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2011年の田んぼの経過

2011-06-30 04:01:54 | 稲作
今年の稲作は立ち上がりから少々例年と違った。気温は乱高下、日照も足りないと思うと、強烈な日差しが続いたりした。その上、強風が吹き荒れた。適切な判断も難しかったのだが、結局苗は小さかった。その小さい苗を例年より2週も早く田植えをしたのだから、随分状態が違った。田植え後当然水が深く出来ないので、その影響も最初はあったように見える。6月5日が田植え。すぐ成長は始めた。細いなよなよした生育である。その原因は、天候だけでなく、2つの事が言える。無肥料で耕作したこと。少しは1月に堆肥を入れたが、ほぼ無肥料である。クローバーの繁茂も不足した。葉色が薄いのはそのせいであろう。苗も無肥料で作っているので、黄色い苗である。もう一つの要素は、セルトレーに3,4本の苗が芽生えることを期待した、播種を行ったのである。平均して、3,4本の田植えに成っている。

舟原田んぼは、分げつが少ない。一本植えでは12ぐらいの穂数にしかならない。今年は収量にこだわるつもりだ。できる限りの田んぼをやらなければならない。東北まで出かけて田植えの手伝いぐらいしなければならないが、なにしろ動物と暮らしていると、家を空けられない。その分小田原で頑張る以外ない。田植え後の生育は軟らかいが、大きさだけは良く、たちまち他の田んぼに追いついてきては居る。このところの高温で、色も徐々に上がってきた。今年は不思議なことに、舟原の種籾を、坊所、梅の里、舟原、岡本田んぼと4か所で使ってくれている。「種籾は出来のあまり良くない所で採る方が良い理論」が試される。良いものが良いものを産むことに成る訳ではない。むしろ、耐え忍んだものが成果を出す。それは、思い込み哲学のようなものかもしれないが、種の永続性のある取り方はそういうものだと、鶏の作出で気がついたところである。

今年は草は良く出ている。コナギである。色々原因が想像されるが、良い推測から言えば、田んぼらしい土にやっとなってきた。4年目にして、自然農法の稲作らしい状態である。転換して、4,5年目は一番草で苦労する。これを乗り越えれば何とか落ち着いてくる。永続性のある循環する土を作ること。10年もやれば草が相当に減ってくる。それはトロトロ層が形成される厚さとである。そして様々な理由で、代かきを十二分に行った。今まで避けていたことだが。水漏れを防ぎたいということもあり、何度も同じ所を回るような代かきにした。水漏れは止まった。しかし、コナギの残っていた種が、浮き上がったと思われる。チェーン除草を2週間目と3週間目に行ったが、上手く行ったとは言えない。一週間目にはやらなければ駄目なようだ。2週目は、少し効果があったが3週目はほとんどない。

コロガシに入っている。草の濃い所から、毎日少しづつ転がしている。コロガシは効果があるが、全部の縦横をやり切るには、20時間ぐらいかかる。多分やり切れないだろう。今年は、どこかで手取りの草取りをせざる得ないだろう。暑い最中一度くらいは、草取りをやることは必要である。それは田んぼのためもあるが、田んぼがどういうことかを身をもって確認することになる。来年は冬季湛水にしたいと考えている。方法は、代かきをするという方式である。棚田で出来る、冬季湛水を思いついたのである。水を入れる意味を違う側面から考えなおしてみたい。みんなに提案してからのことである。小田原では坊所で、冬季湛水をしている。観察をしているが、5俵ぐらいの田んぼである。藻が全体を覆い尽くし、稲をなぎ倒している。とても参考に成る。

昨日の自給作業:麦刈、コロガシ、2時間 累計時間:43時間
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焼却場の放射能汚染

2011-06-29 04:25:49 | Peace Cafe
江戸川区の清掃工場の飛灰の放射性物質が1万ベクレル近くあった。他にも飛灰では高い工場がいくつかあるが、いわゆる焼却灰は思ったほど高くない。飛灰と言うのは煙と一緒に外に出ようとしたものを、何らかの方法で集めている装置にくっついている油煙のようなものである。電気集塵機のようなものがあるとすれば、そこに放射性物質が集められる可能性は高い。その意味では外部に出ていない可能性は高い。むしろ高い所があるのに、その10分の1のような所もある。これはもしかしたら外に出ている可能性があると言う想像もある。いずれ何が燃やされてこういうことが起きているのかは、追跡が必要である。江戸川区が剪定枝の焼却がおおいいために、こういうことが起きている可能性はある。細かなデーターはNAOさんが教えてくれた。この表を見て行きいくつかの気付いた点がある。

放射性ヨウ素131が4つの工場で出たことである。今でも放射能が福島第一から新たに出ているということを意味している。何故家庭の廃棄物に入っていたかである。家庭の生ごみに入っていたという気がするが。どうであろうか。野菜である。食べ物を通して、放射能が東京に来ている可能性もある。もちろん風に乗って今でも飛んできているということも考えられる。ごみと言うものは不思議なもので、暮らしを反映する。こういう調査をして、もっとあり得ない医療廃棄物の放射性物質など出ないかと思ったが、出ていないようだがヨウ素とセシュウーム以外を測定したのかどうか。それにしても東京都はやることはやっている。環境省は28日、放射能に汚染された一般廃棄物の処理方針を暫定的に定め、東北や関東甲信越の15都県に通知した。 通知では、焼却灰などの放射能濃度を測定するように求めた。当然のことだが、あまりに遅い。

お茶で高い値が出た時点で小田原では、何故やらなかったのだろうか。即座に市長の手紙でやるべきと書いたが、返事もまだ来ない。その時小田原市は空間線量の測定をしていると、意気揚々とホームページに書いていた。今さらである。空間線量など小田原で現時点で測定しても、それほどの値は出ない。一番高くても0,14マイクロシーベルトである。出ないことが分かっているから空間線量の測定を始めたとしか思えない。空間線量を計るべきだったのは、3月11日からの1カ月である。肝心な時のデーターが行政にはない。県のやるべきことだなど発言していた。今やるべきことは、土壌の測定である。焼却場の6項目の測定である。下水汚泥の継続的測定である。これから本気で取り組まなければならないのは、魚介類の測定である。わたしのような大雑把な60歳過ぎでも、魚を敬遠しがちになっている。行政の対応からすべてに信頼が置けない。

