2010-09-24 03:15:32 | Peace Cafe
日本政府の立場は尖閣諸島については領土問題も存在しない、何の疑いもない日本固有の領土であるということのようだ。もちろん中国の見方はそうではない。このことも調べて見ると案外に複雑で、簡単に意見が述べられるようなことでもないようだ。両者それぞれの見解があって、問題が無いとまで言い切れないことだけは確かなようだ。ただし、そのことは置いておいて、何故今この問題が今このタイミング起きたのかである。はっきりしているのは、誰かの海上保安庁に対する指示で、この漁船の衝突事件は起こされたことである。もちろん現場の指揮官の独自の判断ということもありうるが、偶発的なものでないことだけは確かである。漁船の操業はとくべつなことではなかった。ここで中国漁船の船員を拿捕すれば、どういう問題が、日中間で起きるのかが、計算されいたと思われる。日中両国の反応もほぼ予測されたような展開と考えなければならない。

中国が強い対抗処置を次々に取る。それに対し日本政府はしらじらしく、日本の国内の法律に基づいて普通に処理するとしか反応しない。当然のこと、何が起こるかである。アメリカ軍との同盟関係の意味が、リアルに再認識されるという想定。それは当然のこと、沖縄の基地問題と深く結び付いている。普天間基地の国外移設どころではないだろう、という世論を作り出す目的。実に分かりやすい仕掛けである。中国はまさか、日本政府がここまで強気で来るとは思わなかった節がある。経済で脅かせば、日本など簡単だ。こういう安易な考えがあったようだ。この点中国はまだ途上国的甘えがある。経済はお互いさまで、相手が痛いぐらいやれば、自分にも痛いことになる。経済でいえば、中国経済の方が、日本以上の綱渡り状態は深刻と考えられる。日本のバブルと同じことで、下手なことをすれば大きな反動が起きる。もう口先介入では、どうにもならないほど、経済の結びつきは深い。

中国国内には、深刻な経済格差がある。それは発展が一瞬たりとて、とどまった時に大きな混乱につながる可能性が高い。中国政府としては常に経済発展を作り出さなければならない。そんなことはできる訳が無い、見せかけの延命策。水問題から来る食糧危機。温暖化の影響による、自然災害の深刻化。人口の急激なアンバランス。中国の展望は明るいだけではない。今は経済の急速な発展の途上だから。何とか維持されているにすぎない。そうした国内の不満要素に対し、日本に対し必要以上の強硬姿勢を見せなければ、収まらならない状況なのだろう。日本が簡単に譲ると考えたのかもしれない。ところが、日本は普天間問題から起きた、日米同盟解消の世論の台頭がある。政府は中国の軍事力の増強宣伝。覇権主義の強調は、日本政府の仕込み通りの展開。中国は油断できない、怖い国であってほしいと考えた勢力がいる。それが漁船の拿捕を仕掛けたと見て置く必要がある。

領土問題で興奮してはならない。こんなことで戦争に発展することもある。ボタンの掛け違いで、抗議船に自衛隊の哨戒機が発砲するというような、事もないとは言えない。安易に考えない方が良い。EUのように、東アジア共同体として、将来は同じ国になるのだから、芦ノ湖が静岡県か神奈川県かというぐらいのことだ。両国政府は表面つのを突き合わせているようだが、両国の国民の大半は、上手く収めてほしいと考えている。沢山の日本人が中国の為に、本気で手伝っている。深い友好関係は生まれ始めている。もっと知恵を出すべきだ。両国友好の為に超法規的処理を望む。面子をつぶさない対応が必要。全権を委任する特使を派遣する。田中真紀子さんはどうだろうか。
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安藤ニキさんの個展を見る

2010-09-23 04:43:47 | 水彩画
11月初めに水彩人展がある。毎回絵葉書を作るので、その写真をいそいでいる。すぐにもやらないと少し焦っている。期限を過ぎているのだが、まだとれないでいる。出す絵はほぼ終わっているのだが、写真を取ると手を入れられなくなるので、それはまだという気持ちで、延び延びになっている。3点出すので、10枚ぐらいの中から選んでいる。選んで組み合わせを考えたりして。それも延びる理由である。そんな中、農の会の仲間の安藤さんのお嬢さんが個展をされているというので、見せていただいた。明後日で終わりというので、まだ間に合ったということ。その詳細については、安藤さんのホームページに詳しいので、そちらを見ていただくと良いのだが。開催は24日までだったので、案内を書くとしては遅いが。場所は箱根湯本である。平賀敬さんのお住まいが、今は美術館になっている。そこである。良い場所を得て初めての個展は、幸運である。平賀さんが生きていればなあと思う。