溶融スラグに何故放射性物質が少ないのか。これは興味深い。ガス化して外に抜け出ている可能性は無いのか。東京都の溶融炉の排ガス処理の仕組みはどうなっているのだろう。燃やしている内容物が、一般の焼却場とは違うということなのか。分かる方がおられたら教えて欲しい。環境省の指示が遅れたとは言え、出たのだから、さすがの小田原市もやるのだろうか。しかし、静岡県知事の対応もある。科学的根拠がないからやらないなどという恐れもある。一日も早く測定して、対応してもらいたい。その際、周辺土壌の測定も同時にやってもらいたい。これを2,3カ月続ける。外部への飛散が確認できる。必要なら、以前の土壌を保存してあるから提供しても良い。今からでも変化を継続してみることが大切になる。市民の不安を取り除くためにも、科学的なデーターの測定と公表が重要である。

昨日の自給作業:田んぼのコロガシ2時間 累計時間:41時間
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福島のペット

2011-06-29 04:18:11 | Peace Cafe


飯館村から来た猫の里親を探している。丁度2ヶ月である。やって来た当座は風邪気味で心配したが、もう大丈夫だ。一日も早くどなたかにお渡ししたい。家でこのまま飼っても良いのだが、すでに5匹いて、7匹では猫もストレスに成りそうなのだ。福島では100日を過ぎても大変な状況である。一旦収容した犬や猫が、保健所が満杯に成って、飼い主を確認できないまま外に出されている。ホームページで公開して、1カ月たったからといって、避難所に居るお年寄りには確認できないだろう。飼い主不明のまま里親に出されれば、なかなか出会うことは難しくなる。この2匹の子猫は、保護された猫から生まれた子供で、飼ってくれる人がいればお願いしたいという猫である。三毛猫とさび猫である。ずうーと2匹で一緒だったので、今後も一緒に飼って欲しいというのが条件である。



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雷田プロジェクト

2011-06-28 04:09:43 | Peace Cafe
まさかうちの犬が新聞に出ていと思って、びっくりしてしまった。孫社長の太陽光パネルの計画「電田プロジェクト」。雷の田んぼ。雷が田んぼに落ちると、空中窒素が固定されるのだという説がある。お米が沢山採れるということが言われるが。そう言う計画ではない。直接的には雷が落ちれば、稲が枯れるのは当然である。しかし、翌年はとても良くできたというようなことはあるのかもしれない。稲妻という言葉からしても、稲に対する日本人の特別な思いと、稲妻を天からの信号のように感じることは、違和感がない。日本人にとって、お米を作ることは神事であった。稲妻が田んぼにもし落ちれば、これは何か啓示のようなものかもしれない。こう思う心理は働いただろう。翌年もしかしたら、この田んぼは神田に成ったかもしれない。神社にはお供えをする田んぼは、めずらしい雷の落ちた田んぼを特別視する気持ちとつながってくる。力が入ればお米は採れるものだ。

わたしの家の雷田は、ライデンと読む。もちろん天下無双の力士雷電から来ている。強い名前を付ければ、元気に育ってくれると思ったことが一番だけど、京都のタッズさんのところから我が家に雷田が来た日は、雷のそれはすざましい日だった。2003年の10月1日である。坊所の田んぼは稲穂が美しくなびいていた。そこに何かを告げるように、稲妻が何度も何度も光った。子犬の雷田はまるで雷の響き渡る音になどに動じない。そうだ、雷の田んぼにすれば元気に育ってくれるだろうということになった。その通りに元気すぎる犬に育った。有難いことだ。雷は雨だ。昔の水田は常に水不足だった。雷が鳴って雨が降れば、悪いはずがない。水争いの勢力争いで、集落ごとの組織が形成されたぐらい水確保は、暮らしの命運を握っていた。日本人の話し合いの基本は水の分け方である。稲妻の意味も奥がある。

孫社長の方は、でんでんプロジェクトらしい。でんでん虫を連想するが、耕作放棄地に太陽光パネルの設置する計画。新築住宅の屋根には、太陽光パネルを義務化するという案もあるから、農地はできる限り農地で維持していただきたいという気もするが。この際それどころでない。優先順位から言えば、最優先が原発の廃絶である。こういう時に、様々な付帯条件が出てくると、原発推進派の思うつぼである。どれほどよいことであっても、問題がないものは無い。はっきりしていることとは、原発ほど悪いものは無いということ。それより比較して良いなら、今は良いことにする。日本の住宅の屋根にすべて太陽光パネルを付けたとしたら、原発はいらない。耕作放棄地すべてに太陽光パネルを張れば、原発はいらない。そう考えるべきだ。この際パネルの廃棄はどうするとか、敵に乗じさせないことである。

休耕田50万ヘクタールの20%10万ヘクタールに、太陽光発電のパネルを敷き詰めると、どのくらいの発電ができるか。50ギガワットの発電能力があるそうだ。これはピーク時間における原発50基分となる。日本の屋根全部と同じ位いになる。これをやってみようというのが、孫社長の提案である。田んぼは日当たりは良いし平らである。空き田んぼに太陽光パネル。再生可能エネルギー特別措置法案の細部は良く分からないが。自然エネルギーを誰でもが取り組める可能性が広がるなら、やるべきだ。電気の独占体制から、自然エネルギーが自立する布石に成る可能性があるのかどうか。どうも買取価格を高くするということだけが注目されているが。問題の本質から少々ずれている。誰でも電気事業が可能になること。地域でエネルギーも自給すること。これがことの本質である。

昨日の自給作業:田んぼの草取り1時間 累計時間;39時間
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お茶畑の作業

2011-06-27 04:19:19 | 自給


放射能に汚染されて、お茶が飲めなかったお茶畑の作業を行った。農水省からの指示では、枝葉を出来る限り切り落とせと言うことである。農協からも似たような指示が来た。できるだけのことはしたい。マサイさんが先日言われた100年かけて元の土地に戻すという覚悟を伺い、土を元の状態に戻す気になった。こんな暗い思いの農作業はめったにない。大抵は農作業は楽しいのに、今回の作業は気が重い。枝葉を落とし、そして畑から持ち出す。ひたすらこれを行った。10名の人が参加した。予想以上の人数で、感激した。といえども誰もがとても暗い気持ちで作業にかかわったと思う。農の会では、先日の茶葉の刈落としの作業も今回の作業も、参加してくれる人がいる。やったからと言ってお茶が飲めるかどうかわからないにもかかわらず、参加してくれる人がいる。農の会はどっこい生きている。

大変な作業であった。お茶畑の畝間に貯まっている表土を出してしまおうというのだから、情けないこと限りない。多分何十年かけて出来てきた土壌をひたすら持ち出した。全体でいえば、まだ持ち出しは、4分の1程度である。しかし、東北出津波の被害を受けた方々の作業を思えば、大変などと言ってはならないのだろう。お茶畑がまだあるだけいい。がんばれる場所があるのだから、ここで働いてみるしかない。特に60歳以上は出番だと思っている。小田原あたりで、大げさでないか。福島の事を考えてみろ、ということを直接言われた人もいる。確かにそうである。小田原の久野は現在空間線量は、ほぼ平常値と言っていい。しかし、土壌が放射能で汚染されたことだけは、根府川の試験場のデーターでも土壌は100ベクレル程度にはなっている。さしたる値ではないだろうという意見もある。どう考えるかは、各人の考えでいいのだと思う。

このお茶畑を初めて茶摘みした時は、山に戻りかけていた。背丈は、2,5メートルぐらいに伸びて、ヤブカラシや山いもなどの蔓が覆かかっていた。それをかき分けながら茶摘みをした。そしてこの茶畑を元に戻してみようと集まった人で考えた。きのうもその時の仲間の一人のSさんが来てくれた。思いは同じなのだ。この茶畑は、川を渡る細い橋しか道がない。農家の人としては最初に止める畑である。それからまともに詰めるようになるだけでも3年かかった。放棄されてから数えれば6年目である。3年で山に成り、3年で畑で戻った。その後も、ダニが急速に広がったり、一部のお茶が枯れてしまったり。様々なことがあった。それでも毎年100人以上の人が、お茶摘みで集まり、美味しいお茶を飲むことが出来た。

来年の新茶を目指して、できる限りの作業をやってみる。それで改善方向なら、さらに努力をする。その作業自体が農の会なのだと思う。大豆の会も同じである。大豆がどうなるかは、未知数である。土壌の調査をして、そして、耕作してみる。できた大豆も測定してみる。政府の発表している移行計数は、一例にすぎない。土壌の性質、肥料の状態、特にミネラルがどのように存在しているのか、天候の影響も極めて大きいはずだ。自分で改善策を探るしかない。1歩でも前に向かって、良くする。次の世代のためへの謝罪でもある。原発をまだ廃絶出来ないでいる悲しさを抱えながらである。

昨日の自給作業:お茶の作業6時間 累計:38時間
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野外の自動販売機を止めろ

2011-06-26 04:48:51 | Peace Cafe
節電が叫ばれている。この暑さで緊急事態である。この夏は冷房機は間違っても使わないつもりだ。どうも腹がたつのは、ジュースの自動販売機である。せめてもである。せめて、暑い昼間の1時から3時の電力ピーク時だけでもコンセントを抜いて欲しい。そのくらいの節電の協力は当然ではないか。お年寄りが冷房機を入れないで、熱中症になったら大変である。本当にこの時間だけで良い、協力してもらえないだろうか。このことを考えるとテレビと言うものがいかに、スポンサーに弱いかがあからさまに分かる。偉そうに発言するテレビキャスターがこのことだけは巧みに発言しない。自動販売機のことを避ける。何でも解説してくれるのに、このことには触れない。結局は報道管制が引かれているのと同じだ。駄目な連中である。

「こういう時に本当のことが言えないなら、なんにも言うな。」そう思ってバカづらをじーと眺めている。スポンサーののいないNHKはどうなんだろう。肝心の時に国民の側に居るのかが問われている。自動販売機止めようキャンペーンぐらいやればいい。石原都知事ほどではないから、「全面禁止は言わないで」せめて昼間の2時間だけコンセントを抜こうキャンペーンで良いとおもう。お年寄りや体の弱い人のためだ。実はそう考えている人は沢山いるはず。ところがやはりテレビの影響は大きい。自動販売機問題は肝心の時に消えかかっている。問題の方向が、実は原発再開と結びついている。一時行われた、計画停電をきちっと総括したらこのことが見えてくるはずである。あのときの発電能力と、実際の使用電力の分析である。

関西電力では、節電要請が不自然だと大阪府との間で問題になっている。原発再開のための脅しだというのだ。まさにその通りだ。世論を作り出そうとしている。原発の安全性の強化は世界での緊急課題である。IAEAでも新しい強化された基準が検討、議論されている。議論されている間に、日本では安全が確認されたとの政府発表である。到底この安全軽視の相変わらずの姿勢が、国民感情と遊離している。この議論の中で、それほど安全基準を強化したら、原発が採算に合わなくなるという話が、出てきているという。事故が起きてその補償と、後始末に莫大な費用がかかることが、収支の計算に入っていない。これから、世界全体に、その国にはその管理能力が不足している国にも、売り込んで行く先進国の企業が現れる。安全など二の次の価格競争をするだろう。そうなる前に、原発は廃絶の方向を打ち出さないとならない。

そのためにも、この夏は自動販売機を止めよう。小田原市役所6階や、マロニエにはかなりの数自動販売機がある。せめて1時3時はコンセントを抜いて、模範を示してほしい。撤去しろとは言わない。電力ピークだけでも、止めれば違うはずだ。できる節電をしないで、真っ暗にするだけが節電をしている。頭の廻らない所が情けない。昨日段ボールコンポストの配布をしていたら、電動の処理機を使っている方が2名おられた。購入したことをとても後悔していた。こんな時期に使う訳にいかないということだった。早急に小田原市は補助を中止にすべきだ。パチンコ屋を閉店しろとまでは言わない。基本は家庭電力の節電だと思っている。50年で5倍の使用量に成ってしまったそうだ。これを少し減らすことは何の苦もなく、又さしたる努力なしに行えることのはずだ。その象徴が自動販売機である。日中炎天下、太陽にさらされた冷蔵装置を見ながら、節電はないだろうという気持ちだ。暑い盛りだけで良いので節電に協力してもらいたい。
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原発放射能汚染補償

2011-06-25 04:46:53 | Peace Cafe
所属し、現在運営委員でもあるJA西湘でも、お茶に対する補償の説明があった。全農から係りの方が見えて、補償金の仮払いに対する申請の方法が説明された。3人の弁護士が選任されていた。当然弁護士の方も同席していると思ったが、見えていなかった。弁護士に白紙委任状を出して下さい。と言うことである。これから補償に関する和解交渉を、東電政府と行う訳だから、どんな条件が基本に成るのかが気に成るところである。しかし、良く分からなかったというのが正直なところである。分からないまま委任は出来ないので、委任状は出していない。農の会関連では、久野地域でおおよそ4反のお茶畑を耕作している。このお茶畑が汚染された。荒茶でいえば、キロ当たり3200ベクレルだそうだ。当然土壌も汚染されている。農の会の農業が、土づくりを耕作の基本として、無農薬、有機たい肥の施肥を行ってきた。14年の努力の結果が今のお茶畑である。