玉子の配達をしばらくさせてもらった。老舗旅館のそばだった。平賀敬さんとは東京でお顔は見たというぐらいの関係で、その時箱根に居て、あんたもあっちだったね。というので紹介されたことがあった。しかし、暮らしているそばの人と知り合いたくないこともあって、絵もだいぶ違うということもあったので距離を置いた。亡くなられてから出来た、平賀敬さんの個人美術館も、この機会が初めてだった。絵の保存には最悪だな。というのが外からの印象であった。湿度がとても溜まるような地形だ。すべてが苔むしている。家は、国の有形文化財だそうだ。萬翠楼「福住」所有と書いてある。古い箱根の旅館のことだ。平賀さんのアナーキな雰囲気の絵とは距離がある。絵から見て、箱根に住まわれているというと、別荘地のモダンなアトリエ。ということだが、ご本人の印象は、明治時代に出来た家に住んでいるという方がしっくりくる方だった。どうせ不思議な絵だから、それでいいのだろう。

安藤ニキさんは初めての個展だそうだ。若い人の初めての個展。それだけでも、一見の価値はある。美術学校の卒業制作展というのは、面白いもので、がらくた市のような、掘り出し物がある。若い人の絵に、年寄りが先輩ぶってあれこれ言うのも、良い姿ではないので、論評は避ける。なにしろ、絵を描く以上若いも、年寄りもないし、知り合いのお嬢さんであっても、同じことになる。見せていただき、いただけるものはいただく。私自身は個展というものは止めにしてしまったし、東京まで個展を見に行くということも、めったにない。簡単にいえば得るものが無いからである。自分の何かになるなら、何をおいても行ってみたいが。付き合いで見に行くというようなことは、今更しないで置きたい。不義理であるが、仕方がない。水彩人展の仲間が三人も個展をやっていたのに。許しがたい失礼な奴である。

水彩人展は今、建て替えている東京都美術館が新装になると、そこで開催される。まだ、場所や期日は決まっていないが、やらしてもらえることにはなった。水彩人展の活動趣旨と活動内容からいえば、当然のことだと思う。東京都美術館は建物を新装するにあたり、従来の公募展を一新したい意欲があるようだ。美術に対し公が口は挟めないが、新しい美術の展開を求めているようだ。送られてくる書類にそういう空気が満ち溢れている。いずれ、しばらく発表の場を確保できた。水彩連盟展を退会させられたことが、結局新しい水彩の第三の展覧会が生まれることになった。巡り合わせなのだろう。どちらがまともであるかは、歴史が証明することになるだろう。金曜日までであるが、安藤ニキさんの個展はお薦めである。
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大阪地検特捜部の前田恒彦・主任検事の逮捕

2010-09-22 05:30:33 | Peace Cafe
村木さんの事件は、いかにもおかしかった。やはりという検察特捜部の、でっち上げがフロッピーの日付改ざんというところから見えてきた。検察の闇が徐々にだが明らかにされてきた。まさかというより、やはりと感じる怖ろしい状況に、日本の検察はあったのだ。朝日新聞がこのことをスクープしたらしいが、何時も報道批判ばかりしていたが、見直した。検察がストーリーを書き、それに基づき証拠を捏造する。自白を都合よく作り上げ、無かった事件を作り出す。いかにもである。検察は村木さんの上告を慌てて、やめにした。なんという泥縄か。今まで決断できなかったぐらい、内部は腐っている。でっち上げ自体は、地検特捜部全体で行ったことに間違いがない。日付を改ざんしたフロッピーを証拠申請していないこと自体が、そのことを証明している。証拠として出せば、改ざんが明るみに出る。