思いは「元のお茶畑に戻してくれ。」と言うことである。良い畑の土にするということに、全精力を注いできた。収量が少ない事もあった。病気が出たこともあった。しかし、すべてを将来土壌が良くなれば、解決すると考え努力を重ねた。そして、10年目を越えたあたりから、明らかに他のお茶畑とは違う様相になった。一言に言えば、周辺の山の環境に溶け込んでしまい、遅霜の回避、病虫害を受けにくいこと、茶葉の再生力が増してきた点、堆肥の投入も減少した。5月の新茶の時期には、1,5反ほどの農の会の畑では、4~500キロ近い生葉の収穫が出来るまでになった。少し良くなってきた。いままでの土づくりの努力は報われてきた。将来さらに土壌を良くして行きたい。お借りしている農地ではあるが、400年前からのご先祖の努力と、400年後の子孫を思い、楽しく耕作させていただいてきた。

そのすべてを無にするような、放射能汚染である。一時はすべてが空しくなった。今までの努力は何だったのか、愕然とした。しかし、良く考えてみれば、原発をなくす努力が足りなかった。原発の恩恵を受けて暮らして来た。危険であることは十分承知していたのだから、お茶畑の土づくりをやるなら、原発の廃絶に向けても同様な努力をしなくてはならなかった。それが放射能汚染を逃れる唯一の方法だった。個人の土づくりの努力など、一夜にして全くの無駄になった。もしこの被害への補償を考えるなら、この汚染をもたらした元凶である、原発の廃絶の約束である。その約束がもらえるなら、100年先を目指して、畑の土づくりをもう一度頑張れる。そのことをJAの説明の方に質問をした。全く、理解してもらえなかった。荒茶に500ベクレル出無くなれば、「現状回復」したことに成るというのである。

白紙委任できない人は、JAの枠の補償交渉には入れません。と言うことである。JAはどこでこういうことを決めたのであろうか。運営委員会でそう言うことが話し合われたことはない。多分、組織の成り立ちが違うのである。確かに、JAの補償交渉を早く妥結してもらい、一時金をもらわなくてはならない、農家の方も現実におられる。JAの組合員には、原発推進の思想の方もおられる訳だ。あるいは、できるだけ静かにほとぼりを待つことが、得策と考える人も多いに違いない。では、農の会はどうすればいいのだろう。地域の農家の方の迷惑にはなりたくない。しかし、このまま行けば、お茶農家が成り立たなくなるのではないかと言う、危惧もしている。お茶に対する放射能汚染のイメージが、若い世代から、お茶の消費を縮小する結果である。26日には、お茶の樹を思い切って強剪定する。そして畑の外に持ち出す。そして来年の一番茶がどれだけ回復するか。これにかけてみたい。
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風景の意味

2011-06-24 04:27:28 | 水彩画
風景を描くことが多い。今年の春は、全く描けなかった。描きたくなかった。描きたくない時に絵は描かないから「一枚の繪」の会場で菜の花を描いた時以来、筆をとっていない。いつもは散歩をしながら、頭の中で絵を描いていたりするのだが、そう言うこともない。描きたくなるように見えないからである。庭にも、杏子、桜、桃と咲き乱れた。しかし、いつもの年とは違うものに見えた。風景が美しいとか、癒されるとか、そう言うことがいかに内的な受け手のものであったかが分かる。確かに絵は美しいから描く訳でもないが、絵にしたいという根幹の部分と、美しいという感激が繋がっていることは、一応いいだろう。以前、石和の桃を描きに行っているという話をしたら、あんな農薬まみれの桃を良くも描く気に成れると、驚かれたことがある。反農薬原理主義者にしてみれば、農薬がかかっている意識が、桃の風景に重大に影響することに成る。

放射能に汚染された風景。この桜の花も放射能に汚染されたのか。こういう意識が桜の花を美しいものとして見れなかったのか。確かにそれもあるが、父が死んだ時も、母が死んだ時も、しばらく風景がなにも語りかけなくなった。多分、大津波。原発事故。多くの人が死んだ。日本と言う国自体が死んだような気がした。この時代に生きてきた一人として、ここに至る道を歩んで来たのかという、情けなさと絶望感に、取り込まれてしまった。風景に愛情が持てないという状態。マサイさんが美しい景色と言いかけて慟哭した。もう一度美しい風景と言って慟哭した。美しいと見えない自分が絶望に取り込まれる。それは心の問題だ。心が変われば風景は何も変わらない。自分の気持ちの持ちようで風景を取り戻すことは出来る。このように絞り出すようにいわれた。100年かけて風景を取り戻そうと考えたと言われた。そうして川内村の漠原人村に戻って暮らしている。

今、野山は緑に満ち満ちている。早朝、田んぼをコロガシながら歩いていると、自分自身が風景に成る。そのよそよそしい怒りに満ちたような風景の中の景色に成る。風景が許していない。風景はこの人間の仕業を許していない。もちろんそう思うのは自分の心の持ちようである。同じに風景が見えて、前のような絵を描くことができるのだろうか。このしらじらしい、怒りの風景を描いてみるべきなのか。違うように見えるなら、違うように描けばいいのかもしれない。描いてみたいという気持ちは、少しづつ湧いてきている。先日銀座に出て、少し絵を見た。友人が個展をしていたからだ。絵は震災があったことなど全く反映していない。マチスの絵もそうだ。娘さんがゲシュタポにつれて行かれる。その時期の絵が平穏ないつものマチスの絵である。多分、マチスにとっては絵と言うものは、科学的なもので、心の関与するような感情的なものではないのだろう。

マチスにあこがれ、絵を描いていた訳だが、自分が丸で感情的で、情に流されて絵を描いてきたことをしみじみ知った。多分日本人の描く繪の大半が、気持ちの絵だ。しかし、震災の影響が絵に表れないという不思議な、気持ちの繪のようだ。人のことはどうでもいいが、自分が描く気に成る絵がどんなものであるのか。今は、待っている。マサイさんの言葉が、抽象画のように聞こえた。飛躍しながら、繰り返されながら、世界観を語られていた。それは論理だけでもなく、感性だけでもなく、マサイ哲学を表現していたと思う。あの飛躍が、展開が、ちりばめられながら伝わった思想。具体的な言葉はなかったが、マサイさんのことが少しわかった。絵もそうなのだと思う。この進退きわまるような、絶望の中でどのように絵を描くのか。それが自分が生きてきたものに、真実があれば、きっといつかは表れて来るのだろう。

昨日の自給作業:コロガシ、草刈り、3時間 累計時間:32時間
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原発抜きで経済は大丈夫か。

2011-06-23 04:05:30 | Peace Cafe
日本の電力事情を考えれば、定期検査を終えた原発については安全性を確認した上で、順次運転を再開することが必要だ。
 現在運転している原発も、検査で来年夏までにはすべて止まる。全国的に電力不足が深刻化し、生産減少や消費の冷え込みが景気の足を引っ張る恐れがある。
 電力コストの上昇で、企業が工場を海外へ移す「産業空洞化」も加速しかねない。ー―読売新聞社説