改ざんしたことが地検で確認されたために、証拠として使えなくなっただけである。特捜部で書き換えがばれるかどうかの議論はしたはずだ。そしてばれると判断したから、証拠として提出しなかった。そうでなければこれほど村木さんを犯人に仕立てる重要証拠を、証拠提出しない訳が無い。ではでっち上げは特捜部だけの問題であったか。朝日の取材では、特捜部の幹部に前田氏から2月に報告があり、その報告を受けた幹部は、地検幹部に報告をしたということである。これからの捜査で、この点を何としても明らかにしてもらいたい。地検組織ぐるみで行った犯罪を、どうしても明らかにする必要がある。しかし、泥棒が泥棒を調べるようなことだから、到底明らかになるとも思えない。このままでは結局、検察の腐りきった実態は見えてこない気がする。政府は第3者による調査委員会を緊急に立ち上げ、検察の腐敗の構造を解明しなければならない。

では村木氏の事件は誰が、何んの目的ででっち上げたのか。特捜部には誰の指示があったのか。どう考えても、自民党が噛んでいる。一つは自民党は可視化反対である。2つ目は時期的にも民主党への政権交代の選挙前の仕掛けである。なりふり構わず、民主党にダメージを与えようと仕組んだ事件。こうなると、小沢氏の疑惑にも大きな影響が出てくる。鈴木宗男氏の事件も、冤罪ではなかったのかという疑問は広がる。政治がらみの事件はすべて、不信が広がる。どう権力と司法が繋がっているのかが、大きな問題となる。この点は恐怖すら感じる。管政権のようすでは、今のところ新しい権力癒着を模索している怪しさがある。どうやって3権分立を確保するか。これは国民が監視するほかない。きちっと本当のところを見抜く目を持つ以外ない。それには、まず情報公開である。おかしいと思った時、すべての情報を見れる状態が必要。

検察取り調べの可視化も情報公開と同じことである。権力は闇を作ってはいけない。三つの権力は権力である自覚が必要である。その上で、権力というものが関わるすべてを公開して行く努力が常に必要である。権力は腐敗する。権力は闇化する。権力には自浄作用はない。権力を見えるようにするのは、権力を行使される側の国民の絶え間ない努力である。その第一の役割は、報道機関である。今回は素晴らしい仕事をしてくれた。御蔭で一つの闇が開かれた。強い正義のための報道を作るのも国民が支えるかにかかっている。政治権力を変えて行くのも国民の意識。これからおかしなことをしでかしそうな、管民主党政権に対し、十分な監視を怠らないようにしなければならない。まずは世論調査うんぬんばかりしている報道を止めて、自分の意思を明確にした報道である。
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降りて行く生き方

2010-09-21 04:23:50 | 地域
第3回ローカルサミットのプレイベントとして、「降りて行く生き方」の上映会があった。三の丸小学校の体育館で開催された。題名からして、ちょっとおしつけがましいところが、多分好みではないような気がしていたが、この映画が作られる過程の話も聞いていて、是非見たいと思っていた。興味深く見せてもらった。良質な映画ではあるのだが、どうも当事者的感覚のものには若干作り物ぽい所が気になった。方向はいいのだから多いに評価したい映画ではある。暮らしを変えよう。戻ろうじゃないか。お金に惑わされるような生き方から、人間の一番底にある命に従った生き方をしようというメッセージである。限界集落と呼ばれる地域での稲作りに、日本人の根底にある生き方がある。稲作や酒造りにある日本人の暮らしの根底にある価値観。森から作られる水。水がはぐくむ命。その水土を集約された稲作。棚田での生き方。ここに戻らなければ五〇年したら、この暮らしは崩壊してしまう。という命の叫び。

1955年ごろのことである。境川村の青年団の活動として映画上映会があった。大久保と藤垈の中間に、境川を渡る小さな橋があった。その橋のたもとにいくらか広がった。場所があった。多分山から木を下ろしてきて、一時的に貯木したところだろう。その空き地で、村の青年団が映画会を記憶では3回ほど行った。生活改善クラブとか、青年団活動とか、村の青年団がやけに盛り上がった時期があった。映画は2本立てで、内容は様々で「鞍馬天狗」から「にあんちゃん」と言った様な映画を見た記憶がある。暗くなった広がった河原に、白いスクリーンを張る。そこに映画を映すから、裏側からも映画が見えた。なにしろ、溢れんばかりの人出で、中には入れなかった。事前に前売り券を青年団が数人で回って売りに来た。お爺さんは女子中学生だった、叔母さんが見に行くのをとても嫌っていた。叔母さんは、こどもの私を連れて行くという理由で、行きたくてしょうがない映画に出掛けた。