日本に根強く存在する、原発必要論の根底にある考えは、経済の不安であろう。原発を止めてしまい、資源のない国家である日本の経済は駄目になるだろう、という考えである。これほどの大事故が起きてすら、この考えから抜け出られないでいる。抜け出られないどころか、どれほど顰蹙を買おうが、事故の収まらない中で、原発再開の発言を繰り返すぐらいだから、もう信念に成っているとしか思えない。原発を止めてもらうには、日本経済の為にと言う人たちに対し、きちっと向かい合い。議論を始めなくてはならない。原子力村とか、原発マフィアとかいうような、利益誘導が目的の人たちは度し難い人たちで相手にしたくもない。日本の未来を考え、日本経済、ひいいては日本人の暮らしのためには原発やむえず。と考える人に対してである。経済が今までのように行かなくなるのは、原発を止めることが原因ではない。世界経済においての、日本の置かれた状況にある。

1960年当時、夢のエネルギーとしての原子力は語られていた。日本は資源がない。どうしても原子力エネルギーを開発するしかない。だから東海村での原子炉の立ち上げ時は、素晴らしいことだと思い込んだ。キャラメル一つぐらいで、地球を一周できるのだ。こういう夢が新聞にも盛んに書かれていた。まさか、死の灰の事や、事故のことなど当時は想像すらできなかった。小出先生だってそう思うから、原子力工学という最先端の道へと歩んだのだろう。小さくて輸送に便利で、安いエネルギー、原発に取り組んだ。その根本が、みんな嘘だったのだ。原発事故はすべての汚染物質を海に放出しかねない、最悪の状態が進んでいる。この事故が解決できない中で、原発を安全確認が出来たとして、再開を政府は宣言している。つまり、当面の経済のこと以外、何も考えてもいないということである。政府と言うものがまともであるならば、少なくとも日本の将来のエネルギー政策を決めことなく、原発再稼働だけを発言することは出来ないはずである。

石油もそうだが。需要と供給のバランスで価格は決まるのだから、有限のウランも何時までも割安のはずはない。みんなが使えば石油並み価格にはなる。今のところ利用者が限定されているから、比較的安いというだけだ。一方で、再処理の方が出来るはずだったから、夢のエネルギーと呼ばれたのだろう。ところが今の技術では再処理はほぼ産業化はできないということが、証明されてきている。少なくとも50年くらいの時間、実用化は無理と言われている。さらに安全のハードルが高い技術だから、長期で考えたら、日本のような地震国には、向かない技術と考えざる得ない。50年かけて新技術を開発するとすれば、太陽光のような、風力のような、波力のような、地熱のような、どこの国にもあり、平等なエネルギー資源に取り組むことが、世界の安定のためにもいいはずである。日本がそうした自然エネルギー技術の最先端国家に成ることが出来れば、充分世界経済の一角を占めることが出来るはずである。経済を主張する人は、このことをどう考えているのだろうか。

原発の最大の問題点は、化石燃料同様の循環しない手法だった。この点が致命的な欠陥である。安全対策がどれだけ進んだとしても、死の灰の処理法だけはどうにもならない。どこかに埋めたとしても、何万年も管理しなければならない。未来の世代に負の遺産を残していいはずがない。だから、自然エネルギーでも、循環する技術を開発することである。資源のない日本が世界に伍して行く、ふさわしい道は、自然エネルギー開発のはずだ。このことを前向きに考えるべきだ。水力だって、誰でも使えるようにすれば、暮らしの電気程度は、賄えるエネルギーがある。日本人らしい細やかな工夫が生きて来る技術である。トイレの流れる水で発電をする。ちょっとした工夫の積み重ねで、家庭の電力は自給できる。その技術を原発にかけた位の費用と熱意で、挑戦すべきだ。と言うようなことを説明しても、多分、経済はは聞く耳を持たないのだろう。しかし、原発が経済を支えているという固定観念を、何としても捨ててもらわなくてはならない。
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チェーン除草

2011-06-22 04:06:42 | 稲作

チェーン除草を初めて試みた。結構コナギが出てきたからである。コロガシを始めようと思ったのだが、松本さんがチェーン除草をやって、効果がありそうな気がするといわれていた。ブログに詳しく書かれている。それなら、まず試してみてからコロガシをかけるという気になった。4名で交代で行った。欠ノ上田んぼのYさんが、手伝いに来てくれた。効果は前のものよりはありそうだ。稲に対する影響も悪くない気がする。田んぼには田植え以来初めて入ったので、15日目と言うことに成る。田んぼの土の状態は、深い。もっと浅く代かきをしたいが、結局深くなっている。しかも良く練ってある感じ。これは平らにしようとトラックタ―がもがいた結果もある。トラックタ―初めての人の練習もお願いした。コナギの種も浮き上がったのかもしれない。これまでの3年間コナギの種を落とした記憶はない。足が田んぼを確認した。ああそうだこの辺でトラックタ―が難儀したなと言うか所が3か所あった。それでも全体で言えることは、深さが一緒だった。今年の稲の生育は、順調ではない。それは気持ちの方が田んぼに専念できず、付いて行けないということもある。

地域全体の稲の生育は、全般に悪い。機械植えの苗の場合、生育が2週間経過しないと出てこない。少し低温と日照不足の傾向があったのか。それでもセルトレーの苗は活着くは良かった。植えた翌日から生育を開始してくれて、水没して枯れるようなものはなかった。今は出遅れが嘘だったように普通の状態である。チェーン除草はもう1度やってみたい。方向を変えてもう一回と言うことは意味がある。やはり2回やってみて結果を見てみたい。現時点での気付いた点は、土の状態で効果がまるで違うようだ。苗代を行った中段の手前は、そもそも草はなかったのだが、通って実にきれいに稲の周辺の土壌がかき回される。草があれば必ず無くなる気がする。クローバーの枯れた腐植が大量にあるところは草も取れない。そう言う所はトロトロ層が表面に出来上がっていないと言うことのようだ。コナギの生育状態にもよる。芽を出して1週立った双葉のコナギが境目のようだ。双葉であっても大きいとれないものが出て来る。小さいもので根が弱いほど、浮き上がる確率が高い。

どちらかと言えば、稲踏み効果がある気がした。稲が倒されて、刺激され、泥が少しかぶった。覚醒したような気もする。稲は一度は倒れたが、大半がすぐ起き上がった。ごみが引っ掛かって一日経っても倒れているものもあるが、さしたることはないようだ。抜けてしまった苗は、気が付いたもので、6本程度。大したことはない。枯れ草を引きづり回しても稲が抜けるようなことはない。15日経過しているから当然だろう。「チェーン除草は田んぼを選ぶ。」稲の状態。土壌の状態。草の状態。すべてを総合して、効果が分かれるもののようだ。効果のある田んぼはそもそも、良い田んぼと言うことだと思う。トロトロ層の充分出来るような田んぼであれば、草も少ないだろうし、草の根も茶色い。チェーン除草で十分という気がする。時間的には、1反1時間。ただし、一人1反位にした方が良い。結構足に来る。これも田んぼによることだが。

この後補植を行う。さして気に成るほどではないが、欲張って一本でも多く植えたいと思う。6月中は補植をして効果が高い。7月に入ると、あまり良い稲にはならない。上段の田んぼがひょろっと伸びていて、どういうことかとそらやさんに聞いてみると、肥料が多いのではないかと言われた。肥料を多く与えたことはない。なにしろ上の田は完全無肥料である。さてどういうことが起きているのか。最初に撒いた、そばかすが肥料に成っているのか。確かに発酵はしている。匂いがする。岩越さんなら、臭いと言って大騒ぎだろう。わたしはこの位の匂いがすると、良いぞと思う。この後良くなるぞと思う。匂いは様々な情報を伝えてくれる。もう少し稲の経過を見ないことには結果はわからない。苗作りの段階で、今年の稲の出来は悪いと心配していたが、現状ではそうでもない。やはり私の気持ちの方の問題なのか。

昨日の自給作業:2時間チェーン除草 累計時間:29時間
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汚染されたお茶畑の対応

2011-06-21 04:38:28 | 自給
農水省からの指示が出ている。出荷停止に成った地域のお茶は、6月中旬までに、強剪定をする。深く刈り込む。刈り取った葉や枝はその場所に置いておいてかまわない。と言うことらしい。強剪定を7月に入って行うと、茶の木が弱るらしい。何としても、6月26日に急遽作業することになった。忙しい最中、まことに困ったことである。困ったとしてもやらなくてはならないことはある。この作業は優先順位が高い。と言っても全く無意味な作業だから、つらい作業である。刈り取った枝葉が畝間にあるということは、又土に戻り、根から葉に戻るということだろう。このことを技術センターの方に伺った。もちろん出した方が良いが、出す場所もないだろうし、その手間も農家にはない。とすると、畑で回るだけだろうとお尋ねすると、根の吸収するものは少ないとのこと。お茶畑の土壌の放射能も調べてあるようだ。この程度なら荒茶は500ベクレル以下に成るということが確実なことだそうだ。

それで済むとは、農の会ではとても言えない。有機農産物では500ベクレルを下回ったからといって、販売は出来ないだろう。限りなく0に近付かない限り、受け入れられるとは思えない。農の会では、刈り取った枝葉を畝間から持ち出し、お茶の根が届かない。一か所に埋め込みたい。埋め込んでどうなるものでもないが、セシュウムはの134の方は、2年で半分に成る。100年後には解決するだろう。他に方法がない。他の畑でも同様なことだ。移住できる人は移住する方が良い。それは海外であれ、沖縄であれ、福島から離れた方が良いに決まっている。そのことは誰も批判できない。農業者は農地ごとの移住は出来ない。移住出来ない人は、仕方がないので汚染されている土地であっても、知恵を出し合い。より増しな方向を目指してゆくほかない。いずれにしろ、できる限り速やかに現状を明らかにして、身の振り方を決めたら、諦めを付けて、前に進むしかない。どうにもならないことをくよくよ悩んでいてもどうにもならない。

煙草の煙に弱い。呼吸器系が子供のころからとても弱い体質である。わずかに吸っても咳き込んでしまう。その後2,3日体調が悪い。それが耐え難いために、どうにも自治会の集まりに出にくい。自治会の集まりで禁煙をお願いする勇気はない。そこで申し訳ないが、出ない方を選択している。行政には禁煙の条例が出来た時、自治会の集まりはどうなるのか。禁煙を自治会に通達すべきでないか。こういう要望は出したが、効果がないのか、無視されたようだ。人間は体質によって、まるで違う。放射能に弱い人もいるだろう。植物の遺伝子操作に放射線を使う手法でも、反応は植物によってまるで違う。一律でないから、反応の強いと考える人は自己防御するしかない。他の人と違うからといえ、それが正しい判断で誰も責めることは出来ない。このことは化学物質過敏症の人の社会の反応とも似ている。どれほど過敏に放射能を考える人が居ても、それは当然のことでわずかでも責めてはいけない。同じく被害者である。

お茶畑に対して、どう行動するか。このことは各自が生き方を問われているのだと思う。お借りしている農地を返して終わりにするということは、簡単ではあるが、そのした生き方である。その土地から離れることのできない、農業者からは受け入れられない、対応ということになる。農の会が考える最善の努力を行い、その上で来年に成って判断をすると言うことではないだろうか。最善の努力をしても、100ベクレルのセシュウムが残ったとする。わたしはそのお茶は飲みたい。何んの努力をせず100ベクレルのセシュウムなら、そのお茶は飲みたくない。放射能の値は、昨日飯館に行かれた報告では、飯館村役場の電光掲示板は小田原の100倍の値だそうだ。飯館の発がんの危険性が、1万分の一だとすれば、小田原の発がんの危険性は、100万分の一に成る。それは、違いはあるのだが、違いはない。このことにどう対応するのかは、その人の思想哲学の問題であるようだ。
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原発をどう乗り越えるのか。

2011-06-20 04:46:25 | Peace Cafe
昨日、小田原市役所大会議室で、「原発をどう乗り越えるのか」と言うシンポジュウムを行った。平塚での飯館村報告会を踏まえて、小田原でも現地の報告を聞く会を行うことになった。飯館村の支援を続けておられる、小澤祥司さん。いわき市北部の橋本宙八さん。川内村の風見正博さん。地震から原発避難までの刻々とした状況が伝わり、胸が痛くなった。小澤さんからは原発事故の汚染現地調査の報告と分析と、政府の対応が全く意味がなかったこと。むしろ、20キロ圏からの避難者を飯館村は引き受けてしまう。ところがむしろその地に止まっていた方が良かったというような、怖ろしい事態に陥る。政府はその状況を十分に把握していたにもかかわらずである。「パニックを起こさない」と言うために、情報統制を行い、原発周辺住民の命が危機にさらされた事実。飯館村に長崎大学から来て行われた、「放射能安全講話」のその後の避難への悪影響。長年の放射能安全教育の弊害。