「降りて行く生き方」の上映方法が、あの雰囲気を醸し出していた。生真面目な手づくり感がいい。村の文化を打ち破りたいというような、青年団長がとてもまぶしい存在であった。今回は映画のプロジューサーという人が、そんな雰囲気だった。命がけで作ったとか、力んでいたがそういうのは、言わぬが花。映画は映画の力で、生命力を発揮する。説明など何の意味もない。あの村の青年団長は鞍馬天狗を見せながら、自分たちの目的を十分達していた。村の大改革に取り組んだのだ。大久保は田んぼすらできない、それこそ限界集落であった。そこで、明日の食べ物のために必死に開墾をして、生き抜いていた人たち。引揚者や都会の親せきなどで、人口は溢れんばかりだった。そういえばお寺の本堂で生活改善クラブだとおもうのだが、集会を開いたこともあった。何時も苦虫をつぶしてする、おじいさんがニコニコ冗談話をしていて、びっくりしたものだ。

あの戦後の情熱、今ああいう感じが小田原にあるのかもしれない。もう一度、畑をやることだ。田んぼをやることだ。そこからやり直してみれば、何とかなる。それは体験とか、自然に触れるとか、そんなあたりさわりのないことでなく。そこで生きる覚悟にならないとならない。刈谷さんが舞台挨拶をされた。刈谷さんは私にとっては、考古学者である。先日、小田原でも立派な発表をされている。何か考古学者が映画にも出ているという感じで受け止めてしまった。とてもいい演技であった。いい演技と言えば、武田鉄也さんも、珍しく本気の熱演である。この映画を支えたようなものだろう。伝わる熱いものがあった。機会があれば見て、いやこの映画は機会を作る以外見ることが出来ないものらしい。この上映法もなかなか面白い。機会を作って、ぜひ見てもらいたい映画である。
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検察取り調べの可視化

2010-09-20 04:11:43 | Peace Cafe
村木さんの事件で検察は、控訴をしないことを決めたようだが。24日の控訴期限まで、まだ油断はできない。控訴しても勝算はまるでない。しかし、控訴しなければ、作文を自ら認めたことになる。決断さえできない追い込まれた検察の姿。検察の思い込みによる筋書きが崩壊した瞬間が今か今かと待たれる。村木さんの場合に限らず、検察の誘導によって作られる事件が多数存在していることが、次第に明らかになってきた。以前からそうであったのか、最近のことなのか困ったことだ。司法の信頼性の崩壊が起きている。国の成り立ちの根本として、深く憂慮しなくてはならない状況である。鈴木宗男氏の事件でも、作られたイメージが先行してしまい、真実は見えないまま最高裁で判決が確定された。情報が一方通行である普通の人間にとって、今にして感じられるのは、裁判というものが随分いい加減らしいという、想像が広がっただけである。報道に対する無力感もある。鈴木氏には申し訳ないが、鈴木氏は有罪になりながら、「司法のなかに官僚的傲慢不遜状態が蔓延し始めている。」そういう一般の想像を広げた功績はある。

自民党の崩壊、低落に伴い、民主党に仕掛けらた一連の事件がある。そうとしか思えないタイミングで、検察が動いたと、今多くの人が想像しているのだろう。ロッキード事件の時は、検察の思惑やストリーまで考える、人間はまだ少なかった。検察にとって実に不幸な闇への憶測が広がっている。小沢氏の程度の問題は、相当数の国会議員が抱えている事だろう。法に触れるか触れないかは別問題である。倫理的な問題と犯罪の違い。素人の検察審査会が国を動かしてしまった。同じような不動産購入をした自民党の議員は不問である。いずれ、そういう不動産屋議員が好きになれないのは、当然である。あえて政権交代の選挙のタイミングで、民主党をターゲットにしたとしか思えない、地検特捜部の行動への疑問。ここから想像されるのは、司法の権力との癒着である。司法官僚も、自己の出世と金銭欲にまみれているらしい、という不信感の増大。