橋本さんの避難の話は、逃げて逃げて九州まで行った話。何度もチェルノブイリにも行かれて現地で農業をされていた人から聞いた話。「1週間事故のことは知らなかった」という教訓。危機に置いては、政府と言うものは、本当のことは伝えないものだという前提。独自に情報を集めることに専念して、11日当日避難を開始する。那須まで行く、那須から東京へ、東京から津に、そして滋賀へ。滋賀から大阪。そして四国。九州へ。一緒に移動したものは、16名。そして若者はオーストラリアに。いまは箱根の静岡側に暮らされている。この避難を正解だったと断言された。食生活の研究者である橋本さんは、放射能の内部被ばくのことにでは、日本人全員が同じ状況にあるといわれた。どの食べものが安全か、どの食べ物がリスクが高いか。この見極めをする目を一人一人が持たなければならないこと。情報を出さず、命をないがしろにする政府への怒り。

風見さんは、チェルノブイリ以来、何時事故があるかもしれない、原発のそばで暮らす者の覚悟として、測定器を持った暮らしを、常日頃してきたこと。そして、35年全人生をかけて自給の暮らしを追及してきた漠原人村のこと。やはり即座に避難をするが、いまは川内村に戻り暮らしていること。その背景にあるものは、100年かけて、この風景の美しさを取り戻す覚悟の事。自然は同じであるにもかかわらず、同じに見えなくなってしまった自分と言う存在。心のありようのことを語られた。どれほど悪いことであっても、すべてがここを通らなければならない道であったこと。言葉は抽象画のように飛躍しながら、厳然と確立した哲学を語られていた。命を深めるということに悪いことも良いこともない。この原発事故をどのように受け止め、100年の年限をかけてまた素晴らしい景色を取り戻すかということ。

市長も久しぶりに自由に語ってくれた。橋本さんや風見さんとは、古い知り合いと言うこともある。小田原をエネルギー自給圏にしたいという話。小田原での放射能測定を定期的に行うとのこと。浜岡の原発に対して、周辺自治体とともに、再開阻止のために行動したいと話した。市長が自由に語れる環境を作らなくてはならないことを痛感した。秦野から来た友人夫妻が、小田原市長の素晴らしさを力説していた。このような集会を市役所で開催できるということ自体が、どれほどすごいことかと言われていた。市民が自由な空気と環境を作り出す重要性。田植えの終わらない中、農の会では急遽この会を開催した。岩越さんの提案であった。この会は先ずの始まりである。原発をどう乗り越えるのかは、これからの残りの人生をかけて探求しなければならない。これから賠償請求を通して、東電と、政府と、向かい合わなければならない。その覚悟が出来た集会であった。
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原発事故補償

2011-06-19 04:16:46 | Peace Cafe
東電から、今回の放射能汚染に対する補償の書類が送られてきている。16日にはJAの補償交渉の説明会があった。16日に説明があり、一時申し込みの締め切りは21日には書類提出と言うことで、到底対応も出来ない。農の会ではまだ田植え作業が続いている。昨日は内山の田植えだった。気持ちよく田植えはやったのだが、気持ちがどうにも晴れない。この田んぼの責任者の鈴木さんは、宮城の歌津と言うところで支援活動を続けている。東電の補償の申込書のようなものは、そもそも東電の論理で出来ている。原発事故による放射能汚染補償はこちら側の論理で進める必要がある。一時金が早急に必要なために対応をいそぐ気持ちはわかるが、今回の事故の責任を明確にすることが補償の大前提である。事故は直接の責任は東電にあるが、国にも原子力の管理責任者としての根本の責任がある。東電はやらされてきたともいえる。このことを問わない限り、この間違った政策が、補償問題の場面で問われることにならない。農の会は農の会の必要とする姿勢で、東電に対して向かって行きたいと思う。

第一は『地場・旬・自給』を目指し、あしがらの地で行ってきた活動に対して、大打撃が与えられたことである。土づくりを農業の根本理念として、当面の生産が縮小することがあっても、将来の良い土壌を作り出すために、緑肥作物を作り、堆肥を作り投入する。作物を作ることと同等に土づくりをしてきたと思う。10年先、20年先の農地が豊かなものになっていることを思い耕作してきた。それは普通の農業者には、なかなか負担が大きく無理なことだと分かっていた。暮らし全体を地域の循環に織り込んでゆく。どれだけ自然を改変せずに暮らす事が出来るのかを考えてきたと思う。それを台無しにされた怒り、人生そのものを無駄にされてしまったような悲しみが満ちて来る。自然養鶏を提唱し実践してきたものとしても、対策のない絶望感がある。この点に対する、共通認識を東電や政府が立つことが出来るかである。絶望を抱えたものが再起できる、補償である。

補償については、現状を回復させる。これが大原則だろう。汚した責任は放射能を取り除いて元の土を返してもらう以外にない。と言ってもそれは無理なことはわかっている。それならばどうするかである。回復の出来ないような国土の汚染をした者の責任とは何か。その原因たる原子力発電所を廃絶することしかない。作られてしまった死の灰をどう処理するかである。具体的な補償金と同等の重大な意味がある。もしこの先にも同じようなことが繰り返し起こるかもしれないとしたら、農の会の理念自体が成立しない。この問題においては、原発を作りその恩恵を受けてきた国民の一人として、加害者でもある。子供たちやさらに未来の世代に対して、取り返しのつかない大失敗をしてしまった。その主たる責任は、私達団塊世代にあると考えざる得ない。次世代の人たちが農的な暮らしを送りたくなるような、豊かな環境を作り出すということに主眼がある。放射能が無くなる未来の補償である。

農の会の枠組みで、独自の補償対策を行わなくてはならない、ということが分かった。と言ってその余裕が現実にはない。現実にはないからと言って、やらない訳にもいかない。さてどうしたらいいのだろう。ともかく自分達の方式の補償の具体化を行い、交渉を開始することだろうか。この直接の農業から言えばまったく無駄な作業を強いられることは苦しいが、この原発の責任の一端があると考える以上、次世代へのお詫びということになるのか。残された人生の年限が10年とすると、この10年のかなりの部分を、原発に費やされることに成るだろう。つらいことだが、受け入れざる得ないことのようだ。覚悟を決めて取り組むことにしよう。
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小麦の栽培

2011-06-18 04:16:21 | 自給

小麦の栽培を1反行った。今までで一番広い面積である。幸い、雀が来なかった。一年目の畑には雀は来ないという、予想は今回も当たった。これで来年も来なければ、山の畑には雀は来ないということに成る。山北では散々雀にやられたのだから、そうも言えないと思いながらも期待はある。畑を二,三年で変えて行くというのはあるかもしれない。小麦に肥料が居るというのも、予測通りであった。肥料がないと分ゲツをしない。収量が取れない。種まきは、11月11日であった。分かりやすくあえてそうした。麦刈が6月15日。栽培の経過を一回りさせてみて確認をしたかった。「あやひかり」と言う初めて作る品種の小麦の栽培歴を確認したかった。農林61号が倒れやすかったので、これを何とかしたかった。少し倒れにくいという「あやひかり」にしたが、これも倒れた。最終盤に100ミリを超える雨が二度あったので、特別の事だとは思うが、倒れた。倒れたがバインダーで刈れる範囲だったので、良かった。