解決は実は簡単なことだ。取り調べの全面可視化である。これほど簡単なことをやろうとしない検察の不誠実が、信頼性の低下に拍車をかける。検察が隠していたい、捜査法。公開できない捜査を行ってきたという現実。見せられない誘導によってしか、自白など導けないという捜査手法の現実。多分犯罪の捜査というものはそういうものだろう。もちろん全面可視化によって、捜査に障害が出るのは確実である。それでも、可視化しなければ、検察の信頼は再建できないと考えたほうがいい。捜査がガラス張りという制限が加わり、検察としては腕をもがれたような気がするだろう。それでも可視化しなければならない状況を認識しなければならない。自白主義から、科学的捜査へ。心理的誘導。そういうことがどういう範囲で許されるのか。明確にすべきだ。

裁判というものを変えたのは、司法自身である。裁判員制度を作れば、可視化ということは必然と考えるべき、流れである。裁判員は素人である。文章だけで状況を説明されても分からない可能性が高い。このように被疑者が語ったということを確認したくなって普通だ。検察と裁判官の暗黙の了解が通用しない。可視化の問題点は、ビデオで記録されていたのでは、心の底にある、誰にもしゃべらないで溜めていたことなどを告白をしない可能性。報復を畏れるあまり、嘘の自白をするとかいうことが言われる。それは、ビデオの管理の問題である。翻って考えれば、被疑者にビデオの撮影の是非の選択権を与えたらどうだろう。報復を恐れたり、人に知られたくないと考える被疑者は、撮影を拒否する権利を与える。不当な検察の捜査を畏れるものは、全面可視化を望むだろう。検察としては、逮捕できない100人と、間違って逮捕する1人のどちらを選ぶかである。
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への字農法

2010-09-19 04:40:11 | 稲作
「への字農法」とは井原豊さんが提唱された稲作法である。稲は尺角植えで、分ゲツは30本以上、茎の太さは鉛筆以上という豪快な稲作である。井原さんは稲作の本をたくさん出されているが、への字農法と命名している。基本の考え方は、稲の初期は大人しく窒素を利かさず、幼穂形成期に穂肥を振る。というようなことだったと思う。私が井原さんの本を最初に読んだのは痛快麦作りであった。今手元にないので正確な名前は忘れたが、痛快とか、びっくりという言葉が好きなようだ。何故そんな名前の本を買ったのかは忘れたが、稲の裏作に麦を作り始めたころに違いない。先日、「井原死すともへの字は死せず」追悼文集をいつもの高橋さんから貸していただいた。有名な農家の皆さんが並んでいる。と言っても、マイナーな世界のマイナーなことではあるが。私が井原さんを本当の意味で知ったのは、「除草剤を使わない稲作り」のホームページである。

この世話人をされている山下さんという方が、なかなか興味深い方である。井原さんのようなタイプの方は、ちょっと苦手で生きていたとしてもお会いしたくない傾向の方である。しかし、山下さんという方を通して、井原さんを知ったので、拒絶反応なく考え方を学ぶことが出来た。そうした学びを通して、理想とする稲の姿というものが、徐々に出来上がっていた。出来るだけ粗植で、茎は1センチくらいあるような逞しさ。株は40近くにも分ゲツをして大きく開いている。そして稲の穂は大きく、豊かに垂れ下がる。籾は一回りは大きく粒張りが充分。穂の軸は太くぐぐっととぐろを巻く。止め葉は幅広く大きく開き、最後までしっかりと緑を保つ。稲刈りの時期になっても根は白く、生き生きとしている。これは結局井原さんのイメージを受け継いだようだ。

稲作は多様である。先日の自農センターの稲作では、全くの反対の姿である。繊細というか、微妙というか、寸分の無駄のない稲作である。これも結局は好みということになるのかもしれない。寒い地方の稲作と、井原さんの岡山での稲作はそもそもが違う。水土の違いが大きすぎる。この水土の違いは、当然人間の違いである。井原さんという人間を作った、岡山の水土。そして松本の高冷地農業の中で培われた、自農センターの技術と人。では、小田原ではと思う。私のような根なし草が、流れ着くことのできた、小田原の水土。井原さんはここまで知らなきゃ損をする。とかいう車の本まで書いている。それで井原さんが得をしたとも思えない。損をしたくなければ農業を早く辞めた方がいい。これが井原さんの逆説。