「はるゆたか」を家の方の畑に少し蒔いたが、これは収穫はもう少し先に成りそうだ。秋の播種が少し遅れたため、結局年明けに成って延び始めた。やはり田んぼとの兼ね合いを考えると、田植えより前に小麦は刈り取る方が良いのだろう。それなら、11月1日蒔きにして、刈り取りを6月最初の週に成るように出来ないだろうか。雨に当たる率も減少する。田植えは2週目か3週目にする。もう少し検討の余地がある。このあたりの段取りを十分に考えることが重要である。土壌が軟らかいために、車が入れなかった。左側に車の入れる道を確保すれば、畑の使い勝手がだいぶ良くなる。トラックタ―の操作も楽になる。一度ユンボで固めてもらって、ケイトラを出入りさせてしまえば、だんだん固まるかもしれない。バインダーは下りで刈るのだ、という発想と方式は悪くはなかった。上下数列だけは横に作り、最初に回転場所を確保することも必要。あえて登りで刈ることはない。

刈り取り時間は3時間であった。注意点は土が柔らい場所では、のめり込んでしまうので運転に注意。かった小麦のハウスに運び込みが一番の手間になった。これには5名は居ないと出来ない。来年道が出来れば少し状況が変わるかもしれない。その場でハ―ベスターを利用できればさらに良いが、草が巻き込まれていることが、不安。多分中で詰まるだろう。草取りは一度。初期に削った。その時に生育の悪い場所の追肥も行った。これは案外に効果が無かった。みかん園からの転作1年目では、良く耕し、堆肥を入れて置くこと。2年目は悪かったあたりを重点的に面倒見ること。石も多かった場所が、悪い。結局畑はでこぼこをなくすことが後の作業性に重要。石拾いも丁寧に行うこと。拾った石は、ケイトラ通路に成る場所に入れて行く。

まだ粉に挽けるのは、だいぶ先に成るが、粉になったら「地粉による手打ちうどんの会」を開催するつもりだ。ほうとう文化の再興を願ってである。蕎麦の方は結構こだわりが強くて蕎麦打ちの会は盛んだ。パンも若い人中心にとても熱心な人が居る。山梨育ちとしてはほうとうも負けてはいられない。メリケン粉しかなくなって、うどんは実にまずくなった。美味しい粉さえあれば、ほうとうほどおいしいものはない。以前やった時に、粉の水分量の違いで失敗したことがある。天日乾燥の粉と、機械乾燥の粉では、水分量の違いが大きい。よほど水分を減らさないと失敗する。昔食べていた甲州赤小麦と言う品種は、今もあるのだろうか。長くて倒れれた記憶があるが、今一度あの粉を食べてみたいものだ。
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原発という、良く分からないこと

2011-06-17 04:52:39 | Peace Cafe
原子力発電は、1960年代夢のエネルギーと言うことで、注目された。鉄腕アトムもつながったイメージである。内容については良く分からないことだった。死の灰と言うことが言われて、その灰をかぶったら死んでしまうらしいということは、第5福竜丸事件以来知っていた。キノコ雲を見たらもう駄目だとか、あの頃の子供の間では噂されていた。良く分からない故の恐怖。その分からないが、放射能雨にぬれると禿げるというのも、冗談だか本気だかわからない形で言われた。放射能雨だそー、と言いながら、雨に向かって口をあけて、もう駄目だ―、など遊んだ記憶すらある。放射能マグロと言うので、そんな危険は庶民には関係ないということも言われた。マグロは今では庶民の口に入るようになった。環境汚染と便利で安直な機械の世界が出来て、庶民の口にも入るようになったようなものだ。品川で展示された。第5福竜丸を見たが随分大きな漁船であった。

分からないことが何時も上手く利用される。放射能の危険に慣されてしまっていた。分からないことはたくさんある。溶融炉の中で起きていることなど、実にわかりにくい。1300度とか、言う高温でありとあらゆるものを溶融した時に、何が起きているのだろう。結果はスラグといガラス状の物質に成るらしいが、その過程ではどんな化学反応が起きているのだろうか。使うものは誰にでもわかるように説明する義務がある。医療の世界も良く分からない。一細胞から、新しい自分を再生させるようなことが起きるらしい。クローン技術。牛などではもうそういうことが現実化している。そもそも今使っているコンピューターなどの中はまるでわからない。中どころか、ソフトと言うもの自体が十分に使えない。分からないことを、分からないまま生活の中に取り入れる。こんな不思議なことを、認めてしまうことに慣れてしまった。おおよそでの人任せは実に危険だ。

どこかの誰かは良く分かっているから、任せて置けば大丈夫だ。こういうことで暮らしが動かされている。所が実はわかっている人などいなかったのだ。原発はおおよそと言うことで見切り発車されていたらしい。分かりやすく説明する義務が、本来政府にはある。例えば電力料金は原発は安いと、経団連は強調している。自然エネルギーは高いものにつくらしい。それなら分かりやすくその仕組みを説明して欲しい。原子力電力価格には死の灰の処理費は、入っていたのだろうか。災害対策を値切っていたのではないか。東電にとっては安いということだった気がする。費用の大部分が税金負担に成っているのではないか。安いと主張する政府は、その仕組みを分かりやすく説明する義務がある。分かりにくくして、厭になるのを待っているというのは、行政の書類など普通にそうだ。

昨夜お茶の補償についての、JAの説明があった。JAにすべてを委任する方式である。委任する内容が良く分からないのだが、「現状回復等」とあるので聞いてみた。これはお茶が暫定基準値内に戻るということらしい。それが今回の放射能汚染に対する、現状回復とは私には思えない。汚された土壌を元通りにしてくれと言いたい。少なくともそれに対する保障は交渉してもらいたいと思う。しかし、JAではそれは範囲外と言われていた。それでは委任は出来ないと思うが、その場合農の会が独自に損害補償の交渉をしなくてはならない。その能力がない。分からないから、放棄したくなる。分かるようにしてほしいと思うが、複雑な書類が東電から送られてきた。この書類を作成し、交渉をする。一体どこの誰がやればいいのだろう。そんな時間が割り込む余地があるのだろうか。しかし、東電を正す意味でも、分からなくてもやらない訳にはいかないのだろう。ああ困る。
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