とことんナショナルであることが、インターナショナルになる。井原さんの極端に個性的な農業技術こそ、他の農家に通用する農法になる。井原さんの考え方は型破りである。独自性にこだわる。意識的にかと思われるように、農業の常識を打ち破ろうとする。それを損をしないとか、痛快とか、言いながら、実証して行く。自分の田んぼで出来たからと言って、よその田んぼでそうなるとは限らない。それをよその田んぼでも、実現できる技術にしようともがく。これは、自農センターとはまるで逆の言い方での、普通の農家がやれる有機農業の提唱でもある。両極があるが故に向こう側の彼岸で合わさる不思議。ところで、小田原の梅の里田んぼの稲は、まさに井原さんの稲の姿を彷彿とする。農の会の目指す方角を示していると思っている。そして、それは以前、海老澤さんが放棄地に稲を植えた時の姿である。こっこ牧場が、坊所で大量の草たい肥を入れた所で起きた稲の姿である。
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アマチアリズム

2010-09-18 03:53:04 | 水彩画
普通はアマチアリズムは、プロスポーツに対してつかわれる。今はオリンピックでさえ、失われたアマチア精神のことに違いない。崇高なる目的で金を稼ごうは、おかしいだろう。オリンピックにそういう時代があったことすら、忘れられかけている。金儲けは倫理的に正しい。が勝利した時代。私がアマチアリズムについて、聞いたのは大学の美術部のことだ。当時の部長であった。般若氏のアマチアリズム芸術論である。それで卒業してから、だいぶ経ってから、お尋ねしてこの考えを話したら、そんなこと言ったっけ、などととぼけられてしまった。この考えには強く影響されたので、忘れる訳がない。芸術で食べて行こうというような、精神がそもそもおかしい。芸術が収入源になる訳がない。儲かるような芸術を考えること自体がおかしい。もし本当に芸術を志すなら、生活のことなど一切忘れて、ただただ打ち込むしかない。日本の美術がふすま芸術になり下がっているのは、美術と芸術の違いに気づかないからだ。般若さんもやはり、岡本太郎氏の影響をうけていたのだろう。

若かったこともあって、すっかり真に受けたもんだから、アマチア主義を標榜した。そして、今でもそういうことを引きずっている。芸術作品は商品ではない。まあ結果的にそれを認めざる得ないように、売れない画家として生きてきた訳だが。やせ我慢の柱に、「素人の大切さ、有難さが」据えてある。少なくとも売れるからいい作品とか、売れないからダメとかは芸術にはない。そんなことは芸術とは、正比例も反比例もない。次元が違うと信じている。芸術とは一般化するとは限らない。特化するとも限らない。ごくごく個人の内内で当たり前に過ぎ去ることだってある。ある人の芸術が、私だけに決定的であって、他には誰一人興味も持たれないということだってありうるのが芸術。芸術は個人の表現である。個人と個人の関係に止まることがあったとしても、価値が低い訳でもない。指をさす芸術。対話する芸術。ある人の真実の表現であること。そのことだけが重要なのだ。

だからここでの素人主義は、クーベルタン男爵のように崇高でもないし、世間に掲げるようなものでもない。ごく内輪の考え方である。私は言い換えで、隠居仕事である。と主張してきた。肩から力が抜けるからである。似てはいるが世捨て人の仕事でもない。一応社会的役割は果たした上でのことなので、社会や人様にご迷惑はかけませんので、ご容赦下さいということである。こう言うと、大抵の芸術にかぶれた人は、馬鹿にするなと怒る。自分のやっていることに価値がる仕事だと勘違いしている人が、あまりに多いことか。自分で価値あると思えば終わりであるのが芸術。中には社会変革のために、絵画を描く。音楽を作る。小説を書く。力みきった人がいる。そういう人の仕事が効果をあげた例を見ない。そういうのもふすま作りと何も変わりがないから、建物が変われば、建てつけが悪いことになる。

作る人が面白がっていないようなものはまずだめだ。面白いというのも、段階があって、本当に面白いというのは、未知への挑戦である。前回の延長のような、弱い精神では芸術にならない。ここが素人主義のいいところだ。誰にも期待されていないし、誰に頼まれる訳でもない。自分がやりたい方角に向って、ただただやればいいだけだ。前のことなどすっかり忘れて、どこの誰だかもわからないような作品を目指せばいい。面白いぞというアンテナに従って、とことん進めばいい。間違っても評価をされたいなどという、卑しい心を捨てることだ。もちろん自戒である。何故こんな当たり前なことを、今更書いたかと言えば、金沢で般若さんの隣で酒を飲んだからだ。それで、今度の水彩人の作品を思い出したのだ。素人の絵をかくぞ。
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ウエムラさんのこと

2010-09-17 04:37:40 | 身辺雑記
北海道に行ったのはウエムラさんと会いたかったからである。一度は会っておかないとならなかった。20代のフランスで、とことん語り合った関係である。話すことで笹村出という人間が出来たのだと思う。それから35年たった今、何がどうだったのか確かめる必要があった。だから、会ってから別れるまで、30時間話し続けて別れた。昔も会えば、そうだった。ナンシーには色々な不思議な日本人が10人ほどいて、数学のナンシー大学教授は頭脳流出と言われるぐらいの、そういう有能な方から怪しげな私のような人間まで、それはなかなか深い交流があった。金沢の学生時代の交流とは、また違った、身を削りながらの痛いような付き合いだった。根無し草の不安定な状態で、生きる道を模索していた時代。ナンシーは演劇祭のある街で、演劇・映画館系の人が3人居た。また、絵を描くとか、写真を撮るとかいうさらに怪しげな人間が3人居て、ナンシーの美術大学に所属していた。私はその一人ということだった。

絵描きと呼ばれていた宮本さんは、ずいぶん前に亡くなられた。もう一度話してみたかったが、残念なことをした。一度、二紀会の受賞展で東京に見えたときにお会いしたのが最後になった。そのときはすでに二紀会の絵ではなく、ビックリするような前衛的な絵になっていた。何で二紀でへんてこりんの絵が受賞したのかと聞いたら、受賞した絵は違う。もう二紀には出さないといわれていた。先に戻った宮本さんは、日本での職は必ず自分が世話をしてやるから、心配せず、充分勉強したいだけしろ。こう言う熱い手紙をくれたことがあった。そういう気持ちが繋がっているような付き合いが、ナンシーで存在した。ウエムラさんは写真を撮っていた。ナンシーの美術学校には、3人が所属していたことになる。当然だけど、学校で何かを学ぶと言うより、それぞれ自分が何を描くのかを、考えていた。少し共通の意味では、よりナショナルなものが、インターナショナルである。というような事だった。

ウエムラさんは北海道に戻られて、どうされていたのかも良く知らない。それもどうでも言いといえば良いのだが、自分がどのように絵を描いてきたのかを、話したて見たかった。いや、言葉で話すという訳でもなく、確認しておきたかった何かがあった。須田剋太の美術館を一緒に見に行った。これはすごい美術館である。出会いというか、須田剋太を見に行ったということが、ある意味回答のようなものだった。絵はいらない時代になったと思っていたが、本当の絵なら、どんな時代でも、やはり必要なものだ。そう言う事が確認できた。やはり絵は個人的なものであってはならない。

何を話したかと言えば、飼っている柴犬の話。新得の協働学舎の話。クマザサの話。畑の話。風景の話。自給の話。そして絵の話。もう、二か月も経つ訳だが、会いに行ってつくづく良かった。会って話が出来るように生きてきた、そう言いきるのも忸怩たるものはあるが、そんなことまで含めて話せたことは良かった。結局、大学を出てフランスに行って、東京で暮らすようになって、そして、山北に移り。小田原に移った。山梨で生まれ、東京、金沢、フランス、違う場所の東京が12年。山北の暮らしが13年。小田原の暮らしが11年。都合61年。このあと10年くらい、仕事が出来る時間があればありがたい。秋の水彩人展の絵を描き始めているが、今描く絵は、自分のすべてなのだと思う。結論なのだと。先日金沢では、遺言を書けるかと、Mさんに言われた。結局、遺言を絵にしているようなものだ。
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